わかたんかこれ  猿丸集は恋の歌集か 第15歌など

 (2020/8/17)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第13歌など」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第15歌など」と題して、記します。(上村 朋)

1.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。既に、3-4-14歌までは、「恋の歌」であることが確認できた(付記1.参照)。

『猿丸集』において、「恋の歌」とは、次の各要件をすべて満足している歌と定義している。

第一 「成人男女の仲」に関して詠んだ歌と理解できること、即ち恋の心によせる歌であること

第二 『猿丸集』の歌なので、当該類似歌と歌意が異なること

第三 誰かが編纂した歌集に記載されている歌であるので、その歌集において配列上違和感のないこと 

第四 「成人男女の仲」に関した歌以外の理解が生じることを場合によっては許すこと)

2.~7.承前

8.再考第四の歌群 第15歌

① 引き続き、「第四の歌群 あうことがかなわぬ歌群」(3-4-12歌~3-4-18歌)の歌を、検討します。3-4-15歌を、『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある3首の歌の1首目です。

  3-4-15歌 かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

    ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

 

② 現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します。

 詞書については、この詞書のもとにある3首の歌本文の現代語訳(試案)を得たとき、3首の整合を図り、次のように修正しています(ブログ2018/6/11付け参照)。

  3-4-15歌 詞書:「(妹が)親しくしていた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 そして、作者は「「かたらひける人」と官人同士の交際がある人」であり、3首とも、作中主体である身内の女の代作の歌であり、「(妹のように大事にしている同族の女の)交際相手の男が、とんと寄り付かなくなったというので、その男のもとに(送った歌3首)」であるとも指摘しました。

 歌本文の現代語訳については、ブログ2018/5/21付けより引用します。  

  3-4-15歌歌本文:「鳴いてほしい、聞かせてほしいと思っているホトトギスと同じく、私のよく映るますかがみに貴方の面影は今日までまったくみえませんね。」

この歌は、相手が遠ざかったことを嘆いている歌、と理解したところです。

③ 同音異義の語句を確認します。詞書には、「かたらひける」があり、歌本文には、二句にある「こひわたる」があり、上記に記した2018/5/21付けのブログで検討しました。しかし、詞書にある「いく」と歌本文にある「ますかがみ」などは、検討が不十分でした。

④ 詞書にある「いく」は、四段活用の動詞「いく」の連用形です。その意には、大別して「行く」と「生く」があります。後者の「生く」には、a生存する・生活する b命が助かる、の意があります。この詞書のもとにある歌が3首あるので、動詞「いく」は現代語訳にあたって平仮名表記にしておきたい、と思います。

 詞書にある「とほく」とは形容詞「とほし」の連用形であり、空間的・時間的あるいは関係などが遠い意です。上記の現代語訳(試案)では、空間的に遠い意としていましたが、恋の歌であれば、関係が遠い意の場合がより妥当性があるのではないか。それの検討を怠っていました。

⑤ 次に、三句にある「ますかがみ」について、検討します。この語は、平安時代以後の語形であり『萬葉集』の時代は「まそかがみ」という表記であり、「ますみのかがみ」(真澄の鏡)ともいい、くもりのない鏡を意味しています。

 銅合金製の鏡は磨くことにより機能が向上(よく写る)し、鏡は境目にある出入り口であるという意識を高め、(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、とも信じられ、日本の古代では、境目にある出入り口は、通常閉ざしておくため、鏡面を覆っておくものと認識されていたそうです。

 一方、銅合金製の鏡は、実用的な使用方法が官人に普及しており、調度品のひとつとなっており、身近にあるものの代表例になっています。例えば、『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上の「寄物陳思」にある「まそかがみ」を詠う歌5首は、作中人物のその相手との距離が近いことの例として、手にしている鏡と本人の関係を挙げています。(以上2018/5/21付けブログ付け参照)。

 私の手元の鏡が私の身近にあるように、あなたの身近にも(霊魂が行き来する出入り口である)鏡があるでしょう、という前提でこの歌は相手におくられ、その「ますかがみ」は鏡自体と「ますかがみに現れる貴方」という意をも掛けてこの歌では用いられている、と思います。その点では同音異義の語句と言えます。

⑥ また、歌本文は、次のような文で構成されていると、みることができます。

 文A: ほととぎすこひわびにける

 文B:こひわびにけるますかがみ (ますかがみは相手の人)

 文C:ますかがみおもかげさらにいまきみはこず (ますかがみは、相手の人かつ鏡)

