わかたんかこれ 萬葉巻四 献天皇歌の作者は誰 配列その3 

 前回(2023/2/13)に引き続き『萬葉集』巻四を検討します。ロシアがウクライナへ侵攻して361日経ちました。砲弾が飛び交っているのはウクライナ国内とその近海ですが、情報戦、資源確保戦は全世界に広がっています。それをものともせず、技術革新があり、社会と文化は豊かになっています。自らが守旧に拘っていないかと反省する次第です。(2023/2/20  上村 朋)

1.~5.承前

 『萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を、巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。一応の整理ができました。

6.天皇が関わる歌の疑問 その3 「献じる人物」は誰か

① 「献天皇歌」という4字のみの題詞は、『萬葉集』の巻四に2題あるだけです。その題詞とそのもとにある歌を、引き続き検討します。()は割注の意です。

 2-1-724歌 献天皇歌一首 (大伴坂上郎女在佐保宅作也)

 足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名

 あしひきの やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな

 

 2-1-728歌 献天皇歌二首 (大伴坂上郎女在春日里作也)

 二宝鳥乃 潜池水 情有者 君尓吾恋 情示左祢
 にほどりの かづくいけみづ こころあらば きみにあがこふる こころしめさね

 2-1-729歌  同上

 外居而 恋乍不有者 君之家乃 池尓住云 鴨二有益雄

 よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを

 

② この3首は、その題詞によれば、作者は未詳の人物で、歌を献じたという天皇も特定した表記ではありません。

 その未詳の人物が、天皇に歌を献上した(あるいは献上ができた)理由を、今検討しています。

 この2題の題詞(と歌本文)の理解は、2023/1/23現在の巻四の配列(付記1.の表1に示す)において留保していることの一つです。

 今回、以下の検討をして、次のような結論を得ました。

第一 倭習漢文で作文されている題詞「献天皇歌」の用字等を検討し、そのもとにある歌本文の暗喩の可能性を加味すると、第二以下のことがいえる。

第二 巻四編纂者は、この3首に対して、題詞の作文パターンを特別に用意した。

第三 最終編纂時点を考慮すると、4文字の題詞「献天皇歌」にいう「天皇」とは、聖武天皇である。

第四 4文字の題詞「献天皇歌」のもとにある歌は、歌の暗喩により天皇に奉告し決意表明することである。

第五 未詳の人物である作者(天皇に歌を献じた人物)を、暗喩においては2-1-724歌では、律令体制の中心にいる官人か聖武天皇の後の天皇になった人物、2-1-728歌と2-1-729歌でも同様に擬している。

第六 元資料が坂上郎女の詠作であるならば、巻四の最終編纂者は作者を積極的に伏せたことになる。

 以下に今回の検討を記します。

③ 天皇から頂いた歌に対して返歌した歌であれば、巻四において編纂者は「奉和歌」字を用いて題詞に記しています(ブログ2023/2/13付け参照)。巻一~巻四にある返歌の歌には「和歌」(和する歌)と題詞において編纂者は作文しています。未詳の人物であっても返歌であれば、「奉和歌」字を用いた題詞であって不自然ではありません。

 「献天皇歌」という4字のみの題詞のもとにある歌については、天皇に献じる理由が「返歌」以外にあったはずです。一般論と、歌本文と巻四の配列から検討するほかありません。

 一般論として、実質的に天皇に達する歌を作詠する理由をあげると、歌を賜り返歌をする場合を除き、動機を重視して整理すると次のとおり。理由が重なることも有り得ます。

 当時、天皇に近づく手段として、(倭)歌は漢詩ほどではありませんが活用できますので、官人は目配りしていたと思います。

第一 献上品に添えた歌:献上の目録、挨拶文などに歌は添えることができる。

第二 受命・許可・下賜品に対するお礼の歌:この場合2-1-1015歌のように「献」字以外に適した用字もある。

第三 天皇その他の方から頂いた文か歌への反応としての歌:天皇へ奏上をお願いしたいと託す歌。例えば、土屋氏の指摘する「天皇の御使などのあったに」への返歌。

第四 天皇行幸等の際の挨拶歌:第三との違いは、その場で直接天皇に申し上げたい歌。

第五 公的な行事における例外的な事態に対応した歌:例えば2-1-1032歌

第六 官人の公務の報告時に添えた歌 (出現した吉祥のものの献上時を含む)

