前回(2018/9/17)、 「猿丸集第29歌 ゆづかあらため」と題して記しました。
今回、「猿丸集第30歌 物はおもはじ」と題して、記します。(上村 朋)
1. 『猿丸集』の第30歌 3-4-30歌とその類似歌
① 『猿丸集』の30番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。
3-4-30歌 (詞書なし 3-4-29歌の詞書をうける)
あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとく物はおもはじ
類似歌 類似歌は2首あります。
a 『人丸集』 柿本集下 3-1-216歌 (詞書無し)
あらちをのかるやのさきにたつしかもいとわがごとにものはおもはじ (四句いとわればかり、(とも))
b 『拾遺和歌集』 巻第十五 恋五 1-3-954歌。「題しらず 人まろ」
あらちをのかるやのさきに立つしかもいと我ばかり物はおもはじ
② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句の数文字と、詞書が、異なります。
③ この歌と類似歌とでは、趣旨が違う歌です。この歌は、詞書にいう「おとづれたりける」男を、改めて信頼していると、表明した歌であり。これに対して、類似歌は、受け入れてくれなかった男に作者はまだ不安がある歌です。
2.類似歌の検討その1 『人丸集』の配列から
① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。『人丸集』歌から検討します。
類似歌a3-1-216歌は 『人丸集』の「柿本集下」にある歌です。「柿本集下」は詞書の無い3-1-65歌からはじまり、3-1-172歌と3-1-178歌と3-1-221歌の前に詞書があり、「せむどう歌」の部類(3-1-228歌~)、長い詞書のある歌群(3-1-236歌~)で終ります。
このため、記載の少ない詞書からの検討は割愛し、各歌の配列そのものから特徴を検討します。
類似歌a3-1-216歌の前後5首づつ抜きだすと、次のような歌です。この11首の歌には、『萬葉集』や三代集に類似歌がある歌があります。『萬葉集』には「柿本朝臣人麿歌集に出づ」と左注されている歌もあります。その類似歌の歌番号を歌の次の( )内に記します。
3-1-211歌 さざなみやしがのからさききたれども<さちはあれど>大宮人のふねまちかねつ
(2-1-30歌)
3-1-212歌 あしひきの山どりのをのしだりをのながながし夜をひとりかもねん
(2-1-2813歌)
3-1-213歌 ちはやぶる神のたもてる命をもたがためと思ふわれならなくに
(2-1-2420歌)
3-1-214歌 あじろぎのしらなみよりてせかませばながるる水ものどけからまし
3-1-215歌 しらなみはたてど衣にかさならずあかしもすまもおのがうらうら
(1-3-477歌)
3-1-216歌 (類似歌a)
(1-3-954歌 (類似歌b))
3-1-217歌 ほのぼのとあかしの浦の朝ぎりに島がくれゆく舟をしぞ思ふ
(1-1-409歌)
3-1-218歌 なるかみのおとにのみきくまきもくのひばらの山をけふみつるかな
(2-1-1096歌 1-3-490歌)
3-1-219歌 いにしへにありけん人もわがことやみわのひばらにかざしをりけん
(2-1-1122歌 1-3-491歌)
3-1-220歌 よそにして<あり>雲ゐにみゆるいもがいへにはやくいたらんあゆめくろこま
(2-1-1275歌 2-1-3460歌)
3-1-221歌 さるさはのいけに身をなげたるうねべをみてよめる
わぎもこがねくたれがみをさるさはの池のたまもとみるぞかなしき
(1-3-1289歌)
② この11首の前後の歌は、あきらかに相聞の歌が並んでいます。類似歌の歌集における部立や詞書も参考にして11首を検討すると、次のとおり。
