わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集

前回(2018/8/27)、 「猿丸集第27歌 ともなしにして」と題して記しました。

今回、「猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第28 3-4-28歌とその類似歌

① 『猿丸集』の28番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-28歌  物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとおもへばやまのかげにぞありける

 

3-4-28の類似歌  1-1-204歌   題しらず         よみ人知らず 

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける   

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句の一部と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、夕方の外出時の出来事の歌であり、類似歌は、夕方が近づく建物内の出来事の歌です。

 

2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は、古今和歌集』巻第四秋歌上にあります。この巻には、『猿丸集』の類似歌がこの1-1-204歌を含め6首あります。

この類似歌の検討に際し巻第四秋歌上にある全80首の配列を検討しておきたい、と思います。

② 『古今和歌集』は、醍醐天皇が多くの歌人に「歌集幷古来旧歌」を奉らせて(真名序)成っています。その元資料のうち、「古来旧歌」は、朝廷の行事や官人の生活に密接していた歌であるからこそ各歌人は書き留めていたものでしょう。

③ 今『猿丸集』の歌を、その各々の類似歌と比較して理解しようとしているように、『古今和歌集』もその元資料と比較しつつ理解をしたい、と思います。そして『古今和歌集』編纂方法も探ってみたいと思います。

奉った姿のままの元資料が残っていませんので、『古今和歌集』記載の作者名を冠する歌集や歌合で『古今和歌集』成立以前に成立していると思われるものや『萬葉集』を元資料と見做します。また、歌の清濁抜きの平仮名表記で異同がある歌もありますが、『古今和歌集』の配列の検討には差し支えないと割り切り『古今和歌集』記載の歌を元資料の歌と原則扱って検討します。だから元資料の歌は、『猿丸集』同様に『新編国歌大観』に拠ります。

古今和歌集』は、「仮名序」冒頭で、「(世の中にある人、ことわざしげきものなれば)こころにおもふことを見るものきくものにつけていひだせる」ものが「やまとうた」であると説き、「花になくうぐひす」などを「見るものきくもの」の例にあげています。四季の移り変わりはその一つであることがわかり、季語(季題)という捉え方もできそうです。各歌について、その季語(季題)と詠われた(披露された)場を確認し、その後『古今和歌集』の四季の部の巻の配列を検討します。時系列であると一応想定していますが、一系列の時系列の歌なのかどうかも確認します。

そのため、次に述べる視点で元資料の各歌を検討します。

 

④ 視点1:『古今和歌集』編纂時の元資料で詠われている季節はいつか。『古今和歌集』の歌としては全て「秋」のはずですが、それ以上の月別等は明記されていません。

 そのため、季語を6区分で検討しました。即ち、初秋、仲秋、晩秋、三秋(初秋等二つ以上の可能性ありという区分)、非秋、季語無しです。 元資料における詞書や歌にある語を現代の俳句の季語(付記1.参照)により判定しましたが、歌の内容を付加して判定しています。

⑤ 視点2:『古今和歌集』編纂時の元資料の歌はどのような場で詠われているのか。

 歌が披露(朗詠)された場(朝廷あるいは官人がその歌を楽しんだ場)はどこか、を8区分で検討しました。即ち、

主催者が歌人に依頼している類 歌合、屏風歌a、屏風歌b、書きだし下命、

公務及びそれに準じてもよい場(方違えなど) 宴席の歌、外出時・挨拶歌、

以上の区分に該当しない男女間の個人的応答歌、判定保留です。

各歌の判定は諸氏の研究に概ね拠っていますが、屏風歌bと宴席の歌と外出時・挨拶歌は私見によります。

 歌合は、歌合または花合に出詠した歌(準備のみで終った歌も含みます)をさします。『古今和歌集』の編纂者が勝手に歌合の歌と詞書に記していないと信じ、『古今和歌集』の詞書において歌合または花合と明記されている歌をさします。例)1-1-169歌、1-1-189歌、1-1-230歌。

 屏風歌aは、『古今和歌集』または『古今和歌集』編纂時の元資料において、屏風歌と明記されている歌を指します。 しかし、該当する歌はありませんでした。

 屏風歌bは、上記屏風歌a以外で、ブログ「わかたんかこれの日記 よみ人しらずの屏風歌」2017/6/23)の「2.②」で示す3条件を満たすよみ人しらずの歌を指します(付記2.参照)。屏風歌bは、歌の再利用も念頭に想定したものなので、他の場の区分と重なることがあります。

書きだし下命は、歌集の天皇への提出命令による歌です。例)千里集より採った歌

宴席の歌は、公私を問わず、上記に該当しない歌のうち宴席や会合で披露(朗詠)したと思われる歌を指します。例えば、公務で天皇・皇子からものを賜る機会の答礼に添える、その他公的宴席、『宇津保物語』にあるように民間行事の上流貴族の六月祓の一連の行事などでの歌です。

宴席で披露される官人の愛唱歌も含みますので、相聞の歌を利用している場合もあります。例)1-1-176歌、1-1-191

外出時・挨拶歌との区別が曖昧となるのは止むを得ません。

外出時・挨拶歌は、男女間の個人的応答歌を除き、羈旅・贈答・餞別・哀傷の類の歌を指します。

    例)1-1-222

男女間の個人的応答歌は、作者が特定できる相聞の歌を指します。しかし、巻第四秋歌上には、有りませんでした。

⑥ 視点3:元資料の歌に『古今和歌集』の部立を適用しようとするとどの部立が可能となるか。これを、元資料の詞書に拘らず、私見によりました。

 雑歌という部立は、相聞を除く、人生への不安・期待・安堵を詠う歌の類をさします。

⑦ 視点4:元資料の歌の作者の作詠態度はどのようなものか。

 6区分で検討しました。即ち、

詠う対象への接近方法として、知的遊戯強い、土屋氏のいう民衆歌。

歌を聴く者への関心として、相聞、作者の私的立場を訴える、宴会用(その場を盛り上げるにふさわしい)、公的立場を賞揚・発揮する。

という区分を設けています。

土屋氏のいう民衆歌は、貴族以外の者も愛唱したであろう歌も含む伝承歌を指します。例)1-1-171歌、1-1-205歌。

宴会用(その場を盛り上げるふさわしい)は、野遊びや、ともにまかりてよめる歌や、ついでによめる歌のほか伝承歌や愛唱歌を朗詠するなど、会食や園遊という場を盛り上げようとする態度を、指します。但し公的立場を賞揚・発揮する場合を除きます。

公的立場を賞揚・発揮するは、宴会用での特殊な場合であり、また行事における歌、という類です。

 この視点は、区分の重複を認めました。 

 

3.類似歌の検討その2 巻第四秋歌上の元資料の検討

① 巻第四秋歌上は、1-1-169歌から80首あります。

② 巻第四秋歌上の各歌を、歌本文を元資料の歌本文とみなして上記の視点で判定したところ、付記3.に示す表1~表4のようになりました。秋の行事を詠った歌は七夕と女郎花合とがありました。便宜上表1には七夕の歌までを、表2に、虫を詠う歌(1-1-205歌)までを、表3に、雁の歌以降白露までを、表4に、をみなへしの歌以降の歌としています。 

それを整理すると、つぎの諸点を指摘できます。

③ 視点1の区分別をみると、非秋に該当する歌は無く、季語無しが3首ありました(歌の内容は秋を詠っています)。初秋は54(重複1首)、仲秋が1(1-1-190)、晩秋の歌が15首(重複2首)ありました。そして三秋が13首(重複3首)ありました。

④ 現代の季語(の概念)を元資料の歌に当てはめた季節等の区分であるので、仲秋の歌と晩秋の歌とした季語を確認します。

仲秋の歌には季語が無く、歌の内容から「月をしむ」ならば第一候補となる八月の月と判定して仲秋としたところなので、七月の月(初秋)の歌であってもおかしくありません。現代の季語の整理が異なるだけと言えます。

晩秋の歌15首のうち10首が季語の雁により、4首がもみぢで、1首が露霜で晩秋の歌となりました。

二十四節気をもっとこまかくした七十二候をみると、貞観4(862)11日から用いられた宣明暦では、七十二候の(秋分の前にあたる)白露の初候は「雁来」とあります。仲秋の初めの時期にあたります。また、秋分の次の)寒露初候は「雁来賓」とあり、晩秋の初めの時期にあたります。また、稲・菊・大韮を言う候が各一候ありますが萩などの食用ではない植物の候はありません。

このため、月と雁を詠んでいる歌は8月とも理解可能です。「雁来」の候にあたるでしょう。

1-1-208歌は「来にけり」、1-1-209歌は「はや鳴きぬる」とか初雁をイメージする歌があり、雁来」の候にあたる歌とみることができます。また、巻第五秋歌下に雁を詠う歌がないので、晩秋の雁も含めてここに配列したかとみることができます。季語として整理するなら、三秋の季語に「かり」がある、という感覚で、『古今和歌集』編纂者は元資料の歌を採りあげたという理解が出来ます。

もみぢを季語と捉えた歌のうち2首(1-1-187歌、1-1-194歌)は動詞化して用いており、 「うつろひつつ」と秋の進行を詠っていたり、月が「てりまさるらむ」と詠い晩秋に限らない景ともとれる歌であり、残りの2首(1-1-203歌、1-1-215歌)は初秋の松虫や三秋の鹿を詠んでおり、もみぢは落葉を指すと理解すれば、晩秋ではない時期を詠っている、とも理解ができます。

また、「露霜」を詠う1-1-224歌は初秋の萩の歌でもあり、「露」を強調したの「露霜」という理解も可能な歌です。

季語と言う発想をしたら一首に時期が重ならないよう季語を用いることを通常の歌人はするでしょうから、以上は現代の季語からの検討の限界です。

このように、何を主眼に歌を理解するかにより、晩秋に限定した時期の歌は無くなります。現代の季語とは違う時節の感じ方を編纂者や当時の貴族は持っていたとすれば、巻第四秋歌の80首の元資料の歌は、初秋の歌と雁を含めた三秋の歌であると言えます。

⑤ 視点2の区分別をみると、つぎのとおり。 

 歌合: 26

 屏風歌a: 無し

 屏風歌b: 8首  (うち重複5首)

 宴席の歌:38首 (うち重複6首)

 外出時・挨拶歌: 13首  (うち重複2首)

 書き出し下命: 1首 (1-1-185)

 判定保留: 1首 (1-1-216歌)

以上の区分に該当しない男女間の個人的応答歌: 無し

不明:無し

⑥ 歌合の場の歌が約3割、宴席の場の歌が約5割を占めます。元資料が詠われた時代、前者は屏風歌の8首を含め専門歌人の需要が高いこと、後者は官人の勤務とその関連で宴席が多く、職場を離れてスポーツや音楽などを楽しむ場がなかった環境であったことを反映している、とみることができます。

⑦ 視点2と視点4の関係をみると、次のようになります。

表 視点2と視点4の関係

視点1

歌数

知的遊戯強い

民衆歌

のみ

相聞

&宴会用

&相聞&宴会用

&

公的立場

私的立場

のみ

&相聞

&宴会用

歌合

  26

  26

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

屏風歌b

   8

   4

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  3

  1

宴席の歌

  38

   8

  1

  3

  5

  1

  0

  1

16

  3

外出時・挨拶歌

  13

   9

  0

  1

  0

  0

  2

  0

  1

  0

書き出し下命

   1

   1

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

判定保留

   1

   1

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  0

  87

  49 

  1

  4

  5

  1

  2

  1

 20

  4

注1)視点2の区分に重複歌あり

⑧ このように、歌の優劣を競う場における歌である歌合の歌は知的遊戯が強い歌に特化し、宴席の歌では民衆歌でかつ相聞の歌も半数近くを占め、歌を披露する場の特徴が分かれています。

 巻第四秋歌上には、よみ人しらずの歌が38首ありますが、知的遊戯が強い歌が21首と民衆歌が17首あります。伝承歌は、知的遊戯の要素からこの時代餞別されていたかもしれませんがそうばかりではないようであり、『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌がどこで詠われたかより、配列の方針に従った内容の歌を撰んでいるといえます。

⑨ 視点3の区分別をみると、つぎのとおり。恋以下は全て重複歌です。

 秋:80

 恋:26

 羈旅:2

 雑:17

 雑体:(誹諧歌)2

 巻第四秋歌上は、まさに秋に寄せて詠っている歌の巻なのですが、恋の部の歌であってもおかしくない歌が3割以上あります。特に重なっています。「もの思ふ」秋を、月や動植物の景のみで詠っているのが5割に満たない状況です。

⑩ 以上の検討から、元資料の各歌は、現代の俳句の季語の区分でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌となり、80首すべてを初秋の歌として配列し得る歌である、と言えます。

現代の季語となる言葉が示す時期は、多くが当時も現代も同じ時期の感覚(例えば、七夕とかヒグラシ)ですが、現代は晩秋に配されている雁について編纂者や当時の貴族とで異なる可能性があります。

 

4.類似歌の検討その3 巻第四秋歌上における配列

① 『古今和歌集』では、以上検討してきた元資料の歌を、何らかの基準により配列しています。

久曾神氏は、「表現態度と歌体で記載の歌を分け、歌体が短歌の歌は、題材により自然と人事に二分して『古今和歌集』は排列し、各巻も細分している」として巻第四秋歌上は、時節(立秋・初秋・七夕・秋景)、天象(秋月)、動物(秋虫・雁・鹿)、植物(萩・女郎花・藤袴・花薄・瞿麦(なでしこ)・秋草)、巻第五秋歌下は、植物(紅葉・菊花・残菊・落葉・秋田)、時節(暮秋・九月尽)と類別している、と指摘しています。

② 四季の歌が数巻に分けられたのは何によってでしょうか。

古今和歌集』巻第三夏歌の最後の歌は、「みなつきのつごもりの日よめる」と詞書している凡河内躬恒の歌です。太陰太陽暦六月晦日立秋との関係は一月一日と立春との関係と同じです(ちなみに2018年における太陰太陽暦六月晦日810日。2018年の立秋87日)。

巻第四秋歌上の巻頭歌1-1-169歌は立秋を詠います。巻第三夏歌と巻第六冬歌は、立夏立冬を意識していない詞書の歌で始まっています。四季の中でも立春立秋に特に意識している区分と言えます。

巻題四秋歌上も厳密な時系列ではないかもしれません。

③ 『古今和歌集』における詞書が元資料の詞書と違っている歌があります。

巻頭の1-1-169歌の元資料は歌合の歌で題は「秋」です。『古今和歌集』の編纂者が詞書を「秋立つ日(を歌に)よめる」としているのは、歌に「風」を感じて「秋来ぬ」と詠っているからでしょう。季節を表わすのに中国で始まった七十二候がありますが、二十四節気立秋3分されその最初は立秋初候で「涼風至」と言います。

1-1-230歌の詞書は、「朱雀院の女郎花合によみて奉りける」とありますが、何回かの女郎花合を寄せ集めて配列されていると諸氏が指摘していますが、詞書はその一々に触れていません。

また、1-1-183歌は、作者が大江千里であるのがはっきりしているにもかかわらず、「よみ人しらず」としています。

さらに、1-1-244歌で詠んでいる「きりぎりす」ですが、元資料の寛平御時后宮歌合では「ひぐらし」です。たしかに前後の歌とそのほうが馴染みます。

このように、古今和歌集』には、元資料の歌を必ずしもそのまま採用していない場合があります。

④ これらをみると、古今和歌集』の編纂者は、秋の景として、現代の俳句の季語相当の秋の景物を選び、新たな詞書のもとに順に配列している、といえます。

 

秋の景物ごとに歌群として捉えると、次のように理解できます。

     立秋の歌:詞書に「秋立つ日よめる」と立秋を明記した歌からはじめている4首です(1-1-169歌~1-1-172歌)。

巻第四秋歌上の巻頭の2首は、巻第一春歌上と同様に秋の最初の日を詠んでいます。順調に秋を迎えたことを寿いでいる歌とみることができます。律令で大祓は半年ごとに行うことにされており、それが六月晦日大祓と師走の(朝廷が行う)大祓ですが、立春立秋は、それと関係ありません。それでも理由はわかりませんが、朝廷と官人にとり特別の日であったようです。

     七夕伝説に寄り添う歌:1-1-173歌~1-1-183 (1-1-173歌は題しらずの3首目)                                                                               

     「秋くる」と改めて詠む:1-1-184歌~1-1-189歌 (1-1-184歌は題しらずの1首目)

1-1-184歌~1-1-186歌と1-1-188歌は、立秋の日を詠う歌であるかもしれません。

     月に寄せる歌:1-1-189歌~1-1-195歌 (1-1-189歌の詞書は「・・・歌合の歌」)

巻第四において、月を詠う歌は、ここだけであり、編纂者がここに集めたのではないかと推測できる。

     きりぎりす等虫に寄せる歌:1-1-196歌~1-1-205歌 (1-1-196歌の詞書は「・・・ききてよめる」)

