わかたんかこれ 萬葉巻四 ペンネーム「大伴家持」 配列その8

 前回(2023/4/10)に引き続き『萬葉集』巻四の後半の配列を検討します。(2023/4/24  上村 朋)(2023/8/15 下記「11.③」の表における2-1-767歌の整理の誤りを正し、記⑨の「2-1-584歌等の題詞」の表記を追記したほか引用ブログの日付を正した)

1.~10.承前

萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を、巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。巻四の「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、聖武天皇の後代の御代に関する歌群のあることが、推測できました。その題詞以降の題詞(とそのもとにある歌本文)について確認中です。

11.巻四後半の配列

① 巻四の2-1-724歌以降の配列を、これまでに倣い題詞の作文パターンを重視して、検討します。

 すべて相聞歌なので、おくった歌とそれに対する返歌で一組の歌群を成す、ととらえ、それを再確認します。

 歌群は巻四編纂者の作文している題詞により確認し、次に歌本文を検討します。

歌をおくる(発意する)側の題詞とは、題詞において「献・贈・賜・思・・・作歌」という用字のある題詞のほか、「作者名+歌〇首」という作文パターンの題詞とします。

② ただし、「献」字のある題詞のもとにある歌は、機会をつくりあるいは捉え献じたとすれば「おくった歌」ですが、機会を与えられて献じたとすれば、返歌とも理解可能です。ここでは前者として整理します。

 返歌をした側の題詞とは、「和歌・報贈・来報」という用字のある題詞とします。ただし、「報贈」・「来報」の意は、前回のブログ(2023/4/10付け)「10.⑤」に記した漢字の意から推測した意のうち、「返事の歌をおくる」・「そののち返報する」と整理します。

 それぞれのもうひとつの意は、「(怨・徳・思などの仕返しの)思いを託した歌をおくる」・「そののち徳・思いをかえすあるいは「これからさき徳・思いをかえす」です。その場合、おくった歌か返事の歌かの判断は歌本文の理解と前後の配列によることになります。

 また、「報贈」・「来報」には、2意があるので、歌意が二つあることになります。そのひとつは巻四においておくる側とおくられる側に身分差を意識した用語ともなっています。同音異義の語句として巻四編纂者は題詞を作文する際用いています(ブログ2023/3/28付け参照)。

 また、大伴家持坂上大嬢におくる歌と題詞は、ブログ2023/3/13付けの検討結果を踏まえ3区分します。

③ 結果を次の表に示します(2-1-724歌直前の題詞2題を参考として表に付記します)。これをもとに、さらに題詞を中心として検討すると、2-1-724歌以降の配列について次のことが指摘できます。

 第一 2-1-724歌以降の題詞において、題詞にある「贈・報贈・賜」字と「思」字などが同音異議の語句として用いられており、多くの歌本文の歌意は1案に収斂できず2案を認めざるを得ない。

 第二 このため、歌の作者は、題詞に明記してある作者のほかに、その明記の人物名をペンネームにした別の人物が認められる。具体には、ブログ2023/3/6付けの「7.②」の「第二」の指摘のとおり。

 第三 そのほか、同上ブログの「7.②」の「第一」と「第三」も指摘のとおり。

 第四 題詞に明記した人物名をペンネームとした別の人物の歌として、巻四には、聖武天皇以降の御代を詠った歌を配列している。その最初の歌は、2-1-724歌ではないか。同上ブログの「7.②」の「第四」の指摘のとおりである。

 第五 このような配列であるすると、歌の理解に論がある2-1-776歌などは歌意に2案あるので、理解がすすむ。

 第六 このため、巻四の最終編纂時点は、光仁天皇の御代以降と推測できる。『萬葉集』の巻一~巻四が天皇の賛歌・天皇の御代の隆盛を歌により示すことを目的としていることが明確になる。

 第七 「寧楽宮」とは、禅譲をうけた新しい皇統の宮という意を含意しているか。

 第八 ブログ2023/1/21付け「3.①」に示した作業仮説は正しい。

 

