わかたんかこれ 猿丸集第6歌 なたちて

前回(2018/3/5)、 「第5歌 ゆきすぎかねて 」と題して記しました。

今回、「第6歌 なたちて」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに理解を深めました。2020/7/27付けブログや2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第6 3-4-6歌とその類似歌

① 『猿丸集』の6番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-6  なたちける女のもとに

   しながどりゐな山ゆすりゆくみづのなのみよにいりてこひわたるかな

3-4-6歌の類似歌 萬葉集』 2-1-2717歌の一伝

    しながとり ゐなやまとよに ゆくみづの なのみよそりて こひつつやあらむ 

(・・・名耳之所縁而 恋菅哉将在) 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、上句においては動詞3文字が違うだけですが、下句はそれ以上の文字が違っており、また、詞書が異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

 『萬葉集巻第十一 古今相聞往来歌類之上には、 「寄物陳思歌二百八十二首」が二つのグループで記載されています。この類似歌2-1-2717歌の一伝は、その後のグループ(2-1-2626~)にあり、 よみ人しらずの歌です。

「寄物陳思」とは、「正述心緒に対して他物を譬喩に用ゐ、或は他物を機縁とした恋愛歌」(土屋文明氏 『萬葉集私注 六』48p)のことです。

 土屋氏は、「その譬喩には、序の方法を用ゐたものが多く、枕詞を用ゐたにすぎぬものもある。また正述心緒との区別のはっきりしないものもある。分類は後から施されたものであるから、それは止むを得ないことである」と理解しています。

② 巻第十一の編纂者は、「寄物陳思」の歌としてどのような配列方法をとったのかを、確認したいと思います。

「他物」の順序をみると、二つ目のグループは、から衣の裾から始まり、紐、あづさ弓、馬などを経て、この類似歌前後は川の流れ(というよりも水)に至っています。

③ 類似歌の前の3首は、次のとおりです。    

2-1-2714歌 はしきやし あはぬきみゆゑ いたづらに このかはのせに たまもぬらしつ

2-1-2715歌 はつせがは はやみはやせを むすびあげて あかずやいもと とひしきみはも

2-1-2716歌 あをやまの いはかきぬまの みごもりに こひやわたらむ あふよしをなみ

   この3首の各作者は、逢えないので(川の流れのように)涙を流し、(手に掬い上げた水のように)逃げてゆく君、(隠れ沼の水が流れ出ないように)自分の思いだけで終るのか、と詠うように、逢うことがまだ適いません。

④ そして2-1-2717歌(およびその一伝)になります。その歌意は後程検討しますが、諸氏の多くは、噂が山の中を流れる渓流の水音がよく聞こえるように大きくなった、と詠っていると、みています。

2-1-2717歌 しながとり ゐなやまとよに ゆくみづの なのみよそりし こもりづまはも

(一伝 なのみよそりて こひつつやあらむ)

類似歌は、その一伝のほうです。

⑤ この歌のあとの3首をみると、つぎのとおりです。

2-1-2718わぎもこに あがこふらくは みづならば しがらみこして ゆくべくおもほゆ

2-1-2719歌 いぬかみの とこのやまにある いさやがは いさとをきこせ わがなのらすな

2-1-2720歌 おくやまの このはがくりて ゆくみづの おとききしより つねわすらえず

 

この3首の各作者は、(堰も越えてゆく川水のように)私は越えなければならないと相手に迫り、越えたら、「いさやがは」のいさ)のように人には「知らない」と答えて、と願い、(表にでない流れでも音でわかるように)音信をいただいて安堵している、と詠っています。

⑥ これをみると、逢いたいという歌からこの歌の後で、逢えて安堵したという歌に変っていっています。そのような配列を編纂者はしているのではないか、と理解できます。

 

3.しながどり

① 3-4-6歌の初句「しながどり」は、「ゐな」とか「あは」にかかる枕詞と言われています。

 今、「ゆふつけとり」の検討時とおなじように、この歌が詠まれた当時枕詞は有意であるはずである、という考えで『猿丸集』も検討しているので、「しながどり」という枕詞の検討を、ここで行います。

② 「しながどり」という語句は、『猿丸集』に3首用いられています。他の2首は、次のとおりです。

3-4-7歌 (詞書はこの3-4-6歌と同じです) 

 しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん

 

3-4-27歌 ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに

   しながどりゐなのをゆけばありま山ゆふぎりたちぬともなしにして

 清濁抜きの平仮名表記で「しなかとり」というのは、三代集には、1-3-586歌の1首のみで、3-4-7歌の類似歌かと思われます。

 『萬葉集』には、5首あります。即ち、2-1-1144歌、2-1-1144イ、2-1-11932-1-1742及び2-1-2717歌です。その万葉仮名は、「志長鳥」2首(そのうち1首は一伝)、 「四長鳥」2首、 「水長鳥」1首です。なお、『新編国歌大観』の新訓は、みな「しながとり」です。

 以上の9首のち8首が「ゐな」にかかり、『萬葉集』の2-1-1742歌のみ「あは」にかかります。このほか、3-4-7歌の類似歌として紹介する予定の神楽歌の2首は「しながとる ゐな・・・」とあります。

③ 「しながどり」について諸氏の意見を例示します。

新日本古典文学大系 拾遺和歌集』では、1-3-586歌に関して、「しながどりとは、息(し)が長い鳥の意という。にほどり。かいつぶり。居並ぶことから「猪名」にかかる枕詞」と説明しています。

土屋氏は、これらの万葉歌において、「しなかとり」は「ゐなの」の「ゐ」または「あは」の「あ」にかかる枕詞で、明らかでないが鳰であろうと言はれる。」と説明しています。

阿蘇氏は、2-1-2717歌に関して、「「しなが鳥」は、にほ鳥に同じ。カイツブリのこと。ここは「猪名山」の枕詞。雌雄並び居る習性から「率(ゐ)る」のヰ(率)にかけて枕詞とした」と説明しています。

『例解古語辞典』では、「しながどり」を、第一に「水鳥の名。カイツブリ」、第二に「(カイツブリ)の雌雄が並んでいるようす。また、その声から」地名「猪名」「安房」にかかる枕詞」、と説明しています。

④ 1110年代前半成立と言われている『俊頼髄脳』に、「しながどり」という語句と「ゐなの」という語句の話がありますが、白い鹿とか猪がいない野とかという雄略天皇治世の話で、白い鹿の狩をしたという意の「しながどり」が 「ゐなの」の枕詞になったということです。『萬葉集』歌では万葉仮名で、「鳥」という漢字で書かれている「しながどり」(最新の訓では「しなかとり」)の「どり」ですが、1110年代には「しながどり」が鳥であるかどうかも分からなくなっていた、ということです。

⑤ 「ゐな」と「しながどり」との関係の検討を進めます(「あは」と「しながどり」との関係の検討は、付記に記します)。

阿蘇氏がいう動詞「率(ゐ)る」は、「引き連れる」とか「持って行く・携えていく」の意です。

「ゐぬ(率寝)」という連語の動詞があります。「連れて行って共寝をする」の意です。また、終助詞に、活用語の未然形につく「な」があります。「自分の意志・希望を表わす。誘いを表わす」の意です。

これから類推すると、「ゐな」とは、地名の「猪名」であるとともに、「動詞「率る」の未然形+終助詞「な」」でもあることばであると、萬葉集歌人はとらえていたのではないか。「率な」とは、「引き連れてゆこう、行動をともにしよう(共寝をしようよ)」と誘っている意であると思います。

活用語の未然形についた終助詞「な」の例を『萬葉集』から示します。

2-1-8  額田王

にきたつに ふなのりせむと つきまてば しほもかなひぬ いまはこぎいでな

   (・・・今者許芸乞菜 「今は(船団は共に)こぎだそう」、の意)

2-1-3636  かへるさに いもにみせむに わたつみの おきつしらたま ひりひてゆかな

    (・・・比利比弖由賀奈 「拾ってゆきたいなあ」、の意)

 前者は、斉明天皇7(661)百済に軍をすすめるため天皇が伊予の熟田津から筑紫に向かって船をだそうとするときの歌であり、後者は天平8(736)遣新羅使一行が往路において備後国水調郡(みずきのこほり)の長井の浦に停泊していたときに詠まれた歌です。

⑥ 「しながどり」が雌雄でいつも「率る」ような状態になろうよ、と呼びかけているのが、「しながどり(のように) ゐな」であり、その同音の「猪名」という地名を掛けている、というのが、「ゐ」と「しながどり」の関係であると理解できます。

 

4.類似歌の検討 その2 現代語訳

① 2-1-2717歌の一伝の訳例を示します。

・「しなが鳥の猪名山もとどろに流れてゆく水のように噂だけ関係があるように言われて恋しく思い続けることであろうかなあ。」(阿蘇氏)

 初句~三句は、「うわさのやかましさをあらわす比喩の序詞」としています。

・「しなが鳥 猪名山を響かせて 流れる水のように 名ばかり言い寄せられた 内緒の妻よ(また(一伝は)「名ばかり言い寄せられて 恋し続けることよ」)(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

・「しながどり(枕詞)猪名山をとどろと音たてて行く川水の如くに、うるさい噂だけ、一緒にされて居る、こもり妻はまあ。」(土屋氏の2-1-2717歌の訳)

② 土屋氏は「三句までは序である。川水の音高いのを、ナ即ち噂の高い事に言ひ続けた。普通の民謡である。「一に云ふ」(の歌)は意も希薄になり劣る。」、と指摘しています。

③ さて、初句の「しながどり」は、先に検討したように、「率(ゐ)な」を引き出し、同音の「猪名(ゐな)」の枕詞として用いられています。有意の枕詞です。

④ 同音の「猪名(ゐな)」は、単なる地名のほか、野原や山や川の名前とすることができますので、この歌は、川水の音が高い、をいうために「ゐな山」を選びました。

二句にある「いなやま」は、猪名川を挟んだ山地の意でしょう。特定の山頂を指した使い方ではありません。

作者は「率(ゐ)な」と呼び掛けたいがために「しながどり」から詠いはじめ、「猪名(山)」を引き出し、その山の川音から「な」が高いことを説明しています。

ですから、この歌は、17文字を費やしてまで「名」が高まったと言っています。そのような歌は、相手に送ったというより、仲間に自慢しているかに見えます。つまり、その女に逢いたいがために、「逢えた、逢えた(だから他の男はもう手を出すな)」と言っているかに、見えます。

萬葉集』で次に置かれている2-1-2718歌も、作者はまだ相手の女に逢えていません。

⑤ 類似歌である2-1-2717歌の一伝を、現代語訳(試案)すると、次のようになります。

(枕詞のしながとりにちなむ)「率な」に通じる猪名の山々の間を水音高く下る川の水のように、私との噂だけが自然にひろがっていって・・・噂になってますます恋しく思い続けることであろうなあ。

⑥ 四句にある「よそる(寄そる)」とは、「自然に寄せられる・なびき従う」あるいは「うち寄せる・寄せる」という意があります。作者がそう言っているのは、前後の歌の配列の中でみると、不自然です。作為的な表現であります。

 

5.3-4-6歌の詞書の検討

① 3-4-6 歌を、まず詞書から検討します。

 「なたちけり」と客観的に状況を説明しています。「な」は、噂を意味する「名」の可能性が高い。

 この詞書は、どのような内容の「名」であるかについては触れていません。

③ 詞書を現代語訳(試案)は、つぎの通り。

噂がたった(作者が通っている)女のところへ(送った歌)」

④ 試案の、前段の()書きは、下記の歌の検討から補いました。

 

6.3-4-6歌の現代語訳(試案)

① 3-4-6歌は、類似歌2-1-2717の一伝と同じく、下句が作者の訴えたいことです。上句は、類似歌と同じく「な」の序詞になっているかに見えますので、下句を先に検討します。

② 下句「なのみよにいりこひわたるかな」の「(な)のみ」は、強調の副助詞で上にくる語句を強調しています。ここでは、「な」がそれに相当し、名詞です。

「な」を主語と考えると、対応する動詞は、類似歌にならえば四句にある「いり」(動詞「入る」の連用形)となり、類似歌と異なるのならば、五句にある「こひわたる」になります。

 「な」も類似歌にならえば「噂」の意となります。詞書とも矛盾しません。そうすると、四句は、

・噂のみが、「よに」入る(中にはいる、そのような状況になる、などの意)

・噂のみが、「よに」恋渡る

のどちらかの意となります。

 前者は、「よに」を「世の中に」とか、「節に」と理解すると、この歌が、昼も夜も「名」(うわさ)が既に飛び交っている最中に作られた歌という経緯の上で詠まれていることを考えると、下句で確認をするように「噂だけは広まって(私は恋しさが募る)」と詠っていることになります。噂は当事者にとり迷惑なものという位置づけの歌が多いなか、この意では違和感を感じる歌となってしまいます。詞書に「女のもとに送った歌」とあるので、このような歌をもらって女はどう感じるでしょうか。 