     かりといなおほせとりに寄せる歌:1-1-206歌~1-1-213歌 (1-1-206歌の詞書は「初雁をよめる」)

鹿と萩に寄せる歌:1-1-214歌~1-1-218歌(1-1-214歌の詞書は「・・・歌合の歌」)

     萩と露に寄せる歌:1-1-219歌~1-1-225 (1-1-219歌の詞書は「・・・ついでによめる」)

     をみなへしに寄せる歌:1-1-226歌~1-1-238 (1-1-226歌の詞書は「題しらず」)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌:1-1-239歌~1-1-247歌 (1-1-239歌の詞書は「・・・歌合によめる」)

     秋の野に寄せる歌:1-1-248 (1-1-248歌の詞書は「」・・・ついでによみて奉りける)

⑤ 巻第四秋歌上の歌には、菊が登場しません。また紅葉の名所も登場しません。久曾神氏の歌群の捉え方はこれらをもう少し大づかみしています。

 

5.類似歌の検討その4 巻第四秋歌上にある詞書から

① 上記4.に、歌群ごとに最初の歌の詞書も記しましたが、その詞書は、どこで詠んだかをさすことばがほとんどであり、それを示さない「題しらず」とある歌群が、七夕伝説に寄り添う歌群と、「秋くる」と改めて詠む歌群と、をみなへしに寄せる歌群の3群ありますが、直前の歌の内容との違いは明確になっています。

② この類似歌は、「きりぎりす等虫に寄せる歌(1-1-196歌~1-1-205歌 )の歌群にあり、歌群の最初の歌の詞書は、「・・・きりぎりすのなきけるをききてよめる」とありますが、2-1-198歌から最後の2-1-205歌までは「題しらず」です。ひぐらしを詠む歌は、2首だけであり並んで置かれています。その次の2-1-206歌は「はつかりをよめる」とあり別の歌群の1首目となります。

 類似歌とその前後の歌とのつながりは、詞書ではなく、各歌の内容でみなければならない、ということになります。

③ 類似歌記載の『古今和歌集』の配列の検討にもう少し時間を要しますので、次回類似歌そのものの検討とともに記します。

ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

 (2018/9/3  上村 朋)

付記1.俳句での秋の季語(季題)について

① 『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)は、秋(立秋から立冬の前日まで)の全体にわたる季題(三秋)と、季の移り変わりにより初仲晩に分かれる季題に分類している。

② 三秋に、「秋(高し・の空など)、月(わたる・の桂など)、さわやか(さやか)、霧、露、鹿、渡り鳥、虫(の音など)、(白)菊、花野」等を示している。  

初秋に、「八月、七夕、天の川、初嵐、松虫、鈴虫、ヒグラシ、キリギリス(現在のコオロギのこと)、萩、おみなえし、ススキ(おばな・かや)、藤袴、露草(月草・うつし草)、なでしこ、秋めく」等を示している。

仲秋に、「葉月(はづき)、名月、冷ややか、月見、十五夜十六夜、立待月、更待月(二十日月)、早稲、野菊、初紅葉、台風」等を示している。

晩秋に、「長月、夜寒、朝寒し、露霜、苅田、いのしし、雁(初雁・雁わたるなど)、つる来たる、紅葉(もみじ)、残菊、籾、椿の実、中稲(なかて)」等を示している。

  なお、「霞」は三春の、「藤」は晩春の季語であり、「涼し」は三夏の、「月見草」は晩夏の季語であり、「嵐」は季語としていない。

③ これは、現代における認識である。

④ 二十四節気では、立秋から処暑、白露、秋分寒露霜降立冬となる。これに対応する日本における七十二候では、立秋初候(涼風至)から、立秋次候(寒蝉鳴(ひぐらしなく))、・・・霜降末候楓蔦黄(もみじつたきばむ))、立冬初候(山茶始開(つばきはじめてひらく))等となる。

 

付記2.屏風歌bの判定基準

① ブログ「わかたんかこれの日記 よみ人しらずの屏風歌」2017/6/23)の「2.②」で示す3条件は以下のとおり。

② 『古今和歌集』のよみ人しらずの歌で次の条件をすべて満たす歌は、倭絵から想起した歌として、上記のaまたはc(下記③に記す)の該当歌であり屏風に書きつける得る歌と推定する。

第一 『新編国歌大観』所載のその歌を、倭絵から想起した歌と仮定しても、歌本文とその詞書の間に矛盾が生じないこと 

第二 歌の中の言葉が、賀を否定するかの論旨には用いられていないこと

第三 歌によって想起する光景が、賀など祝いの意に反しないこと。 現実の自然界での景として実際に見た可能性が論理上ほとんど小さくとも構わない。

③ 「上記のaまたはc」とは次の文をいう。

a屏風という室内の仕切り用の道具に描かれた絵に合せて記された歌

c屏風という室内の仕切り用の道具の絵と対になるべく詠まれた歌(上記a,bを除く)」

④ この方法は、歌の表現面から「屏風歌らしさ」を摘出してゆくものであり、確実に屏風歌であったという検証ではなく、屏風作成の注文をする賀の主催者が、賀を行う趣旨より推定して屏風に描かれた絵に相応しいと選定し得る歌であってかつ歌に合わせて屏風絵を描くことがしやすい和歌、を探したということである。

 

付記3古今集巻第四秋歌上の元資料の歌の判定表

① 古今集巻第四秋歌上に記載の歌の元資料の歌について、本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に基づき判定を行った結果を、便宜上4表に分けて示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。

2歌番号等欄の*印は、題しらずよみ人しらずの歌である。

3)季語については、付記1.参照。

4()書きに、補足の語を記している。

5)《》印は、補注有りの意。補注は表4の下段に記した。

6)元資料不明の歌には、家持集の歌を含む。元資料は『新編国歌大観』による。

表1 古今集巻第四秋歌上の各歌の元資料の歌の推定その1    

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-169

秋 さやか

初秋(秋来ぬと詠う)

寛平御時中宮歌合

歌合 題は秋

知的遊戯強い 《》

1-1-170

初秋(元資料にも同一趣旨の詞書)

貫之集

宴席の歌

知的遊戯強い&宴会用

1-1-171*

秋(のはつ風)

初秋

元資料不明

宴席の歌又は外出時・挨拶歌又は屏風歌b 《》

民衆歌&相聞

1-1-172*

秋(風)

初秋(夏の季語さなへにより)

元資料不明

宴席の歌又は屏風歌b 《》

秋・恋

民衆歌&相聞(もう私に飽きたという人を留めたい歌) 

1-1-173*

秋(風)

三秋(秋風のふきにし日よりと詠う)

元資料不明 

宴席の歌(高官の来席時など)又は屏風歌b

秋・恋

民衆歌&相聞(「秋」に「飽き」をかけ飽きたという人を留めたい歌)

1-1-174*

無し

初秋(七夕の伝説に寄り添う歌)

元資料不明

宴席の歌(退席する同僚に対して)又は屏風歌b

秋・恋

民衆歌&宴会用(女官が作者か。相手の人を留めたい歌&相聞

1-1-175*

たなばた(づめ)、もみぢ、あまのがは

初秋(七夕の伝説に寄り添う歌)《》

元資料不明

宴席の歌(来駕・登壇を促す)

秋・雑体(誹諧歌)

知的遊戯強い(七月七日にもみぢは無い。待ち人来たらず)&相聞&宴会用

1-1-176*

あまのがは、霧 

三秋(逢う直前の歌(逢う夜は7月7日に限らない)

元資料不明

宴席の歌(登壇を促す。愛唱歌

《》

秋・恋

民衆歌&相聞

1-1-177

あまのがは

初秋(七夕の伝説に寄り添う歌)

元資料不明

宴席の歌

秋・雑体(誹諧歌)

知的遊戯強い&宴会用

1-1-178

七夕

初秋 (七夕の伝説に寄り添う歌)

寛平御時后宮歌合 

歌合 題は恋歌

秋・恋

知的遊戯強い。(年にひとたび、と詠う)

1-1-179

七夕(姫・織姫)

初秋 (七夕の伝説に寄り添う歌)

歌合 題は秋歌

(躬恒集による)

《》

秋・恋

知的遊戯強い(1年後を詠い明日と詠わないから)。

1-1-180

織姫(たなばた)

初秋

躬恒集にあり(題秋)

宴席の歌 《》

秋・恋

知的遊戯強い(七夕の伝説に寄り添う歌)&宴会用 《》

1-1-181

たなばた

初秋

歌合(素性集より) 題は秋か

知的遊戯強い&相聞

(今後の約束を迫る歌。織女のひさしきほどを例に詠うから)。

1-1-182

あまのがは

初秋(七夕の伝説に寄り添う歌) 

元資料不明

宴席の歌(宗于集の詞書から)

 

秋・恋

知的遊戯強い。相聞(暁によめるとあるので後朝の歌)&宴会用

1-1-183

無し

初秋(元資料の詞書は七月八日) 《》

忠岑集(詞書は七月八日)

宴席の歌

秋・恋

知的遊戯強い(牽牛の立場の後朝の歌)&相聞&宴会用

 

表2 古今集巻第四秋歌上の各歌の元資料の歌の推定その2   

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-184*

月、秋

初秋(秋は来にけりと詠う)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋・雑歌

知的遊戯性強い&相聞(「秋」に「飽き」をかけた歌)

1-1-185*

初秋(秋くるからにと詠う)

書き出し下命(千里集38歌)

秋・雑歌

知的遊戯強い

(猿丸集の類似歌)

1-1-186*

秋、虫

初秋(くる秋と詠う)

寛平御時后宮歌合 題は秋歌 《》

秋・雑歌

知的遊戯強い

1-1-187*

秋、もみぢ(つつ)

三秋又は晩秋(もみぢを動詞化して詠むいるので)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌) 

秋・雑歌

知的遊戯強い&宴会用

1-1-188*

秋、つゆ

初秋(「秋のよひ」と詠まず「秋くるよひ」と詠う)

元資料不明 

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌(清正集より古今集が古い)&相聞(「秋」に「飽き」をかけた歌)

1-1-189

秋の夜

三秋

元資料不明(是貞親王家歌合にない) 

歌合 題不明《》

雑歌・秋

知的遊戯強い(漢詩文の影響強い) 《》

 

1-1-190

無し

仲秋 《》

元資料不明

宴席の歌

秋・雑歌

知的遊戯強い&宴会用

1-1-191*

雁、秋の夜、月

晩秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

知的遊戯性強い

1-1-192*

雁、月わたる

晩秋 《》

萬葉集 2-1-1705歌

宴席の歌(愛唱歌

秋・雑歌

知的遊戯性強い&公的立場賞揚

1-1-193

月、秋

三秋

是貞親王家歌合 題は不明

 

秋・雑歌

知的遊戯強い(作者大江千里が『白氏文集』の詩を翻案した)

1-1-194

月のかつら、秋、もみぢ(すれば)

三秋又は晩秋(もみぢすればと動詞で詠う)

是貞親王家歌合題は不明(忠岑集にあり)

知的遊戯強い(月の桂は中国の伝説に拠ったもの。)

1-1-195

秋の夜、月

三秋

元資料不明

外出時・挨拶歌

秋・雑歌

知的遊戯強い

1-1-196

蟋蟀(きりぎりす)、秋の夜

初秋

元資料不明

外出時・挨拶歌

秋・雑歌

知的遊戯強い(きりぎりすに事寄せたわが心の寂しさを詠む)

1-1-197

秋の夜、虫

三秋

元資料不明(是貞親王家歌合にない) 

歌合 題は不明

秋・雑歌

知的遊戯強い

1-1-198*

あき萩、きりぎりす

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

恋・雑歌・秋

民衆歌&相聞歌

(猿丸集の類似歌)

1-1-199*

秋の夜、つゆ、むし

三秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞歌

1-1-200*

松虫

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

恋・秋

民衆歌&相聞歌(松に待つをかけている) 

1-1-201*

秋のの、松虫

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞歌

1-1-202*

あきのの、松虫

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌) 

秋・恋

民衆歌&相聞歌

1-1-203*

もみぢ、松虫

晩秋(もみぢが積もると詠む)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞歌 

1-1-204*

ひぐらし

初秋

元資料不明

外出時・挨拶歌

知的遊戯強い

(猿丸集の類似歌)

1-1-205*

ひぐらし

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋雑

民衆歌&相聞

 

 

表3 古今集巻第四秋歌上の各歌の元資料の歌の推定その3   

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-206

はつ雁

晩秋 《》

元資料不明

宴席の歌

保留

秋・恋

知的遊戯強い(蘇武の故事を踏まえる)&

相聞の歌か

1-1-207

秋(風)、はつかり

晩秋 《》

寛平御時后宮歌合 題は秋歌(是貞親王家歌合にない) 

知的遊戯強い

 

1-1-208*

いなおほせどり、かり

晩秋 《》

元資料不明

屏風歌b

知的遊戯強い 《》

(猿丸集の類似歌)

1-1-209*

かり、白露、もみぢ。

晩秋 《》

元資料不明

宴席の歌か&屏風歌b

知的遊戯強い 《》

1-1-210*

かりがね、秋霧。

晩秋(春霞は春の季語)

元資料不明

屏風歌b 《》

知的遊戯強い 

1-1-211*

かりがね、萩

晩秋(萩の下葉と詠う)

元資料不明(新撰萬葉集より題は秋歌)

宴席の歌(愛唱歌

民衆歌

1-1-212

秋風、かり

晩秋

寛平御時后宮歌合 題は秋歌 (但し「行く舟は」とよむ)

知的遊戯強い

1-1-213

かりがね、秋の夜

晩秋

元資料不明(躬恒集に無し。伊勢集にあり。)

宴席の歌&外出時・挨拶歌 《》

秋・雑歌

知的遊戯強い&私的立場

1-1-214

秋、鹿

三秋

是貞親王家歌合 題は不明

知的遊戯強い

1-1-215

もみぢ、鹿、秋

晩秋(もみぢ)

寛平御時后宮歌合 題は秋歌

知的遊戯強い

(猿丸集の類似歌)

1-1-216*

秋萩、鹿

初秋

元資料不明

保留 《》

知的遊戯強い

 

1-1-217*

秋萩、鹿

初秋

元資料不明

屏風歌b

知的遊戯強い

1-1-218

秋萩、鹿

初秋

歌合 題は不明(是貞親王家歌合に無い) 《》

知的遊戯強い

1-1-219

秋萩

初秋

元資料不明(躬恒集になし)

外出時・挨拶歌《》

秋・雑歌

知的遊戯強い&私的立場

1-1-220*

秋萩

初秋又は三秋(下葉色づくにより)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

知的遊戯強い又は宴席用又は相聞

1-1-221*

雁、萩、露

初秋

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

知的遊戯強い又は宴席用又は相聞

1-1-222*

萩、露

初秋

元資料不明

外出時・挨拶歌《》

知的遊戯強い

 

1-1-223*

秋萩、白露

初秋

元資料不明

外出時・挨拶歌《》

知的遊戯強い

 

1-1-224*

萩、露霜

晩秋(萩は散るらむと詠う)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞

(猿丸集の類似歌)

1-1-225

秋の野、白露

三秋

元資料不明(是貞親王家歌合に無い)

歌合 題不明《》

知的遊戯強い

 

表4 古今集巻第四秋歌上の各歌の元資料の歌の推定その4

歌番号等

歌での(現代の)季語

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-226*

をみなへし

初秋

遍照集

外出時・挨拶歌

秋・雑歌

知的遊戯強い

1-1-227

をみなへし

初秋

元資料不明

外出時・挨拶歌

秋・雑歌

知的遊戯強い

1-1-228

秋の野、をみなへし

初秋

歌合(是貞親王家歌合に無し) 題不明

秋・恋

知的遊戯強い

1-1-229*

をみなへし

初秋

元資料不明

宴席の歌

秋・恋

知的遊戯強い

1-1-230

をみなへし

初秋

亭子院女郎花合 題をみなへし

歌合 《》

知的遊戯強い&相聞

1-1-231

秋、をみなへし

初秋

元資料不明(亭子院女郎花合に無し) 歌合 題をみなへし 

歌合 三条右大臣集になし《》

知的遊戯強い

1-1-232

秋、をみなへし

初秋

元資料不明(亭子院女郎花合に無し。貫之集になし)

歌合 題をみなへし 《》

知的遊戯強い

1-1-233

鹿、をみなへし

初秋

元資料不明(躬恒集になし、亭子院女郎花合にも無し)

