わかたんかこれ 猿丸集第8歌 ひとり ともしも

前回(2018/3/19)、 「第7歌 ゐなのふじはら」と題して記しました。

今回、「第8歌 ひとり ともしも 」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに理解を深めました。「はるの夜」の理解などです。2020/8/3付けブログもぜひ御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第8 3-4-8歌とその類似歌

① 『猿丸集』の8番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-8歌 はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる

くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひとりともしも

 

3-4-8歌の類似歌 諸氏が類似歌として2-1-293歌をあげていますが、もう1首あります。

 類似歌a 2-1-293歌 間人(はしひと)宿祢大浦初月歌二首(292,293)

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき 

(椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月乃 光乏寸)

 

 類似歌b 2-1-1767歌 沙弥女王歌一首 

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの かたまちかたき

 (倉橋之 山乎高歟 夜窂尓 出来月之 片待難)

   (左注)右一首は、間人宿禰大浦の歌の中に既に見ゆ。但し、末の一句相換わる。また、作歌の両首、正指に敢えず。因りて累ねて載す。

 

 この左注により、この二つの歌を類似歌として検討します。

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、3-4-8歌と類似歌とは、三句と五句が異なり、また詞書が、異なります。

③ これら三つの歌は、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌aの前後の歌をみて見ます。類似歌a 『萬葉集』巻第三の雑歌(235~392)にあります。

 

2-1-290歌 幸志賀時、石上卿作歌一首 名闕

     ここにして いへやもいづち しらくもの たなびくやまを こえてきにけり

2-1-291歌 穂積朝臣老歌一首

     わがいのちし まさきくあらば またもみむ しがのおほつに よするしらなみ

左注)右、今案(かむが)ふるに、幸行の年月審らかにせず。

2-1-292歌  間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)

あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ

2-1-293歌 上記のとおり

2-1-294歌 小田事勢能山歌一首

    まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ

2-1-295歌 角麻呂歌四首 (以下割愛)

 2-1-291歌の左注からは、作者が住居を構えている大和を念頭において志賀を詠んでいるので、編纂者はともに行幸時の歌と整理してここにおいた、という意思を感じます。

この配列からみると、「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」 を、現代語訳をする際はこの2首を一連の歌と理解したほうがよい、と思われます。

② 次に、類似歌bの前後の歌をみてみます。類似歌bは、萬葉集』巻第九の雑歌(2-1-1668~2-1-1769)にあります

2-1-1765~6歌 「詠鳴鹿歌一首并短歌」と題する長歌反歌  歌は割愛

2-1-1767歌 上記のとおり

2-1-1768~9歌 「七夕歌一首并短歌」と題する長歌反歌  歌は割愛

 この配列からみると、前後の歌群とは独立した歌が、類似歌bである、と思われます。

③ 二つの類似歌は、清濁抜きの平仮名表記では五句の4文字ですが、万葉仮名は、17文字中8文字が異なります。

 

3.類似歌の検討その2 詞書と初月

① 類似歌a 2-1-293歌の詞書は、「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」とあり、作者名と詠んでいる「物」を指し示しています。

 作者の間人(はしひと)宿祢大浦は伝未詳です。

② 詞書の訳例をあげます。

・「間人宿祢大浦の三日月の歌二首」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

・「間人宿祢大浦の初月(みかづき)の歌二首」(阿蘇氏)

この二つの訳例は、「初月」とは、新月から三日目の月、と理解しています。

③ 初月」とは古語辞典によると「はつづき」とよみ、新月や三日月、特に陰暦8月初めの月をいいます。陰暦8月は、仲秋の名月の月であり太陽暦9月前後です。現代では97日から108日の間に訪れる満月(または満月に近い)の夜が仲秋の名月・十五夜という定義だそうです。

