わかたんかこれ  猿丸集第33歌 にほへるいろも

前回(2018/10/15)、 「猿丸集第32歌 見はやさむ」と題して記しました。

今回、「猿丸集第33歌 にほへるいろも」と題して、記します。(上村 朋)

なお、付記を2項目2020/5/13追記した。

. 『猿丸集』の第33 3-4-33歌とその類似歌

① 『猿丸集』の33番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

  3-4-33歌  あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる

     はるさめににほへるいろもあかなくにかさへなつかしやまぶきのはな

 

 類似歌 『古今和歌集』 1-1-122歌  題しらず    よみ人知らず」 巻第二 春歌下

     春雨ににほへる色もあかなくにかさへなつかし山吹の花

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、歌は同じで、詞書が、異なります。

③ これらの歌は、「やまぶき」に寄せた歌であることは共通ですが、趣旨が違う歌です。

この歌は、心ならずも別れることになった際の恋歌であり、類似歌は、自然の花を目にして昔をしのぶ雑歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は 『古今和歌集』巻第二春歌下にあります。巻第一春歌上と同様に巻第二春歌下の歌の元資料の歌について検討すると、付記1のようになります(表は便宜上3分しています)。元資料が不明であった元資料歌は、詞書を省いて原則歌本文のみの歌として検討しています。

古今和歌集』の編纂者は、元資料の歌を、春歌に関して現代の季語に相当する語とその語の状況を細分して歌群を設け、歌群単位で時節の進行を示すよう、並べています。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂」(2018/10/1))。で巻第二春歌下の並び順の1案を示しましたが、今回改めて検討した結果、次のように修正します。

第一の歌群 散る桜の歌群  1-1-69~1-1-89  1案に同じ)

第二の歌群 色々な花がさかんな歌群  1-1-90~1-1-104歌 (1案に同じ)

第三の歌群 色々な花が散る歌群 1-1-105~1-1-118歌 (1案を修正)

第四の歌群 藤と山吹による歌群 1-1-119~1-1-125歌 (1案を修正)

第五の歌群 春を惜しむ歌群 1-1-126~1-1-134歌 (1案に同じ)

② 巻第二春歌下を編纂するにあたり、『古今和歌集』の編纂者が、詞書や歌本文に手を加えたり配列に工夫している例を示すと、次のとおり。

1-1-73歌は、元資料の歌と文字が異なる部分があります。

1-1-99歌は、花や「ひともとのき」が具体的に何を指しているかが不定の歌です。花や萌え出る草を愛でる春にも、秋の花や紅葉を愛でる秋にもなり得ますが、配列により「ひともとのき」を梅の木と類推させています。

1-1-112歌は、「ちるはな」と詠います。歌の内容から時期を限定し難いところを配列により春の歌としています。

1-1-127歌は、元資料の歌の四句を手直しているが、二句「春たちしより」と四句「いるがごとくも」でも年の暮れとなったと理解した方がよい歌であるが、配列と詞書に春と明記することにより、「いるがごとくも」の意を春のみが過ぎる意にしています。

1-1-132歌は、元資料の歌が歌合における暮春という題での歌ですが、詞書に「やよひのつごもりの日」の出来事に関した歌であることを明記し、春の最終の日の歌としています。

③ 巻第二春歌下の歌はこのように5群からなると推測でき、この歌は、「藤と山吹による歌群 1-1-119~1-1-125歌」の歌群の四番目にある歌です。

④ その歌群の中の配列を検討します。 歌群の歌はつぎの歌です。

1-1-119歌 しがよりかへりけるをうなどもの花山にいりてふぢの花のもとにたちよりてかへりけるに、よみておくりける   僧正遍照

   よそに見てかへらむ人にふぢの花はひまつはれよえだはをるとも

1-1-120歌 家にふぢの花のさけりけるを、人のたちとまりて見けるをよめる     みつね

   わがやどにさける藤波たちかへりすぎがてにのみ人の見るらむ

1-1-121歌 題しらず     よみ人しらず

   今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の色

1-1-122歌 類似歌

1-1-123歌 題しらず     よみ人しらず

   山ぶきはあやななさきそ花見むとうゑけむ君がこよひこなくに

1-1-124歌 よしの河のほとりに山ぶきのさけりけるをよめる     つらゆき

   吉野河岸の山吹ふくかぜにそこの影さへうつろひにけり

1-1-125歌 題しらず     よみ人しらず

   かはづなくゐでの山吹ちりにけり花のさかりにあはましものを

(参考:次の歌群の最初の歌) 1-1-126歌 春の歌とてよめる     そせい

   おもふどち春の山辺にうちむれてそこともいはぬたびねしてしか

 

⑤ 諸氏の現代語訳を参考にすると、その歌群の各歌は次のような歌であると理解できます。(元資料が詠われた(披露された)場所の推定は、付記1.の表3参照) 

 1-1-119歌 咲いた藤だけ見て帰るなら、藤よ、まといつき、主に挨拶せよと迫れ。

    元資料の歌は挨拶歌と推定

 1-1-120歌 私の家に咲いた藤の花を引き返してまで見てくれているよ、私には用がないようだ。

    元資料の歌は挨拶歌と推定

 1-1-121歌 今もかわらずあの山吹は咲いているだろうか。 (3-4-34歌の類似歌。仮訳)

    元資料の歌の推定は保留中(3-4-34歌の検討時推定予定。)

