わかたんかこれ 猿丸集第15歌 いまきみはこず

前回(2018/5/14)、 「猿丸集第14歌 わがままに」と題して記しました。

今回、「猿丸集第15歌 いまきみはこず」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』の第15 3-4-15歌とその類似歌

① 『猿丸集』の15番目の歌と、その類似歌として諸氏が指摘する歌その他を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-15歌  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

   ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

 

3-4-15歌の類似歌  類似歌は2首あります。

 a2-1-2642歌 寄物陳思(2626~2818)

    さとどほみ こひわびにけり まそかがみ(真十鏡) おもかげさらず いめにみえこそ

 この歌には左注があり、「右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。」とあります。その柿本朝臣人麿之歌中の歌が次の類似歌です。この二つの類似歌は『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上にある歌です。歌の()書きは三句の万葉仮名表記を示します。

      

  b2-1-2506歌 寄物陳思(2419~2512

    さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ(真鏡) とこのへさらず いめにみえこそ

 

② 類似歌を、もうすこし正確にいうと、諸氏は3-4-15歌を、2-1-2642歌の異伝歌と指摘しています。私は、2-1-2642歌の左注により、2-1-2506歌をも類似歌として認め検討します。類似歌は異伝歌と同義ではありませんので何首もあり得ます。

③ 清濁抜きの平仮名表記をすると、二つの類似歌は二句の5文字と四句の4文字が異なります。二つの類似歌を3-4-15歌と比較すると、多くの語句の表記が異なり、共通の語句の表記といえるのは、二句の句頭の「こひ」と三句の「ま」と「かがみ」と四句の「さら」と五句の「い」が同じだけです。また、詞書も、異なります。類似歌aだけと3-4-15歌との比較では、二句にある6文字、三句の5文字、四句の6文字及び五句の1文字が、同じです。

④ この歌と類似歌も、趣旨の異なる歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌は、 『萬葉集』巻第十一古今相聞往来歌類之上の「寄物陳思」にある歌です。「寄物陳思」は二部に分かれ、最初が「以前一百四十九首柿本朝臣人麿之歌集出」と2-1-2521の左注にある「寄物陳思」(2419~2512)であり、もうひとつがそのような左注のない「寄物陳思」(2626~2818)です。類似歌a2-1-2642歌はもうひとつの「寄物陳思」に、同じく類似歌b2-1-2506歌は最初の「寄物陳思」にあります。

② 『萬葉集』の記載順に検討します。

最初に、2-1-2506歌の前後の歌を確認し、配列からの特徴をみてみます。

 「寄物陳思」(2419~2512)は、「寄物」の「物」によって配列されています。そして、「陳思」の「思ひ」を、歌意から推測してみると、確認した2506歌前後の歌は、みな恋の歌でした(確認は、四季、恋、(恋以外の)男女の相聞、同性の相聞、羈旅・送別、その他に分けて、確認してみました)。

かみを「寄物」とする歌5首からはじまり、やま、かはなどが続き、つるぎ2首、くし1首、(類似歌のある)まそかがみ2首、まくら1首、ころも1首、ゆみ1首、うらない2首で終ります。

配列において、「寄物」同士が対とか関連付けられていることはありませんでした。又、「寄物」の枠を越えて歌同士を対として捉える必要があるとはみえませんでした。

ひとつの「寄物」は、少なくとも既に相愛か否かでそろっているとみてよい。

このため、配列からは、同じ「まそかがみ」という「寄物」の歌のなかで独自性を持った歌であればよい、とみることができます。

③ 「寄物」が「まそかがみ」である歌2首は次のとおりです。

2-1-2506歌  (上記1.に記載)

 

2-1-2507歌  まそかがみ(真鏡) てにとりもちて あさなさな みれどもきみは あくこともなし

 

④ 次に、2-1-2642歌の前後の歌を確認し、配列からの特徴をみてみます。

 「寄物陳思」(2626~2818)は、「寄物」の「物」によって配列されています。そして「陳思」の「思ひ」も確認した2626歌から2658歌は、みな恋の歌でした。

衣を「寄物」とする歌8首からはじまり、かづら、おび、まくらの次に、(類似歌のある)まそかがみの歌3首、つるぎの3首と続きます。

 この前後の「寄物」の歌をみてみると、二つ前の「おび」という歌1首は、作中人物は、相手と夫婦とみえます。一つ前の「枕」という「寄物」の歌2首も、作中人物は、相手と夫婦とみえます。

「まそかがみ」という「寄物」の歌は、作中人物は、相手に受け入れてもらっていないようにみえます。あるいは、復縁を迫るかの歌にみえますが、詳しくは以下に検討します。

 次にある「つるぎ」という「寄物」の歌2首も、作中人物は、相手に受け入れてもらっていないようにみえます。

配列からは、2-1-2506歌のある「寄物」の場合と同様に、同じ「まそかがみ」という「寄物」の歌のなかで独自性を持った歌であればよい、とみることができます。

⑤ 「寄物」が「まそかがみ」である歌3首は次のとおりです。

2-1-2640歌 まそかがみ(真素鏡) ただにしいもを あひみずは あがこひやまじ いもまつらむか

 

2-1-2641歌 まそかがみ(真十鏡) てにとりもちて あさなさな みむときさへや こひのしげけむ 

 

2-1-2642歌 (上記1.に記載)

 

3.類似歌の検討その2 まそかがみを「寄物」とする5首について

① 上記の「まそかがみ」を「寄物」とする5首について、諸氏の現代語訳の例を『萬葉集』の歌番号順に示します。

2-1-2506

・「あなたがおいでになる里が遠いので、私の心は恋しさにしょんぼりしています。まそ鏡を置く床ではありませんが、どうか私の夜の床のそば離れず、毎晩夢にお姿を見せてください。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句「まそかがみ」は、床の辺に置くものであることから床にかかる枕詞である、と指摘しています。また作者(作中人物)の性別に触れていません。女性を男性が訪ねることが通常である時代なので、作中人物は女性と私は思います。

・「里が遠いので、恋ひ思ひに、心さびしくなってしまった。まそかがみが、床の側を離れない如く、近々と夢に見えてほしい。」(土屋氏)

 氏は、「三句は、トコノヘサラズにつづけて(おり)枕詞と見てもよい。」、「男の立場の歌」、「これも民謡。それ故女の立場としても受け取れる所があるが、初句は、遠路を通ふ男の感慨として始めて生きて来るであらう。」と指摘しています。氏は、民謡という表現を、個人が特定の時に特定の気持ちで作った歌ではない歌で、集団意識の産物としてできた歌群(1個人の作であってもその集団の精神の影響下に作った歌群)という意味で使用しています(『萬葉集私注 十巻』「萬葉集私注の著者として」等参照)。

 

 

2-1-2507

・「まそ鏡を朝々手に取って見るように、毎朝お姿を拝見していますが、あなたは、見飽きることがありません。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句と二句を、「あさなさな みれども」を起こす序詞とみています。また、作者(作中人物)を女性(妻)とみています。

・「まそ鏡を手に取り持って、朝々見るごとく、しばしば会うても、なほ君は飽き足ることがない。」(土屋氏)

 氏は、「三句までは比喩的の序である。女の立場の民謡であるが、鏡を譬喩としただけの平凡な歌である」と指摘しています。

 

2-1-2640

・「まそ鏡を手に取って見る、そのように直接あの娘とあい見ない限りは、私の恋は止むことはない。たとえ何年経とうとも。」(阿蘇氏)

・「マソカガミ(枕詞)直接に、妹を相見ないならば、吾が恋は止むまい。年を重ねたとしても。」(土屋氏)

 両氏とも、作中人物は男と理解しています。

2-1-2641

・「まそ鏡を朝ごとに手に取って見るように、毎朝あなたと顔を合わせるような時でもきっとあなたへの恋心はしきりであることでしょうよ。」(阿蘇氏)

 氏は、「男女どちらともとり得るが、男性の歌か」と指摘しています。

・「まそ鏡を手に取り持って、朝々見る如く、朝々相会う時でさへも。恋ひ思ふ心はしきりなものであるだらう。」(土屋氏)

 氏は、民謡的常識といふべきものにすぎぬ、と指摘しています。

 氏の理解は、「鏡と毎朝私は向き合っている。そのようにあなたと毎日あうということであったら恋が激しい、という状況なのか(まだそうなっていない)」と意訳できます。助動詞「む」が2カ所にありますが、ともに推量の助動詞とみています。

 

2-1-2642

・「あなたの住む里が遠いので(なかなか逢えず)、すっかり恋にしおれてしまいました。鏡に映る影ではないが、どうか面影だけは毎晩私の夢に見えてください。」阿蘇氏)

 氏は、「まそ鏡は面影の枕詞であり、曇りのない鏡、の意。鏡は床の近くに置くもの(のひとつ)」と指摘し、

「夢に相手があらわれることは相手がこちらを思ってくれている印だから、相手が思ってくれていたら、夢に相手が毎晩あらわれれば、相手の愛情を信じることができる(、と作者は思っている)」と言っています。

 二句の「こひわびにけり」を、又解説し、「ワブは、上二段活用。失意・失望・困惑の情を態度・動作にあらわす意。気落ちした様子を外に示す、辛がって嘆く、の意。ケリは、詠嘆。」と指摘し、また、この歌の「四句」の表現より類歌(2-1-2506歌)における四句(「とこのへさらず」)の表現がよい、とも指摘しています。

・「里が遠いので恋ひわびしくなった。マソカガミ(枕詞)面影が、離れずに、夢に見えてほしい。」(土屋氏)

 氏は、「左注にある如く、前の(2-1-2506歌の)別伝と見るべきであらう。オモカゲサラズは、前のトコノヘサラズの異伝であるが、劣って見える」と指摘しています。

 

4.まそかがみ

① 「寄物陳思」の「寄物」である「まそかがみ」について、当時の人々の認識を確認します。「陳思」の「思ひ」を現代の人々が理解するのにかかわると思うからです。

② 「まそかがみ」は、『古典基礎語辞典』によれば、「真澄鏡。マソミカガミ(万葉仮名「真十見鏡」など)の約。」とあります。「まそ」とは「かがみ」の、ある状態を言っている、ことになります。

 「かがみ」は、『古典基礎語辞典』によれば、「 カガヨフ(耀ふ)・カゲ(影)と同根であり、カゲ(影)ミ(見)の意。」であり、ここにカゲ(影)とは、「光が当たって見える物や人の姿」の意です。だから、光が反射する性質を利用して人の姿や直接見えぬところの物を見ようとする道具のことを指すことばです。

「かがみ」というと、弥生時代以来奈良時代までならば、銅合金製の朝鮮半島などからの将来品とその仿製鏡が、最初に思い浮かびます。将来品は格段にその機能が優れていたので尊重されたのであろうと思います。

世界の各地に、(水鏡などから)鏡の面が、「こちら側」の世界と「あちら側」の世界を分ける境目(両側から顔をあわせられる場所)と捉えられ、鏡の向こうにもう一つの世界がある、という観念があるそうですが、機能向上した鏡により、鏡は境目にある出入り口であるという意識を高め、(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、とも信じられ、日本の古代では、境目にある出入り口は、通常閉ざしておくため、鏡面を覆っておくものと認識されていたそうです。

そのような出入り口を「こちら側」の世界に居るものが恣意的に用意できるものには需要があり、機能向上した鏡は、古墳時代には主として祭器や宝器として用いられています。

鏡の機能維持には、銅合金製である鏡を日常的に磨き、放置すると鏡面が曇るのでそれを防ぐため布で包み、鏡筥に入れて保管することになります。そのように手入れの行き届いた(状態の)鏡が「まそかがみ」のイメージではないか、と思います。だから「澄み切った鏡」でもあります。「まそかがみ」の状態を保つことは日常の用に用いる場合でも十分必要なことです。

③ 祭器であれば、古代には権力を掌握したものが独占する方向に向かうのが常であり、事実大和朝廷は祭祀権を自分に集中しました。つまり祭器の鏡の所有は一般には広がらない(目に触れなくなる)ことになります。それでも官人は、旅行途中における安全祈願を行うための鏡を携行していたと思われます(使命を果たすために支給されたのかもしれません。後代ですが、『土佐日記』には、荒れた海に鏡を奉って鎮めた話があります)。

その一方で銅合金製の鏡は実用的な使用もされており、正倉院に伝来の鏡筥があるのは、既に貴族の調度の一つであった証拠です。それでも官人とその家族は兎も角も、官人の使用人クラスの人や当時の農業従事者にまで銅合金製の鏡が調度品としてどんどん普及していたかどうかははっきりしていないところですが、銅合金製の鏡は不断に磨くものである、という認識は貴族とその他の多くの人々が共有していたのではないか。そして、鏡は境目にある出入り口であるという意識も、銅合金製の鏡の所有にかかわらず、多くの人が共有していたともいえます。

④ 万葉仮名を「まそかがみ」と訓む歌は、『萬葉集』に35首あります(付記1.参照)。そのなかには、

2-1-3330 まそかがみ もてれどわれは しるしなし きみがかちより なづみゆくみれば

2-1-4216歌  もものはな くれないゐろに ・・・ あさかげみつつ をとめらが てにとりもてる まそかがみ ふたがみやまに このくれの ・・・

と、「まそかがみ」を作中人物が個人で所有・使用していると推定できる歌があります(前歌はよみ人しらず、後歌は大伴家持が作者です)。 また、

2-1-622歌  おしてる ・・・ まそかがみ とぎしこころを ゆるしてし ・・・

2-1-676歌  まそかがみ とぎしこころを ゆるしてば のちにいふとも しるしあらめやも 

と、常日頃磨いているもののひとつに「まそかがみ」と称するものがあることがわかります(この2首は大伴坂上郎女が作者です)。

これらの歌の作中人物(主人公)は、銅合金製の鏡を日常的に使っている家族の一員かその家族の近くにいる者の可能性が大変高い。仿製鏡があるので、デザイン面から祭器用と日常用とは、区別が一見してわかる状態であったのであろうと、思います。           

⑤ そのため、『萬葉集』歌が詠まれた時代の「まそかがみ」という用語は、用途に関係なく銅合金製の鏡をいう語句である、と定義して、以下の歌の検討をします。

 

5.類似歌の検討 その3  各一例しかない おもかげ・とこ

① 検討する5首には、序とみられる部分があります。土屋氏は、2-1-2500歌の解説で、(萬葉集の)序(詞)について、つぎのように言っています。

「序は、総じて、長い序、序に感銘の中心が置かれてある序は、民謡に甚だ多いのである。現在の我々の鑑賞法からすれば、其等の序は、枕詞と等しく、殆ど空白として味ってもよいものである。ただ其の序の部分には、民族の経験が表現されて居ることが多いので、作品としての受用とは又別に、さうした方面の興味の無視出来ないものが少なくない。この巻(十一)、巻十二などの序には、特にさうした種類のものが多いのである。」(『萬葉集私注 六』 (2-1-2500歌の「作意」の項)より)

私は、歌の現代語訳を試みるには、当時の文化状況における歌として行うべきものであると理解しているので、序の意味合いを汲むべきものとしています。『猿丸集』の歌の検討でも枕詞を含めてその意味合いを汲むべきものとしてきたところです。

② さて、「まそかがみ」は、枕詞として、掛かることばを五十音順にみると、諸氏は、

映ることから、「面影」に、

床の辺に置くので「床」に、

鏡を見ることから「見る」に、

かると指摘しています。

「寄物」の「物」である「まそかがみ」が、枕詞としてかかる例の少ない語句の歌を、まず検討します。

萬葉集』において、「まそかがみ」が枕詞として「おもかげ」にかかるのは一例のみであり、それが2-1-2642歌です。

③ 初句にある「里」が、律令の行政上の単位を意味しているならば、当時の大和朝廷支配下の里(その後郷と呼ぶことに変わる)数は『和名類聚抄』(承平年間(931 - 938編纂記載の全国の郷数(4041)とほぼ変わりないとすると、現在の市町村数)1741)の僅かに2.3倍です。隣り合う「里」(郷)とは物理的な距離がだいぶあることとなります。(付記2.参照)、

行政上の里は50戸で構成していますが、推定人口は1000/里を越えています。また、『萬葉集』の「故郷」あるいは、「古家の里」「古りにし里」といえば、もっぱら明日香を指していると諸氏は指摘しています。里の広さは思うべし、です。

④ この歌(2-1-2642)阿蘇氏の理解に従うと、「まそかがみ」は、日常使っている鏡を指しています。鏡の前に居る者は自分の姿を映し、それにより化粧・身だしなみを整える用に用いている日常使っている鏡です。土屋氏に従うと、「面影が(私に)はなれずに」と詠っている意は、日常的に用いている鏡としており、同じです。

だから、作中人物は、鏡を日常使っている家庭に居る一人、となります。

里が違うもの同士の間の相聞の歌がこの歌であるので、この歌を最初に詠った作者は、官人の家族の一員とか、大和朝廷の末端組織で朝廷の立場を体現すべきものである里長などの家族の一員が、第一に想定できます。それから後、里の人々が用い土屋氏のいうように民謡となったのでしょう。

⑤ 四句「おもかげさらず」は、名詞「おもかげ」+動詞「さる」の未然形+助動詞「ず」の連用形又は終止形、です。

「おもかげ」は、「ぼんやりと目の前に見えるような気がする姿とか幻、あるいは顔つきとか様子」(『例解古語辞典』)を、言っています。

また、動詞「さる」は、「去る」であり、離れる・退くとか遠ざける意があります(『例解古語辞典』)。助動詞「ず」は、打消し、否定の助動詞です。

 このため、四句「おもかげさらず」は、三句と連動して「まそかがみに映る姿が、その鏡の前に居るものの近くにあるように、貴方のお顔は(わたしから)離れないで」の意となり、五句と連動して「あなたが私から離れていない、忘れていないことを私に教えてくれるよう(夢のなかに・・・)」の意ともなっています。

⑥ 以上のことを踏まえて、2-1-2642歌の現代語訳(案)を試みると、つぎのとおり。この歌は、二句で文が一旦きれます。

 「あなたのいる里は(私の里から)遠くて、なかなか訪ねてゆけないので、悲しくて、忘れられてはと気が気ではありません。良くみがいた鏡に映る姿ははっきり見え、鏡を見るもののそばにあるものと知れるように、私はあなたのそばにいたい。あなたも私を遠ざけないで、私の夢に現れてほしい(夢で逢えるのは思いを寄せてくれているからというので、安心させて下さい。)

⑦ 作中人物は、男です。住んでいる里を承知していれば遠距離恋愛ということは周知の事実となっているのに、作中人物は足が遠のいている理由を「さとどほみ」としています。遠距離以外に仕事で時間が取れない事情などを訴えることができないでいるので迫力がありません。相手の女の人が、「さとどほみ」だけで訪れる頻度が減ることを許すとはとても思えません。この歌における「まそかがみ」は近さのたとえ、という理解が良いと思います。

 歌の左注にある歌(2-1-2506歌)は次に検討する歌でもありますが、そこでの「ますかがみ」は、身近にあるものとして、作中人物と相手の人との近さのたとえで用いられています。この歌に左注をした者は、歌中での「まそかがみ」の用法に共通点をみていたこそ指摘したのだ、と思います。

