わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たすきがけ

 前回(2021/4/12)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たすきがけ」と題して記します。(上村 朋)

1.~29.経緯

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。現在3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、三代集の唯一の用例1-1-1037歌を検討している。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性がある。同時代の「たまだすき」の用例は大変少なかった。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

      ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

30.三代集成立ころのたすきの用例

① 「たま」が美称であるならば、「たすき」の用例は「たまだすき」の理解に資することになります。

 三代集成立ころの物語などにおける地の文に、「たすき」の用例がいくつかありました。

  竹岡氏の指摘する「資材帳」での例

  『宇津保物語』「蔵開上」及び「国譲下」での例

  『源氏物語』「薄雲」での例

  『枕草子』151段での例

 ちょっと後代になりますが、『十訓抄』「第六」と『徒然草』208段にもあります。

ただ、『宇津保物語』と『源氏物語』は通読していません。『竹取物語』、『伊勢物語』にはありませんでした。

② 順に検討します。竹岡氏が指摘しているのは、延喜五年(905)十月の「筑前国観世音寺資材帳」(『平安遺文 古文書編 第一巻』(竹内理三)所収の資料番号No194)での用例です。(付記1.参照)

  本文を引用します。

「緋地雲形与師子形相交錦絁壱領 (割注し、「襟多須岐形夾續纈隔布裏帛」)」

 これは、伎楽の迦楼羅(かるら)の面に関する書き出しの一つであり、衣装が壱領(一着)あることと、その素材や色や模様などを記しています。

 氏は、割注にある「多須岐形」とは、『徒然草』208段(後述)の「たすきにちがへて」というような形を言うものと判断される」、としています。当時すでに、神事に用いる「たすき」の意を離れた俗語の「たすき」という概念があり、たすきを使用すると「はすかいに重ねる」だけの形になり、もともと「結ぶ必要のない」ものを示唆するものが「たすき」であった、という指摘です。

 だから、1-1-1037歌での「たまだすき」は「自分の思うことと相手がそれに応じてくれる態度とが、たすき形に行きちがっているのを言っているのである」、と解釈しています。

 そして、『源氏物語』の「末摘花」での地の文にある「玉だすき苦し」は、この歌をふまえて、同じ意味で用いられている、とも指摘しています。 

 『源氏物語』での地の文は、前回ブログ(2021/4/12付け)で検討し、1-1-1037歌の作中人物と源氏の立場に共通している点があることを確認しました。しかし「たまだすき」が何を意味するかは不明でした(付記2.参照)。

③ この例での「たすき形」とは、竹岡氏の指摘するように「紐状のものを用いた場合にできる形で、斜め十字のもの」を言い、模様としての形を指していると思います。

 形の名前あるいは模様の名前になっているとしたら、「たすき」という語句は、当時の日常的な用語のひとつになっていたといえます。竹岡氏のいう「俗語」です。

④ 神事の際「たすき」を用いる作法が、十字の形を必ず作るものとは考えられませんので、俗語の「たすき」と神事のそれとの共通点は、「衣服に用いる肩にかける補助具」というところでしょうか。俗語の「たすき」は十字の形を成して用いるのが特徴であったのでしょう。その形を成すのに紐(状のもの)が結ばれているか、「単に十字に交差して(かけちがって)いる」かは不問のようです。

 なぜ紐状のものを「たすき」形にしているかというと、紐状のものをかける対象物の動きを押さえるとか制御しやすくするとかのためであろう、と思います。形の美しさが目的の場合もあるでしょう。

 従って、「たすき」からイメージするのは、紐状のものがつくる形に注目する場合と、作用が及ぶ対象物にも注目する場合とがあるのではないか。

 つまり、

 (紐状のものの形自体に注目して)並行ではなく交差している状況、

 (対象物と紐との関係に注目して)動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況、

からのイメージに大別できます。後者は、現代語の「襷掛け」という語句の、「襷を掛けることでかいがいしく働く姿」の意につながります。

 この用例では、衣服の模様を「たすき」と表現し、前者に該当しています。模様の説明に終わっており、「行きちがっている」というイメージを惹起させようとしていません。

 1-1-1037歌では、「交差して十字になっている形」に何かのイメージが必要です。しかし、上記のように、対象物との関係に注目してもイメージが沸くところです。1-1-1037歌の場合だけ紐の作る形に注目したイメージだと即断するのは誤りです。

⑤ 次に、10世紀後半成立(980~999頃)の『宇津保物語』に、「たすき」の用例が3例ありました(付記3.参照)。『新編日本古典文学全集』(小学館 )より、本文を引用します。(「蔵開上」は同15巻、「国譲下」は同16巻)

 「蔵開上」に1例あります。四歳の子が、祝宴の席に、

「御衣(ぞ)は濃き綾の袿(うちき)、袷の袴たすきがけにて、えび染めのきの直衣(なほし)着てかはらけ取りて出で給ふ。」

とあります。

 この文は、御衣について「袿(うちき)」と「袴」と「直衣(なほし)」の三点を説明しています。

 「国譲下」には、続く文中に2例あります。幼い二の宮の描写に、

 「たすきかけの御袴」

 次に、這い這いする今宮の描写に、

「(小紋の白き綾の)御衣たすきかけていとをかしく肥えて這ひありき給ふ」

とあります。今宮が着用している「御衣」は、多分、上下にも分かれていない服でしょう。

⑥ 具体に検討します。

 「蔵開上」で、御衣として説明している三点は、次のようなものです。

 「袿」とは、「内着」の意で、女ならば、日常用の上着、男ならば装束(さうぞく。正装)の下に着る衣服をいいます。

 「袴」とは、下半身を覆う穿物(はきもの)の総称。腰から下を巻きつけるままの裳(も)とちがい、両足をそれぞれ包んで上部を連絡し、紐で腰に結ぶ様式のものです(『國史大辭典』)。直衣との関係でここでは指貫(さしぬき)を意味します。指貫とは、「袴の一種。裾のまわりに紐をさし通し、はいてから、くるぶしの上でくくる。もと狩猟用であったが平安時代には平常服となる。衣冠・直衣・狩衣などを着るときに穿く。」(『例解古語辞典』)ものです。そして、袴は男女とも当時数えで三歳に袴着という儀礼をして着用を始めています。

 「直衣」とは、「直(ただ)の衣」の意で日常用の表着をいいます。「「袍」に似て、やや短い上着。好みの色を用いる。烏帽子または冠をつけ、指貫の袴を着用」(『例解古語辞典』)するものです。

⑦ 「蔵開上」の用例の「たすきがけにて」とは、(数えで)4歳の皇子ですので、袴はもう一日中穿いているものの肩から吊るす補助具で着用させているのではないでしょうか。袴に付いている(長めの)紐を肩に回しているのかもしれませんが、この文章にはその説明がありません。当時の常識的な袴の穿き方だったのでしょう。その補助具も事前に袴に取り付けておくことは可能です。

⑧ 「国譲下」の最初の用例は、上記「蔵開上」の用例と同じであり、「袴を(腰紐だけでなく)襷がけして着用している」描写であり、上記⑦の理解が妥当です。

 「国譲下」の次の用例は、這い這いする児に「たすき」をかけています。児の這い這いは、手脚を床に着け前後に動かすのですから、第一に衣類が手脚に絡まないように「たすき」を使ったのではないでしょうか。這い這いする児には「たすき」を日常的に使わざるを得ませんから、当時でも、それ相応の配慮をした紐状のものが「たすき」の要件となっていた、と思います。

⑨ この3例が一つのものを「たすき」と認識しているとすれば、幼い児が幼児用である衣服を着たときに、活動やしやすいように衣服をくくったり固定したりするため、衣服には本来付随していない補助用の紐状・帯状のものが「たすき」であった、と言えそうです。紐を肩にまわすことは要件といえるかどうかは不明です。

 大人の場合における神事で用いる「ゆふだすき」は、袖の動きを押さえ、神事を行う者の注意が一点に集中するようにというものでした。神事の際の服装からいえば、本来付随していない補助用の紐状か帯状のもので服装の動きを抑えるものでした。「俗語」の「たすき」との共通点の一つと言えます。

 前二つの用例は、上記に定義した「たすき」自身を用いていると断言できる例ではなく、「たすきがけ」となった形を指しているだけです。先の「資材帳」の例と同じです。最後の用例は、紐かなにかを用いて「たすきをかけたような状態になって」という意であり、やはり「形」に関する表現です。

 このように、「たすき」そのものの説明は、ありません。

⑩ 次に、11世紀初頭から10年前後をかけて成立した『源氏物語』の「薄雲」に、「たすき」の用例があります。本文はつぎのとおり。

 「御袴着は、・・・御しつらひ、雛遊びの心地してをかしう見ゆ。・・・ただ、ひめ君のたすきひきゆひ給へるむねつきぞ うつくしげさそひてみえ給ひつる。」

 「袴着」とは、男女の数え三歳から七歳までの間に、児の成長を祝って、初めて袴を着つけてやる儀式です。古くは三歳に行っています(『國史大辭典』)。この時、袴の腰の紐を結ぶ役は、着袴親といって重んじられ、親族中の尊長者が選ばれてつとめたそうで、源氏は、文中の「ひめ君」のため紫の上に着袴親をお願いしています。

 「ひめ君」とは、袴着の当事者となる数え三歳の女の児です。

 「ひきゆふ」とは、意味・語勢を強める接頭語「ひき」+動詞「結ふ」です。

 「たすきひきゆふ」とは、初めて袴を穿いたことを、肩に回した紐で象徴させた表現です。

⑪ 「たすきひきゆふ」をここでは単に「袴を(はじめて)着用する」と理解して、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「御袴着の儀式は、・・・(儀式を行う)場所の飾りつけなども雛遊びの道具建てのような感じで面白くみえます。・・・ただ、姫君が初めて御袴を身に着けられ、(今までと違った)胸のあたりの納まりは、愛らしさをさらに増して見えましたのです。」

⑫ 「薄雲」の本文における「たすきひきゆひ給へる」の「たすき」には、古来諸説があるそうです。

 私は、直接には袴着用の補助具が第一候補であり、ここでは「袴を着用した姿」を、象徴した表現だと思います。

 袴を固定するのに、袴についている腰紐を用いる建前は、児でも同じなので、その腰紐を指して「たすき」という必要はありません。そうすると、袴着の儀式の場を、雛遊びの場と形容しているので、紐を始めて結ぶ(腰にまわす)のは幼児なので形式的にして、袴を実質支える工夫として肩を用いたと思います。腰紐をそのまま使い肩へ回して背中で十字にしたか、袴を支えるために今日のズボン吊り(サスペンダー)のような肩から袴(あるいは袴の紐)を支える形の補助具(紐)を事前に袴に取り付けたかのどちらかです。

 数え三歳の児は、達者に歩いたり駆けだしたりして遊ぶ頃です。袴とそれと一体になっているかのような「たすき」と称するものをさらに身に着けたため、新たに胸のあたりにアクセントのある装いになったことを、「むねつきぞ うつくしげ さそひて」と描写したのではないか。

 あるいは、袴を穿くのだから直衣も着用しており、その袖を児が動きやすいように後ろにくくっていることも考えられます。当時の貴族の美意識を想像すると、それは「むねつきぞ うつくしげ さそひて」に反すると思います(食事時、書道の練習やボール遊びの時などにはそうしたかもしれませんが)。

 いづれにしても、衣服に「たすき」を用いることによって児の動きは障害が少なくなります。

⑬ 次に、11世紀初めの成立である『枕草子』の151段「うつくしきもの」に、「たすき」の用例があります(付記4.参照)。その部分を『日本古典文学大系』より引用すると、

 「いみじうしろく肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど衣ながにてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、みじかきが袖がちなる着てありくもみなうつくし、」

 『同大系』では、「たすき結ひたるが」について、「着物の丈が長く、袖が紐でくくりあげたの(児)が(這い出た)」の意としています。

 本文は、「また」の前後で衣の長さを対比した文章であり、前半は児の身長に比べて長すぎる着物全体を何かで措置して、児が這い這いしやすくしているのでしょう。その措置に用いた紐状のものを「たすき」と言うのではないか。

 この例から私は、「たすき」は、服のデザインの工夫ではなく、着こなしの工夫の一つではないか、と思います。児は、たすきによって衣服をさばきやすくなります。

⑭ 次に、時代が下がりますが、建長4年(1252)成立の『十訓抄』「第六可存忠信直旨事」での用例を検討します。

 本文は次のとおり。

 「・・・みづから桂川のわたりに臨みて、衣に玉襷して魚をうかがひて、小さき鱗(いろくず)を一つ二つ取りて侍りたりけり。禁制の重きころなれば・・・」 

 「玉襷す」とは、紐を用いて両袖などをたくしあげることをいっている、と理解できます。足元は袴を穿いていますから袴に元々ついている紐でくくりあげることができます。

 この例は、衣服の動きを臨時に制約させるため補助具として紐状の「たすき」を用いている例、と言えます。

⑮ 次に、さらに時代が下がりますが、14世紀前半成立の『徒然草』第208段の用例を検討します。

 『新編日本古典文学全集44 方丈記 徒然草 正法随聞記 歎異抄』(校注・訳:神田秀夫永積安明安良岡康作 小学館 1995)より本文を引用します。

 「経文などの紐を結ふに、上下(かみしも)よりたすきにちがへて、二筋の中より、わなの頭を横さまに引き出(いだ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧正、解きてなほさせけり。「これは、この比(ごろ)やうの事なり。いとにくし。うるはしくは、ただくるくると巻きて、上(かみ)より下(しも)へ、わなの先を挟むべし」と申されけり。古きひとにて、かやうな事知れる人になん侍りける。」

⑯ 「経文」で、「紐を結ふ」とは、巻物形式で記された仏教の経典を、「使い終わったので仕舞う」ということです。

 動詞「ちがふ」とは、四段活用の場合、「交差する」意があります(『例解古語辞典』)。「たすきにちがへて」とは、「たすきの形をつくって」の意であり、「たすき」は形の形容です。

 「上下(かみしも)よりたすきにちがへて」とは、紐の中央付近が表紙に取り付けられている紐を左右から巻物に巻いてゆき、その最後に左右の紐をねじってか結んでかして巻物の天と地の方向に向ける(巻いている紐部分が左右に伸び紐の端が天地方向を指す)、ということです。紐に注目すれば、十字の形に(一旦)する、という意です。

 「二筋の中云々」とは、結わえる(蝶々結びか)、ということのようです。

 この段は、巻物をしまうとき、巻物の表紙に付随している紐の先端部分をどう始末するかを比較しています。

 巻物自体に巻いてきて最後に紐の左巻きの先端と右巻きの先端を結ぶ(縛る)という方法と、巻物を巻いてきた紐に左右の先端をそれぞれ別々に挟みこむ方法とを比べ、後者が良い、と述べています。

「たすき」とは「たすき形」、という意であり、形の名詞となっており、経文に付いている紐は、「たすき」と呼ばれていません。

⑰ 以上、2回にわたり検討してきたことを整理すると、次の表が得られます。

検討した「たすき」の用例は、三代集とその前後の時代に成立した物語など悉皆調査の結果ではありません。

 用語の意味には時代を越えて連続性がありますので、これらは、『古今和歌集』の「玉だすき」の用例の参考になると思います。

 

表 三代集時代の書物の地の文における「たまたすき」、「たまだすき」、「たすき」の用例

書物成立時期

書物名

用例

わかったこと

備考

延喜五年(905)十月

筑前国観世音寺資材帳

たすき形

紐状のものを用いた場合にできる形の名称で斜め十字

上記「30.③」

A

10世紀初め

古今和歌集

1-1-1037歌

玉だすき

前進を拒まれ待ちの姿勢でいる苦しさの比喩

前回ブログの「29.⑪」

10世紀後半

宇津保物語

「蔵開上」

袴たすきがけにて

紐状の補助具を使用した袴着用の容姿あるいは腰紐を肩にまわした容姿

「たすき」とは、補助具又は腰紐がつくる形をいう

上記「30.⑦」

A & B

10世紀後半

宇津保物語

「国譲下」①

たすきかけ(の御袴)

同上

上記「30.⑧」

A & B

10世紀後半

宇津保物語

「国譲下」②

(御衣)たすきかけて

上下に別れていない衣服を動きやすく制御する紐状の補助具使用時の容姿

「たすき」とはその補助具

上記「30.⑧」

A & B

11世紀初頭~

源氏物語

「薄雲」

たすき(ひきゆふ)

初めての袴着用時の容姿

「たすき」とは、袴着での袴着用時の紐状の補助具又は腰紐の肩にまわした部分

上記「30.⑫」

A & B

11世紀初頭~

源氏物語

「末摘花」 

玉だすき

前進を拒まれ待ちの姿勢でいる苦しさの比喩

1-1-1037歌の作者の心境

前回ブログの「29.⑧~⑬」

11世紀初め

枕草151段

 

たすき(ゆひたるが)

這い這いの児が衣服着用時の紐状の補助具

 

上記「30.⑬」

A

13世紀半ば

十訓抄 

玉襷(し)

大人に用いた袖をたくしあげるための紐状の補助具をつけた姿

上記「30.⑭」

B

14世紀前半

徒然草 

たすき

紐状のものを用いた場合にできる形の一つで十字

上記「30.⑯」

A

注)備考欄の「A」と「Bは、「たすき」の分類。本文⑱参照

 

⑱ このように、三代集の時代、和歌や物語などに、「たまたすき」は用いられておらず、「たまだすき」という語句もほとんど用いられていません。官庁の報告文では「たすき」が形の名称で用いられていました。

 枕詞として「かく」に掛かるのは『萬葉集』では「たまたすき」でしたが、三代集の時代は「ゆふだすき」に替わっています。

 「たすき」の用例に限ると、10世紀初め~11世紀初め頃は、「たすき」は歌語ではなく、日常的に用いる衣服着用の際の紐状の補助具(あるいはその補助具の役割をも担った使い方をしている衣服の一部)を指す用語であり、またそれを使用した際に紐がつくる十字の形の意の名詞でもあったといえます。

 そして「たすき懸け」という表現になると、「たすき」をかけた姿をも指して用いられていた、といえます。

 それは、「たすき」自体のほか、「たすき」とその対象物を一体としてとらえた理解が既に生じていた、と言えます。前者をA、後者をBとして 用例に適用すると、表の備考欄のようになります。それは次のように整理できます。

 第一 「たすき」と称する紐自体、あるいは紐が並行ではなく交差しているという形に注目した表現

 第二 「たすき」と称する紐の機能から、紐とそれを使う対象物との関係を重視し、動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況に注目した表現

 そして、第一からは、

 紐自体には特別なイメージとの結び付きはなく

 紐が十字の形に結ばれていれば、一体感のイメージに、

 そうでなければ、感情の行き違いなどのイメージ

につながります。 

 第二からは、

 対象物の動きを押えているのですから、「たすき」が強制しているイメージが、

 また、対象物からは、自由が制限されているイメージ

につながります。 

 「たすき」は日常語であるので、美称の「たま」をつけ、「たすき」の「た」が濁音となった「たまだすき」には、歌語の「たまたすき」とは違い、上記の第一あるいは第二からのイメージが、当時の官人にあった、と推測できます。

 各歌において、「たまだすき」は、第一と第二の検討を要することになります。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただきありがとうございます。

次回は、念のため絵巻物での「たすき」など確認します。

(2021/4/19    上村 朋)

付記1.延喜五年(905)十月の「筑前国観世音寺資材帳」にある「たすき」

① この「資材帳」は延喜五年十月時点の在庫一覧であり、傷み具合も注記している。② 伎楽に関する資材はまず仮面単位に分類しており、迦楼羅(かるら)の仮面を使う際の衣装の書き出しが、この用例である。

③現代語訳を試みるが、仮訳である。「緋地雲形与師子形相交錦絁壱領」を本文と称し、「襟多須岐形続夾纈隔布裏帛」を割注文と称する。   

本文:「緋(ひ)色の地に、雲形と師子形が相交わる錦(厚手の絹織物)・絁(あしぎぬ)による衣装一組」

割注:「襟は多須岐形の模様に埋まる。纈(ゆはた:くくり染め・絞り染めにした布)を挟み布(絹に対して、麻・葛(くず)などの植物繊維で織ったもの)を用い、裏地は絹。」

