わかたんかこれ  猿丸集第39歌その1 もみぢふみわけ

前回(2019/1/7)、 「猿丸集第38歌 物はかなしき」と題して記しました。

今回、「猿丸集第39歌その1 もみぢふみわけ」と題して、記します。(上村 朋)

. 『猿丸集』の第39 3-4-39歌とその類似歌

① 『猿丸集』の39番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 3-4-39歌 しかのなくをききて

     あきやまのもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ物はかなしき

 3-4-39歌の、古今集にある類似歌 1-1-215歌(類似歌a

これさだのみこの家の歌合のうた(214~215)  よみ人知らず

     おく山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき

 3-4-39歌の、新撰万葉集にある類似歌 2-2-113歌(類似歌b

奥山丹 黄葉蹈別 鳴麋之 音聴時曾 秋者金敷

     (おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)

 3-4-39歌の、寛平御時后宮歌合にある類似歌 5-4-82歌(類似歌c

おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき

② 類似歌bの参考にする1詩があります。

 参考 2-2-114歌 秋山寂寂葉零零 麋鹿鳴声数処聆 勝地尋来遊宴処 無朋無酒意猶冷

     (しうざんせきせき はれいれい びろくのなくこゑ あまたのところにきこゆ しょうちにたづねきたりて いうえんするところ ともなくさけなくして こころなほつめたし)

③ さらに類似歌cの参考にする歌があります。5-4-82歌に番えられた歌です。

参考 5-4-83

     わがために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けば先ぞかなしき

 

④ 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句や五句と詞書に、3-4-39歌と他の歌とでは異なるところがあります。

⑤ これらの歌のなかで、この歌3-4-39歌と、他の歌とは、趣旨が違う歌です。

この歌は、秋に行う狩の一面を詠った歌であり、各類似歌は、秋という季節の感慨を詠った歌です。

 

2.古今集にある類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。歌番号順に検討します。

古今集にある類似歌 1-1-215歌は、古今和歌集』巻第四 秋歌上にあり、「鹿と萩に寄せる歌の歌群(1-1-214歌~1-1-218歌)の二番目に置かれている歌です。

第四 秋歌上の歌の配列の検討は、3-4-28歌の検討の際行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌上では、11歌群あります。(付記1.参照)

② 次に、「鹿と萩に寄せる歌群」(1-1-214歌~1-1-218歌)での配列をみてみます。この歌群は、「かりといなおほせとりに寄せる歌群」(1-1-206歌~1-1-213歌)と「萩と露に寄せる歌群」(1-1-219歌~1-1-225歌)に挟まれています。

この歌群の歌は、次のとおりです。

1-1-214歌  これさだのみこの家の歌合のうた        ただみね

     山里は秋こそことにわびしけれ鹿の鳴くねに目をさましつつ

1-1-215歌  類似歌(上記1.に記載)

1-1-216歌  題しらず        よみ人しらず

     秋はぎにうらびれをればあしひきの山したとよみしかのなくらむ

1-1-217歌  題しらず        よみ人しらず

     秋はぎをしがらみふせてなくしかのめには見えずておとのさやけき

1-1-218歌  これさだのみこの家の歌合によめる        藤原としゆきの朝臣

     あきはぎの花さきにけり高砂のをのへのしかは今やなくらむ

 

③ 『古今和歌集』歌の諸氏の現代語訳を参考にし、元資料の歌の視点2などを考慮すると、各歌は次のような歌であると理解できます。(視点2(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定)は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」の付記1.の表1参照) 

1-1-214歌  山里は秋こそひときわ寂しい。鹿の鳴く声で目が覚めたりすると。

     元資料の歌は歌合での歌と推定

1-1-215歌  

      奥山で紅葉を踏み分けているとき聞く鹿の鳴き声に、秋のさみしさがひとしお身にしみる

(仮訳。契沖・真淵の解に従い、二句目と四句目で切った理解の訳)

     元資料の歌は歌合での歌と推定

1-1-216歌  

      秋萩をみて何となく沈んだ気分でいると鹿の大きな鳴き声が聞こえてきた。妻問か。

     元資料の歌は、屏風歌bでもなく宴席の歌にもふさわしくない。「なくらむ」と推理しているので、歌合か。その判定基準を設けられなかったので、元資料の歌が披露された場所は保留とする。

1-1-217歌 

    秋萩を押し倒して鳴く鹿は、目に見えないが、なんとその声が澄んでいることか

     元資料の歌は屏風歌bの歌と推定

1-1-218

    都で秋萩がきれいに咲いた。高砂(地名)の丘の上では鹿が今こそ鳴いていることだろう。

     元資料の歌は歌合での歌と推定

⑤ この5首には、現代の季語では三秋にあたる鹿や初秋にあたる萩が登場し、前の歌群や次歌群に詠まれている「かり」が登場しません。この歌群では、215歌を後ほどの検討として除くと、山里の朝にきく鹿の鳴き声(214歌)や、秋萩を目にして聞いた牡鹿の鳴き声に思いをはせ(216歌)、その牡鹿の鳴き声から秋萩を連想(217歌)したり、逆に秋萩から牡鹿を連想(218)し、鹿の鳴く声がよく行き渡り萩の盛んな様子という聴覚と視覚がとらえたものに、秋の冷涼な気候を感じるとともに作者の気持ちを詠っています。

 1-1-215歌も、鹿の鳴き声とともに秋の冷涼な気候に接した作者の感興を詠んだ歌と思われます。

 

3.古今集にある類似歌の検討その2 古今集歌の現代語訳の例

① 1-1-215歌に関して、諸氏の現代語訳の例を示します。

・ 「人里はなれた奥山で、もみじ葉を踏みわけて鹿が悲しそうに鳴く声を聞くときこそ、秋はしみじみと悲しく思われる。(久曾神氏)

・ 「奥山で紅葉した落葉を踏み分けていると、どこからか鹿の声が聞こえてくる。そんなときこそ、秋の悲しさがひとしお身にしみるのだ。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

・ 「秋といえば、一般に物悲しい季節。でも、暁近く、里ちかくから奥山に、もみぢを踏み分けながら帰って行く鹿の鳴き声を、寝覚めの耳に聞くときが、なんといっても身にしみて秋は悲しい。」(『例解古語辞典』の百人一首の解説における森野宗明氏の説)

② 鹿の所在を初句の「おく山」としているのは前の二つの訳例であり、ふみわけるのは、久曾神氏が鹿、『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』は作者です。森野氏は、「「おく山」が通説である。それでもよいが、奥山へ戻って行く鹿の鳴き声が寝覚めの耳に入る、とみる方が、「秋は悲しき」の印象を強める。」とし、ふみわけるのは、鹿、としています。

 前の二つの訳例は、山中に鹿が居て、作者も同じ山中に居て鳴き声を聞いたところという理解です。後の1例は、作者はもっと山から離れて里に居ます。

③ 二句の「紅葉」は、後続の歌から萩の黄葉とみられます(奥村恒哉説)。

④ 区切れは二句と四句にあります。『新撰万葉集』に付された漢詩では、山中に赴いた都の人が作中人物となっています(次回その確認をする予定です)。

⑤ 森野氏は、「古今集では、このあと萩を詠んだ歌が並ぶ。二句の「もみぢ」は、萩の黄葉であろう。晩秋というより仲秋の候。鹿と萩の取り合わせは和歌に好んで詠まれる素材である。」と解説しています。

 また、『古典基礎語辞典』は、「鹿」の項で、「古今集でシカともみぢを詠み合わせ(た歌)は、歌材の配列からみても明らかに萩の黄葉を指している。早朝のシカを詠んで、後朝の気配を暗示する歌も多い。」と説明しています。

⑥ この歌は、俊成・定家に高く評価されています。当時は三句目で切り、奥山の鹿を作者が里で聞くと解したのであろう、と諸氏が指摘しています。

 

4.古今集にある類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 最初に、二句にある「紅葉」を検討します。

この歌は、詞書が省かれており、直前の歌の詞書にある是貞親王家歌合における歌のように見えますが、現存のその歌合にはなく、寛平御時后宮歌合の歌(5-4-82歌)が元資料です。

いづれにしても、『古今和歌集』では、当時の和歌は清濁抜きの平仮名で記されているので、二句にある「紅葉」は、この歌が披露された歌合では「もみち」と表記されているはずであり、献上された当初の『古今和歌集』も清濁抜きの平仮名で記されているはずです。

だから、その意は、漢字表記ならば萩の「黄葉」であり得ます。鹿との取り合わせでは、萩が第一候補となります。『古今和歌集』のこの歌群の配列からも萩が有力です。

しかし、萩の「黄葉」をふみわけるのであれば萩は、「おく山」にある萩の群生はむずかしく、都人が接することが多い集落に近い丘陵と呼んでもよい場所のほうが、即ち疎林となった野原でもある里山のほうが、「鹿がふみわける萩の群生」にふさわしい。そこが鹿の鳴き声をあげたところではないか、と思います。

「おく山」であれば、鹿がふみわけたのは萩よりもコナラなどの落葉樹が候補となるでしょう。

② 初句「おく山に」の「に」は、格助詞です。その意は、

     ひろく、物事が存在し、動作して、作用する場を示す

     動作・作用が向かう方向を示す

     動作の行き着くところを示す

等色々あります。

萩の「黄葉」を鹿が踏み分けるのが里山であり、「おく山」へ向かいながら鳴いている、と上句を理解する(「に」は動作の行き着くところ、の意)のが妥当だと思います。だから、「おく山に(帰りながら)ふみわけ」てすすみそして鳴く鹿、と理解する森野氏の訳例がよい、とおもいます。

③ 四句「こゑきく時ぞ」において、「こゑきく」という行為を表現していることは、鹿の鳴き声以外のほかの音・鳴き声が聞こえなかったのか、あるいは無視していることであり、鹿の鳴き声のみが想起させることがある、ということです。

その鹿の鳴き声はだんだん遠のくと理解し、鹿が鳴いている理由を作中人物は即断しているようにみえます。

四句にある「きく時」の「時」は、時間帯を示すのではなく、そういう状況になれば、という状況設定を意味します。

④ 五句「秋はかなしき」という感慨は、実際に鹿の鳴き声を聞いたから作中人物に生じたものです。あるいは、聞いたら生じるものである、と作中人物が理解していることを意味します。

前者であれば、「きく時」は作中人物が実際に出会ったことを述べているのであり(ふっと「かなしい」という心境に入ったということであり)、後者であれば、自分の気持ちを比喩的に言っていることであり、「かなしき」こととなる前提条件を述べたことになります(作中人物は何か困難なことにぶつかって嘆息していることになる例として、鹿の鳴き声で想起する事柄がある、という説明となります)。四句にある「時」が、状況設定を意味するので、前者の場合は、まさにその聞いた瞬間に生じた、ということになり、後者の場合、鳴き声を聞いたとすると、という意味になります。

どちらであるかを判断する材料は、この歌のなかの言葉には見出されず、詞書や披露する場の状況による、と思われます。

⑤ この歌は、『古今和歌集』の秋部にある「鹿と萩に寄せる歌群」(1-1-214歌~1-1-218歌)にありますので、その配列からは、上記2.の結論である「鹿の鳴き声に秋の冷涼な気候に接した作者の感興を詠んだ歌」として理解するのが妥当であると思います。つまり、実際に鹿の鳴き声を聞いたという前者の場合の歌、となります。

⑥ あらためて、この歌群の歌が、前者であるかどうかを各歌についてみてみます。

この歌群の最初の歌で、この歌の前に置かれている1-1-214歌は、元資料の歌としては後者であってかまいません。その歌を、『古今和歌集』の秋部の歌であるので、『古今和歌集』編纂者は、実景でもあるかのように理解できるよう配列している(前者に転換した理解もあることを提示した)のではないか、と思います。

次に置かれているこの歌(1-1-215歌)も元資料名を半ば隠して1-1-214歌と同様に前者に転換しての理解を促し、次の歌1-1-216歌は、この歌の直後の作者の思いになっておかしくない配列となっています。

次に置かれている1-1-217歌からは、作者が推量している歌となります。

このように、この歌群は、山里で夜を過ごした作者の翌朝の歌としてすべて整えられており、前者の立場で貫かれています。

⑦ ところで、牡鹿はどこで夜を過ごしたのでしょうか。「おく山」ではなく人家が近いところで過ごしたのでしょうか。それは牡鹿も牝鹿も同じ習性であるとすると、同じようなところで夜を過ごすでしょう。だからそれは牝鹿の傍で過ごした牡鹿は、「おく山」へ向かうのであろうと作中人物には推測が可能です。(妻を求めるかのような)鳴き声から推測するのは、牡鹿が朝になり牝鹿より離れてゆく、という状況です。自分に重ね合わせることができる推測です。「おく山」に鹿が妻を求めて向かうとか単に「帰る」という推測より、次の機会を期して鳴いているという推測が該当すると思います。妻に擬する萩を「ふみわけ」て進む鹿は、後朝の別れの道中にあるともいえます。

⑧ このため、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「秋といえば、一般に物悲しい季節。そんな折、共に過ごした里ちかくのねぐらから奥山に、もみぢを踏み分けながら向かっているであろう鹿の鳴き声が耳に入ってくると、なんといっても身にしみて秋は悲しいと思う。(私自身も秋冷の秋の朝の別れの最中にいるのだ。)」

⑨ 作中人物にとり、朝に鹿の鳴き声を聞くのが、秋の悲しみを感じるきっかけです。朝鳴いている鹿の事情は、作中人物の仮託です。この歌は、聴覚に届いた情報のみによる作詠とみると、すっきりしています。自分の足元の音は邪魔であり、関心を寄せていない歌です。だから作中人物は「おく山」ではなく鹿が山から下りてくることがある場所の近くにいることになります。そのような設定の歌と理解できるのが、この歌群に置かれている1-1-214歌です。

⑩ 後者のように、鹿の声を聞くのも想像で、「秋は悲しき」を言う歌であるとすると、作中人物とは別の存在である作者は、奥山でも里山でも、常の住いの京の屋敷あるいは訪ねた女性の屋敷から戻り路、ということでもかまいません。これはこれで、別の歌となり、『古今和歌集』の秋部の「鹿と萩に寄せる歌群」では浮いてしまう歌意となります。

⑪ 次に、新撰万葉集にある類似歌 2-2-113歌(類似歌b)を検討しますが、次回とします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2019/1/14   上村 朋 (e-mail:waka_saru19@hahoo.co.jp)

 

付記1.古今和歌集』巻第四秋歌上 の歌群について

① その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

② 『古今和歌集』記載の四季歌の配列の検討は、ブログ「猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法)に基づき行っている。記述しているブログについては、前回(2019/1/7)の付記1.に記す。

(付記終わり 2018/1/14   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第38歌 物はかなしき

明けまして おめでとうございます

2019年は、先の大戦で降伏した年から74年目となります。外国の軍隊が国内に常駐していることは(天平にまで遡っても)なかったのですが、それ以降今日まで常駐しています。明治政府の樹立は画期的なことでしたが、それから1945年までの77年間、何度も外国と戦争をして(あるいはし続けていた)いました。そして降伏後は、戦死者がいません。

また、大災害は明治以降も大戦にかかわりなく生じ、大きな人災が重なったこともあります。さらに今後の災害の予想の中には大規模なものがあります。

それでも、明るく、物心の準備に、国や皆さんがそれぞれ取り組んでいます。

兎も角、今年も、豊樂の年でありますように。

 

さて、前回(2018/12/17)、 「猿丸集 類似歌のことなど」と題して記しました。

今回、「猿丸集第38歌 物はかなしき」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第38 3-4-38歌とその類似歌

① 『猿丸集』の38番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-38歌 (詞書は3-4-37歌に同じ(あきのはじめつかた、物思ひけるによめる)

     あきはぎの色づきぬればきりぎりすわが身のごとや物はかなしき

3-4-38歌の、古今集にある類似歌 1-1-198歌  題しらず  よみ人しらず

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句の一字と四句と五句の各二字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、秋になって、改めて別れる定めであったことを確認した事を詠い、類似歌は、秋という季節に、こおろぎも作者も相手のいない夜が続く悲しみを詠っています。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-198歌は、古今和歌集』巻第四 秋歌上にあり、「きりぎりす等虫に寄せる歌群(1-1-196歌~1-1-205歌)」の三番目に置かれている歌です。

