わかたんかこれ 猿丸集その221恋歌確認 27歌は改訳する6歌も7歌も

 前回(2024/1/8)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第27歌です(あわせて6歌と7歌も)。

1.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-27歌は、「第六 逆境深まる歌群」(2首 詞書2題)に整理している。3-4-26歌まですべて、類似歌とは異なる歌意の恋の歌(付記1.参照)であることを確認した。3-4-27歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-1144歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考 3-4-27歌 その1 詞書と歌本文の見直し

① この歌と次の歌(3-4-28歌)は、前後の歌と違い、恋という人事を直接詠っていません。それでこの2首で一つの歌群を成すとして、ブログ2020/6/1付けで第27歌の現代語訳(試案)の別訳を得ました。

さらに、詞書にある助動詞「けり」を再考し、そのうえで恋の歌(付記1.参照)であるかどうかを確認します。

 恋の歌に見立てるには、

第一 暗喩が詞書や前後の歌との関連からも認められ、その暗喩によりこの歌を恋の歌と推測できる、

第二 恋の歌のタイプには、相手を恋い慕う歌、連れない態度を咎める歌、あるいは失恋中の心証風景の歌乃至一方の人の死によって終わった際に詠った歌がある。この歌は、そのいずれかに該当する。

第三 当然類似歌と歌意が異なること

となれば可能である、と言えます。

② 『猿丸集』の第27歌とその類似歌は、次のとおり。

 3-4-27歌  ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりける

    しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして

 

 3-4-27歌の類似歌 2-1-1144歌。 摂津作(摂津にして作りき   よみ人しらず

    志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而 

    しながとり ゐなのをくれば ありまやま  ゆふぎりたちぬ 

    やどりはなくて

 

③ 下記の検討をした結果、詞書にある「けり」は、気付きの気持ちの意を表しており、その気付いた内容から恋の歌となりました。また、次の歌も、詞書に「けり」があり、同様に恋の歌となる、と予想します。

 また、3-4-27歌と同じく「しながどり」を詠み込む3-4-6歌と3-4-7歌の理解も深まりました。

 なお、上記①にいう第27歌の現代語訳(試案)の別訳は、詞書にある「けり」の理解が足りませんでした。

④ 詞書より検討します。

 詞書にある「きり」は、大方は霧の意と理解できます。そのほかに、チョウやガの鱗粉の意がある(『例解古語辞典』)ので、上記別訳を得ました。チョウなどの羽の模様を作っているのが鱗粉であり、水をはじき、光を反射し、微細な凸凹により羽ばたくときの空気抵抗を大きくしています。

 歌本文四句にある「ゆふぎり」の「きり」も同じ意になるはずです。

 なお、山にかかる霧(雲)のような場合、霧がただよう山肌に立つ者からは霧と認識されても、麓から山をみている者からは雲と認識されるようなことがあります。霧であれば作者の近くに生じているもの、と言えます。

⑤ 「第六 逆境深まる歌群」とした詞書2題を、比較します。

表 3-4-27歌と3-4-28歌の詞書の比較 (2024/1/26現在)

詞書を構成する文の区分

3-4-27歌の詞書

3-4-28歌の詞書

文1

ものへゆきけるみちに

物へゆきけるみちに

文2

きりの

ひぐらし

文3

たちわたりける

なきけるをききて

 共通にあるのは、文1は、すべてであり、文2は、助詞「の」、文3は、助動詞「けり」です。

 そして、異なるのは、得た情報の種類(視覚と聴覚)であり、「きりがたつ」と「ひぐらしがなく」ということです。

 これらの詞書のもとにある歌が恋の歌であるならば、その得た情報は、恋に関するなにかを示唆するか暗喩しているのではないか、と予想します。

⑥ 共通にある語句について確認します。

 文1の「もの」とは「出向いてゆくべきところ」を莫として言います。

 文1は、ゆくべきところ(外出の目的地)が文2以下の記述に関係していないのであれば、要するに外出中に、ということを言っているだけです。

ゆくべきところが文2以下の記述に関係していれば、特に名を秘すところに行く途中に、ということを意味します。

⑦ 助動詞「けり」の意は、

a「ある事がらが、過去から現在に至るまで、引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表す。・・・てきたなあ。・・・ていることだ」とか、

b「ある事がらが、過去に実現していたことに気がついた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・たなあ。・・・たことだ。」

c「今まで気づかなかったり、見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・なあ。・・・ことだ。」

などの意があります(『例解古語辞典』)。

 また、文1にある接続助詞「に」は、あとに述べる事がらの出る状況を示しています。そして「みちに」により、文1は、文2以下に記されている事がらが、偶然のことであることを示唆しているのではないか。

⑧ 3-4-27歌の詞書に関して言うと、「きり」の発生そのものよりも、「ある状況下においてきりがたちわたる」というのを目撃したこと、さらに、目撃したその「きり」の状況からとっさに作者特有の何かを連想したことは、想定していたことではないであろう、と思えるからです。

 「けり」の意は、目撃して、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表している(上記のcの意)と推測します。それが文3の「けり」です。

 そうであるから、連想に至ることになった「ものにゆく」という行為の意義にも、振り返ってみてはじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちの「けり」(上記のcの意)を用いている、と推測できます。それが文1の「けり」です。

⑨ はじめてはっときづいたことは、歌本文に具体に(あるいは示唆として)表現されているはずです。

 詞書は次の仮訳とし、歌本文を検討した後、改めて詞書の現代語訳を試みます。

3-4-27歌の詞書:「あるところへ行く途中において、「きり」が立ちこめているのであった(それを詠んだ歌)」

⑩ 詞書のもとにある歌本文を、検討します。用いている語句を、最初に確認します。

 初句「しながどり」とは、水鳥のカイツブリです。『萬葉集』の時代は「にほ」とも呼ばれています。いつも雌雄でいる鳥で雌雄交代で抱卵します。流れの緩やかな河川や湖沼や湿地に生息しています。

萬葉集』には「しながどり」の用例が5首あります。みな「ゐな」にかかる枕詞でした。

「ゐな」は、『萬葉集』歌においては、「動詞「率る」(引き連れる)の未然形+終助詞「な」(上代語であり誘う意)」です。「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意(ブログ2018/8/27付け「3.③」参照)があります。

 三代集には『拾遺和歌集』の1首(1-3-586歌)のみです。部立て「神楽歌」にあり、詞書は無く、3-4-7歌の類似歌のひとつです(ブログ2018/3/19付け参照)。

⑩ 『猿丸集』は、このように用例の少ない三代集の時代からその直後の時代までのある時点に編纂されたと推測されていますが、3首の用例があります。

 『猿丸集』歌が『萬葉集』歌の理解に資しているこれまでの例から、この「しながどり」は『萬葉集』の時代の「しながどり」の意を継いでいる用例かと推測します。2首は、「なたちける女のもとに」という詞書のもとにある歌であり、3首目がこの歌です。

 残りの2首には、つぎのようにあります。

 3-4-6歌の初句~三句が、「しながどりゐなやまゆすりゆくみずの」 (類似歌は2-1-2717歌の一伝)

 3-4-7歌の初句~三句が、「しながどりゐなのふじはらあほやまに」 (類似歌は1-3-586歌及び『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』(かぐらうた)にある一首)

 ともに、「しながどり」は「ゐな」の有意の枕詞となっていました(ブログ2018/3/12付け及び同2018/3/19付け参照)。

 また、「ゐなやま」という名詞は(「ゐなの」という名詞とともに)『萬葉集』歌にあり、「ゐなのふじはら」は、無く、「ゐなのふし原」は、『拾遺和歌集』歌にあります。

⑪ 「の(野)」には、一般に、「野原・広い平地」の意と、「特に、火葬場としての野原。墓地」に限定した意があります(『例解古語辞典』)。

 このため、二句にある「ゐなの」とは、「猪名野」(地名)のほか「違な野(原)」とも理解でき、「火葬風葬の地」(平安時代で言えば鳥辺野と称される地域など)を指すことができます。当時洛中では火葬が禁止されていました。

 「しながどり」は、猪名野のほかに、「ゐな・・・」と表記する、猪名川、動詞句「率な」、形容詞「違なり」を修飾することができる語句と言えます。

⑫ 三句「ありまやま」とは、「有間山」(猪名野から望める有馬方面にみえる山々)と「在り ま山」((行けば)在り、真(接頭語)山)の理解があることを既に指摘しました(ブログ2020/6/1付け「6.」参照)。

 違な野(「火葬風葬の地」)にある「山」とは、遺骨を積み上げて小山状になっているのを言うか、これから火葬すべき死体とそれを包む木々からなる小山を言うかのどちらかではないか。

 この歌では、「きり」と結び付けて理解してよいので、「きり」が煙のようなものを意味するならば、後者が有力となります。

 そうすると、「まやま」の「ま」とは、中間にはさまれた一続きの空間や時間を指す名詞「ま」(間)であり、「ある物の存在している空間・きわ(際)」の意(『例解古語辞典』)として、本来の野原にあるものではないものからなる小山状のものがある場所を「まやま」と言っているのではないか。

 火葬すべき死体とそれを包む木々からなる小山を、「有間山」という語句で暗喩する用例は知りません。

 火葬者への思い入れがない「間山」は、「まやま」の「ま」を接頭語の「真」(真実、正義、純粋などの意を添えるとかほめたたえる意)をつけてその小山を言うとする理解よりも、火葬の現場に相応しいネーミングだと思います。

⑬ また、五句にある「とも」は名詞であり、ブログ2018/8/27付け(「6.⑥」)で指摘したように「一団の人々、連中」(『例解古語辞典』)の意で、火葬に立ち会う人々を指します。なお、火葬の火の始末・火の用心はプロの人が当然行っています。

 そうすると、「ゆふぎり」とは、幾つかの火葬が現に行われ、それらに伴って昇る煙を指していることになります。

 このため、詞書にある「きり」は、「(鳥辺野のような火葬風葬地での)いくつかの火葬の煙」を見立てた表現と言えます。そして、歌本文にある「ゆふぎり」は、「日暮れ時にみたところの霧」つまり「夕日のまだある時間帯に生じている霧」であり、夕日と「火葬の煙」が交錯しチョウやガの舞っているように見えた状況の形容でもあると言えます。

⑭ 改めて3-4-27歌を理解しなおすと、歌本文は3つの文から成っています。

 初句 しながどり :「ゐな」という表記の枕詞

 二句~三句 ゐなのをゆけばあり ま山 

  :違な野である火葬の地の野原をゆくと、いくつかの「ま山」がある

 四句~五句 ゆふぎりたちぬともなしにして 

  :煙が立ちのぼっている。それは「きり」にみえる。見守る人もなく。

 詞書にある「ものへゆく」とは、作者が、誰かの火葬にたちあう等のための外出のことではないか。火葬の地を通り抜けてその先に外出の目的地があるとは思えません。

 作者は、火葬風葬の地に向かい、それを一望できる地点に至って目にした光景を、詠っているのではないかと思えます。

 歌本文に、詞書にいう「ものにゆく」ことになったから「きり」を見た、と具体的に詠んでいました。

 このように理解すると、この歌は、作者が視覚に捉えた状況から触発された感慨をも示唆できるよう選んだ語句からなる歌である、と理解できます。

 夕日で映える煙を、複数のチョウの乱舞とみて、相思相愛の二人の逢う瀬に見立て、「ともなし」を「邪魔をする者がいない」意を暗喩させているのではないか。

⑮ このような理解をして、現代語訳を試みると、次のとおり。

 詞書は、上記⑨に基づきます。

 詞書: 「あるところへ行く途中において、霧が立ち込めているのであった(それを詠んだ歌)」 (第27歌の詞書別訳その2)

 歌本文:「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰナ」につながる猪名野ではない違な野を行くと、木々で造られた小さな山々があり、それから夕霧のように煙が漂っている。しかし立ち会う人々は見当たらない。(それはチョウが舞っているかにもみえる。違な野でも誰にも邪魔されずチョウは群舞している、意志を貫いているのだ。)」(第27歌の歌本文別訳その2)

⑯ この歌の作者は、縁者の火葬の立ち合いに来たところ、日が傾くなかでいくつかの火葬の煙が漂っている光景に接して、意を強くしたことを詠っています。

 この歌は、恋の相手ではなく、妨げる人などへ示した歌なのでしょうか。

 作者は、恋の相手との逢う瀬を誰に妨げられることなく持ちたい気持ちが変わらないのでしょう。チョウの乱舞と錯覚した火葬の煙にその気持ちを重ねています。それは、恋の歌である、と言えます。

3.再考 2-1-1144歌 

① では、五句だけが異なる類似歌は、見直しが必要ないか、を確認します。

 2-1-1144歌は、旅中を作詠した歌として、疑問があります。

第一 作者は官人と思われるので、「ゐなの」に宿がないのは承知しているはずである。「ゐなの」という野原に「やどり」は無い、とわざわざ言うのは、どこかおかしい。

第二 夕方「ゐなの」を通過する行程など官人は計画しない。作者はなぜ夕方に「ゐなの」を通過することになったのか。

第三 「ありまやま」と通称される山は現在の山名にも見当たらない(ブログ2018/8/27付け「3.⑤参照」)。そして、遠方の山に(雨雲でもない)薄雲がかかろうと、行程に影響はない。「ありまやまにゆふぎりがたつ」のと「やどりはない」ことの関係がわかりにくい。

 これらは、『萬葉集』歌に対する疑問ですが、『萬葉集』の編纂者の手元にあるこの歌の元資料となった歌に関する疑問でもあります。

② 『萬葉集』の配列から検討します。類似歌は 『萬葉集』巻第七の部立て「雑歌」にあります(巻七の「雑歌」は、巻一と巻三の部立て「雑歌」と違う趣旨かどうかは今不問とします)。

 「雑歌」における題詞は、いくつかのグループにわけ順に配列されている、と諸氏が指摘しています。最初に、詠物による配列として題詞は「詠天」から始まり、「詠倭琴」まで、次に旅中の地による配列として、4題、次に表現や発想の仕方での配列として、題詞「問答」以下があります(ブログ2018/8/27付け「2.①」参照)

③ 旅中の地による配列の4題とそのもとにある歌数は、順に「芳野作」に5首、「山背作」に5首、「摂津作」に21首及び「羈旅作」に90首です。

 畿内の地域名を用いた前3題の各歌には、当該地域内の地名(あるいは山川の名など)を原則ひとつ詠みこんでいます。例外は題詞「摂津作」のもとにある最初の歌と最後の歌であり、二つの地名を詠み込んでいます。

 最初の歌2-1-1144歌には、「居名野」(ゐなの)と「有間山」(ありまやま)です。

 最後の歌2-1-1164歌には、「難波方」(なにはがた)と「淡路嶋」(あはぢのしま)です。

 地名などが詠まれていない歌も1首(2-1-1156歌)あり、海未通女の船による藻刈を詠んでいます。摂津の多くの浦にある光景を詠っている、といえます。

 なお、「摂津作」の「摂津」とは地理的には「津国と難波京の範囲」として検討しています(ブログ2018/8/27付け「2.④」参照)

④ 最後の題詞「羇旅作」のもとには、2-1-1165歌以下、地名を詠みこまない歌が多数ありますが、詠みこんだ場合は畿外の地名を原則ひとつ詠みこんでいます。

 例外もあり、畿内の地名を詠み込む次のような歌もあります。その歌の作者の居る位置は船中がほとんどであり、畿内の地名により、望郷などの歌意を明確にしています。

 2-1-1170歌 作者は真野の近くを通過中か。 (畿内の)真野を詠みこんでいる。

 2-1-1185歌 船出の際の歌であり、(畿内にある)龍田山を詠みこんでいる。

 2-1-1189歌 作者は船中に居り、遠ざかる(摂津の)三津乃松原を詠み込んでいる。

 2-1-1193歌 作者は船中に居り、(四長鳥)居名之湖(摂津)を詠みこんでいる。

 2-1-1194歌 作者は船中に居り、停泊した名子江の浜(摂津・住吉の名児か)を詠み込んでいる。

  2-1-1226歌 作者は船中に居り、粟島と明石門を詠みこんでいる。明石門は畿内の西端である。

 2-1-1233歌 作者は船中に居り、明石之湖に泊まろうと詠う。ようやく畿内に戻った際の歌か。

 2-1-1244歌 作者が見諸戸山(大和の三輪山か)近くを通過中。五句は望郷の念か、妻のことか。

 2-1-1245歌 作者は玄髪山を越えて行く。玄髪山は未詳。残してきた妻を詠うか。2-1-1244歌と連作の歌か。

⑤ また、題詞「羈旅作」のもとには、地名を二つ詠み込んでいる歌が9首あります(付記2.参照)。それらの歌は、すべて、二つの地名を詠み込むことにより、歌意が明確になっています。

 例えば、

 2-1-1180歌   足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念

      あしがらの はこねとびこえ ゆくたづの ともしきみれば

      やまとしおもほゆ

  2-1-1182歌  印南野者 往過奴良之 天伝 日笠浦 波立見

      いなみのは ゆきすぎぬらし あまつたふ ひかさのうらに

      なみたてりみゆ

 2-1-1205歌  玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何
      たまつしま よくみていませ あをによし ならなるひとの

      まちとはばいかに

 2-1-1234歌 千磐破 金之三崎乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須売神
      ちはやぶる かねのみさきを すぎぬとも われはわすれじ

      しかのすめかみ

⑥ このような題詞「羈旅作」のもとにある用例から推測すると、題詞「摂津作」のもとにある歌で地名を二つ詠みこんでいる2首も、それにより歌意を明確にしているのではないか。

 題詞「摂津作」の最後の歌2-1-1164歌の歌本文は、次のとおりです。

    難波方 塩干丹立而 見渡者 淡路嶋尓 多豆渡所見

    なにはがた しほひにたちて みわたせば あはぢのしまに

    たづわたるみゆ

 歌意は明確です。

 最初の歌2-1-1144歌に詠み込まれた居名野と有間山にも対比などがあるのではないか。

 居名野は、駅が設置されておらず、官人が宿泊すべき設備がないところです。それに対して、居名野からみえる有間山(有馬山)の向こう側には、宿泊すべき有馬温泉があります。