表 2-1-724歌以降の題詞の、作者別・相手別・題詞の用字別一覧 (2023/4/24現在)

歌の作者

おくった相手

題詞にある用字と歌のグループ別 

そのもとにある歌番号

歌本文も検討したブログ

献・贈・

思・・・作歌

和歌・報贈・来報

記載なし(未詳の人物)

天皇

献  A0    

献  B0

 

724

728~729

2023/2/20付け

同上

家持

記載なし(未詳の人物)

(献・贈字無し)C0

 

 

 

 S2

725

 

767

2023/2/20付け

 

 

坂上大嬢

 贈  D 0

 

 

 

更・・・贈  E0

 

又・・・和歌  O2

又・・・和歌  P2

又・・・和歌  Q2

 

730~731

735~737

739

742~743

744~758

 

 

 

 

 

思・・・作歌 F1

更・・・贈  G0

 

768

770~771

2023/3/13付け

 

贈  H0

 

773~777

 

紀女郎

 

 

贈  I1

更・・・贈  J0

報贈  U3

 

 

772

778

780~784

 

 

 

娘子

 贈  K0

 

786~788

 

藤原久須麻呂

 

贈  L1

報贈  V3

789~791

792~793

 

坂上郎女

坂上大嬢

賜   M0

 

 

726~727

2023/3/6付け&

2023/3/27付け

贈  N0

 

763~764

 

坂上大嬢

家持

 贈  O1

同・・・贈  P1

同・・・贈  Q1

 

732~734

738

740~741

 

大伴田村家大嬢

坂上大嬢

 贈  R0

 

759~762

 

紀女郎

家持

 贈  S1

 

 

報贈 I2

765~766

779

 

褁物を贈る歌 T0

 

785

2023/3/27付け

 

藤原郎女

家持

 

和歌  F2

769

2023/3/13付け

藤原久須麻呂

 家持

 

来報  L2

794~795

 

題詞の計

 

20組

9組

 

 

参考:724直前

 

 

 

 

 

丹波大女娘子

記載なし(未詳の人物)

(献・贈字無し)

 

 

714~716

 

大伴家持

 娘子

 贈

 

717~723

 

注1)「題詞にある用字とグループ別」のうち「献・贈・思・・・作歌」欄は、歌をおくった(発意した)と整理した題詞であり、「和歌・報贈・来報」欄はそれに対する返歌と整理した題詞である。

注2)「献・贈・思・・・作歌」欄には、「献・贈・思・・・作歌」とさらに「褁物贈」という用字のある題詞を整理する。「和歌・報贈・来報」欄には、「和歌・報贈・来報」という用字のある題詞を整理する。

注3)配列上「献・贈・思・・・作歌」欄の題詞とその直後の「和歌・報贈・来報」欄の題詞は、一つの歌群(グループ)と整理する。そうならない場合も一つのグループとする。グループ名はA~Vとなった。グループ名に付している数字は、返歌の無いグループ(0)、返歌があるグループ(1と2)、返歌だけのグループ(3)であることを示す。

注4)歌番号とは、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』における歌番号である。

注5)「歌本文も検討したブログ」欄には、検討の例示として当該歌を検討したブログ「わかたんかこれ ・・・」の当該年月日を記す。

注6)各題詞の、おくった歌(の題詞)と返歌の歌(の題詞)の判断は、この表作成以後に下記③以下の検討で、変更がある。

 

④ 表に示すように、おくる歌のあるグループ(添付の数字が0と1)が20組、返歌だけのグループ(添付の数字が3)が2組あります。そのうち、大伴家持が歌をおくっているのは、おくる歌のあるグループの半数10組と、返事だけのグループすべてです。

 大伴家持が関係しないグループは、作者名の記載のない「献」とある題詞の歌群(A0とB0)、坂上郎女が坂上大嬢に「賜」あるいは「贈」とある題詞の歌群(M0とN0)と大伴田村家大嬢が坂上大嬢に「贈」とある題詞の歌群(R0)と、紀女郎が「褁物友贈歌」とある題詞の歌群(T0)だけです。みな返歌が記載されていない歌群です。

