前回(2024/3/11)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第32歌です。1.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-32歌は、「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第4首目である。3-4-28歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。3-4-29歌~3-4-31歌は類似歌とは歌意が異なっているが恋の歌の再確認は保留している。
歌は、『新編国歌大観』より引用する。
2.再考の結果概要 3-4-32歌
① 『猿丸集』の第32番目の歌と諸氏が指摘するその類似歌は、次のとおり。
3-4-32歌 やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる
山たかみ人もすさめぬさくらばないたくなわびそわれ見はやさむ
類似歌:1-1-50歌 題しらず よみ人しらず (巻第一 春歌上。)
山たかみ人もすさめぬさくら花いたくなわびそ我見はやさむ
左注あり。「又は、さととほみ人もすさめぬ山ざくら」
② この二つの歌は、詞書が異なるものの、歌本文が、清濁抜きの平仮名表記では、まったく同じです。
3-4-31歌も、歌本文が清濁抜きの平仮名表記が同じで、同音異義のある語句により、歌意が異なりました。この歌にも同音異義のある語句があるはずです。
③ 改めて以下の検討をした結果、次のことが言えます。
第一 同音異義のある語句があり、前回(ブログ2018/10/15付け)検討時の両歌の理解を改めた。
第二 この歌は、詞書にある「さくらのさきける」と歌本文の「さくらばな」が「簀(の子)の先蹴る」と「簀(の子)らの端」の意である。類似歌本文にある「さくら花」は、「桜の花」の意である。
第三 類似歌は、「春歌上」の配列とあいまって、山中の「桜の花」が咲くのを待ち遠しく思っている歌である。
第四 この歌の「恋の歌」の判定は保留する。
④ 再考は、最初に『猿丸集』歌(3-4-32歌)を、次に類似歌を検討して、二首の差異の有無を確認します。恋の歌の判定は、保留してきた3-4-29歌以降の歌とともに次回行います。
3.再考 3-4-32歌 各論
① 3-4-32歌を、まず詞書から検討します。
詞書は、三つの文からなります。
第一 「やまでらにまかりけるに」 :第二の文の現場を提示する
第二 「さくらのさきける」:一つの現象・行為を記している
第三 「を見てよめる」:その現象・行為を作者が「見」てこの歌を詠む、と記す
② 第一の文は、「まかる」時節に触れていません。山寺での用向きは不明です。
動詞「まかる」は、多義ですが、「京から地方へ参る(行くの謙譲語)か「行く・通行する」の意であって、「山寺へ参る」という理解が素直である、と思います。
③ その「山寺」とはどのような寺なのでしょうか。
平安京近く(洛外)にあり、山が近い寺で『猿丸集』編纂時存在が確実な寺を、「山寺」と定義して確認します。
所在が洛外という寺には、平安京遷都前後には創建済みである広隆寺、鞍馬寺、清水寺があります。また葬送の地鳥辺野は洛外ですが、今もある寺院の六波羅蜜寺、六道珍皇寺なども『猿丸集』編纂時すでにあります。現在の伏見区にある醍醐寺、右京区にある仁和寺も当時あります。
そして、これらの寺は、山を背にしていたといえるのではないか。「山寺」に該当とすると思えます。
『古今和歌集』1-1-75歌の詞書にある「雨林院」は、桓武天皇以来遊狩地のひとつであった紫野にあり、元は淳和天皇の離宮紫野院であり、元慶2年(884)元慶寺別院となりました。上級の官人の私堂もたてられ、桜の名所としても知られています。元慶寺は山科区北花山河原町にあります。この2寺も、「山寺」と称することができるでしょう。
これらは、みな立派な建物がある寺です。
④ 第二の文の、「さくらのさきける」の用例は、類似歌がある『古今和歌集』の詞書に無く、また「花(あるいは花の)さきける」もありませんでした(巻一~巻九は前回(2018/10/15付け)、巻十以下は今回確認 なお付記1.参照)。
