わあかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 再度1553歌その1 

 前回(2021/12/6)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 歌本文の「なら」」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第24歌 再度1553歌その1」と題して、記します。(上村 朋)

1.~14.承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行い、3-4-23歌まではすべて恋の歌であることを確認した。3-4-24歌については類似歌(『萬葉集』の歌)の検討のため『萬葉集』巻一と巻二の標目「寧楽宮」を検討している。なお、歌は『新編国歌大観』より引用する。)

15.

再考 類似歌 その12 再び「寧楽人」

① 「寧楽」、「楢」、「名良」字を用いた都城の表記は「奈良」では表せない何かを込めて選ばれた文字による都城表記である、と前回(ブログ2021/12/6付け「14.⑪」)指摘したのち、2-1-1553歌の理解の再検討を示唆しました。

 この歌は、2-1-1550歌~2-1-1554歌という小歌群に属する(雑歌の部立てであるのに)恋の歌であり、女性(の関係者)に決意表明をしている歌という、個人的な事柄に関する歌です。それなのに、作者あるいは『萬葉集』編纂者が、なぜ「寧楽」表記を選んだのか、というとまどいです。

 その歌を、再確認します。

② 歌本文の「寧楽」表記で、都城(あるいはその宮)ではなく人物を修飾しているのはこの歌だけです。

 この歌本文の語句を再確認し、歌本文に「なら」+人物(像)」という表記のある歌の比較を試みます。

 歌を再掲します。

巻八 秋雑歌 2-1-1553歌  典鋳正紀朝臣鹿人至衛門大尉大伴宿祢稲公跡見庄作歌一首

     射目立而 跡見乃岳辺之 瞿麦花 総手折 吾者将去 寧楽人之為

     いめたてて とみのをかへの なでしこのはな ふさたをり 

     われはもちゆく ならひとのため

 この歌は、ブログ2021/11/29付けで、次のように理解しました。

 題詞:「典鋳正(役職名)紀朝臣鹿人が衛門大尉(役職名)大伴宿祢稲公の跡見庄(とみのたどころ)に至って作る歌一首」 (同ブログ「13.⑧」)

 歌本文:「狩場の射目のように囲ってあって、良く見える跡見にある丘にあるのに見えない「なでしこの花」。それを、是非手折って私は持ってゆく、奈良の都に居る人のために。」 

 前回は、この歌の前後が短歌であるのに旋頭歌であること、そして、奈良の都に居る人のために「ふさたをり」と言う方法で準備をして、持ってゆくのだ、と言っていることの検討が、不足していました。

 

③ 巻八「秋雑歌」には、長歌はなく筆頭歌から短歌です。 例外はナデシコをともに詠いこんでいる2-1-1541歌とこの歌および(この歌もある小歌群にある)2-1-1551歌の3首だけです。

 2-1-1541歌は、「山上憶良秋野花歌二首」と題する小歌群の2首目の歌です。いわゆる秋の七草の名を並べただけの歌です。

 この小歌群について土屋氏は、「短歌と旋頭歌を並べて、一つの内容を現はすといふ新しい工夫はあるが、内容そのものは、全くの記載文であって、別に取り上げる程の特色もないものである。旋頭歌としても並べた物の名の音数により限定されて、さうする外なかったのであらうか」と評しています。七首を詠み込むと音数が確かに短歌にあいませんでした。

④ では、2-1-1551歌は、「音数」に限定されて旋頭歌になったかというと、そのようなことはなく、短歌を旋頭歌に仕立てなのではないかと思える歌にみえます。

 

2-1-1551歌: 藤原朝臣八束歌一首

   棹四香能 芽子二貫置有 露之白珠 相佐和仁 誰人可毛 手尓将巻知布

   さをしかの はぎにぬきおける つゆのしらたま あふさわに 

   たれのひとかも てにまかむちふ

 土屋氏は、「内容はつまらぬことである。旋頭歌の形に興じて作ったに過ぎぬものであらう。「あふさはに」は調子のための,囃し言葉ではないかとさへ疑はれる」と指摘しています。この歌を藤原八束が披露した場所・日時を特定したりしていませんので、歌に物語性が生じていません。

