前回(2020/5/25)、「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その1 最初は3首」と題して記しました。
今回 「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その2 きり」と題して記します(上村 朋)。
1.~4.承前
(『猿丸集』の最初の2首と最後の2首の歌の現代語訳を再確認し比較検討の結果、可能性の高まった『猿丸集』編纂者が設定されたであろう歌群の想定を試み、2020/5/11現在の現代語訳の成果(付記1.参照)を前提に、1案を得た。前半の26首においては、現代語訳の成果の誤りが、二、三の歌にあり、想定した歌群は妥当であった。検討は、『猿丸集』歌の部立て、詞書、歌意、前後の歌との関係及び作者の立場などより試みたものである。なお、これは、これまでの『猿丸集』各歌の現代語訳(試案)のチェックになる作業でもある。)
5.想定した歌群(案)の再掲
① 前回のブログより、想定した歌群(案)再掲します(想定方法は前回のブログの「2.歌群の想定方法」参照及び付記1.参照)。
その想定にあたり障害となる事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)がある場合は、その指摘にとどめ、それが解消するものとして想定したものです。前半の26首にあった疑問点は、前回の検討で解消したところです。
第一 相手を礼讃する歌群:3-4-1歌~3-4-3歌 (3首 詞書2題)
この歌群は歌集の序ともとれる内容の歌群である。
第二 逢わない相手を怨む歌群:3-4-4歌~3-4-9歌 (6首 詞書5題)
第三 訪れを待つ歌群:3-4-10歌~3-4-11歌 (2首 詞書2題)
第四 あうことがかなわぬ歌群:3-4-12歌~3-4-18歌 (7首 詞書4題)
第五 逆境の歌群:3-4-19歌~3-4-26歌 (8首 詞書3題)
第六 逆境深まる歌群:3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)
第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)
第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)
第九 破局覚悟の歌群:3-4-37歌~3-4-41歌 (5首 詞書2題)
第十 再びチャレンジの歌群:3-4-42歌~3-4-46歌 (5首 詞書4題)
第十一 期待をつなぐ歌群:3-4-47歌~3-4-49歌 (3首 詞書2題)
第十二 今後に期待する歌群:3-4-50歌~3-4-52歌 (3首 詞書2題)
この歌群は、歌集編纂者の後記とも思わせる歌群である。
② 後半の26首のうち3-4-27歌から3-4-39歌の歌群想定を、下記の表3に示します。上記の障害となる事柄(疑念)のある歌は、次のように、『猿丸集』後半26首では7首あります。その解決案は下記に記します。
3-4-27歌 (疑念は)歌意など
3-4-32歌 (疑念は)歌意など
3-4-39歌 (疑念は)詞書と歌意など
3-4-40歌 (疑念は)詞書と歌意など
3-4-41歌 (疑念は)詞書と歌意など
3-4-43歌 (疑念は)歌意など
3-4-50歌 (疑念は)相手の性別や歌意など
表3 2020/5/11 現在の現代語訳(試案)に対する『猿丸集』各歌の歌群想定(案)(27~39歌) (2020/6/1 現在)
歌番号等 |
作者と相手の性別と歌区分 |
類似歌の歌番号等 |
『猿丸集』の歌の趣旨 |
ポイントの語句 詞書 |
同左歌本文 |
想定した歌群(案) |
共通の語句・景 |
3-4-27 |
男→不明 往歌 |
2-1-1144 |
猪名野(ゐなの)と同音の違な野の景を詠う歌(歌意?) |
ものへゆきけるみち&きり |
ゐなの
|
逆境深まるの歌 |
きり&ものへゆく |
3-4-28 |
男→不明 往歌 |
1-1-204 |
夕方の牛車での出来事を詠う歌 |
物へゆきけるみち |
やま(のかげ)* |
同上 |
ひぐらし&ものへゆく |
3-4-29 |
女→男 往歌 |
2-1-2841 |
昔の親密な関係に戻れることを女が喜ぶ歌 |
なかたえて |
なかひさし |
乗り越える歌 |
あづさゆみ |
3-4-30 |
女→男 往歌 |
3-1-216& 1-3-954 |
男を、改めて信頼していると詠う歌 |
