わかたんかこれ 猿丸集その217恋歌確認25歌 萬葉集弓削皇子の歌その4 大船は 

 前回(2023/11/20)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~8.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。歌は、『新編国歌大観』より引用する。

9. 再考 2-1-122歌 題詞を無視すると

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその4首目の2-1-122歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

2-1-122歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓

おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

この歌は、今考えると、題詞の「思」字の意による歌のチェックをせず、作者弓削皇子の片恋の歌と単純に割り切っていました。そのチェックを今回します。

② 下記③の前提条件で再検討し、題詞にある「思」字は、相手を「かんがえる」、「おもいやる」程度の意で歌本文は妥当な理解ができました。即ち、宴席における大人の恋の気持ちがない片恋の歌であり、現代語訳(試案)を改めます。

 以下、順に説明します。

③ 再考の前提条件は、次のとおり。

第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とします(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」付け参照)。

第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、次の作業仮説をたてる。

「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/11付け「5.⑥」)

第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである。

第四 序詞は、これまでの検討と同じく有意の語句である、として歌を理解する。

④ また、ブログ2021/7/19付けで宿題になっていることなども検討します。

第一 大船の動きに自分を喩えているのは、相手にへりくだっている印象がありません。贈られた女性はどう思うか。

第二 2-1-122歌の四句の万葉仮名は、「物念痩奴」ですが、「痩」という漢字を用いてなければ、また違った理解も生じたところです。即ち、四句「ものもひやせぬ」を、動詞「ものもふ」の連用形+係助詞「や」+動詞「為」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連体形とする理解です。歌の趣旨が変わってしまうところ(音「痩」字が「音」のみを表すとした理解は深く検討していない)。

この2-1-122歌は、『猿丸集』の第23歌の類似歌であり、ブログ2018/7/16付けで検討し、ブログ2021/7/19付けで再検討していますが、その現代語訳(試案)は、最初のブログ時のままです。

四句までの状況の原因が五句に述べる事がらである、と理解した、次のようなものです。

「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思いに痩せてしまった。この乙女のために。」

⑤ 歌本文にあるいくつかの語句を、再確認します。

初句にある「大船」(おほぶね)とは、準構造船の遣唐使船か、それまで大きくできないものの和船構造の大和朝廷が公用に調達する総トン数が大きい船を指しているのではないか。

国営平城宮跡歴史公園「朱雀門ひろば」に展示されている推定した遣唐使船は全長30m・全幅9.6m・排水量300トン・積載荷重150トンというスケールで再現されています。当初の遣唐使船は、100人ほどの遣唐使一行が乗船しています。このくらいの大きさの現在の船は、防波堤を供えた普通の港の岸壁に接岸していても、揺れは止まらないものなのでしょうか。

大船でなくとも、航海中の揺れに比べれば港に停泊中は揺れがはるかに少ないものです。当時の常識としても、大船は、停泊中の揺れは大変少ないものというものであったのだと思います。

だから、停泊中の大船を、少なくとも「たゆたふ」と形容することは、例えば風が強く異常な揺れが生じていることを指した形容ではなかったかと推測できます。

⑥ 三句にある「絶多日(二)」(たゆたひ」とは、四段活用の動詞「たゆたふ」の連用形か名詞化してものです。その意は「aためらう。ちゅうちょする。ぐずぐずする」意と、「b漂う」意とがあります(『例解古語辞典』)。また、「a心が定まらないで動揺する・決心がつかずにぐずぐずする。ためらう」と「bゆらゆらと揺れ動く・一カ所に安定せずあちらこちらと揺れるように動く」とも説明されています(『古典基礎語辞典』)。

ここでは、この二つの意を用いており、四句以下へ「心がためらう・決心がつかずぐずぐずする」意と、初句~二句とともに「大船が漂う・ゆれる」意とが掛かっている、と諸氏は指摘しています。

⑦ 三句にある(たゆたひ)「に」は、格助詞であり、基本的には現代語の「に」と同じです(『例解古語辞典』)。

動詞の連用形に付いた格助詞とすると、「a動作・作用の行われる目的を示す、b同じ動詞に続けて、その動作を強める意を表す」の意があります。

 「たゆたひ」が名詞化していると理解すれば、「に」の意は、「cひろく物事が存在し、動作し、作用する場を示す(空間的な場・時間的な場・心理的な場・物事が及ぶ範囲の始めや終わりを示す)。d動作・作用の起こる原因・理由を示す。e物事の状態を、直接にまた他にたとえて示す。」などなどの意があります。

