前回(2024/3/25)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第29歌から第32歌のまとめです。
1.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」(付記1.参照)という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-28歌まではすべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。以降3-4-32歌までは異なる歌意であることを再確認したが、これらが恋の歌かについては保留している。
歌は、『新編国歌大観』より引用する。
2.再考 3-4-32歌はじめ「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の歌は恋の歌か
① 3-4-29歌から3-4-32歌に対しては歌群「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」を想定しています。
この4首が一つの歌群であるかも確認しつつ「恋の歌」(付記1.参照)の判断をします。
② 以下の検討をした結果、次のことが言えます。
第一 3-4-29歌と3-4-30歌は、改訳した現代語訳(試案)の理解であって、共通の詞書のもとにある女の立場で詠まれている「恋の歌」である。
第二 3-4-30歌と3-4-32歌は、改訳した現代語訳(試案)の理解であって、詞書は異なるものの「見る」という動詞を共有し、それに関係する人物の評価が対照的な歌であり、恋の当事者を励ますため詠まれている歌で、「恋に心をよせた歌」と言ってよい。
第三 3-4-29歌から3-4-32歌は、一つの歌群(第七 乗り越える歌群)を構成する歌であり、上記第一、第二のようにそれぞれ「恋の歌」である。
第四 当初想定した歌群のうち、第六と第七の歌群名とそれを構成する歌の組合せは、その後このブログまで検討してきた結果によって修正を要しない。
③ 最初に、各歌と、前回までに再確認したその現代語訳(試案)を示します。(付記2.に記すブログ参照)
3-4-29歌 あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける
あづさゆみゆづかあらためなかひさしひかずもひきもきみがまにまに
3-4-30歌 (詞書なし 3-4-29歌の詞書をうける)
あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとく物はおもはじ
3-4-31歌 まへちかき梅の花のさきたりけるを見て
やどちかくむめのはなうゑじあぢきなくまつ人のかにあやまたれけり
3-4-32歌 やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる
山たかみ人もすさめぬさくらばないたくなわびそわれ見はやさむ
④ これらの歌に関して、2024/4/1現在の現代語訳(試案)は次のとおり。
3-4-29歌 「昵懇の仲であったところの女が、暫く途絶えて後に男が訪れたのだが、この歌を詠んで逃したということだ。」(29歌詞書改訳)
「あづさ弓で矢を射るのに重要なゆづかを巻きなおされてから私たちのこのような仲が長く続いています。これから、また弓を引かないのも弓を引くのもあなたのお心のままに。(今日のところはお帰り下さい)」(3-4-29歌本文改訳その2)
3-4-30歌 (3-4-29歌の詞書のもとにある歌)
「勇壮な男が射止めようと矢を向けた先に立っている鹿も、ほんとうに私と同じように、物に動じないのであろうよ(私は今の交際相手を選びません)。」(30歌改訳)
3-4-31歌 「庭先近くに(あるいは私の身の回り近くに)梅の花が咲いたことに感慨をもって(詠んだ歌)」(31歌詞書改訳(試案))
「屋敷内に、咲いている梅は置くまい。にがにがしいことに、仏道修行を妨げる第六天魔王のような人が用いている香に勘違いさせられてしまったから。」(31歌本文改訳(試案))
3-4-32歌 「山寺に参ったところ、簀(さく)などの先を蹴るのを目撃して詠んだ(歌)」 (第32歌詞書改訳)
「山が高いので、人が慰みとはしない桜の花よ。その桜の花のようにひとが顧みない簀の子のそれも端に居るお方よ。嘆き、思い煩うな。私が見計らって光彩を添えよう。」(第32歌本文改訳)
⑤ 検討は、この4首がそれぞれ恋の歌であるかを確認し、次いでこの4首で一つの歌群を構成しているか、を確認します。
「恋の歌」とは、付記1.に記すように、広く「恋の心によせる歌」であって、第一の要件は「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、です。
3-4-29歌と3-4-30歌は、詞書を共有しています。
3-4-30歌は、暫く途絶えていた後に男が訪れた際の女の歌で、女の事情を訴えた歌(3-4-29歌)に続き、今でも相手の意に従うことを婉曲に伝えた歌でした。
この2首は、「成人の女」が恋の当事者として歌を詠んでおり、第一の要件を満足しています。これまでの検討で第二の要件「類似歌と歌意が異なる」等も満足しており、ともに「恋の歌」とみなせます。
そして、暫く途絶えていた後に男が訪れた際の歌であるので、恋の進展は順調に進むことが予想でき、歌群名にある「乗り越える」のイメージに反しません。
⑥ 3-4-31歌と3-4-32歌は、詞書が異なるものの、「見る」という作者の行為をともに詞書に記しており、歌本文に共に「はな」という語句を用い、それに関係ある人物に対する作者の評価が好ましくないと好ましいと対照的です。なお、詞書にある「さくら」という語句は同音異義の語句で、共通の語句とはいえませんでした。
