わかたんかこれ 萬葉巻四 御製・賜・思 配列その1

 前回(2023/1/9)に引き続き『萬葉集』巻四を検討します。(2023/1/23  上村 朋)

1.~2.承前

 2023/1/9付けブログで『萬葉集』巻四の題詞に対する割注を検討し、それは古注の一種ということになりました。『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討をしています。

3.巻四の配列予想

① 今回から巻四全体の配列を検討します。その配列は、『萬葉集』の三大部立てが巻三と巻四で揃うので、巻三にならい、次のように予想します(作業仮説です)。

 第一 編纂者は、聖武天皇の御代の途中までに詠作あるいは披露された歌により巻四を構成しており、聖武天皇の御代を今上天皇の御代として題詞を作文している。

 第二 歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。

 第三 未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。

 第四 配列は、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしているのではないか。

 第五 配列は、最終編纂時点において定まった。

 

② この予想は、倭習漢文である題詞のみの検討、題詞と歌本文による検討及び配列の検討で確かめられる、と思います。

 上記の仮説第一は、『萬葉集』巻四にある歌は聖武天皇の御代の途中までが作詠時点(披露時点)という諸氏の指摘もあり、また、前回ブログ(2013/1/9付け)で指摘したところです。

 上記の仮説第二は、相聞の部立ての巻四において、各題詞に明記してある作者(あるいは披露者)とその歌を贈った相手の名を主要な手がかりとして、作者の活躍した天皇の御代(歌を披露した御代)の推測が可能なので、確認ができます。それを行った一部を、付記1.に示します。

 歌群に属する歌の歌番号は連続しており、2023/1/23現在では次の表のように巻四にある歌は歌群を単位として歴代順に配列されています。その歌群内の配列は、履歴が現在のところ不明な人物も多々あり、詳しい作詠時点(披露時点)が推計しにくく、いまのところは順不同と推測するほかありません。

 巻四の歌は、結局、天皇の歴代順に4グループの歌群として配列されていることになりました。

 上記の仮説第三にかかわることですが、最後のグループは、さらに二つに分けられそうですが、その境目の歌が、今のところ一案に絞りきれていません。

表 天皇の御代による『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/1/23 現在)

グループ

天皇の御代

グループの筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4A

聖武天皇以降

2-1-525:京職藤原大夫歌

聖武天皇:在位724~749

4B

聖武天皇以降

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

光仁天皇:770~781

4C

聖武天皇以降

2-1-728:未詳の人物の歌の「献天皇歌」

 

4D

聖武天皇以降

寧楽宮?

2-1-789:大伴家持

 

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)グループ4A~グループ4Dは、検討途中のグループである。「寧楽宮」の御代を詠う筆頭歌の候補が複数あるからである(2023/1/23現在)。

 

 

③ 天皇の歴代順は、当然ながら天皇に関する歌だけで確認できます。

巻四の相聞の歌は、3分でき、御製(或いは「天皇贈」、「天皇思」」と題詞に明記のある歌と、天皇を相手としている歌、及びそれ以外の歌(これが大部分です)です。

 御製等と題詞に明記のあるのは、つぎの3題です。『新編国歌大観』より引用します(以下の歌も同じ)。

2-1-488歌~2-1-490 岡本天皇御製一首并短歌  (諸氏は舒明天皇または皇極天皇斉明天皇重祚)とする。また 返歌にあたる奉和歌の記載無し。 この題詞は巻四にある二つ目の題詞)

2-1-533歌 天皇海上女王御歌一首  (返歌にあたる奉和歌が次の2-1-534歌である)

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (事前の奉和歌及び返歌にあたる奉和歌の記載無し)

 

 最初の2-1-488歌の題詞にある岡本天皇とは、藤原京または平安京で即位した天皇ではありません。次の2-1-533歌では単に「天皇」とあるだけですが、海上女王の履歴が『続日本紀』で確認でき、男性の天皇であれば聖武天皇が最有力です。酒人女王は『続日本紀』で確認できず、一抹の不安があります(ブログ2023/1/9付けの「付記2.」参照)が、仮説第一が正しければ、聖武天皇の御代の歌であるので、この3題の巻四における御代の順番は、歴代順であろう、と言えます。

④ 次に、巻四において、天皇を相手としている歌(和歌・献歌の類)の題詞は、つぎのとおり5題あります。

2-1-487歌 難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首 

2-1-534歌 海上女王奉和歌一首 (2-533歌の返歌)

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首 (天皇の贈歌と返歌にあたる天皇歌の記載無し)

2-1-724歌 献天皇歌一首  (作者の明記無し)

2-1-728歌~2-1-729歌 献天皇歌二首  (作者の明記無し)

 

 最初の2-1-487歌の題詞は、巻四の筆頭の題詞です。難波天皇とは、難波の地を根拠地にした天皇の意を指すと思われ、諸氏は仁徳天皇孝徳天皇をあげています。そうすると、上記③に2-1-488歌の岡本天皇の御代以前の天皇であり、巻四での歌の配列は歴代順と言えます。

 2-1-534歌と2-1-629歌は、相手の女王の名より聖武天皇が最有力です。海上女王と八代女王についてはブログ2013/1/9付けの「付記2.」参照)。

 このため、2-1-487歌から2-1-629歌の題詞に関しては、その歌番号において上記仮説第二が成立しています。勿論その題詞のもとにある歌本文も同様です。

 その次の2-1-724歌と2-1-728歌の題詞では、単に「天皇」という表記されています。それらの歌とペアとなる官人の歌や天皇の御製歌と表記する題詞がなく、2-1-629歌の題詞までの結論を否定する材料がありません。

 そして、2-1-629歌の題詞が聖武天皇の御代ということを示しているならば、その後の歌番号の題詞で単に「天皇」という表記が聖武天皇を指すと理解しても矛盾はありませんので、上記仮説第二が成立します。

 唯、題詞の作文パターンが献天皇歌とある3題のなかで献じる人物名があるのは2-1-629歌の1首だけであり、題詞の作文パターンの違いがちょっと気になります。(ブログ2023/1/9付け「2.⑦」参照)。

 このように、天皇に関する歌だけをみると、歴代天皇の順に配列されています。

⑤ では、その他の、天皇が題詞に登場しない相聞歌ではどうか。

 巻四の大部分がこの部類なのですが、作者など人物名が2-1-674歌を除き題詞には明記されています。その人物の生没・官歴が『続日本紀』などで判明すれば、それに従い作詠時点(披露時点)の御代を推計できます(付記1.参照)。

 その作業の結果を単純に歌番号の順でグルーピングでき、大別4つの歌群(グループ)となりました、その各歌群に天皇に関する歌も入りました。

 このため、上記仮説第二が成立していました。それを表にしたのが上記の表です。

 不安などと指摘した点は後程確認します。

 

4.天皇が関わる歌の疑問 その1

① 不安などと指摘した天皇歌の検討をします。最初に、2-1-627歌です。酒人女王の活躍した御代の再確認です。

 2-1-627歌の題詞の割注を信頼すれば、和銅8年(715)に母に先立って薨去した穂積皇子(享年は40歳代前半か)の孫であるので、聖武天皇の御代(在位724~)に活躍した人物とも推測できます。

 歌本文の内容は、一見「妹」に親愛の情をもって呼び掛けており、この元資料が聖武天皇自身の御製であっても代作であっても、あるいは伝承歌を利用して披露した歌であっても、巻四の部立て「相聞」にふさわしい歌です。

 しかし、恋を成就するための歌としては、酒人女王の存在感が薄く、気がかりです。

 歌の内容は男女間に芽生える思いであり、題詞に登場する人物でなくともありそうな事柄です。そのため、題詞の意味するところが明確になるのではと、題詞を無視した歌本文のみの検討と、題詞のもとの歌としての歌本文を検討して比較したいと思います。

② 歌を、『新編国歌大観』より引用します。

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (割注は割愛)

   道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 恋云吾妹

   みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに こふといふわぎも

 現代語訳の例を示します。

 土屋文明氏は、末句を『新編国歌大観』と異なり、七音の「こふとふがぎも」と訓んでいます。

「道に行きあうてゑまれたので、降る雪の消えれば消えもするやうに恋しく思ふといふので私はあるよ。吾妹よ。」

 氏は、末句にある「とふ」について、「人がさう言ふ意であるが表現を間接にし、やはらげる丈の場合が多い。(萬葉)集中の例でも「とふ」を省いても意味が足らなくなるほどのことはないのがある。・・・ 「といふわけだ。といふものだ」位に心得てよいやうに思ふ」と指摘しています。

 そして、「題詞の「思」は言ふまでもなく恋ひ思ふ意であるから、題詞の撰者は天皇が女王をめされた間と見て、「思」字を置いたのであらう」と指摘し、聖武天皇は「萬葉集中では最も儀制などの整った、面倒な時代の天皇であらせられるに「道にあひてゑまししからに」の御製があるのであるから、萬葉集が善い時代に成ったといふことは疑ふ余地がない」とも指摘しています(『萬葉集私注二』(筑摩書房))。

 ちなみに、氏は、この題詞の割注を「古注」と呼び、酒人女王については、『本朝皇胤紹運録』(応永33年(1426)成立)に桓武天皇同母妹に酒人内親王をあげているが光仁天皇の御代の伊勢斎宮であり別人である、とも指摘しています。

 次に、伊藤博氏の現代語訳は、末句本文を「恋云君妹」、訓は『新編国歌大観』と同じとして、

「「道にお逢いしてほほえまれたばっかりに、まるで降る雪の消えるように、消え入るなら消えてしまとばかりにお慕いしています」と、そう言ってくれるそなたよ。」(『新版万葉集 現代語訳付き』(講談社学芸出版))

 なお、題詞にある「思」字への脚注をしていませんが、題詞を訓み下し。「おもふ」としています。

 土屋氏は、作中人物を天皇としてご自身が恋しいと直截に詠っているという理解であるのに対して、伊藤氏は、酒人女王が恋しいというのを作中人物が聞いた、という理解です。多くの方が伊藤氏のタイプの現代語訳を示しています。

③ さて、歌本文は、題詞の有無にかかわらず、次のような文からなる、と理解できます。

文中にある動詞が誰の行為であるか(主語)が明記されていない文が続きます。そのため、両氏のほか色々な理解が可能となっています。

 

 文A:みちにあひて ゑまししからに   (ある事実を記す。動詞「あふ」と動詞「ゑむ」のそれぞれの主語が省略されている。接続助詞「からに」で次の文に続けている。一連の行為として一文とみなす。)

 文B:ふるゆきの けなばけぬがに  (文Cを知ると、その事実から生じた気持ちを例えている、と理解できる文である。接続助詞「がに」で次の文を修飾する。)

 文C:こふ   (動詞「こふ」のみからなる文。主語が省略されている。)

 文D:といふ  (格助詞「と」で文Cまでの内容を引用の形で受けている。動詞「いふ」の主語が省略されている。)

 文E:わぎも  (文Dの「いふ」の主語の場合文Dと文Eは一つの文である。あるいは、文Dから独立した文で相手への呼び掛けの文。)

 

④ 『萬葉集』巻四の歌としては、配列と題詞のもとの歌として妥当な現代語訳を得なければなりません。これはその前段階の検討です。

 文Aには、動詞に対する主語が表記されていません。文Aにある「みちにあふ」とは、相聞の歌であるので、ある一組の男女が、人の往来する場所(街路か庭園か建物内など)で出会ったという意でしょう

 文Aのみでは、「ゑむ」行為をした人物を、天皇とも酒人女王ともあるいは両者とも決めかねます。

 注釈した「ある事実」とは、その男女のどちらかが、「ゑむ」行為の当事者、あるいは男女二人が「ゑむ」(つまり会釈する)行為の当事者である、ということを指します。

 また、恋の発端としては、相手が「ゑむ」という行為をしてくれた、と勝手に理解したとしても有り得ることであり、その場合も「ある事実」に該当します。どちらの「ある事実」なのかは、文Aだけでは決めかねます。

 さらに言えば、天皇が作者であれば。「みちにあふ」と表現しているのは、日々の天皇の行動原則を考えると余程突発的な事と理解している、という感覚で詠われている、という解釈も可能です。

 そして、題詞そのものには、「ある事実」を上記の一つに限定している表現となっていません。

⑤ 文Bは、文Aの行為の場面に生じていることではありません。文Aに表記してある行為の主体(主語)となる人物とは一見無関係です。文Cを知って、このように表記した意図が理解できる文です。

 文Cは、文Aに表記してある「ある事実」から生じたのが、文Bに譬えられるような「恋」である、ということを表しています。

 しかし、「誰による誰への恋」かは、主語が省略されていて不明な文です。

 文A~文Cは、結局、「ある事実」から「誰か」が恋をした、ということを表現しているだけです。人物の特定は当然わかる、というスタンスの文です。

 また、文A~文Cだけで独立した文章(例えば、この歌への引用文)という理解も可能です。

⑥ 文Dは、主語が省かれているので、「文A~文Cを誰かが言った」とも「文A~文Cを作者が言った」ともとれる文です。

 だから、土屋氏が訳したように「人がさう言う」意に取ることもできます。

 文Eは、文Dの主語であるとすると、文D+文Eは、一文であり倒置法の文となります。「わぎも」が言っている、という理解となります。しかし、これにより、文Aにある動詞の主語まで限定できません。「こふ」という状況にある人物が「わぎも」と作者が呼んでいる人物(多分酒人女王)か、あるいは作者である天皇かは、不定です。

 倒置法の文でなければ、文Eは、動詞「いふ」が終止形で一旦終わり、「わぎも」と相手に呼び掛けているか、あるいは、動詞「いふ」が連体形で「わぎも」を修飾していることになります。

⑦ 短歌は、五七五七七という五句からなる詩です。この歌は、初句は六音で、最後の語「て」(接続助詞)を重視しているかにみえます。末句は文C+文D+文Eからなり、七音ではなく八音です。

 八音としているので、末句を七音に、例えば、「こふといふかも」とか、「こふ「わぎもこ」よ」と言い換えたら、作者が言いたいことが伝わらない意を述べているのであろう、とも考えられます。

 さらに、文Aで主語が不定のままであることを考慮すると、文Cの主語である人物が誰であるかをこの歌を聴いた人物に任せていると言えるので、文Cの主語を土屋氏や伊藤氏のように、特定の人物に固定して理解しなくともよいのではないか。

⑧ 以上は、題詞を無視した検討でした。巻四にある2-1-627歌を、題詞が言わんとしていることを踏まえた検討を、次に行います。

 題詞は、官人が使い慣れている倭習漢文で作文されています。そこに用いられている「思」字に、「既に恋をしている」意があるかどうかが問題です。天皇と酒人女王の関係を、少なくとも一方が「既に恋をしている」という前提は、確認を要します。

⑨ 最初に、巻四にある天皇の御製等の歌とある題詞3題(上記③に記す)を比較して「思」字の意を確認します。訓み下すと、次のようになるでしょう。「天皇」は「すめらみこと」と、「御製」と「御歌」は「みうた」とか「おほみ(うた)」と訓んでいる例もあります。

2-1-488歌~2-1-490 : 岡本天皇の御製(の歌)一首ならびに短歌 

2-1-533歌: 天皇海上女王に賜ふ(ところの)御歌一首

2-1-627歌: 天皇の酒人女王を思(おも)ほす(あるいはしのふ)御製の歌一首

 微妙にニュアンスが異なります。漢文として見ると、「御製」字、「賜」字及び「思」字を、書き分けています。巻四編纂者は、次のように歌を理解して題詞を書き分けている、といえます。

 2-1-488歌は、御製の歌という位置付けの長歌反歌であり、代作の可能性が大きい。だから公に披露されているはずの歌。長歌反歌による相聞歌は巻二にもなく、巻四でも唯一であり、呼びかけている相手の「君」とは、求めている皇位継承者か特定の人物かは不明。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-533歌は、代作かどうかは不明であるものの、歌そのものを、天皇が特定の相手に確かに伝えた歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-627歌は、代作かどうかは不明であるものの、天皇が特定の相手に対して「思ったことを」を詠う歌。その特定の相手にどのように伝えたかは不明のままである歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

⑩ 『新字源』(角川書店)には、つぎのように説明しています。

 御製:天子が作る。また、その詩歌・文章など。

 賜:(動詞) aたまう:目うえの人が目したの者に物をあたえる。bたまわる

 思:(動詞)おもう。aかんがえる。はかる。bねがう、のぞむ。(思身) cしたう。dおもいやる、追想する。(思詠) eあわれむ、かなしむ。(思秋)。 

 「思」字に関する熟語例に「思婦(物思いにふける婦人)」や「思慕(思いしたう、こいしく思う)」などをあげています。

 また、「おもう(おもふ)」と訓む同訓異義の漢字の説明をしています。10種類あります。

 意:あれこれおもいはかる。

 以・為:(説明の引用割愛)

 惟:(同上)

 謂:(同上)

 憶:(同上)

 懐:人や場所などを思いしたう。

 顧:ふりかえって思う。反省する。

 思:くふう。思案する。また思いしたう。思慕。なつかしく思う。

 想:おもいやる。思いうかべる。

 念:心の中にじっと思っていて、思いがはなれない。胸にもつ。

 

 ちなみに「恋」字には、

動詞:こう(こふ)、おもいしたう、愛情をもつ。

名詞:こい

国字として:(形容詞)こいしい

と説明しています。

 「思」字の意のなかに、「恋」字の意がない、と否定しきれませんが、倭習がある漢文であっても「思」字の意は「恋」字より広い、と思います。

⑪ 2-1-627歌の題詞の「思」字の意を、「かんがえる、はかる」で用いていれば、漢文「(天皇)思酒人女王(御製歌)」の訓「酒人女王を思ふ」は、「天皇自身と酒人女王との現在の関係について考える」ことであり、それは「酒人女王を召すかどうか考える」あるいは「酒人女王を遠ざけるかどうか考える」の意のどちらかと理解できます。

 「したう」意で用いるのは、天皇の御製に相応しくない、と思います。

 また、「思」字の意を「ねがう、のぞむ」で用いていれば、「酒人女王を召すかどうか考える」ではないか。

「思」字の意を「おもいやる、追想する」で用いていれば、作者(天皇)は、「距離を置いて酒人女王のことに思いを巡らしている」意も可能となります。

 天皇歌に「贈」と明記されている題詞があるので、少なくとも「贈」ったかどうかは判然としていないのは確かな歌(あるいは判然とさせていない歌)として、この2-1-627歌を理解するのが良い、と思います。

⑫ 「思」字を用いている巻四の題詞(倭習漢文)は、3題あります。

 2-1-491歌 額田王思近江天皇作歌一首

 2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首

 2-1-768歌 在久尓京思留寧楽宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首

 最初の2-1-491歌の歌本文は、秋の風を詠んでおり、爽快な風ではなく、去りゆく風を詠んでいる(近江天皇が離れゆくことを暗喩)と理解が可能です。熟語「思秋」の意に通じる歌いぶりと理解できます。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」であり、作者はわが身を「あわれむ、かなしむ」という気持ちではないか。なお、伊藤氏は、題詞にある「思」字を「しのふ」と訓み、「次歌(2-1-492歌)と共に奈良朝人の仮託か」と指摘しているので、天智天皇を「なつかしくおもう」という歌ということになります。次歌の作者に示した点が相聞の範疇と捉えたのでしょうか。

 三つ目の2-1-768歌の歌本文は、(家持と坂上大嬢以外の第三者が詠っている)この歌に和する歌(2-1-769歌)を参考にすれば、長い期間逢えないでいる時の心境を詠っていると理解できます。当事者でない第三者がこの歌を知った経緯もわかりません。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」か「(坂上大嬢を)あわれむ、かなしむ」意であろう、と思います。「思」を重視し、「贈」と2-1-768歌の題詞は明記していません。

⑬ このため、巻四編纂者が用いる「思」字の意は共通であり、二つ目の2-1-627歌は上記⑩の候補のうち「考える、はかる」ではないか。そのため、題詞は、作者である天皇の立場は二通りあることを示唆していることになります。元資料の歌の意がもともとそうであったのではないか、と思えます。

 なお、巻四において、万葉仮名表記の歌本文における訓「おもふ」の仮名は「念」という用字の場合が圧倒的に多い。歌本文での「思」という用字は、万葉仮名として「し」の音を表記している場合が多い。

 巻四のほかに、巻三において、「思」字を用いる題詞は1題あります。

 2-1-374歌 出雲守門部王思京歌一首

 この題詞のもとにある歌本文では、「・・・ 吾佐保河乃 所念国」(・・・ わがさほがはの おもほゆらくに)と詠っており、望郷の歌と理解できます。この題詞における「思」字の意は、「かんがえる、はかる」、「おもいやる、追想する」が妥当するのではないか。

⑭ このような題詞のもとにある2-1-627歌の歌本文は、題詞に配慮しなければ、上記③~⑦で検討した文A~文Eとなり、誰が「こふ」という状況に居るのかは、この歌を聴いた(あるいは贈られた)側の判断にゆだねられています。

相聞歌は、歌の前提条件について歌を贈る側と受け取る側で暗黙の共通の認識をしている場合が多く、これはよくあるパターンです。

 題詞にある「思」字の理解は幾つかあるものの、上記②に引用した土屋氏の現代語訳は、題詞にある「思」字の意を「恋い思う」と氏は決めてかかり酒人女王を召す前提とした現代語訳となっています。

 一方伊藤氏のそれは、題詞に「思」を「おもふ」と訓んでおり、歌本文の現代語訳は、召す前提とも、相手を突き放したかにもとれます。

 天皇が召すつもりであるならば、それ以外の理解が生じるのは誤解・混乱を招きますので、避けたいところでしょうから、どちらにも理解できるということは、召す前提の歌ではない、と氏は整理しているのでしょうか。