⑧ 四句にある「物念」(ものもふ)とは、連語であり「ものおもふ」に同じであり、「もの思いをする・思いにふける」意です。「もの」とは、「ものいふ」、「ものうし」、「ものさびし」などの「もの」と同様な意を加えていると見えます。

なお、歌本文において用いられている万葉仮名「念」字は「おもふ」と多く訓まれています。

万葉仮名「思」字は、日本語の「し」の音にあてられる場合が多い。巻二の歌本文にある「思」字の用例は、16首に18例あり、「し」の訓が10例、「おもふ」の訓が7例 「しのふ」の訓が1例です。「おもふ」の訓7例のうち、成人男女の恋情の意と理解が可能なのは、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」という題詞のもとにある1例(2-1-135歌)のみです。

⑨ 五句にある「ひとのこ」とは、『萬葉集』に10例あります。阿蘇瑞枝氏は、9例が恋や妻問いの対象になる女性を指し、残りの1例が子孫の意(題詞に「賀陸奥邦出金詔書歌一首幷短歌」とある大伴家持の2-1-4118歌)としています。「親をもつ子」が原義であるから男子に対しても用いられる言葉であろうとも指摘しています(私は、下記に記すように代名詞化している、と思います)。

氏は、この歌(2-1-122歌)の語句「ひとのこゆゑに」について、「他人のものなのに」とする説と「あの子のせいで」という説がある、と紹介し、氏自身は、(この歌は紀皇女に対する不如意の恋を嘆く歌であり)恋の苦しみは切実であろうと思うのでその後者の方を採る、といっています。

⑩ 私は、ブログ2021/7/19付け(の「4.⑦))において、『萬葉集』の「ひとのこ」の用例10例は、類似歌2-1-122歌を除くと、「(親の監視が強いなど)婉曲に自由にならない恋の相手である女の意が7例、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」と理解し、(恋の歌であるならば)2-1-122歌も7例にならう、として五句は「この乙女のために」と現代語訳(試案)で記しました。阿蘇氏の後者(相手を指す)の意としています。

「ひとのこ」(人能兒)とは「人の子」であり、代名詞として歌に用いられ、作者自身とその歌をおくる相手と、その両者が共通にイメージできる第三者のいずれをも指し得る語句です。「ひと」の意は「人間の特定の性質や範疇についていう(人間たるもの、人数にはいるような人など)」、あるいは「特定の人物や自明の人物などを直接に名指すことを避けたり、一般化していう」(『例解古語辞典』)意と理解できます。

⑪ 最初に、題詞を無視した歌本文(だから作者は未詳となります)として検討し、次に題詞のもとにある歌本文として検討します。

歌は三句「絶多日二」が初句~二句の語句と四句~五句の語句の両方への掛詞になっています。諸氏は(題詞のもとにある歌でかつ恋の歌という理解のうえで)そのように指摘しています。なお、題詞を無視した歌本文として別の理解の有無を後程(下記⑲で)検討します。

 序詞に意を認めるか否かで、歌は、(原則として)二つの理解があり得ます。

 第一 序詞の意を考慮しない場合

初句~二句は序詞であり、「絶多日二」の修飾語句ですがその意は無視してよいと割り切ると、歌本文は、2つの文章から成る、とみることが出来ます。

「(大船之 泊流登麻里能 )絶多日二 物念痩奴 」(文章A)+人能兒故尓」(文章B)

また、文章Aと文章Bは倒置文形式でひとつの文章という理解もできます。

文章Aの主語述語は、「(表記されていないところの)私が+(もの思いが続き)やせた」

文章Bのそれは、「(表記されていないところの)それは+・・・ということである」

となります。どちらも主語が省かれた文章といえます。文章Bは述語も省かれています。

文章Aの意は、ある状態(「たゆたふ」)になり、結局作者は痩せた、ということであり、ある状態になった理由を文章Bに述べています。

三句にある格助詞「に」の意は、「たゆたひ」を名詞とみなして「動作・作用の行われる原因・理由を示す」という理解をしました。

萬葉集』歌においては、漢字「痩」字のある歌は10首あり、2-1-122歌を除くと作者はその題詞によれば男性が7首(作者未詳歌は歌本文で判定)となり、そのうち恋の歌・妻を思う歌が6首となります(付記1.参照)。

このため、(題詞を無視した122歌本文である)この歌は、作者が男性である恋の歌の可能性が極めて高い、と言えます。

⑫ 「ひとのこ」の意は、『萬葉集』にある他の用例にならい、恋の歌であるならば、「恋や妻問いの対象」であり、さらに絞り込んで「婉曲に自由にならない恋の相手である女」が有力となり、それは歌をおくる相手です。