③、次に、後者は、その動詞が通常動物の行為であるので、人間でも動物でもない「噂」が主語ではおかしい。この後者は、文を為していません。

後者は、「な」が、動物であるならば、文を為します。そのような名の動物は思いつかないのですが、鬼神にも対象を広げると、「儺」がいます。

儺は、儺やらい・追儺(ついな)という邪気払いの儀式において追い払う悪鬼のことです。宮中での年中行事が民間に広がり定着する過程で、矛と盾とを持ち大声で鬼を追い払っていた側が鬼と見なされるようになってゆきます。

そして、儺であるならば、「こひわたる」は、「乞ひわたる」がふさわしい動詞となります。

四句にある「よにいり」は、「夜に入り」と儺の活動する時間帯を示していることになります。

④ この結果、下句を漢字かな交じりで表すと、次のようになり、文を為します。

「儺のみ夜に入り乞ひ渡るかな」

下句の意は、儺が、夜になると、貴方を与えてくれと方々に「乞う」ているなあ、ということです。

下句は、類似歌では、四句の文と五句の文の二つがあったのに対して、この歌は、一つの文となっています。

⑤ 上句は、類似歌では「な」を修飾しています。この歌は、それにならっているか、を見てみます。

 この歌3-4-6歌の上句は、つぎのとおりです。

 「しながどりゐな山ゆすりゆくみづの」

 類似歌2-1-2717歌の上句は、つぎのとおりです。

 「しながとり ゐなやまとよみ ゆくみづの」

 初句からの「しながど(と)りゐな(やま)」は、語句もほぼ同じで、意も同じです。

 二句にある動詞が、「ゆすり」と「とよみ」と違っていますが、その意は、「どよめく・騒ぎ立てる」と「物音などが鳴り響く・鳴り響かせる」であり、ともに「山中を音たてて流れて(ゆく水)」の形容です。

 上句は、結局、

 この歌では、(枕詞のしながとりにちなむ)「率な」に通じる猪名の山々の間を水音をひびかせ下る川のように騒ぎ立てる」儺(という鬼)

類似歌では、(枕詞のしながとりにちなむ)「率な」に通じる猪名の山々の間を水音高く下る川の水のような」名(噂)

ということで、「な」の修飾としてどちらの歌でも無理がない、と理解できます。

⑥ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-6歌の現代語訳を、試みます。

「(枕詞のしながとりにちなむ)「率な」(ともに行動しよう)という声を声高に、それも猪名山に谷音ひびかせて下る川のようにわめく悪鬼(儺)だけが、ひっきりなしに夜になって貴方がほしいと乞うているのだねえ(貴方も迷惑しているでしょうが、がまんしてください)。」

⑦ 通常追い払うべき悪鬼(儺)がわめいているのは迷惑なことですので、この歌は、作者が、相手に同情しているあるいは励まそうとしている歌です。このような歌を送るという女は、作者に関係のある女であると、推測します。このため、詞書に()で補ったところです。

 

7.この歌と類似歌との違い

① この歌3-4-6歌と類似歌2-1-2717歌とは、詞書の内容が異なります。この歌は、詠むきっかけと歌を送ったことを記し、類似歌は、「寄物陳思」の歌とあるだけです。その「寄物」が何なのかも記していません。配列で類推させるだけです。

② 名詞「な」の意味が、異なります。この歌の詞書では名(噂)ですが、歌では、儺(鬼)であり、類似歌は、名(噂)です。

③ 四句・五句の意が、これにより異なります。

④ この結果、この歌は、女を慰めている歌です。これに対して類似歌は、女に逢えたと、吹聴している歌(あるいは事実はともかく、そう宣言している歌)、となります。

 さて、『猿丸集』は、この歌のあとに、つぎのような歌が続きます。

3-4-7歌 (詞書なし)  しながどりゐなのふじはらあをやまにならむときにをいろはかはらん

3-4-7歌の類似歌:その一例として1-3-586歌があります。神楽歌です。

    しながどり ゐなのふし原 とびわたる しぎがはねおと おもしろきかな

 

⑥ 御覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、3-4-7歌に関して記します。

2018/3/12   上村 朋)

付記:「しながとり」が「あは」の枕詞であるかのように使われている理由

① 「しながとり」が「あは」の直前にある歌は、三代集にはなく、『萬葉集』に1首だけです。それは、高橋虫麻呂が詠んだ長歌の最初にあります。

 2-1-1742歌  上総(かみつふさ)の末の珠名娘子(たまなをとめ)を詠む歌一首并せて短歌

   しながとり あはにつぎたる あづさゆみ すゑのたまなは・・・

  (水長鳥 安房尓継有 梓弓 末乃珠名者 ・・・)

② 「上総(かみつふさ)の(国にある)末(周淮)」という郡名を、この歌は、なぜ隣の国の名から言いだすのでしょうか。

③ 安房国は、養老2(718)上総国より四郡で分立し、天平13年(741上総国に併合され、天平宝字元年(757)再分立しました。四郡は、太平洋側の清澄山以南に位置する長狭郡、その南の朝夷(あさひな)郡、南端の安房郡(現在の館山市国府の寺院跡が国分寺と比定されています。)及び東京湾側の平群郡(鋸山以南)です。

 安房国が分立していた頃の上総国では、東京湾側では安房国平群郡に天羽郡が接し、その北に周淮(すえ)郡がありました。国府はさらに北にある市原郡にあります。(郡名は延喜式によります。)東京湾沿いには両国の国府を結ぶ道もあります。

上総国安房国は接していますが、郡に注目すると、安房郡と周淮郡との間には別の郡があることになります。

④ 「しながとり」は、雌雄の仲がよい鳥、「率る」鳥であります。それは接している上総国安房国の関係でもあるのでしょう。しかし、安房郡と周淮郡は海路でも陸路でも繋がっているものの接しておらず、弓の元と末といえるほど離れている、と虫麻呂は詠っています。

⑤ 詞書に留意し、長歌の冒頭を検討すると、「水長鳥 安房尓継有」の二句において、「水長鳥」は、「安房」の直接的な枕詞ではなく、

「「しながとり」を枕詞としている「ゐな(率な)」のような関係にあるのは、安房国からいうとそれに接しているあの国、詞書に記した上総国(であるが)」

というような意をこの二句に作者は持たした、と思います。

⑥ 2-1-1742歌の冒頭四句の、現代語訳の例を示します。

・「しなが鳥の安房に接している梓弓の末、そのスエ(周淮)の珠名娘子は、・・・」(阿蘇氏)

 安房は郡名ではなく、国名としています。

・「(しなが鳥)安房の地続き(梓弓)末の珠名は・・・」(『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

 枕詞の「しなが鳥」のかかり方は未詳、「しなが鳥」はにほ鳥とおいい、湖沼にすみ潜水がたくみな鳥で、雌雄仲睦まじい鳥で、常に相率るところからヰ(率)にかけた(枕詞でもある)、と説明しています。

・「(大意)安房の国に近い、周淮(すえ)の郡の珠名(という名の女性)は・・・」(土屋氏)

 土屋氏は、「安房は国名。」、「平民社会で女が有名になるには、・・・徳川町人社会に於けるが如くであったと思うが、珠名もそれであったと(長歌の内容より)十分推測される」、と説明しています。

⑦ 「上総国にある周淮(すえ)郡」と言わず、「隣の国(その国府がある郡)から遠いところにある当国の周淮(すえ)郡」と言ったのは、枕詞と言われる「しながとり」のイメージ、及び「しながとり いな」というフレーズの確たるイメージが当時あり、そのフレーズの返事として「あはむ」などという語句をも浮かび上がらせ、共寝をさそう行為を、珠名という女性に結び付けさせようという考えが作者にあったのでないか、と推量できます。

⑧ 以上を踏まえて、2-1-1742歌の冒頭四句の現代語訳(試案)を、示すと次のとおりです。

「「しながとり」を枕詞としている「ゐな(率な)」のような関係は、安房国からいうと、分立させてもらった国、詞書に記した国である上総国である。その上総国の周淮郡は、安房国の(国府のある)安房郡からは、弓の末と本との関係になってしまうのであるが、それでも(「ゐな」に対して「・・・あはむ」とかすぐ返事をすると言われると)聞こえてくる珠名郎女という女性は・・・」

⑦ 「しながとり」と「ゐな(率な)」の関係を踏まえて、作者高橋虫麻呂は詠んでいる、と推測できます。

「しながとり あは・・・」と詠っている歌は三代集以前では、この歌だけです。

以後の勅撰集にもなく、『新編国歌大観』第2巻私撰集編にもこの歌以外には、ありません。

(付記終る。 2018/3/12 上村 朋)

            

         

 

 

わかたんかこれ 第5歌 ゆきすぎかねて

前回(2018/2/26)、 「第4歌 ものおもひ いふ女」と題して記しました。

今回、「第5歌 ゆきすぎかねて」と題して、『猿丸集』に関して記します。(上村 朋)(追記 さらに理解を深めました。2020/7/20付けブログや2020/8/3付けブログを御覧ください。(2020/8/3))

 

. 『猿丸集』の第5歌 3-4-5歌とその類似歌

① 『猿丸集』の五番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-5   あひしりたりける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

   いもがかどゆきすぎかねて草むすぶかぜふきとくなあはん日までに

 

3-4-5 歌の類似歌 2-1-3070歌の一伝   題しらず  よみ人しらず   

   いもがかど ゆきすぎかねて くさむすぶ かぜふきとくな ただにあふまでに 

 (・・・風吹解勿 直相麻弖尓)

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、五句の数文字と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 歌の配列から 

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌2-1-3070歌の一伝は、 『萬葉集巻第十二 古今相聞往来歌類之下 にある相聞歌の部にある「寄物陳思歌一百五十首」の二番目のグループ(2-1-2976~)にある歌です。2-1-3070歌には五句が異なる歌が伝えられているとして、『萬葉集』にある歌が、「2-1-3070歌の一伝」です。

「寄物陳思」とは、「正述心緒に対して他物を譬喩に用ゐ、或は他物を機縁とした恋愛歌」(土屋文明氏 『萬葉集私注 六』48p)のことです。

土屋氏は、「その譬喩には、序の方法を用ゐたものが多く、枕詞を用ゐたにすぎぬものもある。また正述心緒との区別のはっきりしないものもある。分類は後から施されたものであるから、それは止むを得ないことである」、と理解しています

② 二番目の寄物陳思という部類は、愛しい人を着物に喩えている歌に始まり、着物の下紐や鏡などなどのあとに、ヤマスゲの根の歌が続きます。

この歌の前後の歌は、つぎのとおりです。

 

2-1-3068歌 あひおもはず あるものをかも すがのねの ねもころごろに わがおもへるらむ 

2-1-3069歌 やますげの やまずてきみを おもへかも あがこころどの このころはなき

2-1-3070歌 いもがかど ゆきすぎかねて くさむすぶ かぜふきとくな またかへりみむ

   (一伝にいふ ただにあふまで)

2-1-3071歌 あさぢはら ちふにあしふみ こころぐみ あがもふこらが いへのあたりみつ

2-1-3072歌 うちひさす みやにはあれど つきくさの うつろふこころ わがおもはなくに

即ち、ヤマスゲを引き合いに自分が想い続けているうったえ、この歌となり、裸足で茅の目を踏む例えで恋の苦しみを詠い、逢える状況に今はないがそれでも月草の染料のような移し心は毛頭ないという歌に続きます。

③ この歌の前後の歌は、みな片想いの最中の歌です。作者の苦しみを種々訴えている歌から、この歌になり、次に、それでも恋心は変らないと詠っています。

このような配列からは、この歌は、片想いの最中の歌のはずである、といえます。

 

3.類似歌の検討その2 くさむすぶ

① 訳例を示します。

・「あの娘の門前を 素通りできず 草を結んでおく 風よ吹き解くな また来て見よう(またじかに逢うまで)」

『新編日本古典文学全集 萬葉集』)

三句の「くさむすぶ」とは「草や木の枝を結ぶのはまじないの一種。結び目が解けない間、その願い事がかなうという信仰による」、としています。

・「いとしいあの子の門口を通り過ぎがたい思いで、草を結んだ。風が吹いて結び目を解いたりしないでほしい。直接逢うまで。」(阿蘇瑞枝氏の現代語訳)

三句の「くさむすぶ」とは、「草に限らず、松の枝、衣の紐を結ぶ行為は、生命の無事、長寿、無事なる再会など痛切な祈願の成就を期する呪術の一つであった。ここは、妹との逢会を願っての行為であろう」と説明しています。

・妹が門を行き過ぎ難いので、草を結ぶ。風よ、吹き解くなよ。又来つて見よう。(土屋文明氏の2-1-3070歌の現代語訳)

 氏は「處女に求婚する為に、その家の門に来てたちさまよふ男の心持である。・・・「またかへりみむ」、では満足し得ない心が、もっと直截に「ただにあふまで」、としたのであろう。二つの別の心持であるが、それぞれに受け入れられる」と評しています。

 また、氏は、「草むすぶ」のは「交會」のシンボルであったのか、将来の幸運を得るという俗信があったのか」と推測しています。

② 動詞「むすぶ」について検討します。

『古典基礎語辞典』によれば、「むすぶ(結ぶ)」の原義は、「紐・枝・草や手の指などの端と端とを絡めて、しっかりつなぐこと。さらに漢語「結番」の訓読によるものか、複数のものを一連のつながりとする意味でも用いられた。」と説明し、他動詞aとして、「旅の無事や長寿、多幸を祈って、松の枝や草の端と端とをつなぐ。」とし、例として2-1-143歌と2-1-3070歌(一伝ではない五句が「またかへりみむ」の歌)をあげています。

