わかたんかこれ 猿丸集その223恋歌確認29歌 助動詞けり

 前回(2024/2/5)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第29歌です。

1.経緯

2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群の想定し、3-4-29歌は、「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第1首目である。3-4-28歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌(付記1.参照)であることを確認した。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考3-4-29歌 詞書その1 

①  『猿丸集』の第29歌とその類似歌は次のとおり。

3-4-29歌 あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける

    あづさゆみゆづかあらためなかひさしひかずもひきもきみがまにまに

 

類似歌 『萬葉集』 2-1-2841歌。 巻十一の部立 「譬喩」(2839~)

     梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意

 あづさゆみ ゆづかまきかへ なかみさし さらにひくとも きみがまにまに

 

 前回(ブログ2018/9/17付け)の結論は、「この歌は、昔の親密な関係に戻ることが確かになった時点の女の喜びの歌であり、類似歌は、まだ関係が出来ない前(あるいはできてほしい時点)の女の拒絶(あるいは願望)の歌です」というものでした。

② 助動詞「けり」が詞書に3度用いられ、歌本文には用いられていません。3-4-27歌と3-4-28歌では詞書や歌本文にもありました。このため「けり」に留意して再確認を下記のように行い、次の結論を得ました。

第一 この歌の詞書において、助動詞「けり」は、驚きか詠嘆の気持ちをこめて回想する意で用いられている。

第二 詞書と歌本文の現代語訳(試案)は、次のように改訳する。この詞書のもとにある次の歌との整合性の確認は今後行うこととする。

詞書: 「昵懇の仲であったところの女が、暫く途絶えて後に男が訪れたのだが、この歌を詠んで逃したということだ。」(29歌詞書改訳)

歌本文: 「あづさ弓で矢を射るのに重要なゆづかを巻きなおされてから私たちのこのような仲が長く続いています。これから、また弓を引かないのも弓を引くのもあなたのお心のままに。(今日のところはお帰り下さい)」(3-4-29歌本文改訳その2)

そして、その暗喩は、この詞書のもとにある次の歌とともに理解しなければならないので保留する。

第三 類似歌の理解は前回と同じであり、このため類似歌とこの歌とは異なる歌意という前回の同じ結論となった。

第四 この歌が、「『猿丸集』歌すべての歌が「恋の歌」という仮説に沿う1首であるかどうかは、この歌群の歌全てを再検討後に確認する。

③ 助動詞「けり」の意は、

a「ある事がらが、過去から現在に至るまで、引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する意を表す。・・・てきたなあ。・・・ていることだ」とか、

b「ある事がらが、過去に実現していたことに気がついた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・たなあ。・・・たことだ。」

c「今まで気づかなかったり、見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表す。・・・なあ。・・・ことだ。」

d「伝聞や伝承された過去の事実を、回想していう意を表す。・・・たということだ。・・・たそうだ。」

などの意があります(『例解古語辞典』)。

④ 詞書より再確認します。この詞書はいくつかの文から成ります。すべての文に助動詞「けり」が用いられています。()に理解した文の趣旨を付記します。

第一 あひしれりける女、:(歌に関係ある人物を紹介)

第二 ひさしくなかたえておとづれたりけるに :(詠う経緯を記す)

第三 よみてやりける :(作詠者の行動を記す)

⑤ 「あひしれりける(女・人)」という語句がある詞書は、『猿丸集』に4題あります。

 3-4-18歌の題詞:あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

  (「あひしれりける人」とは、歌本文の作者がよく知っている人物でこの歌をおくった相手。 ブログ2020/8/31付け参照)

 3-4-28歌~3-4-29歌の題詞:上記①に記載

 3-4-45歌の題詞:あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

  (「あひしれりける人」とは、歌本文の作者が昵懇の間柄であった女でこの歌をおくった相手。 ブログ2019/4/29付け参照)

 3-4-47歌の題詞:あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

  (「あひしれりける女」とは、歌本文の作者のよく知る女でこの歌をおくった相手。 ブログ2019/8/19付け参照)

 このうち3-4-18歌は、ブログ2020/8/31付けで再確認して、恋の歌として理解が出来た歌です。3-4-45歌と3-4-47歌の恋の歌の再確認はこれからです。

「あひしる」(相知る)とは、「互いに親しむ・交際する」意です(『例解古語辞典』)。

 この題詞(3-4-28歌~3-4-29歌の題詞)以外は、「あひしれりける(女・人)の」という助詞「の」が付いた語句であり、歌を詠んだ人物(歌の作者)がその人(あるいは女)を「あひしれりける」という状況です。この題詞は、助詞「の」がありません。