⑧ 次に、『萬葉集』において、同じように一例のみある「ますかがみ」が枕詞として「床」にかかる歌が2-1-2506歌です。

⑨ 現代語訳として、男女どちらが作中人物でもこの歌を用いたとして、土屋氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「里が遠いので、恋ひ思ひに、心さびしくなってしまった。まそかがみが、床の側を離れない如く、近々と夢に見えてほしい。」

⑩ この歌での「まそかがみ」は、作中人物にとり、床の辺に置いて保管している鏡であり日常の調度品の扱いです。普段の鏡を使う頻度は女性が多いので、鏡の所有者(占有者)が作中人物と考えると、女性です。その女性は、男を信頼しているかのトーンの歌ですが、会い難いのが「さとどほみ」で納得していているようであり、それで二人の関係は大丈夫なのかという心配が、2-1-2642歌と同じようにあります。

 土屋氏のように、男の立場の歌であるとすると、次のような理解もできます。

 「里が遠いので恋の思いに心がさびしくなってしまった。あなたが日々使っているまそかがみが、床の辺の側を離れないように、私はいつもあなたの側にいたい。せめて夢に、私のそばに近々とみえてほしい。」

 

6.類似歌の検討 その4  数多い例がある みる

① 残りの3首(2-1-2640歌、2-1-2641歌、2-1-2507歌)の「まそかがみ」は、諸氏が、枕詞として「みる」にかかる歌と指摘しています。『萬葉集』全体で「まそかがみ」を詠う歌が35首ありますが、そのうち14首に枕詞としてあり、一番多い。

萬葉集』記載順に検討します。

② 最初に、2-1-2507歌を検討します。「まそかがみ」は、作中人物にとり、「手にとりもつ」という日常の調度品の扱いです。作中人物は、女です。手元に銅合金製の鏡を置ける人物ですので、官人かその家族か里の里長クラスの家族でしょう。どの里にも該当者がいることになりますが、田の耕起を直接するような立場の者ではないと思います。土屋氏がこの歌は民謡と言っている趣旨は、公の行事のための歌として詠まれたのではなく、誰かが最初に詠んだあと、多くの者が利用した歌、という意味だと思います。

③ 現代語訳として、土屋氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「まそ鏡を手に取り持って、朝々見るごとく、しばしば会うても、なほ君は飽き足ることがない。」

度々あっている相手に、この歌を送ったとすると(または謡ったとすると)、他人には面白くもない歌です。そんな歌を編纂者は採録しているのです。土屋氏のいう民謡として考えると、逢ってくれていない相手に、この歌を送れば、言いたいことは分かる歌です。

④ 次に、2-1-2640歌を検討します。 

作中人物が言う「まそかがみ」は、「みる」にかかる枕詞であれば、「みる」用に供している手元に置いている鏡を指します。また、作中人物(主人公)は男です。

⑤ 現代語訳は、初句「まそかがみ」も現代語訳に加えている阿蘇氏の訳を採ります。再掲すると、次のとおり。

「まそ鏡を手に取って見る、そのように直接あの娘とあい見ない限りは、私の恋は止むことはない。たとえ何年経とうとも。」

⑥ 最後に、2-1-2641歌を検討します。

初句「まそかがみ」が、「みる」の枕詞として、「まそかがみ てにとりもちて あさなさな みむ(とき)」までを一つの語句として文を理解することとします。

⑦ 四句「みむときさへや」は、上一段活用の動詞「見る」の未然形+助動詞「む」の連体形+名詞「時」+副助詞「さへ」+「や」となります。

  「む」は・・・・推量の助動詞または意志・意向の助動詞です。

「時」は、「何か事があった時期あるいはその場面・場合」の意です。

「さへ」は、「(・・・ばかりでなく)・・・まで。さらにそのうえに加わる」意を表わします。

「や」は、係助詞で、「しげけむ」の「む」が結びで、連体形をとっています。

⑧ 四句「みむときさへや」全体で、「(まそかがみを毎朝毎朝使いその鏡に映る姿は鏡を使う人の間近であるように、あなたと近々と向き合うというときでさえ」、の意となります。

 四句にある「みむとき」の「む」は、推量の助動詞です。作中人物が常に行う行為が鏡を使うを指しているのですから。

 また、四句にある「ときさへ」は、「鏡を見る日々と同様な状態(作者の身近に相手の人と一緒にいる状態」の意です。

⑨ 五句にある「しげけむ」は、形容詞「繁し」の(上代の)未然形+助動詞「む」の連体形です。「む」は推量の助動詞です。身近に居るといっても(即ち通い婚である二人は常に一緒に居る訳に行かないので)しげくなると推測しています。

⑩ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

 「磨いていてよくみえる鏡を手に持てば毎朝その鏡にくっきり映る姿はいつも貴方(あるいは私)の間近にあるように、あなたと近々と向き合うというときになったときでさえ、あなたへの思いはまたまたはげしくなるのでしょう(しかし、まだそのようになっていません)。」

 この歌の作中人物は男でしょうが、女も可能です。そしてこの歌は、相手に期待を抱いている歌です。

⑪ 「ますかがみ」は、鏡を使う人と映る面影とが近い距離にあることを、作中人物は喩えに持ちだしています。

⑫ 以上、二つの類似歌の詞書にある歌5首を検討してきました。「まそかがみ」という語句を用いたこの5首は、どの歌も作中人物のその相手との距離が近いことは、貴方と貴方が現に(あるいは私と私が現に)手にしている鏡との関係と同じである、と言っています。しかし、歌の表現はそれぞれ工夫を凝らして違います。それぞれ歌意が異なり、上記2.で検討した配列から導いた条件を満足しています。それでも、各歌の作中人物(主人公)の立場は、男でも女でもよい(性別に関係なくこの歌を利用できる)歌が3首ありました(2-1-2506歌、2-1-2641歌、2-1-2642歌)。民謡と土屋氏がいう由縁です。

いづれにしても、上記の現代語訳(あるいはその試案)を踏まえて、3-4-15歌の検討にすすむこととします。

 

7.3-4-15歌の詞書の検討

① 3-4-15歌を、まず詞書から検討します。文頭にある動詞「かたらふ」は、「語り合う」のほかに、「親しく交際する。男女が言いかわす。頼み込む・相談をもちかける。説いて仲間に入れる。」の意があります。

 動詞「かたらふ」を「親しく交際する」と、いう意にとれば、男から男への歌となりますが、『猿丸集』はここまで恋の歌が多いので、「かたらふ」のは男女と理解します。

動詞「いく(行く)」は、ここでは、「立ち去る」意です。

なお、この詞書は、次にある3-4-16歌と3-4-17歌の詞書でもあるので、その検討時に再度触れます。

③ 現代語訳を試みると、つぎのとおり。

「親しくしてきた人が、遠く立ち去ってしまって、その人のもとに(送った歌)」

 

8.3-4-15歌の現代語訳を試みると

① 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-15歌の現代語訳を試みます。

② 二句「こひわびにける」の「こふ」は、「乞ふ・請ふ」と「恋ふ」が考えられます。類似歌と歌意は違うと仮定すると、ここでは、「乞ふ」が第一候補であり、「乞うことがたやすくできないで、困ってしまったところの」、の意となります。

なお、清濁抜きの平仮名表記で「こひわひにける」とか「こひわひて」表記の歌は、『萬葉集』にありません。

③ 五句「いまきみはこず」の「いま」は、「(さらに)こず」を修飾しています、「今日も昨日も一昨日もその前の日も」、と現在まで、の意です。また、「こず」は、動詞「来」の未然形+打消しの助動詞「ず」の終止形です。「来」は目的地に自分がそこにいる立場でいうので、「私に近寄らない」意です。

④ 3-4-15歌の現代語訳を試みると、つぎのとおり。

鳴いてほしい、聞かせてほしいと思っているホトトギスと同じく、私のよく映るますかがみに貴方の面影は今日までまったくみえませんね。

⑤ 三句「ますかがみ」は、こちら側とあちら側の境目にある出入り口である鏡です。(神や)祖霊や人から遊離可能な人の霊魂などは鏡を通じて両方の世界を行き来できる、と信じられ、ここでは、貴方の霊魂も私の近くに来たことがない、と三句以下で相手に訴えていることになります。

 「ますかがみ」は、作中人物と相手が近くにあってもよい譬えになっています。

⑥ 作者は女と一応推定できます。おくった相手は男です。しかし、この詞書のもとに3首ありますので、あと2首もあわせて検討したいと思います。作者が女というのは、今は仮置きとします。

 

9.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 二句の五句「こひ」の意が違います。この歌3-4-15歌は、動詞「乞ふ」であり、類似歌2-1-2642歌は、動詞「恋ふ」です。

③ 四句の語句が異なります。この歌は「(おもかげ)さらに」であり、「さらに」は副詞。これに対して、類似歌は「(おもかげ)さらず」であり、「さらず」は動詞句です。

④ 五句の語句が異なります。この歌は「いまきみはこず」で否定の表現であり、類似歌は「いめにこそみめ」で肯定の表現です。

⑤ この結果、この歌は、相手が遠ざかったことを嘆いています。類似歌は、相思相愛を信じています。

 さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-16歌  あづさ弓ひきつのはなかなのりそのはなさくまでといもにあはぬかも

3-4-16歌の類似歌は2首あります。

 a2-1-1934歌   問答(1930~1940    (詞書なし。3-4-15歌の詞書がかかる)

   あづさゆみ ひきつのへなる なのりその はなさくまでに あはぬきみかも 

 b2-1-1283:   旋頭歌

      あづさゆみ ひきつのへなる なのりそのはな つむまでに あはずあらめやも なのりそのはな 

3-4-16歌とその類似歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/21   上村 朋)

付記1.「まそかがみ」の万葉仮名について

① 最も多いのが「真十鏡」であり、15例ある。ほかに「真素鏡」「真祖鏡」「真鏡」などの「真」をふくむ用例が8例ある。

② 戯書を用いた「犬馬鏡」「喚犬追馬鏡」が5例、仮名書き例(「麻蘇鏡」、「末蘇鏡」)4例、さらに「清鏡」「白銅鏡」「銅鏡」が各1例ある。

付記2.里と奈良時代の人口について(ウイキペディアほかより)

① 大化改新後の国郡里制では50戸を「里」としています。霊亀元年(715)の郷里制で「郷」と改称され、かつ、その下に里が置かれたが、天平12年(740)頃廃止され、以後は「郷」が最小の区画となっている。その「郷」にある50戸には平均一戸あたり20人余の人口(租庸調を担うはずの家族の人口)があったという推定がある。

② 鎌田元一氏は、1984年、1郷当たり推定良民人口1052人とした。沢田吾一氏の1927年発表した奈良時代の総人口は560万人平城京20万人である。正倉院文書の戸籍と一郷あたりの税負担者(17~65歳男性)等が基礎となっている。鬼頭宏氏は、725年の推定人口を、1郷当たり推定良民人口1052人に『和名類聚抄』記載の郷数(4041)を乗じた値を政府掌握人口(4251100)とし、賎民人口(良民人口の4.4%187050)岸俊男による平城京の推定人口(74000)を加算し、計4512200人と算出している。

(付記終る  2018/5/21 上村 朋)

 

 

 

 

 

 

わかたんかこれ 猿丸集第14歌 わがままに

前回(2018/5/7)、 「猿丸集13歌第 よりにけるかも」と題して記しました。

今回、「猿丸集第14歌 わがままに」と題して、記します。(上村 朋)  

(追記:さらに理解が深まり改まりました。2020/8/17付けブログを御覧ください。(2020/8/17))

 

. 『猿丸集』の第14 3-4-14歌とその類似歌

① 『猿丸集』の14番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-14  この歌のみの詞書はありません。3-4-13歌の詞書のもとにある歌です。

あさ日かげにほへるやまにてる月のよそなるきみをわがままにして  

 

3-4-14歌の類似歌  2-1-498歌。田部忌寸櫟子任大宰時歌四首(495~498

     あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおき

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句と五句と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌2-1-498 『萬葉集』巻第四(全巻「相聞」の部)にある歌で、巻第四の詞書としては6番目にあたる「田部忌寸櫟子(たべのいみきいちひこ)任大宰時歌四首(495~498)」とある歌です。

この歌の前後の詞書(題詞)をみてみます。そしてその詞書における歌の作者を諸氏の論より示すとつぎの通り。

「難波天皇(なにはのすめらみこと)妹奉上在山跡皇兄御歌一首」: 作者は、難波天皇の妹 (仁徳天皇の妹か) 

「岳本天皇御製一首」: 作者は、岳本(をかもとの)天皇 (斉明天皇か)

額田王思近江天皇作歌一首」: 作者は、額田王(ぬかだのおほきみ) 

「鏡王女作歌一首」: 作者は、鏡王女  

吹芡(ふふきの)刀自歌二首: 作者は、吹芡刀自       

「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」: 作者は、田部忌寸櫟子夫妻か (田部忌寸櫟子と舎人吉年か)

「柿本朝臣人麿歌四首」: 作者は、柿本朝臣人麿   

碁檀越(ごのだんをち)、徃伊勢国時、留妻作歌一首」: 作者は、碁檀越の妻 

柿本朝臣人麿歌三首: 作者は、柿本朝臣人麿か

「柿本朝臣人麿妻歌一首」: 作者は、柿本朝臣人麿の妻 

阿倍女郎歌二首: 作者は、阿倍女郎  

・・・(中略)       

中臣朝臣東人贈阿倍女郎歌一首: 作者は、中臣朝臣東人

阿倍女郎答歌一首:作者は、阿倍女郎

大納言兼大将軍大伴卿歌一首: 作者は、大納言兼大将軍大伴卿(大伴宿祢安麻呂)

石川郎女歌一首  即、大伴佐保大家也: 作者は、石川郎女(大伴宿祢安麻呂の妻)

(以下略)

② これらは多くの天皇の時代の歌であり、多くの人の名が作者名として並んでいます。その中には額田王と鏡王女のような対の歌の作者や、柿本朝臣人麿とその妻という作者や、阿倍女郎と同時代の歌や大納言兼大将軍大伴卿周辺の人々などとのグループ分けできますが、この人達とは直接の関連がない別のグループであるのが、詞書(題詞)「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」とある歌の作者とみることができます。このため、この類似歌の検討は、この詞書のもとでの歌群の歌として独自性があればよい、と思われます。

 また、作者名と思われる「名」と「歌」の文字に注目して詞書の書き方を比較すると、「御歌(あるいは御製)○首」、「(個人名)+作歌○首」、「(個人名)+時歌○首」、「(個人名)+歌○首」という書き分けが行われています。

2-1-498歌は、「(個人名)+作歌○首」ではない「(個人名)+時歌○首」タイプであり、「この時点で詠まれた歌」という意味合いにとれる詞書にある歌です。つまり、作者は「田部忌寸櫟子」ではなく、田部忌寸櫟子が「大宰」に任ぜられた時に誰かが詠った(朗詠した)歌を記載する、という意の詞書と理解できます。

例えば、櫟子が任ぜらたことを祝うとか送別の宴席で披露(朗詠)された歌という推測です。このため、以下の検討では、作者の推測も行うこととします。

なお、このタイプの詞書は、巻第三では2例、巻第四ではこの1例のみです。(付記1.参照)

 

3.田部忌寸櫟子任大宰時歌四首について

① 「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」という詞書における歌(2-1-495~2-1-498歌)について、諸氏は、妻舎人吉年が詠い夫田部忌寸櫟子が応えた歌で構成され、夫は大宰府へ赴任、妻は都で宮廷勤務という状況での歌であるか、と指摘しています。

舎人吉年は、天智天皇の挽歌を詠っている女官であり、官人の一人であるのは確かです。それ以上は不明です。櫟子は、『萬葉集』にはここ以外名があがっておらず、伝未詳です。

② 四首を比較検討することとします。最初に歌を示します。

 2-1-495歌 

ころもでに とりとどこほり なくこにも まされるわれを おきていかにせむ

 土屋氏は、古注により舎人吉年の作としています。阿蘇氏は、詞書中の「任大宰」を「大宰府の役人に任ぜられ」と理解し、役職名は不明としています。任ぜられた時期も不明です。

 

 2-1-496歌  

おきていなば いもこひむかも しきたへの くろかみしきて ながきこのよを  田部忌寸櫟子

 今『萬葉集』の原本としている『新編国歌大観』では、このように、作者名を記載している位置と思えるところに田部忌寸櫟子、とあります。

 

 2-1-497

      わぎもこを あひしらしめし ひとをこそ こひのまされば うらめしみおもへ

 この歌の作者は、夫であると、土屋氏も阿蘇氏も指摘しています。

 

 2-1-498歌 (上記1.に記載)

 

③ 次に、諸氏の現代語訳を示します。

 2-1-495

・「衣の袖にとりすがって泣く子供以上に あなたとの別れを悲しんでいるわたしを置いて行ってしまうなんて、わたしはどうしたらよいでしょう。」(阿蘇氏)

・「衣の袖にとりつき離れ難く泣く子にもまして悲しむ吾を、後に残して置いて、吾はさてどうしませう。」(土屋氏)

太宰府への夫の赴任は左遷ではないはずです。それなのに、上記のような現代語訳に従えば、妻は取り乱したかのようにこの歌2-1-495歌を詠っています。妻を連れて赴任する官人もいるのでそれを妻は訴えたのでしょうか。2-1-496以下の歌に、妻に家を守れと直接指示をするような歌も、単身赴任が止むを得ない選択なのだと訴える歌もありません。何故このような感情を夫の赴任にあたり妻は詠ったのでしょうか。

 

 2-1-496

・「置いて行ったら、あなたはわたしを恋しく思うでしょうか。その長く美しい黒髪を床に敷きなびかせて、長いこの夜を。」(阿蘇氏)

 氏は、「しきたへ」が黒髪にかかる枕詞であるのは、この一例のみ、と指摘しています。

・「後において行ったならば妹は恋ひ思ふことであらうか。黒髪をしいて長い此の夜をば。」(土屋氏)

 2-1-495歌を聴かされた直後に、夫が詠ったかに思われるのがこの2-1-496歌です。「(私が離れたら)そんなに私を恋うのかね」と問うている歌にとれます。妻が詠っていると理解可能な2-1-495歌のトーンとは違い、夫の妻に対する信頼関係はどうなっているのかと疑いたくなる歌にとれます。

 

 2-1-497

・「あなたをわたしに引き合わせくれた人を、恋心がまさるにつけても、恨めしく思いますよ。」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、「二人を引き合わせた人を恨めしく思う、と表現した歌はめずらしい」といっています。

・「吾が妹を 吾にあひ知らせた人をば、恋心のまされば 反って 恨めしいと思ふ」(土屋氏)

 巻第四記載の順の時系列でこの4首が詠まれていると仮定すると、この2-1-497歌の理解に2案あります。第一案は、2-1-496歌の反論であり、「あなたとの出会いは運命だったのですから一緒に太宰府に行きたい」、と訴えているかに見えます。引き合わせた人(多分上司、同族の長など)が居るところで詠ったとすれば、その人へ妻が嘆願していることになります。官人で遠くへ赴任することになっている男ならば、このような歌は詠わないと思いますので、これは女の立場の歌です。

