前回(2024/4/1)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第33歌です。
1.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」(付記1.参照)という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-32歌まではすべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。歌は、『新編国歌大観』より引用する。
2.再考の結果概要 3-4-33歌
① 『猿丸集』の第33番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌とは、次のとおり。
3-4-33歌 あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる
はるさめににほへるいろもあかなくにかさへなつかしやまぶきのはな
類似歌 『古今和歌集』 1-1-122歌 題しらず よみ人知らず」 巻第二 春歌下
春雨ににほへる色もあかなくにかさへなつかし山吹の花
② この2首は、詞書が異なっているものの、歌本文は清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じです。
下記の検討をした結果、次のことが言えます。
第一 この歌は、詞書にある「人のがりやる」の意が「ひとのもとに遣る」であり、かすかな香りに拘る詠いぶりと同音異義のある語句「かさへ」から詞書と歌本文の現代語訳(試案)は全面的に改まった。次のとおり。
詞書:「雨の降っていたという日、八重山吹を折り取って、ある人の許に贈る、ということで(誰かが)詠んだ(歌)」(3-4-33歌詞書改訳(案))
歌本文:「春雨に濡れて、美しくつややかであり続けている花の色だけでも、なお見飽きないのに(ねえ)。その香まで心がひかれます、山吹の花は。(そして、遠い存在であるあなたとの昔のことがしのばれて慕わしい、山吹の花が慕わしいように)」(3-4-33歌本文改訳(案))
第二 類似歌の現代語訳(試案)も、記載されている歌集の配列の再考察の結果修正した。「かさへ」は一意である。
第三 これらの歌は、「山吹」に寄せた歌であることは共通であるが、前回(ブログ2018/10/22付け)と同様に趣旨が違う歌となった。
第四 この歌は、前回同様に「恋の歌」である。この歌は再訪を願う女の歌であり、類似歌は、春の花である山吹を愛でている歌である。
③ 検討は、3-4-33歌を最初に、次に類似歌を行います。
3.再考 3-4-33歌の詞書
① 詞書は、いくつかの文からなります。
第一 「あめのふりける日、」 :その行為があった日の特徴を記す。
第二 「やへやまぶきををりて人のがりやる」 :その行為を記す。だれがしたかは明記していない。
第三 「とてよめる」 :それを詠んだ歌と記す 誰が詠んだかは明記していない。
② 第一の文は、「雨の降りける日」と理解できます。「ける」は、過去回想の助動詞「けり」の連体形です。
「その行為の日は雨が降っていた」という自然現象に驚きや詠嘆の気持ちがこめられているとすれば、それは、第二の文にある「その行為」が、驚きや詠嘆の気持ちの対象なのでしょうか。あるいは歌本文に「その行為」が示唆されているのでしょうか。この第一の文だけでは判然としません。
③ 第二の文の前段にある「やへやまぶき」とは、植物名であるほか、前回(ブログ2018/10/22付け)に推測した「山吹襲(かさね)」(男が「袍」の下に着る裾の長い衣服のひとつで「山吹」と言う種類の襲)の略称に「やへ」という修飾語句がある形、とも取れます。
植物「やへやまぶき」とは、黄色の花をつけるヤマブキのなかで八重咲きのものを言います。八重咲きは園芸種であって、雌しべが退化し雄蕊が変化して花弁になっているため、実を結ぶことがありません。『萬葉集』では歌本文に「やまぶき」を植える(2-1-1911歌、2-1-4210歌など)とか実がならない(2-1-1864歌)などとある歌があります。