⑥ 第一の文は、ある女とこの詞書を作文している人物との関係を記しています。そのある女は、歌の作者であるか、歌をおくった相手であるか判断できる情報はありません。

 第二の文での「おとづれる」という行為は、恋の歌であるならば男の行動になります。そのため、その後にこの歌は詠まれていることになります。そして翌朝におくったとすれば、後朝の歌になります。

 第三の文は、明らかに歌の作者の行動ですが性別は記されていません。おくった相手も記されていません。しかし、3つの文の構成からは、歌を詠んだ人物(作者)の第一候補は第一の文にある「あひしれりける女」です。

 そして歌をおくった相手は、第二の文における「おとづれたりけり」という男、ではないか。

 このため、詞書は、女が男に歌をおくった、ということを記している、と理解できます。

⑦ さて、ブログ2018/9/17付け及び同2018/9/24付けで得たこの詞書の現代語訳(試案)は、次のようなものでした。

 「男女の間柄であった女が、暫く遠ざかっていた男の訪れがあって後に、詠んで送った(歌)」

 この(試案)において、例えば、「あひしれりける(女)」を、単に「男女の間柄であった(女)」と訳しているのは、上記の「けり」の意に含まれているなんらかの驚きや詠嘆の気持ちの意あるいは回想している意を表現していないことになるのではないか、という疑問が生じます。

 詞書における助動詞「けり」の意は、歌本文が反映しているはずですので、歌本文の再確認をしてから、詞書の現代語訳(試案)を改めたい、と思います。

3.再考3-4-29歌 歌本文その1 

① いくつかの語句を確認します。

 初句「あづさゆみ」とは、『萬葉集』歌でも枕詞として用いられています。弓の縁で「はる(春・張る)」、「ひく(引く)」、「もと(元)」、「すゑ(末)」などの語句にかかっています。弓の素材である梓の縁ではなさそうです。

「ひく」にかかる場合は、「ひかば・・」、「ひきみゆるへみ」と続き、「ひかずもひきも」という用例はありません。

 ここでは、弓の部位の名(ゆづか)を修飾しているので、武具である弓の美称ではないか。そして、恋の歌であるならば、恋の相手を暗喩している、と思います。

② 二句にある「ゆづか」(弓束)とは、矢を射るとき、左手で弓を握る部分を言います。木の皮や獣の皮などを巻いて使いやすくしており、時々巻替える必要があるのだそうです。「あづさゆみ」が恋の相手の暗喩であるならば、「ゆづかあらため」とは恋の相手(男)が新しい女性との交際を選択したことの暗喩となります。

 三句にある「なかひさし」とは、「(あなたとの)仲久し」であり、この歌をおくる相手との関係は、ある状態(おとずれが無い状態)が長く続いた」という意です。

③ 四句にある「ひかずもひきも」は、類似歌では「さらにひくとも」とあります。『萬葉集』の用例には「(あづさゆみ)ひきみゆるへみ」があります。

 「ゆみをひく」と対の行為は「ゆみをゆるめる」であり、「ゆみをひかず」は「ゆみをとる」との対がふさわしい語句なのではないか。

④ 五句「きみがまにまに」は、『萬葉集』に15例(首)あり、その万葉仮名はほとんどが「君之随意」です。しかし、勅撰集には「きみがまにまに」と表現する歌は、ありません。「ひかばまにまに」もありません。時代が下がると、恋の歌のイメージから信頼しているというイメージを詠う歌が排除されていったと推測できます。現実の場における恋の歌が、悲恋を詠うものだけになったとは思えないので、文学のジャンル意識が生まれた結果であろう、と思います。そのような時代にこの歌が詠まれているので、『猿丸集』の編纂者の主張があると思えますが、今のところそれが何であるかはわかりません。

⑤ 現代語訳(試案)を、前回(ブログ2018/9/17付け)では次のようにしました。歌には、助動詞「けり」が用いられていません。

  「矢を射るのに重要な梓弓のゆづかの部分のように、貴方と私の間を結んでいた関係を貴方が新しいものにして(私を遠ざけて)から長い日時が過ぎました。昨夜お出でいただき一緒の時間を過ごさせていただきました。これからは、弓を引かないのも弓を引くのもその弓を使う人の意思ひとつであるように、私は、あなたのお心のままです。」

