わかたんかこれ 猿丸集の第24歌再確認のまとめ

 また明日も暑い日のようです。日向に長く居続けないようにしましょう。

『猿丸集』の第24歌の類似歌の理解のための『萬葉集』の検討を前回(2023/8/28)のブログで終わり、24歌再確認のまとめを行います。(上村 朋)

1.~26.経緯

『猿丸集』の歌は、各歌の類似歌とは歌意が別の歌であることを一度確認したが、違いの度合いを保留中の歌に3-4-24歌がある(2018/7/23付けブログ)。それは類似歌の理解に2案併記で留まっているからである。

2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行い、3-4-23歌まではすべて恋の歌(付記1.①~③参照)であることを確認し3-4-24歌も、題詞と歌本文からは恋の歌となった。そして類似歌については、所載の『萬葉集』巻三の構成と配列も検討した(付記1.④以下参照)。

歌は、『新編国歌大観』より引用する。

27.再考 第五の歌群 第24歌 再確認のまとめ

① 3-4-24歌は、『猿丸集』に想定した歌群の「第五の歌群 逆境の歌群」(3-4-19歌~3-4-26歌)にある、と現在整理しています。

3-4-24歌  (3-4-22歌の詞書をうける)おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし

 

3-4-24歌の類似歌  『萬葉集』巻三  挽歌  

2-1-439歌  和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440)

      ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)

② この両歌は、題詞が異なります。しかし歌本文では清濁抜きの仮名書きでは五句にある一字が違うだけです。そして初句にある「ひとこと」が同音異義の語句であり、その意が、3-4-24歌は「人事」であり、「よそのこと、自分たちの仲を裂こうとする家族・一族の行動」をさし、類似歌は「人言」であり、「噂」をさす違いがあります。二句にある「このころ」という語句の具体的な時点にも違いがあります。そのため、歌本文の現代語訳(試案)は、だいぶ異なることになりました。

猿丸集編纂者が、中途半端な理解で萬葉集歌を類似歌として扱っているとも思えません。類似歌に関して、収載されている巻三の構成・編纂方針も確認しました。そのうえで下記の検討をして、次のようなことが判りました。

第一 3-4-24歌は、その題詞のもとにある歌として、恋の歌である。題詞はブログ2018/7/9付けの現代語訳(試案)が、そして歌本文はブログ2018/7/23付けの現代語訳(試案)が妥当である。同じ題詞のもとにあるほかの歌との整合もとれている。

第二 3-4-24歌の類似歌は、『萬葉集』巻三の編纂方針により部立て「挽歌」に配列されているので、挽歌である。部立て「相聞」にある歌ではない。題詞と歌本文についてブログ2018/7/23付けの現代語訳(試案)が妥当である。部立て「挽歌」にある歌ということを重視する方法は、詞書を重視して『猿丸集』を検討する方法に通じている。なお、『萬葉集』の部立て「挽歌」の意は、巻二でも巻三でも同じである(挽歌の定義等については付記3.参照)。

第三 3-4-24歌と類似歌の異なる点は、まず恋の歌と挽歌ということであり、その歌意の違いは、3-4-23歌までの傾向と同じで、大きく異なる。また、両歌に同音意義語を用いている点は3-4-23歌までの傾向と重なる。

第四 3-4-24歌は、『猿丸集』に設定した12の歌群のうちの「 第五 逆境の歌」の歌群に属していている。

第五 3-4-24歌の類似歌に関連してブログ2021/10/4付けで予想した5事項(作業仮説)は、あたっている。但し、その第三(その人物は、誰かを暗喩している、と考えられる(仮説C))はあいまいな表現であった。「各々の題詞に言う人物は、それぞれ誰かを暗喩している(仮設C’)」のほうが適切である。

③ 既に再確認したことを記し、次に、今回の検討結果を記します。

最初に、題詞と歌本文のみから得た現代語訳(試案)は、『猿丸集』の配列及び類似歌について収載されている『萬葉集』巻三等の検討を経てもかわりませんでした。

3-4-24歌の題詞: 「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」(ブログ2018/7/9付けより)

3-4-24歌の歌本文: 「自分達に関係ない(仲を裂こうとする)ことがごたごたしていて煩わしいこのごろで(逢えませんねえ。)、あなたが美しい宝石であるならば、手にまきつけることで(あなたとの一体となるので)、あなたをこれほど恋こがれることはないであろうに。」(ブログ2018/7/23付け「6.&7.」より)