 このように、題詞と歌本文のみから、単純には一つの理解に収まらない歌となっています。

⑮ このような理解が可能な2-1-627歌の歌本文を、巻四に配列したのは編纂者です。巻四編纂者の手元に蒐集された元資料の段階で、既にそのような歌であったのでしょうか。歌本文に手を加えることを編纂者はしていないと思います。

 かんがえられるのは、その元資料の理解が既に「ひとつ」であったということです。

 それが題詞の「思」字を用いている理由ではないか。つまり、いくつかの理解が可能な歌としてここに配列された、と推測します。

 酒人女王は、(実在した人物であったとしても)天皇の子を産んでいません。天皇聖武天皇でなくとも、産んだ子は皇子あるいは皇女として処遇され、『続日本紀』にも記録されたでしょうが、それが見当たりません。

 また、酒人女王がこの歌を贈られたら、それに応えた歌を詠んでいると予想できるのですが、『萬葉集』にはありません。2-1-533歌には贈られた海上女王の返歌が2-1-534歌としてあるのに対して、この2-1-627歌は返歌を期待していない歌であれば、召す前提の歌、という理解をしないほうが良いと思います。

⑯ この歌の理解は、巻四の配列にもヒントがあるはずです。

 天皇の関係する歌が、官人の歌の間にあるのは、何故でしょう。これに和する歌もありません。

 前後の題詞5題は、次のようなものです。

2-1-621歌 大神女郎贈大伴宿祢家持歌一首

2-1-622歌~2-1-623歌 大伴坂上郎女怨恨歌一首併短歌

2-1-624歌 西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首

2-1-625歌 佐伯宿祢東人和歌一首

2-1-626歌 池辺王宴誦歌一首

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (今検討している題詞)

2-1-628歌 高安王裹鮒贈娘子歌一首

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首

2-1-630歌 娘子報贈佐伯宿祢赤麿歌一首

2-1-631歌 佐伯宿祢赤麿和歌一首

2-1-632歌 大伴四綱宴席歌一首

 この配列をみると、2-1-624歌以下2-1-632歌までは、宴席での歌ではないかと思えます(2-1-633歌以下2-1-645歌までも宴席の歌が続きます)。

 そうすると、2-1-627歌は、天皇の立場を代弁したかに位置付けられる歌となりますが、そのようなことが可能でしょうか。宴席でそのような歌を官人が披露できるとは思えません。

 天皇が披露するとすれば、架空あるいは仮定のこととして詠んでいるのが明白であったらば可能ではないか。

 初句「みちにあいて」から末句の「こふ」までを引用文とすれば、引用文を短歌に仕立てるとすると、例えば

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに けふもありけり」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに あふよしなしに」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに わがこふるきみ」

が浮かびます。

 このような歌に対する返歌とすると、長い引用であることから戯れ歌であり、宴席で場を盛り上げる歌の類として、歌意を意識的に複数にして詠まれている、と思います。

 上記①で指摘したように、恋を成就するための歌、という理解に限る理由はありません。

⑰ 天皇の立場から言えば、召したいのであればこのような歌など贈る必要はなく、直截に本人ではなく周囲の者に意思表示すれば足ります。天皇に召されるのを嫌っている女王(とその家族)が居るとは思えませんから。

 そして、題詞にいう「天皇」は、特定の一人の天皇に限定しなくともよい歌です。

 2-1-627歌は、土屋氏の指摘(上記②参照)にならうならば、正反対の意ともなり得る歌を楽しむ場面は、善い御代を象徴する歌のひとつといえるでしょう。 その天皇の御代を聖武天皇の御代としてここに配列しているのではないか。

 酒人女王は幼い児であってもよいし高齢の女性でもよい、という歌の理解となれば、酒人女王の実体の詮索はあまり歌の理解に関わらないことになります。上記③で指摘した一抹の不安は消えます。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、天皇への歌と題詞にある5題の確認をします。

(2023/1/23  上村 朋)

付記1.万葉集巻四の題詞にある作者等と歌を贈る相手の一覧その1

 表H1 『萬葉集』巻四 筆頭歌(2-1-487歌)~2-1-527歌(2023/1/23現在)

歌番号等

題詞での作者(披露者)→題詞での贈る相手

作詠時点(披露時点)と備考

2-1-487

難波天皇妹→難波天皇

難波天皇とは仁徳天皇とも孝徳天皇とも

2-1-488~ 2-1-490

岡本天皇→明記無し(吾恋流 君)

岡本天皇とは舒明天皇とも皇極天皇斉明天皇重祚)とも

2-1-491

額田王→近江天皇

近江天皇とは天智天皇

「思秋」に通じる感興ならば天智天皇没後の歌という理解も可能

2-1-492

鏡王女→明記無し

鏡王女の立ち位置からは相手は天智天皇か。2-1-491歌とペアで配列していれば天智天皇没後の歌という理解も可能

2-1-493~ 2-1-494

吹芡刀自(活躍の御代不明)→明記無し

2-1-493歌の四句の「妹」が女性を指すなら作者は男 2-1-494歌の四句の「背」とペアであれば、一組の恋の歌

2-1-495~ 2-1-498

明記無し(活躍の御代不明)→明記無し

ここまで天武天皇の御代以前

2-1-499~ 2-1-502

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

人麿歌は持統天皇の御代か

2-1-503

碁檀越の妻→夫の碁檀越

題詞にある伊勢行幸は、持統天皇の御代に多い

2-1-504~ 2-1-506

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

 

2-1-507

柿本朝臣人麿妻→明記無し

妻から夫(人麿)への歌

2-1-508~ 2-1-509

安倍女郎(2-1-272歌作者)→明記無し

安倍女郎の活躍の御代不明

2-1-510

駿河采女→明記無し

駿河采女の活躍の御代不明

2-1-511

三方沙弥→明記無し

三方沙弥の活躍の御代不明

2-1-512~ 2-1-513

多比真人笠麿(2-1-288歌作者) →明記無し

作中の「妹」は作者の妻か

多比真人笠麿の活躍は持統天皇の御代か(2-1-288歌の前後の配列による)

2-1-514

当麻麻呂大夫の妻(2-1-43歌作者)→夫の当麻麻呂大夫

重複している2-1-43歌より当麻麻呂大夫の活躍の御代は持統天皇

ここまで持統・文武の御代

2-1-515

草嬢→明記無し

草嬢は普通名詞か。その活躍の御代不明 元資料は労働歌か 天皇の御代は不定

2-1-516

志貴皇子→明記無し

 

志貴皇子の没年は『続日本紀』では元正天皇の御代の霊亀2年(716年)8月11日薨去。『萬葉集』にある霊亀元年9月に作る挽歌(2-1-250歌)では霊亀元年(715)薨去。715は元明即位の年。

ここから元明・元正の御代

2-1-517

阿倍女郎→明記無し

2-1-517~2-1-519歌は一組の歌群。相手は中臣朝臣東人

2-1-518

中臣朝臣東人→阿倍女郎

中臣朝臣東人は中臣宅守(活躍は聖武天皇孝謙天皇の御代)の父。

2-1-519

阿倍女郎→明記無し

相手は中臣朝臣東人

2-1-520

大納言兼大将軍大伴卿→明記無し

大納言兼大将軍大伴卿は『続日本紀和銅7年(714)5月1日条に「大納言兼大将軍正三位安麻呂薨」とある。 慶雲2年(705)大納言。

2-1-521

石川郎女→明記無し 

2-1-520歌と2-1-521歌は一対の歌で一つの歌群を作るか

2-1-522

大伴女郎→明記無し 

2-1-522歌と2-1-523歌は一対の歌で一つの歌群を作る

大伴女郎は大伴郎女の一時代前の人物か

2-1-523

後人→明記無し 

後人とは、後代の人の意

2-1-524

常陸娘子→藤原宇合大夫

出立にあたっての挨拶歌

藤原宇合が大夫(律令制で中国(安房国能登国など)の国司等五位以上の官人などの称)と呼ばれていた時の歌

藤原宇合は、神亀2年(725年) 閏正月22日従三位勲二等となっている。 神亀3年(726年) 10月26日知造難波宮事 天平9年8月5日没

ここまで元明・元正の御代

2-1-525~ 2-1-527

京職藤原大夫→大伴郎女

京職藤原大夫は『続日本紀神亀3年(726)正月2日条では京職大夫(聖武天皇の御代)

ここから聖武の御代

 

(付記終わり。2023/1/23   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 萬葉巻四 御製・賜・思 配列その1

 前回(2023/1/9)に引き続き『萬葉集』巻四を検討します。(2023/1/23  上村 朋)

1.~2.承前

 2023/1/9付けブログで『萬葉集』巻四の題詞に対する割注を検討し、それは古注の一種ということになりました。『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討をしています。

3.巻四の配列予想

① 今回から巻四全体の配列を検討します。その配列は、『萬葉集』の三大部立てが巻三と巻四で揃うので、巻三にならい、次のように予想します(作業仮説です)。

 第一 編纂者は、聖武天皇の御代の途中までに詠作あるいは披露された歌により巻四を構成しており、聖武天皇の御代を今上天皇の御代として題詞を作文している。

 第二 歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。

 第三 未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。

 第四 配列は、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしているのではないか。

 第五 配列は、最終編纂時点において定まった。

 

② この予想は、倭習漢文である題詞のみの検討、題詞と歌本文による検討及び配列の検討で確かめられる、と思います。

 上記の仮説第一は、『萬葉集』巻四にある歌は聖武天皇の御代の途中までが作詠時点(披露時点)という諸氏の指摘もあり、また、前回ブログ(2013/1/9付け)で指摘したところです。

 上記の仮説第二は、相聞の部立ての巻四において、各題詞に明記してある作者(あるいは披露者)とその歌を贈った相手の名を主要な手がかりとして、作者の活躍した天皇の御代(歌を披露した御代)の推測が可能なので、確認ができます。それを行った一部を、付記1.に示します。

 歌群に属する歌の歌番号は連続しており、2023/1/23現在では次の表のように巻四にある歌は歌群を単位として歴代順に配列されています。その歌群内の配列は、履歴が現在のところ不明な人物も多々あり、詳しい作詠時点(披露時点)が推計しにくく、いまのところは順不同と推測するほかありません。

 巻四の歌は、結局、天皇の歴代順に4グループの歌群として配列されていることになりました。

 上記の仮説第三にかかわることですが、最後のグループは、さらに二つに分けられそうですが、その境目の歌が、今のところ一案に絞りきれていません。

表 天皇の御代による『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/1/23 現在)

グループ

天皇の御代

グループの筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4A

聖武天皇以降

2-1-525:京職藤原大夫歌

聖武天皇:在位724~749

4B

聖武天皇以降

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

光仁天皇:770~781

4C

聖武天皇以降

2-1-728:未詳の人物の歌の「献天皇歌」

 

4D

聖武天皇以降

寧楽宮?

2-1-789:大伴家持

 

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)グループ4A~グループ4Dは、検討途中のグループである。「寧楽宮」の御代を詠う筆頭歌の候補が複数あるからである(2023/1/23現在)。

 

 

③ 天皇の歴代順は、当然ながら天皇に関する歌だけで確認できます。

巻四の相聞の歌は、3分でき、御製(或いは「天皇贈」、「天皇思」」と題詞に明記のある歌と、天皇を相手としている歌、及びそれ以外の歌(これが大部分です)です。

 御製等と題詞に明記のあるのは、つぎの3題です。『新編国歌大観』より引用します(以下の歌も同じ)。

2-1-488歌~2-1-490 岡本天皇御製一首并短歌  (諸氏は舒明天皇または皇極天皇斉明天皇重祚)とする。また 返歌にあたる奉和歌の記載無し。 この題詞は巻四にある二つ目の題詞)

2-1-533歌 天皇海上女王御歌一首  (返歌にあたる奉和歌が次の2-1-534歌である)

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (事前の奉和歌及び返歌にあたる奉和歌の記載無し)

 

 最初の2-1-488歌の題詞にある岡本天皇とは、藤原京または平安京で即位した天皇ではありません。次の2-1-533歌では単に「天皇」とあるだけですが、海上女王の履歴が『続日本紀』で確認でき、男性の天皇であれば聖武天皇が最有力です。酒人女王は『続日本紀』で確認できず、一抹の不安があります(ブログ2023/1/9付けの「付記2.」参照)が、仮説第一が正しければ、聖武天皇の御代の歌であるので、この3題の巻四における御代の順番は、歴代順であろう、と言えます。

④ 次に、巻四において、天皇を相手としている歌(和歌・献歌の類)の題詞は、つぎのとおり5題あります。

2-1-487歌 難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首 

2-1-534歌 海上女王奉和歌一首 (2-533歌の返歌)

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首 (天皇の贈歌と返歌にあたる天皇歌の記載無し)

2-1-724歌 献天皇歌一首  (作者の明記無し)

2-1-728歌~2-1-729歌 献天皇歌二首  (作者の明記無し)

 

 最初の2-1-487歌の題詞は、巻四の筆頭の題詞です。難波天皇とは、難波の地を根拠地にした天皇の意を指すと思われ、諸氏は仁徳天皇孝徳天皇をあげています。そうすると、上記③に2-1-488歌の岡本天皇の御代以前の天皇であり、巻四での歌の配列は歴代順と言えます。

 2-1-534歌と2-1-629歌は、相手の女王の名より聖武天皇が最有力です。海上女王と八代女王についてはブログ2013/1/9付けの「付記2.」参照)。

 このため、2-1-487歌から2-1-629歌の題詞に関しては、その歌番号において上記仮説第二が成立しています。勿論その題詞のもとにある歌本文も同様です。

 その次の2-1-724歌と2-1-728歌の題詞では、単に「天皇」という表記されています。それらの歌とペアとなる官人の歌や天皇の御製歌と表記する題詞がなく、2-1-629歌の題詞までの結論を否定する材料がありません。

 そして、2-1-629歌の題詞が聖武天皇の御代ということを示しているならば、その後の歌番号の題詞で単に「天皇」という表記が聖武天皇を指すと理解しても矛盾はありませんので、上記仮説第二が成立します。

 唯、題詞の作文パターンが献天皇歌とある3題のなかで献じる人物名があるのは2-1-629歌の1首だけであり、題詞の作文パターンの違いがちょっと気になります。(ブログ2023/1/9付け「2.⑦」参照)。

 このように、天皇に関する歌だけをみると、歴代天皇の順に配列されています。

⑤ では、その他の、天皇が題詞に登場しない相聞歌ではどうか。

 巻四の大部分がこの部類なのですが、作者など人物名が2-1-674歌を除き題詞には明記されています。その人物の生没・官歴が『続日本紀』などで判明すれば、それに従い作詠時点(披露時点)の御代を推計できます(付記1.参照)。

 その作業の結果を単純に歌番号の順でグルーピングでき、大別4つの歌群(グループ)となりました、その各歌群に天皇に関する歌も入りました。

 このため、上記仮説第二が成立していました。それを表にしたのが上記の表です。

 不安などと指摘した点は後程確認します。

 

4.天皇が関わる歌の疑問 その1

① 不安などと指摘した天皇歌の検討をします。最初に、2-1-627歌です。酒人女王の活躍した御代の再確認です。

 2-1-627歌の題詞の割注を信頼すれば、和銅8年(715)に母に先立って薨去した穂積皇子(享年は40歳代前半か)の孫であるので、聖武天皇の御代(在位724~)に活躍した人物とも推測できます。

 歌本文の内容は、一見「妹」に親愛の情をもって呼び掛けており、この元資料が聖武天皇自身の御製であっても代作であっても、あるいは伝承歌を利用して披露した歌であっても、巻四の部立て「相聞」にふさわしい歌です。

 しかし、恋を成就するための歌としては、酒人女王の存在感が薄く、気がかりです。

 歌の内容は男女間に芽生える思いであり、題詞に登場する人物でなくともありそうな事柄です。そのため、題詞の意味するところが明確になるのではと、題詞を無視した歌本文のみの検討と、題詞のもとの歌としての歌本文を検討して比較したいと思います。

② 歌を、『新編国歌大観』より引用します。

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (割注は割愛)

   道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 恋云吾妹

   みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに こふといふわぎも

 現代語訳の例を示します。

 土屋文明氏は、末句を『新編国歌大観』と異なり、七音の「こふとふがぎも」と訓んでいます。

「道に行きあうてゑまれたので、降る雪の消えれば消えもするやうに恋しく思ふといふので私はあるよ。吾妹よ。」

 氏は、末句にある「とふ」について、「人がさう言ふ意であるが表現を間接にし、やはらげる丈の場合が多い。(萬葉)集中の例でも「とふ」を省いても意味が足らなくなるほどのことはないのがある。・・・ 「といふわけだ。といふものだ」位に心得てよいやうに思ふ」と指摘しています。

 そして、「題詞の「思」は言ふまでもなく恋ひ思ふ意であるから、題詞の撰者は天皇が女王をめされた間と見て、「思」字を置いたのであらう」と指摘し、聖武天皇は「萬葉集中では最も儀制などの整った、面倒な時代の天皇であらせられるに「道にあひてゑまししからに」の御製があるのであるから、萬葉集が善い時代に成ったといふことは疑ふ余地がない」とも指摘しています(『萬葉集私注二』(筑摩書房))。

 ちなみに、氏は、この題詞の割注を「古注」と呼び、酒人女王については、『本朝皇胤紹運録』(応永33年(1426)成立)に桓武天皇同母妹に酒人内親王をあげているが光仁天皇の御代の伊勢斎宮であり別人である、とも指摘しています。

 次に、伊藤博氏の現代語訳は、末句本文を「恋云君妹」、訓は『新編国歌大観』と同じとして、

「「道にお逢いしてほほえまれたばっかりに、まるで降る雪の消えるように、消え入るなら消えてしまとばかりにお慕いしています」と、そう言ってくれるそなたよ。」(『新版万葉集 現代語訳付き』(講談社学芸出版))

 なお、題詞にある「思」字への脚注をしていませんが、題詞を訓み下し。「おもふ」としています。

 土屋氏は、作中人物を天皇としてご自身が恋しいと直截に詠っているという理解であるのに対して、伊藤氏は、酒人女王が恋しいというのを作中人物が聞いた、という理解です。多くの方が伊藤氏のタイプの現代語訳を示しています。

③ さて、歌本文は、題詞の有無にかかわらず、次のような文からなる、と理解できます。

文中にある動詞が誰の行為であるか(主語)が明記されていない文が続きます。そのため、両氏のほか色々な理解が可能となっています。

 

 文A:みちにあひて ゑまししからに   (ある事実を記す。動詞「あふ」と動詞「ゑむ」のそれぞれの主語が省略されている。接続助詞「からに」で次の文に続けている。一連の行為として一文とみなす。)

 文B:ふるゆきの けなばけぬがに  (文Cを知ると、その事実から生じた気持ちを例えている、と理解できる文である。接続助詞「がに」で次の文を修飾する。)

 文C:こふ   (動詞「こふ」のみからなる文。主語が省略されている。)

 文D:といふ  (格助詞「と」で文Cまでの内容を引用の形で受けている。動詞「いふ」の主語が省略されている。)

 文E:わぎも  (文Dの「いふ」の主語の場合文Dと文Eは一つの文である。あるいは、文Dから独立した文で相手への呼び掛けの文。)

 

④ 『萬葉集』巻四の歌としては、配列と題詞のもとの歌として妥当な現代語訳を得なければなりません。これはその前段階の検討です。

 文Aには、動詞に対する主語が表記されていません。文Aにある「みちにあふ」とは、相聞の歌であるので、ある一組の男女が、人の往来する場所(街路か庭園か建物内など)で出会ったという意でしょう

 文Aのみでは、「ゑむ」行為をした人物を、天皇とも酒人女王ともあるいは両者とも決めかねます。

 注釈した「ある事実」とは、その男女のどちらかが、「ゑむ」行為の当事者、あるいは男女二人が「ゑむ」(つまり会釈する)行為の当事者である、ということを指します。

 また、恋の発端としては、相手が「ゑむ」という行為をしてくれた、と勝手に理解したとしても有り得ることであり、その場合も「ある事実」に該当します。どちらの「ある事実」なのかは、文Aだけでは決めかねます。

 さらに言えば、天皇が作者であれば。「みちにあふ」と表現しているのは、日々の天皇の行動原則を考えると余程突発的な事と理解している、という感覚で詠われている、という解釈も可能です。

 そして、題詞そのものには、「ある事実」を上記の一つに限定している表現となっていません。

⑤ 文Bは、文Aの行為の場面に生じていることではありません。文Aに表記してある行為の主体(主語)となる人物とは一見無関係です。文Cを知って、このように表記した意図が理解できる文です。

 文Cは、文Aに表記してある「ある事実」から生じたのが、文Bに譬えられるような「恋」である、ということを表しています。

 しかし、「誰による誰への恋」かは、主語が省略されていて不明な文です。

 文A~文Cは、結局、「ある事実」から「誰か」が恋をした、ということを表現しているだけです。人物の特定は当然わかる、というスタンスの文です。

 また、文A~文Cだけで独立した文章(例えば、この歌への引用文)という理解も可能です。

⑥ 文Dは、主語が省かれているので、「文A~文Cを誰かが言った」とも「文A~文Cを作者が言った」ともとれる文です。

 だから、土屋氏が訳したように「人がさう言う」意に取ることもできます。

 文Eは、文Dの主語であるとすると、文D+文Eは、一文であり倒置法の文となります。「わぎも」が言っている、という理解となります。しかし、これにより、文Aにある動詞の主語まで限定できません。「こふ」という状況にある人物が「わぎも」と作者が呼んでいる人物(多分酒人女王)か、あるいは作者である天皇かは、不定です。

 倒置法の文でなければ、文Eは、動詞「いふ」が終止形で一旦終わり、「わぎも」と相手に呼び掛けているか、あるいは、動詞「いふ」が連体形で「わぎも」を修飾していることになります。

⑦ 短歌は、五七五七七という五句からなる詩です。この歌は、初句は六音で、最後の語「て」(接続助詞)を重視しているかにみえます。末句は文C+文D+文Eからなり、七音ではなく八音です。

