わかたんかこれ 萬葉集弓削皇子の歌その3 121歌

 前回(2023/11/13)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。              1.~7.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

8. 再考 2-1-121歌

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその3首目の2-1-121歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

 2-1-121歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

   暮去者 塩満来奈武 住吉乃 浅鹿乃浦尓 玉藻苅手名

   ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな 

 前回の検討時(ブログ2018/7/16付け)、2-1-119歌~2-1-122歌は逢うことができない状況で繰り返し訴えている、片恋の歌、と理解しました。今回2-1-121歌が「片恋」の歌なのかを、再確認します。

② 再考の前提条件は、次のとおり。

第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とする(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」参照)。

第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、次の作業仮説をたてる。

「漢字「思」の意のうち、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう。」(ブログ2023/11/6付け「5.⑥以下」参照)

第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである(ブログ2023/10/16付け「3.⑦」参照)。

③ 歌本文のいくつかの語句を確認します。

 初句「ゆふさらば」とは、名詞「夕」+四段活用の動詞「さる(去る)」の未然形+接続助詞「ば」であり、接続助詞「ば」は、活用語の未然形についていますので、「もし・・・なら、・・・たら」と仮定していう接続語をつくります。

 だから、初句は「もし夕方ならば・夕方なら(と仮定すると)」という意と理解できます。

 古語辞典には連語「ゆふされば」に対して「夕方になると」の意が示されています。動詞「さる」の已然形に接続助詞「ば」がついているので、「あとに述べる事がらの起こる、またはそうなると考えられる、その原因・理由」を表すなどの接続語をつくることになります。仮定の意はありません。

 仮定の意を明確にするため、初句「ゆふさらば」は、上記のように「もし夕方ならば・夕方なら(と仮定すると)」と、現代語訳したい、と思います。

 二句にある「なむ」は、カ変活用の動詞「く(来)」の連用形についた連語「なむ」(完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形)です。その意は、「a確実に実現・完了することを、推量の形で表す b強い意思を表す c適当・当然の意を強める d可能な事がらに対する推量をあらわす」があります。

 そして、二句「しほみちきなむ」でひとつの文章が終わります。

 次に、「住吉」と「浅鹿」とは、地名であり、前者は摂津国にある地域の名であり、後者はその地域内の一集落名と理解できます。

 巻一と巻二で「住吉」(すみのえ)の語句を用いた歌はもう一首あります(題詞に「長皇子御歌」とある2-1-65歌)。「あさか」という地名を用いた歌はありません。

 次に、五句にある(たまも)「かりてな」とは、動詞「刈る」の連用形+完了の助動詞「つ」の連用形+文を言い切る終助詞「な」です。「な」の意は、「a自分自身の願望・意志を表す b呼びかけ・勧誘の意を表す c相手に対する期待・願望を表す」の3意があります。

 また、「玉藻」とは歌語であり、「藻」の美称です。

④ さて、この歌は、二つの文章からなります。

文章A 初句~二句 ゆふさらば しほみちきなむ

文章B 三句~五句 すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

 文章Aは、文章Bの記述のための前提条件である、と理解できます。

題詞を無視して、この二つの文章を検討します。

 文章Aより検討します。助動詞「なむ」の意によって、4案があります。

第一案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。」

(「なむ」の意は「確実に実現・完了することを、推量の形で表す」)

第二案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、(私は)潮をきっと満ちさせよう。」

(「なむ」の意は「強い意思を表す」)

第三案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮が当然満ちてくるはずだ。」

(「なむ」の意は「適当・当然の意を強める」)

第四案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮は満ちてくることができるだろう。」

(「なむ」の意は「可能な事がらに対する推量をあらわす」)

⑤ 文章Aの第一案、第三案及び第四案は、太陽の位置による夕方という自然現象と、海水の干満という自然現象とに因果関係があるかのような文章となっています。

 夕方という時間帯は、日本列島であろうと中国大陸であろうと、ほぼ24時間ごとに訪れます。潮の干満も通常1日2回ずつあり、満潮から次の満潮までの周期は平均約12時間25分です。だから夕方という時間帯に潮が満ちて来るという時期はありますが、常に満ちてくることはありません。

