わかたんかこれ 猿丸集その213 恋歌確認25歌 萬葉集で昔を振り返る但馬皇女

前回(2023/10/16)に引きつづき『猿丸集』歌の第25歌の再確認を続けます。

1.~3.経緯

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定を行い、3-4-25歌は、「第五 逆境の歌」の歌群に整理している。3-4-24歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌であることを確認した。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

4.再考 類似歌 2-1-120歌のための2-1-114歌の検討

① 『萬葉集』の巻二にある題詞の「思」字を再検討中です。

 題詞での「思」字は、編纂者ごとに共通の意で用いられている、と予想しています。そのため、巻二にある2-1-120歌以外の題詞の「思」字の検討を先行させています。そのひとつ2-1-114歌に関して検討します。

② 題詞と歌本文を引用します。部立ては「相聞」です。

 2-1-114歌  但馬皇女高市皇子宮時思穂積皇子御作歌一首

秋田之 穂向乃所縁 異所縁 君尓因奈名 事痛有登母

あきのたの ほむきのよれる かたよりに きみによりなな こちたくありとも

 この歌の題詞は「思」字を用いて作文されています。この歌から2-1-116歌までは、題詞に、但馬皇女の「御作歌」と連続してあり、一つの歌群とみなせます。題詞にある「在高市皇子宮時」は、2-1-116歌の題詞にもあります。

③ 題詞は、前回のブログ(2023/9/4付け)での「在」字の検討を踏まえ、次のような読み下し文と現代語訳(試案)が得られます。

 「但馬皇女高市皇子宮に在りし時、穂積皇子を思う御作歌一首」

 「但馬皇女高市皇子の宮にある時居って、穂積皇子を思い、作られた(あるいはつくらせた)御歌一首。」(2-1-114歌題詞(試案))

 漢字「在」字は、「ある(a存在する bいる(在住) c生きている d・・・にある)」とか「明らかにする」の意があります。国字としては「います(ある・いるの敬語)の意があります(『角川新字源』)。 「居住」していた場合以外に一時滞在していた場合も表現できる漢字であり、その意に理解します。

④ 漢字「思」字は、動詞の場合「おもふ」と訓み、「aかんがえる。はかる。bねがう、のぞむ。(思身) cしたう。dおもいやる、追想する。(思詠) eあわれむ、かなしむ。(思秋)。」の意があります。

「おもふ」の同訓異義の説明では、「思」に「くふう・思案する・思いしたう・思慕」とあり、「念」は「心の中にじっと思っていて、思いがはなれない・胸にもつ」、「想」は「おもいやる・思いうかべる」とあります。

 2-1-114歌の題詞にある「思」字の意を、諸氏の多くは「cしたう」と理解して、この題詞は「恋の歌」のものと理解しています。しかし、上記のように「aかんがえる」あるいは「dおもいやる、追想する」という理解も可能です。同訓異義の説明に従えば、「思いしたう思慕」のほかに「くふう・思案する」の理解もあるということです。

 また、相聞歌とは、一般に、相手と歌の遣り取りをしている歌なので、相手の歌があれば、言外の意がくみ取りやすいうえに相手の人物も特定しやすくなります。しかし、そのような歌が2-1-114歌には無いので、歌の配列や題詞と歌本文から言外の意と歌をおくった相手を想定するほかありません。

 このため、題詞から相手を推測しようとすると、おくった相手の名を明記していませんので、「思」字がもし恋心を指すのであれば「思穂積皇子」から、第一候補は穂積皇子と想定できます。「思」字は別の意も示し得るので、その場合別の人物が候補となり得ます。

⑤ そのため、題詞以外歌本文や歌の配列にヒントを求めなければなりません。歌本文の理解を、題詞を無視して一度検討してみます。

 この歌本文は、二つの文からなります。四句の末尾「な」が、完了の助動詞「ぬ」の未然形につき文を言い切っている(上代語の)終助詞「な」であるので、初句~四句からなる一文と、五句のみの一文に分かれます。