今年2018年の仲秋の名月は、924日です。その月(20189月)の月齢の若い新月(月齢一日前後)と三日月の天文学的な月の出(月の中心が地平線と一致する時刻)と月の入りは、京都市ですと545分と1846分、94分と2034分です。京都市での2018年通年の新月の月の出は5時前から8時前であり、月の入りは17時過ぎから20時前です。三日月の月の入りは19時ころから23時前です。

昼間の月は太陽も空にあるため見えることがかないません。月が実際に見えてくる暗さを日没1時間前の暗さと仮定すると、朝が月の出となる三日月などは、その形を見るのは西の空ということで、間もなく月の入りとなります。

さらに京都市は山々に囲まれており東には比叡山があるので、実際に見えはじめるのは天文学的な月の出の時刻より遅く、見えなくなるのは山々に消えるので逆に月の入りの時刻より早いことになります。 

④ 現在でも、月の形を空に認めると、「月がでた」と言っており、「月が出ている」とは、天空で月が目立っている状態を意味しています。福岡県の炭鉱節は、オリジナルが三井田川炭鉱の「伊田場打選炭唄」で編曲されて1932年レコード化されました。「月が出た 月が出た 三池炭坑の 上に出た」と唄い出しますが、その月は山の端に見えた月ではなく炭鉱の上空にある月です。

2-1-293歌の作者の時代にも、「初月」である白くて細い月を空に認めたとき、「月が出た」ということはあったのではないかと思います。つまり、日没前の時間帯でも「月がでた」と表現していたと推測できます。

万葉仮名「出来月」とある歌は、この対の歌のほか『萬葉集』には4首あります。その月齢を推測すると、

まちまちです。23日か(986歌)とか、満月近くではない(1089歌)とか満月に近い(3825歌)とか7日か23日(2831歌)という具合です。

このように、万葉仮名「出来月」は、「空に月の形を認めた」ことを指しています。

⑤ 類似歌b 2-1-1767歌の詞書は、作者名だけです。

作者の沙弥女王も、伝未詳です。

 

4.類似歌の検討その2 2-1-293歌は対の歌

① 訳例を示します。

2-1-293

「倉橋の 山が高いからか 夜遅く 出て来る月の 光も暗い。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

 月齢については、「夜が更けてから出る月なので下弦の月となる。」としています。また、初句「倉橋の」の「倉」に、「暗い」の意が掛けてあると指摘しています。

2-1-293

倉橋の山が高いからだろうか。夜遅くなって出てくる月の光の乏しいことよ。」(阿蘇氏)

 月齢については、三句の「よごもりに」を「夜篭りに」と阿蘇氏は理解し、「深更に、深夜に」の意とし、通説のように下弦の月(陰暦22,23日ころ)を詠んだと推測しています。但し、「間人宿禰大浦初月歌二首」という詞書からの考察では上弦の月新月となるとし、新月説や上弦の月説のあることを紹介しています。

 

2-1-1767

「倉橋の 山が高いからか 夜遅く 出てくる月が 待ち遠しい。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

2-1-1767

倉橋山が高いからか、夜遅くになって出てくる月が待ちきれないよ。」(阿蘇氏)

阿蘇氏は、五句にある万葉仮名「片」を接頭語とし、ひたすら、の意と解し、「夜深く出てくる月」と理解しています。

この二つの訳例では、夜遅く出て来る(空にみえてくる)月なので、月齢を17日以降と推定していることになります。

② 配列からいうと、2-1-292歌と2-1-293歌は、同じ題のもとに連続して記載されていますので、(すでに指摘したように)2-1-291歌に左注を記した編纂者の考えを思えば、この二つの歌を、同一の作者のほぼ同時に詠まれた歌、あるいは、同じ題のもとにおける同一の作者の歌としてここに記載している、と認められます。

それは、この二つの歌が、対となっている歌として編纂者が認めていることであり、その対となっているのは、詞書よりみて、月齢が大変若い月(初月)であることは共通しているので、月の見え始めと見納めではないか、と思います。月の見え始めの2首とする記載方法には、積極的理由がありません。

