わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき一覧

 前回(2021/5/17)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 6首の思ふ」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき一覧」と題して、記します。(上村 朋)

1.~38.承前

 2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。現在3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の(2-1-3005歌を除く)用例と三代集唯一の用例1-1-1037歌での「たすき」の検討が終わった。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になり、1-1-1-1037歌では、たすきによって対象物が自由を制限されているイメージであった。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

2-1-3005歌     寄物陳思

玉手次 不懸者辛苦 懸垂者 續手見巻之 欲寸君可毛

たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎてみまくの ほしききみかも

1-1-1037歌     題しらず       よみ人しらず

   ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

39.たまたすき用例通覧

① 『萬葉集』と三代集における「たすき」の用例について、3-4-19歌の類似歌である2-1-3005歌を除き検討が一応終わりました。その意の経緯をおさらいします。

 『萬葉集』で、「たまたすき」の初例は、巻第一にある2-1-5歌の「玉手次(たまたすき)」です。そして、計14首に用いられ、2回用いている歌が1首ありました。それに対して、「たすき」の用例は1首、そして「ゆふたすき」の用例は3首でした。

 三代集では、「たまだすき」の用例が1首しかなく、「ゆふだすき」も5例だけでした。『貫之集』などの私家集などの例も探しました。

② 「たすき」の発音に注目すると、『萬葉集』では、万葉仮名で

「多須吉」 2-1-909歌の1首1例、

「木綿玉手次」 2-1-423歌ほか計2首(例)、

「珠手次」 2-1-5歌ほか計4首(例)、 

「玉手次」 2-1-29歌ほか9首(例)、

「玉田次」 2-1-546歌他計2首(例)、

「珠多次」 2-1-3338歌Aの1首(例)、 (2-1-3338歌Bは「珠手次」)

とあり、その訓は「たすき」と清音で記されています(今、『新編国歌大観』より引用して検討しています。和歌はすべて同様です)。

 これに対して、三代集では、「たすき」と平仮名で表記されていて、「たまたすき」の用例でも「ゆふたすき」の用例でも平仮名表記は清音であったはずですが、諸氏は、「・・・だすき」と読み、歌について論じています。

 そのように発音する(濁音も書き分ける表記では「(たま・ゆふ)だすき」が妥当であるとする)ようになった経緯に諸氏は、触れていません。私は「たまだすき」については「たすき」の由来の違いなのかと指摘しましたが、不明です。

③ 「たすき」、「ゆふたすき」、「たまたすき」の順で歌番号順に整理すると、付記1.の二つの表が得られます。

 用例を検討した当該ブログの日付を付記しました。

 これまでの検討において、31文字しかない和歌は言葉を無駄に使っていないとして、検討してきました。できるだけ、「たまたすき」という語句の意味に故事来歴を含めて和歌の作者は用いているはず、という立場にたって理解してきたところです。その立場から、次のようなことを指摘できます。

第一 『萬葉集』では、巻一の2-1-5歌が初例であり、「たまたすき かけのよろしく」と詠っている。

この歌で「たすき」は祭主が身にまとうべきもの(「神事に用いる紐」)を指しており、「たまたすき かく」で神に奉仕・祈願している意を表している。

第二 『萬葉集』では「たすき」や「ゆふたすき」よりさきに「たまたすき」の用例がある。詠う場面にあう歌語として「たま」とか「ゆふ」という形容句を「たすき」に付加しているのではないか。

第三 動詞「かく」は同音異義の語句であり、「掛ける」意と「心に懸ける」意の二つを掛けて「たまたすき かく」と詠われている。前者のみの意が2-1-5歌であり、3例目である2-1-199歌からは、両意となっている。

第四 『萬葉集』での「ゆふたすき」の初例は2-1-423歌であり、「ゆふたすき かひなにかけて」と詠い、祭主が身にまとうべきもの(「神事に用いる紐」)を指している。これは2-1-3302歌でも2-1-4260歌でも同じであり、「ゆふたすき」は身にまとうべき箇所(かひなあるいは肩)をも詠っているものの、動詞「かく」と結びついていない。

 しかし、三代集になると、「ゆふだすき かく」と詠われ、「たまたすき かく」にとってかわっている。「ゆふだすき」の「だすき」には、祭主が身にまとうべきもの(神事に用いる紐)の意が残存しているかにみえる。