 また、別の他動詞bとして、「心と心をつないでひとつにする。契りを交わす。約束をする。前世からの因縁を有する。なお、恋の和歌では、上記bの意や男女が再び逢うまでの契りとして相手の衣の紐や下紐をしっかりつなぐ意と重ね合わせて用いられることが多い。」と説明しています。

『例解古語辞典』によれば、「つないで一続きにする」意を第一にあげ、「結び目をつくる」意を第二にあげています。

③ この歌の「くさむすぶ」の「くさ」は、特別な種類の草を指しているのではなさそうです。諸氏は草の種類に注目していません。

「むすぶ」ということばの意味が、同種の物の二つをからめて一つになった状態にする行為であるので、「むすぶ」に対する当時の俗信は、「同じ願いを持っている(はず)であるもの同士の意志が天に通じる」ようにと願って少なくとも一方が何かを「むすぶ」とそれが実現の方向にむかうと信じる、というものであったのかと推測します。そうすると、自然にほどけてしまうのは、願いが叶わないという予兆と信じたのでしょう。

 「下紐をむすぶ」ことが『萬葉集』の男女の間の歌によく詠われていることから類推すると、「草をむすぶ」とは「下紐をむすぶ」ほどの関係に至っていない、片想いか夢想の段階での一方的な願いに用いられた俗信なのであろうと思われます。

 ともかくも、この歌の作者は、一方的に何かを願っている(願をかけるという類で呪詛をする類ではない)と言えます。

 

4.類似歌の検討 その3 現代語訳

① この歌の作者は、「いもがかど ゆきすぎかねて」草を結んでいます。「ゆきすぎかねて」の意は、

・動詞「行き過ぐ」の連用形+副詞「かねて」(通過するにあたり、あらかじめ(草を結んだ。草を結んで持って来た)

・動詞「行き過ぐ」の連用形+接尾語「かぬ」(ただ通過することができないので)

が、考えられますが、前者は、「いもがかど」近くで「草結ぶ」ことに俗信がさらにあるとすると説得的ですが、それが不明です。このため、諸氏とおなじように、後者の意として、この歌を理解します。

② この歌は、『萬葉集』の歌の配列からいうと、片想いの「いも」の家(「かど」)に来たけれども、となります。来た理由はともかく、会う手立てがないことがわかったので、それならば、と俗信を作者は実行したのではないか。しかし、予想できた結末に対して俗信を実行した、という副詞「かねて」を支持したい気持ちがあります。

③ 現代語訳は、土屋氏の理解がよいと思います。すなわち

「妹が門を行き過ぎ難いので、草を結ぶ。風よ、吹き解くなよ。直接あうまでは。」

④ この歌での「寄物」は、歌の配列からいうと、次の茅の目や月草につながる「草」かもしれません。そうすると、作者の深い愛を喩えているのが、どこにでもある雑草、となります。踏まれても踏まれてもひたむきに成長する点が変らぬ愛を象徴しているのでしょうか。

片想いの段階での俗信で使用している「草」では、歌に用いるのにはどうかという気もしますが、土屋氏の指摘しているように、「寄物陳思」という部類分けは、『萬葉集』の編纂者が後ほどしたものでありますし、この歌の作者の気持ちはよくわかります。

5.3-4-5歌の詞書の検討

 3-4-5歌を、まず詞書から検討します。

 「あひしりたりける女」は、動詞「あひしる」の連用形+助動詞「たり」の連用形+回想の助動詞「けり」の連体形+名詞「女」であり、「たり」は「動作がすでに終わってその結果が存続している」の意です。

「(詠嘆の気持ちをこめて言うのだが)交際していたことのある女」、の意となります。だから、ここでは、別れた女の意、となります。

 動詞「あひしる」の意は、互いに親しむ、であり、既に継続的な行為を意味しています。

③ 「いれたりける」の「たり」は、助動詞の連用形で、「動作・作用が引き続き行われる意」です。「いれたりける」は、「投げ入れたり、蹴る」、の意です。

④ 詞書の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「以前交際していたことのある、あの女の家の前を通り過ぎる、ということになり、草を、結んで投げ入れたり、(地面に生えている)草を蹴る(その時の気持ちを詠った歌)。」

63-4-5歌の現代語訳を試みると

① 動詞「あふ」は、第一に調和する意があります。そして、似合う、夫婦になる、対面する、遭遇する、等の意に発展しています。

② 二句「ゆきすぎかねて」は、「行き過ぎ、予て(用意の)」の意ではないでしょうか。

③ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。三句切れと理解します。

貴方の家の前を通り過ぎることとなったので、予て思っていたように草を、結びましたよ。対面できる日までは結んだ草をほどかないで、風よ。

④ 作者は男です。この歌は、女に届けられています。女は、その後、結ばれた草を邸内で探させ、ほどかせたでしょう。俗信を信じていないとしても。

⑤ 結ぶことへの俗信があるので、投げ入れることへの俗信も作者の時代にあったのでしょうか。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、詠む発端を具体に示していますが、類似歌には、一切ありません。

② この歌の作者は、昔のことばの綾の文言を思い出して、約束を果たせ、といやみを言っているかにみえます。さらに、結んだ草を投げ入れることに俗信があるならば、いやがらせに当たります。これに対して、類似歌は、片恋でもまだあきらめていないと、詠います。

③ この結果、この歌は、女々しい男の述懐の歌であり、類似歌は、恋の歌となります。

④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-6歌  なたちける女のもとに

   しながどりゐな山ゆすりゆくみづのなのみよにいりてこひわたるかな

3-4-6歌の類似歌

類似歌は万2-1-2717歌の一伝:巻第十一の 「寄物陳思 よみ人しらず」

       しながとり ゐなやまとよに ゆくみづの なのみよそりて こひつつやあらむ 

(・・・名耳之所縁而 恋菅哉将在)

 

 この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/3/5   上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第4歌 ものおもひ いふ女

前回(2018/2/19)、 「第3歌 仮名書きでは同じでも」と題して記しました。

今回、「第4歌 ものおもひ いふ女」と題して、記します。(上村 朋)(追記 さらに理解を深めました。2020/7/20付けブログや2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/3)。)

 

. 『猿丸集』の第4 3-4-4歌とその類似歌

① 『猿丸集』の四番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-4   ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる 

      ほととぎす啼くらむさとにいできしがしかなくこゑをきけばくるしも

 

3-4-4 歌の類似歌 2-1-1471歌  弓削皇子御歌一首

     ほととぎす なかるくににも ゆきてしか そのなくこゑを きけばくるしも

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句の地名などと、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 『萬葉集』巻第八の配列について

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌2-1-1471歌は、『萬葉集』巻第八にある「夏雑歌」にある歌です。

② 萬葉集』の雑歌というのは、相聞と挽歌の範疇に属さない歌、の意であり、行幸の歌など晴れがましい歌をも含んでいるので、各巻では最初に置かれています。巻第八(2-1-1422歌~2-1-1667歌)は、まず四季が順に配され、各季が、雑歌と相聞に分類されています。この歌は、夏雑歌33首の三番目に配列されています。夏とは陰暦での夏です。

ホトトギスを詠う歌が28首と多くを占めています。28首は、はなたちばなとともに7首、うのはなと4首詠まれており、単独では15首となります。ホトトギス以外の動物は、ヒグラシの1首(2-1-1483歌)だけです。

古今和歌集』巻三の夏歌34首は、ホトトギスを詠う歌が28首と同数です。

③ 巻第八の夏雑歌は、ホトトギスの歌で始まります。高貴の作者から配列してあるかに見えます。

最初の藤原夫人の歌は、ホトトギスよ、急がしく鳴き終わることをしないで、ずっと鳴き声を聞かせてくれと、詠っています。

二番目の志貴皇子の歌は、岩瀬の森のホトトギスよ、毛無の岡(草山)でも啼いてくれと、無理を言っています。

三番目の弓削皇子のこの歌は、諸氏の現代語訳をみると、ホトトギスの鳴き声が聞こえないところに行きたい、詠っています。

四番目の小治田廣瀬王の歌は、ホトトギスはハギが咲いたら声がしなくなったと、詠っています。

五番目の沙弥の歌は、出家したての自分はホトトギスが鳴くのをきくと、妻が恋しいと、詠います。

六番目の刀理宣命の歌は、岩瀬の森のホトトギスに、声を聞かせてくれ、と詠います。

 

④ ここまでの歌の配列から、ホトトギスに共通の寓意をみることはできません。五番目の歌にある出家する時期が国家仏教としての規定でホトトギスの来て鳴く時分であるとすると、季節の到来をホトトギスは意味するだけです。出家の時期が不定であれば、妻を訪れる自分にホトトギスをなぞらえているといえます。

 この6首の歌で、ホトトギスの鳴き声を聞きたくないと詠っている三番目の歌は、異例であり、『古今和歌集』の編纂者もこのような歌い方の歌を撰んでいません。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳は

① 類似歌2-1-1471歌の詞書は、誰が詠ったかを記しているのみです。

詞書の現代語訳(試案)は、弓削皇子の御歌一首」となります。

② 作者である弓削皇子は、文武天皇の皇子ですが、持統天皇から同母兄とともに疎外され、文武3(699)26,7歳で薨去しています。異母妹紀皇女への恋が伝えられています。

③ 諸氏の現代語訳の例を示します。

・『日本古典文学全集3 萬葉集二』では「なかる国にも」の「なかる」は、「なくあるの約」として、

「ほととぎすの いない所に 行きたいものだ あの鳴き声を 聞くとせつない。」

 

萬葉集全歌講義』では、

「ほととぎすのいない国に行きたいものだ。その鳴く声を聞くと辛いよ。」

 校注者の阿蘇瑞枝氏は、「ホトトギスは、夏の訪れを告げる鳥として好んで詠まれたほか、農作業を促す鳥、もの思いをつのらせる鳥、昔を懐かしんで鳴く鳥としても詠まれた。懐古の鳥としては弓削皇子2-1-111歌がある。」と解説しています。

 萬葉集私注』で、土屋文明氏は、「聞くに堪えぬまで苦しく感じるといふのは、其の声に連想される特別の経験がある為と思はれる。或はほととぎすに附けられた中国伝説、即ち蜀魄とか不如帰とか呼ぶのによるのかと思はれないこともないが、むしろあの鋭い声を聞く直接の心情とすべきか」と記しています。

これらの訳例は、ホトトギス」の鳴き声に作者が感慨を述べている歌であり、作者である弓削皇子は、非現実的な「ホトトギスのいない国」に行きたいほどである、と詠っていると、理解しています。

⑤ その理解が妥当かどうか検討します。

ホトトギスのいない国」が、現世のどこかの地域にあるはずとは信じられません。ホトトギスの飛来しない場所は、例えば琵琶湖の竹生島、白山とか富士山の標高の高いところが該当するかもしれませんし、見渡す限りの大水田にも飛来しないかもしれません。しかし、「くに」と称するには不適切です。黄泉の国には現世にあるものは全てあるでしょう。

私たちは、現世にいて聞かない工夫はできます。ホトトギスを聞く会に参加しないとか、防音を徹底した部屋を利用するとかまた、耳を塞ぐとかです。弓削皇子はわざわざ、聞いたことにしてこのような歌を、詠いました。

この歌が、『萬葉集』巻八の編纂者の手元に来た理由を考えると、私的な場の歌ではなく、公の場の歌であった可能性が高い。宴の場とかでの競詠の一作品の可能性があります。そうすると、特別の記憶と結びつているのかと疑うよりも、単純に、土屋氏の指摘しているような「あの鋭い声」が、なぜ多くの者に「待たれるのか」ということを揶揄していると思われます。

これ以上は情報不足で分析できません。

 

4.3-4-4歌の詞書の検討

① 3-4-4歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書にある「ものおもひける」の「もの」は、作者にとり、男女の間のことを指しています。

③ 詞書に「ほととぎす」の語句のある『猿丸集』の歌は、3-4-4歌と、3-4-35歌の二首です。

後者の類似歌として諸氏が『古今和歌集』巻第三 秋歌にある1-1-147歌を、指摘しています。

1-1-147歌 題しらず  よみ人知らず」 

    ほととぎすながなくさとのあまたあれば猶うとまれぬ思ふものから

1-1-147歌を、久曾神氏は、多情な愛人を連想させる歌で、『伊勢物語43段では賀陽親王(かやしんのう)が女のもとに送った歌となっていると指摘しています。

④ この3-4-4歌も、ホトトギスは、相手の男を指していると推測してよいと思います。

⑤ 以上から、3-4-4歌の詞書の現代語訳(試案)は、つぎのようになりす。

「もの思いにふけっている折に、ホトトギスがたいそう鳴くのを聞いたので詠んだ(歌)(お元気だという噂だけ聞こえてきて姿を見せないあなたを詠んだ歌)」

 