③ それでは、対の歌の最初の歌である2-1-292歌の訳例を、つぎに示します。

     「大空を 振り仰いで見ると 弓張月が 空にかかっている この分だと夜道は良かろう」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

 三句の「しらまゆみ」を「弓張月」と訳しており、詞書にある「初月」との関係に言及せず、また月齢が若いのか廿日過ぎなのかを訳で明確にしていません。対となるもう一つの歌(2-1-293歌)は、詞書を無視した下弦の月であるとした訳であることを、明言しているのと比べると、月齢が若い月であると決め付けていません。

・ 「大空を振り仰いで見ると、三日月が白木の真弓を張ったように空にかかっている。この様子ではきっと夜道は歩きやすいことだろう。」(阿蘇氏)

三句の「しらまゆみ」とは、「漆などを塗らない白木のままの檀の木で作った弓。弦を張った(白い)弓を三日月にたとえている。」と阿蘇氏は説明しています。

氏の訳は、詞書にある「初月」と表現できる月齢の月となっています。

④ 詞書を尊重すれば、2-1-292歌は、「初月」を、日没前後の西空に認めて、夜道を行く者にとり、月の光を雲がかかっていないので少しでもあてにできるという、喜びを、詠ったものとみてよいと思います。

 初句から二句の「あまのはら ふりさけみれば」というのは雲一つない空を暗示しています。

 そのため、現代語訳は、阿蘇氏の訳がよい、と思います。

⑤ 次に、2-1-292歌と対になっている2-1-293歌を検討します。

初句「くらはしの」という「くらはし」が特定の地名かどうかは、しばらく保留しておきます。『能因歌枕』では「くらはしやま」が大和国の歌枕となっています。

二句「やまをたかみか」は、名詞「山」+格助詞「を」+形容詞「たかし」の語幹+接尾語「み」+疑問の格助詞「か」であり、「山が高いせいなのか?」の意です。作者は月の光が乏しいことを嘆いています。

詞書に従い月は「初月」とすると、日没前に見えはじめる月は既に西空にあるので、「山」が月の見え始めの時刻を遅らすことはありません。

月が見えなくなる時刻(月の光をあてにできる限界の時刻)は、山に邪魔された場合、天文学的な月の入り(地平線に月の中心が沈む)の時刻よりだいぶ前の時刻になってしまいます。ビルの上に見えていた月も、東から西へとそのビルに近づくと見えなくなるのと同じで、自分が(西方にある)山に近づけばその山が視界を遮る割合が大きくなります。

山に隠れた月の光は間接照明のように作者の周囲の地上に届いていますが、月を直接見上げることができる場所と比べれば少しは暗くなってきます。それを「ひかりともしき」と表現したのではないか。

⑥ 月そのものの光が乏しいのは、基本的には月齢によります。その夜の月の明るさが変ることはありません。月齢が15日前後ならば非常に明るく(円となった月をみることができ)、月齢1日前後では、光が乏しい(細い三日月を見ることになる)のです。また、月が天中にあるか地平線に近いかによっても月の明るさに多少の差を感じるものです。

見る人の周囲の状況も影響します。雪が積もっている杜は新月でも明るく感じ、夏の杜は新月ならばより暗く感じる、という類のことです。

だから、月齢が若い「初月」のころの夜道を行き山や丘が近い所に近づいた作者は、さらに山(実際は樹木の繁る森)から圧迫感があるのを、「ひかりともしき」と詠詠っているといえます。

⑦ 四句の万葉仮名は「出来月乃」です。

 「月が出た」というのは、上記3.の④で述べたように、空に月の形を認めた、の意です。

十五夜は、天文学的な月の出(月の中心が地平線と一致する時刻)が日没直前であるので、東の空に月の形が見えはじめますが、「初月」の天文学的な月の出は明け方なので、日の出後は太陽のため見えることができなくて、日没が近づいたころ、西空に月は見えはじめます。