第五 『萬葉集』の用例2例目の2-1-29歌は、「玉手次 畝火之山乃(たまたすき うねびのやまの)」と「かく」にかからない。「たすき」を祭主が使用する際のたすきを身に着ける部位に注目して、かつ初例を参考に肩近くの「項」と「畝傍」の「う」が共通であることから、「う」にかかる新例を開いたのではないか。但し、この新例は萬葉集では柿本人麻呂の歌2首と笠金村の1首しかなく、三代集にもない。

第六 『萬葉集』の用例3例目(2-1-199歌)から「たまたすき」は、動詞「かく」のいわゆる枕詞と認識されている。

第七 『萬葉集』の用例では、「たまたすき かく」に、4類型がある。順次工夫されていった、

・ 「(たまたすき)かけてしのふ」:2-1-199歌(巻二)  2-1-369歌(巻三) 2-1-3338歌(巻十三)

・ 「(同)かけぬときなく」:2-1-1457(巻八) & 2-1-1796(巻九) &2-1-2240(巻十) 2-1-3300歌(巻十三) &2-1-3311歌(巻十三)

・ 「(同)かけずわすれむ」:2-1-2190 (巻十二)

・ 「(同)かけねばくるし」:2-1-3005(巻十二)

第八 巻十二、巻十三の用例は、「たすき」が祭主が身にまとうべきもの(「神事に用いる紐」)という認識が薄れている。動詞「かく」の枕詞となり、「たまたすき かく」は、「(作中人物などが)心に掛ける」意のみで歌の理解ができる。枕詞という修辞法の「一次的な機能」である「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」に徹しているといえる。(長歌の一句であり、一句が担う言葉の重みが小さくなった場面であった。) 但し、2-1-3005歌は保留(3-4-19歌の類似歌であり未検討)。

第九 三代集では『古今和歌集』に「たまだすき」の用例が1例「誹諧歌(ひかいか)」の部にある(1-1-1037歌)。その「たすき」の意は、祭主が身にまとうべきもの(「神事に用いる紐」)ではなく、日常語としての「たすき」の意である。

 すなわち、たすき」とは、「衣服着用の際の紐状の補助具(あるいはその補助具の役割をも担った使い方をしている衣服の一部)を指す用語であり、「たすき」と称する紐の機能から、紐とそれを使う対象物との関係を重視し、動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況に注目した表現と「たすき」と称する紐自体、あるいは紐が並行ではなく交差しているという形に注目した表現があり、『古今和歌集』の用例1-1-1037歌はその前者の意である。それは『源氏物語』「末摘花」の地の文にある「たまだすき」でも確かめられる。

第十 三代集に時代の私家集に「たまだすき」の用例がなく「ゆふだすき」の用例がある。「ゆふだすき」が「かく」の枕詞として定着している。

第十一 12世紀から14世紀でも、「たすき」は日常語として、使い続けられている。

 

④ 動詞「かく」の枕詞としては、『萬葉集』での「たまたすき」から、三代集の時代は「ゆふだすき」に引き継がれていました。

 これらから2-1-3005歌の「たまたすき」は、いわゆる枕詞としてもちいられているか、と予想します。

 また、『猿丸集』の成立時点は『古今和歌集』成立以後ですので、3-4-19歌の「たまだすき」は、日常語の「たすき」の系統の意であろうと、推測できます。

 なお、辞典での説明の例を付記2.に示します。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は2-1-3005歌を検討します。

(2021/5/24   上村 朋)

付記1.句頭に「たすき」とある歌の一覧

表1. 『萬葉集』の訓において:句頭に「たすき」とある歌  (2021/5/24   21h現在)

たすき(万葉仮名)

巻・歌番号・万葉仮名表記・訓等

A当該箇所現代語訳・B「たすき」等の意・Cその他

検討したブログの日付

たすき(多須吉)

 

「たすき」計1例

巻五 909:「志路多倍乃 多須吉乎可氣 麻蘇鏡 弖尓登利毛知弖」:しろたへの たすき(多須吉)をかけ まそかがみ てにとりもちて

A現代語訳割愛

B「たすきをかけ」:神に祈る時の服装。

C「たすき」をかけているのは、児の延命祈願の儀式中。「たすき」をかけるほかに、手に真澄の鏡を持ち、親自らが祭主となって祈っている。

C「たすき」:神への奉仕や物忌みのしるし(『世界大百科事典』)、神事の際に必要な道具の一つ。

 