5.3-4-4歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳の試みます。。

② 二句の「啼くらむさと」は、動詞「啼く」の終止形+伝聞・推定の助動詞「らむ」の連体形+名詞「里」です。

③ 四句にある「しかなくこゑ」は、ホトトギスの鳴く時期の「鹿鳴く声」です。

④ 現代語訳(試案)はつぎのとおり。

ホトトギスが鳴くのをよく聞くという里にきて、そこで妻を呼ぶ鹿の鳴き声を聴くのは、つらいことではないですか。」

⑤ この歌の作者は、女性であり、この歌を、男性に送っています。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-4歌は、作詠事情に触れています。作者には男の訪れが遠のいていたことが読み取れます。個人的な問題です。類似歌2-1-1471歌は、作者の名前に言及しているだけですが皇子でありその活動の一端の歌であることが分かります。公的な場の歌であることが推測できます。

② 初句のホトトギスが象徴するのは、この歌の場合は、作者への訪問を避けている男性です。類似歌の場合は、不明です。その鳴き声に作者を非難する人々を暗示しているかなどなどは、不明です。

③ この結果、この歌は、女である作者のところへの訪れが途絶えた男へのいやみの歌、 類似歌は、鳴き声を理由に、ともかくもホトトギスを待っている人を揶揄している歌、と言えます。

④ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-5歌  あひしりたりける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

   いもがかどゆきすぎかねて草むすぶかぜふきとくなあはん日までに

3-4-5 歌の類似歌  2-1-3070の一伝  題しらず  よみ人しらず   

   いもがかど ゆきすぎかねて くさむすぶ かぜふきとくな ただにあふまでに 

 (・・・風吹解勿 直相麻弖尓)

 

 類似歌は、『萬葉集巻第十二のうち 寄物陳思にあります。

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。2018/2/26   上村 朋)

わかたんかこれ  猿丸集第3歌 仮名書きでは同じでも 

前回(2018/2/5)、 「第2歌とその類似歌は」と題して記しました。

今回、「第3歌 仮名書きでは同じでも」と題して、記します。(上村 朋)

. 『猿丸集』の第3 3-4-3歌とその類似歌

① 『猿丸集』の三番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌は、次の歌です(『新編国歌大観』より引用します。)

3-4-3 あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる

   いでひとはことのみぞよき月くさのうつしごころはいろことにして

 

3-4-3歌の類似歌 1-1-711歌 題しらず    よみ人しらず

   いで人は事のみぞよき月草のうつし心はいろことにして

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、まったく同じですが、詞書が、この歌3-4-3歌とその類似歌1-1-711歌とでは、異なります。

③ 二句と五句にある「こと」に関して、この歌3-4-3歌はともに平仮名で表現し、その類似歌1-1-711歌は「事」と「こと」とかきわけています。そのほかの語句もかき分けられているのがあります。

④ この二つの歌の検討結果のまとめは、下記8.に記します。

 

2.類似歌の検討その1 配列されている巻について

① 諸氏が既に現代語訳を示している類似歌を、先に検討します。

類似歌1-1-711歌は、『古今和歌集』巻第十四 恋歌四にある「題しらず よみ人しらず」の歌です。

巻第十四は、1-1-677歌の「題しらず よみ人しらず」の歌で始まり、1-1-746歌の同じく「題しらず よみ人しらず」の歌で終ります。恋が知れ渡った(巻第十三恋歌三)のち、次に逢うまでの苦しみや迷いを詠い、恋が立ち消えてしまった歌で終わっています。

② この1-1-711歌の前後の歌をみると、708歌から710歌は喩えにより作者より離れて行く人を詠い、711歌からの3首は言葉と本心の違いを詠っています。諸氏の現代語訳を参考とすると、そのように理解できます。

708歌から711(さらに713)歌までは、みな「題しらず よみ人しらず」の歌であり、『古今和歌集』の編纂者が、作者名を隠すため故意によみ人しらずとしていないとすれば、古い時代の歌より巻第十四の趣旨にあう歌を選び、編纂者はここに配置していると、見なせます。

 1-1-711歌の元資料も、諸氏の現代語訳のような、恋の歌である可能性がたかいのではないかと思います。

③ 小沢正夫氏と松田成穂氏は、巻第十四について、「巻十三に引き続いて「逢う恋」の歌で始まるが、ひとたび逢えば恋しさはますます激しくなる。そして、逢う機会の少ないのを嘆き、・・・最後は、再会を誓う形見を主題とした歌で終るが、中ごろに、心変わりや離別を悲しむ歌が出るのは、配列の混乱といえよう」と解説しています(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』の頭注より)。

 久曾神氏は、「(五巻の)恋歌は恋愛の過程に従って約五十項に類別しているようであるが、明確に断定しがたい」と解説しています(講談社学術文庫古今和歌集』)。 

 いずれにしても、1-1-711歌は、次に逢うまでの間に詠まれた歌としての理解でよいようですが、詠みだす事情は、元資料にもなかったのか、編纂者の意図なのかわかりませんが、詞書には記されず、「題しらず」となっています。

3.類似歌の検討その2 歌の「こと」と「うつしごころ」 

① 三代集の時代、和歌は清濁抜きの平仮名で表現されたものと言われています。それを、諸氏は、底本を校訂し、読解の便をはかるため、詞書と歌本文を適宜、仮名書きの語を漢字にあるいは漢字表記の語を仮名書きにするなどして示し、校注・訳をしています。

 この歌(1-1-711)でいうと、二句にある「事」は、「こと」とか「言」と示されていたりします。また、五句にある「こと」はまた別の意味であると諸氏は理解しています。四句の「うつし心」も「うつしごころ」と示したりしています。

和歌においては、ひとつの語句に、(和歌の内容を豊かにする)同音異議の語句が用いられるのはよくあることですので、 それの有無をも検討対象となります。

② 諸氏による1-1-711歌の訳例を示す前に、三句にある「月草」について説明します。月草は、今の露草(即ち螢草)を言っています。その花で摺って染めた色は移りやすい(変わりやすい)。月草で摺った藍色は水に落ちやすいという理解が当時の作者たちにあります。『萬葉集』等の例をのちほど示します。

 

・「いやもう、人は調子がいいのは言葉だけだよ。月草で染めたように、心は移りやすく表面と本心とは違うのです。」(『新編日本古典文学全集11 古今和歌集』。)

この訳例は、二句の表現を「言のみぞよき」としている歌として示したうえ、四句の「うつし心」は、「移りやすい心」(移し心)と「本心」(現し心)の二つの意を掛けていると理解しての訳となっています。五句の「こと」は、「違う(「異」)」と理解しています。以下、この訳例を第一の訳ということとします。

 

・「いやもう、あなたはお口だけがりっぱであるよ。(月草で染めたものがすぐ色がかわるように)移り気は格別であって。」(久曾神氏。)

この訳例は、二句の表現を「ことのみぞよき」としている歌として示したうえ、四句の「うつし心」は、「移し心」とのみ理解しての訳となっています。五句の「こと」は、「格別(「殊(に)」)と理解しています。以下、この訳例を第二の訳ということとします。

この二つの訳は、二句の「こと」を、「言」(貴方が口にする言葉)と理解した現代語訳です。しかし五句の「こと」の意は異なっています。

③ 今引用している『新編国歌大観』では、最初に示したように、二句を「事のみぞよき」としています。

「事」は、「言」と同源だそうですが、

「世の中に起こる事がらや現象」

「(政務、仕事、また行事などを含んで)人のするわざ、動作、ふるまい」

「一大事・変事・事故」等

の意があります(『例解古語辞典』より)。

『新編国歌大観』記載の『古今和歌集』の底本の作成者が「ひらかな」の和歌表現で「こと」とあるところを「事」と記しているので、『古今和歌集』の編纂者の意図に忠実に現代語訳を試みるには、作者が「事」の意で、この歌を詠った可能性も考慮しなければなりません。また、「事」の意であったとしても、第一の訳や第二の訳のように訳せるかどうか、確認を要します。作者が、二句の「事」に「言」を掛けているかも確認を要します。

④ 「事」の意味別でこの歌の初句と二句の理解を試みます。

 二句の「事のみぞよき」の「事」が、「世の中の云々」の意では、初句と二句をひとつの文章として理解するのが困難です。

「人のするわざ、動作、ふるまい」の意に、「事」を理解すると、初句と二句は「(人は誰でも、)そのふるまいのみは良い」あるいは「(凡そ人たるもの)そのふるまいのみが判断基準によい」という意味になるかと思われます。そのふるまいの代表的な例である「言」(貴方が口にする言葉)を用いて「事」を現代語訳することは、前後の(詞書を含めた)文脈から可能となるでしょう。しかし、その文脈でそのように限定しないで詠っている歌という可能性を否定しきれません。

 また、「一大事・変事・事故」の意と理解すると、二句は「(人は誰でも)一大事のみが良い」あるいは「(凡そ人たるもの)一大事の時のみがその人の評価によい」という意味になるかと思われます。これは、初句と二句にまたがる一つの文章として意味が通ります。

このため、『新編国歌大観』の文字使いの和歌を現代語訳する際、「事」を、素直に理解して「言」の意ではなく、「事」の意で無理がないか、また、これに付随して五句の「こと」が「異」とかの一義になるのか、の検討を試みることとし、第一の訳や第二の訳との比較をすることとします。

④ なお、「事にす」という連語があり、『例解古語辞典』には、「これでよしとする。それで満足する。また、えらいことを考える」と、説明し、十三世紀前半成立の宇治拾遺物語3・6の例をあげています。

⑤ もう一語、検討を要する詞があります。四句にある「うつし心」です。上記の第一の訳にみられるように「うつし心」には、「移し心」と「現し心」の意があります。その意味するところはだいぶ違います。

 「移し心」は、名詞「移し」+名詞「心」として成り立ちます。

 名詞の「移し」は、『例解古語辞典』には、

aよいかおりをほかの物に移すこと。また移したかおり。

b草木の花の色を紙や布にしみこませておき、必要の際すぐに衣を染められるようにしてあるもの。

c移し馬の略等

とあります。

 これによれば、「うつし心」とは、

 Aかおりをほかにうつす心、

 Bほかのものにすぐ移せるこころ、

という理解になります。

 四句にある「うつし心」は、第一の訳では「心は移りやすく」、第二の訳では「(月草で染めたものがすぐ色がかわるように)移り気」となっていますので、Bの意であり、「注目あるいは興味をほかに移せるとか移っていったこころ」の意とみることができます。

 「現つ心」は、形容詞「現(うつ)し・顕(うつ)し」の語幹+名詞「心」として成り立ちます。

 形容詞「現(うつ)し・顕(うつ)し」は、『例解古語辞典』には、上代語であって、

 a生きている。この世にある。

 b気が確かである。

とあり、 「現し心」も立項しており、

 cはっきりした意識をもっていること。正気。

 d本心。

とあります。

 そうすると、この1-1-711歌のように、平仮名で表現されている和歌に現れる「うつしこころ」は、この歌が詠われた頃、「移し心」(すなわち「注目あるいは興味をほかに移せるとか移っていったこころ」)と「現つ心」(正気とか本心)の意味の使い分けはどのようにされているのか、用例から演繹できるならば確認をしたいと思います。

 

4.類似歌の検討その3 「うつし心」などの先行例等

① 「うつし心」は1-1-711歌の先例があります。

今検討している歌1-1-711歌は、『古今和歌集』記載の歌であるので、「うつし心」という語句の先例と並行例の確認のため、『萬葉集』と三代集と三代集の成ったころ成立したと思われる歌集を対象とします。

② 『新編国歌大観』の『萬葉集』は、西本願寺本を底本に校訂を加え、西本願寺本による訓と現代の万葉学の立場で発刊当時における最も妥当と思われる新訓を示しています。この二つの訓を確認することとします。(西本願寺本による訓は、仙覚の新点ですので、三代集の成立ころの訓であると言いきれないのですが、当時の訓の確認が間に合いません。)

清濁抜きの平仮名表記で「うつしこころ」という語句のある歌は、次の表のようでありました。

 

表 『萬葉集』における「うつしこころ」表記の歌(『新編国歌大観』による)(2018/2/11現在)

歌番号等

西本願寺本による訓

現代の訓

万葉仮名

2-1-1347イ

うつしごころや

(くれなゐの)うつしごころや(いもにあはずあらむ)

事痛者 左右将為乎 紅之 写心哉 於妹不相将有

2-1-2380

うつしごころも

(ますらをの)うつしごころも(われはなし)

健男 現心 吾無 夜昼不云 恋渡

2-1-2802

しまごころにや

(たまのをの)うつしごころや(としつきの)

玉緒之 嶋意哉 年月乃 行易及 妹尓不逢将有

2-1-2972

うつしごころも

(うつせみの)うつしごころも(われはなし)

虚蝉之 宇都思情毛 吾者無 妹乎不相見而 年之経去者

2-1-3072

うつしごころは

(つきくさの)うつろふこころ(わがおもはなく)

内日刺 宮庭有跡 鴨頭草 移情 吾思名国

2-1-3073

うつしごころは

(つきくさの)うつろふこころ(われもためやも)

百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方

2-1-3225

うつしこころや

(たまのをの)うつしこころや(やそかかけ)

玉緒之 徒心哉 八十梶懸 水手出年船尓 後而将居

 