歌合 題をみなへし 《》

知的遊戯強い

1-1-234

をみなへし、秋風

初秋

亭子院女郎花合 題をみなへし

歌合

知的遊戯強い

1-1-235

をみなへし、秋霧

初秋

亭子院女郎花合 題をみなへし

歌合

知的遊戯強い

1-1-236

をみなへし

初秋

元資料不明(亭子院女郎花合に無し)題をみなへしか

歌合 

秋・恋

知的遊戯強い&相聞歌

1-1-237

をみなへし

初秋

元資料不明 

外出時・挨拶歌《》

秋・羈旅

知的遊戯強い

1-1-238

をみなへし

初秋

元資料不明 

宴席の歌 《》

秋・

知的遊戯強い

1-1-239

藤袴、秋

初秋

元資料不明(是貞親王家歌合に無し。) 題不明

歌合 《》

知的遊戯強い

1-1-240

藤袴

初秋

元資料不明(貫之集に無し)《》

外出時・挨拶歌

秋・羈旅

知的遊戯強い

1-1-241

秋の野、藤袴、秋

初秋

素性集20歌 《》

宴席の歌

知的遊戯強い

1-1-242*

花すすき、秋

初秋

元資料不明

宴席の歌 《》

秋・恋

知的遊戯強い

1-1-243

秋の野、花すすき

初秋

寛平御時后宮歌合 題は秋歌

知的遊戯強い

1-1-244

きりぎりす、(やまと)なでしこ 《》

初秋(なでしこにより)

歌合 (素性集5歌に同じ)

知的遊戯強い

1-1-245*

初秋(色々の花により)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

知的遊戯強い

1-1-246*

秋の野

初秋(ももくさの花により)

元資料不明

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞歌

1-1-247*

月草、(朝)露

初秋(月草により)

萬葉集1355歌

宴席の歌(愛唱歌

秋・恋

民衆歌&相聞歌

1-1-248

秋の野

三秋

遍照集20歌

外出時・挨拶歌

秋・雑歌

知的遊戯強い&宴会用

 

③ 補注 

1-1-169歌:先行する漢詩文があるか。》

1-1-171歌:この歌を男性の官人が記録保存していたのである。官人として披露する場は、官人と女官が同席する場があったならば女官をほめそやす歌となる。都を離れ宿泊地での接待の席でも披露できる歌である。相聞》 

1-1-172歌:宴席の閉会が近い場合などに繰り返し披露されたか。秋に飽きをかけて相聞の歌ともなり得る。又屏風歌bの条件も満足する。》  

1-1-175歌:もみぢを待っているのは織姫だから時点は七月七日。即ちまだもみぢがない時点。》  

1-1-176歌:諸氏が古い歌と評している。その歌を官人が披露(謡う)場は、宴席であろう。》

1-1-179歌&1-1-180歌:古今集の詞書は編纂者が与えたもの。》

1-1-180歌:七夕に供えた糸が長いように私の恋の成就には長い月日がいるかもと詠う。予祝の要素がないので屏風歌bにならない、宴席で披露した歌か。躬恒集でも屏風歌の部類に入っていない。》

1-1-183歌:季語からは保留となるが七夕に寄せる歌なので、初秋。》

1-1-186歌:古今集の詞書は編纂者が与えたもの。「題しらず」とする理由があるはずだが不明。》

1-1-189歌:『新編国歌大観』記載の是貞親王家歌合に無い。元資料不明とする。記載のある小町集と宗于集の成立は古今集以後。久曾神氏曰く「秋は物思いをさせられるというが・・・観念的に秋という季節と結びつけているように思われる。それは漢詩文の影響による知的遊戯なのであろうか」》

1-1-190歌:季語のみからは保留となる。元資料が不明であるが、古今集編纂者のひとりである躬恒の歌であるので、古今集の詞書は元資料の詞書であったと信じると「秋ををしむ歌によみけるついでによめる」とある詞書で夜を詠んでいるので月を愛でる歌と理解できる。そのため作詠時点の第一候補は八月十五夜前後と推測し、仲秋となる。》

1-1-192歌:元資料歌は、『萬葉集』巻第九にある2-1-1705歌(雑歌)。「弓削皇子に献(たてまつ)る歌三首」という詞書のある第1首目の歌。第3首目は「くもがくり かりなくときは あきやまの もみちかたまつ ときはすぐれど」とあり、3首同時に献(たてまつ)った歌であれば、時は晩秋。古今集に四句の一字をかえて載せているのは、阿蘇氏は愛唱されて伝えられたからとしている。》 

1-1-206歌:私的な秋の会合ではないか。賀や送別の宴会での披露はふさわしくない。相聞の歌として女が男におくるという立場の歌にもなり得る。》 

1-1-206歌~1-1-210歌:かりは、七十二候の見方を踏まえるか。》

1-1-210歌:公忠集にあるが古今集後の成立。》 

1-1-213歌:作者は古今集成立時存命。古今集の詞書は元資料による、と推定

した。作者躬恒の述懐とすれば、官位のあがらぬことを上司に嘆いた歌か。個人的にあるいは宴席で訴えた歌か。 》

1-1-216歌:屏風歌bでもなく宴席の歌にもふさわしくない。「なくらむ:と推理しているので、歌合か。その判定基準を設けられなかったので、保留とする。》

1-1-218歌&1-1-228歌&1-1-239歌:この3首敏行の歌。古今集の詞書を信じる。みな歌合。》

1-1-219歌&1-1-225歌&1-1-231歌~1-1-233歌:作者は古今集成立時存命。古今集の詞書は元資料による、と推定した。》

1-1-222歌&1-1-223歌:契沖の贈答歌説に従う。外出時・挨拶歌。》

1-1-230歌:詞書は編纂者が与えたもの。朱雀院主催のいくつかの花合を編纂者が統合したと推定した。》

1-1-237歌:作者兼覧王古今集成立時存命であり、古今集の詞書は元資料による、と推定した。そのため外出時・挨拶歌となる。》

1-1-238:作者平貞文古今集成立時存命。古今集の詞書は元資料による、と推定した。そのため宴席の歌となる。》

1-1-240歌:作者は古今集成立時存命。1-1-237歌に同じ。》

1-1-241歌:作者は古今集成立時存命。1-1-238歌に同じ。》

1-1-242歌:花すすきは女の意ともなる。恋の歌でもあるので宴席の歌。》

1-1-244歌:元資料の寛平御時后宮歌合では、ひぐらし。編纂者が「きりぎりす」と替えたか。》

 (付記終り 2018/9/3    上村 朋)

 

わかたんかこれ 猿丸集第27歌 ともなしにして

前回(2018/8/20)、 「猿丸集22~26歌 詞書はひとつ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第27歌 ともなしにして」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第27 3-4-27歌とその類似歌

① 『猿丸集』の27番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-27歌  ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに

しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして

 

3-4-27歌の類似歌 2-1-1144歌。 摂津にして作りき       よみ人しらず 

しながとり ゐなのをくれば ありまやま  ゆふぎりたちぬ やどりはなくて 

(志長鳥 居名野乎来者 有馬山 夕霧立 宿者無而)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と五句に違いがあり、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌はある場所を「ゐなの」と称した歌であり、類似歌は淀川北岸にある「猪名野」を詠う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集巻第七の雑歌にあります。

巻第七の歌は、雑歌、譬喩歌、挽歌に分類されており、雑歌は、詞書(題詞)が「詠天」からはじまり、この歌の前後は、つぎのとおりです。

思故郷   2首 (「故郷」は明日香をさすのが『萬葉集』では常です。)

詠井    2首 (「井」は、清流や泉の流れ出ているところを意味しています。)

詠倭琴   1

芳野作  5首 (「芳野」に材をとった歌群です。)

山背作  5首 (「山背」に材をとった旅中の歌群です。)

摂津作  21(「摂津」は後述。類似歌2-1-1144歌はその最初の歌)

羈旅作  90首 (芳野や山背や摂津以外の地に材をとった旅中の歌が中心です。)

問答     4

臨時    12

就所発思 3

寄物発思 1

 

「詠天」から「詠倭琴」までは詠物による配列であり、「芳野作」から「羈旅作」は旅中の地による配列、「問答」以下は表現や発想の仕方での配列、と諸氏が指摘しています。

これから推測すると、詞書(題詞)ごとに独立している歌群とみてよい、と思います。

② 「山背作」と題する歌は、みな「うぢ」(宇治川とか宇治人の網代)を詠んでいます。「山背作」とは「山背国の代表地に拠って作った(歌)」と、いうことになるのでしょうか。

③ 「摂津作」と題する歌も「摂津国の代表地に拠って作った(歌)」と理解すると、確かに代表地と言ってもよい住江や猪名野や武庫の浦が詠われています。

④ 「摂津」という呼称は、摂津国」を意味するほか、摂津職が管掌していた地(「津国と難波京の範囲」)を意味する時点もありました。「摂津作」という詞書(題詞)のもとに記載された歌は、難波京と一体の堀江(運河)や難波潟が、津国の住吉郡や武庫郡の地の歌とともにあるので、ここでは、この後者(「津国と難波京の範囲」)の代表地に拠って作った(歌)」という理解で、以下検討します。(付記1.参照)

摂津国」は、本来は桓武天皇延暦12(793)39日に摂津職を廃し、新たに置いた国の名です。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

     しなが鳥の居る、ヰではないが、(同音の)猪名野を来ると、有馬山に夕霧が立って来た。今夜寝る場所もないのに。」(阿蘇氏)

     「猪名野を来れば、有馬山に夕霧が立ってゐる。宿るべき所はなくて。」(土屋氏)

② 初句にある「しながどり」は「猪名野」にかかる枕詞です。阿蘇氏は現代語訳に反映し、土屋氏は割愛しています。

③ 「しながどり」を詠った歌は、『萬葉集』に5首あります。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第6歌 なたちて」(2018/3/12)で「しながどり」と「ゐな」について検討した結果、万葉の歌人は、次のように理解していたと確かめました。

・「ゐな」とは、地名の「猪名」であるとともに、「動詞「率る」の未然形+終助詞「な」(誘う意)」であり、「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意である。

・「しながどり」が雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ、と呼びかけているのが、「しながどり(のように) ゐな」であり、その同音の「猪名」という地名を掛けている。

 また、「動詞「ゐぬ(率寝)」を立項している辞典もあります(『例解古語辞典』、『大辞林』など)。

④ 二句の「ゐなの」は、「猪名野」の意であり、今の伊丹市の南方あたりで尼崎市川西市などを流れる猪名川周辺の地域を指します。当時の淀川右岸の河川敷を含む野原です。猪名川は淀川の北岸にあります(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第1歌とその類似歌(2018/1/29)参照)。

臼田甚五郎氏は、「(堤防などがない当時の)猪名川の河原の原野を指す」という趣旨の理解をしています。(『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』の41歌)

また、「八雲御抄五」には、猪名野には「昆陽池あり。有馬山近し」とあります。

⑤ 三句「ありまやま」は、『萬葉集』でも「有馬山」と表記されていますが。瀬戸内側から見える山で、現在有馬山と呼ばれる山はありません。猪名野から西方で最初に山とみえるのは、現在の猪名川の西にある武庫川を越えたカベノ城(483m)や甲山(309m)や譲葉山(514m)となります。それらは、有馬温泉の地に近く往時の猪名野というエリアにあると思われる高速道路の豊中IC阪神本線杭瀬駅から10km西です。

 また、有馬郡(とその地にある有馬温泉)に行くのは山越えである、という認識があるので、有馬郡に至る前にある山々の総称として「ありまやま」と言っていると思われます。

だから、土屋氏らのいうように有馬温泉につづいて居る山々を指す、というのは尤もなことです。

⑥ 四句「ゆふぎりたちぬ」とは、「ありまやま」に夕霧が立った、の意です。上にあげた両氏の訳は、夕霧がかかったのは、(猪名野ではなく)「ありまやま」である、という解釈です。

夕霧は、遠くの山々のほかに、作者が現に移動中の猪名野にも生じる可能性があります。猪名野に夕霧がたつと、遠くのものはすべてみえなくなります。西方の山は有馬温泉の方角の山を含め当然見えなくなります。その場合には「ありまやま」には別の解釈もあり得ます。この2-1-1144歌は陸路を行く途中の歌です。陸路の目印となるような(海岸段丘や砂州などによる)微高地も、「やま」とか「しま」と呼ばれる可能性があります。

しかし、遠方に望める山々を「ありまやま」というほうが、猪名野の広さを感じさせてくれます。この歌の作者は遠方に望める山々を指して呼んでいる、と思います。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① この歌は、広大な「猪名野」に対して「有馬山」を対比して詠っています。

② 初句「しながどり」は、上記3.③に述べたように、二句にある「ゐな」にかかり、「しながどりゐな」の意は、「しながどり」が雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ、と呼びかけ、その「ゐな」はその同音の「猪名」という地名を掛けています。

③ 二句「ゐなのをくれば」は、名詞「猪名野」+動詞「来」の已然形+接続助詞「ば」であり、この「ば」には、

丁度その時に「ば」以下のことに気が付いた意と、当然の如くに「ば」以下のことがおこる意とがあります。

 前者の場合の丁度気が付いた「以下のこと」とは、「ありまやまに夕霧がたった(夕方になってしまった)」ことです。

 後者の場合の当然の如くおこった「以下のこと」とは、「ありまやまに夕霧がたった(夕方になってしまった)ら宿に着いていなければならない」ということです。

 また、動詞「来」は、目的地に自分がいる立場で言っています。しかし、猪名野は10数分で通過してしまう野ではない広さがありますので、動詞「来」は「ちょうどありまやまが目にはいる猪名野のある場所に来て」の意となり、「ば」の意は、前者ではないか、と思います。

④ 四句「ゆふぎりたちぬ」は、「ありまやま」に夕霧がたった、ということです。少なくとも時刻が既に夕方であることを作者は確認した、ということを示唆した表現です。宿に着いてもよい時刻だがまだ宿泊地まで時間がかかることを作者は理解したのだと思います。

⑤ 五句「やどりはなくて」と言っていますが、陸路を行く者にとり、公用であれば、次の駅に用意があります。私用または臨時の公用であっても、当時ならば、野宿の準備もして旅行しているはずで猪名野にある微高地でも宿泊可能です。それなのに、「やどり」がないと言っているのは、「やどり」に象徴する何かを省略した言い方である、と推測します。

初句~二句の「しながどりゐな」を念頭におくと、「しながどりゐな」から「猪名野」に居ることを説明しており、「率な」と誘う人がいない猪名野において夕方になったしまった作者が、「宿がない」と言っているのがこの五句と思います。

五句は万葉仮名で「宿者無而」であり、「ヤドハナクシテ」と訓むという人もいます。

 以上の検討に基づき、詞書に留意して現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰ」につながる猪名野に来たところ、有馬山に夕霧が立ったのが見える。(夕方となったのだが「率な」と誘う相手もいるような)宿は猪名野にないなあ。」 

 

5.3-4-27歌の詞書の検討

① 3-4-27歌を、まず詞書から検討します。

 「もの」とは、目的地をぼかしている言い方です。3-4-1歌や3-4-21歌でも用いられている語句です。歌の二句にある「ゐなの」の理解とかかわります。摂津国の「猪名野」を平安時代に通過してゆく目的地はどこでしょうか。有馬温泉へ湯治に行くのでしょうか。ここまでの歌は、みな類似歌とは趣旨の異なる歌を詠っていました。

② 詞書にある動詞「たちわたる」とは、雲や霧などが一面におおってしまう、たちこめる、という意です。作者は霧のなかに居る、という状態です。類似歌でいうような遠くの山々に霧が立ったのではない状況であることを意味しています。

③ 詞書にある助動詞「けり」は、気づきの助動詞です。現在時点で認識を新たにした意を示します。

④ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「あるところへ行く途中で、霧が立ち込めたのに気が付き(詠んだ歌) 

 

6.3-4-27歌の現代語訳を試みると

① 二句にある「ゐなの」は、「違な野」の意です。しながどりを枕詞とする「猪名野」とは違う野、ということです。

「異な(いな)」は、連体詞で、古語辞典も立項していますが、「異なる」の近世の形」との説明です。

「違な(ゐな)」の立項はないのですが、「違順(ゐじゅん)」の立項があり、「(仏教語)逆境と順境。人生の悪い境遇と良い境遇。」と説明し、例として徒然草242段をあげています(『例解古語辞典』)。

「違」と「順」はそれぞれ別々の事がらを表わしている名詞とみなせますので、ここでは、「違」を「違な」と連体詞として用いられたのかと推測します。(「違」を用いることばに、このほか違勅、違期(ゐご)があります。)

② 「野」には、一般に、「野原・広い平地」の意と、「特に、火葬場としての野原。墓地」に限定した意があります(『例解古語辞典』)。もともとは里と山の間の地をさした言葉であり、通常は人の住まない所で山より身近かで草を刈ったり若菜を摘んだりするために出掛けて行くところが「野」であり、山裾近くの野は葬送の場となっている(古典基礎語辞典)ところです。

二句にある「ゐなの」を「違な野」と漢字交じりで書けるとすると、火葬というを通常の用途ではないことにも供される特定の地点を含む風葬の地とされている地域(当時であれば鳥辺野と称される地域など)を指すとも理解できます。火葬する地点は、鳥辺野など風葬の地の入口近くより中程とか尾根に近い地点が選ばれているのではないでしょうか。

