わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 歌本文の「なら」

 前回(2021/11/29)、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 歌本文の寧楽」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 歌本文の「なら」」と題して、記します。(上村 朋 2022/3/2、付記1.に脱落していた「表G 万葉集で「平城」表記一覧 附「奈良」表記」追記した。)

1.~13.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行い、3-4-23歌まではすべて恋の歌であることを確認した。3-4-24歌については類似歌(『萬葉集』の歌)の検討のため『萬葉集』巻一と巻二の標目「寧楽宮」を検討している。なお、歌は『新編国歌大観』より引用する。)

14.再考 類似歌 その11 「寧楽」の歌本文での用例 その2

① 類似歌2-1-439歌の重要な参考歌(2-1-228歌)の理解のため、『萬葉集』歌での「寧楽宮」表記の意を確認中です。

 今回は、歌本文の万葉仮名を「なら」と訓む地名等のある歌を検討します。ひろく『新編国歌大観』において「なら」と訓んでいる表記(寧楽、平城、奈良、平、楢など)で地名等を指す用例は、53首に54例あり、付記1.の表Fのとおりです。

 表Fは、配列と題詞に留意して検討した歌意に従い、推測した作詠時点も記載しています。2-1-29イは歌の一部ですが、1首とカウントして整理してあります。

② 歌本文で「寧楽」表記の「なら」は、7例あり、前回(ブログ2021/11/29付け)などでその意を検討しました。そのほかの表記も対象に表Fから整理すると、次の表1.となります。

表1. 『萬葉集』歌本文での訓「なら」が名詞系の場合、その表記別意味別一覧 (2021/12/6 現在)

意 味 区 分

   表記の 区 分

計(例)

 

寧樂

平城

奈良

名良

 

奈良山丘陵(奈良盆地北端)の峠

 1

 0

 0

 0

 0

 0

 0

 1

都城の宮

平城宮相当+α)

 1

 0

 0

 0

 1

 0

 0

 2

都城の宮

平城宮

 0

 0

 0

 0

 1

 0

 0

 1

都城平城京+α)

 3

 0

 0

 0

 0

 1

 0

 4

都城平城京

 2

 9

21

 0

 0

 0

 0

32

奈良山丘陵(奈良盆地北端)

 0

 0

 4

 6

 2

 0

 1

13

明日香の丘の名

 0

 0

 1

 0

 0

 0

 0

 1

 合 計

 7

 9

26

 6

 4

 1

 1

54

注1)『新編国歌大観』記載の『萬葉集』で、句頭の表記文字の訓が「なら」とある歌で、その意が都城・地名・山名と思われる歌を集計した表Fより、作成した。

注2)「+α」とは、当該表記が漢字としての意(例えばを熟語「寧楽」など)が加わっている意。

 

③ 「寧楽」表記との比較は、後程改めて検討することとします。

 最初に「平城」表記をみると、9例あり、すべて都城である「平城京」の意でした。

 「平城宮」の意の例は、ありませんでした。『続日本紀』には「平城宮」(ならのみや)に行幸など(巻四和銅2年8月辛亥(28日)条、同和銅2年12月丁亥(5日)条)という記述があります。

 平城遷都の詔(巻四和銅元年2月戊寅(15日条)では、「平城(へいぜい)之地 四禽叶図 三山作鎮・・・」とあり、「なら」と訓んでいません。詔の文章という制約があっての訓なのか、それともその地が中国の「平城」(付記2.参照)という都市になぞらえられるという意なのか、わかりません。歌本文の「平城(京師など)」はみな「なら(のみやこ)」と訓まれています。

 巻別に整理すると、下記の表2.のようになります。巻一と巻二に「平城」表記の歌はありません。「平城」という表記そのものは早くても平城遷都前後から用いられはじめたはずですので、巻一と巻二に平城京遷都(710)後の歌もあるので、記載があってもおかしくありません。しかし、積極的に避けて編纂したのか、適切な歌がなかっただけなのか、不明です。

 「平城」表記で最も早い作詠時点は、作者明記の歌では2-1-997歌の養老2年(718 大伴坂上郎女)です。作者名の明記がない歌では、当然ながら2-1-2291歌などの平城京遷都後となります。