④ 「錦絁」とは錦絁の2種類の生地からなる趣旨か。『令義解』においては、「(糸の)細きを絹と為し、麁きを絁と為す」という一文がある。ただし律令法において最も上質とされている絹織物は、美濃国で作られた美濃絁(みののあしぎぬ)とされていること、現在正倉院宝物として残されている絹と絁を比較すると、大きな品質の違いが認められない、そうである。

 

付記2.『源氏物語』「末摘花」での用例

 本文:(5-421-72歌に続き)のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。

 

付記3.『宇津保物語』での「たすき」の用例

① 本文は『新編日本古典文学全集 うつほ物語』(小学館 )による。(「蔵開上」は同15巻、「国譲下」は同16巻)

 「蔵開上」での場面は、女一の宮に姫君が誕生し、七日の産養(うぶやしない)の祝宴が行われているところである。

 本文:「・・・ おとどその舞をし出でたまふほどに、女御の君の後に生れたまひし十の皇子(みこ)四つばかりにて、御髪(ぐし)振り分けにて、白くうつくしげに肥えて、御衣(ぞ)は濃き綾の袿、袷の袴たすきがけにて、えび染めの綺の直衣着て、かはらけ取りて出でたまふ。祖父(おほぢ)おとど、兄宮たち、「誰にぞ、誰にぞ」と問ひたまふに、「あらず」とて、右大将の御坐(ざ)におはして奉りたまへば・・・」

② 「十の皇子四つ」とは十宮(十番目)で数え四歳の児。

 「右大将」とは、藤原兼雅。このとき舞を舞っていた。

 『新編日本古典文学全集』では、用例「袷の袴たすきがけにて」を、「袷の袴の腰をたすき掛けにして、」と訳し、頭注で「袴が長いため、腰の紐を肩の所で十文字に掛けて結んだことをいう。」(同365p)とある。

 「たすきがけにて」が直衣を修飾するとみて、「直衣の広袖を背の方に束ねたこと」という理解の人もおられる。

③ 『新編日本古典文学全集』の頭注のイメージは、袴そのものがある年月使うものとして仕立ててあるので、数え4歳に子には大きすぎ、引きずらないように着つけなければならない。そのため、袴の腰の紐は肩をまわして結ばなければならいのが常であるという理解になる。

 現代の幼児のズボンには、初めからサスペンダーでズボン本体を吊るし、腰のバンドは形ばかり締めるというものがある。それを着用した姿も可愛い。

 皇子がお祝いの席にでてくる場面であるので、その席の皆様への披露にもなるので着用する衣装も配慮しているはずである。

④ ここでは、「たすき」がどういうものかの直接の説明は無く、「たすきがけ」という見た目の形の表現になっている。しかし、腰の紐かサスペンダーならば、紐状と称してよく、「たすき掛け」の形にしているものは紐状のものである、ということができる。

⑤ 「国譲下」での用例の場面は、藤壺の生んだ東宮が参内なさる日、藤壺も参内なされ、幼い二の宮と今宮(四の宮)も一緒であって、この二方を座らせ父である今上天皇のお出でを待っているところである。

 本文:「二の宮、あからなる綾掻練の一重襲(ひとへがさね)、織物の直衣、襷懸(たすきがけ)けの御袴、今宮、小紋の白き綾の御衣(おんぞ)一襲奉りて、襷懸けて、いとをかしく肥えて、這ひ歩(あり)き給ふを、上(うへ)渡らせたまへば、みない出し据ゑたてまつりて、・・・」

⑥ 最初の用例は、二の宮の衣装の描写にある「襷懸けの御袴」とある「たすき」である。そして、衣装の説明が、「a一重襲(ひとへがさね)、b織物の直衣、c襷懸(たすきがけ)けの御袴」とある。

 『新編日本古典文学全集』では、「襷懸けの御袴」と訳し、頭注で「幼児の袴がずり落ちないように、袴の紐を肩にかけて結んださま」としている。

⑦ 次の用例は、今宮の衣装と行動の描写にある。衣装の説明は、「御衣(おんぞ)一襲」とある。幼児用の、衣服の上着と下着が一続きのもの、の意であろう。脚までも覆うことができるものである。

⑧ 『新編日本古典文学全集』では、「(綾の)袿一襲をお召しになって、襷掛けをして」と訳し、注はない。 

 なお、『日本古典文学大系』では、注に、(二の宮の召している)「直衣には指貫を穿くが、童であるから袴だけにし、それも大人と違って、紐は肩にたすきのように結んだのであろうか。今宮は当歳の児なので御衣は簡単である。」、とある。

⑨ 「国譲下」での今宮の描写を、『日本国語大辞典』(第二版 小学館 2001)は、「たすき」の語釈で「幼児の着物の袖を背にかけて結びあげる紐」の例にあげる。

 

付記4.『枕草子』 151段うつくしきものでの「たすき」の用例

① 『日本古典文学大系』より本文を引用する。

 「いみじうしろく肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど衣ながにてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、みじかきが袖がちなる着てありくもみなうつくし、」

② 色白で太った児の「ふたつばかり」の頃の行動に関して、「うつくしきもの」を作者は二つあげている。数えで「ふたつばかり」とは、満年齢では、生まれ月により生後2か月から23か月の児をいう。

 最初の例では、その太った児は、「長い衣(上衣)を着用しておりかつ「たすき」を結び、その姿で自由に這い這いしている場面である。

 二つ目の例では、その太った児は、短い衣のため、袖から腕があらわになって(肌をさらして)よちよち歩きしている場面である。数え三歳未満なので、袴着の儀礼はこれからである。

③ 「たすき」は最初の例、すなわち這い這いする児に使用している。「たすき」と呼ばれる「紐」は、着ている「衣なが」のものに対して用いられ、児が這い這いしやすいようにしているもののようである。

 長い衣が這い這いの邪魔であるなら、通常、衣自体を背の上までたくし上げてやるのではないか。だから「たすき」は、衣の裾を背中側で首か肩を使って固定させるための紐と推測できる。

④ 二つ目の例では、デザインを工夫して短くしている衣なので、着用に当たって補助具は用いていないとみえる。

(付記終わり  2021/4/19   上村 朋)

 

 


 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき

 前回(2021/4/5)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~28.経緯

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認し、3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例に続き、三代集の唯一の用例1-1-1037歌を検討中である。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性があり、「たまだすき」ほか同音意義の語句を要する。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

        ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

29.三代集成立ころのたまだすきの用例その2

① 前回、三代集成立ころの「たまだすき」と「たすき」の、歌における用例を、『新編国歌大観』において探しました。結局、句頭にある例は「ゆふだすき」だけでした。

  次いで、三代集成立ころの物語などにおける地の文にある「たまだすき」の用例を検討します。いくつかの物語などをみましたが、「たまだすき」の用例は『源氏物語』の1例だけであり、「たすき」の用例は、『枕草子』などいくつか有りました。

② 諸氏は、その『源氏物語』の「末摘花」にある「たまだすき」の用例を、1-1-1037歌における「たまだすき」の意と同じ、と注釈しています(付記1.参照)。

源氏物語』は、10世紀後半~11世紀初頭の成立です。文献上の初出(『紫式部日記』)以前とみれば、寛弘5年(1008)までに成立したと推測できます。

古今和歌集』の編纂終焉を914年としても約90年後の作品が『源氏物語』であり、世間での「たすき」の利用形態は変わったり追加されたりされ得る時間の長さですので、その点を考慮しなければなりません。

 一方、これだけの時を経て、『古今和歌集』(特にその短歌)は、官人やその家族にとり古典となり、暗唱するほど必須の教養となっていたでしょう。

③ 「末摘花」の当該部分を、『新編日本古典文学全集20』より引用します。「末摘花」にある5-421-72歌に続く文にあります。

「・・・ゐざり寄りたまへるけはひしのびやかに、えひの香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、さればよと思す。年ごろ思ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして近い御答(いら)へは絶えてなし。わりなのわざやとうち嘆きたまふ。

「いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。」とのたまふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、いと心もとなうかたはらいたしと思ひて、・・・」

 

「いくそたび・・・」の歌は、『新編国歌大観』での表記は次のとおり。

 5-421-72歌                   君(光源氏

いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

④ 瀬戸内寂聴氏訳『源氏物語』の「年ごろ・・・」以下は、つぎのとおり。

 「長年、恋い慕ってきた胸の思いなどを、・・・ 源氏の君は、

  「それにしても、こうまで黙っていらっしゃるのは何ということでしょう」

とお嘆きになります。

(歌割愛)

 「いっそ思いきれとはっきりおっしゃってください。玉だすきのようなどっちつかずのこんな状態は苦しくてなりません」

とおっしゃいます。・・・」

 瀬戸内氏は、「玉だすきなる」を、「玉だすきのようなどっちつかずのこんな状態」と訳しています。「たまだすき」の「たま」は美称であり「たすき」は「両肩のどちらにもかけることから、どっちつかずの状態」を指す語句という理解のようです。

⑤ 私は、当時の一般的な恋愛作法を前提に源氏の心の動きを確認して、現代語訳を試みたい、と思います。

 この場面は、ある姫君の情報を得た源氏が、手引きを強要し、文の返事もない段階で琴を弾くのを盗み聞きした後、手引きをまた強要し、その姫君から室内の障子(移動可能な建具)で(物理的に)しっかり隔てられたところに用意された席に着いたところです。その席は、その姫君の「返事をしないで格子の外の人物の話をきくだけならば」と言う条件に、手引きのものがそれでは失礼だといって用意した席であり、源氏は姫君のその条件を知らされていません。

 源氏は、聞くだけの姫君に「わりなのわざや」と思い、次に歌を詠い聞かせています。

 その「わりな」とは「わりなし」の略です。「わり」とは「断わり(理)」の「わり」と言われており、「わりなし」とはつぎのような意です(『明解古語辞典』より)。

 Aむちゃくちゃだ・無理だ・道理に合わない。(例文は『枕草子』ほかから)

 B(寒さ恐ろしさ苦しさなどを感じるのが)ひととおりでない。(例文は『枕草子』・『源氏物語』夕顔から)

 Cすぐれている。(例文は『平家物語』から)

 Dなんともしかたがない。やむをえない。(例文は『奥の細道草加から)

 引用の例文の時代と、男女の仲の間柄として室内に招じ入れられた者からすれば、この場面の「わりな」とはAが最有力で、もっともな反応です。また、Dの例文は江戸時代の作品です。

 「わざ(業)」とは、A行い・行動 B仕事 Cありさま D技術・技能などの意であり、A~Cの例文は、それぞれ『源氏物語』若紫、『伊勢物語』、『紫式部日記』です。

 この場面では、恋を語る場面なのでAが有力な理解だと思います。

⑥ それではと、源氏は、会話ではなく、歌を選びました。歌には、対面を前提とした条件をだすなどの返歌があるのが当時の普通の恋愛作法です。

 「ものな言ひそ」と言われていないのを頼りにしている」とは、「返事がないのは良い知らせ、と信じています」ということです。現に、文の返事がないまま対面を願って実現したのですから、源氏からすれば、周囲の者に交際の反対者はいないし拒否されていないのは確かなことです。そして、これまで言葉巧みに話をして恋愛は成功してきているのだから、私の誠実さは通じるものと、信じています。この歌の返歌があれば、なんとでも姫君にさらに近づける(口説き落とせる)と信じている心境です。

⑦ 当然この歌にも返事はないと十分予想できるので、すぐ、「のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。」ともう一度念を押す発言をしています。「のたまひ」とは、「のたまふ」(「言う」の尊敬語)の連用形であり、名詞句でしょうか。

 歌の直後なので、「のたまひ」とは、歌にいう「ものないひそ」という(姫君が発したと歌で位置付けた)語句を指しているはずです。そして、歌の返歌について言っていると理解されてもよい、と源氏は考えているはずです。

 歌にある「ものないひそ」という語句は、「室内に招じ入れられ、障子を隔てるだけの関係になってから、これ以上のアプローチをするな、時期を待て、と言われた」、ということもこの時点では意味することになります。

 「のたまひも棄ててよかし」とは、源氏にとり、何がさし障りなのかわからないまま無理やり自重させられ、問いかけもできないという不自由さだけでも、止めてください。声を聞かせてください。」という姫君への嘆願です。あるいは、「のたまひ」を、「声にだしての返歌」と採り、「わざわざ歌をお聞かせ頂かなくとも、構いません(つまり、だまって障子を取り除いていただいても)。」という申し入れと理解されてもよい、と源氏は考えています。

⑧ 次の語句、「玉だすき苦し」とは、源氏がこの状況を打開しようとする働きかけが禁止されているのは、恋に焦がれる身にとりストレスが強くかかりすぎます、と哀訴とも強訴ともとれる発言となります。

 この語句は、「のたまひも棄ててよかし」から、一拍以上の空白をわざわざ空けて、源氏は口にしたと思います。

 現に障子を隔てて、息遣いも分る近さであっていくら口説いても無反応で、物を渡すことも衣服に触ることもできないで別れることは、源氏にとり今まで経験したことのないことです。源氏が思いもしなかった恋の進行ですから、源氏も必死です。

 「玉だすき」という語句は、官人の日常の用語ではなく、当時では歌語であろう、と思います。竹岡氏は、1-1-1037歌の「玉だすき」は当時の俗語での意味の「たすき」に、美称の「玉」を付けた語句で、歌語の「たまだすき」ではない、と論じています。

 歌語であるので、官人やその家族ならば、『古今和歌集』にある「たまだすき」という語句を用いた唯一の歌1-1-1037歌と結び付けて源氏の発言の理解を普通ならば試みるでしょう。しかし、その反応もありませんでした。

⑨ 繰り返すと、源氏は、障子越しに対面しているのに、声を聞くことができず、「わりなのわざや」と心の中で「うち嘆き」、歌を姫君に聞かせ、なぜ前に進めないのかと尋ね、今の私は「玉だすき苦し」と姫君に訴えました。

 物語の読者として、この時点での源氏の次の行動を冷静に推理してみると、二者択一だと思います。

 第一は、これだけ色々口説いても無言であるので、周囲の勧めだけで本人の意でここにいないと判断し、このまま退出する(ショックなことだが前に進めなかったのだから姫君を諦めることになる)、

  第二は、周囲が反対していないことは部屋にいれてくれたことではっきりしているので、無理をしてでももう一歩進めてから退出する(声を聞く・歌の返事を聞く・障子を除けてもらうなど、もう一度来られる言質を得る)、

のどちらかです。

 しかし、これまでの経験と姫君を好もしい女性と信じている源氏には、第二の選択しかしない、と思います。

⑩ ところが、思いのほかに、姫君から歌の返しがありました。それは、源氏の歌の「しじま」に反応した歌であって、「無言」の言い訳でした。

 これにより、源氏は自分が悪く思われていないのを確信したのではないでしょうか。

 歌語「玉だすき」から類推する1-1-1037歌の作中人物の気持ちは歌に触れていない(源氏への思いやりに触れていない)のですが、初志貫徹したい源氏にとっては、少なくとも、第二の範疇の型破りの行動は非難されないだろう、とこの返歌から推測したと思います。

 だから、さらに聞いてもらう努力を続け、あわよくばもう一言、返事を期待し、また機会をうかがうことになります。

⑪ 1-1-1037歌について、諸氏は、文の遣り取りはあるものの煮え切らない態度の返事が続き「はっきりしてくれ」と相手に訴えている歌、と理解しています。

 この理解を前提とすれば、1-1-1037歌は、二人の間に文の交換がある段階の歌ですが、源氏のこの場面では、文の交換後のステップであるはずの同室に二人がいるという段階(通常は後戻りしない段階)です。その場面で相手の制止によって足踏みを余儀なくされている、動き出せない状況です。

 この二つの場面を比較すると、1-1-1037歌の作中人物も、源氏も待ちの姿勢を保っていることが、共通しています。異なっているのは、その状況に対して「玉だすき」を引き合いにだす理由が、1-1-1037歌の相手の煮え切らない態度(情報が不正確)であり、源氏の相手の徹底した無言(情報が無いこと)ということです。いづれにしても作中人物と源氏は次に行うべき行動の選択がすぐできないでいます。そこも共通点です。

⑫ さて、このような理解で、本文の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「こちらにいざりよって来られる姫君の気配は、物静かであり・・・はたして予想していた通りであると、源氏はお思いになりました。(しかし文の時とおなじく、語りかけても返事は無く)これは道理に合わない(これまでの経験と違いすぎている)と、ため息をおつきになりました。そして歌をくちずさみました。

 「「いくそたび・・・(いったい何度あなたの沈黙にわたしは負けたことでしょう。あなたがものを言うなとおっしゃらないのを頼みにしてお訴え申してきたのですが)」

「あなたの「のたまひ」は、もう不用なもの、とお考えにはなりませんか。お願いします。(しばし無言の後)「玉だすき苦し」、という状況です」

とおっしゃいました。・・・」

⑬ 地の文にある「わりなのわざ」という語句は、必死に口説いている最中の独り言です。

 また、歌語である「たまだすき」という語句を用いた「玉だすき苦し」とは、「1-1-1037歌の作者の心境です」、と訴えています。

 「はっきり言ってくれ」と返事を期待するより、このように訴える源氏の気持ちを考えてほしい、という新たな方法で姫君に迫ろう、という考えで源氏は発言したのではないか。姫君にはまだ拒否はされていないと確信しているので、源氏は必死です。

 結局、「玉だすき」に関しては、1-1-1037歌と共通点を指摘できましたが、「玉だすき」がどのような行為・事態をいうのかはまだわかりませんでした。

⑭ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、「たすき」の用例を検討し、「たまだすき」の意味を探りたい、と思います。

 (2021/4/12    上村 朋)

付記1.『源氏物語』「末摘花」での「玉だすき」の用例の補足

①『窯変源氏物語』(橋本治)では、「のたまひも棄ててよかし」相当の部分を「いっそ“いや”とおっしゃればよろしい、仰せにならぬ言葉を推(すい)して迷ってしまいます。」と表現している。

 橋本氏は、「たまだすき」の語句には直接触れず、ただ「迷っている」としている。この発言までの事態の推移の読者の理解に任せている、と思える。

②『日本国語大辞典』(第二版 小学館 2001)は、語釈の用例の並べ方を「時代の古いものから新しいものへと順次に並べる。但し漢語・仏典は末尾」としている。

「玉だすき」に関しては、

第一の語意を「たすきの美称 例)2-1-369歌」、

第二の語意を「仕事の邪魔にならないように袖をたくし上げて後で結ぶこと。また、たくしあげる紐。例)平家物語、など」、

第三の語意を「たすきが交差し絡み合うように事が掛け違い、わずらわしいさまのたとえ。例)1-1-1037歌」、(以下割愛)

としている。

 (付記終わり 2021/4/12   上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語 

 前回(2021/3/29)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 ことならば」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語」と題して、記します。(上村 朋)

1.~25.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認し、3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例に続き、三代集で唯一の用例1-1-1037歌を検討中である。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性があり、同音意義の語句の確認も要することがわかった。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「たまたすき」は「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

        ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

26.三代集のたまたすきその2

① 1-1-1037歌は、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌(ひかいか)の部にあります。この部の意義を私は「部立ての誹諧歌A」であると思っています(付記1.参照)。

 この歌は、「部立ての誹諧歌A」にある歌なので、二つの文あるいは三つの文からなる可能性がある、と前回推測しました。歌の三句が、初句~二句とともに一文となるのか、三句が独立した文なのかの違いです。整理して表に示すと、次のとおり。

表 1-1-1037歌の構成の推測(2案)

(案)

第一の文

第二の文

第三の文

注記

二つの文

ことならば思はずとやはいひはてぬ (文A)

 

なぞ世中のたまだすきなる (文B)

「やは」は係助詞が重なる連語。

久曾神氏や竹岡氏が理解する歌となる。

三つの文

ことならば思はずとやは(文C)

いひはてぬ (文D)

なぞ世中のたまだすきなる (文B)

「やは」は終助詞が重なる連語。

現代語訳例

(二つの文)*1

同じことなら 「思はず」と貴方は言いきれ(a)

 

非aに言及が無い。aの状況が「世の中は玉だすき」の一例(久曾神)・「たすきの使い方」と同じ(竹岡)