 「ひとのこ」は、このほか、『萬葉集』では普通の代名詞として用いられています。『萬葉集』の「ひとのこ」の用例全10例には、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」あります。

そのため、「ひとのこ」は、日常の会話にも歌にも用いられていた代名詞であると推測できます。

この歌は、作者が痩せる根本的な原因は、歌をおくる相手の応対に異変が生じたから、と詠っている、と理解できます。そのような応対をしているときの相手を指して、この歌では「ひとのこ」と表現している例です。

相手を「わぎも」とも言わないでわざわざ「ひとのこ」という代名詞で名指ししている理由があるはずです。

それを推測すると、相手が作者を遠ざけようとする応対をしている理由が、親にあると作者は承知しているのではないか。「人」とはその人の「両親」を指しているのではないか。

だから、「ひとのこ」とは、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方」であろう、と推測できます。そのような親子のしがらみは、よくあることです。作者にも親がおり、同じしがらみがあるはずです。「ひと」とは作者の両親も該当します。

そうすると、この歌は、貴方に生じたことが自分にも生じることに気づき、どのように乗り越えるか悶々としてやせた、と詠っているという理解も可能です。

⑬ このため、現代語訳を試みると、「ひとのこ」という代名詞がさす人物が作者か相手かによって、この歌は結局2案となります。1案に絞る情報は別途探さなければなりません。

「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった。それは、貴方故ですよ。」(以後、第11案ということとします。)

「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった。それは、貴方と同じく「人の子」故にです。」(それでも貴方を慕っています。乗り越えましょう。)(同題21案)

  この歌が倒置文形式の一つの文章とすれば、

 「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(同第12案)

 「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(同第22案)

 第11案と第21案は、相手の非を責めるかの歌であり、第12案と第22案は、相手の同情を得ようとしているかの歌にみえます。

⑭ 次に、このような理解となる歌の作者について確認します。1案に絞る情報があるかも知れません。

今、題詞を無視して歌本文の検討をしていますので、作者(歌を披露している人物)は弓削皇子ではありません。

この歌本文は、恋の歌に違いないので、作者は、恋の進展が止まってしまっているか、あるいは止まるという危機意識があり現状を打開したいと認識している人物が該当するでしょう。個人を特定する必要はないようです。

 『萬葉集』における恋の歌のタイプは、多くが第11案とか第21案の理解、即ち相手からのダメージを大袈裟にいうとか相手の非を責めるかのようなタイプの歌です。しかしながら、訴えたいことが変わるわけではないので、この歌をおくられた人は、自分と相手の周辺状況の判断は相手と共有できますので、どの案であるかを理解できるはずです。

⑮ また、痩せたと訴える歌には、朝影に例えている歌もあるほか、巻四に次のような歌があります。相聞の歌です。

2-1-745歌  更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首(2-1-744歌~2-1-758歌)

一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成

ひとへのみ いもがむすばむ おびをすら みへむすぶべく わがみはなりぬ

 大変大袈裟に痩せたと訴えています。

この題詞のもとにある15首の作者大伴家持は、この歌を贈った坂上大嬢に、官人の務めを休むほど実際に痩せたと訴えているのではなく、相手にあえないで痩せるほどの辛い思いをしていることを、訴えています。

2-1-745歌と比べると、この歌は痩せ方の表現が大変控えめです。それよりも痩せるまでの作者の葛藤・逡巡を丁寧に説明しています。葛藤・逡巡を訴えているかにも見えます。

実際に作者が痩せたのちに2-1-122歌を相手におくったとしても同情は一切かけてもらえないと思います。もっと必死な歌がおくられてくるまでほっておかれるのではないか。相手(とその家族)は作者が仕事を本当に休んでいるかどうかを確かめることもしないでしょう。

⑯ だから、痩せたと詠う歌は、どの歌も、実際は痩せていないのに詠っており、作者は恋の進展のためのテクニックとして、貴方(の行為)が原因で痩せた、と相手に言い募っている、と言えます。この歌は迫力がないだけ、遣り取りを楽しみたい相手であれば気楽に何らかの応対をしてくれるかもしれません。

