前回(2020/5/18)、 「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」と題して記しました。
今回 「わかたんかこれ 猿丸集の部立てと歌群の推測 その1 最初は3首」と題して記します(上村 朋)。
1.『猿丸集』は歌群設定されているか
① 2回にわたり、『猿丸集』の最初の2首と最後の2首の歌の現代語訳を再確認し比較検討した結果、最初の2首は歌集の序を、最後の2首は後記として編纂者の希望を含意した歌でもある、と推測しました。残りの48首も一定の方針で編纂されている可能性を示唆した4首でした。
② この4首の検討を踏まえて歌集すべての歌52首を対象に、歌群あるいは部立ての想定を、勅撰集と同様に試み、その編纂方針検討に資するものとします。
③ これは、歌集全体の配列から、これまでの『猿丸集』各歌の現代語訳(試案)をチェックしようとする作業でもあります。
2.歌群の想定方法
① 『猿丸集』は、歌群設定がされている、という仮説をたて、歌群を想定します。② 『猿丸集』の理解は、2020/5/11現在の理解、即ち巻頭歌の新訳などを含む現代語訳(試案)とします(付記1.参照)。
③ 『古今和歌集』などで試みてきたように、部立て、詞書、歌意、前後の歌との関係及び作者の立場などより歌群の想定をします。前後の歌との関係は、詞書や歌本文に用いられている語句、景や類推した主題などを参考に確認します。
④ 想定する歌群は1案とします。詞書からの部立て推定作業で、『猿丸集』歌はほぼ恋歌となりましたので、恋歌にある歌群を最初に模索します。その想定にあたり障害となる事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)がある場合は、その指摘にとどめ、それが解消するものとして想定します。その後解消の検討を行うこととします。
⑤ 想定した結果を、13首ずつの表(表1~表4)にして示します。上記の障害となる事柄(疑念)は、「(・・・?)」という表記で表に示します。なお後半の26首の表は次回に記します。
3.歌群の想定
① 想定した歌群(案)は、上記の障害となる事柄(疑念)を残して次のようになりました。
第一 相手を礼讃する歌群:3-4-1歌~3-4-3歌 (3首 詞書2題)
この歌群は歌集の序ともとれる内容の歌群である。
第二 逢わない相手を怨む歌群:3-4-4歌~3-4-9歌 (6首 詞書5題)
第三 訪れを待つ歌群:3-4-10歌~3-4-11歌 (2首 詞書2題)
第四 あうことがかなわぬ歌群:3-4-12歌~3-4-18歌 (7首 詞書4題)
第五 逆境の歌群:3-4-19歌~3-4-26歌 (8首 詞書3題)
第六 逆境深まる歌群:3-4-27歌~3-4-28歌 (2首 詞書2題)
第七 乗り越える歌群:3-4-29歌~3-4-32歌 (4首 詞書3題)
第八 もどかしい進展の歌群:3-4-33歌~3-4-36歌 (4首 詞書4題)
第九 破局覚悟の歌群:3-4-37歌~3-4-41歌 (5首 詞書2題)
第十 再びチャレンジの歌群:3-4-42歌~3-4-46歌 (5首 詞書4題)
第十一 期待をつなぐ歌群:3-4-47歌~3-4-49歌 (3首 詞書2題)
第十二 今後に期待する歌群:3-4-50歌~3-4-52歌 (3首 詞書2題)
この歌群は、歌集編纂者の後記とも思える歌群である。
② 『猿丸集』全52首の歌に「題しらず」の歌がなく、詞書が十分参考とすることでき、想定した歌群(案)は、男である作者が、男と思われる相手におくる歌とみなせる最初の3首を除き、3-4-4歌以下の歌は恋歌の部の恋の進行順にネーミングした歌群の配列となりました。
③ 上記の障害となる事柄(疑念)のある歌は、次のように、『猿丸集』前半26首では6首あります。その解消案を下記に記します。残りの26首に関しては次回に記します。
3-4-3歌 (疑念は)作者の性別
3-4-6歌 (疑念は)歌意など
3-4-7歌 (疑念は)歌意など
3-4-9歌 (疑念は)詞書の意と歌意など
3-4-12歌 (疑念は)歌意など
3-4-18歌 (疑念は)作者の性別、歌意など
3-4-21歌 (疑念は)歌意など
表1 2020/5/11 現在の現代語訳(試案)に対する『猿丸集』各歌の歌群想定(案)(1~13歌)
(2020/5/25 現在)
歌番号等 |
作者と相手の性別と歌区分 |
類似歌の歌番号等 |
『猿丸集』歌の歌意 |
詞書でのポイントの語句 |
歌本文でのポイントの語句 |
