わかたんかこれ  猿丸集第12歌 あけまくをしき 

前回(2018/4/23)、 「「猿丸集第11歌 凌ぐのは何」」と題して記しました。

今回、「猿丸集第12歌 あけまくをしき」と題して、記します。(上村 朋) (追記 動詞の活用種類の認識の誤りを正し3-4-12歌の現代語訳(試案)の修正を2020/5/25付けでしました。さらに前後の歌との関係など理解を深めましたので。2020/8/10付けブログも御覧ください。(2020/8/17)。))

 

. 『猿丸集』の第12 3-4-12歌とその類似歌

① 『猿丸集』の12番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-12歌  女のもとに

たまくしげあけまくをしきあたらよをいもにもあはであかしつるかな

 

3-4-12歌の類似歌 万葉集2-1-1697:紀伊国作歌二首(1696,1697)

たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句以下と、詞書とが、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は、 『萬葉集』巻第九の、雑歌にある2-1-1697歌です。この巻は、雑歌・相聞・挽歌の三部に分かれています。雑歌(全102首)は、雄略天皇2-1-1668歌からはじまります。雑歌の歌は、「(・・・)歌◯首」と詞書してあり、例外は、詞書のない2-1-1714歌と2-1-1715歌(1715歌にはこの二首の作者名に関した左注あり)と2-1-1716歌(「・・・詠月一首」)だけです。

② この歌は、「(献・・・皇子)歌◯首」と詞書した歌のグループに挟まれた地名等が記された詞書の歌のグループ(16首)にあります。その詞書すべてを、また類似歌(2-1-1697歌)の前後各6首については歌もあわせて示すとつぎのとおりです。

泉川辺間人宿祢作歌二首(2-1-1689歌、2-1-1690)

鷺坂作歌一首(2-1-1691歌)

2-1-1691歌   しらとりの さぎさかやまの まつかげに やどりてゆかな よもふけゆくを

名木河作歌二首(2-1-1692歌、2-1-1693)

2-1-1692歌   あぶりほす ひともあれやも ぬれぎぬを いへにはやらな たびのしるしに

2-1-1693歌   ありきぬの へつきてこがに からたちの はまをすぐれば こほしくありなり

高嶋作歌二首 (2-1-1694歌、2-1-1695)

 2-1-1694歌   たかしまの あどかはなみは さわけども われはいへおもふ やどりかなしみ

 2-1-1695歌   たびにあれば よなかをさして てるつきの たかしまやまに かくらくをしも

紀伊国作歌二首(2-1-1696歌、2-1-1697)

 2-1-1696歌   あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ

 2-1-1697歌  略(類似歌)   

鷺坂作歌一首 (2-1-1698)

 2-1-1698    たくひれの さぎさかやまの しらつつじ われににほはに いもにしめさむ

泉河作歌一首(2-1-1699)

2-1-1699歌   いもがかど いりいづみがはの とこなめに みゆきのこれり いまだふゆかも

名木河作歌三首(2-1-1700歌、2-1-1701歌、2-1-1702)

2-1-1700歌   ころもでの なきのかはへを はるさめに われたちぬると いへおもふらむか

2-1-1701歌   いへびとの つかひにあらし はるさめの よくれどわれを ぬらさくおもへば

2-1-1702歌   あぶりほす ひともあれやも いへびとの はるさめすらを まつかひにする

宇治河作歌二首(2-1-1703~2-1-1704歌)

  2-1-1703歌   おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし

 

③ 2-1-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。

④ 地名等の詞書グループ(16首)の歌は、都での儀式に直接かかわりのない、まさに旅中の歌とみることができます。これらの歌を披露(朗詠)した場所を推測すると、旅中の歌であるならば、宿泊した土地での宴席か、休息時の団欒時です。紙に書いて示すものではなく、朗詠するのが和歌であったはずです。共感を呼ぶ伝承歌とされる萬葉集歌に、繰り返し官人が接したのは専ら宴席です。(付記1.参照)

詞書にある地名等は、当時の巨椋池周辺の泉川(現在の木津川)、鷺坂(現在の城陽市の久世神社の近くか)、及び宇治川は、都より半日の行程であり、その日の宿泊は、午後出発ならば当地、午前出発ならば国府のある地などとなります。このほか近江国の高島(琵琶湖西岸。越前国への通過地)の地名がありますが、その中で唯一国の名を記した詞書があります。その詞書の歌2首のうちの1首が類似歌です。

 また、夜の情景を詠う歌は、この類似歌のある詞書の2首と、その直前の「高嶋作歌二首」(2-1-1694歌、2-1-1695歌)及び「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)であり、その他は、昼間の情景を詠っている歌です。それは、「◯◯河(川)」とある詞書の歌すべてと「鷺坂作歌一首」の歌(2-1-1698歌)です。

⑤ これらの歌の共通点は、旅行中の宴席などで披露(朗詠)した歌というだけであり、同一の旅行中でもなさそうです。

このため、類似歌は、同一の詞書の歌2首間に違和感がない理解であればよいと思います。

 

3.類似歌の前にある歌の検討

① 類似歌(2-1-1697歌)は、2-1-1696歌と同一の詞書です。先に記されている2-1-1696歌を先に検討します。歌を再掲し、諸氏のその現代語訳を1例あげます。

2-1-1696歌  紀伊国作歌二首(1696,1697)

あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ  

・「恋しいあの人は私と逢ってくださらない。この玉の浦で、わたしは自分の衣だけを敷いてひとり寂しく寝ることだろうか。」(阿蘇氏)

② 阿蘇氏は、四句を「ころもでかれて」(万葉仮名は袖可礼而)として、訳を示しています。ともに行幸に従賀している妻の袖から離れたまま、という意(行幸に従駕していたとしても私的な時間を持つことは許されなかったはずだから)としています。また、三句「たまのうら」は、どこにでもあり得る地名としており、(紀伊国では)玉津島あたりの海岸か、と指摘しています。

なお、人麻呂の作とされる歌群から、人麻呂の妻は宮廷に出仕している、と推定できます。

③ 「たまのうら」という地名の場所は未詳としている諸氏が多い。詞書の「紀伊国」を重視すれば、「たま」を美称と捉えれば紀伊国のどこの浦の名に替わってもかまわない歌です。このグループ(16首)にあるほかの歌の詞書の地名などは、具体的な場所などがほぼ特定できるのに対して、不確かな地名が「たまのうら」です。『萬葉集』には「たまのうら」を直接詠み込んでいる歌がこのほか4首ありますが、瀬戸内かとかいうだけで同じように具体的な場所は不確かです。

そして、この歌の詞書は「紀伊国作歌二首(1696,1697)」という国の名であることに留意すべきです。行幸の記録のある「紀伊国」で記録との整合がとれない「たまのうら」という地名ならば、国名も仮定と理解してもよいのではないでしょうか。そうすると、旅中の歌に変わりはないとしても、行幸時ではない、人麻呂に限らず単に官人の出張中における歌、という理解がこの歌(2-1-1696歌)に可能となります。

このグループ(16首)に属するほかの歌も、同様に単に官人の出張中における歌、という理解で不都合は生じません。歌の内容と詞書にはすべて一人が詠んだと推定するヒントがありません。

人麻呂集の歌がたった一人の官人が詠んだ歌であるとは諸氏も認めていません。

④ このグループ(16首)の歌のうちに、類似歌同様に夜の情景を詠う歌をみてみます。5首あります。

「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)は、「まつかげ(松蔭)にやどりてゆかな」と、その地に宿泊することを言っています。官人が野宿するとは思えないので、「まつかげ」は譬喩です。

「高嶋作歌二首 」(2-1-1694歌、2-1-1695)は、「われはいへおもふ やどりかなしみ」とその地に宿泊することを詠い、「よなかをさして てるつきの」と月をみあげて寝つけない様子を詠っています。

以上の3首は、(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点を詠っています。

残りの2首が「紀伊国作歌二首」であり、ともに「ひとりかもねむ」と、詠っています。「かも」は、終助詞か係助詞です。この2首も(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点です。そして「あはさず」と自らの動きではなく相手の女性の動きを描写しています。

⑤ 二句「いもはあはさず」(万葉仮名は「妹相佐受」)の理解には、2案あります。

まず「いも」について検討します。「たまのうら」でひとり寝をする直接のきっかけが「いもはあはさず」にあるので、「いも」はいつでも思いを馳せることができる都で留守居をしている妻ではなく、今晩「たまのうら」に居る女性です。

 二句の理解の第一案は、多くの諸氏の理解である、四段活用の動詞「あふ」の未然形+軽い尊敬・親愛の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。二句は自分が働きかけた女性の行動に触れた表現です。

親しみの情から言っているのならば、「(親密なのに)逢わない・逢ってくれない」の意となり、拗ねて言っているのならば、「(乙に構えて)逢わない・応じない」です(「あふ」には、「調和する、似合う、夫婦になる、匹敵する、対する・対面する」などの意があります)。

相手の敬意を強める意の「す」は、「せ給ふ」「せおわします」が通例であると『例解古語辞典』にはあります。この案の理解は例外的に思えます。

第二案は、四段活用の動詞「あふ」の未然形+使役の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。

女性に対して率直にあるいは婉曲に意を伝えたが、「応じられません」と断られた、という意となります。

具体の場所を伏せた「たまのうら」を舞台にしている歌であるので、第二案のほうが、宴席が湿っぽくはならないので、よい、と思います。

そうすると、この歌(2-1-1696歌)は、そのために、その夜は「こうするほかない」という行動に関して詠った歌と理解できます。

⑥ 四句「ころもかたしき」の「かたしき」は、動詞「かたしく」の連用形です。「かたしく」は「片敷く」であり、男女が共寝する場合に対比した言い方であり、自分だけ(片方)の衣を敷いてひとり寝する意の歌語ですが、五句に「ひとりかもねむ」と重複しないためには、「寝るために自分の衣だけを敷く」という意であろうと思います。

 五句「ひとりかもねむ」には、歌語として「(ころもかたしき)ひとりかも」+「ねむ」という二つの文であるという理解と、歌語とはとらえず「(ころもかたしき)ひとりかもねむ」という一つの文であるという理解が可能です。

 前者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+終助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+意志・意向を表わす助動詞「む」の終止形です。その意は、「(自分の衣だけを敷くという)ひとり寝かなあ。寝るとしよう。」となります。

後者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+係助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形です。その意は、「(自分の衣だけを敷いて)ひとり寝る以外ないのかねえ。」

後者のほうが、素直な理解であると思います。

 

⑦ 以上の検討を踏まえて、現代語訳(試案)を示すと、旅中の宴席での詠であることを意識して、つぎのようになります。

「私の思うあの人は応じてくれないよ。だから、この玉の浦での今夜は、自分の衣だけを敷いてひとり寝る以外ないのかねえ。」

宿泊地の「たまのうら」は、先に検討したように、どこの地名とも差し替えができる歌です。人麻呂が通過したり宿泊した土地以外の地名も可能です。

 そして、このグループ(16首)は編纂者が夜の情景を詠う歌において都を離れた「高嶋」と場所不明の「たまのうら」とを対比して配列しているかに見えます。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳

① 類似歌(2-1-1697歌)に戻ります。2-1-1696歌と同様に、この歌は、旅中において同僚とともに一夜を過ごす官人が、作者です。同じ詞書のもとにある歌なので、対の歌として理解してよい、と思います。

 だから、同僚が詠った2-1-1696歌に、唱和した歌です。君に「いもがあはし」たら、気候もよい今夜は素晴らし夜となっただろうなあ、と唱和した歌です。

② 類似歌(2-1-1697歌)の現代語訳を例示します。

・「玉櫛笥 明けるのがいつもなら 惜しい夜を 妻の手枕をせずに ひとり寝するのか。」(『新編日本古典文学全集7 萬葉集②』)

・「玉くしげ 明けるのが惜しい夜であるのに、 妻の袖から離れて一人寝るのだろうか。」(新日本文学大系3萬葉集3(佐竹他) 

・「夜の明けてほしくないと思われるこの良い夜なのに、いとしい人の袖から離れたまま、ひとり寝ることだろうか。(なんと残念なこと。)」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、櫛笥(くしげ)の蓋を開ける意を夜が明ける意の「明け」にかけている、とみています。

③ どの訳例も、初句「たまくしげ」を「あけ(明け)に冠する枕詞」として訳しています。そして、五句「ひとりかもねむ」の「かも」を、疑問の係助詞とみています。

 なお、この歌は、『新古今和歌集恋五にも、「よみ人しらず」の歌(1-8-1429歌)としてあり、「かも」は諸氏氏により疑問の係助詞として理解されています。

④ 初句「たまくしげ」が、枕詞としてかかる語は、おもに「ふた、み、明く、開く、覆ふ、箱、奥に思ふ」と言われています(『例解古語辞典』)。そもそも「たまくしげ」とは、美称の「たま」+化粧道具のひとつである「櫛」+物を入れる器の意の「笥」、即ち「玉櫛笥」であり、化粧道具などを入れておく箱の美称です。蓋つきだったようです。

 ここでは、「化粧箱を開けるではないが、その音(あける)に通じる(夜が「明ける」のは・・・)」、の意で、二句「あけまくをしき」の「あけ」にかかる枕詞です。

 なお、萬葉集』には、「たまくしげ」を枕詞とはみなせない歌もあります。(枕詞ともとれる例は付記2.参照) 例えば、

 2-1-594歌 わがおもひは ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる

⑤ 二句「あけまくをしき」は、「明け+連語まく+惜しく」です。

「あけまくをしき」の「あけ」は、四段活用下二段活用の動詞「明く」の未然形連用形であり、「夜が明ける」の意であり、「まく」は、連語として、「・・・(だろう)こと・・・(ような)こと」の意があります。二句は、結局「夜が明けるというようなことは、惜しい・手放すのにしのびない(ところの)」という意となります。

⑥ 四句「ころもでかれて」における「ころもで」とは、衣手即ち袖を指す語句ですがここでは、相手の女性を意味すると思います。また、動詞「かる」は、「離る」であり、「空間的に離れる・遠ざかる」とか「心理的に男女の仲が疎遠になる・心がはなれる」などの意がある語句です。

⑦ 五句「ひとりかもねむ」は、この歌が2-1-1996歌に対応した歌なので、2-1-1996歌と同じ意となります。

⑧ 詞書に従い、現代語訳(試案)はつぎのようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てはほしくない、と思われるこんな良い夜なのになあ。あの人の心が離れたので、ひとり寝るのかなあ(私もですよ。残念ですねえ、御同輩、)。

官人の、旅中の宴の席での応酬歌です。

⑨ 「たまのうら」を詠いこんだ歌が手元にきたので、海岸のある国として「紀伊国」を編纂者が選んだのではないか、と思われるほど、この両歌は、どの宿泊地おいても朗唱できる歌です。

そして、この前後の地名等のある歌も、地名等を差し替え可能の歌があります。

例えば2-1-1695歌は 「たかしまやま」は、所在があいまいです。   2-1-1694歌は 「たかしま」が他の湊の名に差し替え可能です。2-1-1698歌は、つつじの綺麗に咲く土地の名に差し替え可能です。

⑩ この現代語訳(試案)は、『萬葉集』記載の歌に対するものです。新古今和歌集恋五に記載の歌(1-8-1429歌)は、清濁抜きの平仮名表記が同じであっても新古今和歌集』の編纂方針と配列を確認の上、現代語訳を試みる必要があります。

 

5.3-4-12歌の検討 

① 次に、3-4-12歌を、まず詞書から検討します。

 3-4-12歌の詞書の現代語訳をすると、次のとおりです。

「女のもとに(おくった歌)」

 詠んだ動機に触れていない詞書です。作者が男であることと、おくった女と作者と関わりがあったとしか、わかりません。

③ 二句「あけまくをしき」は、類似歌と同じ意であり、同音意義の語句ではない、と思います。

 五句「あかしつるかな」は、「四段活用の動詞「明かす」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形+終助詞「かな」であり、「夜を明かしてしまったなあ」の意となります。)

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てほしくない、勿体ない夜を、あなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」(この訳は、2020/5/25修正)したので、以後現代語訳(修正試案)ということします。)

<以下を削除:二句「あけまくをしき」は、類似歌と異なる意であると、思います。

即ち、四段活用の動詞「飽く」の連用形+連語「まく」+形容詞「惜し」の連体形、です。「飽く」には、「十分満足する、存分に楽しむ」などの意があります。

④ 初句から三句は、「たまくしげ あけまくをしき あたらよを」という平仮名表記では類似歌とまったく同じですが、「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」(存分に楽しめる)というようなことが(できた)、勿体ない夜を」、という意となります。

⑤ 五句「あかしつるかな」は、寝ないで朝を迎えた意です。

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」のような、存分に楽しめるというようなことが(できた)、勿体ない夜をあなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」>

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-12歌は、男がおくった和歌であることを明らかにしています。類似歌2-1-1967歌は、詠んだ旅先の土地の名を挙げているだけで、誰におくったかについて触れていません。

② 二句「あけまくをしき」の意が異なります。この歌3-4-12歌は、「飽け」+連語「まく」+「惜しき」であり、類似歌は、「明け」+連語「まく」+「惜しき」です。

 

③ 五句の語句が違います。この歌3-4-12歌は、「あかしつるかな」であり、寝ないで朝を迎えた意です。これに対し、類似歌2-1-1697歌は、「ひとりかもねむ」であり、推量の助動詞「む」により、「ひとり寝るのかなあ」と就寝前の歌です。

④ この結果、この歌は、訪問が叶うわなかった男が女に翌朝不満を述べた歌(恋の歌)であり、類似歌は、旅中での男の独り寝のつまらなさ・あじけなさを就寝前に述べた歌(羈旅の歌)となります。

 また、類似歌2-1-1697歌が諸氏の理解による現代語訳であっても、恋の歌と羈旅の歌という対比の構図は、同じです。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-13歌  おもひかけたる人のもとに

   あづさゆみすゑのたづきはしらずともこころはきみによりにけるかも

3-4-13歌の類似歌 2-1-2998

󠄀あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/4/30 &訂正2020/8/17  上村 朋)

付記1.旅中の歌や宴席の歌が、記録され、『萬葉集』編纂者の手元に集まる経緯について

① 行幸以外でも官人の公務の移動は、宿泊すれば宴の席が設けられています。今日でも、宿泊を伴う出張で、訪問先に一席設けたいと事前に申し入れしたり、あるいは訪問先が席を設けたいと言ってきた場合また宿泊地に支店があった場合を、想像してください。