 なお、「おもかげ」は、「ぼんやりと目の前に見えるような気がする姿とか幻、あるいは顔つきとか様子」(『例解古語辞典』)の意です。

⑦ そして、「ある事がらが、過去から現在に至るまで引き続いて実現していることを、詠嘆の気持ちをこめて回想する」意である過去回想の助動詞「けり」が、詞書でも歌本文でも用いられています。このことに留意し、恋の歌として詞書の「とほくいく」をことばどおりに理解し、また、歌本文を、語順どおりの文案に改めたい、と思います。

 3-4-15歌 詞書:「親しくしていた人が、遠くへいってしまって、その人のもとに(送った歌)  (15歌詞書 新訳)   

 同 歌本文:「ホトトギスの鳴き声は、いつも聞きたいものです。そのようお声を聞きたい方、逢いたい貴方。真澄の鏡がお互いの身近にあるのに、貴方の姿も見えず、あなたの霊魂も全然お出でくださいません。」 (15歌本文 新訳)

⑧ この歌は、相手は遠ざかってしまったが恋の心は募る、と作中主体が訴えている歌であり、要件の第一を満足し、類似歌2首(2-1-2642歌と2-1-2506歌)が、相思相愛を信じている歌であるので、意を異にしており、要件の第二も満足し、また第四も満足しています。第三はこの詞書のもとの3首目の3-4-17歌までしばらく保留とします。

⑨ 恋の歌として今検討すると、作者は、作中主体でも可能と思えます。 2018/5/21付けのブログで推測した第三者の代作説は否定してよい、と思います。

 

9.再考第四の歌群 第16歌

① 次に、3-4-16歌を、『新編国歌大観』から引用します。この歌の詞書のもとにある3首の歌の2首目です。

  3-4-16歌  (詞書は3-4-15歌と同じ)

     あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも  

 

② 詞書については、上記の「15歌詞書 新訳」とし、歌本文の現代語訳として、「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/5/28付け参照)。

 歌本文:「梓弓を引く、その引くと同音の引津に咲く花なのですか(約束は)。萬葉集のあの歌のようになのりその(咲きもしない)花の時期がくるまではと言って、妹には逢わないつもりなのですか。」

 この歌は、「いも」を持つ男親か兄弟が、妹を思いやっている歌と理解でき 、約束を引き延ばしている男(反故にしようとかかっている男)をやんわりなじっている歌とみたところです。

③ 初句にある「あづさ弓」については、3-4-13歌の現代語訳(試案)を得た際検討しました。「あづさ弓」とは「あづさ」と呼ぶ木で作った弓を言いますが、3-4-13歌は、「弓に末と本がある」、と「弓」を詠い、「あづさ」と言う語句を利用して歌を詠っていません。3-4-13歌の類似歌がある『萬葉集』でも「あづさ弓」という語句は、「弓」の形状や機能(末と本と弓束とか引く・張る・射るなど)の意を引き出す語句でした(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第13歌 よりにけるかも」2018/5/7付け参照)。

 「あづさ弓」を冠した「ひく」は、恋の歌として、相手に自分の気持ちが引き付けられる、あるいは相手を引き付けたいという意が込められています。この歌の「あづさ弓ひきつ(のはなか)」も「弓を引く」意が第一候補、と思います。

④ 同音意義の語句の有無を、歌本文で確認します。

 類似歌の二句「ひきつのへなる」と異なるこの歌の二句「ひきつのはな」と、三句から四句にまたがってある「なのりそのはな」が候補になり、副詞あるいは助詞の「と」や「いも」も候補となり、これまで検討が不十分でした。

⑤「ひきつ」については、2首ある類似歌(2-1-1934歌と2-1-1283歌)にある「ひきつ(のへ)」を諸氏は地名としています。候補地として、筑前国志麻郡にある、壱岐や朝鮮へ渡航する港である「引津亭(とまり)」があった(現在の福岡県糸島郡志摩町の岐志から船越にかけての)入海をあげています。「ひきつのへ」とは「引津あたり」とか「引津のほとり」の意としています。

