わかたんかこれ 萬葉巻四 別るべき日とは  配列その14

 前回(2023/7/17)に引き続き『萬葉集』巻四にある紀女郎の怨恨歌を検討します。(2023/7/24 上村 朋)

1.~17.承前

萬葉集』巻四には、「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、ペンネームを使用して聖武天皇の後の御代に関する歌群のあることを確認しました。そのペンネームに、巻四にある怨恨歌2題の作者の名もあります。

 紀女郎のそれは2題目であり、歌本文に関してその2首目までのあらあらの検討が終わりました。

 なお、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。

18.巻四にある怨恨歌(続きその4) 紀女郎歌の第3歌

① 今回検討するのは3首目の歌です(紀女郎歌全3首の本文等は付記1.に記載)。

 2-1-648歌  紀女郎怨恨歌三首

 白妙乃 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣

 しろたへの そでわかるべき ひをちかみ こころにむせひ ねのみしなかゆ

 

 土屋文明氏の歌本文の大意は、次のとおり。氏は、「怨恨は失はれた恋に対する恨み」と坂上郎女の怨恨歌において指摘しています。

「袖を分けて別るべき日が近いので、心にむせつまって、ただ泣きのみ泣かれる。」

② 下記の検討の結果、

「紀女郎の詠う、自分の行動を悔やんだ歌3首」という題詞のもとにある歌として、次の現代語訳(試案)を得ました。

「白妙製の衣の袖をならべたこともあった貴方と別れるべき日が近いので、心のうちにむせびなくだけでなく(気持ちがあふれて)、声をあげてただもう泣けて泣けてならない」 (2-1-648歌現代語訳(試案1)

自分の行動によって「別れるべき日」を招いたことを悔やんでいる歌か、あるいは誰かとの「別れるべき日」が確実なのに作中人物自身が何もできないことを悔やんだ歌です。作中人物が歌の作者であれば、題詞に従い女性となります。

 なお、題詞を無視した歌、つまり元資料の歌であっても、現代語訳(試案)は同じです。元資料の歌は、作中人物が死を覚悟した際の歌か、あるいは特定の人物の急死が確実となった際に作中人物が思いを詠った歌ではないか。

③ この怨恨歌3首は、前後の題詞からの検討(ブログ2023/5/29付け)で、直前の題詞の歌と一組の相聞歌群を成すかどうかが宿題となっています。それを歌本文で検討中です。

 検討は、諸氏の理解の例を紹介したのち、歌ごとに、元資料の歌を検討し、題詞のもとにある3首の歌としての整合性をみて、直前の題詞との関係を確認します。今回は3首目の検討が主となります。 

④ 土屋氏は、上記の大意を示し、2-1-648歌について「別離を悲しむ心を常識的に表現したまでであらう」と指摘しています。

 土屋氏は、また、この3首について「何人を対象としたものか明らかでない」と指摘し、題詞の割注は、安貴王との関係を示唆するも、「単なる題詠的作品と見えぬこともない」と指摘しています。

 氏は、直前の題詞(とそのもとにある歌)とこの3首の関係に言及していません。

 これに対して、伊藤博氏の現代語訳は、次のとおり。

「交わし合った袖を引き離して別れなければならない日が近づいたので、悲しみがこみあげ、ただもう泣けてくるばかりです。」

 伊藤博氏の怨恨歌全3首の理解は、「恋における女の「怨恨」を主題にする歌」であり、中国の薄情な男性に対する女の恨みを好んで詩の主題とする風」に属する(作者の)創作歌と指摘しています。

 そして、「三首、時間につれて思いが深まってゆき、組み立てた歌であることが知られる。先の坂上郎女の怨恨歌と異なり、相手ではなく踏み切れぬ自分の弱さやはかなさを悔やみ、怨恨が内省化されているのが目をひく。近代ではこの類を怨恨とはいわないかもしれない。」(『萬葉集釈注二』564p)と指摘しています。

 そして、直前の題詞(とそのもとにある歌)とこの3首の関係に言及していません。  また「この歌を含めた3首は、(相手にではなく)「親しい人々の集まる場で披露したものか」と指摘しています(『萬葉集釈注』564p)。

 このように、両氏の理解は、恋の歌として別離を悲しむも、相手を一切非難していない歌という点が共通です。また、恋の相手が不明のままであるのも共通です。

 そして、両氏は、直前の題詞(とそのもとにある歌)との関係に関する考察を述べていません。

⑤ 次に、題詞を無視して2-1-648歌を検討します。巻四編纂のための元資料としての検討です。

 最初に、文の構成をみます。

 歌には作中人物の行為が四つあります。

 二句 袖可別(そでわかるべき)