宴の状況を伺える『萬葉集』の題詞(ここにいう詞書)をみると、よく歌が披露(朗詠)されています。宴に歌の需要があったことがわかります。需要のあるところ供給が業として成り立ちますので、代作者は情報を集め、代作をお願いできる身分ではなくかつ歌がそれほど達者でない官人も書き記し、その後に役立てた、と思われます。

 現在でも勤務している事業所の同僚等が転勤の際には、職場の合同送別会のほか、所属課・グループ単位の送別会や、入社同期の送別会などがあり、参加せざるを得ない人もなんらかの準備をするものです。関係先のトップやその家族の冠婚葬祭や役職員の移動の有無を(友情からではなく)気にして種々配慮しています。官人は、建前として全国が転勤範囲の勤め人です。これらに似た状況が、当時の官人・関係先にあったのです。

 いくつか例を示します。

② 『萬葉集』巻第五の「雑歌」の部にある「梅花の歌丗二首」(2-1-819歌~)の序には「天平二年正月十三日に、師老の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申べたり・・・・」とあります。歌を詠むために宴会をしたかの趣です。

 宴に擬して、序をつけて大伴旅人が京に居る吉田宜(よろし)におくったとも考えられます。そうであっても擬することが不思議ではなかったということです。

③ 『萬葉集』巻第六は、すべてが「雑歌」ですが、そこに、次のような詞書と左注のある歌があります。

・「天平二年(730)庚午、勅(みことのり)して擢󠄀駿馬使(てきしゅんめし)大伴道足宿禰を遣はす時の歌一首(2-1-967歌)」 

 左注あり。「右 勅使大伴道足宿禰に帥(そち)の家にて饗(あへ)す。この日に、会ひ集ふ衆諸(もろもろ)、駅使葛井連広成を相誘ひて、歌詞を作るべし、と言ふ。登時(すなはち)広成声に応へて、即ちこの歌を吟(うた)ふ。」

 これは、歌を参加者が葛井連広成に「吟ふ」ことをすすめており、伝承歌を披露(朗詠)し楽しむだけではなく、この席にあった創作歌をも披露する必要がある、という認識が参加者にあった、と推測できる資料です。

それを誰かが記録したもの、あるいは、帥(そち)の家の主が記録させたものが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

④ おなじ『萬葉集』巻第六に、次のような詞書の歌があります。

・「十六年(744)甲申の春正月五日に、諸の卿大夫の安倍虫麻呂朝臣の家に集ひて宴する歌一首 作者審(つまび)らかならず(2-1-1045)

 この歌の詞書は、「虫麻呂の歌ではない」と言っていることになります。正月五日の虫麻呂朝臣の家の宴は、正月の行事に伴う朝廷の宴ではなく、私的な集いあるいは正月の行事担当の者達の慰労の席ではないか。出席者が記録したか、あるいはこの席のために事前に用意した歌のメモが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

歌については、座興に虫麻呂の立場で来客の誰かが詠んだ歌か、という諸氏の指摘があります。

⑤ 『萬葉集』巻第九の相聞の部に、次のような詞書があります。「相聞」とは、漢語として「互いに起居を問うこと」、「互いに音信を通ずること」を意味します( 『大漢和辞典』(諸橋徹次)より)。そのような部立であるはずの「相聞」の歌です。これらは、宴の席で披露された歌、とその詞書から読み取れます。

・「大神大夫(おおみわだいぶ)長門守に任ぜらるる時に、三輪川の辺に集ひて宴する歌二首(2-1-1774,2-1-1775歌)」

・「大神大夫、筑紫国に任ぜらるる時に、阿倍大夫の作る歌一首(2-1-1776)

 「三輪川の辺に集」った宴とは、大神大夫(三輪朝臣高市麻呂)が大宝2(702)2従四位上長門守に任じられたとき、大神一族による送別・激励の宴ではなかろうか。宴の場所を考えると、友人・同僚は加わらないで別途席を設けたことを想像させます。この二首は、左注に、「右の二首、古集の中に出でたり」とあり、その時点でも古い歌(つまり伝承歌)であったかもしれませんが、宴の席で披露(朗詠)された歌であることに変わりありません。「あれわすれめや」「あれはやこひむ」と京を離れる大神大夫を対象に詠っています。

また、送別の時に、阿倍大夫が作って披露している歌も、「互いに音信を通じ」たいと、詠う歌です。歌の内容は、この3首とも相聞の歌にあたります。

・「藤井連、任を遷されて京(みやこ)に上る時に、娘子が贈る歌一首 (2-1-1782)

・「藤井連が和(こた)ふる歌一首(2-1-1783)」

 「娘子が贈」った場面は、宴の場であるから藤井連のそれにこたえた歌もその場に居た者に記録されたと推測できます。二人きりの場でやりとりする歌であろうか。誰かに、やりとりしていることを聞かせたい内容の歌と思われます。だから誰かが記録できたのです。この両歌ともに「相聞」の歌にあたります。

⑥ 『萬葉集』巻第十五にある遣新羅使一行の歌(2-1-3600歌以下145)について、土屋氏は、「力のこもった作は少ない」、「代作者が(一行のなかに)いる」と指摘し、月並の歌ばかりと評したよみ人しらずの歌の作者が代作者か、と推測しています。とすると、このような代作者を指定してでも旅中のことを和歌に書き記しているのだから、当時の官人にとり欠かせぬ教養のひとつが和歌の知識であったとしることができます。歌を記録しなければならない外国への旅であったのであり、代作者は下手であっても必死であったのである、と思えます。

⑦ 時代はさがりますが、930年代の紀貫之の『土佐日記』には、「1221日乗船」した、と記してから、「27日(国府近くの湊)大津より浦戸をさして漕ぎ出」でる、と記してあります。この間、毎日誰かから「馬のはなむけ」を受けたり、守(かみ)の館に呼ばれたりしています。守の館では、「漢詩(からうた)声あげて言ひけり。和歌(やまとうた)、主人も客人も、他人も言ひ合へりけり。漢詩はこれにえ書かず。和歌、主人の守の詠めりける、・・・」とあります。

それ相応の官人との別れにあたっては、色々な立場の人が送別の席を設けたり差し入れをしたり、その席では漢詩とならんで和歌も披露されていることがわかります。『土佐日記』では主催者の守の歌だけを記すと、いっており、通常は主賓の歌や気の利いた歌は書き留められていた、と判断できます。

 

付記2. 『萬葉集』歌における「たまくしげ」が枕詞と理解できる歌の例は、次のとおり。

① 2-1-94歌 たまくしげ みもろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ

2-1-1244歌 たまくしげ みもろとやまを ゆきしかば おもしろくして いにしへおもほゆ

 この2首では「たまくしげ」は、み(見)と音が通じる二句の「みもろ・・」の「み」ににかかっているそうです。

② 2-1-93歌 たまくしげ をほひをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも

 この歌では、「たまくしげ をほひをやすみ」が「あけて」を起こす序とされています。その意は、「玉櫛笥の蓋を覆うのがたやすいからといって、簡単に開けるように夜が明けてから・・・」(阿蘇氏)となります。

③ 2-1-379歌 あきづはの そでふるいもを たまくしげ おくにおもふを みたまへあがきみ

2-1-3977歌 ゆばたまの よはふけぬらし たまくしげ ふたがみやまに つきかたぶきぬ

この歌のほか、2-1-4011歌と2-1-4015歌も「たまくしげ ふたがみやまに」と詠い、蓋ではなく、音が通じる「ふたがみやま」にかけています。

④ 2-1-1535歌 たまくしげ あしきかりよを けふみては よろづよまでに わすらえめやも

 この歌は、「たまくしげ」は、三句の「けふみては」の「み」にかかるそうです。

(付記終わり。2013/4/30  上村 朋)

 

-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。

 

わかたんかこれ 猿丸集第11歌 凌ぐのは何

前回(2018/4/16)、 「萬葉集歌は誤読されたか」と題して記しました。

今回、「猿丸集第11歌 凌ぐのは何」と題して、記します。(上村 朋)  (追記 さらに「あきはぎしのぎ」など理解を深めました。2020/8/10付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)

 

. 『猿丸集』の第11 3-4-11歌とその類似歌

① 『猿丸集』の11番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-11歌  しかのなくをききて

   うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

 

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首 名かけたり

 うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句や四句などの一部と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は 『萬葉集』巻第八の秋の相聞の全30首(1610~1639歌)の4番目にある2-1-1613歌です。

萬葉集』巻第八は、収載した歌全体をまず四季に分け、そのおのおのを雑歌と相聞に分類しています。このような配列を『萬葉集』で初めて行った巻です。

この歌の前後の歌より、巻第八の編纂者の考えを推定したいと思います。

② 秋の相聞は、額田王の歌(2-1-1610)で始まります。

 ここにいう、相聞とは、大漢和辞典』(諸橋次)によれば、「互いに起居を問うこと」、あるいは「互いに音信を通ずること」、を意味します。

そして同辞典は「相聞歌」の意も説明し、「萬葉集中の歌の部類の称。互いに起居を相問ひ交はす歌。男女互いに恋情を交はしたものがあるところから後世の歌集はこれに本づき恋歌の部とする」とあります。

③ 『萬葉集』の編纂者の時代、「秋の相聞の歌」といえば、秋という季節を詠んでいて、作者のそのときの行動・心情を誰かに訴えるあるいは報告等をしていると判断できること、という要件があると思います。

類似歌(2-1-1613)の前後の歌計10首について、それをみてみると、つぎのようになります。

2-1-1610歌  (すだれをうごかす)秋の風  来るのを確信して、次歌1611歌の作者に示したか

2-1-1611歌  なし(あるいは風が該当か) 前歌1610歌を承け、和した歌か

2-1-1612歌  秋萩  露           恋している者におくった歌か

2-1-1613歌  秋萩  鹿           慕っていることを訴え妻か妻の両親におくった歌か

3-4-11歌の類似歌。後段で再度検討する)                            

2-1-1614歌  秋野  なでしこ       元気でいる近況を、遠方にいる大伴旅人に伝えた歌

2-1-1615歌  鹿                密かに恋している者におくった歌か

2-1-1616歌  秋草              求婚した相手に拒絶を通告しておくった歌

2-1-1617歌  秋の野  鹿     完全に分かれた後おもいがけず再会した相手におくった歌

2-1-1618歌  九月  初雁     天皇に奉った歌

2-1-1619歌  なし           詞書に「天皇賜報和御歌一首」とある。1618歌の返歌か

 

 秋の景物について、この10首をみると、2-1-1611歌と2-1-1619歌に有りません。但し、ともに前の歌と対となっていると考えると、秋の歌と言えます。2-1-1611歌では、歌にある「風」が「秋の風」となり、2-1-1619歌では、詞書から直前の歌の返歌の意となるからです。秋の景物の有無から判断すると、類似歌である2-1-1613歌は、歌に詠み込んでいる秋萩と鹿により、秋の歌です。

なお、2-1-1620歌以下の歌においては、詠んだ時期について、歌にはっきりと登場させるか、それが適わない歌では、詞書か左注で明示し、秋の歌というのがわかります。そのなかで、秋の時期のみと限定しにくいのは大伴家持長歌反歌2-1-1633歌と2-1-1634歌)であり、別の季節の歌とも言い得る歌です。

④ 次に、相聞の歌の要件とした、誰に行動・心情を訴えて(報告して)いるかをみると、おくった相手の名を明らかにしているのは、相手の名を詞書に記している2-1-1614歌と2-1-1618歌の2首だけです。

さらに、最初の歌と次の歌(2-1-1610歌と2-1-1611)は対の歌とみれば相聞の歌であり、相手がはっきりしており(付記1.参照)、また、2-1-1618歌と2-1-1619歌の2首も対の歌とみれば同様であり、ともに相聞の歌とみることができます。

その他の歌5首を次に検討します。

密かに恋している相手におくったら「密かに」でなくなる恋となるのに直接相手におくるような歌(2-1-1615歌)と、思いがけず再会したと詠い「互いに起居を相問ひ交はす」より直接会って後の歌というような歌(2-1-1617歌)の2首は、例えば、訴えたい(報告したい)人物の周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえます。

また、恋しているものへの歌(2-1-1612歌)と求婚拒絶の歌(2-1-1616歌)は、「互いに起居を相問ひ交はす」歌かというと、疑問が生じます。しかし、この2首も、その周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえます。

残りの1首は、今検討しようとしている類似歌(2-1-1613歌)です。この歌も、同一の詞書における2-1-1612歌と同様にその周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえなくもありません。この5首の歌を「周囲の人への相聞歌5首」ということにします。

⑤ 「周囲の人への相聞歌5首」のような歌が、巻第八の編纂者の手元に資料として集まってきたのはなぜでしょうか。その周囲の人以外にも公表していないと(作者と作者の理解者以外の第三者が書き写すことを許されていない歌であると)、編纂者の手元に集まることはないと思います。

 そうすると、場面を設定して朗詠した歌を披露しあうという宴席での歌が、「周囲の人への相聞歌5首」だったのではないでしょうか。「周囲の人への相聞歌5首」は、宴席の出席者や接待役の人が創作した歌あるいは伝承歌ではないか、という推測です。

 2-1-1615歌は、宴席において、男が男に言い寄っているかのような歌と見えます。

思いがけず再会したと詠う2-1-1617歌には、左注に作者の異伝が記されており、それは朗詠した人物名とも考えられます。宴席は、旧交をあたためる機会でもあり、接待役の女性に再会もあると思います。自分を売り込む場でもあったのでしょう。

⑥ このような検討の結果、最初の10首は、歌のなかの主人公が実際の作者であるかどうかは横に置いておいても、秋の相聞の歌であることは、確認ができました。

詞書を越えて対と見做す歌以外は、詠まれた状況が重なっていないので、詞書ごとに独立している歌として理解してよいと思います。また、萬葉集』の相聞の歌は、必ずしも恋情の歌ではないことが確認できました。

⑦ なお、この10首には、『萬葉集』に重複収載されていると、諸氏も指摘している歌があります。

2-1-1610歌は、同じ詞書で巻第四 相聞に、2-1-491歌があります。万葉仮名が数文字異なりますが、同じ訓を『新編国歌大観』は収載しています。

2-1-1611歌も、同様で、2-1-492歌として収載しています。

2-1-1612歌は、詞書が異なっています(「弓削皇子御歌一首」が「寄露」に)が、巻第十秋雑歌に、2-1-2258歌として収載しています。万葉仮名が数文字異なります。

この重複している歌には、上記の③~⑥の結論を、修正する材料がありません。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳

①類似歌(2-1-1613歌)の現代語訳を例示します

・「宇陀の野の秋萩を押し伏せて鳴く鹿も、妻を恋しく思う程度は私に及ばないに相違ないよ。」(阿蘇氏)

氏は、「宇陀の野が旅寝の場所であったと見るようがよい」、と指摘しています。「宇陀の野」とは、奈良県宇陀市大宇陀区の安騎野の一帯をさし、往時の遊猟の地としてしられているところです。

・「宇陀の野の 秋萩を踏みしだいて 鳴く鹿でも 妻に恋することでは わたしに及ぶまい。」新日本文学大系2萬葉集2』(佐竹氏他)

訳者は、「しのぐ」を「押さえつける」意としています。

② 作者丹比真人は、この歌のほか『萬葉集』で2首の作者となっていますが、生歿等未詳です。

③ 四句「つまにこふらく」は、名詞「妻」+上二段活用の動詞「こふ」の終止形+準体助詞「らく」ですので、その意は、「妻を慕うということ(においては)」、となります。

 「らく」は、上代語で、上二段、下二段の動詞などの終止形につきます。

④ この歌は、秋に鳴く鹿を譬喩としている歌ですが、宇陀の野を闊歩する鹿を譬喩としていませんので、初句の地名は入替可能です。作者に仮託した伝承歌ではないでしょうか。実際は、地名を入れ替えて、各地の旅先での宴席で出席者や接待役の人々が朗詠したのではないでしょうか。

 

4.3-4-11歌の検討 その1

① 3-4-11歌を、まず詞書から検討します。

 現代語訳(試案)は、「鹿が鳴くのを聞いて(詠んだ歌)」

となります。鹿が一声二声鳴く声に触発されたのか、もっと繰り返し鳴く鹿に触発されたのか、判りません。「しか」は、名詞としては鹿の意以外に「士家」もありますが、類似歌の存在から前者であると思います。

③ 初句「うたたねの」は、名詞「仮寝」(うとうと寝る)+格助詞「の」という理解の外に、

副詞「うたた」+名詞「ね」+格助詞「の」

の理解が可能です。「ね」は、時間帯の子(午前零時前後)、音、根あるいは寝、が考えられますが、「の」で修飾してゆく語句「あき」が、「秋」の意であると、前者の「仮寝」の理解が、適切です。

④ 二句「あきはぎしのぎ」は、二つの理解が可能ですが、類似歌と意が違う歌として、次の後者でまず検討します。

 名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形

 名詞「秋」+助詞「は」+名詞「義」+動詞「凌ぐ」の連用形

「義」とは、「儒教五常のひとつである、人のふみ行うべき道」とか、「意味」とか、「説教・教え」など、の意があります。

また「凌ぐ」には、「押さえつける・押しふせる」意のほかに、「じっとたえて困難などに打ち勝つ」とか「防いでたえしのぶ」、という意があります。

この歌が、恋の歌であれば、「義」は、「説教・教え」、具体的には親兄弟の諌止という理解が有力となります。

⑤ 三句「なくしかも」は、二句を受けているので、

 動詞「泣く」の終止形+接続助詞「然も」

という理解が良い、と思います。和歌の文が、「なく」で一旦切れます。

「然も」は、百人一首喜撰法師の歌(5-276-8歌:我がいほは宮このたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり)の「然も」(そればかりか、ごらんのように、の意)の使い方です。

⑥ 四句「つまこふことは」は、動詞「こふ」が連体形とみなせるので、上二段活用の「恋ふ」ではなく、

 名詞「端」+四段活用の動詞「乞ふ」の連体形+名詞「事」+助詞「は」

と理解できます。「乞う」とは、「物をほしがる、求める」意と「神仏などに祈り願う」意があります。

 「端」とは、「もののはしっこ、軒端、」のほかに、「いとぐち、端緒、てがかり」、という意があります。

⑦ 五句「われにまさらじ」の「じ」は助動詞で、打消しの推量、あるいは打消しの意志を表わします。

⑧ 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、歌の現代語訳を試みると、つぎのとおりです。

 「うたたねに心地よい秋の季節ですが、親どもの説教に堪え忍び、(逢えないことに)涙も流していますが、ごらんのように 貴方との逢引のきっかけをつかもうと努力しています。このような私に(ほかの人が)勝ることはありますまい。」

