前回(2020/4/13)、「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その3 部立て」と題して記しました。
今回、「わかたんかこれ 猿丸集の類似歌の理解のまとめ その1」と題して記します。(今、新型コロナウイルスに感染しないよう、していたとしても感染させないよう、心がけています。上村 朋)
1.歌本文も対象とした編纂方針検討の前に
① 『猿丸集』のすべての歌には、類似歌がありました。だから、類似歌は、『猿丸集』の詞書の一部を成しているかあるいは左注のような位置付けになり得ます。
② そのため、類似歌として共通の役割の有無を、歌本文も対象とした編纂方針検討の前に、確認しておきます。編纂者は類似歌の扱いをどのようにしているかの検討ということになります。これは、歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測の確認のひとつでもある、と思います。
③ 『猿丸集』の検討は、付記1.に示すことを前提としています。
歌集は編纂者の編纂者の作品であるので、使用している語句の編纂者の時代における用い方を確認し、判明あるいは推測した編纂方針に従った各歌の理解を、心掛けたところです。
久曾神昇氏は、『古今和歌集』について「きわめて整然と類別せられており、撰者貫之の几帳面な性格をしることができる。鑑賞にあたっても、排列はつねに注意すべきである」(講談社学術文庫『古今和歌集(四)』「解説」)と指摘しています。しかし、その排列には諸氏に論があるところであり、三代集はみな然りです。
④ 類似歌である62首について私が試みた現代語訳も、当該歌集の編纂方針を模索し、それに基づく当該歌集の配列からの要請、詞書、用いている語句の当該歌集編纂時の意味、文の構成、歌の左注、当該歌の元資料が当該歌集編纂者の許に蒐集される経緯(特によみ人しらずの歌)などの検討結果でした。諸氏と異なる結果となった場合もあるところです。
2.類似歌の理解が分れる所以
① 『猿丸集』の類似歌は、萬葉集に30首、古今集に24首、拾遺集・千里集・神楽歌等に8首の計62首あります。『新編国歌大観』(角川書店)により引用し、現代語訳を試み、その経緯と結果は、「わかたんかこれ 猿丸集・・・」と題した、2018/1/15以降2019/11/4付けまでの上村 朋のブログに記してあります。
② 歌の理解は、おおまかなところ、各歌本文と当該歌集との関係の取り扱いにより、いくつかのパターンがあります。詞書などより当該歌本文(31文字)を重視した理解、詞書との整合をも重視した理解、編纂された歌集の1首として理解などがあり、歌は鑑賞されてきています。
私の現代語訳(試案)は、編纂された歌集の1首(歌集における歌)として理解すべく検討した結果です。
③ 各類似歌の私の現代語訳(試案)の理解と諸氏の理解を、歌集における歌という理解をベースにして主観的ですが、次の三段階で判定すると、下記の表1が得られます。
理解の一致度A :その歌集における歌として、諸氏における有力な理解と同じ。
理解の一致度B :その歌集における歌として、諸氏における有力な理解とほぼ同じでも異なるところがある。例えば、作者の訴えたいことをもっと明確に訳出したい、詠っている景の意味をもっと明確に訳出したい、など。
理解の一致度C :その歌集における歌として趣旨が異なる。例えば、作者の訴えたいことが異なる、詠っている景の意味のベクトルが異なる、など。
その結果、Aが16首、Bが25首、Cが21首(類似歌は計62首)となりました。
④ 類似歌の新しい理解となった歌がBとCの計46首(62首の74%)あることになりますが、16首が諸氏の理解と同じとなりました。
このことからは、歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測は、誤りであり、『猿丸集』は、旧来の歌によく似ていても新しい歌を創作し編纂した歌集、ということになりそうです。「猿丸」と冠したのは、歌の意を換骨奪胎したのが古の人である(編纂した者の意思ではない)、という建前の宣言という推測は変わりません。
表1 『猿丸集』の類似歌において現代語訳(試案)の理解と従来の理解の差異の理由一覧 (2020/4/27 現在 )
歌番号等 |
|
類似歌の詞書(相当)の部分 |
理解の一致度 |
理由1(配列等歌相互) |
理由2(語句関係) |
3-4-1 |
|
