わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たすきがけ

 前回(2021/4/12)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 たすきがけ」と題して記します。(上村 朋)

1.~29.経緯

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮説を検証中である。現在3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、三代集の唯一の用例1-1-1037歌を検討している。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性がある。同時代の「たまだすき」の用例は大変少なかった。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

      ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

30.三代集成立ころのたすきの用例

① 「たま」が美称であるならば、「たすき」の用例は「たまだすき」の理解に資することになります。

 三代集成立ころの物語などにおける地の文に、「たすき」の用例がいくつかありました。

  竹岡氏の指摘する「資材帳」での例

  『宇津保物語』「蔵開上」及び「国譲下」での例

  『源氏物語』「薄雲」での例

  『枕草子』151段での例

 ちょっと後代になりますが、『十訓抄』「第六」と『徒然草』208段にもあります。

ただ、『宇津保物語』と『源氏物語』は通読していません。『竹取物語』、『伊勢物語』にはありませんでした。

② 順に検討します。竹岡氏が指摘しているのは、延喜五年(905)十月の「筑前国観世音寺資材帳」(『平安遺文 古文書編 第一巻』(竹内理三)所収の資料番号No194)での用例です。(付記1.参照)

  本文を引用します。

「緋地雲形与師子形相交錦絁壱領 (割注し、「襟多須岐形夾續纈隔布裏帛」)」

 これは、伎楽の迦楼羅(かるら)の面に関する書き出しの一つであり、衣装が壱領(一着)あることと、その素材や色や模様などを記しています。

 氏は、割注にある「多須岐形」とは、『徒然草』208段(後述)の「たすきにちがへて」というような形を言うものと判断される」、としています。当時すでに、神事に用いる「たすき」の意を離れた俗語の「たすき」という概念があり、たすきを使用すると「はすかいに重ねる」だけの形になり、もともと「結ぶ必要のない」ものを示唆するものが「たすき」であった、という指摘です。

 だから、1-1-1037歌での「たまだすき」は「自分の思うことと相手がそれに応じてくれる態度とが、たすき形に行きちがっているのを言っているのである」、と解釈しています。

 そして、『源氏物語』の「末摘花」での地の文にある「玉だすき苦し」は、この歌をふまえて、同じ意味で用いられている、とも指摘しています。 

 『源氏物語』での地の文は、前回ブログ(2021/4/12付け)で検討し、1-1-1037歌の作中人物と源氏の立場に共通している点があることを確認しました。しかし「たまだすき」が何を意味するかは不明でした(付記2.参照)。

③ この例での「たすき形」とは、竹岡氏の指摘するように「紐状のものを用いた場合にできる形で、斜め十字のもの」を言い、模様としての形を指していると思います。

 形の名前あるいは模様の名前になっているとしたら、「たすき」という語句は、当時の日常的な用語のひとつになっていたといえます。竹岡氏のいう「俗語」です。

④ 神事の際「たすき」を用いる作法が、十字の形を必ず作るものとは考えられませんので、俗語の「たすき」と神事のそれとの共通点は、「衣服に用いる肩にかける補助具」というところでしょうか。俗語の「たすき」は十字の形を成して用いるのが特徴であったのでしょう。その形を成すのに紐(状のもの)が結ばれているか、「単に十字に交差して(かけちがって)いる」かは不問のようです。

 なぜ紐状のものを「たすき」形にしているかというと、紐状のものをかける対象物の動きを押さえるとか制御しやすくするとかのためであろう、と思います。形の美しさが目的の場合もあるでしょう。

