わかたんかこれ 萬葉巻四 家持の相聞歌 配列その4 

 前回(2023/3/6)に引き続き『萬葉集』巻四の配列を検討します。(2023/3/13  上村 朋)

1.~7.承前

 『萬葉集』巻四の配列に関する予想(作業仮説)を、巻三にならって行い、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。聖武天皇の後代の御代に関する歌群のあることが、巻四の「献天皇歌」という4字のみの題詞とそのもとにある歌から推測できました。その題詞以降の題詞(とそのもとにある歌本文)について検討中です。(2023/4/10誤字を訂正しました)

8.天皇が関わる歌の疑問 その5 大伴家持坂上大嬢を思い作る歌

① 『萬葉集』において、「献天皇歌」という4字のみの題詞は、巻四に2題あるだけです。

 その題詞とそのもとにある歌には暗喩があります(ブログ2023/2/20付け参照)。その題詞以降で用例の少ない題詞の作文作パターン(付記1.参照)を集中的に検討しており、今回は「作者名+思+氏名+作歌」という作文パターンの題詞、即ち大伴家持坂上大嬢を思って作ったとある2-1-768歌の題詞(とそのもとにある歌本文)を、検討します。

『新編国歌大観』より、引用します。

 2-1-768歌 在久迩京思留寧楽宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首

   一隔山 重成物乎 月夜好見 門尓出立 妹可将待

   ひとへやま へなれるものを つくよよみ かどにいでたち いもかまつらむ

 巻四には、この歌に続き、この歌に応えた「和歌」が配列されています。作者は坂上大嬢ではありません。

 2-1-769歌 藤原郎女聞之即和歌一首

   路遠 不来常波知有 物可良尓 然曽将待 君乃目乎保利

   みちとほみ こじとはしれる ものからに しかそまつらむ きみがめをほり

② 検討は、題詞と素の歌本文と題詞のもとにある歌本文について行い、前後あるいは関連ある題詞と歌とを参考にして考察します。

 倭習漢文である題詞を、最初に検討します。

 巻四におけるこのパターンの題詞は、2-1-724歌以前に2題あります。

2-1-491歌の題詞:額田王思近江天皇作歌一首

2-1-627歌の題詞:天皇思酒人女王御製歌一首  (割注:女王者穂積皇子之孫女也)

 これらと比較すると、この題詞には、作者の名前の位置が変わている、及び作者や思う相手が居る場所を明記している、という特徴があります。

 題詞にある「思」字の意は、動詞として「かんがえる・はかる」、「ねがう・のぞむ」、「したう(相思)」、「おもいやる・追想する(思詠)」、「あわれむ・かなしむ(思秋)」があります(『新字源』)。

「思」字は、2-1-627歌の検討の際確認した漢字です(ブログ2023/1/23付け「4.⑧以下参照」)。

 そして、「巻四において編纂者が用いる「思」字の意は共通であり、(検討している)2-1-627歌(での「思」字の意)は上記の意のうち「考える、はかる」ではないか。また「2-1-627歌の題詞で「思」字を用いている理由は、いくつかの理解が可能な歌」という意を編纂者が込めている、と推測し、歌本文の意はそのとおりでした。

 その為、この歌にも、いくつかの理解があると予想します。

③ この題詞は、作者が「久迩京(恭仁京)」に、また坂上大嬢は「寧楽宅」に居ると明記しています。

 「寧楽宅」については、ブログ2021/11/15付けで一度検討しました。「(2-1-768歌を贈った相手である)坂上大嬢が現に暮らしている平城京の彼女の屋敷」を指している、と理解できました(同ブログの「11.⑨」参照。その際歌本文の現代語訳は試みていません)。

 『萬葉集』の題詞ではもう1例「寧楽宅」があり、その2例の共通の理解は、(遷都前の都「ならのみやこ」を意識した)「久迩京に遷都したにも関わらず平城京にある官人の屋敷」の意でした(同ブログの「11.⑫」)。

 「寧楽」という熟語の意は、「安んじて楽しむ」です(『角川大字源』)。『墨子』の「尚賢中」篇の「寧楽在君 憂惑在臣」(寧楽は君に在りて憂慼(いうせき)は臣に在り)を例にあげています。(聖王の時代を例にあげ君臣の間が親密であったことを指している章句です)。