萬284: 黒人妻答歌一首 (雑歌) |
C |
配列の考察 |
固有名詞の順序 |
3-4-2 |
|
萬572: 大宰師大伴卿、・・・の駅家に餞する歌四首(571~ 574 ) |
C |
―― |
紫根染法の比喩 |
3-4-3 |
|
古711: 題しらず よみ人しらず (恋四) |
B |
―― |
「こと」と「月草のうつしこころ」の理解 |
3-4-4 |
|
萬1471: 弓削皇子御歌一首 (夏雑歌) |
A (土屋氏) |
―― |
「ホトトギス」の理解 |
3-4-5 |
|
萬 3070ノ一傳: 題しらず (古今相聞往来歌・四茂野陳氏) |
A (土屋氏) |
―― |
「草結ぶ」の理解 |
3-4-6 |
|
萬 2717の一伝: 題しらず (古今相聞往来歌・寄物陳思) |
B (阿蘇氏) |
配列の考察 |
「しながどり」の理解 |
3-4-7 |
|
a拾遺586:詞書なし (神楽歌) |
B |
―― |
「しながどり」の理解 |
3-4-7 |
|
b神楽歌41: 伊奈野(41~43) 本 (神楽歌 大前張(おおさいばり)) |
B |
元資料の理解
|
「しながどり」の理解 |
3-4-8 |
|
a萬293: 間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)(雑歌) |
C |
配列の考察 |
「出来月」と「夜隠」・「夜窂」の理解 |
3-4-8 |
|
b萬 1767: 沙弥女王歌一首 (雑歌) |
C |
題詞(詞書)の理解 |
「出来月」と「夜隠」・「夜窂」の理解 |
3-4-9 |
|
萬2878: 題しらず (古今相聞往来歌・正述心緒) |
C |
配列の考察 |
萬葉仮名の理解 |
3-4-10 |
|
萬1538: 石川朝臣老夫歌一首 (秋雑歌) |
C |
配列の考察 |
女郎花の植生の理解 |
3-4-11 |
|
萬1613: 丹比真人歌一首 (秋相聞) |
A |
―― |
鹿と野原との関係 |
3-4-12 |
|
萬1697: 紀伊国作歌二首(1696,1697) (雑歌) |
B |
配列の考察 |
「ころもで」の理解 |
3-4-13 |
|
萬2998: 一本歌曰<2997の異伝>(古今相聞往来歌・寄物陳思) |
B |
―― |
梓弓は末の有意の枕詞 |
3-4-14 |
|
萬498: 田部忌寸櫟子任大宰時作歌四首(495~498) |
C |
詞書(題詞)の理解 |
「にほへるやま」の理解 |
3-4-15 |
|
a萬2642: (古今相聞往来歌・寄物陳思) |
B |
―― |
「まそかがみ」の理解 |
3-4-15 |
|
b萬 2506; 題しらず(古今相聞往来歌・寄物陳思) |
A |
―― |
「まそかがみ」の理解 |
3-4-16 |
|
a萬1934: 問答(1930~1940) |
A |
―― |
|
3-4-16 |
|
b萬1283: 旋頭歌 |
A |
―― |
|
3-4-17 |
|
古760: 題しらず よみ人しらず(恋五) |
B |
―― |
「みなせがわ」の理解 |
3-4-18 |
|
a萬786: 大伴宿祢家持贈娘子歌三首(786~788) (相聞) |
A |
―― |
|
3-4-18 |
|
b萬1905: 寄花(1903~ 1911)(春の相聞) |
B |
詞書(題詞)の理解 |
「ふじ」の理解 |
3-4-19 |
|
萬3005: 題しらず (古今相聞往来歌・寄物陳思) |
A (土屋氏) |
―― |
|
3-4-20 |
|
古490: 題しらず よみ人しらず (恋一) |
A (久曾神氏) |
―― |
|
3-4-21 |
|
萬3683: 海辺望月作歌九首(3681~89) |
B |
|
「あま(の)をとめ」の主たる仕事の理解 |
3-4-22 |
|
a萬3749:(右四首中臣朝臣宅守上道作歌(3749~ 3752))(相聞) |
A (土屋氏) |
―― |
当時の「船」の理解 |
3-4-22 |
|
b拾遺集 872: 題しらず よみ人しらず (恋四) |
A |
―― |
|
3-4-23 |
|
萬122: 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119~122) |
B |
詞書(題詞)の理解 |
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3-4-24 |