注1)歌番号等は、『新編国歌大観』の巻数―当該巻における歌集番号―当該歌集における歌番号。

2)「うつし心」表記相当の万葉仮名部分の現代語訳(試案)は、次のとおり。

2-1-1347イ歌:写心:「現し心」(紅の花のようなしっかりした心)

2-1-2380歌:現心:「現し心」(ますらおの覚めた心)

2-1-2802歌:嶋意:当時の木簡の例より嶋は寫の誤字か。:「現し心」(正気のこころ)

2-1-2972歌:宇都思情:「現し心」(世間でよくある分別ある心)

2-1-3072歌:(鴨頭草)移情:「移し心」(変わりやすいこころ、または変ってゆくこころ)

2-1-3073歌:(月草之)移情:「移し心」(変わりやすいこころ、または変ってゆくこころ)

2-1-3225歌:徒心:「現し心」(正常な判断力を保っている心・平常心)

 

③ 表にあるように、現代の訓で「うつしごころ」に該当する万葉仮名には、「移情」がありません。「移情」は「うつろふこころ」という訓になっています。それに該当する二つの歌では、「鴨頭草 移情」、「月草之 移情」と、「つきくさの」と形容されています。

この二つの歌は、西本願寺本の訓では、「うつしごころ」という訓になっています。

西本願寺本の訓が、三代集成立の頃『萬葉集』の訓とおなじかどうかは未確認ですが、「つきくさ」のイメージに「それから作る染料で摺ったものはすぐおちる」ことも付いて回っているので、『萬葉集』から推測すると、「つきくさのうつしごころ」という表現のみが、三代集成立の頃は「月草の移し心」の意である可能性が高い、といえます。

「月草の移し心」とは、上記3.⑤で示した「移し心」(すなわち「注目あるいは興味をほかに移せるとか移っていったこころ」)と重なり、 その意は、前後の語句にもよりますが、概略「月草で染めた色がすぐ褪めてゆくようにすぐ変わってゆく(あるいは変わった)心」です。

④ 次に、『新編国歌大観』の三代集をみると、「うつしこころ」表記の歌は、1首しかありません。即ち、この1-1-711歌です。三代集成立頃に詠まれた可能性があるのは実質1首ということになりますが、この歌も編纂者が匿名にしたのではなく、本当に「よみ人しらず」の時代の歌であるとすれば、より萬葉の時代に近い歌ということになります。

ちなみに、「つきくさ」表記の歌は、3首あります。そのうちの1首が「つきくさのうつし心」とある1-1-711歌です。残りの2首は次の歌ですが、ともに『萬葉集』の2-1-1355歌という古歌の引用といえます。この2-1-1355歌は、『人丸集』にもあります(3-1-28歌)。

1-1-247歌 題しらず(245~248

   月草に衣はすらむあさつゆにぬれてののちはうつろひぬとも

1-3-474歌 題しらず

  月草に衣はすらんあさつゆにぬれてののちはうつろひぬとも

現代語訳は、「露草の花で衣を摺って染めよう。たとえ、朝露にぬれた後には、はかなく色褪せるとも」(小町谷照彦氏訳。将来あなたは心変わりするかもしれないが今はともかく結婚しよう、と詠う)

(参考)2-1-1355歌 つきくさに ころもはすらむ あさつゆに ぬれてののちは うつろひぬとも

3-1-28歌   つきくさに衣はすらんあさ露にぬれてののちはうつろひぬとも

 

1-1-247歌等の初句の「月草に」とは、「月草の移し心」の意に通じる使い方です。

 

⑤ 三代集以外の三代集の時代に成立したという歌集として、『新編国歌大観』第3巻の歌集番号1~99番の歌集をみてみると、「うつしこころ」表記の歌は、『猿丸集』の3-4-3歌を含めて8首あります。

『人丸集』 3-1-192歌 (詞書なし) 

ますらをのうつし心もわれはなしよるひるわかずこひしわたれば

『猿丸集』 3-4-3歌 詞書と歌は上記のとおり。

『敦忠集』 3-18-107歌 宮

   たのみつつとし月くさにへにければうつしごころにうたがはれける

『敦忠集』 3-18-108歌 かへし

   君をおきてわれはたれにかつきくさのうつしごころのいろもかはらむ

馬内侍集』 3-62-95歌 人をかたらひて、あふをりあはぬときありしかば、あふぎのはなしてそそきたるに、かきておこせたりし

   つき草のうつし心やいかならんむらむらしくもなりかへるかな

和泉式部集』 3-73-430歌 うへのきぬをはりきりて、いとをしき事いひて

   つゆくさにそめぬ衣のいかなればうつし心をなくなしつらん

『公任集』 3-80-385歌 かげまさが露草のうつしきこえたりける、やりたまふとて

   朝夕につねならぬよを難くまにうつし心もなくなりにけり

『入道右大臣集』 3-87-40歌 中宮御方裁菊夜

   きくのはなこころにそめてわすれめやうつしごころのあらんかぎりは

 このうち、『入道右大臣集』は、藤原頼宗の歌集です。頼宗は藤原道長の次男で康平8年(1065)歿、『後拾遺和歌集』以下に42首入集しています。

⑥ この8首の「うつしこころ」表記の意が、「現し心」であるか又は「移し心」であるかを検討すると次の表の通りです。

「つきくさの うつしこころ」と清濁抜きの平仮名表記できる歌は、3-4-3歌と3-18-108歌と3-62-95歌の3首だけです。

 3-4-3歌は今検討対象なので、後ほどの検討とします。

3-18-108歌は、「うつしごころの『いろ』」と詠っています。またこの歌は3-8-107歌の返しの歌ですので、「うつしごころ」は「移し心」の意と思われます。

 3-62-95歌は、作者は逢う約束を破られているので、「移し心」をなじって詠っています。

 なお、三代集には、動詞「うつろふ」を用いた歌が50数首ありますが、「こころ」を直接修飾しているのは

1-2-1156歌の一首です。

 結局8首のうち、4首が「現し心」の意でした。すべて「つきくさの」という形容をされていません。「つきくさの」と形容された歌(表中の*印の歌)は、3首あり、検討保留にしている3-4-3歌を除く2首は、「移し心」の意でした。

 

表 私歌集における「うつしごころ」の意別内訳(3-1~3-99を対象とする)(2018/2/11現在)

検討保留

「現し心」の意

「移し心」の意

「現し心」と「移し心」を掛ける

「現し(心)」と「うつし」を掛ける

「現し心」の現代語訳(試案)

 

3-1-192

 

 

 

正常な判断力を保っている心

*3-4-3

 

 

 

 

 保留

 

 

3-8-107

 

 

<対象外>

 

 

*3-8-108

 

 

<対象外>

 

 

*3-62-95

 

 

<対象外>

 

3-73-430

 

 

 

本心

 

 

 

 

3-80-385

正気

 

3-87-40

 

 

 

本心

注1)番号は、『新編国歌大観』の巻番号―当該巻の歌集番号―当該歌集での歌番号

2)歌番号に「*」のあるのは、「つきくさの うつしこころ」と清濁抜きで平仮名表記できる歌

注3)「うつし」とは、草木の花の色を紙や布にしみこませておき、必要の際すぐに衣を染められるようにしてあるもののうち、露草(月草)(によるところ)のうつし、を言う。

 

⑦ 三代集の時代の「つきくさ」表記の歌も念のため確認しますと、『新編国歌大観』第3巻の歌集番号1~99集のなかに、上記にあげた3首のほかに4首あります。

 

『人丸集』 3-1-24歌 (詞書なし)

   つき草に衣ぞそむる君がため色どり衣すらんと思ひて

 「つき草」は染料であり、染めてもすぐ褪せるが、色どりの美しい衣をつくるために、と詠っています。本気で色どり衣を作ろうとしているのですかと疑いたくなりますが、褪める色は何回でも染め直すように、貴方に何回もアプローチします、という恋の歌と理解しました。

 

『人丸集』 3-1-28歌  (詞書なし)

   月草に衣はすらんあさ露にぬれてののちはうつろひぬとも

 「月草」は染料であり、染めてもすぐ褪せるので、気が変わることの比喩となっています。

 

和泉式部続集』 3-74-248歌  あじきなき事のみでくれば、人の返事たへてせぬに、いかなればかかるをといひたるに

   つきくさのかりにたつなのをしければただそのこまを今はのがふぞ

 「つきくさ」は染料であり、染めてもすぐ褪せるので、噂がすぐ消えた(としても)、を引き出しています。

 

能因法師集』 3-85-123歌 東国風俗五首(123~127

   つきくさにころもはそめよみやこ人いもをこひつついやかへるがに

 「つきくさ」は、染料であり、染めてもすぐ褪せるので、染めた衣を見る度に「移し心」という言葉を思い出し都に居る妻を気遣う気持がたかまるであろうと、この歌は詠っています。

 

 このように、「つきくさ」表記は、染めてもすぐ褪せる染料、という特徴を歌に用いているといえます。

⑧ 『萬葉集』と三代集と三代集と並行して成立したと思われる歌集の歌の検討をまとめると、つぎのとおりです。

・歌に、「つきくさのうつしこころ」表記とある場合は、「移し心」である。

・単に「うつしこころ」とある歌では、「現し心」である。

1-1-711歌は、「つきくさのうつしこころ」であり、「移し心」の意の可能性が高い。

・掛詞として歌にあるのは、「うつし」と「現し心」の1例である。「移し心」と「現つ心」とを掛けている可能性が残っているのは、検討保留としている1-1-711歌である。つまり、掛詞として用いているのは例外である。

 なお、ここまでの検討におけるつきくさ(月草)は、当然植物のツユクサを意味しているところですが、襲の色目の名前でもあり、表がはなだ色(薄い藍色)で裏が薄はなだ色の色目のことを指す場合も和歌によってはあり得ます。

 

5.類似歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討を踏まえて、『新編国歌大観』に記された3-4-3歌の類似歌1-1-711歌の現代語訳を、試みます。

 歌は、つぎのような表現でありました。

   いで人は事のみぞよき月草のうつし心はいろことにして

② 1-1-711歌が、『古今和歌集』巻第十四恋歌四にある歌であることに留意し、主要な語句の意味は、つぎの通りとします。

・二句の「事」は、「(政務、仕事、また行事などを含んで)人のするわざ、動作、ふるまい」あるいは「一大事・変事・事故」、の意とします。

・三句~四句の「月草のうつし心」は、「「月草からの染料のような移し心」(ほかのものにすぐ移せるこころ、

あるいは移したこころ)の意とします。

・五句の「こと」は、いまのところ未確定で、「事」、「言」、「異」、「殊」などを検討します。

③ 五句の「いろ」も、いまのところ未確定です。名詞「色」として、いくつかの意味があります。『例解古語辞典』には、

・色彩

・美しさ。華美。

・豊かな心情。情趣。

・恋愛・情事。

・種類・品。

・顔色・態度等

とあります。

④ 五句の「いろことにして」の「いろ」を、「移し心の(人が、今関心を寄せている)色(色彩)」と仮定すると、「こと」は「異」がふさわしい。「貴方の月草からの染料のような移し心の現在の色は、前と異なって(別になって)しまっている」、の意となります。

 この場合、初句と二句に示された作者の感慨が、作者と相手の間に既に溝ができていることを示しているとすれば、色が別になったこと(関心がほかの女性に移ったこと、作者を離れたこと)を歌の中で繰り返し指摘していることになります。

⑤ 五句の「いろことにして」の「いろ」を、「移し心(の人)の色(恋愛・情事)」と仮定すると、「こと」は「殊」がふさわしい。「貴方の月草からの染料のような移し心を持っている人の恋愛は特別であって、奔放ですね」、の意となります。

 この場合、初句と二句に示された作者の感慨に重ねて、五句は「以前にもあったが、今回もまた」という理解になります。

⑥ 五句の「いろことにして」の「いろ」を、「移し心の(人の)色(顔色・態度)」と仮定すると、「こと」は「殊」がふさわしい。「貴方の月草からの染料のような移し心を持っている人の態度は別格なのだな」、の意となります。

 この場合、初句と二句に示された作者の感慨が、「事」による感慨なので、下句でその「事」を繰り返し指摘していることになります。

⑦ このため、繰り返しをする必要はないとすれば、この歌の「いろことにして」の「いろ」は、「移し心(の人)の色(恋愛・情事)」と理解するのが妥当ではないかと思います。また、「うつし心」は掛詞になっていません。

⑧ なお、初句にある「人」は、男を指す場合が三代集でも多いので、この歌は女の立場から詠んだ歌であろう、と思います。恋愛関係の歌ですので、男の立場からの歌との理解もあり得ます。

⑧ このような検討の結果、現代語訳(試案)は、つぎのようになります。

・二句の「事」を「(政務、仕事、また行事などを含んで)人のするわざ、動作、ふるまい」と理解した場合

「(そういうものだと聞かされてはいましたが)いやもう、男の人は本当に見かけのふるまいだけはご立派にされて。月草からの染料のような移し心を持っている人の恋愛は勝手であって、奔放ですね」(私のように愛想をつかされないように注意しなさい)」、の意となります。

