わかたんかこれ 萬葉巻四 天然痘の流行  配列その15

前回(2023/7/24)に引き続き『萬葉集』巻四にある紀女郎の怨恨歌を検討します。(2023/7/31 上村 朋)

1.~18.承前

萬葉集』巻四には、「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、ペンネームを使用して聖武天皇の後の御代に関する歌群のあることを確認しました。そのペンネームに巻四にある怨恨歌2題の作者の名もあります。

紀女郎のそれは2題目であり、歌本文についてその全3首のあらあらの検討が終わりました。

 なお、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。

 

19.巻四にある怨恨歌(続きその7) 紀女郎歌における題詞と歌の関係

① 紀女郎の怨恨歌という歌群(付記1.参照)の3首については、まだ、題詞のもとの歌として3首の整合を確認していません。そして前後の題詞からの検討(ブログ2023/5/29付け)で、この怨恨歌3首が直前の題詞の歌と一組の相聞歌群を成すかどうかという宿題が残っています。

② その際は、巻四の編纂の目的が、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的としているのではないか、という仮説のもとに検討します。(ブログ2023/1/23付け「3.①」に記す仮説の一部であり、付記2.参照。)

 また、相聞歌とは、土屋文明氏の「歌が社交の具となり当時親しい人々の間では挨拶歌を恋歌仕立てとして楽しんでいた」(付記3.参照)という指摘にあるように、統治の公式行事に必要な歌を除いた諸々の歌をいうものです。各種賜宴の場、あるいは同族や知人との私的空間における場、あるいは労働の現場の歌などを総称したのが相聞歌と定義します。

③ 下記の検討をした結果は、つぎのとおり。

第一 紀女郎の怨恨歌の題詞は、坂上郎女の怨恨歌と同じく、恋に関する歌のみでなく広く相聞歌の題詞として、「紀女郎(と当時呼ばれていた女性)の詠う「怨恨歌」と称する歌3首」という現代語訳(試案)が妥当である。

第二 紀女郎の怨恨歌は、「湯原王歌一首」という直前にある題詞とともに一対の相聞歌群となっており、社交的な場での歌であり、恋の歌ではない。

第三 この一対の相聞歌群は、題材を、天平天然痘の大流行にとり、罹患した人物の歌(2-1-645歌)とそれを見守るだけであった人物の歌(2-1-646歌~2-1-648歌)で構成されている。社交的な遣り取りの歌と理解できる。

第四 題詞の配列上、宴席での男女の相聞歌が終わりこの相聞歌群からは社交的な遣り取りの歌の類の相聞歌が配列されている。恋の歌3首がここに配列されているとは思えない。

第五 「湯原王歌一首」という題詞のもとの歌の配列は、このような理解が合理的である。

第六 紀女郎の怨恨歌3首の現代語訳(試案)は、下記のとおり。

 2-1-646歌 下記⑬あるいは下記「20.③」

 2-1-647歌 下記⑩

 2-1-648歌 下記⑨

第七 巻四の編纂の目的が、上記②の仮説でないと否定しなくともよい。

④ 最初に、題詞を再確認します。

紀女郎の怨恨歌の題詞の意は、題詞の作文パターンも同じである坂上郎女の怨恨歌と同様に、(期待を断ち切れないでいた)「自分の行動を悔やんだ歌」と理解しました。漢字「怨」と「恨」の同訓異義を考慮し「人に対してよりも自分に対してのことば(恨)」を重視したものです。「怨」字の意の「うらむ」は「aうらめしく思う bにくむ・かたきと思う cうらみ dあだ・かたき」と細別でき(『角川新字源』)、「怨恨」とは、残念・無念の気持ちを表現したものと理解できます。即ち、

