わかたんかこれ 猿丸集と拾遺集の詞書

前回(2020/2/17)「わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その2」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集と拾遺集などの詞書」と題して、記します。(上村 朋)

 1~10.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。次に、『猿丸集』の編纂方針を詞書から検討するため、恋の歌が多い『猿丸集』に鑑み三代集の恋の部の詞書と比較することとした。巻第一春歌上で詞書から編纂方針が推測できた『古今和歌集』の巻第十五恋五では、題しらずという詞書を中立の詞書とみると、大変少ない詞書のみから歌群の推定ができ、歌群の並び方まで歌本文を含めて検討した歌群とその並べかたの推測と重なるところがあることがわかった。『後撰和歌集』の巻第十三恋四と巻第十四恋五では、詞書のみから検討すると、歌群が恋の各段階を通じた挿話方式である、と推測できたが、歌群の順番や歌群そのものの設定については歌本文を加えての検討でもはっきりしなかった。また三代集の恋の部の詞書の書き方を比較すると、『猿丸集』の詞書は、「返し」が無いなど特色があることがわかった。)

 

11.拾遺集巻十五の詞書の特徴

① 『猿丸集』の類似歌が『拾遺和歌集』巻第十五恋五に1首(1-3-954歌)あり、検討したことがあります(ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第30歌 物はおもはじ」(2018/9/24付け))。

 その際、小池博明氏の恋部の構成(私のいう配列)の論を参考にしました(『新典社研究叢書 拾遺集の構成』(1996))。氏は、恋の歌について次のように指摘しています。

 第一 恋部の段階的推移は、無縁・忍恋→求愛→逢瀬→疎遠→離別(復縁迫る)→絶縁と推移する。(一つの恋での時間軸での推移)

 第二 恋部の各巻は複数の歌群から成る。そして、恋歌は、「恋に身を置いた恋愛主体の心情の表現であることを考慮すれば、・・・各歌群の冒頭歌は、その主体の心情の起点であり掉尾の歌は帰着点と位置づけられる。」

第三 恋五は、4つの歌群からなり、最後の歌は、恋部を総括する歌となっており、恋はみのらず遍歴するがその遍歴の完了を詠む歌となっている。これは、恋の一回性、つまり多数の恋を経験しても、同じような恋は二つとないといった恋の性格、に即応した構成である。

氏は、その4つの歌群を詳細に論じていますので、今行っている詞書からの配列の検討後に付き合わせたい、と思います。

② 『拾遺和歌集』において詞書から編纂方針(配列など)が推測できるか、『古今和歌集』などと同様に検討します。

拾遺和歌集』の巻第十五恋五の詞書は、歌全75首のうち「題しらず」が9首、「返し」が1首あり、情景記述をしているのが次の10首の詞書だけです。実質題しらずの歌が75中64首ある巻です。『新編国歌大観』より詞書を引用します(以下、歌も同じ)

 

1-3-925歌  善祐法師ながされ侍りける時、母のいひつかはしける  (作者名記入無し)

1-3-941歌  女につかはしける  大中臣能宣

1-3-950歌  ものいひ侍りける女の、のちにつれなく侍りて、さらにあはず侍りければ  一条摂政

1-3-963歌  女のもとにまかりけるを、もとのめのせいし侍りければ  源 景明

1-3-971歌  円融院御時、少将更衣のもとにつかはしける  (作者名記入無し)

1-3-977歌  延喜御時、承香殿女御の方なりける女に、元良のみこまかりかよひける、たへてのちいひつかはしける  承香殿中納言 (醍醐天皇今上天皇)の祖父である光孝天皇皇女で醍醐天皇の女御)

1-3-986歌  小野宮のおほいまうちぎみにつかはしける  閑院大君

1-3-991歌  左大臣女御うせ侍りければ、ちちおとどのもとにつかはしける  天暦御製

1-3-992歌  女の許につかはしける  平 忠依

1-3-998歌  とほき所に侍りける人、京に侍りける男を道のままにこひまかりて、たかさごといふところにてよみ侍りける  よみ人しらず

③ この10首の詞書より、巻第十五恋五の配列を検討します。

最初の詞書が、巻頭歌である1-3-925歌の詞書です。この詞書にある事実は、寛平8年(896)当時54歳前後である清和天皇の后(二条后)と東光寺善祐法師の密通が露見したとして、二条后は「廃后」、善祐法師は「配流伊豆講師」となったことです(『扶桑略記』寛平8年(896)9月22日条。付記1.参照)

「廃后」も「配流伊豆講師」も左遷です。「配流伊豆講師」とは伊豆国国分寺の役職である「講師」に(都の寺に所属し后と謁見ができる僧職から)転勤させたということです。建前は、善祐法師が伊豆の国へ、再び都へ戻れる時期は不明のまま(寛平8年か9年に)転勤していったのです。

この歌は、作者である善祐法師の母が、配流あるいは伊豆の国へ出発の日が決まった子を思う心情を詠う歌であり、詞書に「いひつかはす」とあるので、善祐法師本人に伝えたいことを込めた歌であると理解できます。

子を思う心情を想像すると、僧の身分をはく奪されなかった子に

「密通までした高貴なお方への思いをしっかり絶ったと誓約したことを忘れずに」 あるいは、

「配流が早く終わるように僧として真面目に務めよ」

と諭したかったのか、と思います。

僧職にいる子と暮らすのは制度上出来ませんし、密通までした高貴なお方との密かな連絡方法がある、と教えたことでもない、と思います。また、単にもう逢えないのが悲しいと訴えているのでもなく、任国へ下るため京を離れる官人(およびその妻子)への餞別の歌もない、と思います。

配流という理由で京を離れるという特殊性に注意を促している記述となっている詞書でありそれが恋の歌として配列されていることに留意すべきです。哀傷とか離別羇旅とかという部立てに配列していないのは、歌集編纂者にそれなりの理由があるのではないかと思います。

恋五の巻の巻頭の歌として理解しようとすれば、「その恋はもう過去のことであることを疑われないように」と念を押すため「いひつかはし」ている、つまり、この巻頭の歌は、恋が終わっていることを(『拾遺和歌集集』をみる人に)示唆する歌としてここに歌集編纂者は置いたか、と推測します。それにしても当事者が作者ではないので、恋の歌という整理が可能かどうか歌本文に当たらない限り疑問が残ります。

④ 次の1-3-941歌から1-3-986歌までの詞書からは、恋の部の詞書と理解すれば、作者が恋の当事者であることが明らかです(歌を送った相手が恋の相手かどうかは不明)。

また、1-3-991歌の詞書は、亡くなられた作者の相手の人(女御)を哀悼する詞書であり、男女の愛情を詠っているかもしれませんが、恋の部にある詞書としては大変異例です。しかし、作者の相思の相手の父に送っているので恋の心情を訴えた歌と推測できます。1-3-992歌も、『後撰和歌集』の例から恋の歌の詞書と推測が可能です。

最後の詞書である1-3-998歌の詞書は、この巻の最後の歌(「題しらず よみ人しらず」の1-3-999歌)の詞書でもあります。この詞書は、思慕している相手から遠く物理的に離れてゆく人が「高砂」の地を通過する際(あるいはその地にちなんで)詠んだ、と言っていると理解できます。

そのため、男女の仲のことを詠う歌の詞書なのか、男女の仲の事情から生じる人生の無常をも詠んでいる歌の詞書か決めかねますが、たとえ後者であっても発端が恋なので恋の歌の詞書と理解できるところです。

⑤ そうすると、詞書の趣旨は次のように理解可能です。

1-3-925歌 母が、母子の間の愛情あるいは子の恋を詠う

1-3-941歌 男女の仲の発端あるいは順調な展開時または絶縁への工程での状況を詠う

        (とにかく女への働きかけている歌の事例)

1-3-950歌 男女の仲の愛憎あるいは疑いの心を詠う

1-3-963歌 相思の時点(詞書頭書の女と)の状況あるいは(もとのめその他の)女の嫉妬を詠う

1-3-971歌 相思の時点を詠う(前の歌群とは別の事例)

1-3-977歌 男の勝手な行動を詠う

1-3-986歌 男の勝手な行動を詠う(前の歌群とは別の事例)

1-3-991歌 男女の仲が死別に終わるを詠う

1-3-992歌 相思あるいは惜別を詠う

1-3-998歌 男女の仲が(互いの意思ではなく)遠のくことを詠う

巻五の歌群は、これらの詞書のある歌から始まる歌群(ただし1-3-991歌と1-3-992歌は一体とみなし、一つの歌群とする)が9種類ある、恋の歌群と推測しました。歌群は、1-3-991歌からの歌群を挽歌ととらえると1-3-991歌以下全ての歌数を一つの歌群(離別・疎遠の歌群)とみなすと、巻五の歌は、およそ逢瀬以降の恋の進展順に並んでいるかにみえます。しかし、詞書のある歌が9首に対して「題しらず」が64首と大変多く、本当にこの8ないし9つの歌群なのか、この順番に置いているのか、不安がありません。

 

12.拾遺集の歌本文よりの確認その1

① 歌本文にあたり、このような理解が妥当であったか確認します。歌本文の理解は、原則として『新日本古典文学大系7 拾遺和歌集』(校注小町谷照彦 岩波書店1990)によります。

また、小池博明氏の上記の書を参考とします。

② 小池氏は、歌本文も考察対象として恋五は、4つの歌群から成る、と指摘しています。 

第一歌群 925~962(38首) 逢瀬の段階(冒頭歌は相思の仲だが逢えない歌)から離別の段階に至る

第二歌群 963~990(28首) 逢瀬の段階(冒頭歌は同上)から絶縁の段階に至る

第三歌群 991~998(18首) 逢瀬の段階(冒頭歌は同上)から離別の段階に至る

第四歌群 999の一首のみ 複数の恋すべてが終る

 小池氏はさらに、歌群が一つの恋の段階から成るのではない、と判断され、各歌群は恋の段階別の小さい歌群から成ることを示しています。例えば、第一歌群では、1-3-925歌のほか題しらずの歌である1-3-930歌および1-3-948歌が冒頭歌となった逢瀬・疎遠・離別の各段階別の小歌群を認めています。詞書のみからの推測では冒頭歌が題しらずとなる場合は、論外となっていました。

 しかし、歌群の区切りとなる冒頭歌は、3首一致し、それは小池氏のいう第一~第三の歌群の冒頭歌であるものの、その歌群の意味付けはだいぶ違います。

③ 今回行った詞書のみからの推測の歌群と、氏の推定した歌群を比較した結果、恋の各巻の分担に関する理解により、歌群のくくり方が違ってくることがはっきりしてきました。前回検討した『後撰和歌集』の恋部の部分も、『拾遺和歌集』と同じような恋の各段階がある挿話方式の歌群でした。

四季の部では歌集編纂者の意思ではどうにもならぬ春夏秋冬の循環があり編纂方針に反映せざるを得ないのに比べて、恋部は編纂方針の自由度が高いことを『拾遺和歌集』編纂者は意識していた、と理解できます。

このため、詞書からは、恋の段階の推測が可能な場合があるものの、歌群(あるいは当該部の編纂方針)全般の正しく認識しているかどうかは不定です。つまり、詞書は編纂方針に従っていても、詞書のみから編纂方針を推測するのは誤りを生じやすい、ということです。『古今和歌集』から三番目の勅撰集を編纂する時代は、歌集編纂方法についていろいろな検討がされていた時代であった、と言えます。

④ 次回は、巻頭の歌で、詞書のみのアプローチと歌本文をも含めたアプローチでの違いの程度を一例として確かめたいと思います。

 なお、詞書のほか、『拾遺和歌集』における前後の歌における共通語句から、配列の傾向を検討するのも試してみましたが、なかなか指摘できることがありませんでした。(付記2.参照)

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」を御覧いただきありがとうございます。

(2020/2/24 上村 朋)

付記1. 「配流」について

律令に基づき、罪を犯した官人を左遷する事が行われる。これも漢文で「配流」、仮名で「流さる」と記されている。有名な例としては右大臣はから太宰権師匠に左遷された菅原道真がある。実際には幽閉は状態とはいえ、左遷の場合には俸禄が与えられ恩赦による帰還もあり得る為に実態は流罪でも法的にはあくまでも左遷である。(Wikipedia

付記2. 拾遺集における前後の歌における共通語句はつぎの表のとおり。 

① 1-3-925歌と1-3-926歌の共通語句とした「海」と「住吉」はイメージが共通というところ。

② 共通語句「おもふ」がよく連なっている。10首つらなっている箇所もある(1-3-941歌~1-3-950歌)

③ 共通語句がない歌が4首ある(1-3-963歌、1-3-968歌、1-3-975歌、1-3-979歌)

表 拾遺集における前後の歌における共通語句調べ (2020/2/24現在)

歌番号等

当該歌と前後歌とに共通(の意ともくくれる)語句

 

1-3-925

海     渚

 

1-3-926

住吉   岸

 

1-3-927

捨てはてむ命

 

1-3-928

(生き)死なん事   思は(ざらまし)

 

1-3-929

 人       灰となり       思ひ

 

1-3-930

 人                 世の中  身

 

1-3-931

思ひ(もかけぬ)          世の中  身

 

1-3-932

思ふ(ものから)

 

1-3-933

思ひ

 

1-3-934

(もの)思ふ 死なば              あらばあれ

 

1-3-935

死にする・死に(かへらまし) あらませば

 

1-3-936

(こひて)死ね

 

1-3-937

こひ死なば  こひ

 

1-3-938

         こひしき

 

1-3-939

         こひしき

 

1-3-940

         こひ(ならば)

 

1-3-941

おもはじ    こふる(心) (こふる)心  物

 

1-3-942

おもふ(こころ)             心  もの

 

1-3-943

おもふ(ものから)           心

 

1-3-944

おもふ(ものから)          心  人

 

1-3-945

おもふ(こそ)    我   つらき      人

 

1-3-946

おもふ(ものから) 我   つらし

 

1-3-947

おもひ(しるや)  我が  つらき(をも・人も)

 

1-3-948

思ふ(顔)         つらき(もの)  心

 

1-3-949

おもは(ぬに)

 

1-3-950

おもほへで  いふべき人

 

1-3-951

いふ人  あひ見む

 

1-3-952

                あふ    (ひとりね)

 

1-3-953

                         (身ひとつ)

 

1-3-954

あら(ちを)<初句にある>  おもはじ

 

1-3-955

あら(いそ)<初句にある>  おもはじ  浪  こひ

 

1-3-956

雨ふる                (ささら)なみ  こひ

 

1-3-957

雨(も涙も降る)

 

1-3-958

(降る)雨

 

1-3-959

雨(と降る) 涙

 

1-3-960

涙   きみこふる<初句にある>   袖

 

1-3-961

涙   きみこふる<初句にある>   袖

 

1-3-962

 

1-3-963

前後の歌との共通語無し

 

1-3-964

(つきせぬ)物

 

1-3-965

       物(おもふ)

 

1-3-966

 

1-3-967

恋ふ(らく)

 

1-3-968

前後の歌との共通語無し

 

1-3-969

 

1-3-970

山(地)

 

1-3-971

おもひ 空に満ち(ぬれば)  煙  雲

 

1-3-972

おもひ 空に満つ        煙  雲  人

 

1-3-973

おもはず    つらか(らじ)        人 うらみつる

 

1-3-974

つらけ(れど)              うらむる

 

1-3-975

前後の歌との共通語無し

 

1-3-976

あく(とや)・あくた     人

 

1-3-977

あくた(かは)        人

 

1-3-978

あく

 

1-3-979

                    前後の歌との共通語無し

 

1-3-980

怨み         (ふかき)心

 

1-3-981

うらみぬ       (たのむ)心

 

1-3-982

怨み           (人の)心  

 

1-3-983

怨み(られぬる)  (ふかき)心    (あり)ながら

 

1-3-984

怨み(ざる)          心      なから(なん)

 

1-3-985

怨みて

 

1-3-986

怨みつる  海人の刈る藻に住む虫の名

 

1-3-987

       海人の刈る藻に住む虫の名

 

1-3-988

こひ(わびぬ)

 

1-3-989

こひ(しきは)   思ふ

 

1-3-990

           思はず

 

1-3-991

           思へど

 

1-3-992

心にも        忘れはて

 

1-3-993

(したがふ)心         忘るるか・忘れなん

 

1-3-994

                 忘れぬる

 

1-3-995

心      思はむ(人)

 

1-3-996

心     思ひ(たゆ)

 

1-3-997

心     思ふ(事)

 

1-3-998

   つく(らん)

 

1-3-999

    つく(ま)・つくづく

 