 八音としているので、末句を七音に、例えば、「こふといふかも」とか、「こふ「わぎもこ」よ」と言い換えたら、作者が言いたいことが伝わらない意を述べているのであろう、とも考えられます。

 さらに、文Aで主語が不定のままであることを考慮すると、文Cの主語である人物が誰であるかをこの歌を聴いた人物に任せていると言えるので、文Cの主語を土屋氏や伊藤氏のように、特定の人物に固定して理解しなくともよいのではないか。

⑧ 以上は、題詞を無視した検討でした。巻四にある2-1-627歌を、題詞が言わんとしていることを踏まえた検討を、次に行います。

 題詞は、官人が使い慣れている倭習漢文で作文されています。そこに用いられている「思」字に、「既に恋をしている」意があるかどうかが問題です。天皇と酒人女王の関係を、少なくとも一方が「既に恋をしている」という前提は、確認を要します。

⑨ 最初に、巻四にある天皇の御製等の歌とある題詞3題(上記③に記す)を比較して「思」字の意を確認します。訓み下すと、次のようになるでしょう。「天皇」は「すめらみこと」と、「御製」と「御歌」は「みうた」とか「おほみ(うた)」と訓んでいる例もあります。

2-1-488歌~2-1-490 : 岡本天皇の御製(の歌)一首ならびに短歌 

2-1-533歌: 天皇海上女王に賜ふ(ところの)御歌一首

2-1-627歌: 天皇の酒人女王を思(おも)ほす(あるいはしのふ)御製の歌一首

 微妙にニュアンスが異なります。漢文として見ると、「御製」字、「賜」字及び「思」字を、書き分けています。巻四編纂者は、次のように歌を理解して題詞を書き分けている、といえます。

 2-1-488歌は、御製の歌という位置付けの長歌反歌であり、代作の可能性が大きい。だから公に披露されているはずの歌。長歌反歌による相聞歌は巻二にもなく、巻四でも唯一であり、呼びかけている相手の「君」とは、求めている皇位継承者か特定の人物かは不明。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-533歌は、代作かどうかは不明であるものの、歌そのものを、天皇が特定の相手に確かに伝えた歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-627歌は、代作かどうかは不明であるものの、天皇が特定の相手に対して「思ったことを」を詠う歌。その特定の相手にどのように伝えたかは不明のままである歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

⑩ 『新字源』(角川書店)には、つぎのように説明しています。

 御製:天子が作る。また、その詩歌・文章など。

 賜:(動詞) aたまう:目うえの人が目したの者に物をあたえる。bたまわる

 思:(動詞)おもう。aかんがえる。はかる。bねがう、のぞむ。(思身) cしたう。dおもいやる、追想する。(思詠) eあわれむ、かなしむ。(思秋)。 

 「思」字に関する熟語例に「思婦(物思いにふける婦人)」や「思慕(思いしたう、こいしく思う)」などをあげています。

 また、「おもう(おもふ)」と訓む同訓異義の漢字の説明をしています。10種類あります。

 意:あれこれおもいはかる。

 以・為:(説明の引用割愛)

 惟:(同上)

 謂:(同上)

 憶:(同上)

 懐:人や場所などを思いしたう。

 顧:ふりかえって思う。反省する。

 思:くふう。思案する。また思いしたう。思慕。なつかしく思う。

 想:おもいやる。思いうかべる。

 念:心の中にじっと思っていて、思いがはなれない。胸にもつ。

 

 ちなみに「恋」字には、

動詞:こう(こふ)、おもいしたう、愛情をもつ。

名詞:こい

国字として:(形容詞)こいしい

と説明しています。

 「思」字の意のなかに、「恋」字の意がない、と否定しきれませんが、倭習がある漢文であっても「思」字の意は「恋」字より広い、と思います。

⑪ 2-1-627歌の題詞の「思」字の意を、「かんがえる、はかる」で用いていれば、漢文「(天皇)思酒人女王(御製歌)」の訓「酒人女王を思ふ」は、「天皇自身と酒人女王との現在の関係について考える」ことであり、それは「酒人女王を召すかどうか考える」あるいは「酒人女王を遠ざけるかどうか考える」の意のどちらかと理解できます。

 「したう」意で用いるのは、天皇の御製に相応しくない、と思います。

 また、「思」字の意を「ねがう、のぞむ」で用いていれば、「酒人女王を召すかどうか考える」ではないか。

「思」字の意を「おもいやる、追想する」で用いていれば、作者(天皇)は、「距離を置いて酒人女王のことに思いを巡らしている」意も可能となります。

 天皇歌に「贈」と明記されている題詞があるので、少なくとも「贈」ったかどうかは判然としていないのは確かな歌(あるいは判然とさせていない歌)として、この2-1-627歌を理解するのが良い、と思います。

⑫ 「思」字を用いている巻四の題詞(倭習漢文)は、3題あります。

 2-1-491歌 額田王思近江天皇作歌一首

 2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首

 2-1-768歌 在久尓京思留寧楽宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首

 最初の2-1-491歌の歌本文は、秋の風を詠んでおり、爽快な風ではなく、去りゆく風を詠んでいる(近江天皇が離れゆくことを暗喩)と理解が可能です。熟語「思秋」の意に通じる歌いぶりと理解できます。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」であり、作者はわが身を「あわれむ、かなしむ」という気持ちではないか。なお、伊藤氏は、題詞にある「思」字を「しのふ」と訓み、「次歌(2-1-492歌)と共に奈良朝人の仮託か」と指摘しているので、天智天皇を「なつかしくおもう」という歌ということになります。次歌の作者に示した点が相聞の範疇と捉えたのでしょうか。

 三つ目の2-1-768歌の歌本文は、(家持と坂上大嬢以外の第三者が詠っている)この歌に和する歌(2-1-769歌)を参考にすれば、長い期間逢えないでいる時の心境を詠っていると理解できます。当事者でない第三者がこの歌を知った経緯もわかりません。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」か「(坂上大嬢を)あわれむ、かなしむ」意であろう、と思います。「思」を重視し、「贈」と2-1-768歌の題詞は明記していません。

⑬ このため、巻四編纂者が用いる「思」字の意は共通であり、二つ目の2-1-627歌は上記⑩の候補のうち「考える、はかる」ではないか。そのため、題詞は、作者である天皇の立場は二通りあることを示唆していることになります。元資料の歌の意がもともとそうであったのではないか、と思えます。

 なお、巻四において、万葉仮名表記の歌本文における訓「おもふ」の仮名は「念」という用字の場合が圧倒的に多い。歌本文での「思」という用字は、万葉仮名として「し」の音を表記している場合が多い。

 巻四のほかに、巻三において、「思」字を用いる題詞は1題あります。

 2-1-374歌 出雲守門部王思京歌一首

 この題詞のもとにある歌本文では、「・・・ 吾佐保河乃 所念国」(・・・ わがさほがはの おもほゆらくに)と詠っており、望郷の歌と理解できます。この題詞における「思」字の意は、「かんがえる、はかる」、「おもいやる、追想する」が妥当するのではないか。

⑭ このような題詞のもとにある2-1-627歌の歌本文は、題詞に配慮しなければ、上記③~⑦で検討した文A~文Eとなり、誰が「こふ」という状況に居るのかは、この歌を聴いた(あるいは贈られた)側の判断にゆだねられています。

相聞歌は、歌の前提条件について歌を贈る側と受け取る側で暗黙の共通の認識をしている場合が多く、これはよくあるパターンです。

 題詞にある「思」字の理解は幾つかあるものの、上記②に引用した土屋氏の現代語訳は、題詞にある「思」字の意を「恋い思う」と氏は決めてかかり酒人女王を召す前提とした現代語訳となっています。

 一方伊藤氏のそれは、題詞に「思」を「おもふ」と訓んでおり、歌本文の現代語訳は、召す前提とも、相手を突き放したかにもとれます。

 天皇が召すつもりであるならば、それ以外の理解が生じるのは誤解・混乱を招きますので、避けたいところでしょうから、どちらにも理解できるということは、召す前提の歌ではない、と氏は整理しているのでしょうか。

 このように、題詞と歌本文のみから、単純には一つの理解に収まらない歌となっています。

⑮ このような理解が可能な2-1-627歌の歌本文を、巻四に配列したのは編纂者です。巻四編纂者の手元に蒐集された元資料の段階で、既にそのような歌であったのでしょうか。歌本文に手を加えることを編纂者はしていないと思います。

 かんがえられるのは、その元資料の理解が既に「ひとつ」であったということです。

 それが題詞の「思」字を用いている理由ではないか。つまり、いくつかの理解が可能な歌としてここに配列された、と推測します。

 酒人女王は、(実在した人物であったとしても)天皇の子を産んでいません。天皇聖武天皇でなくとも、産んだ子は皇子あるいは皇女として処遇され、『続日本紀』にも記録されたでしょうが、それが見当たりません。

 また、酒人女王がこの歌を贈られたら、それに応えた歌を詠んでいると予想できるのですが、『萬葉集』にはありません。2-1-533歌には贈られた海上女王の返歌が2-1-534歌としてあるのに対して、この2-1-627歌は返歌を期待していない歌であれば、召す前提の歌、という理解をしないほうが良いと思います。

⑯ この歌の理解は、巻四の配列にもヒントがあるはずです。

 天皇の関係する歌が、官人の歌の間にあるのは、何故でしょう。これに和する歌もありません。

 前後の題詞5題は、次のようなものです。

2-1-621歌 大神女郎贈大伴宿祢家持歌一首

2-1-622歌~2-1-623歌 大伴坂上郎女怨恨歌一首併短歌

2-1-624歌 西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首

2-1-625歌 佐伯宿祢東人和歌一首

2-1-626歌 池辺王宴誦歌一首

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (今検討している題詞)

2-1-628歌 高安王裹鮒贈娘子歌一首

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首

2-1-630歌 娘子報贈佐伯宿祢赤麿歌一首

2-1-631歌 佐伯宿祢赤麿和歌一首

2-1-632歌 大伴四綱宴席歌一首

 この配列をみると、2-1-624歌以下2-1-632歌までは、宴席での歌ではないかと思えます(2-1-633歌以下2-1-645歌までも宴席の歌が続きます)。

 そうすると、2-1-627歌は、天皇の立場を代弁したかに位置付けられる歌となりますが、そのようなことが可能でしょうか。宴席でそのような歌を官人が披露できるとは思えません。

 天皇が披露するとすれば、架空あるいは仮定のこととして詠んでいるのが明白であったらば可能ではないか。

 初句「みちにあいて」から末句の「こふ」までを引用文とすれば、引用文を短歌に仕立てるとすると、例えば

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに けふもありけり」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに あふよしなしに」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに わがこふるきみ」

が浮かびます。

 このような歌に対する返歌とすると、長い引用であることから戯れ歌であり、宴席で場を盛り上げる歌の類として、歌意を意識的に複数にして詠まれている、と思います。

 上記①で指摘したように、恋を成就するための歌、という理解に限る理由はありません。

⑰ 天皇の立場から言えば、召したいのであればこのような歌など贈る必要はなく、直截に本人ではなく周囲の者に意思表示すれば足ります。天皇に召されるのを嫌っている女王(とその家族)が居るとは思えませんから。

 そして、題詞にいう「天皇」は、特定の一人の天皇に限定しなくともよい歌です。

 2-1-627歌は、土屋氏の指摘(上記②参照)にならうならば、正反対の意ともなり得る歌を楽しむ場面は、善い御代を象徴する歌のひとつといえるでしょう。 その天皇の御代を聖武天皇の御代としてここに配列しているのではないか。

 酒人女王は幼い児であってもよいし高齢の女性でもよい、という歌の理解となれば、酒人女王の実体の詮索はあまり歌の理解に関わらないことになります。上記③で指摘した一抹の不安は消えます。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、天皇への歌と題詞にある5題の確認をします。

(2023/1/23  上村 朋)

付記1.万葉集巻四の題詞にある作者等と歌を贈る相手の一覧その1

 表H1 『萬葉集』巻四 筆頭歌(2-1-487歌)~2-1-527歌(2023/1/23現在)

歌番号等

題詞での作者(披露者)→題詞での贈る相手

作詠時点(披露時点)と備考

2-1-487

難波天皇妹→難波天皇

難波天皇とは仁徳天皇とも孝徳天皇とも

2-1-488~ 2-1-490

岡本天皇→明記無し(吾恋流 君)

岡本天皇とは舒明天皇とも皇極天皇斉明天皇重祚)とも

2-1-491

額田王→近江天皇

近江天皇とは天智天皇

「思秋」に通じる感興ならば天智天皇没後の歌という理解も可能

2-1-492

鏡王女→明記無し

鏡王女の立ち位置からは相手は天智天皇か。2-1-491歌とペアで配列していれば天智天皇没後の歌という理解も可能

2-1-493~ 2-1-494

吹芡刀自(活躍の御代不明)→明記無し

2-1-493歌の四句の「妹」が女性を指すなら作者は男 2-1-494歌の四句の「背」とペアであれば、一組の恋の歌

2-1-495~ 2-1-498

明記無し(活躍の御代不明)→明記無し

ここまで天武天皇の御代以前

2-1-499~ 2-1-502

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

人麿歌は持統天皇の御代か

2-1-503

碁檀越の妻→夫の碁檀越

題詞にある伊勢行幸は、持統天皇の御代に多い

2-1-504~ 2-1-506

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

 

2-1-507

柿本朝臣人麿妻→明記無し

妻から夫(人麿)への歌

2-1-508~ 2-1-509

安倍女郎(2-1-272歌作者)→明記無し

安倍女郎の活躍の御代不明

2-1-510

駿河采女→明記無し

駿河采女の活躍の御代不明

2-1-511

三方沙弥→明記無し

三方沙弥の活躍の御代不明

2-1-512~ 2-1-513

多比真人笠麿(2-1-288歌作者) →明記無し

作中の「妹」は作者の妻か

多比真人笠麿の活躍は持統天皇の御代か(2-1-288歌の前後の配列による)

2-1-514

当麻麻呂大夫の妻(2-1-43歌作者)→夫の当麻麻呂大夫

重複している2-1-43歌より当麻麻呂大夫の活躍の御代は持統天皇

ここまで持統・文武の御代

2-1-515

草嬢→明記無し

草嬢は普通名詞か。その活躍の御代不明 元資料は労働歌か 天皇の御代は不定

2-1-516

志貴皇子→明記無し

 

志貴皇子の没年は『続日本紀』では元正天皇の御代の霊亀2年(716年)8月11日薨去。『萬葉集』にある霊亀元年9月に作る挽歌(2-1-250歌)では霊亀元年(715)薨去。715は元明即位の年。

ここから元明・元正の御代

2-1-517

阿倍女郎→明記無し

2-1-517~2-1-519歌は一組の歌群。相手は中臣朝臣東人

2-1-518

中臣朝臣東人→阿倍女郎

中臣朝臣東人は中臣宅守(活躍は聖武天皇孝謙天皇の御代)の父。

2-1-519

阿倍女郎→明記無し

相手は中臣朝臣東人

2-1-520

大納言兼大将軍大伴卿→明記無し

大納言兼大将軍大伴卿は『続日本紀和銅7年(714)5月1日条に「大納言兼大将軍正三位安麻呂薨」とある。 慶雲2年(705)大納言。

2-1-521

石川郎女→明記無し 

2-1-520歌と2-1-521歌は一対の歌で一つの歌群を作るか

2-1-522

大伴女郎→明記無し 

2-1-522歌と2-1-523歌は一対の歌で一つの歌群を作る

大伴女郎は大伴郎女の一時代前の人物か

2-1-523

後人→明記無し 

後人とは、後代の人の意

2-1-524

常陸娘子→藤原宇合大夫

出立にあたっての挨拶歌

藤原宇合が大夫(律令制で中国(安房国能登国など)の国司等五位以上の官人などの称)と呼ばれていた時の歌

藤原宇合は、神亀2年(725年) 閏正月22日従三位勲二等となっている。 神亀3年(726年) 10月26日知造難波宮事 天平9年8月5日没

ここまで元明・元正の御代

2-1-525~ 2-1-527

京職藤原大夫→大伴郎女

京職藤原大夫は『続日本紀神亀3年(726)正月2日条では京職大夫(聖武天皇の御代)

ここから聖武の御代

 

(付記終わり。2023/1/23   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 萬葉集巻四題詞の割注も古注の一種

 あけましておめでとうございます。 

 皆様のご健勝を祈念します。そして、楽しく振り返えられる年となりますように。

 今年度の国の予算(案)が年末に閣議決定されました。国会で十分民意を汲んだ審議がされることを願います。

 『萬葉集』巻四の検討が中途半端だったので、それからブログを再開したいと思います。割注と配列の検討です。(2023/1/9  上村 朋)

1.萬葉集巻四の題詞に対する割注の性格

① 『萬葉集』巻一~巻三の題詞に対する注(割注)について以前検討し、それはその巻の編纂が終わって後に作文されたもの、いうなれば「古注」の一つである、と指摘しました(ブログ「わかたんかこれ・・・」(2022/3/14付け)の「20.」参照)。

 巻三までの編纂者は、割注というスタイルによって、その巻の配列とその歌の理解に必須の情報を記述していませんでした。

 『萬葉集』巻四は巻三と一組となって編纂されている、と諸氏が指摘しており、巻四の割注の性格は第三までのそれと同じである、と予想しています。

② 歌は、『新編国歌大観』の『萬葉集』(原本は西本願寺本)より引用します。

巻四の表記方法は、巻三までと同様に、歌本文にいわゆる万葉仮名を採用し、それ以外(部立ての名と題詞(割注を除く)に倭習漢文を採用しています。題詞の割注も倭習漢文と思われます。

③ 巻四において、割注を重視した歌本文の理解が割注を無視した歌本文の理解と異ならないならば、編纂者はその編纂手段に割注という作文形式を用いていない、と言えると思います。

 

2.巻四の題詞の割注の分類

① 巻四における題詞の割注は、26題にあります。その箇所を『新編国歌大観』の歌番号等で示すものとして、26題の割注を作文タイプ別にまとめると、次のとおり。

通覧すると、ほとんどが題詞に表記された人物(作者や歌を贈る相手など)に関する注記です。

 

第一 題詞に表記されている人物の具体的な名(通称・字・姓・諱等)のみを記すタイプ:4題:

2-1-525歌~2-1-531歌 題詞に表記されている「人物」は「京職藤原大夫」:(割注の文章は)卿諱曰麿也

2-1-533歌 「人物」は「天皇」 : 寧樂宮即位天皇

2-1-765歌~2-1-766歌 「人物」は「紀女郎」: 女郎名曰小鹿也

2-1-785歌 「人物」は「紀女郎」:  女郎名曰小鹿也

 

第二 題詞に表記されている「人物」の氏族内・親子あるいは夫婦の関係を記すタイプ:16題:

2-1-521歌  「人物」は「石川郎女」 : 即佐保大伴大家也 

2-1-522歌  「人物」は「大伴女郎」 : 今城王之母也今城王後賜大原真人氏也

2-1-534歌  「人物」は「海上女王」 : 志貴皇子之女也

2-1-535 歌~2-1-536歌 「人物」は「大伴宿奈麻呂宿祢」: 佐保大納言卿之第三子也

2-1-546歌~2-1-548歌 「人物」の記載なし: 笠朝臣金村 (付記1.参照)

2-1-549歌~2-1-551歌 「人物」の記載なし: 笠朝臣金村 (付記1.参照)

2-1-559歌  「人物」は「賀茂女王」 : 故左大臣長屋王之女也

2-1-582歌~2-1-583歌  「人物」は「余明軍」 : 明軍者大納言卿之資人也

2-1-589歌  「人物」は「田村大嬢」 : 大伴宿奈麿卿之女也

2-1-627歌  「人物」は「酒人女王」 : 女王者穂積皇子之孫女也

2-1-628歌  「人物」は「高安王」 : 高安王者後賜姓大原真人氏

2-1-634歌~2-1-635歌  「人物」は「湯原王」 : 志貴皇子之子也

2-1-646歌~2-1-648歌   「人物」は「紀郎女」 : 鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也

2-1-672 歌 「人物」は「春日王」 : 志貴皇子之子母曰多紀皇女也

2-1-697歌~2-1-698歌  「人物」は「広河女王」 : 穂積皇子之孫女上道王之女也

2-1-699歌  「人物」は「石川朝臣広成」 :  後賜姓高円朝臣氏也

 

第三 作詠の経緯に触れるタイプ:3題:

2-1-724歌 「人物」は「天皇」のみ : 大伴坂上郎女在佐保宅作也 

(題詞は「献天皇歌一首」)

2-1-728歌~2-1-729歌 「人物」は「天皇」のみ : 大伴坂上郎女在春日里作也 

(題詞は「献天皇歌二首」)

2-1-730歌~2-1-731歌 「人物」は「大伴宿祢家持」 : 離絶数年復会相聞徃来

   (題詞は「大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首」)

 

第四 「未詳」あるいは「名欠」と記すタイプ:3題:

2-1-674歌 「人物」は「表記無し」 : 不審作者

2-1-696歌 「人物」は「大伴宿祢千室」 : 未詳

2-1-712 歌 「人物」は「豊前国娘子大宅女」 : 未審姓氏

② 作文タイプ別に検討します。

 作文タイプ第一や第二は、題詞に登場する人物(作者や歌を贈る相手など)の詳細に興味を示し、その人物の当時の別呼称や所属する氏族とか親子関係などを記述しています。

 作文タイプ第三のうち、「献天皇歌〇首」という題詞に関しては結局作者を詮索した、ということになります。天皇が歌を献じられた理由に言及していないので、歌本文の理解を深める直接の情報ではありません。

 また、作文タイプ第三に分類した2-1-730歌~2-1-731歌の題詞に対する割注は、作者大伴家持と歌を贈った相手大伴坂上大嬢の関係を記述しています。この用例も題詞に登場する「人物」同士のそのときの関係への興味であり、作者のこのときの立場を詮索したものということができます。

