わかたんかこれ 萬葉巻四 献歌と返歌 配列その2

前回(2023/1/23)に引き続き『萬葉集』巻四を検討します。(2023/2/13  上村 朋)

1.~4.承前

 『萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。

5.天皇が関わる歌の疑問 その2 「献天皇歌〇首」という題詞の理解

① 五つの予想(作業仮説)のうち第二の仮説の検討として、単に「献天皇歌〇首」とある題詞(とそのもとにある歌)を、今回取り上げます。題詞の作文パターンが特異であり、巻四での配列が気にかかります。

 第二の仮説とは、次のとおり。

 「歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。」

 これまでの検討で、巻四の配列は、留保が少々ありますが2023/1/23現在では四つの歌群(グループ)が天皇の歴代順に配列されていることを確認しました。第二の仮説どおりです。付記1.の表1に示します。

 「献天皇歌〇首」は、その表1のグループ4Bと4Cに関わる題詞2題と「八代女王天皇歌」(2-1-627歌題詞)の3題です(ブログ2013/1/9付けの「2.⑦」参照)。)

② 検討を、倭習漢文である題詞の用字から始めます。ついで歌本文の用字と歌の趣旨を検討します。

 巻四において、天皇を相手としている歌(和歌・献歌の類)の題詞は、つぎのとおり5題あります。読み下し文を試みました。

 2-1-487歌 難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首 

「難波の天皇の妹、山跡(やまと)に在る皇兄に奉上(たてま)つる御歌一首 」

天皇の贈歌や返歌にあたる天皇歌の記載無し)

 2-1-534歌 海上女王奉和歌一首

海上王の(2-1-533歌に)和(こた)へ奉る歌一首」

(「天皇海上女王御歌一首」という題詞のもとにある2-1-533歌の返歌)

 2-1-629歌 八代女王天皇歌一首

八代女王天皇に献(た)てまつる歌一首」

 (天皇の贈歌や返歌にあたる天皇歌の記載無し)

 2-1-724歌 献天皇歌一首 

天皇に献(た)てまつる歌一首」

 (作者名の明記無し 天皇の贈歌や返歌にあたる天皇歌の記載無し また割注があり坂上郎女が佐保宅で作るとある)

 2-1-728歌~2-1-729歌 献天皇歌二首 

天皇に献(た)てまつる歌二首」

 (作者名の明記無し 天皇の贈歌や返歌にあたる天皇歌の記載無し また割注があり坂上郎女が春日里で作るとある)

③ この5題は、天皇に対して歌をさし上げる意の用字に、3種を使い分けています。即ち、「奉上」字、「奉和」字、「献」字です。

 天皇へ歌をさし上げるという題詞をひろく『萬葉集』でみると、このほか、(挽歌を除けば)「思」字と「作歌」字を用いたタイプもあります。

 最初に、『新字源』(角川書店)により漢字の意義を確かめておきます。

 なお、熟語としての「奉和」の記載はありませんでした。「奉」字に関する『新字源』にある熟語の例をあげます。

奉上:a君に仕える、主君に忠をつくす。b(唐宋以来の俗語と現代の中国語として)さしあげる、贈呈する。

奉公:主君や国家のために仕える。

奉候:貴人のご機嫌をうかがう。

奉承:aうやうやしくうけたまわる。bおしいただいて仕える。

 そして、「和」字については、つぎのようにあります。

和:(動詞)第一aやわらぐ(イ調和する。ㇿおとなしくする。ハたいらぐ、しずまる。ニ仲よくする、

       第二 aこたえる、力をあわせる(唱和))。 b韻を合せる。cまぜあわせる、調合する。d加え算。加えた数。

  (日本語としてのみ用いる字義としての名詞) aやまと。日本。和文。b二つ以上の数を加えた値など。

 「和」字の熟語に「和韻」があります。「他人の詩に韻を合せて漢詩を作る意」、とあります。別の辞典には漢詩を読みかけられてそれに応える漢詩を作る意とあり、転じて頂いた和歌に対する返歌の意が国内では生じた、とあります。