三代集でも歌本文に「やまぶき」と表記があるものに「やへやまぶき」とはっきり特定できる歌があります(付記2.参照)。ただ、詞書には「やへやまぶき」という表記例はありません。
④ 山吹の花の香については、園芸関係の説明において特記しているのはまずありません。しかし、花に香りはあります。
調香師大澤さとりさんの写真でつづるphoto essay 「パルファンサトリの香り紀行」の2012/4/14付けのブログ「山吹(やまぶき)の花のにおい」によれば、
「(やまぶきが)みごろになったばかりの木からは、ハニーのグリーンノートが漂ってくる。開きかけのつぼみからは、ちょっと鼻を刺すような青臭さと蜜の粘っこい匂いがする」
とあります(大澤さんはフランス調香師協会会員です)。
その「香」を詠っているかと思える歌は三代集ではこの歌だけです(付記3.参照)。
なお、「山吹襲(かさね)」については付記3.を参照されたい。
⑤ また、四段活用の動詞「をる」とは、「aおる・折り取る b曲げる c波などがくずれる」意があります(『例解古語辞典』)
「をりて」とは、「山吹」が植物のみを指しているとみれば、「花の盛りの頃の山吹を折って」の意となります。「山吹」が「山吹襲」の略とみれば、男が着用している「襲(下襲)を折りたたんで」の意となります。
「をりて」とは、前回「急いで逃げ支度を手伝って」の意ともなる、と推測しました。
⑥ 第二の文の後段「人のがりやる」は、前回「人逃りやる」と推測しましたが、「人の許やる」という理解のほうが妥当ではないか。
「許(がり)」とは、体言に直接付くか、「の」を伴う連体修飾語によって修飾され、「(その人の)いる所(へ)・(その人の)もとへ」という意の名詞です(『例解古語辞典』以下同じ)。
動詞「逃る」の活用は下二段活用でありその連用形は「のがれ」です。
「やる」(遣る)とは、「a行かせる b送る・与える c逃がす」の意の動詞です。
「人」とは、ここでは特定の人物を指しています。
そのため「人のがりやる」とは、(折った八重山吹を、あるいは「襲(下襲)を折りたたんで」)「作者と関係のある人物の居るところへ送る」意となります。
また、この文には、主語が欠けています。このためこの行為をした人物は、この詞書を記している人物か、あるいは助動詞「けり」があるので第三者か、決めかねます。
⑦ 第三の文にある「よめる」の「る」は完了の助動詞「り」の連体形です。『猿丸集』の他の詞書と同様に「歌」という語句が省かれた表記と理解できます。
⑧ 現代語訳を改めて試みると、歌本文を参考にしないと、2案があり得ます。
第一案 植物の八重山吹の場合:「雨の降っていたという日、八重山吹を折り取って、ある人の許に贈る、ということで(誰かが)詠んだ(歌)」
品種を「やへやまぶき」に限っている意味は、歌本文によって判断することになります。
第二案 「山吹襲」の場合:「雨の降っていたという日、八重に山吹襲を折りたたみ、ある人の許に送る、ということで(誰かが)詠んだ(歌)」
「やへやまぶき」と詞書に記しているので、植物の品種の特性を惹起しているか否かは、歌本文によって判断することになります。
前回(ブログ2018/10/22付け)に示した、現代語訳(試案)は、誤りでした。
4.再考 3-4-33歌の歌本文
① 歌本文は、詞書に従えば、「やへやまぶき」をおくるにあたり添えた文(手紙)に書き付けた歌(あるいはこの歌のみを添えた)ということになります。歌本文は、いくつかの文からなります。
第一 「はるさめに」:時期と天候を明示。詞書の第一の文と矛盾しない表現。
第二 「にほへるいろもあかなくに」:この文と第一の文だけでは何の「いろ」なのか不明。詞書に従えば、「やへやまぶき」の「いろ」について記している、と推測できる。そして、それが「あかなくに」であるのは第一の文の内容に起因している、とも推測できる。