なぞ・・・なる:反語

上位の分類である範疇(世中)でも「玉だすきか」と作者が嘆く(久曾神)・一般社会での「玉だすき」と同じように扱われては作者が困る(竹岡)

現代語訳予想

(三つの文)*2

作中人物が文C1か文C2のように恋の相手の発言を聞き(又は推理し)*3

作中人物が唖然として文Dをつぶやき、

作中人物が文Bの思いに至る

口語調で勢いに任せて詠った(又は推理した)とみる

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)注記*1 前回ブログ(2021/3/29付け)に引用した久曾神氏と竹岡氏の現代語訳を上村が整理したもので、前回ブログ記載の「25.⑨の表」をもとに作成。

注3)注記*2 前回ブログ(2021/3/29付け)の「25.⑪」をもとに作成。

注4)注記*3 文C1:ことならば「思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語)

        文C2:「ことならば思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語)

② 1-1-1037歌を、二つの文(表の文A+文B)からなる歌を基本に、初句から順に検討をすすめます。必要に応じて三つの文(表の文C+文D+文B)からなる歌のケースに触れることとします。

 初句「ことならば」は、二つの文からなる歌の場合は連語と理解されていますが、少なくとも三つの文からなる歌の場合はそうとも限らないので、前回、以下の句から振り返って検討を要するということになり、保留しています。

③ 二句と三句「思はずとやはいひはてぬ」を、検討します。

 「思はず」の「ず」は、打消しの助動詞「ず」の連用形または終止形です。

 「と」には、ここでは、一文相当の語句につく格助詞「と」、または、助動詞「ず」の終止形についた接続助詞「と」が予想できます。

 「やは」には、係助詞が重なる連語(係助詞「や」+係助詞「は」(「や」の意を強める)と終助詞が重なる連語(終助詞「や」+終助詞「は」(感動・詠嘆の気持ち))が、あります。

 文Aでは、係助詞が重なる連語が第一候補となりますので、疑問・反語の助詞「や」に対応して三句の「いいはてぬ」の「ぬ」は連体形ですので打消しの助動詞「ず」となります(係り結び)。(三つの文からなる歌であれば、三句で一文ですから、完了の助動詞「ぬ」の終止形、となります。)

④ 文Aにおいて、人の行為が3種類ありますが、その行為の主体を直接示す表記がありません。

 最後の行為「いいはてぬ」における補助動詞「はつ」に、「言ふ」ことの評価があるので、その評価者は作中人物と推測できます。そして、「言ふ」人物は、二つ目の行為「思はず」の主語となる人物であり、(誹諧歌の部の配列から推測すると)作中人物の恋の相手です。

 最初の行為「ことならば」は、連語であろうとなかろうと、動詞の未然形につく助詞「ば」によって、「思はず」と発言する(あるいは予測する)前提条件であることに変わりありません。その仮定をした人物を推測すると、「と」が一文相当の語句につく格助詞であれば、「と」の前にある語句すべてに、引用文の資格があるので、2案あります。

 即ち、次の文の「」部分が引用文です。

 引用文第1案:「ことならば思はず」とやは(いひはてぬ):引用文すべては作中人物の恋の相手が発言者。

 引用文第2案:ことならば、「思はず」とやは(いひはてぬ):「ことならば」は作中人物が推理などしている。この場合作中人物自身中心の推理か、相手中心の推理かは不明です。

 「と」が接続助詞であれば、引用文第2案に同じです。

⑤ 改めて、「と」を重視して二つの文からなる歌の文Aの現代語訳を試みると、次のとおり。(「ことならば」は保留中です。)

 引用文第1案:「「ことならば」という状況であるならば、(貴方を)思はず」と、あの人は言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」  

 引用文第2案その1:「ことならば」という状況であるとあの人が思っているとしたら、あの人は「(私を)思はず」と、言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」 

 引用文第2案その2:「ことならば」と私が推測する状況であれば(そう仮定できるならば)、あの人は「(私を)思はず」と、言い切らないだろうか、いや言い切ってほしい。」

 どの案でも、論理的に可能であり、「部立ての誹諧歌A」にある歌としても可能性があり、一案に直ちに絞れません。1-1-1037歌は男女の仲が順調に推移しているとは思えない状況の歌といえます。保留している「ことならば」の意からこの3案が生じているわけではありません。

 また、久曽神氏と竹岡氏の理解は、「引用文第2案その2」でした。(上の表の「現代語訳例(二つの文)」欄参照)

⑥ 三つの文からなる歌と理解した場合、文A相当が二つの文(文C+文D)となります。

 上記の引用文第1案相当:「「ことならば」という状況であれば、「(貴方を)思はず」」とあなたが言うとは。そう、言い切ったのだ。」  (文Cは文C2となる)

 上記の引用文第2案その1相当:「ことならば」という状況であるとあの人が思っているとしたら、あの人が「(私を)思はず」と言うとは。そう、言い切ったのだ。」   (文Cは文C1となる)

 上記の引用文第2案その2相当:「ことならば」と私が推測する状況であれば(そう仮定できるならば)、あの人が「(私を)思はず」と言うとは。そう、言い切ったのだ。」  (文Cは文C1となる)

 これらの理解には、「ことならば」の意によっては無理が生じる場合があるでしょう。

⑦ 次に、二つの文からなる歌における文Bを検討します。

 「なぞ」という作中人物の問いかけで始まっています。「なぞ」は、連語であって不明の事物や不明の事態の理由を問うときの語句、または副詞であって疑問または反語を表します。

 文Bにおける「世中」と「たまだすき」は、格助詞「の」で結ばれています。

連体格の助詞「の」であれば、「世中」なる語句は、「たまだすき」という体言の意味・内容を限定しています。

 同格の助詞「の」であれば、「世中」なる語句は、「たまだすき」の言い換えであることになります。

 主格の助詞「の」であれば、後続の述語(ここでは「たまだすきなる」)にかかり、その動作・作用・、性質・状態などの主体であることになります。

 助詞「の」には、そのほかに、連用修飾語や接続語をつくる助詞に通じる特殊な用法もあります。

⑧ 現代語訳の例とした久曾神氏訳は、文Bを「どうしてこの世の中というものは、襷のようにかけちがってばかりいるのであろうか」となっています。 「世中」の常態は、「襷のようにかけちがってばかりいる」との論理で理解しており、「の」は、同格の助詞「の」と思えます。 

 この場合、作中人物の恋の進捗も、同一視しているかにみえますので、「世中のたまだすき」とは引用文である可能性があります。   

 この引用文のいわんとすることは、世間の人々(少なくとも男女の仲の進捗に気をもむ人々)の共通の思いであり、今に始まったことではありません。だから、それをさす言葉として「世中のたまだすき」という慣用句があったのではないか、という推測です。

 文Aでも文Bでも引用文を用いているとすれば、それは「部立ての誹諧歌A」の要素の一つとみなせます。  

⑨ また、竹岡氏は、「たまだすき」という語句を検討し、歌語ではなく俗語の「たすき」の意に美称の「たま」をつけた語句である、と認めています。

 俗語の「たすき」とは、「(現在の)たすき掛けでできる十字に交差する形」を言う語句とし、「たすきは方違いにかけるところから、行きちがいになる意」に賛同しています。ここでは、「自分の思うことと相手がそれに応じてくれる態度とが、行きちがっているのを言っている」と指摘しています。そして、『古今和歌集』の誹諧歌であることから、文Bを

「なんだい、世の中の、たすきのさまでこんなに行き違ってばかりいるなんて」

と訳しています。

「世の中によくあることだが、「たすきを使ったときの形」のように」の意であり、「世中」を「たまだすき」の修飾語とみているようです。歌語ではない、ということを示している「の」であり、連体格の助詞「の」と思えます。 

 連体格の助詞「の」の場合、「たまだすき」と呼ぶものにいくつか種類があり、「歌語のたまだすき 」(当時、歌語であれば、『萬葉集』以来の「たまたすき」と推測できる)のほかに少なくとも「別の意のたまだすき」があるという認識である、ということになります。この歌の作中人物及び作者が、「たまだすき」の区別をするのに「世中のたまだすき」という用語を撰んでいることになります。  

⑩ このように、「別の意のたまだすき」が竹岡氏の指摘するような俗語の「たすき」の意であれば、単に「たすき」の3文字に美称の「たま」をつけさらに「世中の」を加えて『世中のたまだすき」と(31文字中の)10文字も費やして歌に用いていることになります。この歌が「部立ての誹諧歌A」にある理由のひとつにも数えられますが、 「たすき掛け」という5文字の表現も違和感がないところです。

 ただ、竹岡氏は、「世の中」を「たまだすきと悪く言っている」ところに(氏の定義による)誹諧(付記2.参照)を認めています。これからは、連体格の助詞「の」のほか同格の助詞「の」あるいは主格の「の」を重ねて理解している、と思えます。

 また、五句「たまだすきなる」の「なる」は、体言に付いており断定の助動詞「なり」の連体形です。「なり」の意は、「状態・性質・資格がどうであるかについて、はっきりした判断を下す」意と、「ある事物と他の事物とが、同一であることを認定する」意があり、助詞「の」の意を限定できません。

⑪ 「世中」という語句は、いろいろの意があります。すなわち、世間・社会、この世、国家・天皇の治世、世間なみであること・世の常、男女間の情、身の運命・人生、(よのなかの・よのなかにの形で)あとに続く語の意を強める・この上ない、などの意で用いられています。

 「世」の一字の語句も、(仏教思想で)過去・現在・未来の三世特に現世、時代・時世、世の中・世間、人の一生・運命などのほかに男女の仲・よのなかの意で用いられている語句です。「世の・・・」とか「世を・・・」などという連語が古語辞典に多数立項されています。

 ここでは、「世中のたまだすき」という語句なので、助詞「の」の役割により「世中」の意は限定されます。

 例えば、連体格の助詞「の」であれば、「たまだすき」の言い換えが「世中」ですので、「世の常・男女の情・身の運命」などが候補になるでしょう。また、「世中の」の意があとに続く語を強調するのみという意も、この歌では候補になるでしょう。いづれにしても「たまだすき」の意が明確にならなければなりません。

⑫ 次に、「たまだすき」を検討します。

 竹岡氏の指摘する「たすき」と「たまだすき」は上記⑨と⑩で紹介しました。『古今和歌集』の撰者の時代、神事に用いる際の「たすき」の用とは別の用途の「たすき」の利用があり、「たすき」は方違いにかけるところから、行きちがいになる意に用いられていたことになります。

 美称の「たま」をつけた場合「たすき」が「だすき」と1-1-1037歌ではなっています。

⑬ しかしながら、 『萬葉集』では、「たまたすき」という場合の「たすき」の「た」の万葉仮名は、「手・田」であり、清音です。そして、「たまたすき かけぬときなく(かけず・・)の用例が多くありました。「たすき」と称する紐を身に「かく」という行為に注目している表現です。竹岡氏が指摘するような、たすきを「掛けた状態」における形状に注目した表現ではありませんでした。 

 たすきをかけたときのその紐に注目した歌は、『萬葉集』における「たまたすき」の用例にはないものであり、『古今和歌集』の歌における「たまだすき」と『萬葉集』の歌における「たまたすき」とは、イメージが異なるように思います。

 この検討では、『古今和歌集』成立時どのように「たまたすき」という仮名文字が発音されたかの検討は省いて検討しています。

 『新編国歌大観』記載の歌により検討しているのですが、「たまだすき」と詠う歌は『古今和歌集』においては1-1-1037歌一首です。「部立ての誹諧歌A」の歌であるので、『萬葉集』の歌における「たまたすき」とイメージが異なることを強調して、「たすき」を濁音化した「たまだすき」と言う表現を『古今和歌集』の編纂者はしているのかもしれません。  

⑭ また、「たすき」は神事において掛けるもの(という萬葉集以来の理解を推し進めて、)だから必要な時にのみ用いるものなのであるから、1-1-1037歌では「なぞ」により反語となり、必要でなくなった意を持つ、という理解も「部立ての誹諧歌A」の歌だからこそ有り得るかもしれません。 

 いづれにしても、三代集の時代の「たまだすき」の用例が、1-1-1037歌の1首だけでは心細いので、三代集の時代に活躍した歌人の私家集や、その頃成立の物語での用例をもみて、作中人物が思い描いている「たまだすき」という語句のイメージを検討してみます。

 

27.三代集成立ころのたまだすきの用例その1

① 三代集成立ころまでの用例を、『新編国歌大観』の第三巻所載の私家集の歌集番号1~80の歌で探すと、句頭に「たすき」、「たまたすき」あるいは「たまだすき」とある歌はなく、「ゆふだすき」の用例のみ『貫之集』の5首を含めて7首ありました(付記3.参照)。

 その「ゆふだすき」の意は、6首が「神事に用いる紐」であり、「かく」の枕詞として用いられ、1首が神事の略称でした。

② 三代集成立ころまでの『新編国歌大観』の「第五巻 歌合・歌学書・物語・日記等収録歌編」の「物語」で探すと、句頭に「たすき」あるいは「たまたすき」あるいは「たまだすき」とある歌はなく、「ゆふだすき」の用例のみ4首ありました(付記4.参照)。

 その「ゆふだすき」の意は、神事の際の「たすき」の紐で「かく」の枕詞であり、「心に掛けて・神に約束して」の意を含んでいました。

③ しかし、「ゆふだすき」の用例である『好忠集』にある3-58-38歌や『平中物語』にある5-417-118歌では、枕詞の役割が強く、「ゆふだすき」を『萬葉集』にある「たまたすき」に置き換えられると思えます。

 にもかかわらず、三代集の時代には、『萬葉集』で用いられていた「たまたすき」は歌から消え、「かく」の枕詞に「ゆふだすき」が定着しています。  

 古語辞典では、主要な枕詞として「玉襷」をあげ、「かく」と「うね」にかかる、としていますが、三代集の時代には、「かく」の枕詞の役割を「ゆふだすき」が担っています。

 そのため、三代集の時代、美称の「たま」をつけた「たすき」は、「たまだすき」と発音されて新たな意を盛り込んで用いることが、「部立の誹諧歌A」に配列されていなくとも可能であった、ともいえます。

 「たまたすき」と言う語句とは異なる「たまだすき」は別の役割を担える語句となっています。

④ さらに、三代集成立ころまでの物語における地の文において、「たまだすき」とか「たすき」の用例がありましたので、次回、確認したいと思います。

 ブロブ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

 (2021/4/5   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌について 

① 「誹諧歌」とは「ひかいか」と読む。前回のブログに引用した(「25.①)ように、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌を、私は「部立ての誹諧歌A」ではないか、と理解して検討をしている。

② 『古今和歌集』とは、

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。 

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

③ そのため、つぎのような点を指摘できる。

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。誹とは「そしる」意、諧とは「あふ、かなふ、やはらぐ、たぐふ、たひらにする、たはむれ・じやうだん」など多義の字(『大漢和辞典』(諸橋徹次))である。 

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向がある。  

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌の用語は、雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向、及び『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。また、恋の歌はその進捗順の可能性が高い。    

④ 検討経緯は、『猿丸集』第46歌の類似歌(1-1-1052歌)を検討する際の、5回のブログ(2019/5/27付け~2019/7/1付け)に記載している。

付記2.竹岡正夫氏の誹諧の定義

①『古今和歌集古今和歌集全評釈(下)』(右文書院1981/2 補丁))で、次のように言う。

②「誹諧」(ひかい)とは、おどけて悪口を言ったり、又は大衆受けするような卑俗な言辞を用いたりする意。「滑稽」などを旨とする「雑戯」の類と同じではない。

③ 誹諧歌の部には、そのような「誹諧」を主旨とした歌を集めている。

④ 『古今和歌集』にある一般の和歌は、文学としての表現の型(貫之のいう「さま」)をとっているが、その「さま」に型破りなのが誹諧歌。対象の捉え方と表現する用語において、一般の和歌と異なる。

付記3.『新編国歌大観』の「第三巻 私家集編」における句頭に「たすき」、「たまた(だ)すき」と「ゆふた(だ)すき」とある用例

①『新編国歌大観』の「第三巻」の歌集番号が、およそ1~80の歌集を対象に、即ち 10世紀前半ころまでに没した歌人の歌集において、句頭に「たすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「(たま・ゆふ)だすき」という歌を順不同で確認した。紀貫之(没は天慶8年(945))、好忠(生没不詳 後撰集拾遺集時代の異色の歌人)、清正(没は天徳2年(958))の歌集に、句頭にある「ゆふだすき」があった。「たすき」と「(たま・ゆふ)たすき」はなかった。

②『貫之集』の用例は、すべて、「れうのうた」(屏風歌)であり、「ゆふだすき」は肯定的な表現「かく」に続く。賀茂の祭りの場面に応じている歌なので、「たまたすき」より祭事に用いる意をはっきり込められる「ゆふだすき」を、貫之は選択していると思える。

 現代語訳の例として、『新潮日本古典集成80回 土佐日記 貫之集』(木村正中1988)より引用する。

3-19-21歌 臨時のまつり

   宮人のすれる衣にゆふだすきかけて心をたれによすらん

   「神に奉仕する人たちの小忌衣(おみごろも)に木綿襷をかけた姿は、だれにとくに心を寄せているのだろうか。」(「かけて」に「襷を掛けて」と「心を掛けて」の両意を表す。「すれる衣」とは、白布に春草・小鳥などの模様を山藍で青く摺った衣で、神事に携わる官人・祭官などが着用する衣。私が思うに、「襷を掛けて」は神事に携わる祭官が、「心を掛けて」は屏風に描かれている人物が、となる。)

3-19-337歌 十一月臨時の祭

   ゆふだすきかけても人をおもはねどうづきもけふもまだあかぬかな

   「人に思いをかけることはないけれども、四月の賀茂祭も今日の臨時の祭も、いくら見てもまだまだあきないなあ。」(行列を楽しむ観衆の心を詠んだもの。木村氏は「ゆふだすき」を「かく」の枕詞として訳している。)

3-19-401歌 四月かもまうで

   ゆふだすきかけたるけふのたよりには人に心をかけつぞおもふ

   「祭官が木綿襷をかけた賀茂祭の今日の縁で、逢う瀬をたのみ恋人のことを心にかけて思う。」( 「ゆふだすき」を「かく」から「心をかく」を導く。木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。)

3-19-409歌 十一月臨時のまつり

   ゆふだすき千年をかけて足曳の山ゐの色はかはらざりけり

   「木綿襷をかけた山藍摺りの衣の色は、千年かけて変わらないのだなあ。」(「ゆふだすき」と「千年」を「かく」がうける。 木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。)

3-19-504歌 同五年亨子院御屏風のれうにうた廿首

   ちはやぶる神のたよりにゆふだすきかけてや人も我を恋ふらん

   「神を祭る折とて、木綿襷をかけるが、そのように人も私を心にかけて、恋してくれるだろうか。」( 「ゆふだすきをかける」に「思ひをかける」意を掛けた。木村氏は「ゆふだすき」を祭官が使用している紐の意として訳している。) 

③『好忠集』

3-58-38歌 中のはる、二月はじめ(33~42歌)

   ゆふだすきはなにこころをかけたればはるはやなぎのいとまなみこそ

(「ゆふだすき」は「かける」ものとして「こころをかく」を導いている。この歌は「ゆふだすき」を「かく」の枕詞として用いているか。)

④『清正集』

3-21-71歌 さい院の女従の、その院の院しををとこにてあるときくに

   ちはやぶる神もしりにきゆふだすきしめのほどかくはなれざらなん(又はかげなはなれそ)

(現代語訳を試みると、京都の賀茂神社の祭神に奉仕する斎院(未婚の内親王または王女)の居られるお住まいの諸事を担当する院司と言う職に男が務めていると聞いたので、と題して、「神は知る。神事を行い神域としての標識をたてても、(男と女は)このように離れないのだなあ」。この歌の「ゆふだすき」は神事を意味する。)

⑤上記『貫之集』の5首と『好忠集』の1首での「ゆふだすき」は、「かく」に続く用い方をされている。「かく」の枕詞であり、「心にかける」を導き出している。「ゆふだすき」は神事において使用する紐の意である。『清正集』の1首は神事の略語とみなせる。

 付記4.『新編国歌大観』の「第五巻 歌合編、歌学書・物語・日記等収録歌編」における句頭に「たすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「(たま・ゆふ)だすき」とある用例 