3-1-211歌:『萬葉集』では、「過近江荒都時、柿本朝臣人麻呂作歌」という詞書のもとの反歌であり、往時の大宮人を哀傷している歌となっている。この歌も同じ趣旨である。あるいは3-1-210歌までが相聞の歌であるので、相聞の歌として単に逢えない人を思う歌であるかもしれない。
3-1-212歌:相聞の歌。『萬葉集』では、寄鳥陳思の歌で、独り寝を歌うが、悶々と夜を明かしたと詠う2-1-2812歌の「或本歌云」であるので、相聞歌である。
3-1-213歌:相聞の歌。 『萬葉集』でも寄神祇陳思の歌で相聞歌。
3-1-214歌 相聞の歌。「のどけからまし」と詠う歌は『萬葉集』に無く、三代集で1-1-53歌と1-3-496歌のみ。
3-1-215歌:『人丸集』の配列では、相聞歌の間にある。思いのままにならぬことを詠うので、相聞の歌か。 『拾遺和歌集』の部立は雑上で、羈旅の部立ではない。
3-1-216歌 (類似歌a) 保留
3-1-217歌:『人丸集』の配列では、相聞歌の間にある。舟は港から出て行ったと詠うのは、別れの歌ともとれる。 『古今和歌集』の部立は羈旅。
3-1-218歌:『人丸集』の配列では、相聞歌の間にある。初めて逢えた喜びを詠う相聞の歌か。 『萬葉集』では雑歌で詞書は「詠山」。『拾遺和歌集』の部立は雑上で、詞書は「詠山」。
3-1-219歌:『人丸集』の配列では、相聞歌の間にある。亡き妻を思う歌か(『増訂万葉集全註釈』(武田祐吉氏)。 『萬葉集』では雑歌で詞書は「詠葉」。『拾遺和歌集』の部立は雑上で、詞書は「詠葉」。
3-1-220歌:『人丸集』では、相聞歌。『萬葉集』では雑歌で詞書は「行路」。『拾遺和歌集』の部立は雑上。
3-1-221歌 挽歌。『拾遺和歌集』での部立は哀傷であり、同様な詞書があります。
③ 次に、この11首において共通の語句から配列を検討します。
共通の語句を用いて並んでいる歌は2組だけです。
「しらなみ」が共通語の3-1-214歌と3-1-215歌は、歌意が異なります。「ひばら」が共通語の3-1-218歌と3-1-219歌も、歌意が異なります。11首の間では特段の特徴はありません。
④ このように、これらの歌は、組合せて一組と見做せる歌は無なく、互いに独立した歌である、と思います。また、類似歌a3-1-216歌を保留すると3-1-212歌以下3-1-220歌まですべてが相聞歌であるかもしれません。
⑤ なお、『新編国歌大観』の『人丸集』の底本は、宮内庁書陵部蔵の『柿本人麿集(506・295)』です。この底本には、平安中期以後に付加されたことが明らかな国名を読み込んだ歌が66首あります。『新編国歌大観』の解題では、「(この歌集は、)他人歌を含み、成立は複雑である。平安時代における人麿理解のありようとかかわっている。柿本人麿は、生歿年未詳の持統・文武朝に仕えた宮廷歌人。平安時代になると実像から離れた歌聖になってゆく。人麿の歌として作詠時点の明かなのは、持統天皇3年(689)から文武天皇4年(700)まで。奈良時代以前の和歌の平安時代における伝承と享受の実態をさぐるための貴重な資料である」、と解説しています。
今は、『人丸集』の成立事情に拘らず『猿丸集』の編纂者が参考とし得る歌集の一つとして検討を続けます。
3.類似歌の検討 その2 『拾遺和歌集』の配列から
① 次に、類似歌b1-3-954歌は、『拾遺和歌集』巻第十五 恋五(925~999)にあります。
この歌の前後の歌の詞書はつぎのようです。
1-3-925歌 善祐法師ながされ侍りける時、母のいひつかはしける
1-3-926歌 題しらず (以下940歌まで)
1-3-941歌 女につかはしける
1-3-942歌 題しらず (以下949歌まで)
1-3-950歌 ものいひ侍りける女の、のちにつれなく侍りて、さらにあはず侍りければ
1-3-951歌 題しらず (以下962歌まで)
1-3-963歌 女のもとにまかりけるを、もとのめのせいし侍りければ
1-3-964歌 題しらず (以下970歌まで)
このように具体的な詞書がある一首に続き題しらずの歌が何首もあります。題しらずの歌には個人の作者名のあるのもあります。具体的な詞書のある歌とそのあとの題しらずの歌でひとつの歌群とみなせるかどうかを検討します。