|
萬 439: 和銅四年辛亥河辺宮人見姫嶋松原美人屍哀慟作歌四首(437~440) (挽歌) |
C (2案を認める) |
詞書(題詞)の理解 |
作者の理解 |
3-4-25 |
|
萬120: 弓削皇子思紀皇女御歌四首(119^122) |
A |
―― |
|
3-4-26 |
|
萬2354: 寄夜 (よみ人しらず 冬相聞) |
B |
―― |
「かねて」の理解 |
3-4-27 |
|
萬1144: 摂津作 (雑歌) |
B |
―― |
「しながどり」と「やどり」の理解 |
3-4-28 |
|
古204: 題しらず よみ人しらず (秋上) |
B |
配列の考察と詞書の理解 |
作者の位置の考察 |
3-4-29 |
|
萬2841: 左注右一首、寄弓喩思 (古今相聞往来歌・譬喩) |
B (2案とも) |
―― |
「あづさゆみ」の比喩と 「ゆづかまきかへ なかみさし」の理解 |
3-4-30 |
|
a人丸集216: 題しらず |
A |
―― |
|
3-4-30 |
|
b拾遺集954: 題しらず (人まろ 恋五) |
C |
配列の考察 |
「ものはおもはじ」の理解 |
3-4-31 |
|
古34: 題しらず よみ人しらず (春上) |
B |
―― |
梅のある場所の理解 |
3-4-32 |
|
古50: 題しらず よみ人しらず (春上) |
B |
配列の考察 |
|
3-4-33 |
|
古122: 題しらず よみ人しらず (春下) |
C |
配列の考察 (山吹と作者の位置関係) |
「なつかし」の理解 |
3-4-34 |
|
古121: 題しらず よみ人しらず (春下) |
C |
配列の考察 (山吹と作者の位置関係) |
花期の理解 |
3-4-35 |
|
古147: 題しらず よみ人しらず (春下) |
A (『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』) |
―― |
|
3-4-36 |
|
古137: 題しらず よみ人しらず (春下) |
B |
配列の考察 |
「うちはぶく」の理解 |
3-4-37 |
|
a古185: 題しらず よみ人しらず (秋上)
|
C |
配列の考察 |
「おほかた」と「あき」と「かなしき物」の理解 |
3-4-37 |
|
b 千里集38:秋来転覚此身衰 ちさと |
C |
序と配列の考察 |
「おほかた」と「あき」と「わが身」の理解 |
3-4-38 |
|
古198: 題しらず よみ人しらず (秋上) |
B |
配列の考察 |
「あき萩も」の理解 |
3-4-39 |
|
a古215:これさだのみこの家の歌合のうた よみ人知らず(秋上) |
B
|
配列の考察 |
牡鹿の行動の理解 |
3-4-39 |
|
b新撰萬葉集113:<詞書無し>(秋歌三十六首)
|
C |
競詠の詞書とその歌の理解 |
「秋は悲し」の理解 |
3-4-39 |
|
c寛平御時后宮歌合82:<詞書無し>(秋歌二十番) |
C |
番えられている歌の理解 |
「秋は悲し」の理解 |
3-4-40 |
|
古208: 題しらず よみ人しらず(秋上) |
C |
配列の考察 |
「雁」と「わがかど」の理解 |
3-4-41 |
|
古287: 題しらず よみ人しらず(秋下) |
B |
配列の考察と文体の理解 |
「とふ人」と「道」の理解と作者の性別推定 |
3-4-42 |
|
古224: 題しらず よみ人しらず(秋上) |
A (久曾神氏) |
―― |
|
3-4-43 |
|
古307: 題しらず よみ人しらず(秋下) |
C |
配列の考察 |
「もる」の理解 |
3-4-44 |
|
萬2672: 題しらず よみ人しらず (古今相聞往来歌類之上 寄物陳思) |
B |
配列の考察 |
「ゆふづくよ」と「あさかげ」の理解 |
3-4-45 |
|
萬154:石川夫人歌一首(挽歌) |
B |
配列の考察 |
|
3-4-46 |
|
古1052: 題しらず よみ人しらず(誹諧歌) |
C |
部立てと配列の考察さらにペアの歌の理解 |
「なにぞ」と「かるかや」の理解 |
3-4-47 |
|
古995: 題しらず よみ人しらず(雑歌下) |
C |
配列の考察 |
「ゆふつけとり」と「たつたのやま」と「からころも」の理解 |
3-4-48 |
|
古817: 題しらず よみ人しらず(恋五) |
B |
部立てと配列の考察と「寄物」の理解 |
