前回(2024/1/8)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第27歌です(あわせて6歌と7歌も)。
1.経緯
2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-27歌は、「第六 逆境深まる歌群」(2首 詞書2題)に整理している。3-4-26歌まですべて、類似歌とは異なる歌意の恋の歌(付記1.参照)であることを確認した。3-4-27歌の類似歌は『萬葉集』の2-1-1144歌である。
歌は、『新編国歌大観』より引用する。
2.再考 3-4-27歌 その1 詞書と歌本文の見直し
① この歌と次の歌(3-4-28歌)は、前後の歌と違い、恋という人事を直接詠っていません。それでこの2首で一つの歌群を成すとして、ブログ2020/6/1付けで第27歌の現代語訳(試案)の別訳を得ました。
さらに、詞書にある助動詞「けり」を再考し、そのうえで恋の歌(付記1.参照)であるかどうかを確認します。
恋の歌に見立てるには、
第一 暗喩が詞書や前後の歌との関連からも認められ、その暗喩によりこの歌を恋の歌と推測できる、
第二 恋の歌のタイプには、相手を恋い慕う歌、連れない態度を咎める歌、あるいは失恋中の心証風景の歌乃至一方の人の死によって終わった際に詠った歌がある。この歌は、そのいずれかに該当する。
第三 当然類似歌と歌意が異なること
となれば可能である、と言えます。
② 『猿丸集』の第27歌とその類似歌は、次のとおり。
3-4-27歌 ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりける
しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして
3-4-27歌の類似歌 2-1-1144歌。 摂津作(摂津にして作りき よみ人しらず
志長鳥 居名野乎来者 有間山 夕霧立 宿者無而
しながとり ゐなのをくれば ありまやま ゆふぎりたちぬ
やどりはなくて
③ 下記の検討をした結果、詞書にある「けり」は、気付きの気持ちの意を表しており、その気付いた内容から恋の歌となりました。また、次の歌も、詞書に「けり」があり、同様に恋の歌となる、と予想します。
また、3-4-27歌と同じく「しながどり」を詠み込む3-4-6歌と3-4-7歌の理解も深まりました。
なお、上記①にいう第27歌の現代語訳(試案)の別訳は、詞書にある「けり」の理解が足りませんでした。
④ 詞書より検討します。
詞書にある「きり」は、大方は霧の意と理解できます。そのほかに、チョウやガの鱗粉の意がある(『例解古語辞典』)ので、上記別訳を得ました。チョウなどの羽の模様を作っているのが鱗粉であり、水をはじき、光を反射し、微細な凸凹により羽ばたくときの空気抵抗を大きくしています。
歌本文四句にある「ゆふぎり」の「きり」も同じ意になるはずです。
なお、山にかかる霧(雲)のような場合、霧がただよう山肌に立つ者からは霧と認識されても、麓から山をみている者からは雲と認識されるようなことがあります。霧であれば作者の近くに生じているもの、と言えます。
⑤ 「第六 逆境深まる歌群」とした詞書2題を、比較します。
表 3-4-27歌と3-4-28歌の詞書の比較 (2024/1/26現在)
詞書を構成する文の区分 |
3-4-27歌の詞書 |
3-4-28歌の詞書 |
文1 |
ものへゆきけるみちに |
物へゆきけるみちに |
文2 |
きりの |
ひぐらしの |
文3 |
たちわたりける |
なきけるをききて |
共通にあるのは、文1は、すべてであり、文2は、助詞「の」、文3は、助動詞「けり」です。
そして、異なるのは、得た情報の種類(視覚と聴覚)であり、「きりがたつ」と「ひぐらしがなく」ということです。
これらの詞書のもとにある歌が恋の歌であるならば、その得た情報は、恋に関するなにかを示唆するか暗喩しているのではないか、と予想します。
⑥ 共通にある語句について確認します。
文1の「もの」とは「出向いてゆくべきところ」を莫として言います。
文1は、ゆくべきところ(外出の目的地)が文2以下の記述に関係していないのであれば、要するに外出中に、ということを言っているだけです。
ゆくべきところが文2以下の記述に関係していれば、特に名を秘すところに行く途中に、ということを意味します。
⑦ 助動詞「けり」の意は、
a「ある事がらが、過去から現在に至るまで、引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表す。・・・てきたなあ。・・・ていることだ」とか、
