前回(2023/3/27)に引き続き『萬葉集』巻四の配列を検討します。(2023/4/10 上村 朋)
1.~9.承前
『萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を、巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。巻四の「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、聖武天皇の後代の御代に関する歌群のあることが、推測できました。その題詞以降の題詞(とそのもとにある歌本文)について検討中です。
10.家持が関わる歌の疑問 報贈歌の3題 来報歌の1題
① 『萬葉集』において、「献天皇歌」という4字のみの題詞は、2題だけ巻四にあります。
その題詞以降において、用例の少ない作文パターンの題詞(とそのもとにある歌本文)が聖武天皇の後代の御代に関する歌であるかどうかを検討しており、今回は「作者名+報贈歌」という作文パターンの題詞3題(とそのもとにある歌本文)を、検討します。
検討は、倭習漢文である題詞、題詞を横においた歌本文及び題詞のもとにある歌本文という視点と、前後あるいは関連ある題詞と歌との比較により行います。
② 『新編国歌大観』より、引用します。
2-1-772歌 大伴宿祢家持報贈紀女郎歌一首
久堅之 雨之落日乎 直独 山辺尓居者 井伏紀 鬱有来
ひさかたの あめのふるひを ただひとり やまへにをれば いぶせくありけり
2-1-779歌 紀女郎報贈家持歌一首
事出之者 誰言尓有鹿 小山田之 苗代水乃 中与杼尓四手
ことでしは たがことにあるか をやまだの なはしろみづの なかよどにして
2-1-789歌 大伴宿祢家持報贈藤原朝臣久須麿歌三首
春之雨者 弥布落尓 梅花 未咲久 伊等若美可聞
はるのあめは いやしきふるに うめのはな いまださかなく いとわかみかも
2-1-790歌 同上
如夢 所念鴨 愛八師 君之使乃 麻祢久通者
いめのごと おもほゆるかも はしきやし きみがつかひの まねくかよへば
2-1-791歌 同上
浦若見 花咲難寸 梅乎殖而 人之事重三 念曽吾為類
うらわかみ はなさきかたき うめをうゑて ひとのことしげみ おもひぞわがする
② 巻四において「報贈」の歌と明記する題詞は、7題あります。2-1-636歌から2-1-644歌にかけての4題にもあります。
巻四の題詞は倭習漢文で統一的に作成されていると理解できますので、検討の対象としてこの4題もとりあげます。
2-1-636歌 娘子報贈歌二首 (歌本文は割愛 以下同じ)
2-1-640歌 娘子復報贈歌一首
2-1-642歌 娘子復報贈歌一首
2-1-644歌 娘子復報贈歌一首
娘子が「報贈」したのは、湯原王であり、ころらは巻四において一つの歌群を構成しています。最初に湯原王の娘子に贈る歌があります(2-1-634歌と2-1-635歌)。
巻四で「報贈」とある題詞にある歌の作者は、結局、娘子と大伴家持と紀女郎との3人だけです。
娘子とは、身分が低い女性の場合の表記(氏名を記すまでもない人物など)であるか、題詞を作文した者が意図的に相手の氏名を隠そうとしているのであろう、と思います。
③ 題詞を最初に検討します。倭習漢文ですので、主な漢字の意を確認します(『角川新字源』による)。
作文パターンの指標とした「報贈」関係の用字です。また「来報」とある題詞も巻四の最後の題詞にあります(2-1-794歌~2-1795歌の題詞で巻四最後の題詞)ので漢字「来」も確認します。
「報」字は、「もと、罪人に罰をあてる意を表したが、復に通じて「むくいる」意に用いる」とあり、「むくいる」の意は、細分し「aかえすbこたえる(応)c孝養するd仕返しをする」とあります。
熟語として、報告・報応・報恩・報酬・報命・報復(aかたきを討つ・仕返しする b返礼するc応答・応対するdたがいにめぐりかえる)・報書(しらせの手紙・返事)・報章(返事の手紙・答書)などをあげ、「報贈」は用例としてもあげていません。
また、「むくいる」の同音異義の説明に次のようにあります。
酬:しゅう:元来返杯のこと。通用して受けたお返しをする意。仕返しの意はない。
讎:しゅう:あたる意。受けたことばに応じて返答し、受けた品物に応じ代価を支払う、など。
報:ほう:a怨・徳・思などの仕返し b返報する