 作文タイプ第四は、「不審作者」等と作者を特定することが出来なかったことを記し、割注の記したのは、作者への興味によるものであることを端的に示しています。

 『萬葉集』の編纂の最終段階で、必要な事柄であれば題詞そのものを加除訂正すればよいことですから、編纂者自らが割注を作文するとは思えません。

 どの作文タイプでも、歌本文の理解のために題詞で不足している必須の情報ではありません(編纂者が記す必要がありません)。割注の性格は巻三までと同様である、といえます。

③ 割注を施された「人物」は、巻四においてその名が初出の題詞において割注が施されています。

 例外は、高安王です。また笠朝臣金村(付記1,参照)も例外です。

 同一と思われる「人物」が重ねて割注をほどこされているのも例外でしょう。

④ 高安王の名は、2-1-580歌と2-1-628歌の題詞にあります。その後者に割注があります。

 2-1-580歌の題詞では、「摂津大夫高安王」と表記されています。『続日本紀』において高安王の「摂津大夫」の官歴が確認できません。「摂津大夫」とは、摂津職(せっつしき)という官僚組織のトップの官人の称である「大夫」に任命されている(時の高安王)、の意であり、養老令によれば、正五位上相当の官位です。 『続日本紀』によれば高安王は聖武天皇即位の月の神亀元年(724)2月22日に正五位上となっています。

 2-1-628歌の題詞では、単に「高安王」と表記されています。

 巻四の割注の原則が「人物」名の初見のとき割注する、ということであれば、割注をした時点では別人であったということになります。

 高安王と呼称される人物が二人いたと割注者は認識していたか、あるいは、割注をほどこされた『萬葉集』を書写の際の誤りか(「摂津大夫〇〇王」を書き誤ったか「摂津大夫」のみの題詞に何らかの理由で「高安王」を書き加えたか)、のどちらかです。

 これは一つの仮定を置いた推測ですので、ここでは、理由はわからないが巻四の割注の原則の例外と上記③のように整理しておきます。

 また、2-1-580歌の題詞の趣旨が、大伴旅人とその時の摂津大夫との関係の強調であっても、あるいは大伴旅人と高安王との個人的関係の強調であっても、大伴旅人が歌を贈った直接の事情が分からないのは同じです。

⑤ 重ねて割注がある人物について、検討します。

 「紀女郎」(あるいは紀郎女)という人物名は、巻四の題詞の6題にあり、そのうちの3題に割注があります。巻四の配列順に示すと次のとおり。

 怨恨歌と題詞に明記した3首(2-1-646歌~2-1-648歌)からなる歌群の題詞に、「紀郎女」への割注が、あります。

 次に「紀女郎」への割注が、大伴家持との最初の贈答歌群(2-1-765歌~2-1-767)の題詞にあります。大伴家持との最初の贈答歌群に引き続き二つ目の贈答歌群(贈歌がなく報贈歌のみの1首)と、同三つ目の贈答歌群(2-1-778歌~2-1-784歌)があり、これらをの一連の歌群と認めれば最初の歌の題詞にある割注といえます。

 そして、「紀女郎」への割注が、もうひとつ、友に贈る歌(2-1-782歌)と題する題詞にもあります。

 その割注の文章は、上記①に示したように、「紀女郎」への割注は同文ですが、「紀郎女」とは異なります。

 割注は、3つの歌群にある、と理解できます。呼称は「小鹿」と共通ですが、3つの割注に登場するその「小鹿」はそれぞれ別人であるとすると、巻四の割注をする原則と平仄があうことになります。 

 呼称の「小鹿」は皆同一人物を指すと多くの方が指摘していますが、歌本文の内容からは同一人物でないと矛盾するところがある、と確認するのが難しいので、別人という理解を妨げません。割注が同文である「紀女郎」は歌本文で差異が認められるかどうかは検討を要します。

⑥ 割注されているものの、配列上気になる人物がいます。

 単に「天皇」と表記していることへの割注は1題だけです。それは単に「天皇」という表記が巻四の題詞の5題の最初の題にあります。これは巻四の割注をする原則に従っているといえます。

 「天皇」と単にある題詞は、「難波天皇」、「岡本天皇」、及び「近江天皇」の順にその宮の所在地を冠した天皇名のある題詞の後に配列された題詞において用いられています。

 巻四の配列における各天皇の順番を題詞で追うと、宮の所在地を冠したと思われる3人の天皇が(具体の歴史上の天皇がどなたであっても)歴代順の配列です。その後に配列されている単に「天皇」と表記のある題詞をみると、「賜海上女王」、「思酒人女王」、「献八代女王」を相手にした相聞の歌です。海上女王と「矢代王」(八代女王と重なるとみる)の(『続日本紀』の)叙位の記述(付記2.参照)から「天皇」は聖武天皇が有力であり、同一の天皇を略して「天皇」とのみ表記している、とみることができます。少なくとも、編纂者はそのように扱っているかに見えます。

 そして、それらの後に配列されている「献天皇歌〇首」という題詞の「天皇」も、配列から同様に聖武天皇であろうと推測が、できます。

 『萬葉集』の巻四に配列している歌は、題詞に表記されている作詠者(披露した人物)の人物の名を基準にとると、聖武天皇の御代までに作詠された歌となっているとみられ(編纂に用いた元資料もそうであったと思えます)、巻四の編纂者が、聖武天皇今上天皇として扱うことは可能であり、単に「天皇」と表記するのは素直な表記の一つと思えます。

 このため、単に「天皇」と表記のあるいくつかの題詞の最初に割注がある、という理解が可能です。

⑦ しかし、「天皇」と単にある題詞5題の作文を比較すると、最初の3題は、「天皇」と(相聞歌としての)相手の人物とを表記していますが、最後の2題はそういう表記ではありません。

 その題詞から「天皇」を特定する可能性のある情報を含む題詞と、そのような情報がない題詞とがあり、配列上両者は混在していません。題詞は倭習であっても漢文ですので、文意が異なってもおかしくありません。

 具体にその題詞を示すと次のとおり。

2-1-533歌 天皇海上女王御歌一首

2-1-627歌 天皇思酒人女王思御製歌一首

2-1-629 歌 八代女王天皇歌一首 

2-1-724歌 献天皇歌一首

2-1-728歌~2-1-729歌 献天皇歌二首

 少なくとも最後の2題の「天皇」は、(割注は編纂者が作文していないならば)聖武天皇以外の可能性、最終編纂時点までの間の天皇の可能性をも秘めている、といえます。

 以上は、題詞の文章の比較から指摘できたことです。巻四全体の配列の検討の際、留意したいと思います。

⑧ また、「天皇」への割注「寧楽宮即位天皇也」にある「寧楽宮」とは、標目や題詞にある場合の検討をし、巻一~巻三では、編纂者が2意を込めた表記としていると推測しました。

 「寧楽宮」という表記について、2-1-78歌等の題詞においては「平城京平城宮」を意味するとともに、「(将来において)安んじ楽しめる宮」の意も編纂者は含ませているもの」及び「この2題3首での「寧楽宮」の意味するところは、巻一と巻二の標目「寧楽宮」に反映しているのではないか」と、2021/11/8付けブログで指摘しました。標目にある「寧楽宮」が「(将来において)安んじ楽しめる宮」でもあり(ブログ2021/11/8付け参照)、巻三の歌の配列でもそれは意識されていることを指摘しました(ブログ2022/11/7付け「36.⑨」参照)。

 巻一~巻四を一組の歌集と捉えている『萬葉集』の最終編集者は、「寧楽宮」の意は少なくとも巻一から巻四まで共通の意で用いている、と思います。この割注における「寧楽宮」の意にその意がないとなれば、割注者と最終編纂者は別人ということになります。

⑨ 割注者は、聖武天皇について、『続日本紀』が記す「天璽国押開豊桜彦天皇 (割注して勝宝感神聖武天皇)」(あめしるしくにおしはらきとよさくらのすめらみこと (しょうほうかむじんしゃうむわうだい))と異なる天皇名として「「寧楽宮即位天皇」」と表記しています。

 なお、『続日本紀』には、「寧楽京(宮)」という表記はなく、「平城京」を「平城之大宮」と表記した宣命の引用があります。

 「奈良京」と書かれた木簡が発掘されています(平城京右京一条二坊四坪遺跡 奈良文化財研究所 「木簡庫」)が、「寧楽京」と書かれた木簡は未発見です。

⑩ 巻四の割注者は、巻一~巻三を参考にして、「寧楽京(師)」等と表記した平城京の「平城宮」を「寧楽宮」と表記して、「寧楽宮御宇天皇代」を聖武天皇の御代の名称としてイメージしたら、聖武天皇を指して「寧楽宮即位天皇」と呼称することが出来ます。しかし、平城京で即位した天皇元正天皇文武天皇もおりますが、今上天皇の御代であれば聖武天皇おひとりに限定できます。聖武天皇のみに「寧楽宮」を冠するのは割注者独自の見識となります。

 なお、同じ巻四にある2-1-491歌の題詞に記す「近江天皇」という表記は『日本書紀』や『続日本紀』にはありません。 

 巻三の題詞では、近江大津京を指す語句のあるのは1題のみです。2-1-308歌の題詞「高市連黒人近江舊都歌一首」であり、「宮」名を用いていませんし割注もありません。 なお、題詞で「(人物名)+献天皇歌」という表記は、巻一~巻三にはありません。天皇を念頭に「(人物名)+奉和歌」という表記「(人物名)+応詔和歌」は巻二にも巻三にあります。

⑪ 巻四にある歌は、既に作詠されて官人の誰かが記録した歌及び編纂者が承知していた伝承歌が元資料であって、巻四に収載するために新たに作詠された歌がある、と諸氏は指摘していませんし、私もそのようにいまのところ理解しています。

 そして、巻四は部立てが「相聞」ですので、その歌は、歌を贈る人あるいはその歌を朗詠して聞かせたい人の居ることを前提とした歌です。口説きたい相手、妻、恋人、及び物を贈る相手などへの歌とその返歌のほかに、宴席での座興の歌とか、都を離れる際の挨拶歌などが「相聞」にあります。

 作者(あるいは朗詠した人物)と相聞歌の相手は、位階が低い人物は難しくなりますが、題詞に記された官人であれば、調べるのは編纂時点に近くなくとも可能です。

 このため、割注が作文された時代を、巻四編纂者の時代だけに限定するには根拠が薄弱です。

 編纂者の作文でなければ、「寧楽宮」の意は、巻一にある標目の「寧楽宮」の意と同一とみなす必要はないことになります。上記⑦の指摘が生じる所以です。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回から、聖武天皇の御代のほかに寧楽宮の御代があるかどうかを含めて巻四の配列を検討します。

(2023/1/9 上村 朋)

付記1.2-1-546歌~2-1-548歌及び2-1-549歌~2-1-511歌の題詞の後段にある「笠朝臣金村」を、このブログ本文では割注として扱っている。

付記2.『続日本紀』の記述例

① 海上女王は、元正天皇の御代の養老7年正月丙子(10日)条の叙位に名があるのが初見である。

「・・・日下部女王 広背女王・・・海上女王 智努女王 葛野王に並に従四位下

これらの女王は初授で従四位下なので選叙令35によればいずれも親王の女であり、日下部女王や葛野王は『続日本紀』にはここに記されているだけであり、智努女王の系は未詳であるという(『新日本古典文学大系13 続日本紀二』の脚注)。

② 海上女王は、また聖武天皇即位にともなう神亀元年2月甲午(4日)条の叙位の記事にその名がある。

  但し、「海上王」という表記である。「智努女王」は上記①に指摘した養老7年正月丙子(10日)条と同じ。

従四位下海上王 智努女王 藤原朝臣長娥子に並に従三位

③ この『続日本紀』の記事は、海上女王が「志貴皇子の子」という根拠とならない。親王の子、というだけである。にも拘わらず。2-1-533歌の割注者は「志貴皇子の子」としているのは、私が未確認の別の史料に割注者は依っているのであろう。『新日本古典文学大系13 続日本紀二』の脚注は、海上女王が「志貴皇子の子」と説明しているのは2-1-533歌の割注を信頼してのものであろう。

④ 聖武天皇は、神亀元年2月甲午(4日)に即位している。

神亀元年2月甲午 天皇 位を皇太子に禅(ゆず)りたまふ。神亀元年2月甲午 禅を受けて大極殿に即位(くらゐにつ)きたまふ。」

この文において「天皇」とは、元正天皇を指す。禅定の時点の今上天皇である。

⑤ 酒人女王は、『続日本紀』に見当たらない。「酒人内親王」という表記は、光仁天皇の后となった井上内親王天平勝宝6年(754)に高齢出産で生んだ人物として『日本後記』にある。 

⑥ 八代女王は、『続日本紀天平9年(737年)2月14日条に、「矢代王」が「無位から正五位上に叙せられる」とある。また、聖武天皇崩御後の天平宝字2年12月8日条に、「矢代王」が「従四位下矢代女王の位記を毀つ。先帝に幸せられて志を改むるを以ってなり」とある。

⑦ この「矢代王」を『萬葉集』編纂者が「八代女王」と表記したという推測は、聖武天皇が編纂者にとり今上天皇であるので、巻四の配列上、題詞の「天皇」とは今上天皇である聖武天皇である、という仮定によるのであろう。

⑧ 一般に、『続日本紀』での天皇の表記と『萬葉集』での天皇の表記は同じではない。これは皇族の方々にも該当する場合がある。例えば、芝基皇子とか施基親王に対し志貴皇子。矢代王に対し八代女王

  (付記終わり 2023/1/9 上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 再び巻三挽歌 萬葉集巻三配列その25

 前回(2022/11/21)のブログまで萬葉集巻三の検討をしてきました。今回「わかたんかこれ 再び挽歌 萬葉集巻三の配列その25」と題して、記します。(上村 朋)

1.~41.承前

 『萬葉集』巻三の部立て「譬喩歌」の検討からそのあとに配列されている部立て「挽歌」の理解の再検討が必要となりました。なお、歌は『新編国歌大観』によります。

42.『萬葉集』巻三挽歌の再検討

① 巻三の部立て「譬喩歌」の歌は、題詞のもとに歌があるという普通の理解が妥当であり、さらに譬喩歌という部立てにあることから、もう一つの理解がすべての歌にありました(ブログ2022/11/21付け参照)。

 挽歌の部の歌にももう一つの理解が可能な歌(暗喩のある歌)がありましたが、すべての歌でその暗喩を確認していません(ブログ2022/11/14付け参照)。

 『萬葉集』の部立てにおいて、例外的な修辞に関する意の語句を用いた部立てである「譬喩歌」が直前にあるのが部立ての「挽歌」ですので、修辞から別途の意がすべての歌に認められるかを改めて確認します。

 その際、今まで同様に挽歌においては歌と天皇の各種統治行為との関係を重視して検討します。

② 巻三の部立て「挽歌」の定義を確認しておきます。

 『萬葉集』で「挽歌」という部立ては巻二にあうのが最初です。そのなかの歌の一つ2-1-145歌の左注において、挽歌という判定を、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)としています(2019/5/13付けのブログ参照」)。

 巻三の「挽歌」にある歌にもそれは該当しました。つまり、挽歌は伝承歌や他人の歌でもそれを挽歌として披露することができる、ということです(付記1.参照)。

③ 次に、譬喩歌の定義を確認しておきます。

 伊藤博氏は、譬喩歌とは「人間の姿態・行為・感情を事例に譬えて述べる歌」と定義し、各歌での「人間の姿態・行為・感情」を指摘しています。

 私は、前回、「巻三の部立て「譬喩歌」とは、いうなれば暗喩を重視している歌を集めた部立て」、と指摘しました。だから、譬喩歌とは、意識的に特定の別の意を連想するように詠む表現方法をとっている歌ということである、と理解しています。

④ 部立て「挽歌」にある譬喩(暗喩)は、挽歌の対象者に関してであるとすると、挽歌ということに変わりありません。伊藤氏の定義でいえば「人間の姿態」の範疇のことを譬えているのではないか。「人間の行為」や「人間の感情」を譬えるとすれば挽歌でなくなるのではないか。

⑤ 当時、挽歌には、死者が死者の世界に行けないと、死者と生者が一緒にいるという混沌とした世界が続くことになる(死者にかき回される状況が続く)ので、それを解消し、生者の秩序は生者のみでつくり保てるようにするという意識が働いている歌の分類があります(送魂歌)。

 偉大な祖先が神になるならば、それ以外の偉大な人物も神になる資格があり、死後も常々丁重に扱い、この世に執着しない状況にしておいて然るべきです。

⑥ そのため、巻三の最終編纂時点において

 第一 当時の政治的あるいは社会通念上、天皇からみて祟り等をおそれて祭る必要が指摘できる人物であること、

 第二 上記第一に該当する人物が題詞に明記されていないこと

を条件に、皇位継承が天智系となってからの天皇の立場からみて、そのような人物を譬喩(暗喩)しているかについて、部立て「挽歌」にあるすべての歌を確認をします。

 既に指摘した譬喩(暗喩)もあります。

 題詞での挽歌の対象者が、皇族であると題詞に明記されている歌、即ち、上宮聖徳皇子と大津皇子と長田王と膳部王と安積皇子である歌、並びに河内王と石田王である歌には、譬喩を込める必要が薄い、と考えられます。

 また、挽歌の作者(披露した人物)が、皇族と題詞に明記されているのは、膳部王への歌と安積皇子への歌以外の歌です。膳部王への歌には題詞に作者名を明記していない歌もあります。安積皇子への歌は、『萬葉集』の最終編纂者の候補の1人である大伴家持と明記されています。

 皇位継承資格の劣る河内王と石田王への歌は、天智系の皇子と天武系の皇子を代表しているのではないか、と整理しました。

 以上の検討の結果が下記の表です。

表 巻三挽歌にある各歌での譬喩の推測(2022/11/28現在)

歌番号

題詞での作者(披露者)

題詞での挽歌の対象者

譬喩されている挽歌の対象者

418

上宮聖徳皇皇子

上宮聖徳皇子

 無し

 419

大津皇子

大津皇子

 無し

420~422

手持女王

河内王

天武天皇系皇子

423~425

丹生王

石田王

天智天皇系皇子

426~428

山前王

石田王

天智天皇系皇子

 429

柿本人麻呂

香具山屍

草壁皇子(皇太子で死去)

 430

刑部垂麻呂

田口広麻呂

道祖王(廃皇太子)

431

柿本人麻呂

土形娘子

持統天皇

432~433

柿本人麻呂

出雲娘子

持統天皇

434~436

山部赤人

真間娘子

元明天皇

437~440

河辺宮人

姫島松原美人屍

元正天皇

441~443

大宰師大伴卿

故人

文武天皇

444

倉橋部女王

長田王

 無し

 445

明記無し

膳部王

 無し

446~448

判官大伴三中

史生丈部竜麻呂

廃帝淳仁天皇

449~453

大宰師大伴卿

明記無し

基王(皇太子で死去)

454~456

明記無し

明記無し

聖武天皇

457~462

明記無し

大納言大伴卿

志貴皇子

463~464

大伴坂上郎女

尼理願

称徳天皇孝徳天皇

465~466

大伴家持

大伴家持の亡妾

井上内親王

467

弟大伴書持

大伴家持の亡妾(和歌)

井上内親王

468

家持

明記無し

井上内親王

469~472

家持

明記無し

井上内親王

473~477

家持(悲緒未息更作歌)

明記無し

他戸親王(皇太子で死去)

478~483

大伴家持

安積皇子

 無し

484~486

高橋朝臣

高橋朝臣の妻

高野新笠桓武天皇の実母)

 

 

 

 

注1)「歌番号」は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』の歌番号。

 

⑦ 譬喩している人物は、持統天皇以下の歴代天皇とその間の皇太子の立場で死去した人物や廃皇太子などで、推測ができました。

 例外は、部立て「挽歌」の最後の題詞の歌(2-1-484歌~2-1-486歌)における譬喩の候補とした高野新笠です。皇后ではありませんが皇位を継ぐ者(桓武天皇)を生んだ人物です。

 持統天皇は初めて火葬された天皇です。

 2-1-465歌などの譬喩の候補とした井上内親王は、光仁天皇の皇后ですが、呪詛による大逆を図ったと密告され皇后を廃され、その子他戸親王とともに幽閉先で急逝しています。光仁天皇はその祟りを恐れ秋篠寺の建立や改葬を行っています。

 2-1-441歌などの対象が、「故人」と題詞に明記して、作者の大宰師大伴卿の妻と具体的に明記していない理由はこの譬喩にあるのではないか。(なお、各歌の理解は2022/11/21付けブログに記してある。)

⑧ 挽歌は、天皇の代を意識したグループ化をして順に配列され、各グループの筆頭歌は、2-1-418歌、2-1-437歌、2-1-441歌、及び2-1-463歌です(ブログ2022/11/14付け参照)。

譬喩の人物の配列もこのグループ化に従っているかを、みると、2-1-430歌のみが疑問です。ほかの人物を譬喩しているのかもしれません。

 第4グループは聖武天皇の御代に作詠(披露)された歌からなる歌のグループなので、必然的に譬喩という表現が多用されていました。

 このような譬喩が成り立つならば、題詞での挽歌の対象者が、巻二と異なり官人などが多く取り上げられている理由となり得ます。

⑨ このような譬喩での送魂歌であっても本来の挽歌の役割を果たすと、巻三編纂者が考えていなければ、この推測は成り立ちません。

 巻三雑歌の後半にある歌の暗喩が巻三編纂者の意図であるとすれば、編纂者の立場を天皇に訴える手段としてこのような譬喩を用いている、という理解も可能です。この推測は、巻三の最終の編纂時期と編纂者の議論と関係があることになるので、一つの検討結果として、ここに記しておきます。

