2017/5/19 前回、「萬葉集のからころも」と題して記しました。
700年代の「からころも」は、官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着を指す、と推定しました。
また、『萬葉集』では、「からころもたつたのやま」表記のある歌が1首ありました。2-1-2198歌であり、人事を詠っていない、秋雑歌の歌です。
今回は、「三代集のからころもも 外套」と題して、記します。
1.三代集のからころも
① 1-1-995歌の詠まれた時代を含む『古今和歌集』編纂時前後における歌人たちの「からころも」の認識を検討します。
成立年代が、それぞれ、西暦905年、955年、1007年と言われている『古今和歌集』、『後撰和歌集』および『拾遺和歌集』の三代集に記載の歌は、西暦1000年までの歌が大半であります。『新編国歌大観』により三代集で「からころも」表記の歌を抽出すると、下記の表のように、全部で39首ありました。
② この表は、推計した作詠時点順・歌集順・歌番号順としています。よみ人しらずの歌は直前の勅撰集の成立時点等としています。
③ 「からころも」表記について、700年代の意で解釈できるかを確認し、別に生じた意があればそれを整理しました(この表に加えてあります)。
その結果、よみ人しらずの歌21首は、すべて700年代の意の「からころも」表記をしており、そのうち6首がさらに女性などの意を含めていると推定できました。
作者名の明らかな歌18首は、うち15首が700年代の意の「からころも」表記をしており、3首にはその意がないと推定できます。前者のうち4首にはさらに女性などの意を含めていると推定できました。
④ 「からころも」という表記について、片岡智子氏が三代集を含めて検討した結果の方向は、適切なものでありました。官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着は、700年代以後も1000年代に至るまで「からころも」という表記で表され、「からころも」という表記は、さらに別の意味をも800年代以降獲得した、と言えます。
表 「からころも」表記のある三代集の歌の「からころも」の意味別作詠時期別分類
時期 |
外套の意(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着) |
衣裳(美称)の意 |
外来の服の意 |
歌数の計(首) |
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単独 |
衣裳も |
女性も |
着用者も |
|
女性も |
|
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~850 |
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1-2-729(冬嗣) |
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|
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|
1 |
851~900 |
1-1-515 1-1-865 1-1-995* 1-1-410(業平) |
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1-1-375
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|
1-1-572(つらゆき) |
|
6 |
901~950 |
1-2-313 1-2-359 1-2-383 1-2-622 1-2-713 1-2-1329 1-2-519 1-3-149(つらゆき) 1-2-529(桂のみこ) 1-2-386(つらゆき) 1-2-660(つらゆき) 1-2-746(右近) |
1-1-576(ただふさ) |
1-1-786(かげのりのおほきみ) 1-2-539 1-2-848 1-2-948 1-2-1317(女) 1-2-1316 (公忠)
|
1-2-1328
1-2-849
1-3-327(つらゆき)
|
1-1-808 (いなば) |
1-1-697(つらゆき) |
24 |
951~1000 |
1-2-1114(雅正) 1-3-703 1-3-1225 1-3-1189 1-3-321 1-3-326(三条太后宮) |
1-2-804(源巨城) 1-3-704
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|
|
|
|
8 |
歌数(首) |
22 |
4
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7 |
3
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2
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1
|
39 |
注1)歌番号等は『新編国歌大観』による。
注2)*印の1-1-995歌は、仮に「外套(単独)」に整理している。
注3)「からころも」の意味の分類は次のとおり
・外套:700年代におけるから「からころも」の定義:官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着
・衣裳(美称):上記の外套の意を含まず、衣裳一般の美称。(外来の服の意を除く)
・外来の服:上記の外套や衣裳の意を含まず、外来した美麗な服
・衣装も:外套の意のほか衣裳一般の意あり。
・女性も:外套の意のほか女性の意あり。
・着用者も:外套の意のほかその外套を着ている人の意あり。
注4)赤数字の歌番号等の歌以外の作者は、よみ人しらず、である。
⑤ 『後撰和歌集』と『拾遺和歌集』のよみ人しらずの歌の作詠時点は、推計方法で一律に直前の勅撰集の成立時点としていますので、さらに時点が繰り上がる歌もあると思われます。
⑥ 作者名の明らかな歌の作者別内訳は、貫之が6首、業平・冬嗣ら12人が各1首です。
⑦ 700年代の意がない歌は、貫之の6首のうち2首といなばが作者の1首です。貫之は色々言葉の使い方にチャレンジをしています。業平の歌は、実物の「からころも」の特徴を十二分に利用して妻への想いと旅情を詠った傑作と言えます。