 従って、「たすき」からイメージするのは、紐状のものがつくる形に注目する場合と、作用が及ぶ対象物にも注目する場合とがあるのではないか。

 つまり、

 (紐状のものの形自体に注目して)並行ではなく交差している状況、

 (対象物と紐との関係に注目して)動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況、

からのイメージに大別できます。後者は、現代語の「襷掛け」という語句の、「襷を掛けることでかいがいしく働く姿」の意につながります。

 この用例では、衣服の模様を「たすき」と表現し、前者に該当しています。模様の説明に終わっており、「行きちがっている」というイメージを惹起させようとしていません。

 1-1-1037歌では、「交差して十字になっている形」に何かのイメージが必要です。しかし、上記のように、対象物との関係に注目してもイメージが沸くところです。1-1-1037歌の場合だけ紐の作る形に注目したイメージだと即断するのは誤りです。

⑤ 次に、10世紀後半成立(980~999頃)の『宇津保物語』に、「たすき」の用例が3例ありました(付記3.参照)。『新編日本古典文学全集』(小学館 )より、本文を引用します。(「蔵開上」は同15巻、「国譲下」は同16巻)

 「蔵開上」に1例あります。四歳の子が、祝宴の席に、

「御衣(ぞ)は濃き綾の袿(うちき)、袷の袴たすきがけにて、えび染めのきの直衣(なほし)着てかはらけ取りて出で給ふ。」

とあります。

 この文は、御衣について「袿(うちき)」と「袴」と「直衣(なほし)」の三点を説明しています。

 「国譲下」には、続く文中に2例あります。幼い二の宮の描写に、

 「たすきかけの御袴」

 次に、這い這いする今宮の描写に、

「(小紋の白き綾の)御衣たすきかけていとをかしく肥えて這ひありき給ふ」

とあります。今宮が着用している「御衣」は、多分、上下にも分かれていない服でしょう。

⑥ 具体に検討します。

 「蔵開上」で、御衣として説明している三点は、次のようなものです。

 「袿」とは、「内着」の意で、女ならば、日常用の上着、男ならば装束(さうぞく。正装)の下に着る衣服をいいます。

 「袴」とは、下半身を覆う穿物(はきもの)の総称。腰から下を巻きつけるままの裳(も)とちがい、両足をそれぞれ包んで上部を連絡し、紐で腰に結ぶ様式のものです(『國史大辭典』)。直衣との関係でここでは指貫(さしぬき)を意味します。指貫とは、「袴の一種。裾のまわりに紐をさし通し、はいてから、くるぶしの上でくくる。もと狩猟用であったが平安時代には平常服となる。衣冠・直衣・狩衣などを着るときに穿く。」(『例解古語辞典』)ものです。そして、袴は男女とも当時数えで三歳に袴着という儀礼をして着用を始めています。

 「直衣」とは、「直(ただ)の衣」の意で日常用の表着をいいます。「「袍」に似て、やや短い上着。好みの色を用いる。烏帽子または冠をつけ、指貫の袴を着用」(『例解古語辞典』)するものです。

⑦ 「蔵開上」の用例の「たすきがけにて」とは、(数えで)4歳の皇子ですので、袴はもう一日中穿いているものの肩から吊るす補助具で着用させているのではないでしょうか。袴に付いている(長めの)紐を肩に回しているのかもしれませんが、この文章にはその説明がありません。当時の常識的な袴の穿き方だったのでしょう。その補助具も事前に袴に取り付けておくことは可能です。

⑧ 「国譲下」の最初の用例は、上記「蔵開上」の用例と同じであり、「袴を(腰紐だけでなく)襷がけして着用している」描写であり、上記⑦の理解が妥当です。

 「国譲下」の次の用例は、這い這いする児に「たすき」をかけています。児の這い這いは、手脚を床に着け前後に動かすのですから、第一に衣類が手脚に絡まないように「たすき」を使ったのではないでしょうか。這い這いする児には「たすき」を日常的に使わざるを得ませんから、当時でも、それ相応の配慮をした紐状のものが「たすき」の要件となっていた、と思います。

⑨ この3例が一つのものを「たすき」と認識しているとすれば、幼い児が幼児用である衣服を着たときに、活動やしやすいように衣服をくくったり固定したりするため、衣服には本来付随していない補助用の紐状・帯状のものが「たすき」であった、と言えそうです。紐を肩にまわすことは要件といえるかどうかは不明です。