 なお、今回の検討で、各歌の(譬喩を含まない)理解に、修正はありません(保留はそのままです)。

⑩ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧しただき、ありがとうございます。

 次回は、しばらく休み、猿丸集第24歌の類似歌の検討から再開したい、と思います。

付記1.部立て「挽歌」の定義

① 巻二の部立て「挽歌」にある歌の定義(ブログ2019/5/13付け「8.③」より)

この巻第二の挽歌の部の歌とは、「死者に哀悼の意・偲ぶ・懐かしむ意等を表わすために人々の前で用いられた歌と編纂者が信じた歌」である、というよりも、「死者と生者の当時の理解からは、死者の送魂と招魂に関わる歌と編纂者が認めた歌」である。

挽歌という判定を、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)でしています。

今日でいうと、会葬の席で用いられた歌と、時・処に関係なくその人を偲ぶ歌として詠われた歌(死者を弔いいわゆる成仏してほしいと願うことでもある歌)とをも指すことになる。その人の好きであった歌曲を、歌ったりBGMに用いれば、それは挽歌である、というのが巻第二の編纂者の定義である。今この世で生きている者がその死者に邪魔されないで生きてゆくのに歌を詠みあるいは披露し、その死者の霊を慰めるのは、当然(あるいはそのような慣例が残っていた)であり、だから送魂と招魂の歌として利用された時、その歌は挽歌である。

② 律令では、死に関する儀礼を「喪葬令」に規定している。それは、招魂(喪)と送魂(葬)の儀礼がワンセットであることを意識している規定と理解できる。死者を、円満に死者の世界に送ることをストーリーとしており、死者が死者の世界に行けないと、死者と生者が一緒にいるという混沌とした世界が続くことになる(死者にかき回される状況が続く)ので、それを解消し、生者の秩序は生者のみでつくり保てるようにするという意識である。

偉大な祖先が神になるならば、それ以外の偉大な人物も神になる資格があり、死後も常々丁重に扱い、この世に執着しない状況にしておいて然るべきである。(ブログ2021/10/11付け「5.⑤」より。『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』(遠藤耕太郎 中公新書2020/6)における喪葬の論に従う))。

③ 巻三の部立て「挽歌」にある歌の定義は、巻二の定義を踏襲して検討し、違和感がなかった(ブログ2022/11/14)

(付記終わり 2022/11/28  上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 巻三譬喩歌 萬葉集巻三配列その24

 前回(2022/11/14)のブログまでで萬葉集の巻三挽歌の検討が一応終わりました。今回「わかたんかこれ 巻三比喩歌 萬葉集巻三の配列その24」と題して、記します。(上村 朋)

1.~40.承前

萬葉集』巻三の部立て「雑歌」と「挽歌」は、四つの年代を意識して編纂されていました。残りの部立ては「比喩歌」です。歌は『新編国歌大観』によります。

41.『萬葉集』巻三比喩歌の検討

① 巻三の譬喩歌についても、『萬葉集』の歌は、(その『萬葉集』に記載の)題詞のもとに歌があるという普通の理解が妥当であるという仮説を検証しつつ、歌と天皇の各種統治行為との関係を重視して検討します。

② 巻三は三つの部門に別けて編纂されています。「雑歌」、「譬喩歌」そして「挽歌」です。

 なお「譬喩歌」という部立ては、『萬葉集』では巻三にあるだけです。先行して編纂されはじめたという巻一~巻二の部立ては「雑歌・相聞・挽歌」の順であり、そのあと編纂されはじめたという巻三~巻四では「雑歌・譬喩歌・挽歌・相聞」の順です。そして最終編纂時点で部立ての順序が変更されたかどうかはわかっていません。この部立ての順序は、歌の配列に関わりますので、理由があるはずです。

 諸氏は「譬喩」とは修辞上の分類項目ではないかとみて、三大部立て(順不同の雑歌と相聞と挽歌)と異なる分類方法である、と指摘しています。

③ 三大部立ては、歌を披露する場面による分類のようにみえ、「譬喩」を用いた歌も配列されています。

 それなのに巻三では部立てとして「雑歌」と「挽歌」の間に、一つの部立てとして置かれています。次に置かれている「挽歌」の検討からみると理解の示唆をしているのかもしれません。

 この点は後程検討するとして、最初に譬喩歌という部立てにある題詞と歌本文の検討をします。

④ 部立て「譬喩歌」には、「標目」の区分はなく、題詞が22題と歌本文が25首とがあります。ほかの部立てより明らかに少ない歌数です。

 題詞より検討します。

 題詞の作文は、

 「作者(あるいは披露した人物)」+(相手など)+「歌〇首」

 「作者(あるいは披露した人物)」を欠き、「和歌」・「報歌」+「歌〇首」

の2タイプがあります。

 後者も題詞の配列を考慮すれば十分「作者(あるいは披露した人物)」を特定できます。そのため、題詞には、必ずその歌の「作者(あるいは披露した人物)」を明記している、といえます。

⑤ また、作詠時点(披露した時点)の暦年表記が全然ありません。明記されている作者名の記載されている肩書と死亡年次で推測すると、次のようになります。(ここでは、従来通り左注を後代の注として扱います)

 2-1-393歌(筆頭歌)   天武天皇の御代

 2-1-394歌~2-1-397歌 聖武天皇の御代 天平初年の前後か

 2-1-398歌~  聖武天皇の御代  天平10年前後より以降か

 雑歌や挽歌における天皇の御代を指標とした作詠(披露)時点の4グループ区分にあてはまらないで、特定の2代の御代の歌です。

 そして、天皇の臨席や官人の公務の出張を直接示唆するような記述などもないので、「譬喩歌」にある歌は、天皇の各種統治行為との関係は重視されていない、とみなせます。

⑥ 題詞のみから、わかることは単に誰が作詠したか(披露したか)が分かるだけです。これでは、歌本文が「譬喩」を用いた歌」である、と理解するのは「譬喩歌」という部立てにあるからということになります。そして、すべての歌本文に、表面の歌意と別途の歌意があることを下記のように確認できました。

 このため、題詞は、表面の意に関するだけである、ということになりました。当然ながら、元資料が確かにある(編纂にあたって詠作された歌ではない)ということも題詞は示唆しています。

 部立ての名称が歌の理解に重要である、ということです。歌の修辞法のうち、譬喩という方法に注目すべし、というヒントのメッセージが、この部立ての名称にある、と思います。

⑦ 次に、歌本文を検討します。

 伊藤博氏は、譬喩歌とは「人間の姿態・行為・感情を事例に譬えて述べる歌」と定義し、各歌での「人間の姿態・行為・感情」(以下では感情等という)を指摘しています。氏の定義に従い、氏の指摘に倣い、各歌本文についてそれを検討したのが下表です。その「譬えている感情等」欄に記しています。

 表をみると、譬えている感情等は、作者(披露者)がだれであっても変わらない、と言えます。作者(披露者)に依存した譬喩のある歌を編纂者は選んでいません。つまり、譬えている感情等を相手に伝えるのに、だれもが用いることが出来る歌である、ということです。

⑧ このようなことは、譬喩歌でなくとも多くの名歌の(暗喩ではなく)表面的な歌意では同じことが言えます。初句を伝えるだけで、その歌の云わんとしていることが伝わり、伝えた人物の(その歌意とは別にある)意志・意向が何であるかが伝わります。伝承歌の多くも同じような目的のため繰り返し色々な人が披露したのでしょう。

 そうすると、巻三の部立て「譬喩歌」とは、いうなれば暗喩を重視している歌を集めた部立て、ということになります。

表 巻三譬喩歌にある各歌での事例で譬えている感情等の推計(2022/11/21現在)

歌番号

題詞での作者(披露者)→題詞での贈る相手(想定した贈る相手)

歌本文の注目語句

譬えている感情等

393

紀皇女→(恋の相手)

軽の池 鴨

来て下さいな

394

造筑紫観世音寺別当沙弥満誓→(知人などへの報告)

足柄山の船木

人妻となってしまったのはびっくり

395

大宰大監大伴宿祢百代→(知人などへの報告)

夜の梅 折る

機会を逃して残念

396

満誓沙弥→(恋の相手・訪問相手)

山の端にいさよ月

早くお逢いしたい・お出ましを

397

余明軍→(競争相手)

標結いをした小松

手を出すな

398

399

400

笠郎女郎→大伴宿祢家持

紫草

陸奥の真野

岩本菅

人の噂になったのだから逢ってくださいな

401

402

藤原朝臣八束→(相手の親)

妹の家に咲いた梅

時期を待っていたのに

403

大伴宿祢駿河麿→(相手の親・頼んだ相手)

あの梅の花が散る

それは人違いでしょうね・お願いしていたことは大丈夫でしょうね

404

大伴坂上郎女→(相手・親戚一同)

山守のいる山と標結 恥しつ

先約があるとは知らず悪かった・(題詞の「氏族の宴」から)あの件は一件落着しています

405

大伴宿祢駿河麿→(相手・親戚一同)

山守のいる山と標結

(歌本文のみより)あなたの意見は今も尊重される・(題詞の「和歌」より)御理解感謝する・

406

大伴宿祢家持→坂上家大嬢

逢いたい

407

娘子→佐伯宿祢赤麿

神の社 春日野での粟蒔き

うるさい貴方の妻がいなかったらば逢えたのに

408

佐伯宿祢赤麿→(娘子)

神の社 春日野での粟蒔き 

ほんとに妻はうるさい・(題詞の「さらに贈る」より)大丈夫だよ、内緒にできる。

409

娘子→(佐伯宿祢赤麿・寄り来る男ども)

憑きたる神

妻は大事にしてね・逢えませんよ

410

大伴宿祢駿河麿→(坂上家当主)

葱苗

年頃になったかな・(題詞より)私にください

411

大伴宿祢家持→坂上家大嬢

ナデシコの花

毎日逢いたい

412

大伴宿祢駿河麿→(恋の相手)

千重波 玉

どうして逢ってくれないのか

413

大伴坂上郎女→(娘への求婚者)

橘を植え育てるる

大事な娘をあなたにやれない

414

(大伴宿祢駿河麿)→(大伴坂上郎女

庭に植えてある橘

是非とも逢わせてください

415

市原王

きすめる玉

娘を大事にしてほしい

416

大網公人主

塩焼き衣の藤衣

恋の次のステップに進めないのが残念

417

大伴宿祢家持

山菅の根

でも諦めていませんから

 22題 25首

 

 

注1)「歌番号」は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』の歌番号。

注2)「題詞での作者(披露者)→題詞での贈る相手(想定した贈る相手)」は、題詞に明記された人物名であり()書きは、この歌を示す相手として題詞と歌本文から想定可能な人物像を推測した。

注3)「歌本文の注目語句」は、歌本文における「譬えている感情等」を推測した主要な語句。

注4)「譬えている感情等」は、伊藤博氏のいう譬喩歌定義「人間の姿態・行為・感情を事例に譬えて述べる歌」における各歌での「人間の姿態・行為・感情」(以下では感情等という)をいう。その理解の検討例を⑨以下に示している。

 

⑨ この部立ての配列は部立て「挽歌」の前にあります。それは、部立て「挽歌」の歌は、修辞に気を配り、その譬喩を読み取れ、ということを示唆した「部立ての配列」なのではないか。上記③での予想は確認したほうがよい、と思います。

⑩ 私の歌本文の理解について例示します。表面の歌意を優先して示し、別途の歌意はその次とします。

 2-1-393歌:相聞の歌です。鴨は秋に日本列島に渡ってきて番(つがい)となり、春に北方の繁殖地に戻るものが多い鳥です。鴨は番であるのに、と詠う。 別途の意は、私たちもそうであるのにそうなっていない、鴨が軽の池にきたように来てくださいな、と訴えている。  

 2-1-396歌: 三句~四句「やまのはにいさよふ月」とは、暗くなってから出る月で待ちかねている月。月はいづれ昇ってきて鑑賞できるがそれが待ち遠しい、と詠う。別途の歌意は、貴方に早く逢いたい、あるいは、皆さんが待ちかねていると来場を促している。

 2-1-404歌:「はじをしつ」と詠うのは、相手を非難しているか、作者は落胆しているか、のどちらかである。題詞にあるように「族の宴」で披露している歌であれば、落胆しているものの相手と和解が成っていることを皆に知らせている歌であり、次にある2-1-405歌とペアの歌としてここに配列されている。

 ペアの歌としてみると、別途の歌意は2案ある。両歌本文のみからの「上下関係に変化なし」という歌意と、題詞を考慮する場合「あの件は和解が成っている」という歌意がある。

⑪ 次回は改めて巻三挽歌を検討したい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2022/11/21   上村 朋)

わかたんかこれ 巻三挽歌 萬葉集巻三配列その23

 前回(2022/11/7)のブログまでの萬葉集巻三雑歌に続き、巻三挽歌を、「わかたんかこれ 巻三挽歌 萬葉集巻三の配列その23」と題して、記します。(上村 朋)

1.~38.承前

萬葉集』巻三雑歌の検討が前回で一応終わりました。巻三には挽歌の部立てもあります。『猿丸集』の第24歌の類似歌がある部立てです。歌は『新編国歌大観』によります。

39.『萬葉集』巻三挽歌にある歌の理解と関係分類判定

① 巻三の部立て「挽歌」にある歌についても、『萬葉集』の歌は、(その『萬葉集』に記載の)題詞のもとに歌があるという普通の理解が妥当であるという仮説を検証しつつ、歌と天皇の各種統治行為との関係を重視して検討します。

② 巻三の部立て「挽歌」には、題詞が28題あり、計69首の歌がそのもとにあります。「上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首」と題した筆頭の歌2-1-418歌から、「悲傷死妻高橋朝臣作歌一首并短歌」と題した長歌反歌2-1-484歌~2-1-486歌までです。

 上記①に基づき、歌と天皇の各種統治行為(11区分)との関係(ブログ2022/3/21付け本文「2.」参照)を巻三挽歌で確認し、下記の表Fを得ました。そのための歌の理解の概要を下記「40.」に記します。

③ さらに、巻一雑歌、巻二の挽歌及び巻三雑歌の検討を参考とすると、巻三の部立て「挽歌」に関して、次のことを指摘できます。

 第一 題詞に明記された歌の作詠時点は、家持が作った安積皇子への挽歌の天平16年である。そのあとに最後の題詞には作詠時点が明記されていない。

 第二 巻二挽歌にあったような天皇あるいは皇太子への挽歌、と明記した題詞がない。皇太子には少なくとも聖武天皇の御代の基皇子がおられる。

 第三 巻二挽歌にある「標目」がないが、天皇の代を意識したグループ化をして順に配列されている。但し第一グループの御代には、推古天皇の御代が加わっている。(挽歌の定義については下記第九及び付記1.参照。)

 下記の表Fの歌は、巻三雑歌と同様に4グループに配されており、下表(「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三挽歌の配列状況(2022/11/14現在)」)のように配列されている。

 各グループの筆頭歌は、2-1-418歌、2-1-437歌、2-1-441歌、及び2-1-463歌である。

 第四 題詞のひとつに「和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首」がある。これに似た題詞「和銅四年歳次辛亥河辺宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」が、巻二挽歌の標目「寧楽宮」にある。これらの題詞の理解の違いは、標目「寧楽宮」の有無による。

 一般に、編纂物である『萬葉集』の歌は、当該巻、当該部立て及び当該標目を前提に理解するものであり、巻二にある二首は、明記された標目「寧楽宮」の時代に関する歌という理解のために、暗喩を重視せざるを得なかった。巻三の配列は、挽歌の対象者の亡くなった順というよりも、その歌を披露した(したい)と思われる時点の順になっている、と推測できる。巻三にある四首は、前後の題詞・歌から披露された時点は、和銅4年に「姫島の松原娘子」の話を聞いた時点、即ち最早の時点で和銅4年となる。最遅は、巻三の最終的編纂時点となる。暗喩を込めれば「寧楽宮」の御代を詠う第四グループにある歌(群)となり得るが標目「寧楽宮」がない。

 表面的には作詠時点は最早の時点の歌あるが、暗喩では最遅の時点となる。さらに補足を下記「40.」の「2-1-437歌~2-1-430歌」の項に記す。

 なお、この二首と四首はそれぞれ独立した歌である。また、萬葉集に二度も登場する「姫島の松原娘子」とは、2度天皇となった即位前の名が「阿倍内親王」の暗喩ではないか。(孝憲天皇重祚して称徳天皇

 第五 このほか、第四グループの歌は、挽歌の対象者が安積皇子以外は無名の人物であり、標目のもとの歌でないので、暗喩によって判断した。

表 天皇の代による4グループ別にみた巻三挽歌の配列状況 (2022/11/14現在)

歌群のグループ

歌 番 号

関係する天皇

関係分類A1~B&E2 &G

関係分類C

関係分類D

関係分類E1&F

関係分類H

関係分類 I

第一グループ

無し

430~433(4首)

419

(1首)

418

420~428(10首)

434~436(3首)

429

(1首)

文武天皇以前の天皇

19首

第二グループ

無し

437~440

(4首)

無し

無し

無し

無し

元明天皇元正天皇

4首

第三グループ

無し

446~448

(3首)

 

444~445

(2首)

無し

無し

441~443

449~462

(17首)

聖武天皇

22首

第四グループ

無し

無し

無し

478~483

(6首)

無し

463~464

465~477

484~486

(18首)

寧楽宮

24首

無し

11首

 3首

16首

 3首

36首

 

69首

注1)歌番号は『新編国歌大観』記載の『萬葉集』の歌番号

注2)表Fよりこの表は作成した。

 

 第六 巻一と巻三の雑歌に無名の人物が高貴な方を暗喩している例があるので、この巻三挽歌の最初の歌の、作者聖徳太子の見た「竜田山」の死人は、作者の将来の姿であり、自傷歌ではないか。

 第七 皇子への挽歌と題詞で明記されているのは、聖武天皇の男子安積皇子(天平16年閏正月13日没)への挽歌のみである。皇子は天武、草壁、聖武の血統の最後の男性である。しかし作者は内舎人であった家持と明記しており、皇子の葬送儀礼時の歌と思えるような歌は配列されていない。

 第八 最後の題詞のもとの歌は無名の人物(官人)の詠うその妻(無名の人物)への歌となっている。暗喩があるとすれば井上内親王への挽歌か。天平の時代の作詠歌に込められた暗喩であるので、これは巻三の部立て「挽歌」の最終編纂時点を推測する根拠になり得る。

 第九 なお、ブログ2021/10/11付けで、2-1-145歌の左注を編纂者の作文とみなしたのは誤りであり、後代の者が演繹して作文したものである。しかし、後代もそのように理解していたのであるので、編纂者の時代も挽歌の定義はまさにその通りであった、と思う。

表F 巻三挽歌にある歌と天皇の統治行為との関係確認表 (2022/11/14現在) 

関係分類

歌数

(題数)

標目

挽歌対象者

該当歌

備考

A1天皇及び太上天皇などの一般的公務に伴う(天皇が出席する儀礼行幸時の)歌群、但しA2~Hを除く)

無し

 

 

 

 

A2天皇及び太上天皇などの死に伴う歌群

無し

 

 

 

 

B天皇が下命した都の造営・移転に関する歌群

無し

 

 

 

 

C天皇の下命による官人などの行動に伴う歌群(Dを除く)

11

(5)

 

田口広麻呂

 

土形娘子

 

出雲娘子

 

姫島松原美人屍

 

摂津国班田史生丈部竜麻呂

430 刑部垂麿歌

431 人麿歌

432,433 人麿歌

437~440 河辺宮人歌

 

446~448 判官大伴三中歌

事後の送魂歌 事情不明 諸氏は刑死かという 

火葬時の送魂歌 挽歌の対象者は任地(都か行幸先)で没

火葬時の送魂歌 挽歌の対象者は溺死者 任地(行幸先)で没

送魂歌 和銅4年(711)挽歌の対象者は任地(難波宮近く)で水死

事後の送魂歌 天平元年(729) 挽歌対象者は任地での自死

D天皇に対する謀反への措置に伴う歌群

 1

(1)

 

大津皇子

 

419 大津皇子

自傷歌 朱鳥元年(686)処刑24歳

 2

(2)

 

長屋王

 

膳部王

444 倉橋部女王歌

445 作者未詳

事後の送魂歌 神亀6年(729)2月自死

事後の送魂歌 父に殉じて神亀6年(729)2月自死

E1皇太子の行動に伴う歌群(E2を除く)

 1

(1)

 

竜田山死人

418 上宮聖徳皇子歌

作者は皇太子 推古30年(622)没

E2 皇太子の死に伴う歌群

無し

 

 

 

 

F皇子自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

 

 9

(4)

 

河内王

 

 

石田王

 

 

石田王

 

420~422 手持王歌

 

423~425 丹生王歌

 

 

426~428 山前王歌

葬送儀礼の歌 河内王は天武天皇皇孫(長皇子の男子) 任地大宰府で持統8年(694)没し豊前国の葬られる

葬送儀礼の歌 石田王は伝未詳 分類Fの歌として天智天皇皇孫を代表するか

葬送儀礼の歌 作者は忍壁皇子の子で養老7年(723)没

 6

(1)

 

安積皇子

478~483  家持歌

葬送儀礼の歌 聖武天皇の子 天平16年(740)17歳で急死

G皇女自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

無し

 

 

 

 

H下命の有無が不明な事柄に伴う(作詠した官人自身の感慨を詠う)歌群

 3

(1)

 

勝鹿真間の娘子

 

434~436 山部赤人

事後の送魂歌

娘子とは入水した手児名 

I天皇の下命がなく、事にあたり個人的な感慨を詠う歌群

 1

(1)

 

香具山屍

 

429人麿歌

 

事後の送魂歌 屍は帰国途中の役民か貴人か不明

17

(4)

 

故人

題詞に無し

 

 

題詞に無し

 

大伴卿

 

 

 

 

 

441~443 大伴卿歌

 

449~453 大伴卿歌

 