 このほか「ひきつ」は、四段活用の動詞「ひく」の連用形+完了の助動詞「つ」という理解も可能です。動詞「ひく」には、「引く」・「退く」・「弾く」などがあります。

⑥「引く」の意は、a力を入れて、自分の方へひく・引っ張る b引きずる cその方へ向けさせる・ひきつける d長く、または広くのばす。などなど(『例解古語辞典』)。

 「退く」の意は、後ろにさがる・しりぞく、の意があります。

 「弾く」の意は、弦楽器をかなでる、の意があります。

⑦ この歌の二句「ひきつのはな」には、同音異義の語句の「はな」もあります。その意は、「花(華)」と「端」と「鼻」とがあります。

 「花(華)」も、a草木の花、bその季節を代表する花、cツユクサの花弁からとった縹色(はなだいろ)の染料(色がさめやすい)の意があります。

 「端」は、先、はし、の意があります。

 「鼻」は、鼻、鼻水、ときにはくしゃみもいう、という意です。鼻の描写によってその人物像を描くという手法は、時代を問わずよくみられています。

 「はな」と言う語句が、この歌では二度用いられています(「ひきつのはな」と「なのりそのはな」)。「はな」が同一の意で用いられているか否かは、確認を要します。

 また、「(ひきつのはな」の「つ」も同音異義の語句のひとつであり、「津」と完了の助動詞「つ」の意があります。

⑧ これらから、この歌の「ひきつのはな」の意を検討すると、いくつか候補があります。

 類似歌と対比すると、「ひきつのへ」が「引津のほとり」の意であったので、この歌でも地名の「引津」であれば、

例1)『萬葉集』に詠われている筑紫国の引津の海の端っこ

例2)『萬葉集』に詠われている筑紫国の引津亭(ひきつのとまり)に咲く花

例3)筑紫国の引津亭に咲く(ツユクサの)花からとった染料

 また、「あづさゆみ」が掛かる「ひく」なので、「引く」意を重視し「はな」を「端」として、

例4)弓を引き絞り終わったその時点(その方へむけさせ終わった時点、の意を掛ける)

例5)弓を引き絞り終わったその時点(「とほく」へ退き終わった時点、の意を掛ける)

 さらに、「はな」を「花」として、

例6)弓を引き絞ったその時点(引津の亭に咲く花の盛り)

などが考えられます。

⑨ 次に、「なのりそのはな」を検討します。「なのりそ」とは、海草のホンダワラの古名です。群生すると海中林を形成するもの(いわゆる藻場)のひとつであり、当時は、干して食用にしたり、製塩作業の海水濃縮時の材料に用いています。実際には花が咲きません。ホンダワラの、気胞がにぎやかに付いているのを花と見立てている表現であり、「なのりそのはな」とは、無限に長い期間をさしている歌語となっています。そして、「なのりそ」は名詞句「名告りそ」と掛けてよく用いられる語句です。

 「名告りそ」は、ものやわらかく禁止する意の副詞「な」+動詞「告る」の連用形+終助詞「そ」であり、「どうか名前を明かさないでくれ」の意です。名まえは、あだおろそかに他人に知らせるべきでない、と考えられていた時代です。この歌での「なのりそのはな」とは、

例1)海藻の「なのりそ」の花(無限に長い期間)の意のみ 

例2)「名告りそ」という意を例1)に掛けている のどちらかの意となります。

⑩ また、五句にある「あふ」は、四段活用の動詞であり、a調和する、bよくあてはまる・似合う、c夫婦になる、d匹敵する、e対面する、の意もあります。

⑪ 「いも」は、女性を親しんでいう意であり、男性から姉妹・妻・恋人などにいうのが普通です。だから、五句にある「いもにあはぬかも」では、この歌の作者がおくる相手を指して言っているとも理解可能です。第三者の女性に拘らなくともよい、と今は思います。(3-4-16歌本文にある「いもにあはぬかも」の語句から上記の現代語訳(試案)では3-4-16歌の作者を男としたところでした。)

⑫ 次に、四句「はなさくまでと」の「と」を検討します。この句では、「はなさくまで」のみで一文を成している、とみることが可能です。そのため、「と」の候補は、文に相当する語句を引用の形で受けている格助詞「と」ではないか。

⑬ このような検討から、歌は次のような文から成る、と理解が可能です。

文A あづさ弓ひきつ。 (漢字混じりの文にすると、(貴方は)「梓弓引きつ」)

文B ひきつのはなか、 (その意は)「引津の花」かあるいは「退きつの端」か。)

文C なのりそのはなさくまでと。 ((それは)「(海藻の)なのりその花(が)咲くまでと」(と言うことですね。)

文D いもにあはぬかも。 ((そうであれば)「妹に会はぬかも」)

⑭ 現代語訳を改めて試みると、つぎのとおり。「はな」と言う語句を繰り返し用いているので、「ひく」に「引津」と「退く」を掛けているとみています。

 「貴方は梓弓を引き絞りきりました。それは、引津の花でもあるのですか、また、私から「退きつ」という状況の遠い端にいるのですか。そして「なのりそのはな」が咲くまでと、いうことですか(永久の決意なのですか)。貴方にもう会わないままとなるのでしょうか。」(16歌本文 新訳)