 坂上大嬢と大伴家持以外の人物との相聞歌は、坂上大嬢が大伴家持の許嫁であり妻となった人物なので、大伴家持に関係が濃い歌とみなせます。

 大伴のため、家持と一見無関係にみえる歌は、「献」とある題詞の歌群(A0とB0)(2-1-724歌と2-1-728歌と2-1-729歌)と紀女郎の「褁物友贈歌」とある題詞T0の歌(2-1-785歌)の計4首だけです。

⑤ その4首と大伴家持の関係を確認します。

 2-1-724歌以下の「献天皇歌」の作者は、ブログ2023/2/20付けの「6.⑮」で指摘したように、(未詳の人物である)作者の資格は、題詞と歌本文から、

天皇に接することができない状況にある律令体制の中心にいる官人、あるいは、聖武天皇の後に天皇になった人物」

に限定できました。

 その限定された人物の歌を1首も巻四に収載しないならば、「寧楽宮」という標目を設ける必要はないでしょう。「寧楽宮」という標目自体が明記されていないのですから、その限定された人物も題詞に明記されている誰かに暗喩されていると推測できます。2-1-724歌以降には、大伴家持に関する話題を集めて配列していることをみれば、その限定された人物の暗喩は大伴家持にあるのではないか。

 そして、2-1-724歌の作者の資格は、後年の大伴家持にはあります。履歴をみると、52歳頃の神護景雲4年(770)10月正五位下宝亀2年 (771) 2月従四位下宝亀9年(780)正五位下宝亀11年(780)参議、天応元年(781)兼春宮大夫、延暦2年(783)中納言延暦4年(785)8月薨去した際は中納言従三位兼行春宮大夫陸奥按察使鎮守府将軍でした。

 このため、「献天皇歌」は、大伴家持に関係ある歌と言えます。

 なお、題詞の割注の作者は直接の臣下でない坂上郎女も歌を献じることができると信じています。そのとおりですが、それは(『萬葉集』編纂の)元資料におけるケースの場合であり、『萬葉集』巻四の編纂者が作文した題詞のもとにある、2-1-724歌の作者の資格は、彼女にありません。

⑥ 次に、2-1-785歌は、ブログ2023/3/27付け「9.」で検討し、題詞の読み下し文は、「紀女郎の、「もの」をつつみ友におくる歌一首」 (785題詞第1案)」となり、作文パターンとして「作者名+別の行為+贈+相手の名+歌」という新たな作文パターンを認めることとなりました。

 その題詞のもとの歌としての理解では、次のような現代語訳となりました。

 「風音高く、海岸に風が吹きつけるけれども(初句~二句)、 君の為に袖までぬれて刈った(あるいは人に刈らせて得た)玉藻ですからね(三句~五句)(あなたのお役にたつものですよ)」

 「もの」とは玉藻に暗喩されている大事な、価値のある物を指している、と推測したところです。

 そしてこの歌が、献天皇歌のあとに配列されているので、天皇に関わる大事なものという理解をすれば、天皇位に登るのに大事なものという暗喩がある、と指摘しました。

 聖武天皇崩御後で、皇位継承に関して今上天皇の意思が生前に明らかにならなかったのは、称徳天皇崩御の際です。

 天皇位に登るのに大事なものを友に贈るとは、皇位継承者であることを承認することであり、贈る立場の紀女郎は、聖武天皇と縁の深い人物を暗喩していることになります。そして贈られる友とは、聖武天皇の血筋ではない人物であるものの、それまで天皇中心の統治に関わりが深い人物であって、天皇位の禅譲が可能な人物なのではないか。巻四の配列からは、献天皇歌の作者が有力になります。

 献天皇歌の作者であれば、上記⑤で指摘したように大伴家持も候補の一人となり得ます。

⑦ そうすると、検討した4首も含め2-1-724歌以降の歌は、大伴家持が関わる歌ばかりといえ、献天皇歌の作者が大伴家持であれば、その名に暗喩されている人物に関わる歌ばかり、となります。

