わかたんかこれ 萬葉巻四 御製・賜・思 配列その1

 前回(2023/1/9)に引き続き『萬葉集』巻四を検討します。(2023/1/23  上村 朋)(付記1の表において、ブログ2023/3/6付けの付記の表に記した題詞の作文パターンをできるだけ補った(2023/7/31))

1.~2.承前

 2023/1/9付けブログで『萬葉集』巻四の題詞に対する割注を検討し、それは古注の一種ということになりました。『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討をしています。

3.巻四の配列予想

① 今回から巻四全体の配列を検討します。その配列は、『萬葉集』の三大部立てが巻三と巻四で揃うので、巻三にならい、次のように予想します(作業仮説です)。

 第一 編纂者は、聖武天皇の御代の途中までに詠作あるいは披露された歌により巻四を構成しており、聖武天皇の御代を今上天皇の御代として題詞を作文している。

 第二 歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。

 第三 未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。

 第四 配列は、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしているのではないか。

 第五 配列は、最終編纂時点において定まった。

 

② この予想は、倭習漢文である題詞のみの検討、題詞と歌本文による検討及び配列の検討で確かめられる、と思います。

 上記の仮説第一は、『萬葉集』巻四にある歌は聖武天皇の御代の途中までが作詠時点(披露時点)という諸氏の指摘もあり、また、前回ブログ(2013/1/9付け)で指摘したところです。

 上記の仮説第二は、相聞の部立ての巻四において、各題詞に明記してある作者(あるいは披露者)とその歌を贈った相手の名を主要な手がかりとして、作者の活躍した天皇の御代(歌を披露した御代)の推測が可能なので、確認ができます。それを行った一部を、付記1.に示します。

 歌群に属する歌の歌番号は連続しており、2023/1/23現在では次の表のように巻四にある歌は歌群を単位として歴代順に配列されています。その歌群内の配列は、履歴が現在のところ不明な人物も多々あり、詳しい作詠時点(披露時点)が推計しにくく、いまのところは順不同と推測するほかありません。

 巻四の歌は、結局、天皇の歴代順に4グループの歌群として配列されていることになりました。

 上記の仮説第三にかかわることですが、最後のグループは、さらに二つに分けられそうですが、その境目の歌が、今のところ一案に絞りきれていません。

表 天皇の御代による『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/1/23 現在)

グループ

天皇の御代

グループの筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4A

聖武天皇以降

2-1-525:京職藤原大夫歌

聖武天皇:在位724~749

4B

聖武天皇以降

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

光仁天皇:770~781

4C

聖武天皇以降

2-1-728:未詳の人物の歌の「献天皇歌」

 

4D

聖武天皇以降

寧楽宮?

2-1-789:大伴家持

 

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)グループ4A~グループ4Dは、検討途中のグループである。「寧楽宮」の御代を詠う筆頭歌の候補が複数あるからである(2023/1/23現在)。

 

 

③ 天皇の歴代順は、当然ながら天皇に関する歌だけで確認できます。

巻四の相聞の歌は、3分でき、御製(或いは「天皇贈」、「天皇思」」と題詞に明記のある歌と、天皇を相手としている歌、及びそれ以外の歌(これが大部分です)です。

 御製等と題詞に明記のあるのは、つぎの3題です。『新編国歌大観』より引用します(以下の歌も同じ)。

2-1-488歌~2-1-490 岡本天皇御製一首并短歌  (諸氏は舒明天皇または皇極天皇斉明天皇重祚)とする。また 返歌にあたる奉和歌の記載無し。 この題詞は巻四にある二つ目の題詞)

2-1-533歌 天皇海上女王御歌一首  (返歌にあたる奉和歌が次の2-1-534歌である)

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (事前の奉和歌及び返歌にあたる奉和歌の記載無し)

 

 最初の2-1-488歌の題詞にある岡本天皇とは、藤原京または平安京で即位した天皇ではありません。次の2-1-533歌では単に「天皇」とあるだけですが、海上女王の履歴が『続日本紀』で確認でき、男性の天皇であれば聖武天皇が最有力です。酒人女王は『続日本紀』で確認できず、一抹の不安があります(ブログ2023/1/9付けの「付記2.」参照)が、仮説第一が正しければ、聖武天皇の御代の歌であるので、この3題の巻四における御代の順番は、歴代順であろう、と言えます。