  • 注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻の歌集番号―当該歌集の歌番号
  • 注2)前後共通語句のうち、1-3-950歌~1-3-962歌は、前回(ブログ2018/9/24付けに記した付記1.)による。それ以外は今回作業した。

(付記終わり  2020/2/24   上村 朋)

 

 

わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その2

以前(2020/1/27)、「わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その1」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その2」と題して、記します。(上村 朋)

 1.~7.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。次に、『猿丸集』の編纂方針を詞書から検討するため、恋の歌が多いので三代集の恋の部の詞書と比較することとした。巻第一春歌上は詞書から編纂方針が推測できた『古今和歌集』巻第十五恋五は、題しらずという詞書を中立の詞書とみると、大変少ない詞書のみから歌群の推定ができ、歌群の並び方まで歌本文を含めて検討した歌群とその並べかたの推測と重なるところがあることがわかった。また三代集の恋の部の詞書の種類と比較すると、『猿丸集』の詞書は、「返し」が無いなど特色があることがわかった。)

8.後撰集巻十三の詞書の特徴その2  

① 再度『後撰和歌集』巻第十三恋五と巻第十四恋六の詞書を検討します。贈答をしているという書き方が多い詞書(作者名を含む)であるので、対となる歌の有無と歌の作者の性別を確認し歌群を推測します。

② 歌集の詞書は、『古今和歌集』の例によれば次のような原則により記されている、とみることができます。また、これまでの『後撰和歌集』の検討からの推測をも原則の一つと仮定します。それに基づき検討します。

第一 「題しらず」という詞書は、直前の詞書に準じる意か、あるいは、前後の詞書の内容に中立的ではないか。

第二 「返し」という詞書は、直前の詞書と対を為し、直後の詞書とは関係ない詞書である。

第三 元資料の歌の詞書は、参考にすることがあっても、忠実に採用していない。つまりその歌集の編纂方針に従い、歌の趣旨を示唆する語句が選ばれており、前後の詞書とのバランスが優先している。

第四 従って、用語は巻を通じて統一されているはずである。

第五 編纂方針によって歌群が配列されているので、そのヒントが詞書にある。ヒントは『古今和歌集』では「歌を詠んだ動機につながる情景の記述の詞書」にあった。

第六 これまでの『後撰和歌集』の検討より、各歌群の最後の歌は、「返し」の歌のみにあるのではない。

第七 『後撰和歌集』のこの巻は男女の贈答歌が多く、配列の方針が詞書にはっきりでているのではないか。

③ 巻第十三の各歌の詞書を、特に第七に留意してその対の一組の歌の情景を浮かべるよう検討しました(付記1.参照)。なお、上記の第一と第三は、歌本文あるいは元資料と比較して判断することなので詞書のみの検討では割愛します。

一組には、つぎの3タイプを想定して検討しましたが、巻第十三は、恋の進捗のある断面の歌のみを担っている巻と判定できませんでした

 贈答歌としてやりとりした歌2首が一組の歌(『後撰和歌集』に共に記載)

後撰和歌集』未記載の歌に対する対の歌(返歌)1首で一組となる歌(返歌のみ記載)

贈答歌として起草した歌1首のみで記載を割愛した返歌と一組となる歌(起草の歌のみ記載)

④ 詞書を比較すると、特色あるものがあります。

1-2-893歌 つれなく見え侍りける人に   よみ人しらず

1-2-906歌 女に物いふ男二人ありけり 一人が返事すと聞きて、今一人がつかはしける 

1-2-913歌 人のもとにはじめてまかりて、つとめて、つかはしける

1-2-987歌 白き衣など着たる女どものあまた月明きに侍りけるを見て、朝に一人がもとにつかはしける

 これらの歌は男女の仲の進捗段階でいうと、1-2-893歌は前後の詞書が「題しらず」なので次にある情景を記す詞書(1-1896歌)と比較すると恋の進捗段階が同じか逢う前と推測可能です。いずれにしても巻第十三の最初の歌群の歌であろう、と思います。

1-2-906歌の詞書の内容ではまだ一度も逢っていない段階です。そして直前の歌1-2-905歌の詞書は、門前まで行って逢えないで戻るという時点(一度は逢っている仲の時点)を示しており、恋の進捗段階(あるいはパターン)が明らかに異なります。1-2-913歌と1-2-987歌の詞書も同様に直前の歌の詞書とは恋の進捗段階(あるいはパターン)が明らかに異なります。

そうすると、巻十三は、恋の進捗のある断面に関しての歌のみを記載しているのではなく、男女の仲の発端から離別・絶縁までを含んだ挿話を(あるいはモデルパターン別に)並べているのではないか、と推測できます。

 

⑤ また、男女の仲というより友人・上司相当の人との歌の交換にもとれる詞書があります。

1-2-909歌 一条がもとに・・・   一条(京極御息所に仕えていて、後壱岐守の妻となる)

 この歌の返し(1-2-910歌)は伊勢であり、二人とも女性です。

1-2-949歌 左大臣河原に出であひて侍りければ   内侍たひらけい子(内裏女房)

 この歌は、左大臣を河原で目撃したというよりも左大臣家の者が河原で何事かしていたのに遭遇し、職務上知っていたので通り過ぎることをせず挨拶をした歌か、と思えます。推測するに、公式の行事ではなく、水無月の祓の光景などではないでしょうか。

1-2-950歌 大輔につかはしける    左大臣(未詳)

 この歌は、職務上知っている内裏女房である大輔(醍醐天皇の皇子保明親王の乳母か)に贈った歌ではないか。男女の仲における歌という理解より職務に際しての儀礼的な歌の可能性があります。

1-2-952歌 左大臣につかはしける   中務(敦慶親王と伊勢の間の娘。源信明との関係が最も長い。内裏に出仕していたか)

 この歌も、勤務上で知っていた(上司相当の)男への挨拶歌と推測します。

1-2-959歌  御匣殿(みくしげどの)の別当につかはしける  清蔭の朝臣(延長3年(924)臣籍降下。天暦4年(950)没67歳。)

この歌も、職務上知った女に送っている歌と理解できます。また恋の歌とみた場合、初期の進捗段階とは決めかねます。

⑥ また、詞書において、「(人名・職名)につかはす・つかはしける」とある歌は、作者名が男の固有名詞です。 (1-2-950 1-2-952 1-2-953 1-2-959) それに対して、「(女に)つかはしける 」とか「(女のもとに)つかはしける」とある歌は作者名がよみ人しらずです(1-2-926 1-2-946 1-2-988)。

 このことも、職務上で知った女に送っている歌とも理解できる歌を、恋部の歌に援用したのではないか、という推測を助けます。

⑦ このため、巻第十三が、歌群により構成する編纂方針ならば、少なくとも1-2-906歌と1-2-913歌と1-2-987歌で歌群が改まるということを踏まえた男女の仲の挿話(あるいはモデルパターン別)を配列しているとみることができ、詞書のみから、例えば次のような歌群の推測が可能になります。歌群は男からみたケースで整理してみました。

1-2-891歌~1-2-901歌:男のアプローチから逢って後、疑われて女が別れるまで

1-2-902歌~1-2-905歌:逢う仲になってから疑われて女に愛想尽かしれるまで

1-2-906歌~1-2-912歌:逢えない状態から生じる事柄

1-2-913歌~1-2-921歌:初めて逢って後、通うのがままならず別れるまで

1-2-922歌~1-2-930歌:よんどころない事情が生じた場合のなりゆき

1-2-931歌~1-2-942歌:男の心変わりを発端としたなりゆき

1-2-943歌~1-2-954歌:久しく訪れなくなった場合

1-2-955歌~1-2-963歌:相愛と信じている場合

1-2-964歌~1-2-972歌:女が家に入れなくなってから以後

1-2-973歌~1-2-976歌: 通う日に雨となった場合

1-2-977歌~1-2-986歌:別れた相手が気になった場合

1-2-987歌~1-2-993歌:月夜に見染めた女との場合

 

9.後撰集巻十三の歌群の確認例

① 詞書より推測した歌群(のネーミング)を、歌本文でいくつか確認してみます。その際の歌本文の理解は、『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』に原則よっています(次の巻第十四も同じ)。

最初の歌群を確認します。

巻第十三の巻頭歌1-2-891歌の詞書は「題しらず」、次の歌の詞書は「返し」、とあり、歌本文は、「伊勢の海」と「みるめ」を共に用いた男女間の贈答歌と認められます。一組の歌として『後撰和歌集』編纂者がここに配列したのは、歌の趣旨によっているのであろう、と推測します。

あなたを見る機会を得たいという歌に対して、返しの歌はいい加減な人にはその機会がない、と応えています。返事をしたのですから、交際の条件を提示したことになります。二人の文の交換が始まった、とみなせます。

その次の1-2-893歌の詞書からは、今のところその交際の条件を満たすような男ではないものの女はその男に期待をかけており、以下1-1-901歌まで逢って後も期待はずれの男を相手としているとも理解できます。最初の歌群のネーミングで、歌本文の理解が可能です。

② 二番目の歌群は1-2-902歌から始まります。逢うものの「忍びたる人」という限定が、最初の歌群の歌と異なります。1-2-904歌の詞書にいう「つらうなりゆく頃」は疎遠の仲を作者は自覚し、1-2-905歌では相手を拒否してしまいました。しかし1-2-906歌における男女の仲は、逢う以前であり、別の挿話のスタートとなりますので、1-2-905歌までが一つの歌群となるのは歌本体から妥当ではないか、と思います。

③ 一つの歌群の最後の歌とした1-2-942歌と別の歌群の最初の歌とした1-2-943歌の背景も歌本文によればはっきり異なります。1-1-954歌までの女性の歌は、通いが途絶えていることを前提にした歌ととれます。

④ 次に、1-2-955歌は、初句「目もみえず」は「妻もみえず」を掛けていると理解すると、「あなた(妻)が見放したら私はうろうろするばかりだ」と裏切る気持ちがないことを言ったものの、妻に「私以外の方の愛情で十分でしょう」(1-2-956歌)と切り返されています。相愛だと言ったら相愛の相手が違うのでは、と言い返している一組となります。歌群のネーミングの範疇の歌になります。

⑤ 1-2-973歌から1-2-976歌のうち1-2-975歌は、雨の日に援用した歌とみなければならない歌となり、また、歌群のネーミング(「通う日に雨となった場合」)の視点が他の歌群と異なるのが歌本文からは気になります。

⑥ しかし、詞書のみからの歌群のこの並べ方(順番)に対して何の仮説も示せませんでした。

上記8.の②の第七の仮説の立証はできていません。歌本文において「未載の歌」を補って理解するというのは、歌集としてはおかしなことであるかもしれません。同一の語句が連続して歌に登場するところもあり、詞書のほかからも編纂方針を考察する方法がありそうです。上記8.の②の第五にいう編纂方針は不分明のままです。

10.後撰集巻十四の詞書の特徴

①『後撰和歌集』巻第十四恋六の詞書によって、巻第十三と同様な検討をする(付記2.参照)と、次のような歌群を詞書から推測できます。

1-2-994歌~1-2-1002歌:押しかける男の場合

1-2-1003歌~1-2-1011歌:久しく逢っていない場合

1-2-1012歌~1-2-1017歌:なかなか言い出せない男の場合

1-2-1018歌~1-2-1026歌:女に嫌われている場合

1-2-1027歌~1-2-1033歌:男が既にいる女の場合

1-2-1034歌~1-2-1038歌:女が避けようとしている男の場合

1-2-1039歌~1-2-1047歌:したたかな女の場合

1-2-1048歌~1-2-1055歌:再び久しく逢っていない場合

1-2-1056歌~1-2-1066歌:女を捨てた場合

1-2-1067歌~1-2-1074歌:相愛と信じている場合

② 巻第十四の歌本文で、この歌群を検討すると、それぞれは同一の歌群と言えますが、巻第十三と同様に男女の仲の挿話を、何らかの基準で並べている、としか指摘できません。

それでも、詞書のみでも前後の関連を推測する手掛かりにはなる、と思います。

「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただきありがとうございます。

 次回は、『猿丸集』成立以前のもう一つの勅撰集『拾遺和歌集』の詞書を検討したい、と思います。

(2020/2/17 上村 朋)

 

付記1.後撰集巻第十三 恋五の詞書からの検討

表 後撰集巻第十三 恋五の詞書から推定した対の歌と作者の性別及び歌群推測

  (2020/2/17 現在 )

一組の最初の歌番号等の詞書の有無と作者の性別

ペアとなる歌番号等と作者の性別

備考1 

一組の最初の歌の作者からみた相手

1-2-891 題しらず(男)

1-2-892 返し(女)

 

?

1-2-893 詞書有(不定

 無し

「人」は不定

冷淡な人へ

1-2-894 題しらず(不定

 無し

 

1-2-895 詞書割愛(女)

 無し

 

1-2-896 詞書有(男)

 無し

 

怨んできた女へ

1-2-897 詞書有(女)

 無し

 

まだ信頼できない男へ

1-2-898 題しらず(不定

 無し

 

1-2-899 詞書有(男)

1-2-900 返し(女)

 

追い返された女へ翌朝

1-2-901 詞書有(男)

 無し

 

逢ってのち避けている女へ

1-2-902 詞書有(男)

 無し

「人」は女

世間に隠している女へ

未載の歌(女)

1-2-903 詞書有(男)

 

仲が噂になったのに黙っている男へ

1-2-904 詞書有(女)

 無し

 

遠のきはじめた男へ

1-2-905詞書有(男)

 無し

 

追い返された女へ翌朝

1-2-906 詞書有(男)

 無し

 

競争相手には返事したという女へ

1-2-907 詞書有(男)

無し

 

心変わりした女へ

1-2-908 詞書有(男)

無し

今後手紙も遠のく

文通後に親に従った女へ

1-2-909 詞書有(女)

1-2-910 返し(女)

 

逢いたい相手へ

 

未載の歌(女)

1-2-911詞書有(男)

「人」は男

消息ありける返事に

忍んで通っている男へ冷淡にみえる態度で

1-2-912 詞書有(男)

 無し

女つれなし

通っていた女が居留守をつかったので、その女へ

1-2-913 詞書有(男)

 無し

「人」は女

初めて通った女へ翌朝

1-1-914 詞書有(男)

1-2-915 返し(女)

 

通うのを臨時に中止した後女へ

1-2-916 詞書有(男)

 無し

 

通うのをやむを得ず中止していた女へ

未載の歌(女)

1-2-917詞書有(男)

 

急ぐ男へ

1-2-918 題しらず(不定

 無し

 

?

未載の歌(男)

1-2-919 詞書有(女)

 

文をくれた女へ

1-2-920 題しらず(女)

 無し

 

?

1-2-921 詞書割愛(不定

 無し

 

?

1-1-922 詞書有(男)

1-2-923 返し(女)

 

病で通うのをやむを得ず中止しだいぶたってから女へ

未載の歌(不定

1-2-924 詞書有(不定

「人」は不定

 

作者が怨んでいる相手へ

未載の歌(不定

1-2-925 詞書割愛(不定

「人」は不定

作者が怨んでいる相手へ

1-2-926 詞書有(男)

 無し

 

1-2-927 詞書有(男)

 無し

 

事情が生じてあきらめた女へ

1-2-928 詞書有(女)

 無し

 

あきらめてと一旦言った男へ

1-2-929 題しらず(男)

1-2-930 返し(女)

 

?

1-2-931 詞書有(男)

1-2-932 返し(女)

 

文の往来のある女へ

未載の歌(女)

1-2-933 詞書有(男)

 

浮気を疑い男へ

1-2-934 詞書有(女)

 無し

 

遠のきはじめた男へ 扇にかきつけて

未載の歌(男)

1-2-935 詞書有(女)

 

忍んで通っている女へ

1-2-936 詞書有(女)

 無し

 

遠のいた男へ

未載の歌(男)

1-2-937 詞書有(女)

 

親が邪魔をする相手へ

未載の歌(男)

1-2-938詞書有(女)

 

通うのをやむを得ず中止した女へ

1-2-939詞書有(女)

 無し

 

宿泊してほしいのに帰ってしまった男へ

未載の歌(女)

1-2-940詞書有(男)

 

やむを得ず通えなくて久しぶりにきた男へ なじって

1-2-941 詞書有(男)

 無し

 

通うのを女の周りの人が妨げている女へ

1-2-942 詞書有(女)

 無し

 

別の女ができて通うのが遠のいた男へ

1-2-943 詞書有(不定

 無し

「人」は不定

世間に隠れた関係の相手へ

1-2-944 詞書有(女)

1-2-945 返し(男)

「人」は男

地方勤務を機会に都に戻ってからも遠のいた男へ

1-2-946 詞書有(男)

1-2-947 返し(女)

 

?