 四句 心尓咽飯(こころにむせひ)

 五句 哭耳四所泣 (ねのみしなかゆ)

 終止終止形となっているのは最後の行為「泣」(なかゆ)だけであり、歌全体は一文からなります。

 文章として歌をみると、初句から三句までを費やして、この歌を披露している時点を限定し、その時の作中人物の心境を四句以下に述べています。時点を限定できた理由に触れていません。その時点は「別れるべき日」の当日ではなく、その日が近づいた今日この頃、という幅のある時点であり、その心境については、作中人物自身は泣くばかりである、と述べています。相手への思いを述べていません。

⑥ 次に、初句から三句を検討します。

 初句「白妙乃」(しろたへの)は、「コウゾの樹皮からとった繊維で織った布製の」という意であり袖を修飾しています。「袖」(そで)の理解によって、袖に係る枕詞と割り切って理解している人が多い。私は、(奈良時代平安時代初期に詠まれた歌にあっては)有意の語句として現代語訳を試みています。

 次に、二句にある「袖」(そで)の用例は、『萬葉集』巻一~巻四には20例あります(付記2.参照)。

 巻一の人麻呂歌の「そでふる」から始まり、巻四のこの歌の「そでわかる」を経て「そでさへぬれて」まで女性の「袖」が詠われている場合は、相手の男性と離れていて(一緒に居る場面ではなく)愛惜の念を詠う文脈となっています。男女の「袖」が詠われている場合は、「袖指可倍弖(そでさしかへて)」(2-1-484歌)とか「袖解更而(そでときかへて)」(2-1-513歌)と、二人が一緒に居る場面の詠草となっています。

 そのなかで「袖可別(日)」とは、男女の決別の日が決まっているという言い方であり、新たな用例であり異例な用例です。

⑦ 二句にある助動詞「べし」の根本の用法は、「経験にてらしたり、ものの道理・推理などから判断して、こうあるのが当然であろうと信をもって推量する」ことです(『例解古語辞典』)。

「袖可別(日)」とは、恋の歌であれば、恋の破局が確実になる日のことでしょう。破局を作中人物は当然視していることになります。

 破局は、相手が自分を受け入れないことが明確になったり、自分が相手を受け入れないことを明確にした場合のほかに、抵抗できない圧力による場合があります。

 明確な場合とは、具体的には、手紙をよこすなということを象徴するような贈り物のあった日とか贈り物を返してきた日とか、返歌がないことが続いたので結論を出した日とか、地方勤務となったことを知った(あるいは知ることとなる)日等々が、想定できます。

 抵抗できない圧力による場合とは、親の強い諫めがあるであろう日とかが、想定できます。

 どちらにしても、四句以降に示される心境からすると、作中人物はまだ相手に未練がある状態にある、と推測できます。客観的には「別れるべき日」であっても主観的には「止む無く別れなければならない日」と思えます。

⑧ 今、題詞を無視して歌を検討しているので、恋の歌でない場合の「袖可別(日)」も考慮しなければなりません。

「袖可別(日)」とは、親しい人(達)との決別の日を指していうことができます。家族・同族との別れの日や、恋の相手のほか夫(妻)、親兄妹、さらに上司同僚下僚や友人との決別の日もそう呼べるのではないか。

そのうち、以後再会の可能性がないのは、作中人物の来るべき死、あるいは歌で想定している相手(特定の人物)の来るべき死の場合です。

思いもよらない死とは、流行病の最盛期とか戦場での瀕死の重傷の知らせとか高齢であって骨折して寝たきりになり危篤が確実と判明したときの直後に訪れます。

⑨ 次に、三句「日乎近見(ひをちかみ)」とは、別れることが決まっているという日が、作詠した直後に来る、と告げていることであり、作詠時点では別れていない、ということです。

 そして作中人物にとっては、恋の別れであっても、親しい人との決別の日であっても、別れないための努力の空しさを味わう日々が続いていることを示唆しています。

⑩ 次に、四句~五句を検討します。

 四句にある動詞「むせふ」に関しては、「のどをつまらせたような声で泣く、むせふ(むせぶ)」の意の用例として『例解古語辞典』はこの2-1-648歌をあげています。

 五句「ねのみしなかゆ」は連語で「ただもう泣けてならない」意です(同辞典)。

「ねのみし・・・」の用例は、巻一~巻四には8例あります。巻一には無く、巻二には挽歌に1例(2-1-230歌)、巻三には明日香の都を懐かしむ雑歌1例(2-1-327歌)、挽歌2例(2-1-459歌と2-1-486歌)、そして巻四には相聞歌でも男女の間を詠う3例(2-1-512歌と2-1-518歌と2-1-617歌)及びこの歌2-1-648歌)です。

