わかたんかこれ  猿丸集第38歌 物はかなしき

明けまして おめでとうございます

2019年は、先の大戦で降伏した年から74年目となります。外国の軍隊が国内に常駐していることは(天平にまで遡っても)なかったのですが、それ以降今日まで常駐しています。明治政府の樹立は画期的なことでしたが、それから1945年までの77年間、何度も外国と戦争をして(あるいはし続けていた)いました。そして降伏後は、戦死者がいません。

また、大災害は明治以降も大戦にかかわりなく生じ、大きな人災が重なったこともあります。さらに今後の災害の予想の中には大規模なものがあります。

それでも、明るく、物心の準備に、国や皆さんがそれぞれ取り組んでいます。

兎も角、今年も、豊樂の年でありますように。

 

さて、前回(2018/12/17)、 「猿丸集 類似歌のことなど」と題して記しました。

今回、「猿丸集第38歌 物はかなしき」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第38 3-4-38歌とその類似歌

① 『猿丸集』の38番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-38歌 (詞書は3-4-37歌に同じ(あきのはじめつかた、物思ひけるによめる)

     あきはぎの色づきぬればきりぎりすわが身のごとや物はかなしき

3-4-38歌の、古今集にある類似歌 1-1-198歌  題しらず  よみ人しらず

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句の一字と四句と五句の各二字と、詞書が、異なります。

③ これらの歌も、趣旨が違う歌です。この歌は、秋になって、改めて別れる定めであったことを確認した事を詠い、類似歌は、秋という季節に、こおろぎも作者も相手のいない夜が続く悲しみを詠っています。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

古今集にある類似歌1-1-198歌は、古今和歌集』巻第四 秋歌上にあり、「きりぎりす等虫に寄せる歌群(1-1-196歌~1-1-205歌)」の三番目に置かれている歌です。

第四 秋歌上の歌の配列の検討は、3-4-28歌の検討の際行い、古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしていることを知りました。秋歌上では、11歌群あります。(付記1.参照)

② 類似歌1-1-198歌は、「きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)」にあります。この歌群は、「月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)」と「かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌))」歌群に挟まれています。

この歌群の歌は、次のとおりです。

 

1-1-196歌  人のもとにまかれりける夜、きりぎりすのなきけるをききてよめる    藤原忠房

蟋蟀いたくななきそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる

1-1-197歌  これさだのみこの家の歌合のうた        としゆきの朝臣

     秋の夜のあくるもしらずなくむしはわがこと物やかなしかるらむ

1-1-198歌  題しらず        よみ人しらず

     あき萩も色づきぬればきりぎりすわがねぬごとやよるはかなしき

1-1-199歌  題しらず        よみ人しらず

   秋の夜はつゆこそことにさむからし草むらごとにむしのわぶれば

1-1-200歌  題しらず        よみ人しらず

   君しのぶ草にやつるるふるさとは松虫のねぞかなしかりける

1-1-201歌  題しらず        よみ人しらず

   秋ののに道もまどひぬ松虫のこゑする方にやどやからまし

1-1-202歌  題しらず        よみ人しらず

   あきののに人松虫のこゑすなり我かとゆきていざとぶらはむ

1-1-203歌  題しらず        よみ人しらず

   もみぢばのちりてつもれるわがやどに誰を松虫ここらなくらむ

1-1-204歌  題しらず        よみ人しらず

   ひぐらしのなきつるなへに日はくれぬと思ふは山のかげにぞありける

1-1-205歌  題しらず        よみ人しらず

   ひぐらしのなく山里のゆふぐれは風よりほかにとふ人もなし

③ この歌群には、猿丸集の28歌の類似歌があり、その検討の際、この歌群全体について、次のようなことを確認し、あわせてこの歌1-1-198歌の検討をしました(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ」(2018/9/10付け)参照)。それより再掲すると、次のとおりです。

