前回(2025/6/30)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第47歌の六回目です。
1.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-46歌まで、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを再確認した。歌は、『新編国歌大観』より引用する。
『猿丸集』の第47番目の歌(付記1.参照)にある「ゆふつけとり」の意を検討中である。
2.~7.(承前)
8.再考 3-4-47歌の歌本文 その5 宇津保物語のゆふつけとり
① 「ゆふつけとり」に関する1050年までの用例19首(下記⑭の表参照)のうち、5-419-72歌と5-419-672歌を、確認をします。ともに『宇津保物語』にある歌です。
『宇津保物語』は、平安時代中期の10世紀後半に成立した日本最古の長編物語です。松野彩氏は、「平安中期の貴族の生活が数多く描写されており、作者は,漢学の素養のある男性と推定されている」と指摘しています(『新典社研究叢書269』)。
作詠時点を今回訂正します。『公任集』の記述によって『宇津保物語』の当該巻が成立していたのが確かな「永観2年(984)以前」とします。
前回は『日本国語辞典』(小学館)での「(全巻は)十世紀後半の天祿~長徳(970~999)頃の成立とされる。」に拠っていました。
これにより、「ゆふつけとり」19首の作詠順は前回確認した賀茂保憲女の詠った歌3首より以前となります。
② 『宇津保物語』は、『新編国歌大観』では、「円融天皇(在位:969~984)の時代に成立。末巻の「楼の上」は一条天皇(在位986/8/1~1011/7/16期にはいってからの補作かとも。」、とあります。
中野幸一氏は、「全巻の成立は、円融朝の天元以後、一条朝の初期にかけてのほぼ10年間」(『新編日本古典文学全集15 うつほ物語』の「解説」)としています。
5-419-72歌と5-419-672歌のある巻は、「沖つ白波」の巻以前にあり、「沖つ白波」の巻までは、『公任集』の記述によれば永観2年(984)頃以前の成立、『枕草子』の記述によれば長徳2年(996)以前の成立、と諸氏は指摘しています。
③ 最初に、5-419-72歌を再確認します。
物語にある歌であるので、直前の地の文(直前の歌をも含む)を詞書とみなして引用すると、次のとおり。「藤原の君」という巻にあります。「藤原の君」は絶世の美女「あて君」をめぐる求婚譚です。
「たなばたはすぐさぬものをひめ松の色づく秋のなにやなりけり(5-419-71歌)。今日よりも、ありがたき人になむ」とて、御使ひに、女の装束さうぞく一領くだり賜ふ。宮、「貴(あて)こその上につけて、人の御文見るこそ、あはれなれ」とて、春宮の御文に、かく書き付けて、貴宮に奉り給ふ。
歌本文は、次のとおり。
5-419-72歌 すもりごとおもひしものをひなどりのゆふつくるまでなりにけるかな
④ 地の文の現代語訳の例を示します。
「七夕は今日必ず相逢って時を逸しないのに、姫松の色づく秋のないのはどうしてでしょうか(5-419-71歌)。年に一度の今日よりも、なかなか逢う機会がないお方です。」と書いて、東宮からの文使いに、女の装束を一揃いお与えになる。
大宮は、「あて宮の身の上につけて、いろいろな方々のお手紙を拝見しますのは、感慨無量です」といって、東宮のお手紙に次のように書きつけて、あて宮にお見せになる。」(『新編日本古典文学全集15 うつほ物語』)
「藤原の君」では、一族単位に行う七夕の行事にあたり、成人女性は河原で身を清め(お祓いをうけ)たのち、「ゆふ(木綿)」を身に着けて奉仕するという設定になっています。この一族では、奉仕のひとつに、女性成人が琴を弾く、という設定になっています。
なお、この奉仕が当時の貴族たちの七夕の行事の常例か作者の創作かは不明です。
物語では七夕の行事をはじめ、年中行事について、作者は、音楽を披露する場として重視しています(松野彩氏)。
⑤ 5-419-72歌本文の現代語訳の例を引用します。「すもりご」とは巣守子と漢字表記できます。また、この歌は、賀茂の河原での祓えの場を踏まえた歌と指摘している現代語訳です。