 『萬葉集』では、「なら」と発音する日本語の語句をも意味しています(寧楽乃京師、寧楽京、寧楽山など)。その理由は漢字の熟語「寧楽」の意にあると思います。「寧楽乃京師」と表記している歌の一例を示します。

 2-1-331歌 大宰少弐小野老朝臣歌一首

   青丹吉 寧楽乃京師者 咲花乃 薫如 今盛有

   あをによし ならのみやこは さくはなの にほふがごとく いまさかりなり

 「遥かに奈良の盛観をしのび幾分の憧憬を交へての作」(土屋文明氏)です。

④ 恭仁京とは、聖武天皇天平12年(740)9月の藤原広嗣の乱の最中からはじまる聖武天皇の「彷徨五年」(『続日本紀』)の一時期遷都した都です。都として完成しないまま造営は中止され近江の紫香楽宮に同14年(742)遷都し、最終的には平城京に同17年5月平城京天皇は戻りました。

 聖武天皇は、遷都前年に恭仁宮予定地の南隣にある甕原離宮行幸のうえ元正太上天皇を伴い再度行幸しています。なお、平城宮恭仁京の宮(京都府木津川市加茂地区)は直線距離で約10km離れています。

 木津川を取り込んで平地も少ない恭仁京は規模も小さく完成しても平城京の盛観には及ばない都です。

 また、「留」字は「とどまる・とまる」、「とどめる・とめる・とめておく(去の対)」、「うかがう(伺)」、「途中でまつ」などの意があります。「去」の対となる漢字であり、ゆるりと逗留し、停滞する。または引き止めておく意の漢字です(『角川漢字源』)。

 このため、題詞の現代語訳を、「思」字の意を巻四共通の意として試みると、次のとおり。

恭仁京に在って、「恭仁京に遷都したにもかかわらず平城京にある官人の屋敷(寧楽宅)」に留まるところの坂上大嬢を「かんがえ、はかり」、大伴家持が作る歌、一首」

そして、歌本文の三句「月夜好見」の気象状況が恭仁京に生じているかどうかの情報が、題詞にはありません。恭仁京において月夜を見上げて歌を詠んだ、という意までを、この題詞は明記していません。

⑤ 次歌2-1-769歌の題詞は、「藤原郎女、之を聞き即ち和へる歌」と読み下せます。

 2-1-768歌に応えた歌の題詞は、2-1-768歌と異なり作者の居るところを明記せず、「聞之」という当然の経緯を明記しています。

「聞之」の「之」は、少なくとも2-1768歌を大伴家持が詠んだことを指すでしょう。

「聞之」とは、大伴家持と藤原郎女が同席していて(朗詠を)聞いたという状況と、後日藤原郎女が伝聞でこの歌を知ったということも示し得る語句です。

 前者であれば、2-1-768歌が披露された場に居た人物である藤原郎女による「和歌」が2-1-769歌本文です。『続日本紀』による恭仁京の造営の記述を勘案すると、多くの官人はなかなか恭仁京に家族を呼び寄せて居ない、と推測できます。大伴家持の上司や同僚、藤原郎女も同様であったのでしょう。

 2-1-768歌に応えて作詠したのは、自らの思いも重なったからでしょう。恭仁京勤務は家族と別居することであり、望郷の思いを募らせていたのではないか。

⑥ 後者であれば、藤原郎女は恭仁京に居たのか平城京に居たのかも不明となります。平城京に居た場合は恭仁京にいる官人を家族の立場で応えた作詠となっています。また、伝聞で知るまでの間に、種々なる情報を得て2-1-768歌の趣旨を理解した上で2-1-769歌を詠った可能性があり、批判的に応えた歌となっているかもしれません。配列からのヒントを探し、何よりも2-1-768歌が「思」字が用いられた題詞のもとにある歌と一対の題詞(と歌本文)であるので歌本文には「いくつかの理解がある」と予想してよい、と思います。