そのため、題詞を無視した歌本文としては、恋の進展のためのテクニックとして痩せたと訴えている歌と理解してよい、と思います。

痩せたと詠う歌を、最初にこのような歌からはじめていれば、痩せたことを理由に2-1-745歌のような段階まで何度もおくることが可能でしょう。そのため、この歌は誰もが痩せたと詠うパターンの一つとして、巻二編纂時には官人によく知られた歌であったかもしれません。

⑰ 次に、第二 序詞部分を有意と認めた場合を検討します。

 歌は二つの文章、「大船之 泊流登麻里能 絶多日二」(文章C)+「絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓」(文章D)からなります。文章Dは倒置文として検討します。

 文章Cの主語述語は、「大船が+たゆたふ」

 文章Dのそれは、「(表記されていないところの)私は+(たゆたひ、もの思いが続き)やせた」

となります。文章Cは主語が明記され、文章Dは主語が明記されていません。

 文章Cは、作者が「たゆたふ」ことがいかに重大な問題であったかを強調するための例示の文章と理解できます。

 大船が停泊地で揺れの止まらないという状況は、当時の常識に反します。そのように、思いもよらないことに作者はぶつかった、と詠いだしています。だから私の「たゆたひ」はなかなかおさまるものではなく、限界まで痩せた後もまだ自分を苦しめる、と作者は自覚していると思えます。

⑱ 仮に、上記の第12案をベースに現代語訳を試みると、次のとおり。

 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(第121案)

 上記の第22案をベースに現代語訳を試みこともできます。

{大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらい続け、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(第221案)

 どちらの理解でも、序詞を有意とすることで、作者が「たゆたふ」ことが強調されており、作者の葛藤・逡巡が痩せたという結果より強く印象付けられます。序詞を無視した歌本文の理解(第11案と第21案)よりは、迫力がある歌となります。

⑲ ここまでは、初句~二句を序詞と理解して検討しています。しかし、この歌は、動詞「たゆたふ」に関係するのは大船のみ、という整理すれば、「人の子」が親を意識した語句と理解し、「大船」は「相手の親」の代名詞・隠語とみてこの歌の理解が可能です。即ち、

 第三 大船を隠語とみた場合の検討

 文章C 大船之 泊流登麻里能 絶多日二

 文章E 物念痩奴 人能兒故尓

からなり、文章Cの主語は「大船」、文章Dのそれは「(表記されていないところの)私」です。

 現代語訳を試みると、次のとおり。

 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に(貴方の親が思いのほかのことを言い出して)、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」のせいで(しばらく逢えないのですね。了解しました)。」(第121別案)

 上記の第22案をベースに現代語訳を試みこともできます。

{大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。(私の親は気にしています。ちょっとおとなしくしましょう。)(第221別案)

恋のテクニックとして詠っている歌ですので、実際には痩せてなどいません。

この二つの別案は、親の意見を尊重して逢うのをしばらく自粛します、と伝えた歌となります。「人の子」とは、上記⑪で指摘したように、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方(子供)」の意として用いられています。

⑳ このように、題詞を無視した歌本文の理解としては、恋の歌であっても、第11案から第221別案までの理解が可能でした。一案にしぼれませんでした。

微妙な違いがありました。理由は判らないが、とにかく逢えない状況となって困っていることを訴えること、あるいは親が理由で逢えない状況ということを理解したと伝えること、また相手への思いやりの違いなどという違いがありました。

しかし、逢えない状況が今後続くことを理解した歌ということはどの案にもいえます。

作者(歌をおくる人物)と歌をおくった相手との間で問題となっていることが共有されている状況での歌と思われますので、歌の理解に誤解は生じないのでしょう。

 またどのように理解されても、「痩せる」という表現は恋のテクニックのひとつなので、どのように理解されても、また返事がなくともまた歌を続けて相手におくれるでしょう。色々の場面に用いることができる歌ということです。

以上の結果、題詞を無視した歌本文に関しては、上記③にあげた宿題第一はもっともな指摘であり、ブログ2021/7/19付けでの現代語訳(試案)(上記④に引用の現代語訳(試案))は、題詞を無視した歌本文の現代語訳(試案)とはなり得ません。

10.再考 2-1-122歌 題詞のもとにある歌として 大船が浮かび上がる

① さて、題詞のもとにある歌本文として、次に検討します。

 検討は、上記「9.③」に記した前提条件第四(序詞は有意)に従うので、ベースとなる考え方を、上記「9.⑱」に記した第121案または第221案(ともに別案を含む)として行うことができます。