第四 秋歌上の歌の配列の検討は、3-4-28歌の検討の際行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌上では、11歌群あります。(付記1.参照)

② 類似歌1-1-198歌は、「きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)」にあります。この歌群は、「月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)」と「かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌))」歌群に挟まれています。

この歌群の歌は、次のとおりです。

 

1-1-196歌  人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなきけるをききてよめる    藤原忠房

蟋蟀いたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる

1-1-197歌  これさだのみこの家の歌合のうた        としゆきの朝臣

     秋の夜のあくるもしらずなくむしはわがこと物やかなしかるらむ

1-1-198歌  題しらず        よみ人しらず

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

1-1-199歌  題しらず        よみ人しらず

   秋の夜はつゆこそことにさむからし草むらごとにむしのわぶれば

1-1-200歌  題しらず        よみ人しらず

   君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける

1-1-201歌  題しらず        よみ人しらず

   秋ののに道もまどひぬ松虫のこゑする方にやどやからまし

1-1-202歌  題しらず        よみ人しらず

   あきののに人松虫のこゑすなり我かとゆきていざとぶらはむ

1-1-203歌  題しらず        よみ人しらず

   もみぢばのちりてつもれるわがやどに誰を松虫ここらなくらむ

1-1-204歌  題しらず        よみ人しらず

   ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける

1-1-205歌  題しらず        よみ人しらず

   ひぐらしのなく山里のゆふぐれは風よりほかにとふ人もなし

③ この歌群には、猿丸集の28歌の類似歌があり、その検討の際、この歌群全体について、次のようなことを確認し、あわせてこの歌1-1-198歌の検討をしました(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ」(2018/9/10付け)参照)。それより再掲すると、次のとおりです。

最初の2首を除き、3首目(1-1-198歌)以下は、全てよみ人しらずの歌です。

     すべて虫が鳴いている景の歌であり、鳴く虫が順次変わっている。

     最初の歌1-1-196歌から、2首ずつ対となる歌を『古今和歌集』の編纂者は並べているかに見える。

     最初の2首は、きりぎりす(現在のこおろぎ)が一晩中鳴くのと自分の思いの長いことを重ねて詠っている。

     次の1-1-198歌と1-1-199歌は、虫のほか、もう一つの季語とあわせ、きりぎりすが一晩中鳴く理由を推測しており、最初の2首とは異なる趣旨の歌となっている。それぞれよみ人しらずの歌なので、官人である歌人が記録した歌(記録した官人が連なることができる宴席で朗詠する価値のある歌)である。元々は集団の場の民衆歌であり、一方が他方に謡いかけた歌ではないかと推測する。

     1-1-198歌は、「あき萩は鹿の妻となったがこおろぎ同様私は妻に(なるべき人に)行き合えていないで今年の秋は悲しい」の意を含み、この歌を承けた1-1-199歌は、「露はこおろぎにとり辛いだろう(私にも涙流れる秋の夜はつらい)」と1-1-198歌の作者に同調している。

     次の2首(1-1-200歌と1-1-201歌)は、松虫の「松」に人を「待つ」の意を掛け、待っている人の立場と来訪者の立場の歌を並べかつ悲しさを催させる鳴き声と人を暖かく呼ぶ鳴き声との対比をさせている。

     最後の2首(1-1-204歌と1-1-205歌)は、季語のひぐらしの鳴くのを聞く作者の居る場所は同じで夕方に寄せた歌だが、詠っている作者の感興が異なる。

④ このように、前後の歌群が月や雁に寄せて詠うものとは関係ない歌群となっています。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の試み

① 1-1-198歌の現代語訳(試案)を、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ」(2018/9/10付け)より再掲します。

「(鹿の妻である)秋萩もほかの花も色づいて秋も深くなってしまったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、(相手のいない)夜は悲しいので一晩じゅう鳴き明かしているのだろうよ。」

② この歌と次の1-1-199歌の元資料の歌(編纂者の手元に集まった歌)は民衆歌でかつそれは相聞歌です。相聞歌であったが、古今集の作者の時代、1-1-188歌のように「秋の思ひ」は、すべての物の運命を思うことに通じる「思ひ」であるなどという認識から、選ばれて官人に愛唱されたのがこの歌ではないか、と思います。

この歌は 一見、四季の花の一つを例にして官人としての秋の感慨を詠っていますが、元資料の歌では、男同士慰め合った歌であり、集団の場では相手方の集団(女)に、可愛そうとおもったら何とかしてくれ、と謡いかけた歌と想像します。

久曾神氏はつぎのように歌意を示しています。

「秋萩も色づいて秋も深くなったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、夜は悲しいのであろうか、こんなに鳴きしきっているが。」

③ 初句にある「あき萩」とは花が咲いている時期の萩の意であり、1-1-216歌などのように牡鹿の花妻を指す言葉であることをこの歌でも連想させます(付記2.参照)

作者は、観賞用に鉢植えしている萩ではなく、秋の野原にある萩に言及したのであり、野原では諸々の花が同時に咲き、それぞれ散ってゆく景が、「も」によって浮かび上がります。確実に秋は深まっている景です。

④ 五句にある「かなし」とは、「愛着するものを、死や別れなどで喪失するときのなすすべのない気持ち。何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情(などがベースにある語)」(『古典基礎語辞典』)であり、「a悲しい。せつない。現代のかなしいと基本的に同じ。 bせつないほどいとしい。 c心打たれてせつに感じいる。(以下略)」の意があります。

 

4.3-4-38歌の詞書の検討

① 3-4-38歌を、まず詞書から検討します。3-4-37歌の詞書(あきのはじめつかた、物思ひけるによめる)がかかります。

② 現代語訳(試案)を、3-3-37歌のブログ(「わかたんかこれ 猿丸集37その4 千里集の配列その2ほか」(2018/12/10付け)より、再掲します。

「秋の始めの頃(陰暦七月に入って)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

 

5.3-4-38歌の現代語訳を試みると

① 初句「あきはぎの」は、「色づく」ものを限定しています。あき萩は粛々と黄葉しているという事実を示しています。

② 四句の「わが身のごとや」とは、我が身はキリギリスの如く、の意です。

③ 五句の「物」とは、ここでは運命を指します。「もの」(物・者)の古い時代の基本的な意味は、「変えることができない不可変のこと」であり、「a 運命。既成の事実。四季の移りかわり。 b 世間の慣習。世間の決まり。 c 儀式。 d 存在する物体。」の意があります(『古典基礎語辞典』)。

 なお、詞書にある「物思ふ」は、「恋慕にせよ、悔恨にせよ、胸の中にじっとたくわえつづけている」意です(同上)。

④ 詞書に従い、現代語訳を試みると、3-3-37歌のブログでの結果と同じでよい、と思います。

 次のとおりです。(再掲)

「秋萩が黄葉したとすると次は散る、ということであり、こおろぎが鳴いているのは命の絶える前ということである。私も同じだ。あの人とは、縁が切れたのだ。運命とはいえ、悲しいことだ。」

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-38歌は、詠む事情を記しており、古今集にある類似歌1-1-198歌は、題しらずと、詠む事情を不問とし、ただ、部立で秋の歌であることのみから理解することを促しています。

② 初句の助詞が違います。 この歌は、「の」であり、色づくものを限定しているのに対して、古今集にある類似歌は、「も」であり、世の中の推移の例としてあき萩をあげこおろぎを詠っています。秋の部の歌として、秋の今夜の自分の悲しみも(23か月は続くとしても)一過性と楽観しているかに見えます。

③ 五句が異なります。この歌は、個人の定めとして「(我が身のごとく)物はかなしき」といい、これに対して、類似歌は、「(私が眠れないように)よるはかなしき」と秋にはよくあることという感覚で詠っています。

④ この結果、この歌は、秋になって、改めて別れる定めであったことを確認した事を詠い、類似歌は、秋という季節に、こおろぎも作者も相手のいない一夜の悲しみを詠っています。

 

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-39歌 しかのなくをききて

     あきやまのもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ物はかなしき

⑥ その類似歌には、つぎのようなものがあります。

3-4-39歌の類似歌a  1-1-215歌 これさだのみこの家の歌合のうた(214~215)  よみ人知らず

    おく山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき

3-4-39歌の類似歌b  2-2-113歌  

      奥山丹 黄葉蹈別 鳴麋之 音聴時曾 秋者金敷

     (おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)

3-4-39歌の類似歌c  5-4-82歌  

      おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき

『猿丸集』の歌は、これらの類似歌と、趣旨が違う歌です。

⑦ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2019/1/7  上村 朋 (e-mailwaka_saru19@yahoo.co.jp)

 

付記1.『古今和歌集』巻第四秋歌上 の歌群について

① その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

② 本文で触れたように巻第四 秋歌上の歌の配列については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、検討した。『古今和歌集』の歌を、その元資料の歌と比較等した結果次のことがわかった。

第一 『古今和歌集』巻第四 秋歌上の歌の元資料の歌は、恋の歌が3割以上あるが、現代の俳句の季語(『NHK季寄せ』(平井照敏 2001))でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌であり、菊が登場しないがすべて秋の歌と見做せる歌である。そして『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初秋から、三秋をはさみながら仲秋、晩秋の順に並べている。

第三 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。また歌群ごとに歌の内容は独立している。

第四 その歌群は、上記①のとおり。

③ なお、四季の歌は、同様な方法により各巻ごとに必要に応じて行ってきた。

巻第一の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂」(2018/10/1))参照

巻第二の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」(2018/10/22))参照

巻第三の配列:ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/26)参照

巻第四の配列:ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)参照

巻第五の配列:猿丸集第41歌で検討予定

巻第六の配列:後日検討

④ 『猿丸集』の歌を、その各々の類似歌と比較して理解しようとしているように、『古今和歌集』の歌もその元資料と比較しつつ理解を試み、そして『古今和歌集』編纂方法も探ってみたものである。

 元資料とは、醍醐天皇が、事前に多くの歌人に「歌集幷古来旧歌」を奉らせ(真名序)た歌をいう。(そのままの形で現存していない)元資料を確定あるいは推定し、その元資料歌における現代の季語(季題)と詠われた(披露された)場を確認し、その後『古今和歌集』の四季の部の巻の配列を検討した。

今、『古今和歌集』記載の作者名を冠する歌集や歌合で『古今和歌集』成立以前に成立していると思われるものや『萬葉集』などは元資料と見做し、元資料不明の歌は、『古今和歌集』記載の歌本文を原則として元資料の歌と見做した。

また、『猿丸集』の類似歌になっている歌の元資料の歌の視点2(披露の場所)の判定などが、保留となっているものは、その類似歌の検討時に別途推定(予定)。

 

付記2.「あきはぎ」の用例

 初句に「あきはぎ」とある歌だけでも次のとおり。

① 『萬葉集3首)

2-1-2156 巻十 秋 雑歌

あきはぎの ちりすぎゆかば さをしかは わびなきせむな みずはともしき

2-1-2159 巻十 秋 雑歌

あきはぎの さきたるのへに さをしかは ちらまくをしみ なくゆくものを

2-1-1612 巻八 秋 相聞         弓削皇子御歌一首:

あきはぎの うへにおきたる しらつゆの はかもしなまし こひつつあらずは

② 『古今和歌集

1-1-216  題しらず          よみ人しらず:

秋はぎにうらびれをればあしびきの山したとよみしかのなくらむ

1-1-217  題しらず          よみ人しらず

秋はぎをしがらみふせてなくしかのめには見えずておとのさやけさ

1-1-218  これさだのみこの家の歌合によめる         藤原としゆきの朝臣

あきはぎの花さきにけり高砂のをのへのしかは今やなくらむ

1-1-219  むかしあひしりて侍りける人の、秋ののにあひて、物がたりしけるついでに     みつね

秋はぎのふるえにさける花見れば本の心はわすれざりけり

1-1-220  題しらず          よみ人しらず

あきはぎのしたば色づく今よりやひとりある人のいねがてにする

1-1-397  かむなりのつぼにめしたりける日おほみきなどたうべて、あめのいたくふりければゆふさりまで侍りて、まかりいでけるをりにさかづきをとりて        つらゆき

秋はぎの花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそおもへ

(付記終り 2019/1/7  上村 朋)

わかたんかこれ  猿丸集 類似歌のことなど

前回(2018/12/10)、 「猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」と題して記しました。

今回、「猿丸集 類似歌のことなど」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 類似歌という紹介は漠然としていた

① 12か月かけて、『猿丸集』を、第37歌まで検討してきましたが、年末でもあり、立ち止まって「類似歌」を再確認したいと思います。

「類似歌」とは、『猿丸集』のいずれかの歌に表現が似通った歌で、『猿丸集』編纂者が参考にしたであろう歌をイメージして、名づけたところです。『猿丸集』歌の理解に直接資する歌であり、現代語訳を同時に行い確かめる必要のある歌、と私が判断した歌です。

しかし、ブログを振り返ってみると、『猿丸集』の歌の理解に資する歌にもかかわらず類似歌と称しなかったことがありました。『古今和歌集』の「元資料」と括った歌で、類似歌の元資料の歌のことです。

② 『古今和歌集』にある類似歌は、3-4-37歌まで11首ありましたが、1首を除いてみな「よみ人しらず」の歌であり、「元資料」は不明でした。残りの1首が「よみ人しらず」の歌ですが、この歌は何故か『千里集』にもあり(3-4-37歌の類似歌)、兎も角も検討対象にできました。

これから検討する歌でいうと、3-4-39歌の類似歌である1-1-215歌の「元資料」は歌合の歌であり、その歌合の歌も類似歌のひとつとなります。

③ 『猿丸集』の検討にあたって、類似歌の定義をしました。ブログ「わかたんかこれ  猿丸集とは  上村 朋」(2018/1/15付け)」における定義です。すなわち、

「『猿丸集』の歌が異体歌であるとされる所以の歌を諸氏が指摘しています。歌そのもの(三十一文字)を比較すると先行している歌がありますので、それを、(『猿丸集』歌の)類似歌、と称することとします。」

類似歌とした歌の「元資料の歌」も、明らかに当該『猿丸集』歌に「先行している歌」ですから、この定義に該当します。

④ 類似歌は、結果として「和歌の表現は似ていても趣旨の違う歌」や「意識して似せた歌」であることが確認できた歌となっています。ということは、『猿丸集』編纂にあたって別の歌であることを意識し、「編纂者が参照した歌」と推測できます。それらの可能性があるのではないかと私が判断した歌が「類似歌」と称している歌だ、と意識して、それを表現したい、と思います。

『猿丸集』の歌の類似歌を、これからは、「『萬葉集』における類似歌」、「『古今和歌集』における類似歌」などと記すようにしようと思います。

⑤ このブログでは、『猿丸集』編纂者の意図と当時の社会における『猿丸集』の歌の理解を探ろうとして類似歌を採りあげているところです。『猿丸集』の検討を始めたきっかけは、『猿丸集』の歌は、既に知られていた歌を用いた歌集である、というが、そんな歌ばかりでどうして歌集を編纂するだろうか、という疑問でした。

 

2.『千里集』について

① 今回、『千里集』にある歌を『猿丸集』の37歌の類似歌として、検討しました。下命により献上したと序にある歌集という『千里集』は、官人である千里自身の体面が保たれているかに疑いが生じ、『千里集』の編纂時点(と編集者)への疑問が湧きました。

その類似歌は、『猿丸集』歌に「先行している歌」ではない可能性が生じたのです。それを指摘する根拠には触れておいた方がよいと思います。(今、『新編国歌大観』(角川書店)に拠って検討しており、同書及び諸氏の成果を与件として(歌集の凡そ成立時点や底本の検討は原則避けて)検討していますので、そのような歌集の歌もこのブログでは「類似歌」として扱っています。)

② 『千里集』の配列の検討にあたり、序を参考としました。

序にいう古句の原拠詩を当時の官人が見いだせない(当時知られていた漢詩において似通った句のある漢詩がない)とすると、序と歌の詞書とは論理矛盾していることになります。これでは千里は、漢文の素養を疑われることになります。また、以前に(歌合等の場で)披露した歌を一首も記載しないで新しい歌で編んだ歌集を、下命による歌集として序までつけて奏上したことは先例になっていないようです。

