わかたんかこれ 萬葉巻四 坂上郎女の怨恨歌 配列その9

 前回(2023/4/24)に引き続き『萬葉集』巻四の配列を検討します。(2023/5/8  上村 朋)

1.~11.承前

 『萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を、巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。巻四の「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、ペンネームを使用して聖武天皇の後の御代に関する歌群のあることを確認しました。

12.巻四にある怨恨歌

① ここまで、題詞を重視して、その作文パターン別の意を確認し、配列を検討してきました。

 珍しい作文パターンは要注意でした。

 2-1-724歌以前においても珍しい作文パターンがいくつかあります。

 そのひとつである「作者名+怨恨歌〇首」という作文パターンは、巻一~巻四では2題しかありません。それも、巻四における聖武天皇の御代を詠う歌群のなかにあるだけです。

 そして、その歌の作者は、巻四において寧楽宮に居られる天皇の御代の歌として配列されている2-1-724歌以降の歌の(名目上の)作者でもあります。

 このため、この2題の怨恨歌について、念のため検討します。

② 怨恨歌の前後の配列より、題詞の作文パターンの意とこの題詞のもとにある歌本文を検討します。そして、必要に応じて編纂者の手元に集まった元資料としての歌意との突合を行うこととします。

 最初の怨恨歌の前後各5題は、次のとおりです。

2-1-589歌  大伴宿祢稲公贈田村大嬢歌一首 (大伴宿奈麿卿之女也)

2-1-590歌~2-1-613歌 笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首

2-1-614歌~2-1-615歌 大伴宿祢家持和歌二首

2-1-616歌~2-1-620歌 山口女王贈大伴宿祢家持歌五首

2-1-621歌 大神女郎贈大伴宿祢家持歌一首

(怨恨歌) 2-1-622歌~2-1-623歌 大伴坂上郎女怨恨歌一首并短歌

2-1-624歌 西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首
2-1-625歌 佐伯宿祢東人和歌一首

2-1-626歌 池辺王宴誦歌一首

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (女王者穂積皇子之孫女也)

2-1-628歌 高安王褁鮒贈娘子歌一首 (高安王者後賜姓大原真人氏)

③ 巻四の部立ては相聞歌です。その配列は、編纂者が作文している題詞において、おくった歌の題詞とその返歌の題詞が一組となっていることを、大伴家持坂上大嬢の相聞歌でみたところです(ブログ(2023/4/24付け)参照)。

 例えば、大伴家持坂上大嬢の最初の相聞歌群は2-1-584歌等4首の題詞です。それは坂上大嬢(題詞の表記は大伴坂上家之大娘)の「報贈」歌だけです。これに対応していると思われる大伴家持坂上大嬢におくった歌という題詞がこの前後にありません。

 しかし、恋の始まりは通常男性からの歌で始まること、この題詞の直前にも直後にも記載がないものの題詞には「報贈」字を用いていること、及び4首の歌本文の内容は男性の歌の引用があったり訪ねてくることを哀願していること、の3点からこれらの歌を詠む以前に大伴家持のおくった歌のあることを十分想定できます。

 そのため、編纂者が家持の歌に興味がないとして割愛しても、この4首の歌が一組の相聞歌(の代表として配列している)と理解ができます。

④ さて、怨恨歌の5題前の2-1-589歌の題詞から検討します。その題詞は、大伴家持坂上大嬢の最初の相聞歌群から二つ目の題詞です。

 2題で一組の普通の相聞歌であるならば、直前の2-1-588歌の題詞か直後の2-1-590歌等24首の題詞とペアの歌群となるはずです。

 2-1-588歌の題詞は、「大伴坂上郎女一首」とあり、「作者名+歌(〇首)」というおくった人物名を割愛したパターンです。そのおくった相手に2-1-589歌の作者を想定することは可能ですが、2-1-589歌をおくった相手はその題詞に明記され、「大伴坂上郎女」ではありません。

 2-1-590歌等24首の題詞は2-1-589歌の題詞と同じ「作者名+贈+相手の名+歌(〇首)」であり、別の歌群とみるほかありません。

 そうすると、2-1-589歌の題詞は、2-1-588歌の題詞との相聞歌か、あるいはこの2題は2-1-584歌等4首の題詞と同じようにそれぞれ1題で(相聞の一方の当事者の歌のみで)別々の相聞歌群かになります(歌は付記1に『新編国歌大観』より引用しています)。それを確認するには、それぞれの歌本文の検討が必要です。