 しかし、特定の地域(浦)における夕方と干満の関係は、作詠時点までの数日間の日没時刻とその時の干満の日々の違いを知っているだけでも、何日か先までは予測できるでしょう。

 だから、特定の浦における最近の夕方の干満の状況を承知している人物が作者であれば、自然現象として潮がみちてくることを予想している文章として、第一案、第三案及び第四案は、あり得ます。何を念頭に予想を必要としたのかによって、作者の気持ちの違いがこの3案の違いではないか。

 第二案は、夕方に潮が満ちてくるのが望ましい状態だ、ということを言外に言っており、特定の浦の干満に関係なく何かのために発想して文章化したものとみることができます。何かに対する作者の気持ちがこのような表現を採らせているのではないか。

 結局、どの案も有り得る理解となります。また作者の性別もどちらでもあり得る文章です。

⑥ 次に、文章B の現代語訳を試みます。五句の最後の語句 「な」の意によって、3案があります。

 第一案 「住之江にある浅鹿の浦において、玉藻を刈ってしまいたい」(「む」は願望・意志の意)

 第二案 「住之江にある浅鹿の浦において、玉藻を刈ってしまおうよ」(「む」は呼びかけ・勧誘の意)

 第三案 「住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい」(「む」は相手に対する期待・願望の意)

⑦ 文章Bにより文章Aの潮が満ちてくると予測している特定の地域(浦)が明らかになっています。

 玉藻刈りは、満潮を避けてする作業なのでしょう。一般的には、生活拠点としている集落かその近くの浦での作業でしょうから、歌をおくった相手は住之江にある浅鹿の浦近辺に生活拠点がある人物、と推測できます。

 そして、「玉藻刈」(たまもかる)という行為は、皇女が行うとすれば、何かの儀式で役を務めるときであって、生活の資として刈ることはないでしょう。

 そして、作者の性別は各案別に推測可能です。

 第一案は、作者が玉藻刈りをしたい、と理解できるので、通常ならば、作者は女性ではないか。

 第二案は、作者である女性が、作業仲間の女性に呼び掛けていると考えられます。また、男性が女性に呼びかけているとも考えられます。

 第三案は、作者が男性でも女性でもあり得ます。

⑧ 次に、題詞を無視して歌本文全体(文章A+文章B)の検討をします。

 上記④で指摘したように、この歌の文章Aは、文章Bの記述のための前提条件である、と理解できます。

 二つの文章の組合せは多数あります。文章Aは、何のために夕方の潮の状況を推測しているのがわかりませんので予測が困難です。

 しかし、文章Bにある玉藻を刈るという作業が女性の仕事であることをヒントにすると、文章A+文章Bは、恋の歌として異性を説得するための歌か、玉藻刈りが共同作業なので段取りよく玉藻刈りの作業をすすめようと仲間に呼びかけている歌か、と整理できます。

 そのため、第一に、恋の歌であれば、作者の性別に、次のように整理できます。

作者が男性の場合、文章Aは素直な予想をしている第一案または確信をもって断言している第三案であり、文章Bは呼びかけている第二案または相手に期待している第三案となり、逢うための時間確保ができることを訴えている歌と理解できます。

 作者が女性の場合、文章Aは素直な予想をしている第一案であり、文章Bは呼びかけている第二案または相手に期待している第三案となり、作者が恋人と逢うための時間確保のため共同でしている仕事の今日のノルマの速やかな達成を願っている歌と理解できます。

 第二に、共同作業である玉藻刈りの作業をすすめようと仲間に呼びかけている歌であれば、作者は女性と限定できます。文章Aは素直な予想をしている第一案であり、文章Bは呼びかけている第二案となります。この場合いわゆる作業歌として披露するのでしょう。

⑨ 題詞を無視して文章A+文章Bを理解すると、恋の歌の可能性が一番高い、と思います。恋の歌は、玉藻刈りをしている時の作業歌としても、こんな誘いがあればいいねえ、という歌として掛け合いの歌となり得ます。

