わかたんかこれ 猿丸集その224恋歌確認30歌 わがごとく

 前回(2024/2/26)に引きつづき『猿丸集』歌の再確認をします。今回は第30歌です。   

1.経緯

  2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。12の歌群を想定し、3-4-30歌は、「第七 乗り越える歌群(4首 詞書3題)」の第2首目である。3-4-28歌までは、すべて類似歌とは異なる歌意の恋の歌(付記1.参照)であることを確認した。3-4-29歌は、同一詞書のもとにこの歌があることもあり確認を保留している。

 歌は、『新編国歌大観』より引用する。

2.再考 3-4-30歌 その1

① 『猿丸集』の第30番目の歌とその類似歌は、つぎのとおり。

   3-4-30歌 (詞書なし 3-4-29歌の詞書をうける(あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける))

     あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとく物はおもはじ

類似歌は2首あります。

  a 『人丸集』 柿本集下 3-1-216歌   (詞書無し あるいは「さるさはのいけに身をなげたるうねべをみてよめる」)

     あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとにものはおもはじ (四句いとわればかり、(とも))

   b 『拾遺和歌集』 巻第十五 恋五  1-3-954歌。「題しらず 人まろ」  

     あらちをのかるやのさきに立つしかもいと我ばかり物はおもはじ

 前回(ブログ2018/9/24付け)の結論は、この歌を、(共通の詞書のもとにある3-4-29歌とともに、)詞書にいう「おとづれたりける」男を、改めて信頼していると、表明した歌とし、類似歌は、受け入れてくれなかった男に作者はまだ不安がある歌というものでした。

② 改めて以下の検討をした結果、次のことが言えます。

第一 この歌と類似歌2首の四句の意がそれぞれ別の意として明確になった。

第二 この歌の詞書が改訳されているので、3-4-30歌の歌本文の現代語訳(試案)も、改訳となる。次のとおり。なお、「おとづれたる」男を信頼している(あるいは頼りにしている)という作者の立場は改訳前と同じである。

「勇壮な男が射止めようと矢を向けた先に立っている鹿も、ほんとうに私と同じように、物に動じないのであろうよ(私は今の交際相手を選びません)。」

第三 類似歌2首も、改訳した。前回(ブログ2018/9/24付け)と異なる歌意となった。

第四 3-4-30歌は、詞書のもとにある歌として、女の作者による恋の歌であり、類似歌とは異なる歌であることを再確認した。

第五 『猿丸集』の「恋の歌」の判定は、想定した歌群の歌の確認後に判定する。

③ この歌と類似歌2首は、それぞれの歌集での部立てと詞書が異なっています。そして、歌本文は、それぞれを平仮名表記すると、四句の一部の語句のみが異なっているだけです。

 即ち3-4-30歌は「わがごとく」、『人丸集』にある2-1-216歌は「わがごとに」、『拾遺和歌集』にある1-3-954歌は「我ばかり」です。(2-1-216歌には「わればかり」という異伝歌もありますが、1-3-594歌が「我ばかり」なので検討は割愛します)。

 それにより歌意が異なると予想して検討を始めました。詞書や配列も見直します。

④ 類似歌としている2首について最初に確認します。

 『新編国歌大観』の解題では、『猿丸集』の成立を公任の三十六人撰の成立(1006~1009頃)以前としています。

 『人丸集』について、同解題では、「(この歌集は、)他人歌を多く含み、その成立は複雑である。・・・平安時代における人麿理解のありようと深くかかわっていて、奈良時代以前の和歌の平安時代における伝承と享受の実態をさぐるための貴重な資料であることも確かである。」と指摘しています。

 また、島田良二氏は、「伝承歌の人麿歌を採った『拾遺和歌集』から人麿集は採ったと考えられる」と指摘しています(『私歌集全釈叢書34 人麿集全釈』(2004))。島田氏のいう「伝承歌」を記した文書は不明であって今日まで伝わっていませんので、類似歌として採りあげることができません。しかし、『人丸集』にある3-1-216歌は、歌集の成立事情を踏まえると『猿丸集』編纂者は参考にできた可能性があるので、類似歌と認められます。