 「献」字については、次のとおり。

献:(動詞)たてまつる、ささげる。a神に物をささげる。b目うえの人に物を贈る(献上)。c酒をすすめる。d目うえの人に申し上げる。

(名詞)aたてまつるもの。bかしこい人。

「献」字の熟語には、献言(意見をもうしあげる。また、その意見)、献善(よいことを君主に勧める)などをあげています。

 そして、訓「たてまつる」の同訓異義として、 

献:目うえの人にさしあげる。宗廟・君主のことに多く用いる。

上:「たっとぶ」とも読む。上奏文や書簡などに多く用いる。

奉:両手を高くさしあげる。貴人に物をわたす。

と、説明しています(「思」字の意は2023/1/23付けブログの「4.⑩」、参照)

④ 字義、熟語からは、

「奉上」字の題詞は、儀式・形式を重んじている場合、

「奉和」字の題詞は、天皇からいだいた歌への返歌の場合、

「献」字の題詞は、(何らかのやりとりはあるとしても)天皇の歌を前提とせず、歌をさしあげた場合、

と、巻四編纂者は使い分けている、と言えます。

 これらの漢字に関して、『萬葉集』巻一~巻四にある題詞での用例を確認してみると、下記の表が得られ、次のことが指摘できます。

第一 「思」字の用例は「相聞」の部にある。巻二の磐姫皇后と額田王の歌の題詞と巻四の御製歌である。その題詞のもとにある歌本文は、巻二の歌は天皇自身に贈った(示した)歌とも、身近な人物へ自らの気持ちを示した歌とも理解できる。巻四の歌は、明らかに周囲の者に示した歌である(ブログ2023/1/23付け参照)。「奉」字や「献」字を用いた題詞のもとにある歌とは趣旨が異なっている。

第二 「奉」字の用例では、(「奉献歌」字も含み)天皇への歌の題詞にのみ用いられており、「献」字は天皇のほか皇子(女)への歌の題詞にも用いられている。

第三 「奉」字の用例2-1-162歌の題詞は、持統天皇が主催した亡き天武天皇の為の法事の執行での用例であり、天武天皇へさしあげる歌の範疇であろう。

第四 「献」字の用例で「献天皇歌」という作文パターンは、「献〇〇皇子(女)歌」という作文パターンの後に配列されている一番新しい作文パターンである。

第五 「献天皇歌」という作文パターンは、二つに分かれ、作詠者(披露した人物)の名も作文された題詞の後に、作詠者(披露した人物)の名も割愛したパターンがある。それが巻一~巻四における用例の最後の2例である。

表 万葉集巻一~巻四の題詞における「思」字と「奉」字と「献」字の用例(2023/1/23現在)

題詞にある用語 

その題詞のもとにある歌

 ( )は注記

巻一

巻二

巻三

巻四

思(天皇)御作歌 (皇后から天皇へ又は自らの周囲の者)

 

2-1-85~2-1-88

2-1-89

 

 

思(天皇)作歌 (額田王から天智天皇へ又は鏡王女へ)

 

 

 

2-1-491

思(酒人女王)御製歌(天皇から周囲の者)

 

 

 

2-1-627

奉上(皇兄)歌(天皇の妹から天皇へ)

 

 

 

2-1-487

奉和(御)歌 (返歌)

2-1-77歌

2-1-92,2-1-104,

2-1-108,2-1-112,

2-1-118

2-1-238,

2-1-244

2-1-534

奉入歌 (額田王から弓削皇子へ)

 

2-1-113

 

 

奉御歌 (皇后から天智天皇へ)

 

2-1-147 (挽歌)

 

 

奉為御斎会 (天武天皇の為の法事に関する持統天皇歌)

 

2-1-162 (挽歌)

 

 

奉勅作歌 (中納言大伴卿から聖武天皇へ)

 

 

2-1-318&

2-1-319

 