「今までまだ孵化しない卵だと見ておりましたのに、雛鳥が木綿(ゆふ)をつけるまでに成長しました。」(同上)
この現代語訳は、作者(大宮)は、この歌の初句~二句で我が子(あて宮)への過去の認識を語り、三句以降で、(東宮からも文を頂く状況になり)我が子の成長した姿に満足の意を述べている、と理解している、といえます。
⑥ さて、いくつかの語句を確認します。
初句にある「すもりご」とは、名詞「巣守」+名詞「子」あるいは接尾語「子」と理解できます。
名詞「巣守」とは、「(巣の留守番の意であり)a孵化しないで、巣に残った卵。b(上記aのように、)あとに取り残されること。また取り残されたもの。」の意です(『例解古語辞典』)
この歌での「すもりご」とは、孵化しないで巣に残った卵のように取り残された子の意です。源正頼の九女であるあて宮は親が手放したがらない特にかわいがった子供という意識でこの歌は詠まれているのではないか。
四句にある「ゆふつくる」とは、名詞「ゆふ(木綿)」+動詞「つく」の未然形+助動詞「る」です。
「ゆふ(木綿)を身に着けることができる」、即ち「七夕の行事の際、身を清めて役をこなすような年頃の一人になった」ということであり、立派に成長したことを指しています。それは婿取りをしてもおかしくない年齢(とそのための準備を進めてきていること)を示唆しています。
中野幸一氏は、「ゆふつくるまで」について次のように指摘しています。
「木綿(ゆふ)を付けて成長した鶏としての役割を果たすことができるまで」、の意。「ゆふ」は女性としての役割を担って正装する(すなわち、一族の期待を担って入内する)意を掛ける。
しかし、物語では、すぐ入内する展開になっていません。
⑦ このため、この物語の中の歌としてこの歌の現代語訳を試みると、東宮が寄せた手紙に書きつけた歌であるので、あて宮に関する今の思いを述べた歌、と理解し、次のようになります。
「今まで巣に残っている卵だと思っていたのに、もうひな鳥も卒業し、貴方は、(七夕の行事の際)木綿(ゆふ)をつけるまでになったのですねえ(このような方から文を頂きました)。」
この歌での「ゆふつくる」という語句は、「ゆふつけとり」と関係ある語句とは、言えません。検討の対象外とすべき歌でした。19首から除外してよい、と思います。
⑧ 次に 5-419-672歌です。
物語にある歌であるので、直前の地の文(直前の歌をも含む)を詞書とみなして引用すると、次のとおり。「内侍のかみ」という巻にあります。
「・・・大将、「なほ定めがたくなむ。なほゆふつけ鳥の、ひると鳴くなる声なむ聞こゆる。いづれにか侍らむ。不当になむただ今も覚へはべる」とて
「しののめはまだ住の江かおぼつかなさすがに急ぐ鳥の声かな(5-419-671歌)。
これをなむ、承りわづらふ」と申したまふ。上、うちわらひたまひて、尚侍の御もとに、「聞きたまへ。かく人の申さるめる。ここには聞きなむまさる」とて」
歌本文はつぎのとおり。作者は上(朱雀院)です。
5-419-672歌 ほのかにもゆふつけどりときこゆればなほあふさかをちかしと思はん
⑨ 地の文と歌本文の現代語訳の例を示します(『新編日本古典文学全集15 うつほ物語②』(中野幸一校注、小学館2001/5)より)。
「・・・右大将(兼雅)は、「どうも判定しにくうございます。そのうえ、ゆうつけ鳥がひると鳴くような声もきこえます。どちらでございましょう。ただ今も理が通らないと思っております」といって、
暁になってもまだ暗いので、夜が明けたかどうかわかりません。そうはいうものの、せわしく暁を告げる鳥の声であるよ(5-419-671歌)。
ご下問になられても、お答えしかねております」と(兼雅は)返事申しあげる。帝はお笑いあそばされて、尚侍のところへ、「あれをおききなさい。あのように人は申すようだ。私は鳥の声を聞いてますます愛情が勝るのだが」とおっしゃって、」
たとえかすかでもゆふつけ鳥の声が聞こえたら、やはりそなたとお逢いできるのは近いことだと期待しよう(5-419-672歌)。
⑩ 5-419-671歌の作者は、暁という時間帯か白み始めた時間帯かは判らないが、鳥が鳴いているのはたしかです、と時間帯を断定していません。五句にある「鳥」とは、歌の前の文によって「ゆふつけとり」を指しているのは確かなことです。朝早く鳴いている「ゆふつけとり」ですから、1-10-821歌に詠う「ゆふつけとり」が候補となり得ます。夕方に鳴く「あふさかのゆふつけとり」ではありません。