 そうすると、「有馬山に夕霧がたつ」の「夕霧」は、湯煙をイメージしていると理解できます。

⑦ そうであるならば、二句にある「居名野」(ゐなの)は、当時の(堤防などない)猪名川や淀川の河川敷を含んだ水鳥の生息地でもある、津国にある広大な野原の名として詠み込まれており、初句「志長鳥」に修飾されて意が重層的になっているだけの語句と言えます。「違な野」の意は重ねられていません。

 そして、五句「やどりはなくて」は、有馬温泉のある有馬の地との対比を前提にしているのではないか。

⑧ 2-1-1144歌の歌本文は、4つの文からなる歌とみなせます。直訳的な現代語訳も示すと、つぎのとおり。

 初句 しながとり :「ゐな」という表記の枕詞

 二句 ゐなのをくれば :「ゐなの」に来ると

 三句~四句 ありまやま  ゆふぎりたちぬ :有馬山に夕霧がたっていた(山のむこうの有馬温泉は湯煙があがっているのだろう)

 五句 やどりはなくて : それにひきかえ 「ゐなの」はその名にふさわしくなく、泊まるところはなくて。

 この歌は、「居名野」の広さ・荒涼さを示す一種の土地褒めの歌として巻七の編纂者は配列しているのではないか。

⑨ 改めて現代語訳を試みると、

 「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰナ」につながる猪名野に来ると、(正面の)有馬山に夕霧が立った。猪名野には確かに泊まるところはないなあ (山のむこうの有馬の湯は湯煙があがっているが、猪名野はその名にふさわしくなく、広いだけだなあ。)

 上記①で指摘したように、2-1-1144歌の見直しは必要であり、それを行った結果、同じく指摘していた疑問は解消しました。

 このような現代語訳に改訳したい、と思います。

⑩ ちなみに、土屋文明氏は、この歌について、「「宿りは無くて」は類型的だが、全体は淡々とした旅愁をあらはし得ている。」と指摘して、「夕霧」としている理由には触れていません(『萬葉集私注』)。

 伊藤博氏は、「日暮れて道遠い旅愁を述べた歌。「夕霧立ちぬ」が作者の嘆きを象徴している。」と指摘しています。

 なお、巻七は、全体が一つの部立て「雑歌」です。その雑歌たる所以と雑歌全体の配列の検討を割愛して今回検討しました。巻七全体のなかでの確認は宿題とします。

4.再考 3-4-27歌 その2 恋の歌か

① 類似歌も改まったので、上記「2.⑮」のように理解した3-4-27歌が上記「2.①」にあげた恋の歌に見立てるための要件を満足しているかを、確認します。

 初句「しながどり」が修飾するのは二句にある「ゐな」です。「ゐな」の含意することを、作者はなんとしても叶えたいと思って詠っています。

 この歌の直前にある(3-4-22歌~3-4-26歌共通の)詞書は、逢うのを妨げられている男女のうちの男が作者と記しています。3-4-27歌と3-4-28歌の詞書の次にある(3-4-29歌と3-4-30歌共通の)詞書は、昔の親密な関係に戻ることが確かになった女が作者と記しています。そうすると、3-4-27歌と3-4-28歌の詞書は、再会が出来ない状況にある恋の歌の詞書ではないか、と理解できます。

 上記「2.⑮」の現代語訳(試案)であれば、3-4-27歌は、恋心を詠っている、といえます。

 このため、この歌は、詞書からも「暗喩が詞書や前後の歌との関連からも認められ、それによりこの歌を恋の歌と推測できる」(要件第一))歌になり得ています。

 そして、歌本文の内容が相手を恋い慕う歌であるので、「恋の歌のタイプには、相手を恋い慕う歌、連れない態度を咎める歌、あるいは失恋中の心証風景の歌乃至一方の人の死によって終わった際に詠った歌がある。この歌は、そのいずれかに該当する」(要件第二)を満足しています。

② そして、詞書の内容は、この歌と類似歌では異なり、作詠対象としている場所が異なっていることを示唆しています。そして類似歌が「しながとり」を枕詞とする「ゐなの(猪名野という名の野原)」を詠った羈旅の歌であるのに対して、この歌は、猪名野(ゐなの)と同音の「違な野」を詠った恋の歌であり、歌意が異なります。

 だから、「当然類似歌と歌意が異なることも要件です」(要件第三)をも満足しています。

 このように、この歌は、上記「2.①」にあげた要件をすべて満足しており、恋の歌(付記1.参照)と理解してよい、と思います。そして作者は逆境にいる、とみなせます。

5.再々考 3-4-6歌と3-4-7歌

① 3-4-27歌の確認の際、「しながどり」の意の共通性の確認のため3-4-6歌と3-4-7歌も確認しました。

 「しながどり」の意は変わらなかったのですが、歌本文の理解は改めたい、と思います。

 3-4-7歌の四句「ならむときにを」(いろはかはらん)を誤解していました。「ならむ時、にを(即ち常に一緒にいるしなが鳥)」と理解すべきでした。そして五句にある「いろ」とは、「色彩」とか「美しさ・華美」ではなく、「恋愛・情事」とか「顔色・態度」の意でした。

② 詞書と歌本文を引用します。

 詞書 なたちける女のもとに (3-4-6歌の詞書に同じ)

 歌本文 しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん

③ 詞書にある「な」(名)とは、噂の意です。

 歌本文を、漢字仮名混じりで表記し、その句の概要を記すと、

 しなが鳥 :「ゐな」にかかる枕詞

 ゐなの冨士原青山に :「率な」とさそう駿河国の富士山の野原が(噴火によって)あをやま(新しい山即ち新しい恋人)に

 ならむときにを : なったとしたら、にを(しながどり)の

 いろはかはらん : 顔色が変わるだろう(貴方を許さない)

となります。 

④ 現代語訳を改めて試みると、次のとおり。

 「しながとりが「率な」と誘う野原が猪名の柴原(ふしはら)から富士の裾野の原になり、その野原が(噴火によって)あをやま(新しい山即ち新しい恋人)になったとしたら、にを即ち(あなたと番である)しながどりの顔色が変わるだろう(貴方を許さない)。」(7歌別訳)

この歌は、女を慰めている歌というよりも、心変わりを咎めている歌となります。

⑤ 同じ詞書のもとにある3-4-6歌は、通常追い払うべき悪鬼(儺)がわめいているのは迷惑なことですので、作者が、相手に同情しているあるいは励まそうとしている歌と理解しました。表面はそのとおりですが、恋の競争相手を「悪鬼」に例えているのですから、相手を強敵とみているというよりも、その悪鬼を既に女が選んでいると作者は思い込んでいるのかも知れません。

 この歌は、作者を捨てたらただではすまさないぞ、と婉曲に言っていると、理解できます。

 この理解のほうが、共通の詞書のもとにある3-4-7歌と平仄があいます。

⑥ このような3-4-6歌と3-4-7歌の理解に改めても、ともにそれぞれの類似歌とは異なる歌意である恋の歌です。

 「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、 『猿丸集』の第28歌(3-4-28歌)を確認します。

(2024/1/29    上村 朋)

付記1.恋の歌の定義について

① 恋の当事者の歌に限らなくとも、広く「恋の心によせる歌」から『猿丸集』は成っており、その広く「恋の心によせる歌」を、「恋の歌」と名付け、ブログ2020/7/6付け「1.及び2.」で定義している。

② 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

③ 『猿丸集』は、編纂者によって部立てが設けられていない。勅撰集にある部立ての「恋」の定義を離れて、恋の歌の独自の定義が『猿丸集』歌には可能である。

付記2.万葉集巻七における題詞「羇旅作」のもとにある歌で、地名(あるいは山川の名など)を二つ詠み込んでいる歌は、9首あり、『新編国歌大観』の歌番号等で示せば、次のとおり。

2-1-1167歌 2-1-1180歌  2-1-1182歌  2-1-1202歌 2-1-1205歌 2-1-1207歌 2-1-1208歌  2-1-1226歌 2-1-1234歌

(付記終わり  2024/1/29   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集その220恋歌確認26歌 あしひきのやました風

 あけましておめでとうございます。ことしも和歌集を楽しみたいと思います。よろしくお願いします。

前回(2023/12/25)に引きつづき同一題詞のもとの最後の歌の再確認を行います。

 1月1日午後 能登地方地震(と津波)により被災された方々にお見舞い申し上げます。

 救命・救援・復旧が的確にすすむことを願っています。

1.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-25歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。2024年は3-4-26歌の確認から始める。歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考 第五の歌群 第26歌の課題

① 「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)の歌と想定した3-4-26歌を再考します。

 今回の課題は両歌にあります。

 3-4-26歌に関しては、同一の題詞のもとの歌の整合は確認した(ブログ2018/8/20付け)のですが、「やましたかぜ」に(3-4-25歌の「あきぎり」のような)寓意があるかどうかを再確認します。また、初句の「あしひきの」の意、及び五句にある「かねて」が同音異義の語句であるので再確認します。

 類似歌2-1-2354歌に関しては、その現代語訳(試案)は、ブログ2018/8/6付けで四句を特記し、歌本文全体をブログ2018/8/20付け付記1.に示しましたが、3-4-26歌と共通の語句もあるので、3-4-26歌と同じく再確認します。

② そして、以下の検討をしたところ、3-4-26歌は、まだまだ耐えなければならないのを覚悟してください、という励ましの歌であり、「あしひきの やました風」は、山から吹いてくる風の意でそれには寓意があるようです。 

 類似歌2-1-2354歌は、恋の終りを確認するかのような歌であり、「足檜木乃 山下風」は、部立て「冬相聞」の詞書「寄夜」のもとにある歌なので特に冬の夜の寒い風を指しています。

 このように、3-4-26歌は類似歌と異なる歌意の恋の歌と確認できました。

 なお、『猿丸集』編纂時における類似歌の二句は、「やましたかぜ」という訓みでしたが、ここでは、『新編国歌大観』の訓である「やまのあらし」で検討しました。

③ 『猿丸集』の26番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌は、つぎのとおり。

  3-4-26歌 詞書 (3-4-22歌に同じ)おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

   あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも

 

  3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌  寄夜    よみ人しらず

   足檜木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 予寒毛

  あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも

 

3.再考 3-4-26歌

① 3-4-26歌の題詞は、既に再確認しました(ブログ2023/12/25付け)。

 その現代語訳(試案)は、次のとおり。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

② 次に、歌本文のいくつかの語句を確認します。

 初句「あしひきの」は、「山・峯」などにかかる枕詞であって、原義は不明だが、平安時代以降の和歌では、「山裾を長く引く」というイメージを含めた用法が多い(『例解古語辞典』)語句だそうです。つまり『萬葉集』歌での意は不明、ということです。

 これまで、枕詞は有意という前提で現代語訳を試みてきています。当初の検討(ブログ2018/8/6付け)では、平安時代以降の和歌と同じ「山裾を長く引く」というイメージで、3-4-26歌とその類似歌2-1-2354歌の現代語訳を試みてきました。原義を推測し、類似歌と3-4-26歌に原義の適用の可能性を確認します。

③ 『萬葉集』の初期の編纂である巻一~巻四にある「あしひきの」の用例より、その意を推測します。

 即ち、訓「あし」と「ひき」の正訓字表記(「足」字と「引」字)と義訓の類の「疾」字などを検討すると、「あしひきの」とは、「足が疲れる」意があり、山に即して理解すると「越えるとか山頂に到るのに苦労する・存在する山により不便をかこつ」という意であり、「苦労する・不便な」を示唆する語句といえます。「山裾を長く引く」という山はその示唆が該当する一例と理解できます(付記1.①~⑥参照)。

 類似歌のある巻十の用例にその意を適用しても、歌本文の意が無意の枕詞として理解した歌意と矛盾する歌はありませんでした(付記1.⑦~⑧参照)。

 そのため、類似歌には、上記の理解を適用し、3-4-26歌に、その意とさらに意を限定した「山裾を長く引く」のみの意とを適用して、歌本文を再確認します。

④ 次に、二句「やました風」は、古語辞典には歌語とあり、「冬に山から吹き下す激しい風」とあります。「やました風」とは、元々『萬葉集』にある表記「山下風」に対する『猿丸集』の編纂時(三代集の時代の前後)の訓です。

萬葉集』での「山下風」という表記の用例は3首だけです。その3首が詠まれている季節は、以下の検討によれば冬(旧暦10月~12月)とは限っていません。

 このため、「やましたかぜ」とは、季節は不問にした「山から吹いてくる風」の意ではないか。詠まれる場面が冬であれば、北風が多くそして寒い風でしょう。

 「山下風」に」対する『新編国歌大観』の訓は「やまのあらし」です。「やまのあらし」と「やました風」は同じ自然現象を指している語句と言えます。

⑤ 用例3首の検討を記します。

 第一 2-1-74歌は、題詞に「大行天皇幸于吉野宮時歌」とあり、大行天皇とは文武天皇を指しているので、『続日本紀』によれば行幸大宝元年2月20日~27日と大宝2年7月11日の記事があり、この歌の作詠時点の季節は春(旧暦正月~三月)か秋(旧暦7月~9月)となります。旧暦正月は2024年の現行の暦では2月10日です。大宝元年は、同年3月21日(ユリウス暦5月3日)に改元された元号です。2月20日からの行幸時の四季感は今日においては春です。同年7月11日からの行幸時の四季感は同じく秋ではないでしょうか。

 第二 2-1-1441歌は、部立てが「春雑歌」、題詞が「大伴宿祢村上梅歌二首」であり、歌に梅花を詠んでいます。その梅の開花は、今日における京都での平年日は2月22日だそうで節分からだいぶ後となります。だから作詠時点の季節は、春であり、確かに部立て「春雑歌」の歌です。

 ちなみに、巻五にある題詞「梅花歌卅二首 并序」のもとにある歌は、その序から天平二年正月十三日の作詠ということになっています。つまり梅の花の季節は春・正月です。

 しかし、後年の編纂である巻十にある2-1-2353歌は部立て「冬相聞」にある歌で「寄花」という題詞のもとで「梅の花」を詠っています。梅の花冬の花とみなしている編纂ぶりです。

 第三 2-1-2354歌は、部立て「冬相聞」、題詞「寄夜」であり、歌に「寒し」と詠んでいます。作詠時点の季節は、部立てより冬(旧暦10月~12月)となります。年末が作詠時点なのでしょうか。

 このように、冬の季節の風を詠っているのは題詞により季節が冬となる2-1-2354歌の1首だけであり、(題詞のもとにある)歌本文の意図からみればほかの2首は寒い風とは決めつけられません。

 「山下風」表記は、「山から吹いてくる風」の意であって、季節は限定されていないようです。

⑥ さらに、「あしひきの」と訓む表記と同じように、「山下風」という表記を「やましたかぜ」と訓むことからの検討をします。

「やましたかぜ」と発音するのは漢字3字を正訓字表記で用いていることになります。

 その漢字の意から理解すると、「山下風」は「山を下ってくる風」すなわち「その山のある方角から吹き下してくる風」となります。季節は不問であって、その山(の方角)から吹いている風の意ではないか。

 これは、3首の用例からの推測と重なります。

⑦ また、五句にある「かねて」は、同音異義の語句であり、三つの意があります。

 第一 副詞 予て :あらかじめ・前まえ・そうなる以前 

 第二 連語 予て :事の予定された日の前に・以前から

 第三 連語 兼ねて :合わせて・それと同時に

 題詞や歌本文全体の理解に資する意を、歌ごとに選ばなければなりません。

 歌本文に用いられている「予」字は正訓字表記で「かねて」と訓まれているとみるか義訓の類とみるかは微妙な問題です。

⑧ このような検討の結果、3-4-26歌のいままでの歌本文の現代語訳(試案)(ブログ2018/8/6付け参照)は改訳を要します。初句は上記③に記したように2案で、二句以下各句は1案で改訳します。

 二句は、四季いずれであっても「山からの風」の意であり、三句は、「(山を越えてくる風は)吹いていない」の意です。そして、詞書から「山を越えてくる風」とは、「女の親たちの監視」の意を含意しているのではないか。

 四句は、「夜な夜なの乞い」即ち日々願っていること、の意です。「いつでも逢える状況にいたい、という願い」です。

 五句にある「かねて」という語句は、二句にいう「やました風」が吹く時期は寒い日々の続く時期」という社会通念を念頭にしているとすれば、連語「兼ねて」として、「やました風」が吹いたときと同じ寒さ、の意ではないか。四句が実現しない理由を「さむし」と言っていることにもなるので、願っていることが実現していないことの意を含むことになります。

⑨ このため、現代語訳を改めて試みると、

  3-4-26歌 題詞: 上記①参照

  同 歌本文 :第1案 初句は、『万葉集』歌と同じ意で「苦労するか不便であることの例え」とする案

 「山からふく苦労する風は吹いてないけれども、毎夜の私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」

 同 歌本文 :第2案 初句は、平安時代以降の意(山裾を長く引く)とする案

「山すそを長く引く山から吹き下ろす風は吹いてないけれども、毎夜逢いたいという私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」

⑩ 題詞のもとにある歌なので、作詠時点が「やました風」の吹く時期が終わったときであれば、「やました風」は、題詞にいう女の親たちの監視を示唆します。

 また、作詠時点が「やました風」が吹き始める頃であれば、「やました風」は、その監視が一段厳しくなることを示唆するのではないか。

 題詞のもとにある5首の連作であり、作詠時点は明らかに三代集の時代です。このため、(試案)を一案にするならば、「あしひきの」が原義が不明の枕詞と既になっていた時点が作詠時点になっているので、第2案が有力になります。

 しかし、『猿丸集』の類似歌が『萬葉集』歌である場合、その歌の斬新な理解のヒントが当該猿丸集歌との比較で得られました。このため、類似歌を十分意識して作詠されていると予想できるので第1案を採りたい、と思います。この結果題詞との整合性は高まりました。

 そして、この歌は、恋人に対して、まだまだ耐えなければならないのを覚悟してください、という励ましの歌、と理解できます。

4.再考 3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌

① まず、歌本文の語句の検討をします。

 初句「足檜木乃」(あしひきの)は、上記「2.③」で検討しました。

 二句にある「山下風」という表記に対する訓「やまのあらし」は義訓の類(「付記1.②第二」参照)、と言えます。その意は、「やましたかぜ」と訓む場合とおなじく、「山(のある方角)から吹いている風」の意である、と理解できます。