④ 次に、巻四において、天皇を相手としている歌(和歌・献歌の類)の題詞は、つぎのとおり5題あります。

2-1-487歌 難波天皇妹奉上在山跡皇兄御歌一首 

2-1-534歌 海上女王奉和歌一首 (2-533歌の返歌)

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首 (天皇の贈歌と返歌にあたる天皇歌の記載無し)

2-1-724歌 献天皇歌一首  (作者の明記無し)

2-1-728歌~2-1-729歌 献天皇歌二首  (作者の明記無し)

 

 最初の2-1-487歌の題詞は、巻四の筆頭の題詞です。難波天皇とは、難波の地を根拠地にした天皇の意を指すと思われ、諸氏は仁徳天皇孝徳天皇をあげています。そうすると、上記③に2-1-488歌の岡本天皇の御代以前の天皇であり、巻四での歌の配列は歴代順と言えます。

 2-1-534歌と2-1-629歌は、相手の女王の名より聖武天皇が最有力です。海上女王と八代女王についてはブログ2013/1/9付けの「付記2.」参照)。

 このため、2-1-487歌から2-1-629歌の題詞に関しては、その歌番号において上記仮説第二が成立しています。勿論その題詞のもとにある歌本文も同様です。

 その次の2-1-724歌と2-1-728歌の題詞では、単に「天皇」という表記されています。それらの歌とペアとなる官人の歌や天皇の御製歌と表記する題詞がなく、2-1-629歌の題詞までの結論を否定する材料がありません。

 そして、2-1-629歌の題詞が聖武天皇の御代ということを示しているならば、その後の歌番号の題詞で単に「天皇」という表記が聖武天皇を指すと理解しても矛盾はありませんので、上記仮説第二が成立します。

 唯、題詞の作文パターンが献天皇歌とある3題のなかで献じる人物名があるのは2-1-629歌の1首だけであり、題詞の作文パターンの違いがちょっと気になります。(ブログ2023/1/9付け「2.⑦」参照)。

 このように、天皇に関する歌だけをみると、歴代天皇の順に配列されています。

⑤ では、その他の、天皇が題詞に登場しない相聞歌ではどうか。

 巻四の大部分がこの部類なのですが、作者など人物名が2-1-674歌を除き題詞には明記されています。その人物の生没・官歴が『続日本紀』などで判明すれば、それに従い作詠時点(披露時点)の御代を推計できます(付記1.参照)。

 その作業の結果を単純に歌番号の順でグルーピングでき、大別4つの歌群(グループ)となりました、その各歌群に天皇に関する歌も入りました。

 このため、上記仮説第二が成立していました。それを表にしたのが上記の表です。

 不安などと指摘した点は後程確認します。

 

4.天皇が関わる歌の疑問 その1

① 不安などと指摘した天皇歌の検討をします。最初に、2-1-627歌です。酒人女王の活躍した御代の再確認です。

 2-1-627歌の題詞の割注を信頼すれば、和銅8年(715)に母に先立って薨去した穂積皇子(享年は40歳代前半か)の孫であるので、聖武天皇の御代(在位724~)に活躍した人物とも推測できます。

 歌本文の内容は、一見「妹」に親愛の情をもって呼び掛けており、この元資料が聖武天皇自身の御製であっても代作であっても、あるいは伝承歌を利用して披露した歌であっても、巻四の部立て「相聞」にふさわしい歌です。

 しかし、恋を成就するための歌としては、酒人女王の存在感が薄く、気がかりです。

 歌の内容は男女間に芽生える思いであり、題詞に登場する人物でなくともありそうな事柄です。そのため、題詞の意味するところが明確になるのではと、題詞を無視した歌本文のみの検討と、題詞のもとの歌としての歌本文を検討して比較したいと思います。

② 歌を、『新編国歌大観』より引用します。

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (割注は割愛)