「紀女郎の詠う、自分の行動を悔やんだ歌3首」

です(ブログ2023/6/12付け「15.⑯」)。

 これが意訳に過ぎるならば、

「紀女郎(と当時呼ばれていた女性)の詠う「怨恨歌」と称する歌3首」

としてもよい、と思います。これは、倭習漢文の題詞ですので、(現代語の怨恨と異なる)人を憎む意を含まない「怨恨」の意の歌」ということを強調したものです。

⑤ さて、この題詞の直前の題詞は、2-1-645歌の「湯原王歌一首」です。「贈」字を用いておらず。誰におくった歌か(及びどのような場面で披露したか)を不明のままにしている題詞です。

 だから、歌本文が表現している内容によっては次の題詞、即ち「紀女郎怨恨歌三首」と一対の相聞歌群を成す題詞となり得ます。同じように、内容によっては2-1-645歌が2-1-634歌から2-1-644歌までの歌群と一対の相聞歌群になるでしょう。どちらに巻四編纂上の合理性があるかによって、判断することになります。

 土屋氏は、「吾妹子に」と句を起こして居る点は、「前からの娘子との贈答の一つの如くにも見えるし、題詞に重きを置けば、別の場合の作を同一作者の為にここに載せたとも見られる。」と指摘しているところです。私は題詞を重視します。巻四の題詞と歌本文の配列は、編纂者の意図のもとにあるのですから。

⑥ それに対して、ブログ2023/5/29付けの検討時の結論は、題詞だけでの検討では当然不定でした。

 但し、「湯原王歌一首」と「紀女郎怨恨歌三首」はこの順に配列されているので、相聞歌群として一組となる題詞(と歌本文)であるならば、「2-1-645歌が(宴席ではなく例えば女性たちの)社交的な場で詠われた歌であり紀女郎の怨恨歌もその社交的な場で詠われた歌であることが条件」(同ブログ「14.⑯」)ということでした。

 なお、その際、現代語訳を割愛していました。ここに、現代語訳を試みれば、

湯原王が詠った(あるいは披露した)歌一首」 

となります。

⑦ 次に、歌本文を再確認します。

 2-1-645歌については、ブログ2023/5/29付けで歌本文の現代語訳を試み、次の(試案)を得ました。題詞のもとの歌として、

「愛しい子に恋をして(順調だったのに)今の二人の関係に心がみだれる。糸車にかけて撚って丈夫な糸ができるように、わたしたちもしっかりした関係になりたいと思って貴方に恋をしたのに 。」(2-1-645歌現代語訳試案 )

この(試案)は、三句にある「くるべき」とは、現在の糸車の機能をもつ道具を指す名詞であり、五句は詠嘆という理解です。

 但し、歌の訓は、土屋文明氏に従うのが妥当であるので、『新編国歌大観』の訓とは異なります(付記1.②参照)。

⑧ 2-1-648歌の検討時に想起した天平天然痘の大流行時における歌とみれば、作中人物である男は、罹患して死を覚悟している状況に居るのではないか。「二人の関係に心がみだれる」とは、逢うこを絶対避けざるを得ないからです。罹患させてはならず、自分は死ぬのは確かなので、貴方と添い遂げられないのは残念だ、と詠っている歌となります。

 湯原王を作者に擬しているのは編纂者の意見です。天然痘により湯原王薨去したかどうかは不明です。作者とその相手「わぎもこ」との関係は、第一候補が恋が進行中の恋人、第二候補が妻あるいは兄妹です。

⑨ 次に、紀女郎の怨恨歌3首(の歌本文)すべてが上記⑥に引用した条件を満足するか、を確認します。

 これまで得られた現代語訳(試案)で、1案となったのは、3つ目の歌2-1-648歌でした。この歌から検討します。

「白妙製の衣の袖をならべたこともあった貴方と別れるべき日が近いので、心のうちにむせびなくだけでなく(気持ちがあふれて)、声をあげてただもう泣けて泣けてならない。」 (2-1-648歌現代語訳(試案1)

 この理解は、二句~三句にある「そでわかるべきひ」とは当然訪れる日を指し、当然と作中人物が思う理由は歌本文のみでは不明でした。そのため、2ケースが想定できます。即ち、

