わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき

 前回(2021/4/5)、 「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 「の」も同音意義語」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か 第19歌 源氏の玉だすき」と題して、記します。(上村 朋)

1.~28.経緯

 (2020/7/6より、『猿丸集』の歌再確認として、「すべての歌が恋の歌」という仮定が成立するかを確認中である。3-4-18歌までは、「恋の歌」であることを確認し、3-4-19歌の初句にある「たまだすき」の理解のため、『萬葉集』の用例に続き、三代集の唯一の用例1-1-1037歌を検討中である。この歌は二つの文あるいは三つの文からなる可能性があり、「たまだすき」ほか同音意義の語句を要する。

 なお、『萬葉集』では「たまたすき」と訓み、巻十三の用例では、「袖の動きを制止する紐」の意になっている。

3-4-19歌  おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

       たまだすきかけねばくるしかけたればつけて見まくのほしき君かも )

1-1-1037歌  題しらず       よみ人しらず

        ことならば思はずとやはいひはてぬなぞ世中のたまだすきなる

 また、歌は、『新編国歌大観』より引用する。

 

29.三代集成立ころのたまだすきの用例その2

① 前回、三代集成立ころの「たまだすき」と「たすき」の、歌における用例を、『新編国歌大観』において探しました。結局、句頭にある例は「ゆふだすき」だけでした。

  次いで、三代集成立ころの物語などにおける地の文にある「たまだすき」の用例を検討します。いくつかの物語などをみましたが、「たまだすき」の用例は『源氏物語』の1例だけであり、「たすき」の用例は、『枕草子』などいくつか有りました。

② 諸氏は、その『源氏物語』の「末摘花」にある「たまだすき」の用例を、1-1-1037歌における「たまだすき」の意と同じ、と注釈しています(付記1.参照)。

源氏物語』は、10世紀後半~11世紀初頭の成立です。文献上の初出(『紫式部日記』)以前とみれば、寛弘5年(1008)までに成立したと推測できます。

古今和歌集』の編纂終焉を914年としても約90年後の作品が『源氏物語』であり、世間での「たすき」の利用形態は変わったり追加されたりされ得る時間の長さですので、その点を考慮しなければなりません。

 一方、これだけの時を経て、『古今和歌集』(特にその短歌)は、官人やその家族にとり古典となり、暗唱するほど必須の教養となっていたでしょう。

③ 「末摘花」の当該部分を、『新編日本古典文学全集20』より引用します。「末摘花」にある5-421-72歌に続く文にあります。

「・・・ゐざり寄りたまへるけはひしのびやかに、えひの香いとなつかしう薫り出でて、おほどかなるを、さればよと思す。年ごろ思ひわたるさまなど、いとよくのたまひつづくれど、まして近い御答(いら)へは絶えてなし。わりなのわざやとうち嘆きたまふ。

「いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。」とのたまふ。女君の御乳母子、侍従とて、はやりかなる若人、いと心もとなうかたはらいたしと思ひて、・・・」

 

「いくそたび・・・」の歌は、『新編国歌大観』での表記は次のとおり。

 5-421-72歌                   君(光源氏

いくそたび君がしじまに負けぬらんものな言ひそといはぬたのみに

④ 瀬戸内寂聴氏訳『源氏物語』の「年ごろ・・・」以下は、つぎのとおり。

 「長年、恋い慕ってきた胸の思いなどを、・・・ 源氏の君は、

  「それにしても、こうまで黙っていらっしゃるのは何ということでしょう」

とお嘆きになります。

(歌割愛)

 「いっそ思いきれとはっきりおっしゃってください。玉だすきのようなどっちつかずのこんな状態は苦しくてなりません」

とおっしゃいます。・・・」

 瀬戸内氏は、「玉だすきなる」を、「玉だすきのようなどっちつかずのこんな状態」と訳しています。「たまだすき」の「たま」は美称であり「たすき」は「両肩のどちらにもかけることから、どっちつかずの状態」を指す語句という理解のようです。

⑤ 私は、当時の一般的な恋愛作法を前提に源氏の心の動きを確認して、現代語訳を試みたい、と思います。

 この場面は、ある姫君の情報を得た源氏が、手引きを強要し、文の返事もない段階で琴を弾くのを盗み聞きした後、手引きをまた強要し、その姫君から室内の障子(移動可能な建具)で(物理的に)しっかり隔てられたところに用意された席に着いたところです。その席は、その姫君の「返事をしないで格子の外の人物の話をきくだけならば」と言う条件に、手引きのものがそれでは失礼だといって用意した席であり、源氏は姫君のその条件を知らされていません。