② 恋五の巻頭歌の詞書から、題しらずを除いた詞書をつなげると、
母とその息子との間の歌(この歌群は母子ではなく男女の相聞歌と諸氏が指摘しています)につづき、
歌を「女につかは」し、その後その女に「あはず侍りければ」とて歌をおくり、
その女のもとにまた通えるようになって、「もと(もと)のめにせい」せられたときの歌、
を順に配置した、と推理することができます。このような推論が、恋の部全体にも同様に当てはまらなるかどうかは確かめていませんが、少なくとも「具体的な詞書がある一首に続く題しらずの歌すべて」で一つの歌群である可能性は、五巻に限っては指摘できます。
③ 『拾遺和歌集』の構成については、小池博明氏が、『新典社研究叢書 拾遺集の構成』(1996)において、恋部の構成を論じています。氏は、「時間の推移(一方向に時間軸に沿ってすすむ)というよりも段階的推移(質的変化・進行後退等のステップ)によっている」と論考しています。そして、恋五は、「いくつかの歌群があり、第一の歌群は相思だが逢えない(巻頭歌)段階から離別の段階に至る925~962で構成され、1-3-948歌からは離別の段階の歌となっている(離別の段階から次のステップ(絶縁の段階)に入ったと思われる歌がない)」と、論考し、「3-1-952歌は「あふことのなし」といいかけており関係途絶を恋愛主体が認識していることがわかる」と指摘しています。
恋五は、恋の部のまとめを担っているので、「(結局みのらなかった)恋の遍歴の完了を詠む恋五巻軸歌で全体をまとめている。これは、恋の一回性、つまり多数の恋を経験しても、同じような恋は二つとない、といった恋の性格に即応した構成である」と指摘しています。
④ この論は、『拾遺和歌集』の元資料の歌を、『古今和歌集』の編纂者と同じように、『拾遺和歌集』編纂の素材として扱っている、と見ています。特定の男と女が歌を交わしたと思われる対の歌を並べることはせず、恋の段階に相当する歌を集めて配列している、とみなしています。
たしかに、1-3-948歌は疎遠の歌ではなく相手の心変わりを読んでおり、1-3-947歌までとは異なります。
『拾遺和歌集』の構成については、小池氏の論のほうが、上記②の推理より妥当に思われます。
⑤ それを、確かめます。類似歌bの前後の歌の配列から検討します。
小池氏は、題しらずの歌1-3-948歌から離別の段階になるとしていますが、題しらずの歌の並ぶ途中の歌です。詞書でその離別の段階を確認できるのは1-3-950歌の詞書です。この歌から次の詞書のある歌までを挙げると、次のとおり。
1-3-950 ものいひ侍りける女の、のちにつれなく侍りて、さらにあはず侍りければ 一条摂政
あはれともいふべき人はおもほえで身のいたづらに成りぬべきかな
1-3-951 題しらず 伊勢
さもこそはあひ見むことのかたからめわすれずとだにいふ人のなき
1-3-952 題しらず 藤原 有時
あふことのなげきの本をたづぬればひとりねよりぞおひはじめける
1-3-953 題しらず つらゆき
おほかたのわが身ひとつのうきからになべての世をも怨みつるかな
1-3-954 題しらず 人まろ
あらちをのかるやのさきにたつしかもいと我ばかり物はおもはじ
1-3-955 題しらず 人まろ
荒磯の外ゆく浪の外心我はおもはじこひはしぬとも
1-3-956 題しらず 人まろ
かきくもり雨ふる河のささらなみまなくもひとのこひらるるかな
1-3-957 題しらず 人まろ
わがことや雲の中にも思ふらむ雨もなみだもふりにこそふれ
1-3-958 題しらず つらゆき
ふる雨にいでてもぬれぬわがそでのかげにゐながらひちまさるかな
1-3-959 題しらず よみ人しらず
これをだにかきぞわづらふ雨とふる涙をのごふいとまなければ
1-3-960 題しらず よみ人しらず
君こふる我もひさしくなりぬれば袖に涙もふりぬべらなり
1-3-961 題しらず よみ人しらず