詞書にある「ものへゆきけるみち」は、火葬を行おうと(例えば鳥辺野の特定の地点へ)行く途中」と理解でき、「違な野」を火葬や風葬のための野原の意と理解してもよい、と思います。(付記2.参照)

③ 二句にある「ゆけば」は、「通過地である野原のとある地点に来たところ」、の意です。類似歌は、「くれば」であり、通過するべきところである(猪名野という)野原において」、の意でした。

 「ゆく」と「くる」を対の言葉と捉えると、作者は類似歌を承知してこの歌を詠んでおり、この二つの歌を対の歌として理解せよとの示唆ともとれます。

④ 三句の「ありまやま」とは、遺骨を積み上げて小山状になっているのを指すのか、荼毘にふしている状況を指すのか、作者が現にいる場所の代名詞なのか、限定できませんが何かの比喩であるのは確かです。有馬山以外の漢字表現があるのかどうか解明できませんでした。平安京の近くからは、晴れていても類似歌にいう有馬方面にみえる山々は見えません。

⑤ 四句「ゆふぎりたちぬ」とは、詞書にある「きりのたちわたりける」という状況を詠っており作者の周辺に「きり」を認めたのであり遠くに「きり」を認めた、ということではありません。

 「違な野」に「ゆふぎり」がたったということは、同時に多くの火葬が行われていてその煙が漂っている、さらにそれが見通しを悪くしている、ということです。時刻が夕方ということを含意していなくとも構いません。

⑥ 四句~五句の(ありまやま)「ゆふぎりたちぬともなしにして」の理解は、四句の理解を上記のようにすると、次のa,b2案がありますが、そのa案を採ります。

a「ゆふぎり+たちぬ。友無しにして」。(「率な」とさそいあい)集う者がいないまま火葬されている(いわゆるプロに一任)、という案

 三句の「ありまやま」は、遺体(棺)を木々等で包んだ火葬位置を婉曲に表現している、という理解になります。「友」とは、「一団の人々、連中」(『例解古語辞典』)の意で、火葬に立ち会う人々を指します。なお、「供無し」という理解では殉死前提の歌となり、平安時代では有り得ません。

b「ゆふぎり+たちぬとも+無しにして」。 何が無いかというと、読経や悲しむ家族の声も聞こえない、という案

荼毘の最中僧侶や呪術を司る者による何らかの儀式が行われるのは高位の貴族の場合だけだったと推測したのがb案です。a案のほうが閑散とした状況を描いています。

⑦ このように理解すると、初句「しながどり」は、単に「ゐ」を言い出す枕詞と割り切ったほうがよいかもしれませんが、本来の意を失わずに用いられているとしての現代語訳をも試みることとします。

⑧ 以上の検討をもとに、詞書に従い現代語訳をいくつか試みると、つぎのとおり。

A1案 枕詞として初句は割り切る場合:

「猪名野と同音だが違な野である火葬風葬の地の「ありま山」(火葬用の木々の山)あたりには、夕霧のように火葬の煙が漂っている。しかしその火葬には立ち会う人々がいない。」

 

A2案 初句も意があるとする場合:

「しながどりが雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ(共寝をしようよ)という「ヰ」につながる猪名野ではなく別れを確認させられる通常の原野とは違う野である火葬風葬の地をゆくと、「ありまの山々」のように火葬のための木々の山から煙が立ち上っている、夕霧のように。その火葬には、誰もたちあっている人々も見当たらない。

 以上の現代語訳(試案)から、「しながどり」の枕詞の意に関する意識が類似歌の時代より薄くなった時代の歌がこの歌3-4-27歌であろうと推測し、「枕詞として初句は割り切る」A1案を採ることにします。

 3-4-27歌の作者が詠むにあたって類似歌を参考にしたとすると、作者は、類似歌を、官人の旅行時の歌で、上司も同僚も供もいた一団における歌と、理解していたかに見えます。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、国名をも明かにせず、詠んだ場所は不明です。類似歌は、摂津という国名だけは明らかにしています。この歌の詞書は、類似歌とは異なる場所に関する歌であることを示唆しています。

② 二句の「ゐなの」の意が異なります。 この歌3-4-27歌は、「違な野(原)」、即ち「猪名野ではない野、つまり火葬風葬の地」(鳥辺野と称される地域など)であるのに対して、類似歌2-1-1144歌は、摂津という国にある「猪名野」をさします。

③ 二句の動詞が異なります。この歌は、「ゆけば」とあり、目的地(火葬地点)に向かう途中の単なる通過地において、の意です。

 類似歌は、「くれば」とあり、目的地ではないかもしれないが、その場所に到着した時に、の意です。

④ 五句の表現が違います。この歌は、「ともなしにして」とあり、「たちあう人もいない」、の意であり、類似歌は、「やどりはなくて」とあり、旅中のおのれの宿に関する(何か)を心配している意です。

⑤ この結果、この歌は、猪名野(ゐなの)という同音の代名詞で呼べる地の景を詠い、類似歌は、「しながとり」を枕詞とする「ゐなの(猪名野という名の野原)」を詠っています。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-28歌  物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬとおもへばやまのかげにぞありける

類似歌は1-1-204: 「題しらず よみ人知らず」    巻第四 秋歌上

ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける   

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/8/27   上村 朋)

付記1.津国・摂津国について

① 『新編国歌大観』の『萬葉集』では、巻第七の「摂津作」に対する訓みは、示してない。「つのくに」と訓んでいる諸氏がいるが、土屋氏は漢字のままであり、阿蘇氏は、「せっつ」と訓みを示している。

② 摂津職は、副都の難波宮と津国を管掌する摂津職が大宝律令制定時に置かれた。桓武天皇延暦12(793) 39日に摂津職を廃し、新たに摂津国を置いた。

③ 津国の郡名には例えば次のようなものがある。摂津国の時代も同じ。

a 島上郡(現在の高槻市など)  豊島郡(箕面市池田市など) 能勢郡 (能勢町

b 川辺郡(尼崎市三田市や川西氏池田市など) 武庫郡(西宮市や宝塚市など) 有馬郡  (北区や西宮市など) 菟原郡(灘区 東灘区 西宮市など) 八部郡神戸市中央区や長田区など) 

c 住吉郡(大阪市住吉区 東住之江区 平野区など) 

付記2平安時代の火葬の地について

① 三代集で、清濁抜きの平仮名表記で「とりへ」を詠う歌は、1首ある。

 1-3-1324歌 題しらず   よみ人しらず   (『拾遺和歌集』巻二十 哀傷)

     とりべ山たににけぶりのもえたたばはかなく見えし我としらなん

② 三代集以後の勅撰集より、清濁抜きの平仮名表記で「とりへ」を詠う歌を1首例示する。

 1-4-544歌 入道一品宮かくれたまひてさうそうののちさがみがもとにつかはしける    小侍従命婦

                (『後拾遺和歌抄巻第十』 哀傷)

はれずこそかなしかりけれとりべ山たちかへりつるけさのかすみは

詞書にある入道一品宮(脩子内親王)は永承4年(1049)27日薨。

③ 『新体系日本史15 宗教社会史』 2章:「中世の葬送と墓制」(高田陽介)によると、貴族の場合、奈良から平安初期は、所属氏族の本拠地とは無関係に、政府指定の葬地に夫婦別々に埋葬した。10~12世紀は出身氏族の共同墓地に埋葬・納骨した。女子にもその権利あり。(田中久夫の論究結果) また、一般の人々は、置き葬(野原や河原に遺体を置くだけ)であった。服忌と死穢が先にあり、この置き葬を択ばせた。血縁の家族だけが葬送の義務を負っていたのだから。

④ 『風土に刻まれた災害の宿命』(竹林征三講演会記録 近畿建設協会2014/3)によれば、平安時代、京の三大風葬地は、鳥辺野、化野(あだしの 西の嵐山の麓)、蓮台野北の船岡山の麓。鳥辺野は、東山三十六峰のひとつ、音羽山から阿弥陀ケ峰の麓、東福寺に至る一帯。六道珍皇寺は鳥辺野の風葬地を管理し死者に引導を渡す場所である。風葬地のほか水葬地があった。鴨川の川原(三条河原~六条河原)である。鴨川の一番大切な役割は死者の遺体を流し去ること。洪水は都市を清潔に保つためになくてはならないインフラシステムであった。

⑤ 『王朝文学文化歴史辞典』の「葬儀」の項によれば、洛中での火葬は禁止されていたので、郊外の東山・北山・西山において葬送が行われた。火葬は貴所屋(火屋とも)に棺を運び安置して、導師が説法を行い呪願師が呪願文を読み上げたのち、念仏僧が念仏をとなえるなか荼毘に付される。夜通し行われ明け方。収骨が行われ壺におさめる。

⑥ 律令の喪葬令には、つぎのようにある。

凡そ三位以上、及び別祖(分立した氏の祖)・氏宗(氏の長、大宝令には氏上とあった)は、並びに墓を営(ゐやう)することを得。以外はすべからず。墓を営すること得といふも、もし大蔵(だいぞう:古記によれば、火葬して散骨すること)せむと欲(ねが)はば聴(ゆる)せ。

 (付記終り 2018/8/27  上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集22~26歌 詞書はひとつ

 前回(2018/8/6)、 「猿丸集第26歌 かねてさむしも」と題して記しました。

 今回、「猿丸集22~26歌 詞書はひとつ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第22歌から26歌に関するこれまでのまとめ

① 『猿丸集』の第22歌から第26歌までは、同一の詞書の歌となっています。歌ごとの検討を終えましたので、この5首の関連などを確認し、詞書の現代語訳(試案)を今回再確認します。

② この歌5首を、改めて『新編国歌大観』より引用します。

3-4-22歌 おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめて

いみじういふとききけるに、よみてやる

ちりひぢのかずにもあらぬわれゆゑにおもひわぶらんいもがかなしさ

3-4-23

おほぶねのいづるとまりのたゆたひにものおもひわびぬ人のこゆゑに

3-4-24

人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし

3-4-25

      わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを

3-4-26

あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも

 

③ 3-4-22歌に記されている詞書の現代語訳(試案)を、3-4-22歌のブログ(2018/7/9)から、再掲します。

親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

④ この5首の歌本文について、その現代語訳(試案)を、それぞれの歌に関するブログから、再掲します。

3-4-22歌 (詞書は上記③に記しました)

 「塵や泥のように物の数にも入らない私が、懲りないであなたに近づく故に、あなたの親兄弟は、思い悲しむのであろう。それを承知して(あい続けてくれる)貴方のいとしさよ。」  

 

3-4-23

「大きな船が出港する停泊地はゆらゆら波が揺れ止まりしていないようですが、思いがいろいろ浮かび辛いことです。親に注意をうけても慕っていただける貴方のことで。」  

 

3-4-24

「自分達に関係ない(仲を裂こうとする)ことがごたごたしていて煩わしいこのごろで(逢えませんねえ。)、あなたが美しい宝石であるならば、手にまきつけることで(あなたとの一体となるので)、あなたをこれほど恋こがれることはないであろうに。」  

 

3-4-25

「いとしいあなたが私を恋していないということならば、秋霧が、咲いてそして散ってしまっている花の茎を折るということがおこるでしょう。(風ではない秋霧には、あり得ないことです。そのように、あなたの私への愛の変らないことを信じています。)」 

 

3-4-26

「山すそを長く引く山から冬に吹き下ろす激しい風は吹いてないけれども、毎夜逢いたいという私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」

 

2.この5首に関する検討 その1 類似歌追加検討

① 3-4-22歌の検討が中途半端でしたので、ここで補います。ブログ(2018/7/9)では、類似歌が2首あるのに歌の本文が殆ど変わらないので1首を代表として検討しました。歌の検討を、これまで類似歌記載の歌集での配列や詞書のもとにおいて行って来たのに、それをしていませんでした。

② その省いた類似歌をここで検討し、3-4-22歌の理解に資することとします。その類似歌は、『拾遺和歌集』記載の1-3-872歌です。

3-4-22歌の類似歌b 1-3-872歌   題しらず  

     ちりひぢのかずにもあらぬ我ゆゑに思ひふわぶらんいもがかなしさ 

③ この歌は、『拾遺和歌集』巻第十四 恋四にあります。最初に、配列等から検討します。

小池博明氏は、『拾遺和歌集』の構成を論じ、恋四は、恋の始まりから疎遠になり恋の別れまでの歌で構成する歌群を6つ重ねている、と指摘しています(『新典社研究叢書89 拾遺集の構成』)。

氏は、「(恋四の第二歌群(857~886)にある)871は「けっして(この女のもとには)来るまい」と誓っておいて、やはり逢いに行きたいと思い返した歌。つまり女に愛想をつかして関係の断絶を一度決意し、女にも伝えながら、翻意したのである。次の872では、男のためにつらい思いをする妻を、夫が愛しく思っており、男女が夫婦の関係にあることが知られる。復縁の意向を詠んだ871の後に位置して、夫の妻への表白(私に言う、逢瀬の詠歌)を詠む872からは、復縁が成就したことを読み取りえよう。この後は再び疎遠の段階の詠歌が続く。」と論じています。このような理解はこの歌集の歌として妥当であると思います。

④ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「塵や泥のように物の数にも入らない私の為に、復縁するまで辛い思いをしてきたであろう貴方が、いとしいことである。」

⑤ 既に検討した類似歌(萬葉集2-1-3749歌)は、無力の自分が原因で遣る瀬無い思いをさせている女を思いやっている歌ですが、この拾遺集1-3-872歌も、作者(男)のいたらない点(接する態度・相手への期待・自らの資金援助など)に起因して苦労を掛けた女を思いやっている歌です。これは萬葉集歌を知らなくとも小池氏の指摘するように『拾遺和歌集』の歌の配列から読み取れたのであり、そこに置くのにふさわしい(編纂者の意図する歌意となる)歌を、既知の歌から編纂者が見つけたということです。

作詠事情も作者名も伏せて「題しらず よみ人しらず」の歌に仕立るのは、『古今和歌集』以来の歌集編纂者の智慧です。(なお、『拾遺和歌集』編纂者がこの歌を『萬葉集』記載の歌として承知していいたかどうか、即ち『猿丸集』の編纂時点と『萬葉集』の古点の終了(歌を平仮名で読める)時点の前後関係は別途検討しなければらない課題です。)

このように、二つの類似歌は、作者との間に生じた問題で苦しむ女を思いやっている歌であり、これに対して3-4-22歌は、作者のために親どもとのいさかいに苦しむ女を思いやる歌です。

つまりふたつの類似歌と3-4-22歌とは、思いやる原因が異なります。この結果、3-4-22歌に関するブログの結論は変りませんでした。

 

3.この5首に関する検討 その2 シグナルの有無

① この5首は、みな相聞歌です。女の「おやども」が承知をしなければ悲恋に終わります。そのため、何らかの打開策を男(あるいは二人)は考えていたと思います。

そうすると、男のおくった歌には、その進捗を知らせる意味合いがあったかもしれません。その方法の一つとして二人の間で事前に約束した語句を、物名とか折句とすることが考えられます。それを確認します。

② 最初に、物名の歌の可能性をみてみます。当時の和歌は、清濁抜きの平仮名であったとして探しましたが、句またがりで、それらしき語句はありませんでした。

③ 次に折句の可能性をみてみます。各句の最初の文字の組み合わせは、次のとおりですが、意味を成す語句あるいは類推させる文字の並びが思い浮かびません。

3-4-22歌 ちかわおい

3-4-23歌 おいたもひ

3-4-24歌 ひしたてこ

3-4-25歌 わこあさは

3-4-26歌 あやふよか

④ このほか、あらかじめ特定の語句の使用を暗号文とする方法が考えられますが、解明する手掛かりがありません。

 

4.この5首に関する検討 その3 ことの成り行きと歌の順序

① 各歌と詞書の間に齟齬がないのは各歌のブログで確認した所ですが、この5首が、一連の歌であるか否かは未確認でした。

② この5首は、作者である男から一方的に女におくられており、返歌はこの歌集にありません。『猿丸集』の詞書を通覧してもこれらの歌の返歌を指すような詞書はありません。 「おやども」が厳しく監視することになった女のところに、この5首が本当に届けられたものであるならば、その返歌も同様な手づるで男のもとに届いたはずですが、『猿丸集』の編纂者は、記載を割愛しています。

 そのため、この5首が一連の歌であると認めるためには、『猿丸集』の記載順と歌の内容から判断するほかありません。

③ この詞書は、「おやども」が密会を知ったことによって状況が変化したことを明らかにしています。たとえ禁止されても逢いたい(連れ添いたい)という目的にむかって、今後の方針と実行案を作者である男は、女に急ぎ伝える必要が生じます。既に話し合っていたとすれば、そのとおり実行しますよという情報(合図)をおくらなければなりません。密会がばれても情報チャンネルの遮断がなかったことは、この5首の「歌をおくった」という詞書の書き方により、明らかです。

④ 作者は、「おやども」が密会を知った後、どのような行動をとったのでしょうか。一般的な行動の段階を想定し追ってみると、次表のようになります。

表:3-4-22歌以下五首の作者(男)の認識と行動

行動のステップ(想定)

作者(男)の認識

作者が伝えるべきこと

それを伝えている歌(推測)

歌を詠む出発点(現状認識)

a密会がばれたと知った

b更に厳しい親の折檻を予想 

a現状を把握しこと 

b今後の予想をしたこと

3-4-22歌(a)

 

対策案立案

現状打開策立案又は兼ねて打ち合わせていた案の提示

隠忍自重のみ

3-4-22歌

対策案実行開始の連絡

当方も計画通り実行していることの伝達

動き出したこと

3-4-23歌?