奉献御歌 (皇后から故天智天皇へ )

 

2-1-148 (挽歌)

 

 

献歌 (中皇命使間人連老から天皇へ)

2-1-3&2-1-4

 

 

 

献〇〇皇子(女)歌 (人麻呂から〇〇皇子(女)へ)

 

2-1-194&2-1-195

(挽歌)

2-1-236,

2-1-263&

2-1-264

 

天皇歌 (八代女王から未詳の天皇へ)

 

 

 

2-1-629

天皇歌 (未詳の人物から未詳の天皇へ)

 

 

 

2-1-724,

2-1-728&2-1-729,

注1)歌番号は『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)「歌番号&歌番号」は、長歌反歌の題詞の意

注3)2-1-627歌は2023/1/23付けブログ参照。2-1-629歌は2023/1/9付けブログ参照。

 

⑤ なお、「献」字の巻一から巻三にある題詞の用例(上記⑤の表に示した5題)では、以下に示すように、「献」字の意には「和歌」(返歌)の意はありませんでした。

巻一 2-1-3歌~2-1-4歌  天皇遊猟内野之時中皇命使間人連老献歌

巻二 2-1-148 一書曰近江天皇聖躰不予御病急時太后奉献御歌一首

巻二 2-1-194歌~2-1-195歌  柿本朝臣人麿献泊瀬部皇女忍坂部皇子歌一首并短歌 (左注有り)

巻三 2-1-236  右或本云献忍壁皇子也 其歌曰

巻三 2-1-263歌~2-1-264歌   柿本朝臣人麿献新田部皇子歌一首并短歌

 そのうち、天皇に献歌したのは、中皇命の使者となった官人と皇后であり、純粋に一官人の立場ではありません。皇子(女)への献歌は、作者人麿による挽歌と雑歌の部にあり皇子を讃えた歌です。

 念のため題詞における「献」字の用例を巻五~巻二十で確認すると、10題あります。

8題が「・・・献〇〇皇子歌」とあり、1題が「・・・献古典二節」、もう1題が「・・・此獣献上御在所」とある2-1-1032歌です。巻四にあるような「献天皇歌」と作文している題詞は、ありません。

 巻一から巻二十にある題詞で珍しい作文タイプが巻四にある2-1-629歌、2-1-724歌及び2-1-728歌~2-1-729歌の3つの題詞、ということになります。

⑥ さて、「献天皇歌」と作文しさらに作者(八代女王)も明記している題詞(2-1-629歌の題詞)は、相手の天皇聖武天皇であると推測ができます。この題詞のもとにある歌本文は、既に天皇と極めて親密な関係であったかに(あるいはその疑いを掛けられたと)理解でき、「八代女王」に関しては『続日本紀』の(矢代女王とある)記述を参照できるからです(ブログ2023/1/9付けの「2.⑥」と付記2.参照)。

 この歌本文は、一方的に自らの行動を通告するという詠いぶりです。「献天皇歌」という題詞は、穏やかに「和歌」(返歌)するという内容ではないことを示している、と言えます。

 『萬葉集』記載の作詠時点が判明する歌から巻四の最初の編纂時点の天皇今上天皇と称することも可能です。それからも「献天皇歌」における「天皇」は聖武天皇であると諸氏は指摘しています。

 しかし、未詳の人物が天皇に献じる歌というだけの最後の2題の題詞では、献じる人物にあわせて、天皇も(将来の)未詳の天皇という理解も可能な位置に巻四の配列上ある、ともいえます。

⑦ 次に、作者名の明記がない「献天皇歌」という4字のみの題詞のもとにある歌を検討します。

 『新編国歌大観』より引用します。題詞の割注は、()に記します。現代語訳を1例、諸氏の理解の例も示します。

2-1-724歌 献天皇歌一首 (大伴坂上郎女在佐保宅作也)

  足引乃 山二四居者 風流無三 吾為類和射乎 害目賜名

  あしひきの やまにしをれば みやびなみ わがするわざを とがめたまふな

 