 大人の場合における神事で用いる「ゆふだすき」は、袖の動きを押さえ、神事を行う者の注意が一点に集中するようにというものでした。神事の際の服装からいえば、本来付随していない補助用の紐状か帯状のもので服装の動きを抑えるものでした。「俗語」の「たすき」との共通点の一つと言えます。

 前二つの用例は、上記に定義した「たすき」自身を用いていると断言できる例ではなく、「たすきがけ」となった形を指しているだけです。先の「資材帳」の例と同じです。最後の用例は、紐かなにかを用いて「たすきをかけたような状態になって」という意であり、やはり「形」に関する表現です。

 このように、「たすき」そのものの説明は、ありません。

⑩ 次に、11世紀初頭から10年前後をかけて成立した『源氏物語』の「薄雲」に、「たすき」の用例があります。本文はつぎのとおり。

 「御袴着は、・・・御しつらひ、雛遊びの心地してをかしう見ゆ。・・・ただ、ひめ君のたすきひきゆひ給へるむねつきぞ うつくしげさそひてみえ給ひつる。」

 「袴着」とは、男女の数え三歳から七歳までの間に、児の成長を祝って、初めて袴を着つけてやる儀式です。古くは三歳に行っています(『國史大辭典』)。この時、袴の腰の紐を結ぶ役は、着袴親といって重んじられ、親族中の尊長者が選ばれてつとめたそうで、源氏は、文中の「ひめ君」のため紫の上に着袴親をお願いしています。

 「ひめ君」とは、袴着の当事者となる数え三歳の女の児です。

 「ひきゆふ」とは、意味・語勢を強める接頭語「ひき」+動詞「結ふ」です。

 「たすきひきゆふ」とは、初めて袴を穿いたことを、肩に回した紐で象徴させた表現です。

⑪ 「たすきひきゆふ」をここでは単に「袴を(はじめて)着用する」と理解して、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「御袴着の儀式は、・・・(儀式を行う)場所の飾りつけなども雛遊びの道具建てのような感じで面白くみえます。・・・ただ、姫君が初めて御袴を身に着けられ、(今までと違った)胸のあたりの納まりは、愛らしさをさらに増して見えましたのです。」

⑫ 「薄雲」の本文における「たすきひきゆひ給へる」の「たすき」には、古来諸説があるそうです。

 私は、直接には袴着用の補助具が第一候補であり、ここでは「袴を着用した姿」を、象徴した表現だと思います。

 袴を固定するのに、袴についている腰紐を用いる建前は、児でも同じなので、その腰紐を指して「たすき」という必要はありません。そうすると、袴着の儀式の場を、雛遊びの場と形容しているので、紐を始めて結ぶ(腰にまわす)のは幼児なので形式的にして、袴を実質支える工夫として肩を用いたと思います。腰紐をそのまま使い肩へ回して背中で十字にしたか、袴を支えるために今日のズボン吊り(サスペンダー)のような肩から袴(あるいは袴の紐)を支える形の補助具(紐)を事前に袴に取り付けたかのどちらかです。

 数え三歳の児は、達者に歩いたり駆けだしたりして遊ぶ頃です。袴とそれと一体になっているかのような「たすき」と称するものをさらに身に着けたため、新たに胸のあたりにアクセントのある装いになったことを、「むねつきぞ うつくしげ さそひて」と描写したのではないか。

 あるいは、袴を穿くのだから直衣も着用しており、その袖を児が動きやすいように後ろにくくっていることも考えられます。当時の貴族の美意識を想像すると、それは「むねつきぞ うつくしげ さそひて」に反すると思います(食事時、書道の練習やボール遊びの時などにはそうしたかもしれませんが)。