 また、「あをによし」と訓む修飾語がある「平城」表記が4首あります。「平山」(ならやま)の修飾語として平城遷都以前から「あをによし」が既にありました(例えば柿本人麻呂の2-1-29歌)ので、「なら」と訓む「平城」も修飾したのでしょう。この場合、「青丹吉」と色彩を強調しているかの表記ばかりです。

 なお、漢字としての「平城」の意は、ブログ2021/10/18付け「6.④」で確認したところです。

表2.『萬葉集』歌本文にある「平城」の意別巻別一覧(作詠時点の推計あり) (2021/12/6 現在)

「平城」の意味

巻一と巻二の歌

巻三と巻四の歌

巻五以降の歌

平城宮相当+α

無し

無し

無し

平城京+α

無し

無し

無し

奈良山丘陵の峠 

無し

無し

無し

平城京

 (9例)

 

平城京乎2-1-333(大伴四綱)天平2以前

(青丹吉)平城有人之2-1-1205(作者未詳伝承歌) 平城京遷都後 

(青丹吉)平城之人2-1-1910(作者未詳伝承歌) 平城京遷都後 

平城里人2-1-2291(作者未詳伝承歌か。)平城京遷都後

(青丹吉)平城之明日香乎2-1-997(大伴坂上郎女)養老2年以降

平城京師2-1-1643(大伴旅人) 師在任中

(青丹与之)平城京師由2-1-4269(作主未詳) 天平5

平城京師之2-1-1049(作者不審)天平12以降

平城京師者2-1-1051(田辺福麻呂歌集中の歌)天平12以降

計 9例

無し

1例

8例

注1)歌は、『新編国歌大観』の巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号で示す。

注2)付記1.の表Fより作成。

 

④ 次に、「奈良」表記をみると、26例あります。「平城京」の意が21例を占めます。そのほかは奈良山丘陵の意が4例、明日香にある丘の名の意が1例です。

 巻別に整理すると、次の表3.が得られます。巻一と巻二には、1例あり、「奈良山丘陵」を意味する2-1-17歌で、その作詠時点は平城京遷都以前です。「奈良」表記でも「平城京」の意の例が巻一と巻二にない、ということです。

 なお、漢字「奈」と「良」の意は次のように漢和辞典に説明があります。

奈:a木の名。柰(だい べにりんご)bいかん。いかんせんc如に通ずd姓のひとつ。など。

 熟語として、「奈河」(死後に行く血の河)、「奈良」(大和国の地名。寧楽・乃楽・平城)などの説明があります。中国古典に「奈良」という熟語の用例はないようです。

 良:aよくbまことにcふかいdはなはだ などなど。

 熟語として、「良策」、「良友」、「良師」、「良死」(寿命を全うしてしぬこと・よい死にざま)、「良心」などを説明しています。

 

表3. 『萬葉集』歌本文にある「奈良」の意別巻別一覧(作詠時点の推計あり) (2021/12/6 現在)

「奈良」の意味

巻一と巻二の歌

巻三と巻四の歌

巻五以降の歌

作詠が710年~739年

作詠が740年~

平城京+α

無し

無し

無し

無し

平城京

 (21例)

無し

無し

2-1-810&2-1-812 神亀5年(728)

ほか計9例

2-1-1050歌 740以降

ほか計13例

奈良山丘陵

  (4例)

2-1-17歌

(662~667)

無し

2-1-1642歌 729以前

2-1-3858歌 神亀年間

2-1-2320歌 時点不明

 

明日香の丘の名

  (1例)

 

 

2-1-1510歌 恭仁京遷都後

 

計 26例

1例

無し

12例

13例

注1)歌は、『新編国歌大観』の巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号で示す。

注2)付記1.の表Fより作成。

 

「あをによし」という修飾語が4例あり、すべて「青丹吉(与之)」という表記です。「青」と「丹」という色を強調したかの表記です。

⑤ 次に、「平」表記の歌をみると、6例すべてが「平山」表記であり、「奈良山丘陵」の意でした。都城名に「平」を用いて「なら」(のみやこ)と訓む歌は『萬葉集』にありません。