 1-1-122歌 春雨により色鮮やかになりさらに香りまで心惹かれるよ、山吹の花は。 

(検討対象の類似歌。仮訳)  元資料の歌の推定は保留(下記4.にて推定予定)

 1-1-123歌 山吹よ咲くのを待て。植えた当人が今夜も来ないのだから。

    元資料の歌は相聞歌と推定

 1-1-124歌 吉野河の岸辺の山吹は澄んだ水底の影もろともに散った。

    元資料の歌は屏風歌bと推定

 1-1-125歌 井手の山吹は散ってしまった。見たかったけど。

    元資料の歌は哀傷の歌又は相聞歌と推定

 (参考)1-1-126歌 気心の知れた者と、春の山辺にゆきあたりばったり旅寝をしたいよ。

    元資料の歌は屏風歌b・外出歌と推定

⑥ 藤に寄せた1-1-119歌と1-1-120歌は、花の主が無視された歌となっています。

山吹に寄せた1-1-121歌~1-1-125歌は、1-1-122歌を除き、作者の近くで山吹が咲いていません。1-1-122歌もそのような山吹であるかもしれません。

歌群としてみると、愛でてきた春が通り過ぎてゆくのを二つの植物に寄せて詠っているかに見えます。しかし、各歌の元資料の歌は同一の場で詠まれた歌ではありませんし、『古今和歌集』においてもそのようなことは詞書にありません。類似歌はこの歌群にある独自の歌として理解してよい、と思います。

3.類似歌の検討その2 現代語訳の例

① 諸氏の現代語訳の例を示します。

降る春雨に洗われて鮮やかに映えている色だけでも見あきないのに、さらにその香りにまで心をひかれることであるよ、この山吹は。」(久曾神氏)

「春雨にうたれ、ひとしお鮮やかになった色だけでも十分鑑賞に堪えるものだが、この山吹の花は香りまでも人をひきつけるものだ。」(『日本古典文学全集7 古今和歌集』)

② 「なつかし」について、前者では「心がひかれる、慕わしい」と説明し、後者では「四段動詞「なつく」の形容詞化したもの。そのものに対してしぜんとなつきたる意」と説明しています。

③ 「雨中の花」詠は、日本の漢詩にみられ、その源は白居易に求められるという。花の魅力を色と香の双方から捉えている歌だそうです。

④ 五句の「山吹の花」は、前後の歌と違い、「この山吹」と限定し、面前にあるものとして訳されています。

この歌群が、愛でてきた春が通り過ぎてゆくのを詠った歌であるならば、上記の現代語訳の例は不足があります。

 

4.類似歌の現代語訳を試みると

① 初句「春雨に」の「に」は、格助詞です。ひろく物事が存在し、動作し、作用する場を示し、また動作・作用の起こる原因・理由を示すなどの意があります(『例解古語辞典』)。上記の現代語訳例では、後者の意でした。

② 二句「にほへる色も」の「る」は完了の助動詞「り」の連体形です。その意は、「動作・状態等が引き継き継続している」意のほか「動作・作用がすでに終わっている」意などもあります。

上記3.の現代語訳例では、前者の意として「この山吹は」と訳され、作中の主人公の目の前に山吹がある、として訳されています。

そして、「も」は係助詞であり、類似の何かを前提に作中の主人公は「色も」と詠っていることになります。

それを推測してみます。四句の「か」が「香」であれば、山吹に関する何かがその候補です。「か」も候補の一つですが、「色も・香さへ」という表現からは、その外のことにも作中の主人公は意識がある印象です。「沢山あるなかで、香までもが」、の意が「(か)さへ」であろうと思います。

そのため、候補としては、山吹の花が(1本あるいは群生して)咲いている容姿か、山吹の若葉の頃か、何かと組み合わせとなっている山吹(誰かの賀の宴・行事などでの山吹)か、などが考えられますが、「色」と「香」と並べるものとしては、山吹の花の咲いている容姿(群生も含む)が第一候補ではないでしょうか。

③ 四句にある「なつかし」は、形容詞「懐し」であり、「心がひかれる・慕わしい」と「昔のことがしのばれて慕わしい・なつかしい」の意があります(『例解古語辞典』)。上記の現代語訳例では、前者の意でした。

④ 即ち、咲き競う形もよく、色彩もよく、そのうえ香も「なつかしい」、そういう花が山吹だ、という歌に思われます。五句の「山吹の花」の「花」は、時期を特定しており、「山吹の花」とは、「花が盛んな時期の山吹(の群生)」の意です。

 また、「山吹」は、男性の官人が着用する下襲(かさね)の配色の組み合わせの一つであるほか、その配色の組み合わせによる下襲(「山吹襲(かさね)」の略称でもありますので、「山吹襲(かさね)を着用した人物を示唆しているかもしれません。(付記3.参照)

 香りとは、「山吹襲(かさね)」を着用している人物が衣服にたきこめた香りを指しているとみることも可能です。

⑤ これらの検討と、この歌群に置かれている歌の一つであるということに留意し、題しらずのこの歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「(咲き乱れているところもそうだが)春雨によってひとしおあざやかになっていた色も、なおも心がひかれる。そしてその香りは昔のことがしのばれて慕わしい。それが(私の思い出にある)山吹の花だ。(慕わしかった山吹襲(かさね)を用いていた人に結びつく山吹なのだ。)」