この2首は、3-4-27歌から3-4-36歌(3-4-31歌と3-4-32歌を除く)に関する「詞書が同じ歌は歌のベクトル(恋の進展の認識など)をそろえており、詞書が異なるものの共通の語句のある詞書の歌同士は、共通の語句に関してベクトル(視点など)が異なる歌」という指摘(ブログ2020/6/1付け「7.4」参照)と同じです。
この2首は、前後の歌と同一の傾向を持っているので、対の歌として考察をすすめてよい、と思います。
⑦ 『猿丸集』歌は、詞書に、作者の名前は記されていません。その詞書と歌本文から作者の立場が相愛の男女の一方とか翻意を迫る男とかを推測出来ました。
この2首でも、作者の立場を推測してみます。第一の要件を満足するには、次のような場合があります。
第一 作者あるいは歌本文で作者が評価する人物が恋の当事者である。
第二 詞書に共通にある「見る」の意は、視覚から得た材料で判断する」意(『古典基礎語辞典』)であり、「見定める・見計らう、思う・解釈する」と現代語訳することができます。そのため作者が恋の当事者の縁者などであるとすると、歌意による。
⑧ 前者を先に検討します。
3-4-31歌の現代語訳(試案)は、作者が当事者であれば、「まつ人」が「魔つ人」と評価する人なので、その人は何らかの理由で作者の恋が成就するのを妨げたいと思っている人物と想定できます。干渉などしないでほしいと詠っていると理解できる歌本文なので、広く恋に寄せる歌」になり得ています。これは第一の要件を満足するでしょう。
また、「魔つ人」と評価する人が恋の当事者であるならば、作者の恋敵ではないか。この場合も第一の要件を満足するでしょう。
3-4-32歌の現代語訳(試案)は、作者が恋の当事者であれば、「さくらばな」(に席がある人)は身分差がある恋の相手とみなすことが可能です。夫婦になって依怙贔屓することができる立場に居る作者とみれば、「恋の歌」となるでしょう。また、「さくらばな」と表記されている人物が、恋の当事者であるならば、歌意から作者がその恋の相手とみなせます。そして、女性と推測できます。この場合も「恋の歌」となっています(少なくとも第一の要件を満足しています)。
⑨ 次に、後者を検討します。
3-4-31歌の現代語訳(試案)は、作者が恋の当事者の縁者などに相当する恋の当事者の身近に仕える人物あるいは親であるとすると、恋の当事者の気持ちを汲んで好意を寄せて詠った歌と理解出来、広く「恋によせる歌」となり得ます。
3-4-32歌の現代語訳(試案)は、作者が恋の当事者の縁者などでそのうち仲介を考えている人物とすれば、恋の当事者の気持ちを汲んで詠った歌と理解出来、広く「恋によせる歌」となりえ得ます。
作者がどちらの人物であっても、第一の要件を満足します。歌意は、二人を励まし、二人の仲を推し進めてあげようとしている、と理解できます。
⑩ そうすると、3-4-29歌から3-4-32歌は、すべて、恋の障害を乗り越える道筋が見える例を詠っている歌と言え、「第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)」の歌となります。
⑪ 次に、想定した歌群はこの4首だけで構成されているかどうかを再確認します。
『猿丸集』に12の歌群を想定したのは、次のようなことに基づくものです。
第一 歌群の想定は、『古今和歌集』などで試みてきたように、部立て、詞書、歌意、前後の歌との関係及び作者の立場などより行ったものである。前後の歌との関係は、詞書や歌本文に用いられている語句、景や類推した主題などを参考に確認したものである(ブログ2020/5/25付け参照)。
第二 歌群想定のための各歌(の詞書と歌本文)の理解は、「2020/6/15付けのブログまでの成果である現代語訳」である(ブログ2020/7/6付け「2.③」参照)。
⑫ その後に開始した「すべての歌が恋の歌」という仮説の検証において前回まで(ブログ2024/3/24付けまで)の知見で、次のものは、上記のように想定した歌群に修正を求めていません。
第三 3-4-26歌まで詞書と歌本文の現代語訳(試案)の改訳と用いている語句の理解
第四 3-4-27歌から3-4-36歌(3-4-31歌と3-4-32歌を除く)に関する「詞書が同じ歌は歌のベクトル(恋の進展の認識など)をそろえており、詞書が異なるものの共通の語句のある詞書の歌同士は、共通の語句に関してベクトル(視点など)が異なる歌」という指摘(ブログ2020/6/1付け「7.4」参照)
第五 3-4-27歌から3-4-30歌の詞書と歌本文の現代語訳(試案)の改訳と用いている語句の理解(付記2.参照)
⑬ 次の3-4-33歌と3-4-34歌の再確認は今後の予定となっており、今、その理解は、「2020/6/15付けのブログまでの成果である現代語訳」で検討します。
それに基づくと、この2首は、一度は逢って後の出来事に関する一組の歌と理解でき、あきらかに、3-4-31歌と3-4-32歌と異なる場面の歌です(ブログ2018/10/22付けと同2018/10/29より。また付記2.参照)。
3-4-35歌と3-4-36歌も同様な段階であり、歌群は3-4-33歌と3-4-34歌とともに「第八 もどかしい進展の歌群」とくくってよく、3-4-32歌とは別の歌群が妥当です。
このため、3-4-29歌から3-4-32歌の4首で一つの歌群となっていることになります。
⑭ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
次回は、第33歌を確認します。
(2024/4/1 上村 朋)
付記1.恋の歌の定義
- 「『猿丸集』所載の歌に関して「すべての歌が恋の歌」という仮説は、広く「恋の心によせる歌」であるはずと仮定して、『猿丸集』の歌を理解すると、どのような歌集が立ち現れるのか(ブログ2020/7/6付け「1.③」)を検討するものです。