 第2案は、既に詠われた(披露された)2-1-495歌と2-1-496歌が、果たして夫婦の掛け合いの歌であろうか、という違和感から生じた案です。即ち、何らかの理由で妻を同道して赴任できない夫を同僚が慰めた歌ではないか、という理解です。例えば、女官であり、退職ができない、妊娠中である、遠方の鄙の地はいや、と妻が拒否した、というケースです。この場合、2-1-495歌と2-1-496歌もこの2-1-497歌も仮定の夫婦の代作を同僚がしているということになります。この歌の作中人物は女であることは第一案と同じです。そして、2-1-496歌にある「田部忌寸櫟子」とは、編纂者ではないものが記した注記であるという理解となり、2-1-495歌は「妻はそうあれかし」という歌、2-1-496歌は「理想の妻を連れて赴任できないなんて。だから田部忌寸櫟子はこのような心配をするのだ」と詠った歌となります。

編纂者の注記とすると、田部忌寸櫟子が代作してくれた2-1-495歌に応えた歌、理解するのが妥当です。

 

 2-1-498

・朝日の光にはなやかに染まっている山に照る月のように、いくら一緒にいても飽きないあなたを山の向こうに置いて・・・(私はゆかなくてはならない)」阿蘇氏)

 阿蘇氏は、初句~三句は「あかざる」を起こす序詞であり、残月を「あかざる」の比喩としたところには名残惜しい気持ちが託されている、と指摘しています。

・「朝日の光の美しくさす山に、なほ光りつつ残って居る月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君を山越しに置きて 出で立つことかな」(土屋氏)

 氏は、「上三句は、「あかざる」の序であり、「きみ」は男から女を詠んで例である」と指摘しています。

 この歌は、2-1-497歌に返歌をしています。2-1-497歌の第一案に沿った理解では、「やはり留守番を頼むよ」と。本当に素晴らしいあなただからしっかり女官を務めてほしいとか留守番をして子も育ててほしい、と妻にお願いしている歌ではないでしょうか。

 2-1-497歌の第一案に沿った理解でも、同じです。

④ この4首は一つの詞書のもとにあるので、このようなストーリーのもとでの歌であろうと理解が可能です。4首と偶数なので、男女の掛け合いの歌という理解に無理はありません。

妻が宮仕えしておれば(お仕えをつづければ)、遠く隔てて暮らさざるを得ないことを嘆かざるを得ません。そのような個人的な事情が加わってもこのストーリーで理解ができる歌群です。

 また、詞書に拠ることなく、この4首の歌の内容から、作中の人物が夫婦であれば、実作者は誰でも構わない、ということが言えます。

⑤ しかしながら、高位の官人ではないように思える都を離れる作中人物(確実に「田部忌寸櫟子」が擬せられています。)は、なぜ同道して大宰府に赴任しないのかは、この詞書の四首では不明です。大家族であれば、赴任中は親子水入らずの生活となると思われるのだが、大家族の面倒を誰がみるのか、という心配を夫はしているのでしょうか。この問題は、遠方に赴任する当時の官人にとり、共通の問題でもあったのでしょう。私は、2-1-497歌における第二案の理解を採りたいと思います。

⑥ この一連の歌4首は、どのような経緯で『萬葉集』の編纂者の手元にきたのでしょうか。夫婦であればほかの官人にわざわざいうこともないでしょう。披露する場(互いに贈りあう場)があって他人が記録していたとすれば、大宰府勤務が決まって後の、お祝いの席とか送別会の席が有力となります。

 あるいは、通常の宴席で、遠方への赴任が話題となったとき、出席者同士が応酬した歌であったかもしれません。大伴旅人大伴家持本人やその周囲の人が出席していたのかとも考えられます。

⑦ 妻が、諸氏の指摘するように、女官である舎人吉年であるとすると、送別の席に少なくとも立ち会うことができる立場であるかもしれません。舎人吉年が妻であるという証拠資料が乏しいことを想えば、舎人吉年が妻の立場を代作した可能性も直ちに否定できないところです。

いづれにしても、この一連の歌の作者が誰かは横におき、このような歌意の理解で、3-4-14歌のための検討を進めることとします。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳

① 類似歌2-1-498歌について、改めて現代語訳を試みます。

② 2-1-498歌は、朝日が昇るにつれて空の星は消えてゆき、西空には入り残る月がみえるという情景を、詠っています。大和からみて朝日に輝くある山とは、都の西空にある山であり、それは「たつたのやま(やま)」、現在の生駒山系になります。作中人物は、大和の都に居る、あるいは、大宰府に向い都を出発したということになります。

③ 朝日に輝く山にでる「てるつき」とは、月の入りが日の出直後となる月齢12~18日頃の月です。

④ 五句「やまごしにおき」とあるのは、大和と難波を隔てる、あの「たつたのやま(やま)」の向こう側とこちら側に分かれ住む、ということを言っています。大宰府と難波を同一視し、難波に行くように赴任し、難波から帰任するように無事戻るから、ということを言外に言おうとしたのではないでしょうか。

⑤ 以上の検討から、土屋氏の訳を参考にして、現代語訳を試みると、次のとおりです。

「朝日の光の美しくさすあのたつたのやまに、なほ光りつつ残っている月の如くに、共に居てもなほ見飽き足らない君をたつたの山のこちらに置いて 私は西に出で立つよ(そして難波からもどるかのように元気に戻ってくるから)」

 

5.3-4-14歌の詞書の検討

① 3-4-14歌を、まず詞書から検討します。

② この歌の詞書は、3-4-13歌の詞書(「おもひかけたる人のもとに」)に同じです。(2018/5/7ブログ「わかたんかこれ 猿丸集第13歌 よりにけるかも」参照)

③ 現代語訳(試案)は、次のとおり。

「懸想し続けている人のところに(送った歌)」

 

6.3-4-14歌の現代語訳を試みると

① 四句「よそなるきみを」の「よそ」は、「余所、自分と無関係なところ・無縁な状態にあること」の意があります。「四十」という意もありますが、五句の語句との整合を考えると、採りません。

四句は、「(今は私と)無縁であるところの貴方を」、の意となります。

② 五句「わがままにして」の「まま」は、「儘・随」であり、「思い通りであること・事実のとおりであること」の意があります。 

五句は、「我が+儘+に+して」であり、自分の思うままに、の意です。

③ ここまでの検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。

 「朝日が射してはなやかに染まっている山にまけず、かがやいている月のように、私には(今は仰ぎ見る)遠い存在であるあなたとの距離を、いずれ私ののぞむ状態に(したいものです)」

④ この歌の作者は、類似歌と同様、男であり、女性にこの歌を送っています。

⑤ 同一の詞書にある3-4-13歌とこの3-4-14歌を一人の女におくったとすると、作者のその女性に対する強い願望が表現されています。

 前歌は、女に強く懸想して、「あなたを思う気持はますます募り、あなたから離れません」と訴え、この歌は、「あなたのもとに通える仲になんとしてもなりたい」との申し入れと、なります。

 

7.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。

② 四句の意が異なります。この歌3-4-14歌は、「余所なる君を」と詠い、類似歌2-1-498歌は、「飽かざる君を」と詠います。

③ 五句の意が異なります。この歌は、「我が儘にして」であり、類似歌は、「山越しに置き」です。

④ この結果、この歌は、男の横恋慕とも思える歌となり、類似歌は、愛しい妻を想う歌となりました。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-15歌  かたらひける人の、とほくいきたりけるがもとに

   ほととぎすこひわびにけるますかがみおもかげさらにいまきみはこず

3-4-15歌の類似歌  類似歌は2首あります。

 a2-1-2642歌: 左注に「右一首上見柿本朝臣人麿之歌中也、但以句句相換故載於茲。」 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。

      さとどほみ こひわびにけり まそかがみ おもかげさらず いめにみえこそ

  b2-1-2506歌: 巻第十一古今相聞往来歌類之上の 寄物陳思にある歌です。

      さとどほみ こひうらぶれぬ まそかがみ とこのへさらず いめにみえこそ

 

類似歌とこの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/14   上村 朋)

付記1.「(個人名)+時歌○首」タイプの詞書(題詞)について

① 『萬葉集』巻第三と第四で「(個人名)+時歌」タイプの詞書は、例外的であり、つぎの例に限られる。

② 巻第三の雑歌にある 「長田王被遣筑紫渡水嶋之時歌二首」(246歌、247歌)

 2-1-246歌などは、長田王自身の作詠か代作かの可能性、さらに、長田王の随行者の作詠の可能性がある。諸氏の意見では、長田王自身の作詠という説が断然多い。

③ 巻第三の挽歌にある 「天平三年辛未秋七月大納言卿薨之時歌六首」(457歌~462)

 2-1-461歌の左注に「右五首は資人である余明軍が詠んだ」とあり、2-1-462歌の左注に「内礼正である県犬養宿祢人上が詠んだ」とある。なお、巻第三の挽歌は、原則「個人名+作歌○首」であり例外は上記を含めて3例のみである。

④ 巻第四では、「田部忌寸櫟子任大宰時歌四首」の一例のみである。

なお、巻第三では 「之」字が「時」字の前にあったが巻第四ではない。

⑤ 巻第四の詞書(題詞)について追記すると、次のような詞書(題詞)が、わずかだがある。

 後人追同歌○首

 個人名1+(贈など)+個人名2歌○首

 個人名+宴誦+歌○首

 個人名+宴席+歌○首

(付記終り 2018/5/14  上村 朋)

 

 

 

 

 

わかたんかこれ  猿丸集第13歌 よりにけるかも 

前回(2018/4/30)、 「猿丸集第12歌 あけまくをしき」と題して記しました。

今回、「猿丸集第13歌 よりにけるかも」と題して、記します。(上村 朋) 

(追記 さらに詞書など理解を深めました。2020/8/17付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)

 

. 『猿丸集』の第13 3-4-13歌とその類似歌

① 『猿丸集』の13番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

 

3-4-13歌  おもひかけたる人のもとに

   あづさゆみすゑのたづきはしらずともこころはきみによりにけるかも

 

3-4-13歌の類似歌 2-1-2998

あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、2カ所で計6文字と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します。

類似歌(2-1-2998歌) 『萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌之下 にあります。この巻は、「寄物陳思」の部が二つに分かれています。この歌は、二つ目の「寄物陳思」にあり、よみ人しらずの梓弓に寄せる歌6首のうちのひとつです。2-1-2997歌の本文の次に一本歌曰」とあり、その次にあるこの歌は、2-2-2997歌の異伝歌ということになります。なお一つ目には「柿本朝臣人麻呂歌集に出ず」と最後に左注があります。

この巻は、諸氏により、よみ人しらずの相聞であって、季語のない歌の集である、との指摘があります。

② この歌の前後の歌について、配列による特徴をみてみます。「寄物」によって配列されており、次のような順になっています。

 よみ人しらずの歌で、詞書もないのですが、さらに歌意を推測して「陳思」の「思ひ」を、例えば、四季、恋、(恋以外の)男女の相聞、同性の相聞、羈旅・送別、その他に分けて、確認してみました。

衣 2-1-2976~2-1-2984  「思ひ」はすべての歌が恋

 (中略 (すべて「思ひ」は同上))

鏡 2-1-2990~2-1-2992歌  「思ひ」はすべての歌が恋

鏡あるいは神祇 2-1-2993  「思ひ」は恋

2-1-2994歌   「思ひ」は、恋(あるいは羈旅・送別)

2-1-2995, 2-1-2996歌 「思ひ」は、すべての歌が恋

梓弓 2-1-2997~2-1-3002歌 「思ひ」は、すべての歌が恋

   (類似歌2-1-2998歌はこのうちの一首であり、後段でさらに検討します)

たたり(蚕糸の仕事に必要な糸を引き掛ける道具) 2-1-3003歌  「思ひ」は、恋

 2-1-3004歌   「思ひ」は、恋

たすき 2-1-3005歌  「思ひ」は、恋

かずら 2-1-3006歌、2-1-3007歌  「思ひ」は、恋

(以下略)

③ このように、「思ひ」は恋ばかりであり、例外と強いて言えば、2-1-2994歌が地方に赴任した官人の羈旅の歌であるかもしれない、というところです。

④ 「寄物」の「物」が「梓弓」である歌を示すと次の6首です。 ()書きは『新編国歌大観』における万葉仮名の表記です。

2-1-2997歌  あずさゆみ すゑはししらず(末者師不知) しかれども まさかはきみに(真坂者君尓) よりにしものを

2-1-2998歌  あづさゆみ すゑのたづきは(末乃多頭吉波) しらねども こころはきみに よりにしものを

  (検討対象の類似歌) 

2-1-2999歌  あづさゆみ ひきみゆるへみ おもひみて すでにこころは よりにしものを

2-1-3000歌  あづさゆみ ひきてゆるへぬ ますらをや こひといふものを しのびかねてむ

2-1-3001歌  あづさゆみ すゑなかためて(末中一伏三起) よどめりし きみにはあひぬ なげきはやめむ

2-1-3002歌  いまさらに なにをかおもはむ あづさゆみ ひきみゆるへみ よりにしものを

 この6首は、弓の末を詠う3首と、弓を引いたり緩めたりすることを詠う3首に分かれます。後者の歌は、その結果心が固まったと、詠います。前者は、今は貴方、と詠います。類似歌2-1-2998歌は、その前者のうちの1首です。この3首の「寄物」の「物」は、あづさゆみの構造の一部である「弓の末」と見做せます。このため、類似歌2-1-2998歌は、この3首の中で独自性を持った歌として配列されている、とみることができます。

 

3.弓の末の歌3首の検討 その1 2-1-3001

① 弓の末を詠う3首を比較しつつ検討することとします。歌番号順に、諸氏の現代語訳を例示します。

2-1-2997

・「梓弓の末ではないが、末、将来のことはわかりません。けれども、現在の気持ちはすっかりあなたに寄り添っていますのに。」(阿蘇氏)

・「(梓弓は枕詞)後のことは な仕様もわからない。しかし 現在は君に頼って居るものを」(土屋氏)

 

2-1-2998

・「梓弓の末、将来のことはわからないが、私の心はあなたに寄り添ってしまいましたものを。」(阿蘇氏)

 氏は、「梓弓」は「末」に冠する枕詞であり、作者は女性である、指摘しています。

・「梓弓 未来のことは わかりませんが 心はあなたに なびき寄ってしまってのですもの。」(『新編日本古典文学全集8 萬葉集③』)

「梓弓」は、ここでは末の枕詞であり、「たづき」は、手がかりを言い、ここは様子・状態(将来の二人の仲のあり様)の意である、と指摘しています。

 なお、土屋氏は、「2-1-2997歌の一本」であるので、大意を示していません。

 

2-1-3001歌。

・「梓弓の末の中ごろではないが、中頃、おいでにならなかったあなたにお逢いできました。もう嘆くことは止めましょう。」(阿蘇氏)

・「梓弓には末中があるが、其の中ごろ、停滞した君には会った。嘆きはをさまるであろう。」(土屋氏)

氏は、中途で来なくなった君に会い得たのだから、嘆きはやむだろう、と詠っていると指摘し、勿論民謡であるが、四句五句も感じの出て居る句である、と言っています。

なお、これらの3例は、二句を「すゑなかためて」ではなく「すゑのなかごろ」とする原本に基づき訳しています。(付記1.参照)

 

② 二句を「すゑなかためて」での訳例を示せないので、最初に2-1-3001歌の現代語訳を試みます。

初句の「あづさゆみ」とは、「あづさ」と呼ぶ木で作った弓であり、歌語としては「ひく」等にかかる枕詞でもあります。「真弓」とは、マユミという木から作った丸木の弓。「槻弓」とは、ツキという木から作った丸木の弓を言います。この歌は、弓の種類を言っていますが、弓一般の特性しか歌に用いていません。

③ 二句「すゑなかためて」にある「すゑ」は、「本(もと)」に対しての言葉であり、「さき、端、下、梢」、「後、将来」、「晩年」、「子孫」等の意があります。だから、「(あづさ)ゆみのすゑ」とは、弓を持ったときの上端部分をいい、「弓末・弓上」(ゆずゑ)と名のついた部分を言うことになり、「本」とは、弓を持ったときの下端部分を言うことになります。木でいうと「すゑ」即ち梢、「本」は張っている根本、をさしています。

この歌で、男女の間に起こるであろう事態を「すゑ」と見立てているとすると、過去の男女どちらかの問題行動とか出逢いが「本」になるでしょうか。

 二句「すゑなかためて」の「なか」は、「中」の意です。末と本の間の部分を指します。

また動詞「たむ」は、下二段活用の「矯む・揉む」であり、「形を整え改める」「弓に矢をつがえて引きしぼったままでいる」の意があります。 

 初句と二句は、「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような本から生じる)将来もそこに至る途中の現在も」となります。

 三句よどめりし」の「よどむ」は「淀む・澱む」であり、「物事がすらすら進まない・停滞する」、の意があります。直前の時点までは不仲とか行き合えない状態であったということです。

 五句「なげきはやめむ」は、名詞「なげき」+係助詞「は」+下二段活用の動詞「止む」の未然形+推量の助動詞「む」です。「む」は、「あることをしようとする意志・意向」を表わします。

④ 2-1-3001歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

 「(あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じている二人の関係が、将来もそこに至る途中の現在も、変りないと思っていましたところ、貴方に逢うことができました。溜息をつくのはもうやめましょう。

 お先真っ暗であった男女の関係が修復可能である、と作者が安堵している歌となりました。これは、諸氏の訳例の趣旨と変りありません。

 

4.弓の末の歌3首の検討 その2 2-1-2997歌と「よりにしものを」

① 次に、2-1-2997歌の現代語訳を、検討します。

 二句「すゑはししらず」は、名詞「すゑ」+格助詞「は」+強調の副助詞「し」+動詞「しる」の未然形+打消しの助動詞「ず」の終止形、です。

「すゑ」は、「後、将来」を意味しています。副助詞「し」はここでは「しらず」を強調しています。

即ち、「すゑはししらず」とは、「(貴方と逢っている今日はともかく)明日以降のことはとてもとても知ることはできない」の意と理解できます。2-1-3001歌で検討したような初句の意がかかる「すゑ(「あづさゆみのすゑ)」であるので、男女の間に今後生じる事態を「すゑ」と見立てているといえます。「すゑ」は「本」を意識さている言葉ですので、この歌における「本」を推測すると、この歌を詠う直前までの二人の間に生じていた状況を指していると思います。その状況は将来(すゑ)における相手の誠意を100%信じられなかったもののようです。作者が「しらず」と言っているのは、相手の誠意の持続の有無です。

② 阿蘇氏は、「しらず」の対象は、「四、五句の表現に照らすと、自分の気持ちであろう」と指摘しています。しかし、初句の「あずさゆみ」は男の持ち物ですから、相手の心の動きかもしれません。

 土屋氏のいう民謡であるとすると、この歌を聞かされた側は、相手の誠意か、自分の気持ちかを選択して反論することができる歌、として活用したのではないか、と推測します。あるいは、反論として聞かされたとすると、自分に都合の良い方に理解して再反論の歌を詠ったのではないでしょうか。

 ここでは、作者が「しらず」と言っているのは、相手の誠意の持続の有無として、検討をつづけます。

③ 四句「まさかはきみに(真坂者君尓)」の「まさか」とは、「目の先」即ち目の前の現実をいいます。将来を表わす「おく」とか「すゑ」などと対で用いられることが多い語句です。

④ 五句の「よりにしものを」を用いている歌が、『萬葉集』に幾つもあります。次に検討する2-1-2998歌と四句と五句が同じ(「こころはきみに よりにしものを」)歌が1首あります。