未載の歌(女)

1-2-948 詞書有(男)

「いふ人」は男

「人も」の人は世間

噂されているから来ないでと男へ

1-2-949 詞書有(女)

 無し

 

外出中に出会った挨拶歌

1-2-950詞書有(男)

1-2-951 返し(女)

 

?

1-2-952詞書有(女)

 無し

 

?

1-2-953 詞書有(男)

 無し

 

?

1-2-954詞書有(不定

 無し

 

贈り物につけた挨拶歌

1-2-955 詞書有(男)

1-2-956 返し(女)

 

最愛の女へ 濡れ衣という

1-2-957 題しらず(男)

1-2-958返し(女)

 

?

1-2-959詞書有(男)

 無し

 

?

1-2-960詞書有(男)

無し

 

相愛の女へ

1-2-961詞書有(男)

無し

 

相愛の女へ

未載の歌(女)

1-2-962詞書有(男)

 

病死すると相愛の男へ

1-2-963詞書有(男)

 無し

「人」は女

年を経て冷たくなったきた女へ 菊につけて

未載の歌(女)

1-2-964詞書有(男)

「人」は女

門前まで行ってから断られた女へ

1-2-965詞書有(男)

 無し

「人」は女

門前まで行ってから断られた女へ

1-2-966詞書有(男)

 無し

「人」は女

文を出すもののらちのあかない女へ

1-2-967詞書有(男)

1-2-968 返し(女)

 

文を出すものの冷淡な応対を続ける女へ

1-2-969詞書有(不定

1-2-970 返し(不定

「人」は不定

返事もくれない相手へ

1-2-971詞書有(不定

 無し

 

文をだし続け3年になった相手へ

1-2-972 題しらず(不定

 無し

 

?

1-2-973 詞書有(不定

1-2-974 返し(不定

「人」は不定あるいは女か

?

1-2-975詞書有(男)

 無し

 

通っていったが門前で断ってきた女へ

未載の歌(男)

1-2-976詞書有(女)

 

門前まで来てこの大雨を理由に通えないと女へ 

1-2-977詞書有(不定

無し

「人」は不定

作者を忘れてしまった相手へ

1-2-978詞書有(不定

1-2-979 返し(不定

「人」は不定(女か)

すっかり忘れてしまっていた相手のところに出向いて

未載の歌(男)

 

1-2-980詞書有(女)

 

昔文を交換していたが思い出してまた文を出したところの女へ

1-2-981詞書有(女)

1-2-982返し(男)

984まで一連

別の男に走ったがまだ未練のある昔男へ

1-2-983詞書有(女)

1-2-984返し(男)

 

別の男に走ったがまだ未練のある昔の男へ

1-2-985詞書有(男)

1-2-986返し(女)

 

思い出して訪ねた後に女へ

1-2-987詞書有(男)

無し

 

見染めた女へ

1-2-988詞書有(男)

無し

 

?

1-2-989 題しらず(不定。 991により男となる)

1-2-990返し(不定。以下の歌により女となる)

993まで一連

?

1-2-991詞書有(男)

1-2-992返し(女)

 

?

1-2-993詞書有(男)

無し

 

 

  • 注1:歌番号等:『新編国歌大観』の巻数-当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号
  • 注2:ペアの歌の判定は詞書(作者名を含む)のみによるので、歌本文を加えた理解と異なる場合が有る。
  • 注3:「一組の最初の歌の作者からみた相手」欄の判定も、歌本文を加えた理解と異なる場合が有る。
  • 注4:「一組の最初の歌の作者からみた相手」欄の「?」は、「女につかはしける」、「右近につかはしける」等男女の仲の進捗の幅が限定できない意を表す。単なる挨拶歌かもしれないし、歌本文次第となる。
  • 注5:詞書が「題しらず」:作者名まで詞書とみて作者名があればそれに従う。「返し」の詞書の直前であればそれに従う(1-2-929、の詞書)。それ以外は不定
  • 注6:詞書が「返し」は、直前の歌の作者と異なる性と推定する。
  • 注7:詞書が「・・・返事に」で終わる場合は、後撰集未載の歌の返歌とみて、その未載の歌とペアと整理した。(1-2-911, 1-2-924,詞書割愛の1-2-925の3首の詞書) 次の場合も同じ。

詞書が「言ひだしたりければ」で終わる場合(1-2-964の詞書)

詞書が「言ひだして侍りければ」で終わる場合(1-2-917、の詞書)

詞書が「・・・返り事につかはしける」で終わる場合(1-2-919、の詞書。ただし1-2-931を除く)

詞書が「・・・など申たりければ」で終わる場合(1-2-933)

詞書が「・・・消息つかはしたりければ」で終わる場合(1-2-935)

詞書が「・・・とぶらひて侍りければ」で終わる場合(1-2-980)

 

  • 注8:詞書が「女(のもと)につかはしける」で終わる場合は、恋の状況が不明だが、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-926,1-2-946,1-2-988,の詞書)
  • 注9:詞書が単に「(人物名または人)につかはしける」で終わる場合は、恋の状況が不明だが、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-950,1-2-952,1-2-953,1-2-959,1-2-960,1-2-973,の詞書)
  • 注10:詞書が「忍びたる人につかはしける」で終わる場合は、まだ逢えていない状況だが、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-902,の詞書) 詞書が「忍びたる人に」で終わる場合も、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-943,の詞書)
  • 注11:詞書中の「消息」(しょうそこ)の意は、伝言あるいは手紙(1-2-911の詞書),伝言(1-2-931の詞書),来意を告げること(1-1-935の詞書)、と理解した。

   ・注12:備考欄の「人」とは詞書にある文字であり、ペアの歌の詞書を参考に性別を判定した。

付記2.後撰集巻十四の詞書による検討

表 後撰集巻第十四 恋六の詞書から推定した対の歌と作者の性別及び歌群推測

 (2020/2/17 現在)  

 

 

一組の最初の歌番号等の詞書の有無と作者の性別

ペアとなる歌番号等と作者の性別

備考1 

一組の最初の歌の作者からみた相手

1-2-994 詞書有(不定)

1-2-995 返し(不定

 

1-2-996 詞書有(男)

 無し

 

一方的に行き語りあかしただけの翌朝女へ

1-2-997 詞書有(男)

1-2-998 返し(女)

「人」は女

1-2-999 詞書有(男)

1-2-1000 返し(女)

 

断られた後だいぶたってからまたその女へ

1-2-1001 詞書有(女)

1-2-1002 返し(男)

 

言い寄ろうと頻繁に来る男へ 人の目を気にして

1-2-1003 詞書有(女)

1-2-1004 返し(男)

 

久しく訪れない男へ

1-2-1005 詞書有(女)

 無し

 

逢って後門前を通るだけになった男へ

未載の歌 (男) 

1-2-1006 詞書有(女)

逢って後に

文を2年もやらずにいた女へ

1-2-1007題しらず(不定

 無し

 

1-2-1008 詞書有(男)

 無し

 

なかなか先にすすませない女へ

未載の歌 (男)

1-2-1009詞書有(女)

女の返事

すでに親しい男がいる

女へ、それをしらずに

未載の歌 (女)

1-2-1010 詞書有(男)

 

忍んだ関係にある男へ(催促する)

未載の歌 (男)  ??

1-2-1011 詞書有(女)

 

途絶えていたが雨の日傘を貸せと女へ

1-2-1012 詞書有(男)

 無し

 

初めて文をわたす女へ

未載の歌(女)

1-2-1013 詞書有(男)

 

自分から途絶えさせておいてまた文をよこした男へ 飛鳥河のこころをいう

1-2-1014 詞書有(男)

1-2-1015 返し(女)

 

思い(火)を募らせている女へ

1-2-1016 詞書有(女)

 無し

1-1-937参照

親にとめられ前に進めない言い交した男へ

1-2-1017 詞書有(男)

 無し

「人」は男

 

密かに思っている同僚の女へ(落とし物として)

未載の歌 (女)

1-2-1018詞書有(男)

 

人目を理由に断った男へ

1-2-1019題しらず(不定

無し

 

1-2-1020詞書割愛(不定

無し

 

1-2-1021詞書割愛(不定

 無し

 

1-2-1022 詞書有(男)

 無し

 

結局他の男をとった女へ

1-2-1023 詞書有(不定

 無し

1-1-954参考

別れていった相手へ

預かっていた笛とともに

未載の歌 (女)

1-2-1024 詞書有(男)

 

菅原大臣家に居た自分に仲がたえていた男が文をくれたので

1-2-1025 詞書有(女)

1-2-1026 返し(男)

 

嫌っているのに言い寄ってきた男へ 

1-2-1027 詞書有(男)

 無し

 

挨拶歌か

1-2-1028 詞書有(男)

 無し

「人」は男

言い寄る男がいるという

女へ

1-2-1029詞書有(女)

1-2-1030 返し(男)

 

雨の日呼んだけれど来なかった男へ

未載の歌(女)

1-2-1031詞書有(男)

 

期待をちらつかせて男へ

1-2-1032詞書有(女)

 無し

 

密かに逢っている男から来ると言ってよこしてこなかったので

未載の歌 (女)

1-2-1033 詞書有(男)

 

関係を公にするなと男へ

1-2-1034 詞書有(男)

1-2-1035 返し

「人」は女

宇多院に出仕していて返事をよこさない女へ

1-2-1036 詞書有(男)

 無し

「人」は女

冷酷な女へ

1-2-1037 詞書有(男)

 無し

 

立ち寄ったら逃げて逢わない女へ

1-2-1038 詞書有(男)

 無し

 

通っていたが逢わなくなった女へ

1-2-1039 詞書有(男)

 無し

 

初めて逢って翌朝に女へ

1-2-1040 詞書有(女)

1-2-1041 返し(男)

 

訪れが途絶えてしまった男へ

1-2-1042 詞書有(男)

1-2-1043 返し(女)

 

訪ねたら男がいた女へ、帰って後

1-2-1044 詞書有(男)

 無し

「人」は女か

1-2-1045 詞書有(女)

 無し

「人」は男

話し相手の状況から先に進まない男へ

1-2-1046 詞書有(男)

1-2-1047 返し(女)

 

逢った後に女へ

未載の歌(男)

1-2-1048詞書有(女)

 

予定を女に伝えて(結局行けかなかった)

1-2-1049 詞書有(女)

 無し

 

久しく通ってこない男へ

1-2-1050 詞書有(男)

1-2-1051 返し(女)

「人」は女

誘ってきた久しく通っていない女へ

1-2-1052詞書有(男)

1-2-1053 返し

 

同室している女へ

1-2-1054詞書有(女)

 無し

 

夏の装束を送るついでに 男への挨拶歌

未載の歌(男)

1-2-1055詞書有(女)

「人」は男

久しく通っていない女へ今夜行くと言う( しかし行けなかったので返歌あり)

1-2-1056 詞書有(男)

1-2-1057 返し

「人」は女

最初はダメになり別の女と仲良くなって後最初の女へ 改めて扇につけて

1-2-1058 詞書有(不定

無し

「人」は不定

逢うことに至らず忘れられた相手へ

1-2-1059題しらず(不定

無し

 

1-2-1060詞書割愛(不定

無し

 

1-2-1061詞書割愛(不定

無し

 

1-2-1062 詞書有(不定

無し

「人」は不定

頼りにしていた相手へ

1-2-1063 詞書有(男)

無し

 

1-2-1064題しらず(不定

無し

 

1-2-1065詞書割愛(不定

無し

 

1-2-1066詞書割愛(不定

無し

 

未載の歌(女)

1-2-1067詞書有(男)

 

浮気の疑いのあの男へ

1-2-1068詞書有(女)

無し

 

十月降雪ありしとき久しく通ってこない男へ

1-2-1069詞書有(女)

無し

 

十月に 挨拶歌

1-2-1070詞書有(男)

1-2-1071 返し(女)

 

怨んで親元に戻った女へ 雪の翌日迎えの車につけて

1-2-1072詞書有(男)

1-2-1073 返し(女)

 

逢い難い状況の相思の女へ 雪の降る日

1-2-1074詞書有(男)

 無し

 

12月31日に女

  • 注1:歌番号等:『新編国歌大観』の巻数-当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号
  • 注2:ペアの歌の判定は詞書(作者名を含む)のみによるので、歌本文を加えた理解と異なる場合が有る。
  • 注3:「一組の最初の歌の作者からみた相手」欄の判定も、歌本文を加えた理解と異なる場合が有る。
  • 注4:「一組の最初の歌の作者からみた相手」欄の「?」は、「女につかはしける」、「人(女)のもとにつかはしける」等男女の仲の進捗の幅が限定できない意を表す。単なる挨拶歌かもしれないし、歌本文次第となる。ただし「返し」の歌があれば、「逢って後」とする。
  • 注5:詞書が「題しらず」:作者名まで詞書とみて作者名があればそれに従う。「返し」の詞書の直前であればそれに従う。それ以外は不定
  • 注6:詞書が「返し」は、直前の歌の作者と異なる性と推定する。
  • 注7:詞書が「・・・返事に」で終わる場合は、後撰集未載の歌の返歌とみて、その未載の歌とペアと整理した。また、つぎのような詞書も同じように整理した。

「・・・いひて、まかりけるに(送った)」(1-2-1006,の詞書)

「・・・といひて こざりければ」(1-2-1048の詞書)

「・・・返事につかはしける」(1-2-1009の詞書)

「・・・いひて侍りければ」(1-2-1018の詞書)

「・・・とひて侍りければ」(1-2-1024の詞書)

「・・・をこせて侍りければ」(1-2-1031の詞書)

「・・・といへりければ」(1-2-1033の詞書)

「・・・と申て、こざりければ」(1-2-1055の詞書)

「・・・と女のいひたりければ、つかはしける」(1-2-1067の詞書)

「・・・と申たりければ」(1-2-1010の詞書)

「・・・をいひつかはして侍りければ」(1-2-1013の詞書)

・注8: 詞書が「女(のもと)につかはしける」で終わる場合は、恋の状況が不明だが、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-997, 1-2-1046, 1-2-1063,の3首の詞書)

・注9: 詞書が単に「(人物名または人)につかはしける」で終わる場合は、恋の状況が不明だが、ペアの最初の歌の詞書と整理した。(1-2-997, 1-2-1012,1-2-1044,の3首の詞書)

・注10: 備考欄の「人」とは詞書にある文字であり、ペアの歌の詞書を参考に性別を判定した。

・注11:「いひわぶ」とは動詞「いふ」+補助動詞「わぶ」なので、「言い寄るのがたやすくできなくて困る」即ち「文を渡そうにもなかなかできなくて」の意(1-2-1006,1-2-1008, の詞書)

・注12: 「いひわづらふ」とは、「言い寄るのが面倒になる」の意(1-2-1013,1-2-1056の詞書)

・注13: 「頼めたりける人」とは、下二段活用の動詞「頼む」連用形+完了の助動詞「たり」連用形+回想の助動詞「けり」+名詞「人」。その意は「約束をして頼みに思わせていたのだった相手」。(1-2-1062 の詞書)

(付記終り 2020/2/17   上村 朋) 

わかたんかこれ 猿丸集の類似歌は千里集にあるかその2

前回(2020/2/3)「わかたんかこれ  猿丸集の類似歌は千里集にあるか」と題して記しました。今回はその続きです。(上村 朋)

 

1.~4.承前

(以前、2018/12/17付けのブログ「わかたんかこれ猿丸集 類似歌のことなど」で、類似歌という呼称への反省のほか『千里集』について、「『猿丸集』を編纂する者がいた時代の産物として『千里集』があり得るという仮説を否定できる根拠がまだ見つかりません」、と記した。前回、官人としての漢文の素養、五位という官位、古今集の元資料の役割より検討したが、上記の仮説は成立可能であった。)

5.『古今和歌集』にある千里作の1-1-998歌の詞書の理解

① 今回は、前回指摘した残りの視点、『古今和歌集』にある千里作の1-1-998歌の詞書の理解と、『赤人集』の成立時点について検討します。

 1-1-998歌の詞書に、「寛平御時たてまつりけるついでにたてまつりける」とあります。作者名は大江千里です。『古今和歌集』の詞書の書式からは、この詞書は次の歌1-1-999歌の詞書でもあります。その作者名は、ふじはらのかちをむです。