第一案 自分の行動によって「「そでわかるべきひ」を招いたから

第二案 誰かとの「別れるべき日」が(自分には強制されたものであり)確実なのに作中人物自身が何もできないから

 このうち第一案は、作中人物の私的なことであろうとしか推測できませんが、当事者間では既知の理由が共有されていたのでしょう。

 第二案は、天平天然痘大流行時のことが推測できます(ブログ2023/7/24付け「18.⑭」)。

 そして愛しているとしても、防疫のためのやむを得ない作中人物の行動といえます。それは、罹患した場合の誰もが行う行動であろう、と思います。そのため、2-1-645歌の披露があったとき、私もこうだった、と訴えている歌がこの歌ということになり得ます。その場は、女性同士の社交の場とか見舞の手紙に付した歌などが想定でき、上記⑥の条件「紀女郎の怨恨歌もその社交的な場で詠われた歌であること」になります。

⑩ 2つ目の2-1-647歌は、恋の歌ではなく社交的な歌として検討したとき、次の現代語訳(試案)を得ました。

 「(この歌を披露する時点という)今となれば、私は、本当に本当に寂しく思うよなあ。」(という、どうしようもないようなつらさ・やるせなさを伴う感慨に浸ることだ)。命をかけて(あるいは勢いのある男の子と)いとおしく思っていた貴方をさしつかえないと(あるいは許可すると)認めたことを回想すれば」(ブログ2023/7/17付け「17.⑭と⑮」参照)

 この歌を「2-1-647歌現代語訳(試案)」とします。

 この理解は、二句にある動詞「わぶ」の理解において、作者の心境を「どうしようもないようなつらさ・やるせなさ」として「意に満たず気乗りしないあじけなさ」を否定しています(ブログ2023/6/26付け「16.⑧」参照)。

 また、五句にある「縦」を「ゆるす」(動詞)と訓む用例は『萬葉集』に5例あり「さしつかえないと認める・許可する」意が4例でありこの歌も恋の歌ではないので同じであると推測しました(ブログ2023/6/26付け付記2.及びブログ2023/7/17付け「17.⑬」参照)。

⑪ このような理解であれば、作者が目にした現在の状況から過去の自らの行動に関する感慨を詠った歌であり、親しい者との会合(での歌)や手紙に付した歌という披露の場が想定可能です(ブログ2023/7/17付け「17.⑮」参照)。天平天然痘の大流行時の歌となり得ます。

 題詞のもとにある歌ですから女性(紀女郎)が作中人物でしょう。相手の人物は男性であってもおかしくありません。2-1-645歌の題詞と一対の題詞と湯原王との恋人関係にあったときを振り返っての歌なのでしょうか。あるいは、作中人物の兄妹とか子供なのでしょうか。

 なお、三句にある「いきのを」の理解は、『萬葉集』では、「いのちにかけて」の意が通例であり、平安時代においてはそれに限られている、と言えます。

⑫ 次に、現代語訳が複数案ありそれからの有力案としての一案を提案したのが、1つ目の歌2-1-646歌です。その現代語訳(試案)はつぎのとおり。

「世間なみの成人女性であれば、私が渡ろうとしている川が、ああ、「背」の君の(渡って通ってきた或いはあの女性に通う)河ということで、渡るのに躊躇するであろうか。しかし私は躊躇しつつ渡るのである)。」 

 これは、ブログ2023/6/12付け「15.⑭の第二案」です。

 この理解は、元資料歌にいう「河を渡る」という決意が、題詞に従えば「自分の行動」となり、理解を限定していることになります。そして作中人物は、河を渡りたくなかったのにそうせざるを得なかったことになります。つまり、未練があるのに、別れる選択を相手がしたことを認めた場合の歌となります。(同ブログ「15.⑰」)。

 これは、「河を渡る」という表現は例えであり、伊藤博氏が指摘するように、これが当時の用法であれば、多くのもののとる行動を作中人物は行っていることになります。社交的な場面で共通の話題になり得るものであり、披露しても詠った人物の心情に理解が得られる歌である、ということが想定可能です。