 次に、同解題では、『拾遺和歌集』の成立を一条天皇の寛弘2年(1005)か同3年(1006)頃と推定しています。このため、『拾遺和歌集』後に『猿丸集』が編纂されている可能性があり、『拾遺和歌集』歌は類似歌と認められます。

⑤ 再考作業は、最初に3-4-30歌を、次いで類似歌2首の順で行います。

 さて、3-4-30歌の詞書は、3-4-29歌の詞書と同じです。

 その現代語訳(試案)は、ブログ2024/2/26付けの「4.」で改訳しました。次のとおり。

「昵懇の仲であったところの女が、暫く途絶えて後に男が訪れたのだが、この歌を詠んで逃したということだ。」(29歌詞書改訳)

 この歌の作者は、3-4-29歌の作者でもあり、詞書にいう「あひしれりける女」です。四句にある「わがごとく」という「われ」は女ということになります。

⑥ 次に、歌本文にあるいくつかの語句を確認します。

 初句にある「あらちを」は、「「荒らしを」の転というが、古く他に例がない」(『和歌文学大系32 拾遺和歌集』(増田繁夫))など、語の成り立ちに論がありますが、諸氏は雄々しい男・勇壮な男の意としています。

 今回も前回と同様に、「あらちを」は、雄々しい男・勇壮な男の意とします。

 四句「いとわがごとく」とは、副詞「いと」+代名詞「わ」+連体格助詞「が」+比況の助動詞「ごとし」の連用形です。

 「いと」は副詞であり、「a非常に・たいそう b全く・ほんとうに」の意です(『例解古語辞典』)。

 「わが」で、「わたしの」の意となります。

 「ごとし」は、格助詞「が」を介して体言・副詞に付きます。その意は、ここでは、「ある物事を、本来無関係な他の物事にたとえて、それと類似している意をあらわす(・・・ようだ、・・・に似ている)」(同上)ではないか。

 「わがごとく」とは、「わたしのように」の意です。前回は、四句「いとわがごとく」を「ほんとうに私ほど」と現代語訳(試案)しました。

⑦ 五句「物はおもはじ」の主体は、だから作者ではなく、「シカ」となります。

 名詞「もの」の意味は、「a個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう b普通のもの・世間一般の事物 cものの道理 d超人間的なもの・恐れや畏怖の対象となる、鬼神・怨霊の類」などなどです(同上)。

 動詞「おもふ」は、「a心に思う bいとしく思う・愛する c心配する・憂える」などの意があります。

 助動詞「じ」は、「a打消しの推量 b打消しの意志」の意があります。相手や第三者に言う場合は前者、話し手自身についていう場合は後者が、普通だそうです(同上)。

 前回は、「もの」を、「個別の事物を直接明示しないで一般化していう言い方」として、この歌では「色々な思案」を意味するとみて、「ものはおもはじ」とは、思案はある一つに固まって来るだろう、迷わず自分の運命を(シカは)受け入れるであろう、の意と理解しました。

⑧ 改めて、歌をいくつかの文に別けて、検討します。()に理解した文の趣旨を付記します。

第一 あらちをのかるやのさきに: (場所・位置を、「あらちを」が構える狩の矢の先である、と指定)

第二 たつしかも: (シカの外見上の様子を「たつ」、と描写)

第三 いとわがごとく: (鹿の意志・行動を、作者のように、と例える)

第四 物はおもはじ: (シカの意志を、何かを「思」わないだろう、と作者が推測)

この歌の作者の「思い」が、歌本文にも直接表現されていないので、推測するほかありません。

⑨ 詠われている景を確認します。

 客観的には、狩場において追い込まれたシカは、射殺あるいは捕獲される確率が高く、逃げおおせる確率は、小さいものです。シカが、矢を射かけられとき、ただ立っているのは、射殺あるいは捕獲されることがあることを受け入れているかに見えます。

 これは、同じ詞書のもとにある3-4-29歌の歌意を考慮すると、あらちをは、この歌をおくる相手を、矢の的となっているシカは、作者自身を暗喩しているのではないか。

 そうであるならば、第四の文における助動詞「じ」を暗喩では話し手自身について用いていることになり、第四の文は暗喩において作者の意志を表し、「迷わないであらちをの意のまま」ということになり、それは「あなたを選び、今の交際相手を選ばない」ということを、歌をおくった相手に表明していることになります。

