前回(2023/12/11)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。
1.~10.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。
歌は、『新編国歌大観』より引用する。
11.一つの題詞のもとにある4首の整合性は
① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(3-4-25歌の類似歌を含む)4首の個々の検討が一応おわりましたので、4首の整合性を再確認し、類似歌(2-1-120歌)の理解を深めます。
そして、以下のような再検討をした結果、「思」字の意は、2-1-85歌(から2-1-88歌)と2-1-114歌の題詞にある「思」字と同じになりました。そして4首は題詞のもとにある歌本文として整合性があるものの、恋の歌ではなく、起居往来の歌となりました。また、この題詞と4首は、弓削皇子に巻二編纂者が何かを仮託した歌であるかもしれません。
『猿丸集』歌とその類似歌としての比較は次回になりました。
② 検討の前提条件は次のとおり。
第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とします(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」付け参照)。
第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、同じ用字がある(2-1-85歌と2-1-114歌の)題詞2題にならい、次の作業仮説をたてる。
「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/11/6付け「5.⑥」)
第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである。
第四 序詞は、これまでの検討と同じく有意の語句である、として歌を理解する。
③ 上記前提条件は、『萬葉集』巻一~巻四全体の理解の原則でもあります。作業は、
第一 巻二の部立て「相聞」における題詞の配列から当該題詞の意味合いを確認します。
第二 これまでに得た4首の現代語訳(試案)がこの一つの題詞のもとで整合性があるかどうかを確認します。
第三 4首に関する諸氏の理解の例とも比較します。
第四 2-1-120歌は、『猿丸集』第25歌の類似歌なので、第25歌と併せて検討します。
第五 また、当該題詞のもとにある2-1-122歌は、『猿丸集』第23歌の類似歌なので、第23歌と併せて検討します。
④ 最初に、題詞の配列から検討します。ブログ2018/7/16付けで一度検討していますが、巻二の部立て「相聞」の「藤原宮御宇天皇代」の歌について再確認します。
巻二の部立て「相聞」は、巻一と同様に標目をたて、各歌を題詞のもとに配列しています。標目の順番は天皇の代の暦代順であり、その代ごとに天皇が登場する題詞は最初においています。標目「藤原宮御宇天皇代」(持統天皇の御代)は、下表のように、天皇が登場する題詞はなく、天武天皇の皇子が登場する題詞に始まり、臣下とその妻が登場する題詞で終わっています。
⑤ 歌群の整理を、題詞での各皇子と臣下の男子でしました。そして、当該題詞に登場する人物同士の関係(一人(作者名)のみの場合はその一人とその歌を贈る相手との関係及び「和歌」とある場合はその直前の題詞の人物との関係)を確認しました。
これを見ると、弓削皇子が2度題詞に登場し、連続して配列されていません。
そして、題詞に登場する人物同士の関係では、恋愛関係のペアはなく、臣下で夫婦となっているペアが2組あるだけでした。
表 万葉集巻二部立て相聞の「藤原宮御宇天皇代」にある題詞の作文パターン別の歌一覧
(2-1-105歌~2-1-140歌) (2023/12/16現在)
歌群 |
題詞 |
作文パターン(歌の性格付け) |
題詞にある人物同士の関係 |
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贈字がある |
和歌又は奉入とある |
左以外で作歌とある |
左以外で御歌又は歌曰とある |
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大津皇子関連の歌 |
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2-1-105 2-1-106 |
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皇族で同母兄弟 |
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2-1-107 |
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皇族と女官か |
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石川郎女奉和歌一首 |
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2-1-108 |
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皇族と女官か |
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大津皇子竊婚石川女郎時津守連通占露其事皇子御作歌一首 |
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2-1-109 |