このように、3-4-24歌は、親たちの監視が続いている女と作者との変わらぬ愛を、男の立場で表現した歌と理解できました(ブログ2018/7/23付け「8.」参照)。当事者は逆境にたたされています。なお、同一の題詞のもとにある〇首の1首がこの歌です。歌をおくられた女からみると、『猿丸集』記載の順番に受けとることにより、作者(男)が事態の認識をしたうえ変わらぬ愛を誓ってくれていると理解できる歌になっています。整合性があります。(ブログ2018/8/20付け参照)。

④ 次に、題詞と歌本文のみから得た類似歌2-1-439歌の現代語訳(試案)は、巻三の構成などを考慮してもかわりませんでした。諸氏のいう挽歌案としての理解です。(相聞歌案としての理解は付記2.参照。挽歌の定義は付記3.参照)

2-1-439歌の題詞: 「和銅四年辛亥の年に、河辺宮で奉仕する宮人が、(難波の)姫島の松原での乙女の入水を聞き、悲しんで作った歌四首」

2-1-439歌の歌本文: 「噂が飛び交う(なかなか逢うことも叶わなかった)ころ、あなたが玉であるならば、(貴方のお相手の方は)手に巻いて持ち、(恋で仕事が手に付かないことも)恋しく思うこともなかったであろうに。」(この現代語訳(試案)を439挽歌第一(案)ということにします。) 

及び別案 「・・・玉であるならば、手に巻いて身近に感じ(、たよりもないのもあせることなく)恋しく思うことがあなたにもなかってしょうに」(同、439挽歌第二(案)) (題詞はブログ2018/7/23付け「4.⑨」、歌本文は「同ブログ「5.③」参照) 

⑤ この詞書にある「見・・・屍」という表現は、「仄聞」あるいは「文書によって知る」という意、あるいは下命による作詠を示唆する言葉とも理解した方がよい。同じような表現がある、(巻二の部立て「挽歌」にある)2-1-228歌と2-1-229歌の題詞「・・・姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」と、(巻三の挽歌にある)2-1-439歌等4首の詞書「・・・見香具山屍悲慟作歌」でも同じです。追悼の歌とか挽歌は、屍を目視しなければが作れないという類の歌ではありません(ブログ2018/7/23付け「4.」)。 

 また、同ブログ「4.⑤」では、「作歌」という表現も、「その時あるいはその行事に披露された歌」あるいは「会合で話題となった際に披露された歌」を指す歌語とみなせ、前者は、朝廷が人々の死を悼む(あるいは遺族の生活を支えようと決意表明する)行事とか家族や一族が行う葬式の類、と指摘しました。歌本文は、題詞のもとにある歌として、相手の男が誠意ある男であったらば、このように思うであろう、と作者が詠ったと理解しました。詞書にいう「水死の美人」を弔う歌とみなしたところです(同上ブログ参照)   

⑥『萬葉集』巻一~巻四についてその編纂方針が形に現れているであろう、部立て、標目、題詞、宮城の呼称などを前回まで検討してきました。そして『萬葉集』の部立て「挽歌」とは、下記の付記3.に記すように、「死者は生者の世界に残りたがっているのでそれを断ち切ってもらう必要があるという信仰の上にある歌」という意味であって、天皇からみれば、死後に、その人物の活躍(の結果の天変地異、庶民の不幸)があれば偉大な人物であったと認めざるを得ず、天皇としては、偉大な人物の死後も祀る儀礼等を続けてその人物の活躍を来世に留めてこそ現世が安泰です。巻二も巻三も天皇家のための部立て「挽歌」 です。

 当時は、単に追悼をする歌を挽歌と意識してはいません。官人の家であっても、亡くなった妻が(当然現世に未練がある状態で来世に逝ったので)現世の家族を縛らぬよう、信仰上の儀式を行いその際披露する歌が挽歌というものです。このようなことを確認できました。

⑦ そのため、類似歌4-3-439歌を、ブログ2018/7/23付けで、詞書にいう「水死の美人」を弔う歌とみなしたのは浅薄な理解でした。「弔う」とは、現代では「人の死を悲しみいたむ」意(『新明解国語辞典』)ですが、現世の関係者に、「水死の美人」が迷惑かけないように、という願いを込めた歌でした。