⑩ 前回の検討時以降に詞書の理解が改まっているので、歌本文も現代語訳も改めて試みることとします。

 上記⑨の理解により、上記⑤に示した「29歌詞書改訳」のもとの歌として改訳すると、次のとおり。

 「勇壮な男が射止めようと矢を向けた先に立っている鹿も、ほんとうに私と同じように、物に動じないのであろうよ(私は今の交際相手を選びません)。」(30歌改訳)

 「もの」とは、「a個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう」意であり、具体的には狩の対象となっているシカにとっては「あらちをに射殺あるいは捕獲されることへの不安」など、作者にとっては「貴方に捉えられることへの不安」など、であり、「思ふ」とは、「a心に思う」の意です。

 「私と同じように」と言っているので、作者自身が「ものはおもはじ」と言っていることになります。

 そして、この歌は、今交際している人物が知ったとしても、(下記の理解のような)類似歌と紛らわしいので、言い訳のたつ歌となっています。

 このような理解であれば、3-4-29歌と3-4-30歌は同一の詞書のもとにある歌として平仄があっています。「おとづれたりける」男を今も頼りにしている歌であるものの、後朝の歌ではありません。

3. 再考 類似歌3-1-216歌 

① 類似歌については、『人丸集』にある類似歌3-1-216歌を先に再考します。

『人丸集』におけるこの歌の前後の配列について、3-1-211歌~3-1-221歌計11首を中心に、前回(ブログ2018/9/24付けで)検討しました。相聞の歌が配列されている部分にこの11首はあり、組合せて対となっていると見做せる歌は無なく、互いに独立した歌である、と指摘しました。また、少なくとも3-1-212歌~3-1-220歌(3-1-216歌は保留)は相聞歌であるかもしれない、と指摘しました。これは、詞書がないものとしての検討でした。

 なお、相聞歌とは、ここでは『萬葉集』の三大部立ての「相聞」に分類できる、という意です。

 そして、現代語訳については、不安な気持ちを訳に示している島田氏の訳を採りました。

② 最初に、配列からの検討をします。3-1-216歌の前後の11首のうちで相聞の歌でないように一見みえる3-1-211歌と3-1-221歌を確認します。

 3-1-211歌は、『萬葉集』にある「過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌」と題する長歌(2-1-29歌)の最初の反歌(2-1-30歌)の異伝歌とみなされています。「しがらきのからさき」(大津市坂本町唐崎に比定されている)は、天智天皇の御代に都が近江国にあったときの舟遊びの地と言われています。

 歌本文の趣旨が同じというのが異伝歌たる所以であるとすると、『萬葉集』の題詞を作文した人物の認識が正しければ、2-1-30歌と同様にこの歌3-1-211歌は、人麻呂が作詠者であり、天智天皇の御代の鎮魂歌を構成する歌となります。部立ては相聞ではなく雑歌がふさわしい、となってしまいます。

③ その2-1-30歌は、次のとおり。

 題詞 (過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌) 反歌

 歌本文 楽浪之 思賀乃辛碕 雖幸有 大宮人之 船麻知兼津

     さざなみやしがのからさききたれども大宮人のふねまちかねつ

④ その現代語訳は土屋文明氏によれば次のとおり(『萬葉集私注』)。

 題詞 : 読み下し文も示されていない

 歌本文 :(大意) ささなみの滋賀の唐崎は変わることなくあるけれども、大宮人の船の来るのを待つことはできないで居る。

 氏は、四句は「大津宮の宮人達をさして居る」、及び「唐崎を擬人化し、唐崎が船の来るのを待つことができない。即ち船が来ない」と語釈しています。また、「天智天皇崩御の時の歌に「やすみししわご大君の大みふね待ちか恋ふらむ滋賀の唐崎」(巻二の歌2-1-152歌 舎人吉年といふ婦人の作と伝へられる歌)を知って居ったのであらう」とも指摘しています。(なお、2-1-152歌の題詞は「天皇崩時婦人作歌一首 姓氏未詳」とあります。)