2-1-508歌  安倍女郎(あへのいらつめ)歌二首(508509)  

いまさらに なにをかおもはむ うちなびき こころはきみに よりにしものを

 巻第四にあり、この巻全体が「相聞」と題されています。

 阿蘇氏は、この詞書における2首を、「二人の関係に不安を抱いた躊躇する様子を見せる夫をはげまし、自身の純愛を誓った歌」、「中臣東人の妻であったか」とも指摘し、三句以下を「わたしの心はあなたにすっかり傾いてしまっておりますのに」と現代語訳しています。五句にある「ものを」を、終助詞と理解している現代語訳です。

 この作者(安倍女郎)は伝未詳です。歌風はひたむきなところがある、と土屋氏は指摘しています。

 しかしながら、この歌は、阿蘇氏が指摘するように「自身の純愛を誓った歌」であり、初句から二句が相手に強く伝えたい事柄です。「寄物」を介さずストレートに最初に言い切っています。そして、理由を、三句以下に、倒置文として言い継いだ文章の歌である、と見るのが妥当です。即ち、五句にある「ものを」は、接続助詞と理解すべき歌です。

⑤ また、「よりにしものを」のみを用いている歌は、上記の「あづさゆみ」を初句におく2-1-2997歌~2-2999歌および2-1-3002歌のほかに、次の3首が『萬葉集』にあります。

2-1-550歌  (神亀2年(725)乙丑の春3月 三香原の離宮に幸(いでませる)時に、娘子を得て作る歌一首と短歌 笠朝臣金村 (その短歌が該当します)

あまくもの よそにみしより わぎもこに こころもみさへ よりにしものを

 

2-1-2790歌  寄物陳思   

むらさきの なだかのうらの なびきもの こころはいもに よりにしものを

 この歌は、巻第十一にある、 藻によせる歌です。二句は「名高の浦」であり、現在の和歌山県海南市名高。かっては黒江湾の奥の海浜であったところにあたる、と諸氏は指摘しています。

 

2-1-3779歌  中臣朝臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌(3745~3807

あがみこそ せきやまこえて ここにあらめ こころはいもに よりにしものを

 この歌は、巻第十五にあり、 2-1-3786歌の左注「右十三首中臣朝臣宅守」に従えば、中臣朝臣宅守が作者です。中臣朝臣宅守は、天平12年(740)前後に越前国味真野に流讁となっています。

 これらの3首は、五句にある「ものを」を、多くの諸氏は終助詞と理解しています。「こころが寄ってしまった」ことを言いたい歌ですので、終助詞である、と思います。

⑥ 最初に「よりにしものを」と詠んだ歌を特定すべく、「よりにしものを」の歌(8)の作詠時点の前後関係を確認します。(作詠時点の推計方法は付記2.参照)

2-1-2997歌は、萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌の歌でかつよみ人しらずの歌であるので、作詠時点は、天平10(738)以前

2-1-2998歌も、作詠時点は、天平10(738)以前

2-1-2999歌も、作詠時点は、天平10(738)以前

2-1-3002歌も、作詠時点は、天平10(738)以前

2-1-508歌は、萬葉集巻第四にある安倍女郎の歌であるので、作詠時点は、天平18(746)以前。この歌の相手である中臣東人は、和銅4年(711)に正七位から従五位下になり、天平4年(732)兵部大輔、同5年(733従四位下になっています。

2-1-550歌は、詞書より、作詠時点は、神亀2年(725)です。

2-1-2790歌は、『萬葉集』巻第第十二 古今相聞往来歌の歌でかつよみ人しらずの歌であるので、作詠時点は、天平10(738)以前

2-1-3779歌は、宅守の流讁時の歌とみて、作詠時点は、天平12年(740)前後。

みな700年代前半(以前)の作詠と推計できましたが、推計方法の許容誤差の内と見ざるを得ないので、先後関係はいまのところ不明ということになります。

⑦ 歌の内容を検討すると、ほかの歌が、「すゑ」(将来)の二人の関係または自分又は相手の心の動きを疑うかの詠い方をしていないのに対して、2-1-2997歌と2-1-2998歌は、「すゑ」(に至るの)は分からないと断っており、たいへん異質です。そのため、五句の「よりにしものを」の終助詞「ものを」のニュアンスが、2-1-550歌などと違う様に感じられます。

⑧ この歌2-1-2997歌は「きみによった」ことを詠うのが主眼と理解できますので、五句「よりにしものを」は、動詞「寄る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形+感動・詠嘆の終助詞「ものを」です。

動詞「寄る」には、「近寄る、寄りかかる・もたれる、心ひかれる」などの意があります。

また、作者は、現在から過去を振り返ると、「本」から「末」に順調に推移しなかった時点が最近あったからこの歌を詠んでいる、と理解できます。

詠嘆の終助詞「ものを」には、「(一方的では)はこまるのだが」という気持が含まれていると思います。

⑨ 2-1-2997歌の現代語訳を試みると、次のとおり。

 (あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じている末、将来は貴方と私の関係はどうなるかまったくわかりません。けれども 今はあなたに気持ちが引き寄せられてしまいましたのに。でも・・・(それがよいのかどうか)」

 

5.弓の末の歌3首の検討 その3 2-1-2998

① 次に、類似歌2-1-2998歌の検討をします。

② 二句「すゑのたづきは」の「たづき」は、「手段・手がかり」、「見当」、「様子」の意があります。

なお、「すゑのたづきは」表記の万葉集歌は、この2-1-2998歌のみです。

③ 土屋氏は、2-1-2997歌の「(すゑは)ししらず」と、2-1-2998歌の「(すゑの)たづきはしらず」を同義とし、後者の方が穏やかな表現である、と指摘しています。そして、「この歌は、男に頼る女の立場と見る方が自然」とも指摘しています。

④ この歌が「こころがきみによった」ことを詠うのが主眼と理解できますので、2-1-2997歌と同様に、五句「よりにしものを」は、動詞「寄る」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の連用形+過去の助動詞「き」の連体形+感動・詠嘆の終助詞「ものを」です。

⑤ 以上の検討結果を踏まえ、詞書に留意して、類似歌2-1-2998歌の現代語訳を、試みます。

 (あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じて末にたどりつくには、これから先どうしたらよいのか見当がつかないのですが、 私の心はあなたに引き寄せられてしまいましたのに。どうしましょう・・・(このままでよいのかどうか)」

⑤ 2-1-2997歌と2-1-2998歌を比較してみます。

 2-1-2997歌は、二人の将来があなた次第なので不安が残る意があります。阿蘇氏の説によれば、将来の自分の気持ちに不安があることを作者は自覚しています。

 2-1-2998歌は、その不安を解消する方法に悩んでいる意があります。二人の将来に、前歌の作者より積極的に動こうとしています。

作者の立場は、両歌とも女と推測できます。

 3-4-13歌の類似歌を1首と仮定するならば、語句とその並びがより似ており、かつ行動的な作者の歌である2-1-2998歌が妥当であると思います。

 

6.弓の末の歌3首の検討 その4 3首の比較検討

① 3首を比較すると、3首目の2-1-3001歌は、「あづさゆみのすゑ」の寓意しているところが他の二首と同一とは思われません。2-1-3001歌は安堵感があるのに対してほかの2首は、将来に不安を感じている気配があります。

 その不安解消へより行動的なのが、2-1-2998歌、と言えます。

② 2-1-2998前後の歌はどこで披露されたのでしょうか。巻第十二の編纂者のところにどのような経緯で集まったのでしょうか。

土屋氏は、すべて民謡と理解しています。民謡が、当時詠われる場面は、民謡を詠う階層の人々の飲酒の伴う会合や定例的な若者組の集いとか、祭の場とか、あるいは作業歌として集団作業の場とかが想定できます。しかし、記録しておく必然性を感じられません。

あづさ弓から詠いだしているので、それを扱う武官という官人組織に配属された経験のある者が作者であるかもしれません(どの歌も男の代作であるかもしれません)。

民謡とすると、記録した者は、飲酒の伴う会合に参加したあるいは呼ばれた(官人の)家人または官人自身、田植等の監督にあたった(官人の)家人または官人自身で歌に興味を持った者、あるいは氏族単位の祭に際して種々奉納させた際の記録担当者とか、であろうと思います。

一旦官人の知るところとなれば、改作を含めて宴席等での披露(朗詠)も可能となります。何しろ仮想の恋の歌なのですから場に楽しい話題提供をしたことでしょう。

大伴家持は、防人の歌を命じて集めましたが、自然に『萬葉集』巻第三・第四の編纂者のところに編集の素材が集まったとすると、編纂者と同じ立場の官人の記録したものであるはずです。「寄物」が「あづさゆみ」の歌と、いわゆる防人の歌とを対比すると、土屋氏のいう民謡は「寄物」別に1,2首だけで多くは男の官人の作であろう、という推理も生じます。

 

7.3-4-13歌の詞書の検討

① 3-4-13歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書「おもひかけたる人」は、動詞「おもひかく」の連用形+助動詞「たり」の連体形+「人」です。

 動詞「おもひかく」は、「心にかける・期待する、慕う・懸想する、気にして念頭におく」の意があります。

③ 助動詞「たり」は、「動作・作用が引き続いて行われる」の意があります。

④ 3-4-13歌の詞書を現代語訳すると、次のとおり。

「懸想し続けている人のところに(送った歌)」

 

8.3-4-13歌を詞書に従い、現代語訳を試みると

① 二句にある語句「たづき」は、「手段。方法」の意であり、類似歌2-1-2998歌の場合と同じです。

② 五句「よりにけるかも」の「より」は動詞「撚る」の連用形です。「ける」は助動詞「けり」の連体形です。その意は、今まできづかなかったりしたことなどにはじめてはっと気づいた驚きや詠嘆の気持ちをあらわします。

五句は、はるかに心を寄せるというようなものを越えて、強い気持ちが増してきていることに、自分でも驚いている意が込められています。

③ 以上の検討を踏まえて、詞書に留意して3-4-4歌の現代語訳を試みます。

 (あづさ弓には末と本がありますが、そのような)本から生じて末にたどりつくには、どのような方法をとったらよいのかわかりません。でも、私の気持ちは貴方に纏いついてしまったようなのです、本当に。」

④ 動詞「撚る」で表現して迫るこの歌は、男が女におくった歌、と思えます。

 

9.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-13歌は、おくる相手を説明しています。類似歌2-1-2998歌は、「寄物陳思」だけであり、この前後の歌を合せ考えると梓弓の末を詠う歌、という説明がある、と理解してよいと思います。

② 五句にある語句「より(にけるかも)」の意が異なります。この歌は、動詞「撚る」(細長いものをねじって、互いにからませる)、類似歌は、「寄る(心が一方に向く)」です。

③ 作者の性が異なります。この歌は、男であり、類似歌は、女です。

④ この結果、ともに恋の歌ですが、この歌は、女に強く懸想している男の歌であり、類似歌は、男の愛情には不安を感じつつも受け入れようとしている女の歌です。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-14  あさ日かげにほへるやまにてる月のよそなるきみをわがままにして  

3-4-14歌の類似歌  2-1-498歌。田部忌寸櫟子任大宰時作歌四首(495~498

           あさひかげ にほへるやまに てるつきの あかざるきみを やまごしにおき

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑤ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/5/7   上村 朋)

付記1.2-1-3001歌の三句の「すゑなかためて」について

① 三句の「すゑなかためて」の万葉仮名は「末中一伏三起」です。このうち「一伏三起」表記は、当時のゲームの目の呼称によるものだそうです。「樗蒲」(ちょぼ)というゲームで、小田裕樹 氏(『奈良時代の盤上遊戯に関する新知見』 奈良文化財研究所2015)によると、「『和名類聚抄』には「かりうち」という和名がつけられています。また、樗蒲で投げる板のことを「かり」と呼んでおり、『万葉集』の特殊な仮名(戯書)から知られるところによると、この「かりうち」はユンノリと同様に4枚の板を投げるものであったそうです。

一伏三起」は一つ裏三つ表の場合を「コロ」といったのによる。西本願寺本の訓は、おなじ目の別称「タメ」によるといいます。

 このゲームは博打という指摘もあります。

② 樗蒲の由来は不明です。『隋書』には、百済や倭で樗蒲が遊ばれていたとしている。現代の韓国ユンノリ4枚の板を投げるところが樗蒲に似ているそうです。

付記2.作詠時点の推計は、次の基準によって行いました。

① 作詠時点を推計しようとする歌が記載されている歌集の成立時点を、作詠の下限の時点とする。但し『萬葉集』記載の歌は、「歌集の成立時点」を「巻の成立時点」とする。

② その歌の作者の没年の年月日あるいは詞書や重複歌その他の参考とする歌から判明した作詠の年月日が、上記①の時点より以前の時点と判明したら、没年あるいは作詠の年月日で早いほうを作詠の下限の時点とする。

③ よみ人しらずとして歌集に記載の歌は、記載歌集が勅撰和歌集であれば,その歌集の直前の勅撰和歌集の成立時点を作詠時点とする。但し『萬葉集』及び『古今和歌集』記載の歌は、下記の④と⑤による。

④ 萬葉集』は、 『新編日本古典文学全集 萬葉集①~④』に従い、作詠時点の判明している歌などから推定した。 なお、巻七と巻十~十四の作者不明歌は、『新編日本古典文学全集 萬葉集③』の解説に従い、天平10年(738)前後以前とする。以上を巻別に示すと次のとおり。

  巻一~巻二  霊亀元年(715)

  巻三~巻四  天平18(746)

  巻五     天平5(733)

  巻六~巻十五 天平18(746)

  但し巻七と巻十~十四の作者不明歌 天平10(738) 

巻十六    天平13(741)

巻十七    天平20(748)

巻十八    天平勝宝2(750)

巻十九    天平勝宝5(753)

巻二十    天平宝字3(759)

 よみ人しらずとして『古今和歌集』に記載の歌は、古今和歌集の作者の時代を3区分して諸

氏が論じられているのに従い、最初の時代である「よみ人しらずの時代」の作詠とし、大同4

(809)~嘉祥2(849) 嵯峨、淳和等の時代以前、すなわち849年以前を作詠時点とする。

⑥ の作業は、諸氏の研究成果で指摘されている作詠時点をも参考とする。

   (付記終り。2018/5/7   上村 朋)

わかたんかこれ  猿丸集第12歌 あけまくをしき 

前回(2018/4/23)、 「「猿丸集第11歌 凌ぐのは何」」と題して記しました。

今回、「猿丸集第12歌 あけまくをしき」と題して、記します。(上村 朋) (追記 動詞の活用種類の認識の誤りを正し3-4-12歌の現代語訳(試案)の修正を2020/5/25付けでしました。さらに前後の歌との関係など理解を深めましたので。2020/8/10付けブログも御覧ください。(2020/8/17)。))

 

. 『猿丸集』の第12 3-4-12歌とその類似歌

① 『猿丸集』の12番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-12歌  女のもとに

たまくしげあけまくをしきあたらよをいもにもあはであかしつるかな

 

3-4-12歌の類似歌 万葉集2-1-1697:紀伊国作歌二首(1696,1697)

たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、四句以下と、詞書とが、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は、 『萬葉集』巻第九の、雑歌にある2-1-1697歌です。この巻は、雑歌・相聞・挽歌の三部に分かれています。雑歌(全102首)は、雄略天皇2-1-1668歌からはじまります。雑歌の歌は、「(・・・)歌◯首」と詞書してあり、例外は、詞書のない2-1-1714歌と2-1-1715歌(1715歌にはこの二首の作者名に関した左注あり)と2-1-1716歌(「・・・詠月一首」)だけです。

② この歌は、「(献・・・皇子)歌◯首」と詞書した歌のグループに挟まれた地名等が記された詞書の歌のグループ(16首)にあります。その詞書すべてを、また類似歌(2-1-1697歌)の前後各6首については歌もあわせて示すとつぎのとおりです。

泉川辺間人宿祢作歌二首(2-1-1689歌、2-1-1690)

鷺坂作歌一首(2-1-1691歌)

2-1-1691歌   しらとりの さぎさかやまの まつかげに やどりてゆかな よもふけゆくを

名木河作歌二首(2-1-1692歌、2-1-1693)

2-1-1692歌   あぶりほす ひともあれやも ぬれぎぬを いへにはやらな たびのしるしに

2-1-1693歌   ありきぬの へつきてこがに からたちの はまをすぐれば こほしくありなり

高嶋作歌二首 (2-1-1694歌、2-1-1695)

 2-1-1694歌   たかしまの あどかはなみは さわけども われはいへおもふ やどりかなしみ

 2-1-1695歌   たびにあれば よなかをさして てるつきの たかしまやまに かくらくをしも

紀伊国作歌二首(2-1-1696歌、2-1-1697)

 2-1-1696歌   あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ

 2-1-1697歌  略(類似歌)   

鷺坂作歌一首 (2-1-1698)

 2-1-1698    たくひれの さぎさかやまの しらつつじ われににほはに いもにしめさむ

泉河作歌一首(2-1-1699)

2-1-1699歌   いもがかど いりいづみがはの とこなめに みゆきのこれり いまだふゆかも

名木河作歌三首(2-1-1700歌、2-1-1701歌、2-1-1702)

2-1-1700歌   ころもでの なきのかはへを はるさめに われたちぬると いへおもふらむか

2-1-1701歌   いへびとの つかひにあらし はるさめの よくれどわれを ぬらさくおもへば

2-1-1702歌   あぶりほす ひともあれやも いへびとの はるさめすらを まつかひにする

宇治河作歌二首(2-1-1703~2-1-1704歌)

  2-1-1703歌   おほくらの いりえとよむなり いめひとの ふしみがたゐに かりわたるらし

 

③ 2-1-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。

④ 地名等の詞書グループ(16首)の歌は、都での儀式に直接かかわりのない、まさに旅中の歌とみることができます。これらの歌を披露(朗詠)した場所を推測すると、旅中の歌であるならば、宿泊した土地での宴席か、休息時の団欒時です。紙に書いて示すものではなく、朗詠するのが和歌であったはずです。共感を呼ぶ伝承歌とされる萬葉集歌に、繰り返し官人が接したのは専ら宴席です。(付記1.参照)

詞書にある地名等は、当時の巨椋池周辺の泉川(現在の木津川)、鷺坂(現在の城陽市の久世神社の近くか)、及び宇治川は、都より半日の行程であり、その日の宿泊は、午後出発ならば当地、午前出発ならば国府のある地などとなります。このほか近江国の高島(琵琶湖西岸。越前国への通過地)の地名がありますが、その中で唯一国の名を記した詞書があります。その詞書の歌2首のうちの1首が類似歌です。

 また、夜の情景を詠う歌は、この類似歌のある詞書の2首と、その直前の「高嶋作歌二首」(2-1-1694歌、2-1-1695歌)及び「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)であり、その他は、昼間の情景を詠っている歌です。それは、「◯◯河(川)」とある詞書の歌すべてと「鷺坂作歌一首」の歌(2-1-1698歌)です。

⑤ これらの歌の共通点は、旅行中の宴席などで披露(朗詠)した歌というだけであり、同一の旅行中でもなさそうです。

このため、類似歌は、同一の詞書の歌2首間に違和感がない理解であればよいと思います。

 