454~456作者未詳

457~461 題詞に作者名無し

462題詞に作者名無し

事後の送魂歌 「故人」は普通名詞である 作詠を神亀5年(728)と明記

旅中の安全祈願を亡き妻にしている 事後の送魂歌 作詠時点の明記無し

 

送魂歌 作詠時点明記無し

葬送儀礼の歌 

作詠は天平3年

 

葬送儀礼の歌

24

(8)

 

尼理願

 

 

大伴家持

 

同上

 

同上

 

同上

 

同上

 

同上

 

 

高橋朝臣

 

463~464 坂上郎女歌

 

 

465 家持歌

 

466 書持歌

 

467 家持歌

 

468家持歌

 

469~472 家持歌

473~477

家持歌

 

 

484~486 高橋朝臣

事後の送魂歌 作詠は天平7年 暗喩あるか

 

事後の送魂歌 挽歌の対象者の没年月日明記無く暗喩あるか

 

事後の送魂歌 暗喩あるか

事後の送魂歌 暗喩あるか

事後の送魂歌 暗喩あるか

事後の送魂歌 暗喩あるか

事後の送魂歌 暗喩あるか

 

事後の送魂歌 挽歌の対象者は無名の人物 暗喩あるか

計 418~486

69

(28)

 

 

 

 

注1)「関係分類」欄の分類は、巻一の雑歌と挽歌及び巻三の雑歌と挽歌の検討で用いたものと同じである。ブログ2022/3/21付け本文「2.」参照。

注2) 「標目」を巻三雑歌や挽歌では設けていない。

注3)「該当歌」欄の番号は、『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号。

注4)「備考」欄の記述は、上村朋の意見である。次の「40.」に示す歌の理解による。

 

40.巻三挽歌の各歌の理解の経緯

 第一 歌の配列は、挽歌の対象者の亡くなった時点ではなく、その歌を披露した(したい)と思われる時点の順になっている、と推測できます。題詞は原則「・・・作歌〇首」という作文であり、例外は3題のみです(「神龜五年戊辰大宰帥大伴卿思恋故人歌三首」、「悲傷膳部王歌」及び「天平三年辛未秋七月大納言大伴卿薨之時歌六首」)。

 第二 各歌別に記します。

 2-1-418歌:①ブログ2022/2/28付けで「上宮聖徳皇子」という表記の検討をした。既に諸氏が、この作者名は、推古天皇の皇太子となった厩戸皇子(以下「日本書記の厩戸皇子」、と記し 後世「聖徳太子」と呼ばれ信仰の対象となった人物)と指摘している。『日本書紀』の推古朝の記述は、推古朝当時の記録そのままではなく、『日本書紀』編纂の目的に沿うよう、成立(養老4年(720))直前における天皇家の事情が反映している可能性が強い、と諸氏は指摘している。この時の天皇元正天皇(在位715~724)であり、天皇家の事情とは、皇太子となる皇子は優秀である(ことが多い)という例を示したいことではないか。

 ②同ブログ「9.⑭」等において、次のように指摘した。

「『日本書紀』での「皇太子」という表記は、(巻ごとの執筆者の違いは置いておいて)履中天皇清寧天皇厩戸皇子及び天智天皇にあり、みな果断な行動をとった人物であるが、一人厩戸皇子のみ、天皇となる前に亡くなっている」「それは、皇子として無念であったろうという推測が可能。」

 また同ブログ「9.⑯」で、巻二と巻三の筆頭歌は、次のような共通点がある、と指摘した。

「第一 皇位継承も十分可能であった皇子が筆頭歌を詠うこと  第二 挽歌の対象(有馬皇子も、行路死人も)は、今上天皇に悪意を持たず、初志が実現していない死者であること」

 これをヒントにすると、巻二の挽歌の筆頭歌が、有馬皇子の自傷歌だったので、巻三の挽歌の筆頭歌も「日本書記の厩戸皇子」の自傷歌であると、確認した。竜田山死人(非皇族)は、天皇にとり送魂の歌を贈るべき人物を暗喩している。(送魂の歌については、付記1.参照。)

 ③(共同体のエリア内で)共同体に縁のない名も無き者が無念な思いを抱いて死んでしまったら、無念の人物がわるさをしないよう、その魂を鎮めるような歌(送魂歌)や行為は、その共同体を守るために必要なことであり、その土地々々にそれぞれ生じていて、伝承歌も生じていたと思える。

 2-1-419歌:挽歌の対象者大津皇子は、天武天皇崩御直後謀反の意ありとされ、自死させられている。謀反が濡れ衣であれば自死させた側からみれば、その魂を鎮めるような歌(“送魂”する歌)を必要としていることになる。

 2-1-420~2-1-422歌:①歌本文で河内王が葬られたと題詞に記す豊前国鏡山には、通称「外輪崎古墳」がある。それを明治27年(1894)に宮内庁が「勾金(まがりかね)陵墓参考地」(被葬候補者:天武天皇皇孫長親王の王子河内王)として陵墓参考地に治定されている。

 ②天智天皇皇孫にあたる白壁王と比較できる皇位継承の資格をもつ天武天皇皇孫の代表として挽歌が詠われているか。

 ③題詞より葬送儀礼の歌とする。あるいは都に作者は居ての送魂歌か。

 2-1-423歌~2-1-425歌:①2-1-423歌はブログ2017/8/3付け及びブログ2020/9/21付けで触れた。延命祈願をしている状況を詠い、兄弟の死を悼む歌と理解した。検討は巻二の挽歌としての考察に及んでいなかった。葬送儀礼の歌か。

 ②丹生王は伝未詳。挽歌を詠われた石田王も伝未詳。石田王については次の2-1-426歌~2-1-428歌参照。

 2-1-426歌~2-1-428歌:①作者山前王は、天武天皇皇孫で忍壁皇子の子。忍壁皇子は吉野盟約の1人。

 ②作者からみると、歌本文で石田王について「よろづよに たえじとおもひて かよひけむ きみ(をばあすゆ そとにかもみむ)」と詠み頼りに思う人物のように詠っている。葬送儀礼の歌か。

 ③このため、天智天皇皇孫にあたる白壁王と同じ天智天皇皇孫の代表として挽歌が詠われているかと思われる。

 2-1-429歌:①天皇家であることを題詞に明記した挽歌が終わった最初の歌。

 ②挽歌の対象である香具山屍とは、その地域の共同体の一員ではない、よそ者(例えば帰途に就いた役民)であれば、それは当時の常態であるので、題詞にある「・・・悲慟作歌」と詠うのはその屍が貴人であるからではないか。無名の人物が貴人を暗喩している例もある。

 2-1-430歌:①作者名は2-1-265歌の題詞にもある。その歌は巻三雑歌の第一グループ(天武天皇文武天皇の御代の歌群)にある。②この歌も同時代を示すか。③挽歌の対象者が刑知であれば事後の送魂歌。

 2-1-431歌:①挽歌の対象者(土形娘子)は火葬されている。火葬は文武4年(700)の道昭が最初の記録。天皇では持統天皇が最初である。天皇の火葬は文武、元明及び元正天皇で途切れている。

 ②作者は題詞に人麻呂とある。諸氏は人麻呂には平城京遷都後の作詠とみなせる歌が見当たらないと指摘している。

 ③対象者は、宮女であれば任地で死を迎えたことになる。一般的には故郷に帰れず無念の死と理解できる。火葬された際に披露されているので送魂歌。

 2-1-432歌~2-1-433歌:①挽歌の対象者(出雲娘子)は火葬されている。その際披露されているので送魂歌。

 ②作者は題詞に人麻呂とある。③宮女であれば任地、それも行幸先で死を迎えたことになる。無念の死であろう。

 2-1-434歌~2-1-436歌:①娘(名を作者の赤人は手児名、高橋虫麿は手児奈・手児名)についてはブログ2022/3/14付け(「20.⑯以下」)で触れたが、歌そのものの検討はしていない。千葉県市川市のHPでは「オーソドックスな昔話の再話」として『真間の手児奈』の話が記載されている。ウィキペディアでは、一つの説話として舒明天皇の時代の国造の娘で結婚後離別され親元にも戻れず言い寄られて結局入水したという話を記載している。作者赤人の時代には既に伝説になっていたヒロインである。

 ②歌本文によれば墓が設けられていたというが作者赤人ははっきりしない、と詠う。共同体のエリアにある入江の入水によるケガレを避けるのに墓を設けて祀る必要があったのであれば、墓標くらい明確にしていたであろう。そうでもないような詠いぶりなので、挽歌というより観光地に来た、という報告のような歌である。

 ③東京湾の現在の江戸川の当時の河口にあたる遠浅の海に湊があったとすると、澪は相対的に水深があったかも知れないが石を抱いて入水したのであろうか。ともかくも手児名が、無念な思いをこの世に残していったとすれば、それはこの世で争いの絶えないことへの無念であろうか。

 ④挽歌とすれば、この世に悪さをしないように(入水を誘うことのないように)、という後日の送魂歌という整理になる。

 2-1-437歌~2-1-440歌:①和銅4年に起きた事件の直後に公式に葬送儀礼を行えたのか疑問であれので、「送魂歌」として仮置きする。題詞に和銅4年と明記があり、元明天皇の御代の歌となる。そのため第二グループの歌となる。

 ②『猿丸集』第24歌の類似歌が、2-1-439歌であり、その歌を中心にこの歌群をブログ2018/7/23付けで一度検討した。さらにブログ2021/10/4付けでも、触れた。

 ③確認できたことは、2-1-429歌の詞書の「・・・見香具山屍悲慟作歌」を含めて、「見」という文字は、「見・・・屍」という表現においては、「仄聞」あるいは「文書によって知る」という意、あるいは下命による作詠を示唆する言葉とも理解した方がよい、ということ、追悼歌として4首とも理解できるが(題詞を無視すれば)相聞の歌としても理解できること、少なくとも2-1-439歌に関して作業仮説をいくつか予想できること(ブログ2021/10/4付け「3.②」)、である。

 ④このため、「見」字の意を「仄聞」と捉えて詠んだ歌とし、当時の死生観(付記1.参照)を踏まえて、4首とも「追悼歌」ではなく直後の(和銅4年の)「送魂歌」として仮置きする。

 ⑤似た題詞「和銅四年歳次辛亥河辺宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」が、巻二挽歌の標目「寧楽宮」にある。この歌のある巻三挽歌には標目がない。その違いは上記「39.③ 第四」に記した。

 2-1-441歌~2-1-443歌:①題詞が「・・・作歌」となっていない3題のひとつ(「・・・思恋故人歌」)。

 ②挽歌対象者は題詞では「故人」であり、固有名詞ではない。「故人」とは普通名詞の「亡くなった人」の意ではないか。作者旅人が代作した歌か。あるいは伝承歌か。伊藤博氏は、題詞は「思恋故人歌三首」であり、作詠時点と作者名を省いた理解を示している。旅人の大宰師としての赴任を神亀5年ごろと諸氏は指摘するが、『続日本紀』に記載はない。旅人の妻は2-1-449歌等とその題詞からは大宰府で亡くなったらしいが赴任直後と推測する根拠が希薄である。旅人が披露した歌であれば事後の送魂歌。

 ③題詞の配列からみると、作者明記の歌(赤人と大伴三中。共に聖武天皇の御代に活躍)の間にある歌の元資料は伝承歌の可能性がある。また題詞にある神亀五年は聖武天皇の御代であり、この時点明記により第三グループの最初の歌となる。

 ④元資料の歌としてみると(題詞を無視すると)、2-1-441歌は、送魂歌。2-1-442歌は、夫の野辺の送りをして自宅に戻る際を詠う送魂歌。三句「都にて」は入れ替え可能である。そして2-1-443歌は、官人である夫の妻への送魂歌。

 2-1-444歌:①作者は伝未詳であり、長屋王の変による長屋王の死は、長屋王の自殺が自らの決断したものなのか、死罪の代替として宇合らに強要されたものなのかは明らかでなく、歌本文のように「雲隠」という表記をするのが妥当であるかどうか疑問である。このためこの歌は、伝承歌の流用の可能性がある。②何れにしても事後の送魂歌。

 2-1-445歌:①この挽歌の対象者は、長屋王の子。事後の送魂歌。②しかし、官人でない人物の死にあたり披露することができる歌。元資料は伝承歌か。③題詞が「・・・作歌」となっていない3題のひとつ(「悲傷膳部王歌」)

 2-1-446歌~2-1-448歌:挽歌対象者は任地で自死した官人。自死の理由は歌本文では過労死なのか何なのか不明。作者は挽歌対象者の上司であるので、葬儀の際の葬送儀礼の歌ではないか。

 2-1-449歌~2-1-453歌:①歌の内容は事後の送魂歌。

 ②一見すると、任地で妻を亡くした大伴卿(旅人)が、大納言に着任のため上京するにあたり、亡き妻に引き留められぬように、また上京途中の安全を妻に祈願している歌。

 ③しかし、題詞には挽歌の対象者は明記されていない。2-1-441歌等の題詞に作者は大伴卿とあり、元資料が一連のものとすれば、挽歌の対象者は普通名詞の「故人」となるか。

 2-1-454歌~2-1-456歌:①題詞に挽歌の対象者と作者名がない。諸氏は題詞の配列等から作者を旅人、対象者はその妻と指摘する。②3首とも妻を失った直後の心境を詠う送魂歌。

 2-1-457歌~2-1-462歌:①葬儀の際の葬送儀礼の歌ではないか。2-1-461歌が詠う「みどり子」とは作中人物の孫か。

 ②一つ題詞のもとにある6首であり、部下であった者(例えば資人)、身近に仕えた者や「きみ」と問いかける同僚などの立場の歌とみられる(左注は後人の作文)。

 ③題詞が「・・・作歌」となっていない3題のひとつ(「・・・之時歌」)。

 2-1-463歌~2-1-464歌:①挽歌の対象者尼理願は還俗していないので作者坂上郎女宅近くに郎女らが寄進した尼寺で亡くなったのであろう。作詠時点が天平7年であれば国分寺国分尼寺が創建される以前である。当時出家者(僧や尼)は俗人の家の寄留者になれる存在ではない。理願は新羅から招来した尼であり、尊敬されていたのではないか。

 ②元資料は、有馬温泉の湯治に行っている人物への書状に記した歌か。事後の送魂歌。

 ③以下の題詞とそのもとにある歌に暗喩があるので、この3首にも想定すれば、理願に称徳天皇孝謙天皇重祚阿倍内親王)を重ねることができる。称徳天皇は出家のまま即位した唯一の天皇である。有馬温泉の人物の暗喩は、持統天皇であろうか。

 ④直前の題詞は挽歌の対象者を大納言大伴卿と明記しており、大伴卿に別の人物を重ねていない、と推測する。この歌は、称徳天皇の挽歌を私的に詠むということになり、それは天武系の天皇の御代のこととなる。そのため、この暗喩により第四グループの最初の歌となり得る。

 2-1-465歌~2-1-477歌:①挽歌の対象者は家持の亡き妾。つまり無名の人物である。また、家持は、繰り返し詠っている。この13首はいくつかの題詞のもとにあり、作詠時点と作者を省いている題詞があり、これまでの題詞の作文と異なる。

 ②題詞に亡き妾の亡くなった日時を明記せず、作詠時点を明記している。思い出しては歌を作るほど未だに気になっている人物がこの挽歌の対象者である。

この次に配列されている歌群の対象者に貴人が暗喩されているならば、この歌群の対象者にも誰かが暗喩されている可能性がある。

 ③部立て「挽歌」において作詠時点が明記されている題詞では時系列になっているので、女性の挽歌対象者に暗喩されているのは怨霊になったとみなされた井上内親王か。内親王死後、天変地異が続き、光仁天皇の病、山部親王の大病があって、急遽改葬されている。

 2-1-465歌:一緒にいないことを確認している歌であり、故人を偲ぶ歌でもあるが、今も何かにつけ一緒にいないことが気にかかっている。つまり現世を故人はまだ気にしている。亡き妾はあの世で満足して暮らしてほしい、の意も含みうるので事後の送魂歌。

 2-1-466歌:前の歌に和しているので事後の送魂歌。

 2-1-467歌:題詞が改まっている。なでしこの花が亡き妾のいうよう作者の身近に咲いて、もう思い残すことはないのではないか、と詠ったと理解できる。だから、亡き妾はあの世で満足して暮らしてほしい、という意も含みうる歌であるので、事後の送魂歌。

 2-1-468歌:題詞が改まっている。秋の初日7月1日だからというのがきっかけの歌である。またしても妻のことが気にかかっているのであり、単なる故人を偲ぶ歌ではない。また、一つの歌群にある歌である。このため、事後の送魂歌。

 2-1-469歌~2-1-472歌:長歌反歌による事後の送魂歌。

 2-1-473歌~2-1-477歌:題詞に対象者と作詠時点を明記していない。題詞「悲緒未息更作歌五首」と「悲傷」という表記ではない。「悲緒」とは亡き妾のことを思い出すきっかけが次々と起こる日常であることの造語なのか。奥つ城のある佐保山をみあげ、思い続けていると詠い、作者は亡き妾と向き合っている。

 2-1-478歌~2-1-483歌:①挽歌の対象者は、聖武天皇天平16年当時唯一の皇子。律令での死に関する儀礼を定める「喪葬令(そうそうりょう)」に則った葬送儀礼時の歌であれば、挽歌の対象者に対する皇子や皇女の(名を明記した)歌も編纂者は配列するのではないか。

 ②そのため、これらは個人的な送魂歌。作者家持は、当時内舎人であり、天皇の身辺警護の役であり、皇子の身近にいたわけではない。

 ③そうであれば、天智系の天皇の立場から天武系の最後の男子への送魂歌としての暗喩を含んで配列されているか。事後の送魂歌となる。

 2-1-484歌~2-1-486歌:①巻三挽歌の最後の題詞のもとにある歌群。妻は行き隠れた山背の相楽山の山あいに風葬か土葬をされたのであろう。仲睦まじい夫婦であったと詠っている。ただ、この挽歌の対象者は高貴な官人の妻でもなく、無名の人物である。表面的にはその妻への送魂歌となっている。

 ②亡くなった時点と作詠時点を題詞に明記していない。 作詠順の配列とすると2-1-478歌の題詞を根拠に最早は天平16年(744)。 

 ③しかしながら、高貴な方をこの妻に重ねることが可能であり、直前の題詞のもとの歌との時系列で対象者を検討すると、女性であれば、光仁天皇の妻(高野新笠。非皇族でかつ有力な氏族の娘ではないが桓武天皇(山部親王)の母)への事後の送魂歌とみなせる。

 ④このように、2-1-463歌以降は、大伴家ゆかりの人物などへの挽歌は、安積皇子への挽歌をはさみ天皇家にとって重要な故人への暗喩がある歌とも理解できる歌として配列されている。題詞に明記された作詠時点では天平16年までの歌において、このような暗喩を順序良く見ることが出来るのは、巻三挽歌の最終編纂時点を十分示唆しており、編纂時点で将来のある時点(御代)になったときの事後の送魂歌とみることが出来る。

(「40.」終わり)

 「わかたんかこれ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は 巻三の部立て「比喩歌」について記します。

(2022/11/14  上村 朋)

付記1.挽歌について(ブログ2021/10/11付け「5.⑤」をベースにして)

① 挽歌とは、2-1-145歌において、編纂者自身が記したと思われる左注で定義しており、挽歌という判定を、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)でしている(2019/5/13付けのブログ参照」)。とみなしたところである。しかし、当該歌その後の検討で巻一~巻三にある左注が編纂者の作文でない、とわかった。その左注を作文した時代でも挽歌をそのように理解していたことは確かであり、『萬葉集』巻二の歌にあたってもその定義が該当しているので、このブログでは「挽歌」という表記をこの定義で用い続けている。

② 律令では、死に関する儀礼を「喪葬令」に規定している。それは、招魂(喪)と送魂(葬)の儀礼がワンセットであることを意識している規定と理解できます。死者を、円満に死者の世界に送ることをストーリーとしており、死者が死者の世界に行けないと、死者と生者が一緒にいるという混沌とした世界が続くことになる(死者にかき回される状況が続く)ので、それを解消し、生者の秩序は生者のみでつくり保てるようにするという意識である( 『万葉集の起源 東アジアに息づく抒情の系譜』(遠藤耕太郎 中公新書2020/6)参照。死者に対して、生の世界に未練を残さないよう送魂するのが大事である。死者が死者の世界に行けないと、死者と生者が一緒にいるという混沌とした世界が続くことになる(死者にかき回される状況が続く)。それを解消し、生者の秩序は生者のみでつくり保てるようにするためである。このように遠藤氏は指摘する。)。

③ 偉大な祖先が神になるならば、それ以外の偉大な人物も神になる資格があり、死後も常々丁重に扱い、この世に執着しない状況にしておいて然るべきである。

④ ひとつの家族であれば、父母はそのような人物である。そのため死んだ場合はその死を確かめる招魂をした後、送魂する儀礼がワンセット(あるいは送魂し、確認をする招魂の儀礼がワンセット)となり、その後も祀りを続けることになる。天皇家にとってもそれは同じ。

当時の人々の死生観に基づく円満に死者をその世界におくる或いは留まってもらう歌、死者に現世へのこだわりを減じさせようと願う歌が送魂歌といえる。

⑤ 死んだ者は、庶民ならば風葬である。巻一の2-1-207歌~2-1-216歌がそれを詠っている。平安時代でも野ざらしで死者を見送った。貞観13年(871)の太政官符号には鴨川の下流を指して、近年耕地化されつつあるがここは「百姓葬送の地、放牧之処」であるので耕地化を禁止すると命令している。

後代の『餓鬼草紙』の絵の中で、フィクションは5人の餓鬼だけである。それ以外、例えば敷物の上の腐乱した遺体、犬が食っている遺体などは当時の誰もが知っていた普通の葬送の地の光景がまとめて描かれている。