最初の2首を除き、3首目(1-1-198歌)以下は、全てよみ人しらずの歌です。

     すべて虫が鳴いている景の歌であり、鳴く虫が順次変わっている。

     最初の歌1-1-196歌から、2首ずつ対となる歌を『古今和歌集』の編纂者は並べているかに見える。

     最初の2首は、きりぎりす(現在のこおろぎ)が一晩中鳴くのと自分の思いの長いことを重ねて詠っている。

     次の1-1-198歌と1-1-199歌は、虫のほか、もう一つの季語とあわせ、きりぎりすが一晩中鳴く理由を推測しており、最初の2首とは異なる趣旨の歌となっている。それぞれよみ人しらずの歌なので、官人である歌人が記録した歌(記録した官人が連なることができる宴席で朗詠する価値のある歌)である。元々は集団の場の民衆歌であり、一方が他方に謡いかけた歌ではないかと推測する。

     1-1-198歌は、「あき萩は鹿の妻となったがこおろぎ同様私は妻に(なるべき人に)行き合えていないで今年の秋は悲しい」の意を含み、この歌を承けた1-1-199歌は、「露はこおろぎにとり辛いだろう(私にも涙流れる秋の夜はつらい)」と1-1-198歌の作者に同調している。

     次の2首(1-1-200歌と1-1-201歌)は、松虫の「松」に人を「待つ」の意を掛け、待っている人の立場と来訪者の立場の歌を並べかつ悲しさを催させる鳴き声と人を暖かく呼ぶ鳴き声との対比をさせている。

     最後の2首(1-1-204歌と1-1-205歌)は、季語のひぐらしの鳴くのを聞く作者の居る場所は同じで夕方に寄せた歌だが、詠っている作者の感興が異なる。

④ このように、前後の歌群が月や雁に寄せて詠うものとは関係ない歌群となっています。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳の試み

① 1-1-198歌の現代語訳(試案)を、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その2 やまのかげ」(2018/9/10付け)より再掲します。

「(鹿の妻である)秋萩もほかの花も色づいて秋も深くなってしまったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、(相手のいない)夜は悲しいので一晩じゅう鳴き明かしているのだろうよ。」

② この歌と次の1-1-199歌の元資料の歌(編纂者の手元に集まった歌)は民衆歌でかつそれは相聞歌です。相聞歌であったが、古今集の作者の時代、1-1-188歌のように「秋の思ひ」は、すべての物の運命を思うことに通じる「思ひ」であるなどという認識から、選ばれて官人に愛唱されたのがこの歌ではないか、と思います。

この歌は 一見、四季の花の一つを例にして官人としての秋の感慨を詠っていますが、元資料の歌では、男同士慰め合った歌であり、集団の場では相手方の集団(女)に、可愛そうとおもったら何とかしてくれ、と謡いかけた歌と想像します。

久曾神氏はつぎのように歌意を示しています。

「秋萩も色づいて秋も深くなったので、こおろぎも、私が悲しくて夜も眠れないように、夜は悲しいのであろうか、こんなに鳴きしきっているが。」

③ 初句にある「あき萩」とは花が咲いている時期の萩の意であり、1-1-216歌などのように牡鹿の花妻を指す言葉であることをこの歌でも連想させます(付記2.参照)

作者は、観賞用に鉢植えしている萩ではなく、秋の野原にある萩に言及したのであり、野原では諸々の花が同時に咲き、それぞれ散ってゆく景が、「も」によって浮かび上がります。確実に秋は深まっている景です。

④ 五句にある「かなし」とは、「愛着するものを、死や別れなどで喪失するときのなすすべのない気持ち。何の有効な働きかけもしえないときの無力の自覚に発する感情(などがベースにある語)」(『古典基礎語辞典』)であり、「a悲しい。せつない。現代のかなしいと基本的に同じ。 bせつないほどいとしい。 c心打たれてせつに感じいる。(以下略)」の意があります。

 

4.3-4-38歌の詞書の検討

① 3-4-38歌を、まず詞書から検討します。3-4-37歌の詞書(あきのはじめつかた、物思ひけるによめる)がかかります。

② 現代語訳(試案)を、3-3-37歌のブログ(「わかたんかこれ 猿丸集37その4 千里集の配列その2ほか」(2018/12/10付け)より、再掲します。

「秋の始めの頃(陰暦七月に入って)、胸のうちでじっと反芻してきたことを詠んだ歌」

 