 献天皇歌の作者の条件は「天皇に接することができない状況にある律令体制の中心にいる官人、あるいは、聖武天皇の後に天皇になった人物」であったので、官人である大伴家持は前者の条件に合致し、大重家持に暗喩されている人物は後者の条件に合致する人物の可能性が高い、といえます。

 2-1-724歌以降の歌は、実質的には、聖武天皇の後に天皇になった人物に関する話題を集めたもの、即ち「寧楽宮」に都を置いた天皇の御代の歌、ということになるのではないか。

 配列されている歌本文は、聖武天皇の御代の歌によっているので、聖武天皇の後に天皇になった人物には大伴家持というペンネームを巻四編纂者は付けている、ということになります。

⑧ そうであるならば、大伴家持が歌をおくった相手である坂上大嬢その他の人物をペンネームとしている人物たちがいる、という理解が可能です。そして、配列された歌の理解は、題詞で明記されている人物の詠う歌という理解と、その人物名をペンネームにしているもうひとつの歌としての理解が有ることになります。

「献天皇歌」である2-1-724歌の次歌2-1-725歌の題詞は、歌の作者を大伴家持と明記しています。伊藤博氏も指摘しているように大伴家持作の歌で巻四における唯一おくる相手を明記していない歌が、2-1-725歌です。

 歌本文は大伴家持(に暗喩されている人物)の悩みを強調した歌という理解ができます。何人かの人物に訴えたのでしょう。

 その返事のひとつが、「賜」字のある題詞とそのもとにある2-1-726歌~2-1-727歌ではないか。

「賜」字は「目うえの人が目したの者に財貨をあたえる」意(『角川新字源』)です。賜うことは願いがまずあって賜うようになった場合(受動的に賜う)にも、要件を満たしたから積極的に賜う場合(能動的に賜う)にも、用いることができる漢字であり、上表作成にあたり後者にのみ理解したのは偏っており、2-1-726歌等は前者であってもよい、と思います。

 歌の表面上は、大伴家持の悩みに妻(あるいは許嫁)である坂上大嬢経由で作者の坂上郎女が応えようという歌、と理解ができます。もう一つの理解は、「賜」字で歌を与えることができる人物が大伴家持(に暗喩されている人物)の願いに応えた歌、という理解です。

⑨ さて、「贈」字についても、上表作成にあたり、「贈」字は「詩文やことばをおくる」意であるにもかかわらず。「和歌」と題詞にある歌の直前にある「贈」字とある題詞があるので、その「和歌」とある題詞とのペアを重視して能動的に贈る場合に偏って理解していました、受動的に贈る場合も有り得ます。それを念頭に歌の配列を確認したい、と思います。

 巻四には、大伴家持坂上大嬢の相聞の歌が多数あります。大別4群あります。

 ふたりの最初の相聞歌群は、2-1-724歌以前にあります。2-1-584歌以下4首の坂上大嬢(題詞の表記は「大伴坂上家之大娘」)の「報贈」歌のみです。これに対応していると思われる大伴家持坂上大嬢におくる歌は、この題詞の直前にも直後にもありません。

 題詞にある「報贈」字と4首の歌本文の内容は平仄があい、これらの歌を詠む以前に大伴家持のおくった歌のあることを十分想定できます。また、当時女性からの付け文で二人の仲が始まることはあまりないことではないか。大伴家持のおくった歌を割愛した配列であっても「報贈」字を置いた題詞で一組の相聞歌と編纂者が扱っている例がこのふたりの相聞歌群である、といえます。

 ただ、坂上大嬢をペンネームにしている人物によるもうひとつの歌という理解は、前後の題詞の歌にもなさそうなので、この題詞のもとの歌本文にもない、と思います。

⑩ これ以降のふたりの相聞歌群は、2-1-724歌以降にあります。

 ふたりの二番目の相聞歌群は、「献天皇歌二首」(2-1-728歌と2-1-729歌)の次に配列されています。

「大伴宿祢家持贈持坂上家大嬢歌二首」と題する2-1-730歌と2-1-731歌を「贈」ったのは、作者の能動的な行為であり、その返歌が次の題詞「大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首」のもとにある歌(2-1-732歌~2-1-734歌)のいずれかという理解が可能です。この題詞での「贈」は単に「おくる」意で返歌の場合をも指していると、2-1-731歌に対する返歌を2-1-732歌のみとみることが可能です(「たぐひてをらん」と詠い「うつせみの よのひとなれば てにまきかたし」と詠っています)。