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皇族と女官 |
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日並皇子関連の歌 |
日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首 |
2-1-110 |
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皇族と女官 |
弓削皇子関連の歌その1 |
2-1-111 |
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皇族の男女 |
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額田王奉和歌一首 |
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2-1-112 |
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皇族の男女 |
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従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首 |
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2-1-113 |
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皇族の男女 |
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穂積皇子関連の歌 |
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2-1-114 |
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皇族の男女 |
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勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首 |
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2-1-115 |
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皇族の男女 |
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2-1-116 |
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皇族の男女 |
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舎人皇子関連の歌 |
舎人皇子御歌一首 |
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2-1-117 |
皇族(と女官) |
舎人娘子奉和歌一首 |
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2-1-118 |
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皇族と女官 |
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弓削皇子関連の歌その2 |
弓削皇子思紀皇女御歌四首 |
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2-1-119 2-1-120 2-1-121 2-1-122 |
皇族の男女 |
三方沙弥関連の歌 |
三方沙弥娶園臣生羽之女未経幾時臥病作歌三首 |
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2-1-123 2-1-124 2-1-125 |
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臣下の夫婦 |
大伴宿祢田主関連の歌 |
石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首 |
2-1-126 |
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臣下同士 |
大伴宿祢田主報贈歌一首 |
2-1-127 |
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臣下同士 |
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同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首 |
2-1-128 |
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臣下同士 |
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大伴宿祢宿奈麻呂関連の歌 |
大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麻呂歌一首 |
2-1-129 |