漢文の序を用意したこのスタイルは、官人としての素養を示す絶好の機会であったはずですが、このスタイルは天皇と仲間の官人から高く評価された形跡が不明です。

下命により天皇に奏上する文書に相応しい形式と内容かどうかの疑問です。

③ 大江千里が、自分の和歌を下命により集録して献上したのは、『古今和歌集』の998歌の詞書を信じればたしかなことと思えます。しかし、この詞書は998歌に言及しているだけです。部立をしっかりして殆どが新作の歌で編纂した『千里集』を指して言及している訳ではありません。これだけで『千里集』献上の証左としてよいのかどうかは、検討を要します。

④ 千里など下命を受けた者が奏上した歌集をもとに『古今和歌集』編纂者は、作業をしたはずです。ほかの人の歌も自ら献上する歌集に、関係ある歌として記す場合も考えられますが、『古今和歌集』に千里作とある歌に『千里集』にない歌があります。その歌を、『古今和歌集』編纂者はどのように入手したのでしょうか。千里が歌集を二つに分けて献上するとは信じられません。

⑤ 現在千里作と言われている和歌については、3つのグループ分けが可能であるので、グループ別の作風などを確認し同一人物が詠んだ歌か(披露した歌か)どうかは検討に値します。

そのグループとは、三代集において千里作と作者名が明記されている歌群と、『千里集』と『赤人集』に重複記載の歌群と、その他の歌群です。平安朝における和歌の受容を考える資料にもなると思います。

⑥ ちなみに、渡辺秀夫氏は、『新撰万葉集』(成立が寛平5年(893))を論じて『千里集』(成立が寛平9年(897))に対して次のように指摘しています(『和歌の詩学-平安期文学と漢文世界―』(勉誠出版(株) 2014/6)。『句題和歌』とは『千里集』のことです。

・『新撰万葉集』はほぼ同時期に編まれた大江千里『句題和歌』とは相違する。すなわち、(後者は前者と違い)和歌一首に対応する漢詩が無い(詩の一句のみ)、和と漢の対比・対立そのものがない、漢語(漢詩句)の和語(和歌)化への限りなき同一化・帰化(詩的本意(そのもの)の和歌的情趣化)が試みられるばかり。

・『新撰万葉集』における「和歌と漢詩」の関係はそれぞれの《本意(詩的イメージの秩序体系)》を比較・対照する多分に遊戯的な試みである。あえて和漢のイメージの対立・対比を楽しみつつ、両者の“詠み合わせ・付け合わせ”という“番える”おもしろみを狙った、多分遊戯的・余技的な作意をもった作品である。

・『新撰万葉集』は、寛平~延喜の文学風土が要求した一回的な作品である。和漢の緊張関係(の有意味性)がうすれればおのずからその意義を失う。『新撰万葉集』下巻の漢詩の在り方がその傾向を顕著にしている。

⑦ 渡辺氏の指摘に従うならば、『千里集』はその特徴からして成立は寛平~延喜期ではなく後代の作であるか、あるいは『千里集』の作者の漢文の素養がだいぶ当時の官人の水準と異なる、ということになります。

また、渡辺氏は『新撰万葉集』の序は遊戯性がある文であると評しています。『千里集』の序(の論理矛盾)もそのように評することができると、『新撰万葉集』同様に、下命の書ということではない、ということになりかねません。

⑧ 『赤人集』にも『千里集』の歌があること、「或本」を参照して復元したと寂連筆本にあること、『千里集』における序と歌の詞書との間の矛盾を官人の常識から埋め切れないこと、この歌集が官人である千里の体面を保っているかの疑義などからは、千里の名を借りた他人の手になる歌集という疑いが浮かびます。

⑨ 『猿丸集』を編纂する者がいた時代の産物として『千里集』があり得るという仮説を立てることができます。この仮説を否定できる根拠がまだ見つかりません。

⑩ なお、官人である千里が常識ある人物であるという仮説と、『千里集』の歌全部の作者が同一人物であるという仮説はそれぞれ独立した別の仮説です。

⑪ 『古今和歌集』において、当時存命の官人の歌が、作者名を明らかにされた歌とよみ人しらずとされた歌とに二分されて理解するのは何か理由があるはずです。その一つによみ人しらずの歌の作者を後年の読者が決め込んでいるというケースがあるのではないか。

 

3.『古今和歌集』と『猿丸集』について

① 『千里集』に比べて、『古今和歌集』の序については現代語訳の試みをこれまでしませんでした。四季の部立にある歌が類似歌の場合、春歌と夏歌と秋歌が共通の配列基準と認められたので、割愛しました。それでもって、『猿丸集』の歌も納得のゆく理解となったからです。

② 古今和歌集』の四季の部立の部は配列を検討しました。その方法はブログ「猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法)です。

巻第一春歌上の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂

2018/10/1付け)

巻第二春歌下の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」」(2018/10/22付け))

巻第三夏歌の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5付け)

巻第四秋歌上の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3付け)

巻第五秋歌下と巻第六冬歌は、未検討

 『古今和歌集』にある類似歌の作者は、ここまでよみ人しらずの歌ばかりです。よみ人しらずの歌とは、官人に、色々の場面で用いられることが可能な歌、としてよく知られた歌であったのでしょう。それらをある条件のもとで集めて部立・配列した一例が『古今和歌集』であり、『猿丸集』であるのかもしれません。全歌の現代語訳を試みた後に、『猿丸集』全体の編纂方法などを検討してみたいと思います。

 

4.『猿丸集』の次の歌

① さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

 

3-4-38歌   (詞書なし 前歌に同じ)

あきはぎの色づきぬればきりぎりすわが身のごとや物はかなしき

3-4-38歌の類似歌 1-1-198歌:「題しらず  よみ人しらず」   ( 『古今和歌集』巻第四  秋歌上)

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

② ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

引用した方々そのほか諸氏の成果に導かれここまで検討を進めることができました。感謝申し上げます。

これまで記してきたことに関して、皆さまのご教示をいただけたら幸いです。それに応えるのに時間を要すると思いますがご理解をお願いします。

 (メールアドレス:waka_saru19@yahoo.co.jp) 

③ 20181月に始めて、『猿丸集』の第37歌にたどり着きました。まだたくさん歌がありますので、来年も検討を続けたいと思います。

 皆様が、よい年を迎えられることを、祈念します。

2018/12/17   上村 朋)

わかたんかこれ  猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか

前回(2018/12/3)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a  題しらず  よみ人知らず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b  3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③ 類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~8.承前

「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集『千里集』が、その序を読むと特別の思いで作者が編集し献上した歌集であると理解できました。そのうえで、秋部の歌の一部の現代語訳を試みました(2018/11/26付け及び2018/12/3付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌・・・」)。

 

9.秋部の歌 その2 と配列

① 配列の検討の為、秋部の歌を類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用し、7首の現代語訳を試みてきました。今回、残りの歌と、参考までに秋部最後の歌を検討します。その歌を再掲します。

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

 また、秋部の最後の歌は次の歌です。

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

 

② 歌ごとに検討し、現代語訳(試案)を示します。

3-40-41歌  秋部  私の心は秋になって全く死灰のように冷えきってしまった。

     ものを思う(私の)心は秋になるというと、見るものすべて灰のように見えることだ。

 

 詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻十六・0949 「百花亭晩望、夜歸」であり、その中の句を、そのまま詞書にしています。詞書の訳は、岡村氏の訳です(『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁氏 明治書院))。

 原拠詩において、「心緒」は「こころのうごき、こころのありかた」の意であり、「一」は、「ひとえに・専ら」の意で用いられています。

 「灰」とは、名詞として、「もえがら」、「生気を失ったもの、活気を失ったもの、死灰」、「はいいろ、浅黒い色」の意があります。

 和歌は、平野氏らの訳(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房))を引用しましが、「ものをおもう」をもうすこし現代の言葉にしたほうがよいと思います。

 初句~二句の「ものをおもふこころ」にある動詞は、「おもふ」であって、「ものおもふ」ではありません。

即ち、「心に思う。いとしくおもう。心配する、憂える。なつかしむ。」などの意であり、「もの思いをする。思いにふける。「ものもふ」ともいう」という意ではありません。

「もの」という語句は、「個別の事物を、直接明示しないで一般化していう」場合とか「普通のもの世間一般の事物」を指す場合によく用いられています。『猿丸集』のここまでの歌においてもそうでした。ここでの「もの」が何をばくぜんと言っているかは、詞書から推理しなければなりません。

 詞書では、私の心は、秋になり、冷え切った、と言っています。なぜ冷え切ったかというと、原拠詩におけるこの句を含む一連は、

鬢毛遇病雙如雪 心緒逢秋一以灰      

であり、岡村氏は、つぎのように和訳しています。

 私の両鬢(両方の耳ぎわの髪の毛)の毛は病気のために雪のように白くなり、私の心は秋にあって全く死灰のように冷えきってしまった。

つまり、年老いたことが原因です。

この詩が、「百花亭」と題する詩(巻十五・0946)と同時期の作とすれば、0946詩にある「涼風八月初」により作詠は8月(仲秋)と推定でき、涼しい風のある夜の事を詩にしたものということになります。

初句にある「もの」は、年老いたことについて、代名詞として用いたと推理できます。

そうすると、歌では、自分が年老いたことをいろいろ考えている私の心は、秋になり、「灰」のように見えわたる(すべてがそうみえる)、と言っていますので、この歌は、今後の生活が不安であるという趣旨ではないでしょうか。

これは、詞書にある「灰」の意が、「死灰」という事物から、「灰色、浅黒い色」という抽象的な概念に替わっている、ということになります。

 四句「ひとつはひとぞ」とは、「たった一種類、それも灰色であるかのように」の意と思われます。

 このため、現代語訳は、つぎのように改めたい、と思います。

     (老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも

     のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。

この歌は、結局原拠詩の句と同じ趣旨の歌となっています。

ただ、詞書は「心緒逢秋一以灰」の七文字だけです。原拠詩を離れれば、この七文字における「心」は歌における「ものをおもう」に該当する漠とした言い方ですので、「老い」以外のことでも当てはまると思います。

原拠詩では、この句は、「向夜欲歸愁未了」という句に続いています。

 

3-40-42歌  秋部  今を時めくあなたのような貴人の心にはこの悲愁は感じられないのでしょう。

     世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、はかなく心許ない人は意に解さずにいるのだと知ったよ

 

詞書の原拠詩は、『白氏文集』巻六十八・3471 「つとに皇城に入り、王留守僕射に贈る」であり、詞書はその1句を採り、句の最初の2文字を替えています。「悲愁」から、「秋悲」に、直しています。この詩は、「洛水に架かる橋に残月がかかり、」と詠い出し、「宮殿の柳も槐(えんじゅ)もいたづらに葉を落としているが」の句の直後にこの句となります。

詞書は、岡村氏の和訳です。歌は私の試案です。

原拠詩にある「悲愁」は、「かなしみうれえる」意です。漢和辞典には、「もののあわれを感じる秋。秋の気に感じて痛み悲しむ」とあります。秋の字の用例をみると、秋意(秋の気配。秋の気分。秋気。)、秋冷(秋のひややかさ。秋の冷気。)、秋怨(秋の悲しみ。人に捨てられた悲しみをいう。)などがあります。しかし、詞書にある「秋悲」の用例は漢和辞典にありませんでした。

四句にある「あだなる人」の「あだ」(徒)は、「(人の心や花のなどについて)移ろいやすく頼みがたい。はかなく心もとない。」とか「粗略である。無益である。」の意があります。

この歌は、「あだなる人」とそうでない世間一般の人とを対比しています。「秋くることのかなしき」を感じる人が世間一般の人であり、「あだなる人」は「それを知らない」と詠っています。作者である千里からみて「あだなる人」とは、「はかなく心許ないない人」と理解するのがよい、と思います。

そのため、歌の現代語訳(試案)は、上記のようになりました。

この歌の「秋悲」は、秋に起きた世俗的かつ個人的な事柄を悲しんでおり、原拠詩の「悲愁」は秋の自然に出会って感じる感慨を表現しています。

 

3-40-56歌  秋部  寒々としたさびしい鳥の鳴声は静まりかえり、客(雁たち)の愁いはなはだしい。

     北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。

 

詞書の原拠詩は不明です。詞書「寒鳴声静客愁重」を、「寒(さびし)く鳴(よびあ)う声静かにして客の愁重し」と読みました。和訳は私の試案です。

歌は、平野氏らの訳をベースに二句にある「声だに」を強調した私の試案です。平野氏らの拠った流布本の詞書は「寒雁聲静客愁重至」ですが、歌は清濁抜きの平仮名表記をすると、同じです。

歌における現代の季語をみると、雁が3首つづいたその最後の歌がこの歌であり、かつ秋部の最後の歌

です。詞書の「鳴」に関連ある鳥は雁となります。

詞書にある「寒」の用例には、寒山、寒梅、寒雨(さむざむとした冬の雨)、寒鳴(悲鳴する)などがありますが、ここでは一字一字の意を追い歌を検討しました。

「客」には、動詞として「身を寄せる。よりつく、くっつける。」があり、名詞としては「きゃく。まろうど・訪問者、招きよんだ人、旅人、旅客。いそうろう(食客)。攻めて来る敵。」などの意があります。詞書における「客」とは、渡り鳥である雁を指している、として理解し、詞書は、上記のように和訳しました。

「寒」には、「こごえる。寒い。さびしい。いやしい。まずしい」のほか「寒の時節。さむざむとしたさま」の意があります。

五句にある「おもひ」は、寒さの厳しくなることへの不安とか、行く秋が惜しい、期待の秋が終わった、とい意と思います。

 詞書と歌は、ともに愁いがはなはだしいと同じ趣旨です。

 

③ 以上秋部の歌計10首の現代語訳を試みてきました。

これらを通覧して、配列の基準を、検討します。作者の言わんとした点を整理し、四季の歌なので、季節の推移をみると下記のようになります。

これをみると、秋部の最初に置かれている歌3-40-36歌から少なくとも3-40-40歌までは、七夕後の時節における作者の気持ちを詠った歌だけのように見えます。それは、七夕ではないある会合にまつわる歌に見えます。3-40-41歌と3-40-42歌は、愁いの理由に老いと心許ない人とを詠い、3-40-40歌までの事件とは距離をおいて諦めか達観かして詠っており、明らかに3-40-40以前の歌と異なります。

秋部全体の配列の検討には3-40-43歌以後の歌も十分検討しなければなりませんが、3-40-38歌前後の歌についてはある会合にまつわる歌と理解してよい、と思います。

表 『千里集』の34歌から42歌と56歌の推定作詠時点などの表

歌番号等

詞書

作者の言っていること

推定作詠時点

部立

3-40-34

但能心静即身涼

心が落ち着けば涼し(く感じる)

七夕前にあたる6月

夏部

3-40-35

〇(サンズイに閒)路甚清涼

谷筋の道を行けば、体も涼しい

七夕前にあたる6月

夏部 最後の歌

3-40-36

天漢迢迢不可期

七夕のように次にあうのは確かだが遠い先のことだ

七夕直後

秋部 最初の歌

3-40-37

秋霜似鬢年空長

無為にすごして老いて白髪となった

七夕直後

秋部

3-40-38

秋来転覚此身衰

同じ秋でも人にも増して私は悲しい(仮訳)

七夕直後

秋部

3-40-39

霜草欲枯虫怨苦

霜が降り草が枯れると虫は忙しく高くなく

七夕後の秋

秋部

3-40-40

今霄織女渡天河

織姫は毎年今夜逢っている

七夕後の秋

秋部

3-40-41

心緒逢秋一似灰

老いると、秋が不安をあおる

七夕後の秋

秋部

3-40-42

秋悲不至貴人心

心許ない人は秋の悲しみがわからない

七夕後の秋

秋部

3-40-56

寒鳴声静客愁重

秋が過ぎ愁いは重い

晩秋後半

秋部 最後の歌

注1)詞書の欄の一時さげは、原拠詩不明または二文字以上原拠詩と異なる詞書。

 

④ 七夕に並ぶ秋の行事で、官人として注目せざるを得ないのは、秋の除目です。作者千里は、「散位」と『千里集』の序に記しています。

柳川順子氏は、『千里集』記載の歌の詞書の句と原拠詩の乖離は「千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目叙位のある春秋に拘っている証左である。」と指摘しています。