 なお、初句にある「よのなかのをみな」は「世間なみの成人女性」の意です(ブログ2023/6/12付け参照)。

⑬ 武田祐吉氏は『萬葉集全註釋』で「作者には「痛背の河を渡る」(という表現)でわかることがあったのであろうが今は致し方がない。独りよがりの歌というべきだ」と指摘しています。巻四の編纂者もわかっていたから収載したのでしょうから、その後すたれた用法(謂れがわからなくなった用法)として、その例えの何たるかを推測するほかありません。

 ここでは、天然痘の大流行で罹患した当人が重症化の兆しがあればあきらめざるを得ず、防疫のため一般私人より物理的な距離をとる(世話を放棄し、例えば官の指定する特定の条件を満足する場所に当人を移動させる)ことを言っているのか、と推測します。

 そうすると、それを背景として、現代語訳(試案)は次のように改訳できる、と思います。恋の歌という思い入れは不要ですので。

 「世間なみの成人女性であれば、私が渡ろうとしている川が、ああ、「背」の君の渡る河であっても、渡るのに躊躇するであろうか。しかし私は躊躇しつつ(「背」の君を残し)渡るのである)。」(2-1-646歌現代語訳(試案))

 身近で世話をして一緒に死んでもよい、と思っているものの家族にもあなたにも止められてそれができない、と詠っています。

 「背」の君は、恋人や夫を親しく指す語句です。身近な男性も親しんでそう呼んでいますのでその場合は兄弟となります(題詞を無視すれば、男性が友人を言う場合にも用いられているのが「背」です)。恋人ならば、2-1-645歌の作中人物とは素直に同じ立場になります。

⑭ このように紀女郎の怨恨歌3首は、一つの題詞のもとにある一組の歌群として、天平天然痘の大流行時のことを詠い、つぎのことを満たしていることがわかりました。

第一 3首とも、歌本文において作中人物は、多くの方が指摘しているように、別離を悲しんでいるが相手を一切非難していないし、別れることを当然視している。2-1-645歌の作中人物も止むを得ず別れるのに相手を非難していないし別れることも当然視している。このような状況となったのは不可抗力であったと2-1-645歌と3首の作者は共に信じているかにみえる。そのため、互いに当然視しているのは共通の社会的現象(特に天平天然痘の大流行)と推測できる。

第二 3首とも、作中人物は成人した女であり、その相手は、身近な人物であり、2-1-645歌の作中人物(男)と歌を贈り合っているという理解が可能である。土屋氏の指摘のように恋の歌に仕立てた社交的な遣り取りの歌といえる。

第三 3首とも、相手は男性とみられるが、特定の人物というよりもある状況下にいる男性を話題とした歌ともとれる。そのような歌を特定の人物の場合に流用して用いていることも可能である。

⑮ これは、2-1-645歌が天平天然痘の大流行時の歌であるならば、上記⑥に引用したブログ2023/5/29付けの、2-1-645歌の題詞と一対の題詞となる条件(「2-1-645歌が(宴席ではなく例えば女性たちの)社交的な場で詠われた歌であり紀女郎の怨恨歌もその社交的な場で詠われた歌であることが条件」)を満足しています。

 このため、歌の内容からも、2-1-645歌と2-1-646歌以下3首は、題詞のもとの歌として一対の相聞歌となっています。2-1-645歌と2-1-634歌~2-1-644歌までの歌を一組の相聞歌とみなすよりも合理的な理解であろう、と思います。

 さらに、天然痘の大流行時の歌でなくとも、死を覚悟した人物とその家族・友人の歌であっても一対の題詞の歌といえるのではないか。

20.湯原王歌の再検討

① 題詞2題が一対の相聞歌の題詞であるならば、各歌に用いている語句も関連があるのかが気にかかります。例えば、2-1-648歌の二句~三句にある「わかるべきひと」と、2-1-645歌の三句の「くるべきに」の「べき」が推量の助動詞「べし」であれば、2-1-645歌の歌意に別案があるかもしれません。