・二句の「事」を「一大事・変事・事故」と理解した場合

 三句以降の現代語訳(試案)が上記になると、「事」を「一大事・変事・事故」と理解した「(凡そ人たるもの)一大事の時のみがその人の評価によい」では、今回例外的に生じた「うつし心」で男を評価するかになり、「月草の」という比喩が無駄になっています。今日まで、ちょくちょく作者から離れては戻る(あるいは許しを乞い)のが、作者からみた「うつし心」の持ち主であったのではないでしょうか。

 

⑨ 先に引用した第一の訳と第二の訳もそうですが、二句の「こと」を「事」と理解した上記の現代語訳(試案)も不自然な訳ではありません。このように理解できる1-1-711歌は、結局、いま親密にしている男が、自分と交際しつつ他の女性との交際はともかく(当時は天皇はじめ貴族は一夫多妻が普通です)自分をないがしろにしていることを非難あるいは嘆いているあるいは突き放しているかの歌と理解できる、ということです。

 初句~二句は、相手を「ひと」と一般化して批判をし、やんわりと相手の不実を責め立てているのがこの歌である、と思います。

⑩ 三代集の時代、和歌は清濁抜きの平仮名で書いていたと言います。この歌を送りつけられた男は、この歌の作者に対する自分のふるまいを顧みて二句の「こと」を、「事」か「言」のどちらかに理解したと思います。男として当然返しの歌を届けたはずですが、どのように返歌したのか、『古今和歌集』は割愛しています。

三者の立場で鑑賞する場合は、鑑賞者の様々な理解でよいのであり、「こと」を「言」とも「事」とも理解するのは妥当であると思います。

 

6.3-4-3歌の詞書の検討

① このように類似歌1-1-711歌を理解して、3-4-3歌を検討します。まず、詞書の「あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる」を検討します。

② 「あだなりけるひと」とは、はかなくこころもとないと思っていた男、の意です。助動詞「けり」には、詠嘆をこめて回想する意があります。

③ 「さすがに」とは、形容動詞「さすが(なり)」の連用形です。その意は、「そうでもないようす」となります。

どの語句を形容しているかというと、「ありければ」ではないでしょうか。

 「さすがに」を、副詞と理解すると、その意味は、『例解古語辞典』には、「そうはいってもやはりさすがに」であり、上代の「しかすがに」、中世には「さすが」ともなったと解説しています。

もうひとつ、この語句は、動詞「さす」の終止形+接続助詞「がに」と分解できますので、その確認をします。

動詞「さす」はいくつかの意があります。漢字で示すと、「差す・指す」(指名する・めざす・差し出す)、「(水などを)注す」、「(戦場で旗などを)挿す」、「刺す」(縫いつける)、「(光などが)射す」、「(火を)点す」などです。四段活用の動詞なのでその終止形と連体形が「さす」です。

 接続助詞「がに」は、「・・・する(してしまう)ほどに、あるいは・・・し(てしまいそうに、という気持」を表して、あとの用言を修飾する語です。そのため、後段の文章とのつながりからはこの理解は難しくなりました。

 

④ 「・・・ありければ」とは、・・・+動詞「有り」の連用形+助動詞「けり」の已然形+助詞「ば」と分解できます。

 動詞「あり」とは、ここでは「時が経過する」、の意で、助動詞「けり」には、詠嘆をこめて回想する意があります。そのため、「・・・ありければ」は、「・・・という状況のままであったということに思い当たり」というほどの意となります。

助詞「ば」は、あとに述べる事がらの起こるまたはそうなると考えられる、その理由原因を表わす接続語です。

⑤ 「うらみてよめる」とは、名詞「裏」+動詞「見る」の連用形+接続助詞「て」+動詞「詠む」+完了の助動詞「り」の連体形+省略された名詞「歌」、と分解できます。

「見る」とは、ここでは「思う・解釈する」とか、「見定める・見計らう」、の意です。

 「裏」とは、「内部・奥」とか「裏面・内側」などをも指すことばです。

「うらみてよめる」とは、ここでは、相手の今までの交際その他を(よくよく)考え合わせた結果、詠んだ歌、という意となります。

 「うらみてよめる」を、「恨みて詠める」の意とすると、「さすがに」の語句が、この文章で浮きます。また、わざわざ詞書で断らなくても、1-1-711歌の第一の訳をこの3-4-3歌の訳ともみなせますので、なぜわざわざ詞書に付け加えているのかが疑問です。

⑥ 以上の検討を踏まえた、3-4-3歌の詞書の現代語訳(試案)は、つぎのとおりです。

「心許ないと思っていた人が、そうでもないのではないか、私には頼みになるように思わせながら素っ気ない態度ばかりとっていたと見えていたが、と思いなおし、よくよく相手の気持ちを見定めたので、詠んだ(歌) 」

⑦ 「人」という語句は、この『猿丸集』の詞書には、9首にあります。この3-4-3歌でも詞書全体の文章から推理すると男を指していると思えますが、残りの8首も、検討すると「男」を指して「人」と言っていると理解できますので、この歌も「男」を指しているとの理解が妥当であると思います。

 この歌は、女の立場で詠んだ歌と言えます。

7.3-4-3歌の現代語訳の試み

① 詞書に留意して現代語訳を試みます。

 詞書は、相手の男のいままでの作者に対する接し方、態度への理解の反省をし、この際よくよく考えてみた、と言っているので、初句から二句の男に関する一般論の「こと」は「事」です。

 個別論としての下句において、「いろ」は、「あだなりける人」が作者に対する態度を指していると理解できますので実質は「事」を「いろ」と言っているのではないでしょうか。

② 五句の「いろことにして」の「いろ」は、だから「移し心の(人の)色(顔色・態度)」の意であり、五句の「こと」は「殊」がふさわしい。「月草からの染料のような移し心を持っている(あなたであるけれども)その態度は別格なのだな」、の意となります。

 初句と二句に示された作者の感慨が、「事」による感慨なので、下句で繰り返し指摘していることになりますが、一般論の感慨に対して、個別論での感慨を詠んでいます。

③ 三句~四句の「月くさのうつしごころ」は、作者の相手の男を指しています。

④ 3-4-3歌の現代語訳を試みると、次のとおりです。

「いやもう、男の方は本当にすること為すことがご立派でありますね。月草で染めたものがすぐ色の褪めるように変る移し心をお持ちであっても。そのように思っていたあなたのふるまいは、特別でしたね(移し心を持っていても貴方は別格でした。あなたを信じています)。

⑤ この歌は、一般論を述べ、相手の男は色々あったがその基準をクリアする方であった、と詠っているとも理解できます。

 

8.この歌と類似歌との違い

この歌3-4-3歌とその類似歌1-1-711歌は、清濁ぬきの平仮名表記をすると全く同じですが、次のように違いのあることが分かりました。

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-3歌は、この歌を相手に送る具体の事情を示し、 類似歌1-1-711歌は「題しらずで」で、細かい作詠事情が不明です。

② 五句の「いろ」の意が違います。この歌は、「特定の「移し心の(人の)色(顔色・態度)」の意であり、二句にある「こと」全体を言っており、類似歌は、「特定の人の「移し心(の人)の色(恋愛・情事)」の意であり、二句にある「こと」に該当する事例を指しています。

この歌では、初句と二句に示された作者の感慨が、男が普通に行う「事」に関するものであり、下句では移し心の持ち主である相手の男性の「事」の具体的な場合の評価をし、相手の男性を高く評価していると詠っています。

類似歌では、相手の男性を突き放しています。

③ この結果、この歌3-4-3歌は、相手の気遣いや愛情に感謝していることを相手に伝え、類似歌1-1-711歌は相手の不誠実なことを責めているか揶揄しています。類似歌の現代語訳が、第一の訳、第二の訳、または現代語訳(試案)のどれにおいても(1-1-711歌での二句の「こと」の意が、「言」であっても「事」であっても)、この二つの歌は同じことを詠っていません。

④ この歌3-4-3は、類似歌1-1-711歌と清濁抜きの平仮名表記では全く同じですので、3-4-3歌の理解は、『古今和歌集』にもし記載されていないのであれば1-1-711歌本文の理解としてはあり得ることです。

しかしながら、1-1-711歌は、『古今和歌集』第十四にある恋歌です。第十四の配列のなかで理解しなければなりません。別の言い方をすると、記載されている歌集とその歌の詞書により、歌本文の趣旨の限定が行われています。このため、3-4-3歌のこの現代語訳(試案)は、1-1-711歌の現代語訳にはなり得ません。次に逢うまでの煩悶を詠う巻第十四に、長年親しくしていた人との間の事を詠うこの3-4-3歌をおくことはできません。この二つの歌は、前回記したように、「趣旨が違う歌」であります。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-4   ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる 

      ほととぎす啼くらむさとにいできしがしかなくこゑをきけばくるしも

 

3-4-4 歌の類似歌 2-1-1471:弓削皇子御歌一首」  巻第八のうち夏雑歌にある。

     ほととぎす なかるくににも ゆきてしか そのなくこゑを きけばくるしも 

 

 この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。 2018/2/19   上村 朋)

付記1.3-62-95歌の現代語訳(試案)について

① むらむら:副詞。叢叢・斑斑。:ここかしこ。群がっているさま。名詞「むらむらしさ」は、心が定まらず、むらがあること。

② 詞書の現代語訳(試案):ある人と親しくなり、逢う約束のあったその日、訪れてこなかったときがあった。そのとき、扇をばらばらにして、けばだったそのひとつに書きつけてもたせた(歌)

③ 現代語訳(試案):月草で染まったような移し心のあなたは、どうなるのでしょう。(このように)ほつれ乱れてしまう状態になり果ててしまうのですね。

付記2.3-80-385歌の現代語訳の例について

① 『新日本古典大系28 平安私家集』の『公任集』(後藤祥子校注)より引用すると次のとおり。

② 詞書の現代語訳:藤原景斉が露草のうつしを公任に無心したとき、露草のうつしを渡すとて(詠んだ歌)

③ 露草のうつしとは、月草の花弁の青い汁を紙に吸わせたもの。景斉は『小右記』によれば小野宮家に親しい家司層の男か。

④ 歌意:「朝晩、無常を嘆いている間に、私は正気もなくなってしまったよ(うつしの貯えもなくしてしまったので、そんなに多くあげられませんよ)」

⑤ 「うつし」は、「移し」と「露草のうつし」を掛けている。

付記3.3-85-123歌について

① 能因が東国の風俗に触れて詠った歌と題した5首のうち最初の一首が3-85-123歌です。124歌以後は、御坂路など東国の地名・習俗が詠み込まれていますが、この123歌にはなく、反語としてなのか「みやこ人」の語句があります。

2018/2/19の付記を終る。2018/2/19  上村朋)

わかたんかそれ 豪雪

先日、23夜か24夜の月が東の方向にみえました。日の出の大部前です。良い天気になりそうです。上村朋です。

 空が白みはじめると、星は消えてゆきます。勿論月のまわりに星がみえません。宵の明星が消え残っていますが、なにしろ空に見えるもののなかで月は一番大きいので、皓皓と輝いているといえます。「初月」をまだみていません。

平晶五輪、1500mで高木選手が銀メダルをとりました。0.2秒差の銀です。インタビューで悔しさを口にしていました。また感謝もしていました。拍手し声を掛けたい気持ちです。強風でジャンプが休み休み進行しています。その気象が、国内あちこちを豪雪で閉じ込めています。

降り続いている地域のみなさま、交通と物流が大変滞っている地域のみなさま、お体お大事に。

2018/2/12 上村 朋)

わかたんかこれ  猿丸集第2歌とその類似歌は

前回(2018/1/29)、 「第1歌と類似歌」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集第2歌とその類似歌は」と題して、記します。(上村 朋)(2020/5/11 「から人」の理解を確認し、誤字脱字を修正し、現代語訳(試案)を改めました。。配列等から別の観点からも2020/5/11付けブログで検討しています。)

 

. 『猿丸集』の第2 3-4-2歌とその類似歌

① 『猿丸集』の二番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌は次の歌です。(『新編国歌大観』より引用します。)

3-4-2 

<詞書なし>

   から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

 3-4-2歌の類似歌

2-1-572歌 大宰師大伴卿(だざいのそちおほとものまへつきみ)、大納言に任(まけ)らへ、京に入らんとする時に、府の官人(つかさびと)ら、卿を筑前国(つくしのみちのくに)の蘆城(あしき)の駅家(うまや)に餞(うまのはなむけ)する歌四首(571~574 ) 

からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも 

    二首(572&573) 大典麻田連陽春

② 3-4-2歌は、古今和歌集』の記載のルールに従えば、3-4-1歌の詞書がかかる歌です。後に記すような理由からも、3-4-1歌の詞書がかかる歌となっています。

なお、3-4-1歌の詞書はつぎのとおりです。

あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる」

 

2.類似歌の検討その1 詞書

① 3-4-2歌とその類似歌の趣旨は、異なっていることが予想されていますので、諸氏が既に現代語訳を示している類似歌を先に検討します。

② 類似歌2-1-572歌は、『萬葉集』巻第四「相聞」にある歌です。その詞書について、諸氏の説を参考に現代語訳(試案)すると、次のとおりです。

 「大宰師である大伴旅人卿が、大納言に任ぜられ、(天平2年(730年)12大宰府を発ち、都に上ろうと)帰京の途についた時に、大宰府の官人らが、卿のためを筑前国の蘆城(あしき)の駅家において催した送別の宴で披露した歌(から)四首(を記載する)。

