わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき変遷 

 前回(2021/3/1)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 並みのたまたすき」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき変遷」と題して、記します。(上村 朋)

1.~23.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認した。3-4-19歌は、初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例を巻十三にある2-1-3005歌の用例を除き検討が終わった。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、神事に使用という「たすき」の面影が巻数が下るに従い消えた。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

24. 『萬葉集』における「たまたすき」(2-1-3005歌は保留)

① 『萬葉集』歌で、『新編国歌大観』で「たすき」と訓む語句の検討を、ここまでしてきました。時代による変遷を確認しておきます。

「たすき」という語句は、修飾されず用いられている1例と「ゆふ」あるいは「たま」と修飾されている例が3例と16例ありました。最初に、用例の少ない「たすき」と「ゆふたすき」を整理します(表1)。

表1.「たすき」と「ゆふたすき」の万葉仮名別一覧   (2021/3/zz 現在)

万葉仮名

次の語句

歌番号等

詠っている場面

検討ブログ

多須吉

(を)かけ

2-1-209

児の延命祈願の儀式中

2020/9/21付け

木綿手次 

 

かひなにかけて

2-1-423

兄弟の延命祈願の儀式中

2020/9/21付け

かたにとりかけ

2-1-3302

自分の恋実現を祈願の儀式中

2020/9/21付け

かたにとりかけ

2-1-4260

妻の延命を祈る場面の儀式中

2020/9/21付け

注1)歌番号等は『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号

注2)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注3)「検討したブログ」欄の日付は、当該行の歌を検討したブログの発信日。

② この4首について、『萬葉集』編纂者が認めている作詠時点は、次のように推測できます。

 2-1-209歌は、巻五にあり山上憶良の作。憶良は天平5年(733)ころ没しているので、それ以前の作。

 2-1-423歌は、巻三にあり石田王卒時の挽歌。王は、人麻呂の時代の人。だから持統・文武天皇の時代(687~704ころ)の作。 

2-1-3302歌は、巻十三にあり、編纂者の時代(少なくとも宝亀年間770~781以降)に宴席で朗詠された伝承歌なので、それより1世代30年として750年ころ以前の作。

 2-1-4260歌は、巻十九にあり、題詞から天平勝宝3年(751)に朗詠された伝承歌。それより1世代前の721年以前の作。そして、編纂者の時代に朗詠されているので、神事とたすきの関係はこの歌を記録した者も編纂者も承知していたことになります。

③ 「たすき」の用例(2-1-209歌)では、「たすき」をかけるほかに、手に真澄の鏡を持つ、とも詠っています。

「たすき」とは、当時は「神事の際、供物などに触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」(『例解古語辞典』)を言っています。神事(例えば祈願)は、神職が専門化していない時代ですから家庭では例えば祈願する当事者自らが祭主を務めています。

阿蘇瑞枝氏は、「たすき」とは、「神事を行う時に肩にかけた。広幅の袖が供え物その他に触れるのをふせぐ手段として用いられた紐類」と説明しています。

「たすきをかく」とは、「神に祈る時の服装」(土屋文明)を整える一環として、必須の所作です。

「ゆふたすき」の用例3首での「ゆふ」とは、その紐の素材を指しています。神事におけるたすきの素材の代表的なものであるならば、「神事の際にかけているたすき」の総称に流用されていたかもしれません。

この4例における「たすき」と「ゆふたすき」は、動詞「かく」に続いており、神事における「たすき」の紐を指して用いられている名詞であって、枕詞の用法ではありません。

④ 次に、「たま」と修飾される用例(「たまたすき」)16例(15首)を整理すると、表2のようになります。各歌の具体の用例を付記1.に示します(各用例別の検討は当該ブログをご覧ください)。

韻文で用いる語句は、その歌においてはその語句の共通する意のほかに(その共通の意に添った)特殊解のような際立った意もこめて用いられているものではないかと思います。勿論語調を整えるのも役割のひとつです。 