 この歌の詞書にある「とほくにいきたりける人」とは、「気持ちが作者から離れていった人」(関係が遠くなったのがはっきりしてしまった人)と理解し、相手に翻意を願っている作者の歌、と理解したところです。

 現代語訳(試案)では五句の理解を誤っていました。

⑮ 作中主体は、作者でもあり、おくった相手を「いも」と呼んでいますので、男となります。

⑯ この歌は、別れていった女に去らないでと訴えている当事者(男)の歌であり、恋の歌の要件第一を満足しています。また、類似歌2首(2-1-1934歌と2-1-1283歌)は、相手を信頼して歌のやりとりを楽しんでいる歌で、歌意が異なっており、第二の要件も満足しています。そして第四も満足しています。 第三は保留します。

 

10.再考第四の歌群 第17歌 

① 次に、3-4-17歌を、『新編国歌大観』から引用します。同一の詞書のもとにある歌3首の最後の歌です。

13-4-17歌  (詞書は3-4-15歌に同じ)

あひみねばこひこそまされみなせがはなににふかめておもひそめけん。

 

② 現代語訳としては、詞書は上記の「15歌詞書 新訳」とし、歌本文は「2020/6/15現在の現代語訳成果」である現代語訳(試案)を引用します(ブログ2018/6/11付け参照)。

歌本文:「親しく逢う機会が遠くなってくると、その機会を願う気持がますます募ってきます。水無瀬川のように、消息もお出でも途絶えさせたうえ、どうしてそのように眉をひそめられるのでしょうか。(お願いします。)」  

③ 「みなせがは」とはどのような河の状態を指しているのか確認すると、『萬葉集』から『古今和歌集』のよみ人しらずの時代までは、地表の流水が涸れた状態の川の地表部分(縦断的に区切った川の表面部分)を指していました。伏流して水が流れている地下空間を含まない(伏流していることを意識していない)表現でした。万葉仮名「水無河」の漢字の意のとおり、地表の川の状態を形容していることばでした。

 これは三代集の歌人の歌でも同様でした(ブログ2018/6/4付け及び2018/6/11付け参照)。

④ 三代集の編纂された時代に成った『猿丸集』にある3-4-17歌でも、「みなせがは」は、地表の流水が涸れた川の状態を指していて、伏流して水が流れている地下空間は意識していない表現である(伏流を含意した語句として用いられていない)、と推測できます。

⑤次に、同音異義の語句を、歌本文で確認します。三つありました。

 二句にある「こひ」は、四段活用の動詞「乞ふ・請ふ」の連用形で、名詞化した用い方をされています。物をほしがる・求める、の意であり、「(訪れてもらっていないので)訪れを願う」意です。「恋」の意ではありません。

 五句にある「おもひそめけん」は、名詞「面」+下二段活用の「ひそむ」の連用形+「けむ」であり、「眉をひそめるのだろうか」、の意です。「思ひ染む」ではありません。この二つは、上記の現代語訳に反映させてありますが、初句にある「あひみる」は、検討が不十分でした。

⑥ また、「なににふかめて」とは、水深がゼロの水無瀬川で「深める」と無理なことをいう、という気持ちをいっています。

⑦この歌は、上記の3-4-16歌で検討したように、詞書にある「かたらひける人」に遠ざけられた人がおくった歌であるので、二人の仲は客観的には終わったともみえる段階の歌と推測できます。

 詞書より、初句にある「あひみる」は、男女が情をかわさないまでも関係改善の第一歩としての「対面する」(ともかく会って話す機会をください)の意であってもよい状況とみることができます。

⑧以上の検討を踏まえて、上記の現代語訳(試案)を改めたい、と思います。

「対面してお話する機会が遠くなっていますので、願う気持がますます募ってきます。水無瀬川のように、消息も涸れたままであり、そのうえ、涸れていて深いも浅いもないのに、深く眉をどうしてひそめられるのでしょうか。(お願いします。)」 (17歌本文 新訳)

 このように、この詞書のもとにある歌としては、水無瀬川の河床の下に伏流水があることを念頭においた歌と理解しなくてよい、と思います。

⑨この結果、この歌は、作者(作中主体)が相手(いも)に関係修復を懇願している歌ですが、助動詞「けり」を詞書にも用いているように、相手が別れていったことを自覚した段階の歌と理解できます。

 このため、恋の歌の要件第一を満足しています。

 そして、類似歌(1-1-760歌)が、(失恋した・別れた・縁を結べなかったと自覚した段階の歌ではなく)まだ失恋には疑心暗鬼の段階であって本人が復縁を迫って詠っている歌でありましたので(ブログ2018/6/4付けの「5.」参照)、この歌と類似歌は異なる歌です。このため要件の第二も満足し、第四も満足しています。第三は保留します。