 この歌は、四首のうちの三番目の歌です。

③ 大伴宿祢旅人は、神亀元年(724)正三位、同4年頃太宰師となり筑紫に向かいます。天平2(730)10月大納言を命じられ年末に帰京します。翌年正月従二位となり同年7月に薨去しています。67歳でした。

④ この歌の作者は、大宰府の大典という役職にいる麻田連陽春です。大典という役職は、大宰府の第四等官(典)のクラスでの上席であり、正七位上相当官です。大宝令によると、大宰府四等官(しとうかん)とは、師(長官)、弐(次官)、監(判官)、典(主典)です。

⑤ 当時 送別の宴席は、席をかえ主催者もかえ行われています(だから、主要な官人は何度も宴の席に連なっています)。天平2年のこの旅人の上京に関しても別途催された送別の宴の歌が『萬葉集』巻五にあります。

 

3.類似歌の検討その2 歌

① 諸氏の2-1-572歌の訳例を示します。

漢人が 衣を染めるという 紫の色のように 心にしむばかり 君は懐かしく思われます。」(『新編日本古典文学全集6 萬葉集①』)

 「韓国の人が衣に染めるという紫の色のように、心に深くしみじみと懐かしくあなたのことが思われますよ。」(『萬葉集全歌講義』阿蘇瑞枝氏 笠間書院

② 初句の「からひと」とは、この歌の万葉仮名表記では「辛人」です。「から」というのは古代朝鮮諸国をさし、更に中国本土の唐も指す場合がありますが、ここでは、国内で染色に携わっている人の特定の技術を持っている人達をさして「からひと」と表現していると理解すべきです。既に日本に在住している人達で、大和朝廷配下の(客人扱いではない)人達ですから「漢人」などという現代語訳は不正確であろうと思います。

③ 2-1-572歌の初句~三句は、「しみて」を起こす序詞と、諸氏は説明しています。染色文化も朝鮮・大陸から伝わった文化の一つです。紫色の染料の草の栽培法と紫根染法も、朝鮮半島からの渡来の人々によって伝えられたと言われています。

 紫根染法は、繰り返し繰り返し染めることにより求める色に仕上げる、根気を要する方法です。

④ 「しみて」とは、序詞との語句との関連では、布に染料が染みて、の意であり、布に染料が染みるかのように、作者の大典麻田連陽春らの心にともに過ごしたことが満足感を与える意も盛り込まれていると思いますが、それが不明の訳例です。

⑤ また、紫の色は、当時の礼服・朝服の定めによれば、正三位の官人が用いることができる色です。大宰府においては、正三位の官人であるのは、大宰府の長官である大伴旅人一人でした。「むらさきの」という語句には、衣が紫の色であることを含意していることを理解しなければなりません。

 大宝元年(701)制の服色は、次のとおりです(養老令でも同じ)。

 親王四品以上・諸王・諸臣一位  深紫

 諸王二位以下・諸臣三位  浅紫

 諸臣四位  深緋(あけ)

諸臣五位  浅緋(あけ)

諸臣六位  深緑

諸臣七位  浅緑

諸臣八位  深縹(はなだ)

諸臣初位  浅縹(はなだ)

⑤ この歌は、『萬葉集』では「相聞」の1首と位置づけされています。大伴旅人の答礼の歌が宴席では当然披露されたのでしょうが、『萬葉集』では割愛されています。

 

4.類似歌の現代語訳(試案)

① 改めて現代語訳を試みると、つぎのとおりです。

「技術を持って韓から大和にやってきた人が衣をこの色に染めるという、その紫の礼服を着ているすばらしい方のことが、布が順々と染まっていくように私たちの心をとらえました。そのことを(お別れすると)心に深くしみじみとなつかしく感動をもって思い出すことでしょう(そのような方にお仕えできたことを)」

② 三句の「むらさきの」は、紫の礼服を着用する大伴旅人を指し、またその仕事ぶり人柄をも指しています。衣を紫色に染めるのは根気のいる仕事で、それをこなす「からひと」と同様に、否それ以上に、倦まず導き私共の仕事と日々の生活を充実させてくれた大伴旅人に、感謝をしているかに見えます。

この歌は、大宰府では、紫色の礼服を着用できるのが大伴旅人一人であるのがキーポイントになっています。

 

5.猿丸集第2歌は詞書が3-4-1歌に同じ

① 次に、猿丸集第2歌である3-4-2歌の検討です。ほとんどおなじ語句であり、異なるのは2カ所、

3-4-2歌の二句の「(ころもそむ)てふ」が類似歌では「(ころもそむ)といふ」

3-4-2歌の五句の「(おもほゆる)かな」が類似歌では「(おもほゆる)かも」

だけです。

3-4-2歌の「おもほゆるかな」は、下二段活用の動詞「おもほゆ」の連体形+助詞「かな」です。

②  「てふ」とは、格助詞「と」に動詞「言ふ」が続いてひとかたまりとなった連語であり、「といふ」とは、まったく同じ意味合いを持っている語句です。

「おもほゆるかな」の「かな」は、終助詞です。『例解古語辞典』では、「体言または活用語の連体形について詠嘆的に文を言いきるときに用いられる。・・・だなあ。・・・なあ。平安時代以後「かも」に代わって広く用いられている。」とあります。さらに、「願望の「もがも」や詠嘆の「も」も含めて「も」系から「な」系への交代の一環としてとらえるべき事象であると思われる。・・・「も」系の詠嘆表出機能の鮮度が落ち、代わって「な」系が進出したというふうに考えられる」と解説しています。

これに対して「かも」は、終助詞であり、「体言や体言に準ずる語句に、また活用語の連体形について文をいいきる。詠嘆をこめた疑問文をつくる。・・・かなあ。b感動文をつくる。・・・だなあ。・・・ことだなあ。」とあります。私は、2-1-572歌について、後者の意で現代語訳を試みています。

ここでの「かな」と「かも」は、少し意味が違うようです。3-4-2歌の「かな」は、「詠嘆的に言いきる」のに対して、2-1-572歌の「かも」は、「感動文をつくる」ため用いられており、歌のなかでの役割がちょっと異なるといえます。

③ この二つの歌に関しては、異なる点が別にあります。それは、「詞書が異なる」ということです。

 3-4-2歌は、『古今集』の記載のルールに従えば、何も記していないので、前の歌の詞書と同じであるので割愛した、ということです。3-4-1歌の詞書が前提で理解するようにと配列されている歌です。

④ 3-4-1歌の詞書は、つぎのようなものでした。

あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる」

現代語訳(試案)はつぎの通りになりました。

「交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)。」

 詞書にいう「スゲ」の花の色はだいだい色などもあります。

⑤ 3-4-1歌との比較は後ほどすることにして、この詞書における3-4-2歌を検討します。

 先に述べた助詞「かな」(この歌)と「かも」(類似歌)の違いを意識せざるを得ません。即ち、この歌は、詠嘆の歌として理解しました。「むらさき」で表現された人の何かに対して詠嘆的になった感情をもったので「かな」を用いている、と推測できます。

⑥ また、歌に触れられている衣を紫に染めるという技術者集団については、類似歌によってこの歌の作者の知識になったというより、当時の官人の常識であったとみてよいと思います。諸氏のいうように初句から三句が序詞であるとすると、当時の歌人にとって周知の事柄を言っている表現であったということであり、衣を紫に染めるという技術者集団に関する知識はこのことからも常識であったと判断してよいと思います。

 さらに、『萬葉集』には、紫根染法に用いる灰汁をも詠んだ歌もあり、技とも術者集団に関する知識も官人や庶民にも一般化していたとも見えます。

 しかし、「からひと」という表現のある歌は、三代集に見えません。この用語が『萬葉集』の時代から引き続いて用いられていたかどうかわからないので、(ゆふつけ鳥の意の変遷を思い出すと)「からひと」を素直に外国の人あるいは遠来の人という新たな理解もできるのではないかと思います。

 また、「むらさき」を言い出す(あるいは示唆する)歌で名歌が無かったのか、詠われなかったのかというと、前者であると思います。三位になる人にお祝いを言いたい人は大勢おり、また縁故を得たい人人も大勢いた官人社会であったのは、(現在の経済活動に従事している人々と同じように)間違いないと思えるからです。

⑦ このような点から、現代語訳を再考すると、つぎのようになります。この現代語訳(試案)は、ブログ「わかたんかこれの日記  猿丸集の特徴」(2017/11/9付け」に示した訳(試案)から、更に推敲したものです。

「遠方からおいでになった人(貴方)の衣が染まるという紫の色に、(官人が)強い関心をいだくように貴方には自然とそのように思うようになるのですね。(今までのようなご交際がお願いできないと思うものの。)」

 

6.この歌と類似歌との違い

3-4-1歌と類似歌2-1-283歌を比べると、次のように違いがありました。

① 詞書の内容が違います。

② 相手との距離感が違います。この3-4-2歌は、官位の隔てからの述懐をいうのに対して、類似歌2-1-572歌は直接の上司部下の関係が無くなることと、空間的に遠方となることからの述懐を詠っています。

③ 五句にある終助詞が異なります。この歌は、詠嘆調の「かな」、類似歌は、詞書より感動文となる「かも」となっています。

類似歌をこの歌の作者が承知していると仮定すると、三句の「むらさき」は、類似歌と同様に人を暗示している、と思えます。そのうえで、類似歌の「かも」を「かな」に替えて別の歌となり得ると判断していると見られます。類似歌と比較しても、「むらさき」という語句で表現された人の何かに対して詠嘆的になった感情をもったので「かな」を用いている、と推測できます。

④ この結果、この歌は、相手(あひしる人)の帰京を祝うもののこれから疎遠になることを残念に思っています。類似歌は、「むらさき」で示唆している人物(大伴旅人)の昇進を祝いまた称賛し感謝をしています。

⑤ このように、この2首は、詞書に従い理解すると、それぞれの類似歌と、清濁抜きの平仮名表示ではよく似ていますが、まったく別の歌となっています。

 

7.3-4-1歌と3-4-2歌の比較検討

① 上記までは、3-4-2歌について3-4-1歌(詞書を除く)を参照せず検討してきました。この二首とそれぞれの類似歌二首とを比較検討すると、共通点があります。

② 3-4-1歌と3-4-2歌およびその類似歌2-1-284歌と2-1-572歌には、「むらさき」が詠み込まれています。

 ハギの花は赤紫色です。三位に至らない四位の礼服の色は深緋(あけ)です。

三位の礼服の色が紫です。

③ 3-4-1歌と3-4-2歌のそれぞれの作者と「あひしる」人はよく知っている者同士の間柄です。また、両歌の類似歌2-1-284歌と2-1-572歌もそれぞれの作者と作者が歌を贈った人とは、同じようによく知っている者同士の間柄です。2-1-284歌では、作者とその夫であり、2-1-572歌は、作者とその上司でした。

④ 3-4-1歌と3-4-2歌は、相手(あひしる人)を称賛する歌と疎遠になることを残念に思っている歌の組み合わせとなっており、再会の歌と疎遠の歌との組み合わせでもあります。

類似歌である2-1-284歌と2-1-572歌は、相手(作者の夫と一行)の無事を祈っている歌と大伴旅人の昇進を祝いまた称賛し感謝している歌ですが距離的には疎遠になる歌です。つまり、再会(を願っているところ)の歌と疎遠の歌との組み合わせです。

⑤ 3-4-1歌と3-4-2歌は、慎重に類似歌が選ばれている、とも言えます。

この2首が同一の作者かどうかは不明ですが、少なくとも『猿丸集』の編纂者は、類似歌をみると、作者に関係なく、一つの詞書におけるペアの歌となるよう配列しています。

⑥ さて、3-4-2歌の次の猿丸集の歌とその類似歌は、つぎのようなものです。

 

3-4-3歌 あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる

   いでひとはことのみぞよき月くさのうつしごころはいろことにして

 

3-4-3歌の類似歌 1-1-711歌 題しらず    よみ人しらず

   いで人は事のみぞよき月草のうつし心はいろことにして

 

 この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑧ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/2/5  &2020/5/11    上村 朋)

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第1歌とその類似歌

(2018/1/29) 前回「第1歌 あひしりたりける人」と題して記しました。

今回、「猿丸集第1歌とその類似歌」と題して、記します。(上村 朋)

 (この記述は、2020/5/11に、補足と誤字の訂正をした文章となっています。さらに、3-4-1歌と3-4-52歌を一組と歌としての検討により、現代語訳(試案)の改訂の必要を認めたので、それを2020/5/11付けのブログに記しています。)

 

1. 『猿丸集』の、第1歌 3-4-1歌

① 『猿丸集』の最初の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、示します。

 

3-4-1 あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

しらすげのまののはぎ原ゆくさくさきみこそ見えめまののはぎはら

 

2-1-284歌 黒人妻答歌一首 

しらすげの まののはりはら ゆくさくさ きみこそみらめ まののはりはら

 