 その終助詞「な」には、次の意があります。

a自分自身の願望・意志を表す

b呼びかけ・勧誘を表す

c相手に対する期待・願望を表す

 これから、初句~四句からなる最初の文の意は、歌本文だけでは1案に絞り込めない可能性があります。

⑥ 最初の文の主語は、四句にある「君尓因」より、明記していませんが作者である、とわかります。

 あとの文の主語は、五句にある動詞「有」により、明記されていない「それ」ではないか。具体的には何を指しているか推測しなければなりません。

 そのほかの、いくつかの語句の意の確認をしておきます。

 まず、「よる」と発音する語句が歌に三か所あります。同じ意なのかを確認します。

 二句と三句に「所縁」と表記されているのは、秋の刈り入れ頃の稲穂が田毎に一方向に頭を垂れる様子の描写に関する場面であり、それは「寄る」という動詞の意のうちの 「寄り添う・なびきよる」あるいは「もたれる・よりかかる」ではないか。

「寄る」の意は、『例解古語辞典』によれば、このほか「a近寄る・近づく b服従する c身をよせる・たよる e心が一方に向く・傾倒する」などもあります。

「よる」と発音する「撚る」((糸など)細長い物をねじって、互いにからませる」意)は、秋の稲穂の状況の描写に相応しくありません。

 次に、四句で「因」と表記されているのは、四句「君尓因奈名」(きみによりなな)という作者が「君」に惹かれているかの気持ちを詠っているところであり、動詞「寄る」の意のうち、「a近寄る・近づく c身をよせる・たよる e心が一方に向く・傾倒する」ではないか。あきらかに、「所縁」表記と意が異なっています。

 次に、五句にある「事痛(こちたし)」とは、「こと甚し」から変化したもので、程度をこえているようすを表し、「a(うわさが)やかましい bはなはだしい・おおげさだ・ぎょうさんだ」の意があります(同上)。

⑦ この歌の現代語訳を試みると、あとの文の主語が具体的には何であるかにより「事痛(こちたし)」の意に応じた主語が想定されるので、あとの文の試案は2案あります。

第一案 (「事痛(こちたし)」を「a(うわさが)やかましい」と理解する)

 「秋の田にある稲穂はなびいて一方に頭を垂れるように、ひたむきに貴方に(心も身をも)よせたい、それが噂になっていろいろ言われようとも」

第二案 (「事痛(こちたし)」を「bはなはだしい・おおげさだ・ぎょうさんだ」」と理解する)

 「秋の田にある稲穂はなびき一方に頭を垂れるように、ひたむきに貴方に心が向いてしまうなあ。それが大袈裟であろうとも」

⑧ 第一案は、貴方に惹かれていることが、たとえ噂となっても(貴方の気持ちに関係なく)心を寄せ続けたい、と詠っていると、理解しました。最初の文の主語は、作者です。あとの文の主語は、「それ」ですが具体的には「作者が「君尓因」(きみによったこと)」です。終助詞「名」(な)は、作者自身の願望・意志を表します。だから、最初の文とあとの文は、倒置文として一つの文ともみなせます。

 第二案は、貴方に惹かれる、という言い方が(その例えを含めて)大袈裟ではないか、と言われるほど素敵な方です、と詠っていると、理解しました。最初の文の主語は、作者です。あとの文の主語は、「それ」ですが具体的には「「君尓因」という状況の表現方法」です。終助詞「名」は、作者自身の願望・意志あるいは相手に対する期待・願望を表しています。

 歌における二つの文の間には一拍の間がある、といえます。そしてどちらの案でも作者の属性は不定です。そうすると、この歌は、誰もがこの歌を流用して用いることができる伝承歌の可能性もあります。

 第一案は、恋の歌と理解でき、第二案は、恋の歌とも、人物評価をした挨拶歌(だれかに報告した歌)ともとれます。

 この歌を知った人々が参考までに書き留めて置こうとする歌かどうかを基準にすれば、この(題詞を無視した)歌本文は、恋の歌という理解が素直です。

⑨ 題詞のもとにある歌として理解すると、題詞と構成している歌群の歌にも留意して理解することになります。歌本文は表面上題詞を無視した場合の第一案と第二案と同様な理解があり、2案あります。

 作者は、題詞から、但馬皇女(またはその代作者)となります。

 上記の第一案を仮定すれば、恋の歌として、「思穂積皇子」して作ったという題詞の表記から、おくった相手は穂積皇子でしょう。

 また、同第二案を仮定すれば、恋の歌ならば・題詞の「思穂積皇子」からおくった相手は穂積皇子でしょう。

 そして、人物評価をした挨拶歌ならば、穂積皇子はすばらしいあるいは皇子を選択した、と誰かに報告している、と理解できるので、題詞の「在高市皇子宮時」から高市皇子が第一の候補者となるのではないか。