⑥ 『古今和歌集』の編纂者が、歌群を構成する一首にこの歌を採用しているので、この歌を単独に鑑賞するのではなく、歌群の歌との整合を考えざるを得ません。この歌の山吹は、作中の主人公が何かに触発されて思い出した(以前親しんだ)山吹であろう、と思います。

作者は男であって、特定の女を思い起こしている歌とも理解可能です。

この歌(1-1-122歌)の山吹も、他の歌と同様作者の近くで咲いていないことになりました。

⑦ さて、保留していた、元資料が詠われた(披露された)場所の推定をします。

元資料が不明なので、歌本文より推定することになります。『古今和歌集』の巻第二春歌下に配列された歌の意は、上記⑤のとおりであるものの、元資料の歌としては、上記⑤以外に、先の現代語訳例の意も可能です。『古今和歌集』の編纂者が配列により、意を転換したとみれば、先の現代語訳例が、元資料の歌の意となるでしょう。

 この場合、元資料の歌が披露されたのは、晩春の山吹を目前にした宴席とか(あまり高貴でない臣下が主催するような)私的な歌合も候補となります。山吹を手折って女に送った際の挨拶歌ではないと思います。

 元資料の歌も、上記⑤の意であるとすれば、山吹を目前にしない宴席も候補となります。

5.3-4-33歌の詞書の検討

① 3-4-33歌を、まず詞書から検討します。

② 「やへやまぶき」は、栽培種であり、結実しません。実らぬ恋の象徴にも歌われています。

 例)2-1-1864歌:春雑歌のうちの詠花(1858~1877)の一首

はなさきて みはなれねども ながきけに おもほゆるかも やまぶきのはな

(花咲きて実は成らねども長き日(け)に思ほゆるかも山吹の花。)

やまぶきは、低山地などに自生し水辺を好み、晩春から夏にかけて鮮やかな黄色の花を咲かせる花であり、『萬葉集』に17例あります(『万葉ことば事典』)。

③ 詞書では「やへやまぶき」と品種を特定していますが、歌では「やまぶき」と詠っています。歌にいう「やまぶき」は「やへやまぶき」の意であることを示唆している表現です。なお、類似歌の検討で、「山吹襲(かさね)」の略が「山吹」でもあると指摘しました。 「やへやまぶき」が実らぬ恋の象徴となっていることを承知している『猿丸集』編纂者は歌のなかの「山吹」に重ねているのではないか、と思います。

④ 「人のがりやるとて」とは、理解に2案があります。

名詞句「人のがり」+動詞「やる」+格助詞「とて」、あるいは、名詞「人」+複合動詞「のがりやる」+格助詞「とて」の2案です。

 名詞句案は、名詞「人」と下二段活用の動詞「逃(の)がる」より成っています。動詞「逃がる」の活用形に「逃がり」はありません。「遠くへ去る」意の「のがる」を、「遠くへ去らせる」意に転じてここで四段活用(下二段活用ではないという意思表示)化したのが名詞句「人のがり」である、という推論です。この場合、「やる」は動詞となります。その意は、「行かせる。送る。逃がす」があります。

複合動詞案は、動詞「のがる」と動詞「やる」を連ね、作者が逃がそうとしている意を強めようとしたという推論です。ここでも動詞「のがる」は活用型を変えて、多動的な意味を加えようとしています。(補助動詞「やる」は、動作が進む意を表わしますが、普通は否定形で用いるそうなので案の作成に至りませんでした。)

詞書の文言としては、「人のがりを、やる」という表現より、「人を、逃しやる」のほうがスマートに思えます。ここでは複合動詞案で検討を進めることとします。

 「人のがりやるとて」とは、「相手の人を、逃がそうとして」ということになります。作者でもある作中の主人公が「逃げさせる」の意ですから、相手の人は男であり、この歌の作中の主人公は女です。

⑤ 「をりて」とは、「山吹」が植物のみを指しているとみれば、「花を折って」の意となります。「山吹」が「山吹襲」の略とみれば、男が着用している「襲(下襲)を折りたたんで」の意となります。

下襲は、外を歩く時は畳んで石帯にはさみ室内では長く引き、着座の時は畳んで後に畳んでおく(簀子では高欄にかける)という使い方をする衣服であり(付記3.参照)、「をりて」とは、「急いで逃げ支度を手伝って」の意ともなります。

⑥ 3-4-33歌の詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「雨が降っていた日に、(八重山吹のようなことになり)山吹襲を折って、ある人を(その場から)逃げさせる、と(その人に)言って詠んだ(歌)」

 

6.3-4-33歌の現代語訳を試みると

① 二句の「にほへるいろも」の「いろも」は、理解に2案あります。

第一案は、名詞「色」+係助詞「も」です。

「にほふ」は、a色に染まる、b色が美しく輝く・美しくつややかである、cよいかおりがする。の意があります。「色」は、「a美しさ・華美、b豊かな心・情趣、c恋愛・情事、d顔色・態度、」などの意があります。