次に、「復」字は、「aかえる(返)bかえすcむくいる(報復)cよびもどす・霊魂をよびもどす儀礼」などとあります。
④ 「贈」字は、「おくる・やる・つかわす」、「プレゼント」とあります。「おくる」の意は細分し、「a金品をおくりあたえるb詩文やことばをおくるcおくる(送るに同じ)d死後官位をおくる(追贈)」とあります。
「おくる」意の同音異義の説明には、(「贈」字は)「人に物をやる」とあり、「送」(人を送り迎えするときのおくる。送別)や「遣」(物を人に残し、またおくりあたえる)との違いを説明しています。
また、題詞にある「和歌」の「和」字は、「やわらぐ」、「aこたえる・調子をあわせるb韻をあわせるcまぜあわせるなど」とあります。
「来」字は、「aむぎ(麦)bくるcまねく・こさせるdこのかた・そののち(而来)e これからさきf語末にそえる助辞」とあります。熟語に「来駕」(人の来訪を表す敬語)、「来簡」(人から来た手紙)などをあげていますが、「来報」は用例としてもあげていません。
⑤ 漢字の意からみると、「報贈」とは「返事の歌をおくる」あるいは(怨・徳・思などの仕返しの)「思いを託した歌をおくる」意、「来報」とは「そののち返報する」あるいは「そののち徳・思いをかえす」あるいは「これからさき徳・思いをかえす」が、考えられます。勿論歌本文の文脈からも検討を要します。
「報贈」とか「来報」という語句のある題詞は『萬葉集』の巻一~巻四では巻四だけの用字です。倭習漢文である題詞を作文した人物の造語か、律令の規定を踏まえた官人の慣例語なのでしょうか。
いずれにしても、「報贈」と「来報」という語句は、題詞という倭習漢文においては「贈」一字の語句と使い分けられている、言えます。それは、「贈」一字では生じ得ない意を表した語句として編纂者が用いている、ということになります。
⑥ さて、各題詞における「報贈」の意を検討します。配列順に、娘子が湯原王に「報贈」したとある題詞から始めます。
湯原王が娘子に贈る歌(2-1-634歌)からの歌群にこの題詞はあります。娘子とは、作者湯原王が通いたい(2-1-634歌本文)と思っている女性です。だから身近に仕えている女性ではありません。その娘子が応えた歌は、2-1-528歌~2-1-531歌と同じように題詞に「和歌」と表記が可能であろう、と思います。そして、2-1-534歌の題詞「海上王奉和歌」が天皇への返歌を意味していることから、この歌群での「報贈」という表記は、娘子と湯原王との間の身分差を意識したものなのではないか。
少なくとも高い身分の人物への返歌として、歌を頂いた(声を掛けていただいた)ことを、特に意識して返答をした、というニュアンスを込めて作文されているのではないか。あるいは「和歌」の場合よりも形式ばって応答した場合であるかもしれません。
「報贈」の意は、上記⑤に記したように、漢字の意からは、2案あります。
「返事の歌をおくる」意であれば、「和歌」の表記で十分なところを、湯原王に敬意を払った題詞といえます。娘子が敬意を表したというよりも、巻四編纂者が敬意を表わす語句を用いて作文したのでないか。
「思いを託した歌をおくる」意であれば、娘子は真剣に湯原王との結びつきを願って居たと編纂者が判断した題詞と言えます。
なお、このように私人が交わしたかのような歌が巻四の編纂の元資料として編纂者の手元に集まったのは、湯原王と娘子が歌を第三者に披露しあったからではないか。もともとは、宴席でのやりとりであった歌であり、巻四編纂にあたり、編纂者が「報贈」と作文したことにより、元資料における披露した状況が消え、身分差のある二人の恋の歌となっています。
⑦ 次に、2-1-772歌の、大伴家持が紀女郎に報贈する歌の題詞です。この直前に紀女郎が大伴家持に贈った歌(と題詞)が配列されていません。編纂者は不要と判断したのか、編纂者の手元に集まらなかったのか、このどちらかが配列していない理由でしょう。
直前の題詞は、大伴家持が坂上大嬢に贈った歌という題詞です。坂上大嬢によるその返歌に相当する題詞も配列されていませんので、大伴家持が二人に続けて歌を贈ったかのような配列になっています。
諸氏による2-1-772歌本文の歌意は、要約すると「ある状況下にあり心が晴れない」ということになります。
「報贈」の意が「返事の歌をおくる」意であれば、そのような状況になっているという報告の歌ということであり、「和歌」の表記でも十分なところを、坂上大嬢に敬意を払った題詞といえます。