2-1-728歌 献天皇歌二首 (大伴坂上郎女在春日里作也)

  二宝鳥乃 潜池水 情有者 君尓吾恋 情示左祢
  にほどりの かづくいけみづ こころあらば きみにあがこふる こころしめさね

 

2-1-729歌  同上

  外居而 恋乍不有者 君之家乃 池尓住云 鴨二有益雄

  よそにゐて こひつつあらずは きみがいへの いけにすむといふ かもにあらましを

 

 歌本文の現代語訳(土屋文明氏)

2-1-724歌:「山に居りますればみやびが無いので、私のする行をおとがめ下さるな。」

2-1-728歌:「鳰鳥のくぐる池の水よ、心があるならば、君に吾が恋ふる心をあらはせよ」

2-1-729歌:「他所に離れて居て恋ひ恋ひてあり得ないならば、君の家の池に住んで居るといふ鴨でありたいものであります。鴨にでもなりたいものであります。」

⑧ 阿蘇瑞枝氏は、この3首に関して、次のように指摘しています(『萬葉集全歌講義』(笠間書院))。

 その1:「坂上郎女は出仕したことを示す記録がない。(この指摘は、割注を信頼し、作者を坂上郎女と認めていることになる。)

 その2:「献天皇歌一首」と題する2-1-724歌は「天皇に献(たてまつ)る歌として極めて謙虚な詠み方をしている。」「きわめてへりくだった態度で詠まれている。」

 その3:「献天皇歌二首」と題する2-1-728歌~2-1-729歌は「同じくへりくだった態度ではあるが、天皇への恋情を池の水に示してほしいという形で(728歌)、あるいは、天皇の家の池に住む鴨になりたいという形で(729歌)心情表出をしている」 「恐らく献上の品に副えて献じた歌(2-1-724歌)に対し、天皇からお言葉を賜ったことがあったのではないかと推察される。」「お言葉があったとすると、坂上郎女がつつましやかな形ながらも恋情を表出する歌を献上した事情が理解できるように思う。」 (この指摘は、入内も出仕もしていない一氏族の単なる家刀自が能動的に歌を献上する機会は通常ではない、と理解していることになる。)

⑨ 土屋文明氏は、次のように指摘しています(『萬葉集私注』(筑摩書房))。

 その11:2-1-724歌と2-1-728歌と2-1-729歌の作者は、割注から、大伴坂上郎女としられる。「巻六にも坂上郎女の天皇に献じようとした歌がある(下記に記す2-1-1032歌)から、かうした事が時に行はれたのであらう。」

 その12:2-1-724歌は、「歌の趣から察すると天皇より御使などのあったに答へ奉る歌と見える。」その二句は「日常宮廷のことに疎い自らを謙遜したのであらう。」(この指摘は、大伴家への御使でなく家刀自である郎女への御使いがあった、と理解していることになる。)

 その13:「この歌(2-1-728歌)も恐らく天皇聖武)から賜はった歌に返報したものであらう。「にほどりのかづくいけみず」はその御製中の句に由るものであらう。普通の答歌であるが格調を崩すことのないのは郎女の修練者であったことを思はせている。」(氏は坂上郎女の返歌とみている。)

 その14:2-1-729歌の「いけにすむとふ かも」も亦御製の句によるものと察せられる。(氏は返歌とみている。言外に、一般に家刀自の立場では能動的に天皇へ歌を献じることはない、と理解されている。)

⑩ 『新日本古典文学大系』は、献上品に添えて奉った歌であろう、と理解しています。

 伊藤博氏は、次のように指摘しています(『萬葉集釋注二』(集英社 1996))。

 その21:2-1-724歌は献上物に添えた歌。挨拶歌だが、聖武天皇への親しみがこもっている点が注目される。

 その22:各氏族から季節ごとに土地の産物を献上する慣習があり、家刀自がそれを取りしきっているものと見える。(氏はその推測理由・例示を記していない。なお、付記2.参照。)