だから、『古今和歌集』をよく知る『猿丸集』編纂者は、「さくらのさきける」とは、
名詞「さく」+接尾語「ら」+助詞「の」+名詞「さき」+動詞「ける」
の意として表記している、と前回(ブログ2018/10/15付け)確認しました。具体には次のとおり。
第一 名詞「さき」は、同音異義の語句であり、「先・前」あるいは「崎・埼」しか候補がない。
第二 「さき」が名詞であれば、「さきける」の「ける」は動詞であり、唯一の候補が「蹴る」である。
第三 「桜の先(または前)を蹴る」とか「桜の埼を蹴る」というのも違和感のある表現なので、「さくら」も同音異義の語句として「桜」(の木)のほか、名詞「さく」+接尾語「ら」が候補となる。そして名詞「さく」の候補は「簀」が適切である。その音読みが「さく」であり、その意は、「aすのこ・ねだのうえにしく、竹で編んだむしろ bゆか・竹製のゆか板 cつむ・積に同じ」(『角川新字源』)である。
第四 「さく」(簀)は、寝殿造(付記2.参照)で廂(ひさし)の外側に作った縁側(簀子)と推測できる。簀子の先とは、室内からみて簀子の庭側にある高欄になるか。そうなると「さくら」とは、高欄のほか柱や簀子に置いてある物を指していることになり得る。
⑤ この確認では、「山寺」に寝殿造の建物が通常あるものしていました。詞書にいう「山寺」に上記②にあげた寺々が該当するならば、確実に寝殿造の建物が本堂以外にも当時あったでしょう。
また、類似歌が、『古今和歌集』の部立て「春歌上」にあり「桜」のある景を詠んでいるので、ここまでの『猿丸集』歌にならい、類似歌と異なる景を詠んだ歌と仮定すると、第二の文は、「簀(さく)などの先を蹴る」意が有力となります。この意であれば、第一の文にある助動詞「けり」が詠嘆の理由であっても平仄があいます。
⑥ 第三の文には、直前の歌3-4-31歌での詞書同様に動詞「見る」があります。
3-4-31歌の詞書にある動詞「見る」は、「視覚に入れる・見る・ながめる」意ではなく、「思う・解釈する」意でした。
また、類似歌のある『古今和歌集』においては、ある事象に出会って、詠んだと理解できる詞書では、例えば1-1-41歌のように「見る」という行為に言及していません(付記1.④参照)。この詞書では、わざわざ「見る」と言っています。
このため、詞書にある「見る」については、歌本文の理解との整合を確かめる必要があり、詞書の現代語訳の再考は、歌本文の検討が終わってから再開することとします。
なお、前回の詞書の現代語訳(試案)は、「見る」を、「視覚に入れる」意としたものでした。
⑦ 次に、歌本文を再考します。歌は、次のような文からなる、とみることができます。
第一 山たかみ :第三の文にいう「さくらばな」の所在場所の特性を記す
第二 人もすさめぬ :第三の文にいう「さくらばな」に対する評価を記す
第三 さくらばな :名詞であり、掛詞ではないか。第四以下の文に対しては呼び掛けか
第四 いたくなわびそ :「さくらばな」の思いあるいは素振りを推察し記す
第五 われ見はやさむ :「さくらばな」に関する作者の行動を記す
前回(ブログ2018/10/1付け)と同じように「さくらばな」は掛詞とみています。そしてこの歌は、「人」と「われ」の行動を対比しています。
⑧ この歌は、第一の文から第三の文によって、景を詠っています。そして、第三の文から第五の文によって、作者の行動を詠っています。
第一の文は、「さくらばな」の所在場所が、人が見に行きにくいところであることを明示し、第二の文の「人」は、「われ」との対比により「世の中の人々」の意となります。
第二の文にある動詞「すさむ」は、「心の赴くままにする意で対象を好む方向にも嫌う方向にも用いる」語句(『古典基礎語辞典』)であり、ここでは、下二段活用の、「心の赴くまま賞玩する・愛好する・好く」意(同上)です。
第三の文までにおいて、「さくらばな」と言う複合語は、第一の文に沿う意として「桜の花」が妥当ではないか。
そのため、第三の文までの現代語訳は、例えば、
「山が高いので、人が慰みとはしない桜の花よ」
となります。