なかたえて |
物はおもはじ* |
同上 |
しか |
3-4-31 |
女→不明 往歌 |
1-1-34 |
待ち人との間を邪魔する人をきらった女の歌 |
まへちかき梅の花 |
まつ人* |
同上 |
梅 |
3-4-32 |
男→男 往歌 |
1-1-50 |
山寺での花見で酔っ払った男をはげましている歌(歌意?) |
さく(ら) |
さくらばな |
同上 |
さくらばな |
3-4-33 |
女→男 往歌 |
1-1-122 |
心ならずも(一旦)別れることになった際の歌 |
のがりやる |
やまぶきのはな* |
もどかしい進展 |
やまぶき |
3-4-34 |
女→男 往歌 |
1-1-121 |
1-1-139歌を踏まえて訪問を誘う山吹の花に添えた歌 |
山吹の花 |
こじま(がさきの)* |
同上 |
やまぶき |
3-4-35 |
男→女 往歌 |
1-1-147 |
今鳴いているほととぎすのようにあなたを慕っていると詠う歌 |
ほととぎすのなきければ |
ほととぎす*&うとまれぬ |
同上 |
|
3-4-36 |
男→女 往歌 |
1-1-137 |
陰暦四月末日の夜にも鳴かないほととぎすに尋ねている歌 |
卯月のつごもり |
(なか)なむ&(こぞの)ふるごゑ* |
同上 |
|
3-4-37 |
不明→不明 往歌 |
1-1-185&3-40-38 |
男女間の破局を秋に確認した歌 |
あきのはじめつかた* |
あき |
あき |
|
3-4-38 |
不明→不明 往歌 |
1-1-198 |
秋になって、改めて別れる定めであったことを確認した歌 |
あきのはじめつかた* |
「(我が身のごとく)物はかなしき」 |
同上 |
あき&きりぎりす |
3-4-39 |
男*→不明 往歌 |
1-1-215& 2-2-113& 5-4-82 |
鹿狩りの鹿の鳴き声から鹿の運命・定めに思いをはせた歌(歌意?) |
ききて |
あきやま&物はかなしき |
同上 |
あき(やま) |
注1)『猿丸集』の歌番号等:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」
注2)作者と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。
注3)類似歌の歌番号等:類似歌の『新編国歌大観』による歌番号等。
注4)「(・・・?)」:想定した歌群を前提としての当該現代語訳(試案)への疑問。
注5)「*」:語句の注記。以下の通り。
3-4-28歌:「やま(のかげ)」とは、(牛車の車の)「輻(や)の間にみえる鹿毛(馬)(と騎乗の人物)によってできた蔭」。
3-4-30歌:「物はおもはじ」は、安心の意。
3-4-31歌:「まつ人」は、「魔つ人」(「仏教でいう魔王のような人」)、即ち目的達成の邪魔をする者を指す。「まつ人」の香が梅の香に似ていたため詠んだ歌。
3-4-33歌:「やまぶきのはな」は、詞書より(逃れさす)「山吹襲を召した貴方」を指す。
3-4-34歌:「こじまがさきの」は、動詞「来」の未然形+打消し推量の助動詞「じ」の連体形+名詞「間」+格助詞「が」+名詞「先・前」 「来ないであろう日々が続く前駆として」 。
3-4-35歌:「ほととぎす」は、この歌を詠う作者を指す。
3-4-36歌:「(こぞの)ふるごゑ」とは「(去年の)あのよい声(時がたったがよい声)」
3-4-37歌~3-4-38歌:詞書にある「あき」には、「秋」と「飽き」がかかる。
3-4-39歌~3-4-41歌:作者(作中人物)は、「かなしい秋」・「悲嘆している男性」
6.歌群の検討その2 3-4-27歌
① 歌群(案)の想定にあたり、障害となった事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)を解明します。『猿丸集』の後半部(3-4-27歌~3-4-52歌)にある、そのような歌7首も、同音異義の語句の再検討等を経て、以下のように、なんとか解消の目途がたったのではないか、と思います。
各歌の想定した歌群への振り分けには、少なくとも一理があります。
② 7首のうちの1首である3-4-27歌は、その現代語訳(試案)を検討の際(付記1.参照)、同音異義の語句の確認を怠っていました。
『猿丸集』の27番目の歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-27歌 ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに
しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして
③ 詞書にある「きり」には、霧のほかに、チョウやガの鱗粉の意がありました(付記2.参照)。チョウなどの羽の模様を作っているのが鱗粉です。水をはじき、光を反射し、微細な凸凹により羽ばたくときの空気抵抗を大きくしています。
また、歌にある「ありま山」の理解も見直してみたい、と思います。
④ 詞書の前段は、次歌3-4-28歌と平仮名表記をすれば同じです。そして、後段は、この歌が視覚情報を、次歌が聴覚情報を得て詠う、となっています。
⑤ 歌本文にある同音意義の語句に、既に指摘している「ゐなの」があります。『萬葉集』に詠まれている地名の「猪名野」のほかに、「違な野(原)」、即ち「猪名野ではない野」の意があります。違勅・違順((仏教語)逆境と順境)の「違」です。
この歌では『萬葉集』にある類似の歌(2-1-1144歌)を想起できる初句~三句により、「萬葉集歌に詠われている猪名野とは異なる違な野」という意と理解できます。その第一候補は、風葬の地(鳥辺野など)である、と思います。
⑥ 三句にある「ありま山」も、猪名野から望める有馬方面にみえる山々を指す「ありま山」ではなく、同音意義の語句で、「(行けば)在り、真山。」ではないでしょうか。
「真」は接頭語で「真実、正確、純粋などの意を添える(真幸く、など)語句ですので、「真山」とは、風葬の地において散らばっている骨が塔状あるいは小山状にいくつも積み上げられている景を指している、と理解できます。
⑦ 四句にある「ゆふぎり」は、「夕べに見た「きり」」の意ではないでしょうか。
⑧ 五句にある「とも」も同音異義の語句であり、名詞であるならば「朋(友)」と「供・伴」の意があります。「ともなしにして」とは、「羽などの鱗粉がきらきらしているのはチョウ(あるいはガ)だけであり、ほかの虫など一切飛んでいなかった」ことを表現している、とみることができます。
⑨ 「しながどり」の枕詞の意に関する意識が萬葉集歌の時代と同じであるならば、これらのことから、3-4-27歌の現代語訳を、改めて試みると、次のようになります。
(詞書) あるところへ行く途中に、(チョウかガの)鱗粉が一面におおっているのに(出会い詠んだ歌)
(歌本文)しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰ」につながる猪名野ではない違な野を行くと、「ありまの山」ならぬ収骨した骨から成る山々の間を、チョウ(あるいはガであろうか)が、鱗粉をきらきらさせながら夕べの空に飛び回っているのに出会った、一緒に舞っている虫もなく。
この訳を以後、第27歌の詞書別訳と第27歌の歌本文別訳ということにします。
この歌は、「率な」という状態ではないものを、自分以外にもあった、と詠っているように理解できます。
⑩ 『猿丸集』の歌には必ず類似歌があり、その歌意が異なっています。この歌の類似歌(2-1-1144歌)は、「しながとり」を枕詞とする「ゐなの(猪名野という名の野原)」で暮れたのに、「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)と誘う相手もいるような宿がない、と詠います。
詞書(「摂津にして作りき」)に留意すれば、猪名野という名前を詠む旅中の歌となります。「率な」と誘う相手が思いを掛けていた女性ではなさそうなので恋の歌には理解しにくいところです。このため、この歌の上記の別訳は、歌意が異なる、と言えます。そして、「ありま山」の理解は「違な野」にある山とみた別訳のほうに妥当性がある、と思います。
⑪ 次に、この歌と前後の歌各2首との配列上のバランスを確認することとします(前回のブログの表2及び上記の表3参照。付記1.参照)。
前歌(3-4-26歌)までの5首は同じ詞書のもとにあり、「おやどもがせいしける女」に歌をおくり打開の方法がないまま終わっているものの、作者は愛情を確かめようとしている歌となっています。
これに比べると、この歌は、しながどりのように「率な」と同音の「猪名野」ではない、と断って(チョウとかガとか種類よりも)「きり」に象徴させてひらひら群れて飛んでいる情景を注目して詠っており、歌のトーンが違います。これらの歌とは歌群が異なると言えます。