 いづれにしても、衣服に「たすき」を用いることによって児の動きは障害が少なくなります。

⑬ 次に、11世紀初めの成立である『枕草子』の151段「うつくしきもの」に、「たすき」の用例があります(付記4.参照)。その部分を『日本古典文学大系』より引用すると、

 「いみじうしろく肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど衣ながにてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、みじかきが袖がちなる着てありくもみなうつくし、」

 『同大系』では、「たすき結ひたるが」について、「着物の丈が長く、袖が紐でくくりあげたの(児)が(這い出た)」の意としています。

 本文は、「また」の前後で衣の長さを対比した文章であり、前半は児の身長に比べて長すぎる着物全体を何かで措置して、児が這い這いしやすくしているのでしょう。その措置に用いた紐状のものを「たすき」と言うのではないか。

 この例から私は、「たすき」は、服のデザインの工夫ではなく、着こなしの工夫の一つではないか、と思います。児は、たすきによって衣服をさばきやすくなります。

⑭ 次に、時代が下がりますが、建長4年(1252)成立の『十訓抄』「第六可存忠信直旨事」での用例を検討します。

 本文は次のとおり。

 「・・・みづから桂川のわたりに臨みて、衣に玉襷して魚をうかがひて、小さき鱗(いろくず)を一つ二つ取りて侍りたりけり。禁制の重きころなれば・・・」 

 「玉襷す」とは、紐を用いて両袖などをたくしあげることをいっている、と理解できます。足元は袴を穿いていますから袴に元々ついている紐でくくりあげることができます。

 この例は、衣服の動きを臨時に制約させるため補助具として紐状の「たすき」を用いている例、と言えます。

⑮ 次に、さらに時代が下がりますが、14世紀前半成立の『徒然草』第208段の用例を検討します。

 『新編日本古典文学全集44 方丈記 徒然草 正法随聞記 歎異抄』(校注・訳:神田秀夫永積安明安良岡康作 小学館 1995)より本文を引用します。

 「経文などの紐を結ふに、上下(かみしも)よりたすきにちがへて、二筋の中より、わなの頭を横さまに引き出(いだ)す事は、常の事なり。さやうにしたるをば、華厳院弘舜僧正、解きてなほさせけり。「これは、この比(ごろ)やうの事なり。いとにくし。うるはしくは、ただくるくると巻きて、上(かみ)より下(しも)へ、わなの先を挟むべし」と申されけり。古きひとにて、かやうな事知れる人になん侍りける。」

⑯ 「経文」で、「紐を結ふ」とは、巻物形式で記された仏教の経典を、「使い終わったので仕舞う」ということです。

 動詞「ちがふ」とは、四段活用の場合、「交差する」意があります(『例解古語辞典』)。「たすきにちがへて」とは、「たすきの形をつくって」の意であり、「たすき」は形の形容です。

 「上下(かみしも)よりたすきにちがへて」とは、紐の中央付近が表紙に取り付けられている紐を左右から巻物に巻いてゆき、その最後に左右の紐をねじってか結んでかして巻物の天と地の方向に向ける(巻いている紐部分が左右に伸び紐の端が天地方向を指す)、ということです。紐に注目すれば、十字の形に(一旦)する、という意です。

 「二筋の中云々」とは、結わえる(蝶々結びか)、ということのようです。

 この段は、巻物をしまうとき、巻物の表紙に付随している紐の先端部分をどう始末するかを比較しています。

 巻物自体に巻いてきて最後に紐の左巻きの先端と右巻きの先端を結ぶ(縛る)という方法と、巻物を巻いてきた紐に左右の先端をそれぞれ別々に挟みこむ方法とを比べ、後者が良い、と述べています。

「たすき」とは「たすき形」、という意であり、形の名詞となっており、経文に付いている紐は、「たすき」と呼ばれていません。

⑰ 以上、2回にわたり検討してきたことを整理すると、次の表が得られます。

検討した「たすき」の用例は、三代集とその前後の時代に成立した物語など悉皆調査の結果ではありません。

 用語の意味には時代を越えて連続性がありますので、これらは、『古今和歌集』の「玉だすき」の用例の参考になると思います。

 