⑤ 前者の相聞歌のケースを検討します。

 2-1-588歌の作者(大伴坂上郎女)と2-1-589歌の作者(大伴宿祢稲公(いなきみ))は、大伴旅人大伴宿奈麻呂とともに兄弟です(父は大伴安麻呂)。大伴宿祢稲公は天平2年(730年)兄の大宰帥大伴旅人の大病に際し公務の見舞い役として大伴古麻呂と共に大宰府に下向しています。田村大嬢は大伴宿奈麻呂の娘であり、大伴宿祢稲公の姪になります。つまり2題のもとの歌の作者とおくった相手は同族の者です。

 大伴旅人は妻を伴い大宰府に赴任しそこで妻を亡くし、大病しました。そして回復しました。そのような旅人のことを話題とした一族の会合は十分あり得ます。

 この2首の歌本文をみると、2-1-588歌は、ことさら「つま」を恋しがって帰るのですか、と詠い、2-1-589歌は、久しぶりに「いも」にあったので、ちょっと離れてもまた恋しいのですよ、と詠っています。

 この2首の元資料は、大伴宿祢稲公が大宰府から都に戻った際に大伴一族が会食した際のやりとりではないか、と思います。そうであれば作詠時点が天平2年の歌となります。

 夫婦の絆にも触れた会食となったでしょう。そして、2-1-589歌は、同席していた未婚の姪に聞かせた歌ではないか。

 つまり、この2首は、私的に座を共有している人々に披露された歌のうちの2首であり、一組の挨拶歌(相聞歌の一種)といえます。巻四の歌としても前者である理解は十分可能である、ということになります。 

⑥ 次に後者のケースを検討します。

 2-1-588歌は、その詠いぶりから、相手が近くに居ることが分かりますので、相手の返歌か事前の歌の披露があったと想定できます。そのため、それを割愛した一組の相聞歌の一部という理解が可能です。

 2-1-589歌も、自分の気持ちを周囲の人に訴えている詠いぶりからこの歌の披露の直前直後に詠いかけられていることが想像できる挨拶歌であり同様な相聞歌の一部という理解が可能です。

 前者と後者を比較すると、相聞歌の例として私的に座を共有した人々の間の相聞歌の例として配列している、と理解したい気持ちになります。

⑦ 次に、2-1-590歌等24首の題詞を検討します。作者笠女郎は伝未詳の人物です。笠麿(釈満誓)と関係があるか、と諸氏が指摘しています。

 大伴家持に「贈」るとあり、その次の2-1-614歌等2首の題詞に「大伴家持の「和歌」」とあり、平仄があいますのでこの2題で一組の相聞歌です(そのように巻四編纂者は仕立てています)。それにしても贈った歌24首に対して2首のみの返歌は、アンバランスです。恋の歌としても挨拶歌としても元資料でそのようなアンバランスのやりとりがあるとは思えません。

 歌本文をみると、一見恋の歌です。2-1-590歌等24首の最後の2首が、左注にある「右二首相別後更来贈」に相当します。既に恋は終わったと作者が納得した後の歌であり、大伴家持の「和歌」は、この2首に「和」(こたえ)た歌と諸氏は指摘しています。その「和歌」を、土屋氏は「家持の方がしをらしく物を考へ居ることがわかる」と指摘しています。また24首は「技巧を主とし、詞を主とした歌の為の歌」と指摘しています。元資料に対する指摘であり、そのような歌を一つの題詞のもとに配列しているのは編纂者です。

 巻四編纂者は、歌数の違いをなぜ際立たせる題詞に組み合わせているのでしょうか。

⑧ 次に、2-1-616歌等5首の題詞の検討です。作文パターンは「作者名+贈+相手の名+歌〇首」で、次の2-1-621歌の題詞も同じです。そしておくった相手はどちらも、2-1-590歌等24首がおくられた大伴家持です。その返歌(あるいは事前の歌)が割愛された相聞歌群の二組と整理も可能です。