⑩ このように2案ある歌本文の理解を1案とするには、2-1-114歌が属する歌群(2-1-114歌~2-1-116歌)の中の歌としての妥当性で判断できるのではないか。

 歌を詠んだ事情を記すとすれば、通常は題詞に表記されるでしょう。

 そして、この3首が時系列に配列されているとすれば、作詠時点は

 1首目が、但馬皇女が「在高市皇子宮時」の歌

 2首目が、「勅穂積皇子遣近江志賀山寺時」の歌 (歌本文の表面的な内容からは勅使の一行が都を離れる時点の歌)

 3首目が、「在高市皇子宮時」の後であって、「事既形」の後の時点の歌 

となります。

⑪ 1首目から2首目に至るまでの時間は、一番早くて常識的には月を単位にしたものであり、2首目と3首目のそれは、「事既形」という時点が2首目の直後という日を単位としたものから年を単位にしたものがあり得ます。

 前回は、2首目の直後のみと推測しました(ブログ2023/10/18付け「3.⑱」参照))が、それはこの歌群が恋の歌の場合だけです。

 巻二には「但馬皇女薨後穂積皇子冬日雪落遥望御墓悲傷流涕御作歌一首」と題する歌(2-1-203歌)も収載されており、巻二の編纂は、少なくとも但馬皇女の生涯を見返ることができる時点以降ですので、但馬皇女が歴代天皇の穂積皇子の重用をみての述懐の歌とも推測可能です。

 即ち、1首目と3首目(2-1-116歌)は年を単位とした時間の経過も可能であり、2-1-116歌は三句「己世尓」(おのがよに)から、但馬皇女の晩年の詠作の可能性もある歌です。

⑫ 歌群と認められる連続する3首について整理すると、次の表が得られます。2-1-114歌の題詞は、その現代語訳(試案)の第二案が恋の歌の場合と挨拶歌の場合に別れますので、計3ケースにおける3首の歌意の妥当性を比較したものです。恋の歌の歌群が2ケース、挨拶歌の歌群が1ケースです。

 恋の歌の歌群としては、2-1-115歌が皇女の歌として(伝承歌の引用としてであっても)あまりにも非常識であり、また題詞にある漢字「思」字の意は、直情的な恋の歌を詠む「思い」が第一義ではないので

 挨拶歌の歌群の3首である、と思います。

 即ち、表の「歌群の構成案C」であり、2-1-114歌が題詞第二案で挨拶の歌」のケースとなります。それは、但馬皇女天武天皇の皇子のなかで穂積皇子を次代のエースにと推奨した経緯を詠う歌群であり、ともいえます。

 この場合の作詠時点を推測すると、2-1-114歌は、少なくとも穂積皇子が2-1-115歌の題詞にある臨時の公務出張を命じられる以前、次いで2-1-115歌、次いで2-1-116歌は最早であれば、2-1-115歌の公務出張の復命直後であり最遅であれば、(三句「己世尓」という作者の感慨を重視した推測になり)知太政官事に任じられた直後であろう、と思います(前回ブログでの推測(「3.⑱」)をこのように訂正します)。

  表 2-1-114歌~2-1-116歌を一つの歌群と捉えた場合の歌意の候補 

   (2023/10/23 現在)

歌番号等

歌群の構成案A

歌群の構成案B

歌群の構成案C

検討したブログの日付

114歌が題詞第一案で恋の歌

114歌が題詞第二案で恋の歌

114歌が題詞第二案で挨拶の歌

2-1-114

題詞:高市皇子の宮に、ある時居って穂積皇子を「思」い但馬皇女が作った歌

歌本文:第一案(貴方に恋をしてしまった)

題詞:同左

歌本文:第二案(穂積皇子は素敵な方だ)

題詞:同左

歌本文:第二案(穂積皇子は素敵な方で期待を持てる方だ)

ブログ2023/10/23付け

2-1-115

題詞:穂積皇子が臨時の公務出張を命じられた際の但馬皇女の歌

歌本文:恋の歌但し歌意が皇族の立場を無視しすぎている(恋の歌として伝承歌の利用は不適切)

題詞:同左

歌本文:送別・壮行時に恋の歌の伝承歌を詠った(披露した)

題詞:同左

歌本文:送別・壮行時に送別・壮行の伝承歌を詠った(披露した)