⑧ なお、1-1-995歌は、よみ人しらずの歌なので、解釈は今保留したまま、仮に「外套(単独)」に整理しています。
2.業平の歌貫之の歌など
①700年代の「からころも」(官人の着用する胡服起源の外套その他の短衣の防寒に資する上着)の意で解釈できた歌を、例示します。
1-1-410歌 羈旅歌 あづまの方へ友とする人ひとりふたりいざなひていきけり、みかはのくにやつはしというふ所にいたれりけるに、その河のほとりにかきつばたいとおもしろくさけりけるを見て、木のかげにおりゐて、かきつばたといふもじをくのかしらにすゑてたびの心をよまむとてよめる 在原業平朝臣
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬるたびをしぞ思ふ
片岡智子氏は次のように評しています。
・これほど「からころも」という歌語を生かし切った歌もなかろうと思う。ここでも「からころも」は旅装。しかも妻が縫ってくれたもの。
・「きつつ」は、着ると来る、「なれ」は、萎れると馴れる、を掛ける。「からころも」が、最初はごわごわしており、着ていると、次第に萎えてくるものであることを表わしている。それは、次の「はるばる」が、遠くへやってきた(意の)副詞と張る(という動詞)とを掛けてあることから、さらに具体的に明らかになる。また、この表現から「からころも」が糊付けけしてあったこともわかる。
・「つま」は、衣の褄と愛しい妻、を掛ける。「からころも」は、襟に特徴のある衣服だった。前身頃が左右に返されると裏が表に出る。衣の襟が直接表に出て、目立つことになる。「し」、と強調されて、(「つま」は「からころも」の)特有の縁語となり、愛しい妻の存在もはっきり浮かび上がってくる。
・妻が糊付けして張ってくれて強かった衣も旅を経て来ると萎えてしまう。それを着ていると、ほんとにはるばる来たものだという旅の感懐が、別れた妻へのいとしさ、なつかしさの情を伴って身内からこみあげてくる。
・そんな旅情が、「からころも」と、それによって導き出される縁語、掛詞によって身体的に表現された名歌といえよう。
1-2-849歌 恋 返し よみ人しらず
怨むともかけてこそみめ唐衣身になれぬればふりぬとかきく
現代語訳を試みると、「お怨みになるとしても、心にかけて貴方の行動を私はじっと観察しなければ。からころもは身に馴れるようになったら、古い(使えなくなった)と捨てられるように、あなたとの関係が密になったらたちまちあなたから古い女にされてしまいますから。」
1-3-149歌 秋 延喜御時月次御屏風に つらゆき
たなばたにぬぎてかしつる唐衣いとど涙に袖やぬるらん
牽牛が借りたいと言ってきたのは、臨時に必要になった外套です。七夕の日に装う服は1年かけて準備をしてきているのではないでしょうか。
1-2-386歌 秋 題しらず つらゆき
から衣たつたの山のもみぢばははた物もなき錦なりけり
「からころもたつたのやま」という表記の歌は、4首ありますが、すべて秋・秋雑の部の歌です。2-1-2198歌も秋の歌です。片岡氏は、「からころも」は、「秋」に「妻が縫う」もの、と言っています。秋には毎年新品の「からころも」がある、ということになります。
② 700年代の「からころも」の意のほかに、さらに女性の意もある歌を、例示します。
1-1-786歌 恋 題しらず かげのりのおほきみ
唐衣なれば身にこそまつはれめかけてのみやはこひむと思ひし
片岡智子氏は、「衣桁に掛けてだけ恋いそうとはおもわなかった」と評していますが、現代語訳の試みると、次のようになります。
「外套は、何回か着るとなよなよと身にまとわりつくようになってしまう。そのように馴染みを重ねた女なら、私の心がまといつくのももっともだが、外套を着て来たものの脱ぐこともなく逢うことが叶わないでいるのに、貴方が、これほど心にかかって空しい気持ちを味わうとなろうとは、かって思ったことがあっただろうか。」
1-2-848歌 恋 女につかはしける よみ人しらず
中中に思ひかけては唐衣身になれぬをぞうらむべらなる
現代語訳を試みると、次のとおりです。
「いっそ徹底してあなたを懸想すればよかった。外套が何か体にしっくりこないのが気になるように、貴方が馴れ親しんでくれないのを、怨むことになりますよ。」
③ 700年代の「からころも」の意では解釈が難しい歌を示します。3首あります。
1-1-572歌 恋 寛平御時きさいの宮の歌合のうた つらゆき
君こふる涙しなくば唐衣むねのあたりは色もえなまし
片岡氏は、しかし、胸の真中辺が開いている「からころも」の特性に着目して「むねのあたり」といったものであろう、と評しています。
現代語訳を試みると、「あなたを恋しく思い流す涙がないとしたら、私の着物の胸のあたりは、焦がれる思い火で、唐紅で染まったように赤く燃えてしまうだろうに。」と、なります。「からころも」は、衣の美称と理解しました。
1-1-697歌 恋 題しらず つらゆき
しきしまややまとにはあらぬ唐衣ころもへずしてあふよしもがな
片岡氏は、「あふよしもがな」で、(からころもと称する服の)前見頃が合うこともないと、逢うこともない、の万葉以来の表現を用いている、と評しています。「からころも」表記は、衣裳一般(美称)と女性の意を兼ねています。
現代語訳を試みると、次のとおりです。「しきしま」にも「やまと」にもない「から」由来の衣服、と作者は詠っています。
「旧都の奈良の都にも、いや日本のどこにもない唐渡来の衣裳のようなあこがれのあの女性に、いくばくもしないうちに、会うてだてがほしいものだ。」
1-1-808歌 恋 題しらず いなば
あひ見ぬもうきもわが身のから衣思ひしらずもとくるひもかな
「からころも」は、外套ではなく、衣裳一般(美称)ではないでしょうか。この歌は、外套の特徴に触れていません。「から」は、原因となる物事を示す格助詞の「から」と「からころも」の「から」をかけています。
片桐洋一氏は『古今和歌集全評釈(中)』(講談社1998/2)で、
「お逢いできないのも、そのためにつらい気持ちでいるのも、すべては我が身から招いたこと。そのような私の気持もわからないで、いかにもあの人が思っていてくれるかのように私の衣の下紐が解けることでありますよ。」と示しています。
④ このように、700年代と比べると、三代集の時代は「からころも」は、従来の意のほか色々の意や言葉が掛けられて用いられてきています。
次回は、からころもに関する歌人の研鑽について記します。
御覧いただき、ありがとうございます。
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