② 四句「君無夕者」(きみなきよひは)の「夕」という表記は、義訓の類です。漢字「夕」の訓は「ゆう・ゆうべ」であり「よひ」ではありません。

「よひ」とは、「夜にはいって間もないころ。だいたい日没後2,3時間のあいだ。あるいは日没後、夜中までともいう」(『例解古語辞典』)意であり、漢字であれば普通「宵」字をあてています。「ゆふ(べ)」とは「夕方・夕暮れ」の意で「あさ・朝がた」の意の「あした(朝)」の対です。

 この歌の場合、「夕方」のみ相手がいない状況などあり得ないので、「君無夕者」とは、「貴方のいない宵(と夜中という時間帯)というものは」の意であって、朝まで作者のところを訪れるはずの相手がいないことを言っています。

 四句~五句は、相手が来てくれないことが続いている(あるいは相手がもう来てくれないと確実に予測できた)ことを詠っています。

③ 次に、改訳します。

 これまでの現代語訳(試案)は次のとおり(ブログ2018/8/20付け「付記1.」参照)

「長く裾をひいた山を下りて来る強い風はないけれども、貴方のいない宵というものは、それだけで寒いものですねえ。」  (大方の諸氏の理解と同じ)

 土屋文明氏の大意は、次のとおり。

「(アシヒキノ、は枕詞)山から吹き下ろす風は、吹かないけれど、君の居ない夜は、吹かない前から寒い」

 「山下風」表記と「予」表記の意の捉え方(後者は副詞)は、氏のほうがよいと思えるので、この大意をもとに検討します。

 上記「2.」での「あしひきの」と「やましたかぜ」の検討を踏まえると、「やまあらし」にかかる「あしひきの」の意は同じです。題詞「寄夜」を踏まえて改訳すると、次のとおり。

 「(夜になって)吹いてきて寒くて苦労するところの山から吹き下ろす風は、吹かないけれど、君の居ない夜は、吹かない前から寒い(昨日も寒いし今日も明日も寒い)。」(2-1-2354歌改訳試案)

④ 「冬相聞」の最後がこの歌であるので、直前の歌との比較を補足します。

 2-1-2353歌 題詞 寄花

   吾屋戸尓 開有梅乎 月夜好美 夕々令見 君乎祚待也

   わがやどに さきたるうめを  つくよよみ よひよひみせむ きみをこそまて 

 この歌は、梅の花を見せたいと作者は待ち続けています。

 この歌の直後の歌は、この配列を考えると、考え直して来訪してくれるのを期待しているよりも諦めの歌と理解できます。

 部立て「冬相聞」の配列として、2-1-2354歌はただ一首恋の諦めを詠っている可能性がある歌として理解できるのではないか。

5.再考 3-4-26歌は、類似歌と異なる恋の歌か

① 上記のように3-4-26歌と類似歌2-1-2354歌を見直して、現代語訳(試案)はともに改訳しました。

 改訳した2首の歌を比較すると、作者が「さむしも」と五句で相手に訴えるのは、二人の願いである逢うことが叶うことへの認識と、作者だけの期待が叶わないことへの認識とに別れています。

 ブログ2018/8/6付けの「6.」で、「この歌(猿丸集の第26歌)は、作者が困難を乗り越えようと訴えて恋人と共にいることを詠うのに対して、類似歌は、来てくれない恋人に冬の寒さにことよせてさびしさを訴える歌です。」と指摘しました。類似歌については、今回「それは、来てくれないことがはっきり判った時の別れの挨拶ともとれる歌である」と追加したい、と思います。

② 上記「2.①」であげた第26歌の課題については、次の結論を得ました。

 第一 「やましたかぜ」に、寓意はありませんでした。しかし、この語句を修飾する「あしひきの」は、寓意がありました。

 第二 「あしひきの」には、「足が疲れる」意があり、山に即して理解すると「越えるとか山頂に到るのに苦労する・存在する山により不便をかこつ」という意であり、「苦労する・不便な」を示唆する語句です。「山裾を長く引く」という山はその示唆が該当する一例です。

 第三 「かねて」は、副詞です。

 第四 第26歌とその類似歌は改訳することになりました。

 第五 第26歌は、改訳後も類似歌と異なる恋の歌でした。そして「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)の歌に違いありません。「あしひきの やました風」には、親の監視という示唆があります。

 第六 類似歌は、部立て「冬相聞」の詞書「寄夜」のもとにある歌として、恋の終りを確認するかの歌です。「足檜木乃 山下風」は、部立て「冬相聞」にあるので冬の夜の寒風を指しています。

③ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき ありがとうございます。次回は、第27歌を確認します。

(2024/1/8  上村 朋)

付記1.万葉集巻一~巻四での「あしひきの」考  <2024/1/8現在>

① 『萬葉集』歌は、『新編国歌大観』の訓により、検討してきている。その訓「あしひきの」について、『萬葉集』全20巻のうち初期に編纂されたとみられる巻一~巻四での用例を検討し、「あしひきの」の原義を推測し、類似歌2-1-2354歌がある(その後の編纂である)巻十の用例への適用可能性を検討する。

② 検討は、次の三つの原則による。

第一 『万葉集』記載の歌は、一つの書記システムと個人的な表記方法に拘る方式で記録されている(山田健三氏による)。

第二 一つの書記システムとは、仮名表記(音由来でも訓由来でも一音節を表記)と正訓字表記によっており、読解しやすい。前者は、仮名一文字分を、漢字の意を考慮せず当該漢字で表記である。例えば「い」であれば、「伊」、「以」とか「射」など。後者は、漢字本来の意味に即した読み方をして仮名一文字分などを当該漢字で表記する。「やま」であれば「山」とか動詞「きく」であれば「聞」など。

また、個人的な表記方法に拘る方式とは、解読作業を課すことを意図した義訓の類である(以上も山田健三氏による)。

第三 正訓字表記は、当該漢字の意により、その当該漢字を用いた語句の意味合いを推測するヒントとなる。 例えば、「孤悲」というのは、「こひ」(恋)の表記である。なお、正訓字表記であっても二音節の仮名表記とみなせる場合も想定できるが別途検討するものとする。

③ 巻一~巻四にある訓「あしひきの」の用例は、11例ある。「山」や「磐根」や「山道」を修飾している。

巻別にみると次のとおり。

 巻一 無し

 巻二 2首 部立て「相聞」

2-1-107歌 足日木乃 山之四付二  妹待跡 吾立所沾 山之四附二

2-1-108歌 吾乎待跡 君之沾計武 足日木能 山之四附二 成益物乎

 巻三 5首 部立て「雑歌」で2首、「挽歌」で3首

2-1-269歌 牟佐々婢波 木末求跡 足日木乃 山能佐都雄尓 相尓来鴨

2-1-417歌 足日木能 石根許其思美 菅根乎 引者難三等 標耳曽結焉 

2-1-463歌 ・・・人乃尽 草枕 客有間尓 佐保河乎 朝河渡 春日野乎 背向尓見乍 足氷木乃 山辺乎指而 晩闇跡 隠益去礼 将言為便 将為須敝不知尓 ・・・

2-1-469歌 ・・・<露>霜乃 消去之如久 足日木乃 山道乎指而 入日成 隠去可婆 ・・・

2-1-480歌 足桧木乃 山左倍光 咲花乃 散去如寸 吾王香聞 

 巻四 4首 部立て「相聞」

2-1-583歌 足引乃 山尓生有 菅根乃 懃見巻 欲君可聞 

2-1-672歌 足引之 山橘乃 色丹出而 語言継而 相事毛将有 

2-1-673歌 月読之 光二来益 足疾乃 山而隔而 不遠国 

 2-1-724歌 足引乃 山二四居者 風流無三  吾為類和射乎 害目賜名

④ このように訓「あしひきの」の用例は、「足日木乃(能)」が5例、「足引乃(之)」が3例、「足氷木乃」と「足桧木乃」と「足疾乃」が各1例である。

「あしひきの」の「あし」の表記は、漢字「足」という漢字一字に固定されている。漢字「足」による正訓字表記である。漢字「足」の意は、「あし・ふむ(踏)・あゆむ・とどまる」などのほか「たす・そえる」の意がある。(『角川新字源』)

「あしひきの」の「ひき」の表記は、「日木」などの仮名表記(音由来でも訓由来でも一音節を表記)が 7例のほかに、漢字「引」という正訓字表記が3例と漢字「疾」という義訓の類と思えるのが1例ある。

漢字「引」の意は、「aひく b音楽のひとつ c唐以後に始まった文体のひとつ」などであり、aの意は、さらに「ゆみをひく」、「ひっぱる・ひきずる」、「みちびく・案内する」、「もってくる・あげもちいる」と細分されている。

 また、漢字「疾」の意は、「aさす(傷) bやまい c欠点 dくるしみ。なやみ eやむ fはやい gはげしい」などがあり、「やむ」意では疾病2字を対比させると疾が軽く、病は重くなる意になる。(『角川新字源』)

⑤ この「足」字と「引」字と「疾」字の意から、「あしひき」の意を想像すると、「足をひっぱる・ひきずる」 あるいは「あゆみのくるしみ・なやみ」として「足が疲れる」という共通項を見いだせる。それは、山に即していえば「越えるとか山頂に到るのに苦労する・存在する山により不便をかこつ」という意ということになる。人に即していえば「苦労する・不便な」を示唆する語句ということになる。これが原義ではないか。

 そして、そのような山には、高い山や山裾が長い山も該当するであろう。

⑥ その意で11例の歌を題詞のもとにある歌として確認すると、次のように違和感がない。

 各歌ごとに、「あしひきの+それが修飾語句」の大意を示す。

2-1-107歌 (題詞:大津皇子石川郎女御歌一首)人目に付かないよう苦労して山にかくれその雫の中に愛する貴方を待っていて、自分は立ち濡れた・・・

2-1-108歌 (題詞:石川郎女奉和歌一首)・・・という苦労して待っていたというその山の雫になにならましものを

 2-1-269歌 (題詞:志貴皇子御歌一首)むささびは梢を欲しがり(誘いだそうとして)苦労してその山に入り、猟師(親)に出会ってしまったことだ (ブログ2022/3/21付け「付記1.表E」の注4参照)

2-1-417歌 (題詞:大伴宿祢家持歌一首)  不便をかこつようなところにある磐根はごつごつしてるので、菅の根を・・・

2-1-463歌 (題詞:七年乙亥大伴坂上郎女悲嘆尼理願死去作歌一首 并短歌) ・・・頼みとした人がすべて草枕を重ねる旅に出ている間に、佐保川を朝に川渡りをして、春日野を背後に見ながら、私たちにはなかなか近づきがたい山(菩薩の境地・悟りの境地)の上り口を指して、夕闇としてお隠れになったので、どう言ってよいか、どのようにしてよいかわからないで ・・・

2-1-469歌 (題詞:又家持作歌一首 并短歌) ・・・露霜が消えるように、山頂に到るのに苦労する山道(悟りの境地)を指して、夕日のように隠れてしまったので、

2-1-480歌 (題詞:(十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首)反歌山頂に到るのに苦労する(おひとり登られる高御座)までも光って咲く花が散ってしまうような我が大君である

 2-1-583歌 (題詞:余明軍與大伴宿祢家持歌二首 [明軍者大納言卿之資人也])) 越えるとか山頂に到るのに苦労する山に生えている管の根がしっかり根を張っているように、いつまでも懇ろに見て居たい貴方であるよ。

2-1-672歌 (題詞:春日王歌一首 [志貴皇子之子母曰多紀皇女也])山頂に到るのに苦労する山の橘のように色に出てうわさになれ。お互い手紙のやりとりも出来て会うこともあるだろうから

(山橘は別名やぶこうじ・十両。林内に生育し、に赤い果実をつけ美しいので、栽培もされる。)

2-1-673歌 (題詞:湯原王歌一首) 月読みの光にいらっしゃいよ。越えるのに苦労する山に隔たって遠いというわけでもないのに

2-1-724歌 (題詞:獻天皇歌一首 [大伴坂上郎女在佐保宅作也])不便をかこつ山に居りますればみやびが無いので、私のする行をおとがめ下さるな。(土屋文明氏の大意をベースとする)

⑦ では、類似歌のある巻十での用例ではどうか。用例は12例ある(下記⑧参照)。

訓「あしひきの」の「あし」の表記は、巻一~巻四の用例と同じで、すべて漢字「足」の正訓字表記である。 

訓「ひき」の表記は、仮名表記(仮名一文字分を、漢字の意を考慮せず当該漢字で表記)しているのが、「比木」が1例 、「日木」が4例 、「檜木」が2例 である。そして、正訓字表記しているのが、「引」に2例 と「曳」に3例ある。

 漢字「曳」の意は、「ひく・ひかれる・つまずく・こえる」である。「ひく」は細分して「aひっぱる・ひきよせるbひきずる cつえをつく・たずさえる」である(『角川新字源』)。

 これから「足引」表記と「足曳」表記は、「あしをひきずる」、「あゆむにつえをたずさえる」をイメージできる。これは「山に即して困難を伴う」という共通項を指摘できる。

 巻一~巻四の用例による「あしひきの」の意(原義)を、巻十の「あしひきの」に適用すると、各歌とも無意の枕詞として理解した歌意に沿っている。

⑧ 巻十の用例は、次のとおり。

2-1-1828歌 冬隠 春去来之 足比木乃 山二文野二文 鴬鳴裳 (ふゆこもり はるさりくれば あしひきの やまにものにも うぐひすなくも)

2-1-1846歌 除雪而 梅莫恋  足曳之 山片就而 家居為流君 (ゆきをおきて うめをなこひそ あしひきの やまかたづきて いへゐせるきみ)  左注あり「右二首」 (注:『萬葉集私注』:2-1-1845歌と問答になっている。雪を梅と思ふに対して山近く居るにしても近くの雪をかへり見ずに梅に心を寄せ給ふなと答へた。)

2-1-1868歌 足日木之 山間照 桜花 是春雨尓 散去鴨 (あしひきの やまのまてらす さくらばな このはるさめに ちりゆかむかも)

2-1-1944歌 朝霞 棚引野辺 足檜木乃 山霍公鳥 何時来将鳴 (あさかすみ たなびくのへに あしひきの やまほととぎす いつかきなかむ)

2-1-2152歌 足日木笶 山従来世波 左小壮鹿之 妻呼音 聞益物乎 (あしひきの やまよりきせば さをしかの つまよぶこゑを きかましものを)

2-1-2160歌 足日木乃 山之跡陰尓 鳴鹿之 聲聞為八方 山田守酢兒  (あしひきの やまのとかげに なくしかの こゑきかすやも やまたもらすこ (注:『萬葉集私注』:譬喩する所があるのかも知れない。鹿声に、恋い寄る男の声を寓した如くも見える)

2-1-2204歌 九月 白露負而 足日木乃 山之将黄変 見幕下吉 (ながつきの しらつゆおひて あしひきの やまのもみたむ みまくしもよし)

2-1-2223歌 足曳之 山田佃子 不秀友 縄谷延与 守登知金 (あしひきの やまたつくるこ ひでずとも なはだにはへよ もるとしるがね (注:『萬葉集私注』:寓意あるか。心に思ひ定めながら未だ結婚して女を持つ男に、呼びかける趣であらうか。)

2-1-2300歌 足引乃 山佐奈葛 黄変及 妹尓不相哉 吾恋将居  (あしひきの やまさなかづら もみつまで いもにあはずや あがこひをらむ)

2-1-2317歌 足曳之 山鴨高 巻向之  木志乃子松二 三雪落来 (あしひきの やまかもたかき まきむくの きしのこまつに みゆきふりくる (左注あり「右柿本朝臣人麿之歌集出也」)

2-1-2319歌 足引 山道不知 白牫牱 枝母等乎乎尓 雪落者 [或云 枝毛多和多和] (あしひきの やまぢもしらず しらかしの えだもとををに ゆきのふれれば [或云 えだもたわたわに] )(左注あり:右柿本朝臣人麿之歌集出也 但件一首 [或本云 三方沙弥作]

2-1-2354歌 足檜木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 予寒毛 (注:3-4-26歌の類似歌)

(付記終わり  2024/1/8   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集その219恋歌確認25歌附23歌再確認

 前回(2023/12/18)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

                                          

1.~13.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

14.3-4-25歌の再確認

① 3-4-25歌の類似歌の再検討が終わりました。次に3-4-25歌を再検討し、類似歌との差異を確認します。また、3-4-23歌の類似歌も『萬葉集』の同一題詞のもとにある歌なので、3-4-23歌と類似歌の差異も再確認します。

 最初に、『猿丸集』の25番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、検討します。

 3-4-25歌  おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる  (3-4-22歌~3-4-26歌にかかる詞書)

     わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを

  3-4-25歌の類似歌:萬葉集 2-1-120歌  弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌にかかる題詞)

       わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

(吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

② 以下の検討の結果、確かに趣旨の違う歌であり,3-4-25歌は恋の歌(付記1.参照)でした。

  3-4-25歌は、相手の女が作者を愛しているのを信じている、と相愛の仲の相手におくった恋の歌であり、類似歌2-1-120歌は、話題としている人の周辺状況の変化を期待すると詠っており、恋の歌ではなく挨拶歌です。

 なお、前回検討したブログ2018/7/30付けでは、類似歌の題詞にある「思」字の理解を正す以前の成果でしたが、3-4-25歌は相愛の歌であり、類似歌は片恋の歌であり、歌意が異なりました。

 この二つの歌は、詞書(題詞)の趣旨が異なり、歌本文の二句の状況になるのは歌をおくる相手と作者自身という違いがあるがほか、三句の名詞も五句の動詞も異なっています。

③ 3-4-25歌を再検討します。

 最初に、詞書を再検討します。2018/7/9付けブログの「4.」で現代語訳を試み、この詞書とそのもとにある5首との整合に矛盾のないことをブログ2018/8/20付けブログの「3.」以下での検討で確認したところです。

 3-4-25歌の現代語訳(試案)は、次のとおり。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」(ブログ2018/7/9「4.」参照)