情報交換

a当方の計画の進捗報告

b適宜はげまし

a苦戦中

b1愛している

b2あなたの愛を信じる

3-4-24歌(a? b1)

3-4-25歌(a? b2)

3-4-26 歌(b2)

対策案徹底と進捗の連絡

親どもの許すまで我慢

耐えよう

3-4-26歌

並行して行う策の実行

親どもへの働きかけ(親族上司等への依頼、何らかの取引提案 など)

進捗を知らせる?

(3-4-22歌と?を付した歌か)

 

⑤ このように、この5首の順番は、作者(男)の行動ステップ(想定)に沿っているとほぼみることができ、作者(男)が女を説得していると思える順番にもなっています。歌をおくられた女からみると、『猿丸集』記載の順番に受けとることにより、作者(男)が事態の認識をしたうえ変わらぬ愛を誓ってくれていると理解できると思います。但し並行して行う策を作者(男)が実行したかどうか、歌からは不透明です。

このため、この5首は、ある一つの問題が生じたとき当事者の希望を全うしようとする一連の歌である、ということができます。

また、この5首が一連の歌であってもこの詞書で矛盾はありません。情報チャンネルがしっかりしているので、5回にわけておくったとすれば女との信頼が崩れなかったと思われます。

この5首が古歌に似ていれば、「おやども」に見つかっても相手の男からの歌ではないと言い張ることもできます。但し書きつけている用紙によって誰からおくられた歌(および文)かは解明されてしまいますが。

⑥ 悲恋に終わらせないためには、作者(男)と作者の親は、「おやども」と別途積極的に接触して打開を図らなければなりませんが、歌では直接それに触れていません。3-4-26歌にいう「やましたかぜ」に、「仲介者」の意があるとすると、進捗は疑問にみえる歌の内容です。ともかく、この二人はその後どうなったかは、わかりません。

⑦ では、作者は、どのような人物か。「おやども」からきつく阻止されているので、高位の貴族の息子ではなく、受領層の豊かな家系の息子でもないと推測します。一族の繁栄をおやどもは第一に考えているに違いありません。

 

5.この5首と類似歌群との関係

① 次に、類似歌との関係を5首まとめて検討します。(類似歌は付記1.に記載)

この5首は、3-4-21歌までの歌と同じようにその各々の類似歌と共通のことばを多く用いていても、趣旨を違えていました。

 これにより、『猿丸集』の歌に基づいて、その編纂時における各々の類似歌の理解が推理できる、ということの確率が高まりました。

② この5首の類似歌は、6首あり、『萬葉集』に5首、『拾遺和歌集』に1首です。

類似歌は、諸氏の訳例を当該ブログで示したうえ、当該歌集における歌の配列と語句の検討をすすめた結果、もう少し言葉を補う必要を感じた歌には、現代語訳を試みました。大方の諸氏の理解と異なる(試案)が2首に生じ、また3-4-24歌の類似歌2-1-439歌の(試案)2案並記のままです。

③ 『萬葉集』歌も『猿丸集』歌も意味が大幅に変わっていった語句を用いているとは思えません。

ただ、3-4-24歌にある「たまならば」のように、そのように形容することが廃れているのに用いている語句がありましたし、3-4-25歌で「秋萩」を避けており、作詠時点と『猿丸集』編纂時点が萬葉集の時代以後を示唆していると思われます。

④ 『猿丸集』の歌が、類似歌の異伝歌である、とする意見があります。その意見は、3-4-22歌以下の5首をそれぞれの類似歌に置き換えても一連の歌として3-4-22歌にある詞書のもとの歌として理解できる可能性がある、という主張に同じです。そのため、「3-4-22歌の詞書のかかる歌として、当事者の希望を全うしようとする一連の歌といえるかどうか」を、確認します。

⑤ 類似歌の現代語訳が各歌に関するブログ記載(付記1.②参照)のようのままであるとすると(詞書は類似歌と詞書にさらに『猿丸集』の詞書に従っていると仮定すると)、各歌ごとには次のように判断できます。

3-4-22歌の類似歌2-1-3749歌は、「無力の自分が原因で遣る瀬無い思いをさせている女を思いやっている歌」ですので、詞書にいう「おやどもにおしこめられている女」からみて、3-4-22歌と比べれば男の状況把握に不安がありますが、別れようという申し出でもなく、3-4-22歌の詞書に反する歌とまでは、言い切れません。もうひとつの類似歌1-3-872歌でも同じです。

 3-4-23歌の類似歌2-1-122歌は、「恋の進展のないことにより外見が変わったと訴えた歌」であり、相手を慰めていません。だから、上記表の行動ステップ欄のどこにも該当しない、3-4-22歌の詞書に相反している歌と言えます。

 3-4-24歌の類似歌2-1-439歌は、現代語訳が2案あります。

類似歌が439挽歌(案)の場合は、「死んだ女性を哀悼した歌」であり、3-4-22歌の詞書に反している歌です。

類似歌が439相聞歌(案)の場合は、「普通の状態における男女の相聞歌」です。2-1-3749歌と同じく、別れようという申し出でもなく、3-4-22歌の詞書に反する歌とまでは、言い切れません。

3-4-25歌の類似歌2-1-120歌は、「相手にされていない女に、作者自身がまだ訴えている歌」であり、3-4-22歌の詞書に反している歌です。

3-4-26歌の類似歌2-1-2354歌は、「来てくれない恋人に冬の寒さにことよせてさびしさを訴える歌」であり、「きみ」という表現の句があり、少なくとも男からおくる歌ではありませんし、3-4-22歌の詞書に反している歌です。

⑥ このような類似歌を、5首の替わりにならべても、当事者の希望を全うしようとする一連の歌として女に理解してもらえる構成になっているとは思えません。

即ち、この5首が、類似歌を参考にしつつも全く別の一連の歌である、ということになります。

⑦ 更に、類似歌を3-4-22歌の詞書のもとのみの歌として現代語訳を試みた場合を検討します。

3-4-22歌の類似歌2-1-3749歌は、ブログ記載の現代語訳のままで3-4-22歌の詞書に反していません。もうひとつの類似歌1-3-872歌でも同じです。

3-4-23歌の類似歌2-1-122歌は、相手を慰める歌に、やはり理解できません。3-4-22歌の詞書と違和感が大です。

3-4-24歌の類似歌2-1-439歌は、439相聞歌(案)の場合と同じ理解で3-4-22歌の詞書に反していません。

3-4-25歌の類似歌2-1-120歌は、相手を慰める歌に、やはり理解できません。3-4-22歌の詞書と違和感が大です。

3-4-26歌の類似歌2-1-2354歌は、男からおくる歌と理解しなおせませんので、3-4-22歌の詞書と違和感があります。

このように、3-4-22歌の詞書のもとにこの順序で並べた歌としての理解が困難です。そのため、類似歌そのものを『猿丸集』の歌22歌~26歌に替えることができません。

 『猿丸集』と『萬葉集』との関連については、第27歌以降にも類似歌に萬葉集歌があるので、それらの検討後に改めて検討することとします。

⑨ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。詞書が新たになります。

3-4-27歌  ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに

しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして

 

類似歌は2-1-1144歌。「摂津にして作りき よみ人しらず」  巻第七の雑歌にあります。

  しながとり ゐなのをくれば ありまやま  ゆふぎりたちぬ やどりはなくて 

(志長鳥 居名野乎来者 有馬山 夕霧立 宿者無而)

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/8/20   上村 朋)     

付記1.類似歌について

① それぞれの歌の類似歌を、『新編国歌大観』より引用する。

3-4-22歌の類似歌a 2-1-3749歌  中臣朝臣宅守与狭野弟上娘子贈答歌(3745~3807)

     ちりひぢの かずにもあらぬ われゆゑに おもひふわぶらむ いもがかなしさ 

(・・・於毛比和夫良牟 伊母我可奈思佐)

3-4-22歌の類似歌b 1-3-872歌   題しらず  

     ちりひぢのかずにもあらぬ我ゆゑに思ひふわぶらんいもがかなしさ 

3-4-23歌の類似歌  2-1-122     弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)

      おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

(・・・物念痩奴 人能児故尓)

3-4-24歌の類似歌  2-1-439歌 

和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440

      ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)

3-4-25歌の類似歌  萬葉集 2-1-120歌  弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122)

       わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

(吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

3-4-26歌の類似歌  2-1-2354歌  寄夜    よみ人しらず

     あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも

 なお、2-1-2354歌は、『猿丸集』編纂時点頃は、「あしひきの やましたかぜは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも」と訓まれていた可能性が高い。

② 類似歌の現代語訳(試案)を各ブログから再掲する。

3-4-22歌の類似歌a 2-1-3749歌 「夫である中臣朝臣宅守(やかもり)が妻の蔵部女嬬(くらのにょじゅ)狭野弟上娘子(さののおとがみのをとめ)におくった歌」

 「塵か泥土の如く、物の数でもない私の為に、思ひわびしがるであらう妹が、可愛いそうなことである。」(土屋氏の訳) (大方の諸氏の理解と同じ)

 

3-4-22歌の類似歌b 2-3-872歌 本文5.④に記載 (大方の諸氏の理解と同じ)

 

3-4-23歌の類似歌 2-1-122歌  「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」

 「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思ひに痩せてしまった。この乙女のために」 (大方の諸氏の理解と同じ)

 

3-4-24歌の類似歌2-1-439 「河辺宮で奉仕する宮人が、(難波の)姫島の松原での乙女の入水を聞き、悲しんで作った歌四首」 (ブログ2018/8/23の「7.」に記したように2案ある。)

A 439挽歌(案):「噂が飛び交う(なかなか逢うことも叶わなかった)ころ、あなたが玉となったならば、(貴方のお相手の方は)手に巻いて持ち、(恋で仕事が手に付かないことも)恋しく思うこともなかったであろうに(死んで霊となっても遅いです。)」  (大方の諸氏の理解と異なる)

 B 439相聞歌(案):「人の噂が激しいこの頃なので(逢えないで時が過ぎてゆきます)。貴方が玉であったらいつも手に巻いて持ち歩き(肌も触れ合い)いたずらに貴方を恋しく思うこともないでしょうに。」

(大方の諸氏の理解と同じ)

 

3-4-25歌の類似歌 2-1-120歌 「弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首(119~122)

「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」  (大方の諸氏の理解と異なる)

 

3-4-26歌の類似歌  2-1-2354歌 寄夜    よみ人しらず

「長く裾をひいた山を下りて来る強い風はないけれども、貴方のいない宵というものは、それだけで寒いものですねえ。」  (大方の諸氏の理解と同じ)>

(付記終り 2018/8/20  上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第26歌 かねてさむしも

前回(2018/7/30)、 「猿丸集第25歌 こひてあらずは」と題して記しました。

今回、「猿丸集第26歌 かねてさむしも」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第26 3-4-26歌とその類似歌

① 『猿丸集』の26番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-26歌 詞書 (3-4-22歌に同じ)

あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも

 

3-4-26歌の類似歌 2-1-2354歌  寄夜    よみ人しらず

      あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも

             足桧木乃 山下風波 雖不吹 君無夕者 豫寒毛

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句のいくつかの文字が異なり、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、相聞の歌で恋人と共にいることを詠う歌であり、類似歌は、相聞の歌ですが恋人が訪ねてくれない寂しさを詠う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第十のうちの「冬相聞」の最後の歌であり、 巻十の最後の歌でもあります。

巻第十は、春夏秋冬を各々雑歌と相聞に別け、冬相聞は、全部で18首です。その詞書(題詞)はつぎのとおりです。

無題  ( 2首)

寄露  ( 1首) 

寄霜  ( 1首)

寄雪  (12首)

寄花    1首)

寄夜  ( 1首)

② これらは、冬の風物に寄せて詠う相聞歌です。土屋氏の訳によれば、最初の詞書「無題」の歌は、長く思っていて逢えない歌と、もう長く逢ってないのを嘆く歌であり、以後「寄霜」の歌が、寒い夜に帰る男を引き留めている逢った直後の歌と思われる歌のほかは、逢っていない状況の心境の歌や相手を誘う歌ばかりです。

③ 詞書(題詞)の順序の基準はわかりませんが、詞書(題詞)ごとにそれぞれ独立した歌である、と思えます。男女の間も寒々とした状況の歌を揃えているかにみえる「冬相聞」の歌です。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳を試みると

① 詞書(題詞)を、現代語訳すると、

 「夜に寄する」

となります。「詠夜」との違いは未確認です。

② 歌について、諸氏の現代語訳の例を示します。

     長く裾を引いた山のあらしはまだ吹かないが、あなたのいない宵は、すでに寒いことです。」(阿蘇氏)

     「(あしひきの、は枕詞)山から吹き下ろす風は、吹かないけれど、君の居ない夜は、吹かない前から寒い」(土屋氏)

③ 阿蘇氏は、「やまのあらし」について、「万葉仮名の表記「山下風波」の「下風」の用例は、「山下風」の略とされる。山おろしの意がこめられているのであろう。」と指摘しています。

④ 土屋氏は、「民謡であろうが、それでも卑俗である」と評しています。

⑤ 五句にある「かねて」は、副詞であり、「あらかじめ、前まえ、そうなる以前、それだけで」、の意です。

⑥ 詞書に従い、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

     「長く裾をひいた山を下りて来る強い風はないけれども、貴方のいない宵というものは、それだけで寒いものですねえ。」  

 

4.3-4-26歌の詞書の検討

① 3-4-26歌を、まず詞書から検討します。3-4-26歌は、3-4-22歌の詞書がかかる数首のうちの一首ですので、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② その現代語訳(試案)を、3-4-22歌検討のブログ(2018/7/zz)から引用します。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

5.3-4-26歌の現代語訳を試みると

① 二句にある「やました風」というのは、『新編国歌大観』が拠っている西本願寺本の『萬葉集』における2-1-2354歌の訓と同じです。

西本願寺本の『萬葉集』における訓で清濁抜きの平仮名で「やましたかせ」と句頭にあるのは、2-1-74歌と2-1-1441歌とこの2-1-2354歌の3首であり、これら3首の『新編国歌大観』の訓はみな「やまのあらし」です。

 また、三代集において同様に句頭にある「やましたかせ」表記は、『古今和歌集』の1-1-363歌と『拾遺和歌集』の1-3-253歌と1-3-777歌の3首があります。

 その歌は、つぎのとおりです。

1-1-363歌  (巻第七 賀歌)  冬        そせい法し

       白雪のふりしく時はみよしのの山した風に花ぞちりける

1-3-253歌 (巻第四 冬) 右大将定国家の屏風に    つらゆき

       白雪のふりしく時はみよしのの山した風に花ぞちりける 

 1-3-777歌  (巻第十三 恋三)  題しらず      よみ人しらず

       あしひきの山した風もさむけきにこよひも又やわがひとりねん

 なお、『貫之集』には、清濁抜きの平仮名で「やましたかせ」と句頭にある歌は、上記1-3-253歌に相当する歌(3-19-2歌)以外ありませんでした。

このようなことから、貫之をはじめとした三代集の歌人たちは、『萬葉集』の万葉仮名の表記「山下風」を、「やましたかぜ」と訓んでいたのではないかと推測します。

『猿丸集』の編纂者も「やましたかぜ」と訓んだ歌として類似歌を理解していたと思われます。 即ち、

類似歌2-1-2354歌は、

  「あしひきの やましたかぜは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも」

であるので、3-4-26歌とは、清濁抜きの平仮名表記をすると、四句のいくつかの文字だけが異なり、詞書も異なる歌、となります。

西本願寺本の『萬葉集』の2-1-2354歌の訓はこの時代まで遡れ(付記1.参照)、梨壺の五人の『萬葉集』解読(天暦5年(951))以前から「やましたかぜ」と訓んでいた、ということです。

② 四句「よなよなこひは」とは、「夜ごと・毎夜の、私の乞い・願いは」、の意です。

③ 五句にある「かねて」とは、連語で、「以前から」の意です。なお、「かねて」ということばは、『猿丸集』では3-4-5歌においても用いられています。

④ 詞書に従い現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「山すそを長く引く山から冬に吹き下ろす激しい風は吹いてないけれども、毎夜逢いたいという私たちの願いは、以前と変りなくかなえられませんねえ。」