また、「思いを託した歌をおくる」意であれば、託している「思い」とはその後の行動のことではないか。「心が晴れない状況になってしまったので、今後プランAの行動をおこすことになる」と予告している歌、と理解可能です。大伴家持の身辺に何があったのでしょうか。
⑧ 次に、2-1-779歌の題詞は、紀女郎が大伴家持に報贈する歌の題詞です。この直前に大伴家持が紀女郎に歌を「贈」ったという題詞があります。
そのもとにある2-1-778歌の歌本文は、諸氏によると「「妹」にあう手がかりがない」、と訴えており、この2-1-779歌本文は、それに対して「よどむこともあるのだ」と応えた歌と理解できます。
「報贈」の意が「返事の歌をおくる」意であれば、平静に「焦ることはない大丈夫と慰めている」歌ということであり、「和歌」の表記でも十分なところを、大伴家持に敬意を払った題詞といえます。大伴家持の恋の進展が滞っていると推察できます。
また、「思いを託した歌をおくる」意であれば、上句がキーポイントなのでしょうか。問題点を指摘し、解決の道筋を示唆し、澱むのはよくあることとだからと慰めています。
2-1-772歌を紀女郎に報贈した大伴家持が、その後に配列されている2-1-778歌の題詞には紀女郎に「贈」ると編纂者は記し、2-1-779歌の題詞ではその大伴家持が紀女郎に「報贈」されています。このことは、配列上いくつかの題詞を挟んで二人の間の身分関係が、逆転したことを編纂者が指摘していることになります。それは、人物に暗喩があることを示唆している、といえます。
⑨ 最後に、2-1-789歌以下3首の題詞は、大伴家持が藤原久須麿に報贈する歌の題詞です。この直前に藤原久須麿が大伴家持に贈るという題詞(と歌)はありません。直後には大伴家持がまた藤原久須麿に(今度は)「贈」る、と題詞にあります。
題詞のもとにある2-1-789歌以下3首は、「新舶来の梅の木」の開花を題材にした歌です。大伴家持は諸氏の歌意によれば、我が家の梅はまだ咲かないのだ、君の使いに感謝、咲かない梅を植えたと話のタネとなり気にかかる、と3首に詠っていることになります。この3首から、配列されていない藤原久須麿が大伴家持宅の梅の開花などを問い合わせたであろう歌があったことが十分推測できます。
「報贈」の意が「返事の歌をおくる」意であれば、梅の花を咲かせられないことを恥じている、と打ち明けた歌です。
また、「思いを託した歌をおくる」意であれば、「新舶来の梅の木」の開花に関して家持を気にかけてくれていることを感謝している3首と理解できます。
また、2-1-789歌以下3首の題詞の後にある題詞で、大伴家持は藤原久須麿から「報贈」されており、大伴家持と藤原久須麿は身分が逆転しています。
⑩ 巻四の題詞を作文した編纂者が、「和歌」、「奉和歌」、「贈」、「報贈」を使い分けているとすると、巻四の最後の題詞である2-1-794歌~2-1-795歌の題詞「藤原朝臣久須麿来報歌二首」の「来報」も、作者である藤原朝臣久須麿と歌を贈った未詳の人物(題詞には誰に来報したかは明記していません)との間の身分差をも示しているのではないか。「来報」を受けた人物を直前の題詞より諸氏は大伴家持と指摘しています。(歌は、付記1参照)
なお、「来報」字のある題詞は、2-1-724歌以前にも1題あります。2-1-709歌の題詞「童女来報歌一首」とあり、直前に「2-1-708歌 大伴宿祢家持贈童女歌一首」とあります。2-1-794歌~2-1-795歌の題詞と同様に大伴家持関連の歌であり、童女と大伴家持の間には身分差があります。童女の親の名もわかりません。(歌は、付記1参照)。
紀女郎や大伴家持の歌の題詞における「報贈」も身分差の意識のもとにあり、巻四の配列上「報贈」とある3題の間に大伴家持は、紀女郎と身分差が逆転し、藤原久須麿とも(直後にある2-1-792歌の題詞をみれば)身分差が逆転したということになります。
⑪ 現実の社会で大伴家持と紀女郎や藤原久須麿との身分関係に画期的な変化があったことはないでしょう。だから、少なくとも大伴家持には、作文した題詞によって画期的な身分関係の変化のあった人物を編纂者は示唆しているのではないか。題詞に登場させた人物に別の人物の示唆があれば歌本文には何らかの暗喩を込めていると推測できます。