ブログ2023/10/16付け

2-1-116

題詞:第一案:高市皇子の宮に、但馬皇女がある時居って竊に穂積皇子に接し、それが露見した際の但馬皇女の歌(「事」字不要か)。

歌本文:今後の大胆な行動を宣言する歌(「渡」の時制が未来では過去の作者の行動と歌意に矛盾あり)

題詞:第一案:同左(「事」字不要か)あるいは第二案:竊に穂積皇子に接した結果、成果があった際の但馬皇女の歌(「事」字が必須)

歌本文:(寄せ付けなかった穂積皇子の心を大胆な行動で得たと宣言する歌(「渡」の時制は過去 恋の競争相手におくった歌か)

題詞:第二案:同左(「事」字が必須)

歌本文:過去の大胆な行動を自画自賛あるいは振り返った歌(「渡」の時制は過去)。

「事」を喜び高市皇子へおくった歌或いは述懐歌

ブログ2023/10/16付け

各ケースの比較

115歌と116歌は、皇女が皇子におくる恋の歌として不自然

同左

3首とも皇女の歌として不自然さが少ない

 

注1 歌番号等:『新編国歌大観』の「巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」

注2 第一案等は、各題詞または各歌本文における現代語訳(試案)の第一案等の意

注3 歌群の構成案Bにおける2-1-116歌の歌本文の現代語訳(試案)はブログ2023/10/16付けに示していないので、ここに記すと次のとおり。この歌を披露したのは周囲の者か恋の競争相手か。作者である但馬皇女の品位が疑われる内容の歌である。

「(穂積皇子にまつわる)いろんな噂があり、またそれがやかましいので、私は生まれてから未だ渡ったことのない朝の川を渡るようなことをしたのだ(そして噂の穂積皇子の愛を勝ち取ったのだ)。」

 

⑬ さて、2-1-114歌の題詞にある「思」字の理解です。この歌は、上表の「歌群の構成案C」の歌ですので、「思」字の意は、(上記④で指摘したように)「「かんがえる」とか「思案する」とか「おもいやる」というものであり、日本語の「おもふ」の「心に思う」に通じる意で用いられていることがわかりました、「いとしく思う。愛する」とか「心配する。憂える」の意ではない、と言えます。

このような検討の結果、巻二の題詞にある「思」字のある題詞3題のうち検討が終わった2題とも漢字「思」の意として用いられていることがわかりました。

⑭ 巻二の部立て「相聞」の配列を確認すると、「藤原宮御宇天皇代」は、最初の歌が「天皇賜藤原夫人御歌一首」と題する天皇の歌から始まっています。2-1-114歌~2-1-116歌が穂積皇子に関する歌と理解すると、天皇の歌に続き以下2-1-122歌まで皇子に関する歌を没年順に配列し、最後に弓削皇子に関する歌を再度配列した後に官人等(臣下)に関する歌を配列している、と理解できるようになります。

 そして、皇子である長皇子の2-1-130歌、柿本人麻呂の2-1-131歌~2-1-140歌で「相聞」は終わります。2-1-130歌以下は「寧楽宮」の代ともいえる配列です。

なお、長皇子は、元明天皇の御代の和銅8年(715)6月に薨去しており、皇子に関する歌の配列が没年順であることの例外になります。

 巻二の部立て「相聞」における皇子は、穂積皇子を除き、その母がみな天智天皇の皇女です。

また、2-1-130歌の題詞は「長皇子与皇弟御歌一首」とあり、「天皇の弟」と記されています。長皇子の薨去の年に作詠されたと仮定すると、元明天皇(父は天智天皇)の弟(あるいは兄)にあたる皇子で当時まで存命であったのは、志貴皇子のみですので、この2-1-130歌での「天皇の弟」とは、志貴皇子と理解できます。長皇子と志貴皇子が題詞に同時に明記されているのはこのほか巻一の部立て雑歌にある2-1-84歌の題詞があります。『新編国歌大観』の『萬葉集』は西本願寺本ですが、それには「長皇子與志貴皇子於佐紀宮倶宴歌」とあるようで、「与」字と「與」字の使い分けは語義の違いであるかも知れません。この検討は今の検討とは別問題なので別途の検討とします。

⑮ 次回は、巻二の題詞にある「思」字のある題詞で残る1題2-1-120歌の題詞を検討します。

 「ブログわかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2023/10/23  上村 朋)