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-26歌では、作者の愛する女が置かれている状況を明かにしており、類似歌2-1-2354歌は 「寄夜」と、(冬の)夜に関する(相聞)歌、というだけです。

② 四句の意が異なります。この歌の四句(「よなよなこひは」)は、「夜ごとの私の願い」の意であり、当事者以外の者に起因して逢えない状況が依然として続いていることを示しています。

 これに対して、類似歌の四句(「きみなきよひは」)は、「貴方のいない宵というものは」の意であり、当事者の一方である相手が来てくれないことによって逢えない状況が依然として続いていることを詠っています。

③ この結果、この歌は、作者が困難を乗り越えようと訴えて恋人と共にいることを詠うのに対して、類似歌は、来てくれない恋人に冬の寒さにことよせてさびしさを訴える歌です。

④ 3-4-22歌からこの歌3-4-26歌までは、同じ詞書のもとの歌です。

 次回は、この五首を改めて検討し、これらの歌の詞書を確かめたいと思います。

 

⑤ ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/8/6   上村 朋)

付記1.私家集での清濁ぬきの「やましたかせ」が句頭にある歌

① 『新編国歌大観』第三巻によれば、清濁抜きの平仮名表記で句頭に「やましたかせ」とある歌は、3-100までの歌集では、3-1-168  3-3-172歌  3-4-26歌、3-19-2歌および3-15-426歌の5首ある。 

② 清濁抜きの平仮名表記で句頭に「やまのあらし」とある歌は、3-100までの歌集で、3-75-43歌(御堂関白集 )と 3-90-45歌の2首ある。(なお、三代集には無い。)

(付記終り 2018/8/6  上村 朋) 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第25歌 こひてあらずは

前回(2018/7/23)、 「猿丸集第24歌 ひとごと」と題して記しました。

今回、「猿丸集第25歌 こひてあらずは」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第25 3-4-25歌とその類似歌

① 『猿丸集』の25番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-25歌   <なし> (3-4-22歌の詞書をうける)

     わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを

 

3-4-25歌の類似歌  萬葉集 2-1-120歌  弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122)

       わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

(吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、一句から三句と五句の字句がすこしずつ異なり、また詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌3-4-25歌は、相手の女が作者を愛しているのを信じている、と詠い、類似歌2-1-120歌は、相手にされていない女がなびいてほしいと、作者は詠います。

 

2.類似歌の検討

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第二の「相聞」(2-1-85歌~2-1-140歌)にある歌です。

この歌の詞書(題詞)のもとにある4首は、先に検討した3-4-23歌のブログで、配列などを検討しすべて現代語訳を試みました。3-4-23歌の類似歌が2-1-122歌であったからです。

その際、「この4首は恋の進行順ではなく、すべて、逢うことができない状況で繰り返し訴えている、片恋の歌で、それぞれ独立している」ことを確認しました。(3-4-23歌に関するブログ(2018/7/16)の4.と5.参照) 

そして、この相聞歌4首は、「すくなくとも紀皇女を思い詠った弓削皇子ご自身の詠作(または代作者による詠作)というのには否定的」になったこと、「宴席等での弓削皇子ご自身の詠作(または代作者による詠作)という仮説」は残っており、弓削皇子に仮託して「諸方の歌を集めて集成した面」が強いという見方(伊藤博氏)もあることに触れました。

② 3-4-23歌に関するブログから現代語訳(試案)を引用します。

2-1-120歌 弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首」 (119~122)

「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」

③ 念のため諸氏の現代語訳の1例を示します。

     「吾妹子に戀ひ戀ひて生きてをれないならば、秋萩の咲けば散ってしまふ花になって散り失せ死ぬる方がましであろう。」(土屋氏)

 土屋氏は、「民謡の調子が感ぜられる。」と評しています。

④ 『萬葉集に萩を詠む歌は141首あり、その1/4以上が花の散り過ぎることに言及しています。つまり萩ならば散るものの代名詞です。「こひつつあらず」という認識は、諦めていないからであり、秋萩がすぐ散るように自分が諦める、と歌にして相手におくるより、それでも相手の心変わりを期待しているよ、と詠っておくり(民謡であれば謡い返し)、同じ相手との歌の応答を続けようとする、と思います。

 

3.3-4-25歌の詞書の検討

① 3-4-25歌は、3-4-22歌の詞書がかかる数首のうちの一首ですので、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② その現代語訳(試案)を、3-4-22歌に関するブログ(2018/7/9)から引用します。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

4.3-4-25歌の現代語訳を試みると

① 初句~二句「わぎもこがこひてあらずは」とは、相手の女が作者を恋いしていないということは」の意です。

② 五句「をらましを」は、動詞「折る」の未然形+推量の助動詞「まし」の終止形+詠嘆の間投詞「を」です。

③ 3-4-25歌を詞書に従って、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「いとしいあなたが私を恋していないということならば、秋霧が、咲いてそして散ってしまっている花の茎を折るということがおこるでしょう。(風ではない秋霧には、あり得ないことです。そのように、あなたの私への愛の変らないことを信じています。)」

 

5.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-25歌では、作者が愛する女の置かれている状況を明かにしており、類似歌2-1-120歌は、作者が愛を得たい女性の名だけ明らかにしているだけです。

② 初句~二句の意が異なります。この歌3-4-25歌の作者は、相手の女と信じあっており、類似歌2-1-120歌の作者は、片恋の状態です。

③ 詠っている花のイメージが違います。この歌3-4-25歌は、秋の花一般を言い、類似歌2-1-120歌は、秋萩のみです。

④ この結果、この歌3-4-25歌は、相愛の女に、変わらぬ愛を信じていると詠っています。これに対して類似歌は、相手にされていない女に、作者自身がまだ訴えています。

 なお、詞書にあるように、この歌は、「おやども」が「とりこめて」いる女に届けた歌です。届けられたのですから返歌も同様のルートをたどってもらえたはずです。相手の女から各歌ごとの返歌があったのかどうかの情報は詞書にありません。

⑤ 仲立ちした人が、この歌の類似歌を知っていれば、うろ覚えの古歌2-1-120歌)です、と取り繕うことが十分できる歌です。この歌を知った「おやども」が、古歌を諸氏の現代語訳の1例のように理解していたとすると、男は諦めたのかと、疑ったかもしれません。古歌を上記の現代語訳(試案)のように理解したとすると、まだ諦めていない、としか理解できないでしょう。この歌をおくられた女からみると、古歌がおくられてきたとは思っていないでしょうから、理解に迷いはない、と思います。

古歌(2-1-120歌)理解が、『猿丸集』編纂時にはどうであったか、を推測すると、諸氏の現代語訳の1例も『猿丸集』のここまでの歌の傾向に反しないので、その可能性が高いと思います。このような事態になった実際の例ではなく、編纂者の創作であれば、上記の現代語訳(試案)の可能性があります。『萬葉集』の解読作業を進めていた歌人であれば、上記の現代語訳(試案)にもたどり着くと思うからです。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-26歌  <詞書なし>

あしひきのやました風はふかねどもよなよなこひはかねてさむしも

3-4-26歌の類似歌は、2-1-2354歌  「冬相聞 寄夜 よみ人しらず」。巻十の最後の歌。

    あしひきの やまのあらしは ふかねども きみなきよひは かねてさむしも

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/7/30   上村 朋)

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第24歌 ひとごと

前回(2018/7/16)、 「猿丸集第23歌 ものおもひわびぬ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第24歌 ひとごと」と題して、記します。(追記 誤字脱字を2021/12/31訂正)

 

暑中お見舞い申し上げます。また、西日本豪雨で被災された再建・復興途上の皆さま、ボランティアの皆さま、関係機関の皆さま、暑さにご留意ください。夏休みとなった生徒さん、こまめに日陰に入り水分補給と休憩をしてください。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第24 3-4-24歌とその類似歌

① 『猿丸集』の24番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-24歌  <なし> (3-4-22歌の詞書をうける)

人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし

 

3-4-24歌の類似歌  『萬葉集』  2-1-439歌 

和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440

      ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句にすこし違いがあり、また詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌といえます。

それぞれの詞書を信じれば、相聞歌と挽歌に別れます。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第三の「挽歌」(418~486歌)にあります。全69首のうち、この歌の前後の詞書(題詞)をみてみます。

 

2-1-429歌  柿本朝臣人麿見香具山屍悲慟作歌一首

2-1-430歌  田口広麿死之時刑部垂麿作歌一首

2-1-431歌  土形娘子火葬泊瀬山時柿本朝臣人麿作歌一首

2-1-432歌~ 溺死出雲娘子火葬吉野時柿本朝臣人麿作歌二首

2-1-434歌~ 過勝鹿真間娘子墓時山部宿祢赤人作歌一首 幷短歌 東俗語云・・・

2-1-437歌~ 和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首

2-1-441歌~  神亀五年戊辰太宰師大伴卿思恋故人歌三首

2-1-444歌  神亀六年己巳左大臣長屋王死之後倉橋部女王作歌一首

2-1-445歌  悲傷膳部王歌一首

2-1-446歌~ 天平元年己巳摂津国班田史生丈竜麿自経死之時判官大伴宿祢三中作歌一首幷短歌

2-1-449歌~ 天平二年庚午冬十二月大伴卿向京上道之時作歌五首

 

このように、死亡・葬儀等の対象者が同じ人物という詞書はないので(「く」を削除)、詞書をまたがって他の歌と関連づけて理解しなければならない歌はないようです。

② なお、表現が似ている詞書があります。屍を見た、とする詞書です。

2-1-429歌   柿本朝臣人麿見香具山屍悲慟作歌一首

2-1-437歌~  和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首

前者が、「香具山(近くの路頭に横たわっている)屍」を「見た」、後者が、「姫嶋の松原にある美人の屍」を「見た」とあり、両者は「屍を見て歌を作った」としています(ただし、両者の作者は、前者が、『萬葉集』に多数記載のある人物(「の歌」を削除)、後者は無名でしかも女性(「の歌」を削除)。

また、『萬葉集』には、2-1-418歌の詞書「上宮聖徳皇子・・・・見竜田山死人悲傷御作歌一首」、2-1-220歌の詞書「・・・視石中死人柿本朝臣人麿作歌一首 幷短歌」という例もあります。

③ この歌の詞書(題詞)のもとにある最後の歌(四首目)には、次の左注があります。

「右、案ふるに、年紀(とし)と所処また娘子(をとめ)の屍の歌を作る人の名はすでに上にみへたり。ただし、歌の辞(ことば)相違ひ、是非別き難し。因りて塁(かさ)ねてこの次(つぎて)に載す。」

この左注に対して阿蘇氏は、「ほぼ同じ題詞をもつ二首(2-1-228歌と2-1-229歌)が巻二にある。その2首は題詞と歌に詠まれた場所が一致する。しかし、2-1-437~2-1-440歌は、題詞と詠まれた場所が離れすぎたり(437歌)、男性を偲んだり(438歌)、恋の相聞歌(439&440歌)。巻二とこの四首の間に資料の段階で、誤認による混同があったのであろう。」、と指摘しています。

 この2点は検討を要します。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

     人の噂の激しいこのごろ、あなたが玉であったら、いつも手に巻いていて恋しく思うことはないでしょうに。」(阿蘇氏)

     世間の人の言ふことのうるさい此の頃であるが、若し君が玉であるならば、手につけて持って、戀ひ思ふこともせずにありたいものを。」(土屋氏)

② 土屋氏は、「民謡風の相聞。(題詞にいう)美人(おとめ)生前における有様を作ったとしてもそのあまりに一般的な作風のために、特定の作者や時處を感ずることすらできない。」、と評しています。

 両氏の訳は、相聞の歌としての理解になっています。

③ なお、「てにまきつけて」という表現は勅撰集に有りません。

 

4.類似歌の検討その3 詞書の現代語訳の試みと作者について

① 詞書に関して現代語訳の例を示すと、つぎのとおり。

     「川辺宮人が姫島の松原で美人(おとめ)の死骸を見て悲しんで作った歌四首」(阿蘇氏)

② 作者の河辺宮人は、伝未詳です。宮人とは律令制における後宮の職名(従事する者は当然女性)です(奈良時代後半にいう女官)。

作者を宮人と職名で呼んでいるので、「河辺」とは、特定の天皇の宮が所在した場所の名と思われ、法隆寺金堂の薬師如来像光背銘に「川辺大宮治天下天皇大御身労賜時・・・」とあるそうです。

しかし、詞書にある和銅4年(711)のときの天皇元明天皇です。そして前年に平城京に遷都しています。臨時の宮であったかもしれませんが、河辺宮の所在地は不明です。

③ 姫島とは、淀川河口の三角州にある島の一つであり、記紀や『続日本紀』にも見える地名で、牧もあった島だそうです。2-1-228歌と2-1-229歌によれば「美人」は水死者です。多分自ら「入水」した者でしょう。

④ その姫島に、後宮を職場としている人が、実際に行った際に屍を「見」て歌を作った、というように詞書を理解するのは疑問があります。この疑問は、『萬葉集』巻第二にある、二首(2-1-228歌と2-1-229歌)の題詞についても「和銅四年歳次辛亥河辺宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作歌二首」(全文を引用したとあるので、該当します。

第一に、作者を、姫島に公務出張させる理由が見当たりません。第二に、宿泊所から公務外に、突発的に許可も受けずに外出できることが疑わしい。水死は突発的事件であったはずです。

また、第三に、2-1-229歌は、

なにはがた しほひなありそね しづみにし いもがすがたを みまくくるしも」

と、水死体(である屍)が水面に上がらないことを願っており、屍は、「目視」できない状態です。

このように、作者が「水死した乙女を見(目視し)た」というのは、不自然です。

作者が「見」るとすると、遺骸の一部など(遺髪とか、遺灰とか、形見とか)を、それも、平城京のどこかにそれが安置されていた場合です。後宮を職場としている作者にも忌引きや休暇を願うことはできますから。

⑤ これらのことから、2-1-429歌の詞書の「・・・見香具山屍悲慟作歌」を含めて、「見」という文字は、「見・・・屍」という表現においては、「仄聞」あるいは「文書によって知る」という意、あるいは下命による作詠を示唆する言葉とも理解した方がよいのではないか、と思います。目視しなければ追悼の歌が作れない訳ではありません。

少なくとも、ここにあげた三つの詞書の理解はこのほうが理に叶っています。

ついでに言えば、「作歌」という表現も、「その時あるいはその行事に披露された歌」あるいは「会合で話題となった際に披露された歌」を指す歌語とみなせます。前者は、朝廷が人々の死を悼む(あるいは遺族の生活を支えようと決意表明する)行事とか家族や一族が行う葬式の類です。

どこかで誰かによって披露されて人々は文字に残し、それが『萬葉集』の編纂者の手元に集まったのです。この歌の場合、同一の案件に対して二人の記録者がいた、ということになります。

⑥ このため、この詞書は、後宮を職場としている作者(女性)が、同性の若い人が自ら命を絶ったことを聞いて哀悼の歌を詠んだ、という趣旨のものである、となります。姫島に作者の同僚も行くのは不可能なので、命を絶った者は地縁あるいは血縁の者であるか、または、土屋氏がいうように当時のニュースとなった人ではないか、と思われます。

⑦ さらに、無名の女性の死を悼んだ歌で、作者が女性、というのは、1~4巻では、河辺宮人の一連の歌だけです。溺死した女性(氏名の記載無し)の追悼の歌(2-4-432)は、柿本人麿を作者にしています。

女性が、同性の女性の死に哀悼の歌を作っているので、この二人の共通点を探すと、姫島に近い地名に津国の河辺郡(現在の猪名川町周辺)があるので、その出身者同士かという推測ができます。そうすると河辺宮人とは、河辺郡出身の宮人という意となります。作者の名を隠すための方策が「河辺宮人」という名となったのかもしれません。

とにかく、女性が同性に哀悼の歌を作っている例を、巻第二の編纂者は記載したかったようで、それは巻第三の編纂者にも引き継がれている、と判断できます。

⑧ 『萬葉集』の各巻の編纂者のところには、官人が見聞し記録した歌が集まったと思います。この歌の作者とされる「河辺宮人」も、後宮で現に奉仕している女性に仮託した官人の作ということも考えられるところです。

⑨ このような検討の結果、詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「和銅四年辛亥の年に、河辺宮で奉仕する宮人が、(難波の)姫島の松原での乙女の入水を聞き、悲しんで作った歌四首」

 この(試案)と阿蘇氏の訳とでは、「見」という文字の理解が異なります。 「見」は、いわば歌語です。

 

5.この詞書の歌4首の現代語訳を試みると

① 詞書(題詞)を重視して『猿丸集』を今検討している立場からは、類似歌も詞書に従った理解による追悼歌として4首の検討を試みます。さらに諸氏のいうように2-1-439歌などは相聞歌としても検討したいと思います。

