わかたんかこれ 萬葉集巻四 配列のまとめ  配列その15

 夏の甲子園がはじまりました。もう数校が散りました。

 前回(2023/7/31)までの『萬葉集』巻四の配列の検討結果のまとめを行います。(2023/8/7 上村 朋)

1.~20.承前

萬葉集』巻四(相聞歌)の配列について、巻三にならい予想(作業仮説)をたてて検討してきました。そして巻三と同様に、聖武天皇の後の御代に関する歌群のあることを確認するなど、その予想は妥当なものでした。題詞と歌本文も新たな理解で現代語訳(試案)が出来た歌がいくつもありました。そして巻三と巻四を一体とした検討がこれからです。

なお、『新編国歌大観』(角川書店)収載の『萬葉集』を対象に、検討しています。

21.巻四の検討のまとめ

① 巻四の検討を始めるにあたり、予想(作業仮説)を、ブログ2023/1/23付けに記しました。題詞が倭習漢文であること、歌本文が元資料段階での歌と題詞のもとにある歌は峻別できる、として検討してきました。

 その結果、巻四の「献天皇歌」という4字のみの題詞(とそのもとにある歌本文)から、聖武天皇の後代の御代に関する歌群を編纂者が用意していることが分かり、また作業仮説は全体として誤りとはなりませんでした。

② 巻四の配列を検討した結果、作業仮説の事項(下記第一から第五)の結論は、次のとおり。

 第一 編纂者は、聖武天皇の御代の途中までに詠作あるいは披露された歌により巻四を構成しており、聖武天皇の御代を今上天皇の御代として題詞を作文している。

 第二 歴代天皇の御代を指標として歌群をつくり、その歌群を御代の暦年順に配列している。その歌群は今上天皇の後の御代(未来の天皇の御代)をいれて5つの歌群となっている。それを下記④の表に示す。

 第三 未来の天皇の御代は、題詞に明記する作者名とその作者名をペンネームとする人物の歌として語いる。それを語句に2意のある用語を用いた題詞と歌本文により創出している。

 第四 配列は、相聞の範疇の歌によって天皇の統治を讃え、さらに予祝することを目的にしていると見られる。それは寧楽宮を都城とする天皇の予祝である。

 第五 そして、巻四の配列は、その中核的編纂時に定まった。それは『萬葉集』最終編纂時点においても多分修正されていないであろう。

③ そして次のことも指摘できます。

 第十一 既にあった巻一と巻二相当の歌集にも、未来の天皇の御代の予祝があったとする歌を補ったのではないかと推量できる。巻一から巻四の目的を一つにしたことになるのではないか。

 第十二 題詞は倭習漢文で作文されているので、漢字の意に留意し、作文パターンが事前に準備されている。

 第十三 歌本文は、題詞のもとにある歌として厳密に理解しないと、編纂者の意図が汲めないことを痛感した。

 第十四 「寧楽宮」とは、未来の天皇の御代のうち、光仁天皇の御代を指す。巻一から巻四に共通して用いている。

 第十五 光仁天皇の御代には、怨霊という概念が成立しその対応方法も実行されており、天皇もそれを行う状況になっていた。聖武天皇今上天皇として歌集を編纂するのは、その対応の一方策とみられる。

④ 巻四の配列は、そのため次の表のようになります。

 表 『萬葉集』巻四の配列の推測(2023/8/7 現在)

歌群

天皇の御代

歌群の筆頭歌

備考

1

天武天皇以前

2-1-487:巻四巻頭歌で天皇の妹の歌

難波を都とした天皇

2

持統・文武天皇

2-1-499:巻四で最初の人麻呂歌

持統天皇:在位690~697 没年703

文武天皇:在位697~707

3

元明元正天皇

2-1-516:巻四で唯一の志貴皇子

元明天皇:在位707~715 

元正天皇:在位715~724

4

聖武天皇

2-1-525:京職藤原大夫が大伴郎女に贈る歌

聖武天皇:在位724~749

孝謙天皇(阿倍内親王):在位749~758

淳仁天皇:758~764

称徳天皇(阿倍内親王):在位764~770

5

光仁天皇

2-1-724:未詳の人物の「献天皇歌」

光仁天皇:770~781

注1)歌の引用は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』による。「同書の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号」で示す。