想定した歌群(案) |
共通の語句・景 |
3-4-1 |
男→男 返歌 |
2-1-284 |
ふみに記された所説を知らしめる偈の賛歌 |
ものよりきて& ふみ* |
きみこそみえめ |
相手を礼讃する歌&歌集の序を兼ねる歌 |
ふみ* あひしりたりける人 (はぎ)はら |
3-4-2 |
男→男 返歌 |
2-1-572 |
紫草に覆われた野原は関心を呼ぶと詠う賛歌 |
同上 |
むらさきの&しむ |
同上 |
ふみ* あひしりたりける人 (むらさき)の |
3-4-3 |
女(男か?)→男 往歌 |
1-1-711 |
あらためて男に感謝している歌
|
さすがに&うらみて
|
こと(にして)* |
同上 |
あひしりたり(あだなり)ける人 (月くさ)の |
3-4-4 |
女→男 往歌 |
2-1-1471 |
訪れない男への嫌味をいう歌 |
ほととぎす
|
しかなくこゑ |
逢わない相手を怨む |
ほととぎす さと |
3-4-5 |
男→女 往歌 |
2-1-3070の一伝 |
女々しい男の述懐の歌 |
いれたりける |
かねて |
同上
|
くさ (いもが)かど |
3-4-6 |
男→女 往歌 |
2-1-2717の一伝 |
噂のたった女を慰める歌(怒っている歌か?) |
なたちける |
な(のみ)*&こひ(わたる) |
同上
|
しながどり なたつ |
3-4-7 |
男→女 往歌 |
1-3-586& 『神楽歌』41 |
富士山の噴火を例として、女を慰める歌(女に怒っている歌か?) |
同上
|
ゐなのふじはら* &を* |
同上
|
しながどり なたつ |
3-4-8 |
女→男 往歌 |
2-1-293 2-1-1767 |
来訪の途絶えているのを嘆く歌 |
やまがくれ
|
ひとりともしも |
同上 |
月 |
3-4-9 |
男→女 往歌 |
2-1-2878 |
女を詰問する歌(詞書の理解は?) |
いか&有りけむ |
ひとまつを&いふはたがこと |
同上 |
すがのね |
3-4-10 |
女→男 往歌 |
2-1-1538 |
母となった女の来訪を促す歌 |
をみなへし |
(あきはぎ)てをれ |
訪れを待つ
|
をおみなへし
|
3-4-11 |
男→女 往歌 |
2-1-1613 |
慕うのは、親の説教でも変わっていないと詠う歌 |
しか
|
しかも&ぎしのぎ
|
同上
|
しか |
3-4-12 |
男→女 往歌 |
2-1-1967 |
訪問が叶わなかった翌朝女に不満を言った歌(語句の理解?) |
|
いもにもあはで |
あうことかなわず |
たまくしげ |
3-4-13 |
男→女 往歌 |
2-1-2998 |
自分でも驚くほど女に強く懸想したと詠う歌 |
おもひかく
|
より(にけるかも) |
同上 |
あづさゆみ きみ |
注1)『猿丸集』の歌番号等:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」
注2)作者と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。
注3)類似歌の歌番号:類似歌の『新編国歌大観』による歌番号等。
注4)「(・・・?)」:想定した歌群を前提とした場合、当該現代語訳(試案)にある障害となる事柄(疑念)
注5)「*」:語句の注記。以下の通り。
3-4-1歌および3-4-2歌:「ふみ」に、『猿丸集』の暗喩がある
3-4-3歌:二句の「こと」は「事」。 五句の「こと(にして)」は「殊(に)」(別格の意)。
3-4-6歌:「な(のみ)」は儺。儺やらい・追儺(ついな)という邪気払いの儀式において追い払う悪鬼。
3-4-7歌:a富士山の貞観の大噴火(864年~866年。北麓にあった広大な湖の大半を埋没させた。溶岩流の上が後年青木ヶ原樹海となる)は割れ目噴火。
b「を」は男(作者)。
注6)『神楽歌』:『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』。番号は『神楽歌』において『新編日本古典文学大系42』が付した歌番号。
表2 2020/5/11 現在の現代語訳(試案)に対する『猿丸集』各歌の歌群想定(案)(14~26歌)
(2020/5/25 現在)
歌番号等 |
作者と相手の性別と歌区分 |
類似歌の歌番号等 |
丸集』の歌の歌意 |
詞書でのポイントの語句 |
歌本文でのポイントの語句 |
想定した歌群(案) |
共通の語句・景 |
3-4-14 |
男→女 往歌 |
2-1-498 |