 この歌が、氏の指摘するように、唐崎を擬人化したことにより女が男を待つということであれば、そのままで部立て「相聞」の歌になっている、と言えます。

⑤ 次に、『拾遺和歌集』にある3-1-221歌を確認します。

 3-1-221歌は、次のとおり。詞書があります。

 詞書 さるさはのいけに身をなげたるうねべをみてよめる

 歌本文 わぎもこがねくたれがみをさるさはの池のたまもとみるぞかなしき

⑥ この歌本文が平仮名表記では同一の歌が、『拾遺和歌集』の部立て「哀傷」にあります。

 1-3-1289歌 さるさはの池に、うねべの身なげたるを見て 人まろ

    わぎもこがねくたれがみをさるさはの池のたまもと見るぞかなしき

 そして天暦5年(951)成立という『大和物語』150段にも平仮名表記で同一の歌があります。

 5-415-252歌 (詞書相当文割愛)

    わぎもこがねくたれがみをさるさはのいけのたまもとみるぞかなしき

 3-1-221歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

「わたしのあの子の寝乱れた髪を、 猿沢の池に生える美しい藻に思うのは、本当に悲しいことだ。」

⑦ 詞書に記す猿沢池に飛び込んだ人物の役職が采女なので、飛び込んだ原因は、上司同僚などのパワハラなどが考えられます。天皇のお声のかからないこととか不倫(職務専念義務違反にあたる)での自殺であれば不敬にあたるのではないか。人麿でなくともこのような歌を詠むのは前者の場合に限られます。

 詞書は、「身をなげたるうねべをみて」と作者が仄聞したことで、この歌を詠んでいる、と記しており、哀傷の歌であっても「恋の当事者の歌」に該当しません。

⑧ では『人丸集』におけるこの歌以降の歌の配列はどうか。

『人丸集』の配列では、3-1-221歌の詞書のつぎの詞書は、3-1-228歌にある「せむどうか」です。そして3-1-228歌以後の歌本文はすべて旋頭歌です。そうすると、3-1-221歌の詞書は、3-1-227歌までの詞書と理解可能です。

 一つの詞書のもとの歌として、3-1-222歌から3-1-225歌は、作者の立場は恋の当事者です。3-1-226歌は七夕伝説を踏まえた歌であり、3-1-227歌はこの詞書の最初の歌(3-1-221歌)の玉藻に呼応して采女の着物を題材にしている、とみることができます。だから、3-1-221歌から3-1-227歌は、一つの物語を仕立てている、と言えます。

 しかし、これらの歌の作者が3-1-221歌の詞書にいう(持統朝で活躍した)「人まろ」と断定する根拠を示せません。このため、3-1-221歌から3-1-227歌は『新編国歌大観』の解題にいう「(この歌集は、)他人歌を多く含み、その成立は複雑である」の一例とみることができます。

 そうすると、この詞書とそのもとにある歌全体を、『人丸集』は「恋に関する歌」として配列している、と言えます。

 このため、今検討対象にしている3-1-216歌を、『人丸集』は、恋の歌として採録していることになります。

⑨ 『人丸集』における詞書について、3-1-221歌以前に遡ると、3-1-178歌にあります。次のとおり。

 3-1-178歌 みかどたつた河のわたりにおはします御ともにつかうまつりて

   たつた河もみぢばながる神なびのみむろの山にしぐれふるらし

 3-1-228歌にある詞書「せむどうか」に準じれば、この詞書は3-1-216歌も含めて3-1-220歌までの詞書と理解可能です。しかし、例えば3-1-200歌の歌本文は次のようであり、3-1-178歌の詞書のもとにある歌とは思えない歌です。少なくとも3-1-178歌のトーンと全く異なります。

 3-1-200歌 歌本文 

   みな人のかさにぬふてふありますげありての後もあはんとぞ思ふ

 このため、3-1-178歌~3-1-220歌の配列も、『新編国歌大観』の解題にいう「(この歌集は、)他人歌を多く含み、その成立は複雑である」の一例とみることができます。このため、3-1-211歌の詞書は「題しらず」とみなします。