 源氏は、聞くだけの姫君に「わりなのわざや」と思い、次に歌を詠い聞かせています。

 その「わりな」とは「わりなし」の略です。「わり」とは「断わり(理)」の「わり」と言われており、「わりなし」とはつぎのような意です(『明解古語辞典』より)。

 Aむちゃくちゃだ・無理だ・道理に合わない。(例文は『枕草子』ほかから)

 B(寒さ恐ろしさ苦しさなどを感じるのが)ひととおりでない。(例文は『枕草子』・『源氏物語』夕顔から)

 Cすぐれている。(例文は『平家物語』から)

 Dなんともしかたがない。やむをえない。(例文は『奥の細道草加から)

 引用の例文の時代と、男女の仲の間柄として室内に招じ入れられた者からすれば、この場面の「わりな」とはAが最有力で、もっともな反応です。また、Dの例文は江戸時代の作品です。

 「わざ(業)」とは、A行い・行動 B仕事 Cありさま D技術・技能などの意であり、A~Cの例文は、それぞれ『源氏物語』若紫、『伊勢物語』、『紫式部日記』です。

 この場面では、恋を語る場面なのでAが有力な理解だと思います。

⑥ それではと、源氏は、会話ではなく、歌を選びました。歌には、対面を前提とした条件をだすなどの返歌があるのが当時の普通の恋愛作法です。

 「ものな言ひそ」と言われていないのを頼りにしている」とは、「返事がないのは良い知らせ、と信じています」ということです。現に、文の返事がないまま対面を願って実現したのですから、源氏からすれば、周囲の者に交際の反対者はいないし拒否されていないのは確かなことです。そして、これまで言葉巧みに話をして恋愛は成功してきているのだから、私の誠実さは通じるものと、信じています。この歌の返歌があれば、なんとでも姫君にさらに近づける(口説き落とせる)と信じている心境です。

⑦ 当然この歌にも返事はないと十分予想できるので、すぐ、「のたまひも棄ててよかし。玉だすき苦し。」ともう一度念を押す発言をしています。「のたまひ」とは、「のたまふ」(「言う」の尊敬語)の連用形であり、名詞句でしょうか。

 歌の直後なので、「のたまひ」とは、歌にいう「ものないひそ」という(姫君が発したと歌で位置付けた)語句を指しているはずです。そして、歌の返歌について言っていると理解されてもよい、と源氏は考えているはずです。

 歌にある「ものないひそ」という語句は、「室内に招じ入れられ、障子を隔てるだけの関係になってから、これ以上のアプローチをするな、時期を待て、と言われた」、ということもこの時点では意味することになります。

 「のたまひも棄ててよかし」とは、源氏にとり、何がさし障りなのかわからないまま無理やり自重させられ、問いかけもできないという不自由さだけでも、止めてください。声を聞かせてください。」という姫君への嘆願です。あるいは、「のたまひ」を、「声にだしての返歌」と採り、「わざわざ歌をお聞かせ頂かなくとも、構いません(つまり、だまって障子を取り除いていただいても)。」という申し入れと理解されてもよい、と源氏は考えています。

⑧ 次の語句、「玉だすき苦し」とは、源氏がこの状況を打開しようとする働きかけが禁止されているのは、恋に焦がれる身にとりストレスが強くかかりすぎます、と哀訴とも強訴ともとれる発言となります。

 この語句は、「のたまひも棄ててよかし」から、一拍以上の空白をわざわざ空けて、源氏は口にしたと思います。

 現に障子を隔てて、息遣いも分る近さであっていくら口説いても無反応で、物を渡すことも衣服に触ることもできないで別れることは、源氏にとり今まで経験したことのないことです。源氏が思いもしなかった恋の進行ですから、源氏も必死です。

 「玉だすき」という語句は、官人の日常の用語ではなく、当時では歌語であろう、と思います。竹岡氏は、1-1-1037歌の「玉だすき」は当時の俗語での意味の「たすき」に、美称の「玉」を付けた語句で、歌語の「たまだすき」ではない、と論じています。

 歌語であるので、官人やその家族ならば、『古今和歌集』にある「たまだすき」という語句を用いた唯一の歌1-1-1037歌と結び付けて源氏の発言の理解を普通ならば試みるでしょう。しかし、その反応もありませんでした。

⑨ 繰り返すと、源氏は、障子越しに対面しているのに、声を聞くことができず、「わりなのわざや」と心の中で「うち嘆き」、歌を姫君に聞かせ、なぜ前に進めないのかと尋ね、今の私は「玉だすき苦し」と姫君に訴えました。

 物語の読者として、この時点での源氏の次の行動を冷静に推理してみると、二者択一だと思います。

 第一は、これだけ色々口説いても無言であるので、周囲の勧めだけで本人の意でここにいないと判断し、このまま退出する(ショックなことだが前に進めなかったのだから姫君を諦めることになる)、