強く懸想した男が思いを遂げたいと訴えた歌 |
おもひかく
|
わがままにして |
あうことかなわず |
まま* |
3-4-15 |
男→男 往歌 |
2-1-2642& 2-1-2506 |
ますかがみに立ち現れないと相手が遠ざかったことを嘆く歌 |
かたらひける人
|
こひ(わぶ) |
同上
|
ますかがみ*
|
3-4-16 |
男→男 往歌 |
2-1-1934& 2-1-1283 |
妹の相手の男の約束不履行をやんわりなじっている歌 |
同上 |
(いもにあはぬ)かも |
同上
|
なのりそのはな |
3-4-17 |
男→男 往歌 |
1-1-760 |
「妹」が相手に懇願する歌を代作した歌 |
同上
|
こひ(こそ)&おも(ひそめけん) |
同上 |
みなせがは |
3-4-18 |
男(女?)→男 往歌 |
2-1-786& 2-1-1905 |
今年も除目のなかったことを嘆いている歌(恋の歌?) |
わざとしもなくて |
した(ゆたふ) |
同上 |
はふくず |
3-4-19 |
女→男 往歌
|
2-1-3005 |
賭け事の魔性に惹かれてしまうと詠む歌 |
いみじきを |
たまだ(すき)*&かけ(ねばくるし・たれば) |
逆境の歌 |
たまだすき
|
3-4-20 |
女→男 往歌 |
1-1-490 |
親は無駄な願いをするもの、と詠う歌 |
同上
|
こひ |
同上
|
をかべのまつ
|
3-4-21 |
男→不明(男?) 往歌
|
2-1-3683 (2-1-869歌を知るか?) |
強風の景を天女の動きに例えた歌(逆境を予告か?) |
ある(をみて)
|
(あまをとめごが)も
|
同上
|
(よせくる)なみ
|
3-4-22 |
男→女 往歌
|
2-1-3749& 1-3-872 |
作者のために親どもとのいさかいに苦しむ女を思いやる歌 |
いみじういふ |
ちりひじ |
同上
|
ちりひじ
|
3-4-23 |
男→女 往歌
|
2-1-122 |
今は逢うことがかなわない熱愛の相手を慰めている歌 |
同上
|
いづるみなと |
同上
|
おほぶね |
3-4-24 |
男→女 往歌
|
2-1-439 |
逢えない状況でも愛は変わらないと女に訴えている歌 |
同上
|
ひとごとの
|
同上 |
たま |
3-4-25 |
男→女 往歌
|
2-1-120 |
相手の女が作者を愛しているのを信じている、と訴える歌 |
同上 |
こひてあるずは |
同上 |
あさぎり |
3-4-26 |
男→女 往歌
|
2-1-2354 |
毎晩逢いたいけど周囲の事情から我慢の時だと恋人に訴える歌 |
同上 |
よなよなこひは* |
同上 |
やました風 |
- 表1の注参照。
- 「*」:語句の注記。以下の通り。
3-4-14歌:「まま」は、「儘・随」。「思い通りであること・事実のとおりであること」の意。
3-4-15歌:「ますかがみ」は、霊魂を行き来させるドアだから、作中人物と相手が近くにあってもよい譬え。
3-4-19歌:「たまだ」は、接頭語「玉」+名詞「攤(だ)」(賭け事遊びの一種)。
3-4-26歌:四句「よなよなこひは」は、「夜ごとの私の願いは」。
第三者に起因して逢えない状況が依然として続いていることを示している。
4.想定歌群の検討その1
① 歌群(案)の想定にあたり、障害となる事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)を解明します。次いで、第一と第十二の歌群の特異性の可否、類似歌の影響等を検討します。
② 『猿丸集』の前半部(3-4-1歌~3-4-26歌)にある、歌群想定にあたり障害となった事柄(想定した歌群の視点から生じた当該歌の疑問点)がある歌6首は、以下のように解消の目途がたちました。
③ 3-4-1歌と3-4-2歌は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその1」(2020/5/4付け)及びブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2」(2020/5/11付け)で「ふみ」に関する歌と理解したところですが、次の歌3-4-3歌の配列を検討し、「相手を礼讃する歌群」という名前にしました。
3-4-1歌は、「あひしりたりける人」のもたらした「ふみ」に記された所説を知らしめる偈の賛歌です。それは「あひしりたりける人」を尊敬していることになり、歌では「はぎはら」(「ふみ」を暗示か)を詠っています。次の3-4-2歌は、「巻頭第2歌の新訳」(付記1.参照)で「むらさきの」を詠い、それは「ふみ」を暗示しているかにみえます。この歌も間接的にそれをもたらした人を尊敬していることになります。