 「たてまつる」と「ついで」の意味するところを確認します。

② 『古今和歌集』において、詞書に、天皇の下命に応じて「たてまつる」とある歌は、この2首のほかに、次のように7首あります。、

1-1-25歌  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる  つらゆき

1-1-59歌  歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる  つらゆき

1-1-177歌 寛平御時、なぬかの夜うへにさぶらふをのこども歌たてまつれとおほせられける時に、人にかはりてよめる  とものり

1-1-279歌 仁和寺にきくのはなめしける時にうたそへてたてまつれとおほせられければ、よみてたてまつれる  平さだふん

  1-1-310歌 寛平御時ふるきうたたてまつれとおほせられければ、たつた河もみちばながるといふ歌をかきて、そのおなじ心をよめりける  おきかせ

1-1-342歌 歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつれる  きのつらゆき

1-1-1000歌 歌めしける時にたてまつるとてよみて、おくにかきつけてたてまつりける  伊勢

③ このうち、「歌たてまつれと(おほせられ)」とあるのは、「歌を作れ」という下命の意であり、「歌集として提出せよ」ということに限定されていないと理解できます。誰の下命かというと、諸氏は、時点の表示がない歌はこの『古今和歌集』編纂時点をさし、「寛平御時」と明記ある歌と比較しても、今上天皇醍醐天皇)と理解しています。

私は以前、1-1-25歌と1-1-59歌の元資料を推測しました(付記1.①参照)。『貫之集』にもありませんが、その歌の性格は下命の歌で(一群の)屏風歌(のひとつ)ではないか、と推測しました。

「歌」が屏風歌を指すならば、1年(12か月)分の歌を一組として何人かに競わせるべく天皇は下命していると推測できます。下命に応じて作詠した一組の中にある1首が1-1-25歌であり、1-1-59歌であると理解できます。下命は歌を必要とする天皇のご趣旨に添う一組の歌となっているはずです。1-1-25歌と1-1-59歌はそのうち春を詠っているものです。1-1-342歌も下命に応えた一組の歌の中の1首です。

④ そして、1-1-177歌は、殿上人が、各人少なくとも1首をたてまつった際のものと理解するのが妥当であろうと思います。その1首を友則が代作したものです。誰の下命かというと1-1-25歌などと同じ詞書の書き方なので、今上天皇醍醐天皇)です。(紀長谷雄の詩序に「九日侍宴観賜群臣菊花応製」があります。陰暦九月九日の重陽節句の行事のときの詩序です。)

 1-1-279歌は、「めしける菊」に添えた歌です。その菊は作者がたてまつった総体を指していると思います。一鉢かあるいは複数の菊からなる一組なのかは不明ですが、多数の官人から菊をめした時の歌であり、添えた歌は官人一人について多分1首であろうと推測します。

詞書にある仁和寺宇多天皇が創建した寺であり、そこを住居としていたのは退位された天皇宇多天皇)です。菊を「めした」のは今上天皇醍醐天皇)ではありません。

1-1-310歌は、「ふるき歌たてまつれ」との下命に、1首だけ「たてまつり」、その同じ心を読んだ歌という理解になります。たてまつった歌と詠んだ歌とは共に1首です。下命された天皇は、詞書に寛平御時とありますから、宇多天皇在位の時となります。

1-1-1000歌の「歌めしける時にたてまつる」とは、「おくにかきつけて」と1-1-1000歌を紹介していますので「歌」は、1首ではなく複数(それも多数)を指していると思われます。

この7首において、「歌」に「歌集」という可能性のあるのは1-1-1000歌の詞書であり、この詞書だけ「歌めしける」と表記されているところです。

⑤ 次に、「ついでに」と詞書にあるのは、

1-1-238歌  寛平御時・・・みな歌よみけるついでによめる  平さだふん

1-1-248歌 仁和のみかど・・・おほむ物がたりのついでによみてたてまつりける  僧正 遍昭

1-1-255歌 貞観の御時・・・うへにさぶらふをのこどものよみけるついでによめる  藤原かちおむ

と3首あり、みな、当該1首を詠んだ状況を指しているとみられます。

⑥ これらから、1-1-998歌および1-1-999歌の詞書にある最初の「たてまつりける(ついで)」とは、「下命された天皇宇多天皇)のご趣旨に添う歌を奏上する機会があった(がそのついで)」、という理解となります。

二つ目の「(ついでに)たてまつりける」とは、「(下命のご趣旨に添う歌を奏上にあたり、奏上という栄誉を得たことに関して礼にはずれない範囲で別途詠んだ歌をもお目に留まるように)書き付けさせていただいた」、の意となると思います。その書き付けた歌が、この1-1-998歌および1-1-999歌となります。

⑦ 1-1-1000歌の詞書には「おくにかきつけて」とあり、下命された天皇(この場合は今上天皇)のご趣旨に添う歌のほかに詠んで奏上した歌が、この1-1-1000歌である、と詞書に記した、と理解できます。

1-1-998歌以下3首は、そうすると、下命された天皇のご趣旨に添う一連の歌の奏上にあたり詠んだ、別の意を含む歌であることとなります。下命された天皇のご趣旨に添うその一連の歌には序を付けていたかもしれませんが、改めて挨拶歌という性格の歌を最後に添えるというスタイルが当時出来上がっていたのかもしれません。それほどに下命の頻度があった(例えば屏風歌、歌合、菊合等における添え歌)と推測したところです。挨拶歌は通常1首であろうし、官位昇進を念頭とした陳情ベースの歌としか理解できない歌を添える可能性は無い、と思います。

⑧ 『古今和歌集』の編纂の資料としての歌集提出の下命は、『古今和歌集』の仮名序によれば、今上天皇醍醐天皇)の下命です。1-1-998歌と1-1-999歌の詞書と1-1-1000歌の詞書との違いは、下命される天皇が異なることをはっきり示しています。前者の2首の詞書は、今上天皇ではなく、寛平という年号からは前代の天皇宇多天皇)の下命、後者の1首は今上天皇醍醐天皇)の下命、ということになります。

 だから、この3首は、単に「歌集・家集献上のついでの歌」という限定があるとは思えません。

⑨ 下命には、それとわかる天皇のご趣旨があります。例をあげれば、和歌集編纂の資料とか賀の席のための屏風新調とかです。また特定の官人に限定する理由も必要でしょう。この3首は作者名とこれらの詞書で適切なご趣旨のあったことは推測できます。紀貫之の『新撰和歌』も序と比較すると、奏上する書の序に、直接伝えてくれた人の名を省いている理由がわかりません。千里に本当に下命があったかについて、『千里集』の序はわざわざ不明瞭にしていることになります。

⑩ 竹岡氏は、次のように指摘しています。

・997歌~1000歌は、一類の歌であり、勅撰集のしめくくりの歌である。

・998歌は、詩経の文句をうまく(歌の)本文としつつ活かしているところにこの歌の趣がある。(付記2.参照)

・この1首(998歌)が、自分の和歌のことを詠んでいると解すれば、五句「きこえつかなむ」は、天聴に達してくれよの意。(それにしても)「きこえつく」は漢文訓読臭のする言い方である。

・(998歌の作者は)どうぞ自分の官位の遅滞を帝に取り次ぎ訴えてほしいと懇願した歌を添えるような厚顔無恥の作者ではない。諸注の解釈はきわめて下劣で卑しい。個人の歌集についてまことに拙いものだがどうぞ天聴に達しますようにという気持ちを添えて帝への挨拶としている。

・999歌も・・・官位昇進をひそかに懇請した歌などでは決してない。どうぞ帝のお目にとまり和歌として私の詠出している気持ち(和歌の意味)も理解していただければよいのだが何しろ拙い歌なので(歌で詠ったように)春霞がかかっているように十分御理解いただけないだろうが、という心理の歌である。

⑪ 私も同感です。

下命に応えた一連の歌の読者は、下命した天皇御一人と以前指摘しました(付記1.②参照)。

そうであるからこそ、引用する詩文は正確を期し、漢文の序はその後官人の批判に耐えるものとするのが奏上する場合の原則であり、そうしてこそ官人として能力を十分アピールすることができます。

そのように読む立場(の天皇天皇を輔弼する者)からすれば、『千里集』は、例えば原拠詩が推測できない詩文の一句を「古句」と称しているのはまったく漢文の素養を疑うことになります。

⑫ なお、竹岡氏は、千里の教養・行政の感覚については、私と同様に常識あるものと理解していると思います。1-1-998歌の詞書に、氏は歌集の献上を想定しているようですが、単数あるいは複数の歌の可能性のほうが高い、と私は思います。

官位の低い貫之や千里が常に任官あるいは昇進を望んでいるのは当然のことです。当時の昇進手続きと実態を知らないわけではない二人は、厚顔無恥ととられるような行動はしない、と思います。

最初の勅撰集である『古今和歌集』記載の1-1-998歌は、元資料において挨拶歌の類であったのが『千里集』においては下命の趣旨に合致すべき位置の配列にある3-40-121歌なのです。

即ち、3-40-121歌は、その1首だけが独立しているような体裁で記載されてはおらず、最後の部立である「詠懐」の10首中の5首目あり、この歌が最後に記されているのでもないので、『千里集』という奏上するスタイルをとっている歌集に添えた「挨拶歌」ではなく、奏上する歌集の一部を成しています。1-1-998歌の詞書にある「ついでに」という歌として配列すべき歌ではありません。これから『千里集』が献上された、ということが疑わしいことになります。献上用に用意した素案段階の歌集が現在まで残ったと仮定してもおかしいのは同じです。

1-1-998歌の詞書にいう「寛平御時たてまつりける」という一連の歌が、『千里集』を指すという推測は成り立たず、この詞書は『千里集』と無関係なものである、と言えます。

1-1-998歌の詞書は、寛平御時に何回か歌を「たてまつる」チャンスがあったとき、その挨拶の歌として詠んだ歌、ということを記している文章という理解が妥当です。1-1-999歌の場合も同様です。

 

6.『赤人集』の成立時点

① 『新編国歌大観』は、『赤人集』の底本に西本願寺本(その冒頭116首の大半が『千里集』に一致し、117首目からが萬葉集巻十の平仮名本)を採用しています。また、その解題では、成立時期に触れていません。

② 『赤人集』の伝本には『千里集』記載の歌がないものもあります。

 西本願寺本の『千里集』は、萬葉集由来の歌群(A)と『千里集』の詞書のない歌の歌群(B)から成っていることになります。歌群(B)は一括してまとまってありますので、歌群(A)と別々に成立して合体したものと思われます。歌群(A)は、いつ成立したのかはわかりません。『千里集』との関係では歌群(B)とどちらが先に成ったか、ということになります。

なお、『猿丸集』の成立時点は、前回のブログの「1.②」に述べたように『新編国歌大観』の解題に基づき、藤原公任の『三十六人撰』の成立(1006~1009年頃)以前に成ったと今仮定しています。

③ 赤人は、その藤原公任の『三十六人撰』の一人です。『三十六人撰』で、古い時代の人物は、猿丸大夫大伴家持山部赤人柿本人麻呂が、撰ばれています。この4人の名を冠した歌集を現在みることができますが、みな(今日から見ると)本人の歌より他人の歌が多数あり、そして他薦集と言われています。ほかの32人の名を冠した歌集は、勅撰集から作者名を明らかになっている歌を採るなどして本人の歌が多くあり、自薦集よりも他薦集が多く各歌集の成立はほとんど本人の死後ということになります。

 『三十六人撰』の古い時代の人物4人が詠作した(と称する)歌を、『猿丸集』や『赤人集』などが成立以前に当時の官人が知るには、『萬葉集』(とその解読書の類の書物)か、官人が愛唱し記憶してきた「よみ人しらず」の歌の中に探すしか方法がありません。後者が歌群(B)の元資料になっていることになります(『萬葉集』記載の歌を除きます)。官人の愛唱歌には宴の席でも朗詠してもおかしくない官人の処遇を隠喩としてもつ歌も多くあったことと思います。

さらに言えば、現存の4人の歌集には、編纂した者が4人に代わって詠んだ歌が含まれていてもそれをはっきりと指摘するのは大変難しい、と言えます。

猿丸大夫の歌は『萬葉集』に皆無であり、赤人の歌は、『萬葉集』において家持と比べて少なく、歌集としての体裁を他薦者が考慮すれば、時代のさがる猿丸大夫の歌集は『古今和歌集』記載のよみ人しらずの歌も模索できるかもしれませんが、時代が遡る赤人の歌集は苦労したのではないか、と推測します。そのため西本願寺本の『赤人集』は明らかに別々の元資料によっている歌群(A)と歌群(B)からなるようになったのではないか、と思います。

④ さて、西本願寺本の『赤人集』と『千里集』の関係です。『赤人集』は歌群(A)と歌群(B)に分けて検討することとします。歌群(B)と『千里集』の成立の前後関係は、

歌群(B)が先行して成立

歌群(B)と『千里集』が同時に成立(編纂者が同一グループ)

歌群(B)より『千里集』が先行して成立

の3ケースに分けて検討します。

西本願寺本の『赤人集』と『千里集』各々の編纂者がそれぞれ独自に歌群(B)相当の歌を収集したというケースの想定は、これだけ歌が一致していることから不自然です。

『千里集』は、その序を信じれば寛平年間に成立しているので、歌群(B)がすでに成っていたとすると、千里は、人の歌を自分の作と偽っていることになり、これは官人として取るべきことではあり得ません。「歌群(B)が先行して成立」というケースなどではなく、「歌群(B)より『千里集』が先行して成立」というケース、すなわち歌群(B)は、『千里集』が元資料となります。作者名がはっきりしている歌を『赤人集』の一部にする、というのは不自然なことです。結局、序の信じるのが誤りとなります。

⑤ その序を信じなければ、『千里集』は『古今和歌集』記載の千里の歌すべてを記載しないという自薦集というのも不自然であり、千里死後に成ったある意図を持った他薦集ということになるのではないでしょうか。その場合、上記の3ケースに可能性があります。

歌群(B)も元資料の歌は当時の官人か先輩官人の作であり、多くの作者の歌です。官人は、和歌を詠むのに漢詩の詩句を十分利用しています。利用したであろう漢詩を類推することも多くの官人にできることです。歌群(B)の和歌をベースに、関係ある有名な漢詩文の句(あるいは有名な漢詩の句に似せた句)を添えることも容易であったろうと思います。

官人が愛唱歌集のひとつを作る場合に、利用した漢詩を明記などしないでしょう。その歌集が歌群(B)であるならば、その各歌に利用した漢詩を明記する歌集としようとするとき、作者を誰かに仮託するのが一方法です。

さらに、歌群(B)の配列が『千里集』の歌の配列とほぼ同じであるならば、同一人物(グループ)による編纂によりこの二つの歌集は成った、という推測も可能です。

先の3ケースのうち「歌群(B)が先行して成立」と「歌群(B)と『千里集』が同時に成立(編纂者が同一グループ)」のケースが該当します。

赤人のための萬葉集歌中心の雑纂集の試みと官人の特定の愛唱歌の抜粋集はそれぞれ別々に(一度に成ったかどうかは別にして)編纂され、それがある時期に合体して西本願寺本『赤人集』になり、元々漢詩由来の歌であるとも主張し得る愛唱歌の抜粋にあたり、『新撰萬葉集』という前例にならったのが『千里集』ではないか、という推理です。大江千里という恰好の人物が実在しており、大江千里作の「池亭会序」が既に世に知られていたのならさらに好都合です。

⑥ 『赤人集』と『千里集』の関係の検討で、しかしながら『赤人集』の成立時点は限定できませんでした。

この推測を、全面的に否定する資料も持ち合わせていないところです。

(なお、歌群(A)は『千里集』に関係なく編纂できるので寛平年間以前に成立している可能性もあります。)

⑦ なお、『千里集』には、『古今和歌集』では作者がよみ人しらずの歌となっている1首があります。これは古今集編纂者が、千里の作と認めていないということであり、その歌を千里の歌として『千里集』に記載しているのですから、他薦集である『千里集』が『古今和歌集』以後に成った証左とも言えます。

 『古今和歌集』にある10首をその他の歌集と比較すると、つぎのとおりです。古今六帖との照合をしてみました。

表 古今集大江千里作と明記されている歌と『千里集』との関係(2020/2/10現在)

 古今集で千里作と明記ある歌

 左の元資料候補

参考:古今六帖にある同一の歌

歌番号等

古今集での詞書

千里集

その他の元資料

1-1-14

題しらず

無し

寛平御時后宮歌合(5-4-22)&新撰萬葉集(2-2-261)

(2-4-32):第一 歳時の「む月」の題で

1-1-155

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

無し

古今集の詞書によれば寛平御時后宮歌合

(2-4-4256):第六 木の「たちばな」の題で

1-1-193

これさだのみこの家のうたあはせによめる

無し

古今集の詞書によれば是貞親王家歌合

(2-4-301): 第一 歳時・天の「秋月」の題で

1-1-271

寛平御時きさいの宮のうたあはせに

無し

寛平御時后宮歌合(5-4-101) &新撰萬葉集(2-2-351)

