わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第24歌 まだある寧楽その1

  三度目のワクチン接種が立春前にできました。それはコロナ対策の一つであり、まだまだ続きます。今年も、猿丸集各歌の再確認をしてゆきたいと思います。よろしくお願いいたします。(追記:18.⑨の「なおがき」に2-1-331歌に関して更なる追記と付記1.にあった誤記を訂正しました。2023/1/27) 

 前回(2021/12/20)の「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 再度1553歌その2」に引き続き、第24歌の類似歌について、今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 まだある寧楽その1」、と題詞して記します。(上村 朋) 

1.~17.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。今3-4-24歌の類似歌に関して、語句「寧楽」を検討し、歌本文における「寧楽」字を用いた都城の表記は「奈良」という語句では表せない、平城京を「理想の都城」とみなすような感情をこめているようにみえることがわかった。なお、歌は『新編国歌大観』より引用する。)

18.再考 類似歌 その15 萬葉集の編纂者も注記しているか

① 『万葉集』における「寧楽」表記には題詞や歌本文のほかに、題詞の割注に1例あります。巻四にある2-1-533歌です。

天皇海上女王御歌一首 寧楽宮即位天皇

 赤駒之 越馬柵乃 緘結師 妹情者 疑毛奈思

 あかごまの こゆるうませの しめゆひに いもがこころは うたがひもなし

(左注あり「右今案 此歌擬古之作也 但以時当便賜斯歌歟」)

 題詞の割注を土屋氏が「古本の注」と言い、「天皇は古本の注に「寧楽宮即位天皇也」とあるごとく聖武天皇である」と指摘しています。土屋氏は「古本の注」によらず題詞にある「天皇」を聖武天皇と断定したうえ傍証として「古本の注」をあげています。

② 割注が編纂時の文章ではない、とすれば、編纂者の関知しない文章であり、編纂者が関与した標目や題詞や歌本文とその配列には関係ない文章なので、ここまで検討対象にしてきませんでした。

 しかし、現在に残る『万葉集』の各巻は複数回の編纂を経たものが、何回かの写本を経てきたものです。編纂途中及びその後、疑問を感じたり確認したことがあったと思います。割注という注記手法は、それらを記録して残す方法のひとつです。そのため、割注が記された時点として最初の編纂時とその後を峻別し、最初の編纂者の記した文章でなければ、後者として「古本の注」と定義して、検討をすすめます。

 巻四の割注検討のために、巻三及び先行して最初の編纂が行われている巻一と巻二における割注をも、併せて検討します(割注のある歌の一覧は付記1.参照)。

 このため、中納言大伴卿の歌(2-1-318歌)のほか、沙弥満誓・山上憶良聖徳太子の歌(2-1-339歌、2-1-340歌及び2-1-418歌)などをも検討することになりました。

③ 最初に、巻一と巻二です。ともに標目のもとに歌が配列され、標目と題詞に対する割注があります。

 標目に対しては、「・・・宮御宇天皇代」と記す「天皇」に関して割注があります。

 その割注の仕方は、例えば「泊瀬朝倉宮御宇天皇(代)」には、『日本書紀』での表記「大泊瀬幼武天皇」(おほはつせわかたけのみこと)とおなじような訓となる表記である「大泊瀬稚武天皇」(おほはつせのわかたけのすめらみこと)という表記で割注しています(『古事記』は「大長谷若建天皇」と表記しています)。

 「・・・天皇代」という表記を採用していない標目「寧楽宮」には、割注がありません。

 そのため、巻一と巻二で題詞に「天皇」という表記がある歌は、すべて標目のもとに歌が配列されているので、標目の割注に頼らずその「天皇」を『日本書紀』などに記載の天皇名と比定することができます。結果として割注の示す天皇名と一致しています。

 これは、割注が、巻一と巻二に必須のものではないことを示しており、最初の編纂者の記したものではない、といえます。その表現は、『日本書紀』と異なるなど少なくともそれに100%依拠しようとしていません。だから、標目に対する割注は、二度目以降の編纂者か後人が記したもの、といえます。