④ 3-4-3歌は、前後の歌とともに歌意を再確認した結果、最初の歌群「相手を礼讃する歌群」の3番目の歌とみるのが妥当となりました。
この3-4-3歌は、「あだなりける人」に感謝しています。形容動詞「あだなり」は「こころもとない」意のほかに「粗略である・無益である」の意もありました(ブログ「わかたんかこれ第3歌 仮名書きでは同じでも」(2018/2/19付け)では同音異議の語句としての検討を失念していました)。
そして「人」とは、特定の人物や自明の人物などを直接名指すことを避けている表現であり、恋人に限らず用いられている語句です。そうすると、「あだなりける人」とは、「異体歌の歌であるのに研究対象にしている人、とか粗略な論で歌の解釈をする人」の意ともなり得ます。また、3-4-1歌と3-4-2歌の詞書にある「あひしりたりける人」と同一人物を指すとみることが可能です。
そのため、3-4-3歌の作者は男であり、「ふみ」を「いかがみる」と差し出した人物を評価している歌、となります。現代語訳は細部を見直す必要があるかもしれませんが、歌意は、ほぼ変わらないままで、この「相手を礼讃する歌群」の歌とみなせます。
3-4-4歌からは、恋の歌、それも相手を怨む歌であり、3-4-3歌の感謝の意の歌とは、ベクトルが反対です。このため、3-4-3歌は配列からは3-4-1歌と3-4-2歌と同一の歌群にある歌とみなせます。
⑤ 3-4-6歌は、その詞書の文章は「なたちける女のもとに」だけであり、作者の感情は記されていません。作詠の動機も記されているようにはみえまません。現代語訳(試案)では、慰める歌と理解しましたが、揶揄している歌とも怒っている歌とも理解可能です。そのため、「逢わない相手を怨む歌群」にある歌となり得ることになります。
ただし、同じ詞書のもとにある3-4-7歌と同じベクトルの歌であることが条件です。なお、現代語訳(試案)は、少々訂正をしたほうが良いことになります。
⑥ 3-4-7歌も、詞書は「なたちける女のもとに」だけです。四句の「を」は名詞「男」、五句の「いろ」は「(作者の)態度」と理解し、相手を慰める歌として現代語訳(試案)を得ました。
その現代語訳(試案)で「逢わない相手を怨む歌群」にあることを意識すれば、怒り心頭の歌に変わり得ます。(試案)の細部の訂正はあるものの、3-4-6歌とともに同じベクトルの歌として「逢わない相手を怨む歌群」にある歌となり得ます。
⑦ 3-4-9歌は、その詞書の現代語訳(試案)が「どのような事情のあった時であったか、女のところに(おくった歌)」となりました。しかし、3-4-6歌の詞書や単に「女のもとに」とある3-4-12歌の詞書と比較すると、詞書にある「いかなりけるをりにか」と言う語句の理解に物足りない点があります。同音異義の「いか」と言う語句の確認を怠っていました。
「いか」は、「五十日(いか)の祝い」の略称でもあります。詞書「いかなるをりにか有りけむ、女のもとに」とは、「五十日の祝いをした折にであったか、女のもとに(おくった歌)」、とも理解可能です。「五十日の祝い」とは、子供が生まれて50日目に行う祝いであり、父または外祖父などが箸で餅を赤子の口へ含ませる儀式です。
そうすると、歌の初句にある「人(まつ)」とは自明の人物を直接名指ししない言い方であり、その祝いの儀式の主人公である赤子を指すか、その場で名指しされた人物を指しているのではないか、と想像できます。三句「すがのね」が「乱る」にかかる枕詞でもあるので、作者は祖父とすると、例えば、
「(この子はもう)人を待つ、と言われるのは誰のお言葉ですか、すがのねのように赤子の紐がほどけてきた(などと、)と言うのは、誰のお言葉ですか。(私は長く待てないのに。)」
と理解すると、睦言の歌ではなく、きつい詰問調でもありませんが、「逢わない相手を怨む歌群」(3-4-4歌~3-4-9歌)の最後に配列されている違和感はだいぶ薄まります。
この歌の前に配列してある3-4-8歌は、待ち人来たらずで女性が一人で一晩過ごすのを嘆いている歌であり、この歌は、会話をするまで待つとしても何年か先という長期間は、寂しいですよ、となります。3-4-10歌は、女が男に訪れを促している歌であり、3-4-9歌と歌群は別になってよい、と思います。