2020/9/21付け

ゆふたすき(木綿手次)

 

「ゆふたすき」計3例

巻三 423:「枕辺尓 齋戸乎居 竹玉乎 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而」

まくらへに いはひへをすゑ たかたまを まなくぬきたれ ゆふたすき かひなにかけて

 

A「亡き人の枕べには いはひべをすゑ、竹玉を間なく敷き垂らし、木綿即ち楮(こうぞ)のたすきを手にかけて。」以下は死者のために(生前に作中人物が)ミソギを執り行う所作と解される。(土屋氏) 

B「ゆふたすきを祭主がかける」のは、祈願の儀式では必須のことか。

Cこの歌は、挽歌。一連の葬儀の儀式で披露された歌。延命あるいは病気平癒を自らが祈りたかったが、それも出来ないうちに石田王の死を知って、嘆いている。

 

2020/9/21付け

ゆふたすき(木綿手次)

巻十三 3302:「木綿手次 肩荷取懸 忌戸乎 齊穿居」: ゆふたすき かたにとりかけ いはひへを いはひほりすゑ

A「木綿(ゆふ)のたすきを肩に取り掛け、齋瓶を潔めて土に堀り据ゑ」

B「ゆふたすき」は、「いはひへ」を掘り据えて神に祈る場面で、肩に取りかけられてる。その後に祈る(祝詞奏上)。自分の恋実現を祈願の儀式中

2020/9/21

ゆふたすき(木綿手次)

巻十九 4260:「木綿手次 肩尓取掛 倭文幣乎 手尓取持氐 」:ゆふたすき かたにとりかけ しつぬさを てにとりもちて  

A「木綿の襷を肩にとりかけ、倭文の幣を手に取り持って、」(土屋氏)

B「ゆふたすき」は祭主の肩に取り掛けられている。妻の延命を祈る場面の儀式中

C「木綿(ゆふ)」は材質を示す。

Cこの伝承歌が披露された時点:天平勝宝三年

 

2020/9/21

たまたすき

 

「たまたすき」計16例(15首)

巻一 5: 「珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃」:たまたすき かけのよろしく とほつかみ あがおほきみの いでましの やまこすかぜの

 

A「大切なたすき(手次)をかけて祈って満足できる(よろしい)結果を得たように、遠い昔の神のような存在の大君がお出ましになって越えた山の方角から吹いてくる風の(朝夕に接すれば)」

B「珠手次」は、祈願することまでを意味する。「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞か

C編纂者は伊予の熟田津に至る前の地点でこの歌は詠まれた、と設定したか。「大君が届けてくれた風」を詠う。

2020/9/28付け

たまたすき

巻一 29: 「玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世従」:たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ:

 

<「たすき」を「畝傍(火)」にかけているのは、>

A「神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山近くの橿原の地に宮を置かれた聖天子・神武天皇の時代(から、)」

B「ゆふたすき」を「肩に懸ける」という用例から肩近くの「項」と「畝傍」の「う」が共通であることから、新例を開いたのではないか。

「(ゆふ」たすき」は多くの神々に奉仕する資格を得ている証にもなっている。「たすき」と言う語句を、特別の方に用いるにあたり接頭語の「たま」をつけ、その表記に、天より降った神の子孫であるので、地上の貝という生物由来の「珠」ではなく鉱物由来の「玉」字をもちいたのではないか。 

C作詠時点:最早は建設途上での持統天皇即位後の行幸(690)。最遅は藤原京遷都(694)

C 神武天皇の名を詠いだす。

C藤原京遷都の式典等で披露された歌

2020/9/28付け

&2020/10/19付け

たまたすき

巻二 199: 「天之如 振放見乍 玉手次 懸而将偲 恐有騰文」:あめのごと ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはむ かしこくあれども

A「祭主が襷をかけて神に奉仕しお告げを聴くように、心を込めて大君(高市皇子)の成されたことやお言葉を偲びたい、と思います。大君のことを勝手に話題にするのははばかれるのですが。」