 なお、標目に用いられている「寧楽宮」という表記の意味するところは、それまでの標目に準じれば、特定の天皇(一代に限定できなくとも)の居所を指しているとみることができるので、天皇の居所としての「宮」は、標目「藤原宮御宇天皇代」に造られた都城藤原京における藤原宮の次は、都城平城京における「宮」となります。その平城京で即位した男系の天皇聖武天皇から桓武天皇まで3代います。

④ 次に、巻一の題詞の割注を検討します。5題あります。

 2-1-7歌の題詞には、「未詳」とあります。何が「未詳」なのかと考えると、編纂者が題詞に明示している作者名を疑っているのでしょうか。それは最初の編纂者がする行為とは思えません。

 2-1-13歌の題詞の割注は、作者がその後天皇となられたことを注記しています。作者をさらに特定するものですが、作詠時点が標目により題詞「中大兄・・・」は、その天皇の時代の呼び名としては妥当です。標目を立てて歌を配列している趣旨よりして天皇ではない時の歌であるので、このような割注を最初の編纂時に設けるのは不自然と思います。

 残りの3題の割注は巻一のみにあるタイプのものです。2-1-32歌~,2-1-34歌及び2-1-78歌題詞にある、「一書云・・・」などとあります。これらは、作者名への疑問であり、編纂の不徹底を指摘するかのような文章であり、二回目以降の編纂の注記か後人の注記でしょう。

⑤ 巻二では、題詞10題に割注があります。ほとんどは、題詞記載の人物をさらに特定するものです。

 例えば、2-1-129歌は作者と贈った相手の二人に対して、あります。これらは親子の関係や別称などです。題詞のみから歌本文の理解が素直にでき、割注は不用です。後人が記した可能性が高い、と思います。巻一の2-1-13歌の題詞と同じようなタイプの割注です。

 巻二において例外的な割注は、挽歌の部にある歌2首に対して「古歌集出」等とあるものと、作詠の経緯に触れたものです。

 2-1-146歌には、柿本人麿歌集、2-1-162歌には、古歌集に記載があると記しています。これらはほかの巻にはないタイプの注記です。

 この割注は、歌をここに配列していることに関する疑問を呈する注記ではないか。朝廷あるいは有力部族が独自に記録したものではない私的に記録していたものを元資料としている、とわざわざ指摘する注記です。その元資料が題詞に記す作詠事情以外にも用いられた歌であるかの印象を得ます。

⑥ 次に、作詠の経緯に触れた2-1-112歌の題詞の割注を検討します。

 この歌は、2-1-111歌~2-1-113歌で一つの歌群となっている歌です。

 2-1-111歌は、弓削皇子額田王に贈った歌であり、次の2-1-112歌はその礼状に付けた歌であり、別途弓削皇子額田王に松の枝を贈った際における額田王の礼状(返歌)という組み合わせとなっています。

 今、歌本文の内容(寓意するものなどを含む)に立入らず、3首の題詞をみると、2-1-113歌の「吉野より・・・遣る時・・・」という題詞より弓削皇子額田王はこの時同一場所ではなく離れたところに居ることが分かります。言い換えるとわかるように、前後3首で歌群をつくっているような配列となっています。

 これから、2-1-112歌の題詞にある割注は、最初の編纂者が記す必要を感じていない事柄ではないか。

 巻一、巻二の標目の表記の仕方はそもそも『古事記』や『日本書紀』とは異なり独特です。『続日本紀』での各天皇の表記とも異なる表記であり、また修史に携わらない官人の個人的な歌集と思われる「古歌集」の歌も編纂に用いるなど異なる歴史観を編纂者は持っている、と見られます。

⑦ 次に、 巻三の割注を検討します。

 巻三には標目が無く、雑歌と譬喩歌と挽歌と三つの部立てをたてています。

 巻三には11題に割注があります。7題は、題詞記載の人物を特定するものです(うち4題は「名欠」など特定できていないという注記です。

 この巻だけの注記のタイプとして、作者の活躍した時代を紹介しているものが2題あります。

 2-1-339歌:雑歌 沙弥満誓詠綿歌一首   造筑紫觀音寺別當俗姓笠朝臣麻呂也

 2-1-418歌:挽歌 上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首  小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古