注2)編纂上、今上天皇聖武天皇という建前である。その次の御代は「寧楽宮」を都城とする天皇の御代である。その御代(光仁天皇の御代)の歌は、暗喩による。そのため題詞に明記の作者のほかにその作者名をペンネームとした人物の歌にもなっている。

 

⑤ 相聞の歌とは、おくった歌とそれに応えた歌(例えば贈歌に対して和歌・報歌、(挽歌のように)並立する歌)が一組であり、配列でもそれを前提にしていました。

 土屋文明氏は、歌が社交の道具と既になっているとして「恋愛歌」のようなところがあっても(部立て「相聞歌」にある歌は)、実は単純な起居相聞の歌と見るべきであると指摘しています(2-1-649歌以下の4首での指摘)。

 

22.巻三の検討のまとめ

① 巻四は巻三と一体に編纂されていますので、改めて巻三のまとめを抄録しさらに追記します。巻三の配列検討の総括はブログ2022/11/7付けで行いました。

 部立てごとに、記します。

② 巻三雑歌は、巻三の編纂者による次のような方針のもとに編纂されている、と推測でき(同ブログ)「36.⑨」)、検討した結果その推測は妥当でした。

 第一 編纂時点を聖武天皇の御代と固定している。

 第二 天武天皇から聖武天皇までを即位順に3グループとしたのち、聖武天皇の御代終了後に即位する天皇の時代を「寧楽宮」の御代と称した4つ目のグループを作っている。そして、3つ目のグループには聖武天皇崩御に関する歌は配列していない。

 第三 「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御以降において官人が希望を寄せる男性の天皇を想定している御代に擬す。そのため、巻一の標目にある「寧楽宮」の意と通じている。

 第四 各グループは、歌と天皇の統治行為の関係分類の「A1,A2又はB」により区分を示し、「C」以下の区分の歌により当代の治世を表現している。(関係分類についてはブログ2022/3/21付け参照)

 第五 巻三雑歌の最終の編纂に合わせ、『萬葉集』の公表を許されるよう巻一と巻三の雑歌全体の統一性をとるよう巻をまたいで見直している。

 第六 代々の天皇の庇護のもとに次の天皇は即位するものであり、「寧楽宮」の御代の天皇とその御代を予祝するものとしている。

 この結果、巻三は、既に神とみなされる業績のある天皇の御代から始まり、期待されているあるいは事を成そうと意気込む天皇の御代までを統一的に編纂しており、今上天皇への忠誠を示しています。これは、『萬葉集』が公に認められるきっかけとなったのではないか、と推測します。

③ 次に、巻三の挽歌は、ブログ2022/11/14付けで次のように指摘しました。

 第一 題詞に作詠時点が明記された最後の歌は、家持が作った安積皇子への挽歌であり、天平16年である。そのあとにある題詞には、作詠時点が明記されていない。

 第二 巻二の挽歌にあったような天皇あるいは皇太子への挽歌、と明記した題詞がない。皇太子のまま薨去された皇子には、聖武天皇の御代の基皇子がおられる。

 第三 巻二の挽歌にある「標目」がないが、天皇の代を意識したグループ化をして順に配列されている。但し第一グループの御代には、推古天皇の御代が加わっている。

 第四 巻三の挽歌の歌には、挽歌の対象者に暗喩が認められるもの多くある。それにより聖武天皇以後の「寧楽宮」という未来の天皇の代も設定していることになる。

 第五 歌の配列は、挽歌の対象者の亡くなった時点ではなく、その歌を披露した(したい)と思われる時点の順になっている。

④ なお、律令では、死に関する儀礼を「喪葬令」に規定しています。それは、招魂(喪)と送魂(葬)の儀礼がワンセットであることを意識している規定と理解できます。死者を、円満に死者の世界に送ることをストーリーとしており、死者が死者の世界に行けないと、死者と生者が一緒にいるという混沌とした世界が続くことになる(死者にかき回される状況が続く)ので、それを解消し、生者の秩序は生者のみでつくり保てるようにするという意識です。