2.類似歌が詠われるきっかけの歌

① 類似歌2-1-284歌の前に、『萬葉集』では、「高市連黒人歌二首」と題した歌2首(282~283歌)があります。

黒人が妻あてに詠った歌であり、この2首を前提に黒人妻の詠った歌が、2-1-284歌です。

少なくとも、そのように理解できるように『萬葉集』は、この3首を連続して配置しています。

それを信じて検討をするのが良い、と思いますので、この3首をあわせて検討します。

② 『新編国歌大観』より「高市連黒人歌二首」を引用します。「巻第三 雑歌」におかれています。

   

 2-1-282歌   高市連黒人歌二首 

わぎもこに ゐなのはみせつ なすきやま つののまつばら いつかしめさむ

 

2-1-283歌

いざ子ども やまとへはやく しらすげの まののはりはら たをりてゆかむ

 

『新編日本古典文学全集6 萬葉集①』では、次のように訳しています。

2-1-282歌:「妻に 猪名野は見せた 名次山や 角の松原は いつになったら見せてやれようか。」

2-1-283歌:「さあ、皆の者よ 大和へ早く 白菅の 真野の榛原の枝を 手折って帰ろう。」

 

③ この2首に詠まれている地名等は、上記の訳に従うと、

・妻に見せた場所等:ゐなの(猪名野)

・これから妻に見せたい場所等: 「なすきやま(名次山)」と「つののまつばら(角の松原)」

・妻にみせたいかどうか不明の場所等:「まののはりはら(真野の榛原)」

④ これらの地名などを、奈良や難波から近い順に西方に辿ると、

猪名野(現在の伊丹市、後ほど再説)、名次山(西宮市) 角の松原(西宮市松原町津戸・旧武庫川の河口) そして一番西方が真野の榛原(神戸市長田区) となります。

 妻には、一番難波に近い、猪名野(現在の伊丹市)を見せた、と黒人は2-1-282歌で詠いました。これから見せたいのは、猪名野の西に位置する名次山と、その名次山の西に位置する角の松原だといいました。

 これから類推すると、陸路を辿ってさらに西にある真野のはりはらを別格と黒人はしており、妻に見せる気が今のところない、と推測できます。

 海路によって海から遠望させるとすると、難波にある港を出港したら、港のある地の内陸側に位置する淀川に接すると思われる猪名野を除いて、名次山、角の松原とともに真野の榛原を見せることは容易にできるでしょうから、この2首の詠い方は陸路を想定していると思われます。

⑤ なお、真野とは、阿蘇氏によると、神戸市長田区東尻池町や西池町や真野町などの一帯を言います。

 また、猪名野とは、諸氏は、伊丹市と推定していますが、奈良時代かそれ以前淀川右岸の現在の吹田市から尼崎市に置かれた猪名県(あがた)の地域にある野原、の意であるのではないかと思います。伊丹市も該当するのではないでしょうか。堤防もなく蛇行する当時の淀川沿いの河川敷の野原を含んだ原野を指していると、思います。当時の淀川は、奈良盆地の水を集めた大和川も合流しており、今日の神崎川と大川(旧淀川)と新淀川をまたがる幅を河口としているといえます。

土屋文明氏は、猪名野に関して、「摂津河辺郡為奈野」の地名があり伊丹市付近かと指摘しています。名次山や角の松原も比定地が確定しにくい旨も指摘しています。

⑥ 黒人が、この二つの歌を詠んだ旅行の趣旨と場所とは、詞書に明示されていません。考えてみると、次のようなケースが想定できます。

・公務の旅行で、出発時に見送り等を受けて。

・公務の旅行で、出発後猪名野や真野などを通過する際。

・公務の旅行で、大和へ戻る途中、真野を通過する際。

・公務の旅行で、大和へ戻る途中、真野を間近になった際。

⑦ そして、この二つの歌を、詠んだ後、黒人は、どのようにして妻の元へこの歌を送ったのでしょうか。そして、妻の答歌をどのようにして受け取ったのでしょうか。

 

3.2-1-282歌などを詠んだとき・場所

① 歌の贈答は、恋の歌を除いても、二人の位置関係が離れている場合あるいは離れようとする場合に生じます。さらに、宴席での応酬としても、地方へ出立する際の見送りでの応酬もあります。

②  『古今和歌集』や『土佐日記』などにあるように、地方へ赴任あるいは都へ栄転する官人は、一泊してまで峠などまで見送られ、そして主催者を替えて何回か宴席を設けられています。

 この3首が、今信じているように一組の歌であるならば、黒人の地方への赴任にあたっての宴席での歌の可能性が一番高いのではないかと推測します。

③ そうすると、2-1-282歌は、猪名野を見せるから、淀川の渡し場まで送ってくれないか、と妻に問いかけている歌にも理解できます。今回は連れてゆけないがいつか赴任地まで連れてゆこう、と訴えている歌にも理解できます。単身で行って来ます、と挨拶している歌にも見えます。

 2-1-283歌は、任務を終え、無事元気に帰京できる見通しが立った場所での感慨を詠っているかに見えます。この2首は、往路と復路の元気な黒人一行の姿を詠っているかに見えます。

④ これに対して2-1-284歌は、無事に任務を全うし元気に戻ってくるのを信じて、送り出しているかに見えます。地方に赴任する黒人一行を、黒人の妻は、黒人が挙げた一番西の地名等を挙げ、「そこを見て着任し、そこを見て帰任するのですね」と詠い、必ず無事な顔を見せてくださいな、といっているかに見えます。

⑤ 諸氏の言う様に黒人と妻が一緒に旅行しているならば、順に通過する土地は必ず見せることになり、「いつかしめさむ」という状況になるのは不自然です。妻は都で留守番をする前提の歌と推測できます。

 ですから、公務の旅行で、出発時に見送りにあたっての歌であり、大和にいる妻が淀川の渡船の場所まで(上司の妻と同僚の妻とともに)見送ったというよりも、(都における送別の)宴席での歌ではなかったかと、推測できます。妻の歌は、同僚か部下の代詠であったかもしれません。このように、この3首が一組の歌として同日に詠まれた(朗詠された)と、『萬葉集』の配列を理解するのが素直であろうと思います。

 

4.3首の現代語訳(試案)

① このため、現代語訳(試案)は、次のようになります。

2-1-282歌:「妻に猪名野をみせてやった。名次山や角の松原は、いづれ教えてやろう(と言いたいので見送っておくれ。貴方を連れて次には赴任できるように今回頑張ってくるよ)」

2-1-283歌:「さあ皆の者よ、大和へ急ぎ行こう。白菅も茂る真野の榛原を手折って(任務を全うし、元気に帰任しようではないか)。」

2-1-284歌:「白菅でも有名な真野の、ハンノキが一面にある野原を、旅の行き来に あなたこそ元気で眺めることができるでしょうね、確かに。真野の野原を(そうなることを祈っています。私は子を育てしっかり留守番をしていますから)。」

② 『新編日本古典文学全集』では、「しらすげ」を無意の枕詞としています。真野の代表的景物を取り上げて冠した枕詞としています。しらすげは、かやつり草科の多年草。葉が白色を帯びた緑色であるところからその名があると解説しています。ここでは、有意の枕詞として現代語訳を試みました。

③ 黒人は、淀川の渡河地点の当時の淀川の対岸を西国に陸路赴任する通過地点の猪名野と認識していると思われます。なお、2-1-284歌の三句「ゆくさくさ」の「さ」は、動詞の終止形に付く接尾語です。

 

5.猿丸集の第1歌詞書について

① 既に指摘しました(ブログわかたんかこれ2017/11/9参照)ように、詞書の現代語訳(試案)は、つぎのとおりです。

「交友のあった人が、地方より上京してきて、スゲに手紙を添えて、「これをどのようにご覧になりますか」と、私に、言い掛けてきたので、詠んだ(歌)。」

② 詞書にいう「あひしりたりける人」の検討は、「ブログわかたんかこれ2018/1/22」を、「もの」の検討については「ブログわかたんかこれ2017/11/9」を参照してください。

「ものよりきて」は、「地方より、京に上がってきて」、の意です。

③ 詞書にいう「すげ」は、種類が多く、水辺や山野にはえている植物です。笠や蓑の材料に利用されています。どこにでも手に入るスゲに「ふみ」を添えて、交友のあった人は、作者に言い掛けたのです。スゲに寓意があると理解してしかるべきです。

④ 詞書にある「ふみ」とは、手紙か書物か漢詩か学問の意(『例解古語辞典』)のうち、ここでは手紙と理解しましたが、官人であるので漢詩かもしれません。上京にあたっての感慨を記してあったのでしょうか。(なお、詞書全体をその後検討し直して別の現代語(試案)も得ており、2020/5/zz付けブログに記しています。)

 

6.猿丸集第1歌

① 二句と四句の「はぎ」は、マメ科ハギ族のなかのヤマハギ節に属する数種類を今日でもいい、ヤマハギミヤギノハギ、ニシキハギ、ツクシハギなどがあります。低木または低木状の多年草で落葉性がありますが、その花は、紅紫で、長さ1^2cmあり、多数が穂に集まって咲き、美しい植物です。秋の七草のひとつです。

② 詞書にいう「スゲ」の花の色はだいだい色などもあります。

しらすげは、かやつり草科の多年草。葉が白色を帯びた緑色であるところからその名がある。しらすげ:枕詞。真野の代表的景物を取り上げて冠した枕詞でもあります。。

 

③ 作者は、類似歌に詠われている、「しらすげ」や「はりはら」の語句のほかに「ハギ」を用いて詠っています。

④ 衣服令の規定では、礼服の色葉一位は深紫、三位以上は浅紫。四位は深緋、五位は浅緋となっています。

⑤ これらを考慮すると、次のような現代語訳(試案)が、得られます。

しらすげも花を咲かせている真野の野原に、赤紫に咲く萩を、あなたは旅の行き来によく見えたのではないでしょうか。萬葉集の歌の真野のはりはらではなく赤紫に咲く萩の野原を。(紫衣の三位への昇進も望めるようなご活躍にお祝い申し上げます。)」(これは、その後「ブログわかたんかこれの日記  猿丸集の特徴」(2017/11/9付け」の(試案)の上句部分をさらに吟味した(試案)です。)

⑥ 詞書にいう「すげ」は、水辺や山野にたくさん生えている普通の植物であり、特別な植物ではありません。今回の上京が栄転ではないと交友のあった人自身は思っていることを示しているのが「すげ」ではないでしょうか。

そして「いかがみる」という問いかけは、実際は「今回地方官を交替させられ待命を命じられた。なかなか昇進は叶わない」の趣旨であり、作者は、「いやいやそんなことは」と、挨拶したのかもしれません。

⑦ 作者は、男で、地方への赴任をも期待している下級官人と推測します。

 

7.この歌と類似歌との違い

 3-4-1歌と類似歌2-1-283歌を比べると、次のように違いがありました。

① 詞書の内容が違います。

この歌3-4-1歌は、具体に詠むこととなった事情を説明し、類似歌2-1-284歌は、採録している歌集の巻の主題以外分からりません(それ以上の説明を不要と判断した上で採録された歌となっている)。

これから同じ言葉遣いでも歌の解釈への影響があることが予想できます。

② 強調している語句が違います。

この歌は、二句と五句で「はぎはら」を繰りかえし詠い、類似歌は二句と五句で「はりはら」を繰り返しています。繰り返しているのは、強調しているのであろうから、「はぎはら」は何かを含意しています。上記のように色を示唆していました。類似歌は、「はりはら」により「真野」という黒人が通過するはずの地名を繰り返えしていると言えます。

③ 四句の動詞が異なります。

 この歌は、「(こそ)みえめ」であり、動詞「みゆ」(下二段)の未然形+推量の助動詞「む」の已然形です。『例解古語辞典』によれば、「みゆ」とは「a物が目にうつる。見える。b人に見えるようにする。」、の意です。

「(こそ)みえめ」は、「(はぎはらの花の色こそが)見えることでしょう」、の意となります。

 類似歌は、「みらめ」であり、動詞「みる」(上一段)の未然形+現在推量の助動詞「らむ」の已然形です。「(真野のはりはらを)今頃眺めているでしょう」、の意となります。

この歌は、自然と目に飛び込んでくるスタンスであり、類似歌は、その気なら眺められる、というスタンスです。

⑤ この結果、この歌は、相手(あひしる人)を称賛しているか励ましています。類似歌は、相手(作者の夫とその一行)の無事を祈っています。

 

8.猿丸集第2歌は詞書が同じ

① 猿丸集第2歌と、その類似歌は次のような歌です。詞書が違うので、第1歌とおなじように歌意も異なると予想できます。

3-4-2 <詞書なし。つまり、同上、の意。>

から人のころもそむてふむらさきのこころにしみておもほゆるかな

 

3-4-2歌の類似歌:2-1-572歌 大宰師大伴卿、大納言に任ぜられ、都に入らんとする時に、府の官人ら、卿を筑前国の蘆城(あしき)の駅家に餞する歌四首(571~574 ) 

からひとの ころもそむといふ むらさきの こころにしみて おもほゆるかも 

    右二首(572&573) 大典麻田連陽春

② ご覧いただきありがとうございます。

 次回は、『猿丸集』の第2歌に関して記します。

(2018/1/29   上村 朋)(補綴 2020/5/11  上村 朋)