わかたんかこれ  猿丸集第44歌その2 同じ詞書の歌

前回(2019/4/15)、 わかたんかこれ  猿丸集第44歌その1 こひのしげきに」と題して記しました。

今回、「猿丸集第44歌 その2 同じ詞書の歌2首」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第43歌と44歌とその現代語訳(試案)

① 同じ詞書にもとに連続してある歌2首(3-4-43歌と3-4-44歌)を比較検討します。その2首を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-43歌  しのびたる女のもとに、あきのころほひ

ほにいでぬやまだをもるとからころもいなばのつゆにぬれぬ日はなし 

 

3-4-44歌  <詞書無し>

ゆふづくよあか月かげのあさかげにわが身はなりぬこひのしげきに

 

② この2首は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集43歌 からころもは女性」(2019/3/18付け)とブログ「わかたんかこれ 猿丸集44歌その1 こひのしげきに」(2019/4/15付け)で個別に検討しました。その結果である現代語訳(試案)をそれらのブログより引用します。

3-4-43歌の詞書

「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、(飽きに通じる)秋の頃合いに(送った歌)」

 

3-4-43歌の現代語訳(試案)

「穂も出ない時期から出没する動物を追い払うなど山田を守ろうとしている者のように、外来の美しい貴重な服のようなあこがれのあなたを私は大事にしているのに。(私を去って)往ってしまうならば、山田を守る者が稲葉にかかる露に濡れない日がないのと同じく、私は涙で袖を濡らさない日はありません。(私も逢いたくて機会を伺っているのですが・・・)

 

3-4-44歌の現代語訳(試案)

「空に月のでている夕方、その明るい月の光で出来た薄いがはっきりしている影のような状態に(今私は)なってしまった。朝影になったわけではなく古今集551歌の人物のように、貴方を大切に思い不退転の決意でいるのだから」

 

③ この3-4-43歌は、次のように個別の検討時に総括しました。

「(3-4-43歌の類似歌との違いをみると)この3-4-43歌は、この歌は、詞書に従えば、逢う機会が少ないと訴える女性に私も辛いのだと慰めている歌であり人目を忍ぶ恋の歌であるのに対して、類似歌は、(多分男らしさを)強くアピールして女性にせまっている恋の歌です。」

④ また、この3-4-44歌は、次のように個別の検討時に総括しました。

「この歌は、類似歌のような相手に恋心を強く訴える歌ではなく、いま私は貴方の影法師と同じように貴方と離れられない存在になっていると作中人物は詠い、必死に相手の女性の気持ちをつなぎ止めようとしている歌、と言えます。」

 

2.詞書の改訳

① まず、詞書ですが、2首の歌の本文の現代語訳(試案)からふり返ってみると、「あき」をもっと重視した現代語訳であったほうがよかったのか、と思います。

② 詞書「しのびたる女のもとに、あきのころほひ」は端的な物言いであり、「あきのころほひ」の現代語訳は、説明調の文言を加えずに「「あき」の頃合いに(送った歌)」とし、「あき」とわざわざ平仮名にしてある説明は 歌でおのずと分るので歌に譲った方がよい、と思います。

③ 詞書は、『猿丸集』の編纂者がここに配列するにあたり作詠する事情を記しているものであり、送られた相手の女のその後の反応が、恋の成り行きとしては大事ですが、『猿丸集』の編纂者の関心は、そこにありません。「飽く」感情を女から訴えられた時の男の歌の例を示すことに編纂者は注力しているので、その点を考慮して詞書の現代語訳を試みたほうがよい、と思います。

④ 改めて、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「私との交際を人に言わないようしてもらっている女のところへ、「あき」の頃合いに(送った歌)」

 

3.歌本文の改訳

① 3-4-43歌について、つぎのように改訳します。山田を守る状況部分の訳が不自然でした。

「穂も出ない時期から出没する動物を追い払うなど山田を精力的に守ろうとしている者のように、外来の美しい貴重な服のようなあこがれのあなたを私は大事にしているのに。(私を去って)往ってしまうならば、山田を守る者が稲葉にかかる露に濡れない日がないのと同じく、私は涙で袖を濡らさない日はありません。(私も逢いたくて機会を伺っているのですが・・・)