 「おやどものせいしける女」の動詞「せいす」は、「(おもに口頭で)制止する・止める」意のほか「決める・決定する」意があります(『例解古語辞典』)。この詞書は、 「おやどものせいしける女」と後段の「「とりこめ、いみじふいう」とが対比されている文章ですので、「せいす」は前者よりも後者の意で用いている、と理解できます。このため、この(試案)は妥当である、と思います。

④ 次に、歌本文を再検討します。類似歌と異なっている初句~二句と、三句の名詞と五句の動詞を確認します。

 二句「こひてあらず(は)」とは、上二段活用の動詞「恋ふ」の連用形+接続助詞「て」+ラ変活用の動詞「あり」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連体形+(係助詞「は」)です。

 「て」は、連用修飾語をつくる場合は、「あとに出る動作や状態が、どんなふうにして行われるか、どんな状態で行われるか、どんな程度であるのか、などを示して、あとの語句にかかります(『例解古語辞典』)。

 動詞「あり」とは「aある・存在する。bその場に居合わせる。c(時が)たつ・経過する。」意があります(同辞典)。

 このため、初句~二句は、「貴方が恋をして、(しかし)そのまま時が流れていない、ということは」の意であり、詞書のもとにあるので、「貴方が私との恋の成就をもうあきらめる(作者を見限る)、ということは」あるいは「貴方が私を(もう)恋していないということは」と訳せると思います。

 あるいは、「て」が接続語をつくるとみれば、「それでいて、そのくせ、という気持ちで、あとに述べる事がらに対して一応の断わりを述べる」意があります(同辞典)。

 そうすると、初句~二句は、「貴方が恋するというもののそれを継続していない」即ち、「恋しているというものの今は見限ったということは」と訳せます。

類似歌の二句「こひつつあらず(は)」とは、上二段活用の動詞「恋ふ」の連用形+接続助詞「つつ」+ラ変活用の動詞「あり」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連体形+(係助詞「は」)です。

 接続助詞「つつ」の意はここでは「動作の反復・継続して行われる気持ちを表し」ています(『例解古語辞典』)。

 このため、類似歌の初句~二句は、「貴方に恋をし続ける(アプローチをくりかえす)のを止める」、の意であり、題詞のもとにあるので、一つの仮定をしているとも理解できます。 

⑤ 次に、三句にある「あきぎり」は、気象現象である「秋の霧」に「飽きの切り」を掛け、「飽きる状態の期限、即ち破局」ということではないか。

 平安時代以降、春は霞、秋は霧と使い分けられたと一般にいわれていますので、この歌が平安時代の作であるならば、「秋の」という語句は不要のところを、わざわざ「あきぎり」と表記しています。作詠時点の用例に倣えば異様です。

 『猿丸集』は、『新編国歌大観』(角川書店)の「解題」によると、「公任の三十六人撰の成立(1006~1009頃)以前に存在していたとみられる歌集」です。そのころまでに成った(奏覧された)三代集と次の『後拾遺和歌集』の恋部の詞書の文末の特徴をみると(ブログ2018/4/16付けによる)、「つかはしける」と「題しらず」が多いのに、『猿丸集』にはなく、多くが「よめる」です。文末が「よめる」とあるのはこれらの勅撰集の恋の部では段々と増加し四番目の勅撰集『後拾遺和歌集』(承保2年(1075年)奉勅)に多い。

 また『猿丸集』の全52首では、いまみた四つの勅撰集にある「つかはしける」と「題しらず」という文末で終る詞書がありません。

 このような文末の特徴から言えば、『猿丸集』の成立は「公任の三十六人撰の成立」次期に近い頃が有力です。

 これに対して、類似歌の三句にある「あきはぎ」は、植物「はぎ」に季節を冠しているという語句です。「はぎ」は秋の七草のひとつです。

 類似歌のある『萬葉集』をみると、巻一~巻四では「あきはぎ」の用例3首、「はぎ」の用例無しです。巻八には「はぎ」を詠った歌が35首ありますが20首が「あきはぎ」です。『萬葉集』の作者は、「あきはぎ」という表記を良く用いており、類似歌での「あきはぎ」は、その時代の平均的な用例と言えます。

⑥ 次に五句の動詞「をる」は、(花を)「折る」意であり、類似歌の語句の動詞「あり」は、連語「有らまし」の一部であって、(・・・という花に)「なっていたらよいのに」という気持ちを表しています。

⑦ 3-4-25歌の現代語訳(試案)を、2018/7/30付けブログ「4.」で示しました。

「いとしいあなたが私を恋していないということならば、秋霧が、咲いてそして散ってしまっている花の茎を折るということがおこるでしょう。(風ではない秋霧には、あり得ないことです。そのように、あなたの私への愛の変らないことを信じています。)」

 この(試案)では、「あきぎり」の理解が不十分でした。このため、次のように改めます。

 「いとしいあなたが私を恋していないということならば、「飽きの切り」と同音の秋霧が、咲いてそして散ってしまっている花の茎を折るということがおこるでしょう。(これはあり得ないことです。破局を迎えるなど思ってもいません。あなたの私への愛の変らないことを信じています。)」(3-4-25歌改訳案)

⑧ 次に、類似歌です。現代語訳(試案)はブログ2023/11/13付けでの結論は、初句~二句に引用文があるとみて、次のようになりました。類似歌の題詞は、「思」字の意が「恋う・慕う」ではなく、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」という意で作文されています。

「親愛なる貴方に、どなたかが「こひつつあらず」という状況だそうですが、秋ハギのような咲いたらすぐ散る花になってほしいですね(諦めてくれるといいですね)。」 (2-1-120歌現代語訳改定試案)

 3-4-25歌と、まったく異なる歌意です。

 3-4-25歌は、相手の女が作者を愛しているのを信じている、と相愛の仲の相手におくった恋の歌であり、類似歌2-1-120歌は、話題としている人の周辺状況の変化を期待すると詠っており、恋の歌ではなく挨拶歌です。

⑨ なお、類似歌を片恋の歌として理解した以前の現代語訳(試案)は、正しく題詞を理解していませんが、『猿丸集』の編纂者も同じような過ちをしていたかもしれません。その場合はブログ2018/7/30付けに示した現代語訳(試案)があります。次のとおり。やはり、3-4-25歌とは異なる歌意です。

 「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」

 これは、『萬葉集』に萩を詠む歌は141首あり、その1/4以上が花の散り過ぎることに言及していることに留意した(試案)です。萩ならば散るものの代名詞であり、「こひつつあらず」という認識は、諦めていないからです。だから、秋萩がすぐ散るように自分が諦める、と歌にして相手におくるより、それでも相手の心変わりを期待しているよ、と詠っておくり(民謡であれば謡い返し)、同じ相手との歌の応答を続けようとする、と理解したものです。

 類似歌について、諸氏の理解の一例として土屋文明氏の大意を紹介ます。

「吾妹子に戀ひ戀ひて生きてをれないならば、秋萩の咲けば散ってしまふ花になって散り失せ死ぬる方がましであろう。」(『萬葉集私注』)

 この歌は、反語であり、「秋萩は、すぐ散ることでも満足しているだろうが、私は秋萩ではないのです」と言っている歌と氏は理解されているのではないか。

 これらのどの理解でも類似歌は、3-4-25歌と歌意が異なります。

15.3-4-23歌の再検討

① 2-1-120歌と2-1-122歌は、同一の題詞のもとにあります。そして2-1-122歌は、3-4-23歌の類似歌です。題詞の現代語訳(試案)は、「思」字の理解により改まりましたので、改めて、3-4-23歌とその類似歌2-1-122歌の差異を確認します。

3-4-23歌  (3-4-22歌の詞書をうける)おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

おほぶねのいづるとまりのたゆたひにものおもひわびぬ人のこゆゑに

 

3-4-23歌の類似歌   万葉集 2-1-122歌     弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)

     おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

(大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能児故尓)

② 下記の検討をして、やはり3-4-23歌とその類似歌2-1-122歌は異なる歌であり、相愛の歌と述懐の歌とにわかれます。

 そして(前回のブログ2021/7/19付けでの結論のように)類似歌が片恋の歌であっても、3-4-25歌は愛情を交わした女に対する作者の心のうちを詠って、相手を慰める相愛の歌であり。類似歌は、恋の進展のないことにより外見が変わったと訴えた片恋の歌であり、異なる恋の歌です。

 この二つの歌は、詞書(題詞)の趣旨が異なり、歌本文の二句の船の状況が違い、四句の動詞が違います。

③ 3-4-23歌から再検討します。

 詞書は、3-4-25歌と同じであるので、その現代語訳(試案)は上記「14.③」に引用してあります。

 歌本文については、類似歌と語句が異なっている二句と四句と五句を確認します。

④ 二句「いづるとまりの」の「いづ」とは、下二段活用の動詞「出づ」の連体形です。

 類似歌の二句は「はつるとまりの」の「はつる」とは、下二段活用の動詞「泊つ」の連体形です。

 船の出港時と停泊時という船の状況の違いがあります。

 四句「ものもひわびぬ」の動詞「侘ぶ」とは、ブログ2023/7/16付けで指摘したように、心の動きに関する動詞であり、類似歌の四句にある「痩す」は外見に関する動詞です。どちらにも同音異義の語句はありません。

 また、五句にある「ひとのこ」とは、恋の相手である「親が作者との交際を停められた人物」つまり「そのようなことを行う親に正面切って反対できない子」の意です。類似歌の「ひとのこ」とは、題詞を見直して人並という意になりましたが、題詞の「思」字の理解を見直す前は、特定の人物を指すのは同じで歌をおくる相手(紀皇女)、という意と理解していました。

 そして、この歌は、初句~三句の文章の主語は、「とまり」(停泊地)です。「たゆたひ」は、停泊地の海面が波打つことを指しています。出港する船が波をたてることを含めて海面の揺れが収まらない様を形容している、と言えます。初句~三句の文章は、大船の揺れ方に関する当時の常識を詠み込んでいるわけではありません。多くの諸氏もそのように理解されています。

⑤ そのため、3-4-23歌の現代語訳(試案)は、ブログ2018/7/16付け「7.⑥」に示し、ブログ2021/7/19付けで確認した(試案)そのままでよい、と思います。つぎのとおり。

「大きな船が出港する停泊地はゆらゆら波が揺れ止まりしていないようですが、思いがいろいろ浮かび辛いことです。親に注意をうけても慕っていただける貴方のことで。」

 「親ども」は、この歌を当然知るところとなるでしょう。『萬葉集』記載の類似歌を承知していれば、歌人としての才は認めてもらえたかもしれません。それだけで交際が許されるとは思えません。(ブログ2018/7/16付け「7.⑦」)

 なお、「大船」とは、この歌での暗喩はなく、遣唐使船などの船体の大きい船の意です。

⑥ 類似歌については、題詞にある「思」字の理解が改まりましたので、類似歌の現代語訳(試案)は、同一題詞のもとの4首の整合性から、次のようになりました(ブログ2023/12/18付け「12.」参照)。

 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかと同じく「人の子」故に。」(第231別案) 

 大船が停泊地で揺れの止まらないという状況は、当時の常識に反しています。つまり異常な事態であり緊張が増す事態である、という意となります。

 上記現代語訳(試案)の初句~三句は、大船が主語であることを、より明確にするために、すこし修正したいと思います。

 「大船が、停泊している港にあって揺れの止まらないという状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかと同じく「人の子」故に。」(第231別案の2)

 大船とは、隠語であり、「大船の揺れがとまらない」ことが起因となって、他の人もそうだが、作者も物思いに沈んだ、ということを詠った歌と理解したところです。誰かの「たゆたひ」により翻弄されている状況を詠っています。

⑦ 作者である弓削皇子の活躍時期を考慮すると、「大船」とは、持統天皇の御代におけるある政治的な状況を意味するのではないか。作者である弓削皇子は、次期天皇の候補とみなされるのを嫌がっている心境を詠ったのではないか、と推測できます。体制批判をする気持ちはないはずです。部立てに「相聞」をたてている巻一~巻四の編纂者としてもそのような気持ちはないはずです。

 この題詞のある部立て「相聞」とは、伊藤氏や土屋氏の定義であっても、恋愛中の歌以外の歌も「相聞」に含まれています。私の定義では、「神々となった人物たちの見守る今上天皇のもとで現世の人々の喜びを活写する場面」の歌(ブログ2023/8/28付け「25.④」)ですので、そのような歌も当然含まれます。体制批判の歌を編纂者はここに配列しないはずです。

 このため、この歌と類似歌は、相愛の歌と述懐の歌となり、異なる歌です。

⑧ また、『猿丸集』の編纂者が、「題詞」の「思」字の意は「恋情」によるものとして、類似歌は片恋の歌と理解していたとしても、この歌との差異は同じようにあります。

 この歌は、愛情を交わした女に対する作者の心のうちを詠って、熱愛の相手を慰めている歌であり、類似歌は、恋の進展のないことにより外見が変わったと訴えた歌(2018/7/16付けブログでの結論)です。

 この場合の現代語訳(試案)を再録すると、つぎのとおり。

 「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思ひに痩せてしまった。この乙女のために」(2018/7/16付けブログ「4.⑥」)

⑨ 諸氏の理解の一例として、類似歌2-1-122歌の土屋文明氏の大意を紹介すると、次のとおり。

 「大船が、碇泊する港に於いて、揺れ動いて定まらぬごとく、ためらいながら物思ひに痩せてしまった。此のをとめの為に」(『萬葉集私注』土屋氏)」

 氏は、弓削皇子が詠ったという恋の歌として理解しています。この題詞のもとの4首について、「創意が少なく、多く社会的表現を用ゐて居る」、「弓削皇子の他の作とは少しく趣を異にして居る」と指摘しています。

⑩ なお、3-4-23歌も3-4-25歌も、「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)の歌であることに変わりありませんでした。

 今年は遅々とした歩みで3-4-25歌まで確認できました。一方、類似歌が多くある『萬葉集』については、巻四などの理解が進みました。来年は3-4-26歌の確認からはじめます。

 今年もブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき有難うございます。

 皆様 よいお年をお迎えください。

(2023/12/25   上村 朋)

付記1.恋の歌の定義

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

(付記終わり 2023/12/25    上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集その218恋歌確認25歌 萬葉集弓削皇子の歌その5 人の子

前回(2023/12/11)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~10.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

11.一つの題詞のもとにある4首の整合性は

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(3-4-25歌の類似歌を含む)4首の個々の検討が一応おわりましたので、4首の整合性を再確認し、類似歌(2-1-120歌)の理解を深めます。

 そして、以下のような再検討をした結果、「思」字の意は、2-1-85歌(から2-1-88歌)と2-1-114歌の題詞にある「思」字と同じになりました。そして4首は題詞のもとにある歌本文として整合性があるものの、恋の歌ではなく、起居往来の歌となりました。また、この題詞と4首は、弓削皇子に巻二編纂者が何かを仮託した歌であるかもしれません。

 『猿丸集』歌とその類似歌としての比較は次回になりました。

② 検討の前提条件は次のとおり。

第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とします(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」付け参照)。

第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、同じ用字がある(2-1-85歌と2-1-114歌の)題詞2題にならい、次の作業仮説をたてる。

「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/11/6付け「5.⑥」)

第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである。

第四 序詞は、これまでの検討と同じく有意の語句である、として歌を理解する。

 

③ 上記前提条件は、『萬葉集』巻一~巻四全体の理解の原則でもあります。作業は、

第一 巻二の部立て「相聞」における題詞の配列から当該題詞の意味合いを確認します。

第二 これまでに得た4首の現代語訳(試案)がこの一つの題詞のもとで整合性があるかどうかを確認します。

第三 4首に関する諸氏の理解の例とも比較します。

第四 2-1-120歌は、『猿丸集』第25歌の類似歌なので、第25歌と併せて検討します。

第五 また、当該題詞のもとにある2-1-122歌は、『猿丸集』第23歌の類似歌なので、第23歌と併せて検討します。

④ 最初に、題詞の配列から検討します。ブログ2018/7/16付けで一度検討していますが、巻二の部立て「相聞」の「藤原宮御宇天皇代」の歌について再確認します。

 巻二の部立て「相聞」は、巻一と同様に標目をたて、各歌を題詞のもとに配列しています。標目の順番は天皇の代の暦代順であり、その代ごとに天皇が登場する題詞は最初においています。標目「藤原宮御宇天皇代」(持統天皇の御代)は、下表のように、天皇が登場する題詞はなく、天武天皇の皇子が登場する題詞に始まり、臣下とその妻が登場する題詞で終わっています。

⑤ 歌群の整理を、題詞での各皇子と臣下の男子でしました。そして、当該題詞に登場する人物同士の関係(一人(作者名)のみの場合はその一人とその歌を贈る相手との関係及び「和歌」とある場合はその直前の題詞の人物との関係)を確認しました。

 これを見ると、弓削皇子が2度題詞に登場し、連続して配列されていません。

 そして、題詞に登場する人物同士の関係では、恋愛関係のペアはなく、臣下で夫婦となっているペアが2組あるだけでした。

表 万葉集巻二部立て相聞の「藤原宮御宇天皇代」にある題詞の作文パターン別の歌一覧

(2-1-105歌~2-1-140歌) (2023/12/16現在)

歌群

題詞

作文パターン(歌の性格付け)

題詞にある人物同士の関係

贈字がある

和歌又は奉入とある

左以外で作歌とある

左以外で御歌又は歌曰とある

大津皇子関連の歌

大津皇子竊下於伊勢神宮上来時大伯皇女御作歌二首

 

 

2-1-105

2-1-106

 

皇族で同母兄弟

大津皇子石川郎女御歌一首

2-1-107

 

 

 

皇族と女官か

石川郎女奉和歌一首

 

2-1-108

 

 

皇族と女官か

大津皇子竊婚石川女郎時津守連通占露其事皇子御作歌一首

 

 

2-1-109

 

皇族と女官

日並皇子関連の歌

日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首 

2-1-110

 

 

 

皇族と女官

弓削皇子関連の歌その1

幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首

2-1-111

 

 

 

皇族の男女

額田王奉和歌一首

 

2-1-112

 

 

皇族の男女

従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首

 

2-1-113

 

 

皇族の男女

穂積皇子関連の歌

但馬皇女高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首

 