きみこふる涙のかかる袖のうらはいはほなりともくちぞしぬべき
1-3-962 題しらず よみ人しらず
まだしらぬおもひにもゆるわが身かなさるはなみだの河の中にて
和歌にある語句で、隣り合う歌に共通のものがある歌があります。(付記1.参照)
しかし、類似歌b1-3-954歌には、前歌とは共通の語句がなく、1-3-955歌とは「あら」(接頭語か)を共有していますが、この歌には前後の歌に登場しない動物(鹿)が登場します。このため、共通の語句の有無から言えば、1-3-954歌は、前後の歌とは独立している歌(対となる歌がない歌)といえます。(各歌の検討は下記5.に譲ります。)
4.類似歌の検討その3 現代語訳の例
① 類似歌a 3-1-216歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。
・ 「荒々しい狩人が向けた矢の前に立つ鹿でも、まったく私ほどに物思いをすることはあるまいよ。」( 『和歌文学大系17』の「人丸集」(阿蘇氏担当)288歌)
・ 「勇ましい男の狩をする矢の前の先に立つ不安な鹿も、それほどひどく私のようには物思いをしないだろう。」(『私歌集全釈叢書34 人麿集全釈』(島田良二氏))
② 阿蘇氏の訳は、四句が「いとわがごとく」となっている歌の訳です。氏は、狩人の前に立つ鹿と比較して我が恋の辛さをあらわす、と理解しています。
島田氏の訳は、五句が1.に記した歌と同じです。「伝承歌の人麿歌を採った『拾遺和歌集』から人麿集は採ったと考えられる」、また「かるや」とは、「狩をし、射る矢」と、氏は説明しています。作者の恋の辛さの比喩が鹿の状況であるのは阿蘇氏と同じです。 また、五句にある「おもはじ」の助動詞「じ」は、作者ではなく鹿の思いについて推量しているのも同じです。
③ 次に、類似歌b 1-3-954歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。
・ 「荒々しくたくましい男の狩をする矢の前に立っている鹿も、まったく私ほどは物思いをするまい。」(『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(小町谷照彦校注1990)
④ 小町谷氏は、「矢の前に立つ鹿に、恋の物思いをする自分をよそえる。」と指摘しています。また積極的に前後の歌との連携があるとの主張を954歌についてはしていません。
⑤ 句頭に「あらちを」表記のある歌は、『萬葉集』にありません。句頭に「たつしか」を表記した歌もありません。『古今和歌集』にも同様です。
「あらちを」は、「「荒らしを」の転というが、古く他に例がない」(『和歌文学大系32 拾遺和歌集』(増田繁夫))等語の成り立ちに論がありますが、諸氏は雄々しい男・勇壮な男の意としています。
上句は下句の序詞とした訳です。この訳では、作者は女のようです。
⑥ 3-1-216歌の現代語訳は、不安な気持ちを訳に示している島田氏の訳を採り、1-3-954歌は、小池氏の立場で現代語訳を試みることとします。
5.類似歌b 1-3-954歌のある歌の一団 現代語訳の例あるいは試み
① 小池氏の論により各歌が説明できるかを、確認します。
小池氏は、「相思だが逢えない(巻頭歌)段階から離別の段階に至る925~962」を一つの歌群と捉え、1-3-948歌からは離別の段階の歌としています。離別の段階を歌意ではなく詞書で確認できるのは1-3-950歌の詞書であり、再掲すると次のとおり。
ものいひ侍りける女の、のちにつれなく侍りて、さらにあはず侍りければ
② 「ものいふ」とは「物いふ」であり、「もの」とは、個別の事物を直接明示しないで一般化していう言い方であり、ここでの「ものいふ」は、「(異性に)情を通わせる」の意であり、「ものいひ侍りける女」とは、当時の貴族の常として、一夫多妻の妻のひとりとして処遇して夫婦(通い婚のスタイル)となっていた女性、という意です。ただし、正妻ではありません。