 そのため、「寧楽宮」という未来の天皇の代における挽歌も意義あるものとなります。

⑤ 巻三挽歌にある各歌での譬喩の推測は次の表のとおり。

表 巻三挽歌にある各歌での譬喩の推測(2022/11/28現在)

歌番号

題詞での作者(披露者)

題詞での挽歌の対象者

譬喩されている挽歌の対象者

歌群のグループ区分

418

上宮聖徳皇皇子

上宮聖徳皇子

 無し

第零

 419

大津皇子

大津皇子

 無し

第一

420~422

手持女王

河内王

天武天皇系皇子

第一

423~425

丹生王

石田王

天智天皇系皇子

第一

426~428

山前王

石田王

天智天皇系皇子

第一

 429

柿本人麻呂

香具山屍

草壁皇子(皇太子で死去)

第一

 430

刑部垂麻呂

田口広麻呂

道祖王(廃皇太子)

第一

431

柿本人麻呂

土形娘子

持統天皇

第一

432~433

柿本人麻呂

出雲娘子

持統天皇

第一

434~436

山部赤人

真間娘子

元明天皇

第二

437~440

河辺宮人

姫島松原美人屍

元正天皇

第二

441~443

大宰師大伴卿

故人

文武天皇

第一

444

倉橋部女王

長田王

 無し

第三

 445

明記無し

膳部王

 無し

第三

446~448

判官大伴三中

史生丈部竜麻呂

廃帝淳仁天皇

第四

449~453

大宰師大伴卿

明記無し

基王(皇太子で死去)

第三

454~456

明記無し

明記無し

聖武天皇

第三

457~462

明記無し

大納言大伴卿

志貴皇子

第三

463~464

大伴坂上郎女

尼理願

称徳天皇孝徳天皇

第四

465~466

大伴家持

大伴家持の亡妾

井上内親王

第四

467

弟大伴書持

大伴家持の亡妾(和歌)

井上内親王

第四

468

家持

明記無し

井上内親王

第四

469~472

家持

明記無し

井上内親王

第四

473~477

家持(悲緒未息更作歌)

明記無し

他戸親王(皇太子で死去)

第四

478~483

大伴家持

安積皇子

 無し

第四

484~486

高橋朝臣

高橋朝臣の妻

高野新笠桓武天皇の実母)

第四

26題 69首

 

 

 

注1)「歌番号」は、『新編国歌大観』所載の『萬葉集』の歌番号。

注2)この表は、ブログ2022/11/28付け「42.⑥」の表に、グループ区分を加えたものである。

注3)譬喩している人物は、持統天皇以下の歴代天皇とその間の皇太子の立場で死去した人物や廃皇太子などと、推測ができた。例外は、部立て「挽歌」の最後の題詞の歌(2-1-484歌~2-1-486歌)における譬喩の候補とした高野新笠だけ。皇后ではないが皇位を継ぐ者(桓武天皇)を生んだ人物であり、桓武天皇即位後皇太后薨去後に贈皇太后、贈太皇太后になっている人物である。

⑥ 巻三のもう一つの部立て「譬喩歌」については、下記「23.④と⑨」に記します。

 

23.巻一から巻四の特徴

① 『萬葉集』は編纂が何度か行われて後、時を置いた書写を繰り返して今日の姿となっています。『萬葉集』全体の編纂のなかでの巻四を確認し、次いで巻四の編纂方針を再検討します。