⑫ 次の歌3-4-28歌は「物へゆきけるみち」という共通語句が詞書にあり、夕方の景であることも共通であり、現代語訳(試案)は、聴覚の情報での結論を視覚の情報で否定しているという歌です。3-4-27歌とともに、自然界の一場面を切り取って自分の心理状態を示している歌であり、恋を暗喩しているとすれば、思いが遂げられてなくて少なくとも楽観的ではない状況を指している歌となります。
この暗喩が次の3-4-29歌のトーンとあえば.あわせて3首で一つの歌群になるかもしれません。しかし、3-4-29歌は、「あひしれりける女」が久しぶりに訪れた男へおくった後朝の歌であり、明らかにこの2首と作者の心境は異なっており、3-4-29は別の歌群の歌になっています。
⑬ このため、恋という人事を直接詠っていないので、この2首で別の歌群を成す、と言えます。この歌群の前の歌群を逆境の歌群ととらえたならば、この2首は、逆境深まる歌群にある、と言ってもよい、と思います。これは、ほかの歌群、例えば不遇時の歌で雑の部の想定、という可能性を否定したものではありません。想定した歌群のネーミングを前提として、その配列における歌の理解が可能であることを指摘したところです。
7.歌群の検討その3 3-4-32歌
① 疑念のある3-4-32歌も、同音異義の語句を用いています。
歌を『新編国歌大観』より引用します。
3-4-32歌 やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる
山たかみ人もすさめぬさくらばないたくなわびそわれ見はやさむ
② 現代語訳(試案)では、詞書にある「さくら」は「桜」ではなく「簀(すとも、すのことも、音読すればさくとも読む)ら」、「さくらのさきける(を見てよめる)」は「簀などの先を蹴る」と理解し、作者はそのようなことをする酔った男を「歩けるように、私が、調子をとって囃し立てましょうから。」と詠っている、と理解しました。
同音意義の語句の見落としはないと思えます。この現代語訳(試案)では、一見すると、恋に関するこの歌群(乗り越える歌群(3-4-29歌~3-4-32歌))にある歌とみなしにくい歌です。
③ この歌の前後の歌の各2首の歌意を確認し、歌の配列から検討してみます(表参照及び付記1.参照)。
3-4-30歌は、仲がしばらく絶えていたのちの後朝の歌であり、改めて男を信頼している、と詠う歌です。関係を続けたいと作者は願っています。
3-4-31歌は、邪魔をする人をきらっている歌であり、作者本人は相手の男を信頼しています。邪魔をされても作者は逢う段取りを期待しているようです。
3-4-33歌は、心ならずも(一旦)別れることになった際の歌であり、逃がす手伝いを作者はしています。逢引きが中断した際の歌です。
3-4-34歌は、訪問の途絶えている相手を誘うため山吹の花に添えた歌であり、相手に不安を作者は感じているかもしれません。作者にとって逢っていたのは過去のことになってしまいそうです。
このような歌の配列の中にあるこの歌(3-4-32歌)は、相手を信頼して順調に進むかとみえる歌群と相手と順調に逢えないでいる歌群の堺に配列されている、と予想できます。
④ さらに、詞書に注目して前後の歌を確認すると、指摘できることがあります。
3-4-27歌と3-4-28歌の詞書は異なりますが、「ものへゆきけるみち」という共通の語句があり共に動物を詠んでおり、情報入手については視覚と聴覚と異なり、作者の最初の印象を肯定と否定という歌であり、歌のベクトルは異なっている、と言えます。
3-4-29歌と3-4-30歌は、同じ詞書のもとにある歌です。そして改めて相手を信頼すると、ともに詠んでいます。ベクトルは同じと言えます。異なるのは情報入手経路であり聴覚からと視覚からでした。
3-4-31歌と3-4-32歌は、詞書は異なるものの「花(梅またはさくら)のさきたりけるを見て」という共通の語句があります。そして屋敷の景と山寺の景でした。そのほかの対比は後程検討します。
3-4-33歌と3-4-34歌も詞書は異なるものの、ともに「山吹」に詞書で触れています。その山吹を詠み、逢引きを中断せざるを得ない歌と、訪れを求めている歌となり、歌のベクトルが異なっています。
3-4-35歌と3-4-36歌は、詞書は異なるものの、ともにホトトギスに触れている詞書であり、トトギスの気持ちを察せよと詠う歌と、ホトトギスを待つ身の立場を察せよ、と詠う歌に見える一対の歌であって、歌のベクトルが異なります。
翻って、同一の詞書の歌は、3-4-22歌から3-4-26歌の5首でも歌のベクトルは同じ方向でした。同一の詞書のもとの3-4-19歌と3-4-20歌の2首も同様でした。