作者と女との関係は、「・・・けり」と過去回想の助動詞を用いた詞書なので、一旦離別状態になったと作者が認めている段階です。
③ 詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。
契りを交わした女が、その後私に情を示さないようになり、さらには、逢うこともしなくなったので(送った歌)
④ この詞書のある歌から以下の題しらずの歌の現代語訳を、試みます。
歌は、上記3.⑤に記載してあります。
⑤ 最初の歌、1-3-950歌を試みます。 作者は、一条摂政(藤原伊尹)であり、この歌は、『一条摂政御集』にある(但し詞書が異なる。付記2.参照)ほか、小倉百人一首にある歌です。『例解古語辞典』の付録の「百人一首」に歌意を次のように記しています。この辞典は、小倉百人一首について、「王朝秀歌の集大成で、その構築する意味世界は、多重的で奥行きが深く、広がりに富むところを、おさえていく努力を惜しまないことが大切である」、としています。
「いたわしい、気の毒だと、当然言ってくれそうな人が、だれでも一人はいるものだが、わたしには思い浮かばず、このままきっとだめになってしまうでしょうよ。」
四句の「身のいたづらに」なるとは、ここでは、せっかくあたえられた生を生き抜くこともできず、途中で死ぬこと、の意と説明があります。そして『拾遺和歌集』での詞書と『一条摂政御集』での詞書と同書にある返歌などを踏まえれば、想を練った作という面もある。女心を動かさずにはおかないような作者の感傷が流れている歌である、と解説しています。
『拾遺和歌集』での詞書のもとの歌として理解しても、寄りを戻したい男の歌として、この歌意は妥当である、と思います。(小倉百人一首の歌と『拾遺和歌集』の歌は、清濁抜きの平仮名表記はまったく同じです。)
⑥ 1-3-951歌を試みます。作者は伊勢です。小町谷氏等の訳を参考に現代語訳を試みます。
「そのように言われても、逢い見ることはむずかしいでしょうよ。せめて忘れることはない、とだけでも、言って寄こしてくれる人もいない私であれば。」
初句にある「さもこそは」を歌に用いた最初の歌人は伊勢であったと竹鼻績氏は指摘しています(『拾遺抄注釈』345歌補説)。
この歌は、逢うことを拒絶しており、作者はすでに離別してしまったと認識しています。1-3-950歌の返歌と理解するには下句が唐突です。
⑦ 1-3-952歌については、小町谷氏の訳を参考に現代語訳を試みます。
「あいたい、だがあえないという嘆きの原因を尋ねてみると、「投げ木」と同音の「(「逢うことの無くて)嘆く木」という木の根元の独り寝という根から育っていたよ。」
この歌は、疎遠の段階の歌か離別が決定的であることを作者は認識していると理解できます。なお、「投げ木」とは、火に投げ入れて薪とする雑木だそうです。
⑧ 1-3-953歌の現代語訳は、小町谷氏の訳を採ります。
「相手に思われないのも忘れられるのも、よく考えてみれば、あらゆることは皆我が身が招いた不運、それなのにすべて世の中の所為にして恨んできたことだ。」
この歌は、離別に至ったことを認めているか、(1-3-950歌と比較するならば)再度のアプローチとして同情を引こうとしているのかのどちらかです。
小池氏は、この歌以降歌から関係の断絶を明瞭に読みとれないが、離別を明確にした歌のあとに位置していることと、次のステップ(絶縁)の歌とも取れないので、離別の段階の歌である、と論じています。
⑨ 1-3-954歌は、類似歌bですので、後ほど現代語訳を試みます。
⑩ 1-3-955歌について、小町谷氏の現代語訳を示します。
「荒磯の「ほか」、外へ越えて去ってゆく波のように、「ほか心」、外の人に関心を寄せるような浮ついた心は、私は思うまい、たとえ恋死をしようとも」 (一途に愛情を誓う歌)
この歌には、類似歌が『萬葉集』にあります。
2-1-2438歌 寄物陳思 (萬葉集第十一 古今相聞往来歌類之上)
ありそこし ほかゆくなみの ほかごころ あれはおもはじ こひてしぬとも
現代語訳の例を示すと、