 作詠時点は、柿本人麻呂作の2-1-29歌と2-1-29イ歌が藤原京遷都(694)以前(巻一記載)であり、2-1-2492歌と長歌2-1-3251歌が作者未詳で作詠時点不明であり、残りの2-1-1589歌と2-1-1992歌が天平10年作の歌です。都城が明日香にある時代から、「奈良山丘陵」に対して継続的に「平山」という表記は用いられていた、とみることができます。

⑥ 次に、「楢」表記の歌は4例あり、その意は3種ありました。

 「都城の宮(平城宮)+α」の意は、1例2-1-79歌があり、巻一にある平城京造営中の歌です(ブログ2021/11/1付け参照)。「+α」とは、「あをによし」とは程遠い「楢」の木々の目立つまだ出来上がっていない都城の形容の意も含んでいる、と理解したところです。

 二番目に、「奈良山丘陵」の意は、2例2-1-596歌と2-1-3254歌であり、天平時代の作です。

 三番目に、「平城宮」の意は、1例2-1-3244歌でした。2-1-3244歌の理解は土屋文明氏の理解に従いました。天平末期の作であり、奉幣使を詠う歌です。天皇に拝謁後の出発なので「平城宮」の意で「楢従出而」と表記されている、と理解しました。

 この歌を、多くの諸氏は、初句「帛〇(口偏に旁が刀)」(みてぐら)は二句にある「楢」の枕詞とみて、吉野行幸時の道中を詠う歌と理解しており、それによれば、単に「都を出発して」という理解となり、「楢」は、「(平城)宮」ではなく「平城京」を意味することになります。(諸橋轍次大漢和辞典』に「帛〇(口偏に旁が刀)」の「〇」字はありませんでした。)

⑦ 次に、「名良」表記は、2-1-1051歌の1例だけです。左注に「右廿一首田辺福麻呂之歌集中出也」とある「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」と題する歌です。作詠時点を天平12年以降と推測した歌です。

 題詞にある「寧楽故郷」の「寧楽」の意を、ブログ2021/11/22付け「12.⑩」以下で検討しました。

「寧楽」は、「故郷」と同格の名詞であると同時に、「故郷」の形容詞ではないかとして、題詞の現代語訳を

「「なら」と呼ぶ「ふるさと」そして「安んじて楽しむ」と評価できる「ふるさと」を悲しんで作る歌一首・・・」(同「12.⑬」)と試みました。

題詞にある「寧楽故郷」の「故郷」とは、歌本文でいう「古京」である平城京と言う都城を、歌を詠む時点から振り返り、作者が以前住んでいたところを指す表現である、と思います。「寧楽」の意は、「平城京+α」とみたところです。

⑧ 長歌である2-1-1051歌本文には、「なら」表記が、「名良乃京矣」のほかもう一例(「平城京師」)あります。

 歌本文から「なら」表記に関する部分を引用します。

 2-1-1051歌 (抜粋)

八隅知之 吾大君乃 ・・・ 千年牟兼而 定家矣 平城京師者 炎乃 春尓之成者 ・・・ 万世丹 栄将往迹 思煎石 大宮尚矣 恃有之 名良乃京矣 新世乃 事尓之有者 ・・・

やすみしし わがおほきみの ・・・ ちとせをかねて さだめけむ ならのみやこは かぎろひの はるにしなれば ・・・ よろづよに さかえゆかむと おもへりし おほみやすらを たのめりし ならのみやこを あらたよの ことにしあれば ・・・

 

 阿蘇氏は次のような現代語訳を示しています。

 「天下をあまねく支配しておいでになるわが大君が、・・・千年万年の将来までもお考えになってお定めになったと思われる奈良の都は、かぎろいの立つ春になると、・・・ (天地の寄りあう遠い)行く末までこの都は栄えて行くであろうと、そう思っていたこの大宮すら、頼みにしていたその奈良の都すら、新しい時代の事とて・・・」

 長歌の最初には千年万年も見通して造営した「平城京師」と詠い、次には遷都で捨て去ろうとする都城を「名良乃京」と言い換えています。題詞にある「悲寧楽故郷」の思いは「名良乃京」の表記にも込めているのではないか、と思います。