 

2-1-114

 

皇族の男女

勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首

 

 

2-1-115

 

皇族の男女

但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作歌一首

 

 

2-1-116

 

皇族の男女

人皇子関連の歌

人皇子御歌一首

 

 

 

2-1-117

皇族(と女官)

舎人娘子奉和歌一首

 

2-1-118

 

 

皇族と女官

弓削皇子関連の歌その2

弓削皇子思紀皇女御歌四首

 

 

 

2-1-119

2-1-120

2-1-121

2-1-122

皇族の男女

三方沙弥関連の歌

三方沙弥娶園臣生羽之女未経幾時臥病作歌三首

 

 

2-1-123

2-1-124

2-1-125

 

臣下の夫婦

大伴宿祢田主関連の歌

石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首 

2-1-126

 

 

 

臣下同士

大伴宿祢田主報贈歌一首

2-1-127

 

 

 

臣下同士

同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首

2-1-128

 

 

 

臣下同士

大伴宿祢宿奈麻呂関連の歌

大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麻呂歌一首

2-1-129

 

 

 

臣下同士

長皇子関連の歌

長皇子与皇弟御歌一首

 

 

 

2-1-130

皇族同士

柿本人麻呂関連の歌

 

柿本朝臣人麻呂従石見国別妻上来時歌二首并短歌

 

 

 

2-1-131

2-1-132

2-1-133

2-1-135

2-1-136

2-1-137

臣下の夫婦

或本反歌

 

 

 

2-1-134

臣下の夫婦

柿本朝臣人麻呂従石見国別妻上来時歌二首并短歌

 

 

 

2-1-135

臣下の夫婦

或本歌一首并短歌

 

 

 

2-1-138

2-1-139

臣下の夫婦

柿本朝臣人麻呂妻依羅娘子与人麻呂相別歌一首

 

 

 

2-1-140

臣下の夫婦

 

 

 

 

 

 

注1)歌は、『新編国歌大観』の「巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号」で示す。

注2)題詞とそのもとにある歌本文の理解は次のとおり。

A 題詞:上村朋の理解(ブログ2023/10/16付け参照)

B 2-1-105歌~2-1-110歌:土屋文明氏の理解(『萬葉集私注』参照)

C 2-1-114歌~2-1-116歌:上村朋の理解(ブログ2023/10/16付け及び同2023/10/23付け参照)

D 2-1-117歌~2-1-118歌:土屋文明氏の理解 舎人娘子は乳母子と推測する

E 2-1-119歌~2-1-122歌:上村朋の理解(ブログ2023/11/6付けなど参照)

F 石川郎女と石川女郎は、巻二編纂者が書き分けているので、別人として整理している。石川女郎は2-1-129歌より女官となる。石川郎女も、女官と想像する。

G 2-1-130歌:土屋文明氏の理解(『萬葉集私注』参照)但し、誰が皇弟かについては保留する

H 上記以外は、主として土屋文明氏あるいは伊藤博氏の理解に基づく。

⑥ この表から、次のことも指摘できます。

 ほかの代でも同じですが、皇族が登場する題詞を先に配列し、次に臣下関連が配列されています。

 例外は、長皇子が登場する題詞であり、臣下同士が登場する題詞の途中に配列され、その次が臣下の柿本人麻呂が登場する題詞です。長皇子は、巻一の部立て「雑歌」において標目「寧楽宮」にただ一題一首だけある歌の作者です。

 この巻一の例に倣えば、巻二の部立て「相聞」は、標目としては例外の表記である「寧楽宮」という代を長皇子と柿本人麻呂の歌により設けているようにみえます。

巻二の次の部立て「挽歌」には、「藤原宮御宇天皇代」の次の標目として「寧楽宮」があり、女官の「河辺宮人」と皇族「志貴皇子」の挽歌が配列されており、そうすると、標目「寧楽宮」が巻一~巻二の全ての部立てにある、ということになります。

⑦ そして各題詞に登場する主たる人物2名の関係で、恋愛感情(あるいは愛情)を持った者同士というのは、弓削皇子と紀皇女が登場する題詞を保留すると、夫婦である臣下が登場している題詞だけです。石川女郎とそのような関係を占にでたことを大津皇子が嘆いていると理解(土屋文明氏の『萬葉集私注』)ができる歌本文がある題詞がありますが、二人に恋愛感情はない状況での歌と推測できます。

 なんとなれば、大津皇子が登場した題詞の直後に日並皇子がその石川女郎に歌を贈っています。同一の女性が有力皇族二人に分け隔てない交際をしているかに見えるとすれば、これらは宴席等での歌なのではあるまいか。

 石川女郎は、臣下である大伴宿祢田主や大伴宿祢宿奈麻呂とも歌を交換していることがこの部立て「相聞」にあり、2-1-128歌題詞には女官と明記されています。

 このため、恋愛感情は大津皇子と石川女郎の間にない、とみてよいと思います。

⑧ 大津皇子の登場する題詞には「石川女郎」のほか「石川郎女」が登場する題詞もあります。巻二の編纂者が書き分けているので別人と整理します。大津皇子石川郎女が登場する題詞の歌(107歌と108歌)は、土屋氏が「(105歌と106歌などと同じ事情で)前々からの年月未詳の製作(された歌)がここに収録されたものであらう」と指摘しているように、元資料は伝承歌です。

 そのため、大津皇子石川郎女が恋愛感情を装っただけの挨拶歌か宴席での歌として編纂者の手元にあつまったのではないか。(土屋氏は、110歌についても「民謡風の諧調が一首を貫いて居て快い。或いは既成の民謡が根拠になって居るのかもしれない」と指摘しています。)

 また、舎人娘子は乳母子であるので、舎人皇子との間の歌(2-1-117歌と2-1-118歌)は、日常的な挨拶歌と理解できます。

 このようなことから、保留していた弓削皇子と紀皇女が登場する題詞でも、恋愛感情を持っている者同士と二人を見るのは配列からは不自然と言えます。

 そして、上記②の前提条件第三からも、恋愛感情を持っている者同士という推測はしにくい、と思います。

⑨ 次に、上記⑤で指摘したように弓削皇子が2度題詞に登場し、連続して配列されていません。(二つ目の題詞のもとに2-1-120歌があります)。

 歌群「弓削皇子関連の歌その1」は、弓削皇子が贈った歌とその返歌並びにそれらと明らかに関連ある歌とからなる歌群です。持統天皇の吉野行幸に供奉し、昔天武天皇行幸に供奉した際に見た「み井」を題材にした歌群です。このような作詠事情が題詞と3首の歌本文より判ります。

 歌群「弓削皇子関連の歌その2」は、弓削皇子が詠んだ4首に対応する返歌或いは事前におくられた歌はこの歌群にありませんし、『萬葉集』の他の箇所にもありません。  そして題詞の歌本文から作詠事情は漠としています。

 諸氏の指摘のように、この歌群の歌が作者を弓削皇子に仮託したものであるならば、巻二編纂者は、そのことにより何かを仮託している歌群として配列しているのではないか、と疑えます。

 このような歌群の趣旨が違うことが、離れて配列されている理由なのでしょうか。確かな理由は今のところ未だわかりません。

⑩ 次に、題詞のもとで4首の歌本文の整合性を確認します。

 題詞と4首の現代語訳(試案)は、前回までに、次のようなものを得ました。歌本文は付記1.に引用しています。

 第一 題詞: 弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首 (これは今回検討する前提条件のひとつ)

 これは、倭習漢文である題詞において、「思」字を「しのぶ」と理解しない、ということになります。

 第二 2-1-119歌:2案あります(ブログ2023/11/6付けの結論)。

作者弓削皇子は、「紀皇女を思」って詠っていますので、紀皇女が関係する何らかの問題が生じていることを承知している、と推測できます。

 第一案 作者とこの歌をおくった相手の間に何らかの緊張関係あるいは信頼関係の問題が生じていると想定した一般的な場合

吉野山中を流れる川の瀬は、流れが速くわずかな時間も澱むことがない。そのようによどむことのない状況が続いてくれないかなあ(なんとか解決したいですねえ)。」

この場合、生じていた問題を、弓削皇子とこの歌をおくる相手とは共有していることになります。しかし、弓削皇子がどのような解決策を持っていたかは、題詞でも歌本文でも判然としません。

 第二案 作者とこの歌をおくった異性である相手の間に問題が生じていると作者が信じていると想定した場合(第一案の中の一例)

 「吉野山中を流れる川の瀬は、流れが速くしばらくの時間も澱むことがない。それと同じように私たちの仲もよどむことのないようになってくれないかなあ。」 

 この場合、女性である相手が、紀皇女であるならば、題詞に「思」字でなく「贈」字を用いれば明解です。それを巻二編纂者は避けているかに見えます。そのため、相手は紀皇女でない誰かが有力です。

 そして、同ブログ「6.⑨」で宴席等での社交的な遣り取りの歌の可能性が高いでしょうと、指摘しましたが、挨拶歌の可能性もあります。

 題詞の「思」字の意は、紀皇女を「思いやって」の意と理解できます。

 第三 2-1-120歌:1案です。(ブログ2023/11/13付けの結論) 

「親愛なる貴方に、どなたかが「こひつつあらず」という状況だそうですが、秋ハギのような咲いたらすぐ散る花になってほしいですね(諦めてくれるといいですね)。」 (2-1-120歌現代語訳改定試案)

 この(試案)は、初句~二句に引用文があるとみています。事前にその間の事情を弓削皇子と紀皇女が共有する状況であれば、不自然な理解ではありません。作者弓削皇子と紀皇女の間の今喫緊の問題を抱えている恋の歌ではない、と言えます。題詞にある「思」字は、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう、と思います。(同ブログ「7.⑧、⑨」参照) 

 第四 2-1-121歌:1案です。(ブログ2023/11/20付けの結論)

 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(仮に、ある行為を成すに適した時期となれば、そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。) (2-1-121歌改訳(試案))

 この場合は、紀皇女が関係する事柄を弓削皇子が詠んで紀皇女以外の人物におくった歌です。少なくとも巻二の編纂者の作文した題詞は、この理解が可能です。

  また、巻二の部立て「相聞」の配列からも、当事者の恋を語る歌という可能性はありません。そしてこの歌のように皇女が玉藻を刈り取るのは非現実的であり、弓削皇子は暗喩のために伝承歌を利用している可能性があります。(同ブログ「8.⑮」参照)

 そして、題詞にある「思」字の意は、上記②で示した作業仮説の範疇の意であって恋する意ではないことになりました同ブログ「8.⑭」参照)。

 第五 2-1-122歌:1案です。(ブログ2023/12/11付けの結論)

 「大船が停泊している港であって揺れが止まらないという状況になり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」というせいで(ショックですよ)。」(第121別案その2)

  この場合、「大船」を「親」の隠語として、初句~三句の主語は「大船」、四句~五句の主語は作者であり、誰かの「たゆたひ」により翻弄される作者の歌、とみる理解が素直であり、作者が「たゆたふ」と詠う序詞はくどい。また、漢字「思」字の意に沿った歌であり、宴席での歌の類です。

(同ブログ「10.⑧参照」)

⑪ 4首を、このような現代語訳(試案)として理解すると、4首目の歌にある「人の子」とは親の言うなりになったことで1首目の前提にあるはずの「紀皇女が関係する何らかの問題」が解決し、その間に遣り取りした歌がこの4首、ということになります。 そしてこの解決は弓削皇子にとって嘆かわしいことになります。

 弓削皇子の活躍期間(持統天皇7年(693)に浄広弐に叙せられてから文武天皇3年(699)薨去(27歳か)までの間)に生じた「紀皇女が関係する何らかの問題」とは何なのでしょうか。皇女の立場を重視すれば、適齢期の独身の女性として、立后天皇の代替わりに伴う斎院下命、男子皇族との結婚、臣下との結婚が考えられます。弓削皇子にとって嘆かわしいというのは、立后されなかったとかを指しているのでしょうか。同母兄妹でもないのに不自然です。

⑫ 諸氏もいう弓削皇子に仮託された歌とすると、4首に起承転結があるのではないか。それは次のような趣旨を作者が伝える歌となるのではないか、と思います。なお、2-1-119歌は恋の歌ではないことになったので、第一案となります。

2-1-119歌:(紀皇女が関わる)何かは、澱むことなく進行することを願う

2-1-120歌:貴方(紀皇女か)に執心の人があきらめるといいね。

2-1-121歌:その時には、然るべき場所で、成すべきことをしてほしい。

2-1-122歌:騒動になって心配したが、貴方が「人の子」(親に従う子)であるので。

 このように4首を理解できます。紀皇女がかかわる何かは、毅然とした皇女の行動で解決したというよりも、親に頼って解決し、一件落着となったようです。皇女の親は、天武天皇ですが、「藤原宮御宇天皇代」という標目のもとにあることから2-1-122歌の作詠は天武天皇薨去後の時点となっている、といえます。

 なにがあったのでしょうか。

⑬ これは、少なくとも4首目の理解に誤りがあるのかもしれません。「人の子」が代名詞であるので、誰にでも用いることが出来るのに、作者と相手の人物のほかの第三者の場合の検討を無視してきました。それを確認します。

12.2-1-122歌の見直し。

① 2-1-122歌本文を引用します。

   大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓

   おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに

 四句にある「ひとのこ」を、弓削皇子と紀皇女以外の人物を指している、として再検討します。

② この歌が倒置文形式の一つの文章とすれば、題詞のもとにある歌本文の現代語訳(試案)は、第121別案と第221別案をベースにすると、作者を弓削皇子、「大船」は隠語とし、「ひとのこ」は第三者を指すとすると、次のようになります。四句と五句が主語を省いた表記なので、このような理解も可能です。

 第五 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかが「人の子」というせいで」(第131別案)

 第六 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、どなたかと同じく「人の子」故に。」(第231別案)

 「人の子」とは、ここまで「人」とはその人の「両親」を指しているとみなして、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方(子供)」の意として検討してきました(ブログ2023/12/11付け「9.⑫」参照)。

③ 『萬葉集』での「ひとのこ」の用例10例は、類似歌2-1-122歌を除くと、「(親の監視が強いなど)婉曲に自由にならない恋の相手である女の意が7例、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」となります(同ブログ「9.⑩参照」)。

 恋の歌でないならば、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)か「子孫」の意で詠われており、前者は、ひろく「人並」の意と通用できます。

 そうすると、普通は「大船」と「人の子」は結び付けて理解することはなく、恋の歌であればこそ結び付けられて理解することがある、ということであったのではないか。

 恋の歌でないならば、「人の子」の意を「人並」に理解すれば、第六の試案(第231別案)が妥当な(試案)と思います。

 「大船の揺れがとまらない」ことが起因であって、他の人もそうだが、作者も物思いに沈んだ、ということを詠った歌と理解できます。

 これまでの(試案)でも下記に引用する第四の試案(第221案)も、恋の歌としての()内の訳文を省けば「人並」に理解した(試案)となります。

④ これまで、作者を弓削皇子として、次の現代語訳(第一~第四)をこころみ、下記第三の(試案)を2-1-122歌の現代語訳として検討してきました。恋に寄せての歌ではないかとの思い入れがまだある試案でした。

 第一 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(第121案)

 第二{大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらい続け、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(第221案)

 さらに、「大船」を隠語と見た場合、

 第三 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に(貴方の親が思いのほかのことを言い出して)、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」のせいで(しばらく逢えないのですね。了解しました)。」(第121別案)

 第四 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。(私の親は気にしています。ちょっとおとなしくしましょう。)」(第221別案)

⑤ 恋の歌ではない、と割り切って4首の整合性をする必要があります。

 

13.再び4首の整合性について

① 2-1-122歌の現代語訳(試案)を、

 上記第231別案とすると、4首は、次のような起承転結があると言えます。

2-1-119歌:(紀皇女が関わる)何かは、澱むことなく進行することを願う

2-1-120歌:貴方(紀皇女か)に執心の人はあきらめるといいね。

2-1-121歌:機は熟すので、そのとき成すべきことをしてほしい。

2-1-122歌:「大船」が揺れ続けていて、私も人並みにやせた。

 題詞で弓削皇子は紀皇女を「思」って詠んでいるものの、紀皇女には、誰かあるいは何かの暗喩があるのではないか。そしてこの歌は、題詞より恋に関わることではないので、皇族間の問題が1首目にある「何か」であって、弓削皇子はこの歌を他の皇族におくったのではないか。

 弓削皇子の活躍時期を考慮すると、次期天皇の候補とみなされるのを嫌がっている心境を詠ったのではないか、と推測できます。

② このような趣旨を含んだ歌が弓削皇子の詠んだ歌として巻二編纂者の手元に集まるのは疑問であり、弓削皇子に仮託すべく編纂者が伝承歌から選択してここに配列している可能性を捨てきれません。この4首は、何かに関して、訴えている歌と理解でき、特定の人物との恋愛を詠う歌ではなくて、起居往来の歌とみなせます。

 この4首は、恋愛関係にある人への片恋の歌ではないことが確かめられました。そのため、今は『猿丸集』の類似歌としての検討はこれで十分だと思います。『萬葉集』の歌としては更なる情報を得て確かめたい歌群です。

③ 次に、この題詞のもとにある4首に対する諸氏の理解の例として伊藤博氏と土屋文明氏の理解を紹介します。

 伊藤氏は、題詞の「思」字を「しのふ」と訓み、その意は「思い慕う」意としており、そのため作者(弓削皇子)はそれでも今も慕っている、と理解していることになります。そして、氏は、「弓削皇子が紀皇女をひそかに思いを寄せていたという事実を背景にしながら(後人が二人に)仮託した歌であろう」と指摘しています。しかし氏が事実と指摘した根拠は『萬葉集』のこの題詞の「思」字からの推測ではないか。それ以外の資料では確認できませんし、仮託をしてまでここに配列する理由に触れていません。

 そして、「思」字の意を、「なつかしむ」意と理解すれば、今となっては過去のことと振り返っている状況下での4首となり得ます。

 氏は、部立て「相聞」について「個人の情を伝えあう歌」の意と理解されており、「思」字が「なつかしむ」意でも氏の定義する「相聞」の歌の範疇にこの4首はあります。つまり、「今恋いしあっている時の歌」という理解に限定する理由はありません。