(2-4-3753): 第六 草の「きく」の題で

1-1-467

ちまき

無し

 

無し

1-1-577

題しらず

無し

 

無し

1-1-643

題しらず

無し

 

(2-4-2586): 第五 雑思の「あした」の題で

1-1-859

やまひにわずらひ侍りける秋、・・・つかはしける

無し

 

無し

1-1-998

寛平御時たてまつりけるついでにたてまつりける

有り(3-4-121)

昔詠進した際の歌

赤人集

(525): 第一 天の「雲」の題で

1-1-1065

題しらず

無し

 

無し

 

有り1首

 

有り6首

参考

1-1-185

題しらず

有り(3-4-38)

 

無し

注1)歌番号等:『新編国歌大観』における巻番号―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)『新編国歌大観』の『千里集』の底本は異本系統の宮内庁書陵部本である。

注3)『古今六帖』は、『新編国歌大観』によれば、「『萬葉集』から『後撰和歌集』の頃までの歌」よりなる類題和歌集であり、その成立は、「兼明親王あるいは源順を編者に想定し、貞元・天元(976~982)頃が有力」である。

注4)『後撰和歌集』に作者名が大江千里の歌は2首(1-2-222歌と1-2-1115歌)ある。恋歌2首でありともに『千里集』に記載はない。また『拾遺和歌集』に作者名が大江千里の歌は無い。

 

⑧ 仮名序を信じれば、古今集編纂者が、自身の歌以外に下命により提出された歌以外を含めて編纂したと積極的に主張できません。古今集編纂に必要な歌があれば、官人である古今集編纂者は、改めて提出するよう下命を上申して合法的に歌を入手し、手続きの正当性と公平さを守り編纂できる立場にいましたから。

『千里集』は存在したとしても編纂対象の歌集とは言えません。

 それに対して「赤人集」は追加が可能である状況で伝えられていたと思います。

 

7.今回の結論

① 今回、『猿丸集』が『新編国歌大観』の解題に基づき、藤原公任の『三十六人撰』の成立(1006~1009年頃)以前に成ったと仮定して、『千里集』に関して5点の検討を行ってきました。

② どの検討でも、『千里集』は、千里死後成立した他薦集というのが結論となりました。

その成立時期は、藤原公任の『三十六人撰』の成立(1006~1009年頃)以前という仮定を正すものではありませんでした。ただ、『古今和歌集』以後であろうと推測できました。しかし、『猿丸集』の類似歌であるかどうか(どちらが先に成立したか)はあいまいのままに終わりました。

③ さて、次回は、『猿丸集』の詞書のための三代集の詞書の検討にもどります。

ブログ「わかたんかこれ猿丸集・・・」を、ご覧いただきありがとうございます。

(2020/2/10  上村 朋)

付記1.これまでの検討例

① ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂」(2018/9/24付け):「表 古今集巻第一春歌上の各歌の元資料の歌の推定その1 (2018/10/1 現在)」 

② ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」(2018/12/3付け):「7.⑧」

③ 同上ブログ(2018/12/3付け):「7.②~⑥」

 

付記2.詩経にある句は、『詩経』の「小雅」の「鴻鴈之什」の詩「鶴鳴」にある。つぎのとおり。

「鶴鳴九皐 聲聞干天」 (曲がれる沢に鶴は鳴き、その鳴き声は天にもとどく)

(付記終わり 2020/2/10   上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集の類似歌は千里集にあるか

後撰集の詞書の検討にもう少し時間を要することとなりました。そのため、以前(2018/12/17付け)「わかたんかこれ猿丸集 類似歌のことなど」と題したブログで、類似歌という呼称への反省のほか『千里集』について、「『猿丸集』を編纂する者がいた時代の産物として『千里集』があり得るという仮説を否定できる根拠がまだ見つかりません」、と記しましたが、その補足をしたい、と思います。

猿丸集の類似歌とは、猿丸集成立以前に既に詠われていたことが確実な歌で、猿丸集記載の歌に大変良く似ている歌を総称して私が用いていることばです。この問いのポイントは、『千里集』の成立時点です。なお、これまでの検討で『猿丸集』にあるすべての歌はその各々の類似歌と理解が異なっていました(上村 朋)。

1.『猿丸集』の成立時点の仮定

① 『千里集』にある歌1首を『猿丸集』の第37歌の類似歌として、一度検討しました。その結果、下命により献上したと序に記してある『千里集』の漢文は、官人として必要な漢文の素養を想定すると、序は不正確な引用など拙すぎる点から、900年前後の官人である千里自身の体面が保たれているかに疑いが生じ、『千里集』の編纂時点(と編集者)への疑問を上記の2018/12/17付けブログで指摘したところです(そのほか付記1.参照)。

② 『千里集』が、『猿丸集』成立以前に(他薦であろうと自薦であろうと)成立しているかどうかは、『猿丸集』の成立時点との比較を要します。『猿丸集』の成立を、今は、『新編国歌大観』の解題に基づき、藤原公任の『三十六人撰』の成立(1006~1009年頃)以前に成ったと仮定して、以下の検討を進めることとします。

③ 「1006~1009年頃」とは、『新編国歌大観』に従えば勅撰集の『後撰和歌集』(奥書より天暦5年(951)以後の成立)より50年以上たち、『拾遺和歌集』の成立(寛弘2年か3年(1005~1006))直後という時点です。なお、『拾遺抄』は、詞書や作者名表記から帰納し、同上の解題には長徳3年(997)成立とあります。

1000~1010年の間は、『枕草子』ついで『源氏物語』が成立しており、995年内覧の宣旨を賜った藤原道長は一上(いちのかみ 首席の官人)として活躍し、995年から付け始めた日記『御堂関白記』を継続しています。

④ 今回の検討は、次のような点から行おうと思います。

第一 『千里集』の作者の漢文

第二 『千里集』の序の日付と千里の官位の関係

第三 『千里集』は『古今和歌集』の元資料か

第四 『古今和歌集』にある千里作の1-1-998歌の詞書の理解

第五 『赤人集』の成立時点 

2.『千里集』作者の漢文の能力

① 大江千里には 「親王家 三月三日吏部王池亭會(割注して「十四首幷序」)」と題する漢文が残っています(東京大学史料編纂所蔵『扶桑古文書』 以下「池亭会序」という)。これにより、『千里集』の序の作者の漢文の素養について補足します。

② 『私家集全釈叢書36 千里集全釈』(風間書房 2007 平野由紀子・千里集輪読会)では、それを、「和歌序」と称しています。

山本真由子氏も「和歌序」と称して、論文「平安朝の宴集における序と詩歌」(2015/3)で触れています。

「池亭会序」の表現の特徴として、氏は、「白居易の詩から学んだ語を用いる一方で漢語を日本における意味・用法で用いていること、表現の発想には和歌と共通する点が見られること」を指摘しています。氏は、「このような表現は、和歌の表現や内容に沿う漢文で歌会の様子を記し、和歌に冠するに適した序を書こうという意図のもとに創造されたのではないか」とも指摘しています。

③ 漢文の類型としての「序」について、確認を最初にします。

岡村繁氏は「世上の読者を対象とするもの」(『新釈漢文大系 第97巻 白氏文集一』(岡村繁 明治書院 2117/5)54p)であり、「序文を言い、作品の主旨や著作の経緯を述べる文体(をさす)。唐宋以後は、送別・贈言の文も序と称する」(同第106巻251p)と指摘しています。

武田晃氏は『文選』の「文章篇」の「序類」の解説において、「もともと順序だててものごとを述べることを序と称したことにはじまる。書物全体のはしがきのこと。」と説明し、呉納『文章弁体序説』より次の文を引用しています。すなわち、

「爾雅に云ふ序は諸なりと。序の体、詩の大序に始まる。・・・其の言の次第に序有り、故に之を序と謂ふなり。東萊云ふ、凡そ文籍に序するに、当に作者の意を序すべし。贈送燕集等の作の如き、又当に事に随ひ以て其の実を序すべきなりと。大抵序事の文、其の語を次第し、善く事理を叙するを以て上と為す。近世応用し、惟だ贈送を盛んと為すのみ。(氏は徐師曾『文体明弁序説』)も引用」(『新釈漢文大系 第83巻 文選(文章篇)中』458p(武田晃 明治書院 1997/7))

④ 序の例として『白氏文集』と『文選』よりいくつかを付記2.に示します。そのうちにつぎのようなものがあります。

三月三日曲水詩序 顔延之:江夏王と衝陽王が旅立ちにあたり宋王へ感謝の宴を宋王の臨席のもとで行い、群臣が詩を宋王に献じた状況を述べた序文。下命があり顔延之が作った。宋王を讃えている。

三月三日曲水詩序 王融:斉王が行った宴と斉王の政治の状況とを合わせのべ、このよき集いに下命により詩を詠む経緯を記す序文。この序文は命により顔延之が作った。

この2作品は、宴主催の意義とその次第を記録し、王政の盛んなることを示すのが主たる目的であり、その宴において臣下が詩を詠んでいます。三月三日は上巳で五節句のひとつです。

日本における詩序も、主催者を称えるスタイルを踏襲しています。

 『本朝文粋』(『台記』久安6年(1150)正月22日条に初出)には、序を、書序・詩序・和歌序に分類し、それぞれ、6作品、139作品、11作品を収載しています。和歌序には紀淑望の「古今和歌序」を筆頭に

 藤後生の「奉賀村上天皇四十御算和歌序」

などがありますが、大江千里の「池亭会序」はありません。(『本朝文粋』には千里の作品がそもそもありません。)。

 後藤昭雄氏は、『本朝文粋』の文体解説において「詩序は、宴集で詠作された詩に冠せられた序文。・・・詩宴の主催者あるいはその場、時、景物などを称える文で書き起こし、・・・最後は作者の謙遜の文で結ぶ。・・・和歌序は、和歌集の序文および歌会で詠まれた歌に冠せられた序文。歌集の序も含み・・・平安時代において、詩序の盛行にならって和歌序も作られるようになったと考えられ、前期には作例も少なく、中期以降しだいに数を増してくる。詩序に比べると短文で、文章構成。措辞ともに詩序ほどの緊密さはない。その用語には、『古今集』真名序・仮名序を出典とするものが多い」」と指摘しています。(『新日本文学大系27 本朝文粋』(大曾根章介・金原理・後藤昭雄校注 岩波書店1992)の「文体解説」)

⑤ 和歌の記録である歌合にも前文のあるものがあります。

 現存最古の歌合の記録、「民部卿家歌合」にもあります。仁和頃(885頃)民部卿であった在原の家で催されたもので、12番と小規模ですが、その前文には「左には山のかたを州浜でつくり、右にはあれたるやどのかたをすはまにつくりてありける」とあります。この記述は、宴の設けられた状況の説明が重要であったことを示しており、この宴には、全員参加型の余興のひとつとして左右2組のチームによる和歌を楽しんだと推測できます。州浜は主催者の嗜み好みなどを反映して用意したものでしょう。

 二番目に古い歌合の記録「寛平御時菊合」にもあります。寛平3年(891)菊花の美を競う純然たる物合であるが、その前文には「左方、うらてのきくは・・・そのすはまのさまはおもひやるべし・・・(朝廷の行事に、陰暦九月九日重陽節句に観菊の宴(重陽の宴)があります。)

⑥ このように和歌序も歌合の前文も 行事や宴の様子を記し、その行事等が記録に値することを主張している文である、と理解できます。左右2チーム(の歌人であり、招集するにふさわしい身分の者で)構成すること自体から主催することが限られた人物が主催できるのが歌合です。だから序は、主催者が記す形でないところにも意義があります。

⑦ 「池亭会序」も、庭園や用意した花や管弦・船等の遊びについて記し、最後の文が「各獻花-詞、共敍實録、行客大江千里聊記之而已、」となっています。行事・宴の記録とみなしてよいものです。臣下にとり序の執筆を任されることは名誉なことであったと思います。

 詩序の先例があるなか「池亭会序」の作者(千里)は工夫をして作文している、とみることができます。作られた時点が千里の青壮年のころと仮定すると、900年前後の40年ごろでしょうか。千里は、『本朝文粋』記載の和歌序の作者の没年よりみて 「賀玄宗法師八十齢和歌序」(紀納言:紀長谷雄)や「古今和歌集序」(紀淑望)を参照できた可能性があります。また「大井川行幸和歌序」という907年の仮名書きの貫之の作もあります。詩序の多くの作品も参考にできたと思います。

 しかしながら、一例をあげます。『本朝文粋』記載の詩序の結びはほとんどが「…謹序」または「・・・云爾」で終わり、収載した12の和歌序では6つの序が同じように「…謹序」または「・・・云爾」で終わり、「・・・其辞云」、「而已」各2、「・・・其詞云」「・・・其詞曰」各1で終わっています。「而已」の2例は「・・・叙事挙令而已」と「叙其大概而已」です。「池亭会序」が、末尾に作者名を記述しているのもまた、「・・・(行客大江千里聊)記之而已」という字句は異例です。結びの文をみると、序に求められているものを「池亭会序」の作者は理解しているのかとも疑いたくなります。

 『本朝文粋』収載の和歌序の作者をみると、古今集和歌序の作者紀淑望と新撰和歌序の作者紀貫之は、『本朝文粋』の詩序その他の漢文に収載がありません。藤原後生(のちおう)は『拾遺和歌集』に1首入集していますが、文章博士東宮(のちの円融天皇元服詔書を奏するなどをしている官人ですが『本朝文粋』には和歌序のみの収載です。紀長谷雄は多数の作が『本朝文粋』に収載されています。

 それらと比較して「池亭会序」は漢文の文章としてどのように評価できるでしょうか。

山本真由子氏の指摘するように真摯に「努力」していても、『千里集』において(漢)詩を正確に引用できていないのですか、作者の漢文の素養を疑います。

⑧ 渡辺秀夫氏が、『新撰万葉集』(成立が寛平5年(893))を論じて、『千里集』(成立が寛平9年(897))に対して、『新撰万葉集』はほぼ同時期に編まれた大江千里『句題和歌』とは相違する。すなわち、(後者は前者と違い)和歌一首に対応する漢詩が無い(詩の一句のみ)、和と漢の対比・対立そのものがない、漢語(漢詩句)の和語(和歌)化への限りなき同一化・帰化(詩的本意(そのもの)の和歌的情趣化)が試みられるばかり。」といっています。(『和歌の詩学-平安期文学と漢文世界―』(勉誠出版(株) 2014/6)。

 同時代の漢文と思えない、という指摘にとれます。

3.『千里集』の序の日付と官位の関係

① 新編国歌大観記載の『千里集』は、その底本が異本系統の宮内庁書陵部本です。それに基づき検討します。その序には、序の作成日として「寛平九年四月廿五日」とあり、即日奏上したものとみて検討することとします。その日付は、『古今和歌集』の編纂を命じた醍醐天皇の即位以前であり、宇多天皇の時代の日付です。『千里集』の序の日付を信用すれば、『千里集』は明らかに『古今和歌集』以前の成立となります。

② 序の最後に、「散位従五位上大江朝臣千里上」とあります。だから千里自らが寛平九年における自分の官位を記していると理解して然るべきです。

古今和歌集目録』(『群書類従』巻二八五)と『中古歌仙三十六人伝』(『群書類従』巻六五)には、千里の官位について、「延喜元年三月十五日 任中務少丞(割注して陽成院御給)」とあります。中務少丞の相当位は従六位上であり、『古今和歌集目録』等を信用すれば、延喜年間より以前の寛平九年に後年の官位より高い「従五位上」と記してあるのは誤りとなります。

③ 千里自身が、自ら奏上する歌集に、わざわざ官位を、誤って記すとは信じられません。

『新撰萬葉集』でも、序にある「寛平聖王」や「道真撰」といった語句により、従来、古今集以前と考えられていたにすぎない」と指摘し、その成立は『古今和歌集』成立以前の成立と断言できない、という指摘があります(『私家集全釈叢書36 千里集全釈』の「解説」(23p))。序の文章は吟味してしかるべきです。

そして、官位の錯誤を無視して『千里集』の日付だけ信じるには、別証が必要であると思います。

古今和歌集目録』等の記述も別途保証する資料を知らないのですが、『千里集』と『古今和歌集目録』等のどちらを信用するかといえば、日付と官位の関係とすでに指摘したように官人である千里自身の体面が保たれていない文が綴られていることから、『千里集』の信用が低く、後者を信用するのが無難と判断します。