二句「にほへるいろも」は、詞書を前提にすると、「色が美しく輝くような情趣・恋愛も」の意、つまり、「美しく輝くように甘美な夜となるはずの逢う瀬も」の意となります。

第二案は、接頭語「いろ」+「妹」です。

「いろ」は接頭語として親族を示す名詞に付いて母が同じであることを示します(『明解古語辞典』では、上代語で、同じ母から姉または妹の意、との説明があります)。

だから二句は、動詞「にほふ」の命令形+完了の助動詞「り」の連体形+名詞「いろも」であり、「美しくつややかである同母妹」、「若々しく美しい同母妹」の意となります。

② 三句「あかなくに」とは、連語です。その意は類似歌と同じでしょう。

③ 四句「かさへなつかし」にも2案の理解が有り得ます。

 形容詞「懐かし」は、上記4.④に示したように「a心がひかれれる・慕わしい・いとしい b昔のことがしのばれて慕わしい」の意があります。

第一案は、「笠+へ+懐かし+(やまぶきのはな+が+(かかる))」であり、

「笠へ心がひかれるところの(やまぶきのはながかかる)」、の意であり、五句の「やまぶきのはな」を修飾します。しかし、下襲を着ている状態の官人は、笠よりも冠を被ります。

第二案は、「香+さへ+懐かし」 、であり、類似歌がこの案です。

⑤ 以上の検討を踏まえ、また詞書に従い、現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「春雨に閉じ込められたので、美しく輝くような甘美な夜となり逢う瀬も十分に楽しめたのに。(急ぎこの場を去ることになってしまった)貴方の残り香にさえ心がひかれる。山吹襲を召した貴方。」

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-33歌は、詠う状況を明らかにしており、類似歌1-1-122歌は「題しらず」で何の情報も与えてくれません。配列から、春の歌とわかるだけです。

② 二句「にほへるいろも」の意が、異なります。この歌は、「美しく輝くような夜となるはずの逢う瀬も」の意であり、これに対して、類似歌は、「ひとしおあざやかになっていた(山吹の花の)色」、の意です。

③ 五句にある「山吹の花」の意が異なります。この歌は、詞書より「逃れさす人」を指し、類似歌は、自然界の花のみを指します。

⑤ この結果、この歌は、心ならずも別れることになった際の恋歌であるのに対して、類似歌は、自然の花を目にして昔をしのぶ雑歌となっています。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-34歌 山吹の花を見て

   いまもかもさきにほふらんたちばなのこじまがさきのやまぶきのはな

3-4-34歌の類似歌: 1-1-121歌   題しらず     よみ人知らず  (巻第二 春歌下)

    今もかもさきにほふらむ橘のこじまのさきの山吹の花

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/10/22   上村 朋)   

付記1.古今集巻第二春歌下の元資料の歌の判定表 

① 古今集巻第二春歌下に記載の歌の元資料の歌について、ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第28歌その1 類似歌の歌集」(2018/9/3)の本文の「2.類似歌の検討その1 巻第四秋歌上の元資料の分析方法」に準じて判定を行った結果を、便宜上3表に分けて示す。

② 表の注記を記す。

1)歌番号等とは、「『新編国歌大観』記載の巻の番号―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」である。

2歌番号等欄の*印は、題しらずよみ人しらずの歌である。

3)季語については、『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)による。(付記2.参照)

4)視点1(時節)は原則季語により新年、初春、仲春、晩春、三春に区分した。

5)視点3(部立)は『古今和歌集』の部立による。

6()書きに、補足の語を記している。

7)《》印は、補注有りの意。補注は表3 の下段に記した。

8)元資料不明の歌には、業平集、友則集、素性集及び遍照集の歌を含む。元資料の歌も『新編国歌大観』による。

 

表1 古今集巻第二春歌下の各歌の元資料の歌の推定その1 (2018/10/22   11h現在)

歌番号等

歌での(現代の)季語

花の状況

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-69*

春霞 さくら花

色かはりゆく

晩春

元資料不明

宴席の歌《》

春 

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-70*

ちる

晩春

元資料不明(素性集第10歌)

宴席の歌・相聞

春&恋 

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-71*

桜花

ちる

晩春

元資料不明

宴席の歌

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-72*

さくら花

ちりのまがい

晩春

元資料不明 

宴席の歌

春 

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-73*

花ざくら《》

ちりにけり

晩春 

寛平御時后宮歌歌合(第9歌)《》

歌合

春&雑 

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-74

さくら花

ちらば

晩春 

元資料不明(古今集の詞書を信じる)

挨拶歌

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-75

桜 花 春 雪

ちる

晩春

元資料不明

宴席の歌・挨拶歌《》

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-76

ちる

晩春

《》

元資料不明(素性集第11歌)

宴席の歌・挨拶歌《》

知的遊戯強い(花は梅又は桜)

1-1-77

さくら

ちりなむ

晩春

元資料不明(素性集第40歌)

宴席の歌・挨拶歌《》

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-78

桜花

ちる

晩春

元資料不明(貫之集になし)

挨拶歌

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-79

春霞 桜花

ちる

晩春 

元資料不明

宴席の歌

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-80

春 桜

うつろふ

晩春 

元資料不明

挨拶歌

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-81

ちる

晩春 《》

元資料不明(古今集の詞書を信じる)

下命の歌

知的遊戯強い(花は桜)《》

1-1-82

さくら花

さかずやあらぬ

晩春

元資料不明(貫之集に無し)

宴席の歌・下命の歌《》

春 

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-83

さくら花

ちる

晩春 

元資料不明(貫之集に無し)

宴席の歌・下命の歌

春 

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-84

春 花

ちる

晩春

元資料不明(友則集第6歌)

下命の歌・宴席の歌《》

春 

知的遊戯強い(のどけき春で花は桜) 