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臣下同士 |
長皇子関連の歌 |
長皇子与皇弟御歌一首 |
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2-1-130 |
皇族同士 |
柿本人麻呂関連の歌
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2-1-131 2-1-132 2-1-133 2-1-135 2-1-136 2-1-137 |
臣下の夫婦 |
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或本反歌曰 |
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2-1-134 |
臣下の夫婦 |
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2-1-135 |
臣下の夫婦 |
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或本歌一首并短歌 |
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2-1-138 2-1-139 |
臣下の夫婦 |
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柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首 |
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2-1-140 |
臣下の夫婦 |
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注1)歌は、『新編国歌大観』の「巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号」で示す。
注2)題詞とそのもとにある歌本文の理解は次のとおり。
A 題詞:上村朋の理解(ブログ2023/10/16付け参照)
B 2-1-105歌~2-1-110歌:土屋文明氏の理解(『萬葉集私注』参照)
C 2-1-114歌~2-1-116歌:上村朋の理解(ブログ2023/10/16付け及び同2023/10/23付け参照)
D 2-1-117歌~2-1-118歌:土屋文明氏の理解 舎人娘子は乳母子と推測する
E 2-1-119歌~2-1-122歌:上村朋の理解(ブログ2023/11/6付けなど参照)
F 石川郎女と石川女郎は、巻二編纂者が書き分けているので、別人として整理している。石川女郎は2-1-129歌より女官となる。石川郎女も、女官と想像する。
G 2-1-130歌:土屋文明氏の理解(『萬葉集私注』参照)但し、誰が皇弟かについては保留する
H 上記以外は、主として土屋文明氏あるいは伊藤博氏の理解に基づく。
⑥ この表から、次のことも指摘できます。
ほかの代でも同じですが、皇族が登場する題詞を先に配列し、次に臣下関連が配列されています。
例外は、長皇子が登場する題詞であり、臣下同士が登場する題詞の途中に配列され、その次が臣下の柿本人麻呂が登場する題詞です。長皇子は、巻一の部立て「雑歌」において標目「寧楽宮」にただ一題一首だけある歌の作者です。
この巻一の例に倣えば、巻二の部立て「相聞」は、標目としては例外の表記である「寧楽宮」という代を長皇子と柿本人麻呂の歌により設けているようにみえます。
巻二の次の部立て「挽歌」には、「藤原宮御宇天皇代」の次の標目として「寧楽宮」があり、女官の「河辺宮人」と皇族「志貴皇子」の挽歌が配列されており、そうすると、標目「寧楽宮」が巻一~巻二の全ての部立てにある、ということになります。
⑦ そして各題詞に登場する主たる人物2名の関係で、恋愛感情(あるいは愛情)を持った者同士というのは、弓削皇子と紀皇女が登場する題詞を保留すると、夫婦である臣下が登場している題詞だけです。石川女郎とそのような関係を占にでたことを大津皇子が嘆いていると理解(土屋文明氏の『萬葉集私注』)ができる歌本文がある題詞がありますが、二人に恋愛感情はない状況での歌と推測できます。
なんとなれば、大津皇子が登場した題詞の直後に日並皇子がその石川女郎に歌を贈っています。同一の女性が有力皇族二人に分け隔てない交際をしているかに見えるとすれば、これらは宴席等での歌なのではあるまいか。
石川女郎は、臣下である大伴宿祢田主や大伴宿祢宿奈麻呂とも歌を交換していることがこの部立て「相聞」にあり、2-1-128歌題詞には女官と明記されています。
このため、恋愛感情は大津皇子と石川女郎の間にない、とみてよいと思います。
⑧ 大津皇子の登場する題詞には「石川女郎」のほか「石川郎女」が登場する題詞もあります。巻二の編纂者が書き分けているので別人と整理します。大津皇子と石川郎女が登場する題詞の歌(107歌と108歌)は、土屋氏が「(105歌と106歌などと同じ事情で)前々からの年月未詳の製作(された歌)がここに収録されたものであらう」と指摘しているように、元資料は伝承歌です。
そのため、大津皇子と石川郎女が恋愛感情を装っただけの挨拶歌か宴席での歌として編纂者の手元にあつまったのではないか。(土屋氏は、110歌についても「民謡風の諧調が一首を貫いて居て快い。或いは既成の民謡が根拠になって居るのかもしれない」と指摘しています。)
また、舎人娘子は乳母子であるので、舎人皇子との間の歌(2-1-117歌と2-1-118歌)は、日常的な挨拶歌と理解できます。
このようなことから、保留していた弓削皇子と紀皇女が登場する題詞でも、恋愛感情を持っている者同士と二人を見るのは配列からは不自然と言えます。