「あらをだ」と「すきかへす」の理解 |
3-4-49 |
|
古29: 題しらず よみ人しらず(春上) |
C |
配列の考察 |
「よぶこどり」と「おぼつかなし」の理解 |
3-4-50 |
|
古54: 題しらず よみ人しらず(春上) |
B |
配列の考察 |
「たき」の理解 |
3-4-51 |
|
古65: 題しらず よみ人しらず(春上) |
A |
―― |
「惜しげ」の理解 |
3-4-52 |
|
古520: 題しらず よみ人しらず (恋一) |
C |
配列の考察 |
「こむ世」と助動詞「む」の理解 |
計 (首) |
|
62 (同種の詞書なし) |
A:10+4+2=16
B:12+11+2 =25 C:8+9+4=21 |
(重複有り) A該当の歌:無し B該当の歌: 16 C該当の歌:20 |
A該当の歌: 5
B該当の歌:23
C該当の歌:21 |
注1)歌番号等:『新編国歌大観』における巻番号―その巻における歌集番号―その歌集における歌番号。但し、3-4-7歌の類似歌の神楽歌は『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』における歌番号。
注2)「題しらず」とは、詞書のない歌(無記)をも含む。古今集歌には作者(「よみ人しらず」)を付記した。「題しらず」も詞書の1種なので、すべての類似歌62首にみな詞書がある(計62)。
注3)「類似歌の詞書(相当)の部分」欄の()内は類似歌の記載された歌集の部立て。ただし3-4-21歌の類似歌の場合は詠う時点を記した。
注4)「理解の一致度」欄のA,B,Cの意は、つぎのとおり。
理解の一致度A :その歌集における歌として、諸氏における有力な理解と同じ。
理解の一致度B :その歌集における歌として、諸氏における有力な理解とほぼ同じでも
異なるところがある。例えば、作者の訴えたいことをもっと明確に訳出したい、詠っている景の意味をもっと明確に訳出したい、など。
理解の一致度C :その歌集における歌として趣旨が異なる。例えば、作者の訴えたいこ
とが異なる、詠っている景の意味のベクトルが異なる、など。
注5)「理解の一致度」欄の計は、A,B,C別に「萬葉集歌数+古今集歌数+その他の歌数」を記す。Aの計は16首、Bの計は25首、Cの計は21首となった。
注6)理解の一致度Aにおける(阿蘇氏)とは同氏の『萬葉集全歌講義』での理解を、(土屋氏)とは同氏の『萬葉集私注』での理解を、(久曾曾神氏)とは同氏の『古今和歌集』(講談社学術文庫)での理解を指します。
注7)類似歌62首の内訳は、『古今和歌集』にある類似歌24首、『萬葉集』にある類似歌30首及びその他の歌集(歌合)にある類似歌8首である。2首の類似歌があるのは、3-4-7歌、3-4-8歌、3-4-15歌、3-4-16歌、3-4-18歌、3-4-22歌、3-4-30歌および3-4-47歌、3首あるのは3-4-39歌である。
3.類似歌の役割
① 理解の一致度がAの歌16首は、配列等歌の相互の関係も納得のゆくものです。
② 理解の一致度がBの歌25首は、配列等歌の相互の関係を再確認した結果の歌が16首、配列等歌の相互の関係は従来の理解でも納得いくが用いている語句(とその前提の)社会通念の理解が異なっているものが23首でした。(重複している歌があります。)
③ 理解の一致度がCの歌21首は、配列等歌の相互の関係を再確認した結果の歌が20首、そして全ての歌において語句等の理解が異なっていました。(重複している歌があります。)
④ 歌の理解において、同音異議のある語句が多々用いられている語句の意の確定は、詞書や配列等や類似歌(この『猿丸集』歌と違う意で用いられているはずなので)の存在が根拠になっています。
⑤ 類似歌における私の現代語訳(試案)は、付記1.を前提にして、諸氏の理解より、各歌を歌集の歌としての理解をしていた、と言えます。
⑥ 歌集の編纂者による部立て、歌群の配置、歌の順序が、歌の理解に欠かせないものです。しかし、『新編国歌大観』記載の歌集は、完成時のものではなく伝本であり、編纂方針を歌集自体あるいは別途の文書に明確に記されていて今日まで残っているものも無くり見ることもなく、編纂方針は歌と歌集の理解を行う者の推測に過ぎない、という限界があります。
⑦ 『猿丸集』歌との関係で類似歌の共通的な事柄として、次のようなことを指摘できます。 既に指摘していることとも重なる点もあります。