⑦ 次に、歌本文を検討します。まず題詞を横において、検討します。

 この2-1-768歌本文は、二つの文からなり、接続助詞「ものを」がつないでいます。

 初句~二句で一文となり、作者の居る地と相聞の相手がいる地の間に山が一つあるという地理を明らかにしています。月を仰ぎみるには、雲がないことが条件です。山ひとつ隔てていれば、常に雲の状況が同じであるとは限りません。しかし、作者が今居る土地からいままで相手のところへ通った経験が既にあれば、相手がいる地の天気を作者は予想できるでしょう。通うまでに至らない仲であれば、夜空の状況は作者の仮定となります。

⑧ 三句~五句で一文となり、「相手が月の明るい夜だと判断した時の相手が決断するところの行動」を推測して詠っています。さらに二分が可能で、三句「月夜好見」が条件文で四句~五句がその条件における推測文です。

 この一文は、通う仲になっていた(「ひとやまへなれる」ということを苦にせず通っていた)からこの推測ができた、と理解するか、まだ付け文を受け取ってもらえるかどうかの段階であるので作者の願望だと理解するか、のどちらかになります。

 一般論で言えば、月夜には行くというような約束を当時の官人たる男子がするとは思えませんし、また、だからといって月夜を一人で愛でたいとも官人たる男子もいないでしょう。 

 だから、既に通う仲であれば、この歌の作者が、明るい月を見上げて詠んだとすると、誰かと一緒に月を楽しんでいて、今日残念ながら一緒に楽しめない「妹」を思いやって(あるいは想定して)詠ったのではないか。

 月を見上げていないとすれば、何かをきっかけに、作者の来訪を待っている人物に思いをはせたのではないか。

 どちらにしても、この歌は、「妹」に送った歌ではなく、同席した人々あるいは周囲のものに披露した歌(仲のよいことをアピールしているか、縮まらない仲への不満・愚痴)と推測できます。

 三句~五句のみからは、相手の行動の推測か願望を詠っているので、月夜であるのは歌の修辞のみであってもおかしくありません。

⑨ 次に、ふたつの文をつないでいる(二句にある)接続助詞「ものを」を確認します。

 接続助詞「ものを」には、「・・・のに、・・・けれども」の意の逆接で、あとへ続ける場合と、「ので、・・・だから」の意の順接で、あとへ続ける場合とがあります(『例解古語辞典』)。

 この歌では、「一山隔てているのに」、という逆接の意と「一山隔てているので」、という順接の意となります。

 土屋文明氏は、この歌について、

「一重の山をへだてて居るものを、月がよいので、門に出て立って妹が待つであらうか。」

と大意を示し、「ものを」を逆接の意として、山を隔てているのに、月夜なら待っているだろうか、という理解をしています。題詞のもとにある歌としての理解を示したものと思いますが、題詞を横においた理解のひとつとして可能な理解です。

 阿蘇瑞枝氏は、(題詞のもとにある歌として)

「山ひとつ隔ててはいるのだが、月がよいので、門に出て今頃妻はまっているであろうか。」

と現代語訳し、「ものを」は土屋氏と同様に逆接の意と理解されています。

 両氏の理解では、三句の気象状況は作者の予想ではないか。

⑩ 次に、「ものを」を、順接の意とすると、この歌の意は、

 「山を隔てているのだが、月があかるい夜は「妹」が待っているだろう」

となります。

 山を越えて会いにゆくのだから、月夜となれば来てくれると「妹」は判断して私を待っているだろう、という趣旨の歌となります。それは、月夜となれば会いに来てくれると思い込んでいる「妹」を詠っていることになります。三句の気象状況は作者の仮定となります。

 今、題詞を横において検討していますので、この理解も可能です。

 この歌を誰に披露したのかというと、逆接でも順接でも上記⑧に記したように、「妹」に送った歌ではありません。そして、「妹」を、作者は愛おしく思っているのか、さらに、仲間に「妹」を自慢したいのか、あるいはすこし持て余しているのか、それは分かりません。

⑪ 次に、題詞を前提にこの歌本文を検討します。

 題詞のもとにある歌としては、題詞の「思」字の理解が重要です。さらに次歌の題詞にある「聞之」と連動していないかどうかも重要です。

 「思」字の意については、(上記②に記す)巻四での共通の意「考える、はかる」と、相聞の歌として少なくとも「したう(相思)」あるいは「おもいやる・追想する(思詠)」の意の検討を要すると思います。