 「献天皇歌一首」(2-1-724歌)と「大伴家持歌一首」(2-1-725歌)の関係と同じく、天皇に歌を献じた後の作者の立場を2-1-730歌と2-1-731歌は、大伴家持坂上大嬢に訴えた歌ではないか。

 2-1-733歌から「更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首」(~2-1-758歌)までは、歌本文の諸氏の大方の理解によれば、相思相愛の相聞歌とみなせます。二人をペンネームにしている人物たちも同じなのでしょう。

⑪ そしてふたりの三番目の相聞歌群は、坂上大嬢が大伴田村家大嬢及び坂上郎女から「贈」られた相聞歌(坂上大嬢の返歌は記載がありません)並びに大伴家持と紀女郎との相聞歌(相互に歌があります)の後に配列されています。

 前者の大伴田村家大嬢をペンネームにしている人物は、歌本文(2-1-757歌)をみると「私の住んでいる里近くに住むのならあいたい」と詠っており坂上郎女(をペンネームにしている人物)は2023/3/13付け「8.⑱」ですでに指摘したように常世に居る人物です。

 後者の紀女郎をペンネームにしている人物に対して大伴家持ペンネームにしている人物は、年長者というだけでなく十分な尊敬の念を持っています。

 以上の相聞歌群の次に、ふたりの三番目の相聞歌群があります。「思」字を用いた題詞から始まり、第三者の「和歌」を挟むものの坂上大嬢の歌がない相聞歌群です(2-1-768歌~2-1-771歌)。

⑫ ブログ2023/3/13付けで検討したように、「思」字は同音異義の漢字として題詞に用いられています。この2-1-768歌の歌本文二句にある接続助詞「ものを」の意に逆接と順接があるのに応じて題詞のもとにある歌本文の意は一時仲たがいをしていた際の歌(逆接)と険悪な関係になった際の歌(順接)となり、後者は大伴家持ではなくペンネームが大伴家持である人物の立場の歌とみなせます(ブログ2023/3/13付け「8.⑰」)。

 そして大伴家持が紀女郎に「報贈」すると題詞にある歌が次に配列されています(2-1-772歌)。大伴家持は一時仲たがいしている状況を「報」じています。

 なぜ「報」じる必要があったのかは不明です。

 これに対して、ペンネームが大伴家持の歌であれば険悪な関係になったことを「報」じていることになります。ペンネームが大伴家持である人物にとりそのような関係を打開するのに助言が必要な人物あるいは手順として報告すべきなのが、ペンネームが紀女郎という人物なのでしょうか。

⑬ そしてふたりの四番目の相聞歌群は、「大伴宿祢家持従久迩京贈坂上大嬢歌五首」と題する2-1-773歌~2-1-777歌であり、坂上大嬢の歌はありません。大伴家持は「いつはりも につきてぞする」(2-1-774歌上句)と薄情を恨んでいますが、ペンネーム大伴家持の歌であればペンネーム坂上大嬢を疑っている歌と理解できます。

 土屋文明氏は、「2-1-774歌は、民謡などを取っての作意かもしれないが、嫌な歌である。2-1-776歌は、(萬葉)集中難解歌のひとつ」と指摘していますが、ペンネーム大伴家持の歌という理解のあることは触れていません(付記1.参照)。伊藤博氏は、「2-1-773歌から五首は(巻四では)坂上大嬢に贈る最後の歌であり、そういう歌で大嬢への相聞の歌が終わるのは、安定するさような夫婦関係が以後もうち続くことを暗示する。」と指摘しています(付記2.参照)。