 そして、次題の怨恨歌(2-1-622歌と2-1-623歌)の題詞は、長歌反歌であることを明記し、おくった相手を未詳のままにしています。そして、次々題(2-1-624歌の題詞)はその次の題と明らかに一組の相聞歌になっており、怨恨歌は返歌が割愛されている一組の相聞歌と整理せざるを得ません。

⑨ 怨恨歌の題詞は、2題しかない作文パターンであり、おくった相手が未詳の「作者名+歌〇首」というパターンの題詞で多々ありそうな返歌が割愛されている一組の相聞歌群の一部という同じ理解と割り切るには確認を要すると思います。

 また、長歌は、巻四に6首しかなく、作者が女性なのはこの「怨恨歌」だけです。

 最初に、倭習漢文に用いられている漢字の意を確認します(『角川新字源』による)。

 漢字「怨」とは、「aうらむ(うらめしくおもう、にくむ) bうらみ cあだ。かたき。dうらむらくは。e私財をたくわえる。」

 漢字「恨」とは、「aうらむ(深くうらみに思う、にくむ、くやむ、後悔する、おもいなやむ) bうらみ cうらむらくは。残念に思うのは。」

「うらむ」意の同訓異義の説明として、「怨」は「人をうらむ。」、「恨」は「こころに残り、うらみのきわめて深いこと。残念に思う。人に対してよりも自分に対してのことば。」、「憾」は「「恨」の浅いのをいう。残り惜しくおもう。」、「望」は「思うようにならないで不満を持つ」。

 熟語「怨恨」とは「aうらむ bうらみ」

 このような漢字(と熟語)の意であるので、「怨恨歌」とは「歌」字の意を「大和の言葉による歌」とすると、恋の相手をうらめしく思うよりも(期待を断ち切れないでいた)「自分の行動を悔やんだ歌」の意であり、特定の相手におくりつけた歌ではなく、周囲の者に心情を吐露した歌ではないか。

 元資料段階の2-1-588歌と2-1-589歌が披露された場とおなじように、私的な会合で袖にされたことが話題になった場で披露した歌ではないか。

 恋の歌として考えると、相手は「このように接近してくる男ども」というところでしょう。

⑩ 土屋氏は、歌が社交の具となり当時親しい人々の間では挨拶歌を恋歌仕立てとして楽しんでいた、と指摘しています(付記2.参照)。そうすると、2-1-590歌以下において相手の大伴家持の返歌がほとんどない題詞が続いているので、大伴家持のこのような態度を男性一般の例として批判した題詞ではないか。

 大伴家持坂上郎女らに実際素っ気ない返歌をしたとは信じられないものの、巻四の編纂者は2-1-589歌の作者の正反対の態度をとる人物として大伴家持の態度を位置付けているかにみえます。

 歌が披露された場面に注目すると、公務を離れた私的な場の相聞歌は、大伴旅人の死を悼む2-1-581歌の題詞から始まっています。2-1-588歌以下2-1-623歌までの歌もその範疇の相聞歌であり、2-1-624歌以下の宴席の歌(ブログ2023/1/23付け「3.⑯」参照)と編纂者は対比して配列している、と推測できます。

⑪ では、それを各歌本文で確かめます(土屋氏の大意による)。

 2-1-616歌等5首の作者山口女王は、伝未詳の人物であり、おくった相手の大伴家持との関係も不明です。歌本文について、土屋氏は、低調な歌と指摘し「枕詞や序の部分を除くと平凡な感情とその表現である、あるいは枕詞や序が歌の歌たる所以の如く考えられて居たかもしれぬ」とも指摘しています。

 しかし、技巧が稚拙でも恋する女性の気持ちを詠っており、多くの人が用いた恋の歌の伝承歌の類と理解できます。なお、最後の2-1-620歌を伊藤博氏は内省の歌と指摘しています。

 巻四においては、作者の山口女王に仮託された歌なのではないか。

⑫ 次に、2-1-621歌の作者大神女郎も、伝未詳の人物であり、大伴家持との関係も不明です。

 歌本文は、「夜に千鳥が友を呼ぶ、私も呼び掛けているのに」と、自分の状況を詠っています。

 千鳥を詠う歌は、巻一~巻四に7首あります(付記3.参照)。

 最初の歌は人麿の詠う巻2-1-268歌です。「あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば  こころもしのに いにしへおもほゆ」と詠い、近江荒都への懐古の歌と言われています。