5.3-4-38歌の現代語訳を試みると

① 初句「あきはぎの」は、「色づく」ものを限定しています。あき萩は粛々と黄葉しているという事実を示しています。

② 四句の「わが身のごとや」とは、我が身はキリギリスの如く、の意です。

③ 五句の「物」とは、ここでは運命を指します。「もの」(物・者)の古い時代の基本的な意味は、「変えることができない不可変のこと」であり、「a 運命。既成の事実。四季の移りかわり。 b 世間の慣習。世間の決まり。 c 儀式。 d 存在する物体。」の意があります(『古典基礎語辞典』)。

 なお、詞書にある「物思ふ」は、「恋慕にせよ、悔恨にせよ、胸の中にじっとたくわえつづけている」意です(同上)。

④ 詞書に従い、現代語訳を試みると、3-3-37歌のブログでの結果と同じでよい、と思います。

 次のとおりです。(再掲)

「秋萩が黄葉したとすると次は散る、ということであり、こおろぎが鳴いているのは命の絶える前ということである。私も同じだ。あの人とは、縁が切れたのだ。運命とはいえ、悲しいことだ。」

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-38歌は、詠む事情を記しており、古今集にある類似歌1-1-198歌は、題しらずと、詠む事情を不問とし、ただ、部立で秋の歌であることのみから理解することを促しています。

② 初句の助詞が違います。 この歌は、「の」であり、色づくものを限定しているのに対して、古今集にある類似歌は、「も」であり、世の中の推移の例としてあき萩をあげこおろぎを詠っています。秋の部の歌として、秋の今夜の自分の悲しみも(23か月は続くとしても)一過性と楽観しているかに見えます。

③ 五句が異なります。この歌は、個人の定めとして「(我が身のごとく)物はかなしき」といい、これに対して、類似歌は、「(私が眠れないように)よるはかなしき」と秋にはよくあることという感覚で詠っています。

④ この結果、この歌は、秋になって、改めて別れる定めであったことを確認した事を詠い、類似歌は、秋という季節に、こおろぎも作者も相手のいない一夜の悲しみを詠っています。

 

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-39歌 しかのなくをききて

     あきやまのもみぢふみわけなくしかのこゑきく時ぞ物はかなしき

⑥ その類似歌には、つぎのようなものがあります。

3-4-39歌の類似歌a  1-1-215歌 これさだのみこの家の歌合のうた(214~215)  よみ人知らず

    おく山に紅葉ふみわけなく鹿のこゑきく時ぞ秋は悲しき

3-4-39歌の類似歌b  2-2-113歌  

      奥山丹 黄葉蹈別 鳴麋之 音聴時曾 秋者金敷

     (おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こゑきくときぞ あきはかなしき)

3-4-39歌の類似歌c  5-4-82歌  

      おく山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋はかなしき

『猿丸集』の歌は、これらの類似歌と、趣旨が違う歌です。

⑦ ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2019/1/7  上村 朋 (e-mailwaka_saru19@yahoo.co.jp)

 

付記1.『古今和歌集』巻第四秋歌上 の歌群について

① その歌群は、つぎのとおり。

     立秋の歌群 (1-1-169歌~1-1-172歌)。

     七夕伝説に寄り添う歌群 (1-1-173歌~1-1-183歌)

     「秋くる」と改めて詠む歌群 (1-1-184歌~1-1-189歌)

     月に寄せる歌群 (1-1-189歌~1-1-195歌)

     きりぎりす等虫に寄せる歌群 (1-1-196歌~1-1-205歌)

     かりといなおほせとりに寄せる歌群 (1-1-206歌~1-1-213歌)

     鹿と萩に寄せる歌群 (1-1-214歌~1-1-218歌)

     萩と露に寄せる歌群 (1-1-219歌~1-1-225)

     をみなへしに寄せる歌群 (1-1-226歌~1-1-238)

     藤袴その他秋の花に寄せる歌群 (1-1-239歌~1-1-247歌)

     秋の野に寄せる歌群 (1-1-248)

② 本文で触れたように巻第四 秋歌上の歌の配列については、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」2018/9/3)」で述べた方法(ブログの2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法 )により、検討した。『古今和歌集』の歌を、その元資料の歌と比較等した結果次のことがわかった。