⑧ 前者は、作者について、俗姓と赴任した「筑紫」での役職を注記しています。これは題詞記載の人物をさらに特定するものですが、歌の配列へのヒントになっているので、この注記タイプに整理しました。

 歌本文の五句にある動詞「みゆ」とは、「a物が目にうつる・見える」、「b(人が)姿を見せる。現れる」、「c人に見えるようにする。みせる」などの意があります(『例解古語辞典』)。

 表面的には「筑紫の綿はまだ身に着けたことがないが暖かく見える」と、大宰府管内産の綿(真綿)は機能がすぐれていると見えますよ、と詠っています。

 大宰府が都に送る綿は、品質が良いと朝廷より評価されていたようで、税(庸調)の物品として名があがっています。

 作者沙弥満誓は官人としてそれを知らない訳がありません。(大宰府に赴任して着てみて)承知しているはずにも関わらず、筑紫の綿の効用を伝聞のように詠っています。動詞「みゆ」の意はaです。

 前後の題詞とそのもとにある歌本文は、大宰府管内に赴任して来ている官人の望郷(あるいは望京)の歌が配列されています。そのように互いに披露できるのは、宴席での題詠だからだと思いますが、沙弥満誓は同席していてこの歌を披露した、と思います。

⑨ 望郷の歌が配列されているので宴席での歌としては随分と趣向を変えた歌と思えます。

 そうすると、沙弥満誓の歌は、直前の歌2-1-338歌などを受けて、筑紫の任を解かれて上京される方々は、「筑紫の綿」と同様に、都では有能な方と評価されていますよ、絶対。」、と同席の官人を慰めかの歌としているのではないか。動詞「みゆ」の意には、bもあります。

 次の憶良の歌(2-1-340歌)は、表面的には宴席の退出を詠っていますが、沙弥満誓の歌を承けて、「憶良等」と複数の者を主語として、筑紫を退出する即ち都に栄転する気分を詠っています。筑前守として赴任している憶良自身は亡くなる数年前であり、当時幼年の子が居るとは思えない年齢です。この頃でも単身赴任の官人も当然居たと思いますし、赴任してきている官人たちの気持ちを代弁して詠ったものといえます。

 このような理解は前者のような割注がなくともできますが、話題にした「綿」と作者の接点を指摘しているので、作者の活躍した時代(作詠時点)を紹介しているタイプの注記と整理したところです。

 このようなタイプの注記が巻四でも例外的な注記のタイプであり、巻三と巻四の割注が統一的にされているとすれば、作者の特定だけが目的というタイプの注記、と整理し直したほうが妥当かもしれません。

 沙弥満誓は、旅人の讃酒歌十三首の次にも一首配列され、酒に快く酔った気持ちを歌っています。

 なお、伊藤博氏は、「2-1-331歌~2-1-340歌は、小野老が神亀6年(729)3月従五位上となったお祝いの席の歌」と指摘しています。そして2-1-339歌を、前歌までを受けて「筑紫も捨てたものではないとの寓意がこもる」と指摘していますが、それでは次の歌2-1-340歌までを一連の歌と捉えていないことになります。お祝いの席の歌であれば、2-1-331歌は、「寧楽乃京師」と表記している歌であり、小野老の喜びが望郷の念に加わっており、また、師大伴卿の歌と題された5首の歌には、祝宴に列席した官人が披露した歌をその場で師大伴卿が助言した(添削した)形の歌も含まれていると理解してよいのではないか、と思います。

⑩ 作者の活躍した時代を紹介しているもう一つの割注が、後者の2-1-418歌の題詞にあるものです。

 歌は、挽歌の部の筆頭歌です。行路死人への「上宮聖徳皇子」が詠う挽歌となっていますが、次回検討します。(なお、挽歌の定義は、巻二の2-1-145歌の左注に従います)。

「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2022/2/14  上村 朋)