このように3-4-27歌から3-4-36歌までは、(これから検討する3-4-31歌と3-4-32歌を除き)、詞書が同じ歌は歌のベクトルをそろえており、詞書が異なるものの共通の語句のある詞書の歌同士は、共通の語句に関してベクトルが異なる歌となっています。
⑤ このように、詞書が異なるものの共通の語句がある連続する歌は、その共通の語句に関してベクトルが異なる歌となっている、ということです。3-4-31歌と3-4-32歌は詞書が異なるものの、「花(梅またはさくら)のさきたりけるを見て」という共通の語句がありますので、その点に関して異なる点がある歌のではないか、と予想できます。
⑥ 3-4-31歌の検討に戻りますと、この歌で花によって象徴させている人物(邪魔をする人)を、作者はきらっていましたが、3-4-32歌で同音異義の語句である「はな」によって象徴させてい人物(さくらのさきを蹴る人物)を、作者は後押しをして信頼しています。
登場する人物の評価で、この両歌は対照的です。
そうすると、恋の歌として、3-4-31歌との対比で3-4-32歌は、二人の仲が進捗するよう私が助けてあげるから、と誰かに伝えている歌、と理解できることになります。「さくらのさきを蹴る」ような状態にいる人物は、周りが見えなくなるほど舞い上がっている人物を示唆していることになります。
⑦ このようにみると、3-4-32歌が置かれる歌群は、3-4-31歌とその前の2首と同じように相手を信頼しているのでそれらと同一の歌群がふさわしい、と思います。また、3-4-33歌と3-4-34歌の、信頼が途切れ始めるかのような歌とは別の歌群でよい、と思います。
⑧ このような理解であれば、想定した歌群の視点から生じたこの歌に関する疑問は解消し、乗り越える歌群(3-4-29歌~3-4-32歌)にある「恋」の歌が3-4-32歌ということができます。
⑨ 疑念のあるこのほかの歌の解消策検討は、次回といたします。
「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
(2020/6/1 上村 朋)
付記1. 想定作業の前提である『猿丸集』の理解について
① 『猿丸集』の理解は、「2020/5/11現在の理解、即ち巻頭歌の新訳などを含む現代語訳(試案)」である。
② 具体には、次のブログに当該歌の現代語訳(試案)を記している。
3-4-1歌~3-4-2歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその1 いひたりける」(2020/5/11付け)及びブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。
即ち「巻頭歌詞書の新訳」、「巻頭歌本文の新訳」及び「巻頭第2歌の新訳」という現代語訳(案)。
3-4-3歌~3-4-50歌:2018/2/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第3歌 仮名書きでは同じでも」から、2019/9/30付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第50歌 みぬひとのため」に記す現代語訳(案)。(即ち、3-4-**歌の現代語訳(試案))。
例えば、3-4-27歌の現代語訳(試案)は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第27歌 ともなしにして」(2018/8/27付け)に記載がある。
3-4-51歌~3-4-52歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。
即ち「3-4-51歌の現代語訳(試案)」と「掉尾前51歌の新解釈」及び「3-4-52歌の現代語訳(試案)」と「掉尾52歌の新解釈」という現代語訳(案)。
付記2.「きり」について
① 『例解古語辞典』では、用例として『堤中納言物語(虫めずる姫君)』の「蝶は捕らふれば、手にきり付きて」を引用している。
② 詳説古語辞典』(三省堂)では、『堤中納言物語(虫めずる姫君)』に用例のあることを指摘し、『古語林』(大修館)でも、立項している。
③ 『角川古語大辞典』では、「蝶の羽の鱗粉」とし、用例として『堤中納言物語(虫めずる姫君)』の「蝶は捕らふれば、手にきり付きて」を引用している。
④「きり」は、このほか名詞として「霧」、「桐」、錐及び「切り」の意などもある。
(付記終わり 2020/6/1 上村 朋)