表 三代集時代の書物の地の文における「たまたすき」、「たまだすき」、「たすき」の用例

書物成立時期

書物名

用例

わかったこと

備考

延喜五年(905)十月

筑前国観世音寺資材帳

たすき形

紐状のものを用いた場合にできる形の名称で斜め十字

上記「30.③」

A

10世紀初め

古今和歌集

1-1-1037歌

玉だすき

前進を拒まれ待ちの姿勢でいる苦しさの比喩

前回ブログの「29.⑪」

10世紀後半

宇津保物語

「蔵開上」

袴たすきがけにて

紐状の補助具を使用した袴着用の容姿あるいは腰紐を肩にまわした容姿

「たすき」とは、補助具又は腰紐がつくる形をいう

上記「30.⑦」

A & B

10世紀後半

宇津保物語

「国譲下」①

たすきかけ(の御袴)

同上

上記「30.⑧」

A & B

10世紀後半

宇津保物語

「国譲下」②

(御衣)たすきかけて

上下に別れていない衣服を動きやすく制御する紐状の補助具使用時の容姿

「たすき」とはその補助具

上記「30.⑧」

A & B

11世紀初頭~

源氏物語

「薄雲」

たすき(ひきゆふ)

初めての袴着用時の容姿

「たすき」とは、袴着での袴着用時の紐状の補助具又は腰紐の肩にまわした部分

上記「30.⑫」

A & B

11世紀初頭~

源氏物語

「末摘花」 

玉だすき

前進を拒まれ待ちの姿勢でいる苦しさの比喩

1-1-1037歌の作者の心境

前回ブログの「29.⑧~⑬」

11世紀初め

枕草151段

 

たすき(ゆひたるが)

這い這いの児が衣服着用時の紐状の補助具

 

上記「30.⑬」

A

13世紀半ば

十訓抄 

玉襷(し)

大人に用いた袖をたくしあげるための紐状の補助具をつけた姿

上記「30.⑭」

B

14世紀前半

徒然草 

たすき

紐状のものを用いた場合にできる形の一つで十字

上記「30.⑯」

A

注)備考欄の「A」と「Bは、「たすき」の分類。本文⑱参照

 

⑱ このように、三代集の時代、和歌や物語などに、「たまたすき」は用いられておらず、「たまだすき」という語句もほとんど用いられていません。官庁の報告文では「たすき」が形の名称で用いられていました。

 枕詞として「かく」に掛かるのは『萬葉集』では「たまたすき」でしたが、三代集の時代は「ゆふだすき」に替わっています。

 「たすき」の用例に限ると、10世紀初め~11世紀初め頃は、「たすき」は歌語ではなく、日常的に用いる衣服着用の際の紐状の補助具(あるいはその補助具の役割をも担った使い方をしている衣服の一部)を指す用語であり、またそれを使用した際に紐がつくる十字の形の意の名詞でもあったといえます。

 そして「たすき懸け」という表現になると、「たすき」をかけた姿をも指して用いられていた、といえます。

 それは、「たすき」自体のほか、「たすき」とその対象物を一体としてとらえた理解が既に生じていた、と言えます。前者をA、後者をBとして 用例に適用すると、表の備考欄のようになります。それは次のように整理できます。

 第一 「たすき」と称する紐自体、あるいは紐が並行ではなく交差しているという形に注目した表現

 第二 「たすき」と称する紐の機能から、紐とそれを使う対象物との関係を重視し、動きを押さえている(あるいは強制的に物を整えている)状況に注目した表現

 そして、第一からは、

 紐自体には特別なイメージとの結び付きはなく

 紐が十字の形に結ばれていれば、一体感のイメージに、

 そうでなければ、感情の行き違いなどのイメージ

につながります。 

 第二からは、

 対象物の動きを押えているのですから、「たすき」が強制しているイメージが、

 また、対象物からは、自由が制限されているイメージ

につながります。 

 「たすき」は日常語であるので、美称の「たま」をつけ、「たすき」の「た」が濁音となった「たまだすき」には、歌語の「たまたすき」とは違い、上記の第一あるいは第二からのイメージが、当時の官人にあった、と推測できます。