第七 下命による歌の献上(天皇崩御に伴う儀式での歌を含む)

第八 公式の儀礼における宴等での下命に準備した歌

第九 上記のほかに、歌のみを能動的に献じる:恋の歌が候補のひとつとなり、2-1-629歌が例となる。また、「献言」とか「献善」という熟語があるので、天皇の施政の何かに関した意見具申や見聞紹介を詠う歌も候補となる。

第十 上記の歌の代作・代詠:題詞には代作者の名が記されてない例も『萬葉集』にはある。2-1-1032歌は、左注によれば坂上郎女の代作である。

第十一 代作・代詠の歌を提出した際の添え歌:間接的に天皇への作者の気持ちを伝える手段になり得る。

③ 上記の献じる理由の何れかで詠ったのが、題詞「献天皇歌」のもとにある2-1-724歌他2首の歌本文である、と思います。その理由と歌本文の理解で矛盾が最も少ない組合せを探したい、と思います。そして、未詳の人物の属性を推理してみます。

 歌本文の意として、できるだけ題詞を無視した理解をしたいと思います。

 幸いにも題詞は作者の行為として献じることしか記していないので、各氏の現代語訳が十分参考にできます。そのうち土屋文明氏の現代語訳(付記2.参照)から、各本文について、つぎのように仮置きをします。

 2-1-724歌は、下句「吾為類和射 害目賜名」(わがするわざを とがめたまふな)により、「わざ」を行うにあたっての(又は事後における)断わりをいれた挨拶歌

 2-1-728歌は、池の水に助けを求め恋していることを相手に訴える歌

 2-1-729歌は、自分の意志ひとつで移動できるカモになりたいと現状を嘆く歌

 

④ 上記の第一の理由は、当時天皇へ物を献上するということがよくあることであったということが前提となります。それを確認します。

 官人の間では、ものを贈るという習慣があります。例えば巻四には2-1-580歌などがあります。

 天皇へ歌を積極的に献上する、という例も、第一と第五の理由が重なった例ですが『萬葉集』巻六にあります。

 2-1-1032歌

 十一年己卯天皇遊獦高円野之時小獣泄走都里之中於是適値勇士生而見獲即以此獣献上御在所副歌一首  (獣名俗曰牟射佐妣)

 大夫之 高円山尓 迫有者 里尓下来流 牟射佐毘曽此

 ますらをの たかまとやまに せめたれば さとにおりける むざさびぞこれ

 (左注有り)右一首大坂上郎女作之也 但未径奏而小獣死斃 因此献歌停之

 題詞、割注及び左注を作文した人物達は、このようなタイプの歌の存在を当然視しているようであり、聖武天皇の御代においても異例のことではなかったと判断しているとみえます。

 献上するのが動物(ムササビ)なので、「献上御在所」と、歌の場合の「献天皇歌」と表現が異なっているものの、この題詞は、下命により歌を奉る以外に何かを献上する機会を捉えて天皇に歌を奉るという「献天皇歌」という方法があった、ということを示しています。

 2-1-724歌の歌本文には、献上品についての示唆があり得ます。歌の四句「吾為類和射乎」(わがするわざを)は、「自分がこのような物を献上する」という行為を表現していると理解できるからです。その際の、献上品に添えた歌という理解が可能であり、その歌の題詞として「献天皇歌」と漢文で文章化できると思います。