⑭ 二人の相聞歌群が終わり、大伴家持は紀女郎に歌を「贈」っています(2-1-778歌)。大伴家持ら官人は速やかに屋敷を恭仁京に設けなかったので、平城京に居る家族とは別居しての勤務ということなのでしょう。しかしペンネーム大伴家持の歌としては、ペンネーム坂上大嬢との縁を切らざるをえない事情を報告しているかの歌です。

 大伴家持は「献天皇歌」の作者ですので(上記⑤、⑥)、ペンネーム大伴家持は官人ではなく、「聖武天皇の後に天皇になった人物」の可能性があります。坂上大嬢のように正妻と認められる人物との関係が険悪になった例が聖武天皇以後に生じています。皇后(井上内親王)を廃位した光仁天皇です。ペンネーム大伴家持ペンネーム坂上大嬢は、光仁天皇井上内親王ではないか。

 光仁天皇は、呪詛による大逆を図ったという密告により、皇后を廃位し、皇太子(井上内親王が母)も廃しました。しかしその後天変地異や光仁天皇や山部親王の病などが生じ、井上内親王の遺骨を改葬し墓を御墓と追称、墓守一戸を置いています。このように井上内親王の霊を慰めていますので、既に怨霊という概念が成立していたと思います。皇太子を廃したことにより、聖武天皇の血統の皇位継承を断絶した光仁天皇は、聖武天皇やそれに連なる有力な人物の霊も光仁天皇の子孫のため十分慰めなければならない、と考えたのではないか。

⑮ そうすると、「寧楽宮」に都を置いた天皇の御代とは、物理的な都は平城京と変わらぬものの皇統が改まった後の御代を指す用語としているのは、前皇統から禅譲を受けたことを巻四編纂者は示唆しようとしているのではないか。

 巻三と巻四は、当初の『萬葉集』の増補である、と諸氏は指摘しています。当初の『萬葉集』の編纂意図を引き継いでいるならば、巻三と巻四も天皇のために編纂していることになります。新たな皇統の天皇のための編纂です。

 怨霊という概念が生まれているようなので、2-1-724歌以前に配列されている怨恨歌2題は、前皇統の御霊を慰めるという目的があるのかもしれません。次回検討したい、と思います。

⑯ ブログ2023/3/27付けで検討した題詞「紀女郎褁物贈友歌一首」(2-1-785歌)におけるペンネーム紀女郎は、大事なものを新たな皇統に贈ったと詠っているのは、怨霊とならないことを示す象徴的なことと言えます。

 そしてブログ2023/3/10付けで検討したように「報贈」の意が「思いを託した歌をおくる」意ととれば、2-1-789歌以下3首は、「新舶来の梅の木」の開花(皇女の子でない人物への皇位継承への道)に関してペンネーム大伴家持を気にかけてくれていることをペンネーム藤原久須麿に感謝している3首と理解できます。

⑰ また、大伴家持が娘子に「贈」ると題詞にある2-1-786歌~2-1-788歌の3首において、ペンネーム大伴家持が歌を「贈」るペンネーム娘子は非皇族の女性ではないか。次に配列されている藤原久須麿との相聞歌で新舶来の梅を話題にしています。それも花が咲くかどうかです。産んだ子が話題になっているとも見えます。

 巻四最後の題詞には「来報」とあり、ペンネーム藤原久須麿は「つぼみは春雨を待つものだから」と寿いでいるかに理解できます。

⑱ 巻四の最終編纂時点で、常世の国に居る人物との相聞歌を詠うには、このようなペンネームを用いなければできません。そのような手段を講じてまで「寧楽宮」の御代を巻四で詠うのは、天皇家側に編纂者が歩み寄らなければ、『萬葉集』を公けには認められない(編纂に関わった人々の名誉がかかる)と最終編纂者は考えたのでしょうか。

 あるいは、巻四最終編纂段階時の天皇が、既に持統天皇が関わった「原・萬葉集」および元明天皇今上天皇としている段階の「萬葉集」の存在を承知しているはずなので、聖武天皇今上天皇とした編纂をさせ聖武天皇などが怨霊にならぬよう、かつ当代を予祝するペンネームを用いた一大歌群を挿入させたのでしょうか。