 最初の用例は巻二の「霊亀元年歳次乙卯秋九月志貴親王薨時作歌一首 并短歌」と題する挽歌です。(なお、志貴親王の薨時は、『続日本紀』には霊亀二年八月十一日とあります。)

 また、巻四の3例は、男女の間を詠う歌であり、逢えないことは挽歌の時のような悲しみに等しいという意となるのでしょう。巻四のこの歌は今検討中ですので、判断を保留します。

 「ねのみし・・・」が挽歌でも恋の歌でも違和感なく用いられるような時代とは、赤人以降の時代と推測できます。

⑪ 以上の検討を踏まえ、この歌の現代語訳を試みると、次のようになります。結果として別れるべき日が、恋の終焉の日でも作中人物あるいは相手がこの世を去る日でも同じ現代語訳となりました。

 「白妙製の衣の袖をならべたこともあった貴方と別れるべき日が近いので、心のうちにむせびなくだけでなく(気持ちがあふれて)、声をあげてただもう泣けて泣けてならない」 (2-1-648歌現代語訳(試案1)

 このような理解をすると、恋の破局の日を意識した歌とすれば、上記⑦で推測したようなケースが該当します。

 その場合、この歌は、相手に受け取ってもらえたでしょうか。編纂者の手元に集まったのは、作者が提供したからでしょうか。そうであるならば、全く個人的な歌を提供した理由は何であったのでしょうか。

⑫ 次に、「袖可別(日)」とは、親しい人(達)との決別の日であって、以後の再会がない作中人物自身あるいは相手がこの世を去ることが近々の事と理解し、その日の直前に詠った歌とすれば、上記⑧で推測したようなケースが該当します。

 流行病であれば、有名なものに、奈良時代天平7年(735)から同9年(737)にかけて天然痘の大流行があります。政権の中枢にいた藤原四兄弟も感染死亡したこの流行は、当時の日本の総人口の25~35パーセントにあたる、100万~150万人が感染により死亡したとされています(吉川真司『天皇の歴史2 聖武天皇と仏都平城京』(講談社学術文庫)。

 当時疫病のモニタリング制度が中国にならって定められており、『続日本紀』の記述はその記録によるものです。朝廷も必死に防疫や治療に取り組んでいるものの、官人(とその家族)は戦々恐々としていました。

 天然痘は、飛沫感染接触感染して、潜伏期間を経て急激に発熱し、次いで発疹(全身)、再び高熱が出て、多くの場合2週間で死にいたります。

 罹患して死を覚悟した作中人物の披露したこの歌が、元資料の歌となり得ます。

 また、その際直接の見舞も避けざるを得ない中でおくったこの歌が、元資料の歌となり得ます。

「わかるべきひ」が近い、という理由は、いうまでもないこととしてこの歌は詠われており、天然病流行時に日常茶飯に生じていた事態だといえます。

 この歌は、同時代の人々が身に染みて感じていた思いであり、個人的に詠った歌であっても多くの者が引用利用したため、官人(あるいは編纂者自身)の手控えが残っていたのでしょう。いわば伝承歌の類といえます。

⑬ 次に、題詞のもとにある歌として、検討します。

題詞にある怨恨歌の意を、坂上郎女の怨恨歌の場合、私は(期待を断ち切れないでいた)「自分の行動を悔やんだ歌」と理解しました(ブログ2023/5/8付け「12.⑨」)

 2-1-646歌の検討の際には、題詞の現代語訳を、

 「紀女郎の詠う、自分の行動を悔やんだ歌3首」

と提案しています。

 この意の題詞のもとにある歌であるならば、失恋に終わることを悔やんでいる歌とも理解できますので、題詞のもとにある歌として、上記⑪の2-1-648歌現代語訳(試案1)の理解は妥当です。

 紀女郎が詠ったという題詞は、巻四の編纂者の作文であり、編纂者の意見である可能性がありますが、巻四の歌そのものは元資料の歌がそのまま収載されている、と推測できます。紀女郎がこの歌を披露する場面が生涯に一度あったのでしょう。

⑭ しかしながら、天然痘流行時の歌であっても、題詞のもとにある歌とも理解が可能です。

 気を付けていたが罹患してしまった作中人物が周囲の者を感染させてしまってはいないだろうか、とか、身近に居た者として罹患しないようもっと配慮すべきであったという思いが当然あるので、「自分の行動を悔やんだ歌」に該当します。