 さて、作者大伴家持は、題詞によれば恭仁京に居ます。都の造営の進捗を考えると官人は多くが家族を平城京から呼び寄せられていない(あるいは呼び寄せていない)時期となります。単身者はもちろん家族は居ませんし通う相手が居るとしたら平城京に居る人物でしょう。

 次歌の作者藤原郎女も同じ状況でしょう。

 次歌は、「聞之」後に詠われた「和歌」であるとその題詞にあります。次歌が藤原郎女の同席していた席での歌であれば、宴の席か、単に同僚などとの夕餉の席と推測できます。藤原郎女という編纂者のネーミングは官女あるいは、高位の官人の妻・娘のイメージがあり、家持に仕えている人物ではないでしょう。

 恭仁京遷都は官人が望んでいた訳ではありません。そしてその造営は遅々とした歩みです。そうすると、平城京恭仁京は一山隔てた位置関係であっても、2-1-768歌本文は、披露されたとき一般的な望郷の歌として理解されたのではないか。望郷の歌を恭仁京での公的な宴で披露できないでしょうから、私的な会合での歌ではないか。

 次歌の題詞には、大伴家持坂上大嬢の関係を直接示唆する文言はありません。次歌の歌本文にも(下記⑭でも検討しますが)二人の関係にのみに限定して表現していると理解しなくとも歌は「和歌」として成り立っています。恭仁京において今晩同席している官人皆の気持ちを大伴家持が詠い、即座に「そうですよね、待っているはずですよ」と同感の意を表したのが藤原郎女の「和歌」ではないか。

⑫ そうすると、題詞は編纂者の作文であるので、題詞にある「思留寧楽宅坂上大嬢」は、編纂者の作為である可能性を指摘できます。

 大伴家持坂上大嬢との関係がまだ通う前の段階であれば、藤原郎女が二人の関係を知る由がない、と想像できます。

 通い始めた以降でも、一官女にその仲を親しく話すとは思えません。

 大伴家持は、通い始めていた坂上大嬢に個人的な思いを込めて詠んだとしても、同席の人々は、望郷の歌と理解し、大伴家持の個人的な事情に配慮した「和歌」ではないであろう、と思います。

⑬ だから、題詞にいう「恭仁京に居る大伴家持」が「平城京に留まっている坂上大嬢」を、「考える、はかる」であっても「したう(相思)」であっても、「ものを」を逆説の意とした、題詞のもとにある歌本文の理解は、土屋氏の大意、

 「一重の山をへだてて居るものを、月がよいので、門に出て立って妹が待つであらうか。」

が妥当であり、官人たちの望郷の思いを詠んだ歌と理解できます。

「思」字は、「おもいやる・追想する(思詠)」の意の歌ではない、と思えます。

 このように、題詞のもとにある歌本文は、「ものを」を逆接の意として、かつ「思」字は、巻四での共通の意「考える、はかる」で理解が可能です。「したう(相思)」に固定する必要はありません。

 次歌の題詞にある「聞之」を伝聞として後日この歌を聞いたとしても(関連情報もあったとしても)、同様に理解できます。

 ただし、次歌の理解は、大伴家持坂上大嬢の関係を知り得た後の可能性があり、この二人の仲をはやしたりまたはからかった歌という理解もあり得ます。

⑭ 改めて、次歌(2-1-769歌)の歌を、その題詞のもとにある歌として検討すると、土屋氏の大意、

 「道が遠いので来まいとは分かって居るものの、そんなにも待つでありませう。君にあひたくて。」は妥当である、と思います。

 そして、この待つという思いは一般に「妹」と呼ばれる女性すべてに共通したものでしょうから、坂上大嬢にも生じてもおかしくありません。つまり、坂上大嬢という個人の特性より「妹」と呼ばれる特性に注目した歌であるので、坂上大嬢を藤原郎女が知っているかどうかは次歌の理解にとり必須の条件になっていません。

 なお、次歌の三句にある「ものから」は接続助詞で、逆接の意と順接の意があります。『例解古語辞典』では,中世以後急速に文語化し、同時に順接の意が生じたとあり、『萬葉集』においては、逆接の意(けれども・・・、・・・ものの、・・・のに)となります。

⑮ さて、2-1-768歌の「ものを」を順接の助詞とみると、上記⑩に示したように、題詞を横におけば、月夜となれば会いに来てくれると思い込んでいる「妹」を詠っています。