大伴家持が恭仁京(題詞では「久迩京」)から坂上大嬢に歌を贈ったと編纂者が作文した2-1-773歌などの題詞をみると、作詠時点を明確に示していますので、聖武天皇の御代までに詠われ歌に後代の御代のことを暗喩させていることになります。
その御代は、巻四の最終編纂時点を含む御代であろう、と推測できます。
⑫ 大伴家持の歌における逡巡、紀女郎の「褁贈友歌」及び歌の題材となっている「新舶来の梅」は、称徳天皇崩御時以降のことを彷彿させます。
大伴家持の身分の大変化があり、「報贈」字が「思いを託した歌をおくる」意であれば、白壁王(のちの光仁天皇)を大伴家持に暗喩しているのではないか。
紀女郎は、前回のブログ(2023/3/27付け「⑱」)で、「自らの子孫の即位を諦めた常世の国に居る持統天皇や聖武天皇を暗喩しているのではないかと推測したところですので、2-1-724歌以降は天智系の天皇からみた天武系の聖武天皇の系統の各天皇の各霊を慰めることをも意図されているのではないか、と思います。
そのため、「献天皇歌」の天皇以降の男性の天皇を藤原久須麿が暗喩している、ということになります。
藤原久須麿は、天武天皇の曽孫にあたる三世王の山縵女王(加豆良女王)を妻としています。これは当時臣下が皇親を妻とした数少ない例です。
⑬ 「報贈」と「来報」に2意がありました。同音異義の語句として題詞に用いているならば、
「返事の歌をおくる」と「そののち返報する」の意は、歌本文の表面上の意
「思いを託した歌をおくる」と「そののち徳・思いをかえす(あるいはこれからさき徳・思いをかえす)」の意は、歌本文の暗喩での意
と整理できます。
以上は、題詞の検討結果であり、それぞれの歌本文にも題詞の暗喩に応える暗喩がなければなりません。
「報贈・来報」と題詞にある歌は、諸氏の歌意と「報贈:来報」という語句に2意あることにより、暗喩のあることは確認できました。さらに、各歌本文の暗喩は配列の順序からも支えられていて然るべきです。それを次に検討します。(ブログ2023/3/6付け「7.③」で指摘した(2-1-724歌以降で)用例が少ない題詞の作文パターンの検討は、これで一応終わりとします。)
ブログ「わかたんかこれ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
(2023/4/10 上村 朋)
付記1 巻四にある「来報」字を用いた題詞2題に関連する歌
(『新編国歌大観』による)
① 2-1-708歌 大伴宿祢家持贈童女歌一首
葉根蘰 今為妹乎 夢見而 情内二 恋度鴨
はねかづら いまするいもを いめにみて こころのうちに こひわたるかも
2-1-709歌 童女来報歌一首
葉根蘰 今為妹者 無四呼 何妹其 幾許恋多類
はねかづら いまするいもは なかりしを いづれのいもぞ ここだこひたる
「葉根蘰」とは、土屋氏は「花の、又は羽毛で造った頭飾りであらうといふ」と語釈し、「2-1-709歌は初心の童女らしひ歌ひぶりではない。恐らく一種の遊びの贈答(歌)であらう」と指摘する。
② 2-1-792歌 又家持贈藤原朝臣久須麿歌二首
情八十一 所念可聞 春霞 軽引時二 事之通者
こころぐく おもほゆるかも はるかすみ たなびくときに ことのかよへば
2-1-793歌 同上
春風之 声尓四出名者 有去而 不有今友 君之随意
はるかぜの おとにしいでなば ありさりて いまにあらずとも きみがまにまに
2-1-794歌 藤原朝臣久須麿来報歌二首
奥山之 磐影尓生流 菅根乃 懃吾毛 不相念有哉
おくやまの いはかげにおふる すがのねの ねもころわれも あひおもずあれや
2-1-795 同上
春雨乎 待常二師有四 吾屋戸之 若木乃梅毛 未含有
はるさめを まつとにしあらし わがやどの わかきのうめも いまだふふめり
土屋氏は、2-1-792歌について「巻八に坂上郎女の「こころぐき ものにぞありける はるかすみ たなびきときに こひのしげきは」(2-1-1454歌)がある。代匠記に評して「故人は歌を盗む意はなくて、時に叶へば、古へのをも今のをも、詞を少引替て用たると見ゆる事多し」と言ったのは、此の場合のみならず、此の巻の類歌の問題に触れて要を得た批判であろう」及び2-1-793歌は「かくされた意あるごとき風であるが、単純な消息ともみられる」と指摘している。
また2-1-795歌について、「梅の近況を伝へたものと見るだけで十分である。新舶来の梅樹を互に珍重しあったのであらう。」と指摘する。
(付記終わり 2023/4/10 上村 朋)