「荒磯を越えて あらぬ方(かた)に去る波のような あだな心を わたしは持っていません たとい恋死にしても」(『新編日本古典文学全集8 万葉集』)
初句と二句は、三句の「外心」を起こす比喩の序であり、「外心」とは、「特定の人以外の人を愛するよこしまな心。浮気な心。」と説明しています。
作者が離別を認識していて送った歌とすると、現代ならばそれでもメールをしまくる、というような感じで、ストーカーととられかねません。
⑪ 1-3-956歌にも、 『萬葉集』に類似歌があります。
類似歌2-1-3026歌 寄物陳思 (萬葉集第十二 古今相聞往来歌類之下)
とのぐもり あめふるかはの さざれなみ まなくもきみは おもほゆるかな
この歌は、1-3-957歌とともに「あめふる」と詠んでいます。離別を認識しての作者の涙か、単に疎遠となっているための涙か分かりませんが、つぎの1-3-958歌の前にある歌であり、この並びから言えば、前者になります。(この2首の現代語訳は割愛します。)
⑫ 1-1-958歌は、『貫之集』に類似歌があります(貫之集五恋 3-19-647歌 詞書無し)。
ふる雨に出でてもぬれぬわが袖のかげにゐながらひちまさるかな
『土佐日記貫之集』(新潮日本古典集成第80回 1988 校注木村正中氏)の訳は、次のとおり。
「降る雨に出てもあまり濡れない私の袖が、雨のかからない物陰にいながら、恋の涙のためには、ますます濡れてくるのだなあ。」
四句「かげにゐながら」とは、「保護者のもとに苦労もない身の意を兼ねるか。女の立場となれば、男の保護を受けながら、なおさびしい女心に通じよう」と木村氏は論じています。
専門歌人である貫之は、誰のためにこの歌を詠んだのでしょうか。内容からは、屏風歌とは思えないし、女の立場の歌なので、貫之自身が実際に相手に送った歌とも思えません。可能性は歌合か代作です。親どもに押し込められた女に男が送った歌が、『猿丸集』の歌3-4-22歌~3-4-26歌にありました。その返歌に相当するような歌がこの歌です。
二句「出でてもぬれぬ」の「出づ」は、外出の意です。貴族の娘であれば、牛車の使用を念頭においてよいと思います。だから、雨が降っていようと貴族は外出にあたり雨に濡れる心配はありません。
四句にある「かげ」は、「物陰、さえぎられて見えないところ」の意です。
五句にある「ひちまさる」は、「漬ち増さる」であり、よけいひどく濡れる、の意です。
現代語訳を試みると、次のとおり。三句切れの歌です。
「空より降る雨には、外出してもわが袖はぬれません(そのような生活をしている)私が、今、遮られて見えないところに押し込められていて、わが袖はぬれにぬれるのですよ、貴方をお慕いして。」
これは『貫之集』歌に対する現代語訳(試案)です。作中人物は、離別を覚悟しているかどうか不明です。
『拾遺和歌集』の歌は、小池氏の論に従えば、強制的に別れさせられた女の、離別を認識している歌と理解することが可能であり、この(試案)でも良い、と思います。
また、1-3-958歌は便りをしようとしており、絶縁となったとの認識は作者にないでしょう。
⑬ 1-3-959歌から1-3-962歌は、涙を詠んでいます。涙で袖を濡らすのは、離別を不承不承でも承知した歌であると言えるかもしれません。しかし、1-3-962歌は、「思ひ」という火のなかで涙しており、離別を作者が認知していても諦めていません。
⑭ このように各歌をみてくると、離別を認識している作者の歌が続いており、小池氏の論が成立しています。
6.類似歌の検討その4 類似歌b 1-3-954歌の現代語訳の試み
① ここまでの検討を踏まえ、詞書が「題しらず」ですが小松氏のいう離別の段階の歌として、現代語訳を試みます。
② 初句の「あらちを」は、雄々しい男、勇壮な男の意とします。
③ 二句の「かるや」は、動詞「かる」の連体形+名詞「矢」ですので、「狩る矢」となります。狩り場で獲物に向ってつがえている矢、を指しています。「離る」であれば下二段活用であり「駆るる矢」となるところです。