①『新編国歌大観』の「第五巻 歌合・歌学書・物語・日記等収録歌編」に、句頭に「ゆふだすき」とある歌が4首ある。下記③以下に示す。「たまだすき」、「(たま・ゆふ)たすき」及び「たすき」の用例はなかった。なお、『新編国歌大観』第四巻にも用例はなかった。『大和物語』 は『新編国歌大観』により村上天皇(967まで在位)の時代に成立している147段までを対象として検討した。

②「ゆふだすき」の用例3首が神事の際の「たすき」の紐で肯定の「かく」に続き、1首が「木綿襷かな」となっている。

③『平中物語』 (『新編国歌大観』によれば、成立は天徳4年(960)以降の20~30年間)

5-417-118歌 第三十一段にある男の歌

  ゆふだすきかけてはつねにおもへどもとふこといみのしめはいはぬを

(直前の女の歌(5-417-117歌)は、「はふりべのしめやかきわけいひてけんことの葉をさへ我にいまゐる」  「ゆふだすき」とは神官が祭りのとき、(また)神事の時に身に掛ける木綿(ゆふ)でつくった襷の意。「ゆふだすき」は「かく」の枕詞(こころに掛ける意)とする現代語訳がほとんど。)

   5-417-129歌 第三十四段にある男の歌

     いつはりをただすのもりのゆふだすきかけてちかへよわれをおもはば

   (直前の女の歌(5-417-128歌)は、「あふさかはせきといふことにかけたればきみもるやまと人をいさめよ」 「ただすのもり」は京都の下賀茂神社の森。「ゆふだすき」は「かく」の枕詞(こころに掛ける意)。「かけてが掛詞であり木綿襷を「掛けて」と神に「かけて」(約束して)の意。)

④『源氏物語』 (同、成立は10世紀末~11世紀初め) 

5-421-152歌 「十帖 賢木」にある歌  (光源氏が斎院の御前(朝顔の姫君。この時賀茂の斎院)へ)

   かけまくはかしこけれどもそのかみの秋思ほゆる木綿襷かな

    (「ゆふだすき」とは、「こころに掛けた」意を持たせ、文の相手である(今は神に奉仕することとなった身としてつねに「たすき」を身に着ける立場になっている)「斎院の御前」を指す。)

5-421-153歌  「十帖 賢木」にある歌 (斎院の御前が光源氏へ) 

そのかみやいかがはありし木綿襷心にかけて忍ぶらんゆゑ

(「ゆふだすき」とは、文の相手を「ゆふだすき」と言ってきたのにならい、返歌なので同じように文の相手である)光源氏を「ゆふたすき」は指す。また「かく」に続く枕詞。この歌は、事実無根だと切り返す歌。)

(付記終わり  2021/4/5   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 ことならば

 前回(2021/3/15)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき変遷」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 ことならば」と題して、記します。(上村 朋) (追記:2021/3/30 に、付記1の①と②の趣旨を明確にした)

1.~24.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認した。3-4-19歌は、初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例検討が、巻十三にある2-1-3005歌を除き終わった。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、神事に使用という「たすき」の面影が巻数の下るに従い消え、「たまたすき」は「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

 3-4-19歌 おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも 

 なお、歌は、『新編国歌大観』より引用する。)

 

25.三代集のたまたすきその1

① 三代集の用例を検討します。「たまたすき」の用例はなく、代わりに「たまだすき」の用例があります。句頭にある「たまだすき」では、次の1例だけです。

 1-1-1037  題しらず       よみ人しらず

   ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 

 この歌は、『古今和歌集』巻十九雑体 の誹諧歌(ひかいか)の部にあります。2-1-1011歌から58首ある誹諧歌の27番目の歌です。誹諧歌という部立てについては、以前検討したことがあります(付記1.参照)。

 その結論は、

第一 『古今和歌集』は、当時の歌人が推薦してきた古歌及び歌人自選の和歌に関する秀歌集である。

第二 秀歌を漏らさないために最後の部立となっているのが誹諧歌という部立である。だから、「誹諧歌」とは、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現がある、和歌の秀歌であり、他の部立に馴染まない和歌(より厳密にいえば、短歌)を配列する部立の名」である。(このように理解した部立の名を、以後「部立の誹諧歌A」ということする。)

第三 巻第十九にある誹諧歌という部立は、「ひかいか」と読む。誹とは「そしる」意、諧とは「あふ、かなふ、やはらぐ、たぐふ、たひらにする、たはむれ・じやうだん」など多義の字(『大漢和辞典』(諸橋徹次))である。

第四 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌は、「心におもふこと」のうちの「怒」や「独自性の強い喜怒哀楽」であり、一般的な詠い方の歌の理解からみれば、極端なものの捉え方などから滑稽ともみられる歌となりやすい傾向がある。

第五 「部立の誹諧歌A」に配列されている短歌の用語は、雅語に拘らず、俗語や擬声語などを含む傾向、及び『古今和歌集』のなかで誹諧歌の部の歌と題材を共通にした歌のある傾向がある。また、恋の歌はその進捗順の可能性が高い。

というものでした。

② この部立てにある歌は、検討した範囲では、ここに配列されていることに留意すれば、歌の背景は十分推測でき、当該歌は、編纂者のいうように和歌の特異な秀歌であるが、他の部立に確かに配列しにくい歌、と理解ができました。

 例えば、この部立てにある1-1-1052歌は、世の中の規範とその適用(の強要)がおかしいといっているのではなく、個人的な問題として、女性が、相手に自分の誠意を直情的に口語的に訴えている歌であり、同音異義の語句(「まめ(なれど)」と「かるかや」)の利用により、「ものの捉え方と表出方法に関して特別に個性的な発想あるいは特別に凝縮した表現」であり、かつ、主語を省いた文を重ね、引用句もあり文の構造にも特色がありました。秀歌と認め恋部に配列すると、道徳・常識批判から相手に訴えかけているととられかねないので、自省して訴えている歌であることを明確にするため、「部立の誹諧歌A」に『古今和歌集』編纂者は配列したものと思われます(付記1.③参照)。

③ この歌(1-1-1037歌)の現代語訳の例を引用します。

「どうせおなじことであるなら、「愛していない」と、なぜきっぱりと言い切ってはくれないのか。どうしてこの世の中というものは、襷のようにかけちがってばかりいるのであろうか」(久曾神氏)

 氏は、部立ての名「誹諧歌」を「はいかいか」と読み、「誹諧は古くは俳諧と同じで滑稽の意」としています。そして、この種の歌は他にもすくなからず混存在している」とみています。

 氏は、「たすき」について、左右の肩から脇にかけるものなので、背中で交差している、と説明し、五句「たまだすきなる」とは「掛け違っている」意としています。

 そしてこの歌の「滑稽」たる所以の説明は特にしていません。また、四句にある「世中」の意を「男女間の情」と限定していないようです。

④ もう一例。

 「同じことならいっそ、愛しないときっぱり言い切ってくれないかい。なんだい、世の中の、たすきのさまでこんなに行き違ってばかりいるなんて!」(竹岡正夫氏)

 氏は、「「誹諧(ひかい)を主旨とした歌が誹諧歌」であり、その誹諧の語義は「おどけて悪口を言ったり、又大衆受けのするような卑俗な言辞を用いたりする意」としています。

 歌語の「玉だすき」を俗語に言う「たすき」(今日の俗語でいえば、バッテン印形とかペケ印形)の意に用いて(かつ世の社会一般はペケ印ばかりであると、良くないことの例に挙げていることになって)いるところに、おどけて「世の中」を悪く言っている「誹諧」を認めています(『古今和歌集全評釈(下)』(右文書院1981/2 補丁))。

 氏は「世中」は歌語の「たまたすき」の意でないことをあきらかにするため「世の常の(使い方をしている)」という「たまだすき」の修飾語としています。そして五句「たまだすきなる」という語句は、作中人物とその相手との間の状況をも意味していることになります。

⑤ 両氏とも、上記の「部立ての誹諧歌A」という定義をあまり意識していませんので、「部立ての誹諧A」にふさわしい歌か否かの説明が足りません。

 また、初句「ことならば」は、「ごとならば」を本文に採用している人もいます。『古今和歌集』で、この語句の初出は1-1-82歌であり、この歌は4首あるうちの1首です。

 久曾神氏は、4首とも歌本文を「ごとならば」で検討し、「おなじであるならば」、「(1-1-82歌では)同じことならば、こんなことならば」の意とし、1-1-1037歌でも同じとしています。

 竹岡氏は、4首とも「ことならば」という歌本文で検討し、「如ならば」と同じ意味の「このようならば」の意とし、1-1-1037歌でも「思うでもない、思わぬでもない、そんな中途半端な状態ではなく、思わないなら思わないとはっきり言ったらよいという気持ち」と説明しています。

 また、1-1-82歌において諸氏の説を紹介しつつ、氏は、「いつも一つの事象を眼前にして、こんな事ならいっそのこと、という気持ちも含めて「同じことなら」と用いられている」と理解しています。富士谷成章の『かざし抄』(明和4年(1767))が復活させた説だそうです。

 『新編国歌大観』の訓は「ことならば」です。念のためその意を確認し、配列では恋の歌が続いていますので「世中」の意を、また「玉だすき」の意も確認をしたいと思います。

⑥ この歌(1-1-1037歌)の前後の配列を、いつものように最初に確認します。

 誹諧歌は、1-1-1022歌から恋を詠い、恋の進捗順で配列されていると推測できました。すなわち、恋のスタート(老いらくの恋を自覚する歌)、求愛、悲観(竹岡氏は恋の狂態)、別れ、という恋の進捗順です。この歌の前後の歌各2首は少なくとも男女の仲に関する歌です。(詳しい配列の検討は後日のブログに記します)。

⑦ この歌(1-1-1037歌)を、初句「ことならば」から順に検討し、上記⑤後段にあげた諸点を確認します。

 『古今和歌集』には、「ことならば」の用例歌が4首あります。

 1-1-82歌   さくらの花のちりけるをよめる       つらゆき

   ことならばさかずやはあらぬさくら花見る我さへにしづ心なし

 1-1-395歌   うりむゐんのみこの舎利会に山のぼりてかへりけるに、さくらの花のもとにてよめる (394~395歌)                幽仙法師

   ことならば君とまるべくにほはなむかへすは花のうきにやはあらぬ

1-1-854歌:   これたかのみこのちちの侍りけむ時によめりけむうたどもとひければ、かきておくりけるおくによみてかけりける       とものり

   ことならば事のはさへもきえななむ見れば涙のたぎまさりけり

1-1-1037歌  上記①に記す

(参考:同一詞書の歌:1-1-394歌     僧正へんぜう

     山かぜにさくらふきまきみだれなむ花のまぎれにたちとまるべく)

⑧ 久曾神氏訳注の『古今和歌集』(講談社学術文庫)は、凡例によれば、「底本は藤原定家筆伊達本。仮名は、通用の字体に統一し、清濁を区別し、濁点を付した」もので、1-1-82歌以下4首の初句は「ごとならば」と表記しています。

 そして氏は、1-1-82歌の初句を、「同じことならば、こんなことならば(の意)。「ごと」は「如し」の語根と同語原で、同じの意。」と語釈したうえ、初句~三句を「こんなことならば、桜の花よ、いっそのこと、なぜ咲かないではいないのか。」と歌意を記しています。

 1-1-1037歌でも「同じであるならば」と語釈し、上記③に引用したように、初句~三句を「どうせ同じことであるなら、「愛していない」と、なぜきっぱり言い切ってはくれないの。」と歌意を記しています。

 竹岡氏は、最初の用例1-1-82歌の「釈」において「その表現の拠っている場なども常に考慮され分析されなくてはならない。」と和歌を理解する前提を述べた上で、「ことならば」という語句を、「いつも一つの事象を眼前にして、こんな事ならいっそのこと、という気持ちを含めて「同じことなら」と用いられている」(『古今和歌集全評釈(上)』(竹岡正夫1981右文書院)408p)としています。そして、この4首はすべてこの意である、と理解しています。

 そして、上記③に引用したように、1-1-1037歌の初句~三句を「同じことならいっそ、愛しないときっぱり言い切ってくれないかい。」と訳しています。

 両氏の理解は、初句「ことならば」に関しては、共通している、といえます。

⑨ この4首の文の構成などを確認します。4首に関して両氏の理解に基づき、私なりに整理すると、下表のようになります。4首とも二つの文から構成されており、最初の文(表の文A)は、すべて作中人物が他者へ特定のお願いをする文となっており、二つ目の文(表の文B)は、1-1-1037歌以外は、そのお願いが否定されたらばという条件を明記した上で、作中人物が思いを述べています。

  表 古今集における「ことならば」の用例歌の比較(久曾神氏と竹岡氏による上村の整理 2021/3/29)

歌番号等

文A<趣旨>

文B<趣旨>

文A注記

文B注記

1-1-82

ことならばさかずやはあらぬさくら花 <さくらはいっそ咲かないままで終わらないの(a)>

(さくら花)見る我さへにしづ心なし<咲くのは(散るので)(非a)それを見ることになる私が落ち着かない>

やは:係助詞を重ねた連語で反語

ぬ:打消しの助動詞「ず」の連体形

作中人物(我)がしづ心なし

1-1-395

ことならば君とまるべくにほはなむ<親王が泊まるように桜よ美しく咲いてくれ(a)>

かへすは花のうきにやはあらぬ <泊まらないような咲き方(非a)は君が帰ることになり、むなしくないか(久曾神)・花を無情と親王が思わないか(竹岡)>

にほは:動詞の未然形

なむ:願望の終動詞

やは:係助詞を重ねた連語で反語

ぬ:打消しの助動詞「ず」の連体形

花が親王が泊まらないのを憂いと思うと作中人物が推測する(久曾神)

親王が花を憂いと思うと作中人物が推測する(竹岡)

1-1-854

ことならば事のはさへもきえななむ <父の詠んだ歌は消えてほしい(a)>

見れば涙のたぎまさりけり <消えないので (非a)目につき私は涙がとまらぬ>

(きえ)な:完了の助動詞「ぬ」の未然形

なむ:願望の終動詞

作中人物が涙する

1-1-1037

ことならば思はずとやはいひはてぬ <「思はず」と貴方は言いきれ(a)>

なぞ世中のたまだすきなる <非aに言及が無い。aの状況が「世の中は玉だすき」の一例(久曾神)・「たすきの使い方」と同じ(竹岡)>

と:引用文を受ける

やは:係助詞を重ねた連語(反語)

ぬ:打消しの助動詞「ず」の連体形

*1

なぞ・・・なる:反語

上位の分類である範疇(世中)でも「玉だすきか」と作者が嘆く(久曾神)・一般社会での「玉だすき」と同じように扱われては作者が困る(竹岡)

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)*部分の注記:

*1:両氏の理解に拘らなければ、1-1-1037歌の文Aの「(・・・と)やは・・・はてぬ」は表の理解のほかに、「やは」は二句についた終助詞の連語となり、一旦文が切れ三句が独立した文となり、「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形と言う理解もある。

⑩ これに対して、1-1-1037歌の文Bは、その条件明示を省略している点が3首と異なります。

 そして、ほかの3首と同じように作中人物が思いを文Bで述べているものの、久曾神氏の理解では、特定のお願いをする状況は普通の状況ではないという、作者が遭遇しているこの一例から、一挙に社会全体(「世中))への思いを述べており、大きな論理の飛躍があります。

 竹岡氏の理解では、特定のお願いをする状況は普通の状況ではないので、相手に捨て台詞を言っており、これにより相手がますます遠のく可能性が増すことに気が付かないようです。

 この点も3首と違います。恋の歌に多い相手に直接懇願するスタイルで詠っていません。このような発想が「部立の誹諧歌A」に配列されている理由かもしれません。

⑪ さらに、「部立の誹諧歌A」にある歌であるので、文の区切りを再確認すると、

 文C1 ことならば「思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語)

あるいは

 文C2 「ことならば思はず」とやは (「やは」は終助詞の連語) 

 文D いひはてぬ (「ぬ」は完了の助動詞「ぬ」の終止形)

  文B  なぞ世中のたまだすきなる

と三つの文からなる、ともみることができます。口語調で勢いに任せて詠ったとみれば、作中人物が、文C1か文C2のように恋の相手の発言を聞き、唖然として文Dをつぶやき、文Bの思いに至る、という理解です。文C1と文C2の比較では文C2の方に臨場感がある、と思います。

 三つの文の可能性を表の注記(*2)に記したところです。

⑫ このほか、1-1-395歌の文Bの理解において文の主語が明示されていないため、両氏の理解がわかれました。同一の詞書のもとにある2首のうちの1首なので、その2首あわせての理解(竹岡氏のいう「その表現の拠っている場なども常に考慮され分析されなくてはならない」)の違いでわかれたものと思われます。

 1-1-1037歌も文Bの主語は明示されていませんし、文Bにある「たまだすき」が何を示唆しているかによっても理解が分れる可能性があります。「部立の誹諧歌A」にある歌であるので、そもそも用いている語句の同音異義に慎重な配慮が必要と思います。

 現に、例えば、「世中」の意を「男女の仲」とか「二人の間の意思疎通」という理解や「たまだすき」は「掛ける」を導き「関係させる」という(久曾神氏などと異なる)理解も諸氏により示されてもいます。

 文の構成の比較から、このように、この歌は、ほかの3首と異なっていることが確認でき、「部立の誹諧歌A」にある歌ということから三つの文からなる歌と言う理解は比較検討の対象になり得ることがわかりました。

⑬ 初句「ことならば」について同音意義の有無を確認します。

 「ことならば」とは、「ことなる」(なるが未然形)+「ば」とも理解できます。

 『明解古語辞典』では「ことなる」に関して次の語句を立項しています。

第一 「ことならば」:連語。同じことなら(、の意)。副詞「ことは」(に同じ)。中世には、このようならば、の意で如ならばと解釈され、「ごとならば」と読まれた。藤原定家自筆本の『古今和歌集』の春下の歌(2-1-82歌:ことならば咲かずやはあらぬ桜花見る我さへ静心なし)では、「こ」の仮名の左上に濁点を示す二つの声点が付いている。」 

第二 「ことは」:副詞。同じことなら。連語「ことならば」(に同じ)。

第三 「事成る」:句。動詞の四段活用型。a物事が成就する・成功する。bその時となる

第四 「こと(言)」:事と同源。aことば・言語 b口に出していうこと・ものを言うことcうわさ・評判

第五 「こと(事)」:言と同源。a世の中に起こる事がらや現象b(政務、仕事、行事などを含んで)人のするわざc一大事・変事・事故d(活用語の連体形に付いて)いわゆる形式名詞の働きをする、など

第六 「こと(異)」:別のもの・別であるようす

第七 「こと(殊)」:格別であるようす・他にくらべてすぐれている

 また、連語とは、『明解古語辞典』に、「成句というほどに固定していない結び付き(のある語句)。「心に染む」など格助詞を介した形などが代表的な例」、とあります。この語句(ことならば)の場合は、「格助詞」を介していませんが、両氏をはじめ諸氏は連語と理解しています。

⑭ 連語「ことならば」は、「事成らば」や「異ならば」などと意が異なる可能性があります。この歌での「ことならば」は初句にあるので、以下の句よりその意を判断せざるを得ません。

 なお、未然形につく接続助詞「ば」であるので、初句は、以下述べるための仮定(前提条件)です。

そのため、以下の句を、検討してのち、戻って検討することにします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

 次回は二句(「思はずとやはいひたてぬ」)などを検討します。

(2021/3/29  上村 朋)

付記1.古今集巻十九にある部立て「誹諧歌(ひかいか)」の検討

①『猿丸集』第46歌の類似歌(1-1-1052歌)を検討する際、『古今和歌集』の部立て「誹諧歌」を検討した。5回のブログ(2019/5/27付け~2019/7/1付け)に記載している。

②「誹諧歌」の部に配列されている歌には寛平御時きさいの宮歌合で詠まれた歌(1-1-20歌と1-1-1031歌)や大堰川御幸和歌会で詠んだ歌(1-1-1067歌)も配列されている。これらの歌は、文学としての型をとっており「雅」の世界に属する歌である(竹岡氏)。これらの歌を「誹諧歌」として容認するのが「部立ての誹諧歌A」という定義である。