B 「玉手次」には、神に奉仕するにあたって穢れのない状態を示す「たすき」をかける祭主のように、厳粛に貴方様を敬って偲ぶ、という意を込めることができます。

C殯宮での行事で高市皇子をこれからも偲ぶと詠う

C「珠手次」ではなく「玉手次」という表記にしているのは、漢字の「玉」の意を2-1-29歌同様作者は大事にしたのではないかと思います。

2020/10/5付け

たまたすき

巻二 207: 「玉手次 畝火乃山尓 喧鳥之」:たまたすき  うねびのやまに なくとりの

A 「玉たすきを掛け、神に祈ってから市に来たので、畝火乃山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の(声は聞こえず)」

B 「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意の可能性(類音により「たまたすき」を枕詞とみる案ではなく儀式の略称の案) 

C妻が無事に出立する葬列を詠う。風葬の葬列を詠む伝承歌の流れの中にある歌。畝傍山風葬の地と理解すると、鳥は死者の使いではないか。

C作詠時点:人麻呂20歳以降没するまでの間(680~715)

C畝傍乃山尓 喧鳥之:次の句「音母不所聞」の「コヱ」をいうための序。(土屋氏)

2020/10/12付け &2020/10/19付け

たまたすき

巻三 369:「綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎」:わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ やまとしまねを

A (船上で越前国のレクチャーを受けていることを意識し、海神が現にコントロールしている「たま」にはいろいろあるが、「真珠」もある。その「珠(真珠)」でできているたすきを手にかけるように、心に掛けて(真摯に)眼前にしている任地の越前国の来し方を賞美した。

B 「綿津海乃 手二巻四而有」は、「珠」の序。「たすきを懸ける」という表現は、単に動作の描写と作者は捉えている。海神と「たすき」は無関係。

B 「珠手次」の「珠」とは、序から導かれ、真珠という素材を示している。真珠でできた「たすき(手次)」が動詞「懸く」を導きだしている。「たすきに懸ける」ということが単純に「心に掛ける」に通じる、として作者は用いている。(「たまたすき」という一語から、「心に掛ける」意を導いているのではない。)

C 「偲ふ」には、上代語として「賞美する。」意がある。

C この歌は、船上で越前国のレクチャーを受けていることを意識している。かつ、前任者たちを讃嘆する意を込めて詠った。

「祭主」がかける「たすき」であれば、海神が持つ「たま」という必要はない

C 任地に入り、船上で任地(日本嶋根の一部である越前国)を寿ぐ。着任時の宴などで披露された挨拶歌。

C 「海神」と「玉」・「白玉」と結びつけて詠んだ歌は柿本人麻呂歌集にあることが当時既に知られている。

2020/10/26付け

たまたすき

巻四 546: 「軽路従 玉田次 畝火乎見管 麻裳吉 木道尓入立」:かるのみちより たまたすき うねびをみつつ あさもよし きぢにいりたち

A 「軽という集落の十字路で左折して(紀州へ続く道に入り、何事もなくお帰りになることを祈った私をみるように、(間もなく見えなくなる)畝傍山を振り返り見つつ、よい麻裳を作る紀州路に入り」

B 「たまたすき」という語句の謂れがもうわからなくなっていたならば、単に類音で畝傍山に冠しただけの歌

 

C 畝傍山は、見送っている作中人物(「娘子」)を象徴し、神武天皇とは関係ない。

「たまたすき」という行為をした人物を畝傍山に見立てるのは、この二つの語句の結びつきとして新たな使い方。

C 行幸に従駕のため家を出るときは、どの官人の家でも無事を祈っていると想定できる。その行為を、潔斎して神に祈願する行為を指す「たまたすき」という語に託している。「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞となっている。

C巻一から四までの「娘子」の用例では妻の例が1例(2-1-140歌)であり、女官や遊行女婦の例が多い。

C 作詠時点:題詞より神亀元年(724)

2020/11/2付け

たまたすき

巻七 1339: 「玉手次 雲飛山仁 吾印結」:たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

 

 

〇雲飛山は「くもとぶやま」と訓む理解も可能。

A 「(貴方への思いが抑えきれず、どうしようもなくて、)神に祈願して、普段の状態ではない畝傍山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますことしかできない私です。)」