ちなみに、2018年の仲秋の名月(924日)の月の出は1743分であり、この日の日没は1752分です。20189月の月齢1日前後の日、例えば913日の日没は1803分であり、その2時間半後の2034分には月の入りとなります。

⑧ 五句の万葉仮名は「光乏寸」です。「ひかりともしき」という訓です。これは、

・名詞「光」+形容詞「ともし」の終止形+助動詞「き」

・名詞「光」+形容詞「ともし」の連体形+(名詞「X」)+(詠嘆等の助詞)

2案の理解が可能です。

 前者の理解における助動詞「き」は、話し手自身(ここでは作者)の直接体験を、回想して述べているという意です。「光が乏しいことだったなあ」と現代語訳できます。

 後者の理解における名詞「X」は、この歌が、2-1-292歌と対の歌であることを考慮すると、「夜道(よ)」が候補の一つになります。2-1-292歌により、作者は夜道を出発したことがわかっています。そして「くらはし」の地に近づいたころ、この2-1-293歌の状況になった、という理解になります。「初月」は、西空に認めてから2,3時間足らずで月の入りとなります。つまり、出発して12時間後に「くらはしの山」を作者が見上げる仰角は大きくなったのです。あるいは道に沿った樹林により月が隠れたという状況になった、ということです。

 だから、「光乏寸」とは、作者の足元が、初月の(そんなに明るくはない)光による間接照明みたいな明るさになってしまった、ということを詠んでいる、と理解できるので、「光が乏しい夜道となってしまったなあ」、あるいは「この道はさらに光が乏しいねえ」と現代語訳できます。

 前者の理解でもよいのですが、一つの詞書における同一作者の歌が対になっていることを背景に理解できたので、後者の(名詞「X」)案の訳を、ここではとりたいと思います。

⑨ 歌の三句に戻ります。

万葉仮名を「よごもり」と訓じている歌は、『萬葉集』に3首あります。2-1-293歌と2-1-1767歌のほかに、長歌2-1-4190歌です。

2-1-4190歌は「霍公鳥と時花を詠った歌であり、万葉仮名で「四月之立者 欲其母理尓 鳴霍公鳥」とあります。

ホトトギスはよく『萬葉集』でも季節の到来を告げるものとして初音が待たれています。この歌の「欲其母理」は「初音を聞かせてくれるはずの夜が深まってゆくとき」の意と理解することができます。

 2-1-293歌の万葉仮名は「夜隠」、2-1-1767歌は「夜窂」であり、漢字そのものの意が、「隠れる、隠す」など、あるいは「いけにえ、かこい」という字を借りてきています。

そうすると、三句の「夜隠尓」は、「夜の帳(とばり)がおりるなか」とか、「夜の帳がおりるように」とかいうニュアンスが、現代語訳の一例となります。一定の夜の時間帯を指すのではなく、進行中である雰囲気のある語句が「よごもりに」あります。

「夜隠尓」の現代語訳別の一例は、「暗さの増す夜に」があると思います。

⑩ 「初月」の歌でかつ対となる歌がある、と記す詞書に従い、2-1-293歌の現代語訳をこころみると、つぎのようになります。

 「(夜道を辿って)倉橋の地まできたが、そこの山が段々高くみえるようになったせいなのか、夜の帳(とばり)がおりるなか空には月のあるものの、光がさらに乏しくなった夜道であるなあ(初月は山の陰に入り私の視界から消えてしまって、その光が弱くなった夜道だなあ。)」

この現代語訳(試案)は、萬葉集』巻第三の編纂者が、ひとつの詞書のもとに並べて記載した意図にそうものであると、思います。

⑪ 保留していた初句の「くらはし」を検討します。作者が都にいて詠んだ歌がこの2-1-292歌と仮定すると藤原京平城京からみて西方の地の名称となります。

しかし、この歌が編纂者によって示された対の歌であることを想起すれば、作者は2-1-292歌で夜道を行こうとしており、2-1-293歌では山の麓に近づいていますので、その行動を詠んだ歌であるという理解が望ましいものであると思います。