また、久曾神氏は、誹諧(はいかい)歌と読み、「誹諧は古くは俳諧と同じで滑稽の意。この種の歌は他にもすくなからず混存在している」と指摘している。「他にも」とは、「ほかの部立てにも」、の意と理解できる。このように、この「誹諧歌」の部立てと四季や雑歌という部立ての仕分けの理由が「滑稽」だけでは理路整然とならない。

 

③ なお、「誹諧歌」の部に配列されている歌全てについては、改めて検討することとする。

(付記終わり  2021/3/29    上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき変遷 

 前回(2021/3/1)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 並みのたまたすき」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たまたすき変遷」と題して、記します。(上村 朋)

1.~23.経緯

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認した。3-4-19歌は、初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例を巻十三にある2-1-3005歌の用例を除き検討が終わった。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、神事に使用という「たすき」の面影が巻数が下るに従い消えた。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

24. 『萬葉集』における「たまたすき」(2-1-3005歌は保留)

① 『萬葉集』歌で、『新編国歌大観』で「たすき」と訓む語句の検討を、ここまでしてきました。時代による変遷を確認しておきます。

「たすき」という語句は、修飾されず用いられている1例と「ゆふ」あるいは「たま」と修飾されている例が3例と16例ありました。最初に、用例の少ない「たすき」と「ゆふたすき」を整理します(表1)。

表1.「たすき」と「ゆふたすき」の万葉仮名別一覧   (2021/3/zz 現在)

万葉仮名

次の語句

歌番号等

詠っている場面

検討ブログ

多須吉

(を)かけ

2-1-209

児の延命祈願の儀式中

2020/9/21付け

木綿手次 

 

かひなにかけて

2-1-423

兄弟の延命祈願の儀式中

2020/9/21付け

かたにとりかけ

2-1-3302

自分の恋実現を祈願の儀式中

2020/9/21付け

かたにとりかけ

2-1-4260

妻の延命を祈る場面の儀式中

2020/9/21付け

注1)歌番号等は『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号

注2)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注3)「検討したブログ」欄の日付は、当該行の歌を検討したブログの発信日。

② この4首について、『萬葉集』編纂者が認めている作詠時点は、次のように推測できます。

 2-1-209歌は、巻五にあり山上憶良の作。憶良は天平5年(733)ころ没しているので、それ以前の作。

 2-1-423歌は、巻三にあり石田王卒時の挽歌。王は、人麻呂の時代の人。だから持統・文武天皇の時代(687~704ころ)の作。 

2-1-3302歌は、巻十三にあり、編纂者の時代(少なくとも宝亀年間770~781以降)に宴席で朗詠された伝承歌なので、それより1世代30年として750年ころ以前の作。

 2-1-4260歌は、巻十九にあり、題詞から天平勝宝3年(751)に朗詠された伝承歌。それより1世代前の721年以前の作。そして、編纂者の時代に朗詠されているので、神事とたすきの関係はこの歌を記録した者も編纂者も承知していたことになります。

③ 「たすき」の用例(2-1-209歌)では、「たすき」をかけるほかに、手に真澄の鏡を持つ、とも詠っています。

「たすき」とは、当時は「神事の際、供物などに触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」(『例解古語辞典』)を言っています。神事(例えば祈願)は、神職が専門化していない時代ですから家庭では例えば祈願する当事者自らが祭主を務めています。

阿蘇瑞枝氏は、「たすき」とは、「神事を行う時に肩にかけた。広幅の袖が供え物その他に触れるのをふせぐ手段として用いられた紐類」と説明しています。

「たすきをかく」とは、「神に祈る時の服装」(土屋文明)を整える一環として、必須の所作です。

「ゆふたすき」の用例3首での「ゆふ」とは、その紐の素材を指しています。神事におけるたすきの素材の代表的なものであるならば、「神事の際にかけているたすき」の総称に流用されていたかもしれません。

この4例における「たすき」と「ゆふたすき」は、動詞「かく」に続いており、神事における「たすき」の紐を指して用いられている名詞であって、枕詞の用法ではありません。

④ 次に、「たま」と修飾される用例(「たまたすき」)16例(15首)を整理すると、表2のようになります。各歌の具体の用例を付記1.に示します(各用例別の検討は当該ブログをご覧ください)。

韻文で用いる語句は、その歌においてはその語句の共通する意のほかに(その共通の意に添った)特殊解のような際立った意もこめて用いられているものではないかと思います。勿論語調を整えるのも役割のひとつです。 

 「たすき」と「ゆふたすき」の用例が、神事にあたり祭主が必ず用いる紐を指していたので、「たまたすき」という語句も神事との関係を確認し、「たまたすき」に続く語句のバリエーションが「ゆふたすき」の場合より増えているのでその仕分けを試みました。

 即ち、表2においては、

 区分1 神事との関係については、有無の二区分、

 区分2 続く語句については、動詞「かく」、名詞「うねびやま」、その他の語句、及び修飾語無し、の4区分 「かく」についてはさらに細分

をしています。

表2.『萬葉集』における用例 (2021/3/15 現在)

たまたすきの意

つづく(次句の)用語別の該当歌番号等

区分1

区分2

かけのよろしく

かけてしのふ

かけぬときなく

かけずわすれむ)

かけねばくるし

うねび(の)やま

A=神事と関係あり

次句が「かく」

2-1-5

2-1-199

2-1-1457

2-1-1796

<2-1-2910*>

 

 

次句が「う(ねび)」

 

 

 

 

 

2-1-29

2-1-546

2-1-1339

<2-1-207*>

かかる句無し

 

 

 

 

 

2-1-207

B=非A

次句が「かく」

 

2-1-369

2-1-2240

2-1-3300

2-1-3311

2-1-3338①

2-1-3338②

2-1-2910

 

 

次句が「う(ねび)」

 

 

 

 

 

<2-1-1339*>

保留

 

 

 

 

 

2-1-3005

 

次句用語別のたまたすきの意 (*の歌を除く)

Aのみであり祈願

Aは祈願

Bは紐

Aは神事の紐

Bは紐

Bのみで紐

保留

Aのみで祈願または神事の紐

注1)「区分1」:本文参照

注2)「区分2」:本文参照

注3)「次句の用語別の該当用例歌番号等」欄の数字は、『新編国歌大観』の巻数番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号。付記1の表の「歌番号等」欄の数字と同じ。

注4)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注5)「うねび(の)やま」欄の2-1-29歌などは実際の山(畝傍山)を指すが、2-1-546歌及び2-1-1339の場合は、更に作中人物の比喩の意がある。

注6)歌番号等に「*」のある用例は、今回念のため検討した案(付記1.参照)の位置付けの確認であり、以下の検討の対象外である。

⑤ 「たまたすき」の用例16例の次の語句は、「かく」が12例(保留の2-1-3005歌も含む)、「うね(び)」が4例でした。

「たまたすき」の『萬葉集』における初例は、巻一にある作者が遠征時の歌(2-1-5歌)にあります。編纂者は舒明天皇の時代(629~641)の歌として配列しています。その歌は「かけのよろしく」と神事の成果を得たとする歌です(付記1.参照)。

 次例も、巻一にあり、作者が人麻呂の歌(2-1-29歌)です。私は作詠時点を690年代と推定しました(2020/9/28付けブログの付記1.参照)。

 その歌は、神事に用いる紐を「項(うなじ)」に掛ける所作があることから同音の「うね(び)」に続けています。畝傍の地は神武天皇が都を置き、御陵もあるところです。新たに設けた藤原京への遷都報告・平安祈願(当然神事として執り行われる)を神武天皇陵はじめ主要な御陵で持統天皇が行ったのかどうかはっきりわかりません。またこの歌の「たまたすき」は、披露された時点での神事への言及であるのかも題詞と歌からその可能性を言うだけです。

 一方、同じように「たまたすき」という語句が「うね(び)」に続く2-1-207歌と2-1-546歌が作詠時点で神事(祈願)をしており、2-1-1339歌も作詠時点で標(呪術的な行為)を結んでいます。そして、「うねびやま」に作中人物や相手の人物が比喩として持ち込まれたりしています。「うね(び)」に続く場合は、2-1-29歌も含め、神事あるいは呪術的行為を作詠時点あるいは披露時点で行っている可能性があります。

⑥ 表2に示すように、動詞「かく」は幾つかのパターンがあります。神事を行う場合、祭主は「たすき」を必ず身に着け、袖の動きを制止する目的から「肩から」かけたり、「項(うなじ)に」かけ直すという所作を繰り返しつつ、神事を執行しています。  それに注目して、動詞「かく」の直前に、美称「たま」を付けた「たすき」により神事を意識して最初は「たまたすき かく」という肯定形の語句を用いている、と理解できます。

 それが、「かけぬ」と否定形の語句に続いている場合は、神事よりも「たすき」という紐に注目しているようです。「たすき」をかける所作のみに注目が集まっています。

「たすき」という名詞を含む枕詞は、「たま」と修飾して「たまたすき」と五文字にしています。「ゆふたすき」の五文字では枕詞の用例が、『萬葉集』ではありませんでした。

⑦ 以上の考察も整理すると、次のように指摘できます。

第一 『萬葉集』の編纂時点でも、「たすき」は、神事・祈願における祭主が必ずかけるものであったので、「たすきをかく」という表現には、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意、即ち神事を行う代名詞・略語である認識が生まれやすかった。枕詞には、「かく」を導く語句として「美称」の「たま」をつけ五文字の句となった。

第二 奈良盆地にある畝傍の地が神武天皇の都の地でありかつ御陵のおかれた地であり、神事を行う代名詞・略語が神武天皇の尊称に取り入れられた。その後「畝傍山」に特定の人物を示唆している場合、「たまたすき」は畝傍山の枕詞になっている。

第三 「たまたすき」が肯定形で「こころにかく」や否定形で「こころにかけぬ」と続く場合は、「かく」を言い出す語句として用いられている(いわゆる枕詞としての用法)。

第四 さらに「こころにかく」結果の状況の表現が工夫され、神事を離れ単に「たすき」という紐を使用する所作「かく」に焦点があてられ、「かく」ことをする目的から「たまたすき」は「袖の動きを制止する紐」の代名詞になった。2-1-4260歌のように神事を詠う「ゆふたすき」も「ゆふ」が神事を示唆し、「たすき」が「袖の動きを制止する紐」を指している、と理解できる。

第五 今、現代語訳を保留している2-1-3005歌の「たまたすき」も、「袖の動きを制止する紐」であって「こころにかく」を強調するため語句になっている、と推測できる(いわゆる枕詞としての用法)。

(2-1-3005歌は、三代集での「たまたすき」の用例を検討後に現代語訳を試みます。)

⑧ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集 ・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。次回は、三代集の「たまたすき」を検討します。

(2021/3/15  上村 朋)

 

付記1.『萬葉集』で「たまたすき」と訓む語句の例の一覧

① 下記の表は、『新編国歌大観』の訓に基づき『萬葉集』における「たまたすき」と訓む語句のある歌を検討してきたブログに基づく。今回補足して検討した事項は、注記した。また、今回語句の訂正を「たすきの意」で行った場合は字消線で削除部文を示し訂正した(2-1-5歌、2-1-3338歌②)。

② 用例は15首で16例あった。

表.『萬葉集』で「たまたすき」と訓む語句の例  (2021/3/15  現在)

万葉仮名

訓(本文)

たまたすきの意

歌番号等

備考(詠っている場面など)

検討ブログ

珠手次

たまたすき

かけのよろしくとほつかみ あがおほきみの いでましの やまこすかぜの

(「珠手次 懸乃宜久 遠神 吾大王乃 行幸能 山越風乃」)

A&K 「大切な丁重にたすきをかけて祈って満足できる(よろしい)結果を得たように、遠い昔の神のような存在の大君がお出ましになって越えた山の方角から吹いてくる風の朝夕に接すれば(ひとりで居てもうれしい風が)」

(字消線部を今回訂正)

2-1-5

1.(奈良盆地以外の地と朝鮮半島への)外征に向かう途次の歌

2.「珠」は、神々に祈る際に身に着けるべき「手次」に対する美称。「たまたすき」を「掛ける(懸ける)」という表現は、「祭主として祈願する」姿を指し示しす。だからここでの「珠手次」は、祈願することまでを意味する。

3.「たまたすき かけのよろしく」とは、祈願が叶ったようにうれしい風(都からの便りを運ぶ風)がふいた)の意。

2020/9/28付け

玉手次

たまたすき うねびのやまの かしはらの ひじりのみよゆ  

(「玉手次 畝火之山乃 橿原乃 日知之御世(従)」)

A&U 「神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山近くの橿原の地に宮を置かれた聖天子・神武天皇の時代(から、)」

 

2-1-29

1.巻一は宮廷儀礼中心の巻。都を対比している。この歌は藤原京地鎮祭行幸時に新京(と天武天皇持統天皇)を寿ぐ歌。(奈良盆地に都を定めたことを間接的に寿ぐ)

2.多くのいわゆる枕詞を用いて、天皇(および天皇の行為)を尊称している。「玉手次」もその一つ。神武天皇の名を詠いだす。

3.「たまたすき」の語句には「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている。

2020/9/28付け

玉手次

たまたすき か(懸)けてしのはむ

(「玉手次 懸而将偲 恐有騰文」)

A&K 「祭主が襷をかけて神に奉仕しお告げを聴くように、心を込めて大君(高市皇子)の成されたことやお言葉を偲びたい、と思います。大君のことを勝手に話題にするのははばかれるのですが。」

2-1-199

1.高市皇子尊城上殯宮之時の挽歌。

2.編纂者の挽歌の定義は「「棺を挽く時つくる歌にあらずといへども、歌の意(こころ)をなずらふ」 

3.「玉手次」には、神に奉仕するにあたって穢れのない状態を示す「たすき」をかける祭主のように、厳粛に貴方様を敬って偲ぶ、という意を込めることができる。

2020/10/5付け

玉手次

たまたすき うねびのやまに(なくとりの こゑもきこえず)

(玉手次            

畝火乃山尓 喧鳥之 音母不所聞 )

A&-- 「玉たすきを掛け、神に祈ってから市に来たので、畝火乃山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の声は聞こえず、」(仮にA&Uの場合:*1)

2-1-207

1.人麻呂が妻の死後、妻が無事にあの世に出立するよう詠う歌。

2.当時の葬送儀礼は、亡くなった人がこの世に未練を残して悪さをしないように、というもの。

3.元資料の歌が里の名も山の名も入れ替え可能な葬列の歌とすれば、「畝傍山」を用いるときにだけそれに冠する語句を用意するのは特別すぎる。山の名に関わりなく「たまたすき」が(類音以外の)意義のある語句として用いられているのではないか。

4.この世からあの世に行く妻が満足して向うようにと祈って葬列に加わった、という行為を略して「たまたすき」の一語で言った。「うねび(の)やま」に冠する語句ではない。

5.「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている「たまたすき」の用例

(*1)

2020/10/12&2020/10/19付け

珠手次

わたつみの てにまかしたる たまたすき かけてしのひつ

綿津海乃 手二巻四而有 珠手次 懸而之努櫃 日本嶋根乎

B&K 「海神が手にしている(海由来の)「たま」でできているものもあるという「たまたすき」をかけるように、心にかけて「日本嶋根」(海からの陸地)を賞美したことだ。(再検討後の訳)

2-1-369

1.着任時の挨拶歌。赴任途中船上より任地の人々と海の幸を寿ぐ。

2.「綿津海乃 手二巻四而有」は「珠」の序(これを重視し今回再検討した。)

3.たまたすきとは「素材に(海由来の)玉を使ったたすき」(再検討した結果も同じ)。

4.「たすきに懸ける」ということが「心に掛ける」に通じる、として作者は用いている。(再検討した結果、序を用いて「たま」をいいだしているので「たまたすき」を強調している。「たまたすき かく」が「こころかく」の意となる。)

5.金村の代作。作詠時点は聖武天皇9年目以降の時点。

6.「かけてしのひつ やまとしまねを」とは、任地の越前国の来し方を讃嘆した(かつ、前任者たちを讃嘆した)ことば

6.再検討後も、「祭主」がかける「たすき」の役割が残ってない「たまたすき」の用例。

2020/10/26付け

玉田次

うるはしづまは あまとぶや かるのみちより たまたすき うねびをみつつ(愛夫者 天翔哉 軽路従 玉田次 畝火乎見管)

A&U「いとしい夫は、遠くへと出立し(いや、いそいそと心では私のもとをはなれるのを喜んで出かけるのでしょうが)、何事もなくお帰りになることを祈った私をみるように、畝傍山を振り返り見つつ(よい麻裳を作る紀州路に入り、)」

2-1-546

1.従駕の場合官人の家では無事を祈っていると想定できる。その行為を、潔斎して神に祈願する行為を指す「たまたすき」という語に託している。

「たまたすき」は作中人物({娘子」)の行為。その作中人物を、畝傍山に例えている。

2.「みそぎ」と同様に、「祭主として祈願する」という儀式全体の代名詞の意を「たまたすき」に持たせている。

3.「たまたすき」という行為をした人物を畝傍山に見立てるのは、この二つの語句の結びつきとして新たな使い方。

2020/11/2付け

玉手次

<おもひあまり いたもすべなみ> たまたすき うねびのやまに われしめゆひつ

<思賸 痛文為便無> 玉手次 雲飛山仁 吾印結

A&U<・・・>神に祈願して、普段の状態ではない畝傍山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますことしかできない私です。)(仮にB&Uの場合:*2)

別案:「雲飛山」を、「雲飛ぶ山」と訓むと、「・・・、さらに雲が飛ぶような山に標を結んだよ(今は遠い存在の貴方を励ますだけの私です。)」

2-1-1339

 

1.「寄山」と題する譬喩歌五首の一首。恋の相手(女)は遠い存在になったしまったと認めた歌。「雲飛山」は相手を指す。

2.この歌は3つの文からなる。「たまたすき」で一文。「雲飛山」の訓読に関係なく「祭主として祈願した」の意の文。(*2)

3.別案の「雲飛ぶ山」は「大野」と同じく囲む効果がないもの。「印結」とはここでは「独占する」とか「近寄るな」とかの歌語ともいえる万葉仮名。作中人物は呪術であることを承知で、せめてできることをした、と恋の相手に訴えた歌。

4.「雲が飛ぶような山」を対象として、実際に(例えば遥拝する場所で象徴的な)標を結ぶのは、呪術的にも効果があると作中人物は思っていない。

2020/11/23付け

 

玉手次

たまたすき かけぬときなく いきのをに あがおもふきみは(玉手次 不懸時無 気緒尓 吾念公者)

A&K「祈るにはたすきをかならず掛けるように、私は貴方をいつも大切に思っています。そして、この度もたすきを掛けて神に祈願をして、(私が)命がけで、気に懸けている貴方は」

2-1-1457

 

 

1.みそぎと同様に「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞。

2.この歌における「玉手次」には、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている用例。「たまたすきをかける」を神事の紐をかける意としている。

2020/12/14付け

珠手次 

こころくだけて たまたすき かけぬときなく くちやまず あがこふるこを(心摧而 珠手次 不懸時無 口不息 吾恋児矣)

 

A&K「心はくだけてしまい、(私の行動は制御が利かなくなり、) 神に祈る時には常にたすきをかけないことがないように、貴方を心に懸けない時は無く、だから、(貴方のことしか考えられなくなり)ため息ばかりだ、ああ、吾が恋する君よ。」

 

2-1-1796

 

 

1.題詞にある「娘子」(をとめ)の巻一~四の用例では「若い女官」と「遊行女婦」が多い。ここもそれか。

2.4句(肝向、珠手次、玉釧、真十鏡)が枕詞と指摘されている。珠手次以下の3句は身近なものの名詞でもある。ここでは玉釧は名詞(非枕詞)、真十鏡も名詞の意を十分残す(常には蓋をしているもの)。

3.珠手次の「珠」は「たすき」の美称であって「たすきをかける」という表現は「祭主として祈願する」姿を指しており、「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞・略語。ここでは、祈願そのものが特別な行為なので、心に「不懸時無」く、ということの必死さの比喩。

4.「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている用例。

2020/12/21付け

玉手次

たまたすき かけぬときなく あがこふる (玉手次 不懸時無 吾恋)