これは、千里死後に他薦集としてあるいは千里に託した編纂された歌集が『千里集』であるという証左のひとつになります。

④ なお、養老律令においては、中務省の大内記は、正六位、大国と上国の国司・守は従五位上、中国の国司・守は上六位下、下国の国司・守は従六位下です。五位以上がいわゆる貴族の位階といわれており、蔭位の制の対象は、皇親・五世王の子、諸臣三位以上の子と孫、五位以上の子、までです。六位と五位は、律令制のなかで待遇に雲泥の相違がある、といえます。

延喜式によれば、大国などはつぎのとおりです。

大国は、大和・河内・伊勢・近江・播磨・越前・武蔵・上総・下総・常陸・上野・陸奥・肥後の13国

上国は、山城・摂津・尾張三河・美濃・備前・美作・但馬・因幡丹波紀伊遠江駿河・甲斐・加賀・越中伯耆・出雲・備中・備後・阿波・讃岐・相模・下野・出羽・など

中国は、若狭・丹後・能登安房佐渡長門・石見・土佐・日向・大隅・薩摩の11国

下国は和泉・伊賀・志摩・淡路・伊豆・飛騨・壱岐対馬隠岐の7国2島

ちなみに、紀友則は土佐掾を経て大内記に至り、紀貫之は大内記・加賀介・土佐守を経て従五位上となり木工権頭に至り、、平兼盛は天暦5年(949()臣籍降下し、従五位上駿河守に至り、清原元輔従五位上肥後守となっています。

⑤ それでも、『猿丸集』成立までに成ったことを全面否定できるわけではありませんので、『猿丸集』記載の歌の類似歌に成り得る可能性はあります。

4.『千里集』は『古今和歌集』の元資料か(千里集から)

① 『古今和歌集』の編纂は、その仮名序を信じれば、今上天皇醍醐天皇)が即位後に「仰せられて」始まり、編纂のための資料として「(撰者)らにおほせられて、万えふしふにいらぬふるきうた、みづからのをもたてまつらしめ」(『古今和歌集』の序)、行っています。「ら」には当時の官人で歌をたしなむ者で指名を受けた者を指していると理解できます。大江千里は、寛平御時后宮歌合に詠んだという歌が『寛平御時后宮歌合』や『古今和歌集』にあり、指名を受けた一人であるはずです。『古今和歌集』に10首記載のある者が求められなかったとは信じられません。

醍醐天皇は、寛平九年(897)七月三日践祚し、同月十三日即位し、寛平10年4月26日(あるいは4月16日または8月6日)改元し昌泰元年となっています。即位直後の発意でなければ昌泰年間以後に奉らせたと考えられます。

『千里集』は、その序によれば、寛平9年(897)4月25日に奉っている家集であり、醍醐天皇即位前となります。奉らせた元資料の一つとは言えません。

② 次に、現存の『千里集』が素案だと仮定して序に記す日付を無視して、歌の内容を検討します。

千里の歌は、『後撰和歌集』にもあります。巻第十二恋四には1-2-871歌と1-2-872歌の2首があります。

この2首は、日常の生活で詠まれた歌です。和歌の贈答ができない官人である男は女から無視されてもやむを得ない時代です。『古今和歌集』の元資料用に自らの歌集(家集)に下手でも恋歌を省くのは一般論としてどうでしょうか。『後撰和歌集』記載の歌かどうかはともかく、拙くとも積極的に全面的に恋歌を省く必然性はありません。

③ 『千里集』は、その序によれば「恋歌」を除くと言い、具体の歌もそのとおりです。これからも、『古今和歌集』の元資料用に奏上した家集として不自然です。

④ また、『古今和歌集』編纂者からみれば、編纂の公平性のため恣意的に編纂者自身が編纂資料に加えた歌は無い、と思います。なお、『古今和歌集』の元資料用に奏上した家集は、家集という形では千里以外の官人の家集も現在残っていません。

⑤ 『古今和歌集』にある千里作の1-1-998歌の詞書の理解の検討は次回とします。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

付記1.これまでの検討例

① ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌 古今集巻第一の編纂」(2018/9/24付け):「表 古今集巻第一春歌上の各歌の元資料の歌の推定その1 (2018/10/1 現在)」 

② ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第37歌その3 千里集の配列その1」(2018/12/3付け):「7.⑧」

③ 同上ブログ(2018/12/3付け):「7.②~⑥」

付記2.序の例

①『新釈漢文大系 第97巻 白氏文集一』(岡村繁 明治書院 2017/5))より

白氏長慶集序(同書では作品番号をこれに付していない):『白氏文集』前集の序。長文。もともとは長慶4年(824)に編集された『白氏長慶集』五十巻のための序。元稹による白居易の紹介文

秦中吟十首 幷序(0075):序は30字。風諭である作品の趣意を自から説明する序文。

海州刺史裴君夫人李氏墓誌名 幷序(No2913):被葬者(女性)を紹介し、墓碑銘の必要性を説く序文。長文。「墓誌名」とは墓誌の終わりに韻文を付加したもの。

唐銀青光祿大夫・太子少保、安定皇甫公墓誌銘 幷序(No2950):被葬者(友人皇甫鏞)を悼む序文。長文。

②『新釈漢文大系 第83巻 文選(文章篇)中』(武田晃 明治書院 1997/7)より:上書類、啓類などにならび、序類が分類されており、題目で「序」とある分類に、9点ある。

 毛詩序

三都賦序 皇甫謐:左思の3作品を総称する『三都賦』の序文。賦のなんたるかを説明し『三都賦』を紹介し評している。「賦」とは、文体のひとつで「事を陳べ、諷誦の意を寓して、上の鑑戒に資する」ものをいう(『大漢和辞典』(諸橋轍次))。

三月三日曲水詩序 顔延之:江夏王と衝陽王が旅立ちにあたり宋王へ感謝の宴を宋王の臨席のもとで行い、群臣が詩を宋王に献じた状況を述べた序文。下命があり顔延之が作った。宋王を讃えている。

三月三日曲水詩序 王融:斉王が行った宴と斉王の政治の状況とを合わせのべ、このよき集いに下命により詩を詠む経緯を記す序文。この序文は命により王融が作った。

③ 『新日本文学大系27 本朝文粋』(大曾根章介・金原理・後藤昭雄校注 岩波書店1992)より詩序

白箸翁  紀納言 (紀長谷雄

暮春陪員外藤納言書閣餞飛州刺史赴任応教  江以言 (大江以言)

九日侍宴観賜群臣菊花応製 紀納言 (紀長谷雄

④ 『新日本文学大系27 本朝文粋』(大曾根章介・金原理・後藤昭雄校注 岩波書店1992 ))より和歌序に12作品がある。例えば 

古今和歌集序 紀淑望  書序ともみなせる

奉賀村上天皇四十御算和歌序 藤原後生(のちおう) 和歌4首の序

一条院御時中宮御産百日和歌序 儀同 三司 藤原伊周(これちか) 複数の者の献上和歌の序

春日野遊 和漢任意 橘在列(ありつら) 生年未詳~天暦7年(953) 複数の者の献上和歌の序

初冬泛大井河詠紅葉蘆花和歌序 源道済  複数の者の献上和歌の序

(付記終わり 2020/2/3   上村 朋)

 

 

 

 (2020/2/3  上村 朋)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その1

前回(2020/1/20)、 「わかたんかこれ 猿丸集と古今集の詞書その1」と題して記しました。

 今回、「わかたんかこれ 猿丸集と後撰集の詞書その1」と題して、記します。

(上村 朋)

 1.~4.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。また、『猿丸集』の詞書のみの検討からは、恋の歌が多い歌集であるがそうでない歌もあり、編纂方針はわからず今後の検討を要する。そのため、『古今和歌集』をみると、巻第一は詞書から編纂方針が推測でき、巻第十五恋五でも大変少ない詞書のみからからの推測は、題しらずなどが中立の詞書とみると、歌群の並び方でみると歌本文を含めた推測と重なるところが十分あることがわかった。)

 

5.後撰集巻十三の詞書の特徴その1

① 『後撰和歌集』も恋歌を対象に比較することとし、恋の進捗順の部立とみて、終わりのほうの巻第十三恋五と巻第十四恋六の詞書を抜き出してその文例タイプを整理すると、付記1.の二つの表のようになります。前後の詞書(作者名を含む)をも検討し、『後撰和歌集』の編纂方針に詞書の検討が資するかみてみます。

② それらから、巻第十三恋五の詞書の特徴を次のように指摘できます。

第一 巻第十三にある歌全103首のうち100首に明記した詞書がある。詞書の文例タイプを、古今集検討時の例に倣うと、4つのうち

  歌を詠んだ動機につながる情景の記述

  題しらず

の二つしかない。

第二 歌を詠んだ動機につながる情景の記述の詞書のある歌100首のうち、「男女間」が70首と大変多く、次は「返し」が21首あり、そのほかはない。

第三 「題しらず」は9首しかなく、全103首中においても、題しらずの歌と整理できる歌は11首のみである。

第四 詞書を明記していないのは、巻第十三恋五の全首のうち、1-2-895歌と1-2-921歌と1-2-925歌の3首である。

第五 「返し」という詞書は、少なくともすべて直前の詞書と対を為す、とみなせる。「返し」という詞書の次の歌には、「男女間」の歌であることをはっきり示す詞書がある。しかし、「また返し」とある詞書や、「題しらず」という詞書もあり、歌群としては、必ずしも「返し」とある歌が歌群の区切りとは限らないと思われる。

第六 多くの「男女間」の歌であることをはっきり示す詞書がある。それらにも贈答歌のやりとりとして対となって配列されている歌もあるが、対となっていないかに見える詞書の配列もある。

第七 詞書からみると、巻第十三は、知り合って後の男女の関係が必ずしも順調ではない時点の歌が多い。しかし、明らかにそうではない詞書もある。1-2-913歌の詞書は、「人のもとにはじめてまかりて・・・」とある。単に「女のもとにつかはしける」とある詞書もある。

第八 しかし、歌の配列の方針は、今のところはっきり指摘できない。対の歌を確認するなど詞書でできる検討を試してからである。

 

③ 以上の検討において、歌本文の理解は、『新日本古典文学大系6 後撰和歌集』によっています(巻第十五も同じ)。

④『後撰和歌集』については、今日に伝わる『後撰和歌集』は奏覧本ではなく草稿本であり、作者名の表記までが詞書のうちであるとして歌を理解すべきものである、と指摘し人物の事績を物語的に伝える性格を持っていると評(『新日本文学大系 後撰和歌集』の解説(片桐洋一 岩波書店))されているように、『古今和歌集』の詞書の編纂方針とはだいぶ異なるようです。

⑤ 詞書を離れて、歌本文を比較すると、同一の語句を連続して歌に用いている箇所のあるのがわかります。詞書に反映しない配列の方針も巻第十三恋五には、あるのではないかと思えます。

6.後撰集巻十四の詞書の特徴その1

① 『後撰和歌集』巻第十四恋六の詞書の特徴は巻第十三とほぼ同じことを指摘できます。次のとおり。

第一 巻第十四恋六の歌全81首のうち75首に明記した詞書がある。詞書の文例タイプを、古今集検討時の例に倣うと、4つのうち

  歌を詠んだ動機につながる情景の記述

  題しらず

のみである。

第二 歌を詠んだ動機につながる情景の記述の詞書のある歌75首のうち、「男女間」が54首と大変多く「返し」が17首あり、そのほかはない。

第三 「題しらず」は4首しかなく、全81首中においても、「題しらず」の歌と整理できるのは10首しかない。

第四 「返し」という詞書は、少なくともすべて直前の詞書と対を為す、とみなせる。「返し」という詞書の次の歌には、例外なく「男女間」の歌であることをはっきり示す詞書がある。

  第五 「返し」という詞書の数より、多くの「男女間」の歌であることをはっきり示す詞書がある。それらにも贈答歌のやりとりとして対となって配列されている歌もあるが、対となっていないかに見える詞書の配列もある。

  第六 詞書からみると、巻第十四は、知り合って後の男女の関係が必ずしも順調ではない時点の歌と思われるが、そうとも詞書からでは判断しにくい歌もある。1-2-1012歌の詞書は、「はじめてひとにつかはしける」とある。巻頭歌1-2-994歌は「人のもとにつかはしける」という詞書である。

  第七 歌群の区切りは「返し」以外のところにもある可能性が感じられる。しかし、歌の配列の方針を今のところはっきり指摘できない。

② 編纂した和歌集であるので、もうすこしはっきりした編纂方針があるはずです。さらなる分析、言葉遣いの検討などを要すると思います。

 

7.三代集と『猿丸集』の詞書の比較その1

① とりあえず、『拾遺和歌集』も恋歌の最後の巻を、同様に整理し(付記2.参照)、三代集の数巻と『猿丸集』の詞書を比較するとつぎの表になります。

表 三代集と猿丸集の詞書に関する比較表   単位:首   (2020/1/26 15h 現在)

比較項目

古今集

巻一

春歌上

古今集

巻十五恋五

後撰集

巻十三

恋五

後撰集

巻十四

恋六

拾遺集

巻十五

恋五

猿丸集

当該巻の全歌数

 68

 82

103

81

75

 52

詞書明記の歌

 51

 16

100

75

20

 35

同上のうち「題しらず」

 12

  6

9

4

   9

無し

同上のうち「返し」

  1

  2

21

17

1

 無し

同上のうち「詠んだ場所・理由記述タイプ」

 有り

有り

 無し

 無し

 無し

 無し

全歌数における題しらずと整理できる歌

23

73

11

10

64

無し

  • 注)詞書の文例タイプ:古今集検討時の例に従う。4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 歌を詠んだ動機につながる情景の記述」(「男女間」、「返し」と「その他」に細分) 題しらず」

② 『猿丸集』の詞書は、三代集で比較対象とした恋に関わる巻4巻の詞書と比較すると、次のことが言えます。

第一 「題しらず」と「返し」という詞書が無い。

第二 「題しらず」が無いということは、編纂者は詠った情景を隠す(曖昧)にするよりはっきりしたい意向を持っている、と推測できる。

第三 「返し」が無いということは、詞書からは、挨拶歌や贈答歌の類であるのが明らかであるにもかかわらず、歌を送った相手の返歌・反応を示す歌を記載する必要が無いと編纂者は判断していると推測できる。

第四 『猿丸集』の各歌の現代語訳を試みる際、各歌の類似歌が重要なヒントとなったことを思うと、「類似歌あり」という語句は省かれた各歌共通の詞書(歌の理解のベクトルを定める語句)と推測してよい。

第五 詞書の文例タイプを、古今集検討時の例に倣うと、4つのうちの「詠んだ場所・理由記述タイプ(下命・歌合等の歌)」という詞書が『猿丸集』にない。これは『後撰和歌集』と『拾遺和歌集』の比較した巻と共通する。

③ 『古今和歌集』の比較した2巻では、詞書の明記の有無にかかわらず歌群が認められます。『古今和歌集』第十五では、一定の方向性を持った順番に歌群が9つ認められました。『後撰和歌集』と『拾遺和歌集』も諸氏は歌群を想定していますが、これまでの検討では、はっきり指摘できません。

④ 編纂した歌集であれば、歌群の設定はおこなわれていると予想してよい。

このため、詞書の語句を比較するなど、もうすこし詞書の検討を続けます。巻第十三・十四にある歌すべてを、詞書のみと、詞書と歌本文とあわせての検討の比較を、時間をすこしいただくことになりそうです。

⑤ ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

 次回は、類似歌のあった『千里集』にもう一度戻ります。

(2020/1/27 上村 朋)

付記1. 後撰集において詞書を明記した歌の例(巻第十三と巻第十四)

表1 後撰集巻十三 恋五の詞書    (2020/1/27 現在)

詞書明記の歌番号等

詞書

文例タイプの分類

1-2-891

 題しらず

 題しらず

1-2-892

返し

情景(返し)

1-2-893

つれなく見え侍りける人に

情景(男女間)

1-2-894

 題しらず

 題しらず

1-2-896

女のうらみおこせて侍りければ、つかはしける

情景(男女間)

1-2-897

あだなるをとこをあひしりて、・・・つかはしける

情景(男女間)

1-2-898

 題しらず

 題しらず

1-2-899

女のもとにまかりたりけるに・・・まかりかへりて、あしたにつかはしける

情景(男女間)

1-2-900

返し

情景(返し)

1-2-901

かつらのみこにすみはじめけるあひだに・・・かのみこあひおもはぬけしきなりければ

情景(男女間)

1-2-902

忍びたるひとにつかはしける

情景(男女間)

1-2-903

せうそこかよはしけれどあだあはざりける男をかれこれあひにけりといひさはぐをあらかはさなりとうらみつかはしければ

情景(男女間)

1-2-904

おとこのつらうなりゆくころ雨のふりければつかはしける

情景(男女間)