⑤ しかし、当時一般に、ものを贈る場合に添える歌は、贈る物を立派なものだと褒め上げる(あるいは自らの努力を語る)タイプが普通であったのではないか。大伴旅人の2-1-580歌や高安王の2-1-628歌は褒め上げるタイプであり、巻八には、紀女郎が大伴家持に物を贈った場合の2-1-1464歌などもあります(付記3.参照)。天皇に献上する場合も同じタイプとなるのではないか。

 そのため、2-1-724歌の歌本文の内容(土屋氏の現代語訳という理解からの仮置き)では、褒め上げるタイプの歌ではないので、第一の理由(献上品に添えた歌)の可能性は無いことになります。

 2-1-728歌と2-1-729歌の歌本文も、褒め上げるタイプの歌ではないので、第一の理由の歌ではない、となります。

⑥ 次に、第二の理由(受命等のお礼の歌)であれば、その理由の歌として2-1-724歌他2首の歌本文の内容がふさわしくありません。また2-1-1015歌の例にならった用字で、題詞を編纂者は作文するでしょう。

 第三の理由(頂いたお言葉等への奏上をお願いする歌)であれば、2-1-724歌他2首の歌本文の内容は有り得ることでしょう。例えば、なにかの折に天皇が目にしたり話題にしたりしたと伝えられた際にそれに応えた歌の奏上をお願いした場合です。

 2-1-724歌本文にある「和射」を「行い」と訳した土屋氏は、2-1-724歌他2首について「奉る歌」および「返報」であろうと推測しています。(「わざ」とは、『例解古語辞典』には、「業。a行い、行動。b仕事。cありさま。d技術、技能」などの意があります。)

 第四の理由(機会を捉えて直接天皇に申し上げたい歌)は、天皇に拝謁できる立場の人物に限られるでしょう。

 そのような作者は、歌の奏上より言葉を尽くして意を伝えるのではないか。歌を奏上したとすると、それは政治的な一つの事件であり、左注されてよいほど人に知られた事件だろうと想像します。しかし、この歌には左注がありません。

 第五の理由(異常事態の報告)であれば、2-1-1032歌の題詞のように事情を巻四編纂者は題詞に明記するでしょう。

 第六の理由(公務報告時の添え歌)であれば、2-1-724歌他2首の歌本文の内容がふさわしくありません。

⑦ 第七の理由(下命による歌の献上)であれば、少なくとも2-1-724歌の歌本文の内容は不自然です。恋の歌である2-1-728歌と2-1-729歌も天皇を相手として詠めと下命されるとは考えられません。下命が題詠ということであれば、恋の歌である2-1-728歌と2-1-729歌は有り得る歌ですが、その歌を天皇臨席の場で披露したとしても「天皇に献じた」、と題詞で作文するとは思えません。

 第八の理由(下命の準備の歌)であれば、2-1-724歌は、単独で披露に値する歌とは思えません。2-1-728歌と2-1-729歌の内容は宴席での座興に披露するにはこのように詠えるような誘いの歌がペアとなります。それを割愛して編纂する(または題詞に作文しない)とは思えません。

⑧ 第九の理由(その他能動的に歌献上)で、恋の歌であれば、2-1-724歌は「「わざ」を行うにあたっての断わりをいれた挨拶歌」であるので、2-1-629歌と同じ行為を指しているとも理解可能です。しかし、「わざ」という用語が恋の歌としてこなれていません。また、2-1-629歌の題詞の作文パターンが既にあるのに、それと異なる作文パターンの題詞としています。このため、恋の歌の可能性は低いといえます。

 2-1-728歌と2-1-729歌は恋の歌として、あり得ます。しかし、2-1-629歌の題詞の作文パターンが踏襲できるのに、新たな作文パターンとなっているのが気になります。

 次に、天皇の施政の何かに関した意見や見聞を申し上げる(「わざ」の理解のひとつ)という理由であると、2-1-724歌は二句に「やまにしおれば」と断わりつつ苦言を天皇に申し上げたいという歌(あるいは苦言の奏上文に添えた歌)となるでしょう。