そして、上記②の前提条件第三からも、恋愛感情を持っている者同士という推測はしにくい、と思います。
⑨ 次に、上記⑤で指摘したように弓削皇子が2度題詞に登場し、連続して配列されていません。(二つ目の題詞のもとに2-1-120歌があります)。
歌群「弓削皇子関連の歌その1」は、弓削皇子が贈った歌とその返歌並びにそれらと明らかに関連ある歌とからなる歌群です。持統天皇の吉野行幸に供奉し、昔天武天皇の行幸に供奉した際に見た「み井」を題材にした歌群です。このような作詠事情が題詞と3首の歌本文より判ります。
歌群「弓削皇子関連の歌その2」は、弓削皇子が詠んだ4首に対応する返歌或いは事前におくられた歌はこの歌群にありませんし、『萬葉集』の他の箇所にもありません。 そして題詞の歌本文から作詠事情は漠としています。
諸氏の指摘のように、この歌群の歌が作者を弓削皇子に仮託したものであるならば、巻二編纂者は、そのことにより何かを仮託している歌群として配列しているのではないか、と疑えます。
このような歌群の趣旨が違うことが、離れて配列されている理由なのでしょうか。確かな理由は今のところ未だわかりません。
⑩ 次に、題詞のもとで4首の歌本文の整合性を確認します。
題詞と4首の現代語訳(試案)は、前回までに、次のようなものを得ました。歌本文は付記1.に引用しています。
第一 題詞: 弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首 (これは今回検討する前提条件のひとつ)
これは、倭習漢文である題詞において、「思」字を「しのぶ」と理解しない、ということになります。
第二 2-1-119歌:2案あります(ブログ2023/11/6付けの結論)。
作者弓削皇子は、「紀皇女を思」って詠っていますので、紀皇女が関係する何らかの問題が生じていることを承知している、と推測できます。
第一案 作者とこの歌をおくった相手の間に何らかの緊張関係あるいは信頼関係の問題が生じていると想定した一般的な場合
「吉野山中を流れる川の瀬は、流れが速くわずかな時間も澱むことがない。そのようによどむことのない状況が続いてくれないかなあ(なんとか解決したいですねえ)。」
この場合、生じていた問題を、弓削皇子とこの歌をおくる相手とは共有していることになります。しかし、弓削皇子がどのような解決策を持っていたかは、題詞でも歌本文でも判然としません。
第二案 作者とこの歌をおくった異性である相手の間に問題が生じていると作者が信じていると想定した場合(第一案の中の一例)
「吉野山中を流れる川の瀬は、流れが速くしばらくの時間も澱むことがない。それと同じように私たちの仲もよどむことのないようになってくれないかなあ。」
この場合、女性である相手が、紀皇女であるならば、題詞に「思」字でなく「贈」字を用いれば明解です。それを巻二編纂者は避けているかに見えます。そのため、相手は紀皇女でない誰かが有力です。
そして、同ブログ「6.⑨」で宴席等での社交的な遣り取りの歌の可能性が高いでしょうと、指摘しましたが、挨拶歌の可能性もあります。
題詞の「思」字の意は、紀皇女を「思いやって」の意と理解できます。
第三 2-1-120歌:1案です。(ブログ2023/11/13付けの結論)
「親愛なる貴方に、どなたかが「こひつつあらず」という状況だそうですが、秋ハギのような咲いたらすぐ散る花になってほしいですね(諦めてくれるといいですね)。」 (2-1-120歌現代語訳改定試案)
この(試案)は、初句~二句に引用文があるとみています。事前にその間の事情を弓削皇子と紀皇女が共有する状況であれば、不自然な理解ではありません。作者弓削皇子と紀皇女の間の今喫緊の問題を抱えている恋の歌ではない、と言えます。題詞にある「思」字は、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう、と思います。(同ブログ「7.⑧、⑨」参照)
第四 2-1-121歌:1案です。(ブログ2023/11/20付けの結論)
「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(仮に、ある行為を成すに適した時期となれば、そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。) (2-1-121歌改訳(試案))
この場合は、紀皇女が関係する事柄を弓削皇子が詠んで紀皇女以外の人物におくった歌です。少なくとも巻二の編纂者の作文した題詞は、この理解が可能です。
また、巻二の部立て「相聞」の配列からも、当事者の恋を語る歌という可能性はありません。そしてこの歌のように皇女が玉藻を刈り取るのは非現実的であり、弓削皇子は暗喩のために伝承歌を利用している可能性があります。(同ブログ「8.⑮」参照)
そして、題詞にある「思」字の意は、上記②で示した作業仮説の範疇の意であって恋する意ではないことになりました同ブログ「8.⑭」参照)。
第五 2-1-122歌:1案です。(ブログ2023/12/11付けの結論)
「大船が停泊している港であって揺れが止まらないという状況になり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」というせいで(ショックですよ)。」(第121別案その2)
この場合、「大船」を「親」の隠語として、初句~三句の主語は「大船」、四句~五句の主語は作者であり、誰かの「たゆたひ」により翻弄される作者の歌、とみる理解が素直であり、作者が「たゆたふ」と詠う序詞はくどい。また、漢字「思」字の意に沿った歌であり、宴席での歌の類です。
(同ブログ「10.⑧参照」)