⑨ 「名良」の漢字の意義を確認すると、次のような説明が『大漢和辞典』にあります。

 「名」:aなのる bなをよぶ cなづける dな(人の名など) eなだかい fすぐれている g人を数える助数詞 hふれ・命令・号令 などなど。

 熟語として、「名良」の立項は無し

 「良」:上記④参照

 「なら」という音を、「平城」と書き留めるのと、「名良」と書き留めるのでは、違う感情が伴っているのではないか。

 前者「平城京師」は淡々と都城名をあげていても後者「名良乃京」には、題詞の「寧楽」と同様に、漢字の語義を踏まえて「すぐれていてよい都城である「平城京」」という意味を込めて作者は用い(あるいは書き留めた人物は記し)たのではないかと推測できます。

 そうすると、「名良(乃京)」のその意は「平城京+α」である、と認めてもよい、と思います。

⑩ 最後に、「常」表記の歌は、1例2-1-3250歌であり、「常山」という表記で「奈良山丘陵」の意でした。作詠時点を表Fでは不明としましたが、「あをによし」という修飾語を、「青丹吉」と書き留められているので、額田王作の2-1-17歌と同時期の可能性もあるのではないか。あるいは、東山・北陸への出立の送迎歌ですので、「空見津 倭国 青丹吉 常山越而 山代之・・・」と出立地である倭国から詠いだしており、奈良山丘陵に近い平城京遷都後が作詠時点(書き留めた時点)かもしれません。

 なお、漢字「常」は、aはた。日月や黄竜をえがいた天子の長い旗 b長さの単位 cつね、などの意の漢字です。「常(山)」表記を「なら(やま)」と訓むのは、『萬葉集』でもこの歌だけです。

 この次の歌は「或本歌曰」と題した同じ長歌であって、「緑丹吉 平山過而 氏川渡・・・」と詠っており、「常山」は「ならやま」と訓むほかないのではないか、と思います。

⑪ さて、「寧楽」表記を、改めて検討したい、と思います。

 歌本文で「寧楽」表記の用例は、「なら」と訓む表記54例中、7例しかありません(ブログ2021/11/22付け参照)。(表Fから作成した「寧楽」の意別巻別一覧は、ブログ2021/11/29付け「13.⑫」参照。)

 そのうち2-1-303歌のような奈良山丘陵の峠という用例は他の表記にはありませんでした。

 また、「平城宮」をさした例はこの「寧楽」1例と「楢」表記に2例あるだけです。

2-1-80歌における造営中の「平城宮」をさして「寧楽」表記 (具体には「寧楽乃家」)

 2-1-79歌における造営中の「平城宮」をさして「楢」表記 (具体には「楢乃京師」)

 2-1-3244歌における奉幣使の道中歌とみた場合の出発地としての「平城宮」をさして「楢」表記(具体的には「楢従出而」)

 2-1-3244歌は諸氏のように行幸時の歌とみれば「平城京」の意でもよく、どの程度「平城宮」を意識しているのか不明です。

 結局、作者が、意図をもって書き留めたのは、造営途中の宮に対して詠った、2-1-79歌と2-1-80歌の2首だけ、となります。この二首は、『萬葉集』では、長歌とそれに付随する反歌として記載されています。

 残りの「寧楽」の用例は、「平城京」の意であり、作詠箇所が、大宰府の望郷の思いも加わった巻三の2首(2-1-331歌、2-1-334歌)と作詠時点からみて恭仁京に遷都など平城京に官人が居住できない状況下における巻六と巻八の歌2首(2-1-1048歌、2-1-1608歌)と、「寧楽人」と表記する2-1-1553歌です。

 この2-1-1553歌の理解は、歌本文の「なら」表記をこのように通覧すると、前回(ブログ2021/11/29付け)の理解は再検討が必要かもしれません。

⑫ 「平城京」という都城の意で用いられている表記のみを比較してみます。

都城平城京)の意の「なら」は、「平城京+α」の4例を加えて計36例あり、「奈良」表記が21例と58%を占めており、「平城」表記は9例で25%とこの二つで83%となり、「寧楽」5例(14%)と「名良」1例(計3%)です。

平城京+α」の4例は、「寧楽」表記で3例(2-1-331歌など)、「名良」表記で1例(2-1-1051歌)ありますが、多くの用例がある「平城」表記と「奈良」表記には、一例もありません。