 なお、恋の歌として、地名は、入れ替え可能です。だから、もともとは庶民の歌であり、『萬葉集』巻二編纂時点では、既に伝承歌になっていた可能性もあります。

⑩ さて、題詞のもとにある歌本文として、検討をします。

 作者は、題詞より弓削皇子となります。この歌をおくった相手は、題詞からは特定できませんが、紀皇女を「思」って詠っているので、紀皇女はおくった相手の候補の一人となります。そのほか、ブログ2023/11/6付けの「5.④」で指摘したように、紀皇女と弓削皇子との仲介にたつ人物や単にぼやきたい人物(も披露した場面・機会)も候補となり得ます。

 また、この歌は、紀皇女を「思」った結果として相手にむかって披露されているので、五句の最後にある終助詞「な」の意は1案で詠まれているはずです。 

 文章Bにある「玉藻を刈る」行為は、皇子や皇女が日常的に行う行為ではありません。日常的に「玉藻を刈る」相手に対して作者である弓削皇子が「紀皇女を思」ってこの歌をおくるでしょうか。「玉藻を刈る」行為には、何かを寓意しているか暗喩をこめてこの歌を示しているはずです。

 おくった相手が紀皇女であっても、皇族や官人であってもそれは同じではないか。

歌をおくられた相手もこの歌(文章A+文章B)から寓意なり暗喩を理解できる共通の認識を持っている状況での歌であろう、と推測できます。

 寓意あるいは暗喩している行為は、紀皇女を「思」っての歌ですから皇子や皇女が行っても差し支えないものなのでしょう。

⑪ 上記④で指摘したように、文章Aは、文章Bの記述の前提条件です。文章Aは、自然現象に関して予測を行っている文です。その自然現象にも何かの寓意あるいは暗喩があることになります。

 そうであると、「玉藻刈る」にこめた寓意あるいは暗喩は、作者弓削皇子のみが自ら行う行為であれば、上記⑥に記す第一案、作者弓削皇子が相手と共に行う行為であれば同第二案、相手のみが行う行為であれば同第三案になります。

 そして、上記⑧と同様に、玉藻を刈るという作業が女性の仕事であることをヒントにすると、男性は「玉藻を刈る」ことが例外なので、寓意・暗喩では同第三案(「む」が相手に対する期待・願望の意)ではないか。

 そのためには、文章Bの記述の前提条件である文章Aは、夕方に潮がみちてくることもある、というどこの浦でも成立する事柄であっても、特定の浦での予測でもあってもよく、どちらの場合でも上記④の第一案、第三案あるいは第四案となるのではないか。

 このなかで、文章Aで自然現象を描写しているのは、第一案であり、一番素直な詠いだしです。これを現代語訳(試案)の第一候補とします。即ち、

「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。」(その時期となれば、ある行為を成すに適した時期となるだろう)(「なむ」の意は「確実に実現・完了することを、推量の形で表す」)

 文章Bは、第三案により現代訳(試案)したい、と思います。即ち、

「住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。)」

 特定の場所と「ある行為」とは今のところ不明です。しかし、弓削皇子と歌をおくった人物とは、既に共通のイメージをもっていなければ、寓意・暗喩は成立しません。「思紀皇女」と題詞にあるので、紀皇女が関係した事柄と推測できます。

⑫ この歌を、作者弓削皇子が紀皇女を「思」って誰におくったかについては、題詞以外から検討が可能です。題詞の配列にヒントがあります。

 部立ては「相聞」です。この部立ては、「逝去後の次の世に遷って神々となった人物たち(例えば天皇)の見守る今上天皇のもとで現世の人々の喜びを活写する場面」の歌から編纂されています(ブログ2023/8/28付け「25.②~」参照)。男女の恋の歌以外も多数ある部立てです。

 土屋文明氏は、巻二の部立て「相聞」については、「実際は殆ど大多数が恋愛の歌である。それは当時の恋愛歌が相手方に思ひを通じ合ふといふためのものであったことによるものであらうが、その一面、中には必ずしも相手方に通ぜんとする動機からの作でないもの、独泳的の作と思はれるものも恋愛が主題となったものはこの中に収められて居る」とも指摘しています。(『萬葉集私注』「萬葉集巻第二 相聞 の巻頭言)。

 また、氏は、「歌が社交の道具と既になっているとして「恋愛歌」のようなところがあっても(部立て「相聞歌」にある歌は)、実は単純な起居相聞の歌と見るべきである」と(2-1-649歌以下の4首での指摘)しています。