 また、歌本文は、題詞により歌意が限定されますので、氏のいう二人に編纂者が仮託した理由を明らかにしないと、この4首は理解半ばではないか、と思います。

④ 次に、土屋氏は、この4首について、題詞の訓は示さずに「序を用ゐて一首を構成するは相聞の普通の技法」と指摘し、「(創意が少なく)大部分が民謡を改作し、或いはいくつかは民謡其の儘を用ゐたものかもしれぬ。相聞の歌にはさうしたものも多かったものと思はれる。」と指摘しており、題詞のもとの歌として「弓削皇子の他の作とは少しく趣を異にして居る」と指摘しています。

 そして氏は、「相聞」を「個人間に問ひ交はす意に中国で古くから用ゐられる文字であるといふ。此の集の用ゐ方もその如くで人と人との間に言ひ交はされた歌であるが、実際は殆ど対多数が恋愛の歌である」(『萬葉集私注』「萬葉集巻第二 相聞 の巻頭言)と指摘し、起居往来の歌とも指摘しています。

 氏の理解は、この4首は起居往来の歌として弓削皇子は伝承歌を用い、題詞の「思」字の意は、「恋愛」であっても構わない、と理解しているようです。

 両氏とも2-1-85歌と2-1-114歌の題詞の「思」字の理解は、私と異なります。

⑤ そして、巻二の題詞における「思」字の意は、これにより3題すべて共通となり、作業仮説(上記「11.②第二」)の意となりました。「おもふ」と訓み、「思案する」意が強く、恋する意ではありませんでした。

 ブログ「わかたんか これ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、2-1-120歌を『猿丸集』の類似歌として、『猿丸集』第25歌との比較を再検討します。

 (2023/12/18   上村 朋)

付記1.題詞「弓削皇子思紀皇女御歌四首」のもとにある歌本文  (『新編国歌大観』より)

2-1-119歌の歌本文:

芳野河 逝瀬之早見 須臾毛 不通事無 有巨勢濃香問

よしのがは ゆくせのはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも

2-1-120歌の歌本文:

    吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾

わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

2-1-121歌の歌本文:

    暮去者 塩満来奈武 住吉乃 浅鹿乃浦尓 玉藻苅手名

ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

2-1-122歌の歌本文: 

    大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓

おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

(付記終わり 2023/12/18   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集その217恋歌確認25歌 萬葉集弓削皇子の歌その4 大船は 

 前回(2023/11/20)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~8.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。歌は、『新編国歌大観』より引用する。

9. 再考 2-1-122歌 題詞を無視すると

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその4首目の2-1-122歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

2-1-122歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

大船之 泊流登麻里能 絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓

おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

この歌は、今考えると、題詞の「思」字の意による歌のチェックをせず、作者弓削皇子の片恋の歌と単純に割り切っていました。そのチェックを今回します。

② 下記③の前提条件で再検討し、題詞にある「思」字は、相手を「かんがえる」、「おもいやる」程度の意で歌本文は妥当な理解ができました。即ち、宴席における大人の恋の気持ちがない片恋の歌であり、現代語訳(試案)を改めます。

 以下、順に説明します。

③ 再考の前提条件は、次のとおり。

第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とします(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」付け参照)。

第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、次の作業仮説をたてる。

「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/11付け「5.⑥」)

第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである。

第四 序詞は、これまでの検討と同じく有意の語句である、として歌を理解する。

④ また、ブログ2021/7/19付けで宿題になっていることなども検討します。

第一 大船の動きに自分を喩えているのは、相手にへりくだっている印象がありません。贈られた女性はどう思うか。

第二 2-1-122歌の四句の万葉仮名は、「物念痩奴」ですが、「痩」という漢字を用いてなければ、また違った理解も生じたところです。即ち、四句「ものもひやせぬ」を、動詞「ものもふ」の連用形+係助詞「や」+動詞「為」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連体形とする理解です。歌の趣旨が変わってしまうところ(音「痩」字が「音」のみを表すとした理解は深く検討していない)。

この2-1-122歌は、『猿丸集』の第23歌の類似歌であり、ブログ2018/7/16付けで検討し、ブログ2021/7/19付けで再検討していますが、その現代語訳(試案)は、最初のブログ時のままです。

四句までの状況の原因が五句に述べる事がらである、と理解した、次のようなものです。

「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思いに痩せてしまった。この乙女のために。」

⑤ 歌本文にあるいくつかの語句を、再確認します。

初句にある「大船」(おほぶね)とは、準構造船の遣唐使船か、それまで大きくできないものの和船構造の大和朝廷が公用に調達する総トン数が大きい船を指しているのではないか。

国営平城宮跡歴史公園「朱雀門ひろば」に展示されている推定した遣唐使船は全長30m・全幅9.6m・排水量300トン・積載荷重150トンというスケールで再現されています。当初の遣唐使船は、100人ほどの遣唐使一行が乗船しています。このくらいの大きさの現在の船は、防波堤を供えた普通の港の岸壁に接岸していても、揺れは止まらないものなのでしょうか。

大船でなくとも、航海中の揺れに比べれば港に停泊中は揺れがはるかに少ないものです。当時の常識としても、大船は、停泊中の揺れは大変少ないものというものであったのだと思います。

だから、停泊中の大船を、少なくとも「たゆたふ」と形容することは、例えば風が強く異常な揺れが生じていることを指した形容ではなかったかと推測できます。

⑥ 三句にある「絶多日(二)」(たゆたひ」とは、四段活用の動詞「たゆたふ」の連用形か名詞化してものです。その意は「aためらう。ちゅうちょする。ぐずぐずする」意と、「b漂う」意とがあります(『例解古語辞典』)。また、「a心が定まらないで動揺する・決心がつかずにぐずぐずする。ためらう」と「bゆらゆらと揺れ動く・一カ所に安定せずあちらこちらと揺れるように動く」とも説明されています(『古典基礎語辞典』)。

ここでは、この二つの意を用いており、四句以下へ「心がためらう・決心がつかずぐずぐずする」意と、初句~二句とともに「大船が漂う・ゆれる」意とが掛かっている、と諸氏は指摘しています。

⑦ 三句にある(たゆたひ)「に」は、格助詞であり、基本的には現代語の「に」と同じです(『例解古語辞典』)。

動詞の連用形に付いた格助詞とすると、「a動作・作用の行われる目的を示す、b同じ動詞に続けて、その動作を強める意を表す」の意があります。

 「たゆたひ」が名詞化していると理解すれば、「に」の意は、「cひろく物事が存在し、動作し、作用する場を示す(空間的な場・時間的な場・心理的な場・物事が及ぶ範囲の始めや終わりを示す)。d動作・作用の起こる原因・理由を示す。e物事の状態を、直接にまた他にたとえて示す。」などなどの意があります。

⑧ 四句にある「物念」(ものもふ)とは、連語であり「ものおもふ」に同じであり、「もの思いをする・思いにふける」意です。「もの」とは、「ものいふ」、「ものうし」、「ものさびし」などの「もの」と同様な意を加えていると見えます。

なお、歌本文において用いられている万葉仮名「念」字は「おもふ」と多く訓まれています。

万葉仮名「思」字は、日本語の「し」の音にあてられる場合が多い。巻二の歌本文にある「思」字の用例は、16首に18例あり、「し」の訓が10例、「おもふ」の訓が7例 「しのふ」の訓が1例です。「おもふ」の訓7例のうち、成人男女の恋情の意と理解が可能なのは、「柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時歌二首并短歌」という題詞のもとにある1例(2-1-135歌)のみです。

⑨ 五句にある「ひとのこ」とは、『萬葉集』に10例あります。阿蘇瑞枝氏は、9例が恋や妻問いの対象になる女性を指し、残りの1例が子孫の意(題詞に「賀陸奥邦出金詔書歌一首幷短歌」とある大伴家持の2-1-4118歌)としています。「親をもつ子」が原義であるから男子に対しても用いられる言葉であろうとも指摘しています(私は、下記に記すように代名詞化している、と思います)。

氏は、この歌(2-1-122歌)の語句「ひとのこゆゑに」について、「他人のものなのに」とする説と「あの子のせいで」という説がある、と紹介し、氏自身は、(この歌は紀皇女に対する不如意の恋を嘆く歌であり)恋の苦しみは切実であろうと思うのでその後者の方を採る、といっています。

⑩ 私は、ブログ2021/7/19付け(の「4.⑦))において、『萬葉集』の「ひとのこ」の用例10例は、類似歌2-1-122歌を除くと、「(親の監視が強いなど)婉曲に自由にならない恋の相手である女の意が7例、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」と理解し、(恋の歌であるならば)2-1-122歌も7例にならう、として五句は「この乙女のために」と現代語訳(試案)で記しました。阿蘇氏の後者(相手を指す)の意としています。

「ひとのこ」(人能兒)とは「人の子」であり、代名詞として歌に用いられ、作者自身とその歌をおくる相手と、その両者が共通にイメージできる第三者のいずれをも指し得る語句です。「ひと」の意は「人間の特定の性質や範疇についていう(人間たるもの、人数にはいるような人など)」、あるいは「特定の人物や自明の人物などを直接に名指すことを避けたり、一般化していう」(『例解古語辞典』)意と理解できます。

⑪ 最初に、題詞を無視した歌本文(だから作者は未詳となります)として検討し、次に題詞のもとにある歌本文として検討します。

歌は三句「絶多日二」が初句~二句の語句と四句~五句の語句の両方への掛詞になっています。諸氏は(題詞のもとにある歌でかつ恋の歌という理解のうえで)そのように指摘しています。なお、題詞を無視した歌本文として別の理解の有無を後程(下記⑲で)検討します。

 序詞に意を認めるか否かで、歌は、(原則として)二つの理解があり得ます。

 第一 序詞の意を考慮しない場合

初句~二句は序詞であり、「絶多日二」の修飾語句ですがその意は無視してよいと割り切ると、歌本文は、2つの文章から成る、とみることが出来ます。

「(大船之 泊流登麻里能 )絶多日二 物念痩奴 」(文章A)+人能兒故尓」(文章B)

また、文章Aと文章Bは倒置文形式でひとつの文章という理解もできます。

文章Aの主語述語は、「(表記されていないところの)私が+(もの思いが続き)やせた」

文章Bのそれは、「(表記されていないところの)それは+・・・ということである」

となります。どちらも主語が省かれた文章といえます。文章Bは述語も省かれています。

文章Aの意は、ある状態(「たゆたふ」)になり、結局作者は痩せた、ということであり、ある状態になった理由を文章Bに述べています。

三句にある格助詞「に」の意は、「たゆたひ」を名詞とみなして「動作・作用の行われる原因・理由を示す」という理解をしました。

萬葉集』歌においては、漢字「痩」字のある歌は10首あり、2-1-122歌を除くと作者はその題詞によれば男性が7首(作者未詳歌は歌本文で判定)となり、そのうち恋の歌・妻を思う歌が6首となります(付記1.参照)。

このため、(題詞を無視した122歌本文である)この歌は、作者が男性である恋の歌の可能性が極めて高い、と言えます。

⑫ 「ひとのこ」の意は、『萬葉集』にある他の用例にならい、恋の歌であるならば、「恋や妻問いの対象」であり、さらに絞り込んで「婉曲に自由にならない恋の相手である女」が有力となり、それは歌をおくる相手です。

 「ひとのこ」は、このほか、『萬葉集』では普通の代名詞として用いられています。『萬葉集』の「ひとのこ」の用例全10例には、「私を除く普通の人達」の意(人並の意)が1例(2-1-3821歌)及び「子孫」の意が1例(長歌である2-1-4118歌)」あります。

そのため、「ひとのこ」は、日常の会話にも歌にも用いられていた代名詞であると推測できます。

この歌は、作者が痩せる根本的な原因は、歌をおくる相手の応対に異変が生じたから、と詠っている、と理解できます。そのような応対をしているときの相手を指して、この歌では「ひとのこ」と表現している例です。

相手を「わぎも」とも言わないでわざわざ「ひとのこ」という代名詞で名指ししている理由があるはずです。

それを推測すると、相手が作者を遠ざけようとする応対をしている理由が、親にあると作者は承知しているのではないか。「人」とはその人の「両親」を指しているのではないか。

だから、「ひとのこ」とは、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方」であろう、と推測できます。そのような親子のしがらみは、よくあることです。作者にも親がおり、同じしがらみがあるはずです。「ひと」とは作者の両親も該当します。

そうすると、この歌は、貴方に生じたことが自分にも生じることに気づき、どのように乗り越えるか悶々としてやせた、と詠っているという理解も可能です。

⑬ このため、現代語訳を試みると、「ひとのこ」という代名詞がさす人物が作者か相手かによって、この歌は結局2案となります。1案に絞る情報は別途探さなければなりません。

「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった。それは、貴方故ですよ。」(以後、第11案ということとします。)

「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった。それは、貴方と同じく「人の子」故にです。」(それでも貴方を慕っています。乗り越えましょう。)(同題21案)

  この歌が倒置文形式の一つの文章とすれば、

 「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(同第12案)

 「私は、心が定まらないままで、ためらい、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(同第22案)

 第11案と第21案は、相手の非を責めるかの歌であり、第12案と第22案は、相手の同情を得ようとしているかの歌にみえます。

⑭ 次に、このような理解となる歌の作者について確認します。1案に絞る情報があるかも知れません。

今、題詞を無視して歌本文の検討をしていますので、作者(歌を披露している人物)は弓削皇子ではありません。

この歌本文は、恋の歌に違いないので、作者は、恋の進展が止まってしまっているか、あるいは止まるという危機意識があり現状を打開したいと認識している人物が該当するでしょう。個人を特定する必要はないようです。

 『萬葉集』における恋の歌のタイプは、多くが第11案とか第21案の理解、即ち相手からのダメージを大袈裟にいうとか相手の非を責めるかのようなタイプの歌です。しかしながら、訴えたいことが変わるわけではないので、この歌をおくられた人は、自分と相手の周辺状況の判断は相手と共有できますので、どの案であるかを理解できるはずです。

⑮ また、痩せたと訴える歌には、朝影に例えている歌もあるほか、巻四に次のような歌があります。相聞の歌です。

2-1-745歌  更大伴宿祢家持贈坂上大嬢歌十五首(2-1-744歌~2-1-758歌)

一重耳 妹之将結 帶乎尚 三重可結 吾身者成

ひとへのみ いもがむすばむ おびをすら みへむすぶべく わがみはなりぬ

 大変大袈裟に痩せたと訴えています。

この題詞のもとにある15首の作者大伴家持は、この歌を贈った坂上大嬢に、官人の務めを休むほど実際に痩せたと訴えているのではなく、相手にあえないで痩せるほどの辛い思いをしていることを、訴えています。

2-1-745歌と比べると、この歌は痩せ方の表現が大変控えめです。それよりも痩せるまでの作者の葛藤・逡巡を丁寧に説明しています。葛藤・逡巡を訴えているかにも見えます。

実際に作者が痩せたのちに2-1-122歌を相手におくったとしても同情は一切かけてもらえないと思います。もっと必死な歌がおくられてくるまでほっておかれるのではないか。相手(とその家族)は作者が仕事を本当に休んでいるかどうかを確かめることもしないでしょう。

⑯ だから、痩せたと詠う歌は、どの歌も、実際は痩せていないのに詠っており、作者は恋の進展のためのテクニックとして、貴方(の行為)が原因で痩せた、と相手に言い募っている、と言えます。この歌は迫力がないだけ、遣り取りを楽しみたい相手であれば気楽に何らかの応対をしてくれるかもしれません。

そのため、題詞を無視した歌本文としては、恋の進展のためのテクニックとして痩せたと訴えている歌と理解してよい、と思います。

痩せたと詠う歌を、最初にこのような歌からはじめていれば、痩せたことを理由に2-1-745歌のような段階まで何度もおくることが可能でしょう。そのため、この歌は誰もが痩せたと詠うパターンの一つとして、巻二編纂時には官人によく知られた歌であったかもしれません。

⑰ 次に、第二 序詞部分を有意と認めた場合を検討します。

 歌は二つの文章、「大船之 泊流登麻里能 絶多日二」(文章C)+「絶多日二 物念痩奴 人能兒故尓」(文章D)からなります。文章Dは倒置文として検討します。

 文章Cの主語述語は、「大船が+たゆたふ」

 文章Dのそれは、「(表記されていないところの)私は+(たゆたひ、もの思いが続き)やせた」

となります。文章Cは主語が明記され、文章Dは主語が明記されていません。

 文章Cは、作者が「たゆたふ」ことがいかに重大な問題であったかを強調するための例示の文章と理解できます。

 大船が停泊地で揺れの止まらないという状況は、当時の常識に反します。そのように、思いもよらないことに作者はぶつかった、と詠いだしています。だから私の「たゆたひ」はなかなかおさまるものではなく、限界まで痩せた後もまだ自分を苦しめる、と作者は自覚していると思えます。

⑱ 仮に、上記の第12案をベースに現代語訳を試みると、次のとおり。

 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。」(第121案)

 上記の第22案をベースに現代語訳を試みこともできます。

{大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらい続け、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。」(第221案)

 どちらの理解でも、序詞を有意とすることで、作者が「たゆたふ」ことが強調されており、作者の葛藤・逡巡が痩せたという結果より強く印象付けられます。序詞を無視した歌本文の理解(第11案と第21案)よりは、迫力がある歌となります。

⑲ ここまでは、初句~二句を序詞と理解して検討しています。しかし、この歌は、動詞「たゆたふ」に関係するのは大船のみ、という整理すれば、「人の子」が親を意識した語句と理解し、「大船」は「相手の親」の代名詞・隠語とみてこの歌の理解が可能です。即ち、

 第三 大船を隠語とみた場合の検討

 文章C 大船之 泊流登麻里能 絶多日二

 文章E 物念痩奴 人能兒故尓

からなり、文章Cの主語は「大船」、文章Dのそれは「(表記されていないところの)私」です。

 現代語訳を試みると、次のとおり。

 「大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況に(貴方の親が思いのほかのことを言い出して)、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」のせいで(しばらく逢えないのですね。了解しました)。」(第121別案)