 「たすき」と「ゆふたすき」の用例が、神事にあたり祭主が必ず用いる紐を指していたので、「たまたすき」という語句も神事との関係を確認し、「たまたすき」に続く語句のバリエーションが「ゆふたすき」の場合より増えているのでその仕分けを試みました。

 即ち、表2においては、

 区分1 神事との関係については、有無の二区分、

 区分2 続く語句については、動詞「かく」、名詞「うねびやま」、その他の語句、及び修飾語無し、の4区分 「かく」についてはさらに細分

をしています。

表2.『萬葉集』における用例 (2021/3/15 現在)

たまたすきの意

つづく(次句の)用語別の該当歌番号等

区分1

区分2

かけのよろしく

かけてしのふ

かけぬときなく

かけずわすれむ)

かけねばくるし

うねび(の)やま

A=神事と関係あり

次句が「かく」

2-1-5

2-1-199

2-1-1457

2-1-1796

<2-1-2910*>

 

 

次句が「う(ねび)」

 

 

 

 

 

2-1-29

2-1-546

2-1-1339

<2-1-207*>

かかる句無し

 

 

 

 

 

2-1-207

B=非A

次句が「かく」

 

2-1-369

2-1-2240

2-1-3300

2-1-3311

2-1-3338①

2-1-3338②

2-1-2910

 

 

次句が「う(ねび)」

 

 

 

 

 

<2-1-1339*>

保留

 

 

 

 

 

2-1-3005

 

次句用語別のたまたすきの意 (*の歌を除く)

Aのみであり祈願

Aは祈願

Bは紐

Aは神事の紐

Bは紐

Bのみで紐

保留

Aのみで祈願または神事の紐

注1)「区分1」:本文参照

注2)「区分2」:本文参照

注3)「次句の用語別の該当用例歌番号等」欄の数字は、『新編国歌大観』の巻数番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号。付記1の表の「歌番号等」欄の数字と同じ。

注4)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注5)「うねび(の)やま」欄の2-1-29歌などは実際の山(畝傍山)を指すが、2-1-546歌及び2-1-1339の場合は、更に作中人物の比喩の意がある。

注6)歌番号等に「*」のある用例は、今回念のため検討した案(付記1.参照)の位置付けの確認であり、以下の検討の対象外である。

⑤ 「たまたすき」の用例16例の次の語句は、「かく」が12例(保留の2-1-3005歌も含む)、「うね(び)」が4例でした。

「たまたすき」の『萬葉集』における初例は、巻一にある作者が遠征時の歌(2-1-5歌)にあります。編纂者は舒明天皇の時代(629~641)の歌として配列しています。その歌は「かけのよろしく」と神事の成果を得たとする歌です(付記1.参照)。

 次例も、巻一にあり、作者が人麻呂の歌(2-1-29歌)です。私は作詠時点を690年代と推定しました(2020/9/28付けブログの付記1.参照)。

 その歌は、神事に用いる紐を「項(うなじ)」に掛ける所作があることから同音の「うね(び)」に続けています。畝傍の地は神武天皇が都を置き、御陵もあるところです。新たに設けた藤原京への遷都報告・平安祈願(当然神事として執り行われる)を神武天皇陵はじめ主要な御陵で持統天皇が行ったのかどうかはっきりわかりません。またこの歌の「たまたすき」は、披露された時点での神事への言及であるのかも題詞と歌からその可能性を言うだけです。

 一方、同じように「たまたすき」という語句が「うね(び)」に続く2-1-207歌と2-1-546歌が作詠時点で神事(祈願)をしており、2-1-1339歌も作詠時点で標(呪術的な行為)を結んでいます。そして、「うねびやま」に作中人物や相手の人物が比喩として持ち込まれたりしています。「うね(び)」に続く場合は、2-1-29歌も含め、神事あるいは呪術的行為を作詠時点あるいは披露時点で行っている可能性があります。