  第二は、周囲が反対していないことは部屋にいれてくれたことではっきりしているので、無理をしてでももう一歩進めてから退出する(声を聞く・歌の返事を聞く・障子を除けてもらうなど、もう一度来られる言質を得る)、

のどちらかです。

 しかし、これまでの経験と姫君を好もしい女性と信じている源氏には、第二の選択しかしない、と思います。

⑩ ところが、思いのほかに、姫君から歌の返しがありました。それは、源氏の歌の「しじま」に反応した歌であって、「無言」の言い訳でした。

 これにより、源氏は自分が悪く思われていないのを確信したのではないでしょうか。

 歌語「玉だすき」から類推する1-1-1037歌の作中人物の気持ちは歌に触れていない(源氏への思いやりに触れていない)のですが、初志貫徹したい源氏にとっては、少なくとも、第二の範疇の型破りの行動は非難されないだろう、とこの返歌から推測したと思います。

 だから、さらに聞いてもらう努力を続け、あわよくばもう一言、返事を期待し、また機会をうかがうことになります。

⑪ 1-1-1037歌について、諸氏は、文の遣り取りはあるものの煮え切らない態度の返事が続き「はっきりしてくれ」と相手に訴えている歌、と理解しています。

 この理解を前提とすれば、1-1-1037歌は、二人の間に文の交換がある段階の歌ですが、源氏のこの場面では、文の交換後のステップであるはずの同室に二人がいるという段階(通常は後戻りしない段階)です。その場面で相手の制止によって足踏みを余儀なくされている、動き出せない状況です。

 この二つの場面を比較すると、1-1-1037歌の作中人物も、源氏も待ちの姿勢を保っていることが、共通しています。異なっているのは、その状況に対して「玉だすき」を引き合いにだす理由が、1-1-1037歌の相手の煮え切らない態度(情報が不正確)であり、源氏の相手の徹底した無言(情報が無いこと)ということです。いづれにしても作中人物と源氏は次に行うべき行動の選択がすぐできないでいます。そこも共通点です。

⑫ さて、このような理解で、本文の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「こちらにいざりよって来られる姫君の気配は、物静かであり・・・はたして予想していた通りであると、源氏はお思いになりました。(しかし文の時とおなじく、語りかけても返事は無く)これは道理に合わない(これまでの経験と違いすぎている)と、ため息をおつきになりました。そして歌をくちずさみました。

 「「いくそたび・・・(いったい何度あなたの沈黙にわたしは負けたことでしょう。あなたがものを言うなとおっしゃらないのを頼みにしてお訴え申してきたのですが)」

「あなたの「のたまひ」は、もう不用なもの、とお考えにはなりませんか。お願いします。(しばし無言の後)「玉だすき苦し」、という状況です」

とおっしゃいました。・・・」

⑬ 地の文にある「わりなのわざ」という語句は、必死に口説いている最中の独り言です。

 また、歌語である「たまだすき」という語句を用いた「玉だすき苦し」とは、「1-1-1037歌の作者の心境です」、と訴えています。

 「はっきり言ってくれ」と返事を期待するより、このように訴える源氏の気持ちを考えてほしい、という新たな方法で姫君に迫ろう、という考えで源氏は発言したのではないか。姫君にはまだ拒否はされていないと確信しているので、源氏は必死です。

 結局、「玉だすき」に関しては、1-1-1037歌と共通点を指摘できましたが、「玉だすき」がどのような行為・事態をいうのかはまだわかりませんでした。

⑭ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、「たすき」の用例を検討し、「たまだすき」の意味を探りたい、と思います。

 (2021/4/12    上村 朋)

付記1.『源氏物語』「末摘花」での「玉だすき」の用例の補足

①『窯変源氏物語』(橋本治)では、「のたまひも棄ててよかし」相当の部分を「いっそ“いや”とおっしゃればよろしい、仰せにならぬ言葉を推(すい)して迷ってしまいます。」と表現している。

 橋本氏は、「たまだすき」の語句には直接触れず、ただ「迷っている」としている。この発言までの事態の推移の読者の理解に任せている、と思える。

②『日本国語大辞典』(第二版 小学館 2001)は、語釈の用例の並べ方を「時代の古いものから新しいものへと順次に並べる。但し漢語・仏典は末尾」としている。

「玉だすき」に関しては、

第一の語意を「たすきの美称 例)2-1-369歌」、

第二の語意を「仕事の邪魔にならないように袖をたくし上げて後で結ぶこと。また、たくしあげる紐。例)平家物語、など」、

第三の語意を「たすきが交差し絡み合うように事が掛け違い、わずらわしいさまのたとえ。例)1-1-1037歌」、(以下割愛)

としている。

 (付記終わり 2021/4/12   上村 朋)