 吉村氏は、「人妻を誰が気軽に誘うのかという寓意。宴席の歌」と指摘しています。

 吉村氏の理解であれば、例えば次のような短歌でも作者の考えを示せます。

さをしかの はぎにぬきおける しらたまを たれのひとかも てにまかむちふ

 それを旋頭歌にして詠っているのは、「あふさわに」に何か特別な意味を付与しているのではないか、と疑います。

⑤ 「あふさわに」が囃し言葉であれば、「あふさわに」をいれた歌(短歌や旋頭歌)がいくつもその宴席で詠われ舞が演じられたのでしょう。

 「しらたま」が誰を暗示しているか不明ですが、手に巻きたいと詠うのと手に巻かないと詠うのでは「しらたま」の評価が反対になります。女性であれば愛想のある人物か無愛想の人物かがはっきり分かれます。

 「しらたま」がその場で話題となった事柄(官職・天皇上皇の寵遇など)であれば、作者は一般に処世のためには否定的に詠うでしょう。

 題詞に作者として明記された藤原八束の立場であれば、否定する度合い(を示す語彙)の選択が重要ではないでしょうか。そうすると、上句のように「しらたま」の状況を説明してしまうと、「あふさわに」という語句は省けない語句となります。「音数」に限定されて旋頭歌になったといえます。

 「あふさわに」は、宣長の説(なほざりの意)が無難ではないかと土屋氏は指摘し、小島氏らは「深い考えもなく・無造作に」と理解しています。

 「さをしかの はぎにぬきおける しらたま」とは誰と誰を暗示しているのでしょうか。

 旋頭歌として歌を披露する必然性があり、囃し言葉を用いたのではない、と思います。

 作者藤原朝臣八束は、父が藤原房前藤原永手の弟にあたり、聖武天皇に寵遇を受けた人物です。天皇の命により特別に上奏や勅旨を伝達する役目を担ったといいます。 兄よりも先に天平20年参議に任じられ、天平神護2年(766)没しています。

 なお、この歌は、巻八の秋雑歌にある歌であり、七夕歌3首の次に配列されていますが、七夕歌と対になっているようにはみえない歌です。

⑥ 次に、この歌2-1-1553歌は、「総手折」(ふさたをり)が必然の語句であるならば、「音数」に限定されて旋頭歌になったのであろう、と思います。

 この歌が、「瞿麦花」(なでしこのはな)を、「吾者将去 寧楽人之為」(われはもちゆく ならひとのため)を「吾は持ち行く・・・」と理解しそれが詠う目的であれば、「総手折」(ふさたをり)は省いても意は通じます。だから、初句「いめたてて」は「とみ」の枕詞として、次のような短歌でもよい、と思います。

   いめたてて とみのをかへの なでしこを われはもちゆく 

   ならひとのため

 それを、旋頭歌に仕立てているのは、「総手折」という手順も重要である、という作者(あるいは編纂者)の意図なのではないか。この推測が正しければ、題詞や前後の歌との関連などを検討することでわかるはずです。読者に理解してもらわなければならないのだから編纂者はヒントをそれらにちりばめているはずです。

⑦ 題詞より検討します。登場する人物の肩書が時系列上矛盾するという指摘があります。歌を詠んだ場所まで明記しているのに登場人物の関係を誤っているかにみえるのに、編纂者は、沈黙しています。それについて左注はありません。題詞に作者名のほかに特記した場所(跡見)には何かを掛けているのか題詞だけでは判断に苦しみます。

 歌の初句を有意の語句として前回は、歌を理解しました。それは、「ふさたをる」ナデシコを、特定の場所でかつ特殊な用途の設備を設けた時期におけるナデシコであると、限定しています。歌の初句を枕詞と割り切っても、特定の氏に関係深い庄に咲いているナデシコであって、産地を限定しています。

