わかたんかこれ 猿丸集第4歌 ものおもひ いふ女

前回(2018/2/19)、 「第3歌 仮名書きでは同じでも」と題して記しました。

今回、「第4歌 ものおもひ いふ女」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第4 3-4-4歌とその類似歌

① 『猿丸集』の四番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-4   ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる 

      ほととぎす啼くらむさとにいできしがしかなくこゑをきけばくるしも

 

3-4-4 歌の類似歌 2-1-1471歌  弓削皇子御歌一首

     ほととぎす なかるくににも ゆきてしか そのなくこゑを きけばくるしも

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句の地名などと、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 『萬葉集』巻第八の配列について

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌2-1-1471歌は、『萬葉集』巻第八にある「夏雑歌」にある歌です。

② 萬葉集』の雑歌というのは、相聞と挽歌の範疇に属さない歌、の意であり、行幸の歌など晴れがましい歌をも含んでいるので、各巻では最初に置かれています。巻第八(2-1-1422歌~2-1-1667歌)は、まず四季が順に配され、各季が、雑歌と相聞に分類されています。この歌は、夏雑歌33首の三番目に配列されています。夏とは陰暦での夏です。

ホトトギスを詠う歌が28首と多くを占めています。28首は、はなたちばなとともに7首、うのはなと4首詠まれており、単独では15首となります。ホトトギス以外の動物は、ヒグラシの1首(2-1-1483歌)だけです。

古今和歌集』巻三の夏歌34首は、ホトトギスを詠う歌が28首と同数です。

③ 巻第八の夏雑歌は、ホトトギスの歌で始まります。高貴の作者から配列してあるかに見えます。

最初の藤原夫人の歌は、ホトトギスよ、急がしく鳴き終わることをしないで、ずっと鳴き声を聞かせてくれと、詠っています。

二番目の志貴皇子の歌は、岩瀬の森のホトトギスよ、毛無の岡(草山)でも啼いてくれと、無理を言っています。

三番目の弓削皇子のこの歌は、諸氏の現代語訳をみると、ホトトギスの鳴き声が聞こえないところに行きたい、詠っています。

四番目の小治田廣瀬王の歌は、ホトトギスはハギが咲いたら声がしなくなったと、詠っています。

五番目の沙弥の歌は、出家したての自分はホトトギスが鳴くのをきくと、妻が恋しいと、詠います。

六番目刀理宣命の歌は、岩瀬の森のホトトギスに、声を聞かせてくれ、と詠います。

 

④ ここまでの歌の配列から、ホトトギスに共通の寓意をみることはできません。五番目の歌にある出家する時期が国家仏教としての規定でホトトギスの来て鳴く時分であるとすると、季節の到来のホトトギスは意味するだけです。出家の時期が不定であれば、妻を訪れる自分にホトトギスをなぞらえています。

 この6首の歌で、ホトトギスの鳴き声を聞きたくないと詠っている三番目の歌は、異例であり、『古今和歌集』の編纂者もこのような歌い方の歌を撰んでいません。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳は

① 類似歌2-1-1471歌の詞書は、誰が詠ったかを記しているのみです。

詞書の現代語訳(試案)は、弓削皇子の御歌一首」となります。

② 作者である弓削皇子は、文武天皇の皇子ですが、持統天皇から同母兄とともに疎外され、文武3(699)26,7歳で薨去しています。異母妹紀皇女への恋が伝えられています。

③ 諸氏の現代語訳の例を示します。

・『日本古典文学全集3 萬葉集二』では「なかる国にも」の「なかる」は、「なくあるの約」として、

「ほととぎすの いない所に 行きたいものだ あの鳴き声を 聞くとせつない。」

 

萬葉集全歌講義』では、

「ほととぎすのいない国に行きたいものだ。その鳴く声を聞くと辛いよ。」

 校注者の阿蘇瑞枝氏は、「ホトトギスは、夏の訪れを告げる鳥として好んで詠まれたほか、農作業を促す鳥、もの思いをつのらせる鳥、昔を懐かしんで鳴く鳥としても詠まれた。懐古の鳥としては弓削皇子2-1-111歌がある。」と解説しています。

 萬葉集私注』で、土屋文明氏は、「聞くに堪えぬまで苦しく感じるといふのは、其の声に連想される特別の経験がある為と思はれる。或はほととぎすに附けられた中国伝説、即ち蜀魄とか不如帰とか呼ぶのによるのかと思はれないこともないが、むしろあの鋭い声を聞く直接の心情とすべきか」としています。