   道相而 咲之柄尓 零雪乃 消者消香二 恋云吾妹

   みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに こふといふわぎも

 現代語訳の例を示します。

 土屋文明氏は、末句を『新編国歌大観』と異なり、七音の「こふとふがぎも」と訓んでいます。

「道に行きあうてゑまれたので、降る雪の消えれば消えもするやうに恋しく思ふといふので私はあるよ。吾妹よ。」

 氏は、末句にある「とふ」について、「人がさう言ふ意であるが表現を間接にし、やはらげる丈の場合が多い。(萬葉)集中の例でも「とふ」を省いても意味が足らなくなるほどのことはないのがある。・・・ 「といふわけだ。といふものだ」位に心得てよいやうに思ふ」と指摘しています。

 そして、「題詞の「思」は言ふまでもなく恋ひ思ふ意であるから、題詞の撰者は天皇が女王をめされた間と見て、「思」字を置いたのであらう」と指摘し、聖武天皇は「萬葉集中では最も儀制などの整った、面倒な時代の天皇であらせられるに「道にあひてゑまししからに」の御製があるのであるから、萬葉集が善い時代に成ったといふことは疑ふ余地がない」とも指摘しています(『萬葉集私注二』(筑摩書房))。

 ちなみに、氏は、この題詞の割注を「古注」と呼び、酒人女王については、『本朝皇胤紹運録』(応永33年(1426)成立)に桓武天皇同母妹に酒人内親王をあげているが光仁天皇の御代の伊勢斎宮であり別人である、とも指摘しています。

 次に、伊藤博氏の現代語訳は、末句本文を「恋云君妹」、訓は『新編国歌大観』と同じとして、

「「道にお逢いしてほほえまれたばっかりに、まるで降る雪の消えるように、消え入るなら消えてしまとばかりにお慕いしています」と、そう言ってくれるそなたよ。」(『新版万葉集 現代語訳付き』(講談社学芸出版))

 なお、題詞にある「思」字への脚注をしていませんが、題詞を訓み下し。「おもふ」としています。

 土屋氏は、作中人物を天皇としてご自身が恋しいと直截に詠っているという理解であるのに対して、伊藤氏は、酒人女王が恋しいというのを作中人物が聞いた、という理解です。多くの方が伊藤氏のタイプの現代語訳を示しています。

③ さて、歌本文は、題詞の有無にかかわらず、次のような文からなる、と理解できます。

文中にある動詞が誰の行為であるか(主語)が明記されていない文が続きます。そのため、両氏のほか色々な理解が可能となっています。

 

 文A:みちにあひて ゑまししからに   (ある事実を記す。動詞「あふ」と動詞「ゑむ」のそれぞれの主語が省略されている。接続助詞「からに」で次の文に続けている。一連の行為として一文とみなす。)

 文B:ふるゆきの けなばけぬがに  (文Cを知ると、その事実から生じた気持ちを例えている、と理解できる文である。接続助詞「がに」で次の文を修飾する。)

 文C:こふ   (動詞「こふ」のみからなる文。主語が省略されている。)

 文D:といふ  (格助詞「と」で文Cまでの内容を引用の形で受けている。動詞「いふ」の主語が省略されている。)

 文E:わぎも  (文Dの「いふ」の主語の場合文Dと文Eは一つの文である。あるいは、文Dから独立した文で相手への呼び掛けの文。)

 

④ 『萬葉集』巻四の歌としては、配列と題詞のもとの歌として妥当な現代語訳を得なければなりません。これはその前段階の検討です。

 文Aには、動詞に対する主語が表記されていません。文Aにある「みちにあふ」とは、相聞の歌であるので、ある一組の男女が、人の往来する場所(街路か庭園か建物内など)で出会ったという意でしょう

 文Aのみでは、「ゑむ」行為をした人物を、天皇とも酒人女王ともあるいは両者とも決めかねます。

 注釈した「ある事実」とは、その男女のどちらかが、「ゑむ」行為の当事者、あるいは男女二人が「ゑむ」(つまり会釈する)行為の当事者である、ということを指します。

 また、恋の発端としては、相手が「ゑむ」という行為をしてくれた、と勝手に理解したとしても有り得ることであり、その場合も「ある事実」に該当します。どちらの「ある事実」なのかは、文Aだけでは決めかねます。