⑨ 第三の文からは、作者が「見」て後の行動を述べているので、「さくら」という語句を、詞書で作者がいうように「簀(さく)ら」の意で用いているのではないか。
一般に、高い山の斜面に見える桜(の花)は、近づけないから手折って来るのも大変であり、都に植えられている桜(の花)に比べれば、簡単に近寄せて鑑賞できません。それが、山の桜からすれば、せっかく咲いても鑑賞してくれる人が少ないのは残念なことだ、となります。それを第三の文までで作者は指摘している、と理解できます。
それに対して、第三の文以下で、作者は、「はやす」あるいは「みはやす」という行動を取ろうとするのですから、「さくらばな」を身近に近づけることができると認識しているはずです。だから、「さくらばな」は「山の斜面にある桜の花」ではないことになります。
そして、「はな」が同音異義の語句(花・鼻・端など)なので、例えば、
「簀の子などにある花一般、あるいは桜の花」
「簀の子などにある鼻」(に特徴のある人物) (これは前回の検討時の理解に近い)
「簀の子などの端」(に居る人物(例えば官人や女官)、あるいはそこにある物(例えば折り取ってきた桜の花))が想定できます。
⑩ 「簀(さく)ら」にある接尾語「ら」(等)は、「多くのものの中からおもなものを例示し、そのほかにもあることをあらわす」意です。そのため、「簀の子などの端」というのは、寝殿造の建物で行事や宴席があるとすれば、席次が低い人物には庇や簀の子に席が与えられるので、なかでも官位が低いため簀の子のそれも端っこに着座する官人を指す、という理解が可能です。
そのため、上記3案の中で、第三の文以下における「さくらばな」に最も近いのは、「簀の子などの端」ではないか。
⑪ 第四の文は、第三の文を受けているので、作者が「さくらばな」に「侘ぶ」ことはない、と言っていると理解できます。この言い方は「さくらばな」は、作者と「さくらばな」と呼ぶ人物に官位の差があることを推測させます。
⑫ 第五の文にある動詞「はやす」は、「ものを映えるようにさせる意、光や音などを外から加えてそのものが本来持っている美しさや見事さをいっそう引き立たせ、力を増させる意」の言葉(『古典基礎語辞典』)であり、大別して「栄やす・映やす」と「囃す」の2つの意があります。
また、「みはやす」という複合語「見栄やす」と理解すると、その意は「もてはやして見る・見て、もてはやす」です。
このため、第三の文以下の現代語訳は、「さくらばな」の意が上記⑩の検討で「簀の子などの端」(「簀の子の端のようなところに席を与えられる官人」)が妥当になるので、「はやす」であって、
「「さくらばな」よ、嘆き、思い煩うな。私が見さだめて(あなたに)光彩を添えよう。」
ではないか。
⑬ そして、この歌が属する歌群「第七 乗り越える歌群」のなかの配列をみると、3-4-29歌と3-4-30歌が一組になっているので、3-4-31歌と3-4-32歌を一組とみると、3-4-31歌の詠う「まつ人」が「簀の子などの端」の人物と重なります。恋の進捗を後押しする人物が3-4-32歌の作者かと想像するところです。
そのような配列であれば、「見はやさむ」は、複合語ではなく、「見て、その後、はやさむ」という激励と理解するのが適切です。「見る」の意は、視覚に入れるだけでなく、「見定める・見計らう、思う・解釈する」、が妥当だと思います。
⑭ 以上を踏まえて、歌本文の現代語訳を試みると、次のとおり。
「山が高いので、人が慰みとはしない桜の花よ。その桜の花のようにひとが顧みない簀の子のそれも端に居るお方よ。嘆き、思い煩うな。私が見計らって光彩を添えよう。」(第32歌本文改訳(試案))
⑮ さて、詞書の確認に戻ります。
歌本文で、「さくらばな」のために「見はやさむ」と詠っており、五句にある「みる」が「見定める・見計らう」意となりました。このため、詞書での「見る」はこのような歌を詠むきっかけであるので、単に目撃する意が妥当なのではないか。
「山寺に参ったところ、簀(さく)などの先を蹴るのを目撃して詠んだ(歌)」(第32歌詞書改訳(試案))
詞書には、誰が「蹴」ったのか明記していません。推測するに、それは、簀の子に着座する官人ではないか。着座する一連の動作のなかで蹴ったようにみえる場面があったのではないか。あるいは着座する作法にそのようにみえるところがあるのではないか。