b「ある事がらが、過去に実現していたことに気がついた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・たなあ。・・・たことだ。」
c「今まで気づかなかったり、見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・なあ。・・・ことだ。」
などの意があります(『例解古語辞典』)。
また、文1にある接続助詞「に」は、あとに述べる事がらの出る状況を示しています。そして「みちに」により、文1は、文2以下に記されている事がらが、偶然のことであることを示唆しているのではないか。
⑧ 3-4-27歌の詞書に関して言うと、「きり」の発生そのものよりも、「ある状況下においてきりがたちわたる」というのを目撃したこと、さらに、目撃したその「きり」の状況からとっさに作者特有の何かを連想したことは、想定していたことではないであろう、と思えるからです。
「けり」の意は、目撃して、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表している(上記のcの意)と推測します。それが文3の「けり」です。
そうであるから、連想に至ることになった「ものにゆく」という行為の意義にも、振り返ってみてはじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちの「けり」(上記のcの意)を用いている、と推測できます。それが文1の「けり」です。
⑨ はじめてはっときづいたことは、歌本文に具体に(あるいは示唆として)表現されているはずです。
詞書は次の仮訳とし、歌本文を検討した後、改めて詞書の現代語訳を試みます。
3-4-27歌の詞書:「あるところへ行く途中において、「きり」が立ちこめているのであった(それを詠んだ歌)」
⑩ 詞書のもとにある歌本文を、検討します。用いている語句を、最初に確認します。
初句「しながどり」とは、水鳥のカイツブリです。『萬葉集』の時代は「にほ」とも呼ばれています。いつも雌雄でいる鳥で雌雄交代で抱卵します。流れの緩やかな河川や湖沼や湿地に生息しています。
『萬葉集』には「しながどり」の用例が5首あります。みな「ゐな」にかかる枕詞でした。
「ゐな」は、『萬葉集』歌においては、「動詞「率る」(引き連れる)の未然形+終助詞「な」(上代語であり誘う意)」です。「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意(ブログ2018/8/27付け「3.③」参照)があります。
三代集には『拾遺和歌集』の1首(1-3-586歌)のみです。部立て「神楽歌」にあり、詞書は無く、3-4-7歌の類似歌のひとつです(ブログ2018/3/19付け参照)。
⑩ 『猿丸集』は、このように用例の少ない三代集の時代からその直後の時代までのある時点に編纂されたと推測されていますが、3首の用例があります。
『猿丸集』歌が『萬葉集』歌の理解に資しているこれまでの例から、この「しながどり」は『萬葉集』の時代の「しながどり」の意を継いでいる用例かと推測します。2首は、「なたちける女のもとに」という詞書のもとにある歌であり、3首目がこの歌です。
残りの2首には、つぎのようにあります。
3-4-6歌の初句~三句が、「しながどりゐなやまゆすりゆくみずの」 (類似歌は2-1-2717歌の一伝)
3-4-7歌の初句~三句が、「しながどりゐなのふじはらあほやまに」 (類似歌は1-3-586歌及び『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』(かぐらうた)にある一首)
ともに、「しながどり」は「ゐな」の有意の枕詞となっていました(ブログ2018/3/12付け及び同2018/3/19付け参照)。
また、「ゐなやま」という名詞は(「ゐなの」という名詞とともに)『萬葉集』歌にあり、「ゐなのふじはら」は、無く、「ゐなのふし原」は、『拾遺和歌集』歌にあります。
⑪ 「の(野)」には、一般に、「野原・広い平地」の意と、「特に、火葬場としての野原。墓地」に限定した意があります(『例解古語辞典』)。
このため、二句にある「ゐなの」とは、「猪名野」(地名)のほか「違な野(原)」とも理解でき、「火葬風葬の地」(平安時代で言えば鳥辺野と称される地域など)を指すことができます。当時洛中では火葬が禁止されていました。
「しながどり」は、猪名野のほかに、「ゐな・・・」と表記する、猪名川、動詞句「率な」、形容詞「違なり」を修飾することができる語句と言えます。