詞書が「初月」の歌としているので、初句の地名により歌意が左右されるとは思えません。地名や山名も歌としては入替可能です。別の見方をすれば、入替可能のため代表的な山の名前として選ばれたとも考えられます。その理由は2-1-1767歌の場合も合せて検討することとします。

 

5.類似歌の検討その3 2-1-1767

① 次に、2-1-1767歌を検討します。この歌は、清濁抜きの平仮名表記では五句だけが2-1-293歌と違う歌です。

五句「片待難」(かたまちがたし)の「かた」の理解に2案あります。

「片」は接頭語。 阿蘇氏などの説。ここでの意は「ひたすら」

 接頭語「片」+動詞「待つ」の連用形+形容詞「難し」の連体形(+詠嘆の終助詞「かな」あるいは「夜を」)

・「片」は名詞「方」。その意はa方角・方向、b時節・時刻など。

 前者の場合その現代語訳は、「ひたすら待つのは容易ではないなあ」、後者の場合は、「(今夜の月の出の時刻はわかっているのだがその)時刻を待つのは容易ではないなあ」、となります。

 ただ、接頭語案で、「片+名詞」(片糸など)の例でも、「片+動詞」(片去る)でも「片側、一部分」の意であり、「ひたすら」の意はこの歌のほかに知りません。

 この歌は、沙弥女王という女性が作者とされているのに、後者の場合「その時刻を待つのは・・・」となると、相聞の歌でなく、単に月を待つ歌となっている歌となります。さらに「くらはしのやま」が入替可能の代表的な山の名前であるすると、この歌の作詠事情は、月の出を楽しむあるいは昇ってきた月を愛でることを一つのイベントとした宴席で、月の出の前のイベントとしての歌または舞の披露の時の歌ではないか、と思います。もともと宴の進行を促す歌として沙弥女王以前に成立し、既に伝承されていたのではないか、という推測です。

沙弥女王は舞を所望された女性であり、何度も既に披露されたことのある歌の朗詠に合せて舞を舞ってくれた、沙弥女王に敬意を表し、彼女の歌として途中から伝承されてきたのではないか。

 当夜の月の出の時刻は、当然わかっていて宴席をセットしているはずですから、通例月の出(見え始め)を出席者は着席して迎えるはずです。

 「出来月」は、既に指摘したように、空に月の形を認めた、の意です。「出来月之片」は、月の出の時刻あるいは「宴席の場所から月が(山や樹林や海などから)昇って来るのが見える時刻」の意、となります。

 万葉仮名に漢字「方」を採用していない理由は分かりませんが、「かた」と訓む場合に、「方」の意を排除する一般的な根拠はないと思います。(万葉仮名に詳しい方の意見をお聞かせください。)

③ 宴席で朗詠された歌であると、作者は都あるいは行幸の地に居る可能性が高い。この歌で詠われている月は、夜に入ってから見ることが可能な月なので、月齢は、15日以降であり、東の空に昇る月です。初句と二句の「倉橋之 山乎高歟」(くらはしの やまをたかみか)の山の位置が、2-1-293歌と異なる東の方角となり、食い違います。

 しかし、違和感なくこの歌はその宴に参加されていた人々に受け入れられ、また『萬葉集』に記載されるほど伝承されてきた歌です。そうすると、この歌が詠まれた頃は、実際の「くらはしのやま」の所在地に関係なく、「くらはしのやま」という表現に対して、宴席に出席した人々が共通認識を持っていた、ということになります。その認識は、「障害となる山の代名詞である」、というものです。だから実際に2-1-1767歌を朗詠する場合は、朗詠する場所に近い山名に入れ替えられていたのではないでしょうか。

