わかたんかこれ 猿丸集その214萬葉集弓削皇子の歌その2(恋歌確認25歌 )

 前回(2023/11/6)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~6.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

7.再考 2-1-120歌 その1

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその2首目の2-1-120歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

2-1-120歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

    歌本文 吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾

わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

② 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」としました(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」参照)。

題詞の漢字「思」字の意は、作業仮説として、

「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/zz付け「5.⑥」)

をたてています。

 また、皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものであることに留意する必要があります。

③ 歌本文の語句について検討します。

 二句にある「恋乍不有者」(こいつつあらずは)という語句を用いている歌は、『萬葉集』に多数あります。既に検討した2-1-115歌もそうです。弓削皇子には、もう一首、この語句を用いた歌が『萬葉集』にあります。

2-1-1612歌 弓削皇子御歌一首  (巻八 部立て「秋相聞」)

秋芽之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈万思 恋管不有者

あきはぎの うへにおきたる しらつゆの けかもしなまし こひつつあらずは

 また、初句と二句の訓が同じで作者が未詳の歌が、1首あります。

2-1-2775歌 寄物陳思  (巻十一 部立て「寄物陳思」)

吾妹子尓 恋乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
わぎもこに こひつつあらずは かりこもの おもひみだれて しぬべきものを

 

④ 「こひつつあらずは」という語句は、少なくともふたつの理解が可能です。

動詞「こふ」に2意あります。「a恋ふ。b乞ふ・請う」です(『例解古語辞典』)。

連語「ずは」(打消しの助動詞「ず」+接続助詞「は」)に2意あります。「a「ず」を強めていう。・・・ないで。b「順接の仮定条件を表す。もし・・・ないなら。」です(同上)。

 だから、「こひつつあらずは」とは、

第一案 「ず」を強めていると理解する場合:「もう、恋い続けないで」あるいは「もう乞うことをやめて」

第二案 順接の仮定条件と理解する場合:「もし、乞うことをやめたなら」あるいは「もしも、恋続けることをしないならば」

の2案があります。歌本文での万葉仮名では「こひ」という音に対して漢字「恋」字を用いていますので、「乞ふ」の意でも恋愛感情に関することになるのではないか、と思います。

⑤ 次に、三句にある「秋芽」(あきはぎ)とは、『萬葉集』においては、散るものの代名詞として歌に詠まれています。散るとは、恋の終り(失敗)ともアプローチの終り(成功)とも重なります。

五句にある連語「あらまし」は、事実とは異なる状態を想像し、そうあったらよいのに、という気持ちを表わします(同上)。だから、その状態は、(実現したら)作者にとり悲惨な状態ではない、ということになります。

 五句にある「(あらまし)を」は間投助詞で詠嘆の意を表します。

⑥ 題詞を無視した場合の歌本文の現代語訳を、「ずは」の2案(上記の第一案と第二案)、「散る」の2案(恋の失敗のaと成功b)を考慮し試みます。

 第一案a「いとしい貴方に、もう、恋いつづけることをしないで、秋ハギの咲いて散ってしまった花のようになりたいなあ(それが私になかなかできないなあ)。」

 第一案b「いとしい貴方を、乞う(求めること)などはもうしないで(もう終わりとして)、秋ハギが咲いたら散るという花であるように、貴方もなってほしいのだがなあ(私はそのように願っています)。」

 第二案a「いとしい貴方に、もしも、恋続けることをもうしないならば(貴方へのアプローチを諦めるならば)、秋ハギの咲いて散ってしまった花に譬えられるようになりたいなあ(きっぱりとあきらめられたらいいなあ)。」

 第二案b「いとしい貴方に、もしも、乞う(求めること)などをもうしないならば、秋ハギの咲いて散ってしまう花に、貴方がなるものだろうか。」

この第二案bは、いままで叶えられなかったのはしつこいアプローチが理由ということになり、空しい期待ではないでしょうか。

このため、これらのうちで、事実とは異なる状態を想像し、それが一番悲惨ではないのは、第一案bです。

⑦ 初句~二句より、作者は相手と相当の遣り取りがあったうえでこの歌をおくるということになったと推測できます。返事が全然ない状況ではないということで、単にじらされているか、競争させられている状況で、この歌を相手におくったものと推測できます。