⑫ 三句「ありまやま」とは、「有間山」(猪名野から望める有馬方面にみえる山々)と「在り ま山」((行けば)在り、真(接頭語)山)の理解があることを既に指摘しました(ブログ2020/6/1付け「6.」参照)。
違な野(「火葬風葬の地」)にある「山」とは、遺骨を積み上げて小山状になっているのを言うか、これから火葬すべき死体とそれを包む木々からなる小山を言うかのどちらかではないか。
この歌では、「きり」と結び付けて理解してよいので、「きり」が煙のようなものを意味するならば、後者が有力となります。
そうすると、「まやま」の「ま」とは、中間にはさまれた一続きの空間や時間を指す名詞「ま」(間)であり、「ある物の存在している空間・きわ(際)」の意(『例解古語辞典』)として、本来の野原にあるものではないものからなる小山状のものがある場所を「まやま」と言っているのではないか。
火葬すべき死体とそれを包む木々からなる小山を、「有間山」という語句で暗喩する用例は知りません。
火葬者への思い入れがない「間山」は、「まやま」の「ま」を接頭語の「真」(真実、正義、純粋などの意を添えるとかほめたたえる意)をつけてその小山を言うとする理解よりも、火葬の現場に相応しいネーミングだと思います。
⑬ また、五句にある「とも」は名詞であり、ブログ2018/8/27付け(「6.⑥」)で指摘したように「一団の人々、連中」(『例解古語辞典』)の意で、火葬に立ち会う人々を指します。なお、火葬の火の始末・火の用心はプロの人が当然行っています。
そうすると、「ゆふぎり」とは、幾つかの火葬が現に行われ、それらに伴って昇る煙を指していることになります。
このため、詞書にある「きり」は、「(鳥辺野のような火葬風葬地での)いくつかの火葬の煙」を見立てた表現と言えます。そして、歌本文にある「ゆふぎり」は、「日暮れ時にみたところの霧」つまり「夕日のまだある時間帯に生じている霧」であり、夕日と「火葬の煙」が交錯しチョウやガの舞っているように見えた状況の形容でもあると言えます。
⑭ 改めて3-4-27歌を理解しなおすと、歌本文は3つの文から成っています。
初句 しながどり :「ゐな」という表記の枕詞
二句~三句 ゐなのをゆけばあり ま山
:違な野である火葬の地の野原をゆくと、いくつかの「ま山」がある
四句~五句 ゆふぎりたちぬともなしにして
:煙が立ちのぼっている。それは「きり」にみえる。見守る人もなく。
詞書にある「ものへゆく」とは、作者が、誰かの火葬にたちあう等のための外出のことではないか。火葬の地を通り抜けてその先に外出の目的地があるとは思えません。
作者は、火葬風葬の地に向かい、それを一望できる地点に至って目にした光景を、詠っているのではないかと思えます。
歌本文に、詞書にいう「ものにゆく」ことになったから「きり」を見た、と具体的に詠んでいました。
このように理解すると、この歌は、作者が視覚に捉えた状況から触発された感慨をも示唆できるよう選んだ語句からなる歌である、と理解できます。
夕日で映える煙を、複数のチョウの乱舞とみて、相思相愛の二人の逢う瀬に見立て、「ともなし」を「邪魔をする者がいない」意を暗喩させているのではないか。
⑮ このような理解をして、現代語訳を試みると、次のとおり。
詞書は、上記⑨に基づきます。
詞書: 「あるところへ行く途中において、霧が立ち込めているのであった(それを詠んだ歌)」 (第27歌の詞書別訳その2)
歌本文:「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰナ」につながる猪名野ではない違な野を行くと、木々で造られた小さな山々があり、それから夕霧のように煙が漂っている。しかし立ち会う人々は見当たらない。(それはチョウが舞っているかにもみえる。違な野でも誰にも邪魔されずチョウは群舞している、意志を貫いているのだ。)」(第27歌の歌本文別訳その2)
⑯ この歌の作者は、縁者の火葬の立ち合いに来たところ、日が傾くなかでいくつかの火葬の煙が漂っている光景に接して、意を強くしたことを詠っています。
この歌は、恋の相手ではなく、妨げる人などへ示した歌なのでしょうか。
作者は、恋の相手との逢う瀬を誰に妨げられることなく持ちたい気持ちが変わらないのでしょう。チョウの乱舞と錯覚した火葬の煙にその気持ちを重ねています。それは、恋の歌である、と言えます。
3.再考 2-1-1144歌
① では、五句だけが異なる類似歌は、見直しが必要ないか、を確認します。
2-1-1144歌は、旅中を作詠した歌として、疑問があります。