にもかかわらず、5-419-672歌の作者(上)は、5-419-671歌に登場する「ゆふつけ鳥」は「あふさか」と縁がある鳥と言い切っています。
作者が逢いたい(再度琴を聞かせてほしい)と頼んでいる相手は、尚侍(俊蔭女)です。
⑪ また、物語では、すぐ尚侍のおとど(俊蔭女)が次のように申し上げています。
「なをのみはたのまぬものをあふさかはゆるさぬせきはこえずとかきく(5-419-673歌)
なほ、不当になむあなる」。・・・
上記の文の現代語訳の例を引用すると、
「逢坂という名ばかりで頼みにならないものですのに、逢坂の関は関守が許さなければ越えられないとか聞いております。(5-419-673歌)
やはり道理に合わないようです」(同上)
このように、5-419-672歌の作者の願いは無理と申し上げています。
松野彩氏は、歌本文の三句以下にある「あふさかはゆるさぬせきはこえず」の「ゆるさぬ」人物は「あふさかの関守」であり、それは内侍の夫である兼雅を指すと指摘しています。
⑫ さて、5-419-671歌から順に「とり」を確認します。
5-419-671歌の作者(兼雅)は、「しののめと呼ぶのにも早い頃鳴く鳥」を詠んでいます。その鳥は詞書相当の地の文にいう「ゆふつけとり」を指し、朝を告げる鳥としてです。逢うことが叶った後の後朝の別れを急がせる鳥というイメージは伴っていません。
5-419-672歌の作者(上)は、5-419-671歌にある鳥を「ゆふつけとり」とみなしています。「ゆふつけとり」であれば、1-1-634歌のように逢える前に鳴いてくれる鳥(あふさかのゆふつけ鳥)がいるではないか、と指摘しています。
5-419-673歌は、「ゆふつけとり」を景として詠まず、「あふさか」のみを詠っています。逢うには関守りの許可を要し、「ゆふつけとり」自身ではどうにもならない、と作者は詠っています。
この3首の「ゆふつけとり」は、「あふさかのゆふつけとり」と1-10-821歌のゆふつけ鳥を明確に分けて認識していない、といえます。「ゆうつけとり」は古今集以前から、鶏の異名となっている、と認識しているようです。
⑬ 5-419-672歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。
「ほんのすこしだけでもゆふつけ鳥の声が聞こえてきたのならば、その鳥がいるという逢坂の縁から考えてもそなたに逢う機会が近いのではと私は思う。」
5-419-672歌の作者は、1-1-634歌を頼り、1-1-536歌は忘れています。「あふさかのゆふつけ鳥」は逢えるにも逢えないにも縁があることになるのに、都合のよい詠いぶりです。
このため、この5-419-672歌での「ゆふつけとり」の意は、朝方に鳴く鶏をイメージした1-10-821歌の理解でもない、と言えます。単に鶏の異名という理解です。
⑭ 今回の確認により「ゆふつけとり」を詠う歌の検討対象は、次のとおりになります。1050年以前が作詠時点と推計した歌は1首(5-419-72歌)減り、下記の表のように18首となりました。
表 「ゆふつけとり」を詠う『新編国歌大観』収載歌で1050年以前が作詠時点と推計した歌18首の時代区分別一覧)(2025/7/7現在)
時代区分 |
歌番号等 |
作者の訴えていること |
ゆふつけとりの描写 |
萬葉集の時代 |
無し |
|
|
古今集よみ人しらずの作者の時代 |
1-1-536
1-1-634
1-1-995 |
まだ逢えない時の夕方時点の恋心(恋の歌) 今夜逢えると確定した時の喜び(恋の歌) (判断保留) |
あふさかの鳥 夕方鳴く
あふさかの鳥 夕方鳴く
鳥がたつたのやまで鳴く 時間帯不定 |
上記以降の三代集の時代(作者が個人名などの歌その1) |
1-1-740
3-13-87
1-2-982
1-2-1126
5-417-21
|
地方赴任中の男に寄ることを求める歌 男が単身で地方勤務のとき、都にいる女が自分の行動を弁明 婉曲に別れを告げる
通り過ぎた友に挨拶をする 文のやりとりに留まっている嘆き(恋の歌) |
あふさかの鳥 鳴く時間帯は昼間 (890以前の作詠)