吉川栄治氏は、「官歴の不如意と歌人的名声、その両者の懸隔に(新歌を奉っている)大江千里集という特異な作品の生まれた理由の一端を見出せる」と指摘しています(「大江千里集小考 句題和歌の成立をめぐって」(『国文学研究』66 1978))。そのため、秋部の最初に立秋の歌群を置かないで七夕後を詠う歌群とし、秋の除目に関わる歌と見てもらえるよう作者の千里は意図したのではないでしょうか。

最後の部立「詠懐」の歌が不遇を訴えているものの、秋には七夕という年中行事があり、除目を直接詠うのは避けても除目にあうことを渇望しているのですから、官人の体面を保って詠む絶好の歌題です。これが七夕後の織姫の立場の歌を含む歌群だと思います。

そのような歌を新たに詠んで多数献上して、それで官人の素養が疑われずまた官人としての体面は保たれているかどうかを、検証しなければなりませんが、それは『千里集』全体の歌の検討後の作業とするのが適切であろうと思います。

ここでは、『猿丸集』歌の類似歌として、このような願いを持った『千里集』にある歌の1首として取り扱うこととします。

 

10.秋部の歌10首の再度の現代語訳の試み

① 除目に関する歌として理解できるか、そのような暗喩を含む歌かどうか、再度現代語訳を試みると、次のとおり。検討した10首すべてが該当しました。

② 10首を、詞書、和歌に続き、再訳の試みを「」で示します。上記の試案は原則そのままで、暗喩部分を追加しています。

3-40-34歌  夏景  但能心静即身涼

     我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり

わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。(除目の日がいよいよ近づいてきたが、わが心を落ち着け迎えようと思う、白居易の師事した禅師のように。そうすれば、夏のさわやかな風のように、私の体もほてったりせず、涼やかであるよ。

 

3-40-35歌  夏景  〇(サンズイに閒)路甚清涼

     山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける

山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。(頼りになる上流貴族へのお願い、その筋への陳情など怠りなくやってきた。吉報をまつのは楽しいことだ。)

なお原拠詩は、家に戻って美酒を飲んだ、と結んでいます。

 

3-40-36歌  秋部  天漢迢迢不可期

     あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな

天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。(次回を期すことになったが、除目にあえるだろうか。)

 

3-40-37歌  秋部  秋霜似鬢年空長

     秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば

秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから(秋の夜の霜のような白髪に一気になった。今年も除目にあえず、老いてゆくのか。)

 

3-40-38歌  秋部  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。

 

3-40-39歌  秋部  霜草欲枯虫怨苦

     おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる

 先の現代語訳(試案)を全面的に改めます。

霜が草について、草が枯れてゆく時期が来ると、その草などに宿る虫が鳴く声も大きくなってきこえてくる。(その時節に除目にあえないと霜がついて草が枯れて、宿る虫が困るように、その時節になって除目にあえないと(期待した収入も得られず、私の家族の訴えもまた激しくなってくるのだ。))」

 原拠詩は、この句のあとで、鳥も巣を定めがたく、老いも深まるが、この職は、お天道様の采配か、と詠っています。

 

3-40-40歌  秋部  今宵織女渡天河

     一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ

一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。(年に一度の七夕に織姫は天の川を渡る。必ず渡る。だが私のその日は今年も渡れなかった。渡れなかった。)

 

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

(老いてきたので)いろいろと心配が増えると思う(私の)心は、秋になるというと、それだけで見るも

のすべてを灰色一色のように見てしまうことだ。(今年も除目にあえず、これだけ続くと、老いた身にいろいろと心配が増える。私には、秋になるというと、もうそれだけで見るものすべてが灰色一色で将来が全然見とおせない。)

 

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

世の中では秋を悲しむものと皆思っているものの、移ろいやすく頼みがたい人は意に解さずにいるのだと知ったよ(猟官運動を必死にしても多くの人は悲しい結果となる除目であるのだが、それにしてもあの人は、必死にお願いした人の気持ちを知らずにいられるのだなあ。

 お願いした人は、上流貴族や有力な女官であり、天皇ではありません。

 

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

北から南へ渡る雁の声さえすっかり聞こえなくなったので、(冬の到来もいよいよ間近と思われるにつけ、)人の旅愁は深まる。(除目が終わり、喜びの家の賑わいも静まってきたところだが、秋の除目を得られなかったわが家族はまだ溜息ばかりで気が重い。)

 

11.類似歌bの検討 その2

① 『千里集』の配列を、序と前後の歌などの検討を通じて行い、この類似歌b 3-40-38歌を含む歌群があり、秋の時節を示すものとして、七夕後を詠い、そしてそれは七夕は除目を暗喩しているグループということがわかりました。そのもとで、類似歌bを検討します。

歌を、再掲します。

3-40-38歌 秋部  秋来転覚此身衰。

大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 原拠詩は、『白氏文集』巻十九・1243 「新秋早起。有元少伊」(「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」)と題した律詩であり、その中の一句を、漢字に新旧の別はありますが、そのまま詞書にしています。

この詩は、新秋早朝に起き、元少伊が懐しくなって詠んだ詩です。その最初の句を、題としています。

    秋来轉覺此身衰 晨起臨階盥漱時 漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知 

    光陰縦惜留難住。 官職雖榮得已遅 老去相逢無別計 強開笑口愁眉

 その読み下し文

秋来りて うたた覚ゆ此の身の衰えたるを、晨(あした)に起き階に臨み盥漱(かんそう)する時。

漆の匣(はこ)の鏡は明らかにしてす頭盡く白く、銅缾(どうのかめ)の水冷やかにして歯先づ知る。

光陰はたとひ惜しむもとどめて住(とど)め難く、官職は栄ゆと雖ども 得ること已に遅し。

老い去りて、相逢ふも別計なし、強いて笑口を開きて 愁眉を展(の)ぶ。

③ 岡村氏はつぎのように和訳しています。

「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚えるが、とりわけ朝起きて階段の前で、手をあらい口をすすぐ時は、一層そうである。・・・歳月はいくら惜しんでも、引き留めたって止めることができず、また名誉ある官職に就いたものの、年令的にもう遅すぎたことが悔やまれる。年をとった今、たとい君と出会っても特別な良計などあるはずはなく、ただむりやりに大きな口を開いて笑い、愁眉を展(の)べるぐらいのものだ。」

「愁眉」とは、ここでは「心配して寄せるまゆ。うれいを帯びた目つき」の意です。

この詩から後年大江維時は、『千載佳句』上の「老」に、「漆匣鏡明頭盡白。 銅瓶水冷齒先知」を採りました。

④ 詞書の現代語訳は、岡村氏の和訳を採ることとします。

「秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える。」

⑤ 歌の初句にある「おおかた」の理解は、類似歌a 1-1-185歌の検討時と同様に、「「おほかた」は、真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。

そのため、「意図通りの真意が伝わるのは、(歌の場合)「それぞれ(歌の)作者と享受者とが共有する具体的な場面・人間関係の中で詠まれた(歌)」であると、伝わりやすい、ということになります。

この歌の場合、秋は悲哀のシーズンであるという漢詩でのイメージに、作者が老いていること、及び七夕に秋の除目の暗喩があることを、作者である千里は、献上した天皇に持っていただかなくてはなりません。

⑥ 初句から二句にある「おほかたの秋(くるからに)」は、類似歌aの検討では、「世間一般に言われている秋、即ち、この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」という秋のことであり、対概念として「私に訪れてきたのはそうでもない秋、」を含意している、と理解しました。

この歌の場合も同じです。それは、老いの自覚であり、除目にあわなかったことの二つです。

⑦ 三句にある「わが身」を、類似歌aの検討では、「作中の主人公の(漠然とした)今後の行末」とか「作中の主人公が何者かに行動を強いられて生きるようになること」とかのようなことを意味している、と理解しました。この歌の場合、詞書より、「老い」が押し寄せている作者自身を言っており、暗喩として除目にあわなかった作者自身を言っています。

⑧ 七夕後を詠いそして七夕は除目を暗喩しているグループの歌として、詞書に従い、類似歌bの現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」

題詞の原拠詩で、官職にいる白居易は老齢であることを自虐的に嘆いており、この歌で「おほかたの嘆きである「老い」にさらに千里は官職を得られなかったことを嘆いています。

⑨ 類似歌bが、このような歌であるならば、類似歌aと確かに異なる歌です。

 

12.『猿丸集』3-4-37の現代語訳を試みると

① 類似歌2首の検討が終わりましたので、次に、3-4-37歌を、まず詞書から検討します。

 歌を再掲します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 詞書にある「あきのはじめつかた」は、この歌を詠んだ時点を指していると理解できます。あきのはじめというと七夕が該当します。

そうであると、この歌は、七夕伝説を前提に、これまでの『猿丸集』の歌と同様に、男女の関係を詠った歌と理解できます。

③ ただ、「あき」に注目すると、もうひとつの理解が可能です。

歌の「あき(くる)」に」「秋」と「飽き」が掛かるとみるならば、詞書の「あき」も「飽き」の可能性があります。

④ 詞書にある「物思ひける」は、動詞「ものおもふ」の連用形+気づきの助動詞「けり」の連体形です。

「物思ふ」とは、「運命のなりゆきを胸の中で反芻する、という意です(『古典基礎語辞典』)。

「思ひしる」とは、「内情や趣を理解する。悟る。」や「身にしみて知る。」や「思いあたる。あとになってそれとわかる。」の意があります(『古典基礎語辞典』)。

 詞書の現代語訳を試みると、詞書にある「あき」の理解により、つぎの2案があります。

1案 「秋の始めの頃(陰暦七月に入って)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

2案 「飽きが始まったころ(それは陰暦七月ころだった)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

これにより、歌を漢字まじりに書くと、

1案対応の歌 「大方の秋来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」

1案及び第2案対応の歌 「大方の飽き来るからに我が身こそ悲しき物と思ひしりぬれ」

となります。前者が、類似歌a1-1-185歌であり、後者が今検討している3-4-47歌であろうと、思います。

「飽き」を歌に詠っているので、詞書は第2案を避け第1案とし、詞書の現代語訳を試みます。

⑤ この歌でも、歌の初句にある「おほかた」とは、「真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。」という工藤氏の論で検討します。

⑥ 「かなし」とは、『古典基礎語辞典』には「愛着するものを死や別れなどで喪失するときのなすべきことのない気持ち。別れる相手に対して何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。」等と最初に説明しています。第一義は、現代の「悲しい」です。

⑦ 歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。作者は男女いづれかになります。

「慣れ親しみすぎたためのよくある飽きが秋にきただけのことと思っていたが、本当に別れる(飽きられた)ことになる秋がきたのだ。あなたをつなぎとめる何の働きかけもできない無力の自分であると、いまさらながら思い知ったことであるよ。(年に一度会える彦星(又は織姫)にも私はなれないのだと思い知ったよ。)」

 

13.この歌と類似歌とのちがい

① 最初に各歌の詞書と現代語訳(試案)を再掲します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     上記12.の⑦参照

類似歌a 1-1-185歌  題しらず  よみ人知らず 

     「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ

 但し、「あき」に「飽き」の意をかけていないとすれば、当事者間でのみわかる特別なかなしみは具体的に示さず、抽象化したままなので、

     「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。

 『古今和歌集』の配列を見ると、この前後で男女間の歌とみなくてはならない歌もないので、後者のほうが妥当であると、思います(後者を採ることとします)。

類似歌b 3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられるかなしい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思うこの秋だ。」

 

② この3首は、詞書の内容が異なっています。この歌3-4-37歌は、「秋来る」と作詠時期を記しています。これに対して、類似歌a1-1-185歌は、部立により「秋の歌」という位置づけがわかるだけの「題しらず」であり、類似歌bは、「老い」を強調しています。それぞれ重なることがありません。

③ 二句にある「あき」の第一義が異なります。この歌は、「飽き」であり、類似歌abは、「秋」です。

④ 五句の「おもひしりぬれ」の内容が異なります。 この歌は、男女の一方が相手に捨てられたことに思い当たったことです。

これに対して、類似歌aは、ひとにはストレートに言えないことが生じた秋になってしまったことです。類似歌bは、今年の秋は、老いの実感を深め除目にあわなかった詠嘆です。

⑤ この結果、この歌は、男女の間の破局を詠い、類似歌aは、秋は「飽き」に通じることが起こってしまったと詠い、類似歌bは、老いを感じる秋に除目にあえないとさらに辛いと詠っている歌と理解できました。

⑥ この歌の検討を始めた時、「この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)」と記しました(上記1.③参照)が、その仮説は誤りとなりました。

⑦ さて、年末になりますので、次回はこれまでの検討を振り返り、類似歌全般について反省し、年明けから、『猿丸集』の次の歌3-4-38歌を検討します。

「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

2018/12/10  上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1

前回(2018/11/26)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」と題して、記します。

(上村 朋)

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b  3-40-38歌  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③  類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~6.承前

「おほかたの」の意味を確認し、類似歌aの現代語訳を試みました2018/11/19付けのブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌類似歌aその1 古今集の類似歌」)。次いで類似歌bのある歌集千里集の序をみると、作者が、特別の思いでこの歌集を編み、献上したと思えました(2018/11/26付けのブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」))

 

.類似歌bの検討 その1 配列

① 『千里集』の配列について検討したのち、類似歌bの現代語訳を試みたいと思います。類似歌bは、他の歌集と同様に、『新編国歌大観』記載の『千里集』に拠って検討します。

『千里集』は、部立をしており、類似歌bは、最初から三番目の「秋部」にあります。秋部は、3-40-36~3-40-56歌の21首ありますが、平野由紀子氏らが指摘する流布本系に「詞書がない」(詩句がない)歌5首は元々の歌集には無かったものとして『千里集』の構成・配列を検討することとします(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(平野由紀子・千里集輪読会 風間書房2007)参照)。

② 『千里集』の各歌の詞書の多くは、漢詩の一句に相当します。金子彦二郎氏によると、「自詠の歌」(「詠懐」と題する部の歌)を除いた歌の詞書には、白居易の『白氏文集』などからの詩句が74句(歌として74首)あり、そのほか出典未詳の詩句が27句(27首)あります。

③ 柳川順子氏が、「彼(大江千里)が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」として論じている「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)から、詞書と和歌との関係に関する指摘を、私なりにまとめると、つぎのようになります。氏は、『新編国歌大観』と同様に書陵部本を底本としています。

     詞書に用いた詩句は、一篇の詩から複数句採用している(7篇から15首作詠)。しかし、詩句は漢詩的世界をバランスよく網羅的に示していない。(二句一対で詞書としたものもない。)

     漢文訓読用語を用いた和歌をちりばめている。

     春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。例えば3-40-38歌は、原拠詩とはずいぶんと雰囲気が異なる(今検討している類似歌bであるので、後ほど改めて言及します)。原拠詩と歌との乖離は千里の満たされない境遇に対する鬱憤に発している。除目(付記1.参照)叙位のある春秋に拘っている証左である。

     千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。

④ 氏の指摘については、類似歌bのある『千里集』の秋部の歌の配列とあわせて検討します。

古今和歌集』の四季の歌は、自然の推移を特定の事項で順次示していました。『古今和歌集』の四季の歌を現代の季語の有無等より検討したように、『千里集』の歌と原拠詩が、配列の基準に、秋を自然の推移を採っているか、を確認してみました(付記2.参照)。なお、参考までに秋部以外の歌も少々確認しています。

⑤ それから、次のことがわかりました。

第一 秋部の歌は、16首であり、現代の季語の有無からいうと、秋部の歌は、確かに秋の歌である。

第二 詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がある場合は、その詩が秋を詠っているかどうか、詞書(詩句)の拠る漢詩(原拠詩)がない場合は、その詩句が秋をイメージしているかどうか、をみたが、確かに秋を詠った詩または詩句である。

第三 秋部の歌は、現代の季語を追った場合、三秋を挟んで、時節の推移の配列になっている。しかし、特定の事項(例えば、七夕、霜など)を用いた歌が飛び飛びにあるし、秋部の最初の歌は立秋の歌ではない。また、春の部であろう3-40-1歌も立春の歌ではなく、冬部の最初にある3-40-57歌は12月尽の歌である。