1-1-85

春風 花

うつろふ

晩春

元資料不明(輿風集(第1歌)《》

下命の歌

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-86

雪 さくら花

ちる

晩春 

元資料不明(躬恒集に無し)

下命の歌

春 

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-87

さくら花

・・・

晩春 

元資料不明(貫之集に無し)

挨拶歌

知的遊戯強い(花は桜) 

1-1-88*

春雨 さくら花

ちる

晩春 

元資料不明

下命の歌 《》

知的遊戯強い(花は桜)

1-1-89

さくら花

ちる

晩春 

亭子院歌合(第37歌 題は春)

歌合

知的遊戯強い(花は桜)

 

表2 古今集巻第二春歌下の各歌の元資料の歌の推定その2 (2018/10/22  11h現在)

歌番号等

歌での(現代の)季語

花の状況

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-90

さく

晩春 

元資料不明(古今集の詞書を信じる)

挨拶歌

春&雑 

知的遊戯強い(花は梅か)

1-1-91

花(の色) 春(の山かぜ)

・・・

晩春 

寛平御時中宮歌合(第6歌 題は春)

歌合

春  

知的遊戯強い(花は梅か。香を詠う) 

1-1-92

春(たてば) 花(の木)

うつろふ

初春 (春立つによる)

寛平御時后歌合(第7歌 題は春歌) 

歌合

春 

知的遊戯強い(掘ってくる花の木は梅)

1-1-93*

春(の色) 花

さけるさかざる

晩春 

元資料不明

相聞歌 

春&恋

知的遊戯強い(花は草木の種々な花)

1-1-94

春霞 花

さく

晩春 

元資料不明(貫之集に無し)

屏風歌b

春 

知的遊戯強い(人目に触れない花。桜や梅ではない) 

1-1-95

春(の山辺) 花(のかげ)

・・・

晩春 

元資料不明(素性集第13歌)

挨拶歌・宴席の歌

春  

知的遊戯強い(樹木の花。桜又は梅。) 

1-1-96

ちらず

晩春

元資料不明(素性集第14歌)

下命の歌

春  

知的遊戯強い(花は野辺の花。桜ではない。) 

1-1-97*

春 花

さかりはありなめど

晩春

元資料不明

相聞歌・宴席の歌

春&恋 

知的遊戯強い(よみ人しらずの古い歌なので梅。) 

1-1-98*

・・・

晩春

元資料不明

宴席の歌

春&雑 

知的遊戯強い (春の花全般)

1-1-99*

無し

・・・

三春

《》

元資料不明(素性集第39歌)

宴席の歌

知的遊戯強い(独立樹なので梅)

1-1-100*

花 うぐひす

(花を)をりて

三春 

元資料不明

相聞歌

春&恋

知的遊戯強い(花はうぐひすの寄る梅)

1-1-101

(さく)花 はる

さく

晩春

寛平御時后歌合(第18歌 題は春歌)

歌合

知的遊戯強い(春の花全般)

1-1-102

春霞 花

(花の)かげ

晩春

寛平御時后歌合(第37歌 題は春歌)

歌合

春 

知的遊戯強い(春の樹木の花全般)

1-1-103

霞(立つ) 春(の山べ) 花(のか)

(花の)かぞする

晩春

寛平御時后歌合(第29歌 題は春歌)《》

歌合

春 

知的遊戯強い(春の種々な花の香を詠む。《》)

1-1-104

・・・

晩春

元資料不明(躬恒集に無し)

相聞の歌

春&

恋 

知的遊戯強い(花は梅又は桜)

 

表3 古今集巻第二春歌下の各歌の元資料の歌の推定その3 (2018/10/22  11h現在

歌番号等

歌での(現代の)季語

花の状況

視点1(時節)

元資料と 視点2(詠われた場)

視点3(部立)

視点4 (作詠態度)

1-1-105*

うつろふ花 うぐひす

うつろふ

三春

元資料不明

外出歌 

春 

知的遊戯強い(花は種々な樹木の花) 

1-1-106*

花 うぐひす

てだにふれたる

三春《》

元資料不明 

宴席の歌

知的遊戯強い(花は春の草木の花)

1-1-107

花 うぐひす

ちる

三春《》

元資料不明

下命の歌《》

春 

知的遊戯強い(花は梅) 

1-1-108

花 春霞(たつ) うぐひす

ちる

晩春

仁和中将御息所の家の歌合《》

歌合

知的遊戯強い(花は桜)《》 

1-1-109

花 

ちる

三春

元資料不明(素性集第15歌)

屏風歌b

春 

知的遊戯強い(鳴くのはうぐひすか。花は梅。)

1-1-110

花 うぐひす

ちる

初春(梅による)

躬恒集第375歌

宴席の歌

春 

知的遊戯強い(花は梅) 

1-1-111*

花 雪

ちる

 晩春《》

元資料不明

外出歌・宴席の歌

春 

知的遊戯強い(花は春の花々)

1-1-112*

ちる

 晩春《》

元資料不明

宴席の歌 

春&雑 

知的遊戯強い(花は梅か桜)《》

1-1-113

花(のいろ)

うつる

晩春(花による)《》

元資料不明

宴席の歌・挨拶歌《》 

春&雑 

知的遊戯強い(花は花全般。秋の花でもよい)《》

1-1-114

ちる

晩春

仁和中将御息所の家の歌合(素性集第16歌)《》

歌合

春 

知的遊戯強い(花は花全般。秋の花でもよい)