② この詞書のもとにある四首は、次のとおり。

2-1-437歌 かざはやの みほのうらみの しらつつじ みれどもさぶし なきひとおもへば

2-1-438歌 みつみつし くめのわくごが いふれけむ いそのくさねの かれまくをしも

2-1-439歌(類似歌) ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

2-1-440歌 いももわれも きよみのかはの かはぎしの いもがくゆべき こころはもたじ

 

③ 上記の現代語訳(試案)の詞書に従い、すべてを挽歌としての解釈を試みると、つぎのとおり。

すべて女性が、女性を追悼している歌としての解釈をしました。

 

2-1-437歌 

「風早の美保の浦回の海岸に咲く恨めしくおもえる白つつじは、見ても楽しくない。亡き人を思うと」

弓のように曲がって入り込んでいる海岸に対して「浦回」(うらみ)という歌語があります。三句「しらつつじ」は、相手の男性の比喩であり、作者も間近に接することができる職にいるような男性でしょうか。

 

2-1-438歌 

「勢いの盛んな伝説の久米の若子のように勇壮な若者が触れたのであろうか、そのために磯に咲く草が(時期を待たず)枯れてゆくのが惜しい。」(若者が戯れかけたのが原因でそれを信じた美人が死んだ。惜しいことではないか。)

土屋氏は、「詞書にいう歌とするには「くめのわくご」を普通名詞とみなければならない」、と評しています。

初句「みつみつし」は、久米にかかる枕詞であり、三句「いふれけむ」の「い」は歌語をつくる上代の接頭語です。四句にある「くさね」は「草根」であり、「根」は接尾語で特に意味はない、ともされていますが、ここでは、死にかかわる言葉と理解して、「草が根こそぎ(来年芽が出ないほど)」という意とします。

詞書(題詞)より女性一人が悲嘆にくれて水死したのを悼む、という理解をしました。女性の作者も同じような(高位の者の息子に遊ばれた)境遇にいるとみられます。

 

2-1-439歌 

「噂が飛び交う(なかなか逢うことも叶わなかった)ころ、あなたが玉となったならば、(貴方のお相手の方は)手に巻いて持ち、(恋で仕事が手に付かないことも)恋しく思うこともなかったであろうに。」(この現代語訳(試案)を439挽歌(案)ということにします。)

(別案追記:・・・玉であるならば、手に巻いて身近に感じ(、たよりもないのもあせることなく)恋しく思うことがあなたにもなかってしょうに)

相手の男が誠意ある男であったらば、このように思うであろう、と作者が詠ったと理解しました。

初句の「ひとごと」とは、万葉仮名で「人言」であり、「人のいうこと。うわさ。」の意です。

 土屋氏は、2-1-732歌に関して、「玉を愛人に比するのは当時の社会的表現」と説明しています。(付記1.参照) 

 

2-1-440歌 

「貴方(美人)も私も清らかな明日香川の両岸のような関係です。(明日香川は両岸がしっかりしていてこそ田畑は守られています。) その岸が崩れるような、貴方を裏切るような気持ちはもつまい(、と言ってくれていたら・・・)。」

初句から三句は、「悔ゆ」を起こす序詞です。

「いももわれも」は、普通、親しい間の男女を男性側からいう語句です。女性の挽歌として理解すると、2-1-439歌と同じように、相手の男が誠意ある男であったらば、このように思うであろう、と作者が詠ったと理解しました。

きよみのかは(清之河)とは、単に清い川の意で、土屋氏は、明日香浄御原宮、巻第十三にある2-1-3237歌の初句「清三田屋乃」の訓に準ずれば、明日香川の局地的呼称か、と推測しています。早く『萬葉集代匠記』に見える説です。

 

④ このように理解すれば、詞書にいう「水死の美人」を弔う歌とみなせます。

 土屋氏は、「当時の普通の習慣に従って変死者の霊を慰めるために作歌したのであらう」と評しています。又、この4首を「世に伝えられる民謡を河辺宮人に託して組み上げたもの」という見方をしていますが、題詞に沿って組みあげた、とまでは言っていませんので、合点するのに躊躇します。

⑤ 次に、現代語訳を、詞書は無視して、すべてをよみ人しらずの相聞歌として試みると、つぎのとおり。作者を女性に限定しません。

 

2-1-437歌 

「風早の美保の浦回の海岸に咲く恨めしくおもえる白つつじは、見ても楽しくない。かけがえのない人を思うと」

五句の万葉仮名は「無人念者」です。「なきひと」とは、「(比べる人が)無いも同然の人、すなわち、自分にとりかけがえのない人」、の意と推測しました。「亡き人」では相聞歌という理解が困難です。

「白つつじ」とは、かけがえのない人の病気とか、地方勤務とかが想定できます。

 

2-1-438

 「意気盛んな久米の若者が触れたであろうこの磯にある草が枯れる。それは惜しいことよ(草に咲く花には見頃があるのに見過ごしてしまって。私もおなじですよ。)」

  「久米の若子」とは、久米歌のある久米氏と関係があるかどうかわかりません。

 

2-1-439

「人の噂が激しいこの頃なので(逢えないで時が過ぎてゆきます)。貴方が玉であったらいつも手に巻いて持ち歩き(肌も触れ合い)いたずらに貴方を恋しく思うこともないでしょうに。」(この現代語訳(試案)を以後439相聞歌(案)ということにします。)

 

2-1-440

「貴方(美人)も私も清らかな明日香川の両岸のような関係です。(明日香川は両岸がしっかりしていてこそ田畑は守られています。)その岸が崩れるような、貴方を裏切るような気持ちはもつまい(約束を必ず守りますよ)。」

作者は男であり、挽歌と理解するよりも素直な歌です。現代語訳(試案)の文言は作者が女性である挽歌とほとんどかわりません。

 

⑥ このように、4首は、相聞歌として現代語訳(試案)が出来ました。

今、詞書を重視して『猿丸集』を検討しており、挽歌の歌意を理由なく無視するのは方法論として矛盾してしまいます。しかし、諸氏が採用している相聞の歌という理解は有力です。

 『萬葉集』歌の理解は、『猿丸集』編纂時の歌人たちの類似歌についての理解が前提ですので、この2-1-439歌をどちらの理解をしたのか判断材料が見つかりません。

このため、類似歌の現代語訳(試案)を1案に固定せず、この歌(3-4-24歌)の現代語訳を試みます その(試案)や前後の歌などを再考する機会まで、類似歌の現代語訳(試案)は複数のままとします

 

6.3-4-24歌の詞書の検討

① 3-4-24歌は、3-4-22歌の詞書と同じであり、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② 現代語訳(試案)を、3-4-22歌に関するブログ2018/7/9より引用すると、つぎのとおり。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

7.3-4-24歌の現代語訳を試みると

① 初句にある「人ごと」は、「人事」であり「自分または自分たちに関係ない、よそのこと。」の意です。

② 二句にある「しげき」」とは、「多い」とか「頻繁にあり絶え間がない」、という意より「ごたごたして煩わしい」意を採ります 五句「こひずぞあらまし」は、上二段活用の動詞「恋ふ」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連用形+係助詞「ぞ」+連語「有らまし」です。

 打消しの助動詞「ず」は活用語の未然形に付くので、「こひ」は動詞の未然形となります。連語「有らまし」は、事実とは異なる状態を想像して、そうあったらよいのに、という気持をあらわします。(動詞「乞ふ」は四段活用であり、その未然形は「乞は」)

④ 詞書に従い、現代語訳をこころみると、つぎのとおり。

「自分達に関係ない(仲を裂こうとする)ことがごたごたしていて煩わしいこのごろで(逢えませんねえ。)、あなたが美しい宝石であるならば、手にまきつけることで(あなたとの一体となるので)、あなたをこれほど恋こがれることはないであろうに。」(付記2.参照)

 

8.この歌と類似歌とのちがい 

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-24歌は、詠む事情を述べており作者(男)と相手の女性との関係を明かにしています。

これに対して類似歌2-1-439歌が439挽歌(案)であれば、詠む事情を述べていますが、作者(女)と相手(水死した女性)との関係は不透明です。類似歌2-1-439歌が439相聞歌(案)であれば、「題しらず」と同じであり、詠む事情は不明です。

② 初句「ひとごとの」の意が異なります。この歌3-4-24歌は、「人事(が)」であり「自分たちの仲を裂こうとする家族・一族の行動」、の意です。類似歌2-1-439歌は、439挽歌(案)や439相聞歌(案)のどちらであっても万葉仮名が「人言之」であるので、「噂(が)」、の意です。

③ 二句の副詞の意が違います。この歌は、「このごろ」と表現し、この歌を詠っている今日この頃、という意です。類似歌が439挽歌(案)であれば、「このころ」は、必然的にこの歌を詠っている時点より遡った「噂になったあのころ」を意味します。類似歌が439相聞歌(案)であれば、この歌と同じく歌を詠っている時点の頃」となり、違いはありません。

④ この結果、この歌は、親たちが監視する状況がつづいている女と作者との変わらぬ愛を男の立場で表現した歌ですが、これに対して類似歌は、439挽歌(案)であれば、死んだ女性を哀悼した歌です。

また類似歌が439相聞歌(案)であれば、普通の状態における男女の相聞歌です。親の監視の度合いが違い、この歌が、いわば、逆境にいる者へ送った歌とすれば、類似歌439相聞歌(案)は土屋氏のいう民謡がベースの歌で順境にいる者へおくった歌です。

⑤ 『猿丸集』のこれまでの各歌とその類似歌との関係がこの3-4-24歌にも当てはまるとすると、この歌が相聞歌であるので、類似歌は、439挽歌(案)である可能性が高い。

しかし、これは、それぞれの詞書(題詞)にも合致する、とは即断できないし、『萬葉集』にあるこの歌を含む4首に対する左注との整合性が問題となります。『猿丸集』の編纂者が2-1-439歌だけに注目したとすれば、妥当な結論といえます。

 これに対して類似歌を439相聞歌()とすると、共に相聞歌でありその違いは、二人の置かれている環境(女の親どもとの緊張の度合い)の違いであり、その厳しい環境でも愛しあう者へ送った歌と、恋愛遊びの対象者へも送れる程度の軽い気持ちの歌にもなり得る歌との違いとなります。『萬葉集』にあるこの歌を含む4首に対する左注の指摘を正しいとすることになります。

『猿丸集』の編纂者の時代に、類似歌の理解が439挽歌(案)か439相聞歌(案)どちらの案であったか今のところなんとも言えません。どちらの案であっても、この歌の理解が変わるわけではありませんので、

1案に絞るのは暫く保留し、2-1-439歌の理解も複数の案のままで検討を続けることとします。

 『猿丸集』の歌は、まだ24首目の検討であり、まだ半数にも至っていません。

 

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-25歌  <詞書なし>

       わぎもこがこひてあらずはあきぎりのさきてちりぬるはなをらましを

3-4-25歌の類似歌 2-1-120  弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122)

          わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらましを

 (吾妹児尓 恋乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/7/23   上村 朋)

付記1.『萬葉集』における「たまならば(玉有者)」の用例

① 「たまならば(玉有者)」の用例は3首ある。みな、「手に巻き」と続く。

2-1-150 巻三挽歌:天皇崩時婦人作歌 姓氏未詳

   うつせみし ・・・ さかりゐて あがこふるきみ たまならば てにまきもちて(玉有者 手尓巻以而) きぬならば ぬくときもなく ・・・

2-1-439  この類似歌(本文1.参照)

2-1-732 巻四 相聞:大伴坂上嬢贈大伴宿祢家持歌三首(732~734)

たまならば てにもまかむを(玉有者 手二母将巻乎) うつせみの よのひとなれば てにまきかたし 

 

付記2.「しげきこのころ」について

① 『萬葉集』『新編国歌大観』記載の『萬葉集』には、「このころ」と訓む歌はあるが、「このごろ」と訓む歌はない。

② 上記『萬葉集』で、「このころ」と訓む万葉仮名を例示すると、つぎのとおり。

     句頭に「しげきこのころ」とあるのは、2-1-2370歌に「繁比者」、2-1-439歌に「繁比日」。西本願寺本の訓では2-1-2863歌に「繁時」(『萬葉集』の訓では「しげきときには」)

     「このころは」と訓む「比日者」(2-1-651歌)、「比者」(2-1-689歌)、「比来者」(2-1-770歌)、「頃者(名付)」(2-1-3069歌)

     「このころは」と訓む「己能許呂波」(2-1-3748歌、2-1-3790歌)

     「このころの」と訓む「比日之」(2-1-1609歌、2-1-2186歌)、「比者之」(2-1-2217歌、2-1-2530)、「比来之」(2-1-3880歌)

③ 『新編国歌大観』記載の三代集には、句頭に「このころ」とある歌はないが、句頭に「このごろ」とある歌は2首ある(1-3-1037歌と1-3-1118歌)。そして句頭に「しげきこのごろ」とある歌が1首ある(1-3-566歌)。

(付記終り 2018/7/26  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんか 猿丸集第23歌 ものおもひわびぬ

前回(2018/7/9)、 「猿丸集第22歌 おもひわぶらん」と題して記しました。

今回、「猿丸集第23歌 ものおもひわびぬ」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の23番目の3-4-23歌とその類似歌

① 『猿丸集』の23番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-23歌   <なし>(3-4-22歌の詞書をうける)

おほぶねのいづるとまりのたゆたひにものおもひわびぬ人のこゆゑに

 

3-4-23歌の類似歌   万葉集 2-1-122     弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)

      おほぶねの はつるとまりの たゆたひに ものもひやせぬ ひとのこゆゑに 

(・・・物念痩奴 人能児故尓)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句の一字と四句の三字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、熱愛の相手を慰めている歌であり、類似歌は、逢えないため痩せてきたと相手に訴えた歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『萬葉集』巻第二の「相聞」(2-1-85歌~2-1-140歌)にある歌です。

この歌の前後の歌の詞書(題詞)をみてみます。

但馬皇女高市皇子時思穂積皇子御作歌一首(114)

穂積皇子近江志賀山寺但馬皇女御作歌一首(115)

但馬皇女高市皇子時竊(ひそかに)接穂積皇子事既形而御作歌一首(116)

人皇子御歌一首(117

舎人娘子奉和歌一首(118)  

弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)

三方沙弥娶園臣生羽之女幾時病作歌三首(123~125

石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首 

    即佐保大納言大伴卿第二子母曰巨勢朝臣(126)

大伴宿祢田主報贈歌一首(127)

同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首(128

大津皇子宮侍石川女郎贈大伴宿祢宿奈麿歌一首

    女郎字曰山田郎女也、宿奈麿宿祢者大納言兼大将軍卿之第三子也(129

② これらの詞書(題詞)の末尾は、「・・・御作歌◯首」、「・・・御歌◯首」、「奉和歌◯首」、「・・・作歌◯首」、「・・・贈・・・歌◯首」、「・・・歌◯首」という書き分けがなされています。

類似歌が該当する詞書(題詞)「弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122)」は、「・・・御歌◯首」のタイプであり、弓削皇子の歌、ということになります。

③ 「相聞」の部の歌の作者名をみると、巻第二の編纂者は、「相聞」の歌をほぼ編年体に配列し、そして天皇家一族を優先しています。このような詞書(題詞)の並びをみると、他の詞書に関係なく、当該詞書において独自性のある歌であれば、この歌はよい、ということになります。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 詞書(題詞)の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

弓削皇子が、紀皇女を思う御歌四首(119~122)

この詞書(題詞)は、「・・・御歌◯首」とあり、「・・・御作歌◯首」と記されていないので、弓削皇子ご自身の詠作とこの文言からは断言できません。さらに、弓削皇子の歌という建前で記載した歌、とも理解できます。

以下では、弓削皇子ご自身の詠作(または代作者による弓削皇子の歌)という仮説を確認するという方法で検討します。

② 諸氏の現代語訳の例を示します。

・「大きな船が停泊する港の波がゆらゆら揺れるように、揺れる思いにすっかり痩せてしまった。あの人のせいで。」(阿蘇氏)

・「大船が碇泊する港において、揺れ動いて定まらぬごとく、ためらいながら物思ひに痩せてしまった。此のをとめのために」(土屋氏)

③ 阿蘇氏は、五句に関して、「万葉集において「人の兒(子)」の用例は10例。(大伴家持作の)2-1-4118歌(「賀陸奥国出金詔書歌一首幷短歌」 )では子孫の意だが、そのほかは親を持つ子の意、つまり恋や妻問の対象になる女性。現に対象としているという限定は必ずしもない」と指摘し、土屋氏は、「民謡の改作、あるいは民謡をそのまま用いたか。相聞の歌には多い(傾向)。「たゆたひ」の主語は船」と指摘しています。

④ 初句~二句は、三句にある「たゆたひ」の序と諸氏が指摘しています。動詞「たゆたふ」とは、「ためらう。ちゅうちょする」意と、「漂う」意とがあります(『例解古語辞典』)。

 