最初に、題詞から判ることを確認します。

作者は、題詞から、弓削皇子となります。

何を詠っているかというと、題詞にあるように「思紀皇女」ということです。

誰にこの歌をおくったか(どのような場面で披露したか)というと、他の題詞にあるような「贈紀皇女」と明記されていません。「思紀皇女」とありますが、検討の前提条件第二より、「思」字は「思案する・おもいやる」意であり、そして、歌を披露された場所も明記されていません。

② 次に、紀皇女を「思」い、なぜ歌を詠んだかを、推測します。

この歌は、「相聞」の部立てに配列されています。巻一~巻四にある部立て「相聞」にある歌は、題詞を前提に理解した場合、本当に相思相愛と作者が信じている歌もありますが、宴席で披露した異性に詠いかける歌とか、土屋氏のいう「(恋愛歌のようなところがあっても)単純な起居相聞の歌とみるべき」状況の場面の歌などが配列されています。

巻一~巻四の部立て「相聞」については、ブログ2023/8/28付け「25.④」で、私は、「逝去後の次の世に遷って神々となった人物たちが見守る今上天皇のもとで現世の人々の喜びを活写する場面を設定したもの」と指摘しました。

例えば、弓削皇子が作者と記す題詞は巻二に二つあます。

一つ目は、2-1-111歌~2-1-113歌を歌群とする持統天皇の吉野行幸に関わる歌群にあり、題詞には、順に「・・・弓削皇子贈与額田王歌」、「額田王奉和歌」、「・・・額田王奉入歌」とあり作者と歌をおくった相手が題詞により明確になっています。

二つ目は、4首からなる歌群の題詞である「弓削皇子思紀皇女御歌」であって、作者しか題詞に明記していません。

ひとつ目は、持統天皇の吉野行幸時の歌であり、順調な治世での一例です。

そうすると、二つ目も順調な治世の例示ではないか。公式の行事に伴う宴席で披露された歌が元資料と推測します。

③ 二人が宴席で同席する可能性を確認します。

 弓削皇子は、持統天皇7年(693年)浄広弐に叙せられ、文武天皇3年(699年)に推定27歳で薨去しています(文武天皇の御代には持統天皇太上天皇となっています)。父は天武天皇、母は天智天皇の娘大江皇女です。このため、活躍時期は、693年~699年になります。文武天皇即位前後の期間です。

紀皇女は、生没不詳です。父は天武天皇、母は蘇我赤兄の娘です。同母の兄弟に穂積皇子がいます。

穂積皇子は和銅8年(715年)8月薨去され、40代前半ではないかと言われています。699年には24歳~28歳ぐらいと推測でき、妹と仮定すれば「弓削皇子と同世代となります。699年時点では母である蘇我赤兄の娘は、神亀元年(724)7月没であり健在です。

このため、宴席で同席する可能性は十分あります。

④ 皇族としての挨拶歌のやりとりは一般に有り得ることです。挨拶歌は、恋の歌に託して親しさを訴えているスタイルの歌が『萬葉集』に多々ありました。また、宴席で若い皇子と皇女は、話題にされることもあるのではないか。宴席では、詠いかけて、受け入れない返歌をするというパターンがあったのではないか。

この歌は、否やの返歌があったので再度詠いかけた歌である、と推測します。伝承された歌を利用した歌であるかもしれません。

また、この歌を巻二の編纂者が入手する方法を想定すると、公けの宴席での歌であれば、席に連なっていた官人が手控えたのが元資料となるでしょう。有名な伝承歌の引用であったらその場に相応しい歌として広く多くの人の記憶に残るでしょう。

このようなことが題詞から想定できます。

⑤ 次に、歌本文を検討します。題詞を無視した歌本文は、上記「9.」の検討の結果、恋の歌でした。しかし、「痩せる」ことを題材にした歌としては、痩せ方の訴えが控えめです。その替わり、痩せるまでの逡巡を丁寧に説明しています。

 文章としてみると、「大船」が「たゆたふ」以外は、用いられている動詞の主体が、明記されていません。作者、相手あるいは第三者の誰が「ものもふ」のか、そして誰が「痩せた」かも明記されていません。

 恋の歌であれば、作者とこの歌を送られた人物との間で自明のことが省かれていても、「ものもふ」などは作者の行動を述べていると理解できます。

 しかし、恋の歌でなければ、その自明なことは、歌に明記されず示唆されているかも不明なので、歌本文以外の情報から探るほかありません。

 その情報は、題詞そのものや題詞の配列、歌群とくくれる歌本文同士の整合性などから得られるのではないか。ただ、それらは、この題詞のもとにある4首の整合性の検討と重なりますのでその時に検討することとします。今は、「相聞」にある歌ということから、宴席でのやりとりか、と推測するにとどめます。