1-1-115

はる(の山辺) 花

ちる

晩春

元資料不明(貫之集に無し)

挨拶歌・外出歌

知的遊戯強い(花は山桜)

1-1-116

春のの わかな 花 

ちりかふ

初春 

寛平御時后宮歌合(第8歌 題は春歌)(貫之集に無し)

知的遊戯強い(春の草木の花。桜に限らない。)

1-1-117

春(の山辺) 花 

ちる

晩春 

元資料不明(貫之集に無し)

挨拶歌・宴席の歌

知的遊戯強い(夢中の花なので春の草木の花)

1-1-118

見ましや

晩春 

元資料不明(寛平御時后宮歌合にも貫之集にも無し)

歌合《》

春 

知的遊戯強い(人に知られぬ花。第一が山桜)

1-1-119

ふぢの花

はひまつはれ 

晩春 

元資料不明(遍照集第33歌)

挨拶歌

春 

知的遊戯強い(花は藤)

1-1-120

藤波

さく

晩春 

元資料不明(躬恒集に無し)

挨拶歌

春 

知的遊戯強い(花は藤)

1-1-121*

山吹の花

にほふ

晩春 

元資料不明

保留(当該猿丸集歌と一緒に検討)

春 

知的遊戯強い

(猿丸集の類似歌 花は山吹)

1-1-122*

春雨 山吹

にほふ

晩春 

元資料不明

保留(本文4.で検討)

春 

知的遊戯強い(猿丸集の類似歌 花は山吹)

1-1-123*

山ぶき 花 

なさきそ

晩春 

元資料不明

相聞歌

春&恋

知的遊戯強い(花は山吹)

1-1-124

山吹

うつろふ

晩春

元資料不明(貫之集に無し)

屏風絵b

知的遊戯強い(花は山吹) 

1-1-125*

花 山吹

ちる

晩春

元資料不明

哀傷の歌・相聞歌 《》

春&哀傷 

知的遊戯強い(花は山吹)

1-1-126

春(の山辺

 

三春

元資料不明(素性集第17歌)

屏風歌b・外出歌

知的遊戯強い(春の草木の花)

1-1-127

はる(たち)

 

初春(はるたつによる) 《》

躬恒集(第358歌)

屏風歌b・挨拶歌 《》

春&雑 

知的遊戯強い(花を詠んでいない)

1-1-128

花 うぐひす

無きとむる(花)

晩春

元資料不明(貫之集に無し)

挨拶歌

知的遊戯強い(やよひの花は梅以外の樹木の花) 

1-1-129

花 春

ちる

晩春 

元資料不明(深養父集第4歌)

外出歌

知的遊戯強い(春の山の花の第一候補は山桜)

1-1-130

春霞(たつ)

 

三春 《》

左兵衛佐定文歌合

(第5歌 題は暮春)

歌合 

春 

知的遊戯強い(花を詠っていない)

1-1-131

うぐひす 春

 

三春 《》

寛平御時后宮歌合(第4歌 題は春歌)

歌合

知的遊戯強い(花を詠っていない)

1-1-132

ちる

晩春

左兵衛佐定文歌合(第6歌 題は暮春) 《》

歌合

知的遊戯強い(春の草の花)

1-1-133

年の内 春

 

三春《》

元資料不明(業平集第5歌)

挨拶歌

知的遊戯強い (花は不定

1-1-134

春 

花(のかげ)

 

三春《》

亭子院歌合(第40歌 題は春)

歌合

知的遊戯強い(春の花だが不定) 

補注

1-1-69歌:この歌は、賀の祝いの席に飾る屏風の歌ではない。手折って友におくるのに付けた歌でもない。桜を愛でる宴席の歌である。》

1-1-73歌:諸氏が同じ歌としている寛平御時后宮歌歌合第9歌を元資料の歌とした。元資料はうぐひすを詠っているが『古今和歌集』編纂者は初句と二句に手を入れている。「うつせみ」は、人間の意で季語とはとらない。》

1-1-75歌~1-1-77歌:古今集での作者名を信じると、これらの歌は、出家前より知り合いの人の集いでの歌であるか、訪問時の挨拶歌である。》

1-1-81歌:①東宮に関わる歌との古今集の詞書を信じる。②そのため歌中の花は桜》

1-1-82歌&1-1-84歌:①花を愛でる宴席の歌か。②古今集の詞書で「・・・をよめる」とある歌は、屏風歌や題詠となる歌合の歌が多々ある。賀の要素が無いので下命の歌か。》

1-1-85: 古今集での作者名はよしかぜ。②東宮に関わる歌との古今集の詞書を信じる。》

1-1-88歌:元永本の古今集では歌合用の歌となっている。》

1-1-99歌:季語がないので、花でも紅葉でもよい歌。「ひともと」の木に注目して詠っていること、古今集のよみ人しらずの時代の歌とみえ、「ひともと」を庭木とし梅と推測した。》

1-1-103歌:元資料(寛平御時后宮歌合)の第1歌は、「花のか」と「うぐひす」を詠う。第9歌は「うぐひす」と「さくら花」を詠う。第15歌は花とうぐひすを詠う。この歌の「花」は山辺に梅が自生していないと推定し、種々な樹木の花。》