そのほか2-1-645歌には同音異義の語句があったのです。

 「2-1-645歌現代語訳試案」は、「くるべきに」を「繰るべきに」、「かけて」を「懸けて」、「よせむ」を「寄せむ」と理解して得たところです。

しかし、同音異議の語句があります。

訓「くるべきに」には、名詞「くるべき」のほかに

第一 「呉るべきに」 :下二段活用の動詞「呉る」とは「与える・やる・くれる」意(『例解古語辞典』)

第二 「暗る(眩る)べきに」 :下二段活用の動詞「暗る(眩る)」とは「途方にくれる・思い惑う」意

訓「かけて」には、「懸けて」(情けなどをかける)のほかに

第十一 動詞「かく」+助詞「て」 :下二段活用の動詞「かく」とは「欠く 」

         また、下二段活用の動詞「懸く・掛く」とは「情などをかける」ほかに「aかける・ひっかける 

b その時期になる・時がいたる など」の意がある

第十二 副詞「かけて」 :「心にかけて・口にだして」の意

第十三 連語「掛けて」 :「a・・・を兼ねて b・・・にわたって c(はかりに)かけて」の意

訓「よせむ」には、

第二十一 「よせむ」: 下二段活用の動詞「寄す」とは、「a近づける・近寄らせる。b関係づける・関係させていう。cかこつける・ちなむ。d傾倒する・心を傾ける。e迫ってくる fなどなど」の意

訓「こひそむ」には、「恋ひ初む」のほかに、

第三十一 「恋ふ」+「染む」: 下二段活用の「染む」とは、「(心に)深くしみつける」意

第三十二 「乞ひ(請ひ)+「初む」: 四段活用の動詞「乞ふ・請ふ」+補助動詞「初む」

  「乞ふ・請ふ」とは、ここでは「神仏に祈り願う」意、

② 歌を引用します。訓は、土屋氏の訓に従っています。(ブログ2023/5/29付け「14.②~④参照」)

2-1-645歌 湯原王歌一首

   吾妹児尓 恋而乱在 久流部寸二 懸而縁与 余恋始

   わぎもこに こひてみだれば くるへきに かけてよせむと あがこひそめし

(土屋氏の訓は、「わぎもこに こひてみだれり くるべきに かけてよせむと あがこひそめし」)

③ これらの語句の意を意識して2-1-645歌の現代語訳の別案を検討します。

 別案第一 「愛しい貴方に恋をして(順調だったのに)今の二人の関係に心がみだれる。思い惑うことには、心にかけて(貴方と)関係を深めようと、私は慕い始めたのに。ああ・・・」

(くる=暗る(眩る)、かけて=副詞、)

 別案第二 「愛しい子に恋をして(順調だったのに)今の二人の関係に心がみだれる。(貴方に)与えるべき(接すべき)なのは、流行り病いを欠いた状態の私であり、そして貴方に近づこうと私は神に祈願し始めていたのに。ああ・・・」。

(くる=呉る、かく=欠く、 こひ=乞ひ、)

 例えば、このような理解も、少なくとも3首との一組の相聞歌であれば、有り得るのではないか、と思います。当事者同士の歌の交換であれば、よく知っていることは省かれて詠われても伝えたいことは通じます。これらの理解は、天平天然痘の大流行時を振り返ったときの歌といえるでしょう。

④ ちなみに、伊藤博氏の現代語訳は、3首と一対の相聞歌としてではなく、2-1-634歌から2-1-644歌までの全体を結んでいる歌として、つぎのようなものです。

「あの子に恋い焦がれて心が乱れたならば、乱れ心を糸車にかけて、うまいこと撚り直せばよいと、そう思って恋い初めただけさ・・・。」(角川文庫『新編万葉集 現代語訳付き 伊藤博訳注』)

 一種の負け惜しみの歌と氏は指摘しています。このような理解もあるのが、この2-1-645歌です。

⑤ 今は、巻四の配列を検討しており、付記2に記す予想(作業仮説)の確認をしています。

 この一対の相聞歌群が、聖武天皇の治世において大変残念なことが起こったが、多くの人材を失いつつも、乗り切ったことを回想している歌である、と言う理解に、このような別案であっても変わりはありません。