⑩ 次に、前回、3-1-216歌の現代語訳は、島田良二氏の訳を採りました。次のとおり。

 「勇ましい男の狩をする矢の前の先に立つ不安な鹿も、それほどひどく私のようには物思いをしないだろう。」(『私歌集全釈叢書34 人麿集全釈』(島田良二氏))

 作者の恋の辛さの比喩が鹿の状況であり、また、五句にある「おもはじ」の助動詞「じ」は、作者ではなく鹿の思いを作者が推量していることになります。島田氏が「不安な鹿」と判断した根拠は不明でした。

⑪ 次に、幾つかの語句の意を確認します。上記「2.⑤」で「あらちを」、「いと」、及び「わが」は確認しました。3-4-30歌本文と異なる四句にある「(いと)わがごとに」を確認します。

 四句「いとわがごとに」とは、副詞「いと」+連語「わが」+活用語の連体形につく接続助詞「ごとに」ではないか。

 接続助詞「ごとに」の意は「・・・のたび、・・・のどれも」です(『例解古語辞典』)。

 連体格助詞「が」を伴って「わが」という連語で「わたしの」の意となりますので、「わがごとに」とは「わたしのどれも」となります。

 三句~四句にある「・・・しかもいとわがごとに」とは、「・・・という状況のシカも、ほんとうに作者自身の状況どれも」と詠っていることになります。

 それは、「・・・という状況のシカも、ほんとうに作者の(これまでと同様にこれから来る日も来る日も)どの日も」と並列させていると理解できます。

 そうすると、五句は、作者自身に関して言っていることになります。

⑫ 3-1-216歌は詞書が「題しらず」の歌ですので、作中人物が男か女かは歌本文の内容で推測することになります。

 このことを前提として、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「勇壮な男が射止めようと矢を向けた先に立っている鹿も、ほんとうにこれからの日々の私も物に動じないであろうよ。」

 鹿は勇壮な男に射止められるはずです。運命としてそれを受け入れているのが「たつ」以外の行動を起こしていないことから推測できます。

この歌は、作者自身も貴方への愛情に揺らぎがありません、と伝えた恋の歌です。男である「あらちを」の矢の先に「たつしか」になぞらえる人物は女である作者とみなせます。

 そして、作者は、初句~三句の例えのように猛烈なアプローチに応じた直後の女であり、この歌は、後朝の歌とみなせます。前回(島田氏の現代語訳)とは女の歌というのは同じでも、歌の理解は異なることになりました。

4.再考 1-3-954歌

① 次に、もう一つの類似歌、『拾遺和歌集』の恋五の部立てにある1-3-954歌を確認します。

 前回(ブログ2018/9/24付け)の検討時に紹介した小池博明氏は、恋部の構成を論じて、「時間の推移(一方向に時間軸に沿ってすすむ)というよりも段階的推移(質的変化・進行後退等のステップ)によっている」と指摘しています(『新典社研究叢書 拾遺集の構成』(1996))。

 即ち、『拾遺和歌集』の編纂者は、『古今和歌集』の編纂者と同じように、『拾遺和歌集』編纂の元資料である歌を素材として扱っている、と見ています。特定の男と女が歌を交わしたと思われる対の歌を並べることはせず、恋の段階に相当する歌を集めて配列している、とみなしています。

② 恋五は、恋の段階を明らかにするため作詠された事情を具体に記した詞書1題(1首)をおき、つぎに、「題しらず」の歌が多数配列される、というパターンが9回繰り返されており、9つの歌群があることになります。9回のうち2回は「題しらず」の歌の前に返歌1首がありますが、1-3-954歌の属する歌群にはありません。

 1-3-954歌は、1-3-950歌の詞書「ものいひ侍ける女ののちつれなく侍て、さらにあはず侍ければ  一条摂政」から始まるパターン(歌群)であり、「題しらず」では4番目にある歌です。

 「題しらず」の歌は、逢えない嘆き、一人寝が続く、わが身の不運、と詠う歌に続いてこの歌があり、恋死も覚悟し、恋しさが募る、涙涙の日、と詠う歌が続いています。1-3-957歌以降は、涙の歌ばかりです。