1 -1-106歌&1-1-107歌:うぐひすは三春であるので、花は春の樹木の花。季語の「花」からは時節が晩春となるが、三春とする。》

1-1-107歌:古今集の作者名を信じると、出仕中の即興歌か。そのため下命の歌とした。》

1-1-108: ①この歌合の記録は現存しないが古今集の詞書を信じる。 ②『萬葉集』にはたつたのやまの桜を詠んだ歌があり、たつたのやまの梅を詠んだ歌はない。

1-1-111:よみ人しらずの歌であり、花は春の花々。季語の花により晩春としたが、歌からは三春。》

1-1-112歌:季語の花により晩春としたが、秋の花でもよい歌。》

1-1-113歌:①古今集の作者名を信じないとすると、二句の「うつる」を「花が散る」意として、この歌の作中の主人公は、老いてもまだ願っていた位階等に届かない男であってもよい。除目に漏れた時の歌とすれば春ならば花は梅、秋ならば撫子や菊などになる。②このような自省の歌・述懐の歌は、男ならば親しい人に挨拶時に披露するか自虐の歌として宴席の場で披露するか、であり。女性ならば、挨拶歌か。》

1-1-114歌:この歌合の記録は現存しないが古今集の詞書を信じる。

1-1-118歌:歌合の歌であるという古今集の詞書を信じる。

1-1-125歌:誰かの死か悲恋に終わった歌と推定した。》

1-1-127:季語から時節は初春としたが、年末の詠とみて冬の時節でもよい。また、四句が躬恒集は「いにしがごとも」、古今集は「いるがごとくも」。》

1-1-130歌:季語(春)から三春としたが、元資料の題によれば晩春となる。》

1-1-131歌:季語(春)から三春としたが、三句四句によれば晩春・三月の末となる。》

1-1-132歌:元資料の詞書は暮春。》

1-1-133歌:季語(春)から三春としたが、四句によれば晩春・三月の末となる。》

1-1-134歌:季語(春)から三春としたが、上句によれば晩春・三月の末となる。》

(補注終り)

付記2俳句での春と新年の季語(季題)について 

① 『平井照敏NHK出版季寄せ』(2001)は、春の季語を春(立春から立夏の前日まで)の全体にわたる季題(三春)と、季の移り変わりにより初仲晩に分かれる季題に分類している。別に新年の部類を設けている。

② 夏の季語の例を示す。

三春:(春・朝)かすみ、春(べ)、春(の日・の月・の野)、春雨、うぐひす、ももちどり、春の鹿、東風、おぼろ月、摘み草

初春:春立つ、春来、梅、奈良の山焼き(お山焼き・嫩(わか)草山焼き)、野焼く

仲春:紅梅、木の芽、初花、初桜、辛夷(こぶし)、鳥かへる、かへるかり

晩春:花、花の陰、月の花、(山・八重・里)桜、花の雪、桃の花、わかくさ、(青)柳、若緑(松の新芽を言う)、松のみどり、緑立つ、藤、山吹、つつじ、花見

③ 春とは別のくくりとなる新年の季語の例を示す。

新年:こぞことし、新年、初春、若菜(冬の七草をいう)、若菜野(七草の生えている野をいう)、七種(粥)、初比東風」

④ そのほかの季節の季語の例を示す。

三夏:青葉、滝、涼し

初夏:緑、新緑、若葉、葉柳、夏柳、葉桜、卯の花

仲夏:花橘、柿の花

晩夏:橘、かぐのみ、蝉、空蝉

晩冬:(けさ)の雪、氷、雪あかり」

⑤ 「よぶこどり」は季語としていない。

⑥ これは、現代における認識である。『古今和歌集』巻第三夏歌の巻頭歌は、藤とホトトギスを詠い、二首目には卯月に咲いた桜を詠っている。

 

付記3.山吹と襲とについて

① 『例解古語辞典』や『王朝文学文化歴史辞典』(2011笠間書院)』やウィキペディアなどによれば、山吹の意はいくつかある。

第一 植物の名

第二 「山吹襲(かさね)」の略。襲の色目の名。表は薄朽葉(うすくちば)色、裏は黄色。春に着用する。襲とは、下襲の略で男が「袍」の下に着る裾の長い衣服。

第三 色の名。ヤマブキの花のような色。黄色・黄金色。

② 男の官人は、養老令の『衣服令』に基づき、朝服を着て儀式に参列・公務を行う。朝服は、平安時代になり束帯と称するものに落ち着いた。束帯の基本構成は、冠・袍・半臂(はんぴ)・下襲・衵(あこめ)・単(ひとえ)・上袴・大口・襪(ばつ)・石帯・魚袋・太刀・平緒・履(くつ)・笏(しゃく)からなる。

一番上の衣服が袍であり、袍の上から石帯を締める。袍のしたに半臂(はんぴ)を着て、その下に下襲をつける。

半臂(はんぴ):丈が膝上あたりまで、袖のごく短い垂領(たりくび)で腋を縫ってある。

下襲は垂領(たりくび)の衣。袴の上に付ける。丈は初め身長と同じであった後ろ身が次第に長くなり裾をひくようになった、天暦元年(947)の倹約令で長さを定めているが大臣で「身長+1尺」とある。外を歩く時は畳んで石帯にはさみ室内では長く引いた。着座の時は畳んで後に畳んでおいた(簀子では高欄にかけた)。袍と異なりあまり制限はなかったようであり、材質や色も様々である。

③ 衣服の色は、位階により定めが養老令の『衣服令』にある。深紫から、深緋、浅緑を経て浅縹(あさはなだ)まで8色ある。一番外側の衣服となる袍に関する色の定めである。