第一 『猿丸集』の各々の歌から想起できる類似歌は、『猿丸集』の編纂者が歌集のなかで明示的に示しているものではない。しかし、『猿丸集』成立時に活躍している歌人には、十分想起できる歌(想起が難しいと思われる歌も1,2ある)が類似歌となっている。
第二 『猿丸集』の各々の歌から想起できる類似歌は、その『猿丸集』の歌に用いている語句の意を限定する役割を、持っている。『猿丸集』の歌が当該類似歌で用いている語句の意を限定しているという想定は、萬葉集歌が類似歌にあることからあり得ない。
第三 このため、『猿丸集』の歌が、類似歌の元資料の時代の創作でも類似歌が記載されている歌集編纂時期の創作でもなく、それ以後の創作であることを類似歌が示していることになる。
第四 『猿丸集』の歌の理解に、当該類似歌以外の類似歌は関与していない。類似歌同士は互いに独立しているといえるし、『猿丸集』の歌の配列に影響を及ぼしていない。⑧ 類似歌について、諸氏の主たる理解のほかに私が試みた現代語訳の理解が生じた理由については、つぎのようなことが指摘できます。
第十一 類似歌記載の歌集の編纂方針が各自の推測であるので、いくつかの案にまで収斂するとしても編纂方針のとらえ方が複数あり得るし、現にそうなっている。
第十二 用いられている語句の当時の意味の理解が、歌に沿って行われるのが普通であり、ハンディな古語辞典の訳語ではニュアンスが正確に表現できない場合も多い。類似歌の理解でも同様であり、複数の理解が有り得るし、現にそうなっている。
第十三 類似歌記載の歌集における元資料歌には推測の域のものがある。元資料の作詠事情、記録され編纂者の許に集まった経緯などが歌の理解に影響を及ぼしている場合がある。
⑨ 上記⑦のような役割を持っているのが類似歌であるとして、歌本文をも検討対象とした『猿丸集』の編纂方針をみてゆきたい、と思います。
⑩ 次回は、『猿丸集』の巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)を一組ととらえて検討します。常の歌集ならば、巻頭歌と最後の歌(掉尾の歌)は特別視して編纂されているからです。
ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。
(2020/4/27 上村 朋)
付記1.『猿丸集』検討の前提
① 『猿丸集』の検討は、最初のブログ「わかたんかこれ 猿丸集とは」(2018/1/15付け)」で記した、次のことを前提としている。
第一 文字数や律などに決まりのあるのが、詩歌であり、和歌はその詩歌の一つです。だから、和歌の表現は伝えたい事柄に対して文字を費やすものである、という考えを前提とします。
第二 上村朋が「わかたんかこれ・・・」と題して記したブログ(2017年以降たました)で検討した語句については、その結果(成果)を前提とします。その他は、必要に応じ、用いられている期間に配慮して用例より演繹することとします。
第三 これまでのブログでの指摘がすでに公表されている論文・記事等にあれば、その公表されている事がらを確認しようとしているものに相当するのがこの一連のブログとなります。
第四 歌は、『新編国歌大観』(角川書店)によります。『新編国歌大観』より引用する歌には、番号を付し、「同書の巻番号―その巻での家集番号―当該歌集での番号」で表示するものとします。例えば、『猿丸集』の五番目の歌は、「3-4-5歌」と表示します。
第五 『猿丸集』の歌が異体歌であるとされる所以の歌を諸氏が指摘しています。歌そのもの(三十一文字)を比較すると先行している歌がありますので、それを、(『猿丸集』歌の)類似歌、と称することとします。
② そのうえで、次のことも前提としている。
第十一 上村朋が「わかたんかこれ 猿丸集・・・」と題して記したブログ(2018年以降に記し、2020年4月13日付けまでのブログ)で検討した結果(成果)を仮説として前提に置きます。
第十二 仮説(と今称したブログでの検討成果)には、語句の理解、類似歌が記載されている歌集の理解、『猿丸集』の52の歌とその各々の類似歌と参考とした歌の理解並びに当時の社会に関する理解が含まれます。そしてすべて首尾一貫したものであるという検証が終わっていない状況のものです。
第十三 仮説は、だから、矛盾している事項がある可能性も有り、誤解である場合もある、という内容です。
第十四 仮説は、必要に応じて改めることとしますが、仮説全体の検証は後程改めて行うこととします。
(付記終わり 2020/4/27 上村 朋)