 同じ「水死の美人」を詠う挽歌が巻二と巻三にあります。2-1-228歌と2-1-229歌の題詞にある「姫嶋松原美人屍」と類似歌2-1-439歌にある「姫嶋松原見嬢子屍」です。どちらの題詞でも挽歌の対象者は、天皇家との関係が全くない人物ですので暗喩で天皇家の誰かに重ねられます。  『萬葉集』の編纂者はそのためにここに配列しています。歌本文も伝承歌かそれに近く、水死した以外に特別な個人情報のない歌となっています。

 暗喩は、巻二では、天武系の女系天皇(複数)を(ブログ2021/10/11付け「5.⑫」)、巻三では、元正天皇(ブログ2022/11/28付け「42.⑥」)と推測しました。 

⑧ 上記②の第五は、表面上の人物名は、萬葉集巻一~巻四の編纂過程をみると、三大部立てと天皇家のための歌集というのは堅持していても編纂者(あるいは監修者)が変わっています。だから、暗喩する人物と表記の人物名について各巻ごとには一定の対応をしても、通巻して同じとするのは難しかったのではないか。なお、巻四にも作者や歌をおくった人物に、天皇の御代によっては暗喩がありました(ブログ2023/3/6付けなど参照)。

⑨ ここまでは、3-4-24歌の類似歌は、現存の『萬葉集』に収載されている歌、ということを前提にしていました。『猿丸集』が編纂された当時、この類似歌を含めていくつかの系統での写本『萬葉集』(あるいはその一部)を編纂者は知ることができたのではないか、あるいはその『萬葉集』の元資料も『猿丸集』が編纂された当時まで伝わっていたのではないか、ということを不問にしてきました。

 その中に、3-4-24歌の歌本文あるいはそれによく似た歌を、恋の歌と理解する訓なり解釈があるとすれば、それを参考にできたはずです。

『猿丸集』の3-4-23歌までは、その類似歌との差異は大きく異なるものでしたので、その傾向の中に3-4-24歌以降の歌も例外なく該当すれば、恋の歌を前提に3-4-24歌の類似歌を選択していない、と言い切れます。これは全歌の検討が終わればおのずと結論を得ます。

 それは、『猿丸集』編纂者が、編纂にあたりその類似歌を相当意識していることになり、類似歌の理解をも提示しているのが『猿丸集』となります。いうなれば類似歌が多数収載されている『萬葉集』と『古今和歌集』の独自の理解の方法を提案していることになります。題詞に従い、歌本文を理解し、その際同音異義の語句に留意するという方法です。

 そのほかに、『猿丸集』編纂者が3-4-24歌の類似歌を挽歌案で理解していたと推測してよい理由があるかどうかを、念のため検討します。

⑩『猿丸集』の成立時点について、『新編国歌大観』の「解題」は、「公任の三十六人撰の成立(1006~ 1009頃) 以前に存在していたとみられる歌集」としています。成立時点を幅で示していません。最遅の成立時期に成ったとしても、『萬葉集』歌の全てが統一的に当時理解されていたとは思えません。新たな訓に挑んでいる人たちが当時でもいたのですから。

 最早の成立時期は、『古今和歌集』歌が類似歌であることを認めるならば、『古今和歌集』成立直後となります。紀貫之には『万葉集抄』五巻があったと伝えられています。貫之と同時代の人も訓を施そうという人がいたことになります。

 このように『萬葉集』に訓を施すことは、何人もが試みており、その集成が天暦が5年(951年)に梨壺の五人 が命により附訓したものであったのでしょう。短歌を中心に4000首以上の歌に附訓するのは一朝一夕でできるものではありません。しかし梨壺の五人の訓と異なる訓が流布を禁止されたわけでもないでしょう。『猿丸集』編纂者は、たしかに色々な訓の『萬葉集』歌をみることができたと思います。あるいは自ら訓を工夫していたかもしれません。

 それでも、題詞を重視した『猿丸集』の編纂からは、3-4-24歌の類似歌が恋の歌である、という理解はしていない、と思います。部立てと題詞を重視したら、恋の歌とはいえないのですから。

『猿丸集』の編纂者は3-4-24歌の類似歌を挽歌と認めている、と思います。

⑪ また、『新編国歌大観』の「解題」は、「前半に萬葉集の異体歌および出典不明の伝承歌を、後半に古今集の読人不知歌および萬葉集歌を収載し構成している雑纂の古歌集」と説明しています。しかし、これまでの検討から、そうではなく、『猿丸集』は特定の編纂者による特定の目的を持って、題詞を作文して歌を配列した編纂物である、と、確信を持って言えます。作者あるいは披露した場面は仮想の設定であるとしても、歌集編纂は『萬葉集』でも『古今和歌集』にしても同じです。元資料の歌は素材としての扱いを受けています。