B 「雲飛山」を「うねびのやま」と訓み、「たまたすき」は約語・略語(「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞」)。「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例。

C 「雲飛山」は遠い存在になった恋の相手(女)の意。

C私以外にはなびかないで、と訴えてこの歌をおくった歌か。

C 漢字での山の名「雲飛山」とは、表意文字である漢字から、深山とか標高のある山とか、人里から遠く離れた鄙びた地で見上げる山のようなイメージが浮かぶ。

C作詠時点:725年 (巻七の作者未詳歌なので)

2020/11/9付け 

&2020/11/16付け

&2020/11/23付け

 

たまたすき

巻八 1457: 「玉手次 不懸時無 気緒尓 吾念公者」:たまたすき かけぬときなく いきのをに あがおもふきみは 

 

 

〇「心にかけぬ時なく 命にかけて吾が思ふ君は、」(「たまたすき」を「かく」の枕詞とした土屋氏の大意)

 

A 「祈るにはたすきをかならず掛けるように、私は貴方をいつも大切に思っています。そして、この度もたすきを掛けて神に祈願をして(私が)命がけで、気に懸けている貴方は」

B 2-1-29歌以降において、みそぎと同様に「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞とみることができる。「玉手次」には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている用例。

Cこの歌は、頭書で、大事な「貴方」の渡航まえに神に祈願し、掉尾で、出発後にも神に祈願する・物忌みをする、と詠っている。

C作詠時点:(題詞より)天平五年(733)

C作者金村は、長歌では、当時の常識に従って行動する妻を描き、反歌では、夫が無事戻れるような行動に専念する決意を詠っている。

2020/12/14

たまたすき

巻九 1796: 「肝向 心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾恋児矣」:きもむかふ こころくだけて たまたすき かけぬときなく くちやまず あがこふるこを

 

〇「たまたすき」については、「たすきをかける」という表現で「祭主として祈願する」姿を指す第1案と、「かける」という動詞の対象に紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」がある(「懸ける」にかかるいわゆる枕詞)第2案を、比較検討。

A 「主要な内臓が向きあっているところにあるという心はくだけてしまい、(私の行動は制御が利かなくなり、) 神に祈る時には常にたすきをかけないことがないように、貴方を心に懸けない時は無く、だから、(貴方のことしか考えられなくなり)ため息ばかりだ、ああ、吾が恋する君よ。」

B 「珠手次 不懸時無」の「珠手次」は、「祈願の儀式全体の代名詞」あるいは祈願の略語。

〇たすきを使う特別な状況を前提とした第1案のほうが比喩として優れている。またこの歌が作られた時代は、官人の送別時の歌にみられるように、種々の祈願はよく行われている。

B作者が、いわゆる枕詞を連発し、漢文の助字を音仮名として積極的に用いて文を飾っている方針を尊重すれば、「たまたすき」にも作者の時代まで残っていた意味合いを重ねて創作していると思える。

C作者の候補は左注により田辺福麻呂

2020/12/21付け

たまたすき

巻十 2240: 「玉手次 不懸時無 吾恋」:たまたすき かけぬときなく あがこふる

A 「たまたすきは掛けるものと決まっているように、私がいつも心に懸けて思っているのは、貴方、私が恋い慕う貴方。」

B 「たまたすきをかける」の意は、簡素化して「かける」ものが2種あると割り切る(「かく」のいわゆる枕詞)、ということを、編纂者は提案している。

このように割り切って理解した最初の人物が、巻十の編纂者といえる。

B 2種:「かける」という動詞の対象の2種。

a紐である「たすき」をかける意。

b(「懸く」にかかるいわゆる枕詞)「たすき」は当然かけるものであり、そのように、あなたを私は「心」にかけている意。

2020/12/28付け

&2021/1/11付け

たまたすき

巻十二 2910: 「玉手次 不懸将忘 言量欲」:たまたすき かけずわすれむ ことはかりもが

 

 

〇「心にかけず、忘れるやうなやり方が欲しい。」(土屋氏。たまたすきは枕詞なので訳出していない)

〇土屋氏は、「表面、忘れるやうにしたいと言ふのであるが、実は同棲したいといふのであらうか。その辺が俗曲趣味的でいやな歌だ。タマダスキ(枕詞)は「カケ」だけにつづくので、さうした用法は少なくないのだが、ここでは何か不自然である。