 歌集の外形である部立て、配列(順)、題詞の作文パターンなどを通じて確認します。

② 外形では、まず部立てです。

萬葉集』の巻一は雑歌という部立てをして、また巻二は相聞と挽歌という部立てをして、歌を配列しています。配列は、巻一も巻二も、部立てごとに天皇の代でいくつかのグループ(歌群化)として、グループを歴代順に並べています。そしてこの2巻での部立てが、『萬葉集』の三大部立てと言われています。

 巻三は、雑歌と挽歌の部立てをして、その二つの部立ての間に「譬喩歌」という部立てを置いています。修辞上の分類名のようです。部立ての雑歌と挽歌の配列は、巻一や巻二のそれと同じです。

 巻四は、相聞の部立てのみであり、配列は、巻一や巻二と同じです。配列上、いわゆる三大部立てがこの2巻で揃います(繰り返されている、と言えます)。

 巻五は、雑歌の部立てのみで歌を配列しています。巻六も部立ては雑歌のみです。巻七は雑歌と譬喩歌と挽歌の部立があり、巻八には雑歌と相聞を四季にわけた部立て(計8つ)があります。

 巻九は一巻で三大部立てがあります。このため、巻五~巻八でもって三大部立てを揃えているとみて 、ひとくくりとします。そして巻十から巻十三と、巻十四以降とがそれぞれひとくくりとなります(巻五以降の部立ての中の歌の配列は今考慮外です)。

③ これから、巻四は、巻一と巻二をモデルとして巻三と一体で編纂されているといえます。巻五以降は巻一と巻二がすべての場合モデルになっているかは疑問です。

 そのため、巻一から巻四のみを対象に編纂方針を推測するのは、巻五以降の各巻別の歌の配列は未検討でも、価値があると思います。

④ 以下、四巻に絞って検討します。

 巻一などにあった「標目」(例えば「泊瀬朝倉宮御宇天皇代」 )という表記は、巻三と巻四にはありません。しかし、歌群には歴然とした天皇の代による歌群があったので、巻一・巻二と同様な意識で編纂していると言えます。

 そして、譬喩歌という新たな部立てを雑歌の次にたてています。これは、(相聞等に分類できる歌なのに)譬喩を含む歌(さらに大々的に譬喩を用いた歌)のみで構成した部立てであり、巻一と巻二の編纂と異なります。これは、いわば編纂者の注記の部立てではないか。雑歌という部立ての左注のような意識ではないか。それは三大部立ての左注でもあります。

 部立て「譬喩歌」にある歌全25首は、大変わかりやすい譬喩の歌です。ただ、土屋文明氏が、歌の出来を褒めている歌は一首もありません。諸氏もほぼ同じでしょう。そのような歌を、編纂者は部立てをしてまで収載しています。編纂者の美意識を越えた何かによって設けられたのが譬喩歌という部立てであると断定してよいのではないか。

⑤ 次に題詞です。題詞は、官人の馴れ親しんでいる倭習漢文で作文されています。作文パターンがいくつもありますが、既存の巻一と巻二のそれと、巻三と巻四の主たるそれは違います。編纂者(あるいは編纂を命じた者)の編纂方針の違いがあると思えます。

 ただし、現行の巻一と巻二は、巻三以降の編纂時の加除訂正があると言えます。それにより巻一と巻二の編纂目的よりも、巻一~巻四を対象とした一つの編纂目的で編纂し直されている、と言えます。

⑥ 歌本文は、その元資料が推測可能でした。その天皇の御代に作詠された歌と披露された伝承歌であり、編纂者が新たに作詠したと思える元資料はないようです。伝承歌については「てにをは」を始め編纂者による改変の有無は確認しようがありません。異伝歌がいくつもある中から適切なものを選んでいるだけかもしれません。

 また、題詞の人名その他の情報から作詠時点がほぼ推定できる元資料の歌があります。それによれば、聖武天皇の御代までに作詠された歌でした。一番新しい作詠時点は聖武天皇の御代であり、聖武天皇への挽歌がありませんので、巻三と巻四の編纂の最早時点は聖武天皇の御代となりました。最遅時点は、『萬葉集』が世に知られた時点の直前としかいえません。