付記1.巻一~巻四における標目及び題詞に対する割注のある歌の一覧

 巻一~巻四における標目及び題詞に対する割注を下表に整理した。割注を概観すると、人物に対する注記が多いので、人物への言及の度合いの程度を区分している整理する。

 また、注記している人物が、女性と天皇の場合、それを特記している。

表 巻一~巻四における標目及び題詞に対する割注のある歌一覧 

(2022/2/14 現在  *印は注記参照)

割注のタイプ

巻一

巻二

巻三

巻四

 

単に天皇名を記す

「・・・天皇代」7代

2-1-13*天皇

「・・・天皇代」 8代

 

2-1-533*

天皇

 

当該人物の親子の関係・夫婦関係を記す

 

2-1-101*

2-1-102* 女

2-1-126*

2-1-129b*

2-1-401

 

2-1-521 女

2-1-522* 女

2-1-534* 女

2-1-535

2-1-559女

2-1-589女

2-1-627女

2-1-634*

2-1-646~ 女

2-1-672

2-1-697~女

 

 

当該人物の字・姓等のみを単に記す

 

2-1-110 女

2-1-129a* 女

2-1-313*

2-1-329*

2-1-525

2-1-628*

2-1-699*

2-1-765女

2-1-785

 

作者の活躍した時代を紹介している

 

 

2-1-339*

2-1-418* 天皇

 

 

 

作詠の経緯に触れる

 

2-1-112

2-1-318*

2-1-434

2-1-582~

2-1-724女

2-1-728~女

2-1-730~

 

古歌集出等と触れる

 

2-1-146

2-1-162

 

 

 

一書云・或云等と記す

2-1-32~*

2-1-34*

2-1-78*

 

 

 

 

未詳と記す・名欠と記す

2-1-7 女

2-1-150女

2-1-226

2-1-238女

2-1-248

2-1-290

2-1-302

2-1-674* 女

2-1-696

2-1-712 女

 

合計  (題(代を含む))

12題

(うち女1題)

18題

(うち女4題)

11題

(うち女1題)

24題

(うち女13題)

 

  • 歌番号は、『新編国歌大観』の『万葉集』による。
  • *印を付した歌について

 2-1-13歌:作者「中大兄」に注記して「近江宮御宇天皇」と記す。標目にある「近江大津宮御宇天皇」としていない。

2-1-32歌~&2-1-34歌:作者について題詞にいう人物と別人の名をあげる。

2-1-78歌:題詞に記していない作者について、名(太上天皇持統天皇)をあげる。

2-1-101歌:「平城朝」任大納言・・・と記す。「平城朝」は元明天皇の御代を指す。

2-1-102歌:「近江朝」大納言・・・と記す。「近江朝」は天智天皇の御代。

2-1-126歌:歌を贈った相手を注記する。

 2-1-129歌:作詠人物について女で当該人物の字・姓等のみを単に記す。また歌を贈った相手(男)について当該人物の親子の関係を記す。表では、前者を2-1-129a、後者を2-1-129bと示した。

 2-1-313歌&2-1-329歌:後に「賜姓大原真人氏」を注記する。

 2-1-318歌:題詞に「勅(みことのり)をうけたまわりて作る歌」とあるが、土屋氏は「従駕を命じられて、用意した歌であり公表の機会がなかった作」と割注を理解している。

2-1-339歌:本文参照 (この項2023/1/27追記)

 2-1-418歌:作詠者について注記せず、作詠者の御代の天皇を割注は紹介する。挽歌の部の筆頭歌であり、巻三の編纂者は作詠者を天皇に見立てているか。

 2-1-522歌:作者の子が「賜姓大原真人氏」とまで注記する。

 2-1-533歌:作者の天皇について「寧楽宮即位天皇」と注記する。贈った相手の注記はない。

 2-1-534歌:作者が「志貴皇子之女」と注記する。

 2-1-628歌:作者が後に「賜姓大原真人氏」と注記する。

 2-1-634歌:「志貴皇子の子」と注記する。

 2-1-699歌:作者が後に「賜姓高円朝臣氏」と注記する。

 2-1-674歌:女の立場で男の作者が2-1-673歌に和する歌。

(付記終わり 2022/2/14)

 

 

 

 また、注記している人物が、女性と天皇の場合、それを特記している。