 そのため、歌本文に注目すれば、元資料と寸分たがわぬ表記であるはずなので、元資料の歌意と部立てのもとの題詞に従った歌の歌意は異なる場合があります。巻三や巻四の歌は、それを意識して現代語訳を試みてきたところです。類似歌を『萬葉集』記載の歌と認めるならば、元資料の歌意でなくなります。類似歌を『萬葉集』記載の元資料と認めるならば、元資料の歌意で類似歌を理解してしかるべきです。前者であれば、どの写本の『萬葉集』であっても「挽歌」という部立てにある歌として理解することが妥当であり、後者であれば、元資料が現今まで(『萬葉集』を除いて)残っていないので何ともいえませんし、類似歌を『萬葉集』歌と言うのが誤りである、ということになります。

⑫ だから、『猿丸集』の理解には、類似歌を無視して良いのであり、文字通り歌本文のみに注目して似たような歌本文を現存の歌集で探せば『萬葉集』記載の歌がある、というだけのことです。ただ、『猿丸集』を理解することで、類似歌のある歌集『萬葉集』などの理解が私には深まりました。

⑬ 『猿丸集』は、当時でも啓蒙の書であったのではないか。『萬葉集』歌と『古今和歌集』歌の理解を、示唆しようとして『猿丸集』を編纂したのが編纂者の立場ではないのか。それが正しい理解であるなら古人が既に唱えているはずだ、として『猿丸集』という名にしているのではないか、とも推測します。

 ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧しただき、ありがとうございます。

 次回からは3-4-25歌の再確認をします。

(2023/9/4   上村 朋)

付記1.『猿丸集』が恋の歌の場合の歌群その他について(ブログ2020/7/6」付け「1.」より)

①『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

② 恋の歌の歌集と仮定して歌群を想定したところ、1案として12の歌群を得た。歌群名が固定できていないが、次のような歌群である。

第一 相手を礼讃する歌群:3-4-1歌~3-4-3歌 (3首 詞書2題) 

この歌群は歌集の序ともとれる内容の歌群である。

第二 逢わない相手を怨む歌群:3-4-4歌~3-4-9歌 (6首 詞書5題)

第三 訪れを待つ歌群:3-4-10歌~3-4-11歌 (2首 詞書2題)

第四 あうことがかなわぬ歌群:3-4-12歌~3-4-18歌 (7首 詞書4題)

第五 逆境の歌群:3-4-19歌~3-4-26歌 (8首 詞書3題)

第六 逆境深まる歌群:3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)

第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)

第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)

第九 破局再確認の歌群:3-4-37歌~3-4-41歌 (5首 詞書2題)

      (当初案から名称変更)

第十 「懐かしんでいる歌群」あるいは「未練の歌群」:3-4-42歌~3-4-44歌 (3首 詞書2題)

      (当初案から名称変更と対象歌を減少)

第十一 「新たなチャレンジの歌群」:3-4-45歌~3-4-49歌 (5首 詞書4題) (当初案から対象歌を増加し名称変更)

第十二 今後に期待する歌群:3-4-50歌~3-4-52歌 (3首 詞書2題)

      この歌群は、歌集編纂者の後記とも思わせる歌群である。

③ 恋の歌確認の方法は、これまで通り、次のことが前提である。(「2020/7/6」付けブログ参照。)

第一 言葉は、ある年代には共通の認識で使われるものであり、その年代をすぎると、それまでの認識のほかに新たな認識を加えたりして使われるものである、という考えを前提とする。もてはやされる用語(とその使い方)がある、ということを認めたものである。

第二 字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つである。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである。

第三 和歌は、歌集として今日まで伝わっている。その歌集の撰者・編纂者は、自らの意図で歌を取捨選択し歌集を作っている。だから、歌集の撰者・編纂者の意図と個々の作品(各歌)の作者の意図とは別である。歌集そのものとそれに記載の歌とは別の作品、ということある。

④ 猿丸集の第24歌については、ブログ2018/7/23付けで最初検討した。3-4-24歌は、親たちの監視が続いている女と作者との変わらぬ愛を男の立場で表現した歌であり、題詞のもとで逆境にある作者の恋の歌と理解した。しかし、類似歌については恋の歌あるいは挽歌と理解する2案のままで1案に絞るのは暫く保留した。ただ、『猿丸集』のこれまでの各歌とその類似歌との関係がこの3-4-24歌にも当てはまるとすると、この歌が相聞歌であるので、類似歌は、2案のうちの「439挽歌(案)」である可能性が高い、と推測した。