 さらに言えば、天皇が作者であれば。「みちにあふ」と表現しているのは、日々の天皇の行動原則を考えると余程突発的な事と理解している、という感覚で詠われている、という解釈も可能です。

 そして、題詞そのものには、「ある事実」を上記の一つに限定している表現となっていません。

⑤ 文Bは、文Aの行為の場面に生じていることではありません。文Aに表記してある行為の主体(主語)となる人物とは一見無関係です。文Cを知って、このように表記した意図が理解できる文です。

 文Cは、文Aに表記してある「ある事実」から生じたのが、文Bに譬えられるような「恋」である、ということを表しています。

 しかし、「誰による誰への恋」かは、主語が省略されていて不明な文です。

 文A~文Cは、結局、「ある事実」から「誰か」が恋をした、ということを表現しているだけです。人物の特定は当然わかる、というスタンスの文です。

 また、文A~文Cだけで独立した文章(例えば、この歌への引用文)という理解も可能です。

⑥ 文Dは、主語が省かれているので、「文A~文Cを誰かが言った」とも「文A~文Cを作者が言った」ともとれる文です。

 だから、土屋氏が訳したように「人がさう言う」意に取ることもできます。

 文Eは、文Dの主語であるとすると、文D+文Eは、一文であり倒置法の文となります。「わぎも」が言っている、という理解となります。しかし、これにより、文Aにある動詞の主語まで限定できません。「こふ」という状況にある人物が「わぎも」と作者が呼んでいる人物(多分酒人女王)か、あるいは作者である天皇かは、不定です。

 倒置法の文でなければ、文Eは、動詞「いふ」が終止形で一旦終わり、「わぎも」と相手に呼び掛けているか、あるいは、動詞「いふ」が連体形で「わぎも」を修飾していることになります。

⑦ 短歌は、五七五七七という五句からなる詩です。この歌は、初句は六音で、最後の語「て」(接続助詞)を重視しているかにみえます。末句は文C+文D+文Eからなり、七音ではなく八音です。

 八音としているので、末句を七音に、例えば、「こふといふかも」とか、「こふ「わぎもこ」よ」と言い換えたら、作者が言いたいことが伝わらない意を述べているのであろう、とも考えられます。

 さらに、文Aで主語が不定のままであることを考慮すると、文Cの主語である人物が誰であるかをこの歌を聴いた人物に任せていると言えるので、文Cの主語を土屋氏や伊藤氏のように、特定の人物に固定して理解しなくともよいのではないか。

⑧ 以上は、題詞を無視した検討でした。巻四にある2-1-627歌を、題詞が言わんとしていることを踏まえた検討を、次に行います。

 題詞は、官人が使い慣れている倭習漢文で作文されています。そこに用いられている「思」字に、「既に恋をしている」意があるかどうかが問題です。天皇と酒人女王の関係を、少なくとも一方が「既に恋をしている」という前提は、確認を要します。

⑨ 最初に、巻四にある天皇の御製等の歌とある題詞3題(上記③に記す)を比較して「思」字の意を確認します。訓み下すと、次のようになるでしょう。「天皇」は「すめらみこと」と、「御製」と「御歌」は「みうた」とか「おほみ(うた)」と訓んでいる例もあります。

2-1-488歌~2-1-490 : 岡本天皇の御製(の歌)一首ならびに短歌 

2-1-533歌: 天皇海上女王に賜ふ(ところの)御歌一首

2-1-627歌: 天皇の酒人女王を思(おも)ほす(あるいはしのふ)御製の歌一首

 微妙にニュアンスが異なります。漢文として見ると、「御製」字、「賜」字及び「思」字を、書き分けています。巻四編纂者は、次のように歌を理解して題詞を書き分けている、といえます。