⑬ この題詞の前後各5題をみるとつぎのとおり。

2-1-114歌 但馬皇女高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首

2-1-115歌 勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首

2-1-116歌 但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作<歌>一首

2-1-117歌 舎人皇子御歌一首

2-1-118歌 舎人娘子奉和歌一首

2-1-119歌~2-1-122歌 弓削皇子思紀皇女御歌四首 (検討中の題詞)

2-1-123歌 三方沙弥娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首

2-1-126歌 石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首

2-1-127歌 大伴宿祢田主報贈<歌>一首

2-1-128歌 同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首

2-1-129歌大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麻呂歌一首

 上記のうち、2-1-114歌は、題詞に「思」字を用いており、恋の歌の題詞ではありませんでした(ブログ2023/10/23付け参照)。2-1-115歌~2-1-116歌も同じでした(同上ブログ参照)。

 2-1-117歌と2-1-118歌の題詞は、皇族を「大夫」(ますらを)と例えることから、伝承歌を引用して舎人皇子は披露したのではないか、と推測します。そうすると、社交上の歌(宴席での歌)と推測できます。そうすると、検討中の2-1-119歌~2-1-122歌の題詞は留保しますが、前後の題詞はみな、恋の歌の題詞ではありません。

 巻二の部立て「相聞」にあるすべての題詞を対象にしても、婚姻が整っていることを明記しているものがありますが、男女が正式な婚姻していない間柄のときに交わしたと理解可能な題詞と認められる題詞は、2-1-107歌の題詞(大津皇子石川郎女御歌一首)から2-1-110歌の題詞(日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首)までの石川郎女と石川女郎にまつわる題詞だけです。これら4首のうち皇子の歌は伝承歌の引用であり、社交上の歌(宴席での歌)の可能性が高い。また、弓削皇子と紀皇女の婚姻は史書に記されていません。

 そのため、題詞の配列からは、2-1-119歌~2-1-122歌の題詞も、前後の題詞と同じく、恋の歌の題詞ではない可能性が高く、紀皇女を思って作った歌であっても、紀皇女におくった歌ではない、といえます。

⑭ 社交上の歌であっても恋の歌であっても、弓削皇子が、紀皇女に歌をおくったとすれば、ストレートに「(弓削皇子)贈紀皇女歌」と巻二の編纂者は作文してもよいのに、それを避けています。このような作文の題詞としたのには編纂者には、配列上何か理由があったのではないか。

 題詞を無視してこの歌を理解すると、上記⑨に指摘したように恋の歌の可能性が高い。そして無名の人物が作者である作業歌であり、また、それを引用して皇子が皇女におくるのに五句にある「玉藻刈り」をそのまま皇女にお願いするのは違和感がありすぎます。だから、この歌は、紀皇女以外の人物におくった(披露した)歌であって、表面の意は、誰かの恋の歌であっても、何らかの暗喩など含意している歌であり、その含意している事柄が題詞の「思」字に関係があるのではないか。

 このため、題詞にある「思」字の意は、上記②で示した作業仮説の範疇の意であって恋する意ではない、と言えます。

⑮ ここまでの検討をまとめると、次のとおり。

 第一 2-1-121歌は、題詞のもとにある歌であるので、紀皇女が関係する事柄を弓削皇子が詠んで紀皇女以外の人物におくった歌である。少なくとも巻二の編纂者の作文した題詞は、この理解が可能である。

 第二 巻二における部立て「相聞」の配列から、恋を語る歌の可能性はない。「片恋の歌」という理解は誤りである。

 第三 この歌のように皇女が玉藻を刈り取るのは非現実的であり、弓削皇子は暗喩のために伝承歌を利用している可能性がある。

 第四 現代語訳(試案)は、次のとおり。

 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(仮に、ある行為を成すに適した時期となれば、そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。) (2-1-121歌改訳(試案)と呼ぶことにする)

「ある行為」は今のところ不明である。特定の場所も不明である。

 第五 題詞にある用字「思」の意は、予想どおり、(上記②の第二に述べた)作業仮説のとおりであった。

⑯ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、同じ題詞のもとにある2-1-122歌を検討します。同じ題詞のもとにある4首の整合性は後程検討します。

(2023/11/20  上村 朋)