 2-1-728歌は、暗に真摯に現状を訴えたい意を含み得ます。そして、2-1-729歌は、機会を与えてくださいと陳情している意が暗喩されていると理解可能です。そのため、この理由は有り得ます。

⑨ 第十の理由(代作)であれば、作者が歌に堪能であることが知られていたりした場合はあり得るでしょう。何のために依頼されたかと言えば、上記の第三の理由あるいは第九の天皇の施政の何かに関した意見や見聞を詠うという理由での2-1-724歌他2首です。

 次に、第十一の理由(代作の添え歌)であれば、代作者にとり望外のことであり、代作を依頼した人物が天皇に献じる歌として選択したことになります。2-1-724歌に詠う「わざ」は代作を行ったことの意を別の意に転じて献じたことになります。それは第三や第九(但し恋の歌)などという理由と同じこととなります。

 2-1-728歌と2-1-729歌の場合は第九(但し恋の歌)の理由と同じこととなります。

 このため、第十一の理由で詠まれた歌ではありません。

⑩ 以上の検討を整理すると、巻一~巻四における題詞の「献」字の用例を踏まえると、2-1-724歌を天皇に献上した理由は、2-1-724歌の内容から推測すると、上記の第三(頂いたお言葉等へ気持ちの奏上をお願いする歌)と第九(恋の歌を除く)と第十(但し第三の代作・代詠などに限る)が候補となります。

 同様に、表面的には恋の歌である2-1-728歌と2-1-729歌を献上した理由は、第三と第九(恋の歌を除く)と第十(但し第三と第九の代作・代詠に限る)が候補となります。

 そうすると、作者は、天皇と接することが通常ではあり得ない人物と推測できます。そうすると、坂上郎女にも可能性があることになります。

 とにかく、文章が短すぎる題詞であり、作者についてはこの程度しかわかりません。改めて歌本文の再検討を配列等からの推測とあわせて行ってみる必要があります。

⑪ では、「天皇と接することが通常ではあり得ない人物」が詠った歌を再検討します。

 2-1-724歌から再検討します。

 題詞を前提にすると、2-1-724歌の句中の「吾為類和射乎」(わがするわざを)から推測すると、その「わざ」を天皇は既に(又は直前に)ご覧あるいは聞き及んでいることを作者は前提に詠んでいることになります。

 そして作者は、へりくだった態度で、「みやびがない私がするその「わざ」を咎めないでほしい、と訴えた歌となっています。天皇が普通ならば咎めることをした(あるいは、しようとしている)のが「わざ」なのでしょう。

 その例を考えると、反逆か、いわゆる不敬にあたるようなことなのか、あるいは天皇の愛情をかたくなに拒むことなのかのいずれかではないか。

 反逆であれば、その歌は相聞の部はふさわしくないでしょう。不敬の範疇のことであれば、「みやびがない私」と作者は自分を評しているので、それまでの通例からは考えられないようなことが「わざ」なのでしょう。

 このため、2-1-724歌は、「大変異常である「わざ」を毅然と実行するという決意を表明した歌」になります。歌を献じる理由は、第九(恋の歌を除く)と第十(但し第九の代作・代詠に限る)になります。

⑫ 天皇の愛情をかたくなに拒むことであれば、宴席で披露されたと推測した2-1-627歌(ブログ2023/1/23付け「4.⑫」以降参照)に準じた理解となります。天皇は嫌いと率直に返歌するのを避けて仲立ちにたつ人物に、奏上を依頼した歌として、宴席で披露される部類の歌の可能性があり、歌を献じる理由は第三の理由となります。