⑥ 表F作成にあたり、挽歌をさらに区分し、「喪葬令」によると思われる葬送儀礼時の歌、(一般に葬送時の)送魂歌、事後(後日)の送魂歌の3区分をたてた。ここに送魂歌とは、死者は生者の世界に残りたがっているのでそれを断ち切ってもらう必要があるという信仰の上にある歌という意味である。当時は単に追悼をする歌はない。また、巻三の最終編纂時点では怨霊という観念がすでに生じている。

(付記終わり 2022/11/14  上村 朋)

わかたんかこれ 巻三雑歌は将来も詠う 萬葉集巻三配列その22

 前回(2022/10/31)のブログに引き続き、萬葉集巻三の配列の検討結果を、「わかたんかこれ 巻三雑歌は将来も詠う 萬葉集巻三の配列その22」と題して、記します。歌は、『新編国歌大観』によります。(上村 朋)

1.~35.承前

 『萬葉集』巻三の雑歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 萬葉集巻三の配列その1」(2022/3/21付け)から、「同 萬葉集巻三配列その21(2022/10/31付け)において検討してきました。

 そのまとめがまだ残っているところです。

36.『萬葉集』巻三雑歌の総括

① 巻三雑歌について、『萬葉集』の歌は、(その『萬葉集』に記載の)題詞のもとに歌があるという普通の理解が妥当であるという仮説を検証しつつ、歌と天皇の各種統治行為との関係を重視して検討してきました。「36.」~「38.」に総括をしたい、と思います。

② 巻三雑歌には、『新編国歌大観』によれば158首が配列されています。歌と天皇の各種統治行為(11区分)との関係は、当初表Eと整理でき最終的には、下記「37.」に示す「表E’」となりました。

それを、年代順は4区分、歌と天皇の各種統治行為は2区分として、歌数を集計したのが、下記「37.」に示す「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況」です。

 下記「38.」には、各歌の理解の経緯を記しました。

 なお、巻三までにある題詞の割注は、巻三編纂者が記したものではなく、左注も同様であることを事前に確認できたので、巻三雑歌にある歌の理解の根拠としていません。

③「表E’」における「関係分類」欄に示す天皇の統治行為の仕分けは、巻一雑歌の検討で用いたものです。(ブログ2022/3/21付け本文「2.」参照)。 

④ 関係分類の「A1,A2又はB」の歌は、4つの歌群にまとまり、天皇の代順に(そのほかの関係分類の歌を挟んで)配列されていました。それぞれの歌群の最初の歌は、2-1-235歌、2-1-290歌、2-1-315歌、及び2-1-378歌となります。

⑤ そのほかの関係分類の歌も、関係分類の「A1,A2又はB」における4つの歌群に整理でき、巻三雑歌に配列されている歌全158首は、天皇の代を年代順に4つのグループに大別したうえでグループ順に配列されている、と確認できました(下記の「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況」参照)。

⑥ 配列されている歌は、官人が私的に書き留めていた歌です。それに編纂者が題詞を作文しています。その歌を元資料と称すると、それは、律令に基づく儀礼やそれと一体の公的宴あるいは官人同士の歓送迎会において、披露された歌(伝承歌も含む)が主体です。そのほか書状に書き記したものと作者の手控えがあります。

その元資料の歌意は、それが披露された場に沿って理解されるものであって、巻三雑歌における歌意とは別になります。

⑦ 題詞の作文は、簡潔を極めた倭習漢文であり、当時の官人の常識に従った用字法によっている、といえます。これは巻一雑歌でも同じです。

⑧ 前後の題詞をも考慮すると、歌に暗喩あるいは示唆が多々ありました。それらから、巻三雑歌の編纂時点を、聖武天皇の御代と固定して、天智系の天皇の時代に最終的に編纂されていると、いえます。そして、巻三の最後の編纂者は、『萬葉集』の公表を許されるように巻一と巻三の雑歌全体を見直す作業を行っています。その結果、『萬葉集』が公に認められたのは今上天皇への忠誠の証左となったからではないか、と推測します。

⑨ 巻三雑歌は、最後の編纂者による次のような方針のもとに編纂されている、と推測できます。

第一 編纂時点を聖武天皇の御代と固定する。

第二 天武天皇から聖武天皇までを即位順に3グループとしたのち、聖武天皇の御代終了後に即位する天皇の時代を「寧楽宮」の御代と称した4つ目のグループを作る。そして、3つ目のグループで聖武天皇崩御に関する歌は配列しない。

第三 「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御以降において官人が希望を寄せる男性の天皇を想定している御代に擬す。そのため、巻一の標目にある「寧楽宮」の意と通じます。

第四 各グループは、歌と天皇の統治行為の関係分類の「A1,A2又はB」により区分を示し、「C」以下の区分の歌により当代の治世を表現する。

第五 巻三雑歌の最終の編纂に合わせ、『萬葉集』の公表を許されるよう巻一と巻三の雑歌全体の統一性をとるよう巻をまたいで見直す。

第六 代々の天皇の庇護のもとに次の天皇は即位するものであり、「寧楽宮」の御代の天皇とその御代を予祝する。

⑩ なお、暦年順の題詞からみると、巻一(部立ては雑歌のみ)の標目「寧楽宮」とは、和銅五年と明記した歌のあとに配列されているので少なくとも元明天皇以降の御代を指すことができます。また標目「寧楽宮」のもとにある2-1-84歌は「秋去者 今毛見如 妻恋尓 鹿将鳴山曽 高野原之宇倍」(あきさらば・・・)」と作詠時点より以後のことのことを(確実に予測できることとして)詠っており、「寧楽宮」の御代を予祝している暗喩を込めた歌とも理解ができます(元資料の歌意は別です)。

巻二相聞も題詞の配列から、元明天皇以降の御代を指すことができます。

巻三挽歌も題詞の配列から、天平16年の安積皇子の薨去のあった後の御代(孝謙天皇以降)を「寧楽宮」と称することができます(次回に詳細を記します)。

巻四相聞はその最後の歌が藤原久須麻呂(天平宝字8年(764)刑死)に報贈する歌で終わっており、その年に披露された歌と想定すると称徳天皇の御代が始まった年なので、少なくとも次の光仁天皇の御代以降を「寧楽宮」と称することができます。

⑪ 巻三雑歌最後の編纂者については未検討です。

 

37.『萬葉集』巻三雑歌にある歌の配列状況

二つの表にまとめました。

表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況(2022/10/10現在における表E’に基づいた表)  (2022/10/31現在)

歌群のグループ名

歌番号

関係する天皇

  計

関係分類A1~B

左以外の関係分類

第一

235~245 (11首)

246~289 (44首)

天武天皇

持統天皇

文武天皇

 55首

第二

290~291 (2首)

292~314 (23首)

元正天皇

元明天皇

 25首

第三

315~328 (14首)

329~377  (49首)

聖武天皇

 63首

第四

378~380 (3首)

381~392  (12首)

寧楽宮

15首

 計

        (30首)

        (128首)

 

158首

注1)歌番号は、『新編国歌大観』記載の『萬葉集』での歌番号

注2)「関係分類」とは、歌と天皇の統治行為との関係を事前に用意した11種類の分類をいう。関係分類「A1~B」とは「A1」、「A2」及び「B」の関係分類である。関係分類名は表E’参照。各歌について、分類保留の歌はなく、複数の分類に該当した歌もない。

注3)この表は、表E’をもとに、作成した。結果として「表 万葉集巻三雑の部の配列における歌群の推定(20222/3/21現在)」と同じになった。

注4)「関係する天皇」欄の「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御後に即位する(官人が待ち望んだ)天皇を示唆している。『萬葉集』が公表された時の天皇が天智系の天皇であるので、皇位継承の天武系から天智系への転換を編纂者は念頭において、第四のグループを設けた、と推測できる。結果的に、巻一雑歌にある標目「寧楽宮」の意と重なり得る。 

注5)「歌番号:左以外の分類」欄の歌で一番多い関係分類は「C」である。「H」と「I」には、「G」までに分類できない歌を天皇の下命の有無で分類した。

 

表E’ 巻三雑歌にある歌(158首(2-1-235~2-1-392))と天皇の統治行為との関係の一覧表  (2022/10/31現在 )

関係分類

歌数

該当歌

備考

A1天皇及び太上天皇などの一般的公務に伴う(天皇が出席する儀礼行幸時の)歌群、但しA2~Hを除く)

 

29

2-1-235 行幸時の人麿歌

2-1-236 天皇出御の宴席時

2-1-237 (持統)天皇

2-1-238 復命歌

2-1-239 応詔歌:長忌寸意吉麻呂歌 

2-1-240~2-1-242 天皇の代理としての長皇子の狩を詠う:人麿歌

2-1-243~2-1-245 行幸準備:弓削皇子

天武天皇時が第一候補

 

 

持統・文武行幸

皇子は遊猟を勝手に行えない

題詞の「遊」は行幸準備。

2-1-290志賀行幸企画時:石上卿歌

 

2-1-291前歌に和する歌:穂積朝臣老歌

企画のみで終わった行幸

あるいは待望する行幸か。

同上

2-1-316 行幸時の歌:土理宣令歌

2-1-317 旅中歌:波多朝臣小足歌

 

 

2-1-318,2-1-319 行幸準備時:中納言大伴卿歌

2-1-320,2-1-321 旅中歌:赤人歌

 

2-1-322~2-1-324 旅中歌:作者不明

 

2-1-325,2-1-326 旅中歌:赤人歌

 

2-1-327,2-1-328 行幸時:赤人歌

 

作者は持節大将軍藤原宇合を迎えに行った使節一行の一人

行幸聖武天皇即位の関連行事 聖武天皇の御代を予祝

即位を祝い富士山のように語り継がれる御代と詠う

皆が仰ぎ見る富士山を詠うことで天皇を予祝

斉明天皇の故事を詠い天皇即位を予祝

即位時の歌 天皇の代理に赤人が詠う

2-1-378 行幸準備:湯原王

 

2-1-379 阿倍内親王五節舞を舞った時の宴席歌:湯原王

2-1-380 「吾君」を褒めたたえた挨拶歌:湯原王

聖地吉野には皇子の意志だけでは行けない

天智系への天武系の天皇の配慮か

 

「吾君」は「寧楽宮」

 

A2天皇及び太上天皇などの死に伴う歌群

0

無し

 

B天皇が下命した都の造営・移転に関する歌群

 

1

2-1-315 復命歌:藤原宇合

 

知造難波宮事に任じられたときの決意表明

 

C天皇の下命による官人などの行動に伴う歌群(Dを除く)

66

2-1-246, 2-1-247 平城京での宴席の歌:長田王歌

2-1-248 上記の宴席で和した歌 和する歌:石川大夫

2-1-249上記の宴席で和した歌: 長田王歌

2-1-250~2-1-258 旅中歌:人麿歌

 

2-1-265 旅中歌:滋賀を詠う:刑部垂麿歌

2-1-266 旅中歌:宇治川を詠う:人麿歌

2-1-267 旅中歌:降雨中の行旅を詠う:長忌寸意吉麿歌

2-1-268 旅中歌:琵琶湖の夕景を詠う:人麿歌

2-1-272~2-1-280 旅中歌:高市連黒麿歌 

2-1-281 旅中歌:石川少郎歌

2-1-282,2-1-283 旅中歌:高市連黒麿歌 

2-1-284 応答歌 高市連黒麿妻歌

2-1-285 旅中歌 春日蔵老歌

2-1-286 旅中歌:高市連黒麿歌

2-1-287 旅中歌:春日蔵老歌

2-1-288 旅中歌:紀伊国 笠麿歌

2-1-289 旅中歌:前歌に和した歌 春日蔵首老歌

題詞での「・・・之時」は話題になった時の意 挨拶歌

 

 

 

水島を望見したと仮定した歌

近江国より上京時

 

近江国より上京時 

 

地名の特定は保留 行幸時なら作者は先遣隊員か

 

 

 

送別の席の歌

 

送別の席の歌

公務での夜行か

 

 

従駕時のうたではない。

 

2-1-299,2-1-300 旅中歌:田口益人大夫歌

2-1-301 還俗して従駕が決まった時の歌:弁基(であった春日蔵老の)歌

2-1-303,2-1-304 旅中歌:長屋王

2-1-306,2-1-307 旅中歌:人麿歌

2-1-308 近江旧都を詠う:高市連黒人歌

2-1-309 児のおねだりの歌:安貴王歌

2-1-313 別れの挨拶歌:門部王歌

2-1-314 挨拶歌:(木偏に安)作村村主益人歌

駿河国の景

作者が還俗者であることを強調

「駐馬」の理由保留

 

 

 

「幸伊勢之国時」は従駕の意ではない

 

2-1-329 畿内の境明石の漁民を詠う:門部王歌

2-1-358管内巡察時の宴席歌 生石村主真人歌

2-1-360~2-1-366 旅中歌:赤人歌

2-1-367,2-1-368 旅中歌:笠金村歌

2-1-369,2-1-370 旅中歌:笠金村歌

2-1-371 着任の挨拶歌:石上大夫歌

2-1-372 復命歌:作者未詳

2-1-373 宴席歌。主賓の着任歓迎歌:安倍広庭卿歌

2-1-374 任国での歌:門部王歌

漁火の示す現実(泰平)に作者の門部王が気付いた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2-1-381藤原家の庭園を詠みその屋敷で生まれた聖武天皇の皇太子基皇子を詠む歌:赤人歌

2-1-391,2-1-392 旅中歌:作者未詳の別々の伝承歌

次期天皇(この歌では基皇子)を予祝

 

2-1-392は部立て最後の歌(反歌

D天皇に対する謀反への措置に伴う歌群

0

無し

 

E1皇太子の行動に伴う歌群(E2を除く)

0

無し

 

E2 皇太子の死に伴う歌群

0

無し

 

F皇子自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

 

4

2-1-263,2-1-264 雪を詠う新田部皇子への人麿歌 

2-1-269 むささびを詠う志貴皇子

 

2-1-270 故郷を詠う長屋王

新田部皇子は735没

 

伝承歌を皇子作としている。志貴皇子は716没

長屋王は729没

G皇女自らの行動に伴う歌群(当人の死を含む)

0

無し

 

H下命の有無が不明な事柄に伴う(作詠した官人自身の感慨を詠う)歌群

10

2-1-259~2-1-262 香具山とその麓の現況を嘆く歌:鴨君足人歌

2-1-271 諧謔の歌:阿倍女郎歌

 

 

 

阿倍女郎は中臣東人との贈答歌がある。

2-1-295~2-1-298 起承転結の4首:角麿歌

摂津住吉を褒める伝承歌

2-1-359 明日香への望郷歌:上古麿歌

 

I天皇の下命がなく、事にあたり個人的な感慨を詠う歌群

 

48

2-1-292,2-1-293* 月齢が大変若い月(初月)の見え始めと見納めを詠う :間人宿祢大浦歌

2-1-294 山を越えると詠う:小田事歌

 

2-1-302 降雪の時期もよい時期と詠う:大納言大伴卿歌

2-1-305 目的地まで道程が遠いと詠う:中納言安倍広庭歌

2-1-310~2-1-312 昔の人である久米の若子を詠う:博通法師歌

元明天皇元正天皇を示唆しているか。

 

二句にある「勢能山」は「わが親しい男性」を示唆する

元資料は宴席での題詠か

 

 

 

昔の人とは文武天皇を示唆するか

2-1-330 応答歌:通観歌

2-1-331~2-1-340 宴席での題詠歌: 大宰少弐小野老などの歌

2-1-341~2-1-353 讃酒歌:旅人歌

2-1-354 応答歌: 沙弥満誓歌

2-1-355 旅中歌:若湯座王

2-1-356 白雲の叙景歌:釈通観歌

2-1-357 白雲の叙景歌:日置少老歌

2-1-375,2-1-376 :春日野を舞台にして詠う:赤人歌

 

2-1-377 和した歌:石上乙麿歌

 

 

順調な御代を詠う

望郷歌&天皇賛歌

讃酒歌に和した歌

 

 

 

 

春日野は祈願の地。聖武天皇に御子を授かるのを願う。こひ=乞ひ・祈ひ

光明子に児が授かるのを願う。

2-1-382,2-1-383 逢うことを祈願する歌 :大伴坂上郎女

 

2-1-384:送別の歌:筑紫娘子歌

 

 

 

2-1-385,2-1-386 国見の山に見立てた筑波山に登ったと詠う:多比真人国人歌

2-1-387 韓藍を懲りないで育てようと詠う歌:赤人歌

2-1-388~2-1-390 つみのえだを題材に詠う:作者未詳歌

「君」は現世の人物で遣唐使の一員となった大伴古麻呂

元資料は筑紫から出立する者への伝承歌。4つ目のグループの天皇への代替えを示唆するか

 

作者とともに誰かが登ったと詠う。

 

山部親王皇位継承を是とする歌

その人がつみのえだを手にするのは納得がゆくと詠う

158

 

 

注1)歌は、『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号で示す。

注2)歌の理解は、下記「38.」に記す。「備考」欄のコメントはその一端。

注3)「該当歌」欄の作者は、題詞により判断している。

注4)表E作成後、関係分類を変更した歌は次のとおり(その結果がこの表E’である)

表Eにおいて関係分類欄◎印の歌(計7首) 

 2-1-240 ~2-1-242歌(C→A1)

 2-1-316歌&2-1-317歌 (C→A1)

 2-1-325歌 &2-1-326歌 (C→A1)

そのほか表E作成後の検討で関係分類を変更した歌

 2-1-301歌 (I→C)

 2-1-309歌 (I→C)

 2-1-381歌 (H→C)

 2-1-384歌~2-1-386歌 (C→I)

注5)表E作成後、歌の理解を深めた歌が上記注3の歌のほかにもある。例)2-1-291歌、2-1-379歌、2-1-380歌

 

38.『萬葉集』巻三雑歌にある歌の理解と関係分類判定検討経緯

各歌を、今回のブログまでに次のように検討し、表E’を得ました。筆頭歌より、順に記します(2022/10/31現在)。

  2-1-235歌: ① 題詞が作者を天皇としている歌の前に置かれ、かつ雑歌の筆頭歌なので、天武天皇の時の歌と編纂者が仕立てたか。題詞では人麻呂が、雷丘で詠んでいる。ブログ2022/3/21付け「3.② 第一」参照。

② 雷丘にたつ天皇には作者人麻呂が仕えた可能性のある天皇すべてが該当可能である。天武系の初代である天武天皇から持統天皇文武天皇までに可能性があり、元資料は何時詠まれたかは不明。巻三を最終的に編纂した時点ではこの三代の天皇薨去されており、天皇を一代に限ってこの歌を理解しなくともよいのかもしれない。

③ 天武天皇の存命時の事実であると実証するのは困難な歌である。聖武天皇からみれば曾祖父である天武天皇のエピソードがこの歌になる。

  2-1-236歌: 2-1-235歌左注にある或本の歌。2-1-235歌の元資料か。五句「宮敷座」により、行事に伴う宴席で人麿は詠んでいる。

 2-1-237歌:この歌に次の歌が「媼」が和しているので、題詞の「天皇」は女性の天皇とみると、持統天皇か。御製の歌は、巻三雑歌ではこの1首のみ。

2-1-238歌:「媼」が和している歌。復命歌。

2-1-239歌:題詞にある長忌寸意吉麻呂は、人麿と同時代の人物である。応召の詳しい時点は不明であっても持統天皇あるいは持統上皇時に披露された歌として矛盾はない。

 2-1-240歌~2-1-242歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第二」参照。

  2-1-243歌~2-1-245歌:① 題詞の「弓削皇子遊吉野時・・・」について諸氏が、2-1-111歌の題詞「幸吉野宮時 弓削皇子贈・・」と同時期と指摘している。

② 三船山に雲は常にあるものの例と理解した。

 ③ 題詞に「遊」というが行幸準備。「遊」についてはブログ2022/3/14付け「20.⑥」以降を参照。④ 2-1-243歌は、常にある雲のようにいつまでも生きられるとは私は思ってもいない、という自らの生の無常を詠っている。直前の長歌反歌は、「おほきみは かみにしませば・・・」と詠い、直後の歌は、題詞に「この歌に和する歌」とあって「おほきみは ちとせにまさむ・・・」と詠っている。そうすると、作者は自分を卑下して「大君」を讃えていると理解できる歌となっている。天皇臨席の場ではこのような発想で讃えにくい。これからも題詞の「遊」という漢字は少なくとも「行幸」時の公の席のものではない、ということを意味していると思える。

⑤ 弓削皇子文武天皇3年(699)年薨去されているので、この歌の元資料は、文武天皇3年までに詠われていることになる。

 2-1-246歌&2-1-247歌:ブログ2022/3/28付け「5.」参照。宴席の歌。題詞にある「・・・之時」は話題になった時の意。この2首を含め2-1-249歌までが一つの歌群。

  2-1-248歌~2-1-249歌:ブログ2022/3/28付け「5.」参照。

  2-1-250歌~2-1-258歌:伝承歌からなる一つの歌群。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。ブログ2022/3/28付け「6.①」参照

  2-1-259歌~2-1-262歌:伝承歌。ブログ2022/3/28付け「6.①」参照

  2-1-263歌&2-1-264歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。新田部皇子が雪の日に人を寄せた際の歌と理解して、関係分類を「F」とした。

 2-1-265歌:ブログ2022/3/28付け「6.①」参照。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。

  2-1-266歌:四句「いさよふなみ」は何を暗示して居るか不明。四句と五句は、とどこおり漂う波の行方がわからない(伊藤博氏)と、流れきれずに居る波は流れ行くべき方もなく湛へられている(停滞に重きを置く土屋氏)という理解がある。