 (上記④に示した現代語訳の)題詞のもとの歌なので、歌にいう「妹」は、「恭仁京に遷都したにもかかわらず平城京にある官人の屋敷(寧楽宅)」に留まるところの坂上大嬢」となります。

 題詞にいう「妹」が、題詞を横においた順説の接続助詞で理解した場合の「妹」でもあるならば、作者である大伴家持は、そのような「妹」に辟易しているか、苦悩しているのではないか。

 坂上大嬢は、実際には大伴家持の正妻となったか、と諸氏が指摘する女性です。辟易するようなあるいは家持を悩ませるような行動を本気でする女性、とは思えません。

 題詞のもとにある歌本文は、「ものを」を逆接の助詞として理解するのが妥当であろう、と思います。

⑯ しかしながら、巻四における題詞に「思」字のある歌は、いくつかの理解が可能な歌であるはずなので、「ものを」を順接の助詞として理解する歌は編纂者が意図していたものであろう、と思います。

 そうすると、この歌にある暗喩の意が、「ものを」を順接の助詞として理解した歌となります。

 暗喩の意の歌の作者は大伴家持ではない誰か、になるはずです。

⑰ 巻四における大伴家持坂上大嬢との相聞歌は、「報贈」字を用いた題詞のもとの歌2-1-584歌から始まりこの題詞の後にもあります(付記2.参照)。

 それらが、作詠順に題詞ごとに配列されているとするならば、「思」字を用いた題詞のもとにある歌の作詠時点で、二人の関係に変化があったかのように見えます。

 この題詞の後に次のように歌を大伴家持坂上大嬢に「贈」っています。

2-1-770歌の題詞:大伴宿祢家持更贈大嬢歌二首

2-1-773歌の題詞:大伴宿祢家持従久迩京贈坂上大嬢歌五首

 前者の題詞のもとにある歌は、家持が恭仁京に居るので逢えない状況を詠っており、後者のそれは、萬葉集中の難解歌もあるものの坂上大嬢の対応が家持からみてはかばかしくない、あるいは裏切られているかのように詠っているかに見えます。

 これらは、2-1-768歌について「ものを」を逆接の助詞として理解した歌とすれば、一時仲たがいをしていた際の歌なのでしょう。

 2-1-768歌について「ものを」を順接の助詞として理解した歌とすれば、二人の仲は険悪な関係になった際の歌になってしまいます。

 大伴家持坂上大嬢を正妻に迎えていますから、一時の仲たがいはともかくも、「ものを」を順接の助詞として理解した場合に二人の仲は、現実の二人の関係とは異なる関係です。

 そうすると、この二人に別のカップルの人物を暗喩としてあてているのではないか。そのように巻四の最終編纂者により意図的に作文されここに配列されている、とみることができます。

⑱ この題詞は、上記②で指摘したように、作者である家持の作詠場所と相手の居所も明記しているという特徴があります。2-1-724歌の題詞以降ではこの題詞のみの特徴です。

 巻四の題詞で、この題詞以外に作詠場所が明記されているのは、2-1-571歌等の題詞、2-1-703歌の題詞及び2-1-726歌等の題詞の3題のみであり、相手の所在地が題詞に明記されているのは国名を除くとこの題詞以外には2-1-487歌の題詞くらいしかありません(2-1-726歌等の題詞には「留宅」とあり明確ですが所在地名が明記されているとは言えません)。

 別のカップルのヒントを題詞に求めると、ここにあるのではないか。

 その「恭仁京」と「寧楽宅」の対比に注目します。

 造営もままならぬ「恭仁京」と「安んじて楽しむ」都平城京の家という対比は、住む世界が違うことであり、この世(現世)と常世の対比ではないか。

 暗喩の意の場合の作者は、現世に居り、巻四の最終編纂時点では既に常世に居る人物を「坂上郎女」に暗喩している、と推測します。

 しかし、暗喩の意の歌の作者は、まだわかりません。宿題となりました。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、「作者名+物贈+・・・」という作文パターンの題詞を検討します。

(2023/3/13   上村 朋)

付記1.万葉集巻四の2-1-724歌以降にある題詞の作文パターンについて(2023/3/13 現在)