 上記の第22案をベースに現代語訳を試みこともできます。

{大船が停泊している港であって揺れが止まらない状況にあり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方と同じく「人の子」故に。(私の親は気にしています。ちょっとおとなしくしましょう。)(第221別案)

恋のテクニックとして詠っている歌ですので、実際には痩せてなどいません。

この二つの別案は、親の意見を尊重して逢うのをしばらく自粛します、と伝えた歌となります。「人の子」とは、上記⑪で指摘したように、「親の意見を子として尊重せざるを得ない貴方(子供)」の意として用いられています。

⑳ このように、題詞を無視した歌本文の理解としては、恋の歌であっても、第11案から第221別案までの理解が可能でした。一案にしぼれませんでした。

微妙な違いがありました。理由は判らないが、とにかく逢えない状況となって困っていることを訴えること、あるいは親が理由で逢えない状況ということを理解したと伝えること、また相手への思いやりの違いなどという違いがありました。

しかし、逢えない状況が今後続くことを理解した歌ということはどの案にもいえます。

作者(歌をおくる人物)と歌をおくった相手との間で問題となっていることが共有されている状況での歌と思われますので、歌の理解に誤解は生じないのでしょう。

 またどのように理解されても、「痩せる」という表現は恋のテクニックのひとつなので、どのように理解されても、また返事がなくともまた歌を続けて相手におくれるでしょう。色々の場面に用いることができる歌ということです。

以上の結果、題詞を無視した歌本文に関しては、上記③にあげた宿題第一はもっともな指摘であり、ブログ2021/7/19付けでの現代語訳(試案)(上記④に引用の現代語訳(試案))は、題詞を無視した歌本文の現代語訳(試案)とはなり得ません。

10.再考 2-1-122歌 題詞のもとにある歌として 大船が浮かび上がる

① さて、題詞のもとにある歌本文として、次に検討します。

 検討は、上記「9.③」に記した前提条件第四(序詞は有意)に従うので、ベースとなる考え方を、上記「9.⑱」に記した第121案または第221案(ともに別案を含む)として行うことができます。

最初に、題詞から判ることを確認します。

作者は、題詞から、弓削皇子となります。

何を詠っているかというと、題詞にあるように「思紀皇女」ということです。

誰にこの歌をおくったか(どのような場面で披露したか)というと、他の題詞にあるような「贈紀皇女」と明記されていません。「思紀皇女」とありますが、検討の前提条件第二より、「思」字は「思案する・おもいやる」意であり、そして、歌を披露された場所も明記されていません。

② 次に、紀皇女を「思」い、なぜ歌を詠んだかを、推測します。

この歌は、「相聞」の部立てに配列されています。巻一~巻四にある部立て「相聞」にある歌は、題詞を前提に理解した場合、本当に相思相愛と作者が信じている歌もありますが、宴席で披露した異性に詠いかける歌とか、土屋氏のいう「(恋愛歌のようなところがあっても)単純な起居相聞の歌とみるべき」状況の場面の歌などが配列されています。

巻一~巻四の部立て「相聞」については、ブログ2023/8/28付け「25.④」で、私は、「逝去後の次の世に遷って神々となった人物たちが見守る今上天皇のもとで現世の人々の喜びを活写する場面を設定したもの」と指摘しました。

例えば、弓削皇子が作者と記す題詞は巻二に二つあます。

一つ目は、2-1-111歌~2-1-113歌を歌群とする持統天皇の吉野行幸に関わる歌群にあり、題詞には、順に「・・・弓削皇子贈与額田王歌」、「額田王奉和歌」、「・・・額田王奉入歌」とあり作者と歌をおくった相手が題詞により明確になっています。

二つ目は、4首からなる歌群の題詞である「弓削皇子思紀皇女御歌」であって、作者しか題詞に明記していません。

ひとつ目は、持統天皇の吉野行幸時の歌であり、順調な治世での一例です。

そうすると、二つ目も順調な治世の例示ではないか。公式の行事に伴う宴席で披露された歌が元資料と推測します。

③ 二人が宴席で同席する可能性を確認します。

 弓削皇子は、持統天皇7年(693年)浄広弐に叙せられ、文武天皇3年(699年)に推定27歳で薨去しています(文武天皇の御代には持統天皇太上天皇となっています)。父は天武天皇、母は天智天皇の娘大江皇女です。このため、活躍時期は、693年~699年になります。文武天皇即位前後の期間です。

紀皇女は、生没不詳です。父は天武天皇、母は蘇我赤兄の娘です。同母の兄弟に穂積皇子がいます。

穂積皇子は和銅8年(715年)8月薨去され、40代前半ではないかと言われています。699年には24歳~28歳ぐらいと推測でき、妹と仮定すれば「弓削皇子と同世代となります。699年時点では母である蘇我赤兄の娘は、神亀元年(724)7月没であり健在です。

このため、宴席で同席する可能性は十分あります。

④ 皇族としての挨拶歌のやりとりは一般に有り得ることです。挨拶歌は、恋の歌に託して親しさを訴えているスタイルの歌が『萬葉集』に多々ありました。また、宴席で若い皇子と皇女は、話題にされることもあるのではないか。宴席では、詠いかけて、受け入れない返歌をするというパターンがあったのではないか。

この歌は、否やの返歌があったので再度詠いかけた歌である、と推測します。伝承された歌を利用した歌であるかもしれません。

また、この歌を巻二の編纂者が入手する方法を想定すると、公けの宴席での歌であれば、席に連なっていた官人が手控えたのが元資料となるでしょう。有名な伝承歌の引用であったらその場に相応しい歌として広く多くの人の記憶に残るでしょう。

このようなことが題詞から想定できます。

⑤ 次に、歌本文を検討します。題詞を無視した歌本文は、上記「9.」の検討の結果、恋の歌でした。しかし、「痩せる」ことを題材にした歌としては、痩せ方の訴えが控えめです。その替わり、痩せるまでの逡巡を丁寧に説明しています。

 文章としてみると、「大船」が「たゆたふ」以外は、用いられている動詞の主体が、明記されていません。作者、相手あるいは第三者の誰が「ものもふ」のか、そして誰が「痩せた」かも明記されていません。

 恋の歌であれば、作者とこの歌を送られた人物との間で自明のことが省かれていても、「ものもふ」などは作者の行動を述べていると理解できます。

 しかし、恋の歌でなければ、その自明なことは、歌に明記されず示唆されているかも不明なので、歌本文以外の情報から探るほかありません。

 その情報は、題詞そのものや題詞の配列、歌群とくくれる歌本文同士の整合性などから得られるのではないか。ただ、それらは、この題詞のもとにある4首の整合性の検討と重なりますのでその時に検討することとします。今は、「相聞」にある歌ということから、宴席でのやりとりか、と推測するにとどめます。

⑥ それでは、題詞のもとにある歌本文として現代語訳を試みたいと思います。

 上記「9.③」に記した再考の前提条件に従うので、その第四より、序詞は有意の語句と理解するので、題詞を無視した歌本文の現代語訳(試案)のうち、

 上記「9.⑰」以下に検討した「第二 序詞部分を有意と認めた場合」の現代語訳(試案)、即ち第121案と第221案

 及び上記「9.⑲」以下に検討した「大船を隠語とみた場合」の現代語訳(試案)、即ち、第121別案と第221別案

が候補の現代語訳(試案)となります。

 そして、「大船が停泊地で揺れる」ということは、異常なこと、常にはないこと、の例えであるとのみ理解すれば、親にかこつけて拒否されたことを、大袈裟な表現で嘆いた歌、というイメージが浮かび、第121案に絞られます。

 また、「大船」を隠語とみれば、第121別案となります。

⑦ 第121案をベースとして現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「大船が、停泊している港であって揺れがとまらない状況というように、私の心は定まらないままなので、ためらいが続き、そして物思いするようになり、痩せてしまった、貴方のせいで。(ショックですよ。)」(第121案その2)

⑧ 第121別案をベースとして現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「大船が停泊している港であって揺れが止まらないという状況になり、私は物思いするようになり、痩せてしまった、貴方が「人の子」というせいで(ショックですよ)。」(第121別案その2)

 紀皇女の父は(すでに薨去されている)天武天皇であり、母は臣下の娘ですが健在です。父の教えが理由なのですか、という弓削皇子の大袈裟な嘆きに聞こえます。

 この2案を比較すると、「大船」を隠語として、初句~三句の主語は「大船」、四句~五句の主語は作者とし、誰かの「たゆたひ」により翻弄される作者の歌、とみる理解が素直であり、作者が「たゆたふ」と詠う序詞はくどい、と思います。

 題詞のもとにある歌2-1-122歌は、第121別案その2の理解になる、と思います。これは上記「9.③」の前提条件を満足します。即ち、漢字「思」字の意に沿った歌であり、宴席での歌の類と言えます。

⑨ この結果、題詞のもとにある歌本文に関しても、上記「9.③」にあげた宿題第一はもっともな指摘であり、ブログ2021/7/19付けでの現代語訳(試案)(上記④に引用の現代語訳(試案))は、誤りでした。同宿題第二は、このような現代語訳(試案)であれば万葉仮名に誤りはない、と言えますので、考慮の外になります。

これで、同一題詞のもとにある歌4首の個々の再検討が一応終わることになります。ではその4首の理解は整合性があるか、を次に検討します。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2023/12/3  上村 朋)

付記1.万葉集で「痩せる」と詠う歌(「痩」字を用いている歌など) (2023/12/7現在)

① 16首ある。題詞で性別を判断すると、作者が男性5首、女性2首、作者未詳8首となる。作者未詳歌は歌本文より性別を判定するとみな男性と推測できる。

② 「痩」字を用いている歌(10首)について、歌番号等と題詞に記された「作者名とおくった相手」は次のとおり。作者は、歌などより推測した結果を()に示す。

巻二 2-1-122歌(弓削皇子→未記載) 

巻四 2-1-601歌(笠女郎→大伴家持) 

巻四 2-1-726歌(坂上郎女→坂上大嬢) 

巻七 2-1-1371歌(作者未詳(歌より男)→未記載) 

巻八 2-1-1466歌(大伴家持→紀女郎) 

巻十二 2-1-2940歌(作者未詳(歌より男)→未記載(歌より女)) 

巻十二 2-1-2988歌(作者未詳(歌より男か)→未記載) 

巻十五 2-1-3608歌(遣新羅使人(男)→遣新羅使人)

巻十六 2-1-3875歌(作者未詳(歌より男か)→痩人)     

巻十六 2-1-3876歌(作者未詳(歌より男か)→痩人)

③ そのほか痩せる状況の形容のある歌(6首)は、次のとおり。

巻四  みつれにみつれと詠う 2-1-722歌(大伴家持→娘子)>

巻十一 朝影と詠う2-1-2672歌(作者未詳(歌より男か)→未記載) 

巻十一 朝影と詠う 2-1-2398歌(作者未詳(歌より男)→女)

巻十二 朝影と詠う2-1-3099歌(作者未詳(歌より男)→同女)  

巻十二 朝影と詠う2-1-3152歌(作者未詳(歌より男)→妻)

   巻十六  餓鬼と詠う2-1-旧3840歌(池田朝臣→周囲の人々あるいは大神朝臣奥守)

(付記終わり 2023/12/11  上村 朋)

 

わかたんかこれ 萬葉集弓削皇子の歌その3 121歌

 前回(2023/11/13)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。              1.~7.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

8. 再考 2-1-121歌

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその3首目の2-1-121歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

 2-1-121歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

   暮去者 塩満来奈武 住吉乃 浅鹿乃浦尓 玉藻苅手名

   ゆふさらば しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな 

 前回の検討時(ブログ2018/7/16付け)、2-1-119歌~2-1-122歌は逢うことができない状況で繰り返し訴えている、片恋の歌、と理解しました。今回2-1-121歌が「片恋」の歌なのかを、再確認します。

② 再考の前提条件は、次のとおり。

第一 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」とする(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」参照)。

第二 題詞に用いられている漢字「思」字の意に、次の作業仮説をたてる。

「漢字「思」の意のうち、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう。」(ブログ2023/11/6付け「5.⑥以下」参照)

第三 皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものである(ブログ2023/10/16付け「3.⑦」参照)。

③ 歌本文のいくつかの語句を確認します。

 初句「ゆふさらば」とは、名詞「夕」+四段活用の動詞「さる(去る)」の未然形+接続助詞「ば」であり、接続助詞「ば」は、活用語の未然形についていますので、「もし・・・なら、・・・たら」と仮定していう接続語をつくります。

 だから、初句は「もし夕方ならば・夕方なら(と仮定すると)」という意と理解できます。

 古語辞典には連語「ゆふされば」に対して「夕方になると」の意が示されています。動詞「さる」の已然形に接続助詞「ば」がついているので、「あとに述べる事がらの起こる、またはそうなると考えられる、その原因・理由」を表すなどの接続語をつくることになります。仮定の意はありません。

 仮定の意を明確にするため、初句「ゆふさらば」は、上記のように「もし夕方ならば・夕方なら(と仮定すると)」と、現代語訳したい、と思います。

 二句にある「なむ」は、カ変活用の動詞「く(来)」の連用形についた連語「なむ」(完了の助動詞「ぬ」の未然形+推量の助動詞「む」の終止形)です。その意は、「a確実に実現・完了することを、推量の形で表す b強い意思を表す c適当・当然の意を強める d可能な事がらに対する推量をあらわす」があります。

 そして、二句「しほみちきなむ」でひとつの文章が終わります。

 次に、「住吉」と「浅鹿」とは、地名であり、前者は摂津国にある地域の名であり、後者はその地域内の一集落名と理解できます。

 巻一と巻二で「住吉」(すみのえ)の語句を用いた歌はもう一首あります(題詞に「長皇子御歌」とある2-1-65歌)。「あさか」という地名を用いた歌はありません。

 次に、五句にある(たまも)「かりてな」とは、動詞「刈る」の連用形+完了の助動詞「つ」の連用形+文を言い切る終助詞「な」です。「な」の意は、「a自分自身の願望・意志を表す b呼びかけ・勧誘の意を表す c相手に対する期待・願望を表す」の3意があります。

 また、「玉藻」とは歌語であり、「藻」の美称です。

④ さて、この歌は、二つの文章からなります。

文章A 初句~二句 ゆふさらば しほみちきなむ

文章B 三句~五句 すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

 文章Aは、文章Bの記述のための前提条件である、と理解できます。

題詞を無視して、この二つの文章を検討します。

 文章Aより検討します。助動詞「なむ」の意によって、4案があります。

第一案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。」

(「なむ」の意は「確実に実現・完了することを、推量の形で表す」)

第二案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、(私は)潮をきっと満ちさせよう。」

(「なむ」の意は「強い意思を表す」)

第三案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮が当然満ちてくるはずだ。」

(「なむ」の意は「適当・当然の意を強める」)

第四案 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮は満ちてくることができるだろう。」

(「なむ」の意は「可能な事がらに対する推量をあらわす」)

⑤ 文章Aの第一案、第三案及び第四案は、太陽の位置による夕方という自然現象と、海水の干満という自然現象とに因果関係があるかのような文章となっています。

 夕方という時間帯は、日本列島であろうと中国大陸であろうと、ほぼ24時間ごとに訪れます。潮の干満も通常1日2回ずつあり、満潮から次の満潮までの周期は平均約12時間25分です。だから夕方という時間帯に潮が満ちて来るという時期はありますが、常に満ちてくることはありません。

 しかし、特定の地域(浦)における夕方と干満の関係は、作詠時点までの数日間の日没時刻とその時の干満の日々の違いを知っているだけでも、何日か先までは予測できるでしょう。

 だから、特定の浦における最近の夕方の干満の状況を承知している人物が作者であれば、自然現象として潮がみちてくることを予想している文章として、第一案、第三案及び第四案は、あり得ます。何を念頭に予想を必要としたのかによって、作者の気持ちの違いがこの3案の違いではないか。

 第二案は、夕方に潮が満ちてくるのが望ましい状態だ、ということを言外に言っており、特定の浦の干満に関係なく何かのために発想して文章化したものとみることができます。何かに対する作者の気持ちがこのような表現を採らせているのではないか。

 結局、どの案も有り得る理解となります。また作者の性別もどちらでもあり得る文章です。

⑥ 次に、文章B の現代語訳を試みます。五句の最後の語句 「な」の意によって、3案があります。

 第一案 「住之江にある浅鹿の浦において、玉藻を刈ってしまいたい」(「む」は願望・意志の意)

 第二案 「住之江にある浅鹿の浦において、玉藻を刈ってしまおうよ」(「む」は呼びかけ・勧誘の意)

 第三案 「住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい」(「む」は相手に対する期待・願望の意)

⑦ 文章Bにより文章Aの潮が満ちてくると予測している特定の地域(浦)が明らかになっています。

 玉藻刈りは、満潮を避けてする作業なのでしょう。一般的には、生活拠点としている集落かその近くの浦での作業でしょうから、歌をおくった相手は住之江にある浅鹿の浦近辺に生活拠点がある人物、と推測できます。

 そして、「玉藻刈」(たまもかる)という行為は、皇女が行うとすれば、何かの儀式で役を務めるときであって、生活の資として刈ることはないでしょう。

 そして、作者の性別は各案別に推測可能です。

 第一案は、作者が玉藻刈りをしたい、と理解できるので、通常ならば、作者は女性ではないか。

 第二案は、作者である女性が、作業仲間の女性に呼び掛けていると考えられます。また、男性が女性に呼びかけているとも考えられます。

 第三案は、作者が男性でも女性でもあり得ます。

⑧ 次に、題詞を無視して歌本文全体(文章A+文章B)の検討をします。

 上記④で指摘したように、この歌の文章Aは、文章Bの記述のための前提条件である、と理解できます。

 二つの文章の組合せは多数あります。文章Aは、何のために夕方の潮の状況を推測しているのがわかりませんので予測が困難です。

 しかし、文章Bにある玉藻を刈るという作業が女性の仕事であることをヒントにすると、文章A+文章Bは、恋の歌として異性を説得するための歌か、玉藻刈りが共同作業なので段取りよく玉藻刈りの作業をすすめようと仲間に呼びかけている歌か、と整理できます。