⑥ 表2に示すように、動詞「かく」は幾つかのパターンがあります。神事を行う場合、祭主は「たすき」を必ず身に着け、袖の動きを制止する目的から「肩から」かけたり、「項(うなじ)に」かけ直すという所作を繰り返しつつ、神事を執行しています。  それに注目して、動詞「かく」の直前に、美称「たま」を付けた「たすき」により神事を意識して最初は「たまたすき かく」という肯定形の語句を用いている、と理解できます。

 それが、「かけぬ」と否定形の語句に続いている場合は、神事よりも「たすき」という紐に注目しているようです。「たすき」をかける所作のみに注目が集まっています。

「たすき」という名詞を含む枕詞は、「たま」と修飾して「たまたすき」と五文字にしています。「ゆふたすき」の五文字では枕詞の用例が、『萬葉集』ではありませんでした。

⑦ 以上の考察も整理すると、次のように指摘できます。

第一 『萬葉集』の編纂時点でも、「たすき」は、神事・祈願における祭主が必ずかけるものであったので、「たすきをかく」という表現には、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意、即ち神事を行う代名詞・略語である認識が生まれやすかった。枕詞には、「かく」を導く語句として「美称」の「たま」をつけ五文字の句となった。

第二 奈良盆地にある畝傍の地が神武天皇の都の地でありかつ御陵のおかれた地であり、神事を行う代名詞・略語が神武天皇の尊称に取り入れられた。その後「畝傍山」に特定の人物を示唆している場合、「たまたすき」は畝傍山の枕詞になっている。

第三 「たまたすき」が肯定形で「こころにかく」や否定形で「こころにかけぬ」と続く場合は、「かく」を言い出す語句として用いられている(いわゆる枕詞としての用法)。

第四 さらに「こころにかく」結果の状況の表現が工夫され、神事を離れ単に「たすき」という紐を使用する所作「かく」に焦点があてられ、「かく」ことをする目的から「たまたすき」は「袖の動きを制止する紐」の代名詞になった。2-1-4260歌のように神事を詠う「ゆふたすき」も「ゆふ」が神事を示唆し、「たすき」が「袖の動きを制止する紐」を指している、と理解できる。

第五 今、現代語訳を保留している2-1-3005歌の「たまたすき」も、「袖の動きを制止する紐」であって「こころにかく」を強調するため語句になっている、と推測できる(いわゆる枕詞としての用法)。

(2-1-3005歌は、三代集での「たまたすき」の用例を検討後に現代語訳を試みます。)

⑧ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。次回は、三代集の「たまたすき」を検討します。

(2021/3/15  上村 朋)

 

付記1.『萬葉集』で「たまたすき」と訓む語句の例の一覧

① 下記の表は、『新編国歌大観』の訓に基づき『萬葉集』における「たまたすき」と訓む語句のある歌を検討してきたブログに基づく。今回補足して検討した事項は、注記した。また、今回語句の訂正を「たすきの意」で行った場合は字消線で削除部文を示し訂正した(2-1-5歌、2-1-3338歌②)。

② 用例は15首で16例あった。

表.『萬葉集』で「たまたすき」と訓む語句の例  (2021/3/15  現在)

万葉仮名

訓(本文)

たまたすきの意

歌番号等

備考(詠っている場面など)

検討ブログ

珠手次

たまたすき

かけのよろしくとほつかみ あがおほきみの いでましの やまこすかぜの

(「珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃」)

A&K 「大切な丁重にたすきをかけて祈って満足できる(よろしい)結果を得たように、遠い昔の神のような存在の大君がお出ましになって越えた山の方角から吹いてくる風の朝夕に接すれば(ひとりで居てもうれしい風が)」

(字消線部を今回訂正)

2-1-5

1.(奈良盆地以外の地と朝鮮半島への)外征に向かう途次の歌

2.「珠」は、神々に祈る際に身に着けるべき「手次」に対する美称。「たまたすき」を「掛ける(懸ける)」という表現は、「祭主として祈願する」姿を指し示しす。だからここでの「珠手次」は、祈願することまでを意味する。