11.同じ詞書における歌として確認すると

① 検討してきた3首は、「かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに」という詞書のもとにある歌です。

② その3首の歌の趣旨は、景としているものに注目すると、次のようなものとなります。

 3-4-15歌 初夏の歌によく詠まれる「待ち焦がれているホトトギス」より詠いだし、相手が遠ざかってしまったが、恋心は募ると作中主体が訴えている歌です(上記8.記載の「15歌本文 新訳」) 。 作者は女とも男とも決めかねていました。

 3-4-16歌 「あづさ弓ひく」と詠いだし、「ひく」の縁語で相手の行動を確認しつつ、作中主体が、相手に去っていかないでと相手の翻意を願っている歌です(上記9.記載の「16歌本文 新訳」)。   作者は作中主体であり、相手に「いも」と呼び掛けているので、男でした。

 3-4-17歌 「水無瀬川」も下流ではまた水が流れているようにと、作中主体が相手に関係修復を懇願している歌です(上記10.記載の17歌本文 新訳) 。

③ 一つの詞書のもとにある3首なので、一組の歌として相手に意を伝えているとして理解しなければなりません。

上記②のような理解をしたこの3首は、a疎遠である現状を認め、しかし、b作中主体が相手にすがり、c翻意をお願いする、という順番で歌を並べ、詞書にいう「かたらひける人」との復縁をお願いしています。詞書に沿った一連の歌とみなせますので、3首の作者は共通の人物であり、3-4-16歌より男である、と推測できます。

④ この3首には、現在、歌語とみなせる語句がいくつかありました。

1首目には、「ほととぎす」、「まそかがみ」、2首目には、「あづさ弓」、「なのりそのはな」、3首目には「みなせがは」です。みな三代集編纂時点頃の意でありましたが、「あづさ弓」には新例があるとして現代語訳しました。「ひく」に掛かり、その意は二つあり「引く」と「退く」を掛けている、としたところです。

 「引く」のみの意であるとすると、2首目は次のような現代語訳となります。

3-4-16歌 「「貴方は梓弓を引き絞りきりました。その「引く」とはあの萬葉集の引津のことでありそこの「なのりそのはな」が咲くまでと、いうことですか。(そうであるなら)貴方にもう会わないままとなるのでしょうか。」(16歌本文 別訳)

 どちらがより妥当なのかは、歌集全体の「恋の歌」の確認後とし、今は両案併記とします。

 この3-4-16歌は、自問自答の趣があります。

⑤ 現代語訳(試案)を得たとき、代作の歌かと記しましたが、3首とも作中主体が作者と言えます。

⑥ 今回検討した1題3首の再検討結果をまとめると、次のようになります。

 詞書と歌本文ともに、現代語訳がすべて今回改まったことになります。作者は3首とも同一の男となりました。

表 3-4-15歌~3-4-17歌の現代語訳の結果  (2020/8/24 現在)

歌群

歌番号等

恋の歌として

別の歌として

詞書

歌本文

詞書

歌本文

歌群第四

あうことがかなわぬ歌群

3-4-15

15歌詞書 新訳

15歌本文 新訳

なし

なし

3-4-16

同上

16歌本文 新訳

あるいは16歌本文 別訳

なし

なし

3-4-17

同上

17歌本文 新訳

なし

なし

 

 

⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回も、歌群第四の歌を中心に記します。

(2020/8/24   上村 朋) 

付記1.恋の歌確認方法について

  • 恋の歌確認方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か第1歌総論」(2020/7/6付け)の2.①第二に記すように「字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものです。」ということを前提にしている。
  • 要件は、本文に記した。(同上のブログの2.④参照)
  • 恋の歌として検討する前提となる『猿丸集』検討の成果は、「2020/6/15現在の現代語訳成果」と総称しており、3-4-15歌から3-4-17歌を例示すれば、次のとおり。

 

表 「2020/6/15現在の現代語訳成果」の歌別詞書・歌本文別略称例 (2020/7/29現在)

歌番号等

現代語訳成果の略称

記載のブログ(わかたんかこれ・・・)

3-4-15

3-4-15歌詞書の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

3-4-15

3-4-15歌本文の現代語訳(試案)

2018/5/21付け

3-4-16

3-4-16歌の現代語訳(試案)

2020/5/28付け

3-4-17

3-4-17歌の現代語訳(試案)

2018/6/11付け

注1)歌番号等欄:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)記載のブログ欄:日付はその日付のブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を指す

(付記終り 2020/8/24   上村 朋)