第三 「かさへなつかしやまぶきのはな」:詞書にある「やへやまぶき」の「はな」を明記して強調している。また、第三の文は第二の文とともに「色」と「香」を対比させている、とみることができる。
「はな」への強調から、「やまぶき」は植物の「山吹」が第一候補となり、前回推測した「襲」を指すという理解が第二候補です。
このため、詞書は第一案(上記「3.⑧」参照)を仮定して検討を続けます。
② 第一の文に、同音異義の語句はありません。格助詞「に」は、ここでは、動作・作用の起こる原因・理由を示しているのではないか。詞書の理解が上記のどちらの案(「3.⑧」参照)でも「春雨が降っている」趣旨の理解となります。
③ 第二の文は、動詞「にほふ」の已然形+完了の助動詞「り」の連体形+名詞「いろ」+係助詞「も」+連語「あかなくに」、から成ります。
「にほふ」とは、「a色に染まるb色が美しく輝く・美しくつややかである cよいかおりがする」の意があります。
「いろ」とは、「a色彩 b美しさ・華美 c豊かな心・情趣 d恋愛・情事」などの意があります。
助詞「も」は、「付いている語句を、主題・題目などとしてとり立て、類似の事態の一つとして提示する意を表します(同上)。ここでの類似の事態は、山吹の花に関してであれば、a詠っていない「群生していること」(存在感のあること)と、b詠っている「にほへるいろ」と、c第三の文にある「か」(香り)ではないか。
連語「あかなくに」とは、「飽か無くに」であり、関心事に十分堪能しても気持ちが離れるようなことがない、という気持ちを表し、「まだ満足しないのに・なおも心がひかれるのに」の意です。「なくに」には詠嘆の気持ちがあります。ここでの「に」は間投助詞です。
④ だから第二の文は、詞書が第一案と仮定すれば、おくる山吹に対する作者の評価であり、
「美しくつややかである(山吹の)花の色(色彩)も、なお見飽きないのに(なあ)」(第二の文33a)
という理解になります。
また、この第二の文は
「美しくつややかであった貴方の豊かな心(あるいは貴方との恋愛・情事)にも、なお心がひかれるのに(なあ)」(第二の文33b)
という理解が可能です。この理解は暗喩の意とすることができるかもしれません。
⑤ 第三の文にある 「かさへ」とは同音異義の語句です。「(山吹の花は)「香さへ」のほかに、新たな文を起こしたとみれば「(遠称の代名詞である)「か」(彼)さへ」の意が、及び「(雨の日に)笠へ」の意とも理解可能です。
副助詞「さへ」とは、「(・・・ばかりでなく)・・・まで、というように、さらにそのうえに加わる意を添える」語句です。そして、『例解古語辞典』には
a「さへ」が付く語句だけが強まるのでなく、それ以下の語句まで含めた事がらが強められることが多い。
b時代がくだるに従って「さへ」が「だに」に近い気持ちで用いられるようになる。平安時代まででは。あくまでそのほとんどの例は、さらに何かがそのうえに加わる意味を表して用いられていることを忘れてはならない。
などと、解説しています。
また、「なつかし」とは、四段活用の動詞「なつく」が形容詞化した語句であり、「a心がひかれる・慕わしい・いとしい b昔のことがしのばれて慕わしい・なつかしい」という意です。
⑥ このため、第三の文は、詞書を第一案と仮定しているので、「(山吹の花は)「香さへ」という理解が第一であり、「なつかし」の意に従って、2案あります。
「(山吹は花の色ばかりでなく)その香まで心がひかれる、それが山吹の花である。」(第三の文33a)
あるいは、
「その香によっても昔のことがしのばれて慕わしい・なつかしい、山吹の母よ。」(第三の文33b)
そして、「さへ」に関して上記⑤のaのような解説があるので、「さへ」の意の対象を山吹以外にも求めてみると、「(遠称の代名詞である)「か」(彼)さへ」という理解が可能であり、その場合、
「遠い存在であるあなたにも心がひかれる、山吹の花に心がひかれるように」(第三の文33c)、
あるいは、