 2-1-488歌は、御製の歌という位置付けの長歌反歌であり、代作の可能性が大きい。だから公に披露されているはずの歌。長歌反歌による相聞歌は巻二にもなく、巻四でも唯一であり、呼びかけている相手の「君」とは、求めている皇位継承者か特定の人物かは不明。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-533歌は、代作かどうかは不明であるものの、歌そのものを、天皇が特定の相手に確かに伝えた歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

 2-1-627歌は、代作かどうかは不明であるものの、天皇が特定の相手に対して「思ったことを」を詠う歌。その特定の相手にどのように伝えたかは不明のままである歌。相聞の歌であるとの認識は歌本文の理解から判断した歌。

⑩ 『新字源』(角川書店)には、つぎのように説明しています。

 御製:天子が作る。また、その詩歌・文章など。

 賜:(動詞) aたまう:目うえの人が目したの者に物をあたえる。bたまわる

 思:(動詞)おもう。aかんがえる。はかる。bねがう、のぞむ。(思身) cしたう。dおもいやる、追想する。(思詠) eあわれむ、かなしむ。(思秋)。 

 「思」字に関する熟語例に「思婦(物思いにふける婦人)」や「思慕(思いしたう、こいしく思う)」などをあげています。

 また、「おもう(おもふ)」と訓む同訓異義の漢字の説明をしています。10種類あります。

 意:あれこれおもいはかる。

 以・為:(説明の引用割愛)

 惟:(同上)

 謂:(同上)

 憶:(同上)

 懐:人や場所などを思いしたう。

 顧:ふりかえって思う。反省する。

 思:くふう。思案する。また思いしたう。思慕。なつかしく思う。

 想:おもいやる。思いうかべる。

 念:心の中にじっと思っていて、思いがはなれない。胸にもつ。

 

 ちなみに「恋」字には、

動詞:こう(こふ)、おもいしたう、愛情をもつ。

名詞:こい

国字として:(形容詞)こいしい

と説明しています。

 「思」字の意のなかに、「恋」字の意がない、と否定しきれませんが、倭習がある漢文であっても「思」字の意は「恋」字より広い、と思います。

⑪ 2-1-627歌の題詞の「思」字の意を、「かんがえる、はかる」で用いていれば、漢文「(天皇)思酒人女王(御製歌)」の訓「酒人女王を思ふ」は、「天皇自身と酒人女王との現在の関係について考える」ことであり、それは「酒人女王を召すかどうか考える」あるいは「酒人女王を遠ざけるかどうか考える」の意のどちらかと理解できます。

 「したう」意で用いるのは、天皇の御製に相応しくない、と思います。

 また、「思」字の意を「ねがう、のぞむ」で用いていれば、「酒人女王を召すかどうか考える」ではないか。

「思」字の意を「おもいやる、追想する」で用いていれば、作者(天皇)は、「距離を置いて酒人女王のことに思いを巡らしている」意も可能となります。

 天皇歌に「贈」と明記されている題詞があるので、少なくとも「贈」ったかどうかは判然としていないのは確かな歌(あるいは判然とさせていない歌)として、この2-1-627歌を理解するのが良い、と思います。

⑫ 「思」字を用いている巻四の題詞(倭習漢文)は、3題あります。

 2-1-491歌 額田王思近江天皇作歌一首

 2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首

 2-1-768歌 在久尓京思留寧楽宅坂上大嬢大伴宿祢家持作歌一首

 最初の2-1-491歌の歌本文は、秋の風を詠んでおり、爽快な風ではなく、去りゆく風を詠んでいる(近江天皇が離れゆくことを暗喩)と理解が可能です。熟語「思秋」の意に通じる歌いぶりと理解できます。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」であり、作者はわが身を「あわれむ、かなしむ」という気持ちではないか。なお、伊藤氏は、題詞にある「思」字を「しのふ」と訓み、「次歌(2-1-492歌)と共に奈良朝人の仮託か」と指摘しているので、天智天皇を「なつかしくおもう」という歌ということになります。次歌の作者に示した点が相聞の範疇と捉えたのでしょうか。