  2-1-267歌:①前後の歌の配列からは近江国大和国の地名を期待するところだが不明。 ②三句「神之埼」は「みわのさき」と『新編国歌大観』の『萬葉集』は訓む。2-1-157歌の初句「神山之」も「みわやまの」と訓んでいる。これは前歌にある「三諸之 神の神須疑・・」より推測が可能である。③土屋氏は、2-1-267歌の「神」を必ずしも「みわ」と訓まねばならぬ根拠はない、として「和泉貝塚市の東南近木川河口付近の地(行基が神崎船息を置いた地)とみるべき」と指摘。また四句の「狭野乃渡」の「さの」は神崎の東南に続いて今和泉佐野市がある、と指摘する。「わたり」は河海をわたる所の意、武庫のわたり、難波のわたり等の如く濟津をいふと同時に基地たる港をもいふやうに見えるからここのその意にとれば自然とも指摘し、五句の「家」は作者が宿るべき家とも指摘する。もともと人家がないことを確認している。④伊藤氏は現和歌山県新宮市三輪崎と佐野一帯、という。⑤四句にある「わたり」とは、土屋氏のいうように、地元の人だけでなく官人も公用に利用している常設の利用頻度がある施設か、その付近の意であろう。河の渡しであれば、その位置は河口を避け増水に備えられる微高地または段丘が近くにある河原という地点となり人家はない。船泊りであれば、その位置は官か行基が造った停泊施設であり、避難用であれば常住の人家がないところもある、と推測できる。⑥土屋氏の指摘する「神崎船息」とは『行基年譜』にいう活動のひとつで「神崎というところの船泊」を指すが、資料批判をすると、行基の活動拠点楊津院と一体となった神崎川下流の河尻(神崎)の泊であると推測できる。作者が降雨中の移動で海路または陸路という二つの推測ができる。⑦作者は伝未詳。文部天皇の御代に披露された歌ではないと積極的に主張できない。2-1-268歌:ブログ2022/3/28付け「6.①」参照。

  2-1-269歌:① 狩場から都に逃げてきたムササビが捕獲され献上に添えようとした歌がある(2-1-1032歌)。献上前に死んだのでそのままとなった。夜行性のムササビを、猟師が捕獲対象としていないだろうから、違和感のある取り合わせである。何者かを夜行性のムササビに例えている歌か。夜這いに失敗した男をからかった歌か。折口信夫氏の『口訳萬葉集』では「宴席歌」としている。

② 配列は、近江旧都を詠う人麿歌の次にある。また千鳥が鳴く歌に挟まれている。表E作成時は「今後の検討を要する歌。志貴皇子が何者かを積極的に例えている、とみて「関係分類」を「F」とした。

③ 巻三雑歌の最後になる2-1-387歌以降の歌の検討を終え、巻三が天皇の代で4つにグループ化されていることが確認できた時点で再検討した。

志貴皇子皇位継承争いの誰かを念頭に詠んだと理解されると(あるいはそのように誤解されると)政治的発言と捉えられる恐れがある。それでも志貴皇子の歌として巻三の編纂者の手元にあったのであろうか。しかし各氏族を代表しないような立場の官人が政治的見解をこの歌に付加して口にしてもするのは伝承歌であれば、それが知られたとしても咎められにくい。この歌の元資料は、漁師が別の名詞句になっていた伝承歌であり、官人にはよく知られた歌ではなかったのではないか。

巻三の最後の編纂者が、孫が天皇になった志貴皇子を先見性ある人物と仕立てたられる必要性を感じていたと思える。そのためには天武・持統の御代の歌が望ましい。「関係分類」の「F」は変わらない。

④ ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

2-1-270歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

  2-1-271歌:歌意保留。坂の地肌が赤いことを詠うのか。土屋説で、整理した。ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。

 2-1-272歌~2-1-280歌:ブログ2022/3/28付け「6.②」参照。作者高市連黒人は、持統・文武の頃の人と言われている。

 2-1-281歌:ブログ2022/3/28付け「6.③」参照。

 2-1-282~2-1-284歌:ブログ2018/1/29付け「3.及び4.」及びブログ2022/3/28付け「6.④」参照。作者春日蔵老は天平6年(701)還俗した弁基。

 2-1-285歌~2-1-287歌:ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。作者春日蔵老とは大宝元年(701)還俗を命じられた弁基。

   2-1-288歌:題詞「(人物名)往紀伊国・・・歌」は、公務の旅行時であるが、「幸…時」と記していないので行幸の従駕時ではない。この歌の前後には、公的な場ではないところでの軽妙な歌が多い。ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。

 2-1-289歌:作者名が、弁基が701年還俗時に与えられた名前である「春日蔵首老」である。それ以降の作詠時点である。ブログ2022/3/28付け「6.④」参照。

  2-1-290歌:① ブログ2022/3/21付けの本文「3.② 第三」とブログ2022/3/14付け「20.⑥~⑧」を参照。

② この歌に続く2-1-294歌とあわせて検討すると、皇位継承が延び延びになっている聖武天皇を待ち望むことが巻三雑歌として示唆されている。

  2-1-291歌:2-1-290歌と同じ「幸志賀時」の歌とみる。行幸が企画段階で終わったことが残念と詠う。

  2-1-292&2-1-293歌:①ブログ2018/3/26付け「2.~8.」及びブログ2022/4/4付け「8.①」参照。

② 元正天皇あるいは元明天皇の御代に披露されてない、と断言できない。

③ 歌は、月の見え始めと見納めを詠う対の歌。巻三雑歌の三つ目のグループとして2-1-292歌は、関係分類が「A1~B」以外の歌の最初に位置する。天皇は、女性が元正天皇元明天皇と2代続く。月は、元明天皇元正天皇を示唆しているか

  2-1-294歌:①ブログ2022/4/4付け「8.②」参照。さらに歌意の検討を次に記す。

 ② 歌本文二句の「之奈布勢能山」(しなふせのやま)を諸氏は「しなふ背の山」と訓む。巻三雑歌としては「なよやかに美しい、わが親愛なる男性」の意となり、祖母(元明天皇)からみた男の孫、あるいは姉(元明天皇)からみた弟にあたる「聖武天皇」となり得る。四句「吾越去(者」」は天皇即位を示唆するか。

  2-1-295~2-1-298歌:作者角麻呂は伝未詳である。この4首は、海岸線の緩やかな変化、漁民の穏やかな生活、住吉の松原の神々しさを詠う伝承歌。泰平な御代を詠っており、天皇の御代はどの代でも可能である。

  2-1-299歌&2-1-300歌:ブログ2022/4/4付け「8.③」参照。

  2-1-301歌:ブログ2022/4/4付け「9.」参照。作者弁基を還俗させたのは文武天皇であるが、作者の新たなスタートを元明天皇の御代のスタートになぞらえたと配列から推測できる。

  2-1-302歌:① ブログ2022/4/4付け「10.①」参照。元資料は宴席の題詠かと思うが、関係分類は「I」とした。

② 土屋氏は「勘の部類」だとして作者を大伴旅人と言い、巻三の配列が歌の「製作年代」に割合に無関心。編纂者は巻一と巻二の拾遺のつもりらしい、のも「勘」という理由のひとつ、という。

③ 元資料の作詠時点と作者の検討はともかく、巻三編纂者が、2-1-301歌と2-1-303歌の間に配列していることを重視した。

④ 雪が降り積もる時期もよい時期(御代)であると詠うか。

 2-1-303歌&2-1-304歌:① ブログ2021/11/15付け「11.④~」及びブログ2022/4/4付け「10.①」参照。

② 巻三雑歌としては、「妹」に今上天皇の御代を暗喩して讃えていることになる。

 2-1-305歌:① ブログ2022/4/4付け「10.①」参照。

②巻三雑歌としては、初句「児等之家道」(こらがいへぢ)が聖武天皇への皇位継承への道筋を示唆するか。

 2-1-306歌~2-1-307歌:① ブログ2022/4/4付け「10.②」参照。

② 元資料は、穏やかな治世を詠うといえる伝承歌ではないか。

③ 巻三雑歌としては、二句「遠乃朝廷(跡)」(とほのみかど(と)が、当時、既に立太子しているので首皇子は次代の天皇と確定しているので春宮を示唆するか。

2-1-308歌:① ブログ2022/4/4付け「10.②」参照。

② 巻三雑歌としては、文武天皇崩御の時点では皇位継承候補に天智系皇子は論外ということか。

  2-1-309歌: ブログ2022/3/14付け「20.⑥~⑧」、ブログ2022/3/21付け「3.② 第三」及びブログ2022/4/4「10.③」参照。題詞の「・・・之時」という書式に注目。

  2-1-310~2-1-312歌:① 作者の法師は伝未詳。歌の内容からも作詠時点及び披露時点は不明である。ブログ2022/4/4「10.④」参照。

② 巻三雑歌としては、「久米能若子」は文武天皇を示唆しているか。

 2-1-313歌:ブログ2022/4/4「10.④」参照。

 2-1-314歌:ブログ2022/4/4「10.④」参照。 

  2-1-315歌:①ブログ2022/3/14付け「20.③」参照。作者藤原宇合が知造難波宮事に任じられた時(神亀3年(726)10月)の予祝の歌(伊藤氏)として復唱復命した歌。11種の「関係分類」では、A1よりも、造難波宮に関する歌と捉えられるので、Bとする。 ②難波宮聖武天皇が命じて天平4年(732)完成(後期難波宮といわれる)。

  2-1-316歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第四」参照。

 2-1-317歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第五」参照。蝦夷征討軍一同への挨拶歌。

  2-1-318&2-1-319歌:①割注(「未経奏上歌」)は、後人の作であり、題詞を誤解している。

②2022/3/14付けブログ「20.⑥~⑮」参照。題詞にいう「暮春之月幸芳野離宮時」とは神亀元年3月1日からの聖武天皇行幸が最有力である。

行幸される吉野の景は以前よりもさやかである(天武天皇の御代を越える御代となるだろう)と予祝した歌。

 2-1-320&2-1-321歌:ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。富士山を詠う赤人歌は、聖なる山のように今上天皇の御代が後々まで言い継がれてゆかれるようになる、と予祝する歌である。この歌は聖武天皇の即位の一連の行事でのある宴席で披露が可能な歌。

 2-1-322歌~2-1-324歌: ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。今上天皇は富士山のように誰もが仰ぎ見る方である、と予祝する歌。

  2-1-325歌&2-1-326歌:ブログ2022/3/21付け「3.② 第六」参照。船出の故事を詠い、旅中歌というスタイルの予祝の歌。

 2-1-327歌&2-1-328歌:①ブログ2022/3/14付け「20.⑤」参照。②上記3つの長歌を献じられた今上天皇が、応えた歌である。天武天皇への誓いを詠う。赤人が代作して儀礼中に披露されたか。長歌は「いにしへおもへば」と詠いおさめる。

 2-2-329歌:①ブログ2022/4/11付け「11.」参照。題詞(倭習漢文)にある「見」字は、「見定める・見計らう」意。②今上天皇を頂いて、海の民なども心置きなく生活しており、ありがたいことだ、と詠う歌であり、関係分類は「C」(天皇の下命による官人などの行動に伴う歌群(Dを除く))。③漁火の示す現実(泰平)に作者の門部王が気付いた歌。④作詠時点は藤原広嗣の乱が生じる前です。

 2-1-330歌:ブログ2022/4/25付け「12.③」参照。歌本文から作詠時点・披露時点の特定は困難な歌。

  2-1-331~2-1-340歌:①ブログ2022/2/14付け「18.⑨」参照。旅人が大宰師在職中の大宰府における同一の宴席での歌。②大宰府にあって、遥かに奈良(平城京)の盛観をしのび幾分の憧憬を交へての歌(土屋氏の意見)。③順調な御代を詠っている。

2-1-331歌:①ブログ2021/11/29付け「13.②~④」参照。歌本文にある「寧楽乃京師」は平城京を賛美している。②ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。

  2-1-332歌~2-1-333歌:作者防人司祐(正八位上相当の職)大伴四綱は、神亀17年(745)頃正六位上雅楽助となっている。

  2-1-334歌~2-1-338歌:師大伴卿の歌。

 2-1-339歌:ブログ2022/2/14付け「18.⑦~」参照。大宰府任官中である)同席者を慰める歌。

  2-1-340歌:ブログ2022/2/14付け「18.⑨」参照。筑紫を「退出する」即ち都に栄転する気分を詠う。

  2-1-341~2-1-353歌:ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。土屋氏は「中国の讃酒歌にならった妻を亡くした後の大宰師大伴卿の歌」という。

  2-1-354歌:ブログ2022/4/25付け「12.④」参照。旅人讃酒歌に和した歌。この歌も泰平の世を寿いでいる。

  2-1-355歌~2-1-359歌:① ブログ2022/4/25付け「12.⑤」参照。各歌とも作者は伝未詳。聖武天皇の御代に披露されたことがないということを証するのは難しい。

 ② 2-1-357歌にある「白雲」と2-1-358歌にある「塩焼火気」が山になびく意は要検討。

  2-1-360歌~2-1-372歌:①ブログ2020/10/26付け「11.⑦~」及び同ブログ「付記1.」参照。

② 聖武天皇の御代活躍した官人の歌とみなせます。ブログ2022/4/25付け「⑥~⑧」参照。

  2-1-373歌:暗喩があり、主賓の到着を待ち望んでいる歌となる。ブログ2022/4/25付け「12.⑨」参照 また、ブログ2020/10/26付け「11.⑦」参照。

  2-1-374歌:① 望郷(京)歌。ブログ2022/4/25付け「12.⑨」参照 

② 伝承歌。ブログ2020/10/26付け「付記1.」参照

  2-1-375~2-1-377歌:① ブログ2022/3/21付け「3.② 第七」&ブログ2022/4/25付け「13.~14.」参照。作者赤人と石上乙麿であり聖武天皇の御代でも披露された歌。配列から作詠時点は天平初期であり、聖武天皇に皇子誕生を官人が期待していたころ。

② 2-1-375歌ほか1首の題詞にある「登春日野」には祭祀を行う意が暗喩されている。

③ ブログ2020/10/26付けで検討した際は巻三雑歌全体の配列が考慮の外であったので、元資料の理解に留まっていた。

④ 2-1-377歌は2-1-375歌と2-1-376歌(長歌反歌)に和した歌。

  2-1-378歌:①ブログ2022/3/21付け「3.② 第八」、同ブログ「3.③」及びブログ2022/5/2付け「15.①~④」参照。天武天皇以降天皇家の聖地となっている吉野は湯原王が一人の決断で行けるところではない。題詞にある「遊」は「幸」の時の歌ではないことを示す。行幸準備(事前の現地確認など)での吉野行ということになる。

② 2-1-375歌以下3首と時系列に配列されているとすると、その3首での皇子、即ち、聖武天皇崩御後の天皇の吉野への行幸準備という理解も可能である。それは関係する天皇が「寧楽宮」に相当することになる。

③ 湯原王志貴皇子の子で白壁王(後の光仁天皇)の弟で各種史書に叙位・任官の記録がない人物。

 2-1-379~2-1-380歌: ①ブログ2022/3/21付け「3.② 第九」&ブログ2022/5/2付け「15.⑤~⑫」参照。

④ 参照ブログに訂正を要する箇所がある。「15.⑪」の記述「天武系の人物の・・・天智系の天皇・・・」は、「天智系の人物の・・・天武系の天皇」に訂正する。錯誤であった。

⑤ 元資料は、「15.⑨」に指摘したように皇太子(阿倍内親王)が五節舞を舞った際の歌であり、巻三の歌としては、編纂者が題詞を新たにしたことで(広く)次の天皇への忠誠を詠う歌としている。

⑥ また、『萬葉集』にある歌の披露された最終時点と『萬葉集』が公表されるまでの間に、皇統が天武系から天智系に変わった。天武系の人物が継承できない事態を無念に思うのは、必死に皇統を守ってきた女性の天皇たち(持統天皇元明天皇元正天皇)ではないか。これらの天皇への何らかの配慮は、皇統を継いだ天智系の天皇の立場からはかかせない。そして『萬葉集』の公表の許しを得るためには、今上天皇への配慮は『萬葉集』編纂者として欠かせない。

このため、巻一雑歌にならい、前天皇に関する歌を、次の天皇に関する歌の前に配列した、という理解も有り得る。

 2-1-381歌:① ブログ2022/3/21付け「3.② 第十」の指摘をブログ2022/5/16付け「16.」で検討。

② 「故太政大臣藤原家」は聖武天皇の皇后(光明子)の居住地で立太子された基王の生まれたところ。

③ 元資料の歌としては、「古い堤」は、ゆるぎない律令体制、「池」とは今上天皇と皇太子をいう。聖武天皇の皇太子を対象にした歌であり臣下として祝意を示した予祝の歌。あるいは、光明子立后のお祝いの歌という理解もあり得る。

④ 巻三雑歌の歌としては、「古い堤」は、ゆるぎない律令体制、「池」とはこれから即位する天皇。この歌は予祝の歌。天皇の代を意識したグループ分けでは第四グループの歌。

⑤ 土屋氏は、この歌を「それほどさしせまった懐旧の情に燃えて居るといふ態のものではない」と評している。

 2-1-382&2-1-383歌:① ブログ2022/5/30付け「17.~19.」参照。

② 題詞は、「作者が、「祭神歌」と称せる類の歌を一首詠んだ」、というメッセージ。確実に将来、この世の「君」にあえることを祈願した歌、と理解できる。

③ 元資料の披露は、第一候補が天平5年の例祭時、第二候補が天平勝宝2年の例祭時。その両年遣唐使が渡唐しており、その一員に(一族の1人)大伴古麻呂がおり、彼が無事任務を果たし帰国することを祈願した歌。歌本文にある「君」とは、代名詞(対称。あなた)の意で大伴古麻呂を意味する。

④ 巻三の歌としては、あいたい「君」は、将来の天皇あるいはその御代。「君」は、名詞であり「天皇、自分の仕える人」の意。

⑤ 左注は後世のもの。

 2-1-384歌:① ブログ2022/6/6付け「20.」参照。

② 元資料は伝承歌。乗組員や乗船者(官人)に贈った送別歌。題詞にある「行旅(歌)」とは、「旅の行程全体(の心得に関する歌)」。贈られた者は無名の人物でもあり得る。

③ 無名の人物が天皇に準じる人物を示唆している例が、巻三挽歌の筆頭歌2-1-418歌にある。

④ この歌は、荒々しいのが常の海の旅路の心構えを詠っている。巻三雑歌としては、この歌を贈られた人物を今上天皇とみると、天皇家の人々や官人とも別れて船出して行く先は、あの世である。前後の歌の配列を考慮すると、この歌は今上天皇から次の天皇への代替わりを示唆しているのではないか。

  2-1-385&2-1-386歌:① ブログ2022/6/27付け「21.」及びブログ2022/7/4付け「22.」参照。

② この歌には、当時の常識と異なり筑波山に「国見する山」の意が付与されている。また作者が誰と一緒に登ったかは題詞にも記されていない。それを想像させる歌。

③ 歌本文に、山頂における行動や感動が詠われていない。長歌の2-1-385歌は、筑波山は時期を選ばずに登らなければならない山だから登ってきた、と詠う。筑波山天皇位の代名詞とみると、避けることができないので即位の道を歩む、という意となる。反歌の2-1-386歌は、見上げてばかりではなく登ってきた、と詠う。この歌が、作詠・披露した人物の感慨を詠っているとすれば、一緒に登った人物(国見する人物)への思いがこもった歌となる。

  2-1-387歌:① ブログ2022/7/11付け「23.」、ブログ2022/7/18付け「24.」及びブログ2022/7/25付け「25.」参照。

② 歌本文の「‘韓’藍」には、「新到の観賞用植物である現在のケイトウ」のほかに、「外国より渡来した観賞用の植物以外のもの」の意を付与できる。即ち渡来者、仏教、律令制の国家像の意が付与可能。

③ 元資料は、「韓藍」はケイトウを詠う。聖武天皇の御代を過ぎて後に作詠(披露)された歌。しかし(赤人作の歌という)題詞からは編纂時点からみると伝承歌である扱いである。

④ 巻三雑歌の歌としては、「韓藍」に「近い過去に渡来した人物(たち)」の意を加えている。

この歌は、2-1-381歌とともに、「(聖武天皇皇位継承者としてお認めになっている)将来の天皇」を示唆している歌となっている。

  2-1-388~2-1-390歌:① 次の6つのブログ参照。ブログ2022/8/1付け「26.及び27」、ブログ2022/8/15付け「28.」、ブログ2022/8/22付け「29.」、ブログ2022/9/5付け「30.」、ブログ2022/10/3付け「31.」及びブログ2022/10/10付け「32.」。

② 元資料の歌は、特定の話題について往復した歌3首か。題詞は、倭習漢文として、漢字の意義を踏まえても「仙なる柘枝(つみのえだ)に関する歌三首」という理解となり得る。巻三の歌としては、『柘枝伝』(しゃしでん)に登場する「つみのえだ」を題材とした3首と表面上なっている。

③ 2-1-388歌の初句に用いられている「霰」字は当時、現在の「あられ」と「ひょう」を総称した字。「霰」にあった男女を第三者の作者が詠う。

④ 2-1-389歌は、「つみのえだ」を手に取るのは納得がゆくと第三者が詠う。

⑤ 2-1-390歌本文にある「いにしへにやなうつひと」とは、天武天皇を象徴している。「つみのえだ」を今手にした当事者を、第三者が詠う。

 2-1-391&2-1-392歌:① 雑歌の最後の歌。ブログ2022/3/21付け「3.② 第十一」では官人の都へ帰任の歌と推測し、「C」と判定し、作中人物が不明であったが、ブログ2022/10/10付け「33.」で検討した結果は次のとおり。

② 元資料は、別々の伝承歌。

③ 巻三雑歌の歌としては、長歌2-1-391歌が、淡路島からある目的地にむかう乗組員の長の歌。反歌2-1-392歌が、その目的地から乗船した者が船上において大和に心ひかれていると詠う歌。乗船者の名が伏されており、この長歌反歌は、律令体制の再出発、新たな皇統の出現を祝う歌となり得ている。

(「38.」 終り )

ブログ「わかたんかこれ・・・」をご覧しただき、ありがとうございます。

次回は、『萬葉集』巻三の挽歌を検討します。

(2022/11/7    上村 朋)