 巻一~巻四には、語句「こひつつあらずは」と詠う歌が6首あります。歌本文をみると、この歌以外は、「こひつつあらず」という状況について、

一緒になれないなら死んだほうがましだ(2-1-86歌)

離れていているより近くに居たい(2-1-115歌、2-1-547、2-1-729歌)

貴方に無関心でいたかった(2-1-725歌)

と詠っています。

 初句と二句が同じ語句である巻十一の2-1-2775歌は、死んでしまう、と詠います。

 作者が弓削皇子とある巻八の2-1-1612歌は、しらつゆを例にあげ、死んだほうがましだ、と詠います。

 これに対して2-1-120歌は、第一案bであれば、3首もある「離れていているより近くに居たい」という願望を述べるタイプと同類です。

 このように、第一案bは、「「こひつつあらずは」と詠う歌として特異な理解ではない、と言えます。さらに、「乞う」を「恋ふ」と理解したほうがよい、と思います。

前回(ブログ2018/7/16付け)における現代語訳(試案)は、恋を成就するために相手におくる歌なのだから、自分が諦めるかのような歌よりもあくまでも相手の心変わりを期待する歌をおくると推測して、(題詞のもとにある歌本文としては)次のようなものでした。

「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」 

民謡であれば詠い返し、同じ相手との歌の応答を続けようとする、と思う、という理由でした。

これは、第一案bの意訳の一例となっています。

⑧ 次に、題詞のもとにある歌本文として検討します。

 作者弓削皇子が、紀皇女を「思」って詠んだ歌と題詞にあります。(「5.⑦」で指摘したように)二人は、同世代の皇族であり、恋愛は制約が多く難しいものの紀皇女の悩み事を弓削皇子が聞いていたりしている時の歌である可能性はあります。あるいは紀皇女の置かれている立場に起因する問題が発生した時の歌である可能性があります。つまり、紀皇女自身の悩みあるいは皇女が外部の事情に巻き込まれる場合の悩みです。

 そのため、初句~二句「わぎもこに こひつつあらず(は)」とは、「誰かが、貴方に「こひつつあらず」ということについて」と作者弓削皇子が紀皇女に問いかけている、という理解が可能です。三句~五句「あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを」とは、「その誰かは秋ハギの花がすぐ散るような立場になってほしい」(皇族である貴方の周りが、その誰かが諦めるよう動いてくれたらなあ)、と弓削皇子は詠っているのではないか。

 初句~二句にある「わぎもこに こひつつあらず」とは、引用文である、という理解です。そして、紀皇女は誰かを峻拒していないが、文の遣り取りをしない訳ではない、という状況が続いているか、外部の事情に巻き込まれているということを作者は承知している、という認識を表している、という理解です。

 現代語訳を試みると、次のとおり。

 「親愛なる貴方に、どなたかが「こひつつあらず」という状況だそうですが、秋ハギのような咲いたらすぐ散る花になってほしいですね(諦めてくれるといいですね)。」 (2-1-120歌現代語訳改定試案)

⑨ さて、題詞にある「思」字の意です。上記の初句~二句に引用文があるとみる現代語訳(試案)は、事前にその間の事情を弓削皇子と紀皇女が共有する状況であれば、不自然な理解ではありません。作者弓削皇子と紀皇女の間の今喫緊の問題を抱えている恋の歌ではない、と言えます。

 そのため、「思」字は、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろうと推測した作業仮説は成立します。

⑩ この題詞のもとにある4首の歌の整合性は、後程検討します。この歌についての土屋文明氏と伊藤博氏の理解も、4首の検討後に触れることとします。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。次回は2-1-121歌を検討します。

(2023/11/13  上村 朋)