「蹴った」人物をよく知る立場にいた人物が作者であろう、と推測します。
4.再考 1-1-50歌
① 次に、類似歌を再考します。
この歌は、『古今和歌集』巻一「春歌上」にあります。私が巻一に想定した歌群のうち「香る梅の歌群(1-1-32歌~1-1-48歌)」の次にある「咲き初め咲き盛る桜の歌群(1-1-49歌~1-1-63歌)」の二番目の歌です。この歌群は植物の桜の開花と咲き盛る桜は春の楽しみを満喫させてくれると詠っているように思えます。
② 3-4-31歌の類似歌1-1-34歌を再確認した際(ブログ2024/3/11付け)、「和歌(短歌も長歌も旋頭歌も)は、人の心を種として、心に思うことを、見る物、聞く物につけて言い出したもの」と『古今和歌集』の仮名序は明言している、と指摘しました。
そして、部立ては、「見る物、聞く物」を分類したものであり、「心に思うこと」は四季の部立ての歌では、その時季への期待、よろこび及び悲しみ、並びに人事と結びつく時季があるので時季の行事参加や昇進などへの期待、などいろいろある、と指摘しました。
片桐洋一氏の言葉を借りれば、部立て「春歌」であれば、春という季節を「待つ心」と「惜しむ心」とになります。人事の相手を思うことは二の次である部立てです。
③ その「見る物。聞くもの」の類を、各歌にみると、次のとおり(下記⑨以下にその理由を記しています)。
1-1-49歌 咲き始めの桜。都で花を初めてつけた若木の桜。
1-1-50歌 咲き始めた桜か。山中の桜木。
1-1-51歌 山中の霞に隠された桜(咲き具合不明) 。
1-1-52歌 五分咲きの桜か。手折って手元にある桜木。
1-1-53歌 七分咲きの桜。手の届くところにある桜木。
1-1-54歌 七分咲きの桜。手の届かないところにある桜木。
1-1-55歌 八分咲きの桜。都を離れた山中の桜木。
1-1-56歌 八分咲きの桜。遠望した都の桜木など。
1-1-57歌 八分咲きの桜。 何度も鑑賞した桜木。
1-1-58歌 八分咲きの桜。 探し求めてきた桜木。
1-1-59歌 八分咲きの桜。 遠望する山の桜木。
(以下割愛)
このように、桜の咲き具合の順に歌を配列し、都とその他の地域における桜の景から、「こころに思うこと」を詠っている、といえます。
1-1-50歌は、このような配列の中で理解して然るべきです。
④ では、詞書を確認します。「題しらず よみ人知らず」とあり、直前の詞書(1-1-49歌)は、桜に関する最初の詞書です。それには花を初めてつけた若木の桜と記しています。
以後上記③に記したように桜の花が段々と咲きすすむ順に歌を配列しているので、この歌は、歌群の二番目にある歌として、都の桜の状況を知った作者が、山中の桜の見ごろとなる頃を想像した歌として編纂者は配列しているのではないか、と推測できます。
⑤ 前回(ブログ2018/10/15付け)、五句にある「はやさむ」には『古今和歌集』の春歌に置かれているので、人に知られず散るのを惜しんでいる意を、現代語訳に反映した方がよい、と指摘しました。
しかし、この歌は、配列から桜が散ろうとする景を詠んでいる歌でないことがはっきりしましたので、それは、誤りでした。そのときに得た現代語訳(試案)のように二つの理解を重ねた歌ではないことになりました。
⑥ 歌本文を再考します。歌は、つぎのような文からなる、とみることができます。3-4-32歌と異なるのは第三の文の理解です。
第一 山たかみ :第三の文にいう「さくらばな」の所在場所の特性を記す
第二 人もすさめぬ :第三の文にいう「さくらばな」に対する評価を記す
第三 さくらばな :名詞であり、第四以下の文に対しては呼び掛け
第四 いたくなわびそ :「さくらばな」の思いを推察し記す
第五 われ見はやさむ :「さくらばな」に関する作者の行動を記す
そしてこの歌は、「人」と「われ」の行動を対比しています。
春を、身をもって示す桜にとり、注目を集められないのは、痛恨の極みではないか。山中に生を受けた桜木も都の桜木と同じように人々に感銘・喜びを与えたい、と思っているに違いなく、その桜木の希望を叶えようという作者の気持ちを詠うのが、この歌ではないか。