B&K「たまたすきは掛けるものと決まっているように、私がいつも心に懸けて思っているのは、貴方、私が恋い慕う貴方。」

2-1-2240

 

 

1.  この歌は相聞歌ではなく秋雑歌。

2.  「しぐれ」から発想した別々の4首「詠雨」の3首目。将来、運よくしぐれに自分があった時の歌。

3.  「しぐれ」はときどきある便りをもいう。

4.「たまたすきかく」とは、「懸く」という動作(動詞)の対象に、紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」があることを示す。

5.「たまたすき」に「祭主」がかける「たすき」の役割が残っていない。

6.このように割り切って理解した最初の人物が、巻十の編纂者。

2021/1/11付け

玉手次

たまたすき かけずわすれむ ことはかりもが

(玉手次 不懸将忘 言量欲)

 

B&K

1.作中人物が男の場合:だから、たすきをかけない日常のように、貴方を心に懸けないようにして、貴方を忘れましょう。(でも、)わすれる方法があるでしょうか(みつからないのですよ)。

2.作中人物が女の場合:「だから、たすきをかけない日常のように、貴方を心に懸けないようになるような、失念できるような方法があればなあ。」

(仮にA&Kの場合:*3)

2-1-2910

 

1.2-1-2910歌と2-1-2911歌は一対の歌。

2.美称の「たま」をつけた語句「たまたすき」を「かけず」とは、悲恋の歌なので神事(祈願)を行わない、という意ととれば、神を見限ったかの表現になる。

3.「たすき」とはそもそも「神事の際、供物などに触れないよう、袖をたくしあげるために肩に掛ける紐」であり、用途を限定した紐。ここではその用途に触れず、使い方として「常にかけるもの」の例に「たすき」を挙げている。

4.そして「たすきを常にかける」ことを譬喩にせず「たすきをしない日常」を比喩として「貴方が私に関係しない日常」を言っている。これは「たすき」と「かく」の新しい関係。

5.単に「かける」という動詞の対象に紐である「たすき」と体の一部位である「こころ」があることを言い出している。

「たまたすき」は、「たすき」というものの使い方のイメージよりも動詞「懸く」という語句を単に導いている用例。(*3)

2021/1/25付け

玉手次

たまたすき かけねばくるし かけたれば(玉手次 不懸者辛苦 懸垂者)

保留

 

2-1-3005

 

1.3-4-19歌の類似歌として検討対象の歌なので、当分の間保留

2.巻十二までの「たまたすき かく」の用例に、4類型ある。

第一 (たまたすき)かけてしのふ、と詠う例:2-1-199歌(巻二)  2-1-369歌(巻三)

第二 (同)かけぬときなく、と詠う例:2-1-1457(巻八) & 2-1-1796(巻九) &2-1-2240(巻十)

第三 (同)かけずわすれむ、と詠う例:2-1-2190 (巻十二)のみ

第四 (同)かけねばくるし、と詠う例:2-1-3005(巻十二)のみ

2021/1/25付け

玉手次

たまたすき かけぬときなく あがおもへる きみによりては(玉手次 不懸時無 吾念有 君尓依者)

B&K 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などない貴方のために、・・・」

2-1-3300

 

1.編纂者はこの歌を次の反歌を1対に仕立てた。「相手の為に祈る」という趣旨の歌であり、語句は(元資料の意を離れ)編纂者の理解によっている。

2.「たま」は一般的な美称とみて「たまたすき」を「たすき」の歌語と割り切っている。「たまたすき」とは「懸く・掛く」ものというその使用方法を第一に意識している歌。

3.当時の「たすき」のイメージは、神事の際に必ず使用する紐の意でそれ以外の利用が全然なかったようだ。

2021/2/1付け&2021/2/8付け

玉田次

たまたすき かけぬときなく あがおもふ いもにしあはねば (玉田次 不懸時無 吾念 妹西不会波)

 

B&K「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などなく私が恋しく恋しく思っている貴方には逢えないということであれば、」

2-1-3311

 

 

1.逢わないのは、死ねと言っていることですよ、と詠った歌。

2.語句の理解は編纂時点のものがよい。

3.「たすき」は「かく」と発音する動詞にかかることを重視した用い方

2021/2/15付け

珠多次

なびけるはぎを たまたすき かけてしのはし(靡芽子乎 珠多次 懸而所偲)

B&K「(露をやどしてなびいている萩を、)玉たすきはつねにかけるものであるように、心に懸けて賞美され」

 

2-1-3338①

 

1.葬送儀礼時朗詠できる歌。

2.枕詞を12種用い「たまたすき」は同2回用いている歌。

3.「たまたすき」はともに「かく」にかかり、「こころに掛ける」意を導く。対象は「人物」ではなく「萩」と「松」。ただし、「こころに掛ける」人物は異なる。

4.「たまたすき」はたすきを掛ける意のつながりで「かく」につづく。「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」に徹した用法。

5.この歌の作者と巻十三の編纂者に「たすき」の使用目的を意識している様子が見えない。

2021/3/1付け

珠手次

みそでの ゆきふれしまつを こととはぬ きにはありとも あらたまの たつつきごとに あまのはら ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはな かしこくあれども(御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有)

B&K 「(皇子の)御袖の触れた松を、もの云わぬ木ではあるが新たに立つ月があらたまるごとに天の原を振り仰いで見ながら、玉たすきがつねにかけるものであるように、つねに、心に懸けて忍ぼうよ。」

(字消線部を今回訂正)

2-1-3338②

 

1.葬送儀礼時朗詠できる歌。

2.枕詞を12種用い「たまたすき」は同2回用いている歌。

3.「たまたすき」はともに「かく」にかかり、「こころに掛ける」意を導く。対象は「人物」ではなく「萩」と「松」。ただし、「こころに掛ける」人物は異なる。

4.「たまたすき」はたすきを掛ける意のつながりで「かく」につづく。「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」に徹した用法。

5.この歌の作者と巻十三の編纂者に「たすき」の使用目的を意識している様子が見えない。

6.「皇子の御袖の触れた松」を仰ぎ見る意。皇子を偲ぶことを遠回しに言っている。

2021/3/1付け

 

 

 

 

 

 

 注1)歌番号等は『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号

注2)歌は『新編国歌大観』の訓で検討した。

注3)「たまたすきの意」欄の符号:

 神事との関係の区分:2区分する。Aは、「祭主」がかける「たすき」の役割が残っている。「たすき」が祈願の儀式全体の代名詞あるいは略語。 Bは、「非A」

 たまたすきが続く語句の区分:4区分する。K:「かく」、U:「うね(び)」、Z:その他、 ―:かかる句無し。

注4) 当該歌を検討したブログは主要なものを挙げる。

注5) *印は、その歌のブログに対する今回の追記である。そのブログの結論を変えるものではない。

*1:(207歌)この歌をA&Uと理解した場合、「(軽の市に、私は立って聞いたが、)神に奉仕の際にたすきをかけるうなじ、そのウナジと同音ではじまる、畝傍の山から軽に鳴きながら飛んでくる使いの鳥の声は聞こえず、・・・」となる。鳥が来ないということは、妻の魂は、まだ肉体にある、ということであり、妻の魂は葬送の儀礼を待っているのだから、作者と妻の関係は良好であることを確認したことになるか。また、畝傍の山は死者の行くところあるいは経由するところ、となる。「畝傍山」はますます神武天皇の御陵にも関係しない地名・山名となる。

*2:(1339歌)この歌をB&Uと理解した場合、「たすきをかける項(うなじ)ではないが、深山にみえてしまっている「う」が同音の畝傍の山に、標を結んだのだよ(それしかできないだ、今の私には)」となる。畝傍の山は相手の女性。 畝傍山奈良盆地にある身近な山であり、単に同音の「う」に続く例とみなした2-1-29を前提とした歌となる。しかし、人麻呂作の2-1-29歌をそのようには理解しないほうが妥当である。

*3: (2910歌)この歌をA&Kと理解した場合、「たまたすき かけずわすれむ」とは、「(神が我が願いを聞き届けてくれなかったのを、清く受け入れ、再び)祈ることは止めて、(貴方のことは)忘れよう」 と理解できる条件があれば可能である。この歌を送る相手にいくつか歌(恋文)を送っていてその歌が祈願に関して触れていれば、返しの歌もないこととあいまって、神への冒涜はなく、このように理解する条件が整う。元資料などでは有り得る理解となる。しかし、『萬葉集』記載の歌としては、2911歌と一対の歌群の範囲の情報では、その条件のもとの歌という限定ができない。 

(付記終わり  2021/3/15   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 並みのたまたすき 

 前回(2021/2/15)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 期待のたまたすき3」題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 並みのたまたすき」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.~22. 承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認した。3-4-19歌は、初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』での用例を巻十三まですすめてきた。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、神事の面影がそのことばに残っている歌が、これまでは断然多かった。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

23.巻十三の3首目のたまたすき 

① 『萬葉集』巻十三には、「たまたすき」の用例が3首あります。2-1-3300歌、2-1-3311歌、及び2-1-3338歌です。

今回は3首目の2-1-3338歌を検討します。

萬葉集』巻十三は、左注の「右〇首」により歌を組み分け、挽歌の部には9組あります。この歌は、その最初の組である「右二首」の最初の歌(長歌)です。

② 『新編国歌大観』より「右二首」を引用します。

「たまたすき」が長歌に二度(「珠多次 (懸而所偲)」及び「珠手次 (懸而思名)」)用いられています。

 

2-1-3338歌 挽歌

   挂纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 年緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 国見所遊 九月之 四具礼乃秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡芽子乎 珠多次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二所取 賜而所遊 我王矣 煙立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 [一云 者] 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障経 石村乎見乍 神葬 葬奉者 徃道之 田付〇(偏が口、旁が刀(りっとう))不知 雖思 印乎無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有

   かけまくも あやにかしこし ふぢはらの みやこしみみに ひとはしも みちてあれども きみはしも おほくいませど ゆきむかふ としのをながく つかへこし きみのみかどを あめのごと あふぎてみつつ かしこけど おもひたのみて いつしかも ひたらしまして もちづきの たたはしけむと わがおもふ みこのみことは はるされば うゑつきがうへの とほつひと まつのしたぢゆ のぼらして くにみあそばし ながつきの しぐれのあきは おほとのの みぎりしみみに つゆおひて なびけるはぎを たまたすき かけてしのはし みゆきふる ふゆのあしたは さしやなぎ ねはりあづさを みてに とらしたまひて あそばしし わがおほきみを かすみたつ はるのひくらし まそかがみ みれどあかねば よろづよに かくしもがもと おほぶねの たのめるときに なくわれ めかもまとへる おほとのを ふりさけみれば しろたへに かざりまつりて うちひさす みやのとねりも(一伝 は) たへのほの あさぎぬければ いめかも うつつかもと くもりよの まとへるあひだに あさもよし きのへのみちゆ つのさはふ いはれをみつつ かむはぶり はぶりまつれば ゆくみちの たづきをしらに おもへども しるしをなみ なげけども おくかをなみ みそでの ゆきふれしまつを こととはぬ きにはありとも あらたまの たつつきごとに あまのはら ふりさけみつつ たまたすき かけてしのはな かしこくあれども

 

2-1-3339歌  反歌

角障経 石村山丹 白栲 懸有雲者 皇可聞

      右二首

つのさはふ いはれのやまに しろたへに かかれるくもは おほきみにかも

③ 長歌2-1-3338歌の「たまたすき」の用例部分を中心に、阿蘇氏の現代語訳を、引用します。

 「(言葉に出すのもまことに恐れ多い、藤原の都に、ぎっしりと人々は満ち満ちているが、君は大勢おいでになるが、過ぎ去ってはまた新たに来る長い年月、お仕えしてきたわが君の御殿を、天を仰ぎ見るように仰ぎ見つつ、・・・)九月の時雨の降る秋は、大殿の砌いっぱいに露をやどしてなびいている萩を、心にかけて愛でなされ、み雪の降る冬の朝は、刺し楊が根を張るという、弦を張った梓の弓を御手にお取りになって、・・・(いくら嘆いても限りがないので、)皇子の御袖の触れた松を、もの云わぬ木ではあるが、月が改まるたびに、天の原を仰ぎ見るように仰ぎ見ながら、玉だすきを肩にかけるように、心にかけて偲ぼうよ。恐れ多いことではあるが・・・・」

④ 氏は、現代語訳にあたり、最初の用例「珠多次 (懸而所偲)」では、「(露をやどしてなびいている萩を、)心にかけて愛でなされ」と訳出し、二つ目の用例「珠手次 (懸而思名)」では、「玉だすきを肩にかけるように、心にかけてしの偲ぼうよ」と訳出しています。

 土屋氏は、最初の用例は「(露を受けてなびいた萩を)タマダスキ(枕詞)心に掛けて賞玩され」、二つ目の用例は「タマダスキ(枕詞)心にかけて、慕ひ思はう」としています。氏自身の方針に従い枕詞を原則訳出していません。

 この歌の構成は、阿蘇氏にならうと次のようになります。

「たまたすき」の用例は、その第二と第四にあります。

第一 世の皇子への期待感と作中人物との関係を述べる 22句

第二 生前の皇子の様子を、四季にわけて述べる 30句

第三 突然の皇子の死と殯(もがり)の様子を述べる 20句

第四 埋葬時の情を述べ長く皇子を偲ぶことを誓う 17句

    計89句

⑤ 反歌2-1-3339歌の現代語訳の例を、引用します。

 「葛の這う磐余の山に、白くかかっているあの雲は、わが大君であろうかなあ。」(阿蘇氏)

 「ツノサハフ(枕詞)磐余の山に白い布の如くに、かかって居る雲は、大君であるだらうか。」(土屋氏)

 阿蘇氏は、五句「皇可聞」を「わがおほきみかも」と訓み、「大君にかもあらむ」の意とする訓「おほきみにかも」はいかがと思われる、と評しています。土屋氏は、(この訓「おほきみにかも」は)拙い言葉づかひである。原作によって「あらむ」を省略したと、理解出来る。これは仙覚の訓」と指摘しています。

⑥ この歌は、巻十三の、挽歌の部にありますので、その部の配列を検討した(付記1.参照)結果、少なくとも次のような指摘ができます。

 第一 巻十三は、挽歌の部も、「右○首」を単位として配列している。その配列順は、皇子へ(2-1-3338~2-1-3340)、皇族へ(2-1-3341~2-1-3342)、官人の大和国での死者へ(2-1-3343~2-1-3348)、行路死人へ(2-1-3349~2-1-3357)、官人の遠国の勤務地での死者へ(2-1-3358~2-1-3362)となっている。

 第二 皇子への挽歌は萬葉集の前例歌の模倣・組合せの歌。それ以外は、皇族への挽歌を含め先例の民謡を組み合わせた歌か。

 第三 どの歌も、死者の身分(皇子・皇族・官人その他)があえば当該死者にも挽歌として地名など置き換えて使用可能な歌である。また作中人物も官人・妻など一般的な属性のみが特定されている歌である。

 第四 配列順において留意すべきは、「右九首」とする行路死人への挽歌と、最後の「右二首」である。

⑦ 長歌2-1-3338歌を、検討します。この歌と反歌(2-1-3339歌)の作中人物は、皇子を偲ぶ官人です。

 歌は、人麿作2-1-199歌を念頭にその他の人麿歌で補綴し、さらに伝承過程でも手が入った後に記録されたものを、巻十三の編纂者は見た、と思われます。

 巻十三の編纂者の時代には、皇子のみならず官人の葬送儀礼でも、いくつかの挽歌を朗詠するのが慣例でした。土屋氏は「半職業的な歌ひ手があって、(このような歌は)求められて歌ひあげたものかもしれぬ。(だから)皇子以外にも歌はれたかも」と指摘しています。

 葬送儀礼の慣例では、死者の配偶者の立場の朗詠は必須であり、その例もこの挽歌の部に複数記載されています。

 反歌に詠われている雲について、阿蘇氏は、説明を省いています。土屋氏は、「巻三の人麿作の歌(2-1-431歌)の改作であり、火葬の煙を白雲に思ひ寄せて、歌っている」と指摘しています。2-1-431歌の詞書には「土形娘子火葬泊瀬山時、・・・」とありますが、この長歌反歌には題詞も左注もなく、また最初からペアの歌であったかもわかりません。火葬のほか土葬でも風葬でも葬送の歌としても朗詠されて(実用に供して)きたとするならば、巻十三の編纂者の時代には、反歌は2-1-431歌の詞書を離れた歌となっていたと思います。

⑧ さて、2-1-199歌は、149句の長歌であり、いわゆる枕詞を阿蘇氏は14句指摘しています。土屋氏は13句指摘したうえ、修飾句と扱っているとした句も2句あります(「ちはやぶる」と「おほゆきの」)。

 この歌は89句からなり2-1-199歌より4割も短い長歌ですが、阿蘇氏は、いわゆる枕詞を12句、土屋氏は、13句(阿蘇氏の12句と「ゆきむかふ」)指摘しています。

 そのほか、この歌は同一の枕詞1種類を2句(つまり2回)用いています。それが「たまたすき」です。

⑨ この歌の作者及び巻十三の編纂者は、多くの枕詞に対して共通の考えのもとに用いあるいは理解していると思います。その考え・理解を、枕詞と理解した句数の多い土屋氏のいう枕詞(13句)を例として検討します。なお、『例解古語辞典』の「主要枕詞一覧表」(Aと略称)にある語句であれば、「A」と注記します。

 

第一 「徃向 (年緒長)」(ゆきむかふ(としのをながく)):経行くところの意で、「とし」につづけたか、と氏は指摘し、「むかふ」はここでは動詞に附いているが、名詞(きもむかふなど)に附いて枕詞になるものと同じらしい、ともいう。

なお、『萬葉集』で「ゆきむかふ」という訓のある歌は、この歌のみ。

第二 A「もちづきの」:望月の如くの意で、「たたはし」の枕詞。氏はこの枕詞を、「望月の」と訳出している。Aによれば、「たたはし」「足れる」などにかかる。

第三 A「遠人 (待之下道湯)」(とほつひと(まつのしたぢゆ)):遠人を待つ意で「まつ」即ち「松」の枕詞。Aによれば、「まつ」「かり」にかかる。

第四 A「珠多次 (懸而所偲)」(たまたすき(かけてしのはし)):たすきを掛ける意のつながりで「かく」につづく。Aによれば、「掛く」「うね」にかかる。(さらに下記⑩以下において検討をする。)

第五 「刺楊 (根張梓矣)」(さしやなぎ(ねはりあづさを)):氏は、茂った柳とみるべきで矢を忌んだのである、と指摘する。さらに、「(この歌では、)「梓」も「弓」を省いて用いているが梓弓をさしあるいは「はりあづさ」で弓の意とも見える。「弓矢」(という語)を死者のため避けた(ので、この語句の並びで)、冬は弓矢を持ち狩りされた」と表現した、と氏は指摘する。氏は「さしやなぎ」が(「根(はる)」にかかるので)矢を言い出している枕詞とみており、この枕詞を、「さしやなぎ即ち矢や(アズサの弓を)」と訳出している。

なお、『萬葉集』で「さしやなぎ」という訓のある歌は、この歌のみ。

第六 A「喚犬追馬鏡 (雖見不飽者)」(まそかがみ(みれどあかねば )):「見る」につづく。 Aによれば、一般に「清し」「影」「見る」「掛く」などにかかる。

第七 A「大船之 (憑有時尓)」(おほぶねの(たのめるときに)):大船の如く信頼できるという意味から「たのむ」につづく。2-1-109歌では、船の津即ち港というつづきで「津」の枕詞と氏はみている。Aによれば、「頼む」「たゆたふ」などにかかる。

第八 A「内日刺 (宮舎人方)」(うちひさす(みやのとねりも)):日にかがやいて居る宮という修飾から来たのであろうと氏は2-1-463歌で指摘する。Aによれば、「宮」「都」にかかる。

第九 「くもりよの」:曇夜のごとくの意で「まどふ」につづく。氏は、2-1-3200歌における「くもりよの」を枕詞としての用法とし、歌を「曇り夜の如く、とりつきはもなく、山を越えて行かれる君を・・・」とし、この歌においてもこの枕詞を「曇り夜の」と氏は訳出している。 一般には、「たどきも知らず」「惑ふ」「あがしたばへ」などにつづく、とされる。