③ 小池氏は、一つ前の歌群にある1-3-948歌や1-3-949歌では作者(作中人物)は関係途絶を認識している、と指摘しています。

 歌群の最初にある1-3-950歌の詞書は「ものいひ侍ける女」と仲のよかったのは過去のことであることを過去回想の助動詞「けり」を用いて示しており、一旦離別状態になったと作者は認めている詞書です。

 このため、1-3-954歌は、この配列と、1-3-950歌の詞書から、逢っていた相手との関係改善が絶望的な状況での歌である、といえます。そして、男の立場を詠んだ歌ということになります。

④ 前回、離別を認識した作者の歌として、現代語訳(試案)を示しましたが、それは1-3-954歌本文と3-4-30歌本文との違い(四句の「いと我ばかり」と「いとわがごとく」)について論を尽くしていませんでした。

 また、この歌は、この部立ての配列から判る離別を認識した歌群の歌という前提条件にもっと留意してよい、と思います。

 このため、改訳します。

⑤ 最初に語句の確認をします。

 「いと我ばかり」の「ばかり」とは、副助詞であり、普通の体言に付く場合は「・・・ほど、・・・ぐらい」の意を添えます。主語や連用修飾語である場合は「・・・ほど、・・・ぐらい」の意を添えてぼかしていう表現」となります(『例解古語辞典』)。

 配列からは、諦めきれないが離別が決定的な状況にある男が、相手の女におくった歌であることが明確であり、この後に配列されているのは、涙を詠い途方にくれていることを訴える歌ばかりです。

 五句「物はおもはじ」の「物」とは、「a個別の事物を、直接に明示しないで、一般化していう 」場合に相当し、具体的には(シカにとっては射殺されることだが)作者には「離別を認ること」でははないか。

⑥ 改訳を試みると、次のとおり。

1-3-954歌  題しらず

 「勇壮な男が射止めようと矢を向けた先に立っている鹿も、全く私ほど悩み苦しんでいることはあるまい。(だから翻意してください)」

 勇壮な男は鹿を傷つけずに射止めるか捕獲するのは確実であるものの、鹿は死を考えてはいまい、と作者は想定しています。五句にある「おもふ」の主語は、建前では「鹿」です。

 前回は、作者である女が、訪ねて来てくれるか不安であると理解しましたが、今回はそれと異なり、作者である男が、絶望的な状況を打開すべく必死に訴えている、という理解が妥当となりました。

5.再考 3-4-30歌 その2 類似歌と異なる恋の歌か

① ここまでの検討で、平仮名表記をすると、四句の3文字だけが異なるだけの3首は、それぞれの歌集の配列と詞書を踏まえて、四句の意が異なり歌意が異なる歌となりました。

 3-4-30歌は、暫く途絶えていた後に男が訪れた際の女の歌で、女の事情を訴えた歌(3-4-29歌)に続き、今でも相手の意に従うことを婉曲に伝えた歌でした。

   3-1-216歌は、勇壮な男が必ずシカを射止めるかのようにアプローチしてきた男を受け入れた際の女の後朝の歌でした。

 1-3-954歌は、離別を通告してきた女に翻意を促すため、男が種々訴えている歌の一つでした。

② 詠っている場面と作者の性別は、順に、再会直後の女、初めて顔を合した直後の女、離別通告があった後の男となります。

 この3首が、世に知られるようになったのは、3-1-216歌が最初であり、女の立場の歌としてです。次に、それを利用して『猿丸集』の編纂者は別の女の立場の歌として3-1-216歌とし、『拾遺和歌集』の編纂者は男の立場の歌として1-3-954歌としたと推測できます。『猿丸集』歌と『拾遺和歌集』歌の前後関係は今のところ分かりません。

 このため、3-4-30歌は、類似歌とは異なる歌です。そのほか、『猿丸集』における想定している歌群の歌かどうかは後日の検討とします。

 「わかたんかこれ ・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、第31歌を検討したい、と思います。

(2024/3/4  上村 朋 )

付記1.『猿丸集』における「恋の歌」の定義

 『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義して検討をしている。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと

(付記終わり 2024/3/4  上村 朋)