 その23:坂上郎女のもとにはさまざまな宮廷女性が訪れ彼女も宮廷の雅宴などにしばしば仲間入りしていたと察せられる。(氏はその推測理由を記していない。また、この指摘は、作者を坂上郎女と認めている。)

 その24:2-1-728歌と2-1-729歌は恋歌仕立て。こういう作品ができたと献じたもの。2-1-729歌は2-1-86歌以下類歌が多数ある。恋情表現に敬慕の心をこめて聖武天皇に贈ったもの。坂上郎女の宮廷にまたがっての当時の活発な生きざまがうかがえる。歌ができたので献上したものである。

 その25:2-1-728歌本文の「君」は主君(の意)ではない。恋歌仕立てなので天皇の宮を「家」として「君」とは相手の男性の意。

 その26:坂上郎女は大伴氏の家刀自として宮廷へのいっそうの接近を願う気持ちもここにはあるだろう。

 その27:故意か偶然かこれから家持と大嬢の交わりが再開され2-1-758歌まで二人の贈答歌がうち続く。(氏は、坂上郎女が宮廷人の代作をしていたという推測を示していない。)

⑪ 上記の各氏の理解には、つぎのような問題点があります。

 第一 題詞の「献天皇歌」という作文パターンに、特異性を認めていません。献上した理由も突き詰めて検討していません。

 第二 題詞からは、作者が未詳としか言えないのに、割注のみに頼って作者を推測しています。巻四までの編纂者は、割注というスタイルによって、その巻の配列とその歌の理解に必須の情報を記述していません。割注は古注の一種です(ブログ2023/1/9付け参照)。ただ、割注は(編纂のために蒐集した)元資料についての情報である可能性はあります。

 第三 巻四編纂者は多くの歌で坂上郎女が作者であると題詞に明記しているのに、この2題だけ編纂者が坂上郎女を作者と記さない理由を不問としています。

 第四 作者を未詳としているほか、天皇が誰であるかも未詳にしている題詞である、という理解の可能性を検討していません。

⑫ これらを検討するにあたり、歌本文の理解を仮置きしておきたいと思います。

 2-1-724歌他2首の歌本文の土屋氏の現代語訳は、題詞を無視した理解でも現在のところ妥当なものであると思います。暫くは、未詳の作者の歌として、土屋氏の現代語訳を採ります。

 このため、

 2-1-724歌は、下句「吾為類和射 害目賜名」(わがするわざを とがめたまふな)により、「わざ」を行うにあたっての(又は事後における)断わりをいれた挨拶歌、

 2-1-728歌は、池の水に助けを求め恋していることを相手に訴える歌、

 2-1-729歌は、自分の意志ひとつで移動できるカモになりたいと現状を嘆く歌、

という理解になります。

 しかしながら、歌を贈る相手が天皇であれば、2-1-729歌の三句にある「君之家」(きみのいへ)という用語は確認を要すると思います。「庭にある」とか「宮にある」という用語を選んでいないことが気にかかりますが、題詞に「奉」字でなく「献」字を用いているので、とりあえず不問としておきます。

⑬ 未詳の作者が、歌を献上した(あるいは献上ができた)理由を確認します。

天皇から頂いた歌に対する返歌であれば、巻四において編纂者は「和歌」字を用いて題詞に記しています。そして、巻一から巻三において、題詞に「奉和歌」とある8題は、みな天皇への返歌ばかりです。

 上記③と④で検討したように、字義、熟語からは、題詞の「献」字は、天皇の歌を前提とせず目上の人にさしあげる意です。現に巻一から巻四の用例でも、単に「献天皇歌〇首」という題詞以外は(歌をいただいた後の)返歌ではありません。

 一般に、御製を賜りその和歌(返歌)ということであるならば、いただいた御製をもっと大事にして題詞を作文するのではないか。現に、2-1-534歌は、天皇より賜った2-1-533歌の和歌(返歌)であることを題詞において「奉和歌」という表現で明記しています。また、巻六には 