第一 『古今和歌集』巻第四 秋歌上の歌の元資料の歌は、恋の歌が3割以上あるが、現代の俳句の季語(『NHK季寄せ』(平井照敏 2001))でいうと初秋の歌と雁を含めた三秋の歌であり、菊が登場しないがすべて秋の歌と見做せる歌である。そして『古今和歌集』の編纂者は、語句の一部を訂正して、必要に応じて詞書をつけて『古今和歌集』に用いている。

第二 『古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、詞書や歌の語句を適宜補い、初秋から、三秋をはさみながら仲秋、晩秋の順に並べている。

第三 『古今和歌集』に配列するにあたり、『古今和歌集』の編纂者は、現代の季語に相当する語とその語の状況を細分した歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示そうとしている。また歌群ごとに歌の内容は独立している。

第四 その歌群は、上記①のとおり。

③ なお、四季の歌は、同様な方法により各巻ごとに必要に応じて行ってきた。

巻第一の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂」(2018/10/1))参照

巻第二の配列:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第33歌 にほへるいろも」(2018/10/22))参照

巻第三の配列:ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第35歌 なをうとまれぬ」(2018/11/26)参照

巻第四の配列:ブログ「わかたんかこれ  猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)参照

巻第五の配列:猿丸集第41歌で検討予定

巻第六の配列:後日検討

④ 『猿丸集』の歌を、その各々の類似歌と比較して理解しようとしているように、『古今和歌集』の歌もその元資料と比較しつつ理解を試み、そして『古今和歌集』編纂方法も探ってみたものである。

 元資料とは、醍醐天皇が、事前に多くの歌人に「歌集幷古来旧歌」を奉らせ(真名序)た歌をいう。(そのままの形で現存していない)元資料を確定あるいは推定し、その元資料歌における現代の季語(季題)と詠われた(披露された)場を確認し、その後『古今和歌集』の四季の部の巻の配列を検討した。

今、『古今和歌集』記載の作者名を冠する歌集や歌合で『古今和歌集』成立以前に成立していると思われるものや『萬葉集』などは元資料と見做し、元資料不明の歌は、『古今和歌集』記載の歌本文を原則として元資料の歌と見做した。

また、『猿丸集』の類似歌になっている歌の元資料の歌の視点2(披露の場所)の判定などが、保留となっているものは、その類似歌の検討時に別途推定(予定)。

 

付記2.「あきはぎ」の用例

 初句に「あきはぎ」とある歌だけでも次のとおり。

① 『萬葉集3首)

2-1-2156 巻十 秋 雑歌

あきはぎの ちりすぎゆかば さをしかは わびなきせむな みずはともしき

2-1-2159 巻十 秋 雑歌

あきはぎの さきたるのへに さをしかは ちらまくをしみ なくゆくものを

2-1-1612 巻八 秋 相聞         弓削皇子御歌一首:

あきはぎの うへにおきたる しらつゆの はかもしなまし こひつつあらずは

② 『古今和歌集

1-1-216  題しらず          よみ人しらず:

秋はぎにうらびれをればあしびきの山したとよみしかのなくらむ

1-1-217  題しらず          よみ人しらず

秋はぎをしがらみふせてなくしかのめには見えずておとのさやけさ

1-1-218  これさだのみこの家の歌合によめる         藤原としゆきの朝臣

あきはぎの花さきにけり高砂のをのへのしかは今やなくらむ

1-1-219  むかしあひしりて侍りける人の、秋ののにあひて、物がたりしけるついでに     みつね

秋はぎのふるえにさける花見れば本の心はわすれざりけり

1-1-220  題しらず          よみ人しらず

あきはぎのしたば色づく今よりやひとりある人のいねがてにする

1-1-397  かむなりのつぼにめしたりける日おほみきなどたうべて、あめのいたくふりければゆふさりまで侍りて、まかりいでけるをりにさかづきをとりて        つらゆき

秋はぎの花をば雨にぬらせども君をばましてをしとこそおもへ

(付記終り 2019/1/7  上村 朋)