3.「たまたすき かけのよろしく」とは、祈願が叶ったようにうれしい風(都からの便りを運ぶ風)がふいた)の意。

2020/9/28付け

玉手次

たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ  

(「玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世(従)」)

A&U 「神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山近くの橿原の地に宮を置かれた聖天子・神武天皇の時代(から、)」

 

2-1-29

1.巻一は宮廷儀礼中心の巻。都を対比している。この歌は藤原京地鎮祭行幸時に新京(と天武天皇持統天皇)を寿ぐ歌。(奈良盆地に都を定めたことを間接的に寿ぐ)

2.多くのいわゆる枕詞を用いて、天皇(および天皇の行為)を尊称している。「玉手次」もその一つ。神武天皇の名を詠いだす。

3.「たまたすき」の語句には「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている。

2020/9/28付け

玉手次

たまたすき か(懸)けてしのはむ

(「玉手次 懸而将偲 恐有騰文」)

A&K 「祭主が襷をかけて神に奉仕しお告げを聴くように、心を込めて大君(高市皇子)の成されたことやお言葉を偲びたい、と思います。大君のことを勝手に話題にするのははばかれるのですが。」

2-1-199

1.高市皇子尊城上殯宮之時の挽歌。

2.編纂者の挽歌の定義は「「棺を挽く時つくる歌にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」 

3.「玉手次」には、神に奉仕するにあたって穢れのない状態を示す「たすき」をかける祭主のように、厳粛に貴方様を敬って偲ぶ、という意を込めることができる。

2020/10/5付け

玉手次

たまたすき うねびのやまに(なくとりの こゑもきこえず)

(玉手次            

畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 )

A&-- 「玉たすきを掛け、神に祈ってから市に来たので、畝火乃山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の声は聞こえず、」(仮にA&Uの場合:*1)

2-1-207

1.人麻呂が妻の死後、妻が無事にあの世に出立するよう詠う歌。

2.当時の葬送儀礼は、亡くなった人がこの世に未練を残して悪さをしないように、というもの。

3.元資料の歌が里の名も山の名も入れ替え可能な葬列の歌とすれば、「畝傍山」を用いるときにだけそれに冠する語句を用意するのは特別すぎる。山の名に関わりなく「たまたすき」が(類音以外の)意義のある語句として用いられているのではないか。

4.この世からあの世に行く妻が満足して向うようにと祈って葬列に加わった、という行為を略して「たまたすき」の一語で言った。「うねび(の)やま」に冠する語句ではない。

5.「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例

(*1)

2020/10/12&2020/10/19付け

珠手次

わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ

綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

B&K 「海神が手にしている(海由来の)「たま」でできているものもあるという「たまたすき」をかけるように、心にかけて「日本嶋根」(海からの陸地)を賞美したことだ。(再検討後の訳)

2-1-369

1.着任時の挨拶歌。赴任途中船上より任地の人々と海の幸を寿ぐ。

2.「綿津海乃 手二巻四而有」は「珠」の序(これを重視し今回再検討した。)

3.たまたすきとは「素材に(海由来の)玉を使ったたすき」(再検討した結果も同じ)。

4.「たすきに懸ける」ということが「心に掛ける」に通じる、として作者は用いている。(再検討した結果、序を用いて「たま」をいいだしているので「たまたすき」を強調している。「たまたすき かく」が「こころかく」の意となる。)

5.金村の代作。作詠時点は聖武天皇9年目以降の時点。

6.「かけてしのひつ やまとしまねを」とは、任地の越前国の来し方を讃嘆した(かつ、前任者たちを讃嘆した)ことば

6.再検討後も、「祭主」がかける「たすき」の役割が残ってない「たまたすき」の用例。

2020/10/26付け

玉田次

うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまたすき うねびをみつつ(愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管)

A&U「いとしい夫は、遠くへと出立し(いや、いそいそと心では私のもとをはなれるのを喜んで出かけるのでしょうが)、何事もなくお帰りになることを祈った私をみるように、畝傍山を振り返り見つつ(よい麻裳を作る紀州路に入り、)」