「遠い存在であるあなたとの昔のことがしのばれて慕わしい、山吹の花が慕わしいように」(第三の文33d)
となります。これらの意をこの歌の暗喩と理解すれば、この歌は「恋の歌」となります。
「(雨の日に)笠へ」という理解は、詞書にいう「おくる八重山吹」は花の盛りであり、それを笠に添えるという場面が官人の世界に思い浮かびません。
⑦ このように、詞書の第一案を仮定すれば、第一の文から植物の「やへやまぶき」を想定して理解できるので、第三の文にある「やまぶきのはな」は割愛できます。念押しをしているかに最後に置かれているので、「かさへなつかし」と終止形で終わっている倒置文の文型からなる文、として、「なつかし」を強調している、と推測します。
歌本文全体として各文の組合せは、植物の山吹を景にした歌として、「第二の文33a」と「第三の文33d」の組合せを選びたい。山吹の薄い香りも言いたてて、山吹に執着していることを示唆しているのではないか。そして「かさへ」の「第三の文33d」の暗喩があるのではないか。即ち、
「春雨に濡れて、美しくつややかであり続けている花の色だけでも、なお見飽きないのに(ねえ)。その香まで心がひかれるます、山吹の花は。(そして、遠い存在であるあなたとの昔のことがしのばれて慕わしい、山吹の花が慕わしいように)」(33歌改訳a案)
山吹は年年歳歳咲くのですから、自らの屋敷に咲いた今年の花が春雨に濡れているのをみて、お互いの思い出にあるはずの事柄を作者は相手に訴えたかったのではないか、と推測したところです。それは、今も山吹をおくった相手を慕っており来訪を待ち望んでいる、とみることができます。
⑧ 実が付かない八重の山吹は、過去の交際が途切れて実っていないことを示唆することができ、詞書は、上記「3.⑧」の第一案は妥当であろう、と思います。
このような内容の歌は、「恋の歌」と言えます。
5.再考 3-4-33歌の類似歌 1-1-122歌
① 次に、類似歌を検討します。
詞書は「題しらず よみ人知らず」です。『古今和歌集』巻二の配列の検討から、この歌は、第四の歌群 藤と山吹による歌群( 1-1-119歌~1-1-125歌)の1首です (ブログ2018/10/22付け「2.」)
巻二の歌群は、詞書において「見る物、聞く物」の類を指標として配列されています。
『古今和歌集』の仮名序は、「和歌(短歌も長歌も旋頭歌も)は、人の心を種として、心に思うことを、見る物、聞く物につけて言い出したもの」と明言しており、部立ては、「見る物、聞く物」を分類したもの」と私は指摘しました。四季に対して「心に思うこと」は、その時季への期待、よろこび及び悲しみ、並びに人事と結びつく時季があるので時季の行事参加や昇進などへの期待、などいろいろあります(ブログ2024/3/11付け「4.」参照)。 (なお、「見る」の意は、仮名序においては「目によって視覚の対象を捉える」意(『古典基礎語辞典』)になります。)
② この歌群の各歌における具体の「心に思うこと」(「見る物。聞くもの」の到来を期待する気持ちとそれに接する喜びの気持ち等)を確認すると、次のとおり。前回の検討時(ブログ2018/10/22付け)から理解が深まりました。
1-1-119歌:藤は他にまつわりつく性質がある。その藤に、お前を育てた花山寺(元慶寺)の住職(作者)に挨拶せよと迫れと詠い、花の盛りにあえた喜びを分かち合いたい気持ちを詠う。
1-1-120歌:自宅の藤を立ち止まって見てくれる人が居る。見ることができた嬉しさを分かち合ってくれない気持ちを詠う
1-1-121歌:挨拶歌として「あの山吹の花も、勿論美しく咲いているだろうなあ」と特定の土地の山吹を懐かしむ気持ちを詠う。(この歌は3-4-34歌の類似歌であり再確認前の理解(ブログ2018/10/29付け参照)に今は従った。)
1-1-122歌:検討対象なので保留する
1-1-123歌:山吹を植えたあの人に見せたいが、ともに楽しめないのを嘆く歌。
1-1-124歌:風が、山吹の花を散らし流れを揺らして春の景を台無しにするのを嘆く歌。