 うたたねは、仮寝の意をも含むとすると、二人ですごす時間を指すことになります。秋は暑くもなく寒くもなく実りの季節です。 

⑨ さて、二句「あきはぎしのぎ」については、理解に2案ありました(上記④参照)。次に、類似歌と同様に、

名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形 

という理解をした場合も、検討しなければなりません。

 この場合、三句「なくしかも」は、二句を受けているので、動詞「凌ぐ」に連動する文として、動詞「啼く」+名詞「鹿」+助詞「も」が、適切な理解となります。

 四句「つまこふことは」の「こふ」が「こと」を修飾しているので、四段活用の「乞ふ」の意であり、四句の意味は、「妻を求めるということ」となります。まだ妻となる人に巡り合っていない、というイメージになります。

⑩ そうすると、二句「あきはぎしのぎ」を、名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形 とみた場合の現代語訳(試案)を試みると、

 「うたたねに心地よい秋の季節に、秋萩を押しふせて啼く鹿も、妻を求めるということでは私に勝ることはありますまい。」

となります。これでは、類似歌と趣旨が変わらない歌となります。秋の雄鹿の妻を呼ぶ行動は周知のことであり(だから自分の行動の比喩として言い出しています)、それにくらべて作者の行動の説明が、この理解より上記⑧のほうがはっきりしています。類似歌とは異なる歌である、と言えます。類似歌を引き合いにだして、作者が何をしているか(何に耐えているのか)がよくわかる歌です。相手に迫る迫力が類似歌よりあります。その点から、上記⑧の現代語訳(試案)のほうを、3-1-11歌の現代語訳(試案)とします。

 

5.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、歌を詠むきっかけを記しています。類似歌は、作者名だけです。

② 初句の語句が違います。この歌3-4-11歌は、「うたたねの」とあり、秋という季節の一面を描写し、類似歌2-1-1613歌は、「宇陀の野」という地名です。一方は季節をもう一方は場所と、異なっています。

③ 二句の意が異なります。この歌は、「秋は義をしのぎ(説教に堪え忍び)」の意であり作者の行動を、おれに対して類似歌は、「秋萩しのぎ(萩を押し伏せ)」の意であり鹿の行動を、さしています。

④ 三句の「なくしかも」の意が異なります。この歌は、動詞「泣く」の終止形+接続助詞の「然も」であり、類似歌は、動詞「鳴く」の連用形+「鹿」+「も」です。

⑤ この結果、この歌は、私が貴方を慕うのは、親の説教でも変わっていませんと詠う歌であり、類似歌は、貴方を慕うのは鹿より強いと単に自負している歌となります。恋の成就の障害を明示し乗り超えようとしている歌と、慕う気持の強いことを訴えるだけの歌という、ちがいが、あります。

 ともに、恋の歌であり、共通点もあります。作者の立場は、この歌に、「待っています」という意が込められていないところから、男です。類似歌も鳴く雄鹿を作者自身と比較しているのですから、やはり男です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-12歌  女のもとに

たまくしげあけまくをしきあたらよをいもにもあはであかしつるかな

3-4-12歌の類似歌 万葉集2-1-1697:紀伊国作歌二首(1696,1697)

たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に、記します。

2018/4/23   上村 朋)

付記1.土屋文明氏の理解について

① 土屋文明氏は『萬葉集私注』において、「2-1-1610歌は巻四にみえた。2-1-1611歌は巻四にみえた」としている。その巻四の歌とは、2-1-491歌と2-1-492歌である。前者は「爽快な秋風が先に訪れるのを感じながら、満足した心で人を待つ趣」と解している。後者は、「2-1-491歌に和した作とも考えられるし独立の作としても十分理解される」とし、「来ると決まって待つなら何に嘆きましょう」と理解している。

② 氏は、2-1-1612歌を、本来は民謡であったのを、弓削皇子に帰せしめられたのであろう、と指摘している。2-1-1617歌も民謡かと指摘している。

③ 氏は、2-1-1613歌を、「鹿を主とした歌で、実質は相聞歌ではあるまい」と、2-1-1614歌を、「天平3年京にて病める旅人を慰めんとして花につけた歌か」と指摘している。(私は、九州大宰府滞在の旅人へ贈り物をした際に付けた歌、と解した。)

(付記終り。2018/4/23 上村 朋)

わかたんかこれ  萬葉集は誤読されているか

前回(2018/4/9)、 「猿丸集第10歌 好きなオミナエシ」と題して記しました。

今回、「萬葉集歌は誤読されているか」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』も詞書が大事

① 『猿丸集』の1番目から10番目の歌を、その類似歌と比較しつつ検討してきました。この冒頭10首の歌で、『猿丸集』記載全52首のうち20%を占めます。検討してきて判ったこと、疑問とすることなどを、まとめてみて、今後の検討方向を確認したいと思います。

② 類似歌とは、諸氏が『猿丸集』の歌は異伝歌であるとして示した元の歌と、そのほか『猿丸集』の歌の作者が直接語句や修辞法などを参考としたと私が判断した歌を、言います。その一覧を表にすると、つぎのとおりです。歌番号は、『新編国歌大観』の「巻数―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」を示します。あわせて『猿丸集』の歌の詠み手や特徴を示します。

 

表 『猿丸集』の歌とその類似歌の一覧(1~10歌)             2018/4/3 現在

『猿丸集』の歌番号

作者の立場と相手の性別と歌区分

類似歌その1の歌番号

類似歌その2の歌番号

類似歌と一連の歌の代表歌の歌番号

『猿丸集』の歌の特徴

3-4-1

男→男 返歌

2-1-284歌

 

2-1-282歌&2-1-283歌

紫を詠い賞賛している

3-4-2

男→男 返歌

2-1-572歌

 

 

紫を詠い感謝している

3-4-3

 女→男  往歌

1-1-711歌

 

 

男に感謝している

3-4-4

 女→男  往歌

2-1-1471歌 

 

 

訪れない男への嫌味をいう

3-4-5

男→女   往歌

2-1-3070歌の一伝

 

 

女々しい男の述懐

3-4-6

男→女   往歌

2-1-2717歌の一伝

 

 

噂のたった女を慰める

3-4-7

男→女   往歌

 

1-3-586歌

『神楽歌』41歌

『神楽歌』42歌

富士山の噴火を例として、女を慰める

3-4-8

 女→男  往歌

2-1-293歌

2-1-1767歌

2-1-292歌

来訪の途絶えているのを嘆く

3-4-9

男→女   往歌

2-1-2878歌

 

 

女を詰問

3-4-10

 女→男  往歌

2-1-1538

 

 

子を持った女の恋の歌

注1)『猿丸集』の歌番号:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」

注2)作者の立場と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。

注3)類似歌その1の歌番号:諸氏のいう猿丸集歌が異伝歌となる元の歌の『新編国歌大観』による歌番号。

注4)類似歌その2の歌番号:類似歌その1以外の類似歌と推定した歌の『新編国歌大観』による番号。

注5)類似歌と一連の歌の代表歌:類似歌の理解に特段の影響がある歌の代表歌。同一の詞書の歌とか、同様な歌があると類似歌記載の歌集にある歌など。

注6)『神楽歌』:『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』。番号は『神楽歌』において『新編日本古典文学大系42』が付した歌番号。

 

③ 2018119日から201849日までのブログで『猿丸集』冒頭の10首を検討してきました。歌集にある歌の2割にあたる歌を振り返ってみて、何点か指摘したいことがあります。

類似歌を諸氏が指摘しており、有益であった。しかし、類似歌に関する諸氏の見解のみでは、『猿丸集』記載の歌の検討には不十分なところもあり、類似歌の理解に時間を要した。類似歌を誤読している例があった。

・類似歌は、『萬葉集』歌が断然多い。『猿丸集』の編纂者と歌の作者は、『萬葉集』の知識が豊富な人であると思われる。類似歌をよく理解し、編纂時及び作詠時に参照している、と考えられる。

冒頭の10首の各詞書は、類似歌が記載されている『萬葉集』等と同様に、歌の理解に欠かせないものであった。

『猿丸集』冒頭の10首は、結局、類似歌の異伝歌という範疇にある歌ではなく、あらたに創作した歌であり、その詠っている趣旨が異なっていた。一面、類似歌と異なっていたので、検討がすすんだ。

・『猿丸集』冒頭の10首は、贈答歌のおくる側の歌を示す形の詞書のもとに、全ての歌があった。贈答歌のもう一方の歌(返歌など)を併載している例はなかった。従って、歌合の歌や屏風歌と思われる歌は1首もなかった。勿論11首目以降の歌はこれから検討するところである。

・歌は、男か女かどちらかの立場で詠んだ歌ばかりであり、どちらの側が詠んだ歌ともとれるような歌がない。また最初の2首が男の立場から男へおくった歌であるが、それ以外の8首は、異性におくっている歌となっている。

・『猿丸集』の配列に、どのような特徴があるのか、わからない。歌集における最初の2首の位置づけも、まだわからない。『猿丸集』の編纂者と歌の実作者の検討もこれからである。

 

④ 以下に、上記の一端を示し、今後の検討の進め方について記します。

 

2.類似歌の理解は編纂者の意図が大事

① 諸氏が類似歌を指摘してくれているので、歌同士を比較して検討を進められ、効果的かつ論旨の徹底ができました。深く感謝します。

② 『猿丸集』冒頭の10首には、類似歌その1が9首(上記の表参照)にあり、『萬葉集』歌が8首で『古今和歌集』歌が1首でした。その歌1-1-711歌は、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌と推定できる歌です。

類似歌は、『猿丸集』編纂当時の歌か当時でも古歌の類であるならば資格があります。類似歌その1の指摘の無い歌(3-4-7歌)には、『神楽歌』41歌を類似歌その2と推定しました。「しながとり」という語句の理解によるものであり、『神楽歌』41歌は『拾遺和歌集』の元資料になり採録され1-3-586歌となっています。その歌をも、類似歌その2、と整理して検討をしています。

③ 『猿丸集』の第1歌(3-4-1歌)の類似歌(『萬葉集2-1-284歌)の理解が、新鮮でありました。都で留守番をするので見送りにでた妻が詠んだ歌となったのです。類似歌である黒人妻答歌一首は、高市連黒人歌二首に答えた歌です。当時の官人の旅行と配列からの考察によります。2-1-284歌は同僚の代作かもしれません。

 第1歌と同じ詞書における第2歌(3-4-2歌)も、類似歌(『萬葉集2-1-572歌)を詠った事情が明確にわかる詞書であり、「むらさき」の色の意味を知り、第2歌と第1歌を対の歌として理解できました。

④ 『猿丸集』の第3歌(3-4-3歌)と、類似歌(『古今和歌集1-1-711歌)とは、清濁ぬきの平仮名表記が全く同じですが、それぞれの歌集における配列と詞書の理解と「つきくさのうつしごころ」等の用例より、全然趣旨の違う歌となって浮かび上がりました。

類似歌1-1-711歌は、相手の不誠実なことを責めているか相手を揶揄しています。(3歌は、相手の気遣いや愛情に感謝していることを相手に伝える歌でした。)

通常、清濁ぬきの平仮名表記にした歌の文字列が同じとなる歌は、大変珍しい。

しかし、一つの歌が、いくつかの解釈を許していることはよくあることです。『万葉集』の歌でも論者によって理解が違う歌があります。歌集の編纂者の採用した歌が、元資料の歌と同じ趣旨の歌として採用したかどうかは、確認を要することです。例えば、『古今和歌集』をはじめ三代集には、元資料が屏風歌である歌が多々あります。三代集にあるその歌の理解・解釈を、行事に用いるべく調達した屏風にと注文されている元資料にあてはめてよいと無条件で認めるのは、三代集が元資料を集めて編纂されているという時系列からみて方法論としておかしいことです。理解・解釈の仮説としての検証が必要です。結果として一致する場合があるのは論理的に妥当なことです。

この類似歌は、伝承歌扱いの「題しらず」の歌であり、平仮名表記の「こと」により歌をおくられた人は、慎重に返歌をしたことが推測できます。なお、この歌だけが『古今和歌集』からの類似歌となっています。

⑤ 第4歌の類似歌(2-1-1471歌)も、配列を考慮すると、宴席に出席している多くの人がホトトギスを待ち焦がれていることを揶揄する歌に、理解が変わりました。第5歌の類似歌(2-1-3070歌の一伝)は詞書が「題しらず」であり、「草結ぶ」という俗信がはっきりせず、配列が参考となりました。

 第6歌の類似歌(2-1-2717歌の一伝)では、しながどり」が「率(ゐ)な」を引き出し、同音の「猪名(ゐな)」にかかることがわかり、理解が深まりました類似歌は、17文字を費やしてまで「名」が高まったと、つまり女に逢えたと、吹聴している歌となりました。(6歌(3-4-6歌)は、噂のたった女を慰めている歌となりました。

 第7歌の類似歌は、実質神楽歌です(『神楽歌』41歌)。今回検討してみて、 『神楽歌入文』(橘守部)で「ある色好みの男の人の娘を得んとして云々」が妥当なように思いました。

⑥ 第8歌の類似歌2首の詞書、即ち類似歌a2-1-293歌の詞書「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」と類似歌b2-1-1767歌の詞書「沙弥女王歌一首」と後者の左注の考察で、「くらはしのやま」の利用方法がわかり、第8歌の詠われた趣旨が明確になりました。

類似歌2-1-293歌は、初月が山の陰に入り作中人物の視界から消えてしまってさらに暗くなった路を詠い、類似歌2-1-1767歌は、開宴を求める歌と理解できます。(それに対して第8歌(3-4-8歌)は、男が来てくれないことを嘆く恋の歌となりました。)

 第9歌の類似歌(2-1-2878歌)は、この歌の前後は相愛の歌が対になって配列されていることから、この歌も対に仕立てた相愛の歌と見做せます。1首のなかで「こと」と平仮名表記となる言葉が、万葉仮名では「言」と「事」と使い分けられていました。

⑦ また、第10歌の類似歌(『萬葉集2-1-1538歌)は、歌の配列を考察すると、詠んだ場が推定でき、変哲もない花が土産であるので、子にオミナエシを土産にすると詠っているこの歌は恐妻家の歌でした。(第10歌(3-4-10歌)は、男の望み通りの児を多分産んだであろう女性の、恋の歌となりました。)

⑧ 『萬葉集』にある類似歌の検討のため多くの萬葉集歌を参照・確認をしました。それらを通じて『萬葉集』は、もっと当時の地理を想定し、詞書と歌の並び(配列)に留意したと思われる編纂者の意図(編集方針)を尊重して理解すべきである、との思いを強くしました。

少なくとも伝承されてきたと思われる歌は、『万葉集』に採録する理由をも吟味すべきです。

⑨ 『萬葉集』の元資料にある歌は、どこで詠われているかというと、朝廷(国守主催なども含む)の行事と宴、及び官人で上層の貴族が行う私的な宴と餞の場が多くを占めており、そのほかに個人の贈答歌や伝承歌となります。個人の贈答歌で当事者名が明らかになっていない歌は伝承歌に括ってもよいかもしれません。伝承歌は官人ならば宴の席で朗唱する機会が多くあったと思われます。これらの場を念頭に『萬葉集』の歌は理解をしなければならないと思いました。

 『猿丸集』冒頭の10首のため検討した『萬葉集』歌を通じて思うのは、誤読されてきた歌がまだあるのではないか、及び、『猿丸集』の編纂者と作者は、解釈に幅がある歌を類似歌としてとりあげたのではないか、ということです。

 

3.『猿丸集』の歌は、パターンがありそう

① 『猿丸集』冒頭10首における詞書の文末は、「(に・て・ば)よめる」が5首、「女のもとに」が2首、「いれたりける」が1首、詞書を書きつけるのを省略した(前歌と同じ、の意)のが2首という状況です。「よめる」とか「もとに」はこの歌集全体を見ても多くあります。

 ちなみに、『古今和歌集』の詞書の文末をみると、次のとおりです。

巻第一春歌上(全首)の文末には、「日よめる」「題しらず」「御うた」「(を・に・て・とて・時)よめる」「よませ給ひける」「のうた」「うたあはせのうた」「よみてたてまつれる」「人におくりける」「よみける」「おくりける」の11種類があります。

巻第十一恋歌一(全83首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」の4種類です。

巻第十二恋歌二(全64首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「歌合のうた」の4種類です。

巻第十三恋歌三(全61首)の文末は、「つかはしける」「返しによめる」「題しらず」「やりける」「歌合のうた」「おこせたりける」の6種類です。

巻第十四恋歌四(全70首)の文末は、「題しらず」「歌合のうた」「(かはりて)よめりける」「つかはしける」「返し」「よみておくりける」「よみてやれりける」「とてよめる」の8種類です。

巻第十五恋歌五(全82首)の文末は、「(て・みて)よめる」「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」「よみてかきける」「歌合のうた」の7種類です。

 恋部全体の歌数でいうと、「題しらず」が断然多く、次に「つかはしける」が多い。

 『後撰和歌集』でみると、巻第一春上冒頭には、「たまはりて」「日よめる」「を見て」「つかはしける」と並び、巻第十恋一冒頭では、「侍りければ」「つかはしける」「つかはしける」「つかはしける」「返し」「つかはしける」「返し」「つかはしける 「と言へりければ」と並びます。

恋部全体では、「つかはしける」が大変多い。「と言へりければ」もちょくちょくあり、「もとに」は「もとにとつかはしける」のかたちでのみあります(512,523,528,584,775,814など)

 『拾遺和歌集』でみると、巻第一春冒頭では、「よみ侍りける」「屏風の歌」「よみはべりける」「 仰せられければ」「御屏風に」と並び、巻第十一恋一冒頭では、「歌合」「歌合」「題しらず」「つかはしける」「題しらず」(8首続く)と並びます。

拾遺和歌集』にも「のもとに」とある歌もあります(1-3-817歌など)が恋部では圧倒的に「つかはしける」が多い。

三代集の次の勅撰集『後拾遺和歌集』の恋部では「つかはしける」が圧倒的に多く、その次は「よめる」で、そのほかは微々たるものになっています。

② 『猿丸集』の全52首では、いまみた四つの勅撰集にある「つかはしける」と「題しらず」という文末で終る詞書が無いのです。

『猿丸集』に多い「よめる」は、四番目の勅撰集である『後拾遺和歌集』に多い。また三代集と比較して恋部の歌では文末のほかの表現が少ない、という特徴があります。詞書の文末の表現のパターンは『猿丸集』の編纂時期検討のための資料のひとつであると思います。