4.類似歌の検討その3 現代語訳を試みると

① 初句と二句に、格助詞「の」が重ねて用いられています。三句の「たゆたふ」という動詞の主語が「おおふね」です。初句の「の」は、主語であることを明示する主格の助詞であり、二句の「の」は、「たゆたふ」場所を限定している連体格の助詞である、となります。

 停泊している舟、それも当時の大きな船は、波の比較的穏やかな停泊地においても揺れ続けている、というのは、当時の常識であったのでしょう。

② 四句は、恋の一般論でもありますが、詞書により、ここでは、一般論に当てはまる人物である私が現にここにいる、ということを 言っています。

③ 作者とされる弓削皇子は、天武天皇の皇子のひとり(母は天智天皇の皇女)であり、267歳で薨去されています。

紀皇女は、天武天皇の皇子である穂積皇子(母は蘇我赤兄の娘)の同母妹であり、二人が実際に結婚を念頭に置いていたのかどうかは推測する資料もなく不明です。弓削皇子は、持統天皇から、皇位継承の有資格者として警戒されていたとの諸氏の指摘があります。そうであれば、皇子(が中心の一族)同士の結託ともとられかねない行動には弓削皇子側は慎重になっていたであろうとみるのが常識的な推測ではないでしょうか。

弓削皇子への献呈歌(作者未詳)が、『萬葉集』第第九 雑歌にあるところをみると、同じように巻第九に献呈歌のある忍壁皇子や舎人皇子とともに、和歌を披露する機会を私的に設ける(人々が参集する)ことができる立場に弓削皇子はあったと思われるので、それだけでも弓削皇子は自分の置かれている政治的立場を認識せざるを得ないと思います。

この相聞歌4首も、政治的に、言い訳ができる歌を詠んでいるとみるのが妥当であろうと思います。

④ 弓削皇子の作とする歌が、『萬葉集』に8首あります。そのうちで歌を贈った相手からの返歌が記載されているのは額田王におくった一首だけです。相聞歌として扱われていますが、相手への思いより共通の話題を互いに詠っている歌です。また、諸氏のいうように紀皇女が浮名の立ちやすい人物と評判になっていたとすると、その人物を想定した片恋の一連の歌は、同じ皇族のひとりである弓削皇子が詠うならば、さもありなん、という範疇のこととして評判になり得る、とおもいます。

 この詞書(題詞)のもとの4首に対し、(代作依頼も可能な立場にいる)紀皇女の歌は『萬葉集』にありません。だから私的に二人が逢ったことには『萬葉集』歌からは否定的です。穂積皇子と但馬皇女の場合は、両者の歌が『萬葉集』巻第二の「相聞」に記載されおり、舎人皇子と舎人娘子の場合も同じですが、弓削皇子と紀皇女の場合は、巻第二の編纂者にとり、そうしたくともできる材料がなかった、とも推察できます。

 このようなことから、この相聞歌4首は、すくなくとも紀皇女を思い詠った弓削皇子ご自身の詠作(または代作者による弓削皇子の歌)というのには否定的になります。しかし、宴席等での弓削皇子ご自身の詠作(または代作者による弓削皇子の歌)という仮説は、残ります。

また、弓削皇子に仮託して「諸方の歌を集めて集成した面」が強いという見方(伊藤博氏)もあります。

⑤ そのため、作者の特定はせず、この歌は、大人の男女の軽い相聞歌と理解します。土屋氏のいう「民謡を用いたか」という意見の方向と同じであります。(下記「5.⑦」及び付記1.参照)

⑥ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「大船が、(例えば住之江の津のような)波の静かな港に停泊している時も、揺れ動き続けている。そのように、私はずっと捕らわれたままで、物思ひに痩せてしまった。この乙女のために」

 大船の動きに自分を喩えているのは、相手にへりくだっている印象がありません。贈られた女性はどう思うでしょうか。

 2-1-122歌の四句の万葉仮名は、物念痩奴」ですが、痩」という漢字を用いてなければ、また違った理解も生じたところです。即ち、四句「ものもひやせぬ」を、動詞「ものもふ」の連用形+係助詞「や」+動詞「為」の未然形+打消しの助動詞「ず」の連体形とする理解です。歌の趣旨が変わってしまうところです。

 

5.同一の詞書(題詞)の歌について

① 同一の詞書(題詞 「弓削皇子思紀皇女御歌四首」)に4首ありますので、そのなかにおける類似歌の独自性を確認することとします。

 なお、2-1-120歌は、『猿丸集』の3-4-25歌の類似歌であり、その3-4-25歌の詞書は、この歌3-4-23歌と同じです。

② 2-1-119歌 

    よしのがは ゆくせのはやみ しましくも よどむことなく ありこせぬかも

現代語訳を試みると、つぎのとおり。

吉野川の早瀬のところが暫くの間でも淀まないように、私の場合もなってくれないものかなあ。」)

 

③ 2-1-120

    わぎもこに こひつつあらずは あきはぎの さきてちりぬる はなにあらまし

  (吾妹児尓 乍不有者 秋芽之 咲而散去流 花尓有猿尾)

 

現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「あの人にいくら恋しても詮無い状態になってきたが、それでも、あの人が、(私の愛でる)秋萩のように咲いたら散るという花であってくれたらなあ」

③ 作者の弓削皇子は、「こひつつあらずは」を2-1-1612歌でも用いています。

「こひつつあらずは」を阿蘇氏は「恋い続けていないで」と訳しています。つまり相手にされていないことに気が付いたが恋を作者は諦めているわけではないので、の意です。だから、三句以下は、相手の心変わりを期待している意であると、理解しました。

連語「有らまし」は、事実とは異なる状態を想像し、そうあったらよいのに、という気持ちを表わします。

「こひつつあらずは」と表現する歌は、『萬葉集』に18首あります。良く詠われているフレーズといえます。

④ 三句にある「あきはぎ」の万葉仮名は、「秋芽之」です。『萬葉集』における「はぎ」 の詠み方について、『新日本文学大系1萬葉集1(佐竹他)で、「萬葉集に萩を詠む歌は141首。その1/4以上が花の散り過ぎることに言及し、平安朝以後の萩の歌が下葉の紅葉や露を好んで主題とするのとは傾向を異にする。「萩」の字は万葉集に登場しない。『新撰万葉集』も「芽」の字。」と指摘しています。

ハギ(萩)は、マメ科ハギ属の落葉低樹で、高さ1.5m位で細い枝が土にしだれます。花が総状につきます。紅紫の花や白もあります。万葉時代には、野の花であり、ハギのあるところは、生活空間の周辺であり郊外を彷彿とさせることばです。

⑤ なお、土屋氏は、「こひつつあらずば」と訓み、『萬葉集私注』で論じています(十巻18p~)。また、「恋愛心の表現にすぐ生死を言ふのは萬葉集(時代の人)の表現技法だけの問題」として、次のように訳し、 2-1-119歌と同様民謡などの調子が感ぜられる、と氏は評しています。

「吾妹子に戀ひ戀ひて生きてをれないならば、秋萩の咲けば散ってしまふ花になって散り失せ死ぬる方がましであらう。」

諸氏の多くも、このようであれば作者は花になったほうがましだ、と詠っていると解釈していますが、この歌を相手におくったら、「ご勝手にどうぞ」と言われる可能性があります。そのような返歌の心配のない歌を詠んだのだと主張する立場に作者を置いて理解した(相手に哀願する歌を贈る)ほうが、相聞歌としてよい、と思います。

 

⑥ 2-1-121

    ゆふさらば(暮去者) しほみちきなむ すみのえの あさかのうらに たまもかりてな

 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「もしも夕方が過ぎると、(暗さが本格的になるし)潮は満ちて来てしまう。だから、住之江の浅香の浦の (この夕方という時間帯のうちに)玉藻を刈ってしまいたい。」

初句は「ゆふされば」ではなく「ゆふさらば」であり、名詞「夕」+動詞「去る」の未然形+助詞「ば」です。

「夕(べ)」は、夜を中心とした時間の始まりで、「夕映え」という語からも知られるように、日暮れ時分で、まだ暗くない頃であり、「宵」が「夕(べ)」に続く暗い時間です(『例解古語辞典』)。

⑦ 4首を比較すると、2-1-122歌は現代語訳(試案)のように2-1-121歌と住之江という地名が共通ともとれますが、最後の2-1-122歌も含めこの4首は恋の進行順ではなく、すべて、逢うことができない状況で繰り返し訴えている、片恋の歌で、それぞれ独立しています。

⑧ 片恋の歌であることは、弓削皇子紀皇女は結びつかなかったという理解をしてもらえる材料の一つになるでしょう。また、誰かが、皇女と皇子の間の片恋の歌に仕立てるとしても弓削皇子20代で薨じており子孫への迷惑もない存在だったのではないでしょうか。

 

6.3-4-23歌の詞書の検討

① 3-4-23歌は、3-4-22歌の詞書がかかる数首のうちの一首ですので、その詞書を再掲します。

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやる

② その現代語訳(試案)を、3-4-22歌に関するブログ(2018/7/9)から引用します。

「親や兄弟たちが私との交際を禁じてしまった女に、親の目を盗んで逢っていることをその親たちが知るところとなり、女を押し込め厳しく注意をしたというのを聞いたので、詠んで女に送った(歌)」

 

7.3-4-23歌の現代語訳を試みると

① 初句の「おほぶね」という表現は、『萬葉集』に多数ありますが、『古今和歌集』には1首のみです。題しらず・よみ人しらずの歌であり、作詠時点を推測すると、『猿丸集』の同時代の歌あるいはその直前の歌、とみてよい、次の歌です。

1-1-508歌  題しらず            よみ人しらず

いで我を人なとがめそおほ舟のゆたのたゆたに物思ふころぞ  

「おほ舟」が「ゆたのたゆたに」なる、と表現している歌です。この表現は、2-1-122歌と同じ発想です。「おほ舟」はどの停泊地においても揺れてしまうもののようです。

② 初句~二句「おほぶねのいづるとまりの」とは、大船が出向する港、即ち、「大問題が生じている(親どもが折檻するという)一家・一族」、の意となります。

③ 三句「たゆたひに」の主語は、「とまり」であり、女の一家・一族を指します。

④ 四句「ものおもひわびぬ」となる理由が、五句です。「もの」とは、個別の事情を明示しないで一般化していっている語句であり、「おもひわぶ」とは、つらいと思う、思い悲しむ意であり、「ぬ」は、完了の助動詞「ぬ」の終止形です。家族にとりこめられている女になにもしてやれない無力さを感じていることの表現です。

⑤ 五句の「ひとのこ」は、特定の人物を念頭においた表現の「人」で、その意は、詞書より「とりこめられていみじう」されても作者を慕ってくれている女」を指しています。つまりその女と作者は愛し合っています。

⑥ これらの検討の結果、3-4-23歌の現代語訳を、詞書に従い試みると、つぎのとおり。

「大きな船が出港する停泊地はゆらゆら波が揺れ止まりしていないようですが、思いがいろいろ浮かび辛いことです。親に注意をうけても慕っていただける貴方のことで。」

⑦ 「親ども」は、この歌を当然知るところとなるでしょう。『萬葉集』記載の類似歌を承知していれば、歌人としての才は認めてもらえたかもしれません。それだけで交際が許されるとは思えません。

 

8.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。 この歌3-4-23歌は、作者が愛する女の置かれている状況を明かにしており、類似歌2-1-122歌は作者が愛を得たい女性の名だけ明らかにしているだけです。

② 二句の語句が異なります。この歌は、「いづるみなと」で出発する港の意で、問題が発生していることを示唆しています。類似歌は「はつるとまり」で停泊する港の意で、停泊しているのにかかわらず揺れるという表現につながり、気持ちのおちつかないことを示唆しています。

③ 四句の動詞が異なります。この歌は、「おもひわび(ぬ)」で、心に関しての動詞です。類似歌は、「やせ(ぬ)」で外見に関しての動詞です。

④ 五句の「ひとのこ」の意が異なります。この歌は、特定の人物を念頭においた表現の「人」で、その意は、詞書により、おやどもに「とりこめられていみじうされても作者を慕ってくれている女」を指しています。そしてその女と作者は愛し合っています。

類似歌は、特定の人物を念頭においた表現の「人」であるのは変わりなく、詞書により紀皇女を指していますが、軽い相聞歌なので、その二人の関係は、作者の片思いであってもかまわないものです。

⑤ この結果、この歌は、愛情を交わした女に対する作者の心のうちを詠って、相手を慰める歌であり、類似歌は、恋の進展のないことにより外見が変わったと訴えた歌です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-24歌  <詞書なし>

人ごとのしげきこのごろたまならばてにまきつけてこひずぞあらまし

類似歌は万葉集2-1-439:和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440

ひとごとの しげきこのころ  たまならば てにまきもちて こひずあらましを

(人言之 繁比日 玉有者 乎尓巻以而 不恋有益雄)

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌ともいえます。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/7/16   上村 朋)

付記1.弓削皇子について

① 弓削皇子は、天武2(673)に生れ(寺西貞弘氏ら)。持統天皇7年(693)同母兄長皇子とともに浄広井弐。持統天皇10(696)高市皇子薨去後の皇嗣選定会議において4歳ほど年長にあたる葛野王に叱責されている。そのような会議に出席できる立場なので、発言が政治的に解釈されることを理解していたと思われる。文武天皇3(699)歿。

② 弓削皇子の作の歌とある歌は、『萬葉集』に8首ある。相聞の歌6首と雑の歌2首である。

このほか献呈歌(作者未詳)が、『萬葉集』第第九 雑歌にある。

③ 相聞の歌6首は、つぎのとおり。

2-1-111歌 幸于吉野宮時弓削皇子贈与額田王歌一首

    いにしへに こふるとりかも ゆづるはの みゐのうへより なきわたりゆく

 この歌は、巻第二の相聞にある。この歌に対して、額田王は「額田王奉和歌一首 従倭京進入」と題する歌(2-1-112)と「従吉野折取蘿生松柯遣時額田王奉入歌一首」と題する歌(2-1-113)2首を贈っている。

この歌のみに返歌がある。男女の間の歌の交歓なので、雑ではなく、相聞とされたと推測できるが、共通の話題について互いに詠っており、この歌の贈答は、昔を忍ばせる贈り物に添えた歌のように感じられる。

 

2-1-119歌以下の4首( 弓削皇子思紀皇女御歌四首)は、本文5.参照。

この四首は、巻第二の相聞にある。この四首に応えたと思われる紀皇女の歌は、『萬葉集』に記載がない。

2-1-1612歌 弓削皇子御歌一首

      あきはぎの うへにおきたる しらつゆの けかもしなまし こひつつあらずは

 この歌は、巻第八 秋相聞30首の3番目の歌である。下句「けかもしなまし こひつつあらずは

」が同じとなる歌が、2-1-2258歌など3首ある。五句の表現の歌は『萬葉集』に18首ある。

 類歌が、巻第十に3首あり、土屋氏はこの歌も「本来は民謡であったのを巻第二との類似により、弓削皇子に帰せしめられたたのであらう」、と指摘している。

④ 雑の歌は、つぎのとおり。

2-1-243歌 弓削皇子遊吉野時御歌一首

    たきのうへの みふねのやまに ゐるくもの つねにあらむと わがおもはなくに

 春日王が、この歌に対して「春日王奉和歌一首」と題する歌(2-1-244歌)で応えている。

 この歌は、巻第三 雑歌にある。また、『萬葉集』には「或本歌一首」と題する2-1-243歌と発想の似た「みふねのやま」を詠む歌(2-1-245歌)が記載され、その左注に「人麿之歌集出」とある。

2-1-1471歌 弓削皇子御歌一首 

    ほととぎす なかるくににも ゆきてしか そのなくこゑを きけばくるしも

この歌は、巻第八 夏雑歌の、ホトトギスを詠む13首の3番目の歌である。

この歌の類似歌は、『萬葉集』にない。

   この歌は、『猿丸集』にある3-4-4歌の類似歌となっている(ブログ2018/2/26参照)。

⑤ 弓削皇子に献じられた歌が、巻第九 雑歌にある。 「献弓削皇子歌三首」と題する歌3首(2-1-1705~ 作者未詳)と、同「献弓削皇子歌一首」と題する歌(1713歌 作者未詳)がある。

また、「弓削皇子薨時置始東人作歌一首幷短歌」がある。(2-1-204歌~2-1-206歌)

⑥ 歌を披露(朗詠)し記録される機会のひとつに、朝廷の公的な宴席や有力皇族や貴族の私的な宴席が想定される。そのほか贈答品に添えた歌(あるいはお返しの歌)も、和歌をたしなむ者は記録すると、思える。

巻第十五にある中臣宅守と佐野弟上娘子のような個人的な贈答の歌が第三者に残される可能性は一般的には低いであろう。朝廷の処罰の対象になったような事件に関係した歌は公的あるいは噂として記録されたりしたのであろうか。

(付記終り 2018/7/16  上村 朋)