第四 詞書が、その原拠詩の句と全く一致する歌は、16首中7首である。その原拠詩の句と一字でも異なる歌は7首ある。また、その原拠詩が不明の歌が2首あるが、それは秋部の最初と最後の歌である。

第五 序にいう「古句」があるのは「古詩」だけであるとするならば、詞書に引用した『白氏文集』の詩を、「古詩」と称したことになってしまう(付記3.参照)。原拠詩が不明の句も序に言う「古句」の範疇ということになる。

第六 類似歌bの詞書は、その原拠詩の句と一致する。

⑥ 上記第一と第二は、柳川氏のいう「詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」ためのいわずもがなの前提条件かもしれません。千里からみると設定した土俵に違和感を持たれないような配慮のひとつかもしれません。

上記第三は、三代集にはないことであり、部立をして四季春夏秋冬を立てている歌集ならば歌集編纂上理解に苦しむところであり、何らかの意図を感じます。

上記第四は、歌集を編纂した千里自身がわざわざ行っているとみなせます。錯誤などということであれば、千里に官人の素養がないことになるからです。

上記第五も、千里は確信犯として行っているようです。千里(生没年不詳、『古今和歌集』に10首入集している)の生存していた時代に、白居易(生歿は772~846)の詩を、しかも律詩として『白氏文集』にある詩を、古い時代の詩(「古詩」)などと天皇と官人が認識していたとは思えません。

漢和辞典に用例として、古詩、古字、古典、古文、古語はあげられていますが、「古句」はありませんので、謂われが特にない普通の語句である「古句」を「古詩」の一句と即断してここまで検討してきましたが、それは考察が足りないのかもしれません。

上記第六は、秋の部の一例です。秋部の歌のすべての詞書からは、柳川氏のいう「春と秋の部に原拠詩の枠をゆがめた歌が多い。」という指摘が妥当してます。

兎に角、献上するからには、官人の素養を疑われるような詞書では無意味です。正確な引用をしていないがそれに意味があり、歌も工夫をし、配列にも意を用いていると予想できます。

歌集の序を、「豈求駭解鶚顎 千里誠恐懼誠謹言」と結んだ歌集は、下命による和歌献上の歌集の出来上がりとして、官人としての体面を保ち、誇り得るものとなっているはずです。

だから、歌を、柳川氏と同様に「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉え」てみることでわかってくるという仮説のもとで、検討を進めるものとします。

⑦ このように、歌の配列の根拠が『古今和歌集』と異なっているのはわかりましたが、その基準はつかめませんでした。部立で参考にしたと思われる、寛平御時后宮歌合の配列基準は未検討(宇多天皇行幸の際に催した詩宴や詩歌宴の出題方法も未検討)ですので、直接、個々の歌の内容から配列の基準に迫るほかありません。

 千里は、「古句」によって詠うと、序で言っていますので、千里が詠んだ歌とその詞書とした「古句」、即ち和歌と、原則として詞書の原拠詩での当該句との比較をも試みて配列の基準を検討します。

そのため、とりあえず、類似歌bの前後の歌を検討します。

⑧ ここまでの検討は、官人である千里が常識ある人物であるという暗黙の前提を置いてきました。柳川氏のいう、「千里は、訴えたいことを、詩句を用意しない和歌仕立てにしてこの歌集の最後の部立に置いた。詩句を用意した四季の部の歌は、自分の苦境を訴える以上は、その人を楽しませるだけの芸を伴うものにした。それは官人としての千里の羞恥心からである。」という人物像です。

 下命という形式に従い、和歌を献上することは、それは天皇のみを読者にしていることです。結果として、役柄として知り得たりする者のほか心ある官人も共有することになりますが、「その人を楽しませるだけの芸を伴うもの」の「その人」にとってこの歌集がそうなっていたのか、評価・評判を知りたいところですが今日までそれは残っていないようです。前回指摘したように、急ぎ詠んだばかりの歌のみを千里は献上し、『古今和歌集』に入集したすべての歌を『千里集』におさめていません。常識ある千里は、なぜ既に披露した歌で自信のある歌を省いたのか、解せません。そうしてまで訴えることに執心しているのは常識外です。よほどの「芸」をこの歌集に仕掛けていると予想をしているところですので、その前提となる当時の事情を再確認してよいと思います。

⑨ 千里自身の「古今和歌多少献上」については、「某参議から伝えらる」とする序の語句のほか、『古今和歌集』の千里の歌1-1-998歌の詞書が傍証となりますが、この歌集の形で献上した傍証はありません。1-1-998歌のいう「ついでに奉りける」の語は、1-1-998歌一首のみに言及していると理解する以外の解釈はありません。

また、「彼が生きた時間の中」(彼の活躍した時代)の人物による、日記風、事項別に書き連ねた歌集ではない歌集は、ほかに伝わっていません。また、下命献上にあたって歌集全体を一つの作品としてみてもらいたい、という発想が、他の官人にあるのか、確認を要すると思います。また、このような内容の歌集の献上を許される可能性も、上記のようにこの歌集の献上そのものも、改めて確認を要すると思います。

しかしながら、今は、『猿丸集』にある3-40-37歌に理解のため『千里集』の検討をしているので、これらのことは横におき、詞書の文を確信犯的に記している(あるいは確信犯を装っている)者の和歌として、以下検討を進めたい、と思います。

 

8.秋部の歌の検討 その1

① 秋部の歌より、類似歌b 3-40-38歌の前後の歌4首ずつを引用すると、つぎのような歌です。

3-40-34歌  夏景  但能心静即身涼

     我が心しづけきときはふく風の身にはあらねど涼しかりけり

3-40-35歌  夏景  〇(サンズイに閒)路甚清涼

     山たかみ谷を分けつつゆくみちはふきくる風ぞすずしかりける

3-40-36歌  秋部  天漢迢迢不可期

     あまの川ほどのはるかに成りぬればあひみることのかたくもあるかな

3-40-37歌  秋部  秋霜似鬢年空長

     秋の夜の霜にたとへつ我がかみはとしのむなしくおいのつもれば

3-40-38歌  秋部  秋来転覚此身衰

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-40-39歌  秋部  霜草欲枯虫怨苦

     おく霜に草のかれゆく時よりぞむしの鳴くねもたかくきこゆる

3-40-40歌  秋部  今宵織女渡天河

     一とせにただこよひこそ七夕のあまのかはらもわたるてふなれ

3-40-41歌  秋部  心緒逢秋一似灰

     ものを思ふ心の秋にあひぬればひとつはひとぞみえわたりける

3-40-42歌  秋部  秋悲不至貴人心

     大かたの秋くることのかなしきはあだなる人はしらずぞありける

 また、秋部の最後の歌は次の歌です。

3-40-56歌  秋部  寒鳴声静客愁重

     鳴くかりの声だに絶えてきこえねば旅なる人はおもひまさりぬ

 

② 諸氏の訳などを参考に理解を試みると、つぎのとおり。

3-40-34歌  夏景  但だ心を静かに保つことができさえすれば、それがそのまま身もまた涼しくなるのである。

     わが心が静まり、落ち着いた時にはわが身は風ではないのに涼やかであったよ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十五・0852「苦熱題恒寂師禪室」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。和訳を、『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)より引用しました。

歌の現代語訳は、平野氏らの訳の引用です。

 この歌は、初句にある「心」と四句にある「身」を対比して詠っています。原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

五句「涼しかりけり」の「けり」は、助動詞であり、ここでは、「今まで気づかなかったり見すごしたりしていた眼前の事実や、現在の事態から受ける感慨などに、はじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちを表わす」意です。回想しているのではなく、ある事がらが、過去に実現していたことに気が付いた驚きや詠嘆の気持ちをあらわすのでもありません。

 

3-40-35歌  夏景  谷間の道も甚だ清らかで涼しい。

     山が高いので、本川に流れ落ちる幾多の谷を横断しつつ行く道は、吹き上げてくる風が涼しいことだ。

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十四・3132「早夏遊平原迴」であり、詞書はその中の一句です。その詩における表現そのままを、千里は詞書にしています。岡村繁氏の訳に、「甚だ」を補いました。

「サンズイに閒」の字は、「たにがは」の意です(『大漢和辞典』)

 歌の現代語訳は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

 この歌は、原拠詩の句と同じ趣旨を詠っています。

 以上の2首は、夏部の歌です。

この2首には、水無月の祓を詠うような、季末の行事を詠うものではありあません。3-40-34歌は、気持ち次第で涼しく感じるものだ、3-40-35歌は、そうは言っても、そのような場所に行けば、体も涼しい、と詠っています。3-40-34歌と3-40-35歌は、現代の季語の「すずし」も共に用いており、対の歌である、と理解できます。

ちなみに、この2首の前の歌をみますと、3-40-32歌の詞書は、「鳥思残花枝」((風は新葉の影をさわやかに吹きわたり、)鳥は枝に散り残る花を慕って囀っている。)とあり、3-40-33歌の詞書は、「月照平砂夏夜霜」(月に照らされた一面の川砂は夏の夜の霜のように白く光っている。)とあり、現代の季語も「すずし」を用いていません。

 

3-40-36歌  秋部  天の川の逢う瀬は、はるか遠くのことであり、あてにできない。

     天の川で逢ったばかりなので次に逢う瀬は遠い頃合いとなってしまった。(七夕が過ぎたので)、再び逢い見るというのは(はやく逢いたいのに)難しいことだなあ。

 

詞書の原拠詩が不明です。詞書の訳は、私の試案です。

「天漢」と詠いだした七夕伝説に関わる詞書の詩句ですので、一年に一度しかあうことがないことがキーポイントの詩句ではないかと思います。

「迢迢」とは、高いさま、はるかなさま・遠いさまのほか、恨などのながく絶えないさま・夜ふける形容の意があるそうです(『大漢和辞典』)。

「期す」とは、「日時を決める。ちぎる・約束する。決心する。ねがう・あてにする。」等の意があります。天の川の逢う瀬は七夕伝説では約束されたことであり、「不可期」は反語なのでしょうか。

和歌も、私の試案となりました。七夕直後の、後朝の歌という位置づけで理解しました。しかし、序で千里は恋の歌を省いていると言っているので、男女の逢う瀬についてではなく、何かに出会うのが年に一度であることを前提に詠んでいると思われます。

二句にある「はるか」には、a距離が遠く隔たっている。b年月が長く隔たっている。c心理的な距離感を表わして)気がすすまない。疎遠である。の意があります。

七夕伝説において、織姫は天の川が距離的に遠いと感じてはいないでしょう。年に一度しかないという逢う間隔が長いと織姫は思っているのではないでしょうか。

この歌は、千里が、秋部の筆頭に置いた歌です。立夏の歌でなく、七夕の翌日以降の日時を詠む歌となっています。

古今和歌集』など後代の勅撰集であれば、巻頭歌として重きをなす位置の歌が、この歌です。

詞書と歌は、同じ趣旨を詠んでいます。

 

3-40-37歌  秋部  君は空しく老いて鬢毛(耳ぎわの髪の毛)が秋霜のように白くなった

     秋の夜におりる霜に例えられることになってしまった。私の髪の毛は、私が無為に年を重ねて老いたものだから

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十三・0617 「和談校書秋夜感懐呈朝中親友」であり、その中の一句を、そのまま詞書に千里はしています。談校書は白居易の親友であり、宮中の勤務についています。原拠詩は、この句に続けて、「官服はまだ春草のように青いままで、一向に出世しない。君の文名が天下に鳴り響いていてそれ以来もう久しいが・・・」と詠っています。

原拠詩の句の岡村氏の和訳を、詞書の訳としました。千里は、詞書としては「君は」を、省いて、独り言として用いているつもりかもしれません。

和歌は、私の試案です。

この歌は、原拠詩の句の主人公を、君から作者自身に替えて、年寄りの白髪を詠っています。

 

3-40-38歌  秋部  秋になるとひとしお我が身の衰えを覚える

     皆にも同じ(悲しい)秋がくるのだが、わが身こそまこと悲しいものであるとつくづく思った(仮訳)

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻十九・1243・「新秋早起、元少伊を懐ふ有り」であり、詞書はその中の一句です。そのまま詞書にしています。岡村氏の和訳を引用しました。歌は私の仮訳です。

この歌は、原拠詩の句と同様に、作者の「身(体)の衰え」を指して悲しいものと言ったようにもとれるし、もっと一般化して「現在の身の上」を指しているのか、一方に限定するような詠いかたではありません。

類似歌bでありますので、秋の部の配列の検討後に、改めて、検討します。

 

3-40-39歌  秋部  霜にあたった草は枯れはじめ、虫は、怨み苦しむ 

     霜が降りて草の葉も枯れゆこうとする頃から、虫の鳴く声も高くきこえる

 

詞書の原拠詩は『白氏文集』巻六十六・3287 「夢得、秋庭に独り坐し、贈らるるに答ふ」であり、詞書はその中の一句です。詩句では最後の二文字が異なり、「霜草欲枯蟲思急」とあり、岡村氏は、「霜に当たった草は枯れはじめ、虫の声も慌ただしく」、と和訳しています。詞書は私の試案です。歌は、平野氏らの訳を参考にした私の試案です。

原拠詩は、この句の後に、「我が容貌も衰えたが健康で酒が楽しい。きっとお天道さまが、私たちに配慮して年をとってから閑職に就かせてくれたにちがいない」と続けています。

原拠詩では、「霜草欲枯」と「蟲思急」が対句となっていますので、何かが、霜を介して草を枯らし、かつ虫を慌ただしくさせている、意となります。

詞書も、同様に、「霜草欲枯」と「虫怨苦」が対句となっていますので、何かが、草と虫に作用を及ぼしていることになります。

そして、歌でも、何かによって、「草が枯れゆく」と「虫の音がたかい」が生じていると詠っています。

この3つを比較すると、草はみな「枯れる」としか表現されていませんが、虫は、「思」から「怨苦」へ、そして「たかく(なく)」と替わっていっています。心の動きの表現の詞書から、歌では身体の行動の表現となっています。

千里が、意識的に字句を替えているとみると、その意図を試しに推し量ってみたくなります。

また、「怨」字の用例をみると、怨愛(恨むこととしたうこと)、怨咽(うらんでむせびなく)、怨嗟(うらみなげく)、怨心(うらむこころ)、怨望(うらんで不平を抱く)。怨言(うらみことば)などがありますが、怨苦の用例は辞書にありません。

ここでは、草も枯れてゆくとき、虫も「秋仕舞い・冬支度」をするのに間に合わないと悲鳴をあげていると類推したとして、足早に去る秋を怨んでいる点で詞書とつながる、と理解しました。

その現代語訳(試案)が上記のものです。

だから、この歌は原拠詩の句の意に通じるところがありますが、外面的な表現へと替わっています。

 

3-40-40歌  秋部  今宵、織女は天の河を渡る

     一年でただ一度今晩こそ織姫が天の河原を渡るというのだ。

 

詞書の原拠詩は、不明です。詞書の訳は、私の試案です。(1135年以前成立の『新撰朗詠集』194・上・七夕に、この句があるそうですが、後年の書物であり、原拠詩になり得ません(付記2.の作業では、金子氏の指摘に従い白居易の詩が原拠詩として整理してあります。)

歌の現代語訳は、平野氏らの訳です。

この歌は、七夕伝説を詠っています。一年に一度を強調しています。

五句にある「なり」は、「(こよひ)こそ」を受け「已然形」です。ここでは断定の助動詞です。

詞書は、織女は、今夜渡る、と確信をもって言っています。歌は、織姫は渡る、と断言しています。

どちらも渡ることを強調している歌です。

天の川が、秋の部で詠われているのは二度目になります。これ以後はありません。

③この二首を一連の歌として考察すると、最初の歌3-40-36歌は、七夕に逢った織姫は次回の逢う瀬を待つと詠っています。この歌3-40-40歌は、七夕とは織姫が天の川を渡る日のことだと詠っています。この二つの歌が同時に詠われたとすると、同一の事柄に関する思いを詠っている、と思われます。それは、七夕に象徴される特別の日に関する思いであろうと、思います。

 そうすると、3-40-36歌~3-40-40歌は、一連の歌である可能性があります。次の3-40-41歌は、次に検討しますが、老いを嘆いた歌となっています。

④ 春の部の歌2首と秋部の歌いくつかの現代語訳を試みてきましたが、ここで一区切りとし、次回以降に、以下の歌の現代語訳の試みと配列の検討と類似歌bの現代語訳を試みたい、と思います。