 歌の表現は、平仮名を存分に利用し漢字は一字使うかどうかです。冒頭の10首でみると、つぎのように、「啼(く)」以外はなんということのない漢字ばかりです。

 3-4-1歌  原 見

 3-4-2歌  人 

 3-4-3歌  月

 3-4-4歌  啼(く)

 3-4-5歌  草 月

 3-4-6歌  山

 3-4-7歌  (漢字無し)

 3-4-8歌  山 月

 3-4-9歌  人

 3-4-10歌 人

今、ここでの検討における歌の表現(文字使い)は、『新編国歌大観』記載の歌の表現によっています。

同書記載の『古今和歌集』恋一の和歌83首では、漢字が1字以下の歌が9首しかありません(付記1.参照)。すべてよみ人しらずの歌で、漢字使用無し2首、使用有り7首です。用いている漢字は、思、人、心、蝉各1首、秋2首、我1首、の6字だけです。

詠まれた時はすべて平仮名であった歌が、『古今和歌集』の編纂者の手元に集まった資料は一部が既に漢字まじりで表現されていたのか、歌集として編纂されるにあたり、漢字に置き換えたのか、あるいは書写の段階で平仮名が漢字に置き換えられたのかは、各歌ごとに検討しなければなんとも分かりません。

『猿丸集』についていうと、編纂の為の資料の段階で漢字まじりで既に表現された歌であったかどうかもわかりません。編纂者が類似歌を意識しているとすると、漢字の使用を抑え、語句を重複させたり組み合わてある文字列であることを強調した表現方法として選択して書き替えたのかもしれません。あるいは、古歌であることを印象付けようとして書き替えたのかもしれません。10首の分析ではまだ何ともいえません。

④ 『猿丸集』の作者の立場は男か女かということを、詞書と歌の内容から判断すると、冒頭10首は、男6首で女が4首であり、どちらとも言いかねるという歌はありませんでした。このうち女の立場の、3-4-3歌は類似歌が、『古今和歌集』歌ですが、残りの3首(3-4-4歌、3-4-8歌、3-4-10歌)の作者が実際女性であるならば、『萬葉集』を十分承知していたか、古歌として伝承されてきた(今から見ると『萬葉集』歌の類歌も含む)歌集、いうなれば「伝承歌集」に馴染んでいたことになります。これが疑わしいと仮定すると、女の立場の歌の実作者は全て男性という可能性が生じます。

⑤ 作者の立場が男で、贈答の相手も男という歌は、冒頭の2首のみです。親しくさせていただいているが位階の高い男への歌だけです。どのような意味があるのかは、いまのところわかりません。そのほかの8首は、相愛の歌、男女の間の歌でありました。しかし恋こがれた歌ではない歌もありました。8首が全て同じ男と女との間に詠まれた歌にはみえません。詠む状況設定の順番を編纂者が意図的に行なっているかどうかはいままでのところなんとも言えません。

 

4.『猿丸集』の編纂者と歌の作者について

① 『猿丸集』は、『古今和歌集』などの勅撰集にならい、同一の詞書は、二番目以降の歌には省略されています。

萬葉集』は、その詞書のかかる歌数が、詞書に「・・・歌○首」と明示したり左注で記されたりしている場合がありますが、『猿丸集』にはそのようなことはありません。

『猿丸集』の詞書が、どの勅撰集にならった書き方であるかということは、この歌集の編纂時点を限定する根拠となるでしょう。

② 詞書の文末の表現(「よめる」など)は、先に指摘したようにこの歌集の編纂時点の検討の材料になると思います。

③ 歌の作者は、類似歌である『萬葉集』歌などを下敷きにした詠いぶりを考えると、萬葉集に造詣の深い人かあるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に馴染みのある人であるのは確かです。代作も『萬葉集』の時代からあったことなので冒頭の10首からは否定できません。

④ 編纂者は、独りかどうかもわかりませんが、歌の作者と同じように、『萬葉集』あるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に造詣の深い人ではないか、と推測できます。

 

5.これからの検討方法

① 類似歌も配列等編纂者の意図を確認しつつ行う必要があります。今まで通り、個々の歌の類似歌を吟味して後、『猿丸集』の歌の現代語訳(試案)を試みます。

② 時々、いくつかの歌を同時に眺めて論旨の整理に資するようにしたいと思います。歌集としての特徴などは個々の歌の検討が一段落した時点で、改めて検討することとします。

③ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-11歌  しかのなくをききて

     うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首」  巻第八の秋相聞にある歌です。

   うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

2018/4/zz   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻第十一で、漢字が一字以下の歌は次のとおり。『新編国歌大観』より引用。

9首あるが、すべてよみ人しらずの歌である。

2-1-477 思    

2-1-483  無し

2-1-486 人

2-1-493  無し

2-1-541 心

2-1-543 蝉

2-1-545 秋

2-1-546 秋

2-1-548 我

(付記終わり。 上村 朋  2018/4/16)

わかたんかこれ 猿丸集第10歌 オミナエシ好き

前回(2018/4/2)、 「猿丸集第9歌 たがこと」と題して記しました。

今回、「第10歌 オミナエシ好き」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに「あきはぎてをれ」など理解を深めました。2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)

 

. 『猿丸集』の第10 3-4-10歌とその類似歌

① 『猿丸集』の10番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-10歌  家にをみなへしをうゑてよめる

をみなへしあきはぎてをれたまぼこのみちゆく人もとはんこがため

 

類似歌 2-1-1538歌  石川朝臣老夫歌一首

をみなへし あきはぎをれれ たまほこの みちゆきづとと こはむこがため 

(娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡 為乞児)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句の各2,3文字と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討 その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌2-1-1538歌は、 『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌1515~1609)」にある歌です。配列上の特徴を確認します。

巻第八は、初めて巻全体を四季に分けたうえ、雑歌と相聞に分け、そしてそれぞれ年代順に配列されていると諸氏が指摘しています。秋の雑歌は、舒明天皇の鹿の歌からはじまります。

② この歌の前後の歌をみてみます。

この歌の5首前の2-1-1533歌で七夕の歌が終わり、2-1-1534歌から、オミナエシとハギの歌となります。(付記1.参照)。

年代順に配列されているとすると、左注に「右天平二年七月八日・・・」とある2-1-1530歌以後は、しばらく年月日の記載がなく、2-1-1545歌に「作者大宰師大伴卿歌二首」とありますので、少なくともこの歌までは天平二年の作詠とみることができます。

オミナエシとハギの歌の2-1-1534歌と2-1-1535歌は、帰京する者の第何回目かの餞別の席か着任者の出迎えなのか、検分の途次の歓迎の席か分かりませんがとにかく蘆城(あしき)の駅家で蘆城野を詠う歌であり、次の2-1-1536歌と2-1-1537歌は、滋賀県賤ケ岳の連山のハギを詠う歌であり、その次に、この類似歌2-1-5138歌があります。 この歌の作者名は詞書に示されていますが、この歌を詠んだ場所を推測する手掛かりが詞書にもなく歌にも一見するだけではみあたりません。

そして、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する歌(2-1-1539歌)を挟んで名張の野に咲くハギを詠う歌(2-1-1540歌)、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する山上憶良の歌2首(2-1-1541歌と2-1-1542歌)となります。

オミナエシとハギの歌はいったんこれで終わります。(秋の雑歌は、その次の聖武天皇が雁を詠う歌2首(2-1-1543歌、2-1-1544歌)は詠んだ場所は不明であり、その次の大宰府に赴任している大伴旅人の歌2首(2-1-1545歌と2-1-1546歌)もハギと鹿とを詠っていますが任地のどこで詠んだかは不明であり、そして、秋の露の歌1首を置いて、2-1-1548歌から再び七夕の歌と続きます。)

③ このように、類似歌2-1-1538歌とその前後4首(2-1-1534歌から2-1-1542歌まで)の計9首は、作詠時点が天平二年でかつ秋の花であるハギなどに触発された歌が続いています。

 この配列から考えると、この9首は、秋の野の花の代表的な花ハギなどを、咲き乱れる野の花として詠っており、詠う場所(披露した場所)は、宴席の歌が5首、旅中の歌が2首(2-1-1536歌、2-1-1537歌)、不明の歌が2首(2-1-1538歌、2-1-1540歌)となります。

 即ち、この9首は、ハギなどを題材にした歌としてここにまとめて記載されていますが、詞書ごとのグループごとに独立している、とみることができます。このため、類似歌2-1-1538歌は、前後の歌と独立した歌であるとして検討することにします。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳すると

① 2-1-1538歌の詞書は、この1首にのみかかり、作者名のみ明らかにしています。

 訳例を示すと、次のとおり。

「石川朝臣老夫(おきな)の歌 一首」(阿蘇氏)

 作者の伝は、未詳です。

② 初句の「をみなへし」は、現代では秋の七草のひとつであるオミナエシです。オミナエシは陽当たりの良いところに自生している多年草です。数本の茎をまっすぐに伸ばして株立ちになり、先端に多数の黄色い花を咲かせます。花房は全体で1520cmほどの大きさがあります。関東地方以西だと開花は69月、植え付け・植え替えは2月~3月と紹介されています。(NHK出版「みんなの趣味の園芸」)

オミナエシ平安時代には寝殿の前庭に植栽された植物の一つです。

二句にある「あきはぎ」もヤマハギであるならば、赤紫色の花でその開花は7~9月であり、背の低い落葉低木です。ハギは、マメ科植物特有根粒菌との共生のおかげで、痩せた土地でも良く育つ特性があります。

山上憶良が「山上臣憶良詠秋野花歌二首」と題した歌群(2-1-1541歌と2-1-1542歌)で言う秋の花に、オミナエシもハギも含まれています。(付記2.参照)

③ この9首うちで、歌に、二つの花を詠んだ2-1-1537歌は、一つの花から別の花を思い出したと詠んでいます。また2-1-1540歌も一つの花から次の紅葉を早くみたいと詠んでいます。それに対して、この歌は、作者の目の前に花が二種類あります。

④ 歌の現代語訳の例を示します。

女郎花と秋萩とを折っておきなさい。玉鉾の 道中のお土産をと言ってねだるであろう妻の為に。」新日本文学大系3萬葉集3(佐竹氏他)

  同行の人、あるいは従者に呼び掛けた歌であろうと解説し、「玉鉾」は「枕詞」としてそのままにしています。

「をみなへしと秋の萩を手折りなさい。旅の土産をとねだるに相違ないあの娘のために。」(阿蘇氏) 

阿蘇氏は、二句を「あきのはぎをれ」の訓で現代語訳しています。「折る」目的が四句以下に示されているので、「折れり」の命令形と理解しなくてもよい、と指摘し、また、五句の万葉仮名「為乞児」の「児」は、「留守居の者を漠然とさしたとみることができる。」と指摘しています。

この歌の前後の歌は単純に花を愛でていますので、この類似歌もそれに準じた歌とみて、阿蘇氏の訳で、以下の検討を行います。

⑤ 作者は、都の空き地でもみることができるような、珍しくもない花を、土産にしようと言っています。土産になると判断した理由は何でしょうか。手折る場所が重要ならばそのヒントが歌にあってもよいが見あたりません。土産にする理由が下句に示されていますが、官人であるならばその屋敷にも場合によってはありそうな花を土産として子に受け取ってもらえるのでしょうか。

⑥ 上記2.で、配列の検討をした9首のうち詠った(朗詠などにより披露した)場所が最も多かったのが宴席です。2-1-1534歌以前の七夕の歌の詠まれた場所(披露されたところ)は、山上憶良の七夕の歌が示す如く、七夕という宮廷行事というよりそれに関わる宴の席が圧倒的に多いと推測できます。2-1-1539歌などに関する阿蘇氏の推測は正しいと思います。

⑦ 9首のうち、詠った場所が不明の歌2首を、検討します。

 最初に、2-1-1538歌は、戯れ歌と理解すると、宴席の歌になります。「出張だというと土産土産と子供はうるさいので、その土地に咲いている野の花でも持って帰ろうと思っているのです。(勿論その子の母もうるさいので)」と愚痴を言った歌と理解すると、どこにでもある花をそれも2種類を土産にするのだ、と詠う理由がわかります。笑いを取った歌として伝えられて、巻八の編纂者は採録したのではないでしょうか。万葉仮名「児」の漢字の意を思えば、「家人」と理解しないほうがよい、と思います。

次の、2-1-1540歌は、旅中の歌との理解が可能です。明日香から伊勢に行く道筋に名張の地が有ります。詞書での作者の位階は朝廷の重要な行事に伴う宴席に連なることができるほどの位階とは思えません。しかしながら、名張の地が宿泊した地であるならば、位階に関係なく旅先での宴席での歌とも理解できます。初句から二句が「名張」を起こす序として当時慣用表現化していたとしたら、「名張」という地名を入れた、宴席での客側の挨拶歌とみることができます。

⑧ 同じように、旅中の歌とした2首(2-1-1536 2-1-1537歌)も宿泊地での宴席での挨拶歌として、伊香山を詠み込んだ歌、応対の女性をほめた歌と理解できます。

⑨ そうすると、ハギなどを題材にした歌9首は、元々は宴席での歌であったということになります。七夕も朝廷の行事としてはじまっています。『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌1515~1609)」は全て宴の場で披露された歌に思えてきます。

萬葉集』巻第八の各季の雑歌にもその傾向があります。

 

4.3-4-10歌の詞書の検討

① 3-4-10歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書の現代語訳を試みると、

 「居宅の屋敷に、オミナエシを植えた際に詠んだ(歌)」

 寝殿の前庭にはいろいろの草木を平安の貴族は植えたそうです。この詞書では、屋敷のどこに植えたかは明らかにしていません。常識的には前庭となるところです。オミナエシの植え時は太陽暦2~3月であるので、陰暦では12月前後の時期となります。オミナエシを選んでいることになにか意味があるのでしょうか。

③ 二句「あきはぎてをれ」の「あきはぎ」を花の名とするには、詞書になく、作者が植えた花ではありませんので無理です。類似歌にならい、オミナエシを折り取れと詠っているとすると、二句「あきはぎてをれ」は、

名詞「秋」または動詞「あく」の連用形)+動詞「はぐ」の連用形+助詞の「て」+動詞「折る」の命令形

ではないか、と思います。

「あく」と発音する動詞が、二つあります。

四段活用の動詞「飽く」には、「十分に満足する・あきあきする」の意、また四段活用の動詞「開く」には、「閉じていたものがひらく」の意、があります(『例解古語辞典』)。

また、「はぐ」と発音する動詞でこの歌に相応しいのは、四段活用の動詞「剥ぐ」であり、「(皮など)物の表面をむき取る、着物を脱がせて強奪する」の意、があります(同上)。

このため、二句「あきはぎてをれ」の意は、「あき」に「秋」と「開く」の連用形を重ねて、

「秋に、開(あ)き(そして)剥ぎて(から)折り取れ」、即ち、「秋、閉じている蕾が開き、花がよく咲いてから折り取れ」、なめらかな現代語訳として「秋に、充分花がついている枝を、折り取れ」、と理解できます。

④ 四句の「みちゆく人」は、通りすがりの人でも、ある目的をもって行く人でも可能です。ここまでの歌の語句では決めかねますが、五句「とはんこがため」という語句により、後者の人となります。

⑤ 五句の「とはんこがため」の動詞「とふ」には、a問ふ(聞く・尋ねる)。 b訪ふ(訪問する・見舞う)。c弔ふ(供養する・とむらう)。の意があります。

 類似歌の五句「こはむこがため」が、ほしがる子のため、の意であるので、別の意をこの五句に求めることができる、ということです。

⑥ この歌の作者が類似歌を参照しているものと信じて、この2つの歌の共通点を探すと、子が好きであるオミナエシを共に詠っています。オミナエシは、万葉時代も当時も、本当に好まれた花であったようです。

 さらに、その子は特定の子供を共に指していることです。類似歌は「こはむこがため」に「みちゆきづと」を用意しています。その「みちゆきづと」は自分の子供のためでした。

 この歌の「みちゆく人もとはんこ」も、特定の子供と推測できます。つまり、この歌の作者にも「みちゆく人」にも関係の深い子供です。当時は妻を訪問するのが通常の結婚であったことを考慮すると、「みちゆく人」とは「子供のところへ通ってゆく人」であり、作者と夫婦でありかつこの子の父親ではないかと推測できます。

 だから、四句と五句「みちゆく人もとはんこがため」は、「子供のところへ通ってゆく人もその子供を訪ねる際にはそのようなオミナエシを折り取れ」、となります。

 類似歌との比較でいうならば、「子供が好きなオミナエシを折り取ってあげてほしい」と詠い、「貴方には私を折り取ってもらいたいのです」ということを示唆しています。つまり、「子供のところへ通ってゆく人」へのラブコールの歌です。

⑦ オミナエシを植えた場所は、屋敷内でもこの歌は成立することになります。子が好むであろう秋の花を作者は屋敷内に植えオミナエシもその一つであったのではないでしょか。常識的な植栽ですが、『猿丸集』編纂者は、詞書に、詠っている季節を、植え付けの時期である現在の暦で2~3月と記し、オミナエシという植物名で、類似歌を喚起させ、歌の意の方向を固めています。植え付けの時の作者の思いを汲めと示唆しているととれます。

⑧ 歌の現代語訳(試案)を、示すとつぎのとおりです。「とふ」の意は「訪ふ」です。三句の「たまぼこの」は道にかかる枕詞なのですが、意が判らないのでそのままにして「道」を修飾する言葉としています。

「植えた女郎花は、秋に、充分花がついている枝を、折り取りなさい(我が子よ)。子供のところへたまぼこの道を通ってゆく人も、その子供を訪ねる際には充分花がついている枝(である私をも)を折り取りなさいな。」

 

 この歌は、半年後の時点の「みちゆく人」の行動をチェックしている歌です。それができるのは、男(とその一族)が望む男の子か女の子を、この作者が産んだからでしょう。

子供を訪ねるのは陽のあるうちでしょうから、子とともに作者が住んでいるならば話を交わす機会となります。作者にとって次のスッテプにすすめるきっかけになります。子の養育を信頼できる人に任せているならば、オミナエシを植えた屋敷でお待ちしていますという消極的な歌ではなく、その子の母を忘れていたらあなたが大事にしている子に会せない、と言っているような歌にみえます。

なお、穢れに関して敏感になった時代には、出産は物忌みの対象です。妊娠している女性及び産後の女性に接するのに男性にとって何らかの仕来たりやタブーが当時あったと思いますが、未確認です。

 