② 3-4-44歌は改訳は不要と思います。古今集551歌の理解が作者と女とで異なったとしても、別れたくないという意思はこれで伝わると思います。

 

4.二首の順番

① 『猿丸集』では、この順番で歌が配列されています。その意味を確認したいと思います。

② この2首の歌を比較すると、最初の歌3-4-43歌)では、相手の女性が訴える逢う頻度の少ないという認識に賛意を示し、そのうえで「(私を去って)往ってしまうならば、」私は困る、と訴えています。最初の歌の類似歌(付記1.参照)が、「(多分男らしさを)強くアピールして女性にせまっている恋の歌」であり、相手の女性もその歌を承知しているので、この類似歌も女性に一緒に送ったようなものです。だから、愛情に揺らぎのないことを示している歌ともなっています。

その次の歌(3-4-44歌)は、貴方の影法師と同じようなわたしだから、と二人の関係継続の意思を強く訴えています。しかし具体策は何も伝えていません。それがないと相手の女は不安が消えないと思いますが間に立つ者が口頭でつたえたのでしょうか。この歌の類似歌(付記1.参照)も、「愛している」というだけであり、3-4-44歌の五句「こひのしげきに」も情熱は有りあまっているものの具体的な手立ては示唆していません。しかし、この歌は、『萬葉集』ではなく官人たちにとり教養として共有している『古今和歌集』の恋一の最後に置かれた1-1-551歌により、つぎのステップへの意気込みを示しており、口頭でつたえた事柄が抽象的であってもこの五句の語句はプラスに働いた、と思います。

このため、2首を実際に送るのであるならば、作中人物はこの順番に詠んだと理解してほしいところであり、『猿丸集』のそのように配列している、と思います。

③ それにしても、もっと素朴な表現の歌で訴えることが出来るのに、詞書にある作詠事情のもとでわざわざ複雑にした歌、技巧に走った歌という印象が、この2首にあります。

現実の恋の経過において送った歌であるならば、おくる側の人と受け取る側の人に誤解が生じないことが特に肝要です。受け取る側の人には、歌のほかに手紙や口上や贈り物などがあったりして、衆知を絞って総合的な判断も可能です。『猿丸集』では、歌の文字遣いと簡潔な詞書しかないので、誤解が生じないように、編纂者は十分配慮しているとみて理解しなければなりません。

この2首一組の歌は、相手の女性の持っている和歌の鑑賞力(と作詠力)を高く評価しているように思えます。『古今和歌集』の歌の意をよく知り、『萬葉集』歌に造詣のある女性(あるいはそのような家人のいる女性)は限られているでしょう。そうすると、実際にやりとりした歌ではなく物語を創造しようとした官人の間の遊びとしての詠み比べが、この2首ではないかという想像も働きます。

④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-45歌  あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

さざなみやおほやまもりよたがためにいまもしめゆふきみもあらなくに

 

類似歌は萬葉集にある2-1-154歌  挽歌(141~) 石川夫人歌一首(154)」  巻第二 挽歌(2-1-141~)

     ささなみの おほやまもりは たがためか やまにしめゆふ きみもあらなくに

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。(2019/4/22  上村 朋)

 

付記1.類似歌など

① 『猿丸集』の43番目の歌の類似歌と、諸氏が指摘する歌

古今集にある類似歌 1-1-307歌  題しらず  よみ人しらず

    ほにいでぬ山田をもると藤衣いなばのつゆにぬれぬ日ぞなき 

② 『猿丸集』の44番目の歌び類似歌と、諸氏が指摘する歌

萬葉集』にある類似歌 2-1-2672歌       よみ人しらず」

     ゆふづくよ あかときやみの あさかげに あがみはなりぬ なをおもひかねて

(万葉仮名表記は「暮月夜 暁闇夜乃 朝影尓 吾身者成奴 汝呼念金丹」)

③ 『猿丸集』の44番目の歌の五句の参考歌 参考歌

  『古今和歌集』 巻八 恋一

1-1-551歌     題しらず      よみ人しらず

     奥山に菅の根しのぎ降る雪の消ぬとかいはむ恋のしげきに

(付記終り 2019/4/22    上村 朋)