第一 作者は官人と思われるので、「ゐなの」に宿がないのは承知しているはずである。「ゐなの」という野原に「やどり」は無い、とわざわざ言うのは、どこかおかしい。
第二 夕方「ゐなの」を通過する行程など官人は計画しない。作者はなぜ夕方に「ゐなの」を通過することになったのか。
第三 「ありまやま」と通称される山は現在の山名にも見当たらない(ブログ2018/8/27付け「3.⑤参照」)。そして、遠方の山に(雨雲でもない)薄雲がかかろうと、行程に影響はない。「ありまやまにゆふぎりがたつ」のと「やどりはない」ことの関係がわかりにくい。
これらは、『萬葉集』歌に対する疑問ですが、『萬葉集』の編纂者の手元にあるこの歌の元資料となった歌に関する疑問でもあります。
② 『萬葉集』の配列から検討します。類似歌は 『萬葉集』巻第七の部立て「雑歌」にあります(巻七の「雑歌」は、巻一と巻三の部立て「雑歌」と違う趣旨かどうかは今不問とします)。
「雑歌」における題詞は、いくつかのグループにわけ順に配列されている、と諸氏が指摘しています。最初に、詠物による配列として題詞は「詠天」から始まり、「詠倭琴」まで、次に旅中の地による配列として、4題、次に表現や発想の仕方での配列として、題詞「問答」以下があります(ブログ2018/8/27付け「2.①」参照)
③ 旅中の地による配列の4題とそのもとにある歌数は、順に「芳野作」に5首、「山背作」に5首、「摂津作」に21首及び「羈旅作」に90首です。
畿内の地域名を用いた前3題の各歌には、当該地域内の地名(あるいは山川の名など)を原則ひとつ詠みこんでいます。例外は題詞「摂津作」のもとにある最初の歌と最後の歌であり、二つの地名を詠み込んでいます。
最初の歌2-1-1144歌には、「居名野」(ゐなの)と「有間山」(ありまやま)です。
最後の歌2-1-1164歌には、「難波方」(なにはがた)と「淡路嶋」(あはぢのしま)です。
地名などが詠まれていない歌も1首(2-1-1156歌)あり、海未通女の船による藻刈を詠んでいます。摂津の多くの浦にある光景を詠っている、といえます。
なお、「摂津作」の「摂津」とは地理的には「津国と難波京の範囲」として検討しています(ブログ2018/8/27付け「2.④」参照)
④ 最後の題詞「羇旅作」のもとには、2-1-1165歌以下、地名を詠みこまない歌が多数ありますが、詠みこんだ場合は畿外の地名を原則ひとつ詠みこんでいます。
例外もあり、畿内の地名を詠み込む次のような歌もあります。その歌の作者の居る位置は船中がほとんどであり、畿内の地名により、望郷などの歌意を明確にしています。
2-1-1170歌 作者は真野の近くを通過中か。 (畿内の)真野を詠みこんでいる。
2-1-1185歌 船出の際の歌であり、(畿内にある)龍田山を詠みこんでいる。
2-1-1189歌 作者は船中に居り、遠ざかる(摂津の)三津乃松原を詠み込んでいる。
2-1-1193歌 作者は船中に居り、(四長鳥)居名之湖(摂津)を詠みこんでいる。
2-1-1194歌 作者は船中に居り、停泊した名子江の浜(摂津・住吉の名児か)を詠み込んでいる。
2-1-1226歌 作者は船中に居り、粟島と明石門を詠みこんでいる。明石門は畿内の西端である。
2-1-1233歌 作者は船中に居り、明石之湖に泊まろうと詠う。ようやく畿内に戻った際の歌か。
2-1-1244歌 作者が見諸戸山(大和の三輪山か)近くを通過中。五句は望郷の念か、妻のことか。
2-1-1245歌 作者は玄髪山を越えて行く。玄髪山は未詳。残してきた妻を詠うか。2-1-1244歌と連作の歌か。
⑤ また、題詞「羈旅作」のもとには、地名を二つ詠み込んでいる歌が9首あります(付記2.参照)。それらの歌は、すべて、二つの地名を詠み込むことにより、歌意が明確になっています。
例えば、
2-1-1180歌 足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念
あしがらの はこねとびこえ ゆくたづの ともしきみれば
やまとしおもほゆ
2-1-1182歌 印南野者 往過奴良之 天伝 日笠浦 波立見
いなみのは ゆきすぎぬらし あまつたふ ひかさのうらに
なみたてりみゆ
2-1-1205歌 玉津嶋 能見而伊座 青丹吉 平城有人之 待問者如何
たまつしま よくみていませ あをによし ならなるひとの
まちとはばいかに
2-1-1234歌 千磐破 金之三崎乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須売神
ちはやぶる かねのみさきを すぎぬとも われはわすれじ
しかのすめかみ