A (作中人物が女の場合)「だから、たすきをかけない日常のように、貴方を心に懸けないようになるような、失念できるような方法があればなあ。」

B この歌の「たまたすき」は、動詞「かく」にかかるいわゆる「枕詞」の意。「たすき」というものの使い方「かく」のイメージだけ。神に仕えるときの儀式・祈願の儀式の意はない。

C 「たまたすき かけずわすれむ」は名詞「ことはかり」を修飾する。

C 「たすきを常にかける」場面の用例がこれまで続いているので、この歌は新鮮あるいは異例。

C 『萬葉集』で「たまたすき」の直後にかく(動詞)」が続くパターンに、4類型ある。

第一 「(たまたすき)かけてしのふ」:2-1-199歌(巻二)  2-1-369歌(巻三) 2-1-3338歌(巻十三?)

第二 「(同)かけぬときなく」:2-1-1457(巻八) & 2-1-1796(巻九) &2-1-2240(巻十) 2-1-3300歌(巻〇) &2-1-3311歌(巻〇)

第三 「(同)かけずわすれむ」:2-1-2190 (巻十二)

第四 「(同)かけねばくるし」:2-1-3005(巻十二)

2021/1/25付け

たまたすき

巻十二 3005: 「玉手次 不懸者辛苦 懸垂者 続手見巻之」:たまたすき かけねばくるし かけたれば つぎてみまくの (ほしききみかも)

 次回検討

3-4-19歌を検討した2018/6/25付けブログの2-1-3005歌の検討結果は今保留します。

 

たまたすき

巻十三 3300: 「玉手次 不懸時無 吾念有 君尓依者」:たまたすき かけぬときなく あがおもへる きみによりては

 

 

 

A 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などない貴方のために、・・・」

B編纂者の理解をベースにすると(編纂時まで種々利用されてきた歌の歌意として、ブログの第三案を現代語訳とする。

B(第三案):「たま」は一般的な美称とみて「たまたすき」を「たすき」の歌語と割り切り、「たまたすき」により「かく」という語を導くための意に徹したと理解する場合

Cこの歌は、愛人に会ふことを願っている2-1-3298歌の「少しの異同のある別伝」(土屋氏)

 

2021/2/1付け

&2021/2/8付け

たまたすき

巻十三 3311: 「玉田次 不懸時無 吾念 妹西不会波」:たまたすき かけぬときなく あがおもふ いもにしあはねば

 

 

A 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などなく私が恋しく恋しく思っている貴方には逢えないということであれば、」

B 3300歌と同じく、「たまたすき」の意は、巻十三編纂時点では、2-1-3311歌に同じになっていた。「かく」と発音する動詞にかかることを重視した用い方になっていたのではないか。

C 土屋氏の評:「極めて類型的な、普通の、会はない恋の表現にすぎぬ。反歌も類型的で言ふべきところもない」

2021/2/15付け

たまたすき

巻十三 3338: A「露負而 靡芽子乎 珠多次 懸而所偲」:つゆおひて なびけるはぎを たまたすき かけてしのはし 

B「天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有」:(みそでの ゆきふれしまつを こととはぬ きにはありとも あらたまの たつつきごとに)あまのはら ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはな かしこくあれども

A:「(露をやどしてなびいている萩を、)玉たすきはつねにかけるものであるように、心に懸けて賞美され」

B:「(皇子の御袖の触れた松を、もの云わぬ木ではあるが、新たに立つ月ごとに天の原を振り仰いで見ながら、)玉たすきがつねにかけるものであるように、つねに、心に懸けて忍ぼうよ。」

B 「たまたすき」は、A,Bともに「かく」にかかる。

用例Aは、亡くなった皇子が「心にかける」のであり、皇子が、萩という植物を鑑賞された意。実際に「たまたすき」を用いることになる神に奉仕する(祈願する)場面からは連想できない光景。

用例Bは、作中人物が「心にかける」のであり、「皇子の御袖の触れた松」を仰ぎ見る意。それは皇子を偲ぶことを遠回しに言っている。(2-1-199歌は直接亡くなった皇子を偲ぶと詠っていた)。

B枕詞という修辞法の「一次的な機能」である「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」(付記2.参照)に徹して、この歌の朗詠時の効果を意識しているのではないか。