- 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義しておきます(ブログ2020/7/6付け「2.④」)。
第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること
第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること
第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと
第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと
- 歌集の撰者・編纂者の意図と、個々の作品(各歌)の作者の意図とは、別です。歌集そのものとそれに記載の歌とは別の作品であり(同上ブログ「2.① 第三」)、この仮説の検証は『猿丸集』編纂の意図や方針検討の一助となると予想している(同上ブログ「1.④」)
付記2.猿丸集第31歌前後の詞書7題の現代語訳(試案)一覧
表 猿丸集第31歌前後の詞書7題の現代語訳(試案)一覧 (2024/4/zz現在) <2024/3/25 am>
詞書のある歌番号など |
詞書 |
同左の現代語訳(試案) |
その詞書のもとにある歌の趣旨 |
備考 |
3-4-27歌 |
ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりける |
「あるところへ行く途中において、霧が立ち込めているのであった(それを詠んだ歌)」 |
恋の相手ではなく、妨げる人などへ示した歌か |
ブログ2024/1/29付けより |
3-4-28歌 |
物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて |
「あるところへ陸路行く途中において、ヒグラシが鳴きだしたのであった(あのときのヒグラシをも思い出し)、聞きつつ(詠んだ歌)」 |
恋の相手とは少なくとも縁遠くなってしまっているものの諦めきれない気持ちがある男の歌 |
ブログ2024/2/5付け |
3-4-29歌&3-4-30歌 |
あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける |
「昵懇の仲であったところの女が、暫く途絶えて後に男が訪れたのだが、この歌を詠んで逃したということだ。」 |
ともに暫く途絶えていた後に男が訪れた際の女の歌 29歌:女の事情を訴えた歌 30歌:今でも相手の意に従うことを婉曲に伝えた歌 |
29歌:ブログ2024/2/26付けより 30歌:ブログ2024/3/4付けより |
3-4-31歌 |
まへちかき梅の花のさきたりけるを見て |
「庭先近くに(あるいは私の身の回り近くに)梅の花が咲いたことに感慨をもって(詠んだ歌)」 |
「魔つ人」に、干渉あるいは過度の関心を止めてほしいというお願いをする歌 |
ブログ2024/3/11より |
3-4-32歌 |
やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる |
「山寺に参ったところ、簀(さく)などの先を蹴るのを目撃して詠んだ(歌)」 |
寝殿造の建物を用いた行事などで簀の子に着席して参列する立場のある官人を励ます歌 |
ブログ2024/3/zz付け |
3-4-33歌 |
あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる |
「雨が降っていた日に、(八重山吹のようなことになり)山吹襲を折って、ある人を(その場から)逃げさせる、と(その人に)言って詠んだ(歌)」 |
心ならずも山吹襲を召した方と逢引きが中断することになった際の恋歌 |
ブログ2018/10/22付けより (再確認はこれから) |
3-4-34歌 |
山吹の花を見て |
「山吹の花を見て(詠んだ歌)」 |
女が、1-1-139歌を踏まえて男にお出でを乞う歌 |
ブログ2018/10/29付けより (再確認はこれから) |
3-4-35歌 |
あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ |
「はかなく心許ない女に初めて懸想文をおくり、(順調に、言葉を交わし逢うようになってから、)たよりにできそうもないなどと女が口にした丁度その折、ほととぎすが鳴いたので(詠んだ歌)」 |
この女は妻にしたい相手。だから、今鳴いたほととぎすは私なのだと、信頼をつなぎ止めるべく、機会を逃さず詠んだ歌 (この歌は、聞こえてきたほととぎすの鳴き声に寄せて相手の女を誰よりも愛していると詠う歌) |
ブログ2018/11/5付けより (再確認はこれから) |
3-4-36歌 |
卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる |
「旧暦四月の末日に、ほととぎすを(聞く集いで)待ちくたびれているとき詠んだ(歌)」 |
この歌は、陰暦四月末日の夜にも鳴かないほととぎすに尋ねている、あるいは嘆息した歌 |
ブログ2018/11/zz付けより (再確認はこれから) |
註)『猿丸集』における歌群の想定は、つぎのとおり。(ブログ2020/6/15付けより)
「第六 逆境深まる歌群(3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)」
「第七 乗り越える歌群(3-4-29歌~3-4-32歌 4首 詞書3題)」
「第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)」。
(付記終わり 2024/4/1 上村 朋)