④三句「たつしかの」の「たつ」は、四段活用の動詞「たつ(立つ)」の連体形であり、「起立した状態いる」、「(進行をとめて)そのままの状態でいる、ある位置につく」の意があります。
「たつしかの」のは、「動かないでいる鹿の」、とか「狩りの標的として定まってしまった鹿の」、の意です。
⑤ 四句「いとわればかり」とは、副詞「いと」+代名詞「われ」+副助詞「ばかり」であり、「ほんとうに私ほど」の意です。
⑥ 五句「ものはおもはじ」の「もの」とは、個別の事物を直接明示しないで一般化していう言い方であり、ここでは、作者の立場では、離別を意識しつつも相手との間の愛情の行末、情報交換などを指していると考えられます。
「かるやのさきのしか」の立場での「もの」は、「自らが射られるか逃げられるか(さらにメスシカであれば小鹿を守れるか)」であると思います。「襲う」という行為は含まれていないでしょう。そしてそれはもう相手との交渉の余地がないことであり、「ものはおもはじ」とは「自らが射られる」のを運命と思っているだあろう、ということです。
「ものはおもはじ」とは、作者にとって「判断に迷わないだろう、不安が募ることはないだろう」、の意ですが、それは反語です。作者は、上句に、矢は必ず鹿を射る、と信じて詠い出しているからです。。
⑦ 以上の検討と小池氏の論に従い、離別を認識した作者の歌として、現代語訳を試みると、つぎのとおり。
「勇壮な男が引き絞った弓矢の先にいる鹿も、やることは一つだけだがそれが成功するかどうかについて、今の私ほど色々不安に感じていることはあるまい。(鹿は逃れられないと絶望していても逃げるに迷いはないであろう。私も、もう手立てを尽したので、あとはひたすら待つこと以外ない。それに迷いはないというものの、それはそれは不安が募ります。やはり離別かと。)」
この歌は、離別を覚悟しつつも、そうならないようやるべきことをしたと信じて、便りがあるのを待っている時の気持ちを詠っているのではないか。結果は吉でないことを予感しつつも、勇壮な男が放った矢が必ず鹿を射るように私への便りが喜びをもたらすことを期待している歌、と思います。
⑧ 相手とやりとりがある段階の歌(逢う前とか疎遠になりそうな時)であれば、射られるか逃げるかの二者択一の「狩る矢の先の鹿」のたとえはふさわしくないかもしれません。
7.3-4-30歌の詞書の検討
① 3-4-30歌を、まず詞書から検討します。3-4-29歌の詞書をうけていますので、前回のブログ(3-4-29歌を検討した2018/9/17のブログ)より再掲します。
あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける
② その現代語訳(試案)も再掲します。
「男女の間柄であった女が、暫く遠ざかっていた男の訪れがあって後に、詠んで送った(歌)」
8.3-4-30歌の現代語訳を試みると
① 詞書に従って、3-4-29歌と同様に、作者は男を信頼しているとしてこの歌を理解します。
② 初句にある「あらちを」は、雄々しい男、勇壮な男の意とします。
③ 二句~三句の「かるやのさきに」たってしまった「しか」は、運命の定まったことを自覚するでしょう。一般に「しか」の次にとるべき行動は、「射られるか逃げられるか(さらにメスシカであれば小鹿を守れるか)」です。しかし「あらちをのかるやのさき」では、結果は明白です。
④ 四句にある「わがごとく」とは、「私のように」、の意です。類似歌bは「わればかり」で、「私ほど」の意でした。歌における意味合いはほぼ同じです。
⑤ 五句にある「もの」とは、色々な思案を意味します。「ものはおもはじ」とは、思案はある一つに固まって来るだろう、迷わず自分の運命を受け入れるであろう、の意となります。
⑥ 詞書に従い、このような検討を踏まえて現代語訳を試みると、つぎのとおり。
「勇壮な男が狩りをしようと矢を向けた先にいる鹿も、的とされた以上まったく私のように、その後の運命を受け入れるであろう。(鹿の命運がすでに定まったように、あなたが、これからも私を訪ねていただけると信じています。」