 また、都城平城京」の宮(平城宮)の意を歌本文に書き留める例は大変少なく3例だけですが、「平城宮相当+α」の意が2例でした。

 「寧楽」、「楢」、「名良」字を用いた都城の表記は「奈良」では表せない何かを込めて選ばれた文字による都城表記である、といえます。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、「寧楽人」と「寧楽宮」を再検討したい、と思います。

(2021/12/6   上村 朋)

付記1.『萬葉集』における表記の「寧楽」の用例と歌における「なら」と訓む歌について

①『萬葉集』における表記の「寧楽宮」関連の用例と訓について、『新編国歌大観』により確認した。

②『萬葉集』における表記の訓が「なら」であって、その表記が句頭にある場合でかつそれが都城名・地名・山名と思われる歌を表Fに示す。

③ また、『萬葉集』における表記で「平城」とあるのは歌本文以外にもある。題詞等での例を表Gに示す。

④ なお、『萬葉集』の歌本文における表記の「寧楽宮」の用例(表D)、「寧楽宮」以外の「寧楽」の用例(表E)は前回ブログ(2021/11/15付け)にも付記している。

表F  『萬葉集』における表記の訓が「なら」であって、その表記が句頭にある場合でかつそれが都城名・地名・山名と思われる歌一覧    (2021/11/29 現在を今回(2021/12/6付けブログ時)の確認で誤字訂正と注に追記))

清濁抜きの訓

歌番号等

表記

凡その作詠時点

備考  

ならしのをかの

2-1-1510

奈良思乃岳能

恭仁京遷都(740)以後

題:大伴田村大嬢与妹坂上大嬢歌一首

〇地名:明日香にある丘の名前

ならちきかよふ

2-1-3996

(青丹吉)奈良治伎可欲布

天平19/3

大伴池主の大伴家持への返歌

平城京への道

ならちなる

2-1-871

奈良遅那留

天平2/7/10

官人吉田宜が都から山上憶良におくった返歌 〇平城京へ至る道

ならなるひとの

2-1-1205

(青丹吉)平城有人之

平城京遷都後

玉津島を詠う伝承歌。作者未詳。

平城京

ならなるひとも

2-1-1910

(青丹吉)平城之人

平城京遷都後

伝承歌。巻十の相聞歌。梅の花を詠む。(作者未詳) 〇平城京

ならにあるいもか

2-1-4131

(安乎尓与之)奈良尓安流伊毛我

天平20/5

(大伴宿祢家持作)

平城京

ならのあすかを

2-1-997

(青丹吉)平城之明日香乎

養老2年以降

題詞:大伴坂上郎女元興寺之里歌一首

元興寺は養老2年平城京左京に移った。

平城京

ならのいへには

2-1-80

(青丹吉)寧楽乃家尓者

平城京遷都前後

題詞:或本従藤原京遷于寧楽宮時歌

反歌。 左注し「右歌作主未詳」

平城京 平城宮

ならのおほちは

2-1-3750

(安乎尓与之)奈良能於保知波

天平12前後

(中臣朝臣宅守作)

平城京

ならのさとひと

2-1-2291

平城里人

平城京遷都後

伝承歌か。作者は未詳。

里とは平城京の坊里の意 〇平城京

ならのたむけに

2-1-303

寧楽乃手祭尓

没年729前

題詞:長屋王駐馬寧楽山作歌二首

〇奈良山丘陵の峠

ならのみやこし

2-1-1643

平城京

師在任中

題詞:太宰帥大伴卿冬日見雪憶京歌一首

平城京

ならのみやこに

2-1-810

 

2-1-812

 

2-1-886

2-1-1048

 

2-1-3624

 

2-1-3634

 

2-1-3698

2-1-4290

(阿遠尓与之)奈良乃美夜古尓

(阿遠尓与之)奈良乃美夜古尓

 

奈良乃美夜古尓

寧楽乃京師尓

 

(安乎尓余之)奈良能美夜古尓

(安乎尓与之)奈良能美也故尓

奈良能弥夜故尓

(青丹余之)奈良能京師尓

神亀5

 

神亀5

 

天平2

天平12以降

天平8

 

天平8

 

天平8

天平勝宝4

 

 

(太宰帥大伴卿作)

2-1-810歌の答歌(都に居る官人の作)