C 作中人物は、皇子を偲ぶ官人

2021/3/1付け

参考:ゆふだすき

貫之集などの例

A神事の際の「たすき」の紐で「かく」の枕詞であり、「心に掛けて・神に約束して」の意を含む

A 例外的に神事の略称

2021/4/5付け

参考:たまだすき

三代集のたまだすき

A

 

注記

 

「かけたるたすき」、「せしたすき」「とりもつたすき」の用例無し

 

注1)歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号

注2)検討したブログとは、「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・・」の当該日付のブログをいう。

注3)歌の検討は、歌の音数を大事にすれば、作者は、意味のある語句優先で音数を綴り、現代における理解もすべて有意の語句として理解できる、という方針に基づく。

注4)『萬葉集』の訓は『新編国歌大観』による。また歌は同書から引用した。

表2.三代集の時代の「たまだすき」などの用例

たすき等の語句

歌集名等・歌番号・万葉仮名表記・訓等

A当該箇所現代語訳・B「たすき」等の意・Cその他

検討したブログの日付

たすき

宇津保物語「蔵開上」・「国譲下」:たすきかけ(がけ)

A紐状の補助具を使用した袴着用の容姿あるいは腰紐を肩にまわした容姿

B たすきは、動きやすく制御する紐状の補助具。

2021/4/19付け

ゆふだすき

三代集 

B 「かく」にかかる枕詞。

2021/4/5付き

ゆふだすき

三代集時代の私家集 貫之集ほか 計7首

B 「かく」にかかる枕詞。「ゆふだすき」は神事において使用する紐の意を示唆している。

B 1首は例外的に「神事」を指す

2021/4/5付き

ゆふだすき

平中物語の歌

B 「ゆふだすき」は「かく」の枕詞

2021/4/5付き(付記4)

ゆふだすき

源氏物語の歌 5-421-152歌

B 「こころに掛けた」意を持たせ、文の相手である(今は神に奉仕することとなった身としてつねに「たすき」を身に着ける立場になっている)「斎院の御前」を指す。

2021/4/5付き

ゆふだすき

源氏物語の歌 5-421-153歌

B 文の相手を「ゆふだすき」と言ってきたのにならい、返歌なので同じように文の相手である)光源氏を「ゆふたすき」は指す。また「かく」にかかる枕詞。

Cこの歌は、事実無根だと切り返す歌。

 

2021/4/5付き

たまだすき

古今集 1037歌:なぞ世中のたまだすきなる

A だから、どうしてこのようなことが私たちの「たすき」(制約・妨げ)となるのでしょうか(そんなことはありませんよね。)」

B 「たすきによって対象物が自由を制限されているイメージ」

C日常用語のいわゆる俗語の「たすき(形)」からのもの

C 「たすき」と称する紐の機能から、紐とそれを使う対象物との関係を重視し、動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況に注目した表現

2021/5/17付け

たまだすき

源氏物語「末摘花」地の文:「玉だすき苦し」

A (しばし無言の後)「玉だすき苦し」、という状況です」

C 「1-1-1037歌の作者の心境です」、と訴えた。相手の制止によって足踏みを余儀なくされている、動き出せない状況での発言。姫君にはまだ拒否はされていないと確信しているので、源氏は必死。

2021/4/12付け

  • 歌番号:『新編国歌大観』記載の『萬葉集』における歌番号
  • 検討したブログとは、「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・・」の当該日付のブログをいう。
  • 歌の検討は、歌の音数を大事にすれば、作者は、意味のある語句優先で音数を綴り、現代における理解もすべて有意の語句として理解できる、という方針に基づく。

 

付記2.「たすき」の説明例 

①「襷(たすき)」とは、『例解古語辞典』では「神事の際、供物などに袖が触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」と説明する。

②『世界大百科事典』(第2版)には、「古墳出土の埴輪にたすきをしたものがある。これらはともに巫女が着用した例で,御膳を献ずるのに古くはたすきで腕をつって持ち上げたといい,神への奉仕や物忌のしるしとされていた。古代の衣服は筒袖であったから,たすきは労働用ではなくもっぱら神に奉仕する者の礼装の一部であった」

(付記終わり 2021/5/24    上村 朋)