⑧ 3-4-12歌の詞書は、歌をおくった人の性別が分るだけですが、作者が男であることも容易に推測できる文章です。現代語訳(試案)の検討時、二句にある「あけまくをしき」の「あく」の理解が不十分でした。初句「あけまくをしき」は「開く」や「明く」の枕詞ですが「飽く」の枕詞ではありませんので、上句は、「関係改善ができる機会となるはずの夜」という意に修正をしたいと思います。その意でも、「あうことかなわずの歌群」の歌になり得ます。
⑨ 3-4-18歌は、詞書にある「あひしれりける人」を現代語訳(試案)では男と思い込んでいるのですが、詞書の文章は、女が作者であることを否定しているものではありません。この詞書と一つ前の詞書とが時系列の順に編纂者がならべたのであるならば、歌の「をととしも・・・」は、一つ前の詞書の返歌がない期間を(大袈裟ですが)示していることになります。それならば、この歌は恋の歌となり得ます。ただし現代語訳は細部が変わるところがあるかもしれません。
3-4-19歌の詞書は女を「おやどもがせいす」としており、女の置かれている立場がこの歌と異なりますので、3-4-18歌と3-4-19歌は別の歌群に属する、と思えます。
⑩ 3-4-21歌は、「強風の景を天女の動きに例えた歌」です。この歌の前後の歌をみると、3-4-19歌は「賭け事の魔性に惹かれてしまうと詠む歌」であり、大人なのに自制できないでいるという(少なくとも)順調な環境における歌ではありません。3-4-20歌は、「親は無駄な願いをするもの、と詠う歌」、3-4-22歌は、「作者のために親どもとのいさかいに苦しむ女を思いやる歌」であり、作者は順調な環境になく、3-4-23歌も女を慰めるしかない、という状況での歌です。
このように、前後の歌は、順調な環境ではなく逆境にある作者の歌であり、その間に配列されている3-4-21歌も、現代語訳(試案)は、強い風で「あまをとめご」が苦労していると作者が詠んでおり、逆境に「あまをとめご」がいるのを詠んでいるとも理解できます。現代語訳(試案)はこのままでも、「逆境の歌群」の歌となります。
⑪ このように、『猿丸集』の前半26首における、障害となる事柄(疑念)のある歌は、想定した歌群を否定しないでその疑念の解消が可能となりました。
想定した歌群は、前半26首においては、矛盾の少ない歌群の連続である、と思います。
⑫ また、連続する歌で共通の語句・景の有無をみてみました(表の「共通の語句・景」欄)が、『猿丸集』の前半26首では3首連続している語句はなく、語句のつながりも不明でした。
⑬ 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。次回は、後半の26首の歌群を検討します。
(2020/5/25 上村 朋)
付記1.想定作業の前提である『猿丸集』の理解について
① 『猿丸集』の理解は、「2020/5/11現在の理解、即ち巻頭歌の新訳などを含む現代語訳(試案)」とします。
② 具体には、次のブログに当該歌の現代語訳(試案)を記しています。
3-4-1歌~3-4-2歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその1 いひたりける」(2020/5/11付け)及びブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。即ち「巻頭歌詞書の新訳」、「巻頭歌本文の新訳」及び「巻頭第2歌の新訳」という現代語訳(案)。
3-4-3歌~3-4-50歌:2018/2/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第3歌 仮名書きでは同じでも」から、2019/9/30付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第50歌 みぬひとのため」に記す現代語訳(案)。(3-4-**歌の現代語訳(試案))。例えば、3-4-9歌の現代語訳(試案)はブログ「わかたんかこれ 猿丸集第9歌 たがこと」(2018/4/2付け)に記載があります。
3-4-51歌~3-4-52歌:最終的に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集の巻頭歌などその2 むかしと思はむ」(2020/5/18付け)に記す現代語訳(案)。即ち「3-4-51歌の現代語訳(試案)」と「掉尾前51歌の新解釈」及び「3-4-52歌の現代語訳(試案)」と「掉尾52歌の新解釈」という現代語訳(案)。
(付記終わり 2020/5/25 上村 朋)