わかたんかこれ  猿丸集第26歌 かねてさむしも

前回(2018/7/30)、 「猿丸集第25歌 こひてあらずは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第26歌 かねてさむしも」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第26 3-4-26歌とその類似歌

① 『猿丸集』の26番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-26歌 詞書 (3-4-22歌に同じ)

あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも

 

3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌  寄夜    よみ人しらず

      あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも

             足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句のいくつかの文字が異なり、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、相聞の歌で恋人と共にいることを詠う歌であり、類似歌は、相聞の歌ですが恋人が訪ねてくれない寂しさを詠う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第十のうちの「冬相聞」の最後の歌であり、 巻十の最後の歌でもあります。

巻第十は、春夏秋冬を各々雑歌と相聞に別け、冬相聞は、全部で18首です。その詞書(題詞)はつぎのとおりです。

無題  ( 2首)

寄露  ( 1首) 

寄霜  ( 1首)

寄雪  (12首)

寄花    1首)

寄夜  ( 1首)

② これらは、冬の風物に寄せて詠う相聞歌です。土屋氏の訳によれば、最初の詞書「無題」の歌は、長く思っていて逢えない歌と、もう長く逢ってないのを嘆く歌であり、以後「寄霜」の歌が、寒い夜に帰る男を引き留めている逢った直後の歌と思われる歌のほかは、逢っていない状況の心境の歌や相手を誘う歌ばかりです。

③ 詞書(題詞)の順序の基準はわかりませんが、詞書(題詞)ごとにそれぞれ独立した歌である、と思えます。男女の間も寒々とした状況の歌を揃えているかにみえる「冬相聞」の歌です。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳を試みると

① 詞書(題詞)を、現代語訳すると、

 「夜に寄する」

となります。「詠夜」との違いは未確認です。

② 歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。

     長く裾を引いた山のあらしはまだ吹かないが、あなたのいない宵は、すでに寒いことです。」(阿蘇氏)

     「(あしひきの、は枕詞)山から吹き下ろす風は、吹かないけれど、君の居ない夜は、吹かない前から寒い」(土屋氏)

③ 阿蘇氏は、「やまのあらし」について、「万葉仮名の表記「山下風波」の「下風」の用例は、「山下風」の略とされる。山おろしの意がこめられているのであろう。」と指摘しています。

④ 土屋氏は、「民謡であろうが、それでも卑俗である」と評しています。

⑤ 五句にある「かねて」は、副詞であり、「あらかじめ、前まえ、そうなる以前、それだけで」、の意です。

⑥ 詞書に従い、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

     「長く裾をひいた山を下りて来る強い風はないけれども、貴方のいない宵というものは、それだけで寒いものですねえ。」  

 

4.3-4-26歌の詞書の検討

① 3-4-26歌を、まず詞書から検討します。3-4-26歌は、3-4-22歌の詞書がかかる数首のうちの一首ですので、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② その現代語訳(試案)を、3-4-22歌検討のブログ(2018/7/zz)から引用します。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

5.3-4-26歌の現代語訳を試みると

① 二句にある「やました風」というのは、『新編国歌大観』が拠っている西本願寺本の『萬葉集』における2-1-2354歌の訓と同じです。

西本願寺本の『萬葉集』における訓で清濁抜きの平仮名で「やましたかせ」と句頭にあるのは、2-1-74歌と2-1-1441歌とこの2-1-2354歌の3首であり、これら3首の『新編国歌大観』の訓はみな「やまのあらし」です。

 また、三代集において同様に句頭にある「やましたかせ」表記は、『古今和歌集』の1-1-363歌と『拾遺和歌集』の1-3-253歌と1-3-777歌の3首があります。

 その歌は、つぎのとおりです。

1-1-363歌  (巻第七 賀歌)  冬        そせい法し

       白雪のふりしく時はみよしのの山した風に花ぞちりける

1-3-253歌 (巻第四 冬) 右大将定国家の屏風に    つらゆき

       白雪のふりしく時はみよしのの山した風に花ぞちりける 

 1-3-777歌  (巻第十三 恋三)  題しらず      よみ人しらず

       あしひきの山した風もさむけきにこよひも又やわがひとりねん

 なお、『貫之集』には、清濁抜きの平仮名で「やましたかせ」と句頭にある歌は、上記1-3-253歌に相当する歌(3-19-2歌)以外ありませんでした。

このようなことから、貫之をはじめとした三代集の歌人たちは、『萬葉集』の万葉仮名の表記「山下風」を、「やましたかぜ」と訓んでいたのではないかと推測します。

『猿丸集』の編纂者も「やましたかぜ」と訓んだ歌として類似歌を理解していたと思われます。 即ち、

類似歌2-1-2354歌は、

  「あしひきの やましたかぜは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも」

であるので、3-4-26歌とは、清濁抜きの平仮名表記をすると、四句のいくつかの文字だけが異なり、詞書も異なる歌、となります。

西本願寺本の『萬葉集』の2-1-2354歌の訓はこの時代まで遡れ(付記1.参照)、梨壺の五人の『萬葉集』解読(天暦5年(951))以前から「やましたかぜ」と訓んでいた、ということです。

② 四句「よなよなこひは」とは、「夜ごと・毎夜の、私の乞い・願いは」、の意です。

③ 五句にある「かねて」とは、連語で、「以前から」の意です。なお、「かねて」ということばは、『猿丸集』では3-4-5歌においても用いられています。

④ 詞書に従い現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「山すそを長く引く山から冬に吹き下ろす激しい風は吹いてないけれども、毎夜逢いたいという私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-26歌では、作者の愛する女が置かれている状況を明かにしており、類似歌2-1-2354歌は 「寄夜」と、(冬の)夜に関する(相聞)歌、というだけです。

② 四句の意が異なります。この歌の四句(「よなよなこひは」)は、「夜ごとの私の願い」の意であり、当事者以外の者に起因して逢えない状況が依然として続いていることを示しています。

 これに対して、類似歌の四句(「きみなきよひは」)は、「貴方のいない宵というものは」の意であり、当事者の一方である相手が来てくれないことによって逢えない状況が依然として続いていることを詠っています。

③ この結果、この歌は、作者が困難を乗り越えようと訴えて恋人と共にいることを詠うのに対して、類似歌は、来てくれない恋人に冬の寒さにことよせてさびしさを訴える歌です。

④ 3-4-22歌からこの歌3-4-26歌までは、同じ詞書のもとの歌です。

 次回は、この五首を改めて検討し、これらの歌の詞書を確かめたいと思います。

 

⑤ ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/8/6   上村 朋)

付記1.私家集での清濁ぬきの「やましたかせ」が句頭にある歌

① 『新編国歌大観』第三巻によれば、清濁抜きの平仮名表記で句頭に「やましたかせ」とある歌は、3-100までの歌集では、3-1-168  3-3-172歌  3-4-26歌、3-19-2歌および3-15-426歌の5首ある。 

② 清濁抜きの平仮名表記で句頭に「やまのあらし」とある歌は、3-100までの歌集で、3-75-43歌(御堂関白集 )と 3-90-45歌の2首ある。(なお、三代集には無い。)

(付記終り 2018/8/6  上村 朋)