1-1-125歌:有名な井手の山吹を鑑賞できなかった今年の春を嘆く歌。
これらは、藤の花や山吹の花が咲くのを作者は楽しみそして散ってゆくのを惜しんでいる歌です。
なお、次に配列されている1-1-126歌は、春の山辺を景として、春を訪ねて旅寝も厭わない気持ちを詠っており、「見る物、聞く物」は、「藤と山吹」中心ではなくなっていますので、別の歌群の歌と整理できます。
③ この配列は、また、三つグループから成る、とみることが出来ます。即ち、
最初の藤を景とした2首は、花を見る喜びを作者は分かち合えないでいます(1-1-119歌と1-1-122歌)。
次に配列されている山吹を景とした2首は、1-1-122歌を保留するものの、山吹から過去の経験を思い起こしているのではないか、と推測できます。
次の山吹を景とした3首は、せっかく咲いた山吹が用を成さないのを嘆いています(1-1-123歌と1-1-124歌と1-1-125歌)。
三つのグループがあるならば、1-1-122歌の「待つ心」は、「目の前にはない山吹とそれに出会ったときの思い」なのではないか、と想像します。
④ それを歌本文で確かめます。
『古今和歌集』の編纂者は、「題しらず よみ人知らず」という詞書によって何らかの示唆をしているとは思えません。しかし、配列からは、上記③に指摘したように、
「山吹から過去の経験を思い起こしているのではないか」
と仮説をたてることができます。歌は、次のような三つの文からなります。
⑤ 第十一 「はるさめに」:時期と天候を明示。
第十二 「にほへるいろもあかなくに」:この文と第一の文だけでは何の「いろ」なのか不明。その何かの「いろ」の状況は、第十一の文の内容が関係しているとは推測できる。配列からの仮説からは「何か」は山吹。
第十三 「かさへなつかし」:配列と第十二の文から、植物の山吹への思いを記すと理解可能。形容詞「なつかし」は終止形。ここで歌本文は一旦文章が終わる。
<2024/4/14 pm>
第十四 「やまぶきのはな」:第十三の文までと対を成す名詞句のみの文章。配列からの仮説以外に、この文で、第十三の文までが「やまぶき」に関する文であったことが判る。歌本文全体は第十一~第十三のグループと第十四の文とが倒置文となっている。
⑥ 第十一の文は、3-4-33歌と同様に、時期を明示しています。3-4-33歌の第一の文と同じように「春雨が降っている」趣旨の理解となります。
第十二の文は、配列からの仮説によらないとここまでの歌本文だけでは「何のいろ」か不明ですが、「はるさめ」が関係するので少なくとも「いろ」の意は「色彩」とか「美しさ」とか抽象的なものになります。「花の「色」とまで限定した現代語訳ができません。
「にほへるいろも」にある「る」は完了の助動詞「り」の連体形です。連語「あかなくに」の意は上記「4.③」参照。
そのため、次のような理解となります。
「美しくつややかである色彩も、なお心がひかれるのに(なあ)」(第二の文122a)
⑦ 次に、第十三の文は、「か」の理解が「いろ」と対を成しているとすれば、「香り」と「色彩」、「彼(遠称の代名詞)」と「豊かな心あるいは恋愛・情事」という対になります。
ここでは、配列から、「山吹」を景とした歌と限定できますので、「香り」と「色彩」の対として、「なつかし」の意によって2案の理解があります。
「香まで心がひかれる(あるいは慕わしい)。」(第三の文122a)
「(色彩ばかりでなく)香によって昔のことがしのばれて慕わしい・なつかしい」(第三の文122b)
第十四の文は、第十三の文までの対象が「山吹の花」であったことを明かしています。
「なつかし」とは、「山吹」について、詠っていることが再確認できた段階で、その微かな香りに言及していることが珍しいことに気が付くことになります。
この歌は、毎年咲く山吹に対して詠っているのであり、1-1-121歌とともに、過去から連なる思いを詠っている、と言えますので、「第三の文122a」であっても配列に沿った理解になっています。