 「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

2018/12/3   上村 朋)

付記1.除目(じもく)について

① 日本の律令制度の政務は、法制度を越えた存在として(古代の)天皇の意志と、議政官組織の代表である公卿との機能分担にある(太政官制度)。太政官の最高の官である大臣(太政大臣左大臣、右大臣各一名。後に内大臣一名)は宣命によって任ぜられるが、それ以外の諸司諸国の官人を任命する儀式を除目という。(「除」は旧官を除いて新官を授ける意)

 本来は任命の辞令あるいは任官目録を指す語であるが平安時代に入って、任官を決定する儀式をさすようになった。

② 大別すると、外官除目と京官除目(司召と県召(あがためし)となる。関心の高いのは、春除目と秋除目。春除目を「除目」と称することもある。臨時の除目もある。

③ 外官除目は、三夜にわたる。第一夜は所定の書類に基づき、諸国の掾・目(じょう・さかん)を任ずる。第二夜は、任国任官者の交代、親王などの兼官、次に外記以下の事務官の任命。第三夜は、京官・受領、公卿や勅任官の任命。

④ 散位とは、位階(三位、五位など)があっても官職に就いていないものをさす。

⑤ 『枕草子』の「すさまじきもの」の段に、「除目に司得ぬ人の家」をあげている。官人の家族からみれば一家一族の浮沈がかかった行事、といえる。

付記2.『千里集』秋部等の歌での現代の季語の有無と拠るべき詩句と詞書の比較等について

① 『千里集』秋部の歌を中心に、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、下記の表に示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。

注2)現代の季語については、『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。

注3)視点1(時節)は詞書(句題)ではなく、歌にある季語により、初秋、仲秋、晩秋、三秋に区分した。

注4)「句題の拠った詩句との異同」欄には、「詞書に記された詩句」と「句題の拠った詩句」間において何字異なっているかを記した。当該文字とそのいわゆる旧字とは同じ(異なっていない)として整理した。

注5)句題の拠った詩句の時節」欄には、詩とその題より、初秋・仲秋・晩秋・三秋、等の区分で推定した。詩の作詠時点に関する諸氏の指摘を参考としている。

注6) ()書きに、補足の語を記している。

注7) 《》印は、補注有りの意。補注は表の下段に記した。

表 千里集秋部等の歌での現代の季語と詞書の詩句と拠った詩句との異同の状況 (2018/12/6現在)

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

句題の拠った詩句との異同

句題の拠った詩の時節

備考

3-40-1歌

霧 鶯

三春(鶯による)《》

二字異なる

初春 《》

『千里集』の

第1歌

3-40-31歌

(おつる)花

晩春

拠った詩が不明

判定できない

夏部の歌

3-40-32歌

(のこれる)花

晩春

一字異なる

初夏

夏部の歌

3-40-33歌

月(影) なつ(の夜) 霜

三秋または三夏または三冬

一致

三夏

夏部の歌

3-40-34歌

涼し

三夏

一致

初夏または仲夏

夏部の歌

3-40-35歌

すずし

三夏

一致

初夏

夏部最後の歌

3-40-36歌

あまの川

初秋

拠った詩が不明

初秋

秋部の第1歌

3-40-37歌

秋(の夜) 霜

三秋または三冬

一致

三秋

 

3-40-38歌

秋(くる)

初秋

一致

初秋

類似歌bの句題

3-40-39歌

霜 むし

三冬または三秋

二字異なる

晩秋

 

3-40-40歌

七夕 

あまのかはら

初秋

一致 《》

初秋

 

3-40-41歌

(心の)秋

三秋

一致

三秋

 

3-40-42歌

秋(くる)

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-43歌

三冬

一致

三秋

 

3-40-44歌

秋(の夜)

三秋

一字異なる

三秋

 

3-40-45歌

(すぎてゆく)秋

三秋

二字異なる

三秋

 

3-40-46歌

もみぢ(つつ) せみ

晩秋または晩夏

一致

仲秋

 

3-40-47歌

秋(の夜) むし

三秋

一致

三秋

 

3-40-48歌

つゆ

三秋

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-49歌

(行く)かり 秋(すぎがたに)

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-50歌

しぐる 霜

三冬

句題がない歌《》

晩秋 《》

考察の対象外

3-40-51歌

あき(の夜) 雁 霜

晩秋(かりによる)

句題がない歌《》

晩秋

考察の対象外

3-40-52歌

秋 露 せみ

三秋(おくつゆによる)

句題がない歌《》

三秋

考察の対象外

3-40-53歌

秋(すぎ) 紅葉ば

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-54歌

秋(の夜) 雁

晩秋

一字異なる

晩秋

 

3-40-55歌

(ゆく)雁 あき

晩秋

二字異なる

晩秋9月尽

 

3-40-56歌

(鳴く)かり

晩秋

拠った詩が不明

晩秋

秋部の最後の歌

3-40-57歌

春(をむかふる)

三春

一致

晩冬 12月尽

冬部の第1歌

3-40-58歌

春風(・・・おもほゆ)

三春

拠った詩が不明

晩冬 《》

冬部の歌

3-40-59歌

ふゆ(くる)

三冬

一致

冬至

冬部の歌

3-40-60歌

――

――

一字異なる

晩冬歳暮

冬部の歌

3-40-61歌

おき(埋火とみる)

仲冬

一致

冬至

冬部の歌

補注)

《3-40-1歌:①現代の季語で、霧は秋である。和歌では霧を秋の現象として捉えるが、漢詩では春の現象として捉えるのが普通である。ここでは和歌の考えに拠って整理した。千里は、句題にある霧を霞などに読み替えることをしないで作詠している、といえる。②歌より「まだ山で鶯がなく頃」なので、初春とした。》

《3-40-40歌:白氏文集にはなく、和漢朗詠集に白氏作、とある。この表では白居易詩からの引用とした。》

《3-40-50歌:詞書の「樹紅霜更置」は落葉しないで紅葉している木という意を含むので、晩秋とみる。》

《3-40-48歌~3-40-52歌:詩句そのものが流布本系に無いなどから、後人の書写の際増補された歌との指摘がある。》

《3-40-58歌:「はる風のふきくるか」と詠い、詩句は「春風至りて有るに似る」と詠っており、はる風が吹く前の季節を詠っている。》

付記3.古詩と称する詩

① 白居易は、『白氏文集』に、詩を、格詩と律詩と雑体と歌行に分類して記している。岡村繁氏は『新釈漢文大系 白氏文集』(岡村繁 明治書院)の巻六十三等の解題で、格詩という表現は「雑体と歌行以外の五言、七言の古詩。律詩に対していう。」とし、律詩という表現は「近体詩を言う。唐代に完成して五言・七言の絶句・律詩・排律詩など。」と説明している。

② 白居易は、『白氏文集』の巻名などに「古詩」という表現を使用していない。

③ 「古詩」は、中国,古典詩の名称として用いられている。古い時代による詩を意味して、もと六朝時代に魏,晋以前の詩を,唐に入って近体詩が成立してからは,その成立以前の詩をさしていった。

また、 詩体の名称として、近体詩の成立以後,韻律その他に関する近体詩の規則に従わない,比較的自由な形式の詩をいうのだそうである。

(付記終り 2018/12/3   上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集

(2018/11/19)、 「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌(再掲)

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず (『古今和歌集』)

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b・・3-40-38歌  秋来転覚此身衰   (『千里集』 秋部)

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③  類似歌aは、『古今和歌集巻第四秋歌上に、類似歌bは、『千里集』秋部にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.~4.承前

(前回ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌 その1 古今集の類似歌」で、類似歌aの検討した結果の、現代語訳(試案)は、「題しらず よみ人しらず」の「秋」の歌であり、次のとおり。

「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ」

 

.類似歌bのある千里集の来歴

① 類似歌bは、他の歌集と同様に、今『新編国歌大観』記載の『千里集』に拠って検討します。

古今和歌集』や『猿丸集』の編纂者が閲覧したであろう歌集(千里が奏上した書あるいはその奏上直後の写本)が増幅されたものが今日の『千里集』である、とのが指摘もありますので、『千里集』の著者の意図を推論するために、その増幅をできるだけ除いて元々の千里集に近いものを対象にして検討を進めたい、と思います。

② 諸氏は、現存の『千里集』には、流布本系と異本系がありますが、どちらも『赤人集』に混入した後、復元を試みて成ったものとしており、『新編国歌大観』は異本系の書陵部本に基づいています。

③ 『新編国歌大観』記載の『千里集』は、題詞にいわゆる詩句を題としている歌が116首、「詠懐」と題した歌が10首の計126首あります。序にいう120首を越えています。

金子彦二郎氏によると、「自詠の歌」(「詠懐」と題した歌)を除き、詞書の詩句は、白楽天の詩句が74句(歌として74首)あり、出典未詳の詩句が27句あります。

例えば、類似歌b3-4-38歌)の前後の詩句の出典は、つぎのとおりです。

3-4-32歌~3-4-35歌 白楽天の詩句

3-4-36歌 出典未詳

3-4-37歌~3-4-47歌 白楽天の詩句

(但し3-4-40歌は白氏文集にないが新撰朗詠集に白氏作とあります。)

④ 『千里集』の序を信じれば、寛平9(897)に成る歌集ですが、流布本系は寛平6年とあります。

 この年以前に記録されたものとして今日まで残存するものに歌合があります。例えば、

 民部卿歌合:初期の歌合であるにかかわらず、整った形式を有する、と指摘があります。

          主催者は上流貴族の歌人であった藤原行平(正三位中納言に至った)です。

 寛平御時菊合:物合(菊)の場の余興として添えられた歌です。従って菊を詠んでいます。

 是貞親王家歌合:秋の歌ばかりの記録となっています。机上の操作による撰歌合とみられています。

 寛平御時后宮歌合:四季と恋の歌の記録となっています。机上の操作による撰歌合ともみられています。

 また、この年以後『古今和歌集』の成立以前のもので残存する歌合を、例示すると、

 宇多院歌合:物名を詠んだ歌合です。

 亭子院歌合:最初の晴儀歌合とみられている歌合です。

四季と恋の部があり、宇多法皇の御製1首から構成されています。

があります。

⑤ 献上する自分の歌集を、披露した時点と場所によって整理配列しないとすると、当該和歌より題を設けて意図的な順番を作ることになると、思います。その際、寛平御時后宮歌合という机上の操作による撰歌合は十分参考になったと思います

『千里集』の構成は、つぎのようになっています。

 序

 (不明) 3-40-1~ 3-40-21歌  (例えば「春景」の欠落か)

 夏景   3-40-22~3-40-35

秋部   3-40-36~3-40-56

 冬部   3-40-57~3-40-68

 風月部 3-40-69~3-40-79

 遊覧部  3-40-80~3-40-92

 離別部  3-40-93~3-40-104

 述懐部  3-40-105~3-40-116

 詠懐   3-40-117~3-40-126

この構成を、寛平御時后宮歌合と比較すると、同じように四季を並べ、恋の部を省き、風月部以下を新たに立てています。古今和歌集』と比較すると、四季と離別がありまた雑相当と思われる部があり、恋部と賀の部がありません。

部立の構成を検討しながら、恋と賀の歌を積極的に省いている、と見えます。

⑥ また、「詠懐」という部立については、勅撰集の詞書などに「歌奉る奥に書きて奉る」とある類か、と指摘する人もいます。『千里集』が、「歌奉る奥に書きて奉る」の先例ならば、後代の歌人も何首も書き連ねて奉っていることでしょうが、実際はどうだったのでしょうか。

 下命があった時、このような部立で献上することを、その後の歌人は少なくとも前例にしていないようです(今日残存したり、伝聞で記録されたりしていないようです)。

⑦ このような構成の『千里集』について、蔵中さやか氏は、『題詠に関する本文の研究 大江千里集・和歌一字抄』( (株)おうふう 2000)でつぎのような点を指摘しています。

     歌集献上の機会は、自分をアピールする絶好機。従来と違った「新しい歌」を「句題和歌」という形式で構成し、最末尾に自らの切なる訴え(自詠十首である「詠懐」)を付したのではないか。

     自分の好みや社会的状況から発した感情によって摘句された句題を重視し、名詞を中心に表現を組み立て句題を超越することのない範囲で和歌を詠んだ。

     句題の世界を正しくうつしとることに意を尽くした。(中世以降の歌人が求めた)句題を手掛かりにして一個の別世界を創造することとは根本的に異なる。

⑧ 『千里集』について諸氏は、普通一般の私家集のような日常詠がなく、歌合の歌もないと指摘し、また、歌の内容をみると、詞書として記した詩句を直訳したり、その趣旨を敷衍した和歌ばかりではないという指摘もあります。

 下命があって奏上した『千里集』の序を読むと、この歌集は、この献上の時点まで披露していない歌(未公表)の歌ばかりのようです。他の歌人にも下命があったと思われますが、この点は非常にほかと異なります。この点の評価が蔵中氏にありません。特別な思いが、あるいは特別な主張が、千里にあるように私には見受けられます。それは、類似歌bの理解に及ぶのではないかと思うところなので、確認をしたい、と思います。

⑨ 柳川順子氏は、「彼が生きた時間の中で、彼が思い描いた文脈に沿って捉えたい」(「大江千里における「句題和歌」製作の意図」(『広島女子大学国際文化学部紀要』13号 2005)として、句題(詞書)と和歌を対照して論じています。そして、(『千里集』の歌風は)「当時においては滑稽と受け止められた可能性が高い」と指摘しています。それは、特別な思いが千里にあったということになります。

 

6.類似歌bがある『千里集』の序

① 私は、まず、『千里集』の序文で、その特別な思いがどのように表現されているか、を見ようと思います。この序文は、当時の官人による漢文で記されています。

全文を引用します。

 

「臣千里謹言去二月十日参議朝臣伝勅曰古今和歌多少献上臣奉命以後魂神不安遂臥筵以至今臣儒門余孼側聴言詩未習艶辞不知所為今臣僅枝古句構成新歌別今加自詠古今物百廿首悚恐震〇謹以挙進豈求駭解鶚顎千里誠恐懼誠謹言

寛平九年四月廿五日  散位従六位上大江朝臣千里」

(上記における「〇」字は、大漢和辞典』(諸橋轍次 大修館書店)で見つけられなかった字体でした。)

 

 諸氏の訳にて大意を記すとつぎのとおり。

「昔から今までの和歌、若干を献進せよ」との勅命を受けました。儒学の出身であるので、和歌は習っていません(未習艶辞)。そのため、古人の名句をさがしてそれにより和歌をつくりました(僅枝古句構成新歌あるいは(流布本)捜古句構成新歌)。また名句によらない歌(自詠)の歌十首をともに献上します。」

 

② しかし、大江千里は、習わなくとも沢山和歌を詠んでいます。それだけ披露する場所を与えられる存在の官人であり、現に『古今和歌集』に十首もあります。当時、漢文の素養が官人として重要な時代であり、人並の漢文の修養を誰でも積んでいるはずです。

 だから官人は誰でも「惜春」とか「東風」とか熟語や詩句にヒントを得て和歌を多々詠んでいます(付記1.参照)。独り千里のみが行っていたものではありません。

そのうえ、漢詩は、『古今和歌集』の序の論にみえるように、和歌に影響を及ぼしていることを当時の官人は理解しています。

 

 にもかかわらず、謙遜しつつ大江千里は、詩句に基づいていると宣言して新たに詠んだ歌だけで献上する歌集を編纂しています。

このように歌集の構成と詠うヒントの公開という見ただけでわかる特異な点があるのが『千里集』であり、だからこそ、特別な思いが、千里にあるように思う由縁です。

③ さて、漢文の序は、つぎのように、幾段かにわけられると、思います。

 

第一 臣千里謹言去二月十日参議朝臣伝勅曰古今和歌多少献上

第二 臣奉命以後魂神不安遂臥筵以至今

第三 臣儒門余孼側聴言詩未習艶辞不知所為

第四 今臣僅枝古句構成新歌別今加自詠古今物百廿首

第五悚恐震〇謹以挙進豈求駭解鶚顎千里誠恐懼誠謹言    寛平九年四月廿五日  散位従六位上大江朝臣千里

 