 有意の語句とすれば、地名よりも「初句」の語句の意味するところを重視することになり、題詞は、「初句」の語句を用いるために作詠地点をあげたことになります。そして、跡見庄近くで狩猟するのは、ナデシコの咲くころと言う時期に関係なく、庶民(公民など)を苦しめることになります。そもそも跡見庄の近くでの狩猟は避けてしかるべきであり、異常なことをしていることを詠っていることになります。これからも、初句は無意の枕詞に割り切るという理解もあり得ます。

 ナデシコに人物の暗喩があれば、狩猟場に登場する人物、あるいは、「撫でし子」(女性など)ではないか、とみることができます。

⑧ 四句にある「ふさたをり」とは、「ふさ」+「たをる」と分解できる語句です。二つの意があります。

 第一 「ふさ」が、形容動詞の語幹であって、数多いさまを表し、「ふさたをる」とは、たくさんのナデシコを手折る意。

 第二 「ふさ」が、人名「夫差」であれば、「ふさたをる」とは、「夫差」を挫折させる意です。「た(をる)」は、語調を整える接頭語と理解できますので、「夫差」のような人物(国を滅ぼすような国王)に翻意を促す意。

 「夫差」は中国の春秋時代の呉王であり、臥薪嘗胆した人物ですが、臣下の伍子胥を自殺に追い込み、越に負けて呉の最期の王となった人物です。

⑨ 五句にある「もつ」には、「手にとる」とか「所有する」とか「心に思う・心中に思う」の意があります。漢字「将」は漢文では助字でもあり、「まさに・・・せんとする」とか「ひきゐて」とか「もって」とかの意があります。

 次に、最後の句(六句)にある「寧楽人」とは、

第一 いつの時代にも通じる、平城京に居を構えている官人(とその家族)、

第二 平城京に居を構えている作者にとり縁の深い特定の官人(またはその家族の一人)、

第三 恭仁京へ遷都後の平城京を惜しんでいる官人(とその家族)

第四 聖武天皇平城京の主人)

 「奈良」では表せない何かを込めて選ばれた文字」として「寧楽」表記に拘っているとしたら、上記のうちの第三の意が有力な候補となります。第四であるならば、題詞がもっとすっきりした「某の作る歌」で足りるので除外できると思います。

⑩ そして前後の歌の配列を検討すると、部立て「秋雑歌」にある数少ない旋頭歌は、意を尽くすため、かつ音数から旋頭歌になっていると理解できます。

 また、2-1-1551歌以下3首は秋の景としてハギとナデシコと1種類を取り上げており、直前の小歌群が行事である七夕、直後の小歌群が2種類を取り上げており、小歌群として配列されていると見てよい、と思います。そして3首には、語意に悩む語句がそれぞれあります。(「あふさわに」、「をそろはうとし」、「ふさとをり」)。その語句が歌の理解にキーポイントになっているかに見えます。

⑪ これらを句ごとに整理すると、次の表となります。第三の意で歌の理解を試みる場合も示します。

表 句等ごとの検討結果と歌理解の(試案)

区分

第1案

第2案

第3案

歌理解の(試案)

題詞

作者強調

跡見庄強調

 

左の第2案

初句:いめたてて

有意の枕詞

無意の枕詞

 

左の第1案

二句:とみのをかへの

狩猟地

跡見庄

 

左の第1案

三句:なでしこのはな

秋の花ナデシコ

人物をも暗喩

 

左の第2案

四句:ふさたをり

たくさん手折り

夫差を取り除き

 

左の第1案

五句:われはもちゆく

持ってゆく

心に思い都にゆく

 

左の両案

六句:ならひと(のため)

平城京にいる特定個人

平城京を惜しんでいる官人

 

左の両案

 

 

 

 

 

 

⑫ 六句にある「ならひと」の意が第2案(平城京を惜しんでいる官人)であれば、「寧楽」表記を用いる意義がある、と思います。

 その場合、上表の「歌理解の(試案)」欄でこの歌を理解できるようにしている、と思います。

 上記②に示した2-1-1553歌の現代語訳(試案)の評価は今、保留します。

 『萬葉集』における「「なら」に居る人物」と詠う歌との比較は、次回したい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2021/12/13  上村 朋)