 

山上憶良作)

題詞:傷惜寧樂京荒墟作歌三首割注し「作者不審」 

(伝承歌。 作者は未詳) 

 

遣新羅使人の一人である大判官の作)

遣新羅使人で大判官以外の一人の作)

題詞:為応詔儲作歌一首幷短歌(大伴家持作)  〇全歌みな平城京

ならのみやこの

2-1-79

 

2-1-1049

 

2-1-1053

 

2-1-1608

(青丹吉)楢乃京師乃

 

平城京師之

 

奈良乃京之

 

寧楽乃京師乃

平城京遷都前後

 

天平12以降

天平12以降

天平15以降

題詞に「遷干寧楽宮」 左注し「歌作主未詳」

 

題詞に「寧楽京荒墟」 割注し「作者不審」

 

題詞に「寧楽故郷」 (大原真人作)

 

題詞:「大原真人今城傷惜寧樂故郷歌一首」

〇全歌みな平城京

ならのみやこは

2-1-331

 

2-1-1051

 

2-1-3635

2-1-3640

2-1-3941

(青丹吉)寧楽乃京師者

 

平城京師者

 

奈良能美也故波

奈良能美夜故波

(青丹余之)奈良能美夜古波

天平元年

天平12以降

 

天平8

天平8

天平16/4/5

題詞:「太宰少弐小野老朝臣歌一首」 左注に「右廿一首田辺福麻呂之歌集中出也」

題詞:「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」(田辺福麻呂歌集中の歌)

遣新羅使人の一人)

遣新羅使人の一人)

大伴家持作)

〇全歌みな平城京

ならのみやこゆ

2-1-4269

(青丹与之)平城京師由

天平5

題詞に「天平五年・・・作主未詳」)

平城京

ならのみやこを

2-1-333

2-1-334

 

2-1-1050

 

 

2-1-1051

平城京

寧楽京乎

 

(青丹吉)奈良乃都乎

 

名良乃京矣

 

 

天平2以前

天平2以前

 

天平12以降

 

天平12以降

 

 

 

(大伴四綱作)

 

(帥大伴卿作:在任は神亀4~天平2)

題詞:「傷惜寧楽京荒墟作歌三首」 左注に「右廿一首田辺福麻呂之歌集中出也」

題詞:「悲寧楽故郷作歌一首并短歌」 左注に「右廿一首田辺福麻呂之歌集中出也」

〇全歌みな平城京

ならのやまなる

2-1-1642

(青丹吉)奈良乃山有

729以前

題詞に「天皇御製歌一首」(聖武天皇作)

〇奈良山丘陵 

ならのやまの

2-1-17

(青丹吉)奈良能山乃

662~667

題詞:額田王近江国時作歌井戸王即和歌(井戸王作)

〇奈良山丘陵

ならのわきへに

2-1-4002

(青丹吉)奈良乃吾家尓

天平20/3以前

題詞:述恋緒歌一首 (大伴家持作)

平城京

ならのわきへを

2-1-4072

奈良野和芸遮敝乎

天平20/3

大伴家持作)

平城京

ならひとのため

2-1-1553

寧楽人之為

天平年間

(紀朝臣鹿人作)

平城京

ならひとみむと

2-1-4247

(安乎尓与之)奈良比等美牟登

天平勝宝2/9

左注に「右一首守大伴宿祢家持作之」

平城京

ならやまこえて

2-1-29イ

 

 

 

2-1-3250

 

 

2-1-3254

(青丹吉)平山越而

 

 

(青丹吉)常山越而

 

楢山越而

 

 

藤原京遷都(694)以前

不明

 

天平終わり(土屋)

題詞に「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」

 

 

 

長歌(作者未詳) 東山・北陸への出立の送迎歌

 

長歌(作者未詳) 東山・北陸への出立の送迎歌

〇全部みな奈良山丘陵

ならやますぎて

2-1-3251

 

2-1-3979

(緑丹吉)平山過而

(青丹余之)奈良夜麻須疑氐

不明

 

天平18/9/25

長歌(作者未詳) 伝承歌 羇旅歌

 

題詞:哀傷長逝之弟歌一首幷短歌(大伴家持作) 〇全部みな奈良山丘陵

ならやまの

2-1-596

 