 この文は、第一から第四までは、歌集献上の経緯を述べており、それぞれが起承転結となる一文となっており、第五に、この歌集に対する作者の願いを言い添えている一文を続けている、とみなせます。

④ 第一の文は、下命があったこと、およびそれは、「古今和歌多少献上」であったと述べています。

 「古今和歌」とは、「自作の和歌(昔の歌でも可)」の意です。「今新しく詠んだ歌」も含まれているでしょうが、それだけに限定しているとは思えません。この時、下命があったのは千里だけでもないようですが、千里のように、経緯を記した歌集やそのように詞書が有る歌を私は知らないので、他の官人の例を残念ながら引用できません。

⑤ 第二の文は、この時の千里のうれしさ・不安を表現しています。しかし、大げさである印象があります。

文は、「臣 奉命以後 魂神不安 遂臥筵 以至今」と区切れ、現在も「臥筵」の状態ですが、冷静に第三の文にあるような状態ながらも、第四の文のように歌集を用意した、とつなげています。

⑥ 第三の文は、起承転結の転にあたる文であり、千里の不安の拠って来たるところ、を述べています。

 「臣儒門余孼」の「余」とは、自称の意のほか、あまり(残り物)、の意があります。この文は、朝臣千里は儒家一門の者ですが、本家からはみ出したような存在であり、本家からみればひこばえのような存在である、という意です。

 「側聴言詩」と「未習艶辞」が対となっており(音読してみてください)、「側聴」と「未習」を対にし、「言詩」と、「艶辞」をも対句にして文章を作っています。

「言詩」は、『角川新字源 改定新版』が「詩」の項でも例示している「詩者志之所之也、在心為志、発言為詩」(『毛詩序』 いわゆる大序の一節。付記2.参照)を、千里流に約言したのが「言詩」です。

「側聴言詩」とは、(異性への愛情表出ではない)心に在る志を詞に発することは、側で聞いていた(ので多少は私も身に着いている)、という意です。

「艶辞」は、詩と既に並称している語(歌とか詞)を避け、「言詩」と対にすべく「辞」を用いた千里の造語ではないでしょうか。「辞」は、「詞」に通じて「ことば」の意があり、また「訴える言葉」とか「ふみ」の意がある漢字です。熟語に艶言、艶歌が辞書にありますが、艶辞はありません。唐代の詩にも見えないようです。

 第一の文で「和歌」という言葉を使っているので、和歌のことを「辞」と言い換える必要はないと思います。第四の文では「(新たに)歌う」と和歌を表現し、第一の文にある「古今和歌」を、「和歌」に換えて代名詞ともいえる「物」に言い換えて表現しています。

 「未習艶辞」とは、異性への愛情表出の歌は習っていない(ので詠えない)、という意です。

つまり、先にみた『千里集』の構成に、恋の歌がないことの断りを、ここで述べています。

そして「心の思い」を「言詩」と約言した、詩文(和歌の献上ですから当然和歌)で試みようとしている、と理解できます。

 また、最後の句、「不知所為」の「為すところ」とは、第一にいう「古今和歌多少献上」を指します。この句は、献上する歌をどのように用意するか分からない」、という意となります。

⑦ このため、第三の文は、次のように和訳してよい、と思います。

 「(大江朝)臣(千里)は、儒門の家の末裔の末裔(余り)であり(私、千里)は孼(ひこばえ)のような存在です。しかしながら、側にいて「言詩」を聴いて育った身であり、未だに、艶辞を習っていません。(恋の歌はそのためどのように用意をすればよいのか、)為すすべをしりません。」

 第五の文の、へりくだった表現はほかの人との比較も必要なものの、それ以上にこの文は謙遜した言い方であるかもしれません。

⑧ 第四の文は、「不知所為」なので、艶辞に相当する歌を省き、次のような方法でもって、献上する和歌をつくった、と述べている文です。

 この文は、「今臣僅枝 古句構成新歌 別今加自詠 古今物百廿首」と理解できます。

 「今臣僅枝」とは、第三の文でいう「臣儒門余孼」と称した自分を、「朝臣千里(即ち、今は先祖よりみれば)わずかな一枝」と言い換えています。

 「今臣僅枝・・」は、現存する『千里集』のもう一つの系統である流布本では「今臣 纔捜古句 構成新謌 ・・・」とある部分です。

 「古句構成新歌」と「別今加自詠」は対とされており、「古句の構成に拠った新たな歌群」と「(それとは別途に)今加えて(古句構成に拠らない」自ら詠む(歌群)」と理解できます。「構成」といっているのですから、「あらたな歌」などは複数であるはずです。

 「古句」という用例は、『全唐詩』にある一詩に、「煙月捜古句 山川兩地植甘棠」とありますが、『大漢和辞典(諸橋轍次)は、古詩、古言を用例としてあげていますが、古句はあげていません(付記3.参照)。

漢の時代ではなく唐の時代の詩の句を、当時既に「古句」と称していたかどうか知らないところです。「古」の字に特別な意味が特別があるかもしれません。単に「古句」と「新歌」を対句として漢詩と和歌を指しているだけかもしれません。

⑨ 第四の文を和訳すると、つぎのとおり。

 「そのため、今、私千里は、先祖よりみればわずか一枝にすぎませんが(名を辱めないよう)詩の中の古句の構成によった新たな歌多数と、別に(それに拠らずして)自ら詠んだ歌若干を今加えて、ご下命の古今の和歌として計120首となりました。」

⑩ 第五の文は、「悚恐震〇 謹以挙進 豈求駭解鶚顎 千里誠恐懼誠謹言 寛平九年四月廿五日 散位従六位上大江朝臣千里」と理解できます。

 「豈求駭解鶚顎」(「どうして驚かそうか、猛禽のみさごの顎をばらばらにする(あんぐりとさせる)ほどに」)と述べ、この歌集がほかの人の歌集の編纂と違うことに念押しをしています。

第五の文は、平たく言えば、「「遂臥筵以至今」しての献上を、御笑覧ください」、ということです。

献上するにあたり、どのような結びの文が例文として当時あったのかわかりませんので、これ以上の文字を追っての検討は保留します。

⑪ 以上のような理解が出来ました。漢文は門外漢の者の理解には、平安時代の漢文の理解として誤りや不自然な点があると思いますので、ご教示をお願いします。

 この序から、言えることは、

第一に、このような序を置きこのような部立した歌集として献上するのは、新しい試みであった、と推測できる、ということです。大江千里は、この機会にひととは違ったスタイルで歌を献上しようと、していると思われます。

第二に、題詠として、詩句を明らかにしたことも新しいことです。漢詩の一句から想を得るのは、当時の官人の常套手段ですが、題詠の題として表示するのは大変新鮮であったでしょう。

第三に、構成として恋部を省いていることです。萬葉集』で、相聞は、一大部立であり、その歌数も多いのですから、それの延長上の「恋」部を省くのに自己都合を言いたてた形になっています。

 このような部立に配当した歌が、部立の歌としてふさわしいかどうかは、個々に当たらないと分かりません。

⑫ 後ほどの『古今和歌集』の編纂者紀貫之らは、編纂の実績を買われてその後官人として出世しているわけではありません。萬葉集歌人も同じであり、律令の制度のなかで大江千里もそれは心得ていたでしょう。

 この序のもとにある個々の歌として、それぞれの歌を理解するのが妥当である、と思います。

 ⑬ 類似歌b自体の検討は次回とします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2018/11/26  上村 朋)

付記1.和歌と漢文

① 例えば、『新編日本古典文学全集 11 古今和歌集』では、春の歌(巻一と巻二の)134首のうち、漢語に言及している歌が12首ある。(1-1-2,1-1-12,1-1-14(千里の歌),1-1-30,1-1-39,1-1-41,1-1-52,1-1-57,1-1-93,1-1-114,1-1-127,1-1-130

② 『古今和歌集』の歌で、今日大江千里の作と認められている歌が10首ある。四季の部のほか恋の部にもある。10首のうち4首が漢文(詩や論語)との関係を諸氏が指摘している。半分以上は、漢文に関係なく詠んだ歌である。

 

付記2.詩の大序について

① 序とは、漢文における書物全体のはしがきのことをいう。その最初が、詩(経)の大序である。

② 詩の大序は、中国最古の詩集である『詩経』が現存の形に固まって残った際、編纂者たちが、理論的に説明したものという位置づけになる。

③ 詩の大序は、文選にある。「毛詩序」(『新釈漢文大系 83巻 文選文章篇 中』(明治書院)の「序類」 毛詩序)のなかの詩全体の理論を説明した部分が、「大序」と呼ばれている。『千里集』の後に編纂された『古今和歌集』の序も「大序」のから引用し論をたてている。

『角川新字源 改定新版』が「詩」の項で例示している部分を新釈漢文大系 83巻より引用すると、つぎのような文になっている。

「・・・詩者志之所之也。在心為志、発言為詩。情動於中而形於言。言之不足、故嗟嘆之、嗟嘆之不足、故永歌之、永歌之不足、不知手之舞之、足之踏之也。・・・」

・ 詩なる者は志の之(ゆ)く所なり。心に在るを志と為し、言に発するを詩となす。情中に動きて言に形(あらわ)る。之(これ)を言いて足らず、故に之を・・・

・ 詩とは、人の思いの行き着いたものである。心の中に存在する場合を「志」と称し、言葉に表現された場合を「詩」と称するのである。心が強く感動させられると言葉になって形をとる。言葉で足りない時は、深いため息が生じる。ため息をついても足りない時は、長くひきのばして歌にする。歌にしても足りない時は・・・

⑤ 大序は、この一節のほか「詩に六義有り」も述べている。

⑥ 詩経は、本来古代歌謡である。祝祭歌から出発している。

 

付記3. 『大漢和辞典(諸橋轍次)があげる出典・用例

① 「古」字が筆頭である例:古本 古文 古書 古詩 古言 古語 古経 古歌 古謡 古韻 など (古句なし)  

② 「古」字が後にある例:章句 文句 など

③ 「名」字が筆頭である例:名家 名香 名花 名作 名詞(文法上の一品詞)

(付記終り 2018/11/26   上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌

前回(2018/11/12)、 「わかたんかこれ 猿丸集第36歌 いまもなかなむ」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その1 古今集の類似歌」と題して、記します。(上村 朋)

 

 

. 『猿丸集』の第37 3-4-37歌とその類似歌

① 『猿丸集』の37番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-37歌  あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

     おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌a  1-1-185a: 題しらず  よみ人知らず 

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

3-4-37歌の類似歌b・・3-40-38歌  秋来転覚此身衰 

     大かたの秋くるからに我が身こそかなしきものとおもひしりぬれ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、同じですが、詞書が、異なります。

③ 類似歌aは、『古今和歌集』、類似歌bは、『千里集』にある歌です。これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は秋の心情を詠い、類似歌は秋の自然の移り変わりの影響を詠う(と、仮説をたてたところです)。

 

2.類似歌aの検討その1 古今集の配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。歌番号順に検討します。

類似歌a 『古今和歌集』巻第四 秋歌上の、「秋くる」と改めて詠む歌群 の2番目にある歌です。

② 巻第四 秋歌上の歌の配列については、前々回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5)で検討しました。方法は、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、『古今和歌集』の歌を、その元資料の歌と比較等した結果(同ブログの付記1.参照)を、再説すると、次のとおりです。

第一 『古今和歌集』の元資料の歌は、恋の歌が3割以上あるが、現代の俳句の季語でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌であり、菊が登場しないがすべて秋の歌と見做せる歌である。そして『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初秋から、三秋をはさみながら仲秋、晩秋の順に並べている。

第三 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。また歌群ごとに歌の内容は独立している。

第四 その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

③ 次に、「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)での配列を、みてみます。つぎのような順で歌が配列されています。

1-1-184歌  題しらず            よみ人しらず

     このまよりもりくる月の影見れば心づくしの秋はきにけり

1-1-185歌  題しらず            よみ人しらず

     おほかたの秋くるからにわが身こそかなしき物と思ひしりぬれ

1-1-186歌  題しらず            よみ人しらず

     わがためにくる秋にしもあらなくにむしのねきけばまづぞかなしき

1-1-187歌  題しらず            よみ人しらず

     物ごとに秋ぞかなしきもみぢつつうつろひゆくをかぎりとおもへば

1-1-188歌  題しらず            よみ人しらず

     ひとりぬるとこは草ばにあらねども秋くるよひはつゆけかりけり

1-1-189歌  これさだのみこの家の歌合のうた      よみ人しらず

     いつはとは時はわかねど秋のよぞ物思ふ事のかぎりなりける

(参考)1-1-190歌  かむなりのつぼに人々あつまりて秋のよをしむ歌よみけるついでによめる

   みつね

     かくばかりをしと思ふ夜をいたづらにねてあかすらむ人さへぞうき

④ 諸氏の現代語訳を参考にすると、各歌は次のような歌であると理解できます。(元資料の歌が詠われた(披露された)場所の推定は、2018/11/5のブログの付記1.の表1参照)

1-1-184歌  木の間を漏れて届く月の光をみると、人の心をすり減らる(さまざまに物思いをさせる)秋がやってきたのだと感じる。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-185歌  誰にでも来る秋も悲しいが、自分が一番悲しい存在であるとわかったことである(仮訳)。

元資料の歌は、下命の歌と推定。

1-1-186歌  私のためだけに秋が来るのでもないのに、(秋がきて)虫の鳴き声を聞くと、どうしようもない悲しみが湧きおこってくる。

元資料の歌は、歌合の歌。

1-1-187歌  何を見ても秋は悲しく思われる。茂っていた草木が紅葉して枯れて散ってゆくのはどうしようもないと思うと。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-188歌  独り寝の私の床は草の葉ではないけれど、秋が来た今夜は、床も私も湿っぽいよ。

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

1-1-189歌  季節が限られている訳ではないが、秋の特に夜は物思いの極みとなるよ。

元資料の歌は、歌合の歌と推定。

(参考)1-1-190歌  これほどまで時がたつのが惜しい夜を、楽しまないでそのまま寝てしまったであろう人もやるせないことだ(四句を「ねであかすらむ」と解すると、歌もできずに寝ないですごしてしまうだろう人は、歌もそうだが寝れないことも辛いことよ、の意となる)。(付記1.参照)

元資料の歌は、宴席の歌と推定。

⑤ 各歌を、このような理解をすると、この歌群の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と感じているのではないかと推測できます。

 それを、用語で確認するため、詞書や歌中の「あき・秋」表示の有無等をこの歌群関連の歌についてみると、つぎの表になります。

表 詞書と歌中の「あき・秋」表示の状況(1-1-183歌~1-1-195歌)  2018/11/13  19時現在

歌番号等

詞書

作者名

歌中の「あき・秋」

歌群

1-1-183

(やうかの日)よめる

名あり

 (「あき・秋」の文字なし)

A

1-1-184

題しらず

よみ人しらず

心づくしの秋(はきにけり)

B

1-1-185

題しらず

よみ人しらず

おほかたの秋(くる)

B

1-1-186

題しらず

よみ人しらず

わがためにくる秋

B

1-1-187

題しらず

よみ人しらず

秋(ぞかなしき)

B

1-1-188

題しらず

よみ人しらず

秋くるよひ(はつゆけかりけり)

B

1-1-189

(・・・の)歌合のうた

よみ人しらず

秋の夜(ぞ物思ふ事のかぎりなりける)

B

1-1-190

(・・・秋のよをしむ歌よみけるついでに)よめる

 名あり

 (「あき・秋」の文字なし。「ねてあかすらむ人さへぞうき」とる)

C

1-1-191

題しらず

よみ人しらず

秋のよの月

C

1-1-192

題しらず

よみ人しらず

 (「あき・秋」の文字なし)

C

1-1-193

(・・・の)歌合のうた

 名あり

わが身ひとつの秋

C

1-1-194

(・・・の)歌合のうた

 名あり

秋(はなをもみぢすればや)

C

1-1-195

(月を)よめる

 名あり

秋の夜の月のひかり(しあかければ)

C

1-1-196

(・・・ききて)よめる

 名あり

秋の夜(の長き思ひ)