あふさかの鳥 鳴く時間帯不定 あふさかの鳥は作者を指す あふさかの鳥 夕方鳴く 夕告げ鳥であり作者を指す (作詠時点907年) あふさかの鳥 夕方鳴く(923以前の作詠) |
上記以降の三代集の時代(エポックメイキングな歌) |
1-10-821
|
後朝の歌 我もつらくて泣くと訴える |
木綿(ゆふ)つけ鳥(あふさかの鳥ではない) 暁に鳴く(作詠943以前 詞書の「暁別」から鶏と即断しなくともよい) |
上記以降の三代集の時代(作者が固人名などの歌その2) |
5-416-188
5-416-258
2-16-12765
3-28-264
5-419-72 (削除) 5-419-672
3-60-20
3-60-164
3-60-188
3-4-47 |
逢えずに戻った翌朝に送った恋の歌 側に居る女に、泣く理由をきくあるいは泣かれるとまどいをぼやく 後朝の歌
引き留める(恋の歌)
子の成長を喜ぶ
逢いたいとさらに訴える歌(恋の歌)
長い春の日の歌
女の後朝の歌
宇治の夜の景朝の景
恋の歌だが判断保留 |
あふさかの鳥 夕方鳴く (951年以前の作詠)
たつたのやまに居る鳥 泣く時間帯不定(あるいは夜か)
暁に鳴く「ゆふつけの鳥」(元真集では鶏と限定できない) 暁に鳴く「ゆふつけの鳥」(元真集では鶏と限定できない) ひなどりがゆふつくるまでになる
ゆふつけ鳥はあふさかに縁ある鳥。かつ鶏の異名。しののめに鳴く鳥をあふさかの鳥とみなす 鳴く時間帯に言及なし(前歌が暁夜明けに鳴く鳥を詠む) 「しだりもながき」の形容により鶏が有力 明け方鳴く 鳴き声のみ 鶏 明け方に鳴く (3-60-20と同一作者) 鶏 鳴くことに言及無し (3-60-20と同一作者) 鳥がたつたのやまで鳴く 時間帯不明 |
計 |
計18首 |
|
計18首(うち2首作詠事情保留) |
注1)歌番号等とは、『新編国歌大観』の巻数番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号。各歌の1050年までの類似歌は割愛している。
注2)作詠時点の推定方法は、ブログ2017/3/31付け参照。最遅の時点を推測している。
注3)歌は、私の理解による。
注4)1-2-982歌は、ブログ2025/6/16付け本文に記したように、作者名をよみ人しらずに訂正したので、作詠時点が905年以降となり、2025/6/9現在の表を訂正した。それに伴い時代区分の名称も変更した。
注5)1-10-821歌の理解は次のとおり。「貴方と一夜共にすごして、今、下紐を結んで(結う)いると、ゆふという語句に縁のある鳥(ゆふつけ鳥)がその時を待っていたかのように鳴きだした。後朝の別れはつらく、私は涙がこぼれて止まらないことだ。」
この歌は、詞書によると歌合の歌で「暁別」と題する歌である。この歌の「ゆふつけ鳥」は「結ふ」と同じ平仮名表記する「木綿」(ゆふ)を付けた鳥であって、1-1-536歌での「あふさかのゆふつけとり」と同じではないことになる。
(注終わり)
⑮ 確認する残りの歌は3-4-47歌となりました。「ゆふつけとり」に関しては同時代の作者の理解と同じであろう、としかいまのところ指摘できません。
1-1-995歌とともに、その他の語句(三句のからころもなどなど)の再検討をし、作者の訴えたいことを確認することとして、それまでは保留とします。
次回は、3-4-47歌の三句にある「からころも」などについて再確認します。
ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
付記1.『猿丸集』の第47番目の歌及びその類似歌と諸氏が指摘する歌は、次のとおり。清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じである。
3-4-47歌 あひしりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける
たがみそぎゆふつけどりかからころもたつたのやまにをりはへてなく
その類似歌は、古今集巻十八の部立て「雑歌下」にある1-1-995歌である。
題しらず よみ人しらず」
たがみそぎゆふつけ鳥か韓衣たつたの山にをりはへてなく
(付記終わり 2025/7/7 上村 朋)