⑦ 外形からは、このようなことが指摘できます。

 歌本文の内容を、題詞のもとにある歌本文として検討すると、次のことが指摘できます。

 第一 題詞には倭習漢文の作文パターンがあるので、同一趣旨の場合は同一パターンになっていると想定でき、そのパターンの用例同士あるいは類似のパターンとの比較が有効な検討方法となった。

 第二 部立て「相聞」収載の歌は、おくった歌(及び誘っている歌)とそれに応えた歌が一組であり、収載はそれを基本としていると見られる。

 第三 題詞と歌全体で二意ある歌が連続して配列してあるのは、意図があると判断した。これは怨霊対策として有効であろう。

 第四 『猿丸集』第24歌の類似歌2-1-439歌は、第二グループの歌群の「部立て」挽歌の筆頭の題詞のもとにある歌4首の3首目の歌である。題詞にある「見」という文字は、「見・・・屍」という表現においては、「仄聞」あるいは「文書によって知る」という意、あるいは下命による作詠を示唆する言葉とも理解した方がよい。この題詞は送魂歌を意味する(ブログ2022/11/14付け「40.「2-1-437歌~2-1-440歌」」)。題詞を無視すれば相聞の歌とも理解可能である。挽歌の対象者である姫島松原美人(屍)は、上記「22.⑤」のように元正天皇かと推測している(同ブログ「39.③ 第四」での指摘は誤り)。

⑧ 必ずしも天皇のために詠まれた(披露された)歌ではない元資料の歌を作文した題詞のもとにおくことで編纂意図を貫いた歌集が『萬葉集』の巻三と巻四である、ということになります。

 今日でいえば編纂者の作品ですので、元資料の歌がその作者の意そのままで収載されているとは限りません。

⑨ 奈良時代は、天皇を中心とする専制国家の制度をつくり、それを徹底実践しようとしています。中国大陸の重要部分を統一している国家と同様に、日本列島を統一している国家が天皇を中心とする専制国家です。そのために、現行の巻一と巻二相当の歌集が既に公になっているだけでは不足している何かを補うために巻三と巻四は編纂されたのではないか。

 だから、巻三と巻四の編纂は、巻一と巻二の不足をも補って行い、現行の巻一~巻四を編纂しなおしたのではないか。

 別の見方をすれば、巻三と巻四の編纂者は既存の巻一と巻二の編纂目的を強く意識して編纂をしている、といえます。別の基準による部立てと思われる譬喩歌という部立てを加えているのは、2-1-1歌から巻四の最後の歌までを共通の目的に編纂し直すための方策ではないのか、と理解できます。

 つまり、2-1-1歌から2-1-xxx歌までを編纂した歌集に対して新たな編纂方針から確認し、場合によっては歌をα首追加して巻一と巻二とし、2-1-(xxx+α+1)歌から2-1-yyy歌までで一組となる歌集を追加して、巻三と巻四として、巻一から巻四が一つの編纂方針で編纂された歌集になるように作業をしている、と言えます。(その後の『萬葉集』編纂者の手で追加がなければ2-1-yyy歌とは(『新編国歌大観』の歌番号の)2-1-795歌です。

⑩ その目的は、今上天皇の御代(とその御子孫によるの御代)につながる寧楽宮の御代を予祝することではないか。それは、天武天皇の霊を慰めることにつながるからです。編纂時期が既に怨霊の概念が確立する頃であり、朝廷の公式行事の執行だけでは足りないものがある、と感じている人々もいたはずです。

 なお、『萬葉集』20巻の全体の成立論は別途の課題です。

⑪ 歴代天皇の御代を指標として巻三と巻四の歌群を比較すると、つぎのとおり。

表 巻三と巻四の部立て別・天皇の代による歌群グループ別・歌の配列状況

(譬喩歌を除く 2023/8/zz現在)

歌群のグループ名

巻三

巻四

関係する天皇

巻三 雑歌

巻三 挽歌

巻四 相聞歌

第零

 