5.類似歌の検討その2  珍しい萬葉仮名

① 以上のような3-4-10歌の二句「あきはぎてをれ」の検討結果は、類似歌2-1-1538歌の二句「あきはぎをれれ」に適用できません。

類似歌の二句は「秋芽子折礼」と万葉仮名で書き記されています。この歌の記載されている第8巻では、万葉仮名を「萩」と訓んでいる歌が35首あり、万葉仮名の「芽」一字が10首、「芽子」二字が25首あります。 類似歌2-1-1538歌の場合だけを植物の名以外に理解するのは難しいのです。

② 引用した『新編国歌大観』においては、四句が「道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡」と万葉仮名で記されています。その○相当の字は『大漢和辞典』(諸橋轍次)の「衣」偏の部にもない字です。「褁」という字は同辞典にあり(同辞典の文字番号34393)、「ふくろ」という意です。この漢字を用いた理由の解明は万葉仮名の知識がありませんので、宿題になってしまいました。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書が異なります。この歌3-4-10歌は、作詠事情を記しますが、類似歌は、作者名のみ記すだけです。

② 二句が異なります。この歌は、平仮名で「(花が)あき(になって)はぎて(いる枝を)をれ」なので、「十分咲いた枝だけ折れ」の意となります。類似歌は、「(山野に咲いている)秋萩(も)折(りなさい)」の意となります。類似歌の万葉仮名は「秋芽子折礼」で植物の萩であるのは確かです。

③ 五句が異なります。この歌は、「訪はん子がため」。類似歌は、「乞はむ児がため」。

④ この結果、この歌は、秋に子にあうにはその母も訪ねよ、という女の恋の歌であり、類似歌は、子のために土産は用意していると詠う恐妻家の戯れ歌という雑歌です。

⑤ 今回で『猿丸集』の最初の10歌の検討が済みました。類似歌の理解に時間を要しました。次回は、この10首の検討作業を振り返ってみようと思います。

さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌ですが、次々回検討します。

3-4-11歌  しかのなくをききて

     うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首」  巻第八の秋相聞にある歌です。

うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。 2018/4/9   上村 朋)

付記1.2-1-1538歌より前の4首と後の4首計8首は、次のとおり(『新編国歌大観』より)

 2-1-1534歌  大宰府諸卿大夫幷官人等、宴筑前蘆城驛家歌二首(1534,1535

     をみなへし あきはぎまじる あしきのは けふをはじめて  よろづよにみむ

2-1-1535

たまくしげ あしきのかはを けふみては よろづよまでに わすらえめやも

 

2-1-1536歌   笠朝臣金村伊香山(いかごやま)作歌二首(1536,1537

くさまくら たびゆくひとも ゆきふれば にほひぬべくも さけるはぎかも

2-1-1537歌 

いかごやま のへにさきたる はぎみれば きみがいへなる をばなしおもほゆ

 

2-1-1539歌 藤原宇合卿歌一首

わがせこを いつぞいまかと まつなへに おもやはみえむ あきのかぜふく

 

2-1-1540歌 縁達師歌一首

よひにあひて あしたおもなみ なばりのの はぎはちりにき もみちはやつげ

 

2-1-1541歌 山上臣憶良詠秋野花歌二首

    あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな

2-1-1542歌 

    はぎのはな をばなくずはな なでしこのはな をみなへし またふじばかま あさがほのはな  (芽之花 乎花葛花 く(瞿の冠が日日)麦之花 姫部志 又藤袴 朝貌之花 )

 

付記2.秋の七草は、山上憶良詠んだ2-1-1541歌と2-1-1542歌の2首がその由来とされている。

2-1-1542歌の五句「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔木槿(むくげ)、桔梗昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力であるといわれている。

(付記終わり 2018/4/9   上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集第9歌 たがこと

前回(2018/3/26)、 「第8歌 ひとり ともしも 」と題して記しました。

今回、「猿丸集第9歌 たがこと」と題して、記します。(上村 朋) 

(追記 さらに理解を深めました。2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第9 3-4-9歌とその類似歌

① 『猿丸集』の9番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-9歌  いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

人まつをいふはたがことすがのねのこのひもとけてといふはたがこと

 

3-4-9歌の類似歌:2-1-2878歌  題しらず      よみ人知らず   

ひとづまに いふはたがこと さごろもの このひもとけと いふはたがこと

人妻尓 言者誰事 酢衣乃 此紐解跡 言者孰言

② この二つの歌は、初句と三句などほか、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は 『萬葉集巻第十二古今相聞往来歌類之下にある、正述心緒歌一百十首の二番目のグループ(2876~2975)にあります

巻第十一及び第十二は、編纂者の時代以前の歌(古)と同時代の歌(今)で互いに消息をたずねあう歌(やりとりする歌の類)が記載されている巻です。土屋文明氏は『萬葉集』中の代表的な民謡集と見ています。氏は、「民族心、社会心、集団意識と称すべきものを表現している歌が民謡」、といい、集団意識からの改変・進展を受けて現在に伝えられる形に到達したものである。と推測しています。相聞と往来とはほとんど同義だそうです。 

② この歌が含まれるグループの最初から12首ほどの歌をみてみます。なお、作者の性別の推計を試み歌の後に付しました。歌の内容からみて男女どちらが詠ってもおかしくないと推計した場合は、不定としています。

2-1-2876歌 わがせこを いまかいまかと まちをるに よのふけゆけば なげきつるかも 

    (女)

2-1-2877歌 たまくしろ まきぬるいもも あらばこそ よのながけくも うれしくあるべき 

    (男)

2-1-2878歌 上記のとおり

    (女)

2-1-2879歌 かくばかり こひむものぞと しらませば そのよはゆたに あらましものを 

    (不定

2-1-2880歌 こひつつも のちもあはむと おもへこそ おのがいのちを ながくほりすれ 

    (女)

2-1-2881歌 いまはわは しなむよわぎも あはずして おもひわたれば やすけくもなし 

    (男)

2-1-2882歌 わがせこが こむとかたりし よはすぎぬ しゑやさらさら しこりこめやも 

    (女)

2-1-2883歌 ひとごとの よこすをききて たまほこの みちにもあはじと いへりしわぎも 

    (男)

2-1-2884歌 あはなくも うしとおもへば いやましに ひとごとしげく きこえくるかも 

    (不定

2-1-2885歌 さとびとも かたりつぐがね よしゑやし こひてもしなむ たがなならめや 

    (男)

2-1-2886歌 たしかなる つかひをなみと こころをぞ つかひにやりし いめにみえきや

    (不定

2-1-2887歌 あめつちに すこしいたらぬ ますらをと おもひしわれや をごころもなし

    (男)

                                              

③ 2-1-2876歌は、このグループの最初の歌です。阿蘇氏の現代語訳や土屋氏の大意などを参照すると、相愛の間柄を前提に詠い待ち人来たらずの歌です。12番目の2-1-2887歌も相愛の間柄と信じて、自分の不甲斐なさを嘆いている歌です。

そのなかで、類似歌である2-1-2878歌は、相聞の歌と言えるかもしれないが、相愛の間柄とは一見みえない歌です。そもそも愛情を寄せるべきでないような相手に対する歌であり異質です。次に置かれている2-1-2879歌は他の歌が逢うのに苦労しているのに対して、やすやすと直近に逢っているかのような歌であり、この歌も異質です。

④ 次に、これらの歌は相愛の歌なので、作者の性別を推定すると、上記の歌は、グループの最初から、女、男の順の繰り返しとなっています。男女不定の歌がありますが、それを女あるいは男と見なせば、女、男の順の繰り返しが2-1-2887歌までは続いています。これは、女と男の歌が一組となった対の歌とみることが可能かもしれません。

それを確認すると、次のように、対の歌ごとに場面設定がある、と認められます。

2-1-2876歌と2-1-2877歌:夜が長いことを詠う 

2-1-2878歌と2-1-2879歌:会った直後の歌

2-1-2880歌と2-1-2881歌:何としても添い遂げたいと詠う

2-1-2882歌と2-1-2883歌:仲たがいの歌

2-1-2884歌と2-1-2885歌:噂になったことを詠う

2-1-2886歌と2-1-2887歌:直接言い出せないもどかしさを詠う

対の歌として2-1-2876歌から始まっているので、作者が女の歌である類似歌2-1-2878歌は、作者が男である2-1-2879歌と対になる歌であり、2-1-2879歌から類推すると、2-1-2878歌は、「たがこと」と言ってはいるがその男を作者はまんざらではないと思っている歌として配列されている、とみることができます。2-1-2878歌も相愛の歌ということになります。別の見方をすると、巻第十二の編纂者が、そのように理解可能となるよう配列している、と言えます。

この配列からは、2-1-2878歌は、巻第十二では前後の歌とは独立しているとは言い難い歌である、と言えます。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳を試みると

① 訳例を示します。

     「人妻に向かって言っているのは誰ですか。この衣の紐を解けなどと、言っているのはいったい誰のお言葉でしょうか。」(『萬葉集全歌講義』(阿蘇瑞枝氏))

  阿蘇氏は、「人妻が男性を咎める歌で詠いもの風である」と評しています。また、三句は万葉仮名では「酢衣乃」とありますが、誤字の可能性が高いとして「さごろも」と訓むのを、支持しています。

・ 「人妻に 言い寄るのはどなたのお言葉 衣のこの紐を解けと 言うのはどなたのお言葉。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』(小島憲之・木下正俊・東野治之))

作者自身を一般化して「ひとづま」と表現していることを指摘し、「いふ」は「要求する、言い寄る」、の意と捉えている訳です。なお、三句「酢衣乃」は染めないままに織り縫った下着の意か、という理解をし、貞女の拒絶の歌というより民謡であろう、と指摘しています。

     「人妻たる自分に対して言ふのは何人の言葉であるか。衣の紐を解けといふのは、何人の言葉であるか。」(『萬葉集私注』(土屋文明))

 一種の抗議であるが、抗議する中にすでに甘美の感がただよふ、と氏は指摘し、「倫理感を以って論ずべきものではない。勿論民謡であって好んで誦したのはむしろ男性であろうか」と指摘しています。

 この3例は、前後の歌が関係しない単独の歌であり、多くの人々が口にした伝承歌である、としています。

② 三句の万葉仮名は「酢衣乃」です。この訓について、『新編国歌大観』では、底本とした西本願寺本による訓をも示しており、それは「ス(サ)ゴロモノ」とあります。「さごろも」と訓むのは、仙覚の新点からだそうで、非仙覚系の諸本は「すごろも」とあるそうです。仙覚は、文永6(1269)萬葉集註釈』を著した天台僧・歌人です。

このため、『猿丸集』編纂時点での訓は、「すごろも」と推測します。その意を、「染めないままに織り縫った下着」として、以下の検討を進めます。

③ 二句の万葉仮名は「言者誰事」、五句は「言者孰言」で、訓はともに「いふはたがこと」です。

 漢字の「事」と「言」との違いを意識して用いている万葉仮名の表現であると思います。漢字「事」には、「ことととする・ものごと・できごと」の意があり、漢字「言」には、「こと・ことば・いいつけ・ものをいう」などの意があります。作者は、自分の立場を一般化して自分と相手が特定されるのを避けています。そして、自分に言い寄ったのが誰であるかがわかっているので、その人を全否定するのではなく、言い寄ったというその言動のみを非難する言葉を選んでいます。少なくとも、この歌を書き留めた人は、作者に言い寄った人の言動を問題とした歌であると理解して、漢字を選んでいると言えます。その漢字の意を消し去って表現された歌とは、思えません。それを強調するため、二句の漢字「誰」を繰り返さず五句には疑問詞として、その意が「いずれ・たれ」の漢字「孰」を選んでいます。

二句は、「そのように言うというような出来事は、誰の行いか」  五句は、「そのように言うのは、誰のことばか」の意です。

ちなみに、清濁抜きの平仮名表記で、『萬葉集』において句頭に「いふはたかこと」表記の歌は、この2-1-2878歌の1首のみです。句頭に「たかこ・・・」と表記の歌は5首のみであり、万葉仮名で、「誰恋」(2-1-102)、「誰言」(2-1-779)、「誰之言」(2-1-3353歌)、「誰心」(2-1-3349)、「誰子」(3813)と、「誰」字から書き出しています。「孰」字の歌はありません。

④ 現代語訳(試案)は、つぎのとおり。

「人妻に、そのような声を掛けるとは、どなたがされる事でしょうか。(そのうえ上着ではなく)下着の紐を解けなどと言うのは、どのような方のことばでしょうか」

 言い寄ってきた人にこのように強く言い返えした(歌を送りつけた)としても、男としては平然と2-1-2879歌という返歌をすることにより、さらに言い寄るという方法があります。拒絶したいならば相手にしない(言い返さない)ほうがよかったのです。あるいは自分の名も相手の名も人々に分かるようにしたほうが、拒絶の意志は人々に尊重されるでしょう。

だから、この二つの歌は、個人間のやりとりという実際の事ではなく、老若男女がグループで歌の応酬を楽しむ際の歌として創作されたものだったのではないかという推測が成り立ちます。しかし、2-1-2878歌を相愛の歌と直ちに理解するには躊躇があります。

⑤ 対の歌の一方の歌として検討すると、相手が誰だか推測できる表現を避け、行為を非難し人格すべてを否定していない歌なので、今はその時ではない、あるいは強引に言い寄られたら受け入れますと、言っていると、推測可能です。そうすると、「人妻」と作者と名乗っているので、夫の喪に服している人妻の歌と理解でき、「逢うには早すぎるでしょう」、「そのようなことは今言わないでください」ということを示唆した歌となり、対の歌と見做した2-1-2879歌の内容も喪中の行事での出会いのことを詠っているとも解釈できます。

さもありなん、という光景が描けました。先に配列の検討から得た結論と同じ相愛の歌ということが、内容から可能である、ということです。

⑥ 勿論、対の歌でない単独の歌であっても、「まだ逢うには早すぎるでしょう」という歌と理解すれば、相愛の歌として、巻第十二の編纂者が、ここに配列するのも不自然ではありません。

 民謡として初句「ひとづまに」に別の言葉を用いた場合が多々あった伝承歌だと思います。もっとはっきりと作者の気持ちを表わせるようなことば、例えば、愛犬の名、美しくない花の名、好んで身に着けている装飾具などで、拒否か、待ての意か、からかっているのか、などを伝えたのでしょう。

 

4.3-4-9歌の詞書の検討

① 3-4-9歌を、まず詞書から検討します。

詞書の「いかなりけるをりにか」とは、事情をぼかした言い方です。ここでは、この歌の前後の歌の状況とは違う、ということを、示唆しています。ただただ逢えないという状況ではなく、裏切られた状況を、ぼかして言っていると理解できます。

② 現代語訳(試案)はつぎのとおり。

 「どのような事情のあった時であったか、女のところに(おくった歌)」

 

5.3-4-9歌の現代語訳を試みると

① 初句「人まつ」とは、通い婚であるので、女性が男性を待っている意です。

② 二句と四句の「いふはたがこと」の「たがこと」は、類似歌を参考にすれば、

     誰が事: 誰の仕業・行いなのか、とか誰が行った事なのか、誰のことなのか、の意が考えられます。

     誰が言: 誰の発言なのか、とか誰が言った言葉なのか、の意が考えられます。

「いふはたがこと」の意味が二句と四句で同じ意であっても、諸氏の類似歌の理解のように可能とおもわれますが、ここでは、異なる意とし、対の歌としての検討をします。

 三句「すがのねの」は、「菅の根の」であり、スゲの根の形から、「長し」「乱る」にかかる枕詞と言われています。また「ね」の音を重ねて「ねもころ」にもかかる場合があります。

ここでは、紐は長いものであることから、紐を修飾していると思われます。

「すが」はスゲ(菅)のことであり、水辺や山野に生える多年草で、笠・蓑などを編む材料となっているカサスゲなどは地下匐枝がしっかりしています。シラスゲにも細長い匐枝があります。

④ 四句「このひもとけてと」の「ひもとく」とは、連語であれば「紐解く」(四段活用)であり、異性とともに寝ることを指します。「ひもがとく」(下二段活用)の理解だと、結んだ紐を呪術的な存在とみなして、自然にほどけた意となり、相手に逢える前兆として、歌に用いられたと、判断できます。 「とけて」の接続助詞「て」は、活用語の連用形につくので、この歌の動詞「とく」は下二段活用であり、この歌では、後者の意味合いとなります。

「このひもとけてと いふ」とあるので、「いふ」の主語に従い、四句は「自然に紐が解けて相手に逢えかもと、喜んで女が言う」あるいは「自然に紐が解けてあなたに逢えかもと、女が言う(相手は)」の意となります。

⑤ 類似歌2-1-2878歌においては、二句と五句の「いふはたがこと」の「いふ」は、相手の男の言動・発言であり、「たがこと」と問うているのは、作者でした。 

 この歌でも同様に、二句と五句の「いふはたがこと」の「いふ」は、同一人物の言動・発言としてこの歌を送った女の言動・発言とし、「たがこと」と問うているのは、作者と理解して検討します。 

⑥ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-9歌の現代語訳を試みます。

 「いふ」の内容、即ち、この歌を送った相手の女が何を言ったかというと、初句と四句を言った、となります。

「通ってくる人を待つ」と、(男に)文を送ったのは、どなたがされる事でしょうか。すがのねのように長い紐が、自然にとけて乱れてしまってというのは、どのような方のことばでしょうか。」(二句は「誰が事」。五句は「誰が言」の意で反語であり女を指す。)

これは、詰問の歌です。この歌集では、ここまで睦言の歌はありませんでした。

⑦ 別案として、初句は女の行為で、四句は女ではない別の人の行為とみると、

 「通ってくる人を待つと言われたのは、誰を待っているのですか。すがのねのようなひもが、とけて乱れてと(いうことがおこったよと)返事をくれたと貴方が言われる人は、誰のことですか。(二句は「誰が事」。五句も「誰が事」。)

となりますが、この理解でも詰問の歌となります。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この3-4-9歌は作詠事情を少しでも記していますが、類似歌2-1-2878歌は何も記していません。

② 初句が異なります。この歌は「人待つを」と、誰かの発言を引用しており、類似歌は「人妻に」と、誰かの行為の対象を指し示しています。

③ この歌の登場する人の数が違います。この歌は、3人、類似歌は、2人です。

④ この結果、この歌は、男である作者が、自分から離れていった女を詰問している歌となり、類似歌は、言い寄る男を人妻が拒絶している歌と表面上はなっていますが、相聞往来歌の1首として巻第十二の相愛の歌の間に置かれているので、婉曲に男を受け入れようとしている歌であり恋の成就を期待している歌です。このため、この歌の趣旨とは異なります。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-10歌  家にをみなへしをうゑてよめる