 私の思い入れの強い意訳になっており、逐語的な現代語訳ではありません。

⑥ 作者は、過去の事実と今後の決意を淡々と詠っています。その作詠態度を尊重し、訪れてくれた喜びを直接示唆する語句もありませんので、次のように改めます。

 「あづさ弓で矢を射るのに重要なゆづかを巻きなおされてから私たちのこのような仲が長く続いています。これから、また弓を引かないのも弓を引くのもあなたのお心のままに。」(3-4-29歌本文改訳)

 初句にある「あづさ弓」は、歌をおくる相手を暗喩しているのではないか、と思います。

 「なかひさし」とは、あなたの「巻替える」ことがあった結果の事態です、ということの指摘です。

歌本文の四句と五句にある「ひかずもひきも」とは恋の歌であるならば男の行為であるので、この歌は女が男におくった歌と認められます。

詞書からは、この歌の作者は「あひしれりける女」が第一候補でしたので、詞書と歌本文の間に作者の性別は一致します。

⑦ さて、この歌は、四句が類似歌と大きく異なっています。上記③で指摘したように、弓を「ひく」と「ひかず」を対比しているのが気にかかります。また、「ひかず」を先に言い出しているので、「ひかず」を作者は言いたいのではないか、と推測します。

 そして恋の歌としていくつかの語句に暗喩がありました。暗喩を重視すると、歌全体に込められているところは、次のようなことではないか。

 「貴方(あづさゆみ)が新しい交際相手を選び(ゆづかあらため)、私たちの仲が切れた状態が長く続きました。そして今日となっています。私をあらためて選ばないのも(ひかずも)あらためて選ぼうとするのも(ひきも)それはあなたの自由ですが、私にも仲が切れた状態の時にはその自由があったのですよ。」

⑧ 「ひかず」を先に言って、五句の「きみがまにまに」とあり、その五句には「われもまにまに」の暗喩がある、とすると、詞書の「けり」の意は、おとづれた男にとって、驚きか詠嘆の意で用いられていると理解できます。

 即ち、この歌は、前回訪れてくれた時から久しぶりであり、作者の側の状況の変化も有り得ることです。だから、貴方と同じように今は私も心のままに動きます、ということを言っていることになります。

 しかしながら、この詞書のもとにもう1首ありますので、合わせて検討をする必要があります。

 このため、「恋の歌」の確認はその後のこととします。

 

4.再考3-4-29歌 詞書その2

① 改訳した歌本文(とその暗喩)を前提に、改めて詞書の現代語訳を試みます。

 「あひしる」(相知る)とは、「互いに親しむ・交際する」の意です。

『猿丸集』の「あひしれりける(女・人)」という語句4例のうち3例(上記「2.⑤」参照)は、「あひしれりける(女・人)の」という助詞「の」が付いた語句であり、当該詞書のもとにある歌本文をおくった相手でした。

 そして、歌本文の作者は、当該詞書を作文した人物と重なって矛盾がありませんでした。

 この歌の詞書では、「あひしれりける(女・人)」という語句であって、助詞「の」が付いた語句ではなく、詞書の第三の文にある動詞「よみてやりける」の主語が「あひしれるける女」となります。

② そして、「よみてやりける」とは、「詠みて遣る」ですが、その意は、現在交際している男と鉢合わせをしないように、「歌を詠んで(事情と作者の立場もつたえて)逃しやる」です。

 「やる」の意は「a行かせる。b送る・与える。」のほかに「c逃す」もあります(『例解古語辞典』)。

 この歌をおくられたのは、「おとづれたりける」と表記されている男になります。

 その男が詞書を作文しているのではないか。

 詞書にある助動詞「けり」は、「詠嘆の気持ちをこめて回想する意」で用いているのではないか。詞書はそこに留意して、改めて現代語訳を試みると、次のとおり。

 「昵懇の仲であったところの女が、暫く途絶えて後に男が訪れたのだが、この歌を詠んで逃したということだ。」(29歌詞書改訳)

③ 男が訪れたのをぴしゃりと断っていないので、作者は、未練があるのではないか。円満に今交際している男と別れるのを模索する気持ちがあるのではないか。それらは次の歌をみればわかるかもしれません。

5.再考3-4-29歌 歌本文その2 詞書との整合

① 上記の詞書の現代語訳(試案)との整合を歌本文の現代語訳で確認すると、上記「⑥」に示した現代語訳(試案:3-4-29歌本文改訳)を修正します。

②  「あづさ弓で矢を射るのに重要なゆづかを巻きなおされてから私たちのこのような仲が長く続いています。これから、また弓を引かないのも弓を引くのもあなたのお心のままに。(今日のところはお帰り下さい)」(3-4-29歌本文改訳その2)