1-2-905

女のもとにまかりてえあはでかへりてつかはしける

情景(男女間)

1-2-906

女に物いふおとこふたりありけりひとりに・・・ききていまひとりがつかはしける

情景(男女間)

1-2-907

女のこころかはりぬべきをききてつかはしける

情景(男女間)

1-2-908

文つかはしける女のおやのいせへまかりければともにまかりけるにつかはしける

情景(男女間)

1-2-909

一条がもとにいとなむこひしきといひやりたりければおにのかたをかきてやるとて

情景(男女間)

 

1-2-910歌以下の情景(男女間)タイプを略す

情景(男女間)

 

1-2-910歌以下の情景(返し)タイプ:1-2-910, 1-2-915, 1-2-923, 1-2-930, 1-2-932, 1-2-945, 1-2-947, 1-2-951, 1-2-956, 1-2-958, 1-2-968, 1-2-970, 1-2-974, 1-2-979, 1-2-982, 1-2-984, 1-2-986, 1-2-990, 1-2-992

情景(返し)

 

1-2-910歌以下の題しらずタイプ:1-2-918, 1-2-920, 1-2-929, 1-2-957, 1-2-972, 1-2-989

 題しらず

計 全103首 (891~993) 

詞書明記の歌 100首 

うち返し21首 

題しらず9首

全103首のうち題しらずと整理できる歌11首

 

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)「文例タイプの分類」欄の分類は4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 情景 題しらず」

注3)「文例タイプの分類」欄の()書きは、文例が情景タイプで嘱目している事柄。

注4)詞書を明記していない(後撰集が割愛している)歌は、3首。1-2-895歌(題しらず)、1-2-921歌(題しらず)、1-2-925歌(情景(・・・男女間))

 

表2 後撰集巻第十四 恋六の詞書   (2020/1/27 現在)

詞書明記の歌番号等

詞書

文例タイプの分類

1-2-994

人のもとにつかはしける

情景 (男女間)

1-2-995

返し

情景(返し)

1-2-996

みづからまできて、よもすがら物いひ侍りけるに、ほどなくあけ侍りにければまかりかへりて

情景 (男女間)

1-2-997

女のもとにつかはしける

情景 (男女間)

1-2-998

返し

情景(返し)

1-2-999

いひわずらひてやみける人に、ひさしうありて又つかはしける

情景 (男女間)

1-2-1000

返し

情景(返し)

1-2-1001

をとこのまできて、すき事をのみしければ、人やいかが見るらんとて

情景 (男女間)

1-2-1002

返し

情景(返し)

1-2-1003

をとこのひさしうおとづれざりければ

情景 (男女間)

 

1-2-1004歌以下の「返し」以外の情景タイプ」を略す

 

 

1-2-1004歌以下の「返し」の情景タイプ:

1-2-1004, 1-2-1015, 1-2-1026, 1-2-1030, 1-2-1035, 1-2-1041, 1-2-1043, 1-2-1047, 1-2-1051, 1-2-1053, 1-2-1057, 1-2-1071, 1-2-1073,

情景(返し)

 

1-2-1004歌以下の題しらずの情景タイプ:

1-2-1007, 1-2-1019, 1-2-1059, 1-2-1064,

 題しらず

計 全81首

 

うち詞書明記の歌:75首 

うち返し17首 

題しらず4首

詞書のない歌が6首(すべて題しらずの歌)

全81首のうち題しらずと整理できる歌10首

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)「文例タイプの分類」欄の分類は4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 情景 題しらず」

注3)「文例タイプの分類」欄の()書きは、文例が情景タイプで嘱目している事柄。

注4)全81首中題しらずと整理できる歌は1-2-1007歌等上記の4首のほか、1-2-1020歌、1-2-1021歌、1-2-1060歌、1-2-1061歌、1-2-1065歌、1-2-1066歌の6首。

注5)情景(男女間)タイプと分類した1-2-994歌と1-2-1044歌の詞書における「人」は、恋歌であるので男を指すと理解した。

注6)情景(男女間)タイプと分類した1-2-1069歌は、詞書における「常夏」が「常なつかし」を掛けているとみて、詞書のみで男女間の情景を指していると理解した。

 

付記2.拾遺集において詞書を明記した歌の例(巻第十五)

表 拾遺集巻第十五 恋五の詞書  (2020/1/27 現在)

詞書明記の番号等

詞書

文例タイプの分類

拾遺抄での歌番号

1-3-925

善祐法師ながされ侍りける時、母のいひつかはしける

情景 (?)

368

1-3-926

 題しらず

 題しらず

無し

1-3-941

女につかはしける

情景 (男女間)

243

1-3-942

 題しらず

 題しらず

337

1-3-950

ものいひ侍りける女の、のちにつれなく侍りて、さらにあはず侍りければ

情景 (男女間)

343

1-3-951

題しらず

 題しらず

345

1-3-963

女のもとにまかりけるを、もとのめのせいし侍りければ

情景 (男女間)

340

1-3-964

 題しらず

 題しらず

無し

1-3-971

円融院御時、少将更衣のもとにつかはしける

情景 (男女間)

無し

1-3-972

 御返し

情景(返し)

無し

1-1-973

 題しらず

 題しらず

335

1-3-977

延喜御時、・・・たへてのちいひつかはしける

情景 (男女間)

無し

1-3-978

 題しらず

 題しらず

無し

1-3-986

小野宮のおほいまうちぎみにつかはしける

情景 (男女間)

334

1-3-987

 題しらず

 題しらず

無し

1-3-991

左大臣女御うせ侍りければ、ちちおとどのもとにつかはしける

情景 (?)

無し

1-3-992

女の許につかはしける

情景 (男女間)

328

1-3-993

 題しらず

 題しらず

327

1-3-998

とほき所に侍りける人、・・・たかさごといふところにてよみ侍りける

情景 (?)

 

無し

1-3-999

 題しらず

 題しらず

無し

計 全75首

うち題しらずと整理できる歌63首

詞書明記の歌20首

うち、題しらず9首、

返し1首

 

 

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)「文例タイプの分類」欄の分類は4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 情景 題しらず」

注3)「文例タイプの分類」欄の()書きは、文例が情景タイプで嘱目している事柄。「?」は男女間の事柄と即断できない意を表す。

 

(付記終わり 2020/1/27 上村 朋)

わかたんかこれ 猿丸集と古今集の詞書その1

前回(2020/1/13)、 「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その1」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集と古今集の詞書その1」と題して、記します。(上村 朋)

 1.~3.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。また、『猿丸集』の詞書のみの検討からは、恋の歌が多い歌集であるがそうでない歌もあり、編纂方針はわからなかった。)

4.古今集の詞書の特徴

①『猿丸集』の類似歌が多くある『古今和歌集』は、編纂者が歌集全体の構想をたて部立・歌の配列等に配慮していると諸氏が指摘(付記1.参照)し、その構想を論じています。勅撰集はみな同じように一つの構想のもとに成っていると思います。今、『猿丸集』成立以前あるいはその前後に成ったと思われる三代集のいくつかの巻について、その詞書のみに注目してその巻の特徴を確認できるかをみてみたいと思います。

②最初に、『古今和歌集』の最初の巻である巻第一春歌上と、恋歌の最後の巻である巻第十五恋歌五について検討します。最初の巻は、全体の構想を示すはずであるということから、また、『猿丸集』の歌は男女間の歌が多く、それも逢って後の男女間の歌が多いので、久曾神氏が「(恋の進行順でならんでいる恋部の歌で)恋歌五は「離れ行く恋」の巻」と指摘している恋歌五を男女間の歌の例として、みてみたいと思います。③『古今和歌集』巻第一春歌上において、明記している詞書を抜き出すと、付記2.の表1のようになります。その詞書の特徴を次のように指摘できます。

第一 巻第一にある歌全68首のうち51首に明記の詞書がある。うち「題しらず」が12首であるが、68首中での題しらずの歌と整理できる歌は23首あり全体の34%を占める。

第二 詞書の文例が4つある。

暦日に沿った記述

歌を詠んだ場所・理由の記述(季節の事柄より優先して下命・歌合などと記述)

歌を詠んだ動機につながる情景の記述

題しらず

第三 暦日に沿った記述の詞書明記の歌は8首あり、暦日の進行順に配列してある。

第四 歌を詠んだ場所・理由の記述の詞書明記の歌8首は、歌合などの開催順ではなく、順不同の配列である。

第五 歌を詠んだ動機につながる情景の記述の詞書明記の歌は、季節の推移に従い配列されている。それは、暦日に沿った記述の詞書明記の歌8首と併せて暦日の進行順に記載されている。なお、1-1-39歌は歌本文にあたると、梅花を詠んおり、例外とはならない。

第六 巻第一にある全68首のうち、(詞書明記の有無にかかわらず)題しらずの歌と整理できる歌23首の歌本文にあたると、暦日に沿った記述の詞書明記の歌あるいは季節の推移に従い配列されている歌の配列になじんだ位置に挿入されている。

第七 このように、詞書の検討から、春歌上の歌全68首は、暦日の進行順に、その詠う景を推移させ配列していることが確実である。それが、春歌上と題する巻第一の編纂方針と推測してよい。

④これは、また、各歌の理解は詞書に従え、と強く編纂者が示唆している、と言えます。

⑤それでは、恋五ではどうでしょうか。『古今和歌集』巻第十五恋五において、明記してある詞書を抜き出すと、付記2.の表2のようになります。その詞書の特徴を次のように指摘できます。

第一 巻第十五にある歌全82首のうち、詞書を明記した歌が16首(20%)しかない、しかもそのうち「題しらず」が8首あるので、実質8首(10%)であり、巻第一と比較して大変少ない。

第二 巻第一の文例タイプの分類を当てはめると、上記の実質8首の詞書はすべて情景タイプ(詠んだ動機につながる情景の記述をしている詞書)であり、それも人事(男女間で贈った歌・歌の返し)のことばかりである。

第三 その実質8首の詞書のうち、初めから6番目までは、男女間で齟齬が生じている時点の詞書である。残りの2首は歌を詠んだ場所(歌合の歌であること)の記述のみである(下記⑧参照)。実質8首の詞書のこの順番での組み合わせは、同じベクトルを持っている、とみなすことができる。

第四 巻第十五にある歌全82首中で題しらずと整理できる歌は、72首あり全体の88%を占める。

 題しらずと整理できる歌に比べて詞書の数が実質8首しかなく、少なすぎるので、恋五は、男女間で齟齬が生じている時点の歌が主体であろうと推測するが、詞書の配列のみからは、巻第一のような明確な編纂方針である、と断言するのに躊躇する。恋の進捗順(逢う前、逢って後、齟齬生じて後という順序)かどうかおよび巻第十五全体が久曾神氏の指摘する「離れ行く恋」の巻」かどうかについては、詞書の配列のほかに、歌本文にあたりたいと思う。

第五 この巻第十五は、歌本文を含めて、一度検討したことがある。その結論からは、下記⑦に述べるような歌群とその順番を推定でき、題しらずのと整理できる歌72首は、歌を詠んだ動機につながる情景の記述の詞書のある歌(さきの実質8首)の順序を崩さないような位置に配列とされている、と推測できるので、男女間で齟齬が生じている時点、さらに久曾神氏の指摘する「離れ行く恋」の巻ではないか、といえる。

⑥以上の検討において、歌本文は、久曾神氏の理解を基本とし、一部は現代語訳を試みています。

巻第十五にある1-1-760歌と1-1-817歌が『猿丸集』の第17歌と第48歌の類似歌であったので、その際巻第十五にある歌全体について検討していますが、詞書のみからの検討はしていませんでした。

⑦ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第48歌その1 あら あら」(2019/8/26付け)において、巻第十五の歌は、「恋の部は作詠時点が一方向に進んでいるように配列している、と仮定すると、恋の部の五番目である巻第十五にある最初の歌は、「本意ではなく別れさせられた後の歌であり、最後の歌は、幾つもの恋を経験した人物が自分の経験を含めて男女の仲を振り返って詠んでいる歌となっています。恋の部が時系列に配列されているならば、巻第十五の歌は、すべて、客観的には恋が一旦終わっているとみなし得るしかし作中人物はそのように了解していない段階の歌ではないか、俗にいえば、元の鞘に戻る事に望みを抱いている人物の作詠した歌で構成されている、と言える」と仮定し、この仮定は結局支持できました。

その際、奇数番号の歌とその次の歌は、配列の上では一組として扱われている可能性が高いと分析し、巻第十五の歌に対して歌群の想定を行い、少なくとも9群に整理できる、と下記のように指摘しました。

1-1-747歌~1-1-754歌 意に反して遠ざけられた歌群

1-1-755歌~1-1-762歌 それでも信じている歌群

1-1-763歌~1-1-774歌 疑いが増してきた歌群

1-1-775歌~1-1-782歌 仲を絶たれたと観念した歌群

1-1-783歌~1-1-794歌 希望を持ちたい歌群

1-1-795歌~1-1-802歌 全く音信もない歌群

1-1-803歌~1-1-816歌 秋(飽き)に悩む歌群

1-1-817歌~1-1-824歌 熟慮の歌群 (1-1-817歌は、仮置き)

1-1-825歌~1-1-828歌 振り返る歌群

⑧上記の実質8首の詞書の具体的な記述は、女から遠ざけられた男を指す詞書(2首)に続き、冷たくされている女を指す詞書(3首)、野火に注目する詞書(1首)、歌合の歌(2首)と続く。詠う情景が詞書からはだんだん見えなくなってきますが、あとの2首は詠んだ場所を言うだけで情景に触れていないことにより、⑦のように歌本体も検討対象とした歌群の推測を否定するものではない、といえます。

⑨ 次回は『後撰和歌集』などを含めて検討したいと思います。

 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/1/20 上村 朋)

付記1.古今集などに関する奥村恒哉氏の指摘(東洋文庫452『八代集1』,459『八代集2』の解説より)

①撰者の意図は、両序に雄弁に述べられているが、律令的合理的精神をもって一貫している。すなわち『古今集』は和歌を「まめなる所」即ち「大夫之前」にあるべきものとして、それにふさわしい作をふさわしい形に編輯したもの。

②(古今集は)一首の独立性(三十一字での内容が完結する)が甚だ強く、三十一字の意味の誤解を防ぐために最小限度の詞書が付けられ(てい)る。

③『後撰集は、『古今集』に比べて、スガタ(『無名抄』)に拘泥せず、心情の率直な流露を重んじた。「大夫之前」のものとするために、いわば切り捨てざるを得なかった和歌のもつ豊穣さを再びとりあげている。

④『拾遺集』は、古今集的規範の外に出ようとする動きが認められる。(例えば)屏風歌であると大量に(詞書に明記)、最多の入集歌人貫之113首に対して人麻呂104首。

 

付記2.付記2.古今集において詞書を明記した歌の例(巻第一と巻第十五)

表1 古今集巻第一 春歌上の詞書  (2020/1/20 現在)

詞書明記の歌番号等

詞書

文例タイプの分類

1-1-1

ふるとしに春たちける日よめる

暦日(一月一日以前の立春

1-1-2

はるたちける日よめる

暦日(立春

1-1-3

  題しらず

 題しらず

1-1-4

二条のきさきのはるのはじめの御歌

暦日(初春)

1-1-5

  題しらず

 題しらず

1-1-6

雪の木にふりかかれるをよめる

情景(春の雪)

1-1-7

  題しらず

 題しらず

1-1-8

二条のきさきの・・・正月三日おまへにめして・・・

暦日(正月三日)&詠んだ場所・理由

1-1-9

ゆきのふりけるをよめる

情景(春の雪)

1-1-10

春のはじめによめる

暦日(初春)

1-1-11

はるのはじめのうた

暦日(初春)

1-1-12

寛平の御時きさいの宮のうたあはせのうた

詠んだ場所・理由

1-1-16

  題しらず

 題しらず

1-1-21

仁和のみかどみこにおはしましける時に、人にわかなたまひける御うた

暦日(子日)&情景(若菜)

1-1-22

歌たてまつれとおほせられし時よみてたてまつれる

詠んだ場所・理由

1-1-23

  題しらず

 題しらず

1-1-24

寛平の御時きさいの宮の歌合によめる

詠んだ場所・理由

1-1-25

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつる歌

詠んだ場所・理由

1-1-27

西大寺のほとりの柳をよめる

情景(春の柳)

1-1-28

  題しらず

 題しらず

1-1-30

かりのこゑをききてこしへまかりにける人を思ひてよめる

情景(春の雁)

1-1-31

帰雁をよめる

情景(春の雁)

1-1-32

  題しらず

 題しらず

1-1-36

むめの花ををりてよめる

情景(梅花)