 題詞にいう「天皇」が、諸氏のいう聖武天皇であるならば、2-1-627歌と同じく、この2-1-724歌は、聖武天皇の御代は「萬葉集中では最も儀制などの整った、面倒な時代の天皇であらせられるに「道にあひてゑまししからに」の御製があるのであるから、萬葉集が善い時代に成ったといふことは疑ふ余地がない」と土屋文明氏が指摘する(『萬葉集私注二』(筑摩書房))時代を示す歌となります。

⑬ 次に、2-1-728歌と2-1-729歌の歌本文をみると、共通する景は、題詞を前提にすると、「二宝鳥乃 潜池水」(2-1-728歌)、「君之家乃 池」にすむ「鴨」(2-1-729歌)という「天皇が普段見ている池に鳥が遊ぶ」という景です。

 2-1-728歌の二宝鳥(カイツブリ)は本州中部以南では留鳥であり、水上生活をしています。2-1-729歌の鴨は、マガモであれば冬鳥であり、カルガモであれば夏もみることができます。この2首は一対の歌なので、別々の時点の歌と理解できます。

 鳥が遊ぶ景は、作者が天皇の周りにいつもいることの象徴ではないか。

 歌を献じる理由が、第三の理由であれば、暗喩で御側に居たいとも御側に仕えたいと訴えている歌であるとも理解できます。

 歌を献じる理由が、第九(恋の歌を除く)と第十(但し第九の代作・代詠に限る)ならば、お近くに召していただきたい、と訴えている歌であるとも理解できます。

⑭ 巻四の最終的な編纂時点を考慮すると、2-1-724歌他2首の歌は、第三の理由よりも第九(恋の歌を除く)と第十(但し第九の代作・代詠に限る)の理由による歌になるのではないか。

 2-1-724歌は、題詞の「天皇」が聖武天皇であれば、天皇の思いに直接には添えられないことを報告するという暗喩があるのではないか。そのため、作者は、天皇の側近くにいる人物が想定できます。あるいは聖武天皇の後の天皇自身の可能性もあります。

 そして、2-1-728歌は、2-1-728歌本文の四句にある「君」が聖武天皇を暗喩し、聖武天皇の思いをそれでも大事にする決意を暗喩として述べている、と理解できます。

 2-1-729歌は、留鳥ではない鳥だが、留鳥と同じように行動したい、という暗喩があると理解できます。

 歌本文の文字を追った表面の意として上記③に示した仮置きで検討してきましたが、仮置きの理解の修正は要しないことになりました。

⑮ そうすると、題詞「献天皇歌」の「天皇」とは、2-1-629歌の「天皇」と同じで、最終編纂者にとっての今上天皇聖武天皇)となり、未詳の人物である作者は、

 2-1-724歌は、天皇に接することができない状況にある律令体制の中心にいる官人、あるいは、聖武天皇の後に天皇になった人物

 2-1-728歌と2-1-729歌も、同じ

と、なります。

 二つの「献天皇歌」という4文字の題詞によって、今上天皇の後の天皇を作者として巻四最終編纂者は登場させ得るようにしています。題詞で作者を明らかにしないのは、第三の仮説「未来の天皇の御代をも想起できる配列としている」(付記1.の注3)参照)ことを示唆しています。

 結局、「和歌」字と「奏上」字を避けて別字の「献」字を用いた題詞は、新たな作文パターンであり、その漢字のニュアンスを意識して巻四編纂者は2-1-629歌など3題を作文している、ということになります。

⑯ 2-1-724歌の題詞と2-1-728~2-1-728歌の題詞にある割注は、『萬葉集』の本文(編纂者の成果物)ではないものの、それを信じればこれらの歌は坂上郎女の歌となります。しかし、巻四最終編纂者は多くの題詞に「大伴坂上郎女歌〇首」という作文をしています。それなのになぜかこれらの歌には明記していません。