D

注1)歌番号等:『新編国歌大観』記載の巻番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号

注2)歌群:上記の「② 第四」に示す歌群区分。

A:七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

B:「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

C:月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

D: きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

⑥ この類似歌a 1-1-185歌のある歌群(上記表の「備考欄」B)の歌は、表の「歌中の「あき・秋」」欄にみるように、各歌において、秋に関して(景観ではなく)作者の心情につながるような形容をしている歌のみであることが確認できます。

配列からいうと、歌群Bは、あきらかに、前後の歌群と異なる思いが歌となっています。この歌群の歌の各作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と確かに感じています。

この歌の作者も、この歌群のほかの歌の作者とおなじように感じて、詠っていると推測できます。

⑦ また、各歌の詞書は、当然ながら歌を詠む事情を記しています。その事情が分からない歌が「題しらず」と記されており、作者もよみ人しらずとなっています。しかし、前々回のブログ「わかたんかこれ 猿丸集35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/5)で『古今和歌集』秋歌上の歌を検討したところ、よみ人しらずの歌は(諸氏も指摘いるように))元資料の歌が不明なのに例外的に、1-1-185歌は判明し『千里集』のなかの1首でした。

 『古今和歌集』の巻第一の春歌上から巻第四秋歌上までにある「題しらず」の歌で、元資料の歌が判明しているのは、次の歌しかありません。

 1-1-5歌:催馬楽 呂歌・梅枝 (作者はよみ人しらず)

1-1-185歌:『千里集』3-40-38歌 (作者は大江千里 秋部の歌 詞書として詩句あり)

 1-1-192歌:『萬葉集1-1-1705歌 (作者はよみ人しらず 「献弓削皇子歌三首」と題する歌の一首)

 1-1-211歌:『新撰万葉集』歌2-2-153歌 

(作者はよみ人しらず 秋歌の歌 詞書として詩句あり なお、付記2.参照)

 1-1-247歌:『萬葉集2-1-1355歌 (作者はよみ人しらず 「寄草」と題する歌の一首)

 元資料のうち、『千里集』と『新撰万葉集』の編纂時点は、『新編国歌大観』によれば寛平5年(893)と寛平9年(897)なので、『古今和歌集』編纂者にとり、それほど時代が離れている訳ではありません。

⑧ 1-1-185歌の詞書の書き方は、『千里集』記載の詩句を直接記すことを避ける工夫は色々考えられるし、『千里集』の作者である大江千里は、下命に応えてこの歌集を献上しており、朝廷からみて、勅撰集において律令の建前から名を秘す理由はありません。にも拘わらず、「題しらず よみ人しらず」と『古今和歌集』の編纂者はしています。

 これらのことから、1-1-185歌については、『古今和歌集』の編纂者が、配列のうえから、元資料の詞書と作者名を積極的に伏せた、と理解できる扱いをしているといえます。それは、この歌は元資料である『千里集』を一旦忘れて理解せよ、という示唆ととれます。また、1-1-5歌などほかの歌についても、何らかの配列からの配慮が予想できます(検討は後日とします)。

⑨ この歌群の歌は、「題しらず よみ人しらず」という詞書に従い、各歌の作者の心情に留意して理解すべきです。

 尤も、この歌群に関して、『古今和歌集』の編纂者が、書き残したものが今日まで伝わっている訳ではないので、この理解は一つの仮説です。

 

3.類似歌aの検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

 「地上すべてのものに秋が来るとともに、悲しい思いにさせられるが、この自分自身こそ、悲しいものであると、身にしみてわかったことである。」(久曾神氏

 「誰の上にでも来る秋が来ただけなのにつけても、私の身の上こそ誰にもまして悲しい身の上なのだと、身にしみて感じとったよ」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』)

② 久曾神氏は「秋という季節が悲しくさせると思っていたが、自分自身こそ、その悲しみの根源であると悟った歌」と指摘しています。

③ 『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』では、「「おほかた」の人の中でも、自分一人が特に悲しい意というのである」と、指摘し、また、「大江千里の『句題和歌』にこの歌がある。それによれば、白楽天の詩句「秋来只識此身哀」「秋来リテ只此ノ哀シキヲ識ル」の翻案。」と指摘しています。

 しかし、後ほどの類似歌bの検討で示されるように、白楽天の詩句は「秋来転覚此身衰」ですし、『新編国歌大観』記載の『千里集』でも「秋来転覚此身衰」とされています。

④ これらの訳例は、類似歌bの誤解された詩句「秋来只識此身哀」を意識しているかもしれませんが、『古今和歌集』の歌であることにどの程度留意しているか不明です。

 

4.類似歌aの検討その3 現代語訳を試みると

① この類似歌a 1-1-185歌の詞書は、「題しらず」であり、よみ人しらずの歌です。類似歌bの詞書(「秋来只識此身衰」)は、この類似歌aの詞書ではありません。上記2.の⑧と⑨に留意して現代語訳を試みます。

② 初句にある「おほかた」は、形容詞の語幹であり、「ひととおりだ。普通だ。」の意があります(『例解古語辞典』) 副詞としての使い方もあり、「一般に、おしなべて(一様に・普通に・世間並みに)。あるいはひととおり・とおりいっぺん。あるいはそもそも・だいたい。」などの意がある、としています(同上)。

 『古典基礎語辞典』では、「この語の用法は非常に多岐にわたり、総じて中古文学では名詞が多く、中世にはいると副詞や接続助詞の例が増えて来るが形容動詞の例はどの時代も余り多くない」と説明し、名詞「おほかた」に、「あたり全体。だいたい・ほとんど・総じて。普通・ひととおり・世間一般」と語釈しています。

 なお、『万葉集』に「おほかたの」の表記はありませんが、「おほかたは」の例が2例(「凡者」表記の2-1-2925歌と「大方者」表記の2-1-2930歌)あります。

③ 工藤重矩氏は、「おほかた」について、『平安朝和歌漢詩文新考 継承と批判』(風間書房 2000)の「I 和歌解釈の方法」で、つぎのように述べています。

A 「おほかた」は、真意を言外に潜めて、それとは反対のことを一般論として表現する。

B 対概念を予想させ、その言外の個の事情に真意が存するという用法である。

C 意図通りの真意が伝わるのは、(歌の場合)「それぞれ(歌の)作者と享受者とが共有する具体的な場面・人間関係の中で詠まれた(歌)」だから。

D 当事者には全く誤解の心配はなかったが、場への考慮が薄れた和歌解釈で誤解が生じた。

E 「おほかた」が対概念を持っていることは、早く「かざし抄」(付記3.参照)にある。

F 歌におけるその例をあげる(抜粋)。

1-1-185歌は、(題しらずよみ人しらずの歌だが)詞書が、白楽天の特定の詩の一句であることが明確である3-40-38歌を引用しているという認識を皆が持っているので、「おほかた」の意は同一の理解をしている。

1-1-388歌は、詞書で作詠事情が分かりしかも旅立つものが作者であるので理解しやすい。

1-1-789歌は、題しらずの歌であるが『伊勢物語88段に描かれているような場面での詠と理解して然るべきである。

④ 工藤氏は、1-1-185歌の訳を示している訳ではありません。「おほかた」の意に共通の理解が得られているのは、3-40-38歌と全く同じであることを理由にあげているだけです。

「おほかた」の理解を、ここでは、工藤氏の論の上で検討します。

しかし、『古今和歌集』の編纂者が、この配列の工夫から「おほかたの」の理解に「題しらず」であっても誤解は生じないとしているとして、検討します。

⑤ 二句にある「あき」は、季節の「秋」のほか、動詞「飽く」の名詞化とも考えられます。

 しかし、この歌は、題しらずよみ人しらずの歌として『古今和歌集』巻第四秋歌における、「秋くる」と改めて詠む歌群(1-1-184歌~1-1-189歌)にあります。

 このため、二句にある「あき」は、秋の意が第一義であり、初句~二句にまたがる「おほかたの秋」は、

 「世間一般に言われている秋、即ち、この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」という秋のことであり、対概念として「私に訪れてきたのはそうでもない秋、」を含意している、と思います。

⑤ 二句にある「からに」は、接続助詞です。その意は、

A あとに述べることが、そこから直ちに始まるという気持を表す。・・・するだけでもう・・・。

B あとに述べることの起こる原因・理由を表わす。・・・ので。・・・から。

などがあり、上記3.での訳例では、Bの意、と思います。

⑥ 三句にある「わが身」は、ここでは、「身」が「からだ・肉体」とか「人の運・身の上」とか「自分自身」とかの意(『例解古語辞典』)なので、「わが身」とは、「作中の主人公の(漠然とした)今後の行末」とか「作中の主人公が何者かに行動を強いられて生きるようになること」とかのようなことを意味している、と思われます。

⑦ 四句「かなしき物」の「かなし」とは、「じいんと胸にせまり、涙が出るほどに切ない感情を表わす」語であり、「愛し」と理解すれば「身にしみて、いとしい、じいんとするくらいにいじらしい」意であり、「哀し・悲し」と理解すれば、身にしみて、あわれだ。ひどく切ない。やるせなく、悲しい」意となります(『例解古語辞典』)。

 『古典古語辞典』では、「かなし」とは、「愛着するものを死や別れなどで喪失するときのなすべきことのない気持ち。別れる相手に対して何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情。」等と最初に説明し、次の語釈をあげています。

A 悲しい。せつない。現代の「かなしい」と基本的に同じ。

B せつないほどいいとおしい。かわいくてかわいくてしかたがない。

C 心打たれてせつに感じ入る。

D 貧しい。中世以降、「たのし(楽し、おかねの)」の対義語。

⑧ 四句「かなしき物」の「物」とは、『例解古語辞典』には、「個別の事物を直接明示しないで一般化していう。特に物語などで飲食物・衣服・調度の類をばくぜんと遠回しに示していうことが多い。」のほか「普通のもの。世間一般の事物。」、「ものの道理」や、「(形式的名詞として連体修飾語を受けて用いられ)それが一般的な事実や原則であることを表わす。(例)あけぬれば暮るるものとは知りながら、なほ恨めしき朝ぼらけかな(後拾遺集・恋二))と」説明しています。

 また、『古典基礎語辞典』では、「もの」は「物・者(であり)、古い時代の基本的な意味は、「変えることができない不可変のこと」と説明し、

  a 運命。既成の事実。四季の移りかわり。

  b 世間の慣習。世間の決まり。

  c 儀式。

  d 存在する物体。

  e 「物思ひ」とは、上記の「もの」のaの意を受け、恋慕にせよ、悔恨にせよ、胸の中にじっとたくわえつづけていること。

  f 怨霊のモノやモノノケのモノは、由来の異なる別語。

と説明しています。

⑨ ここでは、訳例のように二句にある「からに」が、「あとに述べることの起こる原因・理由を表わす」(上記の⑥にいうBの意)であれば、「もの」の意味するところを、初句と二句にある「おほかたの秋くる」を原因・理由として、考えることになります。

 このため、「かなしき物」とは、「自分の力で如何ともしがたくて、己が行動や言葉を選んでいる状態にある、と自覚した、ということ」、の意であると思います。

⑩ 五句にある「おもひしる」は、「理解する。思い知る。」の意ですが、「おもふ(思ふ)」には「a 心に思う。b いとしく思う。愛する。c 心配する。d 回想する。なつかしむ。e 表情を出す(・・・という顔つきをする)」の意があります(『例解古語辞典』)。

⑪ さて、以上の検討の上に、この歌の現代語訳を、題しらず、よみ人しらずの歌として、配列を意識しつつ詞書に従い、試みると、つぎのとおり。

 「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。」

⑫ このように、「からに」の意は、Bの意であり、この歌は、作者にとり、今年の秋は、まだ秋となったばかりであっても、とんでもないことを経験する(あるいは確実にそうなる)と予感している、と詠った歌ではないでしょうか。

 もう少し現代語訳を、ほかの歌の作者などに言及せず、とんでもないことを経験するのが、「秋」に通じる「飽き」に関係しているとみて、試みると、つぎのとおり。

 「普通に秋が訪れてきただけのやるせない気分であると思っていたのが、私に訪れてきた秋は、秋は飽きに通じていてそれを私は引き留められない状況に今立ち至っていることを痛感する秋であることよ」

⑬ 上記3.の訳例よりも、「おほかた」の意を汲んでいる訳であると思います。そして配列からの要請とみなせる条件「作者は、秋が来ると、いろいろと思い、気をもむことが多い、と感じた」歌です。

⑭ 次に、類似歌bの検討となりますが、次回とします。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

2018/11/19   上村 朋)

付記1.1-1-190歌について

① この歌は、諧謔な歌と思うが、歌の理解において「うし」の対象が最初よくわからなかった。

五句「人さへぞうき」の「さへ」は副詞であり、さらにそのうえに加わる意を添える。

 作者が「人」と並べて「うし」としているのは、なにか。人や事物も対象となり得るので、配列での整合も対象に詞書に従い、検討した。

② 詞書によれば、「秋のよをしむ」という題でその夜歌を詠む集いがあり、そのついでに(つまり題に無関係に)詠んだのがこの歌ということになる。歌の披露をするだけを目的として集うとは考えられないので、宴会で、主催者より出題されそれぞれが歌を披露したという場面ではなかろうか。

 五句にいう「人」とは、この集いに参加している人で、「いたづらにねて(または「ねで」)あかす人を指している。作者のみつねからみれば、出題されて歌を披露しなかった人は、その集いの楽しみの一つを放棄した人々になる。歌の披露をしなくとも主催者が特段に咎めない程度のものであっても、下僚であるみつねがそのような人を詠い込んだ歌を積極的に披露するのは場違いであるしおこがましい。歌の披露をしないひとがいたのを確認した主催者の命で、みつねはこの歌を詠んだのではないか。

④ 歌にいう「うし」とは、みつねが「うし」と思うのではなく、主催者が「うし」と思う、というものであろう。

 「うし」とは「憂し」(形容詞)であれば、「ままならぬ世の中を生きていくところから生ずる重く気がふさがるような心情、つらさ、むなしさ、やるせなさなどを表わす」意をこめた「つらい、ゆううつだ、いやだ」であると『例解古語辞典』は説明している。

④ その夜歌を詠もうとしなかった人や詠むのに苦労していた人もいたとすると、その人らを対象にした諧謔な歌として、この歌を理解できる。

⑤ この歌の前の歌群の「「秋くる」と改めて詠む歌群(1-1-184歌~1-1-189歌)で、秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じて詠っているので、配列からは、秋は気をもむことが多いがこのような例もある、てとして、月に寄せる歌につなふ位置にある歌とも理解できる。

そうすると、この歌の趣旨は、本文2.④の理解を一歩すすめて、

 「秋は憂いが昂じる季節だ、この集いは月に寄せてそれを打ち消そうとのものであったのに、歌を詠まないで今夜を過ごそうという人がいる。それも憂いね」

という趣旨の歌に理解してよい。それでも「あきのよをしむ」という出題にも添った歌となっている。

⑥ このため、五句「人さへぞうき」の「さへ」は、「秋が憂い」ということを前提に用いており、作者が「人」と並べて「うし」としているのは、「秋」である。

 少なくともこの『古今和歌集』ではそのように理解してよいように配列している、と思われる。

付記2.1-1-211歌について

① この歌は、『忠岑集』にも類似歌がある。2-13-32歌と2-13-179歌である。前者は歌合の歌という部立にあるが、現存する当該歌合資料になく、後者は増補ともいうべき部立にあり、古今集が参考とした元資料は、『新撰万葉集』のみと整理した。

② 忠岑は『古今和歌集』の編纂者の一人であり、編纂作業のために歌集を献上しているが、それは残っておらず、この『忠岑集』は後代の他撰と考えられている。

付記3.かざし抄挿頭抄

① 『挿頭抄』は、富士谷成章(ふじたになりあきら)著の語学書で明和4(

② デジタル大辞泉によれば、「名 () 、 (よそい) 、脚結ぶ (あゆい) 」とともに彼の四大品詞分類の一つを形成する「挿頭」を解説したもの。だいたいいまの代名詞、接続詞、,副詞、感動詞、接頭辞書などに相当する。該当する 200あまりの語をあげ、それぞれに適切な口語訳をつけ,その意味,用法を述べ,部分的に口語訳をつけた証歌をひいている。

 

(付記終り 2018/11/19  上村 朋)