2-1-546

1.従駕の場合官人の家では無事を祈っていると想定できる。その行為を、潔斎して神に祈願する行為を指す「たまたすき」という語に託している。

「たまたすき」は作中人物({娘子」)の行為。その作中人物を、畝傍山に例えている。

2.「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意を「たまたすき」に持たせている。

3.「たまたすき」という行為をした人物を畝傍山に見立てるのは、この二つの語句の結びつきとして新たな使い方。

2020/11/2付け

玉手次

<おもひあまり いたもすべなみ> たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

<思賸 痛文為便無> 玉手次 雲飛山仁 吾印結

A&U<・・・>神に祈願して、普段の状態ではない畝傍山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますことしかできない私です。)(仮にB&Uの場合:*2)

別案:「雲飛山」を、「雲飛ぶ山」と訓むと、「・・・、さらに雲が飛ぶような山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますだけの私です。)」

2-1-1339

 

1.「寄山」と題する譬喩歌五首の一首。恋の相手(女)は遠い存在になったしまったと認めた歌。「雲飛山」は相手を指す。

2.この歌は3つの文からなる。「たまたすき」で一文。「雲飛山」の訓読に関係なく「祭主として祈願した」の意の文。(*2)

3.別案の「雲飛ぶ山」は「大野」と同じく囲む効果がないもの。「印結」とはここでは「独占する」とか「近寄るな」とかの歌語ともいえる万葉仮名。作中人物は呪術であることを承知で、せめてできることをした、と恋の相手に訴えた歌。

4.「雲が飛ぶような山」を対象として、実際に(例えば遥拝する場所で象徴的な)標を結ぶのは、呪術的にも効果があると作中人物は思っていない。

2020/11/23付け

 

玉手次

たまたすき かけぬときなく いきのをに あがおもふきみは(玉手次 不懸時無 気緒尓 吾念公者)

A&K「祈るにはたすきをかならず掛けるように、私は貴方をいつも大切に思っています。そして、この度もたすきを掛けて神に祈願をして、(私が)命がけで、気に懸けている貴方は」

2-1-1457

 

 

1.みそぎと同様に「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞。

2.この歌における「玉手次」には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている用例。「たまたすきをかける」を神事の紐をかける意としている。

2020/12/14付け

珠手次 

こころくだけて たまたすき かけぬときなく くちやまず あがこふるこを(心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾恋児矣)

 

A&K「心はくだけてしまい、(私の行動は制御が利かなくなり、) 神に祈る時には常にたすきをかけないことがないように、貴方を心に懸けない時は無く、だから、(貴方のことしか考えられなくなり)ため息ばかりだ、ああ、吾が恋する君よ。」

 

2-1-1796

 

 

1.題詞にある「娘子」(をとめ)の巻一~四の用例では「若い女官」と「遊行女婦」が多い。ここもそれか。

2.4句(肝向、珠手次、玉釧、真十鏡)が枕詞と指摘されている。珠手次以下の3句は身近なものの名詞でもある。ここでは玉釧は名詞(非枕詞)、真十鏡も名詞の意を十分残す(常には蓋をしているもの)。

3.珠手次の「珠」は「たすき」の美称であって「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞・略語。ここでは、祈願そのものが特別な行為なので、心に「不懸時無」く、ということの必死さの比喩。

4.「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている用例。

2020/12/21付け

玉手次

たまたすき かけぬときなく あがこふる (玉手次 不懸時無 吾恋)

B&K「たまたすきは掛けるものと決まっているように、私がいつも心に懸けて思っているのは、貴方、私が恋い慕う貴方。」

2-1-2240

 

 

1.  この歌は相聞歌ではなく秋雑歌。

2.  「しぐれ」から発想した別々の4首「詠雨」の3首目。将来、運よくしぐれに自分があった時の歌。

3.  「しぐれ」はときどきある便りをもいう。

4.「たまたすきかく」とは、「懸く」という動作(動詞)の対象に、紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」があることを示す。

