わかたんかそれ 千里集は誰の作品か

上村 朋です。

11月24日、ACL決勝で浦和レッズは敗れました。明らかに力不足でした。Jリーグもあと2試合。残留争いは勝ち抜いてほしいものです。

さて、『猿丸集』の第37歌検討の際、『千里集』は誰の作品か疑問をもちました(付記1.参照)。

儒者で博学多識と言われる大江千里の和歌集が『千里集』です。その序にいう古句の原拠詩を当時の官人が見いだせない(当時知られていた漢詩において似通った句のある漢詩がない)とすると、千里の漢詩文の素養を疑います。

『猿丸集』の第37歌は、その類似歌と清濁抜きの平仮名表記ではまったく同じです。類似歌は、『古今和歌集』の歌(1-1-185歌)のほか『千里集』の歌(3-40-38歌)があります。『千里集』は、その序を信頼すれば『古今和歌集』の成立以前に成立した歌集となります。『古今和歌集』の編纂者が参照できるはずにもかかわらず、『古今和歌集』で1-1-185歌は作者名が「よみ人しらず」となっています。官人間の伝承歌であるという認識を編纂者がしていたのではないか、と推測できます。つまり現在のような形の『千里集』を知らない可能性があるのです。『千里集』がよみ人しらずの歌を採りこんで成立した、ということです。

一方で、『古今和歌集』の1-1-998歌は作者を大江千里作と明記し、詞書には「歌奉りけるついでに」献上した歌とあります。「ついで」が『千里集』と言う複数の歌を指しているという理解は無理です。1-1-998歌1首のみを指します。

 

『猿丸集』を編纂した官人がいたのですから、諧謔にとんだ人(達)が序まで用意し編纂したのが『千里集』であり、その成立は、『猿丸集』編纂時点ころ、「復元を試みられ」て今日みる『千里集』になった頃に、可能性を感じます。『猿丸集』の編纂者も『千里集』を知らなかった可能性があるところです。

いずれにしても、官人の世界を垣間見ることができる歌集が『千里集』であり、当時を知る貴重な資料のひとつです。

ご覧いただきありがとうございます。(2019/11/26  上村 朋)

付記1.「わかたんかこれ 猿丸集 類似歌のことなど」(2018/12/17付け)で指摘した。『千里集』の検討は

ブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌その2 類似歌のある千里集の序」(2018/11/26付け)、

ブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」(2018/12/3付け)及び

ブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」(2018/12/10付け)

で行った。

付記2. 3首の意は、次のとおり。(ブログ「わかたんかこれ猿丸集第37歌その4 千里集の配列その2ほか」(2018/12/10付け)より)

① 猿丸集第37歌は、次のとおり

あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

おほかたのあきくるからにわが身こそかなしきものとおもひしりぬれ

② 猿丸集第37歌:現代語訳(試案):「慣れ親しみすぎたためのよくある飽きが秋にきただけのことと思っていたが、本当に別れる(飽きられた)ことになる秋がきたのだ。あなたをつなぎとめる何の働きかけもできない無力の自分であると、いまさらながら思い知ったことであるよ。(年に一度会える彦星(又は織姫)にも私はなれないのだと思い知ったよ。)」

③ 古今集第185歌:同上:「この歌群の他の歌の作者が、「秋が来ると、すべていろいろと思い、気をもむことが多い、と感じる」と言う世間一般の秋になったので、私もそう感じたが、私に訪れてきたのはそうでもない秋であり、私自身は特別になんともしがたい状況にこの秋はなったということをしっかりと感じたのであるよ。」

④ 千里集第38歌:同上:「秋は、悲しさを感じる時節と人はいうが、特に今年の秋は気分が悲しいだけではない体の衰えを実感させられる悲しい秋であるとわかったよ。(人と違い、除目にあえなかったのは本当に辛いと身にしみて思う秋だ。)」

(付記終り 2019/11/26  上村 朋)