9.この歌と類似歌とのちがい
① 詞書の内容が違います。 この歌3-4-30歌は、歌を詠む事情を説明しており、二つの類似歌は、いづれも題しらずで、全く情報を与えてくれません。
② 五句が同じ語句ですが、意が違います。この歌3-4-30歌は、安心の意を、二つの類似歌は、いづれも不安の意を表わしています。
③ 共通の詞書である3-4-29歌とともに、作者は男を信頼しているとしてこの歌を理解できました。
その結果、この歌は、詞書にいう「おとづれたりける」男を、改めて信頼していると、表明した歌であり。これに対して、類似歌は、受け入れてくれなかった男に作者はまだ不安がある歌です。
④ これまでの『猿丸集』歌と同様に、類似歌とは別の歌意であることに詞書によりなりました。
⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。
3-4-31歌 まへちかき梅の花のさきたりけるを見て
やどちかくむめのはなうゑじあぢきなくまつ人のかにあやまたれけり
類似歌 『古今和歌集』 1-1-34歌 題しらず よみ人知らず」 (巻第一 春歌上)
やどちかく梅の花うゑじあぢきなくまつ人のかにあやまたれけり
この二つの歌も、趣旨が違う歌です。
「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。
次回は、類似歌の歌集を中心に記します。
(2018/9/24 上村 朋)
付記1.『拾遺和歌集』巻第五950歌~962歌において当該歌とその直前又は直後の歌において、連続してもちいられている語句は、次のとおり。
① 共通の語句がないのは、1-3-953歌と1-3-954歌である。1-3-953歌は1-3-952歌とも()書きした語句でのつながりだけである。
② 共通の語句には、名詞(句)と動詞が多く、接頭語は一種類だけである。
1-3-950歌 いふべき人
1-3-951歌 いふ人 あひ見む
1-3-952歌 あふ (ひとりね)
1-3-953歌 (身ひとつ)
1-3-954歌 あら(ちを)<初句にある> おもはじ
1-3-955歌 あら(いそ)<初句にある> おもはじ 浪 こひ
1-3-956歌 雨ふる (ささら)なみ こひ
1-3-957歌 雨(降る)
1-3-958歌 (降る)雨
1-3-959歌 雨(降る) 涙
1-3-960歌 涙 きみこふる<初句にある> 袖
1-3-961歌 涙 きみこふる<初句にある> 袖
1-3-962歌 涙
付記2. 『一条摂政御集』について
① 『一条摂政御集』の巻頭はつぎのように始まっている。
② 一条摂政御集
おほくらのしじやうくらはしのとよかげ、くちをしきげすなれど、わかかりけるとき、女のもとにいひやり
けることどもをかきあつめたるなり、おほやけごとさわがしうて、をかしとおもひてけることどもありけれど、わすれなどしてのちにみれば、ことにもあらずぞありける
いひかはしけるほどの人は、とよかげにことならぬ女なりけれど、年月をへて、かへりごとをせざりけ
れば、まけじとおもひていひける
あはれともいふべき人はおもほへでみのいたづらになりぬべきかな
女からうじてこたみぞ
なにごともおもひしらずはあるべきをまたはあはれとたれかいふべき
はやうの人はかうやうにぞあるべき(りける)、いまやうのわかい人は、さしもあらで上ずめきてやみなんかし
みやづかへする人にやありけん、とよかげものいはむとて、・・・(以下略)
③ 『一条摂政御集』の最初の部分は、主人公を「大蔵史生倉橋豊蔭」という卑官という人物に仮託する形で伊尹とその相手の女の恋歌をまとめている。この部分(3-50-1歌~3-1-41歌)は、伊尹の自作自撰と諸氏が指摘している。
④ この詞書によれば、言いかわした男と女は同等の身分の者同士である。『拾遺和歌集』や『拾遺抄』での詞書からは、恋人に冷淡にされた作者(男)が純情に見えないわけでもない。これも恋の駆け引きである。
(付記終り 2019/9/24 上村 朋 )