3.類似歌の前にある歌の検討

① 類似歌(2-1-1697歌)は、2-1-1696歌と同一の詞書です。先に記されている2-1-1696歌を先に検討します。歌を再掲し、諸氏のその現代語訳を1例あげます。

2-1-1696歌  紀伊国作歌二首(1696,1697)

あがこふる いもはあはさず たまのうらに ころもかたしき ひとりかもねむ  

・「恋しいあの人は私と逢ってくださらない。この玉の浦で、わたしは自分の衣だけを敷いてひとり寂しく寝ることだろうか。」(阿蘇氏)

② 阿蘇氏は、四句を「ころもでかれて」(万葉仮名は袖可礼而)として、訳を示しています。ともに行幸に従賀している妻の袖から離れたまま、という意(行幸に従駕していたとしても私的な時間を持つことは許されなかったはずだから)としています。また、三句「たまのうら」は、どこにでもあり得る地名としており、(紀伊国では)玉津島あたりの海岸か、と指摘しています。

なお、人麻呂の作とされる歌群から、人麻呂の妻は宮廷に出仕している、と推定できます。

③ 「たまのうら」という地名の場所は未詳としている諸氏が多い。詞書の「紀伊国」を重視すれば、「たま」を美称と捉えれば紀伊国のどこの浦の名に替わってもかまわない歌です。このグループ(16首)にあるほかの歌の詞書の地名などは、具体的な場所などがほぼ特定できるのに対して、不確かな地名が「たまのうら」です。『萬葉集』には「たまのうら」を直接詠み込んでいる歌がこのほか4首ありますが、瀬戸内かとかいうだけで同じように具体的な場所は不確かです。

そして、この歌の詞書は「紀伊国作歌二首(1696,1697)」という国の名であることに留意すべきです。行幸の記録のある「紀伊国」で記録との整合がとれない「たまのうら」という地名ならば、国名も仮定と理解してもよいのではないでしょうか。そうすると、旅中の歌に変わりはないとしても、行幸時ではない、人麻呂に限らず単に官人の出張中における歌、という理解がこの歌(2-1-1696歌)に可能となります。

このグループ(16首)に属するほかの歌も、同様に単に官人の出張中における歌、という理解で不都合は生じません。歌の内容と詞書にはすべて一人が詠んだと推定するヒントがありません。

人麻呂集の歌がたった一人の官人が詠んだ歌であるとは諸氏も認めていません。

④ このグループ(16首)の歌のうちに、類似歌同様に夜の情景を詠う歌をみてみます。5首あります。

「鷺坂作歌一首」という詞書にある歌(2-1-1691歌)は、「まつかげ(松蔭)にやどりてゆかな」と、その地に宿泊することを言っています。官人が野宿するとは思えないので、「まつかげ」は譬喩です。

「高嶋作歌二首 」(2-1-1694歌、2-1-1695)は、「われはいへおもふ やどりかなしみ」とその地に宿泊することを詠い、「よなかをさして てるつきの」と月をみあげて寝つけない様子を詠っています。

以上の3首は、(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点を詠っています。

残りの2首が「紀伊国作歌二首」であり、ともに「ひとりかもねむ」と、詠っています。「かも」は、終助詞か係助詞です。この2首も(翌朝ではなく)宿泊する当夜という時点です。そして「あはさず」と自らの動きではなく相手の女性の動きを描写しています。

⑤ 二句「いもはあはさず」(万葉仮名は「妹相佐受」)の理解には、2案あります。

まず「いも」について検討します。「たまのうら」でひとり寝をする直接のきっかけが「いもはあはさず」にあるので、「いも」はいつでも思いを馳せることができる都で留守居をしている妻ではなく、今晩「たまのうら」に居る女性です。

 二句の理解の第一案は、多くの諸氏の理解である、四段活用の動詞「あふ」の未然形+軽い尊敬・親愛の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。二句は自分が働きかけた女性の行動に触れた表現です。

親しみの情から言っているのならば、「(親密なのに)逢わない・逢ってくれない」の意となり、拗ねて言っているのならば、「(乙に構えて)逢わない・応じない」です(「あふ」には、「調和する、似合う、夫婦になる、匹敵する、対する・対面する」などの意があります)。

相手の敬意を強める意の「す」は、「せ給ふ」「せおわします」が通例であると『例解古語辞典』にはあります。この案の理解は例外的に思えます。

第二案は、四段活用の動詞「あふ」の未然形+使役の助動詞「す」の未然形「さ」+(未然形につく)打消しの助動詞「ず」の終止形です。

女性に対して率直にあるいは婉曲に意を伝えたが、「応じられません」と断られた、という意となります。

具体の場所を伏せた「たまのうら」を舞台にしている歌であるので、第二案のほうが、宴席が湿っぽくはならないので、よい、と思います。

そうすると、この歌(2-1-1696歌)は、そのために、その夜は「こうするほかない」という行動に関して詠った歌と理解できます。

⑥ 四句「ころもかたしき」の「かたしき」は、動詞「かたしく」の連用形です。「かたしく」は「片敷く」であり、男女が共寝する場合に対比した言い方であり、自分だけ(片方)の衣を敷いてひとり寝する意の歌語ですが、五句に「ひとりかもねむ」と重複しないためには、「寝るために自分の衣だけを敷く」という意であろうと思います。

 五句「ひとりかもねむ」には、歌語として「(ころもかたしき)ひとりかも」+「ねむ」という二つの文であるという理解と、歌語とはとらえず「(ころもかたしき)ひとりかもねむ」という一つの文であるという理解が可能です。

 前者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+終助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+意志・意向を表わす助動詞「む」の終止形です。その意は、「(自分の衣だけを敷くという)ひとり寝かなあ。寝るとしよう。」となります。

後者ですと、五句「ひとりかもねむ」は、名詞「ひとり」+係助詞「かも」+動詞「寝」の未然形+推量の助動詞「む」の連体形です。その意は、「(自分の衣だけを敷いて)ひとり寝る以外ないのかねえ。」

後者のほうが、素直な理解であると思います。

 

⑦ 以上の検討を踏まえて、現代語訳(試案)を示すと、旅中の宴席での詠であることを意識して、つぎのようになります。

「私の思うあの人は応じてくれないよ。だから、この玉の浦での今夜は、自分の衣だけを敷いてひとり寝る以外ないのかねえ。」

宿泊地の「たまのうら」は、先に検討したように、どこの地名とも差し替えができる歌です。人麻呂が通過したり宿泊した土地以外の地名も可能です。

 そして、このグループ(16首)は編纂者が夜の情景を詠う歌において都を離れた「高嶋」と場所不明の「たまのうら」とを対比して配列しているかに見えます。

 

4.類似歌の検討その2 現代語訳

① 類似歌(2-1-1697歌)に戻ります。2-1-1696歌と同様に、この歌は、旅中において同僚とともに一夜を過ごす官人が、作者です。同じ詞書のもとにある歌なので、対の歌として理解してよい、と思います。

 だから、同僚が詠った2-1-1696歌に、唱和した歌です。君に「いもがあはし」たら、気候もよい今夜は素晴らし夜となっただろうなあ、と唱和した歌です。

② 類似歌(2-1-1697歌)の現代語訳を例示します。

・「玉櫛笥 明けるのがいつもなら 惜しい夜を 妻の手枕をせずに ひとり寝するのか。」(『新編日本古典文学全集7 萬葉集②』)

・「玉くしげ 明けるのが惜しい夜であるのに、 妻の袖から離れて一人寝るのだろうか。」(新日本文学大系3萬葉集3(佐竹他) 

・「夜の明けてほしくないと思われるこの良い夜なのに、いとしい人の袖から離れたまま、ひとり寝ることだろうか。(なんと残念なこと。)」(阿蘇氏)

 阿蘇氏は、櫛笥(くしげ)の蓋を開ける意を夜が明ける意の「明け」にかけている、とみています。

③ どの訳例も、初句「たまくしげ」を「あけ(明け)に冠する枕詞」として訳しています。そして、五句「ひとりかもねむ」の「かも」を、疑問の係助詞とみています。

 なお、この歌は、『新古今和歌集恋五にも、「よみ人しらず」の歌(1-8-1429歌)としてあり、「かも」は諸氏氏により疑問の係助詞として理解されています。

④ 初句「たまくしげ」が、枕詞としてかかる語は、おもに「ふた、み、明く、開く、覆ふ、箱、奥に思ふ」と言われています(『例解古語辞典』)。そもそも「たまくしげ」とは、美称の「たま」+化粧道具のひとつである「櫛」+物を入れる器の意の「笥」、即ち「玉櫛笥」であり、化粧道具などを入れておく箱の美称です。蓋つきだったようです。

 ここでは、「化粧箱を開けるではないが、その音(あける)に通じる(夜が「明ける」のは・・・)」、の意で、二句「あけまくをしき」の「あけ」にかかる枕詞です。

 なお、萬葉集』には、「たまくしげ」を枕詞とはみなせない歌もあります。(枕詞ともとれる例は付記2.参照) 例えば、

 2-1-594歌 わがおもひは ひとにしるれか たまくしげ ひらきあけつと いめにしみゆる

⑤ 二句「あけまくをしき」は、「明け+連語まく+惜しく」です。

「あけまくをしき」の「あけ」は、四段活用下二段活用の動詞「明く」の未然形連用形であり、「夜が明ける」の意であり、「まく」は、連語として、「・・・(だろう)こと・・・(ような)こと」の意があります。二句は、結局「夜が明けるというようなことは、惜しい・手放すのにしのびない(ところの)」という意となります。

⑥ 四句「ころもでかれて」における「ころもで」とは、衣手即ち袖を指す語句ですがここでは、相手の女性を意味すると思います。また、動詞「かる」は、「離る」であり、「空間的に離れる・遠ざかる」とか「心理的に男女の仲が疎遠になる・心がはなれる」などの意がある語句です。

⑦ 五句「ひとりかもねむ」は、この歌が2-1-1996歌に対応した歌なので、2-1-1996歌と同じ意となります。

⑧ 詞書に従い、現代語訳(試案)はつぎのようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てはほしくない、と思われるこんな良い夜なのになあ。あの人の心が離れたので、ひとり寝るのかなあ(私もですよ。残念ですねえ、御同輩、)。

官人の、旅中の宴の席での応酬歌です。

⑨ 「たまのうら」を詠いこんだ歌が手元にきたので、海岸のある国として「紀伊国」を編纂者が選んだのではないか、と思われるほど、この両歌は、どの宿泊地おいても朗唱できる歌です。

そして、この前後の地名等のある歌も、地名等を差し替え可能の歌があります。

例えば2-1-1695歌は 「たかしまやま」は、所在があいまいです。   2-1-1694歌は 「たかしま」が他の湊の名に差し替え可能です。2-1-1698歌は、つつじの綺麗に咲く土地の名に差し替え可能です。

⑩ この現代語訳(試案)は、『萬葉集』記載の歌に対するものです。新古今和歌集恋五に記載の歌(1-8-1429歌)は、清濁抜きの平仮名表記が同じであっても新古今和歌集』の編纂方針と配列を確認の上、現代語訳を試みる必要があります。

 

5.3-4-12歌の検討 

① 次に、3-4-12歌を、まず詞書から検討します。

 3-4-12歌の詞書の現代語訳をすると、次のとおりです。

「女のもとに(おくった歌)」

 詠んだ動機に触れていない詞書です。作者が男であることと、おくった女と作者と関わりがあったとしか、わかりません。

③ 二句「あけまくをしき」は、類似歌と同じ意であり、同音意義の語句ではない、と思います。

 五句「あかしつるかな」は、「四段活用の動詞「明かす」の連用形+完了の助動詞「つ」の連体形+終助詞「かな」であり、「夜を明かしてしまったなあ」の意となります。)

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「明け」てほしくない、勿体ない夜を、あなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」(この訳は、2020/5/25修正)したので、以後現代語訳(修正試案)ということします。)

<以下を削除:二句「あけまくをしき」は、類似歌と異なる意であると、思います。

即ち、四段活用の動詞「飽く」の連用形+連語「まく」+形容詞「惜し」の連体形、です。「飽く」には、「十分満足する、存分に楽しむ」などの意があります。

④ 初句から三句は、「たまくしげ あけまくをしき あたらよを」という平仮名表記では類似歌とまったく同じですが、「化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」(存分に楽しめる)というようなことが(できた)、勿体ない夜を」、という意となります。

⑤ 五句「あかしつるかな」は、寝ないで朝を迎えた意です。

 「かな」は、終助詞の「かな」で詠嘆的に文を言いきるのに用いられています。

⑥ 以上の検討と詞書を踏まえると、現代語訳(試案)は、次のようになります。

化粧箱を開けるではないが、その「あける」という音に通じる「飽く」のような、存分に楽しめるというようなことが(できた)、勿体ない夜をあなたに逢うこともかなわなず、寝もやらず朝を迎えてしまったことよ。」>

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌3-4-12歌は、男がおくった和歌であることを明らかにしています。類似歌2-1-1967歌は、詠んだ旅先の土地の名を挙げているだけで、誰におくったかについて触れていません。

② 二句「あけまくをしき」の意が異なります。この歌3-4-12歌は、「飽け」+連語「まく」+「惜しき」であり、類似歌は、「明け」+連語「まく」+「惜しき」です。

 

③ 五句の語句が違います。この歌3-4-12歌は、「あかしつるかな」であり、寝ないで朝を迎えた意です。これに対し、類似歌2-1-1697歌は、「ひとりかもねむ」であり、推量の助動詞「む」により、「ひとり寝るのかなあ」と就寝前の歌です。

④ この結果、この歌は、訪問が叶うわなかった男が女に翌朝不満を述べた歌(恋の歌)であり、類似歌は、旅中での男の独り寝のつまらなさ・あじけなさを就寝前に述べた歌(羈旅の歌)となります。

 また、類似歌2-1-1697歌が諸氏の理解による現代語訳であっても、恋の歌と羈旅の歌という対比の構図は、同じです。

⑤ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-13歌  おもひかけたる人のもとに

   あづさゆみすゑのたづきはしらずともこころはきみによりにけるかも

3-4-13歌の類似歌 2-1-2998

󠄀あづさゆみ すゑのたづきは しらねども こころはきみに よりにしものを

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に記します。

2018/4/30 &訂正2020/8/17  上村 朋)

付記1.旅中の歌や宴席の歌が、記録され、『萬葉集』編纂者の手元に集まる経緯について

① 行幸以外でも官人の公務の移動は、宿泊すれば宴の席が設けられています。今日でも、宿泊を伴う出張で、訪問先に一席設けたいと事前に申し入れしたり、あるいは訪問先が席を設けたいと言ってきた場合また宿泊地に支店があった場合を、想像してください。

宴の状況を伺える『萬葉集』の題詞(ここにいう詞書)をみると、よく歌が披露(朗詠)されています。宴に歌の需要があったことがわかります。需要のあるところ供給が業として成り立ちますので、代作者は情報を集め、代作をお願いできる身分ではなくかつ歌がそれほど達者でない官人も書き記し、その後に役立てた、と思われます。

 現在でも勤務している事業所の同僚等が転勤の際には、職場の合同送別会のほか、所属課・グループ単位の送別会や、入社同期の送別会などがあり、参加せざるを得ない人もなんらかの準備をするものです。関係先のトップやその家族の冠婚葬祭や役職員の移動の有無を(友情からではなく)気にして種々配慮しています。官人は、建前として全国が転勤範囲の勤め人です。これらに似た状況が、当時の官人・関係先にあったのです。

 いくつか例を示します。

② 『萬葉集』巻第五の「雑歌」の部にある「梅花の歌丗二首」(2-1-819歌~)の序には「天平二年正月十三日に、師老の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申べたり・・・・」とあります。歌を詠むために宴会をしたかの趣です。

 宴に擬して、序をつけて大伴旅人が京に居る吉田宜(よろし)におくったとも考えられます。そうであっても擬することが不思議ではなかったということです。

③ 『萬葉集』巻第六は、すべてが「雑歌」ですが、そこに、次のような詞書と左注のある歌があります。

・「天平二年(730)庚午、勅(みことのり)して擢󠄀駿馬使(てきしゅんめし)大伴道足宿禰を遣はす時の歌一首(2-1-967歌)」 

 左注あり。「右 勅使大伴道足宿禰に帥(そち)の家にて饗(あへ)す。この日に、会ひ集ふ衆諸(もろもろ)、駅使葛井連広成を相誘ひて、歌詞を作るべし、と言ふ。登時(すなはち)広成声に応へて、即ちこの歌を吟(うた)ふ。」

 これは、歌を参加者が葛井連広成に「吟ふ」ことをすすめており、伝承歌を披露(朗詠)し楽しむだけではなく、この席にあった創作歌をも披露する必要がある、という認識が参加者にあった、と推測できる資料です。

それを誰かが記録したもの、あるいは、帥(そち)の家の主が記録させたものが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

④ おなじ『萬葉集』巻第六に、次のような詞書の歌があります。

・「十六年(744)甲申の春正月五日に、諸の卿大夫の安倍虫麻呂朝臣の家に集ひて宴する歌一首 作者審(つまび)らかならず(2-1-1045)

 この歌の詞書は、「虫麻呂の歌ではない」と言っていることになります。正月五日の虫麻呂朝臣の家の宴は、正月の行事に伴う朝廷の宴ではなく、私的な集いあるいは正月の行事担当の者達の慰労の席ではないか。出席者が記録したか、あるいはこの席のために事前に用意した歌のメモが、巡り巡って『萬葉集』巻第六の編纂者の手元に来たのです。

歌については、座興に虫麻呂の立場で来客の誰かが詠んだ歌か、という諸氏の指摘があります。

⑤ 『萬葉集』巻第九の相聞の部に、次のような詞書があります。「相聞」とは、漢語として「互いに起居を問うこと」、「互いに音信を通ずること」を意味します( 『大漢和辞典』(諸橋徹次)より)。そのような部立であるはずの「相聞」の歌です。これらは、宴の席で披露された歌、とその詞書から読み取れます。

・「大神大夫(おおみわだいぶ)長門守に任ぜらるる時に、三輪川の辺に集ひて宴する歌二首(2-1-1774,2-1-1775歌)」

・「大神大夫、筑紫国に任ぜらるる時に、阿倍大夫の作る歌一首(2-1-1776)

 「三輪川の辺に集」った宴とは、大神大夫(三輪朝臣高市麻呂)が大宝2(702)2従四位上長門守に任じられたとき、大神一族による送別・激励の宴ではなかろうか。宴の場所を考えると、友人・同僚は加わらないで別途席を設けたことを想像させます。この二首は、左注に、「右の二首、古集の中に出でたり」とあり、その時点でも古い歌(つまり伝承歌)であったかもしれませんが、宴の席で披露(朗詠)された歌であることに変わりありません。「あれわすれめや」「あれはやこひむ」と京を離れる大神大夫を対象に詠っています。

また、送別の時に、阿倍大夫が作って披露している歌も、「互いに音信を通じ」たいと、詠う歌です。歌の内容は、この3首とも相聞の歌にあたります。

・「藤井連、任を遷されて京(みやこ)に上る時に、娘子が贈る歌一首 (2-1-1782)