⑪ 4首を、このような現代語訳(試案)として理解すると、4首目の歌にある「人の子」とは親の言うなりになったことで1首目の前提にあるはずの「紀皇女が関係する何らかの問題」が解決し、その間に遣り取りした歌がこの4首、ということになります。 そしてこの解決は弓削皇子にとって嘆かわしいことになります。
弓削皇子の活躍期間(持統天皇7年(693)に浄広弐に叙せられてから文武天皇3年(699)薨去(27歳か)までの間)に生じた「紀皇女が関係する何らかの問題」とは何なのでしょうか。皇女の立場を重視すれば、適齢期の独身の女性として、立后、天皇の代替わりに伴う斎院下命、男子皇族との結婚、臣下との結婚が考えられます。弓削皇子にとって嘆かわしいというのは、立后されなかったとかを指しているのでしょうか。同母兄妹でもないのに不自然です。
⑫ 諸氏もいう弓削皇子に仮託された歌とすると、4首に起承転結があるのではないか。それは次のような趣旨を作者が伝える歌となるのではないか、と思います。なお、2-1-119歌は恋の歌ではないことになったので、第一案となります。
2-1-119歌:(紀皇女が関わる)何かは、澱むことなく進行することを願う
2-1-120歌:貴方(紀皇女か)に執心の人があきらめるといいね。
2-1-121歌:その時には、然るべき場所で、成すべきことをしてほしい。
2-1-122歌:騒動になって心配したが、貴方が「人の子」(親に従う子)であるので。
このように4首を理解できます。紀皇女がかかわる何かは、毅然とした皇女の行動で解決したというよりも、親に頼って解決し、一件落着となったようです。皇女の親は、天武天皇ですが、「藤原宮御宇天皇代」という標目のもとにあることから2-1-122歌の作詠は天武天皇薨去後の時点となっている、といえます。
なにがあったのでしょうか。
⑬ これは、少なくとも4首目の理解に誤りがあるのかもしれません。「人の子」が代名詞であるので、誰にでも用いることが出来るのに、作者と相手の人物のほかの第三者の場合の検討を無視してきました。それを確認します。
12.2-1-122歌の見直し。
① 2-1-122歌本文を引用します。
大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓
おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに
四句にある「ひとのこ」を、弓削皇子と紀皇女以外の人物を指している、として再検討します。
② この歌が倒置文形式の一つの文章とすれば、題詞のもとにある歌本文の現代語訳(試案)は、第121別案と第221別案をベースにすると、作者を弓削皇子、「大船」は隠語とし、「ひとのこ」は第三者を指すとすると、次のようになります。四句と五句が主語を省いた表記なので、このような理解も可能です。
第五 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかが「人の子」というせいで」(第131別案)
第六 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかと同じく「人の子」故に。」(第231別案)
「人の子」とは、ここまで「人」とはその人の「両親」を指しているとみなして、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方(子供)」の意として検討してきました(ブログ2023/12/11付け「9.⑫」参照)。
③ 『萬葉集』での「ひとのこ」の用例10例は、類似歌2-1-122歌を除くと、「(親の監視が強いなど)婉曲に自由にならない恋の相手である女の意が7例、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」となります(同ブログ「9.⑩参照」)。
恋の歌でないならば、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)か「子孫」の意で詠われており、前者は、ひろく「人並」の意と通用できます。
そうすると、普通は「大船」と「人の子」は結び付けて理解することはなく、恋の歌であればこそ結び付けられて理解することがある、ということであったのではないか。
恋の歌でないならば、「人の子」の意を「人並」に理解すれば、第六の試案(第231別案)が妥当な(試案)と思います。
「大船の揺れがとまらない」ことが起因であって、他の人もそうだが、作者も物思いに沈んだ、ということを詠った歌と理解できます。
これまでの(試案)でも下記に引用する第四の試案(第221案)も、恋の歌としての()内の訳文を省けば「人並」に理解した(試案)となります。
④ これまで、作者を弓削皇子として、次の現代語訳(第一~第四)をこころみ、下記第三の(試案)を2-1-122歌の現代語訳として検討してきました。恋に寄せての歌ではないかとの思い入れがまだある試案でした。
第一 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(第121案)
第二{大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらい続け、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(第221案)
さらに、「大船」を隠語と見た場合、
第三 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に(貴方の親が思いのほかのことを言い出して)、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」のせいで(しばらく逢えないのですね。了解しました)。」(第121別案)