⑥ このような題詞「羈旅作」のもとにある用例から推測すると、題詞「摂津作」のもとにある歌で地名を二つ詠みこんでいる2首も、それにより歌意を明確にしているのではないか。
題詞「摂津作」の最後の歌2-1-1164歌の歌本文は、次のとおりです。
なにはがた しほひにたちて みわたせば あはぢのしまに
たづわたるみゆ
歌意は明確です。
最初の歌2-1-1144歌に詠み込まれた居名野と有間山にも対比などがあるのではないか。
居名野は、駅が設置されておらず、官人が宿泊すべき設備がないところです。それに対して、居名野からみえる有間山(有馬山)の向こう側には、宿泊すべき有馬温泉があります。
そうすると、「有馬山に夕霧がたつ」の「夕霧」は、湯煙をイメージしていると理解できます。
⑦ そうであるならば、二句にある「居名野」(ゐなの)は、当時の(堤防などない)猪名川や淀川の河川敷を含んだ水鳥の生息地でもある、津国にある広大な野原の名として詠み込まれており、初句「志長鳥」に修飾されて意が重層的になっているだけの語句と言えます。「違な野」の意は重ねられていません。
そして、五句「やどりはなくて」は、有馬温泉のある有馬の地との対比を前提にしているのではないか。
⑧ 2-1-1144歌の歌本文は、4つの文からなる歌とみなせます。直訳的な現代語訳も示すと、つぎのとおり。
初句 しながとり :「ゐな」という表記の枕詞
二句 ゐなのをくれば :「ゐなの」に来ると
三句~四句 ありまやま ゆふぎりたちぬ :有馬山に夕霧がたっていた(山のむこうの有馬温泉は湯煙があがっているのだろう)
五句 やどりはなくて : それにひきかえ 「ゐなの」はその名にふさわしくなく、泊まるところはなくて。
この歌は、「居名野」の広さ・荒涼さを示す一種の土地褒めの歌として巻七の編纂者は配列しているのではないか。
⑨ 改めて現代語訳を試みると、
「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰナ」につながる猪名野に来ると、(正面の)有馬山に夕霧が立った。猪名野には確かに泊まるところはないなあ (山のむこうの有馬の湯は湯煙があがっているが、猪名野はその名にふさわしくなく、広いだけだなあ。)
上記①で指摘したように、2-1-1144歌の見直しは必要であり、それを行った結果、同じく指摘していた疑問は解消しました。
このような現代語訳に改訳したい、と思います。
⑩ ちなみに、土屋文明氏は、この歌について、「「宿りは無くて」は類型的だが、全体は淡々とした旅愁をあらはし得ている。」と指摘して、「夕霧」としている理由には触れていません(『萬葉集私注』)。
伊藤博氏は、「日暮れて道遠い旅愁を述べた歌。「夕霧立ちぬ」が作者の嘆きを象徴している。」と指摘しています。
なお、巻七は、全体が一つの部立て「雑歌」です。その雑歌たる所以と雑歌全体の配列の検討を割愛して今回検討しました。巻七全体のなかでの確認は宿題とします。
4.再考 3-4-27歌 その2 恋の歌か
① 類似歌も改まったので、上記「2.⑮」のように理解した3-4-27歌が上記「2.①」にあげた恋の歌に見立てるための要件を満足しているかを、確認します。
初句「しながどり」が修飾するのは二句にある「ゐな」です。「ゐな」の含意することを、作者はなんとしても叶えたいと思って詠っています。
この歌の直前にある(3-4-22歌~3-4-26歌共通の)詞書は、逢うのを妨げられている男女のうちの男が作者と記しています。3-4-27歌と3-4-28歌の詞書の次にある(3-4-29歌と3-4-30歌共通の)詞書は、昔の親密な関係に戻ることが確かになった女が作者と記しています。そうすると、3-4-27歌と3-4-28歌の詞書は、再会が出来ない状況にある恋の歌の詞書ではないか、と理解できます。
上記「2.⑮」の現代語訳(試案)であれば、3-4-27歌は、恋心を詠っている、といえます。
このため、この歌は、詞書からも「暗喩が詞書や前後の歌との関連からも認められ、それによりこの歌を恋の歌と推測できる」(要件第一))歌になり得ています。
そして、歌本文の内容が相手を恋い慕う歌であるので、「恋の歌のタイプには、相手を恋い慕う歌、連れない態度を咎める歌、あるいは失恋中の心証風景の歌乃至一方の人の死によって終わった際に詠った歌がある。この歌は、そのいずれかに該当する」(要件第二)を満足しています。
② そして、詞書の内容は、この歌と類似歌では異なり、作詠対象としている場所が異なっていることを示唆しています。そして類似歌が「しながとり」を枕詞とする「ゐなの(猪名野という名の野原)」を詠った羈旅の歌であるのに対して、この歌は、猪名野(ゐなの)と同音の「違な野」を詠った恋の歌であり、歌意が異なります。