をみなへしあきはぎてをれたまぼこのみちゆく人もとはんこがため

3-4-10歌の類似歌:2-1-1538:  石川朝臣老夫歌一首  

をみなへし あきはぎをれれ たまぼこのみちゆきづとと こはむこがため 

 巻第八の 秋雑歌にある歌です。この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/4/2   上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集第8歌 ひとり ともしも

前回(2018/3/19)、 「第7歌 ゐなのふじはら」と題して記しました。

今回、「第8歌 ひとり ともしも 」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに理解を深めました。「はるの夜」の理解などです。2020/8/3付けブログもぜひ御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第8 3-4-8歌とその類似歌

① 『猿丸集』の8番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-8歌 はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる

くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひとりともしも

 

3-4-8歌の類似歌 諸氏が類似歌として2-1-293歌をあげていますが、もう1首あります。

 類似歌a 2-1-293歌 間人(はしひと)宿祢大浦初月歌二首(292,293)

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき 

(椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月乃 光乏寸)

 

 類似歌b 2-1-1767歌 沙弥女王歌一首 

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの かたまちかたき

 (倉橋之 山乎高歟 夜窂尓 出来月之 片待難)

   (左注)右一首は、間人宿禰大浦の歌の中に既に見ゆ。但し、末の一句相換わる。また、作歌の両首、正指に敢えず。因りて累ねて載す。

 

 この左注により、この二つの歌を類似歌として検討します。

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、3-4-8歌と類似歌とは、三句と五句が異なり、また詞書が、異なります。

③ これら三つの歌は、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌aの前後の歌をみて見ます。類似歌a 『萬葉集』巻第三の雑歌(235~392)にあります。

 

2-1-290歌 幸志賀時、石上卿作歌一首 名闕

     ここにして いへやもいづち しらくもの たなびくやまを こえてきにけり

2-1-291歌 穂積朝臣老歌一首

     わがいのちし まさきくあらば またもみむ しがのおほつに よするしらなみ

左注)右、今案(かむが)ふるに、幸行の年月審らかにせず。

2-1-292歌  間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)

あまのはら ふりさけみれば しらまゆみ はりてかけたり よみちはよけむ

2-1-293歌 上記のとおり

2-1-294歌 小田事勢能山歌一首

    まきのはの しなふせのやま しのはずて わがこえゆけば このはしりけむ

2-1-295歌 角麻呂歌四首 (以下割愛)

 2-1-291歌の左注からは、作者が住居を構えている大和を念頭において志賀を詠んでいるので、編纂者はともに行幸時の歌と整理してここにおいた、という意思を感じます。

この配列からみると、「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」 を、現代語訳をする際はこの2首を一連の歌と理解したほうがよい、と思われます。

② 次に、類似歌bの前後の歌をみてみます。類似歌bは、萬葉集』巻第九の雑歌(2-1-1668~2-1-1769)にあります

2-1-1765~6歌 「詠鳴鹿歌一首并短歌」と題する長歌反歌  歌は割愛

2-1-1767歌 上記のとおり

2-1-1768~9歌 「七夕歌一首并短歌」と題する長歌反歌  歌は割愛

 この配列からみると、前後の歌群とは独立した歌が、類似歌bである、と思われます。

③ 二つの類似歌は、清濁抜きの平仮名表記では五句の4文字ですが、万葉仮名は、17文字中8文字が異なります。

 

3.類似歌の検討その2 詞書と初月

① 類似歌a 2-1-293歌の詞書は、「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」とあり、作者名と詠んでいる「物」を指し示しています。

 作者の間人(はしひと)宿祢大浦は伝未詳です。

② 詞書の訳例をあげます。

・「間人宿祢大浦の三日月の歌二首」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

・「間人宿祢大浦の初月(みかづき)の歌二首」(阿蘇氏)

この二つの訳例は、「初月」とは、新月から三日目の月、と理解しています。

③ 初月」とは古語辞典によると「はつづき」とよみ、新月や三日月、特に陰暦8月初めの月をいいます。陰暦8月は、仲秋の名月の月であり太陽暦9月前後です。現代では97日から108日の間に訪れる満月(または満月に近い)の夜が仲秋の名月・十五夜という定義だそうです。

今年2018年の仲秋の名月は、924日です。その月(20189月)の月齢の若い新月(月齢一日前後)と三日月の天文学的な月の出(月の中心が地平線と一致する時刻)と月の入りは、京都市ですと545分と1846分、94分と2034分です。京都市での2018年通年の新月の月の出は5時前から8時前であり、月の入りは17時過ぎから20時前です。三日月の月の入りは19時ころから23時前です。

昼間の月は太陽も空にあるため見えることがかないません。月が実際に見えてくる暗さを日没1時間前の暗さと仮定すると、朝が月の出となる三日月などは、その形を見るのは西の空ということで、間もなく月の入りとなります。

さらに京都市は山々に囲まれており東には比叡山があるので、実際に見えはじめるのは天文学的な月の出の時刻より遅く、見えなくなるのは山々に消えるので逆に月の入りの時刻より早いことになります。 

④ 現在でも、月の形を空に認めると、「月がでた」と言っており、「月が出ている」とは、天空で月が目立っている状態を意味しています。福岡県の炭鉱節は、オリジナルが三井田川炭鉱の「伊田場打選炭唄」で編曲されて1932年レコード化されました。「月が出た 月が出た 三池炭坑の 上に出た」と唄い出しますが、その月は山の端に見えた月ではなく炭鉱の上空にある月です。

2-1-293歌の作者の時代にも、「初月」である白くて細い月を空に認めたとき、「月が出た」ということはあったのではないかと思います。つまり、日没前の時間帯でも「月がでた」と表現していたと推測できます。

万葉仮名「出来月」とある歌は、この対の歌のほか『萬葉集』には4首あります。その月齢を推測すると、

まちまちです。23日か(986歌)とか、満月近くではない(1089歌)とか満月に近い(3825歌)とか7日か23日(2831歌)という具合です。

このように、万葉仮名「出来月」は、「空に月の形を認めた」ことを指しています。

⑤ 類似歌b 2-1-1767歌の詞書は、作者名だけです。

作者の沙弥女王も、伝未詳です。

 

4.類似歌の検討その2 2-1-293歌は対の歌

① 訳例を示します。

2-1-293

「倉橋の 山が高いからか 夜遅く 出て来る月の 光も暗い。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

 月齢については、「夜が更けてから出る月なので下弦の月となる。」としています。また、初句「倉橋の」の「倉」に、「暗い」の意が掛けてあると指摘しています。

2-1-293

倉橋の山が高いからだろうか。夜遅くなって出てくる月の光の乏しいことよ。」(阿蘇氏)

 月齢については、三句の「よごもりに」を「夜篭りに」と阿蘇氏は理解し、「深更に、深夜に」の意とし、通説のように下弦の月(陰暦22,23日ころ)を詠んだと推測しています。但し、「間人宿禰大浦初月歌二首」という詞書からの考察では上弦の月新月となるとし、新月説や上弦の月説のあることを紹介しています。

 

2-1-1767

「倉橋の 山が高いからか 夜遅く 出てくる月が 待ち遠しい。」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

2-1-1767

倉橋山が高いからか、夜遅くになって出てくる月が待ちきれないよ。」(阿蘇氏)

阿蘇氏は、五句にある万葉仮名「片」を接頭語とし、ひたすら、の意と解し、「夜深く出てくる月」と理解しています。

この二つの訳例では、夜遅く出て来る(空にみえてくる)月なので、月齢を17日以降と推定していることになります。

② 配列からいうと、2-1-292歌と2-1-293歌は、同じ題のもとに連続して記載されていますので、(すでに指摘したように)2-1-291歌に左注を記した編纂者の考えを思えば、この二つの歌を、同一の作者のほぼ同時に詠まれた歌、あるいは、同じ題のもとにおける同一の作者の歌としてここに記載している、と認められます。

それは、この二つの歌が、対となっている歌として編纂者が認めていることであり、その対となっているのは、詞書よりみて、月齢が大変若い月(初月)であることは共通しているので、月の見え始めと見納めではないか、と思います。月の見え始めの2首とする記載方法には、積極的理由がありません。

③ それでは、対の歌の最初の歌である2-1-292歌の訳例を、つぎに示します。

     「大空を 振り仰いで見ると 弓張月が 空にかかっている この分だと夜道は良かろう」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

 三句の「しらまゆみ」を「弓張月」と訳しており、詞書にある「初月」との関係に言及せず、また月齢が若いのか廿日過ぎなのかを訳で明確にしていません。対となるもう一つの歌(2-1-293歌)は、詞書を無視した下弦の月であるとした訳であることを、明言しているのと比べると、月齢が若い月であると決め付けていません。

・ 「大空を振り仰いで見ると、三日月が白木の真弓を張ったように空にかかっている。この様子ではきっと夜道は歩きやすいことだろう。」(阿蘇氏)

三句の「しらまゆみ」とは、「漆などを塗らない白木のままの檀の木で作った弓。弦を張った(白い)弓を三日月にたとえている。」と阿蘇氏は説明しています。

氏の訳は、詞書にある「初月」と表現できる月齢の月となっています。

④ 詞書を尊重すれば、2-1-292歌は、「初月」を、日没前後の西空に認めて、夜道を行く者にとり、月の光を雲がかかっていないので少しでもあてにできるという、喜びを、詠ったものとみてよいと思います。

 初句から二句の「あまのはら ふりさけみれば」というのは雲一つない空を暗示しています。

 そのため、現代語訳は、阿蘇氏の訳がよい、と思います。

⑤ 次に、2-1-292歌と対になっている2-1-293歌を検討します。

初句「くらはしの」という「くらはし」が特定の地名かどうかは、しばらく保留しておきます。『能因歌枕』では「くらはしやま」が大和国の歌枕となっています。

二句「やまをたかみか」は、名詞「山」+格助詞「を」+形容詞「たかし」の語幹+接尾語「み」+疑問の格助詞「か」であり、「山が高いせいなのか?」の意です。作者は月の光が乏しいことを嘆いています。

詞書に従い月は「初月」とすると、日没前に見えはじめる月は既に西空にあるので、「山」が月の見え始めの時刻を遅らすことはありません。

月が見えなくなる時刻(月の光をあてにできる限界の時刻)は、山に邪魔された場合、天文学的な月の入り(地平線に月の中心が沈む)の時刻よりだいぶ前の時刻になってしまいます。ビルの上に見えていた月も、東から西へとそのビルに近づくと見えなくなるのと同じで、自分が(西方にある)山に近づけばその山が視界を遮る割合が大きくなります。

山に隠れた月の光は間接照明のように作者の周囲の地上に届いていますが、月を直接見上げることができる場所と比べれば少しは暗くなってきます。それを「ひかりともしき」と表現したのではないか。

⑥ 月そのものの光が乏しいのは、基本的には月齢によります。その夜の月の明るさが変ることはありません。月齢が15日前後ならば非常に明るく(円となった月をみることができ)、月齢1日前後では、光が乏しい(細い三日月を見ることになる)のです。また、月が天中にあるか地平線に近いかによっても月の明るさに多少の差を感じるものです。

見る人の周囲の状況も影響します。雪が積もっている杜は新月でも明るく感じ、夏の杜は新月ならばより暗く感じる、という類のことです。

だから、月齢が若い「初月」のころの夜道を行き山や丘が近い所に近づいた作者は、さらに山(実際は樹木の繁る森)から圧迫感があるのを、「ひかりともしき」と詠詠っているといえます。

⑦ 四句の万葉仮名は「出来月乃」です。

 「月が出た」というのは、上記3.の④で述べたように、空に月の形を認めた、の意です。

十五夜は、天文学的な月の出(月の中心が地平線と一致する時刻)が日没直前であるので、東の空に月の形が見えはじめますが、「初月」の天文学的な月の出は明け方なので、日の出後は太陽のため見えることができなくて、日没が近づいたころ、西空に月は見えはじめます。

ちなみに、2018年の仲秋の名月(924日)の月の出は1743分であり、この日の日没は1752分です。20189月の月齢1日前後の日、例えば913日の日没は1803分であり、その2時間半後の2034分には月の入りとなります。

⑧ 五句の万葉仮名は「光乏寸」です。「ひかりともしき」という訓です。これは、

・名詞「光」+形容詞「ともし」の終止形+助動詞「き」

・名詞「光」+形容詞「ともし」の連体形+(名詞「X」)+(詠嘆等の助詞)

2案の理解が可能です。

 前者の理解における助動詞「き」は、話し手自身(ここでは作者)の直接体験を、回想して述べているという意です。「光が乏しいことだったなあ」と現代語訳できます。

 後者の理解における名詞「X」は、この歌が、2-1-292歌と対の歌であることを考慮すると、「夜道(よ)」が候補の一つになります。2-1-292歌により、作者は夜道を出発したことがわかっています。そして「くらはし」の地に近づいたころ、この2-1-293歌の状況になった、という理解になります。「初月」は、西空に認めてから2,3時間足らずで月の入りとなります。つまり、出発して12時間後に「くらはしの山」を作者が見上げる仰角は大きくなったのです。あるいは道に沿った樹林により月が隠れたという状況になった、ということです。

 だから、「光乏寸」とは、作者の足元が、初月の(そんなに明るくはない)光による間接照明みたいな明るさになってしまった、ということを詠んでいる、と理解できるので、「光が乏しい夜道となってしまったなあ」、あるいは「この道はさらに光が乏しいねえ」と現代語訳できます。

 前者の理解でもよいのですが、一つの詞書における同一作者の歌が対になっていることを背景に理解できたので、後者の(名詞「X」)案の訳を、ここではとりたいと思います。

⑨ 歌の三句に戻ります。

万葉仮名を「よごもり」と訓じている歌は、『萬葉集』に3首あります。2-1-293歌と2-1-1767歌のほかに、長歌2-1-4190歌です。

2-1-4190歌は「霍公鳥と時花を詠った歌であり、万葉仮名で「四月之立者 欲其母理尓 鳴霍公鳥」とあります。

ホトトギスはよく『萬葉集』でも季節の到来を告げるものとして初音が待たれています。この歌の「欲其母理」は「初音を聞かせてくれるはずの夜が深まってゆくとき」の意と理解することができます。

 2-1-293歌の万葉仮名は「夜隠」、2-1-1767歌は「夜窂」であり、漢字そのものの意が、「隠れる、隠す」など、あるいは「いけにえ、かこい」という字を借りてきています。

そうすると、三句の「夜隠尓」は、「夜の帳(とばり)がおりるなか」とか、「夜の帳がおりるように」とかいうニュアンスが、現代語訳の一例となります。一定の夜の時間帯を指すのではなく、進行中である雰囲気のある語句が「よごもりに」あります。

「夜隠尓」の現代語訳別の一例は、「暗さの増す夜に」があると思います。

⑩ 「初月」の歌でかつ対となる歌がある、と記す詞書に従い、2-1-293歌の現代語訳をこころみると、つぎのようになります。

 「(夜道を辿って)倉橋の地まできたが、そこの山が段々高くみえるようになったせいなのか、夜の帳(とばり)がおりるなか空には月のあるものの、光がさらに乏しくなった夜道であるなあ(初月は山の陰に入り私の視界から消えてしまって、その光が弱くなった夜道だなあ。)」

この現代語訳(試案)は、萬葉集』巻第三の編纂者が、ひとつの詞書のもとに並べて記載した意図にそうものであると、思います。

⑪ 保留していた初句の「くらはし」を検討します。作者が都にいて詠んだ歌がこの2-1-292歌と仮定すると藤原京平城京からみて西方の地の名称となります。

しかし、この歌が編纂者によって示された対の歌であることを想起すれば、作者は2-1-292歌で夜道を行こうとしており、2-1-293歌では山の麓に近づいていますので、その行動を詠んだ歌であるという理解が望ましいものであると思います。

詞書が「初月」の歌としているので、初句の地名により歌意が左右されるとは思えません。地名や山名も歌としては入替可能です。別の見方をすれば、入替可能のため代表的な山の名前として選ばれたとも考えられます。その理由は2-1-1767歌の場合も合せて検討することとします。

 

5.類似歌の検討その3 2-1-1767

① 次に、2-1-1767歌を検討します。この歌は、清濁抜きの平仮名表記では五句だけが2-1-293歌と違う歌です。

五句「片待難」(かたまちがたし)の「かた」の理解に2案あります。

「片」は接頭語。 阿蘇氏などの説。ここでの意は「ひたすら」

 接頭語「片」+動詞「待つ」の連用形+形容詞「難し」の連体形(+詠嘆の終助詞「かな」あるいは「夜を」)

・「片」は名詞「方」。その意はa方角・方向、b時節・時刻など。

 前者の場合その現代語訳は、「ひたすら待つのは容易ではないなあ」、後者の場合は、「(今夜の月の出の時刻はわかっているのだがその)時刻を待つのは容易ではないなあ」、となります。

 ただ、接頭語案で、「片+名詞」(片糸など)の例でも、「片+動詞」(片去る)でも「片側、一部分」の意であり、「ひたすら」の意はこの歌のほかに知りません。

 この歌は、沙弥女王という女性が作者とされているのに、後者の場合「その時刻を待つのは・・・」となると、相聞の歌でなく、単に月を待つ歌となっている歌となります。さらに「くらはしのやま」が入替可能の代表的な山の名前であるすると、この歌の作詠事情は、月の出を楽しむあるいは昇ってきた月を愛でることを一つのイベントとした宴席で、月の出の前のイベントとしての歌または舞の披露の時の歌ではないか、と思います。もともと宴の進行を促す歌として沙弥女王以前に成立し、既に伝承されていたのではないか、という推測です。

沙弥女王は舞を所望された女性であり、何度も既に披露されたことのある歌の朗詠に合せて舞を舞ってくれた、沙弥女王に敬意を表し、彼女の歌として途中から伝承されてきたのではないか。

 当夜の月の出の時刻は、当然わかっていて宴席をセットしているはずですから、通例月の出(見え始め)を出席者は着席して迎えるはずです。

 「出来月」は、既に指摘したように、空に月の形を認めた、の意です。「出来月之片」は、月の出の時刻あるいは「宴席の場所から月が(山や樹林や海などから)昇って来るのが見える時刻」の意、となります。

 万葉仮名に漢字「方」を採用していない理由は分かりませんが、「かた」と訓む場合に、「方」の意を排除する一般的な根拠はないと思います。(万葉仮名に詳しい方の意見をお聞かせください。)