第四 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。(私の親は気にしています。ちょっとおとなしくしましょう。)」(第221別案)
⑤ 恋の歌ではない、と割り切って4首の整合性をする必要があります。
13.再び4首の整合性について
① 2-1-122歌の現代語訳(試案)を、
上記第231別案とすると、4首は、次のような起承転結があると言えます。
2-1-119歌:(紀皇女が関わる)何かは、澱むことなく進行することを願う
2-1-120歌:貴方(紀皇女か)に執心の人はあきらめるといいね。
2-1-121歌:機は熟すので、そのとき成すべきことをしてほしい。
2-1-122歌:「大船」が揺れ続けていて、私も人並みにやせた。
題詞で弓削皇子は紀皇女を「思」って詠んでいるものの、紀皇女には、誰かあるいは何かの暗喩があるのではないか。そしてこの歌は、題詞より恋に関わることではないので、皇族間の問題が1首目にある「何か」であって、弓削皇子はこの歌を他の皇族におくったのではないか。
弓削皇子の活躍時期を考慮すると、次期天皇の候補とみなされるのを嫌がっている心境を詠ったのではないか、と推測できます。
② このような趣旨を含んだ歌が弓削皇子の詠んだ歌として巻二編纂者の手元に集まるのは疑問であり、弓削皇子に仮託すべく編纂者が伝承歌から選択してここに配列している可能性を捨てきれません。この4首は、何かに関して、訴えている歌と理解でき、特定の人物との恋愛を詠う歌ではなくて、起居往来の歌とみなせます。
この4首は、恋愛関係にある人への片恋の歌ではないことが確かめられました。そのため、今は『猿丸集』の類似歌としての検討はこれで十分だと思います。『萬葉集』の歌としては更なる情報を得て確かめたい歌群です。
③ 次に、この題詞のもとにある4首に対する諸氏の理解の例として伊藤博氏と土屋文明氏の理解を紹介します。
伊藤氏は、題詞の「思」字を「しのふ」と訓み、その意は「思い慕う」意としており、そのため作者(弓削皇子)はそれでも今も慕っている、と理解していることになります。そして、氏は、「弓削皇子が紀皇女をひそかに思いを寄せていたという事実を背景にしながら(後人が二人に)仮託した歌であろう」と指摘しています。しかし氏が事実と指摘した根拠は『萬葉集』のこの題詞の「思」字からの推測ではないか。それ以外の資料では確認できませんし、仮託をしてまでここに配列する理由に触れていません。
そして、「思」字の意を、「なつかしむ」意と理解すれば、今となっては過去のことと振り返っている状況下での4首となり得ます。
氏は、部立て「相聞」について「個人の情を伝えあう歌」の意と理解されており、「思」字が「なつかしむ」意でも氏の定義する「相聞」の歌の範疇にこの4首はあります。つまり、「今恋いしあっている時の歌」という理解に限定する理由はありません。
また、歌本文は、題詞により歌意が限定されますので、氏のいう二人に編纂者が仮託した理由を明らかにしないと、この4首は理解半ばではないか、と思います。
④ 次に、土屋氏は、この4首について、題詞の訓は示さずに「序を用ゐて一首を構成するは相聞の普通の技法」と指摘し、「(創意が少なく)大部分が民謡を改作し、或いはいくつかは民謡其の儘を用ゐたものかもしれぬ。相聞の歌にはさうしたものも多かったものと思はれる。」と指摘しており、題詞のもとの歌として「弓削皇子の他の作とは少しく趣を異にして居る」と指摘しています。
そして氏は、「相聞」を「個人間に問ひ交はす意に中国で古くから用ゐられる文字であるといふ。此の集の用ゐ方もその如くで人と人との間に言ひ交はされた歌であるが、実際は殆ど対多数が恋愛の歌である」(『萬葉集私注』「萬葉集巻第二 相聞 の巻頭言)と指摘し、起居往来の歌とも指摘しています。
氏の理解は、この4首は起居往来の歌として弓削皇子は伝承歌を用い、題詞の「思」字の意は、「恋愛」であっても構わない、と理解しているようです。
両氏とも2-1-85歌と2-1-114歌の題詞の「思」字の理解は、私と異なります。
⑤ そして、巻二の題詞における「思」字の意は、これにより3題すべて共通となり、作業仮説(上記「11.②第二」)の意となりました。「おもふ」と訓み、「思案する」意が強く、恋する意ではありませんでした。
ブログ「わかたんか これ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。
次回は、2-1-120歌を『猿丸集』の類似歌として、『猿丸集』第25歌との比較を再検討します。
(2023/12/18 上村 朋)
付記1.題詞「弓削皇子思紀皇女御歌四首」のもとにある歌本文 (『新編国歌大観』より)
2-1-119歌の歌本文:
芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢濃香問
よしのがは ゆくせのはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも
2-1-120歌の歌本文:
吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾
わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを
2-1-121歌の歌本文:
暮去者 塩満来奈武 住吉乃 浅鹿乃浦尓 玉藻苅手名
ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな
2-1-122歌の歌本文:
大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓
おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに
(付記終わり 2023/12/18 上村 朋)