 「くらはし」という土地に行幸した事例がありますので、その時最初に朗詠されたのかもしれません。

2-1-293歌が詠まれた時点も、「障害となる山の代名詞である」と理解されていて不都合はありません。

なお、「くらはしやま」が大和国の歌枕である理由として、『古事記』の速総別王(はやぶさわけのおおきみ)と女鳥王(めどりのおおきみ)の反逆の物語で、「梯立の倉椅山をさがしみと岩かきかねてわが手とらすも」と詠われたことであるとの指摘があります。

共通認識は、もうひとつ、伝承されてきたこの歌そのものにも生まれていたのではないでしょうか。

④ 現代語訳を試みると、つぎの通りです。

「倉橋山が高いからなのか、夜の帳(とばり)がおりるなか、遅くなって月の昇ってくる時刻を(ただ)待つのは、容易ではないなあ(皆々様、ご挨拶は、短かいほどよろしいのです。)

山の名を宴の会場から見える山名に入替えても、歌の趣旨は伝わります。

左注の文言を信用すれば、 『萬葉集』のこの巻の編纂者も「くらはしのやま」の認識を共有し、作者とくらはしのやまの位置関係と詠まれている月齢との違いに気がついていたため、2-1-293歌と似て非なる歌として記載したのではないかという推理が働きます。

⑤ 阿蘇氏は、2-1-293歌は、人麻呂歌集所出歌であるので、後に詠んだ2-1-1767歌の作者が、詠歌の際、利用したのか、と指摘しています。宴席の歌であり類型的な歌である2-1-1767歌によって共通認識が先に生まれ、2-1-293歌の作者がその後利用したのではないかと私は思います。満月前後の月を詠む歌より、初月を詠む歌のほうが技巧的であるのも、理由の一つです。

⑥ この二つの類似歌は、月に関しては初月の歌と十七夜以降の月の歌とに分かれました。月の見える時間帯はともに宵(真夜中には至らない時刻)です。

 

6.3-4-8歌の詞書の検討

① 3-4-8歌を、まず詞書から検討します。

② まず、月齢について。

詞書に、「月をまちけるに、」という女がいるのは自宅であると想定できます。月を待っているということは、女が男の訪れを待っているのと同義であろうと推測できるので、月の出の時刻がほぼ日没以降となる月齢の月、例えば月齢が17日以降の月を詠ったのではないかと、なります。

③ 作者である女は同じ屋敷に住み続けていたのでしょうから、月をみるのに妨げとなる山が屋敷の東側にあったとすると月が「やまがくれ」するのは常のことです。それを、作者にとってその日だけ「山がくれにて」心もとない、と記しています。「やまがくれ」という語句は、その日何かの差しさわりが生じた、ということを示唆しています。それは月の運行がおかしくなったのではなく、作者が待っている親しく交際している男の来るのが後れた、ということではないでしょうか。

④ 詞書の現代語訳を試みると次のとおり。

春の夜、昇ってくる月を待っているのだが、いまだに山に隠れているような状態なので、不安になって詠んだ(歌)

 

7.3-4-8歌の現代語訳を試みると

① 類似歌を含めた以上の検討を踏まえ、また詞書に留意して、3-4-8歌の現代語訳を試みます。

② まず、各句にある語句を単位に検討します。

 初句から二句の「くらはしのやま」は、「障害となる山」の意であり特定の山を指していません。また、「くらはしのやまをたかみか」という語句は、作者の時代には、類似歌を想起させる語句であります。

③ 三句「よをこめて」は、連語として「夜を籠めて」(まだ夜が深いうちに)があります。類似歌と異なる語句でありので、類似歌とは異なる意の恐れがあります。

また、名詞「よ」+助詞「を」+下二段活用の動詞「籠む」の連用形+接続助詞「て」であり、「こむ」(籠む・込む)には、a(かすみなどが)一面にひろがる、b中へいれる・とじこめるなどの意です。

④ 四句「いでくる月の」の「の」は、連体格の格助詞とか同格の格助詞とか、あるいは、「の」が主格を明示する場合や、「の」が連用修飾語をつくる「を」に通じる場合や、連用修飾語をつくる「に」に通じる場合があります。この歌では、四句と五句とを並べてみると、いでくる月の」が言い掛けではないか、「の」が主格を明示しているのではないか、と思われるます。