③ 宴席で朗詠された歌であると、作者は都あるいは行幸の地に居る可能性が高い。この歌で詠われている月は、夜に入ってから見ることが可能な月なので、月齢は、15日以降であり、東の空に昇る月です。初句と二句の「倉橋之 山乎高歟」(くらはしの やまをたかみか)の山の位置が、2-1-293歌と異なる東の方角となり、食い違います。

 しかし、違和感なくこの歌はその宴に参加されていた人々に受け入れられ、また『萬葉集』に記載されるほど伝承されてきた歌です。そうすると、この歌が詠まれた頃は、実際の「くらはしのやま」の所在地に関係なく、「くらはしのやま」という表現に対して、宴席に出席した人々が共通認識を持っていた、ということになります。その認識は、「障害となる山の代名詞である」、というものです。だから実際に2-1-1767歌を朗詠する場合は、朗詠する場所に近い山名に入れ替えられていたのではないでしょうか。

 「くらはし」という土地に行幸した事例がありますので、その時最初に朗詠されたのかもしれません。

2-1-293歌が詠まれた時点も、「障害となる山の代名詞である」と理解されていて不都合はありません。

なお、「くらはしやま」が大和国の歌枕である理由として、『古事記』の速総別王(はやぶさわけのおおきみ)と女鳥王(めどりのおおきみ)の反逆の物語で、「梯立の倉椅山をさがしみと岩かきかねてわが手とらすも」と詠われたことであるとの指摘があります。

共通認識は、もうひとつ、伝承されてきたこの歌そのものにも生まれていたのではないでしょうか。

④ 現代語訳を試みると、つぎの通りです。

「倉橋山が高いからなのか、夜の帳(とばり)がおりるなか、遅くなって月の昇ってくる時刻を(ただ)待つのは、容易ではないなあ(皆々様、ご挨拶は、短かいほどよろしいのです。)

山の名を宴の会場から見える山名に入替えても、歌の趣旨は伝わります。

左注の文言を信用すれば、 『萬葉集』のこの巻の編纂者も「くらはしのやま」の認識を共有し、作者とくらはしのやまの位置関係と詠まれている月齢との違いに気がついていたため、2-1-293歌と似て非なる歌として記載したのではないかという推理が働きます。

⑤ 阿蘇氏は、2-1-293歌は、人麻呂歌集所出歌であるので、後に詠んだ2-1-1767歌の作者が、詠歌の際、利用したのか、と指摘しています。宴席の歌であり類型的な歌である2-1-1767歌によって共通認識が先に生まれ、2-1-293歌の作者がその後利用したのではないかと私は思います。満月前後の月を詠む歌より、初月を詠む歌のほうが技巧的であるのも、理由の一つです。

⑥ この二つの類似歌は、月に関しては初月の歌と十七夜以降の月の歌とに分かれました。月の見える時間帯はともに宵(真夜中には至らない時刻)です。

 

6.3-4-8歌の詞書の検討

① 3-4-8歌を、まず詞書から検討します。

② まず、月齢について。

詞書に、「月をまちけるに、」という女がいるのは自宅であると想定できます。月を待っているということは、女が男の訪れを待っているのと同義であろうと推測できるので、月の出の時刻がほぼ日没以降となる月齢の月、例えば月齢が17日以降の月を詠ったのではないかと、なります。

③ 作者である女は同じ屋敷に住み続けていたのでしょうから、月をみるのに妨げとなる山が屋敷の東側にあったとすると月が「やまがくれ」するのは常のことです。それを、作者にとってその日だけ「山がくれにて」心もとない、と記しています。「やまがくれ」という語句は、その日何かの差しさわりが生じた、ということを示唆しています。それは月の運行がおかしくなったのではなく、作者が待っている親しく交際している男の来るのが後れた、ということではないでしょうか。

④ 詞書の現代語訳を試みると次のとおり。

春の夜、昇ってくる月を待っているのだが、いまだに山に隠れているような状態なので、不安になって詠んだ(歌)

 

7.3-4-8歌の現代語訳を試みると

① 類似歌を含めた以上の検討を踏まえ、また詞書に留意して、3-4-8歌の現代語訳を試みます。

② まず、各句にある語句を単位に検討します。

 初句から二句の「くらはしのやま」は、「障害となる山」の意であり特定の山を指していません。また、「くらはしのやまをたかみか」という語句は、作者の時代には、類似歌を想起させる語句であります。

③ 三句「よをこめて」は、連語として「夜を籠めて」(まだ夜が深いうちに)があります。類似歌と異なる語句でありので、類似歌とは異なる意の恐れがあります。

また、名詞「よ」+助詞「を」+下二段活用の動詞「籠む」の連用形+接続助詞「て」であり、「こむ」(籠む・込む)には、a(かすみなどが)一面にひろがる、b中へいれる・とじこめるなどの意です。

④ 四句「いでくる月の」の「の」は、連体格の格助詞とか同格の格助詞とか、あるいは、「の」が主格を明示する場合や、「の」が連用修飾語をつくる「を」に通じる場合や、連用修飾語をつくる「に」に通じる場合があります。この歌では、四句と五句とを並べてみると、いでくる月の」が言い掛けではないか、「の」が主格を明示しているのではないか、と思われるます。

四句の現代語訳は、「空に昇ってきた月が・・・(省略されている何か)である」となります。

⑤ 五句「ひとりともしも」の「ひとり」には、「独り」と、「火取り」(香炉。香をたく道具。)の意があります。和歌では「一人」にかけてよく用いられるそうです。

句の最後である五句は、類似歌では、作者の感慨を表わした語句でした。この歌と類似歌とは異なる語句であり、予想するに類似歌とは異なる意となるはずです。

五句「ひとりともしも」の「ともし」には、「乏し(とぼしい・貧しい)」意と、「羨し(珍しくて飽きない・うらやましい)」意とがあります。この動詞の主語は「ひとり」であるか、あるいは省略されているかのどちらかです。 

また、「も」は、終止形で完結した文についているとみると終助詞であり、詠嘆・感動の気持ちを添えるのに用いられていますが、上代語だそうで平安時代には「な」が優勢になり、古風な和歌などに用いられるだけになったそうです。

⑥ そうすると、五句「ひとりともしも」に対しては、例えば次のような現代語訳(案)が考えられます。

A (総じて)独り(という状態)であるのが、とぼしいなあ(あるいは、羨ましいなあ)。

B 空に昇ってきた月は、火取りがとぼしいなあ(羨ましいことだなあ)。

C 省略されているものが、独り(という状態)であるのはとぼしいなあ(羨ましいなあ)。

 

⑦ 各句の言葉の意味を種々検討してきました。これを踏まえて歌全体を、詞書に従い検討することとします。

詞書からは、月とは、訪れるはずの男を示唆しているので、「くらはしのやま」が、月の出を邪魔をしているのかと疑問を呈するということは、男の方に何かの事情が生じたことを疑っている言葉です。

 それは、今夜は残念ながら独りで過ごすことの可能性が大きくなったことを意味します。昇ってくる月は皓皓とかがやき、作者のような悩みはないようです。そのような月をみて触発されたのがこの歌ではないか、と思います。それは、上記⑥のA,B,CのうちのCであって「とぼしい」が有力な候補となります。

⑧ そのため、3-4-4歌の現代語訳(試案)はつぎのようになります。

「くらはしの山が高いからなのか、(2-1-1767歌のように)待ち遠しい状態になったが、それでも月(下弦の月)は(暁とならない)夜が深いうちに昇ってきてさやけく輝いている。それに比べて、私は、この宵は独りで乏しい(さびしい)思いをすることになるなあ。」

 このように理解すると、この『猿丸集』の作者は、月の入りではなく「いでくる月」を詠っているので類似歌b 2-1-1767歌の歌を参考にしたのではないか、と思われます。

 

8.この歌と類似歌bとのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-8歌は、詠む事情を説明しています。類似歌b 2-1-1767歌は、作者を特定しているだけです。

② 三句の語句が異なります。意が同じではありません。

③ 五句の語句が異なり、その意もこの歌は、「(今宵一人で過ごすのは「ともしも」)であり、類似歌bは、月の光が「光乏しき」です。

④ この結果、この歌は、男が来てくれないことを嘆く恋の歌であり、類似歌b2-1-1767歌は、開宴を求める雑の歌です。なお、類似歌a2-1-293歌は、2-1-292歌と対になっている歌なので初月の光を惜しむ羈旅の歌、あるいは陰暦8月の「初月」を詠ったとして秋の歌となります。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-9歌  いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

人まつをいふはたがことすがのねのこのひもとけてといふはたがこと

3-4-9歌の類似歌: 2-1-2878:「題しらず  よみ人知らず」  

     ひとづまに いふはたがこと さごろもの このひもとけと いふはたがこと

 巻第十二古今相聞往来歌類之下の 正述心緒にある歌です。

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/3/26   上村 朋)

 

わかたんかこれ  第7歌 ゐなのふじはら 

前回(2018/3/12)、 「第6歌 なたちて 」と題して記しました。

今回、「第7ゐなのふじはら」と題して、記します。(上村 朋)(追記 付記での例歌を追加します。そして、「を」と「ふじはら」の理解が深まりました。ブログ「わかたんかこれ 猿丸集は恋の歌集か・・・」(2020/7/27付け)や同(2020/8/3付け)を御覧ください。)

 

. 『猿丸集』の第7 3-4-7歌とその類似歌

① 『猿丸集』の7番目の歌と、その類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。初句の「しながどり」が枕詞とされているので、初句と二句に注目して類似歌を探しました。

 

3-4-7歌 (詞書なし) 

 しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん 

 

3-4-7歌の類似歌は、2首あります。『拾遺和歌集』にある1首を、『新編国歌大観』より引用します。

 

類似歌a 1-3-586歌 よみ人しらず

    しながどり ゐなのふし原 とびわたる しぎがはねおと おもしろきかな

「巻十 神楽歌」にある一首です。

もう1首は、『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』(かぐらうた)にある一首です。同書から引用します。歌番号は、同書が付した神楽歌に対する番号です。

  

類似歌b 41歌  伊奈野(41~43 本   

しながとる  や  猪名の柴原(ふしはら) あいそ  飛びて来る 鴫(しぎ)が羽音(はおと)は 音おもしろき  鴫が羽音

 

 この歌は、「神楽歌 大前張(おおさいばり)」の 「伊奈野(41~43」と題する歌のひとつです。1-3-586歌を知っている人は、41歌も知っているに違いありませんので、類似歌として取り上げました。諸氏は1-3-586歌を神楽歌のひとつとしており、同類の歌が『古今和歌集』巻二十に「大御所御歌」のうちの「神遊びの歌」と題した歌群に既に記載されているように、後年神楽歌と称した歌群は、1-3-586歌のある『拾遺和歌集』成立よりかなり古い時代に成立している歌であるからです。

 『拾遺和歌集』成立以前に、さらに『拾遺和歌集』の成立時生存していた作者が幼年時代以前にこの『猿丸集』が編纂されたとすれば、類似歌は、41歌のみとなります。

 ここでは、三代集と『猿丸集』は、同時代の作品でありそれぞれの編纂担当者は同時代の人です(ブログ2017/11/9参照)ので、この二つの歌を類似歌として検討します。

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、類似歌a1-3-586歌とこの類似歌b41歌との歌本文はよく似ているものの、詞書が、異なります。

 

2.類似歌の検討その1 配列とゐなの

① 3-4-6歌の前に、諸氏が既に現代語訳している類似歌の2首を、先に検討します。 

最初に、類似歌記載の歌集における配列を、みてみます。

類似歌a3-1-586歌が記載されている『拾遺和歌集』「巻十 神楽歌」は、神事の際に詠われる歌や神に奉納した歌や神の託宣の歌などが記載されており、類似歌a3-1-586歌は、そのうち神事の際に詠われる歌のひとつであると諸氏は指摘しています。すなわち、巻十は、類似歌b41歌の底本(後述)と比較すると、

採物(とりもの)の榊の歌である3-1-576歌のからはじまり、前張(さいばり)の歌である3-1-586歌で宮中の神事歌謡が終わり、1-3-587歌から神祇の歌が配列されています。

② 『拾遺和歌集』において、類似歌a3-1-586歌前後の歌は、それぞれ関連のない場面を詠んだ歌と思われ、配列からいうと、それぞれ独立している歌、ととれます。

③ つぎに、類似歌b41歌は、『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』にあります。

節を付けて歌った歌の歌詞を文学史上では歌謡と称しています。儀式で歌うものから気楽に口づさむものまで色々種類があり、神楽歌はそのひとつであって、平安時代の宮中で歌われた神事歌謡です。その神事として行われる御神楽の順序にしたがって、書き留められた一種の楽譜の形で伝来しています。その伝来しているものの一つ(鍋島家本『神楽歌』)を底本として、それから歌謡部分を抜きだして記載しているのが『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』です。

底本の原文は、万葉仮名です。「神楽歌次第」を最初におき、宮中での神楽の行事の次第を述べています。そして全93歌がそれに対応し、庭火、採物(とりもの。神おろしの歌)、前張(さいばり。神あそびの歌。大前張と小前張がある)、星(神あがりの歌)と順に記されています。

④ 臼田甚五郎氏が校注・訳を担当し、漢字仮名交じり文に読み下しており、その文を、ここで検討する歌の本文として記したのが、類似歌b41歌です。

この41歌は、大前張にある7題のひとつである「井奈野」に含まれる歌です。

題の「井奈野」について、臼田氏は、「猪名野」の当て字であるとし、(堤防などがない当時の)猪名川の河原の原野を指すという趣旨の理解をしています。底本は、39歌から42歌に対して「鳥」という題になっているそうですが、臼田氏は他本により校訂して、39~40歌に「階香取(しながとり)」、41~43歌に「井奈野」という題を付けています。

⑤ 神楽歌が歌われる神事とは、神は、祭祀を受けてこそ来臨し、神に満足してもらってから、もとの世界に帰っていただかなくてはならないとして行われています。そうすればよい祭をしたという安堵感(物事が順調にすすむなど神のご加護を受けられるはず)が生じたのです。その一連の儀式が宮中で行われてきました。

宮中で行われる神事は、神を招き、神と共に楽しみ、神を送るという順の儀式であるので、それに対応して、底本は記されています。

もう少し敷衍すると、採物とは、神楽を舞う人が手に持つものを指します。神が降臨する際の標識であり、神の憑代(よりしろ)になり、榊など9種あります。

前張とは、神人和楽の芸能を尽くす座の歌であり、いわば宴会歌の類です。

星とは、神々が帰り行くのを送る歌であり、明けの明星(金星)と題する歌から始まります。

なお、神楽歌は、神前で舞楽と共に唱和される歌謡として、貴族の神祭りや諸社の祭祀においても唱和されているものがあります。

現在に伝わる神楽歌(の演奏)を聴くには『日本古代歌謡の世界』(東京楽所 音楽監督多忠麿 レーベル:日本コロンビア)が最適だそうです。石清水八幡宮鶴岡八幡宮などでは毎年聴くことができるそうです。

⑥ 『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』において、類似歌b 41歌は、「井奈野」という題における3つある歌の最初の歌ですので、この題のもとのこの3歌を検討単位として、まず検討します。各題ごとに、一応独立しているものと仮定して検討することとします。

 

3.類似歌aの現代語訳

① 類似歌a1-3-586歌より検討します。その現代語訳の例をあげます。

・「猪名の柴原に、一面に飛ぶ鴫(しぎ)の羽の音は、風情があることだ。」(『新日本古典文学大系 拾遺和歌集』)

 初句「しながどり」を、枕詞であるとして現代語訳から割愛している訳です。

 「しながどりとは息(し)が長い鳥の意という。にほどり。かいつぶり。居並ぶことから「猪名」にかかる枕詞。

神楽歌の大前張の歌。女性をシギに見立てた求婚の歌とする説もある。」と説明しています。

② また、「前張は2種。破格で通俗的な小前張と、短歌形式となる格調の整った正雅である大前張。ともに民謡風で娯楽的な歌。」とも説明があります。

③ 初句の「しながどり」については、前回(2018/3/12)検討したところです。その結論は、

・「ゐな」とは、地名の「猪名」であるとともに、「動詞「率る」の未然形+終助詞「な」(誘う意)」であり、「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意である。

・「しながどり」が雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ、と呼びかけているのが、「しながどり(のように) ゐな」であり、その同音の「猪名」という地名を掛けている。

ということでありました。

④ 二句にある「ふし原」には、上記の訳例では「柴原」という訳語をあてています。「柴」とはもともと「山野

はえる小さな雑木」の意です。なお、類似歌bの底本の万葉仮名は「不志波良」と、あります

 この1-3-586歌は、渡り鳥のシギが来る場所を、「ふしはら」と言っていると理解できますので、雑木の原というより、シギの餌がありそうな干満のある場所あるいは浅瀬で草がよく茂っている原野ではないか、と想像します。

「ふし(原)」とは「伏し目」と「ふし」で、枯れ始めた草原、草が頭を下げるようにみえる時期の草原という理解が可能です。

それはともかく、ここでは、渡り鳥のシギが来る場所ということを強調した表現と理解して、広い原野、と理解して、歌の検討をすすめます。

⑤ 四句にある「しぎ」は、渡り鳥とされています。現在は、シギ科の鳥の総称を鴫(しぎ)としています。「しぎ」が現在いうところの鴫であるとすると、くちばしと脚が長い、水に潜ることができない渡り鳥です。餌が底生生物のゴカイ、カニ、貝などなので、河口近くの干潟などは格好の餌場であったと思われます。

現在、日本では、渡り鳥が、湿地の生態系の健全性を測る指標として、渡来する個体数がモニタリングされています。

 そのモニタリング結果が公表されています。「モニタリングサイト1000 シギ・チドリ類調査 ニュースレター  2015年 冬季概要」(sep.2016)(発行:環境省自然環境局生物多様性センター/編集:NPO法人バードリサーチ)によると、

・ 2015年冬季の一斉調査(110日を 基準日とした前後1週間の調査)への参加は102ヶ所(全調査サイトは114カ所)

・一斉調査期間では、シギ・チドリ類 37 26,722羽、ツクシガモ2,418羽、ヘラサギ14羽、クロツ ラヘラサギ 267羽、ズグロカモメ1,619羽。

・冬期の全サイトの最大個体数(調査期間内に記録された各種個体数の最大値)の合計では、シギ・チドリ 類 41 45,876羽、ツクシガモ5,138羽、ヘラサギ33 羽、クロツラヘラサギ470羽、ズグロカモメ3,181羽。