 自分の行動によって「別れるべき日」を招いたことを悔やんでいる歌か、あるいは誰かとの「別れるべき日」が確実なのに作中人物自身が何もできないことを悔やんだ歌です。作中人物が歌の作者であれば、題詞に従い女性となり、わかれるべき人物は、「そでわかる」と詠いだしているので夫が有力です。

 しかし、紀女郎の死因は伝えられていませんし、題詞の割注でいう夫の安貴王の死因も伝えられていませんので、何ともいえません。「そでわかる」は、単に「離別する・共に暮らさない」というくらいの意で用いられているならば、親しい親族がわかれるべき人物の候補となり得ます。

 初句「しろたへの」も枕詞と割り切れば、土屋氏のいう「別離を悲しむ心を常識的に表現したまでであらう」という指摘のように、ありふれた「わかれのうた」であり、編纂者が題詞に「怨恨歌」としている意味は何かを検討しなおさなければなりません。

 それはともかくも、歌の分類をすれば、死に臨んで残る夫(妻)への歌あるいは見舞いにも行けない事態の無念を詠う歌であり、社交的な挨拶の歌の範疇であり、相聞歌として巻四に収載されておかしくない歌です。

⑮ 2-1-648歌の検討から、題詞の意味は、広く相聞歌としての題詞であって、恋の歌の題詞と限定するには、3首全体の整合性の確認やさらに巻四の歌の配列からの検討を要します。

 次回は、それらを検討したい、と思います。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」とご覧いただき、ありがとうございます。

(2023/7/24  上村 朋)

付記1.紀女郎の怨恨歌について

①『新編国歌大観』収載の『萬葉集』より

2-1-646歌  紀女郎怨恨歌三首  (鹿人大夫之女名曰小鹿也安貴王之妻也)

世間之 女尓思有者 吾渡 痛背乃河乎 渡金目八
よのなかの をみなにしあらば わがわたる あなせのかはを わたりかねめや

2-1-647歌  同上

今者吾羽 和備曽四二結類 気乃緒尓 念師君乎 縦左久思者

いまはわは わびぞしにける いきのをに おもひしきみを ゆるさくおもへば

2-1-648歌  同上

白妙乃 袖可別 日乎近見 心尓咽飯 哭耳四所泣

しろたへの そでわかるべき ひをちかみ こころにむせひ ねのみしなかゆ

② 参考:土屋文明氏(『萬葉集私注』)の大意

題詞:紀女郎の「失はれた恋に対する恨み」の歌三首

2-1-646歌: 「世間普通の女であるならば、吾が渡る痛背の川を渡りかねはすまいが、吾は夫に去られて居るので、其の連想のある此の川をば渡りがたくするのである。」 

2-1-647歌: 「今は吾はやる方なくなってしまった。命にかけて思った君を離してやると思へば。」

2-1-648歌: 「袖を分けて別るべき日が近いので、心にむせつまって、ただ泣きのみ泣かれる。」

付記2. 『萬葉集』巻一~巻四における訓「そで+・・・(及び・・・+そで)」の用例

巻数

巻一

巻二

巻三

巻四

そでふる・ふるそで

20

132,134,139,159,207

379

504

8例

そでぬる・そでひつ

 

135b

 

617,726,785

4例

そでふきかへす

51

 

 

 

1例

そで(とき)かへす・そでさしかへす

 

195

484

513

3例

そでたづさはる

 

196

 

 

1例

そでみえず

 

135a

 

 

1例

そでもちて

 

 

271

 

1例

そでわかる

 

 

 

648

1例

 

 2例

9例

 3例

 6例

20例

注1)数字は『新編国歌大観』巻一収載の『萬葉集』の歌番号

注2)207歌は、「そでふる」の例外であり、死んだ妻をおくる例(泣血哀慟作歌)

注3)巻三での新例は、「そでもちて」の1例(阿倍女郎屋部坂歌一首)

注4)巻四での新例は、「そでわかる」の1例

注5)「そでのわかれ」は、巻五以降では巻十二の3196歌、3229歌が、 「そでわかれて」が巻十五3626歌ほか、「かれにしそで」が、巻十二2939歌にある。

注6)巻五以降に「そでふる」の用例は 808歌等がある。

注7)古語辞典は、連語として「そでのわかれ」、「そでふる」、「そでをしぼる」、「そでをぬらす」、そでのしづく」、「そでのしがらみ」などをあげている。

(付記終わり  2023/7/24)