 そのほかの今検討中の2-1-621歌以外の5首は、群れをなして飛ぶ千鳥は仲間の鳥といつも居ることを前提に用いられて、作者が気にしている人物への思いを詠っています。「あすか」とか「さほ(のかはせ)」とか地名をも詠みこむことで作者と関係深い人物を示唆したりしています。

 これに対して2-1-621歌は、「ともよぶちどり」と千鳥を詠う理由を説明し、(わが)「わびをるときに」とも詠い、地名も詠みこんでいないなど上記の5首の歌と違います。いうなれば誰もが自分の相手に直接思いを訴える場合に用いることができる歌となっており、しかも、内省の歌という理解も可能です。

 この歌の元資料は当時(官人以外にも)よく知られた歌であり、巻四においては作者の大神女郎に仮託して配列されているのではないか。

 なお、土屋氏のコメントはありません。

⑬ その次にある2-1-622歌等2首(怨恨歌)の作者坂上郎女は、『萬葉集』に84首も配列しており編纂者は有力な元資料の提供者である人物と思われます。また、坂上郎女にとり大伴家持は甥になります。

 この長歌反歌について、土屋氏は「怨恨とは、失われた恋に対する恨みだが相手の人物は不明であり、歌の調子は相当のんきな所があってせっぱつまった失恋者の作であるか否かを疑わしめる所さへある」と指摘しています(氏は表記に「恨」字を用い「怨」字は用いていないので、題詞にある「怨恨歌」の意を、上記⑨に記した「自分の行動を悔やんだ歌」と理解している)。

 反歌については、氏は「一面安易になびいた心ではないといふ自己弁護にもなっている」と指摘しています。

 詠いぶりをみると、長歌は、長いことかけて言い寄ってきたので信頼したもののお出でが全然ないが、それでも君の使が待ちきれなくなるのであろうか、と詠いおさめ、反歌は、末長くと聞かされなかったらこんな物思いはしなかった、と詠っています。

 恋の進捗は、おくる歌の上手下手で決定的に異なる訳ではないでしょう。相手の心に響いたかどうかが重要であり、返歌の有無が大事です。返歌が重ねてなかったら諦めざるを得ないと(直ちに)得心するべきであるものの、作者坂上郎女は、相手を慕いつつ訣別を選択しているかに詠っています。

⑭ 怨恨歌の次の2-1-624歌の題詞は、「和歌」とある2-1-625歌と一組になる相聞歌です。

 歌本文をみると、任務を帯びて都を出立した官人の妻が、夫を夢にみる、と詠い、夫が、都を離れたら君ばかり思っているし、嘆くことはない、と応じています。

 これは夫婦の間を往復したような歌であり、実際にそうであったのかも知れません。しかし、編纂者の手元に集まった経緯を思うと、都を出立する際の関係者や一族の送別会で披露された歌(妻の歌は同席の官人の作詠)ではないか、と思えます。

 2-1-624歌と2-1-625歌は歌の内容は私的な夫婦間のことですが、歌を披露する場は私的な場ではなく、官人が役職その他公的な関係を理由に集うところの公的な場に変わっています。

 題詞の検討から、上記⑩で指摘した「歌が披露された場面に注目すると、公務を離れた私的な場の相聞歌がまとまって配列されているというは、ここまでの歌本文の検討からも言えます。

 そうすると怨恨歌は、私的な場での相聞歌の最後の歌になっているかに見え、この題詞のみで一組の相聞歌群とみるよりも、伝未詳の作者の歌の題2題とともに、恋の歌に関する「内省の歌」という一つの歌群をなす、とみてよいと思います。