 このため、この一対の相聞歌群は、上記「19.②」の仮説(相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしているのではないか。)の事例に該当します。

⑤ 以上、紀女郎の怨恨歌と題する題詞とそのもとの歌の検討をしてきました。

ブログ「わかたんか ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、これまでの巻四の配列検討のここまでのまとめをし、夏休みを挟んで『猿丸集』第24歌の類似歌の再検討にもどりたい、と思います。

(2023/7/31  上村 朋)

付記1.紀女郎の怨恨歌について

①『新編国歌大観』所載の『萬葉集』より

2-1-646歌  紀女郎怨恨歌三首  (鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也)

世間之 女尓思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八
よのなかの をみなにしあらば わがわたる あなせのかはを わたりかねめや

2-1-647歌  同上

今者吾羽 和備曽四二結類 気乃緒尓 念師君乎 縦左久思者

いまはわは わびぞしにける いきのをに おもひしきみを ゆるさくおもへば

2-1-648歌  同上

白妙乃 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣

しろたへの そでわかるべき ひをちかみ こころにむせひ ねのみしなかゆ

② 附:直前の題詞と歌本文

2-1-645歌 湯原王歌一首

   吾妹児尓 恋而乱在 久流部寸二 懸而縁与 余恋始

   わぎもこに こひてみだれば くるへきに かけてよせむと あがこひそめし

(土屋氏の訓は、「わぎもこに こひてみだれり くるべきに かけてよせむと あがこひそめし」)

③ 参考:土屋文明氏の大意

2-1-645歌 「吾妹子に恋ひて心がみだれて居る。かうした時には、乱れた糸を「くるべき」に掛けて寄せる如くに寄せ整へようと、吾が恋ひ始めたであらうか。」(結句は反語。ブログ2023/5/9付け「14.③」に引用)

2-1-646歌 「世間普通の女であるならば、吾が渡る痛背の川を渡りかねはすまいが、吾は夫に去られて居るので、其の連想のある此の川をば渡りがたくするのである。」 (ブログ2023/6/12付け「15.③」に引用)

2-1-647歌 「今は吾はやる方なくなってしまった。命にかけて思った君を離してやると思へば。」(同上)

2-1-648歌 「袖を分けて別るべき日が近いので、心にむせつまって、ただ泣きのみ泣かれる。」(同上)

 

付記2.巻四配列検討のための予想(作業仮説)

ブログ2023/1/23付け「3.①」においてたてた作業仮説は次の5点である。

 第一 編纂者は、聖武天皇の御代の途中までに詠作あるいは披露された歌により巻四を構成しており、聖武天皇の御代を今上天皇の御代として題詞を作文している。

 第二 歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は数代の御代を単位にしていることもある。

 第三 未来の天皇の御代をも想起できる配列としている。

 第四 配列は、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしているのではないか。

 第五 配列は、最終編纂時点において定まった。

 なお、これらは、倭習漢文である題詞のみの検討、題詞と歌本文による検討及び配列の検討で確かめられる、と予想している。

 

付記3.土屋文明氏の相聞歌論(『萬葉集私注』第2巻 2-1-652歌の「左注」への指摘)

① 2-1-652歌の左注に「題歌送答相問起居」とあるのは、上掲4首(2-1-649歌~2-1-652歌)の作歌動機を察する糸口とならう。歌が社交の具となり、歌のために歌を作る風習の既に存したことが知られる。

② 2-1-649歌~2-1-652歌の四首の如きは、恋愛歌の様な所があっても実は単純な起居相聞の歌と見るべきである。つまりさうした場合でも、相当甘美な言葉を交換する当時の感覚といふものは、其の時代の作品を受け入れるに考慮して置くべきものであらう。

③ 「相問」は「相聞」と同意に用ゐられている。相聞と部類される歌の性格を知る手がかりとならう。

(付記終わり 2023/7/31 )