418

487~499

  (13首)

難波を都とした天皇

 

第一

235~ 289

 (55首)

419~436

 (19首)

499~515

  (17首)

天武天皇

持統天皇

文武天皇

第二

290~314 

(25首)

437~440

 (4首)

516~524

  (9首)

元正天皇

元明天皇

第三

315~377

 (63首)

441~462

 (22首)

525~723

  (99首)

聖武天皇

第四

378~392 (15首)

463~486

(24首)

724~795

  (82首)

孝謙天皇

淳仁天皇

称徳天皇

寧楽宮(狭義)

 計

  (158首)

    (69首)

  (319首)

 

備考

388~390は「仙であっても幹ではない枝に関する歌」、

挽歌の対象者の殆どに別の人物の暗喩あり

第四グループの歌の作者には別の人物の暗喩あり

 

注1)歌番号は、『新編国歌大観』記載の『萬葉集』での歌番号

注2)巻三雑歌に関しては、「表 天皇の代による4グループ別にみた巻三雑歌の配列状況(2022/10/10現在における表E’に基づいた表)(2022/10/31現在)による。巻四にならい第零グループを設定した。

注3)巻三挽歌に関しては、ブログ2022/11/14付け及び2022/11/28付けの表による。巻四にならい第零グループを設定した。

注4)巻四相聞歌に関しては、ブログ2023/1/23付けの表H1及びブログ2023/3/6付けの表H2・表H3などから作成したブログ2023/3/6付けの表1による。

注5)「関係する天皇」欄の「寧楽宮」とは、聖武天皇崩御後に即位する(官人が待ち望んだ)天皇を示唆している。『萬葉集』が公表された時の天皇が天智系の天皇であるので、皇位継承の天武系から天智系への転換を編纂者は念頭において、第四のグループを設けた、と推測できる。結果的に、巻一雑歌にある標目「寧楽宮」の意と重なり得る。

 

24.補説 元資料が宴席の歌と私的な社交的な場の歌の例

① 坂上郎女の怨恨歌を検討した際、それ以降に配列されている題詞(とそのもとにある歌)が、恋の歌ではなく、宴席等の社交的な場の歌の相聞の歌であり対の題詞(と歌)である事への言及が不十分でしたので、ここに補説します。

 2-1-624歌と2-1-625歌については、ブログ2023/5/8付けの「12.⑭」で、「夫婦の間を往復した歌」ではなく(元資料の)歌は送別会の席の歌ではないかと指摘しています。

 2-1-626歌は、「池辺王宴誦歌一首」と題詞に「宴誦歌」とあります。一見恋の歌のようですが、宴席で誰かの気持ちを代作した歌とも理解可能です。

 2-1-627歌は、題詞「天皇思酒人女王御製歌一首 (女王者穂積皇子之孫女也) 」があり、ブログ2023/2/13付け「5.⑨~⑰」の検討で、宴席で披露された歌でした。ブログ2023/5/8付け「12.⑯」に指摘しているように2-1-626歌と一対の歌群です。

② 2-1-628歌は、「高安王褁鮒贈娘子歌一首 (高安王者後賜姓大原真人氏) 」と題詞にある歌です。ブログ2023/3/27付け「9.⑥」以下で検討しました。(2-1-785歌の題詞と同じ)「作者名+別の行為+贈+相手の名+歌」という新たな作文パターンと理解し、歌を贈った「娘子」に、そろそろ良い返事をもらえる頃ではないか、と催促する歌でした。鮒が眼前にあるから詠った歌であり、宴席で披露された歌です。