③ その暗喩は、この詞書のもとにある次の歌とともに理解しなければなりません。

 「けり」を重ねて用いている詞書からは、女が本当に男を突き放しているのか、訪れの無い期間の浮気の相手との鉢合わせを避けたかっただけなのか、判断が付きかねます。

 

6.類似歌の確認

① 類似歌 『萬葉集』 2-1-2841歌を再考します。

 この歌は部立て「譬喩」にあり、「寄弓喩思」と題された歌です。この題のもとにある歌はこの1首だけです。

 萬葉集歌での「あづさゆみ」の用例は、その歌の作者の性別にかかわらず、特定のある男性か男性一般をさしていました(ブログ2018/9/17付け「4.②」参照)。

 三句の「なかみさし」は具体の行動は不明ですが、弓の操作か手入れのひとつであって「弓束(ゆづか)」を巻替えた後に行う「何らかの弓に対する作業・行為」とみなせます。

② 阿蘇瑞枝氏は、「女性の歌で、個人的契機で詠まれたというよりも集団の場でのうたいものであったか。主意は(今も)自分の気持ちはかわらないことか。」と指摘しています。

 土屋文明氏は、「あまたの(人の)誘因にはなびかず、ひたすら君に随う心と見なければ、五句が生きてこない。」と指摘しています。

 五句「きみがまにまに」とは万葉仮名「君之随意」に示されているように、「貴方の気に召すまま」の意です。万葉仮名「君之随意」と記述された大方の歌と同じく、また、土屋氏のいうように、この歌は、五句の万葉仮名「君之随意」を相手に伝えたいのが趣旨の歌と理解します。

③ 前回の検討(同上ブログ)での現代語訳(試案)は次の2案でした。「あづさゆみ」の意味するところが特定のある男性あるいは男性一般で2案となります。

第一 弓を引く者が特定のある男性: 

「(貴方は)梓弓の弓束を(時には)巻替えて中見さすということまでしたうえで、改めて弓を引こうとしています。弓を引くのは、たしかに弓を引く方のお考え次第でしょう。それと同じように、気持ちを改めるなどして私にアプローチしてくださるのも貴方のお気に召すままなのですよ。(そうしたら私は喜んでうけましょう)。」

このように理解した歌は、女が特定の相手に行動を促した歌であり、五句にある「きみ」はその特定のある男性(この歌を聞かせる相手)となります。

第二 弓を引く者が男性一般: 

「(男の方は)梓弓の弓束を(時には)巻替え、中見さすということまでして、更に弓を引いてみようとします。それは弓を引くひとのお考え次第でしょう。みなさんがそのように色々考えられて事新しく私を誘うのもみなさんの自由でしょう。そのようなことをいくらしても、私はあの人につき従うつもりですので。」

 このように理解した歌は、弓を引くひとを恋の相手としては拒否している歌であり、五句にある「きみ」は「私が思い焦がれている(皆さんもご存知の)あの人」となります。 四句にある接続助詞「とも」は、逆接の仮定条件を表現していることになります。

④ 『萬葉集』の編纂者(元資料の採録者)が、両方の意があることを承知で採用したとしても、また「なかみさし」が不明の作業・行為のままであっても、類似歌は、特定の気を引いてほしい男性にお願いしている歌、もしくは寄ってくる男に断りを告げている歌である、という前回の結論は妥当である、と思います。

 

7.再考 3-4-29歌 その2 恋の歌か

① 3-4-29歌は、詞書のもとにある歌として、暫く訪れていなかった女から断られた際の歌となりました。しかし、上記「5.」で指摘したように、同一の詞書のもとにある次の歌との整合を確認する必要がありますのでしばらく恋の歌の判定は保留します。

 類似歌は、理解は2案並記ですが、特定の気を引いてほしい男性にお願いしている歌、もしくは寄ってくる男に断りを告げている歌であり、この2案は、男女の仲は、まだ結ばれていないことになります。

①『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義して検討をしています。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

② この4つの要件のうち、第二は、『猿丸集』に想定した12の歌群のうちの「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第1首目であり、第2首目以降の検討を要します。そのほかの要件は満足しています。

 このため、第4首目の検討後に「恋の歌」かどうかを判定したい、と思います。

ブログ「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、第30歌の確認をします。

(2024/2/26  上村 朋)