 伊藤博氏は、巻一・巻二に関して、巻一前半部が持統天皇の発意により文武朝に編纂され、後半部の追補が和銅5年(712)から養老5年(721)までに行われ、同じころに持統万葉の企図を受けついで巻二が編纂された、と指摘しています。持統天皇の発意などを(編纂する部署の設置などがあることなどで)官人のみな知るところであり、皇族も同じであった、と氏は指摘していることになります。

⑲ このように、2-1-724歌以降は、聖武天皇の御代のみを詠っている歌ではないことが、題詞の検討などから分かりました。

 巻四の配列は、聖武天皇までの歴代天皇の御代を4区分し、さらに未来の天皇の御代を1区分として最後に置いていました。

「わかたんかこれ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、配列上気にかかっている巻四の中ほどに配列されている怨恨歌2題を検討し、巻四の検討を終わりたい、と思います。

(2023/4/24  上村 朋)

付記1.土屋文明氏の理解の例

土屋文明氏に、題詞のもとにある歌本文に対して、次の指摘がある(『萬葉集私注』)。

第一 (家持作の)2-1-717歌以下の七首は、贈った相手が明らかでない。ひととおりのことを歌って居るにすぎない。別段嫌味のある歌ではない。

第二 「献天皇歌二首」と題詞にある二首(2-1-728歌と2-1-729歌)も、恐らく天皇聖武天皇)から賜った歌に返報したものであらう。

第三 2-1-774歌は、民謡などを取っての作意かもしれないが、嫌な歌である。2-1-776歌は、(萬葉)集中難解歌のひとつ。三句「諸弟等之」を「諸芧等之」と理解し、アジサヰ、モロチ、ネリという三草木を種とした諺のごときものが存したとみて「もろちらで行った占にだまされた」とみる。

第四 2-1-786歌以下3首は如何なる娘子に贈った分からない。3首は、順に、ただ言葉の上の遊びの如き作、悪どいように見えるが恋愛歌にはこんなものもできるであらう、常識の常識(の歌)である。

第五 2-1-789歌以下は、相識者間の贈答が、恋愛相聞の歌の如き表現をとるのは時代の習俗であるから、之も単に梅花に寄せての、二青年(大伴家持と藤原久須麿)間の日常起居の相聞とみるべきではあるまいか。新舶来の梅樹を互いに珍重し合ったのであらう。

第六 なお、2-1-717歌以降の歌に暗喩がある、という指摘はない。

付記2.伊藤博氏の理解の例

 伊藤博氏には、題詞のもとにある歌本文に対して、次の指摘がある(『萬葉集釋注』)。

 第一 2-1-773歌から五首は(巻四では)坂上大嬢に贈る最後の歌。これまでの大嬢への歌に比べてからかいの気分が濃く、それだけ逆に心理的には距離が接近してきているのが知られる。そういう歌で大嬢への相聞の歌が終わるのは、安定するさような夫婦関係が以後もうち続くことを暗示する。

 第二 2-1-776歌は、難解。橋本四郎説により、相手の愛を伝えた使いの言葉を信じてばかを見たとたわむれたものと見受けられる。

 第三 2-1-785歌の題詞は「つつめるものを友に贈る歌一首」と訓んでいる。(題詞にいう)友とは、歌本文の「妹」であり、女性。この歌以下11首はのちの追捕と認められる。

 

第四 2-1-786歌~2-1-788歌における「娘子」に対する家持の歌は、終始ひたぶるな心が強い。架空の相手ゆえ、むしろ青春のほんとうの恋心を託したということであろうか。一方また、2-1-694歌の題詞に見える「娘子」と同一人物とみれば、喪った妻妾への思いのたけが切実であったことも考慮すべきであろう。

第五 2-1-795歌は、お宅の梅が固くつぼんでいるのはお宅固有のことではないと述べることで、2-1-793歌に託された家持の申し出に応じている。

第六 なお、2-1-717歌以降の歌に暗喩がある、という指摘はない。

 

(付記終わり  2023/4/24    上村 朋)