 次の2-1-629歌は、「八代女王天皇歌一首」と題詞にあり、ブログ2023/2/13付け「5.⑥」では「この題詞のもとにある歌本文は、既に天皇と極めて親密な関係であったかに(あるいはその疑いを掛けられたと)理解できる」及び「一方的に自らの行動を通告するという詠いぶりであり「献天皇歌」という題詞は、穏やかに「和歌」(返歌)するという内容ではないことを示している、」と指摘したものの、披露された場の指摘を割愛していました。改めて推測すれば、天皇の周囲のものに急ぎ申し開きをする必要があったとすれば、その人達が居る(天皇の出席に関係なく)宴席での披露ではなかったか、と推測できます。つまり宴席での歌です。

 そして、2-1-628歌で言い寄られた女性が、例え天皇のお言葉でも、と拒否した歌ではないか。八代女王の名は、2-1-628歌が高安王の作としたので、題詞を作文した編纂者がつり合いを考えたのだと思います。 つまり2-1-628歌と2-1-629歌は一対の宴席の歌です。

③ ここまでの歌は特異な作文パターンもあり、明確に複数の題詞で一組の相聞歌群が続いているとはにわかに断定しにくいところでした。

 2-1-630歌 娘子報贈佐伯宿祢赤麿歌一首 

 この題詞は次の題詞(2-1-631歌 佐伯宿祢赤麿和歌一首)と一組の相聞歌群を成し、宴席の歌です。純粋の求婚歌であれば、娘子は人づてに人物像の噂を聞いた段階で拒絶しており、白髪が生えていることを現認しても返事をしないでしょう。この歌のように詠って拒絶しているのですから、宴席で披露しあった戯れ歌です。だから「娘子」の代作を同席の者がした歌かもしれません。

 2-1-632歌 大伴四綱宴席歌一首

 次の題詞(2-1-633歌 佐伯宿祢赤麿歌一首)とともに一組の相聞歌群を成しています。土屋氏の理解でともに宴席の歌です。さらに大伴四綱が2-1-631歌を受けて女性の立場で詠み(三句の君は男性を指す)、白髪が生えているのを(2-1-630歌で)揶揄された佐伯宿祢赤麿が、人の噂になりすぎては(行けない)ね、と男性の立場で娘子への執着を諦めたとの理解も可能です。

 このように、宴席では、披露された歌に対して、それに応じた歌が披露されるということで自然に相聞歌群としての一組が出来上がっています。

④ 2-1-626以下2-1-633歌までの元資料は、相手と私的に遣り取りした歌ではなく、多数の人がいる場面で披露されています。また、2-1-634歌以下2-1-644歌はブログ2023/5/27付けで検討し、やはり宴席での歌でした。題詞は披露された場面は自由に補える作文パターンであり、題詞のもとにある歌としても、宴席等、多くの人に披露した歌と理解できます。

⑤ 次に、紀女郎の怨恨歌(という題詞のもとにある歌)は、社交的な場で披露された歌でした。その次にある歌2-1-649歌は、男性(大伴駿河麿)の厚かましい詠いぶりです。2-1-650歌(の作者坂上郎女)はそれに対して、あえないのはあなたの行動が原因だ、と詠います。一組の相聞歌となっています。なお、大伴駿河麿と坂上郎女は甥と叔母の関係であり、伯母という立場への配慮が足りないという気持ちがあるとも、久しぶりの甥からの歌にご活躍ですね、私を忘れていたのですね、と応じたとも推測できる一組の相聞歌となっています。

 2-1-651歌は、(2-1-649歌と比べれば)男性が無沙汰をしてしまったことを詫びて都合を問いかけている詠いぶりです。2-1-652歌は、便りのないことを案じていた、と穏やかに詠っています。この組み合わせの歌2首も一対の相聞歌です。

⑥ このように、宴席とか社交的な挨拶歌か社交的な場での遣り取り(あるいは文通で)の歌で歌群としている題詞(とそのもとの歌)の組合せが、坂上郎女と紀女郎と怨恨歌の前後には配列されています。

 それにより、天皇の統治を讃えるため、皇族・官人の穏やかな日常を活写しています。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧しただき ありがとうございます。

しばらく夏休みをとり、『猿丸集』第24歌の再検討にもどりたい、と思います。

(2023/8/7  上村 朋)