第十 A「朝裳吉 (城於道従)」(あさもよし(きのへのみちゆ):氏は、「麻裳を着るといふつづきであるといはれている」として「き」につづくとしている。また、磐余への葬斂を歌って居る反歌によって「きのへ」は(地名ではなく)「墓槨(ぼかく)のほとり」ともなり得る、と指摘する。

 Aによれば、「紀(地名)」「城上」にかかる。

第十一 「角障経 (石村乎見乍)」(つぬさはふ(いはれをみつつ)):氏は「いはれ」につづく、と指摘する。2-1-135歌ではツヌは蔓。それの這う岩といふつづきと言はれるが、確かでないと指摘し、また2-1-285歌でツヌは「イハツヌ」即ち岩上の蔦で、その意からイハにつづけられる、とも指摘する。一般には、「いは」(岩・磐余(地名)・石見(地名)など)にかかる、とされる。

第十二 A「荒玉之 (立月毎)」(あらたまの(たつつきごとに)):氏は、2-1-446歌において「磨かない玉即ちアラタマを砥にかけるといふ意でトシのトにつづくのであるといふ」と指摘している。

 Aによれば、「新玉の」という表記で、一般に「年」「月」「日」「春」にかかる。

第十三 A「珠手次 (懸而思名)」(たまたすき(かけてしのはな)):上記第四参照。

 

 このほか、「けぶりたつ」も「原野を焼く原などに立つので、枕詞的に用いた語句」と、氏は指摘しています。この歌では、「たまたすき」が二句あるので、枕詞としては12種類を指摘していることになります。そして、自らの方針に反して、氏は、第二と第五と第九を訳出しています。

⑩ 『例解古語辞典』の「主要枕詞一覧表」には、このうち8種類が記載されています。なお第五は、諸氏のなかには「刺し柳 根張り梓」を、「挿し木にした柳が根を張る」から「弦を張る」とつづけた序と理解している例もあります。

 そもそも枕詞とは、日本語の韻文(長歌と短歌など)の修辞法の一つであり、原則五音の句により作者の表現意図を反映させています(その後散文にも用いられています。また付記2.参照)。具体的な事物を指す語句を枕詞としている場合は、その事物の特徴などを利用して続く語句を卓立させていますので、その歌だけの(唯一の利用例となる)枕詞と理解してよいものも少なくありません。(『例解古語辞典』巻末の「和歌の表現と解釈」参照)

 土屋氏が2-1-3338歌において、「枕詞」と理解している語句について、『萬葉集』での用例を確認すると、つぎのとおり。その語句が枕詞ではない修飾句と認められる例を含みます。

第一 ゆきむかふ:1首(この歌のみ)

第二 Aもちづきの:4首 普通の修飾句もある。

第三 Aとほつひと:5首

第四と第十三 Aたまたすき:14首 この歌は最後の歌

第五 さしやなぎ:1首(この歌のみ)

第六 Aまそかがみ:35首 普通の修飾句も名詞もある。

第七 Aおほぶねの:17首

第八 Aうちひさす:13首

第九 くもりよの:3首 この歌は2首目

第十 Aあさもよし:6首

第十一 つぬさはふ:5首 この歌は4首目

第十二 Aあらたまの:36首

 この歌だけの枕詞と氏が認めているのが、「ゆきむかふ」、「さしやなぎ」の2句です。

 その2句を含めて枕詞は、次に続く語句にみなかかっている、と諸氏も理解しています。その枕詞の謂れの確かさは不問で歌を理解しています。巻十三の編纂者においても「たまたすき」を含め同じような理解をしている、と推測できます。

⑪ また、同一の枕詞を1首のうちに2回用いている歌は、巻十三の挽歌の部にはこの歌(2-1-3338歌)の「たまたすき」しかありません。2-1-3338歌にある「たまたすき」以外の枕詞にもなる語句を調べても、『萬葉集』では2回用いた歌はありません。「まそかがみ」という句は枕詞・名詞等で35首に用いられていますが、ひとつの歌に1回です。

 なお、2-1-3813歌では、「まそかがみ」のほかに「かがみ」という語句があります。その部分を引用すると、

 「腰細丹 取餝氷 真十鏡 取雙懸而 己蚊果 還氷見乍  こしほそに とりよそほひ まそかがみ とりなめかけて おのがなり かへらひみつつ」 (腰を細くして取り装い、まそ鏡のように取り並べて懸けて自分の風体を振り返りながら見て)

 「後之世之 堅監将為迹のちのよの かがみにせむと」

 このように、枕詞という扱いとは思えません。

 このほかに「しろたへの」という語句が2-1-484歌で2回用いられていますが共に枕詞であるとは思えません。

上記以外の枕詞でも(すべての確認はできていませんが)同様なのではないか、と推測します。

⑫ ここまでの検討で、「たまたすき」は、「かく」と「うね(び)」にしかかかっていませんでした。この歌でも、「かく」にかかっています。その前後の句を阿蘇氏の現代語訳はつぎのようでした。

 最初の「たまたすき」の前後:「九月の時雨の降る秋は、大殿の砌いっぱいに露をやどしてなびいている萩を、心にかけて愛でなされ、」

 次の「たまたすき」の前後:「皇子の御袖の触れた松を、もの云わぬ木ではあるが、月が改まるたびに、天の原を仰ぎ見るように仰ぎ見ながら、玉だすきを肩にかけるように、心にかけて偲ぼうよ。」

 前者は、亡くなった皇子が「心にかける」のであり、皇子が、萩という植物を鑑賞された意です。実際に「たまたすき」を用いることになる神に奉仕する(祈願する)場面からは連想できない光景です。「かく」を導くのみの用法と言えます。万葉仮名での「珠多次」という表記は、この歌のこの句のみです。

 後者は、作中人物が「心にかける」のであり、それは、2-1-199歌が亡くなった皇子を偲ぶことであったのに対して、「皇子の御袖の触れた松」を仰ぎ見る意です。それは皇子を偲ぶことを遠回しに言っていると理解できますが、2-1-199歌が直接皇子を偲ぶという表現に比べると、作中人物の気持ちは浅いようにみえてしまいます。しかし、この歌とともに葬礼で(高市皇子への挽歌である)2-1-199歌が朗詠されることは決してないので、実用上は差支え無かったと思えます。

 見かけは、前者とおなじように植物を鑑賞するかのような表現であるので、前者も後者も一様に「たまたすき」を「かく」を導くのみの用法に統一されていることになります。この歌は挽歌であり、後者のみに用いて、人麿作の2-1-199歌の「たまたすき」のような用い方(付記3.参照)の時代ではなかったようです。なお、後者は、万葉仮名では「珠手次」と表記されています。

⑬ この歌のある巻十三の挽歌の部の配列において、長歌にはいろいろな枕詞が用いられています。そのなかで10句もの枕詞がある歌は、この歌しかありません(付記1.参照)。

 また長歌を構成する全句数に対する枕詞の句数の割合をみても、この歌は13/89(15%  約7句に1句の枕詞)で、2-1-199歌でも、14/149(9%  約10~11句に1句の枕詞)と、枕詞を作者は多用しています。

 枕詞という修辞法の「一次的な機能」である「接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)こと」(付記2.参照)に徹して、この歌の朗詠時の効果を意識しているのではないか、と思えます。しかしながら、これだけ頻度が高いと、「長歌の展開のなかで(主要な意味を担う七音を)特に強く印象に残る」ようになっていません。

 この歌が、特定の人物への挽歌と記録されていないことも(歌の汎用性を考慮していることも)、影響しているのではないか。

⑭ この歌と2-1-199歌と共通の枕詞は、「あさもよし」と「たまたすき」の2種類だけです。また、2-1-199歌も各種枕詞はすべて1回用いているだけです。

 阿蘇氏は、「玉だすき」について、2-1-3338歌では特段の説明を加えていませんが、2-1-3002歌の「木綿手次」に「ゆふで造ったたすき。神事を行う時に肩にかけた。広幅の袖が供え物その他に触れるのをふせぐ手段として用いられた紐類」と説明しています。「玉」は美称です。 たすきの用途は当時限定されていたのですが、この歌の作者と巻十三の編纂者は、その使用目的を意識している様子が見えません。

 このため、この歌の「たまたすき」という語句は、同じような意で用いられているので、この語句の前後は、つぎのような現代語訳になるのではないか、と思います。

 最初の「たまたすき」の前後:「(露をやどしてなびいている萩を、)玉たすきはつねにかけるものであるように、心に懸けて賞美され」

 次の「たまたすき」の前後:「(新たに立つ月ごとに天の原を振り仰いで見ながら、)玉たすきがつねにかけるものであるように、つねに、心に懸けて忍ぼうよ。」

⑮「たまたすき」の用例は、この歌以降『萬葉集』にはありません。次回は、ここまでの「たまたすき」の検討結果の整合性などを検討し、『古今和歌集』の「たまたすき」の用例検討に進みたい、と思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌か・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。  

 (2021/3/1  上村 朋)

付記1. 巻十三の挽歌の部の配列検討 (2021/3/1  現在)

① 巻十三 挽歌の部は「右○首」を単位として配列し、計24首を9組にしている。各組に関する私の理解は下記⑧に記す。

② 配列順は、皇子へ(2-1-3338~2-1-3340)、皇族へ(2-1-3341~2-1-3342)、官人の大和国での死者へ(2-1-3343~2-1-3348)、行路死人へ(2-1-3349~2-1-3357)、官人の遠国の勤務地での死者へ(2-1-3358~2-1-3362)となっている。

③ 皇子への挽歌は萬葉集の前例歌の模倣・組合せの歌。それ以外は、皇族への挽歌を含め先例の民謡を組み合わせた歌か。

④ どの歌も、死者の身分(皇子・皇族・官人その他)があえば当該死者にも挽歌として地名など置き換えて使用可能な歌である。また作中人物も官人・妻など一般的な属性のみが特定されている歌である。

⑤ 老齢による人物及び夭折した子への挽歌がない。配列順において留意すべきは、「右九首」とする行路死人への挽歌と、最後の「右二首」である。

⑥ 行路死人への挽歌は「右九首」とくくる歌群であり、各歌は風葬された人物に用いることができる歌である。最後の「右二首」は、編纂者が挽歌に転用したと思われる歌群である。

⑦ 巻十三は、殆どが作者未詳歌であり、編纂者が編纂時承知した形の歌であり、元々の歌は未詳である。なお、土屋氏は、『萬葉集私注』「巻十三後記」で、「訓・訳共に問題の少なくない巻。(解明には)この巻の性格そのものについての、見解からして、始められべきもののやうに思はれる。」と指摘している。

⑧ 「右〇首」別の検討結果は、つぎのとおり。

右二首 2-1-3338歌より2首 長歌反歌。皇子を偲ぶ官人の歌。舞台は藤原宮。長歌の元々の歌の姿は、人麿作2-1-199歌を主として人麿歌で補綴した歌と言われている。反歌は2-1-431歌の改作。挽歌の対象の皇子には論あり。詳しくは本文参照。上司への挽歌の例のひとつか。枕詞が多く用いられ、通俗化した挽歌となってしまっている。長歌は全89句、枕詞と思われる句は約14句ある。反歌には枕詞と思われる句が1句(長歌にもある「つぬさはふ」)ある。

 

右一首 2-1-3340歌より1首 長歌。皇子を偲ぶ官人の歌。殯宮における奉仕を詠うのみ。皇子への挽歌。舞台は大和国。土屋氏は巻二の人麿の挽歌を綴り合わせたものという。墓をつくることを許された人物への挽歌に用いることが可能。27句よりなり、枕詞と思われる句は3句。

 

右二首 2-1-3341歌より2首 長歌反歌。三野王を偲ぶ舎人の歌か。 遺愛の馬のことを専ら叙している歌。土屋氏は三野王とは美濃地方の豪族かと推測し、阿蘇氏は美努王敏達天皇の孫の子の栗隈王の子で橘諸兄の父)とする。似た挽歌が『萬葉集』になさそうである。乗馬が許されている官人にも用いることが出来る挽歌。長歌は13句からなり、枕詞と思われる句は1句。挽歌の対象者を修飾する位置にある。

 

右一首 2-1-3343歌より1首 長歌。 夫を偲ぶ妻の歌  相聞の部にある2-1-3288歌と後半の語句がほとんど同じ。土屋氏は「いくつかの既成の民謡を構成して一篇となしたものか。悲しみを直接歌うところ少なく在りし日の恋の記憶を詠う。広く夫を失った妻のために謡われた民謡」と指摘。葬法は不詳。53句よりなり、枕詞と思われる句は2句。

 

右三首 2-1-3344歌より3首。すべて短い長歌。 2-1-3344歌は、妻を失った夫の心を初瀬の川瀬の死者を詠うか。2-1-3345歌は葬地である初瀬の山を美しいと詠い、2-1-3346歌は、自然が不変であるのに人間(の命)の変化しやすいのを詠う。2-1-3345歌と2-1-3346歌はおくる側の性別不詳。3首に内容のつながり無し。また葬法を推測する語句無し。葬送や死者供養の儀礼などに3首一組として歌われた民謡か。別々でも用いること可能な歌。最後の長歌は葬儀の終わりなどに朗詠するのにふさわしい。3首の長歌は、順に29句、10句、8句よりなり、枕詞と思われる句は、順に1句、2句、無し。

 

右二首 2-1-3347歌より2首 長歌反歌。夫が任地筑紫で死去の報を受けた官人の妻の歌。恋人の思い出ではなく待ち続けたことを詠う。ただ、筑紫で死去とは「大伴之 御津之浜辺従 ・・・」と「盡之山之」が根拠であり、「盡之山之」は西国の山か浜であれば入れ替え可能であり、遠隔地での夫死亡時の官人妻の歌になり得る。長歌は23句よりなり、枕詞と思われる句は約1句あり、反歌にも1句ある。

 

右九首 2-1-3349歌より9首 長歌3首 反歌6首 海辺でみた行路死人を悼む歌。長歌は繰り返しの語句で終わる。さらに2歌群に別れる。第一群は作者未詳の歌で長歌2首反歌2首。 長歌2-1-3349歌は、2-1-3353歌の全35句の始めの14句と末尾の5句部分を民謡化したもの、長歌2-1-3350歌も3353歌の中間14句を民謡化したものと土屋氏指摘。2-1-3349歌は「道去人(みちゆくひと)」の行動を詠っており、死者自身の行動であり、風葬前提ならば行路死人も一般庶民の死者も該当する。2-1-3350歌も風葬の死者の挽歌となり得る。反歌とある2-1-3351歌と2-1-3352歌も同じ。長歌は、20句と28句よりなり、枕詞と思われる句はそれぞれ約3句づつある。反歌2-1-3352歌には枕詞と思われる句が1句ある。

第二群は調使首作の長歌2-1-3353歌1首と反歌4首。土屋氏は人麿作の狭岑島の挽歌(2-1-220歌)の模倣歌という。2-1-3353歌は調使首が「見屍作歌」であり、「屍」の人物には風葬前提ならば行路死人に一般庶民の死者も該当可能。調使首とは、卑性の人物であり、某というのに同じか。長歌は35句からなり、枕詞と思われる句が約4句あり、4首の反歌にはない。

 

右二首 2-1-3358歌より2首 長歌と短歌。 遠国勤務の夫死去の報に接して嘆く妻の歌。人麿の挽歌(2-1-207歌)の構想によった歌。夫との思い出は語っていない。長歌は33句よりなり、枕詞と思われる句が5~7句。

 

右二首2-1-3360歌より2首 長歌と短歌。 前回のブログ(2021/2/15付けの付記1.)で触れたように、赴任地で死去した妻を偲ぶ夫の歌。帰任途中の景を詠む。遠国の勤務地での死者への挽歌として編纂者が官人の夫婦間の歌としてペアとするべく2-1-3358歌よりの「右二首」の歌群とペアにしたか。土屋氏が指摘しているような離別された妻の歌を利用したか。長歌は15句からなり、枕詞と思われる句なし。

付記2.枕詞について

① このブログの本文では「いわゆる枕詞」と言う表現を多くしてきた。「枕詞」とは、修辞法のひとつを言う用語であるので、用いられている語句そのものを意識した表現のつもりであった。「枕詞」という用語としての説明例をいくつか引用する。

②『例解古語辞典』:立項し、二つの意を説明している。

a「和歌の修辞のひとつ。特定の語句または語句群の前におかれる。巻末の「和歌の表現と解釈」を参照」。その巻末の文では、「主要な意味をになう七音の句を先導する」五音を言い、「一次的な機能は、接続する語を卓立する(取り出して目立たせる)ことである」(など)とある。「和歌の表現と解釈」で「萬葉集の和歌」の項において、「長歌の展開のなかで(主要な意味を担う七音を)特に強く印象に残る」ようになること、およびつぎの二つのあることを指摘している。

〇意味を喚起せずに後続する特定の語を卓立するもの:例「山」にかかる枕詞「あしひきの」

〇その事物の特徴により後続する語句を卓立するもの:具体的な事物をさす枕詞。後続する語句との連携のさせかたがそのおもしろさになる。その場かぎりの枕詞(臨時の枕詞)も少なくない。

b「序文。「じょ」の項のかこみ要説参照」

③『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』:修辞法のひとつ。(一句の長さの語句であって)文意全体とは直接には無関係に一語のみを一般的に修飾する用法をいう。この点は序詞と同じであるが,序詞がその場に応じて一回的に用いられるのに対して枕詞が固定性,社会性をもつ点,序詞の音数が不定であるのに対して枕詞は5音 (七五調の場合は7音,いずれも1音程度の出入りはある) 1句に限られる点は相違する。(抄出)

④『世界大百科事典』(第2版):(5音一句に相当する句による)おもに和歌に用いられる古代的な修辞の一つ。独自の文脈によって一つの単語や熟語にかかり,その語を修飾しこれに生気を送り込む。(抄出)

⑤『ウィキペディア』:主として和歌に見られる修辞で、特定の語の前に置いて語調を整えたり、ある種の情緒を添える言葉のこと。序詞とともに萬葉集の頃から用いられた技法である。声を出して歌を詠み、一回的に消えていく時代から、歌を書記して推敲していく時代を迎えたことによって、より複雑で、多様な枕詞が生み出されたと考える。これは『万葉集』に書かれた歌を多く残している人麿によって新作・改訂された枕詞がきわめて多いということによっても、裏付けられることであろう。(抄出)

⑥『古今和歌集』:仮名序の撰集後抱負を述べる段に「・・・ それ、まくらことば春の花にほひすくなくして、みなしき名のみ、秋の夜のながきを・・・」とある。 久曽神氏は、解説(講談社学術文庫p53~54)し、「まくら」(という語の意)に諸説あり、とする。「ことば」(という語の意)について「歌の前の説明文を平安時代には「ことば」といい、鎌倉時代以後は多く「ことがき」といい、江戸時代以後は多く「ことばがき」または「題詞」という。「まくらことば」は、今では歌文に使用する修辞用のみの語、歌意には関係なく一定の語の上におくのであるが、歌の前の詞書の意であったかと思われる。」という。

付記3.2-1-199歌における「たまたすき」の意

① 2-1-199歌は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌人麻呂の玉手次2」(2020/10/5付け)で検討した。

② 歌の最後の部分「玉手次 懸而将偲 恐有騰文」を次のように理解した。(同ブログ⑭)

「祭主が襷をかけて神に奉仕しお告げを聴くように、心を込めて大君(高市皇子)の成されたことやお言葉を偲びたい、と思います。大君のことを勝手に話題にするのははばかれるのですが。」

(付記終わり 2021/3/1  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 期待のたまたすき3 

 前回(2021/2/8)、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 期待のたまたすき2」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 期待のたまたすき3」」と題して、記します。(上村 朋)

 

1.~21. 承前

(2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。「恋の歌」とみなして12の歌群の想定を行っている。ここまで、3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認した。3-4-19歌は、初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例を巻十三にある用例3首の1首まで検討してきた。『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、神事の面影がそのことばに残っている歌が、これまでは断然多かった。

 3-4-19歌 おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

    たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

 