 それは、題詞を作文した編纂者が、暗喩を示唆する歌を配列するため、これらの歌の元資料として坂上郎女の歌を採用したからではないか。2-1-729歌の「「君之家」(きみのいへ)という用語を思うと、もともとは大伴家の誰かを念頭においた歌ではないか、と想像します。あるいは、本当に作者未詳の歌であったかもしれません。最終編纂者は、作者を是非とも隠したかったのではないか。これは、「寧楽宮」を聖武天皇に限定しない理解と密接に関係することになります。

⑰ 一体的な編纂がされたと言われている巻三の巻頭歌(かつ雑歌の部の筆頭歌)2-1-235歌の題詞は、「天皇幸雷丘時柿本朝臣人麿作歌一首」です。

 巻頭歌は題詞によれば柿本朝臣人麿歌です。この歌は、人麿が、上記③の第七の理由(下命による歌の献上)で天皇に献じた歌、と理解ができ、そして天皇の御代の初めに置かれている歌です。

 「天皇」に奉った(献じた)と題詞に明記されているのはこの筆頭歌と「奉和歌」と明記した2-1-238歌だけです。このほかに「天皇」に奉った(献じた)歌とみられるはありません。

 巻三の譬喩歌の部の筆頭歌は、天武天皇の皇女紀皇女の歌と題詞に明記され、軽の池のカモを詠っています。カモの暗喩は今のところ不明です。

 巻三の挽歌の部の筆頭歌は、上宮聖徳皇子竜田山の死人をみて詠う2-1-418歌です。この歌は「日本書記の厩戸皇子」の(皇太子のままで終わることに対する)自傷歌であり、竜田山死人(非皇族)は、天皇にとり送魂の歌を贈るべき人物を暗喩しています。(ブログ2022/11/14付け「40.」及びブログ2022/2/28付け参照)。編纂者は「日本書記の厩戸皇子」を天皇に準じている人物として扱っていますので天皇の御代の初めになぞらえている題詞と歌とみることができます。

 巻四の筆頭歌2-1-487歌の題詞は、「 難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首」です。

 この歌も作者難波天皇妹が、上記③の第一の理由(献上品に添えた歌)か第四の理由(天皇行幸等の際の挨拶歌)で天皇に献じた歌、と理解でき、天皇の御代の初めに置かれている歌です。

 そして巻四の途中に、作者名を割愛した「献天皇歌」という4文字の題詞がありました。これは、天皇の御代の初めになぞらえている題詞とみるのはうがちすぎでしょうか。

 なお、「献天皇歌」という用字のある題詞は巻四にもう1題あります(2-1-629歌の題詞)が、作者名が明記されており、第十の理由によるということがはっきりしており、配列の上で4文字の「献天皇歌」という題詞の布石となっているとみなせます。

⑱ 作者に、今上天皇の後の時代の人物を、暗喩で登場させているのは、新しい御代の歌が始まるという暗喩です。

 「献天皇歌」という題詞(と歌本文)から得た、「編纂者は、巻四の配列のグループ化に暗喩による御代を登場させている」、という仮説は、「献天皇歌」という題詞以後に配列されている題詞(と歌本文)との関係が問われます。

 確認を要する題詞などが確かにあります。

 「献天皇歌」という二つの題詞に挟まれて配列してある2-1-726歌と2-1-727歌の題詞は、

 「大伴坂上郎女従跡見庄賜留宅女子大嬢歌一首 并短歌」

とあり、「賜」字が、普通の官人の妻(母)が自分の娘への歌に用いられています。なぜでしょう。

 また、2-1-729歌の次からは、伊藤氏の指摘するように、大伴家持坂上大娘(大嬢)の間の相聞歌が多くを占めており、そのほかの歌もこの二人と歌をやり取りした人物の歌だけです。

 次回から、「献天皇歌」という題詞以後に配列されている題詞(と歌本文)を検討します。

「わかたんかこれ ・・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 (2023/2/20   上村 朋)