⑮ その次の2-1-626歌の詳しい検討を省いて、2-1-627歌については、次のような指摘を私はしました(ブログ2023/1/23付け「3.⑩~⑰」)。

第一 題詞の「思」字は、「考える、はかる」意である。

第二 相聞歌は、歌の前提条件について歌を贈る側と受け取る側で暗黙の共通の認識をしている場合が多い(当時の常識が前提となっている、ということ)。

第三2-1-627歌は、宴席の場で披露された歌(あるいは広く知られていた歌)から長い引用をしている歌である。

第四 2-1-627歌が返歌を期待していない歌であるとすれば、(考えている相手を作者である天皇が)召す前提の歌、という理解をしないほうが良い。

第五 2-1-627歌は、2意を含んだ歌として詠まれており、正反対の意ともなり得る歌を楽しむ場面は、善い御代を象徴する歌のひとつ。そのような天皇の御代を聖武天皇の御代としてここに配列しているのではないか。

 これらのうち特に第三以下の理解を、宴席で誦した歌と明記している2-1-626歌の題詞の次に配列されていることが支持しています。

⑯ 2-1-626歌本文を、題詞のもとで理解すると、貴方が会おうとしない日々が続いている、ということになります。2-1-627歌本文は、宴席で「私はこんなふうに思っているのに」あるいは「私にこんなふうに言ってくれたのに」と2-1-626歌に同感の意を表した歌ではないか。

 そのような理解をすれば、男性同士の掛け合いの歌という2題となります。

次に2-1-628歌の題詞です。物を贈っているので、返歌が割愛されて配列されている、という理解も可能です。

⑰ このように配列を理解できますので、大伴坂上郎女の怨恨歌は、特定の個人を念頭においた歌ではなく、私的な場の社交的な歌である、といえます。長歌仕立てで伊藤博氏が「挽歌に多い発想や詞句も目立つ」という大袈裟な表現もそれで納得がゆくのではないか。

 「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき有難うございます。

 次回は、紀女郎が作者である二つ目の怨恨歌を検討します。

(2023/5/8   上村 朋)

付記1.歌本文を、『新編国歌大観』の『萬葉集』から引用します。

2-1-587歌 春日山 朝立雲之 不居日無 見巻之欲寸 君毛有鴨
かすがやま あさたつくもの ゐぬひなく みまくのほしき きみにもあるかも

2-1-588歌 出而将去 時之波将有乎 故 妻恋為乍 立而可去哉
いでていなむ ときしはあらむを ことさらに つまごひしつつ たちていぬべしや

2-1-589歌 不相見者 不恋有益乎 妹乎見而 本名如此耳 恋者奈何将為
あひみずは こひずあらましを いもをみて もとなかくのみ こひばいかにせむ

2-1-621歌  狭夜中尓 友喚千鳥 物念跡 和備居時二 鳴乍本名

さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな

付記2.土屋文明氏の相聞歌論(『萬葉集私注』第2巻 2-1-652歌の「左注」への私注より)

① 2-1-652歌の左注に「題歌送答相問起居」とあるのは、上掲4首(2-1-649歌~2-1-652歌)の作歌動機を察する糸口とならう。歌が社交の具となり、歌のために歌を作る風習の既に存したことが知られる。

② 2-1-649歌~2-1-652歌の四首の如きは、恋愛歌の様な所があっても実は単純な起居相聞の歌と見るべきである。つまりさうした場合でも、相当甘美な言葉を交換する当時の感覚といふものは、其の時代の作品を受け入れるに考慮して置くべきものであらう。

③ 「相問」は「相聞」と同意に用ゐられている。相聞と部類される歌の性格を知る手がかりとならう。

付記3.『萬葉集』巻一~巻四で千鳥を詠う歌(計7題7首)

 『新編国歌大観』の訓を引用するとつぎのとおり。

2-1-268歌 「あふみのうみ ゆふなみちどり ながなけば  こころもしのに いにしへおもほゆ」

2-1-270歌 「わがせこが ふるへのさとの あすかには ちどりなくなり つままちかねて」

2-1-374歌 「おうのうみの かはらのちどり ながなけば わがさほかはの おもほゆらくに」

2-1-529歌 「ちどりなく さほのかはせの さざれなみ やむときもなし あがこふらくは」

2-1-531歌 「ちどりなく さほのかはとの せをひろみ うちはしわたす ながくとおもへば」

2-1-621歌 「さよなかに ともよぶちとり ものもふと わびをるときに なきつつもとな」

2-1-718歌 「ちどりなく さほのかはとの きよきせを うまうちわたし いつかかよはむ」

(付記終わり  2023/5/8  上村 朋)