そして、1-1-122歌の「待つ心」は、「そのように過去に出会った山吹はいつも裏切らなかったという思い」でありました。今年の山吹にも作者はそれを期待していると思います。
⑧ このような理解からは、前回の歌本文の現代語訳(試案)は誤りとなります。
改めて現代語訳を試みると、次のとおり。
「春雨に濡れて、美しくつややかであるその色彩も、なおも見飽きないのだが、さらに香まで心がひかれるよ。ああ、山吹の花よ。」(1-1-122歌改訳案)
⑨ 『古今和歌集』巻二所載の歌には、『古今和歌集』編纂のために新たに詠まれた歌がありません。つまり、「春歌」に相応しい歌を既に詠まれた歌から編纂方針に従い選び、詞書を新たに加えて配列したのが巻二です。
だから、『古今和歌集』所載の歌は、実際に詠まれた時点の理解と一致しない場合があることに留意すべきです。
この歌もその1例ではないか。実際には屏風歌として詠まれた歌であれば、一般的には、この歌の歌意は「心惹かれるヤマブキよ」という理解であったかもしれないし、送別の席で送られる人物が披露したのであれば、どこにでもある山吹ですから、かすかな香り(微細な心遣い)も振り返り、感謝の気持ちをこめている歌であったのかもしれません。恋の歌として詠われたとすれば、『猿丸集』のような理解の歌であった可能性もあります。
6.再考 3-4-33歌は恋の歌か
① この歌(3-4-33歌)は、再考し理解が改まりました。詞書の現代語訳(試案)は、上記「3.⑦」に記す第一案、及び歌本文のそれは、上記「4.⑦」に記す「33歌改訳a案」 となりました。
類似歌(1-1-122歌)も、再考により理解が深まりました。詞書は「題しらず よみ人しらず」であって歌本文の現代語訳(試案)は、上記「5.⑧」に記す「1-1-122歌改訳案」となりました。
ともに、山吹を景とした歌です。
② 歌本文が清濁抜きの平仮名表記では全く同じであるものの、それぞれの所載の歌集の配列と詞書により、歌意が異なる歌となりました。
この歌は、再訪を願う女の歌であり、類似歌は、春の花である山吹を愛でている歌です。
③ この歌は、「恋の歌」となりました。その条件(付記1,参照)をクリアしています。
即ち、現代語訳(試案)「33歌改訳a案」は、「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解でき、類似歌と歌意が異なり、その歌集において配列上違和感のなく、「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許せる歌です。
④ ブログわかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。次回は、3-4-34歌を再確認します。
(2024/4/15 上村 朋)
付記1.『猿丸集』の検討における「恋の歌」の定義
次の四つの要件をすべて満足している歌と定義する(ブログ2020/7/6付け「2.④」)。
第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること
第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること
第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと
第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと
付記2.三代集での「やまぶき」の用例について
①『古今和歌集』には歌本文に6例ある。その「やまぶき」が「やへやまぶき」を指しているのは、植えたと詠う1-1-123歌である。井出の山吹はよく詠われている。植えて絶やさない努力をしていれば1-1-125歌も「やへやまぶきかも知れない。恋の部立てにある歌は一首もない。また花の香を詠っているかに思えるのは1-1-122歌のみである。
②1-1-121歌 (巻二 春歌下) 題しらず よみ人しらず