 そのため、第一に、恋の歌であれば、作者の性別に、次のように整理できます。

作者が男性の場合、文章Aは素直な予想をしている第一案または確信をもって断言している第三案であり、文章Bは呼びかけている第二案または相手に期待している第三案となり、逢うための時間確保ができることを訴えている歌と理解できます。

 作者が女性の場合、文章Aは素直な予想をしている第一案であり、文章Bは呼びかけている第二案または相手に期待している第三案となり、作者が恋人と逢うための時間確保のため共同でしている仕事の今日のノルマの速やかな達成を願っている歌と理解できます。

 第二に、共同作業である玉藻刈りの作業をすすめようと仲間に呼びかけている歌であれば、作者は女性と限定できます。文章Aは素直な予想をしている第一案であり、文章Bは呼びかけている第二案となります。この場合いわゆる作業歌として披露するのでしょう。

⑨ 題詞を無視して文章A+文章Bを理解すると、恋の歌の可能性が一番高い、と思います。恋の歌は、玉藻刈りをしている時の作業歌としても、こんな誘いがあればいいねえ、という歌として掛け合いの歌となり得ます。

 なお、恋の歌として、地名は、入れ替え可能です。だから、もともとは庶民の歌であり、『萬葉集』巻二編纂時点では、既に伝承歌になっていた可能性もあります。

⑩ さて、題詞のもとにある歌本文として、検討をします。

 作者は、題詞より弓削皇子となります。この歌をおくった相手は、題詞からは特定できませんが、紀皇女を「思」って詠っているので、紀皇女はおくった相手の候補の一人となります。そのほか、ブログ2023/11/6付けの「5.④」で指摘したように、紀皇女と弓削皇子との仲介にたつ人物や単にぼやきたい人物(も披露した場面・機会)も候補となり得ます。

 また、この歌は、紀皇女を「思」った結果として相手にむかって披露されているので、五句の最後にある終助詞「な」の意は1案で詠まれているはずです。 

 文章Bにある「玉藻を刈る」行為は、皇子や皇女が日常的に行う行為ではありません。日常的に「玉藻を刈る」相手に対して作者である弓削皇子が「紀皇女を思」ってこの歌をおくるでしょうか。「玉藻を刈る」行為には、何かを寓意しているか暗喩をこめてこの歌を示しているはずです。

 おくった相手が紀皇女であっても、皇族や官人であってもそれは同じではないか。

歌をおくられた相手もこの歌(文章A+文章B)から寓意なり暗喩を理解できる共通の認識を持っている状況での歌であろう、と推測できます。

 寓意あるいは暗喩している行為は、紀皇女を「思」っての歌ですから皇子や皇女が行っても差し支えないものなのでしょう。

⑪ 上記④で指摘したように、文章Aは、文章Bの記述の前提条件です。文章Aは、自然現象に関して予測を行っている文です。その自然現象にも何かの寓意あるいは暗喩があることになります。

 そうであると、「玉藻刈る」にこめた寓意あるいは暗喩は、作者弓削皇子のみが自ら行う行為であれば、上記⑥に記す第一案、作者弓削皇子が相手と共に行う行為であれば同第二案、相手のみが行う行為であれば同第三案になります。

 そして、上記⑧と同様に、玉藻を刈るという作業が女性の仕事であることをヒントにすると、男性は「玉藻を刈る」ことが例外なので、寓意・暗喩では同第三案(「む」が相手に対する期待・願望の意)ではないか。

 そのためには、文章Bの記述の前提条件である文章Aは、夕方に潮がみちてくることもある、というどこの浦でも成立する事柄であっても、特定の浦での予測でもあってもよく、どちらの場合でも上記④の第一案、第三案あるいは第四案となるのではないか。

 このなかで、文章Aで自然現象を描写しているのは、第一案であり、一番素直な詠いだしです。これを現代語訳(試案)の第一候補とします。即ち、

「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。」(その時期となれば、ある行為を成すに適した時期となるだろう)(「なむ」の意は「確実に実現・完了することを、推量の形で表す」)

 文章Bは、第三案により現代訳(試案)したい、と思います。即ち、

「住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。)」

 特定の場所と「ある行為」とは今のところ不明です。しかし、弓削皇子と歌をおくった人物とは、既に共通のイメージをもっていなければ、寓意・暗喩は成立しません。「思紀皇女」と題詞にあるので、紀皇女が関係した事柄と推測できます。

⑫ この歌を、作者弓削皇子が紀皇女を「思」って誰におくったかについては、題詞以外から検討が可能です。題詞の配列にヒントがあります。

 部立ては「相聞」です。この部立ては、「逝去後の次の世に遷って神々となった人物たち(例えば天皇)の見守る今上天皇のもとで現世の人々の喜びを活写する場面」の歌から編纂されています(ブログ2023/8/28付け「25.②~」参照)。男女の恋の歌以外も多数ある部立てです。

 土屋文明氏は、巻二の部立て「相聞」については、「実際は殆ど大多数が恋愛の歌である。それは当時の恋愛歌が相手方に思ひを通じ合ふといふためのものであったことによるものであらうが、その一面、中には必ずしも相手方に通ぜんとする動機からの作でないもの、独泳的の作と思はれるものも恋愛が主題となったものはこの中に収められて居る」とも指摘しています。(『萬葉集私注』「萬葉集巻第二 相聞 の巻頭言)。

 また、氏は、「歌が社交の道具と既になっているとして「恋愛歌」のようなところがあっても(部立て「相聞歌」にある歌は)、実は単純な起居相聞の歌と見るべきである」と(2-1-649歌以下の4首での指摘)しています。

⑬ この題詞の前後各5題をみるとつぎのとおり。

2-1-114歌 但馬皇女高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首

2-1-115歌 勅穂積皇子遣近江志賀山寺時但馬皇女御作歌一首

2-1-116歌 但馬皇女高市皇子宮時竊接穂積皇子事既形而御作<歌>一首

2-1-117歌 舎人皇子御歌一首

2-1-118歌 舎人娘子奉和歌一首

2-1-119歌~2-1-122歌 弓削皇子思紀皇女御歌四首 (検討中の題詞)

2-1-123歌 三方沙弥娶園臣生羽之女未經幾時臥病作歌三首

2-1-126歌 石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首

2-1-127歌 大伴宿祢田主報贈<歌>一首

2-1-128歌 同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首

2-1-129歌大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麻呂歌一首

 上記のうち、2-1-114歌は、題詞に「思」字を用いており、恋の歌の題詞ではありませんでした(ブログ2023/10/23付け参照)。2-1-115歌~2-1-116歌も同じでした(同上ブログ参照)。

 2-1-117歌と2-1-118歌の題詞は、皇族を「大夫」(ますらを)と例えることから、伝承歌を引用して舎人皇子は披露したのではないか、と推測します。そうすると、社交上の歌(宴席での歌)と推測できます。そうすると、検討中の2-1-119歌~2-1-122歌の題詞は留保しますが、前後の題詞はみな、恋の歌の題詞ではありません。

 巻二の部立て「相聞」にあるすべての題詞を対象にしても、婚姻が整っていることを明記しているものがありますが、男女が正式な婚姻していない間柄のときに交わしたと理解可能な題詞と認められる題詞は、2-1-107歌の題詞(大津皇子石川郎女御歌一首)から2-1-110歌の題詞(日並皇子尊贈賜石川女郎御歌一首)までの石川郎女と石川女郎にまつわる題詞だけです。これら4首のうち皇子の歌は伝承歌の引用であり、社交上の歌(宴席での歌)の可能性が高い。また、弓削皇子と紀皇女の婚姻は史書に記されていません。

 そのため、題詞の配列からは、2-1-119歌~2-1-122歌の題詞も、前後の題詞と同じく、恋の歌の題詞ではない可能性が高く、紀皇女を思って作った歌であっても、紀皇女におくった歌ではない、といえます。

⑭ 社交上の歌であっても恋の歌であっても、弓削皇子が、紀皇女に歌をおくったとすれば、ストレートに「(弓削皇子)贈紀皇女歌」と巻二の編纂者は作文してもよいのに、それを避けています。このような作文の題詞としたのには編纂者には、配列上何か理由があったのではないか。

 題詞を無視してこの歌を理解すると、上記⑨に指摘したように恋の歌の可能性が高い。そして無名の人物が作者である作業歌であり、また、それを引用して皇子が皇女におくるのに五句にある「玉藻刈り」をそのまま皇女にお願いするのは違和感がありすぎます。だから、この歌は、紀皇女以外の人物におくった(披露した)歌であって、表面の意は、誰かの恋の歌であっても、何らかの暗喩など含意している歌であり、その含意している事柄が題詞の「思」字に関係があるのではないか。

 このため、題詞にある「思」字の意は、上記②で示した作業仮説の範疇の意であって恋する意ではない、と言えます。

⑮ ここまでの検討をまとめると、次のとおり。

 第一 2-1-121歌は、題詞のもとにある歌であるので、紀皇女が関係する事柄を弓削皇子が詠んで紀皇女以外の人物におくった歌である。少なくとも巻二の編纂者の作文した題詞は、この理解が可能である。

 第二 巻二における部立て「相聞」の配列から、恋を語る歌の可能性はない。「片恋の歌」という理解は誤りである。

 第三 この歌のように皇女が玉藻を刈り取るのは非現実的であり、弓削皇子は暗喩のために伝承歌を利用している可能性がある。

 第四 現代語訳(試案)は、次のとおり。

 「もし夕方ならば(あるいは夕方なら(と仮定すると))、潮はきっと満ちてくるだろう。住之江にある浅鹿の浦において、貴方に玉藻を刈りとってほしい。」(仮に、ある行為を成すに適した時期となれば、そのとき、貴方にはある特定の場所である行為をしてほしい。) (2-1-121歌改訳(試案)と呼ぶことにする)

「ある行為」は今のところ不明である。特定の場所も不明である。

 第五 題詞にある用字「思」の意は、予想どおり、(上記②の第二に述べた)作業仮説のとおりであった。

⑯ ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、同じ題詞のもとにある2-1-122歌を検討します。同じ題詞のもとにある4首の整合性は後程検討します。

(2023/11/20  上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集その214萬葉集弓削皇子の歌その2(恋歌確認25歌 )

 前回(2023/11/6)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~6.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。3-4-25歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-120歌である。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

7.再考 2-1-120歌 その1

① 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」という題詞のもとにある(類似歌を含む)4首を検討中であり、今回はその2首目の2-1-120歌を再考します。

 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

2-1-120歌 題詞 弓削皇子思紀皇女御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)

    歌本文 吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾

わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

② 題詞は、「弓削皇子の紀皇女を思ふ御歌四首(2-1-119歌~2-1-122歌)」と読み下し、現代語訳(試案)は「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)」としました(ブログ2023/11/6付け「5.⑤」参照)。

題詞の漢字「思」字の意は、作業仮説として、

「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろう」(ブログ2023/11/zz付け「5.⑥」)

をたてています。

 また、皇子と皇女の恋愛は、皇位継承問題に絡みやすく制約の多いものであることに留意する必要があります。

③ 歌本文の語句について検討します。

 二句にある「恋乍不有者」(こいつつあらずは)という語句を用いている歌は、『萬葉集』に多数あります。既に検討した2-1-115歌もそうです。弓削皇子には、もう一首、この語句を用いた歌が『萬葉集』にあります。

2-1-1612歌 弓削皇子御歌一首  (巻八 部立て「秋相聞」)

秋芽之 上尓置有 白露乃 消可毛思奈万思 恋管不有者

あきはぎの うへにおきたる しらつゆの けかもしなまし こひつつあらずは

 また、初句と二句の訓が同じで作者が未詳の歌が、1首あります。

2-1-2775歌 寄物陳思  (巻十一 部立て「寄物陳思」)

吾妹子尓 恋乍不有者 苅薦之 思乱而 可死鬼乎
わぎもこに こひつつあらずは かりこもの おもひみだれて しぬべきものを

 

④ 「こひつつあらずは」という語句は、少なくともふたつの理解が可能です。

動詞「こふ」に2意あります。「a恋ふ。b乞ふ・請う」です(『例解古語辞典』)。

連語「ずは」(打消しの助動詞「ず」+接続助詞「は」)に2意あります。「a「ず」を強めていう。・・・ないで。b「順接の仮定条件を表す。もし・・・ないなら。」です(同上)。

 だから、「こひつつあらずは」とは、

第一案 「ず」を強めていると理解する場合:「もう、恋い続けないで」あるいは「もう乞うことをやめて」

第二案 順接の仮定条件と理解する場合:「もし、乞うことをやめたなら」あるいは「もしも、恋続けることをしないならば」

の2案があります。歌本文での万葉仮名では「こひ」という音に対して漢字「恋」字を用いていますので、「乞ふ」の意でも恋愛感情に関することになるのではないか、と思います。

⑤ 次に、三句にある「秋芽」(あきはぎ)とは、『萬葉集』においては、散るものの代名詞として歌に詠まれています。散るとは、恋の終り(失敗)ともアプローチの終り(成功)とも重なります。

五句にある連語「あらまし」は、事実とは異なる状態を想像し、そうあったらよいのに、という気持ちを表わします(同上)。だから、その状態は、(実現したら)作者にとり悲惨な状態ではない、ということになります。

 五句にある「(あらまし)を」は間投助詞で詠嘆の意を表します。

⑥ 題詞を無視した場合の歌本文の現代語訳を、「ずは」の2案(上記の第一案と第二案)、「散る」の2案(恋の失敗のaと成功b)を考慮し試みます。

 第一案a「いとしい貴方に、もう、恋いつづけることをしないで、秋ハギの咲いて散ってしまった花のようになりたいなあ(それが私になかなかできないなあ)。」

 第一案b「いとしい貴方を、乞う(求めること)などはもうしないで(もう終わりとして)、秋ハギが咲いたら散るという花であるように、貴方もなってほしいのだがなあ(私はそのように願っています)。」

 第二案a「いとしい貴方に、もしも、恋続けることをもうしないならば(貴方へのアプローチを諦めるならば)、秋ハギの咲いて散ってしまった花に譬えられるようになりたいなあ(きっぱりとあきらめられたらいいなあ)。」

 第二案b「いとしい貴方に、もしも、乞う(求めること)などをもうしないならば、秋ハギの咲いて散ってしまう花に、貴方がなるものだろうか。」

この第二案bは、いままで叶えられなかったのはしつこいアプローチが理由ということになり、空しい期待ではないでしょうか。

このため、これらのうちで、事実とは異なる状態を想像し、それが一番悲惨ではないのは、第一案bです。

⑦ 初句~二句より、作者は相手と相当の遣り取りがあったうえでこの歌をおくるということになったと推測できます。返事が全然ない状況ではないということで、単にじらされているか、競争させられている状況で、この歌を相手におくったものと推測できます。

 巻一~巻四には、語句「こひつつあらずは」と詠う歌が6首あります。歌本文をみると、この歌以外は、「こひつつあらず」という状況について、

一緒になれないなら死んだほうがましだ(2-1-86歌)

離れていているより近くに居たい(2-1-115歌、2-1-547、2-1-729歌)

貴方に無関心でいたかった(2-1-725歌)

と詠っています。

 初句と二句が同じ語句である巻十一の2-1-2775歌は、死んでしまう、と詠います。

 作者が弓削皇子とある巻八の2-1-1612歌は、しらつゆを例にあげ、死んだほうがましだ、と詠います。

 これに対して2-1-120歌は、第一案bであれば、3首もある「離れていているより近くに居たい」という願望を述べるタイプと同類です。

 このように、第一案bは、「「こひつつあらずは」と詠う歌として特異な理解ではない、と言えます。さらに、「乞う」を「恋ふ」と理解したほうがよい、と思います。

前回(ブログ2018/7/16付け)における現代語訳(試案)は、恋を成就するために相手におくる歌なのだから、自分が諦めるかのような歌よりもあくまでも相手の心変わりを期待する歌をおくると推測して、(題詞のもとにある歌本文としては)次のようなものでした。

「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」 

民謡であれば詠い返し、同じ相手との歌の応答を続けようとする、と思う、という理由でした。

これは、第一案bの意訳の一例となっています。

⑧ 次に、題詞のもとにある歌本文として検討します。

 作者弓削皇子が、紀皇女を「思」って詠んだ歌と題詞にあります。(「5.⑦」で指摘したように)二人は、同世代の皇族であり、恋愛は制約が多く難しいものの紀皇女の悩み事を弓削皇子が聞いていたりしている時の歌である可能性はあります。あるいは紀皇女の置かれている立場に起因する問題が発生した時の歌である可能性があります。つまり、紀皇女自身の悩みあるいは皇女が外部の事情に巻き込まれる場合の悩みです。

 そのため、初句~二句「わぎもこに こひつつあらず(は)」とは、「誰かが、貴方に「こひつつあらず」ということについて」と作者弓削皇子が紀皇女に問いかけている、という理解が可能です。三句~五句「あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを」とは、「その誰かは秋ハギの花がすぐ散るような立場になってほしい」(皇族である貴方の周りが、その誰かが諦めるよう動いてくれたらなあ)、と弓削皇子は詠っているのではないか。

 初句~二句にある「わぎもこに こひつつあらず」とは、引用文である、という理解です。そして、紀皇女は誰かを峻拒していないが、文の遣り取りをしない訳ではない、という状況が続いているか、外部の事情に巻き込まれているということを作者は承知している、という認識を表している、という理解です。

 現代語訳を試みると、次のとおり。

 「親愛なる貴方に、どなたかが「こひつつあらず」という状況だそうですが、秋ハギのような咲いたらすぐ散る花になってほしいですね(諦めてくれるといいですね)。」 (2-1-120歌現代語訳改定試案)

⑨ さて、題詞にある「思」字の意です。上記の初句~二句に引用文があるとみる現代語訳(試案)は、事前にその間の事情を弓削皇子と紀皇女が共有する状況であれば、不自然な理解ではありません。作者弓削皇子と紀皇女の間の今喫緊の問題を抱えている恋の歌ではない、と言えます。

 そのため、「思」字は、「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」とか「心配する」意に通じているのであろうと推測した作業仮説は成立します。

⑩ この題詞のもとにある4首の歌の整合性は、後程検討します。この歌についての土屋文明氏と伊藤博氏の理解も、4首の検討後に触れることとします。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。次回は2-1-121歌を検討します。

(2023/11/13  上村 朋)