 三つ目の2-1-768歌の歌本文は、(家持と坂上大嬢以外の第三者が詠っている)この歌に和する歌(2-1-769歌)を参考にすれば、長い期間逢えないでいる時の心境を詠っていると理解できます。当事者でない第三者がこの歌を知った経緯もわかりません。「思」字の意は、「(作者は)かんがえる。はかる」か「(坂上大嬢を)あわれむ、かなしむ」意であろう、と思います。「思」を重視し、「贈」と2-1-768歌の題詞は明記していません。

⑬ このため、巻四編纂者が用いる「思」字の意は共通であり、二つ目の2-1-627歌は上記⑩の候補のうち「考える、はかる」ではないか。そのため、題詞は、作者である天皇の立場は二通りあることを示唆していることになります。元資料の歌の意がもともとそうであったのではないか、と思えます。

 なお、巻四において、万葉仮名表記の歌本文における訓「おもふ」の仮名は「念」という用字の場合が圧倒的に多い。歌本文での「思」という用字は、万葉仮名として「し」の音を表記している場合が多い。

 巻四のほかに、巻三において、「思」字を用いる題詞は1題あります。

 2-1-374歌 出雲守門部王思京歌一首

 この題詞のもとにある歌本文では、「・・・ 吾佐保河乃 所念国」(・・・ わがさほがはの おもほゆらくに)と詠っており、望郷の歌と理解できます。この題詞における「思」字の意は、「かんがえる、はかる」、「おもいやる、追想する」が妥当するのではないか。

⑭ このような題詞のもとにある2-1-627歌の歌本文は、題詞に配慮しなければ、上記③~⑦で検討した文A~文Eとなり、誰が「こふ」という状況に居るのかは、この歌を聴いた(あるいは贈られた)側の判断にゆだねられています。

相聞歌は、歌の前提条件について歌を贈る側と受け取る側で暗黙の共通の認識をしている場合が多く、これはよくあるパターンです。

 題詞にある「思」字の理解は幾つかあるものの、上記②に引用した土屋氏の現代語訳は、題詞にある「思」字の意を「恋い思う」と氏は決めてかかり酒人女王を召す前提とした現代語訳となっています。

 一方伊藤氏のそれは、題詞に「思」を「おもふ」と訓んでおり、歌本文の現代語訳は、召す前提とも、相手を突き放したかにもとれます。

 天皇が召すつもりであるならば、それ以外の理解が生じるのは誤解・混乱を招きますので、避けたいところでしょうから、どちらにも理解できるということは、召す前提の歌ではない、と氏は整理しているのでしょうか。

 このように、題詞と歌本文のみから、単純には一つの理解に収まらない歌となっています。

⑮ このような理解が可能な2-1-627歌の歌本文を、巻四に配列したのは編纂者です。巻四編纂者の手元に蒐集された元資料の段階で、既にそのような歌であったのでしょうか。歌本文に手を加えることを編纂者はしていないと思います。

 かんがえられるのは、その元資料の理解が既に「ひとつ」であったということです。

 それが題詞の「思」字を用いている理由ではないか。つまり、いくつかの理解が可能な歌としてここに配列された、と推測します。

 酒人女王は、(実在した人物であったとしても)天皇の子を産んでいません。天皇聖武天皇でなくとも、産んだ子は皇子あるいは皇女として処遇され、『続日本紀』にも記録されたでしょうが、それが見当たりません。

 また、酒人女王がこの歌を贈られたら、それに応えた歌を詠んでいると予想できるのですが、『萬葉集』にはありません。2-1-533歌には贈られた海上女王の返歌が2-1-534歌としてあるのに対して、この2-1-627歌は返歌を期待していない歌であれば、召す前提の歌、という理解をしないほうが良いと思います。

⑯ この歌の理解は、巻四の配列にもヒントがあるはずです。

 天皇の関係する歌が、官人の歌の間にあるのは、何故でしょう。これに和する歌もありません。

 前後の題詞5題は、次のようなものです。

2-1-621歌 大神女郎贈大伴宿祢家持歌一首

2-1-622歌~2-1-623歌 大伴坂上郎女怨恨歌一首併短歌

2-1-624歌 西海道節度使判官佐伯宿祢東人妻贈夫君歌一首

2-1-625歌 佐伯宿祢東人和歌一首

2-1-626歌 池辺王宴誦歌一首

2-1-627歌 天皇思酒人女王御製歌一首 (今検討している題詞)