今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花
1-1-122歌 (巻二 春歌下) 題しらず よみ人しらず(巻一)
春雨ににほへる色もあかなくにかさへなつかし山吹の花
(猿丸集第33歌の類似歌)
1-1-123歌(巻二 春歌下) 題しらず よみ人しらず
山ぶきはあやななさきそ花見むとうゑけむ君がこよひこなくに
1-1-124歌(巻二 春歌下) よしの河のほとりに山ぶきのさけりけるをよめる つらゆき
吉野河岸の山吹ふくかぜにそこの影さへうつろひにけり
1-1-125 歌 (巻二 春歌下) 題しらず よみ人しらず
かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを
1-1-1012 歌 (巻十九 雜体 誹諧歌) 題しらず 素性法師
山吹の花色衣ぬしやたれとへどこたへずくちなしにして
③『後撰集』では4例である。「やまぶき」が「やへやまぶき」を指しているのは1-2-108歌である。あがたのゐどが集落内の重要施設であれば植えたものの可能性があり1-2-104歌の「やまぶき」もも八重山吹かもしれない。みな四季の部立てにある歌である。
花の香を詠んだ例はない。
④1-2-104 (巻三 春下) あがたのゐどといふ家より、藤原治方につかはしける 橘のきんひらが女
宮こ人きてもをらなんかはづなくあがたのゐどの山吹の花
1-2-108 (巻三 春下) 前栽に山吹ある所にて かねすけの朝臣
わがきたるひとへ衣は山吹のやへの色にもおとらざりけり
1-2-121 (巻三 春下) 題しらず よみ人も
花ざかりまだもすぎぬに吉野河影にうつろふ岸の山吹
1-2-122 (巻三 春下) 人の心たのみがたくなりければ、山吹のちりしきたるを、これ見よとてつかはしける
しのびかねなきてかはずの惜しむをもしらずうつろふ山吹の花
⑤『拾遺和歌集』 には6例ある。その「やまぶき」が「やへやまぶき」を指しているのは、1-3-72歌と1-3-1059歌であるが、部立ては春あるいは雑春である。花の香を詠った例はない。
⑥ 1-3-68歌 (巻一 春) 天暦御時歌合に 源したがふ
春ふかみゐでのかは浪たちかへり見てこそゆかめ山吹の花
1-3-69歌 (巻一 春) ゐでといふ所に、山吹の花おもしろくさきたるを見て 恵慶法師
山吹の花のさかりにゐでにきてこのさと人になりぬべきかな
1-3-70歌 (巻一 春) 屏風に もとすけ
物もいはでながめてぞふる山吹の花に心ぞうつろひぬらん
1-3-71歌 (巻一 春) 題しらず よみ人しらず
さは水にかはづなくなり山吹のうつろふ影やそこに見ゆらん
1-3-72歌 (巻一 春) 題しらず よみ人しらず
わがやどのやへ山吹はひとへだにちりのこらなんはるのかたみに
1-3-1059歌 (巻十六 雜春) 三月うるふ月ありける年、やへ山吹をよみ侍りける 菅原輔昭
春風はのどけかるべしやへよりもかさねてにほへ山吹の花
⑦『萬葉集』で「やまぶき」表記のある歌を、14首確認した(2024/4/15現在)
2-1-158歌、2-1-1439歌、2-1-1448歌、2-1-1704歌、2-1-1864歌、2-1-1911歌、2-1-2796歌、2-1-3993歌、2-1-3997歌、2-1-4208歌、2-1-4209歌、2-1-4210歌、2-1-4326歌、2-1-4328歌
付記3.山吹と襲(かさね)とについて
① 『例解古語辞典』や『王朝文学文化歴史辞典』(2011笠間書院)』やウィキペディアなどによれば、山吹の意はいくつかある。
第一 植物の名
第二 「山吹襲(かさね)」の略。襲の色目の名。表は薄朽葉(うすくちば)色、裏は黄色。春に着用する。襲とは、下襲の略で男が「袍」の下に着る裾の長い衣服。下襲は、外を歩く時は畳んで束帯にはさみ室内では長く引き、着座の時は畳んで後に畳んでおく(簀子では高欄にかける)という使い方をする衣服。
第三 色の名。ヤマブキの花のような色。黄色・黄金色。
(付記終わり 2024/4/15 上村 朋)