 各歌において、「たまだすき」は、第一と第二の検討を要することになります。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただきありがとうございます。

次回は、念のため絵巻物での「たすき」など確認します。

(2021/4/19    上村 朋)

付記1.延喜五年(905)十月の「筑前国観世音寺資材帳」にある「たすき」

① この「資材帳」は延喜五年十月時点の在庫一覧であり、傷み具合も注記している。② 伎楽に関する資材はまず仮面単位に分類しており、迦楼羅(かるら)の仮面を使う際の衣装の書き出しが、この用例である。

③現代語訳を試みるが、仮訳である。「緋地雲形与師子形相交錦絁壱領」を本文と称し、「襟多須岐形続夾纈隔布裏帛」を割注文と称する。   

本文:「緋(ひ)色の地に、雲形と師子形が相交わる錦(厚手の絹織物)・絁(あしぎぬ)による衣装一組」

割注:「襟は多須岐形の模様に埋まる。纈(ゆはた:くくり染め・絞り染めにした布)を挟み布(絹に対して、麻・葛(くず)などの植物繊維で織ったもの)を用い、裏地は絹。」

④ 「錦絁」とは錦絁の2種類の生地からなる趣旨か。『令義解』においては、「(糸の)細きを絹と為し、麁きを絁と為す」という一文がある。ただし律令法において最も上質とされている絹織物は、美濃国で作られた美濃絁(みののあしぎぬ)とされていること、現在正倉院宝物として残されている絹と絁を比較すると、大きな品質の違いが認められない、そうである。

 

付記2.『源氏物語』「末摘花」での用例

 本文:(5-421-72歌に続き)のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。

 

付記3.『宇津保物語』での「たすき」の用例

① 本文は『新編日本古典文学全集 うつほ物語』(小学館 )による。(「蔵開上」は同15巻、「国譲下」は同16巻)

 「蔵開上」での場面は、女一の宮に姫君が誕生し、七日の産養(うぶやしない)の祝宴が行われているところである。

 本文:「・・・ おとどその舞をし出でたまふほどに、女御の君の後に生れたまひし十の皇子(みこ)四つばかりにて、御髪(ぐし)振り分けにて、白くうつくしげに肥えて、御衣(ぞ)は濃き綾の袿、袷の袴たすきがけにて、えび染めの綺の直衣着て、かはらけ取りて出でたまふ。祖父(おほぢ)おとど、兄宮たち、「誰にぞ、誰にぞ」と問ひたまふに、「あらず」とて、右大将の御坐(ざ)におはして奉りたまへば・・・」

② 「十の皇子四つ」とは十宮(十番目)で数え四歳の児。

 「右大将」とは、藤原兼雅。このとき舞を舞っていた。

 『新編日本古典文学全集』では、用例「袷の袴たすきがけにて」を、「袷の袴の腰をたすき掛けにして、」と訳し、頭注で「袴が長いため、腰の紐を肩の所で十文字に掛けて結んだことをいう。」(同365p)とある。

 「たすきがけにて」が直衣を修飾するとみて、「直衣の広袖を背の方に束ねたこと」という理解の人もおられる。

③ 『新編日本古典文学全集』の頭注のイメージは、袴そのものがある年月使うものとして仕立ててあるので、数え4歳に子には大きすぎ、引きずらないように着つけなければならない。そのため、袴の腰の紐は肩をまわして結ばなければならいのが常であるという理解になる。