5.「たまたすき」に「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていない。

6.このように割り切って理解した最初の人物が、巻十の編纂者。

2021/1/11付け

玉手次

たまたすき かけずわすれむ ことはかりもが

(玉手次 不懸将忘 言量欲)

 

B&K

1.作中人物が男の場合:だから、たすきをかけない日常のように、貴方を心に懸けないようにして、貴方を忘れましょう。(でも、)わすれる方法があるでしょうか(みつからないのですよ)。

2.作中人物が女の場合:「だから、たすきをかけない日常のように、貴方を心に懸けないようになるような、失念できるような方法があればなあ。」

(仮にA&Kの場合:*3)

2-1-2910

 

1.2-1-2910歌と2-1-2911歌は一対の歌。

2.美称の「たま」をつけた語句「たまたすき」を「かけず」とは、悲恋の歌なので神事(祈願)を行わない、という意ととれば、神を見限ったかの表現になる。

3.「たすき」とはそもそも「神事の際、供物などに触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」であり、用途を限定した紐。ここではその用途に触れず、使い方として「常にかけるもの」の例に「たすき」を挙げている。

4.そして「たすきを常にかける」ことを譬喩にせず「たすきをしない日常」を比喩として「貴方が私に関係しない日常」を言っている。これは「たすき」と「かく」の新しい関係。

5.単に「かける」という動詞の対象に紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」があることを言い出している。

「たまたすき」は、「たすき」というものの使い方のイメージよりも動詞「懸く」という語句を単に導いている用例。(*3)

2021/1/25付け

玉手次

たまたすき かけねばくるし かけたれば(玉手次 不懸者辛苦 懸垂者)

保留

 

2-1-3005

 

1.3-4-19歌の類似歌として検討対象の歌なので、当分の間保留

2.巻十二までの「たまたすき かく」の用例に、4類型ある。

第一 (たまたすき)かけてしのふ、と詠う例:2-1-199歌(巻二)  2-1-369歌(巻三)

第二 (同)かけぬときなく、と詠う例:2-1-1457(巻八) & 2-1-1796(巻九) &2-1-2240(巻十)

第三 (同)かけずわすれむ、と詠う例:2-1-2190 (巻十二)のみ

第四 (同)かけねばくるし、と詠う例:2-1-3005(巻十二)のみ

2021/1/25付け

玉手次

たまたすき かけぬときなく あがおもへる きみによりては(玉手次 不懸時無 吾念有 君尓依者)

B&K 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などない貴方のために、・・・」

2-1-3300

 

1.編纂者はこの歌を次の反歌を1対に仕立てた。「相手の為に祈る」という趣旨の歌であり、語句は(元資料の意を離れ)編纂者の理解によっている。

2.「たま」は一般的な美称とみて「たまたすき」を「たすき」の歌語と割り切っている。「たまたすき」とは「懸く・掛く」ものというその使用方法を第一に意識している歌。

3.当時の「たすき」のイメージは、神事の際に必ず使用する紐の意でそれ以外の利用が全然なかったようだ。

2021/2/1付け&2021/2/8付け

玉田次

たまたすき かけぬときなく あがおもふ いもにしあはねば (玉田次 不懸時無 吾念 妹西不会波)

 

B&K「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などなく私が恋しく恋しく思っている貴方には逢えないということであれば、」

2-1-3311

 

 

1.逢わないのは、死ねと言っていることですよ、と詠った歌。

2.語句の理解は編纂時点のものがよい。

3.「たすき」は「かく」と発音する動詞にかかることを重視した用い方

2021/2/15付け

珠多次

なびけるはぎを たまたすき かけてしのはし(靡芽子乎 珠多次 懸而所偲)

B&K「(露をやどしてなびいている萩を、)玉たすきはつねにかけるものであるように、心に懸けて賞美され」

 