⑦ 歌本文の第二の文にある「すさめぬ」は、第三の文「さくらばな」を修飾しています。動詞「すさむ」の意は、上記「3.⑧」に引用しました。
第五の文の「見はやさむ」は、ここでは、動詞「見る」の連用形+動詞「はやす」の未然形+意思・意向を表す助動詞「む」の終止形です。(動詞「見る」と動詞「はやす」の意は「付記1.⑥」及び上記「3.⑥と⑫」参照)
⑧ 改めて現代語訳を試みると、次のとおり。
「山が高いので、誰もが心にとめない桜花よ。そんなにひどく思い悩むな。私が咲く様子をよく見て、人々に紹介するから。」
その桜は、多くが未だ蕾の状況、と推測できます。
⑨ なお、上記③の「見る物、聞く物」の類の判定理由は、次のとおり。
この歌群の一番目の歌は、詞書において「見る物。聞くもの」の類を「初めて咲く若木の桜」と明記しています。蕾のいくつかが咲き始めた状態です。
二番目にあるこの歌の詞書は「題しらず」であり歌本文にも何分咲きの状況なのか明記されていません。次の1-1-51歌は、花は霞でみえないので何分咲きかわかりません。
四番目の1-1-52歌は、花がめに「さくらの花」を挿すという詞書から、桜の枝には蕾もある状態と推測できます。
次の1-1-53歌は、「・・・見てよめる」と詞書にあり、「見て」(視覚の対象を捉えるのではなく視覚で(得た情報から)物事を知り)そして詠んだ歌であり、満開となるのを心待ちしている歌です(付記1.⑤及び⑥参照)。1-1-54歌も1-1-55歌も手折ってきたい桜木は、これから満開となる桜でしょう。
⑩ 1-1-56歌は、詞書に「花ざかりに京をみやりてよめる」とあり、この歌の前後の詞書に表記されている「さくら」の文字がありません。
歌本文には「柳桜」を若葉と花木の代表としてあげて種々な若葉と花をも念頭にして「春の“錦”」という表現をしているのではないか。桜の時期は、ハクモクレン、コブシ、シダレヤナギも花をつけ、菜の花も咲き続ける時期です。少なくとも桜が満開と限定することなく、春を謳歌している歌です。
歌本文初句「みわたせば」は、『古今和歌集』にこの一首しかありません。『萬葉集』には13例あるそうですが、純粋な叙景歌が少なく、都を見渡す歌がないことを佐田公子氏は指摘(『『古今和歌集』論 和歌と歌群の生成をめぐって』(笠間書院 2016/11))し、初句は「春の都を眺望する漢詩の存在を意識して詠まれた可能性が高い」とも指摘しています。
氏は、作者そせい法しの作詠意図に曽祖父桓武天皇が築いた都の安泰を祈念したいことがあったと指摘していますが、『古今和歌集』編纂者が「春歌上」に配列した意図は、単に「都全体の春を詠う歌が欲しかった」ということではないか。
⑪ 1-1-57歌は、詞書に「・・・年のおいぬることをなげきてよめる」とあり、作者がみた桜の状況は、今年もまた咲いてくれた、と思う程度の咲き具合で十分です。その花は、満開が近いのではないかと想像できます。
1-1-62歌の詞書にある「さくらの花のさかり」とは、満開に向かう頃の景が「人のきたりける」と重なります。
1-1-68歌はこの歌群の最後の歌であり部立て「春上」の掉尾の歌でもあります。詞書に歌合の際の歌とあり、歌本文にいう「山ざとのさくら」が咲くのであれば、という仮定をして詠んだ歌です。何分咲きなのかなどは関係ない歌であり、満開の桜を面前にして詠んだ歌という理解をする必要は全然ありません。
桜を、時期ながく楽しみたいと望んでいる歌というのが「春歌上」の最後に配列されている理由ではないか。
このように、何分咲きかの状態の桜の景は前半に配列していると判断できます。
5.再考 両歌は恋の歌か
① 3-4-32歌は、詞書にある「さくらのさきける」の理解が前回より深まり、「簀の子の先蹴る」となり、歌本文にある「さくらばな」は、「簀の子などの端」となりました。前回の「さくらばな」の理解は誤りでした。
そして、寝殿造の建物を用いた行事などで簀の子に着席して参列する立場のある官人を励ます歌と理解できました。ただ、恋の当事者の歌に一見みえません。
② 類似歌1-1-50歌は、部立て「春歌上」の「咲き初め咲き盛る桜の歌群(1-1-49歌~1-1-63歌)」の二番目にある歌です。この歌群の配列は花の咲く進行順なので、咲き始めの景による歌であり、「春という季節を「待つ心」(片桐氏)を詠んでいる歌です。山中の桜木にエールを送っている歌と理解しました。