2-1-628歌 高安王裹鮒贈娘子歌一首

2-1-629歌 八代女王天皇歌一首

2-1-630歌 娘子報贈佐伯宿祢赤麿歌一首

2-1-631歌 佐伯宿祢赤麿和歌一首

2-1-632歌 大伴四綱宴席歌一首

 この配列をみると、2-1-624歌以下2-1-632歌までは、宴席での歌ではないかと思えます(2-1-633歌以下2-1-645歌までも宴席の歌が続きます)。

 そうすると、2-1-627歌は、天皇の立場を代弁したかに位置付けられる歌となりますが、そのようなことが可能でしょうか。宴席でそのような歌を官人が披露できるとは思えません。

 天皇が披露するとすれば、架空あるいは仮定のこととして詠んでいるのが明白であったらば可能ではないか。

 初句「みちにあいて」から末句の「こふ」までを引用文とすれば、引用文を短歌に仕立てるとすると、例えば

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに けふもありけり」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに あふよしなしに」

「みちにあひて ゑまししからに ふるゆきの けなばけぬがに わがこふるきみ」

が浮かびます。

 このような歌に対する返歌とすると、長い引用であることから戯れ歌であり、宴席で場を盛り上げる歌の類として、歌意を意識的に複数にして詠まれている、と思います。

 上記①で指摘したように、恋を成就するための歌、という理解に限る理由はありません。

⑰ 天皇の立場から言えば、召したいのであればこのような歌など贈る必要はなく、直截に本人ではなく周囲の者に意思表示すれば足ります。天皇に召されるのを嫌っている女王(とその家族)が居るとは思えませんから。

 そして、題詞にいう「天皇」は、特定の一人の天皇に限定しなくともよい歌です。

 2-1-627歌は、土屋氏の指摘(上記②参照)にならうならば、正反対の意ともなり得る歌を楽しむ場面は、善い御代を象徴する歌のひとつといえるでしょう。 その天皇の御代を聖武天皇の御代としてここに配列しているのではないか。

 酒人女王は幼い児であってもよいし高齢の女性でもよい、という歌の理解となれば、酒人女王の実体の詮索はあまり歌の理解に関わらないことになります。上記③で指摘した一抹の不安は消えます。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、天皇への歌と題詞にある5題の確認をします。

(2023/1/23  上村 朋)

付記1.万葉集巻四の題詞にある作者等と歌を贈る相手の一覧その1

 表H1 『萬葉集』巻四 筆頭歌(2-1-487歌)~2-1-527歌(2023/1/23現在)

歌番号等

題詞での作者(披露者)→題詞での贈る相手

作詠(披露)時点の推測と備考(題詞での賜・思・贈・和歌・作歌等の区分など)

2-1-487

難波天皇妹→難波天皇

難波天皇とは仁徳天皇とも孝徳天皇とも

難波天皇妹の奏上する歌

2-1-488~ 2-1-490

岡本天皇→明記無し(吾恋流 君)

岡本天皇とは舒明天皇とも皇極天皇斉明天皇重祚)とも

岡本天皇の作る歌(御製)

2-1-491

額田王→近江天皇

近江天皇とは天智天皇

「思秋」に通じる感興ならば天智天皇没後の歌という理解も可能

額田王が近江天皇を「思」い作る歌。

2-1-492

鏡王女→明記無し

鏡王女の立ち位置からは相手は天智天皇か。2-1-491歌とペアで配列していれば天智天皇没後の歌という理解も可能

鏡王女の作る歌

2-1-493~ 2-1-494

吹芡刀自(活躍の御代不明)→明記無し

2-1-493歌の四句の「妹」が女性を指すなら作者は男 2-1-494歌の四句の「背」とペアであれば、一組の恋の歌

吹芡刀自の歌

2-1-495~ 2-1-498

田部忌寸櫟子(活躍の御代不明)→明記無し

ここまで天武天皇の御代以前

田部忌寸櫟子の歌

2-1-499~ 2-1-502

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

人麿歌は持統天皇の御代か

柿本朝臣人麿の歌

2-1-503

碁檀越の妻→夫の碁檀越

題詞にある伊勢行幸は、持統天皇の御代に多い

碁檀越の妻の歌

2-1-504~ 2-1-506

柿本朝臣人麿→明記無し

男女の恋歌を人麿が代作か

柿本朝臣人麿の歌

2-1-507

柿本朝臣人麿妻→明記無し(歌本文の「君」は夫をさす)