① 『萬葉集』の題詞は、倭習漢文で編纂者が作文している。「献天皇歌」という4字のみの題詞は巻四に2題あるのみである。巻四でその題詞以下には巻四の題詞としては特殊な題詞が集中してある。その最初が2-1-724歌の題詞である「献」字を用いた作文である。

② 2-1-724歌以下の題詞を、作文パターン別にみると、次のとおり。

「献天皇歌」:2-1-724歌、2-1-728歌~2-1-729歌の題詞(2題):

   ブログ2023/2/20付けで検討

「作者名+歌」:2-1-725歌の題詞(1題):ブログ2023/3/6付けで検討

「作者名+相手の名+「賜歌」:2-1-726歌~2-1-727歌の題詞(1題):

   ブログ2023/3/6付けで検討

「作者名+思+氏名+作歌」:2-1-768歌の題詞(1題):

   今回のブログ(2023/3/13付け)で検討

「作者名+物贈+・・・」:2-1-785歌の題詞(1題):次回以降で検討

「作者名+報贈歌」:2-1-772歌、2-1-779歌、2-1-789歌~~2-1-791歌の題詞(3題):同上

「作者名+来報歌」:2-1-794歌~2-1-795歌の題詞(1題):同上

「作者名+贈+相手の名+歌」(多数):同上

「(作者名)+和+(相手の名)+歌」(多数):同上

③ 2-1-724以前の題詞には、「作者名+歌」、「作者名+贈+相手の名+歌」及び「(作者名)+和+(相手の名)+歌」という作文パターンが多数ある。

④ 倭習漢文とは当時の官人が業務執行上用いていた漢文のスタイルをいう。

⑤ 『萬葉集』巻四はすべて相聞歌であり、その題詞にある人物名(歌の作者(披露者)とその歌を贈る相手の氏名)から作詠時点を推計して巻四の配列を今検討している。2-1-724歌の題詞以降の歌についての作業結果は、ブログ2023/3/6付けの付記2.の表H3に示した。

 

付記2.巻四の題詞で大伴家持坂上大嬢の名を同時に明記するか、明記した歌の「和歌」とあるもの

① 表記の題詞は、10題ある。下表のとおり。題詞に用いている「贈」字、「思」字等別に示す。

② 巻四は、巻頭歌の作者が難波天皇妹である。次歌の作者を斉明天皇とみれば以下2-1-503歌の題詞まで計8題連続して女性の歌が続く。その間「和歌」と題詞にある歌はない。

③ 「贈」字を用いた巻四最初の題詞は「中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首」(2-1-518歌題詞)であり、阿倍女郎が応えた「和歌」字を用いた題詞が次にある。

表 巻四で、家持と坂上大嬢の名を明記する題詞とそれに対応する意の題詞の一覧

(2023/3/13 現在)

配列順

家持作詠の贈歌の題詞

大嬢作詠の贈歌の題詞

家持が思い作る歌の題詞

左欄各題に対応する題詞(和歌という題詞)

  1

2-1-584歌題詞:

大伴坂上家之大嬢報贈大伴宿祢家持歌四首

 

 

記載無し

  2

2-1-730歌題詞:大伴宿祢家持贈坂上家大嬢歌二首

 

 

記載無し

  3

 

2-1-732歌題詞:大伴坂上大嬢贈大伴宿祢家持歌三首

 

2-1-735歌題詞:又大伴宿祢家持和歌三首

  4

 

2-1-738歌題詞:同坂上大嬢贈家持歌一首

 

2-1-739歌題詞:又家持和坂上大嬢歌一首

  5

 

2-1-740歌題詞:同大嬢贈家持歌二首

 

2-1-742歌題詞:又家持和坂上大嬢歌二首

  6

2-1-744歌題詞:更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首

 

 

記載無し

  7

 

 

2-1-768歌題詞:在恭仁京思留寧楽宅坂上家大嬢大伴宿祢家持作歌一首

三者の返答記載あり

 

2-1-770歌題詞:大伴宿祢家持更贈大嬢歌二首

 

 

記載無し

 

2-1-773歌題詞:大伴宿祢家持従恭仁京坂上大嬢歌五首

 

 

記載無し

 

 

 

 

 

(付記終わり  2023/3/13  上村 朋)