⑥ それでは、題詞のもとにある歌本文として現代語訳を試みたいと思います。

 上記「9.③」に記した再考の前提条件に従うので、その第四より、序詞は有意の語句と理解するので、題詞を無視した歌本文の現代語訳(試案)のうち、

 上記「9.⑰」以下に検討した「第二 序詞部分を有意と認めた場合」の現代語訳(試案)、即ち第121案と第221案

 及び上記「9.⑲」以下に検討した「大船を隠語とみた場合」の現代語訳(試案)、即ち、第121別案と第221別案

が候補の現代語訳(試案)となります。

 そして、「大船が停泊地で揺れる」ということは、異常なこと、常にはないこと、の例えであるとのみ理解すれば、親にかこつけて拒否されたことを、大袈裟な表現で嘆いた歌、というイメージが浮かび、第121案に絞られます。

 また、「大船」を隠語とみれば、第121別案となります。

⑦ 第121案をベースとして現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。(ショックですよ。)」(第121案その2)

⑧ 第121別案をベースとして現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「大船が停泊している港であって揺れが止まらないという状況になり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」というせいで(ショックですよ)。」(第121別案その2)

 紀皇女の父は(すでに薨去されている)天武天皇であり、母は臣下の娘ですが健在です。父の教えが理由なのですか、という弓削皇子の大袈裟な嘆きに聞こえます。

 この2案を比較すると、「大船」を隠語として、初句~三句の主語は「大船」、四句~五句の主語は作者とし、誰かの「たゆたひ」により翻弄される作者の歌、とみる理解が素直であり、作者が「たゆたふ」と詠う序詞はくどい、と思います。

 題詞のもとにある歌2-1-122歌は、第121別案その2の理解になる、と思います。これは上記「9.③」の前提条件を満足します。即ち、漢字「思」字の意に沿った歌であり、宴席での歌の類と言えます。

⑨ この結果、題詞のもとにある歌本文に関しても、上記「9.③」にあげた宿題第一はもっともな指摘であり、ブログ2021/7/19付けでの現代語訳(試案)(上記④に引用の現代語訳(試案))は、誤りでした。同宿題第二は、このような現代語訳(試案)であれば万葉仮名に誤りはない、と言えますので、考慮の外になります。

これで、同一題詞のもとにある歌4首の個々の再検討が一応終わることになります。ではその4首の理解は整合性があるか、を次に検討します。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2023/12/3  上村 朋)

付記1.万葉集で「痩せる」と詠う歌(「痩」字を用いている歌など) (2023/12/7現在)

① 16首ある。題詞で性別を判断すると、作者が男性5首、女性2首、作者未詳8首となる。作者未詳歌は歌本文より性別を判定するとみな男性と推測できる。

② 「痩」字を用いている歌(10首)について、歌番号等と題詞に記された「作者名とおくった相手」は次のとおり。作者は、歌などより推測した結果を()に示す。

巻二 2-1-122歌(弓削皇子→未記載) 

巻四 2-1-601歌(笠女郎→大伴家持) 

巻四 2-1-726歌(坂上郎女→坂上大嬢) 

巻七 2-1-1371歌(作者未詳(歌より男)→未記載) 

巻八 2-1-1466歌(大伴家持→紀女郎) 

巻十二 2-1-2940歌(作者未詳(歌より男)→未記載(歌より女)) 

巻十二 2-1-2988歌(作者未詳(歌より男か)→未記載) 

巻十五 2-1-3608歌(遣新羅使人(男)→遣新羅使人)

巻十六 2-1-3875歌(作者未詳(歌より男か)→痩人)     

巻十六 2-1-3876歌(作者未詳(歌より男か)→痩人)

③ そのほか痩せる状況の形容のある歌(6首)は、次のとおり。

巻四  みつれにみつれと詠う 2-1-722歌(大伴家持→娘子)>

巻十一 朝影と詠う2-1-2672歌(作者未詳(歌より男か)→未記載) 

巻十一 朝影と詠う 2-1-2398歌(作者未詳(歌より男)→女)

巻十二 朝影と詠う2-1-3099歌(作者未詳(歌より男)→同女)  

巻十二 朝影と詠う2-1-3152歌(作者未詳(歌より男)→妻)

   巻十六  餓鬼と詠う2-1-旧3840歌(池田朝臣→周囲の人々あるいは大神朝臣奥守)

(付記終わり 2023/12/11  上村 朋)