これらの訳例は、ホトトギス」の鳴き声に作者が感慨を述べている歌であり、作者である弓削皇子は、非現実的な「ホトトギスのいない国」に行きたいほどである、と詠っていると、理解しています。

⑤ その理解が妥当かどうか検討します。

ホトトギスのいない国」が、現世のどこかの地域にあるはずとは信じられません。ホトトギスの飛来しない場所は、例えば琵琶湖の竹生島、白山とか富士山の標高の高いところが該当するかもしれませんし、見渡す限りの大水田にも飛来しないかもしれません。しかし、「くに」と称するには不適切です。黄泉の国には現世にあるものは全てあるでしょう。

私たちは、現世にいて聞かない工夫はできます。ホトトギスを聞く会に参加しないとか、防音を徹底した部屋を利用するとかまた、耳を塞ぐとかです。弓削皇子はわざわざ、聞いたことにしてこのような歌を、詠いました。

この歌が、『萬葉集』巻八の編纂者の手元に来た理由を考えると、私的な場の歌ではなく、公の場の歌であった可能性が高い。宴の場とかでの競詠の一作品の可能性があります。そうすると、特別の記憶と結びつているのかと疑うよりも、単純に、土屋氏の指摘しているような「あの鋭い声」が、なぜ多くの者に「待たれるのか」ということを揶揄していると思われます。

これ以上は情報不足で分析できません。

 

4.3-4-4歌の詞書の検討

① 3-4-4歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書にある「ものおもひける」の「もの」は、作者にとり、男女の間のことを指しています。

③ 詞書に「ほととぎす」の語句のある『猿丸集』の歌は、3-4-4歌と、3-4-35歌の二首です。

後者の類似歌として諸氏が『古今和歌集』巻第三 秋歌にある1-1-147歌を、指摘しています。

1-1-147歌 題しらず  よみ人知らず」 

    ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

1-1-147歌を、久曾神氏は、多情な愛人を連想させる歌で、『伊勢物語43段では賀陽親王(かやしんのう)が女のもとに送った歌となっていると指摘しています。

④ この3-4-4歌も、ホトトギスは、相手の男を指していると推測してよいと思います。

⑤ 以上から、3-4-4歌の詞書の現代語訳(試案)は、つぎのようになりす。

「もの思いにふけっている折に、ホトトギスがたいそう鳴くのを聞いたので詠んだ(歌)(お元気だという噂だけ聞こえてきて姿を見せないあなたを詠んだ歌)」

 

5.3-4-4歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳の試みます。。

② 二句の「啼くらむさと」は、動詞「啼く」の終止形+伝聞・推定の助動詞「らむ」の連体形+名詞「里」です。

③ 四句にある「しかなくこゑ」は、ホトトギスの鳴く時期の「鹿鳴く声」です。

④ 現代語訳(試案)はつぎのとおり。

ホトトギスが鳴くのをよく聞くという里にきて、そこで妻を呼ぶ鹿の鳴き声を聴くのは、つらいことではないですか。」

⑤ この歌の作者は、女性であり、この歌を、男性に送っています。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-4歌は、作詠事情に触れています。作者には男の訪れが遠のいていたことが読み取れます。個人的な問題です。類似歌2-1-1471歌は、作者の名前に言及しているだけですが皇子でありその活動の一端の歌であることが分かります。公的な場の歌であることが推測できます。

② 初句のホトトギスが象徴するのは、この歌の場合は、作者への訪問を避けている男性です。類似歌の場合は、不明です。その鳴き声に作者を非難する人々を暗示しているかなどなどは、不明です。

③ この結果、この歌は、女である作者のところへの訪れが途絶えた男へのいやみの歌、 類似歌は、鳴き声を理由に、ともかくもホトトギスを待っている人を揶揄している歌、と言えます。

④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-5歌  あひしりたりける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

   いもがかどゆきすぎかねて草むすぶかぜふきとくなあはん日までに

3-4-5 歌の類似歌  2-1-3070の一伝  題しらず  よみ人しらず   

   いもがかど ゆきすぎかねて くさむすぶ かぜふきとくな ただにあふまでに 

 (・・・風吹解勿 直相麻弖尓)

 

 類似歌は、『萬葉集巻第十二のうち 寄物陳思にあります。

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。2018/2/26   上村 朋)