・優占種のベスト5は、ハマシギ 57.3%、シロチドリ 7.2%ダイゼン 5.6%ミユビシギ 3.3%タゲリ 2.4%

⑥ シギには多くの種がありますが種別の特定などに、諸氏は興味を示していません。

歌の中の主人公は、鴫の群れの羽音にまず興味を示し、鳴き声に注目していません。羽音はシギの数が多いことを示唆しているのでしょうか。

拾遺和歌集』の巻十神楽歌にある歌なので、宮中の神事の際の神楽歌ということが明記されている書物の歌を参照してこの歌を検討するのがしかるべきであると思いますので、41歌の検討後、改めて1-3-586歌の現代語訳の検討をすることとして、41歌に進みたいと思います。

 

4.類似歌bの現代語訳

① 類似歌bは、「井奈野」の題のもとの第1歌であり、残りの2歌は、次のとおりです。

42歌  末   しながとる や  猪名の柴原(ふしはら) あいそ  網さすや 我が夫(せ)の君は いくらか獲りけむ いくらか獲りけむ 

底本における万葉仮名では、初句と二句が、「之奈加止留 夜 井奈乃不志波良」とあります。

 

43歌 (裏書) おもしろき 鴫が羽(は)の音や おもしろき 鴫が羽(は)の音や ゐや 猪名の柴原や あいそ 網さすや 我が夫(せ)の君は いくら獲りけむや いくら獲りけむや

底本における万葉仮名では、「猪名の柴原や」相当の語句が、「為奈乃布志波良也」とあります。

 

 「末」とは、宮中の神楽の儀式のおり、あとから歌う一団(神前に向かって左の一団)を指し、「本」とは、先に唱え歌う一団を指します。その「末」の一団の歌う歌が、42歌です。「(裏書)」とは、底本の料紙裏に書かれている歌、の意です。

② 41歌と42歌の初句の「しながとる」は、諸氏の指摘するように「しながとり」の意である、と思います。

理由は、この両歌と39歌でも「猪名」に続いていること、その「猪名」には『萬葉集』では、「しながとり ゐな・・・」と詠われている歌が4首あることです。

今、初句の「しながとり」に注目して類似歌を探したので、42歌も類似歌となるのですが、神楽歌の代表として41歌を類似歌としておき、「井奈野」の題のもとの歌を一括して検討します。

③ 類似歌b41歌等の現代語訳の例をあげます。枕詞が()書きされ、囃し詞が片仮名で示されています。

 

41歌:「(しながとる)ヤ、猪名の柴(しば)の生えている野原よ。アイソ、そのあたりを飛んでくる鴫(しぎ)の羽の音は、音がほんとうにおもしろい。その鴫の羽の音。」(臼田氏)

 臼田氏は、この歌を、『拾遺和歌集』は1-3-586歌として収める、と注記しています。

42歌:「(しながとる)ヤ、猪名の柴の生えている野原よ。アイソ、網を仕掛けている、私のいとしいお方は、鴫を幾羽とっただろうか、幾羽とっただろうか。」(臼田氏)

 臼田氏は、「網さす」とは、網とか罠を仕掛けること、と理解しています。

43歌:「おもしろい鴫の羽の音よ。おもしろい鴫の羽の音よ。ヰヤ、猪名の柴の生えている野原よ。アイソ、網を仕掛けている、私のいとしいお方は、幾羽とっただろうか、幾羽とっただろうか。」(臼田氏)

 

臼田氏は、『神楽歌入文』(橘守部)では「ある色好みの男の人の娘を得んとして云々」と解しているのをも紹介し、猪名川河口の村落の歌垣などで男女が歌いかける機会があったのではないかと推測しています。

④ 41歌と42歌は、その歌の内容からして掛け合いの歌と認められます。

元々は、歌垣での歌であったとみると、41歌は、シギの羽音に注目し、42歌は、それに唱和しないで、幾羽とれたかと歌っています。女が、「わがせのきみ」と男を持ち上げて、たくさんいるシギが飛来したけれども捕れますか、とからかっているように見えます。

実際にシギを捕まえて当時食材にしていたのでしょうか。萬葉集歌人たちの時代の村落の人々が、常食としてシギを食用にしていたと推測できる資料にまだ接していません。(現在では、狩猟によって食材として捕獲された野生鳥獣の料理をフランスではジビエ料理といっており、日本にもジビエ料理店が今日ではあります。シギもメニューにあるそうです。)

また、元々は、宴席での歌であったとみると、41歌と42歌は、女性をシギに喩え、1人くらいは何とかなるよ、と歌いかけ、罠をかけるようなことをしても簡単にはいかないのだよ、と答えている、と理解できます。

 

⑤ これらの歌の題「井奈野」の前の題は、「階香取」(しながとり)です。そのもとに2歌あります。

 39歌 本  しながとる や 猪名の水門(みなと)に あいそ 入(い)る船の 楫よくまかせ 船傾(かたぶ)くな 船傾くな

 40歌 末  若草の や 妹も乗せたり あいそ 我も乗りたり や 船傾(かたぶ)くな 船傾くな

 

 水脈筋をみつけ慎重に船を停泊させるところを歌っているとみることができる歌ですが、エロチックな歌とも、とれます。41歌と42歌をその延長上におくと、元々は宴会の歌という理解が深まりまるように感じます。

⑥ また、「井奈野」の次の題は、「脇母古(わぎもこ)」であり、そのもとにある2歌は、

44歌は、「鳥も獲られず 鳥も獲られずや」と繰り返し、

45歌は、「十は獲り 十は獲りけむや」と繰り返しています。

この三つの題にもとの歌(39歌~42歌)は、一連の歌群で一つの物語とも見える歌群であります。

⑦ 41歌の枕詞「しながとる」と3-1-586歌の枕詞「しながとり」を、ここでは、有意の枕詞として、前回の結論に従って現代語訳(試案)すると、41~43歌は、次のようになります。

 41

「しなが鳥が雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、アイソ 渡り鳥のシギが飛んできた。その睦みあう羽音は 感興を増すよ。その羽音は。(我らも睦みあう時期が近付いたなあ)」

 渡り鳥のシギの羽音に何故注目したかというと、雌雄がペアを組むべく羽音高く相手選びをしているのだ、という思いを込めたのか、と推測しました。

42

しなが鳥が ヤ 雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、アイソ 仕掛けをするのですか 私の愛しい貴方は。 何羽かかるのでしょう 何羽かかるのでしょう。(張り切っていますね。) 

43

「面白い シギの羽音ですね。ほんとに面白い シギの羽音ですね。ヰヤ 猪名川に広がる原野で。 アイソ 仕掛けをかけたのですか 私の愛しい貴方は。 何羽かかりましたか 何羽かかりましたか。(気の毒に、気の毒に。) 

 43歌は、対となる歌が判りません。42歌と差し替える歌かもしれないと考えて上記の試案を作りました。

⑧ 神楽歌である類似歌b41歌が、このように理解できるとすると、類似歌aも、神楽歌として『拾遺和歌集』に記載されているので、41歌と同じように、つぎのように現代語訳(試案)できます。

「しなが鳥が雌雄並んで遊ぶ場所、その猪名川に広がる原野に、渡り鳥のシギが飛びかっている。その睦みあう羽音は 興味深いなあ。」

⑨ また、鳥を採る網がどのようなものか、今のところ調査できていません。

⑩ このように検討してきた結果、類似歌a及びbは、男が歌っている歌で、獲物の鳥を捕ろうとしている気持ちがある歌であり、女性との逢引を期待している歌、と言えます。

 

5.3-4-7歌の詞書の検討

① 次に、3-4-7 歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書が記されていないので、当時の歌集の作り方にならい、前歌3-4-6歌と同じ、という理解になります。即ち、「なたちける女のもとに」であり、現代語訳は

「噂がたった(作者が通っている)女のところへ(送った歌)」

となります。

 

6.3-4-7歌の、ゐなのふじはら

① 歌本文を検討します。初句「しながどり」は、「ゐな」とともに前回(2018/3/12)検討しました(上記3.③参照)。

二句「ゐなのふじはら」を検討します。

類似歌aの二句「ゐなのふしはら」が、この歌では「ゐなのふじはら」という表現(語句)です

清濁抜きの平仮名表記で、句頭にある「ゐなのふしはら」という表記が、勅撰集や後代の夫木集にあります。文字にあたると、皆「ゐなのふしはら」とあり、「ゐなのふじはら」という表現(語句)ではありません。

 例歌) 夫木集より

3-16-9735歌 正嘉2年詩歌合、羇中春  権僧正公朝

あを山にかすみたなびくしながどりゐなのふしはらやどはなくして

 「ゐなのふじはら」は、この歌3-4-7歌独特の表現である、といえます。

② 二句の「ゐなのふじはら」について、類似歌aにならい、「固有名詞ゐな+の+形容詞+原」と仮定してまず検討しましたが、適切な形容詞が見つかりません。「ふじ」という表現が連体形となる語句がありません。

このため、「固有名詞ゐな+の+固有名詞+(の)+原」と仮定して検討しました。

植物のフジ(藤)は、歴史的仮名遣いでは「ふぢ」なので、該当しません。(『古今和歌集』での例は付記1.参照)

歴史的仮名遣いで「ふじ」と書く漢字の熟語を探すと、「富士(山・川)」や「不時」や「負恃」(たのみとする。たよる。)その他が、あります。(その他は付記3.参照)

③ また、「はら」は、「原」のほか「腹」(体の一部を指す「腹」、あるいはその女性から生まれたこと・生まれた子の意)があります。

「はら」を「原」と仮定すると、上記の固有名詞のなかでは、「富士(山・川)」が適当ではないかと、思います。しかし、「ふじのね」とか「ふじのやま」という語句が句頭にある歌が、『萬葉集』や『古今和歌集』にありますが、「ふじはら」はありません。それでも、「富士原」という語句であるとして「富士の裾野の原野」という理解は可能です。

「はら」を「腹」と仮定すると、上記の固有名詞のなかでは、「負恃」が可能となるかと、思います。ただ、上記のように勅撰集に「ふじはら」という語句のある歌はありません。「負恃」は漢語であり、「宮腹の中将」(『源氏物語』帚木)という表現が普通であるので、ここでは、「原」が妥当だと思います。

④ そのため、上句「しながどりゐなのふじはらあをやまに」は、

A案 「(枕詞のしながとりにちなみ)「率な」(ともに行動しよう)と誘うところの富士の裾野の原が、青い山に・・・」

B案 「雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよとしながどりがいざなう場所である富士山の裾野に広がる野山が、青々とした山に・・・

という理解ができます。

⑤ この歌の作者の時代、富士山にはどのようなイメージがあったのか、確認します。

富士山の噴火は800年代度々記録されています。富士山の中腹以下の地形は60数個の側火山によるところが大きく、貞観の噴火(864年。青木ヶ原溶岩を形成)をはじめ有史以来のおもな活動はすべて側火山からおこっているそうです。(噴火歴は付記5.参照)

「ふじのねの もゆるおもひも」(1-1-1002歌)と紀貫之は詠っています。

富士山は活火山で噴火口がどこにできるか分からない山、というイメージを持たれているようです。

 貞観の噴火後、陸奥国貞観地震(869)がありました。陸奥国にあるという末の松山を譬喩としている歌があります。

1-1-1093歌  東歌 みちのくのうた(1087~1093)     (よみ人しらず)

   君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ

 その現代語訳の例を示すとつぎの通りです

 「あなたをさしおいて、他の人に心を移すようなことがあったならば、あの末の松山を波が越えるようになってしまうでしょう(そんなことはけっしてあり得ません)。」(久曾神昇氏)

 この歌を本歌として利用した歌があります。

1-4-770歌 心かはりてはべりけるをむなに人にかはりて     清原元輔

   ちぎりきなかたみにそでをしぼりつつすゑのまつやまなみこさじとは

 その現代語訳の例を示すとつぎの通りです。

 「誓いあいましたね。おたがいに、あふれる涙でぬれた袖をしぼりながら、あの末の松山を波が越すようなことは決してしない、と。」(『例解古語辞典』付録「百人一首」)

この歌は、『後拾遺和歌集』巻第十四恋四の巻頭におかれている歌です。清原元輔の生歿は907~990年です。

 貞観地震による大津波は、陸奥国に名所をひとつ残しました。

 

7.3-4-7歌の現代語訳を試みると

① 三句以降の検討をします。

三句にある「あをやま」の「あを」は接頭語であり、幅広い青色を指す語であり、あるいは、未熟な、の意を添える語でもあります。

四句「ならむときにを」は、「四段活用の動詞「成る」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形+名詞「時」+格助詞「に」+「を」、とみることができます。この「を」は、五句にある動詞の主語ではないでしょうか。名詞の「を」には、a b峰 c麻(または麻糸) d緒(糸・紐。長く続くもの) e男・雄 の意があります。

五句にある「いろ」は、名詞「色」であり、ここでは、名詞「を」に関することなので、色彩の意が最有力です。

② 二句~四句「ゐなのふじはらあをやまにならむときにを」とは、以上の検討から、

 「「率な」の富士の裾野の原が、青い色の山に変化しようとすると、その時、峰(は)」

と理解できます。

 「山に変化する」とは、当時活火山であった富士山の山腹での噴火を、意味します。

③ 以上の検討と詞書に従い、現代語訳を、仮に試みます。

しながとりが「率な」と誘う猪名の柴原(ふしはら)とちがい、富士の裾野の原が、青々とした山のように変化するとなれば、(山腹に新たな噴火があったということであり)その山の峰(噴火口)は色が鮮やかになるでしょうよ(私たちの関係に、そのようなことはおこりません。噂にまどわされないようにしてください。)」

シギが飛来する柴原という猪名川下流域の一部が、青々とした山となるのは、荒唐無稽のことと理解されてしまいますが、当時の活火山である富士山の裾野ではあり得ることでしたので、それを喩えに出して作者は詠った、という理解になりました。

 

④ 3-4-7歌の二句は、類似歌a1-3-586歌と同様な「ゐなのふしはら」(猪名の柴原)ではなく「ゐなのふじはら」であるのが、歌の内容の検討からこのように推測できましたが、初句に「しながとり」という語句を用いている理由はなんでしょうか。

作者は、女との関係は「しながどり」同然ではないかの意をこめて、3-4-6歌と対にしてこの歌を送ったのでしょうか。

 また、「あをやま」は、未熟な山、できたてほやほやの山、の意のほうが、新しい噴火口のイメージに近いかもしれません。

そうすると、3-4-7歌は、さきの仮の現代語訳よりも次の現代語訳(試案)がよい、と思います。

しながとりが「率な」と誘う猪名の柴原(ふしはら)とちがい、富士の裾野の原が、新しい山にと変化するとなれば、その山の頂(噴火口)は色が鮮やかになるでしょうよ(私たちはそのようなことの起こらない「率な」に通じる猪名の柴原(ふしはら)にいるのだから、そのようなことになりません。噂にまどわされないようにしてください。)」

  

8.3-4-7歌の現代語訳(試案)と類似歌との違い

① この歌と類似歌は、詞書の内容が異なります。この歌は、詠むきっかけを記し、類似歌は、神楽歌として、歌の種類を示すのみです。

② 二句が異なります。この歌は、「率なの(ふしはらならぬ)ふじはら」の意であり、類似歌は、「猪名の柴原(ふしはら)」です。

③ 四句・五句の意が異なります。この歌は、「ならむ時に 峰(を) 色は変わらむ」であり、類似歌は、「シギが羽音 面白きかな」です。

④ この結果、この歌は、女を慰めている歌であり、類似歌は、沢山のシギがいることを喜んだ歌、となります。そして、同じ詞書の歌3-4-6歌と3-4-7歌は、同じ趣旨の歌となりました。

 

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-8歌  はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる

くらはしの山をたかみかよをこめていでくる月のひとりともしも

 

3-4-8歌の類似歌 類似歌は2首あります。

 類似歌a2-1-293歌 間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの ひかりともしき 

(椋橋乃 山乎高可 夜隠尓 出来月之 光乏寸)

 

 類似歌b2-1-1767歌 沙弥女王歌一首 

    くらはしの やまをたかみか よごもりに いでくるつきの かたまちかたき

 (倉橋之 山乎高歟 夜罕尓 出来月乃 片待難)

 やはり、違う歌であります。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/3/19   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』における植物のフジ(藤)の表現の例

 「ふじのね」:1-1-680歌 1-1-1001歌 1-1-1002歌 1-1-1028歌 

         1-2-565歌 1-2-647歌 1-2-648歌 1-2-1014歌 1-2-1015歌

            1-3-891歌 

 「ふじのやま」:1-1-534歌 

後代の歌の本文にある「ふじのけむり」や「ふじのすその」や「ふじのたかね」は、無い。

「ふじのけぶり」は1-2-1308歌にある。

 

 

付記2.「歴史的仮名遣いで「ふじ」となる例

 不時:a適当な時期ではない。時期外れ。b予定したときにはずれている、思いがけないとき。

(国語辞典では、「思がけないとき」の意、と説明しています)

父事:相手を父のようにとうとび仕える。

負恃:たのみとする。たよる。

符璽:天子の御印。ひろく、はんこ。

また、国語辞典には

不二:別のものにみえても実質は一体であること

不治: 例)不治の病。

  富士山:山梨・静岡県境の休火山

付記3.神楽歌:神事での歌が、定形を具えたのははるか後世のことで、正史では、『三代実録』貞観元年1017日条が最初。「琴歌神神宴終夜歓楽」

付記4.富士山の噴火の記録:下記②以下は『新・国史大年表』(日置英剛編)より:

① 『萬葉集』での例:

2-1-322歌 なまよみの かひのくに ・・・ふじのたかねは・・・もゆるひを ゆきもちけち ふるゆきを ひもちけつつ いへもえず・・・・ 

2-1-2703歌 わぎもこに あふよしをなみ するがなる ふじのたかねの もえつつかあらむ  

2-1-2705歌 いもがなも わがなもたたば をしみこそ ふじのたかねの もえつつわたれ 

2-1-2706歌 きみがなも (以下2705歌に同じ)

②記録の初見は、『続日本紀天応元年(781)76日 富士山噴火し降灰のため木葉みな枯れる。

延暦19(800)314日~418日 昼は暗く夜は火光天を照らしその音雷の如く灰は雨の如く降り、川水はこのため紅色となる。

④以後1000年までの記録は、6回ある。延暦21519日、天長3年(826)月日未詳(相模・寒川神社記録)、貞観6(864)524日より十余日(青木ヶ原溶岩形成)、 貞観12(870)月日未詳(相模・寒川神社記録)、承平7(937)11月 日未詳、長保元年(999)37

(付記終わり 2018/3/19 上村 朋)