③ この両歌の歌本文は、清濁抜きの平仮名表記が全く同じですが、このように歌意が異なりました。しかし、恋の歌としては疑わしい。次回それを再考します。
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(2024/3/25 上村 朋)
付記1.古今集の詞書における「「花(あるいは花の)さきける」等の用例
① 『古今和歌集』(巻第一春歌上から巻第二十大御所歌)の詞書で、「花(あるいは花の)さきける」の用例は、一例もない。
② 『古今和歌集』の詞書で、「花(あるいは花の)さけりける」は、5例ある。
1-1-43歌 水のほとりに梅の花さけりけるをよめる 伊勢
1-1-67歌 さくらの花のさけりけるを見にもうできたりける人によみておくりける みつね
1-1-120歌 家にふぢの花のさけりけるを人のたちとまりて・・・ みつね
1-1-124歌 よしの河のほとりに山ぶきのさけりけるをよめる つらゆき
1-1-410歌 あづまの方へ・・・かきつばたいとおもしろくさけりけるを見て、・・・ 在原業平朝臣
③ 同様に、詞書で「さけるさくら」は、1例ある。
1-1-136歌 う月にさけるさくらを見てよめる 紀としさだ
④ 同様に、「花をよめる」とあるのは多数ある。
例:1-1-41歌 はるのよ梅花をよめる (みつね)
1-1-77歌 うりむゐんにてさくらの花をよめる そうく法し
1-1-931歌 屏風のゑなる花をよめる つらゆき
⑤ 同様に、「見てよめる」の用例もいくつもある。例えば、詞書と歌本文を引用すると次のとおり。
1-1-49歌 人の家にうゑたりけるさくらの花さきはじめたりけるを見てよめる つらゆき
ことしより春しりそむるさくら花ちるといふ事はならはざらなむ
1-1-75歌 雲林院にてさくらの花のちりけるを見てよめる そうく法師
桜ちる花の所は春ながら雪ぞふりつつきえがてにする
1-1-79歌 山のさくらを見てよめる (つらゆき)
春霞なにかくすらむ桜花ちるまをだにも見るべきものを
1-1-136歌 う月にさけるさくらを見てよめる 紀としさだ
あはれてふ事をあまたにやらじとや春におくれてひとりさくらむ
1-1-791歌物おもひけるころ、ものへまかtっるみちに、野火のもえけるを見てよめる 伊勢
冬がれののべとわが身を思ひせばもえても春をまたましものを
1-1-845歌 諒闇の年池のほとりの花を見てよめる よみ人しらず
水のおもにしづく花の色さやかにも君がみかげのおもほゆるかな
1-1-957歌 物思ひける時いときなきこを見てよめる 凡河内みつね
今更になにおひいづる竹のこのうきふしごとに鶯ぞなく
⑥ 「見てよめる」とわざわざ動詞「見る」を付け加えている詞書では、動詞「見る」の意が、「a目によって視覚の対象を捉える意、b視覚から得た材料で判断する」意であること(『古典基礎語辞典』)に留意すべきである。後者は「見定める・見計らう、思う・解釈する」が相当する。
付記2.寝殿造について
① 「寝」という漢字は秦や漢の時代の「殿」と同じような意味で用いられている。唐の時代にも「正寝」「中寝」「路寝」などの用例がある。但し「寝殿」という表記は我が国のみ。
② 寝殿造は、建築様式の一つ。建物には、母屋(もや)とその周囲を囲う庇(ひさし)という大陸伝来の建築構造(その内部は丸柱が多く壁はほとんど無く床は板張り)に、庇の外側を、板床を張って濡れ縁(簀子縁)を巡らせたもの。庇の外周を扉や蔀(しとみ)といった開放可能な建具で覆い、夜は閉じ、昼間は開放した。大陸の建築にある密室性はないの。庇は、更に庇を追加(孫庇あるいは又庇)する場合がある。
③ 大饗などが行われる大臣クラスの寝殿では簀子縁に欄干が付く。欄干の無い寝殿は格の低い屋敷と見なされる。簀子縁は通路であるが宴会時の座を設ける場所にもなる。
④ 一つの屋敷地内には、邸宅の中心となる建物以外も配置されている。それらを結ぶ形の建物を廊と言い、密室性はなく、通路や執務室や宴会時の座にも用いた。
(付記終わり 2024/3/25 上村 朋)