・「藤井連が和(こた)ふる歌一首(2-1-1783)」

 「娘子が贈」った場面は、宴の場であるから藤井連のそれにこたえた歌もその場に居た者に記録されたと推測できます。二人きりの場でやりとりする歌であろうか。誰かに、やりとりしていることを聞かせたい内容の歌と思われます。だから誰かが記録できたのです。この両歌ともに「相聞」の歌にあたります。

⑥ 『萬葉集』巻第十五にある遣新羅使一行の歌(2-1-3600歌以下145)について、土屋氏は、「力のこもった作は少ない」、「代作者が(一行のなかに)いる」と指摘し、月並の歌ばかりと評したよみ人しらずの歌の作者が代作者か、と推測しています。とすると、このような代作者を指定してでも旅中のことを和歌に書き記しているのだから、当時の官人にとり欠かせぬ教養のひとつが和歌の知識であったとしることができます。歌を記録しなければならない外国への旅であったのであり、代作者は下手であっても必死であったのである、と思えます。

⑦ 時代はさがりますが、930年代の紀貫之の『土佐日記』には、「1221日乗船」した、と記してから、「27日(国府近くの湊)大津より浦戸をさして漕ぎ出」でる、と記してあります。この間、毎日誰かから「馬のはなむけ」を受けたり、守(かみ)の館に呼ばれたりしています。守の館では、「漢詩(からうた)声あげて言ひけり。和歌(やまとうた)、主人も客人も、他人も言ひ合へりけり。漢詩はこれにえ書かず。和歌、主人の守の詠めりける、・・・」とあります。

それ相応の官人との別れにあたっては、色々な立場の人が送別の席を設けたり差し入れをしたり、その席では漢詩とならんで和歌も披露されていることがわかります。『土佐日記』では主催者の守の歌だけを記すと、いっており、通常は主賓の歌や気の利いた歌は書き留められていた、と判断できます。

 

付記2. 『萬葉集』歌における「たまくしげ」が枕詞と理解できる歌の例は、次のとおり。

① 2-1-94歌 たまくしげ みもろのやまの さなかづら さねずはつひに ありかつましじ

2-1-1244歌 たまくしげ みもろとやまを ゆきしかば おもしろくして いにしへおもほゆ

 この2首では「たまくしげ」は、み(見)と音が通じる二句の「みもろ・・」の「み」ににかかっているそうです。

② 2-1-93歌 たまくしげ をほひをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしをしも

 この歌では、「たまくしげ をほひをやすみ」が「あけて」を起こす序とされています。その意は、「玉櫛笥の蓋を覆うのがたやすいからといって、簡単に開けるように夜が明けてから・・・」(阿蘇氏)となります。

③ 2-1-379歌 あきづはの そでふるいもを たまくしげ おくにおもふを みたまへあがきみ

2-1-3977歌 ゆばたまの よはふけぬらし たまくしげ ふたがみやまに つきかたぶきぬ

この歌のほか、2-1-4011歌と2-1-4015歌も「たまくしげ ふたがみやまに」と詠い、蓋ではなく、音が通じる「ふたがみやま」にかけています。

④ 2-1-1535歌 たまくしげ あしきかりよを けふみては よろづよまでに わすらえめやも

 この歌は、「たまくしげ」は、三句の「けふみては」の「み」にかかるそうです。

(付記終わり。2013/4/30  上村 朋)

 

-1705歌以下にまた「(献・・・皇子)歌◯首」等の詞書のある歌のあとに、また「鷺坂作歌一首」と「泉河辺作歌一首」があり、次に「献弓削皇子歌一首」(2-1-1713)となります。その2-1-1713歌の左注に「右、柿本朝臣人麻呂之歌集出」とあり、阿蘇瑞枝氏は、右とは、「2-1-1686歌~2-1-1713歌を指す。非略体歌で人麻呂作と認められる」と指摘しています。地名等の詞書グループ(16首)の歌はそれに含まれます。

また、氏は、この巻では、「(献・・・皇子)歌◯首」以外は旅中歌が多いとも指摘しています。

 

わかたんかこれ 猿丸集第11歌 凌ぐのは何

前回(2018/4/16)、 「萬葉集歌は誤読されたか」と題して記しました。

今回、「猿丸集第11歌 凌ぐのは何」と題して、記します。(上村 朋)  (追記 さらに「あきはぎしのぎ」など理解を深めました。2020/8/10付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)

 

. 『猿丸集』の第11 3-4-11歌とその類似歌

① 『猿丸集』の11番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-11歌  しかのなくをききて

   うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

 

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首 名かけたり

 うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、初句や四句などの一部と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌は 『萬葉集』巻第八の秋の相聞の全30首(1610~1639歌)の4番目にある2-1-1613歌です。

萬葉集』巻第八は、収載した歌全体をまず四季に分け、そのおのおのを雑歌と相聞に分類しています。このような配列を『萬葉集』で初めて行った巻です。

この歌の前後の歌より、巻第八の編纂者の考えを推定したいと思います。

② 秋の相聞は、額田王の歌(2-1-1610)で始まります。

 ここにいう、相聞とは、大漢和辞典』(諸橋次)によれば、「互いに起居を問うこと」、あるいは「互いに音信を通ずること」、を意味します。

そして同辞典は「相聞歌」の意も説明し、「萬葉集中の歌の部類の称。互いに起居を相問ひ交はす歌。男女互いに恋情を交はしたものがあるところから後世の歌集はこれに本づき恋歌の部とする」とあります。

③ 『萬葉集』の編纂者の時代、「秋の相聞の歌」といえば、秋という季節を詠んでいて、作者のそのときの行動・心情を誰かに訴えるあるいは報告等をしていると判断できること、という要件があると思います。

類似歌(2-1-1613)の前後の歌計10首について、それをみてみると、つぎのようになります。

2-1-1610歌  (すだれをうごかす)秋の風  来るのを確信して、次歌1611歌の作者に示したか

2-1-1611歌  なし(あるいは風が該当か) 前歌1610歌を承け、和した歌か

2-1-1612歌  秋萩  露           恋している者におくった歌か

2-1-1613歌  秋萩  鹿           慕っていることを訴え妻か妻の両親におくった歌か

3-4-11歌の類似歌。後段で再度検討する)                            

2-1-1614歌  秋野  なでしこ       元気でいる近況を、遠方にいる大伴旅人に伝えた歌

2-1-1615歌  鹿                密かに恋している者におくった歌か

2-1-1616歌  秋草              求婚した相手に拒絶を通告しておくった歌

2-1-1617歌  秋の野  鹿     完全に分かれた後おもいがけず再会した相手におくった歌

2-1-1618歌  九月  初雁     天皇に奉った歌

2-1-1619歌  なし           詞書に「天皇賜報和御歌一首」とある。1618歌の返歌か

 

 秋の景物について、この10首をみると、2-1-1611歌と2-1-1619歌に有りません。但し、ともに前の歌と対となっていると考えると、秋の歌と言えます。2-1-1611歌では、歌にある「風」が「秋の風」となり、2-1-1619歌では、詞書から直前の歌の返歌の意となるからです。秋の景物の有無から判断すると、類似歌である2-1-1613歌は、歌に詠み込んでいる秋萩と鹿により、秋の歌です。

なお、2-1-1620歌以下の歌においては、詠んだ時期について、歌にはっきりと登場させるか、それが適わない歌では、詞書か左注で明示し、秋の歌というのがわかります。そのなかで、秋の時期のみと限定しにくいのは大伴家持長歌反歌2-1-1633歌と2-1-1634歌)であり、別の季節の歌とも言い得る歌です。

④ 次に、相聞の歌の要件とした、誰に行動・心情を訴えて(報告して)いるかをみると、おくった相手の名を明らかにしているのは、相手の名を詞書に記している2-1-1614歌と2-1-1618歌の2首だけです。

さらに、最初の歌と次の歌(2-1-1610歌と2-1-1611)は対の歌とみれば相聞の歌であり、相手がはっきりしており(付記1.参照)、また、2-1-1618歌と2-1-1619歌の2首も対の歌とみれば同様であり、ともに相聞の歌とみることができます。

その他の歌5首を次に検討します。

密かに恋している相手におくったら「密かに」でなくなる恋となるのに直接相手におくるような歌(2-1-1615歌)と、思いがけず再会したと詠い「互いに起居を相問ひ交はす」より直接会って後の歌というような歌(2-1-1617歌)の2首は、例えば、訴えたい(報告したい)人物の周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえます。

また、恋しているものへの歌(2-1-1612歌)と求婚拒絶の歌(2-1-1616歌)は、「互いに起居を相問ひ交はす」歌かというと、疑問が生じます。しかし、この2首も、その周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえます。

残りの1首は、今検討しようとしている類似歌(2-1-1613歌)です。この歌も、同一の詞書における2-1-1612歌と同様にその周囲の人などに行動・心情を訴えたい人が居たと想定すると、相聞の歌となる、といえなくもありません。この5首の歌を「周囲の人への相聞歌5首」ということにします。

⑤ 「周囲の人への相聞歌5首」のような歌が、巻第八の編纂者の手元に資料として集まってきたのはなぜでしょうか。その周囲の人以外にも公表していないと(作者と作者の理解者以外の第三者が書き写すことを許されていない歌であると)、編纂者の手元に集まることはないと思います。

 そうすると、場面を設定して朗詠した歌を披露しあうという宴席での歌が、「周囲の人への相聞歌5首」だったのではないでしょうか。「周囲の人への相聞歌5首」は、宴席の出席者や接待役の人が創作した歌あるいは伝承歌ではないか、という推測です。

 2-1-1615歌は、宴席において、男が男に言い寄っているかのような歌と見えます。

思いがけず再会したと詠う2-1-1617歌には、左注に作者の異伝が記されており、それは朗詠した人物名とも考えられます。宴席は、旧交をあたためる機会でもあり、接待役の女性に再会もあると思います。自分を売り込む場でもあったのでしょう。

⑥ このような検討の結果、最初の10首は、歌のなかの主人公が実際の作者であるかどうかは横に置いておいても、秋の相聞の歌であることは、確認ができました。

詞書を越えて対と見做す歌以外は、詠まれた状況が重なっていないので、詞書ごとに独立している歌として理解してよいと思います。また、萬葉集』の相聞の歌は、必ずしも恋情の歌ではないことが確認できました。

⑦ なお、この10首には、『萬葉集』に重複収載されていると、諸氏も指摘している歌があります。

2-1-1610歌は、同じ詞書で巻第四 相聞に、2-1-491歌があります。万葉仮名が数文字異なりますが、同じ訓を『新編国歌大観』は収載しています。

2-1-1611歌も、同様で、2-1-492歌として収載しています。

2-1-1612歌は、詞書が異なっています(「弓削皇子御歌一首」が「寄露」に)が、巻第十秋雑歌に、2-1-2258歌として収載しています。万葉仮名が数文字異なります。

この重複している歌には、上記の③~⑥の結論を、修正する材料がありません。

 

3.類似歌の検討その2 現代語訳

①類似歌(2-1-1613歌)の現代語訳を例示します

・「宇陀の野の秋萩を押し伏せて鳴く鹿も、妻を恋しく思う程度は私に及ばないに相違ないよ。」(阿蘇氏)

氏は、「宇陀の野が旅寝の場所であったと見るようがよい」、と指摘しています。「宇陀の野」とは、奈良県宇陀市大宇陀区の安騎野の一帯をさし、往時の遊猟の地としてしられているところです。

・「宇陀の野の 秋萩を踏みしだいて 鳴く鹿でも 妻に恋することでは わたしに及ぶまい。」新日本文学大系2萬葉集2』(佐竹氏他)

訳者は、「しのぐ」を「押さえつける」意としています。

② 作者丹比真人は、この歌のほか『萬葉集』で2首の作者となっていますが、生歿等未詳です。

③ 四句「つまにこふらく」は、名詞「妻」+上二段活用の動詞「こふ」の終止形+準体助詞「らく」ですので、その意は、「妻を慕うということ(においては)」、となります。

 「らく」は、上代語で、上二段、下二段の動詞などの終止形につきます。

④ この歌は、秋に鳴く鹿を譬喩としている歌ですが、宇陀の野を闊歩する鹿を譬喩としていませんので、初句の地名は入替可能です。作者に仮託した伝承歌ではないでしょうか。実際は、地名を入れ替えて、各地の旅先での宴席で出席者や接待役の人々が朗詠したのではないでしょうか。

 

4.3-4-11歌の検討 その1

① 3-4-11歌を、まず詞書から検討します。

 現代語訳(試案)は、「鹿が鳴くのを聞いて(詠んだ歌)」

となります。鹿が一声二声鳴く声に触発されたのか、もっと繰り返し鳴く鹿に触発されたのか、判りません。「しか」は、名詞としては鹿の意以外に「士家」もありますが、類似歌の存在から前者であると思います。

③ 初句「うたたねの」は、名詞「仮寝」(うとうと寝る)+格助詞「の」という理解の外に、

副詞「うたた」+名詞「ね」+格助詞「の」

の理解が可能です。「ね」は、時間帯の子(午前零時前後)、音、根あるいは寝、が考えられますが、「の」で修飾してゆく語句「あき」が、「秋」の意であると、前者の「仮寝」の理解が、適切です。

④ 二句「あきはぎしのぎ」は、二つの理解が可能ですが、類似歌と意が違う歌として、次の後者でまず検討します。

 名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形

 名詞「秋」+助詞「は」+名詞「義」+動詞「凌ぐ」の連用形

「義」とは、「儒教五常のひとつである、人のふみ行うべき道」とか、「意味」とか、「説教・教え」など、の意があります。

また「凌ぐ」には、「押さえつける・押しふせる」意のほかに、「じっとたえて困難などに打ち勝つ」とか「防いでたえしのぶ」、という意があります。

この歌が、恋の歌であれば、「義」は、「説教・教え」、具体的には親兄弟の諌止という理解が有力となります。

⑤ 三句「なくしかも」は、二句を受けているので、

 動詞「泣く」の終止形+接続助詞「然も」

という理解が良い、と思います。和歌の文が、「なく」で一旦切れます。

「然も」は、百人一首喜撰法師の歌(5-276-8歌:我がいほは宮このたつみしかぞすむよをうぢ山と人はいふなり)の「然も」(そればかりか、ごらんのように、の意)の使い方です。

⑥ 四句「つまこふことは」は、動詞「こふ」が連体形とみなせるので、上二段活用の「恋ふ」ではなく、

 名詞「端」+四段活用の動詞「乞ふ」の連体形+名詞「事」+助詞「は」

と理解できます。「乞う」とは、「物をほしがる、求める」意と「神仏などに祈り願う」意があります。

 「端」とは、「もののはしっこ、軒端、」のほかに、「いとぐち、端緒、てがかり」、という意があります。

⑦ 五句「われにまさらじ」の「じ」は助動詞で、打消しの推量、あるいは打消しの意志を表わします。

⑧ 詞書に従い、以上の検討を踏まえて、歌の現代語訳を試みると、つぎのとおりです。

 「うたたねに心地よい秋の季節ですが、親どもの説教に堪え忍び、(逢えないことに)涙も流していますが、ごらんのように 貴方との逢引のきっかけをつかもうと努力しています。このような私に(ほかの人が)勝ることはありますまい。」

 うたたねは、仮寝の意をも含むとすると、二人ですごす時間を指すことになります。秋は暑くもなく寒くもなく実りの季節です。 

⑨ さて、二句「あきはぎしのぎ」については、理解に2案ありました(上記④参照)。次に、類似歌と同様に、

名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形 

という理解をした場合も、検討しなければなりません。

 この場合、三句「なくしかも」は、二句を受けているので、動詞「凌ぐ」に連動する文として、動詞「啼く」+名詞「鹿」+助詞「も」が、適切な理解となります。

 四句「つまこふことは」の「こふ」が「こと」を修飾しているので、四段活用の「乞ふ」の意であり、四句の意味は、「妻を求めるということ」となります。まだ妻となる人に巡り合っていない、というイメージになります。

⑩ そうすると、二句「あきはぎしのぎ」を、名詞「秋萩」+動詞「凌ぐ」の連用形 とみた場合の現代語訳(試案)を試みると、

 「うたたねに心地よい秋の季節に、秋萩を押しふせて啼く鹿も、妻を求めるということでは私に勝ることはありますまい。」

となります。これでは、類似歌と趣旨が変わらない歌となります。秋の雄鹿の妻を呼ぶ行動は周知のことであり(だから自分の行動の比喩として言い出しています)、それにくらべて作者の行動の説明が、この理解より上記⑧のほうがはっきりしています。類似歌とは異なる歌である、と言えます。類似歌を引き合いにだして、作者が何をしているか(何に耐えているのか)がよくわかる歌です。相手に迫る迫力が類似歌よりあります。その点から、上記⑧の現代語訳(試案)のほうを、3-1-11歌の現代語訳(試案)とします。

 

5.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書の内容が違います。この歌は、歌を詠むきっかけを記しています。類似歌は、作者名だけです。

② 初句の語句が違います。この歌3-4-11歌は、「うたたねの」とあり、秋という季節の一面を描写し、類似歌2-1-1613歌は、「宇陀の野」という地名です。一方は季節をもう一方は場所と、異なっています。

③ 二句の意が異なります。この歌は、「秋は義をしのぎ(説教に堪え忍び)」の意であり作者の行動を、おれに対して類似歌は、「秋萩しのぎ(萩を押し伏せ)」の意であり鹿の行動を、さしています。

④ 三句の「なくしかも」の意が異なります。この歌は、動詞「泣く」の終止形+接続助詞の「然も」であり、類似歌は、動詞「鳴く」の連用形+「鹿」+「も」です。

⑤ この結果、この歌は、私が貴方を慕うのは、親の説教でも変わっていませんと詠う歌であり、類似歌は、貴方を慕うのは鹿より強いと単に自負している歌となります。恋の成就の障害を明示し乗り超えようとしている歌と、慕う気持の強いことを訴えるだけの歌という、ちがいが、あります。

 ともに、恋の歌であり、共通点もあります。作者の立場は、この歌に、「待っています」という意が込められていないところから、男です。類似歌も鳴く雄鹿を作者自身と比較しているのですから、やはり男です。

⑥ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-12歌  女のもとに

たまくしげあけまくをしきあたらよをいもにもあはであかしつるかな

3-4-12歌の類似歌 万葉集2-1-1697:紀伊国作歌二首(1696,1697)

たまくしげ あけまくをしき あたらよを ころもでかれて ひとりかもねむ

 

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑦ ご覧いただきありがとうございます。

次回は、上記の歌を中心に、記します。

2018/4/23   上村 朋)

付記1.土屋文明氏の理解について

① 土屋文明氏は『萬葉集私注』において、「2-1-1610歌は巻四にみえた。2-1-1611歌は巻四にみえた」としている。その巻四の歌とは、2-1-491歌と2-1-492歌である。前者は「爽快な秋風が先に訪れるのを感じながら、満足した心で人を待つ趣」と解している。後者は、「2-1-491歌に和した作とも考えられるし独立の作としても十分理解される」とし、「来ると決まって待つなら何に嘆きましょう」と理解している。

② 氏は、2-1-1612歌を、本来は民謡であったのを、弓削皇子に帰せしめられたのであろう、と指摘している。2-1-1617歌も民謡かと指摘している。

③ 氏は、2-1-1613歌を、「鹿を主とした歌で、実質は相聞歌ではあるまい」と、2-1-1614歌を、「天平3年京にて病める旅人を慰めんとして花につけた歌か」と指摘している。(私は、九州大宰府滞在の旅人へ贈り物をした際に付けた歌、と解した。)