 男の場合、『衣服令』に下襲の色について定めはなかったので、種々な配色の例がある。下襲がその植物名で略称されていることがある。(『枕草子』「下襲は」の段参照) 

④ 『例解古語辞典』によれば、「かさね」とは、「重ね。襲。a下襲(かさね)の略。男性が袍の下に着る、裾の長い衣服。b衣服の上着と下着がそろったもの。c衣服を重ねて着るときの、裏と表の配色。例えば「やまぶき」は面はうすくちば色、裏は黄色で春に着用。」

⑤ 色の名は、色目(いろめ。十二単などにおける色の組み合わせ)にもある。衣を表裏に重ねるもの、複数の衣を重ねるもの、経糸緯糸の違いによるものなどがある。

代表的なものは表裏に重ねるものでこれをとくに襲の色目(かさねのいろめ)という。色目の名は多く季節の風物にちなみ、紅梅、桜、山吹、朽葉、松などの植物名、玉虫色などの昆虫名、氷、初雪などの地象などによる他、白襲、赤色などの色名、枯野など景物にちなむものがある。同じ組み合わせを季節によって違う名で呼ぶこともある。

(付記終り。2018/10/22   上村 朋)

 

付記の追記その1:第三の歌群 色々な花が散る歌群 1-1-105歌~1-1-118歌 (1案を修正)について

① この歌群にある1-1-115歌~1-1-118歌(いずれも作者はつらゆき)は特異な歌群として諸氏が論じている。

佐田公子氏は、『『古今和歌集』論 和歌と歌群の生成をめぐって』(笠間書院 2016/11)において、散華という宗教的イベントや『維摩詰所説経観衆品本七』の天女の散華の逸話が下敷きにある、と論じている(40~61p)。同じ逸話による『白氏文集』3283詩などもある。

1-1-115歌に『維摩詰所説経観衆品本七』の一節により、女性たちを散る花にみたてた、と指摘している。氏の通釈等つぎのとおり。

1-1-115歌:通釈:参詣して仏に帰依し、ゆったりと春の山辺を越えて来ましたのに(この歌が作者貫之の往路なら「これから参詣して仏に帰依しようとしているのに」)清浄な心を定心に保つことが出来ないくらいあなたがた美しい女性達は、花のようでありますし、折から散る花は、私を悟りの境地から誘惑し、それを判断する、まるで天女の撒く散華のようですよ。

1-1-116歌:下句「ちりかふ花に道はまどひぬ」が、上記のような理解で生きてくる。

1-1-117歌:夢信仰に異を唱えていると見るよりは、「山寺」という詞書により、仏教法会や散華との関連でとらえるほうが自然。

1-1-118歌:従来言われている漢詩の「落花流水」という桃源郷的世界を醸し出すモチーフを基に詠んだものあろう。しかし115~117歌の散華のモチーフを受けているであるので、「散華」にもなり「人の心を惑わすもの」となる落花が、深山幽谷においても人知れず散り、そしてそれが風や流水という自然現象によって人間界に齎され、それを発見した人の心がさらに救済されるという美の世界を表出している(のがこの歌)。

貫之は散華のモチーフを基調に,詠じた場の異なる四首を一連とし、独自の配列を施し、この4首を締めくくっている。

(上村朋:元資料の歌と違う意味付けを『古今和歌集』編纂者がしたこと。歌集として表面は桜散る季節の歌であり、その裏に(散るに関係深い)違う意味付けを隠した、ということになる。)

②中野方子氏は、『古今和歌集』歌を散華との関連で積極的に解釈しようとされた(「古今集歌人と仏教語―法会の歌―」(「和歌文学研究」80号 2000/6))

散華とは、諸仏を供養するために花を散布することで、法会の時に散布する華そのものや、華を散じながら唱える梵唄をも言う。

付記の追記その2:第四の歌群 藤と山吹による歌群 1-1-119歌~1-1-125歌 (1案を修正)

について

① 佐田公子氏は、『『古今和歌集』論 和歌と歌群の生成をめぐって』(笠間書院 2016/11)において、古今集の山吹をよむ歌の考察をしている(62~90p)。

② 諸氏は、藤は漢詩に良く詠まれ貴族の邸宅にも唐絵にも描かれ国風文化の進展とともに大和絵にも、和歌にも反映されたが、山吹は漢詩の素材ではなく純粋に日本的な素材であった、としている。

③ 佐田氏は、山吹の和歌は萬葉集歌(とくに厚見王の1435歌)が平安貴族の美意識に適っていた、と指摘する。「特定の地名と景物が結びつくいわゆる歌枕量産の気運のなかに選び取られてきたのが山吹歌である」、「『萬葉集』以来の庭前の山吹宇アのみならず『古今集』歌の思想である移ろいの美を強調した時、日常の時空を超えるためにも(新しい)地名(を詠む)歌が求められた」とも指摘している。

④ 氏の分析によると、5首しかない古今集の山吹歌の特徴は次のとおり。

  • よみびと知らずの歌が多い (4/5)  他の歌群との比較でもその割合が高い。
  • 地名を含む歌が多い (3/5)  他の歌群との比較でもその割合が高い。
  • 水辺の山吹歌が多い(地名はみな水辺) (3/5)
  • 盛りの山吹の実景を詠んだ歌が少ない

(付記の追記終り:2020/5/13追記   上村 朋)