22.巻十三の2首目のたまたすき 

① 『萬葉集』巻十三には、「たまたすき」の用例が3首あります。2-1-3300歌、2-1-3311歌、及び2-1-3338歌です。

 2-1-3300歌の検討が終わり、今回は2-1-3311歌を検討します。

萬葉集』巻十三は、左注の「右〇首」により歌を組み分けしています。この歌は、相聞の部の25組ある「右〇首」の19番目にある組の歌であり、「右二首」と左注がある最初の歌(長歌)です。

『新編国歌大観』より「右二首」を引用します。

 2-1-3311歌 
   玉田次 不懸時無 吾念 妹西不会波 赤根刺 日者之弥良尓 烏玉之 夜者酢辛二 眠不睡尓 妹恋丹 生流為便無

   たまたすき かけぬときなく あがおもふ いもにしあはねば あかねさす ひるはしみらに ぬばたまの よるはすがらに いもねずに いもにこふるに いくるすべなし

 

 2-1-3312歌  反歌

   縦恵八師 二二火四吾妹 生友 各鑿社吾 恋度七目

       右二首

   よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ

       右二首

② 2-1-3311歌の現代語訳の例を示します。この歌は、いわゆる枕詞を三つ用いている歌です。

 「玉だすきを掛けるように、心にかけない時なく、私が恋しく思っているあの子に逢わないので、昼は昼中、ずっと、夜は夜中、眠りもやらず、あの子を思っていると、生きてゆけそうにない。」(阿蘇瑞枝氏)

 氏は、枕詞のうち「たまたすき」は意を現代語訳に反映し、ほかのふたつの枕詞(あかねさす、ぬばたまの)は訳出していません。そして、「慣用表現が多いせいもあってリズミカルであるが反歌は下三句が理屈っぽく、破調があって、長歌とあわない。一向に思いの届かない女性への恋に苦しむ男性の歌。」と指摘しています。なお、末句「生流為便無」は「いけるすべなし」と訓んでいます。

 

 「タマダスキ(枕詞)心に掛けぬ時なく、吾が恋ひ思ふ妹に会はないので、アカネサス(枕詞)昼は一日中、ヌバタマノ(枕詞)夜は一夜中、眠ることもせずに、妹を恋ひこがれるのによって、生きて居るすべもない。」(土屋文明氏)

 氏は、枕詞のかかっている語句のあることを明示して大意を示しており、そして、「極めて類型的な、普通の、会はない恋の表現にすぎぬ。反歌も類型的で言ふべきところもない」と評しています。

 枕詞については、氏の方針に従い、その意の訳出を省いています。なお、末句「生流為便無」は阿蘇氏と同じく「いけるすべなし」と訓んでいます。

③ 反歌の現代語訳の例を示します。二句にある「二二火」は、九九の二の段を借用した「し」の借訓表記+五行説に基づけば「火」は方角の南の意なので、「しなむ」と訓みます。

 「えい、もう、わたしは死のうよ。たとえ生きていても、このようにむくわれない恋で、辛い月日を過ごすだけだろうよ。」 右、二首 (阿蘇氏)

 「よしよし、死なうよ、吾妹よ。生きて居ても、かうばかり、吾が恋ひ続けるでせうよ。」 (土屋氏)

④ ここまで、歌の作者は、31文字しか使えないのだから無意味な語句を用いていない、という前提で、私は検討してきています。その前提からすれば、この歌では「たまたすき」と同様に、「あかねさす」も「ぬばたまの」も、『萬葉集』の用例等の比較考量をするのが言葉に対する公平な扱いとなります。

 一方、一首の中でのいわゆる枕詞を複数用いる場合、その複数の枕詞に対する作者の使用方針は、同一であろうと思えます。そのため、とりあえず、この歌では「たまたすき」を中心に検討をすすめたいと思います。

⑤ さて、巻十三の相聞の部の配列は、既に検討しました(2021/2/1付けブログの付記1.)。

 巻十三は、全巻にわたり「右〇首」という左注により、歌をグループにして示しています。

 この歌のある相聞の部は、「右〇首」を単位として、諸氏の論を参考に整理すると次のことが指摘できました。これらを前提に検討します。

 第一 「右〇首」は、必ず長歌を含む。そして相聞の当事者の一方のみの立場の歌がほとんどである。長歌には当事者両方が掛け合う形の歌があるが、その後者の立場でその長歌反歌を詠っている。

 第二 時を経た古の歌が、編纂者の手元に集まり、それが元資料となっている。すべてが、古の最初の姿のままの歌ではない。題詞も伝承されてきていたのかも不明である。

 第三 歌の理解において「右〇首」を越えて整合を求める編纂をしていない。

 第四 このため、「右〇首」のなかの歌同士の先後関係は不明である。だから、歌の中の論理矛盾を、当該「右〇首」内の歌で正すには傍証が要る。

⑥ この歌を含む「右二首」の作中人物は、恋の相手に対して長歌で「吾念妹」、反歌で「吾妹」と呼んでいるので、男と推測します。

 この歌2-1-3311歌をいくつかの語句に別け、検討をすすめます。「:」以下は私の予想です。

 文A  玉田次 不懸時無 吾念 (妹) たまたすき かけぬときなく あがおもふ(いも):作中人物の相手の形容

 文B  妹西不会波 いもにしあはねば :現在の作中人物と相手との関係1 そして歌を詠む前提条件

 文C  赤根刺 日者之弥良尓 あかねさす ひるはしみらに:時間の経過1

 文D  烏玉之 夜者酢辛二 眠不睡尓 ぬばたまの よるはすがらに いもねずに :時間の経過2

 文E  妹恋丹  いもにこふるに:現在の作中人物との関係2 

 文F  生流為便無 いくるすべなし:現在の作中人物の心境か客観的な評価か

⑦ 文Aは、2-1-3300歌における「玉手次 不懸時無 吾念(有 君尓依者・・・)」と用法が同じです。2-1-3300歌の「玉手次 不懸時無」の理解は、巻十三の編纂者の理解であろうと、推測し、「たすき」の歌語という理解がすすみ、「かく」と発音する動詞にかかることを重視した用い方になっていたのではないか、とみました。 即ち、

 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などない貴方のために、」((前回ブログ「21.④」に示す文A第3案)

です。

 この歌も同じ巻十三の相聞の部にあるので、同じように、編纂者の理解が第一候補となります。そのため、

 2-1-3311歌の文Aの現代語訳を試みると、

 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などない(貴方・状況)」

となります。

⑧ 文Bの「不会波(あはねば)とは、動詞「逢ふ」の未然形+打消しの助動詞「ず」の已然形+接続助詞「ば」です。

 助詞「ば」は、三つの意があります。(『例解古語辞典』)。

「あとに述べる事がらの起こる、または、そうなると考えられる、その原因・理由を表す接続語をつくる」意

「あとに述べる事がらの起こった、または、それに気が付いた場合を表す接続語をつくる」意

「その事がらがあると、いつも、あとに述べる事がらが起こる、というその事がらを示す接続語をつくる」意

 作中人物は相手に繰り返し逢いたいのであり、一回逢えばよいものではありません。「妹西不会波(いもにしあはねば」とは、「今逢えないのであれば、将来にも逢う機会がないことであり、それは(困る)」という気持ちが作中人物にある句です。だから、ここでの「ば」は、三番目の「ば」の意で用いられていると理解できます。

 断られる度に「あとに起こる」ことが生じているのであり、それは最終的には末句の「生流為便無」になるのではないか。

 文C~文E(赤根刺・・・妹恋丹)を省いても意が通る歌です。文C~文Eは、文Bの条件の結果を説明し相手に訴えている、とみることができます。予想を述べているのではなく、今逢えていない状況とは、まさにこのようなことなのである、と相手に訴えて、良い方向の決断を迫っています。恋の歌として切実さを強く訴えている、と思います。

 文Bの現代語訳を試みると、次のとおり。恋の歌なので相手におくった歌とみます。

 「貴方には逢えないということであれば、」。

⑨ 次に、文Cと文Dを検討します。

 「赤根刺」(あかねさす)とは、(東の空をあかね色に染める朝日のようすから、太陽や美しいものを連想して)「日」「昼」「照る」「紫」「君」などにかかる枕詞です。(『例解古語辞典』)。

 「ぬばたまの」とは、(「ぬばたま(射干玉・野干玉)は、黒く丸い実であるところから)「黒」「夜」「髪」などにかかる枕詞です。(『例解古語辞典』)

 『萬葉集』の人麻呂歌に、

  2-1-169歌 あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よはたるつきの かくらくをしも

があります。柿本人麻呂の時代から、このように用いられており、「日」あるいは「夜」という後続する語を卓立する(取り出してめだたせる)語句になっている、とみなせます。

 巻十三の編纂者の時代も、名詞「あかね」(草の名やそれで染めた色の深紅色)や名詞「ぬばたま」(ヒオウギという草の実)のイメージが歌における「日」や「夜」を積極的に限定していない(特殊な状況の昼間とか夜となっていない)ようです。

 この理解は、「たまたすき」の上記⑦の理解と平仄があっていることになります。

 文Cの最後の句「之弥良尓(しみらに)」は副詞であり、「一日中・終日」の意です。以下文Dまでにある「酢辛二(すがらに)」も「眠不睡尓(寝も寝ずに)」も副詞句とみて、文Cと文Dは、いわゆる枕詞を除いて「昼は昼で一日中、夜は闇が通り過ぎ去るまで」という意となります。そのように毎日24時間いつでも、という意になります。

⑩ 文C~文Eまで、いわゆる枕詞を除く句末に「に」の音を繰り返しており、それらをひとくくりの語群という印象を与えています。

 文Eの「妹恋丹」(いもにこふるに)の「恋(こふる)」は、上二段活用の動詞「恋ふ」((異性を)慕う・恋する)の連体形です。「丹(に)」は、文Cなどにある同じ訓(「に」)と異なる万葉仮名を用いており、「に」には別の意を込めたであろうと思います。語群をしめくくる位置にあるので、断定の助動詞「なり」の連用形と理解できます。

 文C~文Eは、「妹」に逢えないことの予測を述べているのではなく、(過去断られたときはこうであり、今回も同じになり、「逢えない(貴方が断る)」とはこういう状況を言うのだ、という訴えとなります。

 文Bという状態は、作中人物にとってはこういうことが続く、という訴えです。

⑪ 文F「生流為便無(いくるすべなし)」の前半「生流」を土屋氏らは「いける」と訓んでいます。後半「為便無」は、2-1-3300歌の最後の句の後半「(痛毛)須部奈見」と同じ語句ですが、終止形であり言い切っています。「為便無(すべなし)」とは、句で「しかたがない・どうしようもない」と『例解古語辞典』にはあります。

 諸氏の現代語訳は、次のようでした(上記②より)。

 阿蘇氏 「(・・・思っていると、)生きてゆけそうにない。」

 土屋氏 「(・・・によって、)生きて居るすべもない。」

 もう一例、『新編日本文学全集8 萬葉集③』(小学館)より引用すると、

  「(・・・)これからどうして生きていけばいいのか分からない。」

 この3例は、作中人物が主語となっています。前提条件である文Bの主語も作中人物(歌における「吾」)です。

 「生流」を「いける」と訓むと、名詞「為便」を修飾しているので、四段活用の動詞「生く」の命令形+完了の助動詞「り」の連体形です。動詞「生く」とは、「生存する・生活する」意と「命が助かる・生き延びる」意があります。(『例解古語辞典』)

 この3例はこの説明が該当する現代語訳であると思います。

 次に、「生流」を「いくる」と訓むと、

第一に、上二段活用の動詞「生く」の連体形「いくる」と理解でき、院政期以後の用法(『例解古語辞典』)になり、『萬葉集』の歌での語句ではありません。

第二に、下二段活用の動詞「生く」の連体形と理解でき、「生かす・生き続けさせる」意と「命を助ける」意)」があります(『例解古語辞典』)。

⑫ 『新編国歌大観』の訓は、阿蘇氏などとちがい、「生流」を「いくる」と訓んでいます。

 このため、上記の第二の、下二段活用の動詞「生く」となります。では、誰が「生かす・生き続けさせる」か、誰が「命を助ける」か、といえば、作中人物に逢わないでいる相手、となります。逢ってくれる見通しが生まれれば、作中人物は、生きて居る甲斐があると思うでしょう。

 また、「いはむすべなし(み)」、「せむすべなし(み)」のように大部分は推量の助動詞「む」を挟んだ「すべなし」の用例なのに、この歌は「む」を省いています。決めつけている言い方です(付記1.参照)。

 このため、文Fの現代語訳を試みると、次のとおり。

 「(文Bということは)命を助けるという方策ではありません」あるいは「(文Bから文Eという状況は)私を生き続けさせるのにはどうしようもない(方策です)。」

 訴える歌ですので、後者がよい、と思います。

 文Bからの一連の文は、文Eの「丹」(なりの連体形)までです。文Fは、現在の作中人物の心境ではなく、客観的な評価を相手に突き付けている、と思います。

 なお、「生流為便無(いくるすべなし)」と訓む歌がもう1首『萬葉集』にあります(2-1-3361歌)が、同じように理解できます。阿蘇氏などはこの歌も「いけるすべなし」と訓んでいます。(付記1.参照)

 2-1-3311歌は、文A+文Bの状況であるのは、文Fということになる。という論を展開しています。

 だから、文Fは、作中人物の予想ではなく、必然のこととして、指摘している言葉となります。

⑬ この歌は、相手におくった恋の歌のはずです。あるいはその建前で詠われているはずの歌です。巻十三の編纂者の手元の資料は、実際に披露・朗詠されたのが記録されているのでしょうから、若者たちの集団での朗詠合戦とか、官人たちが談笑できる場などでの歌ではないかと推測します。

 それは、平安時代であれば歌合の歌といえるものであったのだと思います。作者が、作中人物自身であるという保証はありません。

 だから、逢わないのは、死ねと言っていることですよ、と詠ったのがこの歌です。歌全体の現代語訳を試みると、次のとおり。

 「玉たすきをかけない神事などないように、心にかけて思わない時などなく私が恋しく恋しく思っている貴方には逢えないということであれば、明るい昼は昼で一日中、ぬばたまのような夜は、その闇が通り過ぎ去るまで、一睡もしないで、貴方を恋い慕って過ごすということなのだから、それは、私を生き続けさせるのにはどうしようもない(方策です)。」

⑬ 反歌がありますので、上記の現代語訳が妥当かどうかを確認します。再掲します。

  2-1-3312歌

   縦恵八師 二二火四吾妹 生友 各盤社吾 恋度七目 

       右二首

   よしゑやし しなむよわぎも いけりとも かくのみこそあが こひわたりなめ

 「えい、もう、わたしは死のうよ。たとえ生きていても、このようにむくわれない恋で、辛い月日を過ごすだけだろうよ。」 右、二首 (阿蘇氏)

 「よしよし、死なうよ、吾妹よ。生きて居ても。かうばかり、吾が恋ひ続けるでせうよ。」 (土屋氏)

 三句「生友(いけりとも)」とは、四段活用の動詞「生く」の命令形+完了の助動詞「り」の終止形+助詞「とも」であり、動詞「生く」には「生存する・生活する」意と「命が助かる・生き延びる」意とがあります。

 この反歌は、作者は積極的に「自殺をしよう」という意思を、相手に伝えている歌です。恋焦がれて死んでしまうと訴えてはいません。両氏の理解に賛成です。

 反歌の作中人物は長歌にいう「吾」です。相手に逢えないでいる「吾」です。「逢ってくれない」相手に、反歌で「自殺」をほのめかすには、長歌が上記⑫の現代語訳(案)であれば、両氏の現代語訳より相手に迫る歌になっていると思います。

 この歌は、恋の歌に違いありませんが、披露は恋の当事者が個人としてしたのではないので、過激な表現を楽しめる場であったのではないか。この答歌を勝手に想像すると、「どうぞご勝手に」と突き放す歌がペアの歌としてはふさわしく思えますが、それは巻十三には採れないでしょう。

⑭ 今検討している「たまたすき」の意は、巻十三編纂時点では、2-1-3311歌に同じでした。

⑮ 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

次回は、2-1-3338歌を検討します。

(2021/2/15    上村 朋)

付記1.「生流為便無」とある萬葉集

①『萬葉集』に「生流為便無」とある歌が2首ある。本文で検討した2-1-3311歌と下記の2-1-3361歌である。

②『新編国歌大観』は、どちらの歌でも「いくるすべなし)」と訓み、阿蘇氏らは「いけるすべなし」と訓む。

③ 2-1-3361歌は、巻十三の最後の歌(かつ挽歌の部の最後の歌)で、2-1-3360歌とあわせて「右二首」と左注されている短歌である。この「右二首」は、土屋文明氏が、「挽歌中であるから、挽歌として理解されて来たが、恐らく事実はさうでなく、離別を恨む女の立場での民謡であろう。」と言っている「右二首」である。挽歌としては赴任地で死去した妻を偲ぶ夫の歌。

④「右二首」を『新編国歌大観』より引用する。

 2-1-3360歌

   欲見者 雲居所見 愛 十羽能松原 小子等 率和出将見 琴酒者 国丹放嘗 別避者 宅仁離南 乾坤之 神志恨之 草枕 此羈之気尓 妻応離哉

   みほしきは くもゐにみゆる うるはしき とばのまつばら わらはども いざわいでみむ ことさけば くににさけなむ ことさけば いへにさけなむ あめつちの かみしうらめし くさまくら このたびのけに つまさくべしや 

 2-1-3361歌  反歌

   草枕 此羈之気尓 妻放 家道思 生流為便無  或本歌曰、羈乃気二為而

   くさまくら このたびのけに つまさかり いへじおもふに いくるすべなし

⑤ 長歌の末句は、相手の言動を咎めている表現である。土屋氏は「琴酒(者)」、「別避(者)」(ともに「ことさけ(ば)」)とは、離別の意とする。大化2年の詔に「夫から嫌はれて離別された妻がなほ夫の許を離れるのを愧ぢて身を婢におとして留まるのを「事瑕之婢(ことさかのめのやつこ)」と呼び、禁止(している)。禁止するくらいだからこの弊習は万葉の時代にも普通に行はれて居た習慣と思はれないこともない。」と指摘している。「前半は、いはば序劇とでも言ふべきもので、後半の悲劇的訴へを聞くための人々に、呼びかけて居るものと見てよい。・・・後半は、離別、しかも旅に伴ひ来って、その旅中で男から離別された女の悲しい訴へなのである。」という。

⑥ 反歌の大意を、土屋氏は、五句を「いけるすべなし」と訓みつぎのように記す。

「クサマクラ(枕詞)此の旅の日に夫を離れ、家への路、即ち家郷へ一人帰る路を思ふのにつけても、生きて居る方法もない。」

 氏は、「「妻」字は借字で夫の意であらう。或いはツマサカバと訓み、妻たる吾を離別するならばと解すべきかも知れぬ。離別された妻の歌であることは長歌の後半と同じである。妻との死別としてはサカリ(という表現)は、余りに間接に聞こえよう」と指摘。

⑦ 反歌の五句を「いくるすべなし」と訓む現代語訳は、「(・・・一人帰る路を思うのにつけても、)私を生き続かせるのにはどうしようもない(方策だ)。」 となる。土屋氏の論の範囲の理解の歌である。

⑧『新編日本古典文学全集 8 萬葉集③』(1995)では、「いはむすべ」、「せむすべ」のように大部分は推量の助動詞「む」を挟むが、2-1-3311歌と2-1-3361歌は挟まない。両歌の「すべ」は「人心地の意に用いた」と頭注し、「いけるすべなし」の訳は「これからどうして生きていけばいいのか分からない。」としている。

⑨『新編国歌大観』の訓「いくる」の根拠の論文は未見である。

⑩ 山村豊氏は、この長歌を、挽歌と理解し、「旅中にあって、妻の死を知らせる使いが来たか。」という。「いけるすべなし」と訓み、「生きているすべがないことだ」と現代語訳している。

⑪ この「右二首」は、巻十三の編纂者は、挽歌と認めたからここに配列しているのであろう。編纂者の歌の理解如何に関わらず、「古の最初の姿」は、妻が周囲に訴えている歌の可能性がある。土屋氏も指摘している「教諭史生尾張少咋歌一首幷短歌(2-1-4130歌からの4首)もある。

(付記終わり  2021/2/15    上村 朋)