(付記終り。2018/4/23 上村 朋)

わかたんかこれ  萬葉集は誤読されているか

前回(2018/4/9)、 「猿丸集第10歌 好きなオミナエシ」と題して記しました。

今回、「萬葉集歌は誤読されているか」と題して、記します。(上村 朋)

 

. 『猿丸集』も詞書が大事

① 『猿丸集』の1番目から10番目の歌を、その類似歌と比較しつつ検討してきました。この冒頭10首の歌で、『猿丸集』記載全52首のうち20%を占めます。検討してきて判ったこと、疑問とすることなどを、まとめてみて、今後の検討方向を確認したいと思います。

② 類似歌とは、諸氏が『猿丸集』の歌は異伝歌であるとして示した元の歌と、そのほか『猿丸集』の歌の作者が直接語句や修辞法などを参考としたと私が判断した歌を、言います。その一覧を表にすると、つぎのとおりです。歌番号は、『新編国歌大観』の「巻数―その巻での歌集番号―その歌集での歌番号」を示します。あわせて『猿丸集』の歌の詠み手や特徴を示します。

 

表 『猿丸集』の歌とその類似歌の一覧(1~10歌)             2018/4/3 現在

『猿丸集』の歌番号

作者の立場と相手の性別と歌区分

類似歌その1の歌番号

類似歌その2の歌番号

類似歌と一連の歌の代表歌の歌番号

『猿丸集』の歌の特徴

3-4-1

男→男 返歌

2-1-284歌

 

2-1-282歌&2-1-283歌

紫を詠い賞賛している

3-4-2

男→男 返歌

2-1-572歌

 

 

紫を詠い感謝している

3-4-3

 女→男  往歌

1-1-711歌

 

 

男に感謝している

3-4-4

 女→男  往歌

2-1-1471歌 

 

 

訪れない男への嫌味をいう

3-4-5

男→女   往歌

2-1-3070歌の一伝

 

 

女々しい男の述懐

3-4-6

男→女   往歌

2-1-2717歌の一伝

 

 

噂のたった女を慰める

3-4-7

男→女   往歌

 

1-3-586歌

『神楽歌』41歌

『神楽歌』42歌

富士山の噴火を例として、女を慰める

3-4-8

 女→男  往歌

2-1-293歌

2-1-1767歌

2-1-292歌

来訪の途絶えているのを嘆く

3-4-9

男→女   往歌

2-1-2878歌

 

 

女を詰問

3-4-10

 女→男  往歌

2-1-1538

 

 

子を持った女の恋の歌

注1)『猿丸集』の歌番号:『新編国歌大観』の「巻数―その巻の歌集番号―その歌集での番号」

注2)作者の立場と相手の性別と歌区分:立場(性別)は詞書と歌からの推計。歌区分は発信(往歌)と返事(返歌)の区分。

注3)類似歌その1の歌番号:諸氏のいう猿丸集歌が異伝歌となる元の歌の『新編国歌大観』による歌番号。

注4)類似歌その2の歌番号:類似歌その1以外の類似歌と推定した歌の『新編国歌大観』による番号。

注5)類似歌と一連の歌の代表歌:類似歌の理解に特段の影響がある歌の代表歌。同一の詞書の歌とか、同様な歌があると類似歌記載の歌集にある歌など。

注6)『神楽歌』:『新編日本古典文学大系42 神楽歌催馬楽梁塵秘抄閑吟集』記載の『神楽歌』。番号は『神楽歌』において『新編日本古典文学大系42』が付した歌番号。

 

③ 2018119日から201849日までのブログで『猿丸集』冒頭の10首を検討してきました。歌集にある歌の2割にあたる歌を振り返ってみて、何点か指摘したいことがあります。

類似歌を諸氏が指摘しており、有益であった。しかし、類似歌に関する諸氏の見解のみでは、『猿丸集』記載の歌の検討には不十分なところもあり、類似歌の理解に時間を要した。類似歌を誤読している例があった。

・類似歌は、『萬葉集』歌が断然多い。『猿丸集』の編纂者と歌の作者は、『萬葉集』の知識が豊富な人であると思われる。類似歌をよく理解し、編纂時及び作詠時に参照している、と考えられる。

冒頭の10首の各詞書は、類似歌が記載されている『萬葉集』等と同様に、歌の理解に欠かせないものであった。

『猿丸集』冒頭の10首は、結局、類似歌の異伝歌という範疇にある歌ではなく、あらたに創作した歌であり、その詠っている趣旨が異なっていた。一面、類似歌と異なっていたので、検討がすすんだ。

・『猿丸集』冒頭の10首は、贈答歌のおくる側の歌を示す形の詞書のもとに、全ての歌があった。贈答歌のもう一方の歌(返歌など)を併載している例はなかった。従って、歌合の歌や屏風歌と思われる歌は1首もなかった。勿論11首目以降の歌はこれから検討するところである。

・歌は、男か女かどちらかの立場で詠んだ歌ばかりであり、どちらの側が詠んだ歌ともとれるような歌がない。また最初の2首が男の立場から男へおくった歌であるが、それ以外の8首は、異性におくっている歌となっている。

・『猿丸集』の配列に、どのような特徴があるのか、わからない。歌集における最初の2首の位置づけも、まだわからない。『猿丸集』の編纂者と歌の実作者の検討もこれからである。

 

④ 以下に、上記の一端を示し、今後の検討の進め方について記します。

 

2.類似歌の理解は編纂者の意図が大事

① 諸氏が類似歌を指摘してくれているので、歌同士を比較して検討を進められ、効果的かつ論旨の徹底ができました。深く感謝します。

② 『猿丸集』冒頭の10首には、類似歌その1が9首(上記の表参照)にあり、『萬葉集』歌が8首で『古今和歌集』歌が1首でした。その歌1-1-711歌は、『古今和歌集』のよみ人しらずの時代の歌と推定できる歌です。

類似歌は、『猿丸集』編纂当時の歌か当時でも古歌の類であるならば資格があります。類似歌その1の指摘の無い歌(3-4-7歌)には、『神楽歌』41歌を類似歌その2と推定しました。「しながとり」という語句の理解によるものであり、『神楽歌』41歌は『拾遺和歌集』の元資料になり採録され1-3-586歌となっています。その歌をも、類似歌その2、と整理して検討をしています。

③ 『猿丸集』の第1歌(3-4-1歌)の類似歌(『萬葉集2-1-284歌)の理解が、新鮮でありました。都で留守番をするので見送りにでた妻が詠んだ歌となったのです。類似歌である黒人妻答歌一首は、高市連黒人歌二首に答えた歌です。当時の官人の旅行と配列からの考察によります。2-1-284歌は同僚の代作かもしれません。

 第1歌と同じ詞書における第2歌(3-4-2歌)も、類似歌(『萬葉集2-1-572歌)を詠った事情が明確にわかる詞書であり、「むらさき」の色の意味を知り、第2歌と第1歌を対の歌として理解できました。

④ 『猿丸集』の第3歌(3-4-3歌)と、類似歌(『古今和歌集1-1-711歌)とは、清濁ぬきの平仮名表記が全く同じですが、それぞれの歌集における配列と詞書の理解と「つきくさのうつしごころ」等の用例より、全然趣旨の違う歌となって浮かび上がりました。

類似歌1-1-711歌は、相手の不誠実なことを責めているか相手を揶揄しています。(3歌は、相手の気遣いや愛情に感謝していることを相手に伝える歌でした。)

通常、清濁ぬきの平仮名表記にした歌の文字列が同じとなる歌は、大変珍しい。

しかし、一つの歌が、いくつかの解釈を許していることはよくあることです。『万葉集』の歌でも論者によって理解が違う歌があります。歌集の編纂者の採用した歌が、元資料の歌と同じ趣旨の歌として採用したかどうかは、確認を要することです。例えば、『古今和歌集』をはじめ三代集には、元資料が屏風歌である歌が多々あります。三代集にあるその歌の理解・解釈を、行事に用いるべく調達した屏風にと注文されている元資料にあてはめてよいと無条件で認めるのは、三代集が元資料を集めて編纂されているという時系列からみて方法論としておかしいことです。理解・解釈の仮説としての検証が必要です。結果として一致する場合があるのは論理的に妥当なことです。

この類似歌は、伝承歌扱いの「題しらず」の歌であり、平仮名表記の「こと」により歌をおくられた人は、慎重に返歌をしたことが推測できます。なお、この歌だけが『古今和歌集』からの類似歌となっています。

⑤ 第4歌の類似歌(2-1-1471歌)も、配列を考慮すると、宴席に出席している多くの人がホトトギスを待ち焦がれていることを揶揄する歌に、理解が変わりました。第5歌の類似歌(2-1-3070歌の一伝)は詞書が「題しらず」であり、「草結ぶ」という俗信がはっきりせず、配列が参考となりました。

 第6歌の類似歌(2-1-2717歌の一伝)では、しながどり」が「率(ゐ)な」を引き出し、同音の「猪名(ゐな)」にかかることがわかり、理解が深まりました類似歌は、17文字を費やしてまで「名」が高まったと、つまり女に逢えたと、吹聴している歌となりました。(6歌(3-4-6歌)は、噂のたった女を慰めている歌となりました。

 第7歌の類似歌は、実質神楽歌です(『神楽歌』41歌)。今回検討してみて、 『神楽歌入文』(橘守部)で「ある色好みの男の人の娘を得んとして云々」が妥当なように思いました。

⑥ 第8歌の類似歌2首の詞書、即ち類似歌a2-1-293歌の詞書「間人宿祢大浦初月歌二首(292,293)」と類似歌b2-1-1767歌の詞書「沙弥女王歌一首」と後者の左注の考察で、「くらはしのやま」の利用方法がわかり、第8歌の詠われた趣旨が明確になりました。

類似歌2-1-293歌は、初月が山の陰に入り作中人物の視界から消えてしまってさらに暗くなった路を詠い、類似歌2-1-1767歌は、開宴を求める歌と理解できます。(それに対して第8歌(3-4-8歌)は、男が来てくれないことを嘆く恋の歌となりました。)

 第9歌の類似歌(2-1-2878歌)は、この歌の前後は相愛の歌が対になって配列されていることから、この歌も対に仕立てた相愛の歌と見做せます。1首のなかで「こと」と平仮名表記となる言葉が、万葉仮名では「言」と「事」と使い分けられていました。

⑦ また、第10歌の類似歌(『萬葉集2-1-1538歌)は、歌の配列を考察すると、詠んだ場が推定でき、変哲もない花が土産であるので、子にオミナエシを土産にすると詠っているこの歌は恐妻家の歌でした。(第10歌(3-4-10歌)は、男の望み通りの児を多分産んだであろう女性の、恋の歌となりました。)

⑧ 『萬葉集』にある類似歌の検討のため多くの萬葉集歌を参照・確認をしました。それらを通じて『萬葉集』は、もっと当時の地理を想定し、詞書と歌の並び(配列)に留意したと思われる編纂者の意図(編集方針)を尊重して理解すべきである、との思いを強くしました。

少なくとも伝承されてきたと思われる歌は、『万葉集』に採録する理由をも吟味すべきです。

⑨ 『萬葉集』の元資料にある歌は、どこで詠われているかというと、朝廷(国守主催なども含む)の行事と宴、及び官人で上層の貴族が行う私的な宴と餞の場が多くを占めており、そのほかに個人の贈答歌や伝承歌となります。個人の贈答歌で当事者名が明らかになっていない歌は伝承歌に括ってもよいかもしれません。伝承歌は官人ならば宴の席で朗唱する機会が多くあったと思われます。これらの場を念頭に『萬葉集』の歌は理解をしなければならないと思いました。

 『猿丸集』冒頭の10首のため検討した『萬葉集』歌を通じて思うのは、誤読されてきた歌がまだあるのではないか、及び、『猿丸集』の編纂者と作者は、解釈に幅がある歌を類似歌としてとりあげたのではないか、ということです。

 

3.『猿丸集』の歌は、パターンがありそう

① 『猿丸集』冒頭10首における詞書の文末は、「(に・て・ば)よめる」が5首、「女のもとに」が2首、「いれたりける」が1首、詞書を書きつけるのを省略した(前歌と同じ、の意)のが2首という状況です。「よめる」とか「もとに」はこの歌集全体を見ても多くあります。

 ちなみに、『古今和歌集』の詞書の文末をみると、次のとおりです。

巻第一春歌上(全首)の文末には、「日よめる」「題しらず」「御うた」「(を・に・て・とて・時)よめる」「よませ給ひける」「のうた」「うたあはせのうた」「よみてたてまつれる」「人におくりける」「よみける」「おくりける」の11種類があります。

巻第十一恋歌一(全83首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」の4種類です。

巻第十二恋歌二(全64首)の文末は、「題しらず」「つかはしける」「返し」「歌合のうた」の4種類です。

巻第十三恋歌三(全61首)の文末は、「つかはしける」「返しによめる」「題しらず」「やりける」「歌合のうた」「おこせたりける」の6種類です。

巻第十四恋歌四(全70首)の文末は、「題しらず」「歌合のうた」「(かはりて)よめりける」「つかはしける」「返し」「よみておくりける」「よみてやれりける」「とてよめる」の8種類です。

巻第十五恋歌五(全82首)の文末は、「(て・みて)よめる」「題しらず」「つかはしける」「返し」「つかはせりける」「よみてかきける」「歌合のうた」の7種類です。

 恋部全体の歌数でいうと、「題しらず」が断然多く、次に「つかはしける」が多い。

 『後撰和歌集』でみると、巻第一春上冒頭には、「たまはりて」「日よめる」「を見て」「つかはしける」と並び、巻第十恋一冒頭では、「侍りければ」「つかはしける」「つかはしける」「つかはしける」「返し」「つかはしける」「返し」「つかはしける 「と言へりければ」と並びます。

恋部全体では、「つかはしける」が大変多い。「と言へりければ」もちょくちょくあり、「もとに」は「もとにとつかはしける」のかたちでのみあります(512,523,528,584,775,814など)

 『拾遺和歌集』でみると、巻第一春冒頭では、「よみ侍りける」「屏風の歌」「よみはべりける」「 仰せられければ」「御屏風に」と並び、巻第十一恋一冒頭では、「歌合」「歌合」「題しらず」「つかはしける」「題しらず」(8首続く)と並びます。

拾遺和歌集』にも「のもとに」とある歌もあります(1-3-817歌など)が恋部では圧倒的に「つかはしける」が多い。

三代集の次の勅撰集『後拾遺和歌集』の恋部では「つかはしける」が圧倒的に多く、その次は「よめる」で、そのほかは微々たるものになっています。

② 『猿丸集』の全52首では、いまみた四つの勅撰集にある「つかはしける」と「題しらず」という文末で終る詞書が無いのです。

『猿丸集』に多い「よめる」は、四番目の勅撰集である『後拾遺和歌集』に多い。また三代集と比較して恋部の歌では文末のほかの表現が少ない、という特徴があります。詞書の文末の表現のパターンは『猿丸集』の編纂時期検討のための資料のひとつであると思います。

 歌の表現は、平仮名を存分に利用し漢字は一字使うかどうかです。冒頭の10首でみると、つぎのように、「啼(く)」以外はなんということのない漢字ばかりです。

 3-4-1歌  原 見

 3-4-2歌  人 

 3-4-3歌  月

 3-4-4歌  啼(く)

 3-4-5歌  草 月

 3-4-6歌  山

 3-4-7歌  (漢字無し)

 3-4-8歌  山 月

 3-4-9歌  人

 3-4-10歌 人

今、ここでの検討における歌の表現(文字使い)は、『新編国歌大観』記載の歌の表現によっています。

同書記載の『古今和歌集』恋一の和歌83首では、漢字が1字以下の歌が9首しかありません(付記1.参照)。すべてよみ人しらずの歌で、漢字使用無し2首、使用有り7首です。用いている漢字は、思、人、心、蝉各1首、秋2首、我1首、の6字だけです。

詠まれた時はすべて平仮名であった歌が、『古今和歌集』の編纂者の手元に集まった資料は一部が既に漢字まじりで表現されていたのか、歌集として編纂されるにあたり、漢字に置き換えたのか、あるいは書写の段階で平仮名が漢字に置き換えられたのかは、各歌ごとに検討しなければなんとも分かりません。

『猿丸集』についていうと、編纂の為の資料の段階で漢字まじりで既に表現された歌であったかどうかもわかりません。編纂者が類似歌を意識しているとすると、漢字の使用を抑え、語句を重複させたり組み合わてある文字列であることを強調した表現方法として選択して書き替えたのかもしれません。あるいは、古歌であることを印象付けようとして書き替えたのかもしれません。10首の分析ではまだ何ともいえません。

④ 『猿丸集』の作者の立場は男か女かということを、詞書と歌の内容から判断すると、冒頭10首は、男6首で女が4首であり、どちらとも言いかねるという歌はありませんでした。このうち女の立場の、3-4-3歌は類似歌が、『古今和歌集』歌ですが、残りの3首(3-4-4歌、3-4-8歌、3-4-10歌)の作者が実際女性であるならば、『萬葉集』を十分承知していたか、古歌として伝承されてきた(今から見ると『萬葉集』歌の類歌も含む)歌集、いうなれば「伝承歌集」に馴染んでいたことになります。これが疑わしいと仮定すると、女の立場の歌の実作者は全て男性という可能性が生じます。

⑤ 作者の立場が男で、贈答の相手も男という歌は、冒頭の2首のみです。親しくさせていただいているが位階の高い男への歌だけです。どのような意味があるのかは、いまのところわかりません。そのほかの8首は、相愛の歌、男女の間の歌でありました。しかし恋こがれた歌ではない歌もありました。8首が全て同じ男と女との間に詠まれた歌にはみえません。詠む状況設定の順番を編纂者が意図的に行なっているかどうかはいままでのところなんとも言えません。

 

4.『猿丸集』の編纂者と歌の作者について

① 『猿丸集』は、『古今和歌集』などの勅撰集にならい、同一の詞書は、二番目以降の歌には省略されています。

萬葉集』は、その詞書のかかる歌数が、詞書に「・・・歌○首」と明示したり左注で記されたりしている場合がありますが、『猿丸集』にはそのようなことはありません。

『猿丸集』の詞書が、どの勅撰集にならった書き方であるかということは、この歌集の編纂時点を限定する根拠となるでしょう。

② 詞書の文末の表現(「よめる」など)は、先に指摘したようにこの歌集の編纂時点の検討の材料になると思います。

③ 歌の作者は、類似歌である『萬葉集』歌などを下敷きにした詠いぶりを考えると、萬葉集に造詣の深い人かあるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に馴染みのある人であるのは確かです。代作も『萬葉集』の時代からあったことなので冒頭の10首からは否定できません。

④ 編纂者は、独りかどうかもわかりませんが、歌の作者と同じように、『萬葉集』あるいは古歌として伝承されてきた歌集(「伝承歌集」)に造詣の深い人ではないか、と推測できます。

 

5.これからの検討方法

① 類似歌も配列等編纂者の意図を確認しつつ行う必要があります。今まで通り、個々の歌の類似歌を吟味して後、『猿丸集』の歌の現代語訳(試案)を試みます。

② 時々、いくつかの歌を同時に眺めて論旨の整理に資するようにしたいと思います。歌集としての特徴などは個々の歌の検討が一段落した時点で、改めて検討することとします。

③ さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌です。

3-4-11歌  しかのなくをききて

     うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首」  巻第八の秋相聞にある歌です。

   うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。

2018/4/zz   上村 朋)

付記1.『古今和歌集』巻第十一で、漢字が一字以下の歌は次のとおり。『新編国歌大観』より引用。

9首あるが、すべてよみ人しらずの歌である。

2-1-477 思    

2-1-483  無し

2-1-486 人

2-1-493  無し

2-1-541 心

2-1-543 蝉

2-1-545 秋

2-1-546 秋

2-1-548 我

(付記終わり。 上村 朋  2018/4/16)

わかたんかこれ 猿丸集第10歌 オミナエシ好き

前回(2018/4/2)、 「猿丸集第9歌 たがこと」と題して記しました。

今回、「第10歌 オミナエシ好き」と題して、記します。(上村 朋) (追記 さらに「あきはぎてをれ」など理解を深めました。2020/8/3付けブログも御覧ください(2020/8/17)。)

 

. 『猿丸集』の第10 3-4-10歌とその類似歌

① 『猿丸集』の10番目の歌と、諸氏が指摘するその類似歌を、『新編国歌大観』より引用します。

3-4-10歌  家にをみなへしをうゑてよめる

をみなへしあきはぎてをれたまぼこのみちゆく人もとはんこがため

 

類似歌 2-1-1538歌  石川朝臣老夫歌一首

をみなへし あきはぎをれれ たまほこの みちゆきづとと こはむこがため 

(娘部志 秋芽子折礼 玉桙乃 道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡 為乞児)

 

② 清濁抜きの平仮名表記をすると、二句と四句の各2,3文字と、詞書が、異なります。

③ この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

 

2.類似歌の検討 その1 配列から

① 現代語訳を諸氏が示している類似歌を、先に検討します

類似歌2-1-1538歌は、 『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌1515~1609)」にある歌です。配列上の特徴を確認します。

巻第八は、初めて巻全体を四季に分けたうえ、雑歌と相聞に分け、そしてそれぞれ年代順に配列されていると諸氏が指摘しています。秋の雑歌は、舒明天皇の鹿の歌からはじまります。

② この歌の前後の歌をみてみます。

この歌の5首前の2-1-1533歌で七夕の歌が終わり、2-1-1534歌から、オミナエシとハギの歌となります。(付記1.参照)。

年代順に配列されているとすると、左注に「右天平二年七月八日・・・」とある2-1-1530歌以後は、しばらく年月日の記載がなく、2-1-1545歌に「作者大宰師大伴卿歌二首」とありますので、少なくともこの歌までは天平二年の作詠とみることができます。

オミナエシとハギの歌の2-1-1534歌と2-1-1535歌は、帰京する者の第何回目かの餞別の席か着任者の出迎えなのか、検分の途次の歓迎の席か分かりませんがとにかく蘆城(あしき)の駅家で蘆城野を詠う歌であり、次の2-1-1536歌と2-1-1537歌は、滋賀県賤ケ岳の連山のハギを詠う歌であり、その次に、この類似歌2-1-5138歌があります。 この歌の作者名は詞書に示されていますが、この歌を詠んだ場所を推測する手掛かりが詞書にもなく歌にも一見するだけではみあたりません。

そして、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する歌(2-1-1539歌)を挟んで名張の野に咲くハギを詠う歌(2-1-1540歌)、詠んだ場所が(歌の内容から)宴席であると阿蘇氏が推測する山上憶良の歌2首(2-1-1541歌と2-1-1542歌)となります。

オミナエシとハギの歌はいったんこれで終わります。(秋の雑歌は、その次の聖武天皇が雁を詠う歌2首(2-1-1543歌、2-1-1544歌)は詠んだ場所は不明であり、その次の大宰府に赴任している大伴旅人の歌2首(2-1-1545歌と2-1-1546歌)もハギと鹿とを詠っていますが任地のどこで詠んだかは不明であり、そして、秋の露の歌1首を置いて、2-1-1548歌から再び七夕の歌と続きます。)

③ このように、類似歌2-1-1538歌とその前後4首(2-1-1534歌から2-1-1542歌まで)の計9首は、作詠時点が天平二年でかつ秋の花であるハギなどに触発された歌が続いています。

 この配列から考えると、この9首は、秋の野の花の代表的な花ハギなどを、咲き乱れる野の花として詠っており、詠う場所(披露した場所)は、宴席の歌が5首、旅中の歌が2首(2-1-1536歌、2-1-1537歌)、不明の歌が2首(2-1-1538歌、2-1-1540歌)となります。

 即ち、この9首は、ハギなどを題材にした歌としてここにまとめて記載されていますが、詞書ごとのグループごとに独立している、とみることができます。このため、類似歌2-1-1538歌は、前後の歌と独立した歌であるとして検討することにします。

 

3.類似歌の検討 その2 現代語訳すると

① 2-1-1538歌の詞書は、この1首にのみかかり、作者名のみ明らかにしています。

 訳例を示すと、次のとおり。

「石川朝臣老夫(おきな)の歌 一首」(阿蘇氏)

 作者の伝は、未詳です。

② 初句の「をみなへし」は、現代では秋の七草のひとつであるオミナエシです。オミナエシは陽当たりの良いところに自生している多年草です。数本の茎をまっすぐに伸ばして株立ちになり、先端に多数の黄色い花を咲かせます。花房は全体で1520cmほどの大きさがあります。関東地方以西だと開花は69月、植え付け・植え替えは2月~3月と紹介されています。(NHK出版「みんなの趣味の園芸」)

オミナエシ平安時代には寝殿の前庭に植栽された植物の一つです。

二句にある「あきはぎ」もヤマハギであるならば、赤紫色の花でその開花は7~9月であり、背の低い落葉低木です。ハギは、マメ科植物特有根粒菌との共生のおかげで、痩せた土地でも良く育つ特性があります。

山上憶良が「山上臣憶良詠秋野花歌二首」と題した歌群(2-1-1541歌と2-1-1542歌)で言う秋の花に、オミナエシもハギも含まれています。(付記2.参照)

③ この9首うちで、歌に、二つの花を詠んだ2-1-1537歌は、一つの花から別の花を思い出したと詠んでいます。また2-1-1540歌も一つの花から次の紅葉を早くみたいと詠んでいます。それに対して、この歌は、作者の目の前に花が二種類あります。

④ 歌の現代語訳の例を示します。

女郎花と秋萩とを折っておきなさい。玉鉾の 道中のお土産をと言ってねだるであろう妻の為に。」新日本文学大系3萬葉集3(佐竹氏他)

  同行の人、あるいは従者に呼び掛けた歌であろうと解説し、「玉鉾」は「枕詞」としてそのままにしています。

「をみなへしと秋の萩を手折りなさい。旅の土産をとねだるに相違ないあの娘のために。」(阿蘇氏) 

阿蘇氏は、二句を「あきのはぎをれ」の訓で現代語訳しています。「折る」目的が四句以下に示されているので、「折れり」の命令形と理解しなくてもよい、と指摘し、また、五句の万葉仮名「為乞児」の「児」は、「留守居の者を漠然とさしたとみることができる。」と指摘しています。

この歌の前後の歌は単純に花を愛でていますので、この類似歌もそれに準じた歌とみて、阿蘇氏の訳で、以下の検討を行います。

⑤ 作者は、都の空き地でもみることができるような、珍しくもない花を、土産にしようと言っています。土産になると判断した理由は何でしょうか。手折る場所が重要ならばそのヒントが歌にあってもよいが見あたりません。土産にする理由が下句に示されていますが、官人であるならばその屋敷にも場合によってはありそうな花を土産として子に受け取ってもらえるのでしょうか。

⑥ 上記2.で、配列の検討をした9首のうち詠った(朗詠などにより披露した)場所が最も多かったのが宴席です。2-1-1534歌以前の七夕の歌の詠まれた場所(披露されたところ)は、山上憶良の七夕の歌が示す如く、七夕という宮廷行事というよりそれに関わる宴の席が圧倒的に多いと推測できます。2-1-1539歌などに関する阿蘇氏の推測は正しいと思います。

⑦ 9首のうち、詠った場所が不明の歌2首を、検討します。

 最初に、2-1-1538歌は、戯れ歌と理解すると、宴席の歌になります。「出張だというと土産土産と子供はうるさいので、その土地に咲いている野の花でも持って帰ろうと思っているのです。(勿論その子の母もうるさいので)」と愚痴を言った歌と理解すると、どこにでもある花をそれも2種類を土産にするのだ、と詠う理由がわかります。笑いを取った歌として伝えられて、巻八の編纂者は採録したのではないでしょうか。万葉仮名「児」の漢字の意を思えば、「家人」と理解しないほうがよい、と思います。

次の、2-1-1540歌は、旅中の歌との理解が可能です。明日香から伊勢に行く道筋に名張の地が有ります。詞書での作者の位階は朝廷の重要な行事に伴う宴席に連なることができるほどの位階とは思えません。しかしながら、名張の地が宿泊した地であるならば、位階に関係なく旅先での宴席での歌とも理解できます。初句から二句が「名張」を起こす序として当時慣用表現化していたとしたら、「名張」という地名を入れた、宴席での客側の挨拶歌とみることができます。

⑧ 同じように、旅中の歌とした2首(2-1-1536 2-1-1537歌)も宿泊地での宴席での挨拶歌として、伊香山を詠み込んだ歌、応対の女性をほめた歌と理解できます。

⑨ そうすると、ハギなどを題材にした歌9首は、元々は宴席での歌であったということになります。七夕も朝廷の行事としてはじまっています。『萬葉集』巻第八の「秋 雑歌1515~1609)」は全て宴の場で披露された歌に思えてきます。

萬葉集』巻第八の各季の雑歌にもその傾向があります。

 

4.3-4-10歌の詞書の検討

① 3-4-10歌を、まず詞書から検討します。

② 詞書の現代語訳を試みると、

 「居宅の屋敷に、オミナエシを植えた際に詠んだ(歌)」

 寝殿の前庭にはいろいろの草木を平安の貴族は植えたそうです。この詞書では、屋敷のどこに植えたかは明らかにしていません。常識的には前庭となるところです。オミナエシの植え時は太陽暦2~3月であるので、陰暦では12月前後の時期となります。オミナエシを選んでいることになにか意味があるのでしょうか。

③ 二句「あきはぎてをれ」の「あきはぎ」を花の名とするには、詞書になく、作者が植えた花ではありませんので無理です。類似歌にならい、オミナエシを折り取れと詠っているとすると、二句「あきはぎてをれ」は、

名詞「秋」または動詞「あく」の連用形)+動詞「はぐ」の連用形+助詞の「て」+動詞「折る」の命令形

ではないか、と思います。

「あく」と発音する動詞が、二つあります。

四段活用の動詞「飽く」には、「十分に満足する・あきあきする」の意、また四段活用の動詞「開く」には、「閉じていたものがひらく」の意、があります(『例解古語辞典』)。

また、「はぐ」と発音する動詞でこの歌に相応しいのは、四段活用の動詞「剥ぐ」であり、「(皮など)物の表面をむき取る、着物を脱がせて強奪する」の意、があります(同上)。

このため、二句「あきはぎてをれ」の意は、「あき」に「秋」と「開く」の連用形を重ねて、

「秋に、開(あ)き(そして)剥ぎて(から)折り取れ」、即ち、「秋、閉じている蕾が開き、花がよく咲いてから折り取れ」、なめらかな現代語訳として「秋に、充分花がついている枝を、折り取れ」、と理解できます。

④ 四句の「みちゆく人」は、通りすがりの人でも、ある目的をもって行く人でも可能です。ここまでの歌の語句では決めかねますが、五句「とはんこがため」という語句により、後者の人となります。

⑤ 五句の「とはんこがため」の動詞「とふ」には、a問ふ(聞く・尋ねる)。 b訪ふ(訪問する・見舞う)。c弔ふ(供養する・とむらう)。の意があります。

 類似歌の五句「こはむこがため」が、ほしがる子のため、の意であるので、別の意をこの五句に求めることができる、ということです。

⑥ この歌の作者が類似歌を参照しているものと信じて、この2つの歌の共通点を探すと、子が好きであるオミナエシを共に詠っています。オミナエシは、万葉時代も当時も、本当に好まれた花であったようです。

 さらに、その子は特定の子供を共に指していることです。類似歌は「こはむこがため」に「みちゆきづと」を用意しています。その「みちゆきづと」は自分の子供のためでした。

 この歌の「みちゆく人もとはんこ」も、特定の子供と推測できます。つまり、この歌の作者にも「みちゆく人」にも関係の深い子供です。当時は妻を訪問するのが通常の結婚であったことを考慮すると、「みちゆく人」とは「子供のところへ通ってゆく人」であり、作者と夫婦でありかつこの子の父親ではないかと推測できます。

 だから、四句と五句「みちゆく人もとはんこがため」は、「子供のところへ通ってゆく人もその子供を訪ねる際にはそのようなオミナエシを折り取れ」、となります。

 類似歌との比較でいうならば、「子供が好きなオミナエシを折り取ってあげてほしい」と詠い、「貴方には私を折り取ってもらいたいのです」ということを示唆しています。つまり、「子供のところへ通ってゆく人」へのラブコールの歌です。

⑦ オミナエシを植えた場所は、屋敷内でもこの歌は成立することになります。子が好むであろう秋の花を作者は屋敷内に植えオミナエシもその一つであったのではないでしょか。常識的な植栽ですが、『猿丸集』編纂者は、詞書に、詠っている季節を、植え付けの時期である現在の暦で2~3月と記し、オミナエシという植物名で、類似歌を喚起させ、歌の意の方向を固めています。植え付けの時の作者の思いを汲めと示唆しているととれます。

⑧ 歌の現代語訳(試案)を、示すとつぎのとおりです。「とふ」の意は「訪ふ」です。三句の「たまぼこの」は道にかかる枕詞なのですが、意が判らないのでそのままにして「道」を修飾する言葉としています。

「植えた女郎花は、秋に、充分花がついている枝を、折り取りなさい(我が子よ)。子供のところへたまぼこの道を通ってゆく人も、その子供を訪ねる際には充分花がついている枝(である私をも)を折り取りなさいな。」

 

 この歌は、半年後の時点の「みちゆく人」の行動をチェックしている歌です。それができるのは、男(とその一族)が望む男の子か女の子を、この作者が産んだからでしょう。

子供を訪ねるのは陽のあるうちでしょうから、子とともに作者が住んでいるならば話を交わす機会となります。作者にとって次のスッテプにすすめるきっかけになります。子の養育を信頼できる人に任せているならば、オミナエシを植えた屋敷でお待ちしていますという消極的な歌ではなく、その子の母を忘れていたらあなたが大事にしている子に会せない、と言っているような歌にみえます。

なお、穢れに関して敏感になった時代には、出産は物忌みの対象です。妊娠している女性及び産後の女性に接するのに男性にとって何らかの仕来たりやタブーが当時あったと思いますが、未確認です。

 

5.類似歌の検討その2  珍しい萬葉仮名

① 以上のような3-4-10歌の二句「あきはぎてをれ」の検討結果は、類似歌2-1-1538歌の二句「あきはぎをれれ」に適用できません。

類似歌の二句は「秋芽子折礼」と万葉仮名で書き記されています。この歌の記載されている第8巻では、万葉仮名を「萩」と訓んでいる歌が35首あり、万葉仮名の「芽」一字が10首、「芽子」二字が25首あります。 類似歌2-1-1538歌の場合だけを植物の名以外に理解するのは難しいのです。

② 引用した『新編国歌大観』においては、四句が「道去○(冠が「果」で衣と書く字)跡」と万葉仮名で記されています。その○相当の字は『大漢和辞典』(諸橋轍次)の「衣」偏の部にもない字です。「褁」という字は同辞典にあり(同辞典の文字番号34393)、「ふくろ」という意です。この漢字を用いた理由の解明は万葉仮名の知識がありませんので、宿題になってしまいました。

 

6.この歌と類似歌とのちがい

① 詞書が異なります。この歌3-4-10歌は、作詠事情を記しますが、類似歌は、作者名のみ記すだけです。

② 二句が異なります。この歌は、平仮名で「(花が)あき(になって)はぎて(いる枝を)をれ」なので、「十分咲いた枝だけ折れ」の意となります。類似歌は、「(山野に咲いている)秋萩(も)折(りなさい)」の意となります。類似歌の万葉仮名は「秋芽子折礼」で植物の萩であるのは確かです。

③ 五句が異なります。この歌は、「訪はん子がため」。類似歌は、「乞はむ児がため」。

④ この結果、この歌は、秋に子にあうにはその母も訪ねよ、という女の恋の歌であり、類似歌は、子のために土産は用意していると詠う恐妻家の戯れ歌という雑歌です。

⑤ 今回で『猿丸集』の最初の10歌の検討が済みました。類似歌の理解に時間を要しました。次回は、この10首の検討作業を振り返ってみようと思います。

さて、『猿丸集』の次の歌は、つぎのような歌ですが、次々回検討します。

3-4-11歌  しかのなくをききて

     うたたねのあきはぎしのぎなくしかもつまこふことはわれにまさらじ

3-4-11歌の類似歌 2-1-1613  丹比真人歌一首」  巻第八の秋相聞にある歌です。

うだののの あきはぎしのぎ なくしかも つまにこふらく われにはまさじ

この二つの歌も、趣旨が違う歌です。

⑥ ご覧いただきありがとうございます。 2018/4/9   上村 朋)

付記1.2-1-1538歌より前の4首と後の4首計8首は、次のとおり(『新編国歌大観』より)

 2-1-1534歌  大宰府諸卿大夫幷官人等、宴筑前蘆城驛家歌二首(1534,1535

     をみなへし あきはぎまじる あしきのは けふをはじめて  よろづよにみむ

2-1-1535

たまくしげ あしきのかはを けふみては よろづよまでに わすらえめやも

 

2-1-1536歌   笠朝臣金村伊香山(いかごやま)作歌二首(1536,1537

くさまくら たびゆくひとも ゆきふれば にほひぬべくも さけるはぎかも

2-1-1537歌 

いかごやま のへにさきたる はぎみれば きみがいへなる をばなしおもほゆ

 

2-1-1539歌 藤原宇合卿歌一首

わがせこを いつぞいまかと まつなへに おもやはみえむ あきのかぜふく

 

2-1-1540歌 縁達師歌一首

よひにあひて あしたおもなみ なばりのの はぎはちりにき もみちはやつげ

 

2-1-1541歌 山上臣憶良詠秋野花歌二首

    あきののに さきたるはなを およびをり かきかぞふれば ななくさのはな

2-1-1542歌 

    はぎのはな をばなくずはな なでしこのはな をみなへし またふじばかま あさがほのはな  (芽之花 乎花葛花 く(瞿の冠が日日)麦之花 姫部志 又藤袴 朝貌之花 )

 

付記2.秋の七草は、山上憶良詠んだ2-1-1541歌と2-1-1542歌の2首がその由来とされている。

2-1-1542歌の五句「朝貌の花」が何を指すかについては、朝顔木槿(むくげ)、桔梗昼顔など諸説あるが、桔梗とする説が最も有力であるといわれている。

(付記終わり 2018/4/9   上村 朋)