付記1.『萬葉集』巻四の配列について

① 題詞の文章に明記のある人物名をもとに、歌(より正確には元資料である歌)の作詠時点(披露時点)を推計して巻四の配列を検討し2023/1/23現在の整理結果を下記の表1に示す。作業例はブログ2023/1/23付けの付記1.に示した。また次回のブログに別の作業例をも示す予定である。

② 履歴が未詳の人物も多いほか、作詠時点が明記されていない題詞も多く、作詠時点は、天皇の御代の推測のみが多い。

③ 巻四の歌は、天皇の歴代順に4グループの歌群をつくる。ただし、最後のグループは天皇の歴代でさらに二つに分けられそうであるが、その境目の歌が今のところ、一案に絞り切れていない。また、グループ内の配列の整理は今のところ順不同である。

  表1 天皇の御代による『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/1/23 現在)

グループ

天皇の御代

グループの筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4A

聖武天皇以降

2-1-525:京職藤原大夫歌

聖武天皇:在位724~749

4B

聖武天皇以降

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

光仁天皇:770~781

4C

聖武天皇以降

2-1-728:未詳の人物の歌の「献天皇歌」

 

4D

聖武天皇以降

寧楽宮?

2-1-789:大伴家持

 

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)グループ4A~グループ4Dは、一つのグループである。別の作業仮説(仮説第三)にもかかわるが、さらに分割の可能性がある。その境目の歌が、今のところ一案に絞りきれず検討途中であるので、その候補の歌で4A~4Dのミニグループを示した。「寧楽宮」の御代を詠う筆頭歌の候補が複数あるからである(2023/1/23現在)。

注3)仮説第三とは、「未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。」をいう。(ブログ2023/1/23付け「3.①」参照) この作業は仮説第二「歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。」(ブログ同上)の検証である。

付記2.土屋文明氏の現代語訳

① 土屋文明氏は 『萬葉集私注』(筑摩書房)において、題詞のもとの歌として次のように大意を示している。

 2-1-724歌:「山に居りますればみやびが無いので、私のする行をおとがめ下さるな。」

 2-1-728歌:「鳰鳥のくぐる池の水よ、心があるならば、君に吾が恋ふる心をあらはせよ」

 2-1-729歌:「他所に離れて居て恋ひ恋ひてあり得ないならば、君の家の池に住んで居るといふ鴨でありたいものであります。鴨にでもなりたいものであります。」 

② 歌を贈る相手が天皇であれば、2-1-729歌の三句にある「君之家」(きみのいへ)という用語は確認を要する。「庭にある」とか「宮にある」という用語を選んでいないことが気にかかる。

③ 題詞を無視した歌の理解では疑問にならない。このため、氏の大意を、題詞を無視した歌の現代語訳と仮置する。

付記3.物を贈った場合の添え歌の例(巻八より4例)

2-1-1460歌: 藤原広嗣が娘に桜花を贈る際の歌。「花屋のカードに走り書きした程度の歌」(土屋氏)であり、花をなおざりにするな、と詠う。

2-1-1464歌: 紀郎女が大伴家持に茅花(つばな)とねむの花を贈る際の歌。「男女間のざれ歌」(土屋氏)であり、自らが摘んできた茅花を食べて太りなさい、と詠う。

2-1-1465歌: 同上。ねむの花を主人の私だけがみてよいものか、貴方もみよ、と詠う。

2-1-1586歌: 橘奈良麻呂が、宴の席に「宴の人々をもてなす為に雨中の紅葉を折って座を飾ったのであらう」(土屋氏)際の歌。「要を得、意をつくしている」(同氏)。紅葉を主題にする宴歌の冒頭の歌。

2-1-1614歌: 丹生女王が大宰師大伴卿(旅人)になでしこの花を贈った際の歌。「とにかく甘え寄って居る口調を感じることができる歌(土屋氏)。若い貴方が挿頭(かざし)にした高円に咲いた花を送る、と詠う。

(付記終わり 2023/2/20  上村 朋)