2-1-1589

 

2-1-2320

 

2-1-2492

 

2-1-3858

 

 

 

楢山之

 

平山乃

 

奈良山乃

 

平山

 

奈良山乃

 

 

 

 

恭仁京時代

天平10/10/17

不明

 

不明

 

神亀年間(土屋)

 

 

題:笠女郎贈大伴宿祢家持歌廿四首

 

左注に「右一首内舎人縣犬養宿祢吉男」

巻十雑歌 題:詠雪 伝承歌か。

 

左注に「(以前一百四十九首柿本朝臣人麻呂之歌集出)」

題詞:謗佞人歌一首

左注に「右歌一首博士消奈行文大夫作之」

〇全部みな奈良山丘陵

ならやまを

2-1-1592

平山乎

天平10/10/17

左注に「右一首三手代人名」

〇奈良山丘陵

ならやまをこえ

2-1-29

(青丹吉)平山乎超

藤原京遷都(694)以前

長歌 (柿本人麻呂作)

〇奈良山丘陵

ならよりいてて

2-1-3244

楢従出而

天平末期(土屋)

雑歌にある長歌 題詞は無し。奉幣使を詠う(土屋氏)。作者は未詳。〇平城宮

ならをきはなれ

2-1-4032

(安遠迮与之)奈良乎伎波奈礼

天平18/5

題:忽見入京述懐之作生別悲兮断腸万廻怨緒難禁聊奉所心一首并二絶  左注に「右大伴宿祢池主報贈和歌 五月二日」 

平城京

 54例

(53首)

寧楽: 7例

平城: 9例

奈良:26例

平山: 6例

その他: 6例

 

訓「あをによし」が掛かる「なら」は27首

内訳:寧楽: 2例

平城: 4例

奈良: 16例

平山: 3例

その他: 2例

注1)歌は『新編国歌大観』による。「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での番号」で示す。

注2)2-1-29歌は、歌本文と一部異伝の2-1-29イを一首の歌として作表している。同一カ所の言い換えの部分に用例があるので、2首各1例という扱いをしている。

注3)2-1-1051歌には「なら」が2例ある。

注4)「凡その作詠時点」欄の「(土屋)」とは、土屋文明氏の意見(『萬葉集私注』)に依り判定した意である。

注5)ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」で2021/11/22付けまでに検討した歌は、その結果より題詞に留意した歌意を採用して、作詠時点の推計をしている。

注6)作詠時点を不明と推測した歌は、すべて、「ならやま」と訓む歌である(計4首)。

注7)2-1-2291歌は、歌本文の「平城里人」が、「明日香人」となった元資料があったとすれば、その伝承歌を平城遷都後に利用した異伝歌ともいえる歌である。そうでない歌であっても歌本文に「平城」表記をしているので、作詠時点は、平城遷都(710)後となる。作者と「平城里人」は官人かその家族ならば共に都が居住地であり、近くに居るのに訪問してこない相手への歌と理解できる。

注8)2-1-17歌は、近江遷都(667)に従い居住を移す際の歌である。

注9)「あをによし」と訓む修飾語を「表記」欄に付記した(計27首)。

表G 万葉集で「平城」表記一覧   附「奈良」表記 (2021/11/29  現在)

調査対象区分

題詞等の文

備考

題詞で

2-1-3938十六年四月五日独居平城故宅作歌六

 

題詞の割注で

2-1-101(大伴宿祢娉巨勢郎女時歌一首)  大伴宿祢諱曰安麻呂也難波朝右大臣大紫大伴長徳卿之第六子平城朝任大納言兼大将軍薨也

平城朝:平城天皇の治世の時

歌本文で

9首。(すべて表Fに記載 )

 

左注で

2-1-3943 右六首歌者天平十六年四月五日独居於平城故郷旧宅大伴宿祢家持作*

 

注1)歌は『新編国歌大観』による。「巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での番号」で示す。

注2)の2-1-3943歌は、題詞が「十六年四月五日独居於平城故宅作歌六首」とある6番目の歌。

注3)なお、題詞に「奈良」とあるのは、「橘奈良麻呂」という個人名のみ(2-1-1015歌など19首に対する5題)。

 

(付記終わり 2021/12/6  上村 朋)