だから、「当然類似歌と歌意が異なることも要件です」(要件第三)をも満足しています。
このように、この歌は、上記「2.①」にあげた要件をすべて満足しており、恋の歌(付記1.参照)と理解してよい、と思います。そして作者は逆境にいる、とみなせます。
5.再々考 3-4-6歌と3-4-7歌
① 3-4-27歌の確認の際、「しながどり」の意の共通性の確認のため3-4-6歌と3-4-7歌も確認しました。
「しながどり」の意は変わらなかったのですが、歌本文の理解は改めたい、と思います。
3-4-7歌の四句「ならむときにを」(いろはかはらん)を誤解していました。「ならむ時、にを(即ち常に一緒にいるしなが鳥)」と理解すべきでした。そして五句にある「いろ」とは、「色彩」とか「美しさ・華美」ではなく、「恋愛・情事」とか「顔色・態度」の意でした。
② 詞書と歌本文を引用します。
詞書 なたちける女のもとに (3-4-6歌の詞書に同じ)
歌本文 しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん
③ 詞書にある「な」(名)とは、噂の意です。
歌本文を、漢字仮名混じりで表記し、その句の概要を記すと、
しなが鳥 :「ゐな」にかかる枕詞
ゐなの冨士原青山に :「率な」とさそう駿河国の富士山の野原が(噴火によって)あをやま(新しい山即ち新しい恋人)に
ならむときにを : なったとしたら、にを(しながどり)の
いろはかはらん : 顔色が変わるだろう(貴方を許さない)
となります。
④ 現代語訳を改めて試みると、次のとおり。
「しながとりが「率な」と誘う野原が猪名の柴原(ふしはら)から富士の裾野の原になり、その野原が(噴火によって)あをやま(新しい山即ち新しい恋人)になったとしたら、にを即ち(あなたと番である)しながどりの顔色が変わるだろう(貴方を許さない)。」(7歌別訳)
この歌は、女を慰めている歌というよりも、心変わりを咎めている歌となります。
⑤ 同じ詞書のもとにある3-4-6歌は、通常追い払うべき悪鬼(儺)がわめいているのは迷惑なことですので、作者が、相手に同情しているあるいは励まそうとしている歌と理解しました。表面はそのとおりですが、恋の競争相手を「悪鬼」に例えているのですから、相手を強敵とみているというよりも、その悪鬼を既に女が選んでいると作者は思い込んでいるのかも知れません。
この歌は、作者を捨てたらただではすまさないぞ、と婉曲に言っていると、理解できます。
この理解のほうが、共通の詞書のもとにある3-4-7歌と平仄があいます。
⑥ このような3-4-6歌と3-4-7歌の理解に改めても、ともにそれぞれの類似歌とは異なる歌意である恋の歌です。
「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
次回は、 『猿丸集』の第28歌(3-4-28歌)を確認します。
(2024/1/29 上村 朋)
付記1.恋の歌の定義について
① 恋の当事者の歌に限らなくとも、広く「恋の心によせる歌」から『猿丸集』は成っており、その広く「恋の心によせる歌」を、「恋の歌」と名付け、ブログ2020/7/6付け「1.及び2.」で定義している。
② 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。
第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること
第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること
第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと
第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと
③ 『猿丸集』は、編纂者によって部立てが設けられていない。勅撰集にある部立ての「恋」の定義を離れて、恋の歌の独自の定義が『猿丸集』歌には可能である。
付記2.万葉集巻七における題詞「羇旅作」のもとにある歌で、地名(あるいは山川の名など)を二つ詠み込んでいる歌は、9首あり、『新編国歌大観』の歌番号等で示せば、次のとおり。
2-1-1167歌 2-1-1180歌 2-1-1182歌 2-1-1202歌 2-1-1205歌 2-1-1207歌 2-1-1208歌 2-1-1226歌 2-1-1234歌
(付記終わり 2024/1/29 上村 朋)