1-1-37

  題しらず

 題しらず

1-1-38

むめの花ををりて人におくりける

情景(梅花)

1-1-39

くらぶ山にてよめる

情景(くらぶ山*)

1-1-40

月夜に梅花ををりてと人のいひければ、をるとてよめる

情景(梅花)

1-1-41

はるのよ梅花をよめる

情景(梅花)

1-1-42

はつせにまうづるごとに・・・そこにたてりけるむめの花ををりてよめる

情景(梅花)

1-1-43

水のほとりに梅花さけりけるをよめる

情景(梅花)

1-1-45

家にありける梅花のちりけるをよめる

情景(梅花)

1-1-46

寛平の御時きさいの宮の歌合のうた

詠んだ場所・理由

1-1-48

  題しらず

 題しらず

1-1-49

人の家にうゑたりけるさくらの花さきはじめたりけるを見てよめる

情景(さくら)

1-1-50

  題しらず

 題しらず

1-1-52

そめどののきさきのおまへに花がめにさくらの花をささせ給へるを見てよめる

情景(さくら)

1-1-53

なぎさの院にてさくらを見てよめる

情景(さくら)

1-1-54

  題しらず

 題しらず

1-1-55

山のさくらを見てよめる

情景(さくら)

1-1-56

花ざかりに京を見やりてよめる

情景(さくら)

1-1-57

さくらの花のもとにて年のおいぬることをなげきてよめる

情景(さくら)

1-1-58

をれるさくらをよめる

情景(さくら)

1-1-59

歌たてまつれとおほせられし時によみてたてまつる

詠んだ場所・理由

1-1-60

寛平の御時きさいの宮の歌合のうた

詠んだ場所・理由

1-1-61

やよひにうるふ月ありける年よみける

暦日(三月のうるふ月)

1-1-62

さくらの花のさかりに、ひさしくとはざりける人のきたりける時によみける

情景(さくら)

1-1-63

 返し

情景(返し)

1-1-64

  題しらず

 題しらず 

1-1-67

さくらの花のさけりけるを見にまうできたりける人によみておくりける

情景(さくら)

1-1-68

亭子院の歌合の時よめる

詠んだ場所・理由

計 全68首

 

 詞書明記の歌51首

 うち、題しらず12首、

    返し1首 

    詠んだ場所・理由8首

全68首のうち

題しらずと整理できる歌23首 

詠んだ場所・理由と整理できる歌13首

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

 注2)詞書欄の下線部分は、文例が暦日タイプの根拠のことば

 注3)「文例タイプの分類」欄の分類は4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 情景 題しらず」

注4)「文例タイプの分類」欄の()書きは、文例が暦日あるいは情景タイプの場合の嘱目している事柄

注5)「文例タイプの分類」欄の1-1-39歌の「くらぶ山*」は歌にあたると梅花を詠んでいる意を表す。

 

表2 古今集巻第十五 恋歌五の詞書 (2020/1/20 現在)

詞書明記の歌番号等

  詞書

文例タイプの分類

1-1-747歌

五条のきさいの宮のにしのたいにすみける人に・・・あばらなるいたじきにふせりてよめる

情景(男女間)

1-1-748

  題しらず

 題しらず

1-1-780

仲平朝臣あひしりてはべりけるを、かれがたになりにければ・・・とてよみてつかはしける

情景(男女間)

1-1-781

  題しらず

 題しらず

1-1-783

 返し

情景(返し)

1-1-784

業平朝臣きのありつねがむすめにすみけるを・・・のみしければよみてつかはしける

情景(男女間)

1-1-785

 返し

情景(返し)

1-1-786

  題しらず

 題しらず

1-1-789

心地そこはへるころ、・・・とぶらへりければよみてつかはしける

情景(男女間)

1-1-790

あひしれりける人のやうやくかれがたになりけるあひだにつかはしける

情景(男女間)

1-1-791

物おもひけるころ、ものへまかりけるみちに野火のもえけるを見てよめる

情景(多分男女間*)

1-1-792

  題しらず

 題しらず

1-1-802

寛平御時御屏風に歌かかせ給ひける時、よみてかきける

詠んだ場所・理由

1-1-803

  題しらず

 題しらず

1-1-809

寛平御時きさいの宮の歌合のうた

詠んだ場所・理由

1-1-810

  題しらず

 題しらず

 計全82首

詞書明記の歌16首 

  うち題しらず6首 

    返し2首

 

注1)歌番号等:『新編国歌大観』の巻数―当該巻での歌集番号―当該歌集での歌番号

注2)「文例タイプの分類」欄の分類は4種類。「暦日 詠んだ場所・理由(下命・歌合など) 情景 題しらず」

注3)「文例タイプの分類」欄の()書きは、文例が情景タイプで嘱目している事柄

注5)「文例タイプの分類」欄*印:恋五にある詞書であるので多分「男女間」を象徴するものを野火にみて作者は詠んだと推測できる。

(付記終わり 2020/1/20  上村 朋) 

わかたんかこれ 猿丸集の詞書その1

 前回(2020/1/6)、「わかたんかこれ 猿丸集の構成 歌集名から」と題して記しました。

今回、「わかたんかこれ 猿丸集の詞書その1」と題して、記します。(上村 朋)

 1.承前 

(『猿丸集』という書名を検討し、「猿丸」という古の歌人名により、類似歌が新解釈であることを示唆している歌集か、と推測した。)

 

2.『猿丸集』の詞書はひとつの方針のもとに記述されているか

① 『猿丸集』の歌52首には詞書が明記されている歌が、35首(67%)あります。(これは歌集において同一の詞書における歌を連記する場合の平安時代における通例の書き表し方ですが。) しかも詞書に「題しらず」と明記してある歌はありません。下表にみるように、その歌を詠むに至った事情を簡潔に述べているスタイルの詞書ばかりです。

『人丸集』や『家持集』と比べると、明記された詞書が多くの歌にあり、歌集のスタイルが異なります。他薦集である『小町集』や『業平集』と比べると明記された歌の数は少ないうえ、「返し」と明記される歌が『猿丸集』には全然ありません。

『貫之集』や『躬恒集』と比べると明記された詞書が多く、いわゆる恋の歌にこの歌集は特化し、かつ屏風歌と明記した歌がありません。『猿丸集』は、独自の編纂方針のもとに成った歌集であると、詞書だけの比較から推測できます。

② 勅撰集である三代集について、詞書の比較検討を諸氏がしています。詞書の書式に関して紹介しますと、『古今和歌集』は「撰者は書式を一人称として統一しようとしている」が、先行する歌集・物語が元資料となった歌については「その元資料の書式にひかれている」との指摘(『古今集後撰集の諸問題』(奥村恒哉 風間書房)172p以下)があります。『後撰和歌集』の詞書は一定していないそうです。なお、一人称の書式とは、その歌の作者が直接発言している、というスタイルを指します。

③ また、『猿丸集』には、明確な部立がないので、その歌の理解は、その詞書と、その歌の類似歌と、配列(に代表される歌集全体の構造)に矛盾がないのが正解である、という仮説に従いこれまで検討してきました。いうなれば、類似歌も(記述は省略されているものの)詞書の一部、という理解とも言えます。

   しかし、今まで行ってきた『猿丸集』の歌全52首の理解は、隣り合う詞書との関係に触れないままの歌の配列上の矛盾の有無の確認という限定的なものでした。

④ そのため、52首の検討が終わったので、改めて歌集全体の理解のため編纂方針を検討し、各歌の理解を深めたいと思います。

最初に、明記されている詞書に注目し、その並び順等を検討します。その結果によっては『猿丸集』のこれまでの各歌の理解の再検討を要することも有り得るところです。

 

表 『猿丸集』記載の歌で明記した詞書がある歌とその詞書  (2020/1/13 現在)

詞書明記の歌番号等

『猿丸集』の詞書

詞書からの部立

詞書と歌からの部立

3-4-1

あひしりたるける人の、ものよりきてすげにふみをさしてこれはいかがみるといひたりけるによめる

雑歌等

雑歌等

3-4-3

あだなりける人の、さすがにたのめつつつれなくのみありければ、うらみてよめる

 恋歌

 恋歌

3-4-4

ものおもひけるをり、ほととぎすのいたくなくをききてよめる

 恋歌

 恋歌

3-4-5

あひしりたるける女の家のまへわたるとて、くさをむすびていれたりける

 恋歌

 恋歌

3-4-6

なたちける女のもとに

 恋歌

 恋歌

3-4-8

はるの夜、月をまちけるに、山がくれにて心もとなかりければよめる

 恋歌

 恋歌

3-4-9

いかなりけるをりにか有りけむ、女のもとに

 恋歌

 恋歌

3-4-10

家にをみなへしをうゑてよめる

恋歌か

 恋歌

3-4-11

しかのなくをききて

恋歌か

 恋歌

3-4-12

女のもとに

 恋歌

 恋歌

3-4-13

おもひかけたる人のもとに

 恋歌

 恋歌

3-4-15

かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

 恋歌

 恋歌

3-4-18

あひしれりける人の、さすがにわざとしもなくてとしごろになりにけるによめる

 恋歌

 恋歌

3-4-19

おやどものせいするをり、物いふをききつけて女をとりこめていみじきを

雑歌等

雑歌等

3-4-21

物へゆくにうみのほとりを見れば、風のいたうふくに、あさりするものどものあるを見て

雑歌等

雑歌等

3-4-22

おやどものせいしける女に、しのびて物いひけるをききつけて、女をとりこめていみじういふとききけるに、よみてやりける

 恋歌

 恋歌

3-4-27

ものへゆきけるみちに、きりのたちわたりけるに

雑歌等

雑歌等

3-4-28

物へゆきけるみちに、ひぐらしのなきけるをききて

雑歌等

雑歌等

3-4-29

あひしれりける女、ひさしくなかたえておとづれたりけるによみてやりける

 恋歌

 恋歌

3-4-31

まへちかき梅の花のさきたりけるを見て

雑歌等

 恋歌

3-4-32

やまでらにまかりけるに、さくらのさきけるを見てよめる

雑歌等

雑歌等

3-4-33

あめのふりける日、やへやまぶきををりて人のがりやるとてよめる

 恋歌

 恋歌

3-4-34

山吹の花を見て

雑歌等

 恋歌

3-4-35

あだなりける女に物をいひそめて、たのもしげなき事をいふほどに、ほととぎすのなきければ

 恋歌

 恋歌

3-4-36

卯月のつごもりに郭公をまつとてよめる

 恋歌

 恋歌

3-4-37

あきのはじめつかた、物思ひけるによめる

 恋歌

 恋歌

3-4-39

しかのなくをききて

恋歌か

雑歌等*

3-4-42

女のもとにやりける

 恋歌

 恋歌

3-4-43

しのびたる女のもとに、あきのころほひ

 恋歌

 恋歌

3-4-45

あひしれりける人の、なくなりにけるところを見て

雑歌等

雑歌等*

3-4-46

人のいみじうあだなるとのみいひて、さらにこころいれぬけしきなりければ、我もなにかはとけひきてありければ、女のうらみたりける返事に

 恋歌

 恋歌

3-4-47

あひしれりける女の、人をかたらひておもふさまにやあらざりけむ、つねになげきけるけしきを見ていひける

恋歌か

 恋歌

3-4-48

ふみやりける女のいとつれなかりけるもとに、はるころ

 恋歌

 恋歌

3-4-50

はな見にまかりけるに、山がはのいしにはなのせかれたるを見て

雑歌等

 恋歌

3-4-51

やまにはな見にまかりてよめる

雑歌等

 恋歌

 計

  詞書明記の歌:35首

恋歌:20

恋歌か:4

雑歌等:11

恋歌:27

恋歌か:0

雑歌等: 8

注1)歌番号等:『新編国歌大観』における巻番号―その巻における歌集番号―その歌集における歌番号。

注2)当該詞書と歌本文の理解は、例えば付記1.参照

注3)「詞書からの部立」欄:詞書から推測した部立を記入。部立は、古今集を念頭に「恋歌」と「恋歌か」とそれ以外をまとめた「雑歌等」の3区分。

注4)「詞書と歌とからの部立」:詞書とその歌とから推測した部立を記入。部立は、「恋歌」と「恋歌か」とそれ以外をまとめた「雑歌等」の3区分。

注5)3-4-39歌と3-4-45歌の「詞書と歌からの部立」欄の*印:歌の理解の再検討を要すると思われる。恋歌の可能性あり。

⑤ 『猿丸集』の編纂方針を検討するため、古今集を念頭に部立を、詞書のみから各歌を推測すると、表の「詞書からの部立」欄に記すように、圧倒的に恋歌(20首)が多い。このほか、詞書にある「をみなへし」、または「しか」または「けしきをみて」という語句より恋歌かと推測する歌が他に4首あります。仮に「恋歌か」という部立をこの4首にすると、その他の部立(雑歌等)と推測する歌は11首のみです。

⑥ 『猿丸集』の歌全52首については、昨年までに一応検討を済ませているので詞書が明記されている歌本文の検討結果(例えば付記1.参照)をも踏まえて部立を推測すると、表の「詞書と歌からの部立」欄に記すように、

 恋歌 27首 (35首の77% すなわち35種類の詞書の77%が恋歌という部立の歌)

 恋歌か 無し

 雑歌等 8首

となります。

⑦ 雑歌等8首のうち、3-4-39歌は同一の詞書のもとの歌が計3首あるので、3首が一つの部立にあるのが望ましいとすれば恋歌になり、また3-4-45歌も慰めにとどまっていないかもしれず、恋歌ともとれるところなので、恋歌という部立に整理できる歌は29首(83%)になります。(なお、この2首は、歌本文の理解の再検討候補とし、後ほど検討し直すこととします。)

 残りの雑歌6首は、挨拶歌(3-4-1歌)、博打好きと詠う歌(3-4-19歌)、自然詠(3-4-21歌)、葬送の歌(3-4-27歌)、外出中の錯覚を詠う歌(3-4-28歌)、酔っ払った同僚を詠う歌(3-4-32歌)であり、前後にある恋の歌との関連は、それらの詞書に表現されていない、とみざるを得ません。

⑧ また、恋歌という部立と推測した29首の詞書の配列基準もはっきりしません。『猿丸集』の全52首をみると、最後の歌3-4-52歌はいわゆる「不逢」の段階の歌とも理解でき、恋の進行順と断言できません。

しかし、歌集の比較をすればヒントが得られるかもしれません。『猿丸集』に先行して、一つの構想のもとに成立している『古今和歌集』などと詞書に関して比較すれば特徴が明確になるかもしれません。

⑨ つまり、ここまでの検討では、『猿丸集』は詞書だけからは、編纂方針や配列の基準がわからなった、ということになります。

前回の歌集名の検討で得た、『猿丸集』は類似歌に関する新しい理解を示した歌集、という推測を捨てることにはなりませんでした。

かならず類似歌がある歌ばかりから成る歌集であるので、『猿丸集』の構成・配列の究明には、さらに類似歌の選択事情を確認する必要があるでしょう。

次回は、『古今和歌集』などの詞書をみてみます。

ブログ「わかたんか 猿丸集・・・」をご覧いただき、ありがとうございます。

(2020/1/13 上村 朋)

付記1.猿丸集の各歌を検討したブログは、例えば次のとおり。

①猿丸集の明記した詞書がある歌において、詞書のみでは恋歌と推測しきれなかった歌を検討した結果恋歌と判明した歌に関わるブログ。

3-4-10歌:ブログ「わかたんかこれ猿丸集 第10歌 オミナエシ好き」(2018/4/9付け)

3-4-11歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第11歌 凌ぐのは何」(2018/4/23付け)

3-4-31歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第31歌その2 まつ人」(2018/10/9付け)

②猿丸集で明記の詞書を持たない歌で、詞書と歌とを検討した結果恋歌と判明した歌に関わるブログ

3-4-40歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第40歌 いなおほせどり」(2019/2/3付け)

3-4-41歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第41歌その4 同じ詞書の歌3首」(2019/3/3付け)

3-4-52歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第52歌その4 はな見」(2019/11/4付け)

③猿丸集で明記した詞書がある歌において、詞書と歌とを検討した結果恋歌ともとれる歌と判明した歌に関わるブログ

3-4-45歌:第一 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その1 しめゆふ」(2019/4/29付け)

     第二 ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」(2019/5/6付け)>

④猿丸集歌再検討候補に関わるブログ

3-4-39歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第39歌その3 ものはかなしき」(2019/1/28 付け)

(3-4-39歌~3-4-41歌は同一の詞書)

3-4-45歌:ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第45歌その2 いまもしめゆふ」(2019/5/16付け)

(付記終わり 2020/1/13   上村 朋)