妻の歌

2-1-508~ 2-1-509

安倍女郎(2-1-272歌作者)→明記無し

安倍女郎の活躍の御代不明

安倍女郎の歌

2-1-510

駿河采女→明記無し

駿河采女の活躍の御代不明

2-1-511

三方沙弥→明記無し

三方沙弥の活躍の御代不明

2-1-512~ 2-1-513

多比真人笠麿(2-1-288歌作者) →明記無し

作中の「妹」は作者の妻か

多比真人笠麿の活躍は持統天皇の御代か(2-1-288歌の前後の配列による)

多比真人笠麿の作る歌

2-1-514

当麻麻呂大夫の妻(2-1-43歌作者)→夫の当麻麻呂大夫

重複している2-1-43歌より当麻麻呂大夫の活躍の御代は持統天皇

妻の作る歌

ここまで持統・文武の御代

2-1-515

草嬢→明記無し

草嬢は普通名詞か。その活躍の御代不明 元資料は労働歌か 天皇の御代は不定

草嬢の歌

2-1-516

志貴皇子→明記無し

 

志貴皇子の没年は『続日本紀』では元正天皇の御代の霊亀2年(716年)8月11日薨去。『萬葉集』にある霊亀元年9月に作る挽歌(2-1-250歌)では霊亀元年(715)薨去。715は元明即位の年。

志貴皇子の作る歌

ここから元明・元正の御代

2-1-517

阿倍女郎→明記無し

2-1-517~2-1-519歌は一組の歌群。相手は中臣朝臣東人

阿倍女郎の歌

2-1-518

中臣朝臣東人→阿倍女郎

中臣朝臣東人は中臣宅守(活躍は聖武天皇孝謙天皇の御代)の父。

中臣朝臣東人の贈る歌

2-1-519

阿倍女郎→明記無し

相手は中臣朝臣東人

阿倍女郎の答えた歌

2-1-520

大納言兼大将軍大伴卿→明記無し

大納言兼大将軍大伴卿は『続日本紀和銅7年(714)5月1日条に「大納言兼大将軍正三位安麻呂薨」とある。 慶雲2年(705)大納言。

大伴卿の歌

2-1-521

石川郎女→明記無し 

2-1-520歌と2-1-521歌は一対の歌で一つの歌群を作るか

石川郎女の歌

2-1-522

大伴女郎→明記無し 

2-1-522歌と2-1-523歌は一対の歌で一つの歌群を作る

大伴女郎は大伴郎女の一時代前の人物か

大伴女郎の歌

2-1-523

後人→明記無し 

後人とは、後代の人の意

後人の追同した歌

2-1-524

常陸娘子→藤原宇合大夫

出立にあたっての挨拶歌。常陸娘子の贈る歌

藤原宇合が大夫(律令制で中国(安房国能登国など)の国司等五位以上の官人などの称)と呼ばれていた時の歌

藤原宇合は、神亀2年(725年) 閏正月22日従三位勲二等となっている。 神亀3年(726年) 10月26日知造難波宮事 天平9年8月5日没

ここまで元明・元正の御代

2-1-525~ 2-1-527

京職藤原大夫→大伴郎女

京職藤原大夫は『続日本紀神亀3年(726)正月2日条では京職大夫(聖武天皇の御代)

京職藤原大夫の贈る歌

ここから聖武の御代

(付記終わり。2023/1/23   上村 朋)

 

     
     
     
     

 

 

 

   
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

(付記終わり。2023/1/23   上村 朋)