⑤ そして24歌の題詞は、3-4-22歌以下五首にかかる題詞であるので、5首検討後、題詞のもとで一連の歌と認められるかをブログ2018/8/20付けで検討し、3-4-24歌の類似歌の理解がどちらであっても、「3-4-22歌の詞書のかかる歌として、当事者の希望を全うしようとする一連の歌といえた。また、類似歌を、5首の替わりにならべても、当事者の希望を全うしようとする一連の歌として女に理解してもらえる構成になっていなかった。   

⑥ 猿丸集の第24歌の再確認は、ブログ「2021/11/4付け」より始めている。『猿丸集』の編纂者の時代に、類似歌の理解が439挽歌(案)か439相聞歌(案)どちらの案であったかの確認を行っている。『萬葉集』の巻一~巻四の編纂方針を確認するなどをブログ2023/8/28付けまで行い、類似歌は、題詞と歌本文からも、また、巻三の(推定した)編纂方針及び配列からも「挽歌」という部立ての歌であり、相聞の歌ではないことが判った。

付記2.類似歌(2-1-439歌)を相聞歌と理解した場合の現代語訳(ブログ2018/7/23より)

① 歌本文を、題詞を無視して理解した場合、相聞歌としての理解が可能になる。

② 試みた現代語訳(試案)は、つぎのとおり。

「人の噂が激しいこの頃なので(逢えないで時が過ぎてゆきます)。貴方が玉であったらいつも手に巻いて持ち歩き(肌も触れ合い)いたずらに貴方を恋しく思うこともないでしょうに。」

③ この(試案)であれば、普通の状態における男女の相聞歌である。親の監視の度合いが3-4-24歌と違っており、3-4-24歌が、いわば、逆境にいる者へ送った歌とすれば、この(試案)は、土屋氏のいう民謡がベースの歌で順境にいる者へおくった歌である、といえる。

付記3.『萬葉集』における挽歌について

① 部立てのひとつ「挽歌」とは、ブログ2022/11/28付けの「付記1.」に記すように、巻二の部立て「挽歌」にある歌の定義を、ブログ2019/5/13付け「8.③」で確認している。即ち、

「死者に哀悼の意・偲ぶ・懐かしむ意等を表わすために人々の前で用いられた歌と編纂者が信じた歌」である、というよりも、「死者と生者の当時の理解からは、死者の送魂と招魂に関わる歌と編纂者が認めた歌」です。挽歌という判定は、歌が創られた時点ではなく、挽歌として利用された時点(用いた時点)でしている。今この世で生きている者がその死者に邪魔されないで生きてゆくのに歌を詠みあるいは披露し、その死者の霊を慰めるのは、当然(あるいはそのような慣例が残っていた)であり、だから送魂と招魂の歌として利用された時、その歌が挽歌である。

② 別の定義もある。即ち、

「死者は生者の世界に残りたがっているのでそれを断ち切ってもらう必要があるという信仰の上にある歌」という意味である。当時は単に追悼をする歌はない。死後に、その人物の活躍(の結果の天変地異、庶民の不幸)があれば偉大な人物であったと認めざるを得ない。天皇の支配は、偉大な人物の死後も祀る儀礼等を続けていてこそ安泰である(ブログ2022/11/14「付記1.」及び同2021/10/11「5」参照)。今上天皇にとっては、そのための儀式は重要である。

③ 巻二の挽歌の部は、無念の死に至った人物の送魂の歌を収載しており、歴代天皇その他の人物にとりこの世に未練を残していては困る人物に対する歌が部立て「挽歌」にある(ブログ2021/10/11付け)。

④ 巻三の挽歌の部は、竜田山死人(非皇族)、死を賜った皇子、そのほかの皇子・皇女、次いで香具山の屍など非皇族(途中に長屋王とその子への挽歌を挟む)の人物への挽歌である。巻三の筆頭歌の対象者である竜田山死人(非皇族)が、天皇にとり送魂の歌を贈るべき人物を暗喩していれば、対象者はすべての対象者に暗喩があるとみたほうがよく、巻二と同様に歴代天皇その他の人物にとりこの世に未練を残していては困る人物に対する歌となっていた。人物に暗喩のあることを、部立て「譬喩歌」により編纂者は示唆している。そして配列は、その歌を披露した(したい)と思われる時点の順であった(ブログ2022/11/14付け)。

(付記終わり 2023/9/4 上村 朋)