2-1-3338①

 

1.葬送儀礼時朗詠できる歌。

2.枕詞を12種用い「たまたすき」は同2回用いている歌。

3.「たまたすき」はともに「かく」にかかり、「こころに掛ける」意を導く。対象は「人物」ではなく「萩」と「松」。ただし、「こころに掛ける」人物は異なる。

4.「たまたすき」はたすきを掛ける意のつながりで「かく」につづく。「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」に徹した用法。

5.この歌の作者と巻十三の編纂者に「たすき」の使用目的を意識している様子が見えない。

2021/3/1付け

珠手次

みそでの ゆきふれしまつを こととはぬ きにはありとも あらたまの たつつきごとに あまのはら ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはな かしこくあれども(御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有)

B&K 「(皇子の)御袖の触れた松を、もの云わぬ木ではあるが新たに立つ月があらたまるごとに天の原を振り仰いで見ながら、玉たすきがつねにかけるものであるように、つねに、心に懸けて忍ぼうよ。」

(字消線部を今回訂正)

2-1-3338②

 

1.葬送儀礼時朗詠できる歌。

2.枕詞を12種用い「たまたすき」は同2回用いている歌。

3.「たまたすき」はともに「かく」にかかり、「こころに掛ける」意を導く。対象は「人物」ではなく「萩」と「松」。ただし、「こころに掛ける」人物は異なる。

4.「たまたすき」はたすきを掛ける意のつながりで「かく」につづく。「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」に徹した用法。

5.この歌の作者と巻十三の編纂者に「たすき」の使用目的を意識している様子が見えない。

6.「皇子の御袖の触れた松」を仰ぎ見る意。皇子を偲ぶことを遠回しに言っている。

2021/3/1付け

 

 

 

 

 

 

 注1)歌番号等は『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号

注2)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注3)「たまたすきの意」欄の符号:

 神事との関係の区分:2区分する。Aは、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている。「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞あるいは略語。 Bは、「非A」

 たまたすきが続く語句の区分:4区分する。K:「かく」、U:「うね(び)」、Z:その他、 ―:かかる句無し。

注4) 当該歌を検討したブログは主要なものを挙げる。

注5) *印は、その歌のブログに対する今回の追記である。そのブログの結論を変えるものではない。

*1:(207歌)この歌をA&Uと理解した場合、「(軽の市に、私は立って聞いたが、)神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の声は聞こえず、・・・」となる。鳥が来ないということは、妻の魂は、まだ肉体にある、ということであり、妻の魂は葬送の儀礼を待っているのだから、作者と妻の関係は良好であることを確認したことになるか。また、畝傍の山は死者の行くところあるいは経由するところ、となる。「畝傍山」はますます神武天皇の御陵にも関係しない地名・山名となる。

*2:(1339歌)この歌をB&Uと理解した場合、「たすきをかける項(うなじ)ではないが、深山にみえてしまっている「う」が同音の畝傍の山に、標を結んだのだよ(それしかできないだ、今の私には)」となる。畝傍の山は相手の女性。 畝傍山奈良盆地にある身近な山であり、単に同音の「う」に続く例とみなした2-1-29を前提とした歌となる。しかし、人麻呂作の2-1-29歌をそのようには理解しないほうが妥当である。

*3: (2910歌)この歌をA&Kと理解した場合、「たまたすき かけずわすれむ」とは、「(神が我が願いを聞き届けてくれなかったのを、清く受け入れ、再び)祈ることは止めて、(貴方のことは)忘れよう」 と理解できる条件があれば可能である。この歌を送る相手にいくつか歌(恋文)を送っていてその歌が祈願に関して触れていれば、返しの歌もないこととあいまって、神への冒涜はなく、このように理解する条件が整う。元資料などでは有り得る理解となる。しかし、『萬葉集』記載の歌としては、2911歌と一対の歌群の範囲の情報では、その条件のもとの歌という限定ができない。 

(付記終わり  2021/3/15   上村 朋)