 現代の幼児のズボンには、初めからサスペンダーでズボン本体を吊るし、腰のバンドは形ばかり締めるというものがある。それを着用した姿も可愛い。

 皇子がお祝いの席にでてくる場面であるので、その席の皆様への披露にもなるので着用する衣装も配慮しているはずである。

④ ここでは、「たすき」がどういうものかの直接の説明は無く、「たすきがけ」という見た目の形の表現になっている。しかし、腰の紐かサスペンダーならば、紐状と称してよく、「たすき掛け」の形にしているものは紐状のものである、ということができる。

⑤ 「国譲下」での用例の場面は、藤壺の生んだ東宮が参内なさる日、藤壺も参内なされ、幼い二の宮と今宮(四の宮)も一緒であって、この二方を座らせ父である今上天皇のお出でを待っているところである。

 本文:「二の宮、あからなる綾掻練の一重襲(ひとへがさね)、織物の直衣、襷懸(たすきがけ)けの御袴、今宮、小紋の白き綾の御衣(おんぞ)一襲奉りて、襷懸けて、いとをかしく肥えて、這ひ歩(あり)き給ふを、上(うへ)渡らせたまへば、みない出し据ゑたてまつりて、・・・」

⑥ 最初の用例は、二の宮の衣装の描写にある「襷懸けの御袴」とある「たすき」である。そして、衣装の説明が、「a一重襲(ひとへがさね)、b織物の直衣、c襷懸(たすきがけ)けの御袴」とある。

 『新編日本古典文学全集』では、「襷懸けの御袴」と訳し、頭注で「幼児の袴がずり落ちないように、袴の紐を肩にかけて結んださま」としている。

⑦ 次の用例は、今宮の衣装と行動の描写にある。衣装の説明は、「御衣(おんぞ)一襲」とある。幼児用の、衣服の上着と下着が一続きのもの、の意であろう。脚までも覆うことができるものである。

⑧ 『新編日本古典文学全集』では、「(綾の)袿一襲をお召しになって、襷掛けをして」と訳し、注はない。 

 なお、『日本古典文学大系』では、注に、(二の宮の召している)「直衣には指貫を穿くが、童であるから袴だけにし、それも大人と違って、紐は肩にたすきのように結んだのであろうか。今宮は当歳の児なので御衣は簡単である。」、とある。

⑨ 「国譲下」での今宮の描写を、『日本国語大辞典』(第二版 小学館 2001)は、「たすき」の語釈で「幼児の着物の袖を背にかけて結びあげる紐」の例にあげる。

 

付記4.『枕草子』 151段うつくしきものでの「たすき」の用例

① 『日本古典文学大系』より本文を引用する。

 「いみじうしろく肥えたるちごの二つばかりなるが、二藍のうすものなど衣ながにてたすき結ひたるがはひ出でたるも、また、みじかきが袖がちなる着てありくもみなうつくし、」

② 色白で太った児の「ふたつばかり」の頃の行動に関して、「うつくしきもの」を作者は二つあげている。数えで「ふたつばかり」とは、満年齢では、生まれ月により生後2か月から23か月の児をいう。

 最初の例では、その太った児は、「長い衣(上衣)を着用しておりかつ「たすき」を結び、その姿で自由に這い這いしている場面である。

 二つ目の例では、その太った児は、短い衣のため、袖から腕があらわになって(肌をさらして)よちよち歩きしている場面である。数え三歳未満なので、袴着の儀礼はこれからである。

③ 「たすき」は最初の例、すなわち這い這いする児に使用している。「たすき」と呼ばれる「紐」は、着ている「衣なが」のものに対して用いられ、児が這い這いしやすいようにしているもののようである。

 長い衣が這い這いの邪魔であるなら、通常、衣自体を背の上までたくし上げてやるのではないか。だから「たすき」は、衣の裾を背中側で首か肩を使って固定させるための紐と推測できる。

④ 二つ目の例では、デザインを工夫して短くしている衣なので、着用に当たって補助具は用いていないとみえる。

(付記終わり  2021/4/19   上村 朋)