四句の現代語訳は、「空に昇ってきた月が・・・(省略されている何か)である」となります。

⑤ 五句「ひとりともしも」の「ひとり」には、「独り」と、「火取り」(香炉。香をたく道具。)の意があります。和歌では「一人」にかけてよく用いられるそうです。

句の最後である五句は、類似歌では、作者の感慨を表わした語句でした。この歌と類似歌とは異なる語句であり、予想するに類似歌とは異なる意となるはずです。

五句「ひとりともしも」の「ともし」には、「乏し(とぼしい・貧しい)」意と、「羨し(珍しくて飽きない・うらやましい)」意とがあります。この動詞の主語は「ひとり」であるか、あるいは省略されているかのどちらかです。 

また、「も」は、終止形で完結した文についているとみると終助詞であり、詠嘆・感動の気持ちを添えるのに用いられていますが、上代語だそうで平安時代には「な」が優勢になり、古風な和歌などに用いられるだけになったそうです。

⑥ そうすると、五句「ひとりともしも」に対しては、例えば次のような現代語訳(案)が考えられます。

A (総じて)独り(という状態)であるのが、とぼしいなあ(あるいは、羨ましいなあ)。

B 空に昇ってきた月は、火取りがとぼしいなあ(羨ましいことだなあ)。

C 省略されているものが、独り(という状態)であるのはとぼしいなあ(羨ましいなあ)。

 

⑦ 各句の言葉の意味を種々検討してきました。これを踏まえて歌全体を、詞書に従い検討することとします。

詞書からは、月とは、訪れるはずの男を示唆しているので、「くらはしのやま」が、月の出を邪魔をしているのかと疑問を呈するということは、男の方に何かの事情が生じたことを疑っている言葉です。

 それは、今夜は残念ながら独りで過ごすことの可能性が大きくなったことを意味します。昇ってくる月は皓皓とかがやき、作者のような悩みはないようです。そのような月をみて触発されたのがこの歌ではないか、と思います。それは、上記⑥のA,B,CのうちのCであって「とぼしい」が有力な候補となります。

⑧ そのため、3-4-4歌の現代語訳(試案)はつぎのようになります。

「くらはしの山が高いからなのか、(2-1-1767歌のように)待ち遠しい状態になったが、それでも月(下弦の月)は(暁とならない)夜が深いうちに昇ってきてさやけく輝いている。それに比べて、私は、この宵は独りで乏しい(さびしい)思いをすることになるなあ。」

 このように理解すると、この『猿丸集』の作者は、月の入りではなく「いでくる月」を詠っているので類似歌b 2-1-1767歌の歌を参考にしたのではないか、と思われます。

 

8.この歌と類似歌bとのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-8歌は、詠む事情を説明しています。類似歌b 2-1-1767歌は、作者を特定しているだけです。

② 三句の語句が異なります。意が同じではありません。

③ 五句の語句が異なり、その意もこの歌は、「(今宵一人で過ごすのは「ともしも」)であり、類似歌bは、月の光が「光乏しき」です。

④ この結果、この歌は、男が来てくれないことを嘆く恋の歌であり、類似歌b2-1-1767歌は、開宴を求める雑の歌です。なお、類似歌a2-1-293歌は、2-1-292歌と対になっている歌なので初月の光を惜しむ羈旅の歌、あるいは陰暦8月の「初月」を詠ったとして秋の歌となります。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-9歌  いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

人まつをいふはたがことすがのねのこのひもとけてといふはたがこと

3-4-9歌の類似歌: 2-1-2878:「題しらず  よみ人知らず」  

     ひとづまに いふはたがこと さごろもの このひもとけと いふはたがこと

 巻第十二古今相聞往来歌類之下の 正述心緒にある歌です。

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/3/26   上村 朋)