 2-1-1014歌 冬十一月左大弁葛城王等賜姓橘氏之時御製歌一首

 2-1-1015歌 橘宿祢奈良麿応詔歌一首

と、御製を賜ったその和歌(返歌)を、「応詔歌」と表現し、「献」字を用いていません。

 『萬葉集』の題詞は倭習漢文であるからこそ、字義、熟語は十分尊重されている、といえます。

 編纂者には「和歌」(返歌)ではない確信があったのか、新たな題詞の作文パターンを採用する事情があったのでしょう。

⑭ 歌を天皇に献じる理由が「返歌」以外にあったはずです。一般論と、歌本文と巻四の配列から類推するほかありません。

 それを次回検討します。

 「わかたんかこれ ・・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2023/2/13    上村 朋)

付記1.『萬葉集』巻四の配列について

① 題詞の文章に明記のある人物名をもとに、歌(より正確には元資料である歌)の作詠時点(披露時点)を推計して巻四の配列を検討し2023/1/23現在の整理結果を下記の表1に示す。作業例はブログ2023/1/23付けの付記1.に示した。また次回のブログに別の作業例をも示す予定である。

② 履歴が未詳の人物も多いほか、作詠時点が明記されていない題詞も多く、作詠時点は、天皇の御代の推測のみが多い。

③ 巻四の歌は、天皇の歴代順に4グループの歌群をつくる。ただし、最後のグループは天皇の歴代でさらに二つに分けられそうであるが、その境目の歌が今のところ、一案に絞り切れていない。また、グループ内の配列の整理は今のところ順不同である。

表1 天皇の御代による『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/1/23 現在)

グループ

天皇の御代

グループの筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4A

聖武天皇以降

2-1-525:京職藤原大夫歌

聖武天皇:在位724~749

4B

聖武天皇以降

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

光仁天皇:770~781

4C

聖武天皇以降

2-1-728:未詳の人物の歌の「献天皇歌」

 

4D

聖武天皇以降

寧楽宮?

2-1-789:大伴家持

 

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)グループ4A~グループ4Dは、一つのグループである。別の作業仮説(仮説第三)にもかかわるが、さらに分割の可能性がある。その境目の歌が、今のところ一案に絞りきれず検討途中であるので、その候補の歌で4A~4Dのミニグループを示した。「寧楽宮」の御代を詠う筆頭歌の候補が複数あるからである(2023/1/23現在)。

3)仮説第三とは、「未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。」をいう。(ブログ2023/1/23付け「3.①」参照)

付記2.氏族からの献上について

① 氏族からの下命による献上品あるいは珍重な物などの自主的な献上品に関して付言しておく。

② 献上に当たり、目録のほかに、氏族としての立場を表明する文あるいは歌を(口頭で申し上げるのではなく)添えることがよくあったのではないか。大伴氏からの献上品に添えた歌であれば、その歌は大伴氏としての立場からの理解をしなければならない。即ち、伊藤氏が指摘している(本文⑨のその22)ように家刀自がそれを取りしきっていたのではなく、氏上が取りしきり、添え状と歌は、氏上が指名した人物の手に成るものであろう。律令制度への移行の際従前の慣行が禁止されなかったのではないか。

③ 家刀自が献上しようとするときは、官人である夫を通じて行うのではないか。

④ 氏族を、社会を実質構成する単位として、律令では認めている。一例をあげると、氏の長に関する規定として養老律令の葬送令での「三位以上条」がある。

 「三位以上、及び別祖(分立した氏の始祖)・氏宗(ししゅう:氏の長)については、いずれも墓を営むことができる。それ以外はしてはならない。墓を営むことができる場合でも、大蔵(だいぞう:火葬・散骨)したいと願ったならば許可すること 」

⑤ このように、氏族単位の活動は認められており、そして監視対象となっている。当然律令以前からの各氏族の自治的なルールも踏襲している。

(付記終わり 2023/2/13     上村 朋)